【イスラム哲学】井筒俊彦を読む
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【イスラム哲学】井筒俊彦を読む [無断転載禁止]©2ch.net
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1考える名無しさん2017/05/24(水) 21:31:52.490
井筒俊彦(1914-1993)スレ
2考える名無しさん2017/05/24(水) 21:32:49.140
著作
『アラビア哲学―回教哲学』 (1948年)
『神秘哲学―ギリシアの部』 (1949年)
『アラビア語入門』 (1950年)
『マホメット』 (1952年)
『ロシア的人間―近代ロシア文学史』 (1953年)
『イスラーム生誕』 (1979年)
『イスラーム哲学の原像』 (1980年)
『イスラーム文化―その根底にあるもの』 (1981年)
『イスラーム思想史―神学・神秘主義・哲学』 (1982年)
『コーランを読む』 (1983年)
『意識と本質―精神的東洋を索めて』 (1983年)
『意味の深みへ―東洋哲学の水位』 (1985年)
『コスモスとアンチコスモス―東洋哲学のために』 (1989年)
『超越のことば―イスラーム・ユダヤ哲学における神と人』 (1991年)
『意識の形而上学―「大乗起信論」の哲学』 (1993年)
『読むと書く 井筒俊彦エッセイ集』 (2009年)
訳書
『コーラン(上中下)』 (1957-58年)
『愛のロゴスとパトス』 マルティン・C・ダーシー (1957年)
『ルーミー語録』 ジャラール・ルーミー (1978年)
『存在認識の道 存在と本質について』 モッラー・サドラー (1978年)
3考える名無しさん2017/05/24(水) 21:33:11.340
英文著作
Language and Magic - Studies in the Magical Function of Speech (1956年)
Towards a Philosophy of Zen Buddhism (1977年)
Sufism and Taoism (1984年)
老子 Lao-Tzu The way and its virtue (2001年)
The Structure of Oriental Philosophy Collected Papers of the Eranos Conference (全4巻)(2008年)
God and Man in the Koran Semantics of the Koranic Weltanschauung (2015年)
The Concept of Belief in Islamic Theology (2016年)
独文著作(訳書)
Bewusstsein und Wesen (2006年)
英文著作(訳書)
『意味の構造―コーランにおける宗教道徳概念の分析』 (1972年)
『禅仏教の哲学に向けて』 (2014年)
『井筒俊彦英文著作翻訳コレクション』 (全7巻)
『1 老子道徳経』 (2017年4月)
『2 クルアーンにおける神と人間―クルアーンの世界観の意味論』 (2017年6月)。以下は予定
『3 存在の概念と実在』 (2017年9月)
『4 言語と呪術―発話の呪術的機能の研究』 (2017年12月)
『5 イスラーム神学における信の構造―イーマーンとイスラームの意味論的分析』 (2018年1月)
『6 エラノス会議―東洋哲学講演集』 (2018年2月)
『7 スーフィズムと老荘思想(上・下)』 (2018年9月)
4考える名無しさん2017/05/24(水) 21:33:28.910
対談・伝記・研究
『叡知の台座 井筒俊彦対談集』 (1986年)
『井筒俊彦 叡知の哲学』若松英輔 (2011年)
『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』 若松英輔 (2015年)
『井筒俊彦とイスラーム 回想と書評』 松原秀一・坂本勉編 (2012年)
『井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生』 〈KAWADE道の手帖〉 (2014年)
『井筒俊彦記念論文集 Consciousness and Reality』 松原秀一ほか編 (1998年)
5考える名無しさん2017/05/24(水) 21:36:35.720
以上
6考える名無しさん2017/05/24(水) 21:41:52.630
『意識と本質』しか買ってないな。
コーランも読まなきゃ。
7考える名無しさん2017/05/24(水) 21:53:44.300
道教からイスラムまで広いな。
『意識と本質』は読み始めたばかりだけど、西洋哲学への言及もあるし、
抜かりない著述家、哲学者だな。
8美魔女2017/05/24(水) 22:00:13.150
もうすぐ世界最大はイスラム教になりそうな勢いなんですって✨
9考える名無しさん2017/05/24(水) 23:05:34.960
1960年代に空白があるのは学生運動に伴う紛争がらみで忙しかったからだろうか。
10考える名無しさん2017/05/25(木) 00:08:30.200
全集の9巻と別巻には講演の音声CDがついてるね
11学術2017/05/25(木) 08:47:35.460
クルアーンね。しかし情報をつないでいるだけじゃダメなんじゃないの。
内戦で国交を開きつつ布教したらいい。日本も。
12考える名無しさん2017/05/25(木) 13:04:18.490
イスラム文化は西洋や西洋に染まった日本のような気持ち悪さがない。宗教的なのに、いびつなことしてない
13考える名無しさん2017/05/25(木) 17:37:24.250
和辻の風土論についてはどう思ってたんだろうね。
アラブは戦闘的だという。
1492017/05/25(木) 19:04:39.760
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/18616.pdf
1969年にマギル大学の教授になっているが、
1961年にすでに日本を離れていたんだな。
15考える名無しさん2017/05/25(木) 19:39:58.090
>>3に
God and Man in the Koran, Semantics of the Koranic Weltanscahuung (1964)
が抜けてるな。
16152017/05/25(木) 20:07:12.200
間違えた。1964年に出たものが2015年に改めて出たということか。
17考える名無しさん2017/05/26(金) 10:51:46.040
日々の生活での返済、お支払いでお悩みの方。
急な出費などで、今月の生活費が足りない方。
多重債務、ヤミ金、家賃滞納でお困りの方。
東京、神奈川、千葉、埼玉にお住まいの方は優遇です。
エヌピ-オ-法人 エスティーエー
18考える名無しさん2017/05/26(金) 21:51:37.720
戦前には満鉄調査部に居たんだな。
19考える名無しさん2017/05/27(土) 00:34:30.350
満鉄では大川周明の元、膨大なアラビア語文献を読んでイスラーム研究を本格化した。
20考える名無しさん2017/05/27(土) 00:35:29.880
大川の本も新しくなっているから読んでみようか。
大川周明 『文語訳 古蘭(コーラン)(上下)』 (2010)
大川周明 『回教概論』 (ちくま学芸文庫2008、中公文庫1991)
『古蘭』サンプルページ
http://www.shoshi-shinsui.com/book-koran.htm
21考える名無しさん2017/06/01(木) 03:18:46.250
https://twitter.com/yamauchishiro/status/868001380774039552
今度6月に刊行される『道の手帖井筒俊彦』(増補版、河出書房新社)に、
私の「井筒俊彦と中世スコラ哲学」が収録されるようです。
スコトゥスの存在一義性とアヴィセンナの存在偶有性説の関係が書いてあります。
22考える名無しさん2017/06/01(木) 21:33:47.490
二木秀雄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9C%A8%E7%A7%80%E9%9B%84
大日本帝国陸軍技師となり、731部隊(関東軍防疫給水部本部)に所属[2]、第一部第十一課[4]結核班(二木班)班長。
1945年頃、金沢市で与論社を創設し、雑誌『パブリックオピニオン』を発行。
1946年上京し、雑誌『日本与論』を発行した[5]。同年、ジープ社社長として、右翼系政界誌『政界ジープ』を創刊[6][7]。素粒子堂病院院長[6]。
1950年11月、日本ブラッドバンクの設立発起人となり、重役に就任[6]。のちミドリ十字取締役。
1953年4月、第3回参議院議員通常選挙に石川選挙区から無所属で立候補、3位で落選。
1956年、大企業・銀行・政治家などを対象とした暴露記事による恐喝事件
「政界ジープ事件」を起こし、19社から6435万円を脅し取ったとしたとして逮捕、
起訴され、1969年、最高裁判所で懲役3年の刑を言い渡された[8]。
1970年代初め、宗教法人日本イスラム教団を設立、患者をすべてイスラム教に入信させたとしてアラブ産油諸国から援助金を得たが、入信が偽りであったことが発覚し大問題になった[9]。
23学術2017/06/01(木) 21:36:33.260
地味だな。結核だってジープで割れる。
24学術2017/06/01(木) 21:37:12.740
作家遠藤は元気かなあ。放送大学でお会いしたけど。
25学術2017/06/01(木) 21:38:10.990
聖書の中の女たち マグダラ の マリア。が秀逸。
26考える名無しさん2017/06/01(木) 21:46:51.810>>29>>31
単行本 ? 2017/5/25
「飽食した悪魔」の戦後 七三一部隊と二木秀雄『政界ジープ』 加藤 哲郎
https://www.amazon.co.jp/dp/4763408097/
内容紹介
731部隊の闇と戦後史の謎に迫る!
雑誌『政界ジープ』創刊、ミドリ十字創設、731部隊隊友会、日本イスラム教団――
残虐な人体実験・細菌戦を実行した医師がたどる戦後の数奇な運命
GHQと旧軍情報将校の合作による731部隊「隠蔽」「免責」「復権」の構造
731部隊で結核・梅毒の人体実験を企画・実行した二木秀雄。
戦後GHQによって免責された彼は、
故郷の金沢で時局雑誌刊行を始め、政財界にも人脈を広げる。
個人の一生をたどりながら、戦後に連続した731部隊の隊員たちの活動と、
医療民主化の裏側での医学者たちの復権を
アメリカ公文書などの新資料から明らかにする。
出版社からのコメント
隊員数、3560名。
731部隊の解散命令は、いまだ出されていない――。
三つの掟
一、郷里へ帰ったのちも、七三一に在籍していた事実を秘匿し、軍歴をかくすこと
二、あらゆる公職につかぬこと、
三、隊員相互の連絡は厳禁する
内容(「BOOK」データベースより)
731部隊で結核・梅毒の人体実験を企画・実行した二木秀雄。
戦後GHQによって免責された彼は、故郷の金沢で時局雑誌刊行を始め、政財界にも人脈を広げる。
個人の一生をたどりながら、戦後に連続した731部隊の隊員たちの活動と、
医療民主化の裏側での医学者たちの復権をアメリカ公文書などの新資料から明らかにする。
27学術2017/06/01(木) 21:48:39.790
人体はシチュエーション低レベル。動物に実験体にされてもサムイのはサムライ。
28学術2017/06/01(木) 22:02:29.770
寒威
29考える名無しさん2017/06/01(木) 22:51:55.320
>>22、>>26
こういう話は出てこない
30考える名無しさん2017/06/01(木) 23:13:16.050
無知にも程がある
31考える名無しさん2017/06/02(金) 00:01:07.260
>>26
波平のくせに
32考える名無しさん2017/06/02(金) 10:08:56.680>>37
紀伊国屋に井筒俊彦全集が置いてあって、
アラビア哲学を手にとってみたが、
挫折した。
33学術2017/06/02(金) 11:21:44.700>>99
井筒は中退組だよ。挫折の運命。
34考える名無しさん2017/06/02(金) 11:59:58.990
経済学部を中退して思想へ向かった博学な人というと、
経済学部を中退してはいないが芸術思想に向かった浅田彰のような感じもしてくる。
35考える名無しさん2017/06/02(金) 12:33:38.650
そういや中田考も早大政経中退だな。
36考える名無しさん2017/06/04(日) 21:44:45.080>>42>>45
>>2-4
(2013-2016年)
井筒俊彦全集 第1巻 アラビア哲学
井筒俊彦全集 第2巻 神秘哲学
井筒俊彦全集 第3巻 ロシア的人間
井筒俊彦全集 第4巻 イスラーム思想史
井筒俊彦全集 第5巻 存在顕現の形而上学
井筒俊彦全集 第6巻 意識と本質
井筒俊彦全集 第7巻 イスラーム文化
井筒俊彦全集 第8巻 意味の深みへ
井筒俊彦全集 第9巻 コスモスとアンチコスモス (講演CD付き「コスモスとアンティ・コスモス」)
井筒俊彦全集 第10巻 意識の形而上学
井筒俊彦全集 第11巻 意味の構造
井筒俊彦全集 第12巻 アラビア語入門
井筒俊彦全集 別巻 (講演CD付き「言語哲学としての真言」)
(1991-1993年)
井筒俊彦著作集 1 神秘哲学
井筒俊彦著作集 2 イスラーム文化
井筒俊彦著作集 3 ロシア的人間
井筒俊彦著作集 4 意味の構造
井筒俊彦著作集 5 イスラーム哲学
井筒俊彦著作集 6 意識と本質
井筒俊彦著作集 7 コーラン
井筒俊彦著作集 8 コーランを読む
井筒俊彦著作集 9 東洋哲学
井筒俊彦著作集 10 存在認識の道
井筒俊彦著作集 11 ルーミー語録
井筒俊彦著作集 別巻 対談鼎談集・著作目録
37考える名無しさん2017/06/04(日) 21:45:18.320
>>32
「アラビア哲学」はいきなりクライマックスという感じ。
38考える名無しさん2017/06/04(日) 21:45:43.990
導入にオススメなのは、
井筒の仕事にオムニバス的に触れることが出来る、
・『井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生』〈KAWADE道の手帖〉
・『井筒俊彦 叡知の哲学』
各書籍の紹介がある、
・『井筒俊彦とイスラーム 回想と書評』
本人の言葉による、
・『読むと書く 井筒俊彦エッセイ集』
・『叡知の台座 井筒俊彦対談集』
主著、
・『意識と本質』
39考える名無しさん2017/06/04(日) 21:46:03.390
イスラム初心者の人には、
・『イスラーム文化―その根底にあるもの』
がオススメ。
40考える名無しさん2017/06/04(日) 21:47:04.410
井筒のテーマは、
古代ギリシャ、中世スコラ学、聖書学、神秘主義、
現象学、存在論、詩論、ロシア文学、イスラム哲学、ユダヤ哲学、
インド哲学、仏教哲学、密教哲学、老荘思想、東洋のシャマニズム、
ポスト構造主義、比較宗教学、言語哲学、、、
と多岐に渡るので、自分に合ったものを選ぶといい。
41考える名無しさん2017/06/04(日) 21:48:08.890
意識の深層次元における言葉や意味の生成を主題にしたということで、
イメージとして近いのは、デリダやクリステヴァら後期ポスト構造主義だろうか。
42考える名無しさん2017/06/05(月) 00:45:20.530>>48
>>36
「井筒俊彦全集」詳細
http://www.keio-up.co.jp/kup/izutsu/cw.html
43考える名無しさん2017/06/08(木) 11:19:16.880
東大法学部を出たアカデミシャンで井筒並の知の巨人って誰かいますか?
井筒に言及したことのいる東大関係者
渡辺浩、宇野重規、中島隆博、中村廣治郎、今道友信
44考える名無しさん2017/06/08(木) 22:20:55.180
苅部直とか和仁陽とか木庭顕のような、
政治思想史、基礎法学方面の人は、
該博な知識を持っていそうな気がする。井筒には及ばないにしても。
45考える名無しさん2017/06/08(木) 23:26:14.920
>>36
『井筒俊彦著作集 別巻 対談鼎談集・著作目録』
・文学と思想の深層 (遠藤周作)
・東西の哲学 (今道友信)
・イスラーム文明の現代的意義 (伊東俊太郎)
・神秘主義の根本構造 (上田閑照、大沼忠弘)
・スーフィズムとミスティシズム (H・ランドルト)
・ユング心理学と東洋思想 (J・ヒルマン 河合隼雄)
・イスラーム世界とは何か (岩村忍)
・思想と芸術 (安岡章太郎)
・二十世紀末の闇と光 (司馬遼太郎)
※全集では各巻に分散して所収
46考える名無しさん2017/06/08(木) 23:27:23.530
『井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生』 〈KAWADE道の手帖〉 (2014年)
・ジャック・デリダ(丸山圭三郎/訳)「<解体構築>DÉCONSTRUCTIONとは何か 書簡」
・大江健三郎「井筒宇宙の周縁で『超越のことば』井筒俊彦を読む」
・中沢新一「創造の出発点」
ほか
デリダ「<解体構築>DÉCONSTRUCTIONとは何か 書簡」は、井筒宛の書簡。
デリダのトレードマークである"脱構築"を説明した最重要のものとして知られている。
オリジナルは、
Jacques Derrida, "Lettre à un ami japonais", Psyché:Inventions de l'autre, 1987
(デリダ『プシュケー』(未完訳)所収「日本の友人への手紙」)
47考える名無しさん2017/06/08(木) 23:29:29.190
>>2-4
井筒俊彦文献表 編年体順(PDF)
http://www.tenri-u.ac.jp/topics/q3tncs00001diyeb-att/data3.pdf
48考える名無しさん2017/06/09(金) 23:39:41.720
>>42
やはり、西田が行なった東西哲学の統合という話もある
49考える名無しさん2017/06/09(金) 23:40:13.320
井筒俊彦全集9巻
・いま、なぜ、「西田哲学」か
・『西谷形而著作集』推薦
50考える名無しさん2017/06/09(金) 23:41:29.350
井筒俊彦 「東洋哲学の行方を考える」 (井筒俊彦全集別巻)
東洋文化にたいする関心が急に高まりだしている。東洋学者にとっては喜ぶべき事態であるのかもしれない。
だが現代のこの動向には、それなりの陥穽がある。東洋主義独走の危険ということだ。
地球社会的な世界文化パラダイムが求められている今日の思想状況では、孤立した東洋主義はもはや通用しない。
東洋哲学もまた異文化との活発なディアレクティクから生まれてくる、世界に向かって開かれた思想でなければならないのである。(執筆年未詳)
51考える名無しさん2017/06/09(金) 23:47:45.960
×西谷形而
○西谷啓治
52考える名無しさん2017/06/10(土) 05:21:03.830
イスラームは計略と軍事を重視する宗教なので「誠実」は重視されず情報戦や宣伝戦が常に活発に行われる。
「イスラームは誠実で平和です」もすでに宣伝戦。
西アジア史に疎い人はこの辺の機微が分からないので、まんまと騙される。
53考える名無しさん2017/06/12(月) 00:25:01.920
イスラムと言っても宗教と政治、文学などでは違いがあると思う。
平和とは思わないし、謀略もあるだろうが、
アラブ、ペルシャ、その他の何をやるにしても、誠実さは最後まで残るという印象。
54考える名無しさん2017/06/13(火) 01:27:30.260
日本に帰ってきたばかりのころの講演のイスラーム哲学の原像でも老荘思想は既に出てたけど、晩年になる程その色が濃くなっていくな
意識と本質だとイスラーム哲学は一要素に過ぎなくなってる
55考える名無しさん2017/06/15(木) 00:53:21.500
http://blog-imgs-91.fc2.com/l/e/o/leonocusto/201611201957479b0.png
http://stat.ameba.jp/user_images/20110109/14/shintaidojin/16/cf/j/t02200381_0395068410972287833.jpg
岩波文庫版『意識と本質』の表紙には「老子道徳経」が印刷されているね。
英文著作『老子道徳経』が邦訳されたばかりだから読みたいと思ってる。
56考える名無しさん2017/06/22(木) 21:27:16.270
「井筒俊彦とキリスト教」
https://twitter.com/201yos1/status/877656259108814849
57考える名無しさん2017/06/23(金) 03:37:38.190
中田考はどうしちゃったの
58考える名無しさん2017/06/29(木) 00:12:54.480
かんそう【観想】
(1)[仏] 特定の対象に深く心を集中すること。観念。
(2)[哲] 〔ギリシャ theoria; ラテン contemplatio〕
(ア)感官的知覚や行為の実践を離れて、対象を直観すること。テオーリア。 → 思弁
(イ)宗教的修行や神秘主義で、超感覚的・神的本体を心に映ぜしめる霊的直観。冥想。黙想。静観。
(3)美の直観。観照。
(大辞林 第三版の解説)
59考える名無しさん2017/06/29(木) 18:30:26.010
同意
60考える名無しさん2017/07/11(火) 23:34:21.840
“構造主義(Structuralism)勃興以来、いわゆるポスト構造主義を経て、
今やそのポスト構造主義の彼方への乗り越えすら云々されております”
― 井筒俊彦「言語哲学としての真言」(1984年、高野山での講演)
61考える名無しさん2017/07/19(水) 00:44:07.780>>75
井筒は自分に一番影響を与え大学の卒論テーマにもした
次に影響受けたのが純粋経験言い初めたウィリアムジェイムス
純粋経験と井筒の「存在の0ポイント」が全く同じ認識領域示してるような気がしてならないが実際の所どうなんだろ?
62考える名無しさん2017/07/21(金) 03:03:33.920
知らね
63考える名無しさん2017/07/21(金) 10:00:38.320
分からないなら書き込むなよwかまってちゃんかよ
64考える名無しさん2017/07/21(金) 12:04:02.490>>65>>66>>67
井筒は自ら現代思想に言及してボロを出した感がある
65考える名無しさん2017/07/22(土) 02:29:42.790
>>64
どうして?
66考える名無しさん2017/07/22(土) 13:37:04.200
>>64
そうか?ならその当時現代思想の親玉だったデリダから何故巨匠と呼ばれていた?
67考える名無しさん2017/07/22(土) 13:38:25.620
>>64
まあニューエイジとかに興味持ってきた晩年はちょっとなとは思う
68考える名無しさん2017/07/22(土) 13:44:58.930
ニューエイジなんか言ったっけ
69考える名無しさん2017/07/22(土) 13:46:40.400
井筒の無分節ないしは未分節は主客未分の純粋経験と共通点がある
井筒は禅体験してる
純粋経験をジェイムスから援用した西田きたろうも参禅体験してる
ジェイムスは哲学者であるとともに心理学者で宗教学者
精神疾患を宗教を慰めに克服した経験を記しおそらく何らかの宗教体験がある
西田も共通体験があるから援用したのだろうし
70考える名無しさん2017/07/22(土) 13:50:38.360>>72>>372
イスラム教のことすらよく分かってないのに、井筒さんを読んでも何も分からん気がする、ってことで読んだことがない。
そんでイスラム教について勉強しようとしても、入門書や解説書は山ほどあるけど、コーランについての注釈書になると途端に手に入りにくくなる。
聖書についての注釈書だったら廉価でいくらでも買えて、日本人によるものも多数あるのとは対照的。
誰か代表的な注釈書でも訳してくれんかね
71考える名無しさん2017/07/22(土) 13:53:54.130
中田考には実践活動だけでなくそういう理論面での活動もやってほしい。
72考える名無しさん2017/07/22(土) 13:53:57.830
>>70
コーランは自分は井筒の訳した岩波版は読みにくかった
中央公論の世界の名著のコーランが一番読みやすかった
73考える名無しさん2017/07/22(土) 14:00:06.820>>76
イスラムスーフィズムに置ける自我の消滅を意味するファナーと仏教における煩悩の消滅を意味する涅槃は共通点がある
井筒は仏教の真如とイスラム(恐らくイスラム神秘主義)のアラーは同じものを指すと言ったらしいが
74考える名無しさん2017/07/22(土) 15:01:26.270
悟りを開いてしまっているのですよね、意識が
そうなると、宗教にはなっても哲学にはならない
75考える名無しさん2017/07/24(月) 23:44:44.120
>>61
同じだろうね。
形而上学的思惟の極限である「意識と存在のゼロ・ポイント」において
看取されるものとして、古今東西の様々な例が取り上げられている。
仏教の「真如」やプロティノスの「一者」、老子の「道」なども。
76考える名無しさん2017/07/24(月) 23:47:54.220>>78
>>73
> 井筒は仏教の真如とイスラム(恐らくイスラム神秘主義)のアラーは同じものを指すと言ったらしいが
「二十世紀末の闇と光」でその件について触れている。
77考える名無しさん2017/07/25(火) 01:00:27.240
あっそ
78考える名無しさん2017/07/29(土) 19:54:15.570
>>76
中沢新一×河合隼雄『仏教が好き!』(2003)でも触れられている。
この件は、井筒哲学の中でも最重要のテーマの一つだろう。
79考える名無しさん2017/07/29(土) 20:08:47.330
ただ、ここまで振り返ってようやく2003年だからね。
最近では「ポスト井筒的な真如像」というのも出てきている。
80考える名無しさん2017/07/29(土) 20:09:52.060
井筒誰やねん
81考える名無しさん2017/07/29(土) 20:37:23.170>>82
よくわかんないけど、井筒の本買ったお。
意識の形而上学。
82考える名無しさん2017/07/29(土) 20:45:48.350>>83
>>81
それは大乗仏教の大乗起信論の解釈書だから直接井筒のイスラム観知るには少し
イスラム哲学の原像当たりと併読すると面白いかも知れない
井筒のイスラム観は批判もある事を踏まえた上でだけど
83考える名無しさん2017/07/29(土) 21:09:52.190>>88
>>82
おっと、あぶないあぶない。
ありがとうございます。
●意識と本質: 精神的東洋を索めて
●イスラム哲学の原像
も追加購入致しました(о´∀`о)
84考える名無しさん2017/07/29(土) 21:13:42.360>>85>>87
存在認識の道を読むのがいいと思うが
85考える名無しさん2017/07/29(土) 21:17:46.460
>>84
読みたいけど、ちと高かった。。゚(゚´ω`゚)゚。
86考える名無しさん2017/07/29(土) 21:18:05.040
Des Barbares et du Dao
https://www.franceculture.fr/emissions/les-cours-du-college-de-france/universalite-mondialite-cosmopolitisme-chine-japon-inde-5
87考える名無しさん2017/07/29(土) 21:19:10.190
>>84
それもありだと思うけど最初は薄いヤツの方が入りやすい
88考える名無しさん2017/07/29(土) 21:58:32.090
>>83
イスラム生誕とかも読みやすく手頃な価格で井筒俊彦の哲学色が強いその三著書に比べて一般的入門書色が強い
89考える名無しさん2017/07/29(土) 23:36:53.310
『意識の形而上学』は井筒の遺作だね。
巻末には豊子夫人によるあとがきがあり、
井筒がその後に構想していたテーマのいくつかが書き出されている。
90考える名無しさん2017/07/29(土) 23:38:18.200>>91
逝去から四半世紀が経ち、
井筒が手掛けなかった領域やアプローチで
ポスト井筒的な仕事をする人達も出てきているし、
今は、その様な例をいくつ挙げることが出来るか、というところだろう。
91考える名無しさん2017/07/29(土) 23:44:07.570
>>90
自分はイスラム方面除いては若松英輔位しか知らないけど誰がいる?
92考える名無しさん2017/07/29(土) 23:51:41.180
若松といってもね。
安藤もいるか。
まあ、男芸者みたいなもんでありがたいが、ポスト井筒ではないな。
93考える名無しさん2017/07/30(日) 22:05:03.190
名前だけなら他スレなどでも6~7人は挙がっている。
大なり小なりあるけど、井筒の仕事の先にある哲学的な成果を上げている人ね。
94考える名無しさん2017/08/05(土) 19:23:29.860
てst
95考える名無しさん2017/08/10(木) 19:46:26.210
731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~ NHKスペシャル
http://www6.nhk.or.jp/special/sp/detail/index.html?aid=20170813
2017年8月13日(日) 午後9時00分~9時49分 NHK総合
戦時中、旧満州で密かに細菌兵器を開発し実戦で使用した、731部隊。
部隊が証拠を徹底的に隠滅、元隊員が固く口を閉ざしたため、その実像を知る手がかりは限られてきた。
今回NHKは、終戦直後、旧ソ連で行われたハバロフスク裁判の音声記録を発掘。
20時間を越える記録では、部隊中枢メンバーが、国防や国益のためとして細菌兵器を開発した実態、
そして旧満州で日本に反発していた中国や旧ソ連の人々を
「死刑囚」とし、細菌兵器開発の「実験材料」として扱っていた実態を、克明に語っていた。
さらに、元隊員の資料や当時の学術界の膨大な記録からは、軍だけでなく学術界からも多くの研究者が
部隊に参加していた実態が浮かび上がってきた。
満州事変以降、学術界が軍と関係を深めていった過程、
そして日本軍が旧満州で反発する人々を死刑にすることについて世論の支持が高まる中で
「死刑囚」を研究に活用する動きが相次いでいた実態も明らかになってきた。
731部隊はどのようにして生まれ、そして医学者たちは、どう関与していったのか。
数百点にのぼる資料をもとに、731部隊設立の謎に迫る。
96学術2017/08/10(木) 21:41:33.480>>97
徒刑囚 実験素材。
囚ビズ アンド ag
97考える名無しさん2017/08/14(月) 01:07:31.860
>>96
井筒の本はどれを読んだことがあるのかな?
98考える名無しさん2017/08/14(月) 01:08:24.070
今どの辺りの話をしているのか分かるだろうか?
99考える名無しさん2017/08/15(火) 00:25:51.680>>101>>133
>>33
井筒哲学の欠点とは具体的にどこか?
100考える名無しさん2017/08/16(水) 21:34:08.620
ウィリアムジェームスの心理学読んでるが彼の心理学の手法は内観で自分の心理状態をチェックして心理学に敷衍する手法だったらしい。
井筒俊彦も内観で形而上的体験をしてる
ジェームスの純粋経験と井筒の存在の0ポイント体験はやはり同じだろうな
101考える名無しさん2017/08/22(火) 02:40:28.870
>>99
天才すぎて、思考が難解すぎて一般人じゃ容易に理解できない。
102学術2017/08/22(火) 07:09:33.280>>104
井筒は大学先輩で中退組だ。もっといいテクストが公開されると思う。
103学術2017/08/22(火) 07:11:37.660
中退じゃないのか。
104考える名無しさん2017/08/22(火) 07:22:17.520
>>102
> もっといいテクスト
どんな?
105考える名無しさん2017/08/22(火) 19:46:14.620
コテまでつけてデタラメ書き込んでんだから救いようないな
106考える名無しさん2017/08/22(火) 20:42:26.610
虚言癖?
107考える名無しさん2017/08/22(火) 21:13:20.750
学術は天才で好き。虚言癖じゃない。
ホーネットが1番嫌い。虚言癖。あんまりでてこないけれど。
108考える名無しさん2017/08/22(火) 21:23:19.660>>109
自然過程説、マジレス、学術は許さない。
清見、しのさんはおっけー。
109考える名無しさん2017/08/22(火) 21:27:27.550
>>108
やだなあ。゚(゚´ω`゚)゚。
110考える名無しさん2017/08/31(木) 15:48:30.720>>111
存在認識の道の巻末広告に、スフラワルディーの顕照哲学も井筒訳で載ってるけど、結局全く手つかずだったのかな
正直、モッラー・サドラーよりこっちのほうを訳して欲しかった
全訳は無理でも一部だけでも訳してくれたらよかったのに
111考える名無しさん2017/09/01(金) 21:29:11.580
>>110
意識の形而上学の最後にこれから刊行予定としてスフラワディー出てたけど亡くなったからなあ
112考える名無しさん2017/09/04(月) 00:11:39.750>>123
ジェームズの純粋経験が、どれぐらい仏教の影響を受けているのかが気になる。
ニーチェとも近い世代だから、そういうこともあっただろうとは思うが。
(1842-1910)ウィリアム・ジェームズ
(1844-1900)ニーチェ
113考える名無しさん2017/09/04(月) 00:12:02.900
心理学における仏教の影響-過去と展望-
https://www.psych.or.jp/meeting/proceedings/76/contents/pdf/WS125.pdf
たとえば,ウィリアム・ジェームズは,自らの講演中,仏教徒ダルマパーラに短い講話を求め,
この「仏教教理は,25年以内に,誰もが研究することになる心理学となるだろう」と述べている。
実際には,彼の予想通りにはならなかったが,心理学・深層心理学と仏教との関連は,何度となく議論されてきた。
114考える名無しさん2017/09/04(月) 00:56:55.570
井筒は今道友信との対談で、
光の仏陀である大日如来と、スフラワルディーの光の形而上学とを重ねたりもしている。
115考える名無しさん2017/09/04(月) 00:57:31.340
“十二世紀ペルシャの哲学者スフラワルディーが「東洋哲学」ということを考えた”
“その「東洋」ということはアラビア語で「マシュリック」Mashriqというんですが、
「マ」とは「場所」ということで、「シュリック」というのは「黎明の光」という、
暁の光がさしそめるその場所ですね”
“哲学とは精神の「東洋」を探求することでなければならない”
“(略)いわゆるアラブ国家、アラブ文化圏とインド、トルク、ユダヤ、それからペルシャ、そして中国、
チベット、日本などが全部一つになって、
それが精神の黎明の場所みたいな感じにぼくの心には映ってくるわけなんです”
― 井筒俊彦「東西の哲学」〔今道友信との対話〕(『井筒俊彦全集 第五巻』)
116考える名無しさん2017/09/04(月) 00:58:39.200
『井筒俊彦の東洋哲学とスフラワルディー哲学』
ザキプール バフマン
宗教哲学研究 33(0), 82-89, 2016
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sprj/33/0/33_82/_pdf
117考える名無しさん2017/09/04(月) 00:59:42.150
『光の政治哲学―スフラワルディーとモダン』 (2008)
鈴木規夫
スフラワルディーについてまとまって読めるものはこれ
118考える名無しさん2017/09/04(月) 01:10:27.360>>119
ドラクエのピークがⅢでまともにやれるのがⅣかⅤくらいまでのように、意識と本質もⅢがピークでいいのはⅤくらいまでだな
それ以降は今一ネタばかりだな
後半のカバラネタばかりだなとかもうネタ切れ感だな
119考える名無しさん2017/09/04(月) 01:30:30.480
>>118
新しいネタとは例えばどういうものかな?
紹介できる?
120考える名無しさん2017/09/04(月) 01:39:07.700
『意識と本質』の全編を通して紹介されているのは、押さえておかれるべき古典中の古典ばかりでしょ。
121考える名無しさん2017/09/04(月) 02:28:09.040>>122>>127>>675
専門家数人分の仕事をやった井筒だから、足りないというつもりはないが、
井筒にも、力を入れてやらなかったものというのはある。
・数学的アプローチ
・経済/社会モデル
・アフリカ(的段階)
今は、こういうものの先を見ていかなければいけない。
122考える名無しさん2017/09/04(月) 02:35:52.040
>>121
井筒好きだね。井筒より天才なくせに。
123考える名無しさん2017/09/05(火) 14:16:38.840>>125
>>112
宗教的経験の諸相に自分は仏教に詳しい訳ではないがと断った上で仏教の業という観念には賛成するという趣旨の事言ってた記憶がある
確認してないので百パーセントの確証はないが
124考える名無しさん2017/09/05(火) 14:31:50.990
ジェームスの純粋経験は座禅してた西田きたろうの哲学の中核概念になった。やはり座禅してたらしい夏目漱石も影響受けた。西田の親友が鈴木大拙で鈴木の後釜としてエラノス会議に参加したのが井筒俊彦だ
井筒も参禅者
鈴木通じて西田哲学の影響もかなり受けてただろう
ジェームスの哲学は禅的なものと相性が良いのだろ
125考える名無しさん2017/09/05(火) 23:38:16.990
>>123
ありがとう。読んでみる。
126考える名無しさん2017/09/09(土) 22:37:09.410>>130
日本版カバラ
平田篤胤「古道大元顕幽分属図」(1820)
http://c.blog.xuite.net/c/e/9/f/18362079/blog_1168435/txt/32408954/4.jpg
セフィロトの樹
http://blog-imgs-76.fc2.com/a/a/5/aa57/treeofflife20150115.jpg
127考える名無しさん2017/09/09(土) 22:40:08.930>>131
>>121
神道もやらなかったな
128考える名無しさん2017/09/09(土) 23:29:04.890>>135
イスラム移民は絶対入れてはならない。同族結婚を繰り返し遺伝子異常がある。
2005年に行われたBBC2の調査では、イギリスで生まれた子供たちの
3.4%がパキスタン系移民の子供たちですが、イギリスで劣性遺伝病を
持って生まれてきた子供たちの30%がパキスタン系であることが分かりました。
1300年もの間、同族結婚を繰り返せば、絶対に遺伝子異常が多発するのは当たり前です。
その結果、まともな判断ができないほど脳が劣化するそうです。
1. 同族交配により生まれてくる子供の異常:
死産の割合が2倍に増える。
分娩時の新生児の死亡割合が50%増える。
嚢胞性線維症や脊髄性筋萎縮症などの常染色体劣性遺伝のリスクが18倍も高くなる。
先天性異常による死亡率が10倍に増える。
2. 心身障害と病気:
両親の血縁関係が近いほど、知恵遅れ、身体障害、統合失調症や精神異常者の割合が増す。
同族交配によって生まれた子供は社会生活能力の発達がかなり遅れる。
例として、固視、社会的微笑、音による発作、口頭表現、
手を握る動作などが同族交配の子供ではかなりの遅れがある。
研究結果により両親がいとこ同士の子供は、IQが10から16ポイント下がることが分かった。
さらにIQが70以下の子供が生まれる確率も高まる。
いとこ同士の両親からは、知恵おくれの子どもが生まれる確率が通常の4倍となる。
129考える名無しさん2017/09/09(土) 23:29:19.140>>132
(デンマークの心理学者のニコライ・セネルス氏の研究結果)
・ソマリア人の3人に1人が精神障害者
・デンマーク最大の精神病棟に入院している精神疾患の犯罪者の40%以上がイスラム系移民
・コペンハーゲンに住む身体障害者の3分の1がイスラム系移民
・デンマークのイスラム系移民がデンマーク陸軍の入隊試験を受けた結果、
デンマーク人に比べ、不合格者の割合が3倍以上となった。
・デンマークの学校ではイスラム系移民の子供たちは過剰反応をするため特別支援教育が
必要とされるケースが非常に多い。
デンマークの学校の予算の3分の1が特別支援教育に使われている。
・デンマークのアラブ系の両親から生まれた子供の64%が、デンマークの教育制度で
10年間の教育を受けた後も職学能力がない。デンマークの高校の中退率は、
イスラム系移民の生徒がデンマーク人の生徒の2倍。
イスラム系の人々はIQが平均的に低いために、彼らは知識を得たり学んだり抽象的思考ができない。
・中東アフリカのイスラム圏では1年にたった330冊の本しかアラビア語に翻訳されていない。
ギリシャの1年間の本の翻訳率のたった20%。
中東アフリカのイスラム圏では過去1200年でたった10万冊の本しかアラビア語に翻訳されていない。
スペインでは1年間で10万冊の本がスペイン語に翻訳がされている。
・トルコでは10人に1人が生まれてから一度も本を読んだことがない。
・世界のイスラム教徒のうち、たった9人しかノーベル賞を受賞していない。そのうちの5人はノーベル平和賞。
・科学的な研究に関しては、世界平均のたった10%しか実施されていない。
130考える名無しさん2017/09/10(日) 09:02:50.530
>>126
http://imgur.com/s6gFfqQ.png
http://imgur.com/E9OUJPI.png
平田の元ネタはこの当たりだろうな
131考える名無しさん2017/09/10(日) 17:46:23.170>>134
>>127
神典である日本書記はコスモスとアンチコスモスで取り扱ってる
132考える名無しさん2017/09/10(日) 17:49:21.410
>>129
無関係なヘイトはうざい!
133考える名無しさん2017/09/10(日) 17:50:43.400
>>99
結論が無分節だから面白くないという人はいる
134考える名無しさん2017/09/10(日) 18:08:18.120>>136>>143
>>131
天地開闢における混沌(カオス)からの秩序(コスモス)成立か。
井筒的なテーマだ。
135考える名無しさん2017/09/10(日) 18:09:30.560
>>128
劣性という言葉の意味間違えてる(笑)
136考える名無しさん2017/09/10(日) 18:13:38.570
>>134
井筒的読みだと神道の聖典でありながらただの神話扱いだった古事記や日本書記も生きてくる
137考える名無しさん2017/09/10(日) 18:35:04.570>>138
割と不思議なのはイスラーム哲学にも中国思想にも興味ありありだったのに中国イスラーム思想には全く触れてない点
138考える名無しさん2017/09/10(日) 18:43:19.700
>>137
情報が少なかったからだろ。チベット仏教に近い思想を抱いてると指摘されるがチベット仏教への言及は意識と本質に孫引きでわずかにあるだけ
浄土宗の山崎弁栄思想とも近いと若松英輔とかは言ってるが多分山崎弁栄も知らなかったろうし
139考える名無しさん2017/09/12(火) 15:18:07.720
意識と本質、コーランを読む、意識の形而上学を井筒三部作として後代に伝えよう
140考える名無しさん2017/09/12(火) 19:22:27.490>>141
意識の形而上学だけ読んでないけど面白いの?
仏教にまるで興味わかないから大乗起信論を読むっても食指が伸びない
意識と本質も禅語ってるところは全く面白くなかったわ
141考える名無しさん2017/09/12(火) 21:35:52.640>>142
>>140
意識と本質が面白く感じたら面白く読めると思う
142考える名無しさん2017/09/12(火) 22:04:05.460
>>141
ふむ、じゃあ買ってみるか
別に高くもないしね
143考える名無しさん2017/09/13(水) 07:36:08.770>>150
>>134
井筒は、混沌(カオス)と秩序(コスモス)の関係をどのようなものだと考えていたのですか?
具体的にどのようにその関係を記述していますか?
144考える名無しさん2017/09/13(水) 11:47:24.550>>145>>147>>151
クルアーン第9章5節
神聖月があけたら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうが良い。
引っ捕らえ、追い込み、至る所に伏兵をおいて待ち伏せせよ。
クルアーン第2章第193節
「宗教が全くアッラーの宗教ただ1つになる時まで、異教徒どもを相手に戦いぬけ」
クルアーン第47章4節
あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。
かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。
その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。
これが哲学なのか?単純に殺人教唆にしか見えないのだが?
145考える名無しさん2017/09/13(水) 12:08:54.170
>>144
井筒俊彦のコーランを読むから読んで言え。些末なネガティブキャンペーンじゃなく背景と読み方から入る。
146考える名無しさん2017/09/13(水) 14:20:01.480
神道的に詩歌は神への捧げ物とされその為に神道家でもあった本居宣長は神道も詩歌も研究して復古神道の基礎を作った
井筒はイスラム以前のジャヒーリヤ時代の詩人はジン(妖霊)に憑かれた人と見られたと述べる
ジンは日本的な感覚なら八百万神になるだろう
詩は神話の原型とも言われる
井筒は人間の無意識にはミュトポイオスと言う神話形成機能があると仮定してる
147考える名無しさん2017/09/13(水) 14:38:59.900>>148>>149
>>144
>第9章5節
>神聖月があけたら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうが良い。
>引っ捕らえ、追い込み、至る所に伏兵をおいて待ち伏せせよ。
ここでいう多神教徒とはムハンマドと敵対するマッカ軍や同盟軍であること。
それがわかるのは前節に
「多神教徒とて、汝らと協定を結んで後は少しも義務を怠らず、また汝らに敵意をもつ人間はただの一人も援助したこともないような人たちは別とする。」
とあることから、ここで殺せという多神教徒というのは、ある特定の敵対勢力に限定されての意味だと分かる。
まず前提として、マッカとムハンマドは戦争状態にあるわけで、神聖月の間は休戦状態にあるだけ。
だから休戦が明けたら再び戦闘に入れと発破懸けてるだけで殺人教唆とかの話じゃなくて当然のことを言ってるだけ
>第2章第193節
>「宗教が全くアッラーの宗教ただ1つになる時まで、異教徒どもを相手に戦いぬけ」
同じ節「しかしもし向うがやめたなら、(汝らも)害意を棄てねばならなぬぞ」
君、もしかして文盲?すぐ続きの文章も読めないの?
>第47章4節
どうみても戦時の規定じゃん
戦争終われば許すか身代金で済ませってことだけど、それもわかない?
148考える名無しさん2017/09/13(水) 15:56:08.820
>>147
しつこいな。出ていけよ。イスラムネガティブキャンペーンはよそでやってくれ
149考える名無しさん2017/09/13(水) 16:08:13.930
>>147
ごめん間違えた。変なのが迷い込んでたから
150考える名無しさん2017/09/13(水) 16:15:25.250
>>143
井筒は無である混沌たるカオスからコスモスが生まれ更にコスモスを無に帰そうとするアンチコスモスとしてのカオスを措定した
聖書の創世記にしろ日本書記にしろ原初の混沌からそれが凝り固まり秩序が形成される
しかしそれは仮初めのものであるとする老荘や大乗仏教の空思想はアンチコスモス思想だと言う
151考える名無しさん2017/09/13(水) 23:32:44.950
>>144
読んだことないだろ?
152考える名無しさん2017/09/18(月) 12:27:09.510
老子道徳経読んでるが英文に翻訳したの日本語に更に翻訳とかかなり意訳になってる
153学術2017/09/18(月) 13:26:16.360
当時の風景が想像できますか。テロのニュースを見ていると。
しかし爆弾ていうのも短絡的に人を殺しすぎる。
154考える名無しさん2017/09/18(月) 17:34:18.090
テロとされる爆弾の被害より、ハリケーンの方がはるかに被害が大きい。
防止できたはずの犯罪行為なのに対策が不十分だったということなら
騒ぎになるが、どこかのミサイル騒動のようにどっちみち自分が
どうしようとなるようにしかならないと人々が感じれば、みんな他人事
で無関心になる。周囲でミサイルが落ちてくるかもしれないなどと
いって心配している人は見たことも聞いたこともない。
155考える名無しさん2017/09/18(月) 17:48:41.710
老子は訳者によって銘々勝手だから、何冊か比較して読むのが吉。
存在論向きのもあれば、処世術向きのもある。
156考える名無しさん2017/09/18(月) 17:53:44.840
自演するな
157考える名無しさん2017/09/18(月) 18:06:15.860
井筒哲学の理解に老子は不可欠
158考える名無しさん2017/09/18(月) 20:38:36.560>>162
イスラム社会といえば、反フェミニズム、反LGBTQとして
批判されていますが、その辺りのイスラム社会の改革は望めないのでしょうか?
159考える名無しさん2017/09/18(月) 21:00:38.570>>165
イランやパキスタンなど、シーア派は女性の教育や社会進出に力を入れていることで有名。
ホメイニ師と「おしん」の例など。
160考える名無しさん2017/09/18(月) 21:21:15.670
桜井啓子、片倉もとこ、重信メイ、、
161考える名無しさん2017/09/18(月) 21:26:17.920>>163>>164
井筒俊彦英文著作翻訳コレクションの老子道徳経はこんな感じの訳
道可非常道 道(という言葉)によって示されるうような道は永遠の「道」ではない
名可名非常名 名(という言葉)によって示されうるような名は永遠の名ではない
162考える名無しさん2017/09/18(月) 21:30:06.430
>>158
ゲイは表向き禁止だが女性との接触が制限されるイスラム社会では昔からかなり公然と横行してる
アラビアのロレンスの映画とかにも描写がある
163考える名無しさん2017/09/18(月) 22:05:30.350
>>161
普通やん
164考える名無しさん2017/09/19(火) 01:00:37.610>>166
>>161
その第一章に出てくる「玄」という語のニュアンスだろうね。
165考える名無しさん2017/09/19(火) 01:06:40.050>>167
>>159
一番大切なのはムスリムの女性達自身がどうありたいか
フェミニズム的「解放」を望んでいるか否か
166考える名無しさん2017/09/19(火) 12:16:37.600>>168
>>164
玄は神秘と訳してる
同謂之玄 (原初の状態において)等しいものである時それは「神秘」と呼ばれる
玄之又玄 衆妙之門 まさにそれはさまざまな「神秘」の中の「神秘」である。そしてそれこそが無数の驚異の出で来る門なのだ
ここらかなり意訳だ
167考える名無しさん2017/09/19(火) 22:56:28.660
>>165
そういうことは、自分でも読んで探したのかな?
168考える名無しさん2017/09/19(火) 22:57:54.580>>170
>>166
それは字面。
ニュアンスといったのはその注に書かれているようなこと。
169学術2017/09/19(火) 23:01:59.030
ニュ 速。
170考える名無しさん2017/09/20(水) 20:26:16.520
>>168
注を要約すると玄は赤黒さで神秘なる深遠さで多様な現象の奥にありしかもそれを越えて存在する絶対的真実について言われたものとある
171考える名無しさん2017/09/21(木) 00:31:18.280
玄は幽玄の玄でもある。
更にその玄から「妙」(隠された本質)を見出すためには~と続く。
172考える名無しさん2017/09/21(木) 00:32:00.930>>187
道というのは「形而上学的に窮極的な存在(=万物の根源)」であるし、
その表れが現象学的に捉えられているということ。
こういうのが東洋の存在論の典型だろう。
173考える名無しさん2017/09/21(木) 00:35:38.420>>809
“真昼時――地上の万物がそれぞれの輪郭線を露出しつつ
キラビヤカに浮かびあがる光の世界――に、
どこからともなく夕闇の翳りしのび寄ってくる。
事物は相互の明確な差別を失い、浮動的・流動的となって、
各自本来の固定性を喪失し、互いに滲透し合って次第に原初の混沌に戻ろうとする。
有分節的世界が己れの無分節的次元に回帰しようとする両者の中間に拡がる薄暮の空間、
存在の深層領域が、人々の好奇心をさそう。
地上の一切が真の闇の中に没して完全に無化されてしまう直前のひと時の暗さには、
何か言いしれぬ魅惑がある。”
― 井筒俊彦 「監修者のことば」 (エラノス叢書 『一なるものと多なるもの〈1〉』(1991))
174考える名無しさん2017/09/21(木) 00:36:43.800
黄昏(たそがれ)の語源
http://blog.livedoor.jp/rh1-manyo/archives/32287801.html
誰(た)そ彼と われをな問ひそ 九月(ながつき)の
露に濡れつつ 君待つわれそ
~作者未詳 『万葉集』 巻10-2240
誰だあれはと 私のことを聞かないでください
九月の露に濡れながら 愛しい人を待っている私を
この「誰そ彼」は「黄昏(たそがれ)」の語源です。
日暮れ時は薄暗く、昔は精霊の跳梁する禍々しい時とされました。
人の見分けがつかないので、「誰そ」と問うて正体を明らかにしたそうです。
(略)ちなみに「たそかれ」とは逆に夜明け前の薄暗闇を指すの言葉は「かはたれ」です。
175考える名無しさん2017/09/21(木) 00:37:05.280
美文だねぇ
176考える名無しさん2017/09/24(日) 12:16:19.410
クルアーンにおける神と人間読み始めた。これから井筒俊彦の英文著作も翻訳される
10月に存在の概念と実在性が出るが今流行の新実在論なり思弁的実在論と比較出来るものがあるだろうか?
思弁的実在論の誰かがイスラム哲学をインスパイアしてると聞いたことあるが
177考える名無しさん2017/09/24(日) 17:18:15.260
大半は指示出来ないな。基本的に達の悪い宗教であることは
間違い無いけど。オスマントルコ壊滅してから今反撃にでてるとかんがえたら
好きにしろって話かな。女性はどうなんだろね
そう言う場所でそだったら自由の意味すら理解してないと思うよ
178考える名無しさん2017/09/27(水) 21:05:11.450
井筒俊彦の説ではイスラム以前のアラビア人は感覚的、現世現実主義、実務主義的で快楽主義者だったとしてるがどうかな?
そしてイスラムの出た背景としてハニーフというユダヤキリスト教の影響を受けつつそれに属さない一神教概念の持ち主たちを挙げるが
179考える名無しさん2017/09/27(水) 21:20:31.670>>180
ユダヤ教キリスト教に属さないハニーフというのは架空でしょ
実際はどちらか、主にキリスト教に属していた
二つよりも古い伝統がアラビアにはあるというクルアーンの建て前の為の架空の存在がハニーフ
180考える名無しさん2017/09/28(木) 09:42:00.220
>>179
クルアーンにおける神と人間ではウマイヤというユダヤキリスト教にもムハンマドにも従わなかった詩人をハニーフの一例として挙げてる
多分ハニーフとは何となく神仏は信じてるけどどこかの宗派に属する意識は持たない日本人みたいなものじゃないだろうか?
イスラム以前のアラビアは世俗的で宗教は形骸化してたようだから
181考える名無しさん2017/09/28(木) 09:49:15.230
「前イスラム期のアラブ人のほとんどは現世が終わったらその後には何もあり得ないと考えてた」
クルアーンにおける神と人間より
182考える名無しさん2017/09/30(土) 13:50:57.480
井筒俊彦の前イスラム史観は大昔はジン(妖霊)の声を代弁する巫者である詩人が部族長だった。
しかしムハンマド時代には詩人の地位は下がり賎業と見なされる事もあった
その頃のアラブ人は現世現実主義だった。
そしてユダヤキリスト教の影響を受けつつそれに属さないハニーフという一神論者が存在した
詩人とハニーフがイスラム誕生の背景となる
恐らく信仰が形骸化してたから偶像破壊にも抵抗は無かった
183考える名無しさん2017/09/30(土) 14:21:47.450
アラビア半島に影響力あったエチオピアはキリスト教国であり、南アラビアのヒムヤル王国はユダヤ教国
北西にはキリスト教のローマ帝国があり、中近東のキリスト教会からは宣教師が継続的に送られてきていた
マッカに近いヤスリブ後のマディーナはユダヤ人の町
メッカにもキリスト教徒はいたし、ムハンマドが啓示を受けた後最初に相談したワラカはキリスト教徒だった
ジャーヒリーヤの正体はすでに一神教が半島を覆い尽くそうとしていた段階
184考える名無しさん2017/09/30(土) 15:35:40.020
イスラムが特にネストリウス派のキリスト教に影響された事は結構知られてるがキリスト教にならずにイスラムというオルタナティブを取った背景にはハニーフの存在があるのではないだろうか?
185運知空海2017/09/30(土) 15:39:06.060
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186考える名無しさん2017/09/30(土) 15:53:36.550
アラビア語で平和はサラームでヘブライ語ではシャローム
アラビア語で神はアラーでヘブライ語ではエル(エロヒーム)
両方とも語源は同じらしい
ユダヤ人とアラビア人は本来兄弟民族なので一神教概念も古くからある程度共有されてたかも
187考える名無しさん2017/10/04(水) 00:12:30.370
>>172
日常生活の中のふとした拍子に、存在の根源性を目の当りにしてしまうという話が、
サルトルの『嘔吐』だった。
『意識と本質』の冒頭でも触れられている。
188考える名無しさん2017/10/04(水) 00:13:16.480
“「ここから先、おまえは一人で進んでいかなくてはならない」と顔のない男は私に告げた。
「方向も道筋もわからなくても?」
「そういうものは必要とはされない」と男は乳白色の虚無の中から低い声で言った。
「もう川の水は飲んだのだろう。おまえが行動すれば、それに合わせて関連性が生まれていく。
ここはそういう場所なのだ」
それだけを言うと、顔のない男はつばの広い黒い帽子をかぶりなおし、私に背中を向けて舟に戻っていった。”
― 村上春樹 『騎士団長殺し』第2部 遷ろうメタファー編 (2017)
189考える名無しさん2017/10/05(木) 01:32:17.690>>191
デリダは、
ヨーロッパ史上死刑を言い渡された四人の重要人物として、
ソクラテス、キリスト、ジャンヌ・ダルクと共に、ハッラージュ(Al-Hallaj)を挙げている。
ハッラージュはジュナイドの弟子。
『中国が読んだ現代思想 サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで』王前(2011)
190考える名無しさん2017/10/05(木) 15:14:27.730>>192
中田考訳のクルアーン読んだが読みにくかった
けど井筒俊彦訳よりまし
あのじい様口調がちょっと…
中公版コーランが一番読みやすい
191考える名無しさん2017/10/05(木) 15:18:13.650
>>189
デリダは人間の意識の中に神が在るという考えだったと思う
だから井筒俊彦を絶賛したし神人合一のハッラージュを評価したのではないか?
192考える名無しさん2017/10/05(木) 20:39:05.540>>195
>>190
ムスリム協会版は?
193考える名無しさん2017/10/05(木) 20:42:26.700
存在を抹消して痕跡を浮かび上がらせるというデリダのビジョンは、
ジュナイドの「ファナー(消滅)/バカー(持続)」と比較される。
ヘルマン・ランドルトとの対談「スーフィズムとミスティシズム 」で読める。
194考える名無しさん2017/10/05(木) 20:44:44.250>>196
ここに出てくるイスラムや仏教の神秘体験では、ファナー/バカーという
意識(=世界)の否定/肯定、あるいは破壊/形成が体験される。
その時、破壊だけで終わるものは偽物なんだと言っている。
世界の解体後に、改めて新しい世界現出が伴うようでなければならないと。
195考える名無しさん2017/10/05(木) 22:31:38.430
>>192
読んでない
196考える名無しさん2017/10/05(木) 22:37:25.140
>>194
仏教は筏の例えで渡り切った筏は棄てなければならないと仏教自体の中にその解体装置を内蔵さす
大乗仏教の各宗派は解体後の新たな世界観になる
勿論意識と本質に見られるような空を体験した後の本質無き分節もあるが
197考える名無しさん2017/10/06(金) 01:06:48.930
「ジュナイドの「原初の契約」におけるファナーとバカー」
澤井 真(オリエントVol.53 (2010) No.2 p.115-132 )
http://ci.nii.ac.jp/naid/130003396318
> 消滅を意味する「ファナー」の語と存続を意味する「バカー」の語は、
> クルアーンの中で対比的な関係として登場する。
> これらの語は,「地上のあらゆるものは消滅する(fānin),しかし,
> 変わらない(yabqā )のは汝の主の顔,偉大で尊厳の所有者である」(Q55:26-27)
> という節に由来する
198考える名無しさん2017/10/06(金) 01:07:43.430
仏教では、世界は意識の対象として、意識の内にあるわけだから、
外的世界の消滅とは、自己解体の先にある。
199考える名無しさん2017/10/06(金) 14:40:08.140
弥陀の身心は法界に遍く
衆生仏をねんずれば仏も還た念じたまう
一心専念すれば能所(主客)亡じ
果満覚王独り了了たり
浄土宗の高僧山崎弁栄が念仏の覚りを詠んだ歌
念仏専心すれば主客が無くなり仏のみが独り聳え立つという事
スーフィや井筒俊彦と共通した体験だろう
200考える名無しさん2017/10/07(土) 20:08:57.620
思弁的実在論のグレアム ハーマンが中世イスラム哲学の機会原因論に触発されたとwikipediaにあったけどハーマンは実在をどう捉えたのだろう?イスラム神秘主義では究極的に実在は神のみとするが
井筒俊彦に創造不断という作品もあったと思うが
201考える名無しさん2017/10/07(土) 22:03:13.520>>202
イブン・ルシュドは創造はすべての瞬間ごとに行われとしたな
本気でそう信じてそう言ったか分からんが
202考える名無しさん2017/10/07(土) 22:22:33.140
>>201
神の絶対性を突き詰めると実在全てに神が介入する事になるから必然的にそうなる
逆が神が実在界に関わったのは創造の時だけで後は時計のように機械的に実在界は動いてるとする理神論。ニュートンなんかが信奉してた
神抜きで刹那刹那に世界は創造されるとしたのが
唯識の刹那滅。
刹那滅は仏教の無常思想から来てる
後唯識のヨーガ行体験もあると思う
203考える名無しさん2017/10/07(土) 23:01:44.290>>208
ハーマンはまだ詳しくないけど、
機会原因論は、物体や精神ではない
神にのみ作用因(事物を生成させる要因)を認めるということ。
創造不断に近いのは、偶然性の哲学かな。
204考える名無しさん2017/10/07(土) 23:03:34.720>>213
86 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2016/02/11(木) 20:14:15.44 0
“この世界は、まったくの偶然で、
別様の世界に変化しうる。”(『偶然性の後で』帯)
実際に読んで思い出したのは、
9~10世紀イスラムのアシュアリー神学。
そこでは、あらゆる時間性や因果性が断ち切られている。
毎瞬間、毎瞬間、世界は新しく創造され、
その行方は「インシャー・アッラー(全ては神の思し召し)」であると。
もちろん、メイヤスーは丁寧に断っているが。。。
「けれども私たちは、安定した世界に生きていることを天の恵みとしていちいちの瞬間に祝福することはしない。」
ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義 [無断転載禁止]©2ch.net
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1451968507/86
×(『偶然性の後で』帯)
○(『有限性の後で』帯)
205考える名無しさん2017/10/07(土) 23:07:29.560
アシュアリー(873‐935)はスンニ派を代表する学派の祖で、カラーム(思弁神学)を確立した。
206考える名無しさん2017/10/07(土) 23:09:12.980
刹那滅は因果が連鎖する。
アシュアリー神学は因果は切断される非線形な原子論。
そういう違いがある。
207考える名無しさん2017/10/07(土) 23:10:46.950
井筒は、この創造不断をデリダのエクリチュール論に結び付ける。
"書く"たびにそこに世界が創出される、というように。
208考える名無しさん2017/10/07(土) 23:18:01.890>>217
>>203
ハーマンは汎心論者らしいが
209考える名無しさん2017/10/07(土) 23:30:30.530
なるほど。
210考える名無しさん2017/10/07(土) 23:45:09.200>>216
思弁的実在論はポストポスト構造主義と言われるからポスト構造主義からは多大な影響受けてる
その中のハーマンはイスラム中世哲学の機会原因論に影響受けてる
この両方から影響を受けた井筒俊彦は思弁的実在論なりハーマンをどう評価したのだろう
211考える名無しさん2017/10/08(日) 06:42:56.240
井筒俊彦は存在認識の道の注で神こそ実在性そのものであるとする
神とは実在であり究極的に宇宙に神以外存在しないという主張に見える
ただし事の深層的次元に置いてだが
212考える名無しさん2017/10/08(日) 11:35:22.220
井筒俊彦が大川周明の大川塾の講師で司馬遼太郎との対談でもイスラムに積極的に関心を持った面白い人と言ったのは有名
しかしそれだけじゃなく井筒と大川は東西思想の比較と統合とか根底にある一如の思想に共通点があるように思える
213考える名無しさん2017/10/08(日) 12:55:21.890
>>204
これは読んだけどそんなところには気付かなかった
214考える名無しさん2017/10/08(日) 23:55:07.990
一如(wiki)
一如(いちにょ)とは、絶対的に同一である真実の姿、という意味の仏教用語である。
「一」は絶対唯一、「如」は真如(tathā)・如同の意で、一異の差別なく平等であることをいう。
世間における一切の事物・現象には実相(真実の姿)があり、普遍的に不二同一であることをいう。
平たく読めば「一つの如し」となる。一でありつつそれは異なるが、異なりつつもそれはそれは一であるという、真如を弁証法的に表現した語である。
もとは老荘思想の概念であり、万物を生成し存在している真実の相、またその差別相を超越した存在義を意味する。
のちに、本来の仏教用語から派生し、剣禅一如などとも転用されるようになった。
215考える名無しさん2017/10/08(日) 23:55:43.670
マールブランシュの機会原因論
Cause occasionnelle chez Malebranche
http://www.furugosho.com/precurseurs/malebranche/occasion.htm
216考える名無しさん2017/10/08(日) 23:57:15.530
>>200、>>210
ガザーリーか。
Occasionalism is the idea that God is the cause of all things.
Harman’s motif example of object-object relations is fire and cotton which comes from the the Islamic philosopher Al-Ghazali,
who repeats from the Qu’ran: “Fire does not burn cotton ? only God burns cotton”.
https://avoidingthevoid.wordpress.com/dictionary-of-concepts-for-graham-harmans-object-oriented-philosophy-draft-work-in-progress/
ハーマンはハイデガーから中世スコラ学に遡って、そこでイスラムに接しているという点で、
普通に哲学史の通りなんだと思う。
217考える名無しさん2017/10/08(日) 23:58:07.320>>218
>>208
この辺は、清水高志『実在への殺到』(2017)の「機会原因論的アニミズム」が詳しい。
ハーマンは、
・「ハイデガーの存在論」と
・「ジェイムズの経験論」を
・「パースの記号論」的に足してる
218考える名無しさん2017/10/09(月) 04:56:53.110
>>217
ありがとう。読んでみる
219学術2017/10/09(月) 07:09:03.130
平等を思い浮かべると逆搾取されるから平等は成立しえない。
220考える名無しさん2017/10/09(月) 10:35:47.450
井筒俊彦のイスラム思想史のガザ―リーの部分に偶因論(機会原因論)の解説があった。
原因と結果に必然的な結びつきはなく
例えばアリストテレス派では燃焼の原因は火であり
火は自然的必然性を持って機械的に作用するが
ガザ―リーは燃焼の真の作用因は火ではなく神だとした
彼にとり因果律は決して自然法則ではなかった
ガザ―リーの結論はアシュアリー派の因果律否定と一致する
この点においてガザ―リーは後のヒュームの哲学的先輩である
確かメイヤスーもカント批判してヒュームに回帰してなかったかな?
221学術2017/10/09(月) 14:18:50.570
原因と結果に結びつきがないわけないじゃない。
神に偏って酷使するのもなあ。
火は機械ではない。
222考える名無しさん2017/10/09(月) 15:11:43.370
ヒュームも因果律否定
223学術2017/10/09(月) 15:17:05.490
因果律というものは、ある事件があってあることがその結果となっているという
レベルじゃない。
224考える名無しさん2017/10/09(月) 15:42:51.930>>228
ガザーリーのいう因果はなくすべては神の慣習だと言い換えても、結局世界のあり方は変わらないのだから同じことだよな
神の慣習=因果として働いてるんだから
225学術2017/10/09(月) 15:46:17.460
神が少数派だったらどうするね。
226考える名無しさん2017/10/09(月) 15:56:28.920
はたしてどうかな?
227考える名無しさん2017/10/09(月) 16:07:58.600
ヒュームのように経験主義を徹底さすと人間が経験する事の出来ない因果律による普遍的法則などは人間の妄想でしかない事になる
因果律を否定する徹底的経験主義は科学的法則も否定する
228考える名無しさん2017/10/09(月) 16:10:31.900
>>224
一億回同じ因果律があったとしても一億一回目に違いが出たらもう世界は変わり科学的法則も成り立たないことになる
229考える名無しさん2017/10/09(月) 18:26:14.820>>230
量子運動のような、だいたい合ってる程度のもんでも確率的に予測可能な事態であれば科学として成立する
全ての可能性について調べる手段がない以上は、絶対的な確証などあるわきゃない
230考える名無しさん2017/10/09(月) 19:46:02.310
>>229
科学も厳密には蓋然的な統計問題になる。確度を上げていく事は出来るが
それ以上は今のところ哲学の問題だと思う
231考える名無しさん2017/10/12(木) 15:02:23.620>>236>>253
実在への殺到読み始めた。
自分は井筒俊彦の存在の0ポイントとジェイムの純粋経験が同じ認識領域を指すと思った
この作者はジェイムスの純粋経験とメイヤスーの(事実性)が同じ領域を指すと指摘している
232考える名無しさん2017/10/12(木) 19:20:47.910
井筒さんは「禅の心」を卓越した分析哲学者によって分析された「心」と結びつけていた
井筒俊彦の思い出
サイイド ホセイン ナスル
井筒俊彦全集第11巻月報第11号
233考える名無しさん2017/10/12(木) 20:21:29.090>>234
分析ってなんですか?
234考える名無しさん2017/10/12(木) 21:10:13.320
>>233
一文があったので。恐らく心の哲学の類指してると思う。詳しくは掲載されてない
235学術2017/10/12(木) 22:08:21.650
あくまでしょ 神魔でしょ 堕天使でしょ。天使とランクが上がる。
236考える名無しさん2017/10/12(木) 23:04:38.230
>>231
> メイヤスーが《事実性》という名のもとに浮き彫りにするのは、
> 諸現象を整合し、総合するとされた主体の成立に先立つ「状態」であり、
> 主体も対象もそこではいまだ、整合や連接によって肥大していない、ある種の経験である。
p98のここかな?
真如に近いね。
237考える名無しさん2017/10/12(木) 23:05:34.220
【真如】しんにょ(tathatā)
・広説佛教語大辞典の解説
(1)かくあること。ありのままのすがた。あるがままなること。
(2)法がかくのごとく成立していること。法性と同義。
(3)「…真如」は、…なる法として成立していること。
(4)普遍的真理。心のあるがままの真実。あらゆる存在の真のすがた。万有の根源。
・デジタル大辞泉の解説
《〈梵〉tathatāの訳》仏語。ありのままの姿。万物の本体としての、永久不変の真理。宇宙万有にあまねく存在する根元的な実体。法性(ほっしょう)。実相。
・大辞林 第三版の解説
[仏] あるがままにあること。存在の本質、存在の究極的な姿としての真理そのものをいう。大乗仏教では、法性・実相などとほぼ同義に用いる。実性。
・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
仏教用語。あるがままにある状態のこと。
この世のすべてのもの (諸法) の根底にある唯一無二の絶対の実在界のあり方は「その如くである状態」すなわち真如としか表現のしようがない。
諸法の人法二空の本性を真如ということもあり,また,衆生の心の本来の清らかな状態である自性清浄心を真如と呼ぶこともある。
238考える名無しさん2017/10/12(木) 23:09:55.600>>240
西田、井筒、真如、ハイデガー、仏教
“西田が「真実在」を「純粋経験」に求めたのは、主客未分・主客合一の〈境涯〉を披歴するためではなく、
そうした直接的経験の中に見て取られる「統一的或者」であり、
つまり意識の統一的秩序をそこに読み取ったこと、このことである”
“大乗仏教で説かれる「本体的一元論」は、例えばイスラーム学の碵学井筒俊彦氏が最晩年に『起信論』を取り上げて、
東洋的思惟の特徴として揚げる発出論的な形而上学とも異なっていることである”
“「真如」であれ、「仏性」であれ「法界」であれ、それらは「本体」であっても、
決して形而上学的な実体的根拠を意味しない。
むしろあらゆる実体性を打ち砕く「ハタラキ」なのであり、
すべての存在者が実体性の軛(くびき)から自由になって、
言い換えればいわゆる「根拠」から解き放たれて、いわば「無根拠」「没根拠」のままに、
おのずから立ち現われてくる「場所」”
“ハイデガーの所謂「存在(有)」が、あらゆる存在者(有るもの)の根拠として「神」でないように、
「本体」とは「実体」ではなく、場所的性格をもつもの”
“釈尊が掴んだリアリティはおそらくそうした場所的な性格をもつ般若智なのであって、
いわゆる「縁起」という、まことしやかな「理屈」、論理の知的理解ではなかったはずである”
― 井上克人 『〈時〉と〈鏡〉 超越的覆蔵性の哲学―道元・西田・大拙・ハイデガーの思索をめぐって』 (2015)
239考える名無しさん2017/10/12(木) 23:11:42.640
『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題
―如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思惟との収斂点―』
井上 克人
http://heideggerforum.main.jp/data08/inoue_r.pdf
240考える名無しさん2017/10/13(金) 02:12:44.180
>>238
ジェームスと井筒俊彦はある程度分かるが西田は読まず嫌いもあってよくわからない。
井筒の存在の0ポイントは真空妙有と彼が言ってるように実体の破壊の場とあらゆる実体の根拠の場が一体になった領域だと思うが
241考える名無しさん2017/10/13(金) 22:18:40.350
真空妙有
“禅の説く「無」は、 意識的事実としてもまた存在的事実としても、絶対無分節と呼ばれるにふさわしい。
だが、この絶対無分節者は無ではあっても、静的な無ではない。
それは本然の内的傾向に従って不断に自己分節していく力動的、創造的な「無」である。
真空は妙有に転成する、というより、転成せざるをえない。
絶対無分節は自己分節するからこそ絶対無分節なのである。
分節に向かってダイナミックに動いていかない無分節はただの無であり、一つの死物にすぎない。
「死水、竜を蔵せず」(首山省念)。それは禅の問題にする「無」ではない。
禅の考えている「無」は宇宙に漲(みなぎ)る 生命の原点であり、世界現出の太源である。
この了解に基いて坐禅修行道としての禅は、「空」に到って「空」に堕するなとか、
「空」に眠り込むなとかいって修行者を戒める。
「一念未生以前、切に忌む者裏(その境地、すなわち空)に守住することを」(恕中無慍)”
― 井筒俊彦 『意識と本質』Ⅶ
242考える名無しさん2017/10/13(金) 22:19:29.150
井筒は、東洋哲学の共時的構造化といっている。
一神教文明から、神のない仏教や老荘までをも統一した理論で説明しようとする。
一神教では窮極的絶対者である神があり、仏教や老荘では絶対無分節者といった形而上学的中心を立てる。
243考える名無しさん2017/10/13(金) 22:22:04.980
原始仏教は、空というぐらいだから非中心的だし、もっと素朴。
244考える名無しさん2017/10/13(金) 22:22:51.050
井上は、真如を悟る唯一の契機は、心の止滅であり、
「世界は空」に反して事物を実体視しようとする自意識の解体にあるという、
仏教の根本原理を織り込もうとしている。
245考える名無しさん2017/10/13(金) 22:24:32.460
妙なる(言いようもなくすぐれた)有(存在)も、縁起も慈悲も真如も、
空を覚知した後に結果としてついてくるものであって、
最初からそれを目的化するものではない。
246考える名無しさん2017/10/13(金) 22:27:23.300
トレンドからみると、
(1)井筒や西田は、形而上学的な大乗仏教の解説に優れていたが、
原始仏教(ブッダの仏教)についてはあまり触れていない。
↓
(2)最近目立つのは、大乗仏教から原始仏教への原点回帰。
↓
(3)井上>>238は、大乗仏教に軸足を置きながら、そこに原始仏教の原理を読み込もうとしている。
247考える名無しさん2017/10/14(土) 00:35:49.980>>275
西田はこちらでやろうと思ってる。
【西田】京都学派・近代日本哲学総合スレ【西周】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1494594731/334-
336 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/10/06(金) 23:55:26.34 0
しかし、西田哲学を安易に禅哲学だと理解しているようでは
読んでいる内には入らない。
337 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/10/06(金) 23:57:04.39 0
“併し君だからよいが普通無識の徒が私を禅などと云ふ場合 私は極力反対いたします
そんな人は禅も知らず 私の哲学も分からず
XとYとが同じいと云って居るにすぎぬ”
― 西田幾多郎 「昭和18年 2月19日 西谷啓治宛」 『西田幾多郎全集23』 (2002-2009)
248考える名無しさん2017/10/14(土) 02:20:58.470
イスラムとヒンズーを統合したシク教のムールマントラに
Ikk oan karr sat nam(神は一つ。その名を真理と言う)がある
Ikkは一者で永遠性の純然たる経験そのものとする
OanはAUMがなまったものでAは認識作用の範疇
Uは絶対的な範疇が崩壊していく意識下の状態
Mは完全な無の意識の状態を指す
SatはSAD(真理を意味するサンスクリット。妙法蓮華経の妙の事)がなまったもの
これをnam即ち名とする
249考える名無しさん2017/10/14(土) 21:13:10.620
デモクリトス、エピクロス、ヘラクレイトス、アシュアリー、デリダなどの
原子論を心理学的にうまく説明したものが思い浮かばないが、
唯識と比べるのが妥当か。
デリダの「散種」などは阿頼耶識に近いところのものだろう。
250考える名無しさん2017/10/14(土) 21:13:53.110
>>204のアシュアリーの説明も「創造不断」で読める。
イブヌ・ル・アラビーの例も出てくる。
251考える名無しさん2017/10/14(土) 21:14:57.220
“「世界は、ひと息ごとに変動する」(イブヌ・ル・アラビー)”
― 井筒俊彦 「創造不断―東洋的時間意識の元型 Ⅱ」『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
252学術2017/10/14(土) 21:20:19.580
ジョン・アヌルース 対 震える焔。
253考える名無しさん2017/10/15(日) 13:58:42.600
>>231
メイヤスーは、「必然的」に見える世界の在り方の奥に「偶然性」を見出だす。
仏教は、事物の「自性」(本質)の奥に「無自性」(本質のなさ)を見出だす。
やっていることは近い。
その際、
メイヤスーは、あらかじめ、心(言語や感覚)は取り外す。
仏教の場合、心はあるが、その内容物をゼロ(無・空)にする。
オブラート一枚分の差があるが、どちらもそうした先に「ありのままの世界」を見る。
254考える名無しさん2017/10/15(日) 13:59:15.700
九鬼周造 『偶然性の問題』 (1935)
“偶然は無に近い存在である”
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/oppo3.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/kuki3.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/level.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/kuki31.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/kuki33.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/guu.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/kuki2.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/circle.gif
“ヘラクレイトスの偶然論とパルメニデスの必然論の対立以来
くりかえし問い続けられてきた「偶然と必然」の問題”(表紙解説)
255考える名無しさん2017/10/15(日) 13:59:37.440
“九鬼周蔵の『偶然性の問題』は、その思弁的な極まりにおいて、カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』に類似する。
すなわちそれは、「原始偶然」とも「絶対的形而上的必然」とも捉えられる、「形而上的絶対者」に関する議論である。”
― 千葉雅也「此性をもつ無 メイヤスーから九鬼周造へ」(『現代思想』2017年1月臨時増刊号 特集=九鬼周造)
256考える名無しさん2017/10/15(日) 14:00:03.730
「原始偶然 Urzufall」はシェリングの術語
257考える名無しさん2017/10/15(日) 14:01:50.390
井筒の前の世代にあたる宗教哲学や比較思想も併せてやっておくといい。
・柳宗悦 『柳宗悦宗教選集』
・九鬼周造 『偶然性の問題』
・清沢満之 『清沢満之全集』
・波多野精一 『宗教哲学序論・宗教哲学』
・田辺元 『仏教と西欧哲学』
258考える名無しさん2017/10/20(金) 22:31:00.750
西田と大拙は同い年で、石川県専門学校の同窓生。
柳宗悦は学習院高等科で西田や大拙に学んだ。
259考える名無しさん2017/10/20(金) 22:42:58.960
・西周(1829-1897)
・福沢諭吉(1835-1901)
・中江兆民(1847-1901)
・井上哲次郎(1856-1944)
・井上円了(1858-1919)
・内村鑑三(1861-1930)
・岡倉天心(1862-1913)
・清沢満之(1863-1903)
・南方熊楠(1867-1941)
・鈴木大拙(1870-1966)
・柳田國男(1875-1962)
・折口信夫(1887-1953)
・柳宗悦(1889-1961)
・宮沢賢治(1896-1933)
・井筒俊彦(1914-1993)
京都学派
・西田幾多郎(1870-1945)
・波多野精一(1877-1950)
・田辺元(1885-1962)
・九鬼周造(1888-1941)
・和辻哲郎(1889-1960)
・久松真一(1889-1980)
・三木清(1897-1945)(京都学派左派)
・戸坂 潤(1900-1945)(京都学派左派)
・高坂正顕(1900-1969)(京都学派四天王、近代の超克)
・西谷啓治(1900-1990)(京都学派四天王、近代の超克)
・下村寅太郎(1902-1995)
・高山岩男(1905-1993)(京都学派四天王、近代の超克)
・鈴木成高(1907-1988)(京都学派四天王、近代の超克)
・梅原猛(1925-)
・上田閑照(1926-)
260考える名無しさん2017/10/20(金) 23:04:00.780>>264
柳宗悦
学習院中等科時代、内村鑑三の影響でプロテスタンティズムに親しむ
↓
高等科時代、「聖フランチェスコ伝」がきっかけでキリスト教神秘主義に関心を持つ
↓
エックハルトに傾倒
↓
エックハルトの「無」や「空」から老子や禅に関心を持つ
回教詩人ハラージや、「否定道(否定神学)」などにも言及。
宗悦は「即如」という造語をつくった。
これは「二元を超えた世界を示唆する言葉」だという。
261考える名無しさん2017/10/20(金) 23:08:35.130
井筒に近い。おおよそ出来上がってる。
262考える名無しさん2017/10/20(金) 23:20:29.140
デリダ>>189にも近い。
263考える名無しさん2017/10/20(金) 23:50:39.640
,. -‐  ̄ ̄`  ̄ ´  ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ._,{ 、,i ! 諸行無常 諸法無我
__.. -/ ,.. / `ヽ、
, -‐ ,.´-─./ /:. . . / ..__ / ! `ヽ ヽ クゥクゥ クゥ 空
/,.-‐´ _r‐' _,ノ: : : : : : : . . . . . . . . . . .(_ `丶、ヽ、 、__,ス ,)
~~ ̄/(三,. -‐ ´ / ,.-‐ ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`丶 l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
~ ̄i l゙´  ̄ ̄ / ,/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ し,j ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
. l. ! / / 自己肥大・自己拡張・存在確認のさまようかまってちゃんクレクレ君は荒らし確定
. ! | (, ,,/
! ,j 2chの鉄則(おやくそく)とは 【荒らしはスルー(無視・放置)・あぼ~ん・透明あぼ~ん】 しましょう。
ゝ、ノ
● 荒らしは放置されるのが一番の苦手苦痛です。
→ ウザイと思ったらそのまま放置!
● 放置の荒らしは焦り、煽りや自作自演、PC串スマホで多人数を装い、あなたのレスを誘う。
→ 釣られてレスしたらその時点であなたの負け、あなたが荒らしです!!
● 反撃は荒らしの滋養にして栄養であり、ヨダレを垂らして最も喜ぶことです。
→ 荒らしにはエサを投げ与えないで下さい!
●荒らしは語尾に w をつけてあおります。
→ 問いに問いで返す無頭が故の無脳で、裏の小藪に捨てましょう。
●荒らし・粘着にはスルー・あぼ~ん・透明あぼ~ん・が推奨です。
→ 考えない学ばない荒らしは外道です。
●荒らしは自立できず、もたれかかり、ストーキングする
→ 真贋が見分けられないのが荒らしの属性です。
●無いものを有ると思い、有るものを無いと思う、これが顛倒(てんどう)、妄想(もうぞう)です
→ 公案の答えは無尽蔵、己だけの答えを出せ!
●枯死するまで孤独に暴れさせておくのが一番です。
→ ミイラ化です、放置、風化させ、土に戻しましょう。
264考える名無しさん2017/10/21(土) 23:24:57.120
>>260
『柳宗悦宗教選集 第1巻 宗教とその真理』(1990)より
265考える名無しさん2017/10/21(土) 23:26:04.290
西田や九鬼は数学をやるので、少しタイプが違ってくる
266考える名無しさん2017/10/21(土) 23:27:17.510
“ジャック・デリダの「解体」哲学、ドルーズ=ガタリの「リゾーム」理論に代表される
現代ヨーロッパの前衛的思想フロントは、明らかにアンチコスモス的である。
コスモスへの反逆、「ロゴス中心主義」的存在秩序の解体。
西洋思想のこのアンチコスモス的動向が提起する存在論的、意識論的問題群にたいして、
東洋哲学はどのような対応を示すであろうか。”
― 井筒俊彦 「コスモスとアンチコスモス」
267名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 11:07:22.960
井筒は悪い意味で言っているのではないがね
268名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 12:01:08.850
真空妙用。
真空は妙用のために存在している。
269考える名無しさん2017/10/22(日) 13:13:29.930>>270
アンチコスモスは、アンチ-コスモスなのだから、コスモスに相対するもの
としてしか姿を現しえないだろう。始源としてのアンチコスモスはあり得ないのだ。
270名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:28:41.210
>>269
井筒の用法だと始源のカオスはアンチコスモスのカテゴリーに入ると思うが
271考える名無しさん2017/10/22(日) 23:55:59.380
アンチコスモスがコスモスに相対するものとしてしか姿を現しえないことは、
コスモスの「解体」としてアンチコスモスについて語ろうとすることが、
「解体」という表現にもかかわらず、秩序としてのコスモスがどのように
現れているのかを解明しようとすることになることを意味する。
272考える名無しさん2017/10/24(火) 13:13:16.340
コーランを破り捨て踏みつけにしたった
https://www.youtube.com/watch?v=-YrceHdBq7I
273学術 ディジタル rare shinscake adanei2017/10/24(火) 13:14:46.590
クルアーンは?
274学術 ディジタル rare shinscake adanei2017/10/24(火) 15:09:19.010
イスラム金融よりハイエクだよ。利子どころの騒ぎじゃねえぜ。
傷つき仆れた兵士は。対偶が。
275考える名無しさん2017/10/27(金) 22:32:35.510
>>247
例えばこういうところ。
276考える名無しさん2017/10/27(金) 22:32:55.750
“我々の有限なる意識の背後に横たわれる無意識はxに対するdxの如く考へることができないであらうか。”
“我々が或一曲線を意識するといふことは此の如き意味に於て限定せられた曲線である”
“意識するといふことは無限なる全体が己自身を限定することである。”
― 西田幾多郎 「自覚に於ける直観と反省」17 『西田幾多郎全集3』 (2004)
277考える名無しさん2017/10/27(金) 22:33:11.740
任意の直線を意識する時は、実在する無限な直線に対して限定をかけている。
無限な潜在性から有限な現実性が、「限定」=「自覚」として立ち現われる。
278考える名無しさん2017/10/27(金) 22:33:33.980
>>276は以下に繋がる。
279考える名無しさん2017/10/27(金) 22:33:57.210
“仏道をならふことは自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の心身、
および佗己の心身をして脱落せしむるなりと云ふ(道元)。
それは限定するものなき限定、絶対無の自己限定と云ふことでなければならない。”
― 西田幾多郎 「哲学論文 第六」 『西田幾多郎全集10』 (2004)
280考える名無しさん2017/10/27(金) 22:34:19.260
訳
(仏道を習うということは、自己を習うことである。
自己を習うということは、自己を忘れることである。
自己を忘れるということは、一切万物を知ることである。
一切万物を知るということは、主客を分け隔てるものをなくしてしまうことである。)
― 道元 『正法眼蔵』 「現成公案」
281考える名無しさん2017/10/27(金) 22:34:47.350
井筒 数学× ギリシャ語○
西田 数学○ ギリシャ語×
282考える名無しさん2017/11/06(月) 03:02:18.030
東大出の学者で井筒並の知の巨人って誰かいますか?
井筒に言及したことのある東大関係者
渡辺浩、宇野重規、中島隆博、中村廣治郎、今道友信
283考える名無しさん2017/11/06(月) 03:35:15.840
井筒俊彦は辻直四郎に頭を下げて資料を借りてそれを一か月で読んで返して
読むのが速いと感心されたんだよ。
284考える名無しさん2017/11/06(月) 08:51:19.040
結局クルアーンを読まないと井筒は分からないなと思って、クルアーンの注解を買ったわ。
285考える名無しさん2017/11/07(火) 17:29:55.260>>289>>292
イスラム教が哲学?
西欧で仏教は倫理学(道徳哲学)と言われ宗教ではないと言われているのはわかる。
キリスト教やイスラム教に神学(理論的考察)はあるだろうけど哲学じゃないでしょ。
井筒俊彦は神秘主義哲学者らしいけど言語矛盾じゃなかろうか
哲学は形而上学で世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問
神秘主義は神秘的合一と呼ばれる絶対者と自己との合一体験にある
神秘主義哲学者って油性水性ペンと同じくらい奇妙に聞こえるんだが
286考える名無しさん2017/11/07(火) 17:40:08.010
>東大出の学者で井筒並の知の巨人って誰かいますか?
阪大出の学者で井筒並の知の阪神って誰かいますか?
287考える名無しさん2017/11/08(水) 08:57:46.850
東大関係者か知らないが個人的には中沢新一かとおもうけれども、
中沢さん本人は
「井筒さんには一生かかってもかなわない」
と、謙虚に語っている
288考える名無しさん2017/11/08(水) 09:10:27.620
「知の巨人」という称号を得るには、知識の深さや幅広さだけではなく、
知識量とか語学力とかいわば基礎体力的な部分で他を圧倒している必要がある。
日本で言えば南方熊楠とかそういうタイプの人に対して向けられる言葉。
289考える名無しさん2017/11/08(水) 10:37:31.580
>>285
勉強不足。神秘主義哲学は新プラトン派のプロティノスの時代からある伝統的哲学
プロティノスは神秘的合一体験を基にその哲学を展開した
井筒俊彦も「神秘哲学」で取り扱ってる
290考える名無しさん2017/11/08(水) 11:46:19.910
プロティノスどころかソクラテスも ダイモーンに導かれたとか言ってるじゃん
291考える名無しさん2017/11/08(水) 12:05:16.970
そもそも一神教圏以外では哲学と宗教は一体で分離してない
哲学の殿堂アカデメイアをキリスト教ローマが異教として閉鎖したようにギリシャ哲学は宗教と哲学が一体で分離してなかった
一神教ではギリシャ哲学を宗教とすると一教の教義に抵触するので哲学というジャンルとすることで両立を謀った側面があるのではないか?
292考える名無しさん2017/11/08(水) 22:21:32.870
>>285
イスラーム哲学
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%93%B2%E5%AD%A6
293考える名無しさん2017/11/09(木) 01:25:02.340>>297
形而上学における主題の中でも最も中心的な主題に存在の概念がある
存在論の他に、神、精神、自由の概念等が伝統的な主題とされているけど
精神や物質もしくは数や神のような抽象的な事柄が存在するか、また人間という存在は
複雑に組み立てられた物質的な体系として定義できるかどうか
神学が哲学の部門視されることはあるが理性によっては演繹不可能な信仰の保持および
神の存在を前提とすることで、一切の思想的前提を立てない理性の学としての
哲学とは異なるとする見方が一般的です。
294考える名無しさん2017/11/09(木) 15:18:08.650>>295
例えば自然科学の学者、科学者ですね。
科学者が実験、観察、分析、総合、仮説と実証に神を語りだしたらどうでしょう。
神秘主義科学者などと言うのでしょうか。とたんに怪しい人ですよね。
ここにいるのだから皆さんは哲学に傾倒しているのでしょう。
神秘主義哲学者などと哲学に対する侮辱ではないでしょうか。
個人的には社会科学と言う表現も不愉快極まりない。科学に対する侮辱と言っていい。
295考える名無しさん2017/11/09(木) 18:19:07.370
>>294
神秘主義哲学は必ずしも神なんて事は言わない。井筒俊彦読んでみろ。神なんか出てこないから
ミスティシズムとオカルティズムを混同した的外れ言うな。
296考える名無しさん2017/11/09(木) 20:49:07.030
>>293-294
井筒の本はどれを読んだ?
297考える名無しさん2017/11/09(木) 21:24:34.150
>>293
カントの『純粋理性批判』は?
298学術2017/11/09(木) 21:43:59.520
推理力自己批判精神ぐらいでどうだ。次代のカントは。
299考える名無しさん2017/11/11(土) 09:23:31.690
井筒俊彦著作集別巻面白いな
正巻より面白いかもしれん
300考える名無しさん2017/11/11(土) 09:56:05.460
対談は読みやすいし、具体的な話題も出てくる
301考える名無しさん2017/11/12(日) 20:00:25.820
298 名前:あぼ~ん[NGName:学術] 投稿日:あぼ~ん
302考える名無しさん2017/11/19(日) 23:01:37.220>>303
井筒豊子の「井筒俊彦の学問遍路ー同行二人半」読みはじめた
303考える名無しさん2017/11/20(月) 00:41:14.580
>>302
新しい本だ。(2017/9/15)
今年亡くなったのか。
304考える名無しさん2017/11/20(月) 00:45:46.650
井筒豊子 『白磁盒子』 (1993)
短編小説集。
井筒と放浪のタタール人学者ムーサーのやり取りが描かれているもの。
305考える名無しさん2017/11/20(月) 00:46:30.010
>>3の英文著作翻訳コレクション
『2 クルアーンにおける神と人間―クルアーンの世界観の意味論』 (2017年6月)
『3 存在の概念と実在』 (2017年9月)
も出てた。
ハイデガー/サルトルとイスラムの存在論の比較とか。
306考える名無しさん2017/11/20(月) 20:18:49.070
井筒俊彦の学問遍路には余り知られてなかった彼のマッギルからイラン時代やそれ以降まで詳しく書かれてる。内気で人間嫌いとも言われる井筒だが内外問わずそうそうたる面子と関わりあいその才能を認められてる
307考える名無しさん2017/11/23(木) 13:16:51.440
道元の「現成公案」>>279-280自体も華厳的。
自己(一)を忘れる
↓
一切(多)を知る
↓
一切によって自己を知る
自己否定が自己の外部に突き抜け、自己を規定する超越的視点になる。
これ自体が、既にクラインの管的な循環モデル。
クラインの管
http://polyhedra.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2013/07/21/kleinbottle.jpg
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/41/a0024841_4162993.jpg
308考える名無しさん2017/11/23(木) 13:17:07.850
一即多、一即一切の華厳的記号学モデル
A ([a]、b、c、d、e、、、)
B (a、[b]、c、d、e、、、)
C (a、b、[c]、d、e、、、)
[ ]は強調
シニフィアンA/シニフィエaという単純な一対構造ではなく、
シニフィアンがAやBやCである時にもシニフィエは常に(a、b、c、d、e、、、)であるモデル。
Aの時には、相互に浸透し照合されたa、b、c、d、e、、、の中のaが強調される。
参考:井筒俊彦 『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
309考える名無しさん2017/11/23(木) 13:18:13.030
デリダの「ロゴス中心主義の解体」による存在根拠解体のあと(後、跡)。
井筒俊彦氏「事事無礙・理理無礙ーー存在解体のあと」 要約
http://www.furugosho.com/nomadologie/izutsu1-resume.htm
“事物を事物として成立させる相互間の境界線あるいは限界線
ーー存在の「畛」的枠組みとでもいったらいいかと思いますがーー
を取りはずして事物を見るということを、古来、東洋の哲人たちは知っていた。
それが東洋的思惟形態の一つの重要な特徴です。
「畛」的枠組みをはずして事物を見る。
ものとものとの存在論的分離を支えてきた境界線が取り去られ、あらゆる事物の間の差別が消えてしまう。
ということは、要するに、ものが一つもなくなってしまう、というのと同じことです。
限りなく細分されていた存在の差別相が、一挙にして茫々たる無差別性の空間に転成する。
この境位が真に覚知された時、禅ではそれを「無一物」とか「無」とか呼ぶ…”
310考える名無しさん2017/11/23(木) 14:49:47.160
マルチするなゴミが
311考える名無しさん2017/11/23(木) 23:05:20.120
モノたちの宇宙ー思弁的実在論とは何かーの解説に今後ハーマンと井筒俊彦の哲学、あらや識の理論や廣松渉の事的世界観の比較が重要になると書いてる
312考える名無しさん2017/12/12(火) 14:21:24.290
意識と本質の内容
①無本質論…禅、老子
②有本質論
1個別的本質論…本居宣長
2普遍的本質論
(1)存在の深層に本質が在る
…宋学
(2)元型的本質が在る
…シャーマニズム、密教、スーフィ、カバラなど
(3)表層意識で理知的な概念として本質を捉える
…孔子の正名論、プラトン、ニヤーヤヴァイシェーシカなど
意識の形態
1表層意識
2イマージュ世界
3言語アラヤ識
4c領域
5存在の0ポイント
313考える名無しさん2017/12/12(火) 19:48:42.470
存在の概念と実在性で神は存在であるというモッラーサドラーの解釈が出る
井筒俊彦の神観念でもあるだろう
こういう観念で思い出すのはシャンカラの不二一元論だ
314考える名無しさん2017/12/14(木) 09:11:22.080
「意識と本質」も、
後半のユダヤ教の説明は割とどうでも良く、鬱陶しい
315考える名無しさん2017/12/14(木) 12:18:36.510>>317
仏教が哲学を語るのは理解できる。西欧でも倫理学とか道徳哲学言われてるから
しかし一神教ごときが哲学って・・・。
316考える名無しさん2018/01/07(日) 01:43:33.630
自分は井筒さん読み始めの初心者だが、禅仏教の哲学に向けてが凄過ぎて、夢中になって読みました
御本人のリアリティに裏打ちされたというか…
なかなかあそこまで書ける人はいないなあって
ただ難解なのといちいち自分の先入観が揺さぶられるから読み進むのにえらい時間がかかる(笑)
317考える名無しさん2018/01/12(金) 22:04:35.300>>318
>>315
仏教が哲学的発展を遂げたのは実質的には初期段階だけだ、大乗仏教で説かれた膨大な教説は
一見して論理的に見えるのだろうが実態はそうではなく一神教と変わらぬ独断論の集積に過ぎない
318考える名無しさん2018/01/13(土) 02:44:05.240
>>317
何子供の戯言じみた事を(笑)
大乗中観や唯識は現代哲学や現代心理学と比肩される事もある代物
華厳の教学は現代数学の列の論理を含む
密教はホロン理論と比較されユングも注目した
禅はヴィトゲンシュタインとハイデガーという20世紀の二大哲学者と比較されそれより進んだものと言われたりする事もある
319DJ学術 2018/01/13(土) 10:03:01.270
フランス文学の方が本質的でいいと思う。後は文字列の韻とか、関連させたり、
死や文学の技術の関係を、同族的にしないことだろう。
320考える名無しさん2018/01/13(土) 15:16:26.700>>322
科学と仏教を結びつけて考えようとする試みなど、どれも強引なこじつけばかりだろう
特に、大乗経典は釈迦や如来がSFチックな異能力者で超人だからやってることが一神教と大差ない
321DJ学術 2018/01/13(土) 15:33:39.530
宗教文学に向いてるな。小乗の体も荒らされたよ。
322考える名無しさん2018/01/13(土) 15:36:03.470
>>320
あなたが言ってるイメージにあるのは強引に現代物理学と東洋哲学を結合させた浅はかなニューエイジの類
井筒俊彦のもの読んでから大乗に文句言ってね。
323考える名無しさん2018/01/13(土) 16:02:12.560>>325>>332
スマナサーラっていう有名仏教徒が、仏教は心の科学とか言ってるし、
科学者が瞑想を研究したマインドフルネスってのもやたら流行ってるし、
たしかに仏教と科学を結び付けようという流れはあると思う。
現代は、科学的な枠に収まってないと信用されないんだろうな。
実際には科学ってのは限界もあるのに。
324考える名無しさん2018/01/13(土) 19:01:34.720
ヨーガ行唯識派なんかはヨーガ行で内観してその心の動きをチェックしつつ仏教心理学を体系化していった。
そういう側面が仏教にはある
勿論井筒俊彦も内観による内的体験がその哲学の基礎になってる
325考える名無しさん2018/01/16(火) 10:00:01.100>>326
>>323
マインドフルネスは科学とは特に関係ないだろ
昔からあるヴィパッサナー冥想を上座部の人たちが英語で熱心に布教してるだけで
326考える名無しさん2018/01/16(火) 11:40:59.330
>>325
禅やヴィパッサナーのストレス低減効果や集中力改善効果などを科学的に検証したのがマインドフルネス
327考える名無しさん2018/01/16(火) 21:49:19.890
エハン塾「井筒俊彦の紹介」
https://youtu.be/nHyS5CtIBzQ?t=46s
エハン塾「仏教とキリスト教のマインドフルネス」
https://www.youtube.com/watch?v=hGvsCa8WWlk
328考える名無しさん2018/01/27(土) 12:12:29.000>>337>>346
北アフリカ・中東地域生まれつき知能が低い疑い
難民のIQは大卒であってもわずか93しかない
ボイス・オブ・ヨーロッパに掲載された、欧州の移民問題についての赤裸々な議論です
EUと主要メディアは、高齢化する欧州は若い労働力を補うために移民が必要だと言う。
しかし、現実はそれとはかけ離れている。たとえば、ドイツ、スイス、そしてオランダでは、
80~99パーセントの移民が、移住後1年以上を経てもなお定職に就いていない。
多くの移民は、現代の欧州で労働力として要求される技能を有していない。
心理学教授ハイナー・リンダーマンは、2015年10月に難民(移民)がドイツ人と比較して
平均的に低い知能しか持っていない。彼の研究によると、大卒の難民の数学と抽象的な
タスクにおける平均知能指数は93で、地元の高校生と同レベルしかなかった。
よく指摘される“言語の問題”はこの差異が生じている理由のほんの一部でしかなく、
根本的な問題は基礎技能の欠如だとリンダーマンは続けた。「ムスリム社会やアフリカで
見られる頻繁な血族間結婚(いとこ同士の結婚など)とそれによって引き起こされる障害が
問題を悪化させている」と、彼は付け加えた。すべての人間は能力と可能性において平等
であると左翼は信じているが、世界のIQ地図が示しているように、そんなことはありえない
違った地域から来た人たちは皆違うということを認めることは、事実上、レイシストではない。
「高い認知能力を持った人口が多い国々は、単に裕福なだけではなく、
平均的に言ってより自由で民主的であり、法の支配と平等がより確立されており、
有能な政府に統治されている。そういった社会は殺人発生率も低く、より安全だ。
そのような現代性は「認知の現代性」であり、
高い認知能力抜きでは獲得できたり促進できたりするものではない!」
https://www.newshonyaku.com/eu/study/20180122
329考える名無しさん2018/01/27(土) 20:56:54.400
体育会系と理科系の違いでしかないだろう。それをレイシズムにするのは間違っていると思う。
330考える名無しさん2018/01/27(土) 21:01:59.480
それは、欧米ではだいぶ前から、さんざんやってきた議論。
黒人の知能指数が低いのは、後天的な要因なのか、それとも、先天的な要因なのか。
これについては、盛んに議論されている。
まちがいないのは、「黒人の知能指数が低い」ということ。
こればかりは客観的事実なので、誰も否定できない。
議論されているのは、その「原因」について。
331考える名無しさん2018/01/27(土) 21:02:48.120
しかし、アラビア人やペルシャ人は、多くの偉大な知識人を輩出してきた歴史を持っている。
332考える名無しさん2018/01/27(土) 21:06:52.590
>>323
>スマナサーラっていう有名仏教徒が、仏教は心の科学とか言ってるし、
科学者が瞑想を研究したマインドフルネスってのもやたら流行ってるし、
たしかに仏教と科学を結び付けようという流れはあると思う。
それは、「科学」と言ってるだけ。
あんまり関係ないよ。
333考える名無しさん2018/01/27(土) 21:08:24.470
要するに、思考停止して頭の中をカラッポにすることにより、感覚を研ぎ澄ませる。
自分の身体や精神に、意識を集中する。
それがマインドフルネス瞑想。
334考える名無しさん2018/01/27(土) 21:12:40.170
アメリカの黒人で泳げるのは2割程度だと言われる。これは説明なしに理解できる。
イスラムのレベル低下は、毎日アザーンがあって礼拝が義務付けられてるんだからイヂメられっ子と同じだよ。当分ダメだろうね。
335考える名無しさん2018/02/14(水) 03:46:35.760
大川周明 『安楽の門』
私は此の書斎(松沢病院の病室)に古蘭原典と、十種に余る和漢英仏独の訳本を自宅から取寄せ、昭和二十一年十二月一日から之を読み初めた。
それは私が乱心中の白日夢で屡々マホメットと会見し、そのために古蘭に対する興味が強くよみがへったからである。
336考える名無しさん2018/02/14(水) 12:32:54.540
極東軍事裁判にかけられたとき大川はキチガイのふりをして死刑を免れた
イスラムに傾倒したのはその贖罪の念が拭い去れなかった所為だろう
337考える名無しさん2018/03/02(金) 23:34:50.590
>>328
普通の生活を送れる人間と難民とでは、そもそも学習環境に違いがあるだろ
338考える名無しさん2018/03/02(金) 23:39:30.540>>851
ハッラージュ 「アナ・ル・ハック (Ana al-Haqq)」 (われは真理(=神=真実在)なり)
> Haqq is the Arabic word for truth.
> In Islamic contexts, it is also interpreted as right and reality.
> Al-Haqq, 'the truth, is one of the names of God in the Qur'an.
> It is often used to refer to God as the Ultimate Reality in Sufism.
そう言って処刑されるわけだが
339考える名無しさん2018/03/02(金) 23:40:31.220
アウグスティヌスと「VERITAS(真理)」の文字
http://dowym.com/wp-content/uploads/2016/05/ST-Augustine-of-Hippo_edited-1.jpg
> 真理はどのように認識されるのであろうか。
> アウグスティヌスは真理(veritas)を真なるもの(verum)との関係において認識しようとする(I, 15, 27)。
> この二つは別のものとして,真理は真なるものの存在の根拠であり,
> 真なるものは真理によって存在させられる(I, 15, 27)。
> 言い換えれば,真理は神的存在で,真なるものはその被造物だということである。
340考える名無しさん2018/03/02(金) 23:41:26.860
アウグスティヌスはアルジェリア。
アウグスティヌスが一時期信奉していたマニ教は、ゾロアスター教、キリスト教、仏教などの流れを汲む。
341考える名無しさん2018/03/03(土) 01:32:15.650
井筒が指摘した、イスラムの神が仏教の真如に近いものである、
というテーゼは、別に難しい話ではなく、
>>338の様なwikiの辞書的説明にも用いられるもの。
これによって、キリスト教、イスラム、仏教のそれぞれ、
真理=真実在=真如が比較される。
その実体は、神であったり、現象であったり、あるいは偶然性であったりもする。
342考える名無しさん2018/03/03(土) 07:41:36.910
また真如厨か
343考える名無しさん2018/03/05(月) 22:40:51.200>>344>>409
イブン・アラビーのアッラーと無
> 宗教と信仰の言葉では「神」と呼ぶべきものを、イブン・アラビーは哲学用語の次元で「存在」(wujūd)と呼ぶ。
> これは現実にこの世に存在している「存在者」や「現実存在」(mawjūd)とは全く異なる原理存在であるとする。
> そしてその存在の究極位をプロティノスの「一者」と同じように「存在の彼方」に置くと同時に、
> それが全存在世界の太源であると考えた[5]。
> イブン・アラビーの「存在」は、無名無相、つまり一切の「…である」という述語を受け付けない。
> 「神である」とも言えない。なぜなら神以前の神は、普通の意味の神ではないからである[6]。
> 「存在」(wujūd)には、「自己顕現」(tajallī)に向かう志向性が本源的に備わっており、
> 「隠れた神」は「顕れた神」にならずにはいられない。
> 無名無相の「存在」が「アッラー」という名を持つに至るこの段階は、
> ヴェーダーンタ哲学における意味分節する以前の全体存在である「上梵」から
> 言葉によって言い表すことができる経験的世界である「名色」へと移り変わる段階にあたる、と井筒俊彦は解説する[6]。
344考える名無しさん2018/03/05(月) 22:41:51.530
>>343
「東洋的無」と呼ばれるもの
・神(アッラー)そのものが自己顕現する無
・ユダヤ神秘主義カバラにおける神の内なる無
・プロティノスの一者
・ヴェーダーンタ哲学における無相のブラフマン
・老荘の道
・禅の無
・大乗仏教の真空妙有
・易学の無極即太極
意識・存在・実在のゼロポイントである純粋な無、
絶対無から絶対有への展開。
345考える名無しさん2018/03/05(月) 22:43:30.310
井筒のいう「ゼロポイント」という言葉は何に由来するものだったか
346考える名無しさん2018/03/05(月) 23:59:24.410
>>328
「北アフリカ・中東地域生まれ」の人達が始めた宗教を
世界の半分以上の人達が信奉しているわけだろ
・キリスト教 22億5400万人(33.4%)
・イスラム教 15億0000万人(22.2%)
・ヒンズー教 9億1360万人(13.5%)
・仏 教 3億8400万人(5.7%)
・無宗教:7億6900万人(11.4%)
・無神論:1億4830万人(2.2%)
・心霊主義:1366万人(0.2%)
・バハーイ教:786万人(0.1%)
・中国伝統的宗教:3億8720万人(5.7%)
・儒 教:641万人(0.1%)
・道 教:337万人(0.1%)
・神 道:278万人(0.0%)
・その他:134万人(0.0%)
合計:67億4960万人 (百科事典「ブリタニカ」年鑑2009年版)
347考える名無しさん2018/03/06(火) 05:11:56.790
うむ。
348考える名無しさん2018/03/07(水) 23:49:19.190
ロシア哲学・思想史関連
『ゲンロン6・7 ロシア現代思想I・II』 東浩紀 (2017)
『20世紀ロシア思想史 : 宗教・革命・言語』 桑野隆 (2017)
『ロシアあるいは対立の亡霊 : 「第二世界」のポストモダン』 乗松亨平 (2015)
『ロシア精神史への旅 : 野口和重ロシア史論集』 野口和重 (2009)
『ロシアの源流 : 中心なき森と草原から第三のローマへ』 三浦清美 (2003)
『ロシアとヨーロッパ-ロシアにおける精神潮流の研究 1・2・3』 T.G.マサリク (2002-2005)
『ロシア学を学ぶ人のために』 藤本和貴夫 (1996)
『ロシア精神史 哲学と社会思想の流れ』 セルゲイ・レヴィーツキイ (1994)
『ロシア思想史』 森宏一 (1990)
『ロシア思想史 : メシアニズムの系譜』 高野雅之 (1989)
『ロシア精神の源 : よみがえる「聖なるロシア」』高橋保行 (1989)
『ロシア・ソヴィエト哲学史』 ルネ・ザパタ (1997)
『ロシア的人間』 井筒俊彦
349考える名無しさん2018/03/07(水) 23:50:06.330
混沌(カオス)といえば、ロシアもやらないといけない。
井筒は、ロシアには「原初(エレメンタール)な根源」があるという。(「ロシア的人間」)
それから、「存在の窮極の太古の源に彼等は直接つながっている」とも。(「露西亜文学」)
350考える名無しさん2018/03/07(水) 23:50:56.530
難しい話だが、このことはロシアをやっていく上で時折ヒントになる。
351考える名無しさん2018/03/09(金) 22:38:41.610>>352
“おお夜の海よ、お前は何と美しいことか!
ここは燦々と輝き、かしこは暗く濃藍色、
月光を身に浴びて、海は生きもののように
歩み、呼吸し、きらめいている。
涯て知らぬ自由のひろがりの上に
閃々と光り、たゆたい、遠雷のごとくどよみ轟く
縹渺たる月光を全身に浴びた海よ、
人気ない夜の世界に、お前はなんと素晴らしいことか。
巨大なるうねりよ、海のうねりよ
お前はそんなにして誰の祭日を祝つているのか。
浪は轟き輝きつつ寄せて来る。
目ざとい星達が空にまたたいている。
この動揺のさなかに、この煌燿(きらめき)のさなかに、
夢みるごとく茫然と私は立ちつくす。
ああ如何に心地よいことであろうか
この魅惑の中に魂を沈め盡すことができたなら”
― チュチェフ 「無題」 1865年作 (井筒俊彦「ロシア的人間」9章)
352考える名無しさん2018/03/10(土) 14:16:17.360
>>351
笑いそうになった
353考える名無しさん2018/03/10(土) 19:21:00.660
>>351はシェリング。池沼は笑うしかないだろう
354考える名無しさん2018/03/10(土) 19:22:23.290
井筒は、ギリシャ語をやった延長でロシア語をやった
355考える名無しさん2018/03/10(土) 19:22:57.900>>360
“ギリシャ正教の修道院における祈りは、ヘシュカズムと呼ばれる行法に則って行われる。
ヘシュカズムとは、自己の内面への沈潜、静寂(ギリシャ語でヘーシュキア)を求めて精神を集中するために、
イエスの祈りと呼ばれる短い祈り「主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐み給え。」を繰り返し称える行法である。
その際、自己の内面への精神集中の一助として、座法や呼吸法をともなった精神身体技法、心身技法を援用する。
イスラームはスーフィズムのズィクル(神の名の連禱)や仏教は真言密教の三密(身、口、意)瑜伽行とほとんど変わる処はない。”
― 『ギリシャ正教 無限の神』 落合仁司 (2001)
356考える名無しさん2018/03/10(土) 19:28:34.770
落合は全く話にならないんで引用しないほうがいいぞ
357考える名無しさん2018/03/10(土) 19:43:34.490
ヘシュカズムの説明なんてこれぐらいのものでしょ
話になる話とは?
358考える名無しさん2018/03/10(土) 19:49:59.430>>359
ヘシュカズムとは、自己の内面への沈潜、静寂(ギリシャ語でヘーシュキア)を求めて精神を集中するために、
イエスの祈りと呼ばれる短い祈り「主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐み給え。」を繰り返し称える行法である。
↓
この前提から間違いだから
ヘシュカズムは何らかの行法じゃない極端にいえば呼吸法とか座法とかの方法はあってもなくてもいいようなもの
359考える名無しさん2018/03/10(土) 20:33:01.160
>>358
> ヘシュカズムは何らかの行法じゃない
で、何なの?観想だとでも言いたいの?
>>355には、「一助として…援用する」とあるでしょ。
複数の本、各種宗教事典で調べてもこれぐらいのもの。
360考える名無しさん2018/03/10(土) 23:58:39.670>>361>>366
>>355
ズィクルと真言密教は同根だろう。
前者は井筒、後者は小滝がそれぞれ詳しい。
『イスラーム哲学の原像』 井筒俊彦 (1980)
『密教とイスラーム 高野山修行記』 小滝透 (1987)
361考える名無しさん2018/03/11(日) 00:37:03.870>>363
>>360
笑いそうになった
362考える名無しさん2018/03/11(日) 01:55:26.430
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
64NJK
363考える名無しさん2018/03/11(日) 08:35:58.150
>>352、>>361
手錠をかけられたまま笑って見せるのが政治犯
364考える名無しさん2018/03/19(月) 00:13:39.130
>>351は無題で正解だった
365考える名無しさん2018/03/19(月) 00:14:46.310
ギリシャやロシアの正教には絶対的な深さがある
366考える名無しさん2018/03/19(月) 00:17:08.100
>>360
神秘主義や神人合一は、世界中に例があるから、
今更どうこう言うものでもないが、
この二つの比較だけはショッキング。
367考える名無しさん2018/03/19(月) 00:18:50.780
井筒俊彦 『存在の概念と実在性』 (2017/10/21)(英文著作翻訳コレクション3)
は読んだだろうか?
ここへきて井筒哲学が2割増しになる。
・ハイデガー/サルトルの実存主義とイラン哲学の存在主義の比較
・ファナーとバカー論 再
・イブン・アラビーによる無からの神的顕現 再
・エッセンティアとエクステンティア
・イウティバールとイウティバーリー
ほか
368考える名無しさん2018/03/23(金) 21:26:39.560
井筒はゾロアスター教に対して否定的だろうか。
369考える名無しさん2018/03/24(土) 08:29:41.460
『宗教哲学入門』 量義治、講談社学術文庫 (2008)
井筒がやっていた様なこと。
仏教、キリスト教、イスラム教から宗教批判まで、
統一された哲学用語で相対化して通観する一冊。
370考える名無しさん2018/03/25(日) 13:53:06.530>>371
井筒が表紙に写ってる雑誌あるだろ。
あれ見てオレかと思った。
やっぱな、オレって才能あるかも。
371考える名無しさん2018/03/25(日) 20:18:36.350
>>370
http://img-cdn.jg.jugem.jp/5d5/156118/20060717_151629.JPG
372考える名無しさん2018/03/26(月) 06:29:29.570
>>70
講談社学術文庫の「マホメット」が良い
373考える名無しさん2018/03/27(火) 11:54:51.160
ムハンマドは初期のころから命をねらわれたりして
今のオウムみたいな胡散臭い存在だったらしいな。
1000年後いや500年後どうなっているやら。
374考える名無しさん2018/04/27(金) 19:13:18.050
井筒俊彦の哲学は原型としてはシャンカラのそれにより近いと思う。
大乗仏教より井筒俊彦は実在論的で主客未分の実在を語ったのはシャンカラだから。
375オーバーテクナナシー2018/04/28(土) 06:36:03.460
☆宗教的狂信(イスラム等)思考実験 [転載禁止]©2ch.net
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/future/1421323165/
376し ◆0owanyIGTY 2018/04/29(日) 05:38:58.130>>394
井筒俊彦『意識と本質』によると
井筒が「本質」を2つに分けた
a、マーフィーヤ(特殊的意味での本質)
b、スーフィーヤ一般的意味での本質)だけど、
aは普遍的「本質」(マーフィーヤ)
bは個体的「本質」(スーフィーヤ)
詩人
リルケ
マラルメ
松尾芭蕉
それぞれでスーフィーヤとマーフィーヤという本質を追求する態度が違うらしいが。
詩について私が言えることはないが、
これについては、もう一度読み直してまとめてみる。『意識と本質3.4.5に論じられているので、
興味あれば読んでみ
今その次の『意識と本質6』のところ
禅やバカヴァット・ギータのところを読んでいるので、ここのところから。
あとでレジュメ書く
377し ◆0owanyIGTY 2018/04/29(日) 05:40:21.120
『意識と本質』チャプター6
禅ー
すべての存在者から「本質」を消去
すべての意識対象を無化。全存在世界をカオス化してしまう。
一旦カオス化しきった世界に禅は、また再び秩序を戻す。
まったく新しい形で。さまざまな事物がもう一度戻ってくる(しかしあくまで無「本質」的に
具体的には
道元禅師『坐禅箴』
「水清くして地に徹す、漁行きて魚に似たり。空闊くして天に透る、鳥飛んで鳥のごとし」
↓
本質が措定されていない。が、「本質」がないのに鳥は鳥として文節されている。
「川の中を泳いでいる漁」を見ている私が見ているものを禅は無化する。「川に魚が泳いでいることは現実だとしても、
それを映している私の意識がみているものは全て虚像に過ぎない。
「鳥飛んで鳥のごとし」。これも同じで鳥が飛んでいるということ自体、禅では虚像だという。
本来なら「川の中を泳いでいる漁」は確かに私の目に現実として映っている筈である。
何故なら私の意識は、川を泳ぐ漁を「本質」として、確かに現前していると確信しているから。
私たちの意識は「鳥が飛んでいる」景色を見て、「本質」を掴み取っている。
確かに鳥は飛んでいるのだ。何故ならありありと鳥が空を飛ぶ姿を私の意識は、掴んでいるから。
その現実を「本質」として捉える作用が、私の意識の自然な働きだからである。
↑
禅はこれらの意識の働きを無化するという。
つまり実存体験事実に至るのである。
禅は鳥が空を飛んでいることを「本質」として捉える。そしてそれは虚像であることを意識として捉える。
禅の意識はメタ的に本質を無化しているのである。本当は鳥が実際に空を飛んでいることを知っている。
知っていて無化するのだ。無化して、再び秩序を戻す。そして戻した瞬間に「本質」を無化する
では、どうしてそうする必要があるのだろうか?
378し ◆0owanyIGTY 2018/04/29(日) 05:41:08.810
『バカヴァット・ギータ』第18章の一節(サーンキヤ哲学)
「三徳」という考え方があり、
現実在(現質)-
純質(サットヴァ)-全世界を究極的一者として眺める
激質(ラジヤス)-現象的多者の間に動揺ただならぬ意識
闇質(タマス)-愛憎に縛られた沈重な意識
感覚器官も意識も、その対象である外界の事物も、すべてこれら三種の存在エネルギーの
さまざまな混合によって現象し、いわゆる経験界を形成する。
その「三徳」は禅の「無心」「有心」「執心」に当てはまるという。
379し ◆0owanyIGTY 2018/04/29(日) 05:42:00.560
禅に当てはめると
a、純質ー「無心」
b、激質ー「有心」
c、闇質ー「執心」
a、全存在界を究極的一者性において眺める。
b、経験的事物を個々別々なものとして差別し、それらを個々別々に認識する。
c、特定の事物に対する欲情的妄執的な態度。ある一つの対象をまるでそれが全てであるかのように
追い求める、根拠のない愛着の心
禅の「心を擬する」ー
意識のエネルギーをある一定の方向に向かって緊張させ、その先端に一つの対象を認知すること
「至道」への最大の障礙
現実を「本質」的に文節し、個々別々のものとしてしか見ることができない。
「有心」の段階においては、必ず分節的意識が作用するやいなや、存在の真相は無限の彼方に姿を消す
380考える名無しさん2018/04/29(日) 18:35:32.230
意識と本質の29ページにシャンカラとイブンアラビーの共通性を指摘し東洋哲学の一つの典型としてる。
おそらく井筒俊彦の本音が出てる。
勿論大乗仏教特に禅の本質否定論も出すがどちらかというとシャンカラ寄りではないか?
381考える名無しさん2018/05/13(日) 16:08:10.920
ピューリサーチセンターの調査によると
エジプトの88%、パキスタンの62%、ナイジェリアの51%のイスラム教徒が
イスラム教から棄教・改宗する者は殺されるべきだと信じている。
また似たような割合で姦淫には石打、ムハンマドを侮辱する者には厳罰
窃盗犯の腕は切り落とせと考えている。南アジアの84%、東南アジアの77%
北アフリカの74%、サブサハラの64%のイスラム教徒はシャリーアが
国法であるべきだと答えている。西欧にいるムスリムでさえ高い割合で同様の結果が出ている
イスラム教徒はバスだろうがレストランであろうがイスラエルに対する攻撃は
理にかなっていると信じている。「言論の自由」「宗教の自由」「報道の自由」「女性の権利」
「同性愛者の権利」など認めるムスリムは極めて少数派なのはハッキリしている。
ムスリムが啓蒙主義を受け入れた証拠は存在しない。イスラムはキリスト教徒やユダヤ教徒と
争うだけではなくヒンドゥー教徒や仏教徒と衝突している。
改宗の自由すらない。宗教警察なんてものまであるイスラム社会。
世俗法を人間が決めた法、シャリーアは神が決めた法
世俗法に従う義務はないと公言するような連中がいる、こんな邪悪な宗教が他にあるだろうか。
382123師2018/05/13(日) 18:18:21.840>>383
377.
本質を消去、か。
無化する、か。
それは、本来無一物、であるからである。
それで、カオス化する、か。否である。それは秩序となる。
カオスではなく、それは秩序である。
それを、秩序として理解できないこと、が限界となる。
だからして、以後は、勝手な解釈となる。
383し ◆0owanyIGTY 2018/05/13(日) 18:30:01.630
>>382
勝手な解釈ではなくて、ちゃんと書いてある。
チャプター6読んでから言おうか!
384123師2018/05/13(日) 18:56:04.170
383.
勝手な解釈を信じるバカである。
385し ◆0owanyIGTY 2018/05/13(日) 18:58:48.940
読んでおれが作ったレジュメだけど
386考える名無しさん2018/05/20(日) 16:04:41.630
反ユダヤ主義とイスラムフォビアの間には同等のものではない
前者は人々の邪悪な悪魔化だったが後者は正当な批判を黙らせるために使われた
合理的で根拠のある証拠があるため、批判は正当です
恐怖症は偏見ではなく精神障害である。不合理な恐怖、
それは共感を感じる被害者を衰弱させる。精神障害には合理的な根拠はない。
イスラム世界が批判を病理に変えるということをイスラム世界が発明したのはこのためだ
それだけに留まるわけではなく時に人種差別と主張し誤魔化そうとするのです。
387考える名無しさん2018/05/29(火) 00:26:51.790>>388>>515
イスラム教徒だけは入れてはならない。
ロシアは欧米から「国家が社会を支配する国」と思われている
常に改革も上から行われる。イヴァン雷帝、ピョートル大帝、スターリンなど
それに対し欧米は「社会が国家を支配する国」で本質的に合わない
封建制の有無が違いを生んだとされている。
なお白人は日本が中国や韓国とうまくやれるとは思っていない。
それは日本が分権的で中国・韓国が専制的な社会で本質的に異なるから
梅棹教授の生態史観によればロシア・イスラム・インド・中国は政治的に専制国家文化
また一神教は本質において自己の絶対性を主張している原理的に他者を尊重するはずがない
唯一正しいと主張しているのだから相手に対して「あなたも正しい」などと言うはずがない
多神教のように多様な人格を持つ神々を認める宗教とは共通性など存在しないのだ
そして他者の権利を尊重する啓蒙主義・リベラル社会の今日、一神教に正当性など存在しない
イスラム世界は政治文化が専制的で宗教は一神教で最悪の組み合わせ
日本の分権的・多神教文化の真逆である
388考える名無しさん2018/05/29(火) 01:30:57.450
>>387
井筒の本は読んでるの?
389DJgensei artchive gemmar2018/05/29(火) 13:33:04.360
兵隊引いたアホ。
390DJgensei artchive gemmar2018/05/29(火) 13:33:23.350
戦死に届かないアホ。
391DJgensei artchive gemmar2018/05/29(火) 13:33:48.260
中二隊ぐらいのあほ。
392DJgensei artchive gemmar2018/05/29(火) 13:34:12.910
殆んど間違っているあほ。
393考える名無しさん2018/05/29(火) 23:33:12.870
>>389-392
未だに井筒も読まず、
こんな政治工作(>>386-387)をやっているのか?
394考える名無しさん2018/06/04(月) 14:56:35.960>>396
>>376
スーフィーヤって何だよw
そんなもんはないw
395考える名無しさん2018/06/04(月) 20:29:13.450
フウィーヤ
396考える名無しさん2018/06/04(月) 20:46:29.090
>>394
揚げ足とってんなよ。
内容について批判しろよw
397考える名無しさん2018/06/04(月) 20:59:20.920>>398
スーフィーヤwww
398し ◆0owanyIGTY 2018/06/04(月) 21:03:08.470
>>397
ああ、それな。正確な言語ではないが、そんなちっさいことに笑ってるジュン吉の方がな。
399考える名無しさん2018/06/04(月) 21:18:14.450
間違ってたくせに逆ギレかよw
400し ◆0owanyIGTY 2018/06/04(月) 21:23:09.500>>449
おまえは本質的な発音わかって言ってるのか?
説明よろ
401考える名無しさん2018/06/06(水) 23:28:16.440
聖クルアーン - Islamic Books Japan
http://islaam.ninja-x.jp/quranjp/quranhome.htm
アラビア語・日本語・英語 対訳
日本語:日本ムスリム協会 日亜対訳注解聖クルアーン
402考える名無しさん2018/06/06(水) 23:28:58.300
コーラン各種
(1)『コーラン(全3冊)』 井筒俊彦、岩波文庫 (1957)
(2)『聖クルアーン ― 日亜対訳・注解 』 三田了一、日本ムスリム協会 (1982)
(3)『コーラン(全2巻)』 藤本勝次、池田修、伴康哉、中公クラシックス (2002)
(4)『日亜対訳 クルアーン ―「付」訳解と正統十読誦注解』 中田考、作品社 (2014)
予備知識がなくても一気に読めてしまうのは井筒訳。
原語の持つ生き生きとした感じが日本語でも再現されている。
注釈が詳しく、落ち着いて読みたい向きには日亜対訳のムスリム協会版。
その他も読みやすい。
403考える名無しさん2018/06/06(水) 23:29:17.320
コーランの構成(井筒訳)
・上 10章(1~10章)後期
・中 23章(11~33章)中期
・下 81章(34~114章)中期、初期、最初期
コーラン各章の配列は成立年代をほぼ逆さまにした形で収録されている。
初めの方は一章ずつが長く、だんだん各章が短くなっていく。
ムハンマドが受けた最初の啓示の瞬間に向けて、本を読み進めていくことになる。
404考える名無しさん2018/06/06(水) 23:31:41.840
110章は最後期だが
405考える名無しさん2018/06/06(水) 23:51:55.630
一部例外もあるけれど、おおまかな構成という話
406考える名無しさん2018/06/07(木) 20:52:50.960
610年頃、メッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想していたムハンマドは突如金縛りに襲われた。
そのとき天から大天使ジブリールが現れ、「誦め(よめ)」と言った。
ムハンマドが「何を誦めと言うのですか」と尋ねたところ、ジブリールはフッと消えていった。
この時よりクルアーンの啓示が始まる。
それから二十三年の間、ジブリールはムハンマドの元を度々訪れては
クルアーンの各章を啓示していった(クルアーン96章など)。
407考える名無しさん2018/06/08(金) 21:40:12.250
コーラン理解のための副読本
・『イスラーム文化 ―その根柢にあるもの』 井筒俊彦 (1991)
イスラム導入。スンニ派は「外面的」、シーア派は「内面的」
・『「コーラン」を読む』 井筒俊彦 (2013)
コーランのテクスト論、エクリチュール論。コーランの言葉は根源語
・『アラブ的思考様式』 牧野信也 (1979)
コーランとアラビア語の仕組み、言語文化論
408DJgensei artchive gemmar2018/06/08(金) 23:01:32.880
啓示というか戦術指南でしょうね。そういう言葉で戦っていた静かな闘志でしょう。
409考える名無しさん2018/06/09(土) 01:19:26.170
>>343
イブン・アラビーによる「アッラーの神的な自己顕現(タッジャーリ)」
「私は隠れた宝物であった。突然私のなかにそういう自分を知られたいという欲求が起こった。知られんがために私は世界を創造した。」
http://www.sufismus-online.de/IWasAHiddenTreasure
"Kuntu kanzan makhfiyyan fa ahbabtuhu an u`rafa fa khalaqtuhu ‘l-khalq"
I was a hidden treasure, I wanted to be known, so I created Creation.
A Hidden Treasure - wiki
https://en.wikipedia.org/wiki/A_Hidden_Treasure
410考える名無しさん2018/06/09(土) 12:48:05.470>>411
『「東洋」哲学の根本問題 あるいは井筒俊彦』 斎藤慶典 (2018/2/11)
序 章 井筒「東洋」哲学
「東洋」哲学/井筒「東洋」哲学は何を目指しているのか
第1章 表層/深層
a)表層から深層へ
コトバ/深層における分節化/分節化されたものから分節以前のものへ/事事無礙
b)深層から表層へ
理理無礙/分節(1)―「無」―分節(2)/挙体性起/存在の階層性/基付け関係/有力・無力
c)大地と理性――ロシア的人間
ロシアの一九世紀/原始的自然/『コサック』/ドストエフスキー
第2章 空/無
a)「空」の徹底
理理無礙/神の彼方/〈無分節な「ある」〉への反転/「存在」の破れ
b)空と無
『大乗起信論』におけるアラヤ識/ユダヤ教カッバーラー/バスターミーの「欺瞞」論/思考の無能力
c)砂漠と死――ジャック・デリダ
ユダヤとギリシアの狭間で/砂漠における彷徨/墓場、あるいは死
第3章 〈いま・ここで=現に〉
a)「本質(マーヒーヤ)と「存在(フウィーヤ)」
「存在は本質の偶有である」/有「本質」か、無「本質」か/フウィーヤ・マーヒーヤ・タビーア/有「本質」論の三つの型/
イスラーム「原子論」/無「本質」的存在分節/元型とイマージュ/意識と存在の構造モデル/「概念実在論」
b)〈いま・ここで=現に〉
「存在」の「独一性」/創造不断/吾有時/「純粋な可能性」としての「無」/証言
c)「入てん垂手」
聖諦と俗諦/俗、あるいは町という共同体/「無」の共同体
411考える名無しさん2018/06/09(土) 12:48:32.240
>>410
井筒哲学の要約と、著作へのインデックスになっている
412考える名無しさん2018/06/09(土) 19:19:25.690
イスラーム神学における信の構造を読んでるがイスラム過激派にも影響与えたイブンタイミーヤが出てくる。
413考える名無しさん2018/06/09(土) 23:05:56.340
>タイミーヤ
サラフィー主義の祖ね(サラフは「敬虔なる先人たち」を意味)
13世紀モンゴル軍侵攻の結果
414考える名無しさん2018/06/09(土) 23:08:29.270
ハンバリーの系統は正統と認めるべきではなかったな
415考える名無しさん2018/06/10(日) 13:07:52.440
イブンタイミーヤはイマーン(信)をイスラムより高次の概念としてるんだな。初めて知った。
416考える名無しさん2018/06/10(日) 13:23:36.320
イマーン(信)をイスラムより高次の概念
↑
どういう意味?
417考える名無しさん2018/06/12(火) 00:16:09.010
>>413の様な背景があるから、原理主義だテロだというのも他人事ではないね。
418考える名無しさん2018/06/12(火) 00:17:06.100
イスラムのイスラムらしさは、本来、アラブ的でセム的なもの。
419考える名無しさん2018/06/12(火) 01:03:53.120
ユダヤ教もセム的ですが
420考える名無しさん2018/06/12(火) 01:14:27.130
で?
421考える名無しさん2018/06/12(火) 21:09:06.730>>427
スンニ派とシーア派で、人口比はおよそ9:1。
(1)スンニ派を代表するアラブ人は、アラビア語を話すセム語系。
(2)シーア派を代表するイラン人は、ペルシャ語を話すインド=ヨーロッパ語系。
その他の要素として、
(3)シリアのアラウィー派やサウジのワッハーブ派、トルコ民族やトルコ語といった固有の性質がある。
422考える名無しさん2018/06/12(火) 21:11:13.780
井筒と司馬による「二十世紀末の闇と光」という対談は、
イスラムとモンゴルの話。
・『井筒俊彦全集 第10巻 意識の形而上学』
・『井筒俊彦著作集 別巻 対談鼎談集・著作目録』
・『司馬遼太郎 歴史歓談』などに収録
423考える名無しさん2018/06/12(火) 21:12:18.850
1258年にモンゴル軍がバグダードに侵攻して、東西の文明が衝突した。
トマス・アクィナスやエックハルト、ゾーハルのモーシェ・デ・レオンの時代。
チベット仏教を信奉していたフレグ(チンギス・ハンの孫)家はイスラムに改宗し、後に国教にもする。
424考える名無しさん2018/06/12(火) 21:13:45.850>>433>>447
その過程で、仏教とイスラムは相互に影響し合ったという。
大乗仏教は、真如というメタフィジカルな実在原理を中心に据えるものだったが、
大日如来という宇宙の絶対者を持つようになる。
イスラムは、元は生きた神の宗教であったものが、
この時期より、アッラーが真如のような理念「真理(ハック)」として、
あるいは華厳的な光のイマージュとして捉えられるようにもなった。
425考える名無しさん2018/06/12(火) 21:27:18.850>>448
シャイフ・ルトゥフッラー・モスク(イラン、エスファハーン)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b9/Sheikh_Lotf_Allah_3D_aa.jpg/1280px-Sheikh_Lotf_Allah_3D_aa.jpg
岩のドーム(イスラエル、エルサレム)
https://st3.depositphotos.com/1108627/14659/i/1600/depositphotos_146594649-stock-photo-dome-of-the-rock-islamic.jpg
シャーヒ・ズィンダ廟群(ウズベキスタン、サマルカンド)
http://c12.incisozluk.com.tr/res/incisozluk//11506/0/2657850_odc6c.jpg
オルジェイトゥ廟(イラン、ソルターニーイェ)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a3/%C3%96ljait%C3%BC_tomb.jpg/1258px-%C3%96ljait%C3%BC_tomb.jpg
イルハン朝第8代君主。青色タイルで覆われた世界最古のモスク
陶器にコバルトで青を染め付ける技術は、中東で開発された。
モンゴルの支配時代以降、青色タイルで覆われた建造物が、中央アジアやイラン、トルコで盛んに建設された。
(参考『イスラーム不思議曼荼羅』後藤明、野町和嘉)
426考える名無しさん2018/06/12(火) 21:58:03.780
井筒俊彦は
ジャック・デリダから
「マエストロ(巨匠)」って呼ばれていたんだよな
日本ではなく
欧米で生まれていれば
「間違いなく世界思想史に残る存在になったはず」ともデリダは言っていた
427考える名無しさん2018/06/12(火) 22:00:29.550
>>421
スンニーとシーアで人口比っていうならスンニーの代表はアラブ人じゃなくてインドネシア人でしょ
428考える名無しさん2018/06/12(火) 23:23:34.260>>430
モンゴル人は仏教をやってもイスラムをやっても超一流
429考える名無しさん2018/06/12(火) 23:31:04.720
スンニー人口の半分を占めるのはインドネシアとインド系(パキスタン、インド、バングラディッシュ)
430考える名無しさん2018/06/13(水) 06:58:19.140
>>428
相撲やってイカサマやってもな(笑)
431考える名無しさん2018/06/13(水) 10:55:29.380
相撲のいかさまは日本人も一流だが
432考える名無しさん2018/06/13(水) 19:50:15.800
神事としての格闘技といえば、天使とヤコブの格闘(創世記 32:25-29)
433考える名無しさん2018/06/13(水) 19:51:10.330
>>424
“五大にみな響きあり。(地・水・火・風・空の五大からなる森羅万象が声として響き)
十界に言語を具す。(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・緑覚・菩薩・仏の十界すべてが言語を具え)
六塵ことごとく文字なり。(色・声・香・味・触・法の六塵といった知覚世界の諸差異が文字を生じ)
法身はこれ実相なり。”(宇宙の本源たる大日如来は、この世界のあるがままの姿に他ならない)
― 空海 「声字実相義」
434考える名無しさん2018/06/13(水) 19:51:45.310
宇宙の姿は、大日如来の言語活動そのものであると
435考える名無しさん2018/06/13(水) 19:52:25.380
空海は言語哲学的な仏教の代表
436考える名無しさん2018/06/13(水) 19:52:59.860
『空海 (KAWADE 道の手帖)』 河出書房新社 (2006)
世界的な思想家として空海を捉え直す。
インタビュー・中沢新一、前田英樹、竹内信夫、落合仁司、井筒俊彦、中村元、司馬遼太郎×福永光司、五来重、松岡正剛、幸田露伴など。
437考える名無しさん2018/06/13(水) 20:50:20.300
“文は全体であり,世界であり,ブラフマン(宇宙の根本原理)である”
― バルトリハリ(5世紀インドの文法学者)
438考える名無しさん2018/06/14(木) 21:20:50.120
・旧約聖書、新約聖書
・コーラン、ハディース
・タルムード
・アヴェスター
・仏典(原始仏典、大乗仏典)
・リグ・ヴェーダ、ウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター、ヨーガ・スートラ
・孔子、老子、荘子、易経、淮南子
・日本の古典
ぐらいは目を通しておくのがいい。
439考える名無しさん2018/06/15(金) 13:37:28.040
すげぇ
タルムードってすげー分量あるのに目を通しているのか……
日本語訳も一部しかないし、英訳でもあれだけのものを目を通すのは無理だわ
440考える名無しさん2018/06/15(金) 13:50:07.950
>>438で日本語訳だけど目を通したっていえるのは
旧約聖書
新約聖書
コーラン
ハディース(ムスリム)
アヴェスター(ガーサーと、ウィーデーウダート、ヤスナの抄訳)
仏典(ダンマパダ、スッタニパータ、パリニッバーナ経、法華経、大日経住心本、理趣経)
リグヴェーダ(抄訳)、チャードーギヤ・ウパニシャッド、アールニヤカ・ウパニシャッド、カタ・ウパニシャッド、バカヴァットギーター
論語、老子、荘子、易経(概略)
くらいだわ
タルムードまではとても無理
アヴェスターやリグ・ヴェーダとか少なくても英訳に頼らないといけない相当分量あるものはとても目を通す気力がわかないから、438はすごいわ…
441考える名無しさん2018/06/17(日) 20:22:31.940
興味が持てて、手に取れる範囲から、サクサク読んでいけばいい。
442考える名無しさん2018/06/17(日) 20:24:23.790
井筒のカバラとセフィロト(参考:『意識と本質』 10章)
(1)「ケテル Kether」
意味は「王冠」。存在流出の究極的始源。
『旧約』(出エジプト記 3:14)の神言「在りて在るもの」に当たる純粋「有」の絶対的「一」。
仏教でいう「空」すなわち「真空妙有」の「妙有」的側面に当たり、一切の「多」を無文節的に内蔵する。
(2)「ホクマー Hokmah」
「叡智」。仏教の「般若」に相当するが、カッバーラーではこれを神の意識とする。
神が自らを観想するところに現成する知で、絶対無文節的覚知。
イマージュとしては、際涯ない空間の拡がりの中に、独り燦然と輝く巨大な太陽。
この太陽から不断に発生する光線の一つ一つが、もっと下の存在段階で結晶して経験的事物の「元型」となる。
(3)「ビーナー Binah」
「分別知」。神が自らをそこに映して、自らの内面をあるがままに眺める鏡に例えられる。
神は自らの一者性の内に潜む多者を見る。
あたかもプリズムを通った光のように、「神の顔」は無数に分かれ、ここに最初の存在文節が起こる。
密教でいう「種子(ビージャ)」。
(4)「ヘセド Hesed」
「慈悲」。神の創造性の肯定的側面を表し、全てのものに存在を与える。
・
・
・
(10)「マルクート Malkut」
「王国」。先行するすべての「セフィーロート」のエネルギーが一つになってここに流れ込んでくる。
神的実在の世界は「元型」構造的にここで終端に達し、その下には被造界が展開する。
セフィロトの樹:http://blog-imgs-76.fc2.com/a/a/5/aa57/treeofflife20150115.jpg
443考える名無しさん2018/06/17(日) 23:44:43.730>>444
コピペばかりしてメモ帳代わりにしてるハゲは一体何がしたいんだ
444考える名無しさん2018/06/18(月) 11:39:14.650
>>443
自己愛性パーソナリティ障害だと思うわ
「俺はこんなすげーこと書いたんだぞ」と、どうしても読ませたくて複数スレにコピペ荒らし
445考える名無しさん2018/06/18(月) 23:24:03.810>>446
井筒俊彦の『意味の深みへ』がかなり面白い
446考える名無しさん2018/06/21(木) 01:48:40.600
>>445
デリダのエクリチュール論や、ソシュール記号学の先という話ね。
447考える名無しさん2018/06/21(木) 01:50:27.100
>>424
こういうことは、まだこれから、検証していかなければならない。
確かに、モンゴル人は、早い時期から、正教やネストリウス派などのキリスト教とも接していたし、
チベット仏教は、顕教と密教があって、高度に形而上学化されてもいるから、あながちでもない。
聖書が書かれたアラム文字はヘブライ文字とアラビア文字の原型となり、
東伝して、イラン系ソグド文字、ウイグル文字、モンゴル文字などになった。
448考える名無しさん2018/06/21(木) 01:53:05.980
>>425
“おもしろいのは、モンゴル人が天の神を拝むとき《青き天》と呼んでいることである。”
― 『シャマニズム:アルタイ系諸民族の世界像 1』 ウノ・ハルヴァ、田中克彦 (2013) 5章 p149
天の神=テングリのこと。この本の中では、極東からスカンジナビアまで、
ツングース、モンゴル、タタール、テュルク、インド、イラン、シリアから、
ロシア、フィンランド、アイスランドまでの神話が一並びに比較されている。
449考える名無しさん2018/06/27(水) 17:24:41.510
>>400
アラビア語の「本質」
jawhar……原義は宝石。中世ペルシャ語からの借用語。転じて、本質、精髄を意味する。哲学用語として、ギリシャ語ウースィアー(実体)の訳語に採用される。
maahiyyat……上記、アリストテレスの実体の第二定義「何かであること」が訳されてアラビア語maa hiya(それは何)に女性名詞化iyyatが付いた形。
スフラワルディーの照明哲学で、一番最初に創造されたものである「本質」とはこのmaahiyyatのこと。
huwiyyat……huwa(それ、これ)にiyyatが付いた形。「これであること」「これ性」の意味。イブン・シーナーを通してドゥンス・スコトゥスがhaecceitasと翻訳。西洋哲学に導入される。
一般的意味では「自己証明、アイデンティティ」の意味。例 ghayb huwiyyatは哲学・神学的には「(アッラーの深奥である)不可視の本質」だが、一般的には「身元不明」を意味する。
dhaat……dhu(~所有する)の女性名詞。「(それが)もっているもの(つまり本質)」を意味する。
haqiiqat……一般的には「真理」の意味。また「真相」。後者の意味で「本質」。実際に存在しているもの(実在)というニュアンスが強い。
450考える名無しさん2018/07/03(火) 20:04:02.610
斎藤慶典の「東洋」哲学の根本問題読んでるが175ページに無本質論-典型的には老荘思想と大乗仏教(密教と禅)とあるが井筒俊彦は密教は有本質論に分類してなかったか?
451考える名無しさん2018/07/06(金) 14:51:40.810>>452
本当に
>無本質論-典型的には老荘思想と大乗仏教(密教と禅)
と書いてあるなら間違いだな
禅の無本質論に対して、有本質論第二型の「元型」的「本質」論にあるものとして密教を取り扱っている。(意識と本質Ⅹ)
452考える名無しさん2018/07/07(土) 14:56:29.360
>>451
やっぱりそうか!
意識と本質読み返したがやはり間違いだった。
ありがとう
453考える名無しさん2018/07/07(土) 20:11:46.870
「東洋哲学の根本問題ーあるいは井筒俊彦」の帯に(哲学者井筒俊彦がインド、中国、日本に加えイスラーム、ユダヤ、東南アジアを含む全東洋思想を総覧し…)とあるが東南アジアなんか全然出なかった。井筒俊彦自体が東南アジアは扱ってなかったし。
ピーみたいな古代からの精霊信仰か上座部仏教が東南アジアの思想だろうが…
454考える名無しさん2018/07/07(土) 20:27:38.550>>456
東南アジアはイスラーム圏だぞ
455考える名無しさん2018/07/07(土) 20:37:47.710
うるさい
456考える名無しさん2018/07/07(土) 21:46:56.490
>>454
それならマレーシアやインドネシア独自のイスラムの思想形態が出ても良いのだが出てくるのは中東の思想家だけだ。
457考える名無しさん2018/07/08(日) 09:04:40.400
過大評価代表みたいな人だから
特に語学強い学者はそう
ゾンダンとか
458考える名無しさん2018/07/08(日) 21:25:26.490
関口存男ね
459考える名無しさん2018/07/08(日) 21:33:57.660
語学の天才井筒俊彦の勉強法と教え方は常軌を逸していた
https://kotoyumin.com/idutusuzukiepisode-2201
井筒俊彦の語学勉強法の由来は?司馬遼太郎に本の丸暗記法を語る
https://kotoyumin.com/idutsu-shiba-353
460考える名無しさん2018/07/08(日) 21:36:00.890
聖典を丸ごと暗記するのは、脳の古い使い方だと言っていたが、
暗記とか暗算は、特殊な回路が出来てくるのでは
461考える名無しさん2018/07/12(木) 02:06:08.890
ジャン=リュック・ゴダール会見全文載録
「E・サイードに導かれて」
(at第71回カンヌ国際映画祭)
https://dokushojin.com/article.html?i=3660
今回新設された「スペシャル・パルムドール」には、
ジャン=リュック・ゴダール監督『イメージの本』(原題:Le Livre D'image)が選ばれた。
―― 最近のアラブ世界の何が、着想を与えたのでしょうか。
462考える名無しさん2018/07/12(木) 02:06:45.010
サイード『オリエンタリズム』はルイ・マシニョンについても書かれていた。
463考える名無しさん2018/07/12(木) 02:08:01.490
ハッラージュを論じる時のマッスィニョン。
あれはもう我々が常識的に考える「学問」などというものではない。
全人間的「変融」体験の極において「アナ・ル・ハック」(我こそは神)と、
己れの死を賭して叫んだ、あるいは叫ばざるをえなかった西暦十世紀のスーフィーと、
二十世紀の真只中でそれを"じか"に受けとめる、マッスィニョンという
魁奇な一精神との実存的邂逅の生きた記録、でそれはある。
それが尽きせぬ興味を惹き起し、たんなる学問を遥かに越えた不思議な世界に我々を誘う。
(R・A・ニコルソン 『イスラーム神秘主義におけるペルソナの理念』 への序詞) 「井筒俊彦入門」より
464考える名無しさん2018/07/12(木) 02:09:12.970
現代の「イラン的イスラム」哲学における
コルバンと井筒の役割に関する導入的比較研究:
ハイデガーからマシニョンまで (2016-02-19)
https://toyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&;item_id=8402&file_id=22&file_no=1
エフサン・シャリーアティー
翻訳:景山 洋平
465考える名無しさん2018/07/12(木) 07:21:31.440
アナルファック
466学術2018/07/12(木) 12:43:37.320
博士中退はスレ中止。
467学術2018/07/12(木) 12:44:13.530
博士中退はスレ中止。
468考える名無しさん2018/07/13(金) 08:20:31.980>>499
大川周明が東京裁判で東條英機の後頭部を叩いて入院させられた松沢病院も研究に参加している。
大川周明が松沢病院の書斎で預言者ムハンマドと対話したことはよく知られている。
統合失調症、初期に手厚いケアで症状安定 研究で判明:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL6G75QYL6GULZU00W.html
2018年7月13日05時31分
統合失調症などの精神疾患にかかった初期の段階で、治療に加えて手厚い生活支援をすることで、
症状が落ち着いたまま過ごせる確率を大幅に高められることが、東京都医学総合研究所などの研究でわかった。
英国などで取り組みが進む手法で、日本でも今後、広がる可能性がある。
この手法は「初期包括支援サービス」と呼ばれ、治療にあたる医師とは別に、
看護師や精神保健福祉士といったスタッフが「ケースマネジャー」となって患者や家族のケアを担当。
家庭を訪問して患者の困っていることを聞いたり、学校や職場を一緒に訪問して復学や復職を支援したりする。
研究には都立松沢病院や東京大病院などが参加。
統合失調症や双極性障害を発症した77人(15~35歳)のうち40人にこの手法を、
37人には外来受診を中心とした通常の治療を受けてもらい、1年半後の様子を比べた。
すると、目立った症状がなく落ち着いた状態が半年以上続く「寛解」
と判断できた患者は支援サービスを受けた側で23人、通常の治療を受けた側では10人。
初期の病状なども踏まえて解析すると、症状が落ち着く割合はサービスを受けた側が6・3倍高かった。
薬を使う量が少なくてすむ傾向もあったという。
こうしたサービスによる効果は、海外の研究でも報告されている。同研究所の西田淳志・プロジェクトリーダーは
「患者にとって信頼できるスタッフと、発病後の早期から社会復帰に向けてともに歩めたことが回復への希望を生み、
症状の安定につながったのではないか」と話す。
結果は、精神医学研究の専門誌に掲載された。
469学術2018/07/13(金) 09:03:44.870
統合 より 東郷 東条 の方が神がかっている。
470考える名無しさん2018/07/13(金) 20:10:04.360
神がかり的学歴コンプが甘えるな
471考える名無しさん2018/07/13(金) 20:15:47.130>>472
どっかのスレで昔
井筒の業績を説明してくれと投げたが
スゲ~と言ってた相手は結局説明できなかった
ネットで探してもやっぱり説明しているやつはいないので
白川静並みに胡散臭い
472考える名無しさん2018/07/13(金) 21:58:29.860>>473
>>471
漢字辞典でも読んでろ
473考える名無しさん2018/07/13(金) 22:04:07.840>>474
>>472
やっぱ君も説明できないだろ
名誉と天才エピしかないからね
474考える名無しさん2018/07/13(金) 22:22:39.440
>>471、>>473
自分で本も読めない池沼の戯言など知ったことではない
475考える名無しさん2018/07/13(金) 22:25:04.890>>477
初のアラビア語からのクルアーン翻訳
はい論破
476考える名無しさん2018/07/13(金) 22:25:49.930
あら逃げた
ちなみに本を読んでも
堅固な学問的評価は素人には判断できない
白川もそうだろ?
正しさや新しさなんてそうそう評価できないから
477考える名無しさん2018/07/13(金) 22:31:27.350>>479
>>475
それはいいけど
初訳出ってそんな学問的に権威あること?
478考える名無しさん2018/07/13(金) 22:38:00.070
宇宙的学問コンプ
479考える名無しさん2018/07/14(土) 14:01:54.040
>>477
それを含めて当時日本にとって未開分野であったイスラーム哲学思想を日本に齎したってことかな
480考える名無しさん2018/07/14(土) 14:08:54.790
じゃあそれまであまり知られていなかった
イスラム思想を日本に紹介して論じたことが業績ね
了解
これは文献の数や内容である程度は判定できる
ことだな
481考える名無しさん2018/07/15(日) 07:40:12.490
十字架のヨハネ(無の博士)
“無、無、無、無、無、無、山中においても無”
(nada, nada, nada, nada, nada, nada, y aún en el monte nada)
― 『十字架のヨハネ研究』 鶴岡賀雄 (2000) 1部序論 p20
カルメル山図(完徳の山 Monte de perfección)
http://www.mercaba.org/DOCTORES/JUAN-CRUZ/Monte%20de%20perfeccion.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/67/Monte_Carmelo_Juan_de_la_Cruz.jpg
https://i.pinimg.com/564x/d6/35/02/d6350288e6e54d589ec5dd13d480bb4c.jpg
https://cdn-images-1.medium.com/max/1600/1*qY2u3izpyvk5zKFUs649xw.jpeg
図には、「カルメル山」の頂上を指して三つの登攀(はん)路が示されている。
・右の道は「地上の不完全さによる霊的道」
・左の道は「天上の不完全さによる霊的道」
・真ん中の道には「nada, nada, nada, nada, nada, nada, y aún en el monte nada」
登攀の先に、神との一致を目指す。
482考える名無しさん2018/07/15(日) 07:41:22.590
『テオーシス 東方・西方教会における人間神化思想の伝統』 田島照久、阿部善彦 編 (2018/2/8)
東方キリスト教における神化思想
第1章 プラトン主義と神化思想の萌芽──東方教父思想における「神に似ること」概念の変容
第2章 ニュッサのグレゴリウスにおける神化思想──人間本性の開化・成就と神化への道
第3章 証聖者マクシモスにおける神化思想──神化の道行の動的かつ全一的かたち
第4章 デュオニュシオスの神化思想──ヒエラルキアと不知の暗黒
第5章 ディオニュシオス『神秘神学』におけるヒュムネイン(讃えること)──「彼方」の招きと拒絶
第6章 パラマスにおける神化思想──東方的伝統と独創
女性神秘思想における神化思想
第7章 ハーデウィヒの神化思想
第8章 マルグリット・ポレートの神化思想──源流と波紋、火と水の比喩を中心に
ドイツ・ドミニコ会学派における神化思想
第9章 フライベルクのディートリヒの神化思想──「神の像」としての人間知性の観点から
第10章 モースブルクのベルトルトにおける神化思想──神的人間論の観点から
エックハルトにおける神化思想
第11章 エックハルトの「魂における神の子の誕生」教説と「神性への突破」教説
第12章 エックハルトにおける人間神化と関係的存在論
第13章 エックハルトの神化思想と異端断罪
エックハルト以降の神化思想
第14章 タウラーの神化思想──エックハルト断罪以後という観点から
第15章 ゾイゼの神化思想──西方キリスト教におけるキリスト中心的霊性
第16章 リュースブルクの神化思想
近世・近代の神化思想
第17章 クザーヌスの神化思想──神と被造物を隔てる二分法的限界と人間の完全性
第18章 イグナチオ・デ・ロヨラの神化思想──自己無化の下降的動性による一致と涙
第19章 スペイン神秘主義における神化思想──十字架のヨハネとアビラのテレサ
483考える名無しさん2018/07/15(日) 18:25:51.300
今日も今日とてコピペ馬鹿
484考える名無しさん2018/07/16(月) 23:48:43.770>>500
存在認識の道pp.264-265
解説Ⅳより
「確かにアヴィセンナは、存在は本質の偶有であると明言した。
・・・・・・白さは花という実体がなくては現成し得ないけれども、花は白さがそれに偶有しなくても現成する。存在もまた本質に対して、白さ花に対するのと同じような意味での偶有だというのである。」
「もし存在がこのようなものとすると、どんなことになるか。今言ったように、白さは花を必要とするが、花は白さを必要としない。
ということはつまり、白さが偶有しなくとも、白さが偶有してくる前に、花はすでに自分で存在しているということである。
白さと花のこの関係を存在と本質の関係に移してみると、本質は存在が偶有する以前にすでに何らかの意味で、あるいは何らかの形で存在していなければならない、という奇妙なことになってしまう。」
「存在を本質の偶有と見るアヴィセンナの立場が、こんなに簡単にアポリアに追い込まれてしまうのは、もともとこの立場が正しく理解されていないからである。
アヴィセンナ哲学の伝統を始めて真にそのあるべき姿において確立したと称される・・・・・・トゥースィーは、この点を継のように明快に説明している」
『この誤解は、元来本質なるものが、まだ存在しないうちから外界に何らかの形で存立していて、そこへ存在がやって来て宿るのだという考えに基づいている。
だが、この考え自体が間違っているのだ。なぜなら本質が(何らかの形で)存立していると考えるのは、すなわち本質が存在しているということに他ならないから
・・・・・・本質にとっては、それがあるということが、すなわちそれの存在なのである』
485考える名無しさん2018/07/17(火) 15:59:51.580
井筒俊彦の業績は日本で未知だったイスラム哲学の翻訳と紹介。
東洋哲学の共時的構造化という名の元儒教、道教、大乗仏教、ヒンドゥー教、イスラム、ユダヤ教神秘主義に至るまでを統一的なパースペクティブで視た事。
ギリシャ哲学への独自の視点や独特のロシア文学論まである。
486考える名無しさん2018/07/17(火) 20:44:45.470>>489>>491
語学まかせの大風呂敷の訓詁学ね
487考える名無しさん2018/07/17(火) 20:57:21.500
英語も喋れないザコにそれを言う資格はない
488考える名無しさん2018/07/17(火) 21:00:00.600
そういう意味では翻訳の業績は
翻訳者として立派な業績だしきちんと分かる
語学エピはゴミ箱へ
489考える名無しさん2018/07/17(火) 21:00:37.490>>490>>493
>>486
井筒以上の哲学者ってどんな人がいる?
490考える名無しさん2018/07/17(火) 21:02:07.230>>501
>>489
その哲学の中身はどこがすごいん?
説明してみな
できるならな
491考える名無しさん2018/07/17(火) 21:04:05.240
>>486
答えられないの?
492考える名無しさん2018/07/17(火) 21:10:34.230
まぁ、気に食わない研究者は俺にもいるからな。子供が拗ねてダダをこねてるようなもんだ(笑)
493考える名無しさん2018/07/17(火) 21:11:32.910
>>489
さあ興味ないので
494考える名無しさん2018/07/17(火) 21:17:32.720>>496
ネット上で一人もいないんだよね
井筒の業績の具体的な解説って
で世界的とか言ってるw
例えば大拙はzenという言葉が
英語語彙のなかに残ったから分かりやすい
仏教の西欧への紹介者としては飛び抜けている
これはOEDの見出し語zenを見れば極めて明瞭
495考える名無しさん2018/07/17(火) 21:19:33.720
おまえみたいな何者でもないクソザコが何を言ってもノーダメだよ
496考える名無しさん2018/07/17(火) 21:25:23.140>>498
>>494
その程度で喜んでいる奴に井筒は難しい
497考える名無しさん2018/07/17(火) 21:28:31.040
以前に褒めているやつが業績について
触れている論文持ってきてくれたけど
それにも書いてなかったな
訓詁ならどの解釈が重要で今日の学問の
礎になったのか書いていない
観念的な大風呂敷感がウケているんだろう
498考える名無しさん2018/07/17(火) 21:29:06.840
>>496
難しいと偉いの?
ゲラゲラw
499考える名無しさん2018/07/18(水) 00:25:57.500
>>468
最初の「」の次にこれ追加
「このような解釈がアヴィセンナ思想の根本的誤解であることが今日では、少なくともイスラーム学会では、明白になっているが、昔はイスラーム内部でもこれが有力な解釈だった」
井筒もアッ・トゥースィーもこのようなイブン・スィーナー説の解釈は誤解だと述べているが、直接イブン・スィーナーの言うところを当たれば誤解でもなんでもないと思われる
それは正当な解釈であって、むしろアッ・トゥースィーの言うところはイブン・スィーナーの言うところと正確に合致していない。
井筒はイブン・スィーナーの本質と存在に関しての説を取り上げて、その問題を「奇妙なことになってしまう」「アポリア」と呼んでいるが、それに対する回答にアッ・トゥースィーの説を持ち出したことは正当だとは言えない。
イブン・スィーナーの説ならば、イブン・スィーナーにこそ答えを求めるべきであって、アッ・トゥースィーを出すべきではなかった。
p268にもイブン・スィーナーの可能的存在についても井筒は語っているが、それはあくまでもイブン・スィーナー後のイブン・スィーナー解釈であり、それをイブン・スィーナーの真意とするのは正しいとは思えない。
あくまでもそれは後代の解釈であるだけなのだから
イブン・スィーナーの存在と本質の説は、自身のそれより大きな体系の一部であり、それから切り離して考えれば、もはや別物と言えよう。
アンリ・コルバンは「イスラーム哲学史」でスフラワルディーこそがイブン・スィーナーの後継者のようなことを語っているが、そちらの方が正しいように思える。
500考える名無しさん2018/07/18(水) 00:28:47.060
>>484
レス間違い
501考える名無しさん2018/07/18(水) 14:35:24.900
>>490
入り口として井筒俊彦の意識モデルとかどうだ?
表層意識の下に深層イマージュ意識がありそれを生み出す元型的な言語アラヤ識と言うべきものがある。更にその底に存在のゼロポイントという純粋経験的な「無」意識がある。
このモデルにほとんどの東洋哲学は放り込める。
井筒俊彦は「あくまで仮のモデル」と断ってるが。
502考える名無しさん2018/07/18(水) 15:25:29.410>>503
なるほど東洋のさまざまな思想を
統一感のあるモデルに仕立てると
しかしそのこしらえた多層構造に
思想の言葉を当てはめて整理しても
説得力ある繋がりが見えてこないと意味がない
つまりそのモデルによってはじめて
明らかになった成果を具体的に教えて欲しいのだ
503考える名無しさん2018/07/18(水) 18:23:13.150
>>502
本質という視点から禅や道家の究極的本質は無いとする無本質論と究極的本質リアリティを想定するシャンカラ哲学を据えるが二つの鋭い対立を説きつつ無分節という点で共通すると説く。
またイブンアラビーの存在一性論もシャンカラと同じタイプに分類する。
両者とも究極的一者を想定してる。両者とも存在のゼロポイントを語っていると示唆してる。
少し省いて普遍的本質実在論が3タイプ。
第一のタイプが宋学。
中庸の已発(既に分節された意識)と未発(意識と存在の未展開状態。存在のゼロポイント)について語る。未発の性質は無極而太極(無の究極即有の究極)とする。
第二のタイプが元型を普遍的本質と認めるタイプ。
神秘主義、密教、シャーマニズム、ユダヤカバラ主義など。
詳述は避けるが元型から昇るイマージュ的無意識を手がかりにそれを利用し存在=意識のゼロポイント体験たる神人合一を目指す潮流。
第三のタイプは普遍的本質を概念として表層意識で理解するタイプ。
プラトンのイデア論や孔子の正名論(名と実を一致させようという論)
ニヤーヤヴァイシェーシカの存在範疇論など。
こういう分類をしてる。
こうした壮大な試みの根底には存在主義とも言うべきただ「在る」という事の深みを示唆してくれていると自分は思う。
504考える名無しさん2018/07/18(水) 18:55:20.000>>505
そうか、説明はありがたいが
分類の妥当性と、分類から判明した
新しい知見というのが不明瞭だな
特に分類が抽象的で壮大なのが気になる
全体像じゃなくて
君が詳しいとか、特に名高い2つの比較を取り上げて
絞って凄さを語ってくれないか
俺が読んだ論文での評価では
比較思想じゃなくて
イスラム思想内だけの訓詁で革新的な解釈アプローチ
があったという感じだったが
505考える名無しさん2018/07/18(水) 20:50:49.350
>>504
> 俺が読んだ論文
何を読んだのか?
506考える名無しさん2018/07/18(水) 21:04:53.400>>507
井筒ではない今の井筒に詳しい学者の
論文というか論文誌の書き物
イスラム思想を語学的手法を用いて
新しく解釈して、それがイスラム圏や欧米の
学者にインパクトを与えたみたいな書き方だったよ
だからイスラム思想にアラビア語を古典注釈を
駆使して斬新に解釈したと思ってた
俺が知りたいのはそのアプローチ法の中身
井筒後はどういう読みになったのか
507考える名無しさん2018/07/18(水) 21:14:22.930
>>506
> 井筒ではない今の井筒に詳しい学者の
> 論文というか論文誌の書き物
タイトルを挙げれば他の人も確認できるし
話が早いだろ
508考える名無しさん2018/07/18(水) 21:15:46.120
思い出せないけど
後でちょっと探してみるよ
509考える名無しさん2018/07/18(水) 21:20:05.470
人にものを尋ねる前に、自分の根拠を示す。
当たり前の話。
510考える名無しさん2018/07/18(水) 21:22:48.340
いや詳しい人なら
井筒がアラビア語の言語学的な古典注釈で
大きな仕事をしたかどうかは判断できるだろ
そんな話聞かないとかそれは評価されているらしいとか
511考える名無しさん2018/07/18(水) 21:31:26.750
いつまでもその辺をうろついていればいい
512考える名無しさん2018/07/18(水) 21:33:24.480
なんだやっぱり世界的業績が
パッと出てこないのか
みんな同じか
513考える名無しさん2018/07/18(水) 21:36:13.210
伝聞と推量
514考える名無しさん2018/07/18(水) 21:36:55.140
アラビア語の宗教的訓詁学はアラブ世界
にもあるだろうし
キリスト教の文献学も応用しやすいだろう
そこで井筒が語学的に鮮やかな意味分析を施して
一里塚を築いたとしたら世界的と言っていいのだが...
515考える名無しさん2018/07/18(水) 22:00:15.28O
>>387
ロシアは専制的。アジア的ヨーロッパ
日本は共和的。ヨーロッパ的アジア
おもろいね
516考える名無しさん2018/07/21(土) 11:01:51.940>>517>>518
不寛容な人に対して寛容であってはならない。もしオリヴァー・ウェンドル・ホームズの
言うように、自由な表現は、もしそれが明らかな目の前の危険だという証明がつく場合に
かぎり制約されるべきだ、と考えたならばリンカーンの主張は不可能になっていただろう
すなわちリンカーンは、平等の原理にはいかなる妥協もありえないこと、この原理は人々
の選択や選挙に基づくものではないのであって、そもそも人々が選挙をおこなう条件で
あること、黒人奴隷問題に関する大衆支配は、たとえ血まみれた内乱という明らかな目の
前の危険を回避できるとしても許されないことを主張したのである。
-アメリカンマインドの終焉-アラン・ブルームより一部抜粋
我々文明人は不寛容たる野蛮なムスリム達に対して決して妥協的であってはならないのだ
517考える名無しさん2018/07/21(土) 11:12:52.200
>>516
> 我々文明人は
何という差別。何という不寛容。
518考える名無しさん2018/07/21(土) 13:08:53.720
>>516
誰だ?関係ない政治的主張を宣うのは!
519考える名無しさん2018/07/22(日) 15:14:39.770>>520
存在認識の道 解説Ⅵ pp.268-269
「存在という偶有を受け容れる以前の本質、すなわちまだ無の状態にある本質をモッラー・サドラーはアヴィセンナに従って可能的存在者と呼ぶ」
「可能的存在者は存在論的には実に妙な、中途半端なものとなってしまうのである。だが、アヴィセンナをこのように解釈するのは、通俗的解釈に過ぎない。
これはアヴィセンナ自身が理解していた存在可能性の概念からは程遠い。……存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質が可能的存在者に他ならないからである。」
「・・・・・・本質が先ず最初に、どこかわけのわからない所に、わけのわからない仕方で、可能的存在者として存立して、次に存在というリアリティが原因によってその中に注入され……というようなことが実在的に起こるわけではない。そういではなく・・・・・・」
520考える名無しさん2018/07/22(日) 15:34:24.920
>>519
これらの井筒(またはモッラー・サドラー)とイブン・スィーナーの本質理解はズレがあるように感じる。
確かにイブン・スィーナーは本質を可能的存在と呼んだけれども、必然的存在としての観点とセットであり、それら存在ということが本質に偶有・属性として対している。
「存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質」「可能的存在者」はともにイブン・スィーナーの言うところであるが、前者が後者であること「他ならない」ということはないであろう。
正確に言えば、イブン・スィーナーは本質が存在と結合しえる状態、または関係を「可能的存在」と呼んでいるのであって、「存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質が可能的存在者」というのとはズレがある。
本質が可能的存在者そのもの、つまり本質を実体的な存在のようにと想定するからこそ、井筒は「本質が先ず最初に、どこかわけのわからない所に、わけのわからない仕方」という批判を想定してしまう。
「次に存在というリアリティが原因によってその中に注入され……というようなことが実在的に起こるわけではない」というが、イブン・スィーナーの創造論(流出論)を考えれば、まさに事態はそのようなものとしか言いようがない。
必然的存在者・一者・神が存在を与えることによって、それらは存在する。この存在性はまさに本質とは区別され、その存在性が本質をリアリティ化(必然的存在化)する。
ここにおいて、本質ということそれ自体は存在と(可能的であろうとも、必然的であろうとも)別である。
これがイブン・スィーナーの説であって、本質を可能的存在そのものと見做したり、「存在というリアリティが原因によってその中に注入され」のではない、というのはモッラー・サドラー流の存在一性論的な解釈でありイブン・スィーナーの言うところから離れて行っている。
モッラー・サドラーによれば、存在自体が本質と不可分、むしろ存在(の強度)が本質というものがある由来としている。
イブン・スィーナーによれば、存在ということはあくまでも本質の結果であり、偶有である。
結局のところ、「アヴィセンナの真意」と井筒の言うところは、現代イラン・イスラーム哲学によるイブン・スィーナー解釈であって、イブン・スィーナー自身に即したものではないと言えよう。
521考える名無しさん2018/08/02(木) 20:03:38.270>>522>>523
井筒俊彦の生涯・思想・業績を紹介するドキュメンタリー映画
『シャルギー(東洋人)』
https://www.youtube.com/watch?v=MtVsQbXnyD0
“昔、東洋と西洋は衝突していが、井筒俊彦における東洋と西洋は響きあう”
東京イラン映画祭 8/7(火)~8/9(木)チラシ
https://pbs.twimg.com/media/DjLF4TCU4AAQVfL.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DjLF4y_U8AIHfeL.jpg
東京イラン映画祭開催のお知らせ
イラン外交関係樹立90周年を迎えるにあたって8月7日~9日、
港区の赤坂区民センターにて東京イラン映画祭を開催いたします。
今回の映画祭ではイランの有名監督7人の作品を一挙公開する予定です。
詳しくは東京イラン映画祭2018のチラシをご覧ください。
主催:イラン文化センター(イラン・イスラム共和国大使館付属)
協力:港区、港区国際交流協会
日程:8月7日(10:00~21:00)、8月8日(10:00~21:00)、8月9日(10:00~17:00)
オープニングセレモニーは8月7日(火)15:00~15:30
会場:赤坂区民センター区民ホール(3F)
ペルシャ語音声・英語字幕(シャルギー(東洋人)は日本語字幕)
鑑賞料無料・予約不要
522考える名無しさん2018/08/02(木) 20:05:06.350
>>521
慶應義塾大学出版会@KEIOUP
日本の著名なイスラム学者で、コーランを日本語に翻訳した
故・井筒俊彦氏の生涯と思想を描いたたドキュメンタリー映画「シャルギー(東洋人)」が
8月7日、9日と東京イラン映画祭内(赤坂区民センター区民ホール)で上映されます。
3:57 - 2018年7月27日
niconicoffee@252coffee
今日の井筒俊彦ドキュメンタリー映画上映会は、
イラン文化指導省大臣顧問とかの挨拶があり、出演者も10人くらいきてて壇上で挨拶し、
上映後には監督本人と出演者代表によるティーチインもあり、
さらに会場外で飲み物とお菓子があって監督や出演者と歓談もできるという、
途方もない豪華上映会でした、、
8:12 - 2018年7月24日
523考える名無しさん2018/08/03(金) 01:54:57.230
>>521
東洋人(シャルギー)- wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E4%BA%BA%EF%BC%88%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%EF%BC%89
日本のイスラム学者、井筒俊彦氏の生涯を描いた映画、制作終了
http://parstoday.com/ja/news/japan-i46420
日本で、井筒俊彦氏関連のドキュメンタリー映画「東洋人」(シャルギー)が公開
http://parstoday.com/ja/news/japan-i46687
> この映画の制作にあたっては、12カ国以上の著名な思想家102人とのインタビューが行われています。
映画「シャルギー(東洋人)」の日本公開式典でイランのイスラム文化指導省代表が演説
http://parstoday.com/ja/news/japan-i46722
524考える名無しさん2018/08/07(火) 23:58:36.760
『シャルギー(東洋人)』は、単なる回顧録ではなく、哲学的にも充実した内容。
井筒の扱った主要な話題(言語学、意味論、宗教哲学、東洋、西洋、
イスラム、キリスト教、ロシア、インド、中国、仏教、神道など)
をバランスよく見渡し、世界的視点から今日的に読み直そうとしている。
シャルギーとは、「東洋の~」という意味らしく、
「東洋人」だけでなく、井筒のいう「東洋哲学」も追う形となっている。
525考える名無しさん2018/08/07(火) 23:59:15.550
井筒の評価
・言語テクストに向き合い、多様な宗教性を超えるメタ宗教哲学であったこと
・ムスリムにとっても、コーランを読み直す新しい視点を提供した
・井筒の解説する「東洋」は西洋人にも理解しやすく、西洋的分析哲学と東洋的神秘主義の乖離を越える
一神教でいう「神」を、「(形而上的)絶対者」あるいはその根源に横たわる「無」や「真如」として整理したことは、
イスラム圏の人にも西洋人にもよく理解されているようで、評価が高かった。
526考える名無しさん2018/08/07(火) 23:59:45.040
井筒は、政治性を匂わせることがなかったが、
どうもエラノス会議が、戦後にもかかわらず、二次大戦について政治的関心を寄せる雰囲気がない、
そういう性格のものであったらしい。
527考える名無しさん2018/08/27(月) 10:01:50.520
イスラム教徒に我慢ならないのは人権上の問題を指摘しても
人種差別と話をすりかえ議論にならないこと
根拠ある批判をおこなっているのに正面から対応する気が全くない
自由な社会においては宗教テキストは全て精査されるのだ
それに耐えられないのなら自分の国に帰るべきなのだ。
528考える名無しさん2018/08/27(月) 14:30:36.470
英文著作翻訳コレクションの刊行が止まってますね。
楽しみに待っているのですが。
原著の再版もストップしている様子ですし商業的な理由からなんでしょうかね?
529考える名無しさん2018/08/27(月) 14:34:21.590
英文著作翻訳コレクションの刊行が止まってますね。
楽しみに待っているのですが。
原著の再版もストップしている様子ですし商業的な理由からなんでしょうかね?
530考える名無しさん2018/08/27(月) 19:10:59.030
ガザ―リ「哲学者の自己矛盾」を読んでるけど、かなりいい感じだよ。
みんな、読んでみてよ。
531考える名無しさん2018/08/28(火) 10:33:44.700
あまり日本で読んでいる人は少ないので、ガザ―リの「哲学者の自己矛盾」という本の内容を紹介する。
ガザ―リによれば、世界(実存)の始まりより先に創造主(本質)があったはずである。
「世界の中に創造主はいない」という実存主義と考えられる主張が語られる。
ガザ―リはサルトルとは異なる主張を展開する。
例えば、ガザ―リは「世界を創造する前に、創造主が存在した」という主張をとり、
「世界は始まりもなく、終わりもない。永遠の意志によって世界は存在する」という主張と対立する。
さらには、イヴン・スィーナーの主張をガザ―リは紹介していて、かなり興味深い神学が語られる。
それは、こういうものである。神は原因であり、世界は結果である。
原因より結果は優れているはずなので、創造主たる神より。結果であるこの世界は優れていて幸せに満ちているはずである。
つまり、神は、この世界より醜く不幸でさげすまれているはずだ。
だから、この世界は我々が神として想像している概念よりももっと美しく幸せで誇り高き高貴な世界であるはずだ。
ガザ―リも「神よ、どうか実体より偉大な存在であってくれ」と力説してしまうが、
神はこの世界の素晴らしさより醜いものであろう。この世界の喜びは、神の優しさの現れであろう。
キルケゴール「おそれとおののき」を読んだらまた加筆する。
532考える名無しさん2018/08/28(火) 19:07:17.570
せんでよい
533考える名無しさん2018/08/28(火) 19:55:36.970>>535
連投君は誤読ばかりだから辛いわ
534考える名無しさん2018/08/29(水) 15:34:12.000
ガザーリーはオレは興味あるな。新実在論系のハーマンが取り上げてなかったか?
535考える名無しさん2018/08/29(水) 16:01:43.830
>>533
確かに、ぼくの解釈で書いているけど、
ガザ―リーについて書かれた哲学史ものはまったく存在しないじゃない。
よく、西洋哲学史が三世紀から十六世紀まで間が空っぽになって書かれているけど、
つまり、そこは本来、イスラム哲学が紹介されるべきなんじゃないの。
536考える名無しさん2018/09/19(水) 17:12:25.030
哲学者の自己矛盾(中村廣治郎訳)第八問
『本質(mahiyyah)の否定は本性(haqiqah)の否定である。存在者の本性が否定されれば、存在は思惟されない。』
『本質の否定は本性の否定であり、本性の否定によって残るのは、存在という言葉だけとなり、それが本質と関係づけられないときには、何の実体もないのである』
この訳文だけで理解しようとすると、どうして本質(マーヒーヤ、何であるかということ)の否定が本性の否定であり、それが存在が空虚(思惟されない)となるのかは中々理解できない。
ここで本性と訳されているハキーカとは第一義としては真実、真理、事実、現実であることを意味する。次いで本性、実在、真相、本質ということを意味する。
あるものの本質ということではマーヒーヤとハキーカの意味は重なっている。
とすると、ある本質(マーヒーヤ)が否定される時、それは本性(ハキーカ)が否定されるのと同義であり、ハキーカが否定されるということは、その現実性、実在性も否定されるのと等しい。
現実、実在であることが否定されれば、「存在、存在する」ということは、ただの言葉であり、概念であり、それ以上の意味はないことになる。
このようなマーヒーヤは、『意識と本質』Ⅱで述べられているものとは意味が違うであろう。
『意識と本質』ではマーヒーヤとフウィーヤは対立する。フウィーヤは個別的本質であり、現実的なリアリティを持つ。マーヒーヤは普遍本質であり、イデアのようなものであって、このようなリアリティを持たない。
ガザ―リーの言うマーヒーヤはこのような細分化された体系での意味ではなく、ここでのマーヒーヤはむしろアリストテレスに近いものと思われる(つまりマーヒーヤの語源に近い)。
ガザ―リーにとって、本質(マーヒーヤ)こそが存在の真であって、イブン・スィーナーのいうところの純粋存在(ウジュード・マフド)のようなものは、真なるものではないということになる。
537考える名無しさん2018/10/08(月) 05:37:26.170>>538
ガザーリなんてイスラム世界を暗黒時代に追いやった張本人だろ
538考える名無しさん2018/10/08(月) 13:40:57.660
>>537
大学者の業績を一面だけで見て切って捨ててはならない。
例えば復古神道の大成者本居宣長は古事記をそのまま史実として読むという原理主義者。
高度に発達した仏教哲学や儒教を「いとこちたき造り事」として排斥する一方で現代に至る国文学の基礎を作った。
ガザーリーも原理主義的側面を持つ一方現代哲学の思弁的実在論にその隅因論が影響を与えたりアルガゼルとして西洋哲学に決定的影響も与えてる。
539考える名無しさん2018/10/08(月) 14:16:22.650
ガザーリー一人にそこまで影響力あったらとんでもない超天才ってことになるが
540考える名無しさん2018/10/08(月) 15:09:21.610
イスラム教スンニ派では「ムハンマド以来最大のムスリム」とされる超天才がガザーリー。
それだけの大物は一面だけで割り切れない。
541考える名無しさん2018/11/01(木) 10:14:41.000
ガザーリによってイスラム世界は信仰が理性に勝利した。
ルネッサンスまで後一歩だったのに
こいつの登場前は信仰より真理がまさるという意見もあったのに
542考える名無しさん2018/11/01(木) 10:32:59.920>>556
科学的かつ客観的真理への信仰乙
543考える名無しさん2018/11/01(木) 16:02:52.000>>547
モンゴルの侵入によって荒廃したのが原因だが
544考える名無しさん2018/11/01(木) 17:44:59.81O
イラン人やトルコ人もコーランはアラビア語で読んでいるの?
545考える名無しさん2018/11/02(金) 01:47:05.830
> 7世紀頃、ペルシア語に翻訳されたものをはじめとして、
> 現代に至るまでアラビア語を母語としないムスリム向けにクルアーンの翻訳がなされている。
> しかし、アラビア語以外のクルアーンが、クルアーンとして扱われることはなく、
> ムスリムは礼拝においてアラビア語でクルアーンを唱えることが義務である
> (これは日本人の葬式において、般若心経の現代語訳が唱えられないのと似ている。)。
>
> かつてトルコ共和国では政府の脱イスラム化の改革の一環として、
> クルアーンのトルコ語化がはかられるようとしたが、注釈用として以上の用途にはついに広まらなかった。
546考える名無しさん2018/11/02(金) 01:48:39.190>>549
この般若心経云々の例には納得
547考える名無しさん2018/11/02(金) 01:58:11.860
>>543
むしろ、そこからが本番(>>422-425)
548考える名無しさん2018/11/02(金) 02:01:06.250
トルコ共和国で行われたのはアザーンのトルコ語化だけで礼拝そのものはアラビア語だ
アザーン自体は各国語で行うこと許されているがそれでさえ不評だったからアラビア語に戻した
549考える名無しさん2018/11/02(金) 06:43:53.250
>>546
般若心経に限らず
日本のお経は一般信者は意味がわからなくてもよいものとして
唱えられているからなあ
550考える名無しさん2018/11/03(土) 16:27:54.310
昔、仏教界でも現代語訳でお経を読もうという動きがあったが檀家に不評で止めたらしい。
551考える名無しさん2018/11/10(土) 00:49:34.020
意味ではなく音が大事
552考える名無しさん2018/11/10(土) 13:11:34.980
日本の仏教ではそういうことが言われるが音が大事なんてことは残念ながら仏典に書かれてないんだよ
553考える名無しさん2018/11/10(土) 16:00:12.880
> 井筒俊彦(1914-1993)スレ
554考える名無しさん2018/11/12(月) 00:53:47.150
お寺で読経をするような時は「意味は知らなくていい」といわれる。
それぐらいの方が無心になれるから。
哲学で扱う時は、その一字一句を原語のレベルで読む。
555考える名無しさん2018/11/13(火) 11:55:42.610
パキスタン人「イスラム教の国での生活は地獄である」
https://coffeehonyaku.blogspot.com/2018/08/blog-post_42.html
556考える名無しさん2018/11/17(土) 17:28:04.260
>>542
科学は自然の無矛盾な理解が前提
イスラムは神が前提ということかな
新井白石が神という前提に有効な反論していて面白かった
557考える名無しさん2018/11/18(日) 14:54:30.580
アリストテレスの論理学であるオルガノン諸書は一般的にカテゴリアイ、命題論、分析論前後書、トピカ、ソフィスト駁論の6つだが、イスラーム哲学だと更に弁論学と詩学も論理学書だと見なされていた
この8つにポルピュリオスのイサゴーゲーを合わせたのが論理学の基本書
558考える名無しさん2018/11/23(金) 12:02:47.050
「多文化社会とは多紛争社会であり紛争の恒常的な状態を言います。」
「イスラム教原理主義者は私たちの生活様式である啓蒙主義の理想とは
何の関係もない。未来は破滅に向かっている。」
イスラム化を警告していたフランスの賞を受賞した歴史家・ジョルジュベンツサン
559学術2018/11/23(金) 13:56:49.940
お経ん坊さんの発言は論旨を見ると、遅れていると言わざる負えない。
救済するならそれなりの勉強、活動してほしい。
560考える名無しさん2018/11/23(金) 14:42:49.880>>561
ヒンドゥーの一亜流に過ぎない釈迦の観念論が、後世平民に迎合し腐敗し、
支那を過ぎ更に歪曲して伝播された仏教なんか信仰に値しない。
尤も、ヒンドゥーの最終形態ヴェーダーンタ至高の聖典は、
平民なんかに真に理解出来ないから仕様ない。
真の宗教を理解も実践も出来ない平民は、
仏教(≠釈迦の教え)キリスト教(≠キリストの教え)等の似非宗教か新興の偽宗教を信仰するしかないからな。
抑々、何もかもがその程度だ。
釈迦が悟りとやらを開いた時、それを平民に理解させるのは無理だと諦めた。
梵天勧請から布教を始めたらしいが、やはり、平民には理解不可能。
故に、最後に法華経でお茶を濁した。
似非宗教なんか出さなくても、カルマの法則は機能している。
原因のない結果はない。
科学的に云うと、作用反作用の法則みたなものだ。
抑々、共産主義は、原始キリスト教から派生した宗教だ。
そら、仏教もキリスト教も迫害するさ。
似非宗教VS似非宗教の図式。
561考える名無しさん2018/11/24(土) 06:11:57.420
>>560
法華経は釈迦が説いたものでなく後世釈迦に仮託して説かれた経典だよ。
562考える名無しさん2018/11/25(日) 12:43:35.150
アズハルのようなイスラム教育期間では、クルアーンの最も正しいのはクルアーンを
文字通り読み字義通り解釈することであると教えられています。またイスラム法上の
最も強力な規定というのは、クルアーンとハディースの字義通りの意味から導出される
規定であるとも教えられています。これらはイスラム法の大原則であるとも教えられています
クルアーンの章句に立脚していればそこから導かれる複数の解釈は全て正しい価値を持つ、
というのがイスラム教の教義です(中略) 人間には本当のことはわからず真実は神だけがご存知、
というのがイスラム教の大原則であり、解釈が複数存在する場合に どの解釈を採用するかは
個人の選択に委ねられています。
私のクルアーンの引用が恣意的であると感じる人もいるかも知れません。
しかしクルアーンの特定箇所やハディース、 イスラム法の権威ある学説を論拠として引用し
正当化するのがイスラム法的論証の基本的なやり方なのです。
イスラム教の倫理 飯山陽 一部抜粋
563考える名無しさん2018/12/03(月) 08:29:39.820>>567
愛弟子の五十嵐教授が殺されてもイスラムへの愛着は変わらなかった。
つまり「悪魔の詩」を翻訳した五十嵐は殺されて当然と考えたのだろう。
イスラム教とはそれほどまでに人間性を奪うものなのだ。
564考える名無しさん2018/12/03(月) 14:51:27.400
普通の知性があれば理解できるだろう。
逆のケースを想定してみよう。日本人で誰か狂信的な右翼が、イランの
大学教授に天皇について否定的なことを書かれたから、殺害してやろう
と思い立つ。で、イランに渡航したところで、イランの大学の研究室
を訪ね、他に誰もいない時間帯を狙って教授を殺害し、日本に逃げ帰る
ことに成功する、なんてシナリオよりも、現地の言葉も文字も分らず、
教授の殺害に成功するどころか、教授の研究室のある大学までたどり
着けない可能性の方が高いんじゃないかなw
565考える名無しさん2018/12/03(月) 15:49:52.570
当時はイランとはビザなしで渡航できたから沢山イラン人がいたんだな
566考える名無しさん2018/12/03(月) 16:13:27.210>>655
そのなかで筑波みたいな田舎の大学の研究室を探し出して、殺害と逃亡を
綿密に計画できるような日本語能力のあったイラン人がどれだけいたかな?
567考える名無しさん2018/12/04(火) 12:22:09.870
>>563
意味不明…
568学術2018/12/04(火) 14:11:58.230
大学校教授じゃなあ。司教とかのほうがいいのにね。
569学術2018/12/04(火) 14:12:41.970
教授行為も格調高いもんでしょ。レーラーリン。
570考える名無しさん2018/12/06(木) 14:18:17.930
言語と呪術を読むとしよう。
571考える名無しさん2018/12/06(木) 16:10:54.510
読経で物の怪を調伏していたのだから呪術でしょうw
572学術42018/12/06(木) 17:05:32.290>>573
呪文 呪詛 呪術 のどれかを選んで説明して?三人以上で。
573考える名無しさん2018/12/06(木) 17:16:17.880
>>572
どういうこと説明して?
574考える名無しさん2018/12/07(金) 13:44:04.660>>578
我々はイスラム教徒に騙されてはならない。非イスラム教徒から澎湃と湧き起こる
反イスラムの動きを抑えようと嘘をついているのだ。欧州では人種差別として扱うべきと
する要求すら出している。平和の宗教と虚言をばらまき宗教が人種問題なんてありえん
確かに聖書にはヘト人やアモリ人を皆殺しにせよという残虐な神からの 命令があります。
しかし我々はヘト人でもアモリ人でもありません。 つまりユダヤ人やキリスト教徒が
殺害する対象には我々は含まれていません。 しかしイスラム教の不信仰者や多神教徒を
見つけしだい殺せという 神からの命令は今でもいきているのです。
フランスの有識者達が残虐な章句を削除するように要求した時に
それに賛同したイスラム法学者がいただろうか?少なくとも私は一人たりとも知らない。
いるなら教えて欲しい。トルコやイラン、エジプトと反対と反発ばかりなのだ。
つまり不信仰者と多神教徒殺害の神からの命令を放棄しないと言っているのだ。
人口1千万以上の人口で日本以下の殺人発生率の国は世界で一ヶ国も存在しない。
我々の社会と子孫を守る為に彼等ムスリムを一人たりとも受け入れてはならない。
575考える名無しさん2018/12/11(火) 13:49:52.280
古代日本語は話された言葉とその対象とのあいだに違いがなくコトという同一の語が両者に当てはめられる(言語と呪術)より。
576考える名無しさん2018/12/11(火) 14:23:16.980
「言語と呪術」で井筒俊彦はカルナップやチャールズ スティーブンソンみたいな分析哲学を飲用してる。
577考える名無しさん2018/12/11(火) 16:04:14.980>>579
いつまで大風呂敷彦読んでるの
578考える名無しさん2018/12/11(火) 20:38:13.720
>>574
誰だよ?最近政治的主張する変人が出没してるけど。お前だよ!
579考える名無しさん2018/12/11(火) 20:44:43.280
>>577
大して井筒俊彦読んでないクセに!
「意識と本質」要約する位やってから大口叩け。
580考える名無しさん2018/12/13(木) 10:52:48.340
語学達人界隈のネタってフカシばっかだよね
フカシ彦
581考える名無しさん2018/12/17(月) 10:24:47.960
井筒俊彦って若い頃すごい美形だったんだね
嵐の櫻井君みたい
https://i.imgur.com/YTjD0vP.jpg
582考える名無しさん2018/12/18(火) 09:15:24.670>>585>>656>>888
何故ユダヤ教徒やキリスト教徒がムハンマドを預言者と認めないのか、
それは預言者は神の選民たるユダヤ人からしか誕生しないとしているから。
考えてみて欲しい、ムハンマド以外の預言者は全て例外なくユダヤ人である。
そのことはキリスト教徒も理解している。ムハンマドが預言者という基本的なところで
虚偽であるとして嫌われる。神の選民でもないアラブ人から生まれるものかよ、と
583考える名無しさん2018/12/18(火) 13:24:43.710
預言者はユダヤ人のみと言ってるのはユダヤ人だけ、という可能性もありますね
584考える名無しさん2018/12/18(火) 13:48:42.550
預言者が山師って可能性が一番高い
585考える名無しさん2018/12/21(金) 11:25:23.140
>>582
聖書の預言者はユダヤ人だけじゃないよ。
586考える名無しさん2018/12/21(金) 11:27:55.190
言語と呪術はラッセルや心の哲学で活躍するデネットの師ライルも引用してる。
587考える名無しさん2018/12/22(土) 11:36:48.400
時宜にかなった本の邦訳が出版されました。
イギリスのジャーナリスト、ダグラス・マレー氏が著した『西洋の自死』
(町田敦夫訳、東洋経済新報社)です。 欧州諸国は戦後、移民を大量に受け入れてきました。
著者のマレー氏は、その結果、欧州各国の「国のかたち」が大きく変わり、
「私たちの知る欧州という文明が自死の過程にある」と警鐘を鳴らします。
昨年出版された本書は、まず英国内でベストセラーになり、
その後、欧州諸国を中心に23か国語に翻訳され、大きな話題となっています
https://www.sankei.com/region/news/181217/rgn1812170019-n1.html
イスラム移民がいかに社会を破壊するか理解できる正義の本が発売!
588学術2018/12/22(土) 11:46:03.840
戦ってみて認めてるんじゃないの?
589考える名無しさん2018/12/23(日) 08:20:31.300
アラブとムスリムは世界に荒れ狂うテロの直積責任を認めよ
―イラク紙編集長の主張― 著者アドナン・フセイン
小学校、中学校、高等学校そして後になると大学でも、宗教と歴史の教科で我々は選民であり、
至高且つ栄光の民であるとか、我々の宗教が真の宗教であり、(地獄の業火から)救われる
正しい民は我々であるとか、ほかの民は偽りの民で地獄に落ち業火に焼かれる不信心の民であり、
その民の殺害は許され、その民の財産と妻を我々がとっても構わないなどと教えている
我々の子供達と孫達は、他者の宗教や民族或いは国籍などに関係なく、すべての他者を敵視して、
世界聖戦をやっているのである。この環境が過激イスラム集団を生みだした。この集団は、
貧困と失業という土壌で発芽し、汎アラブ主義の名においてそして又時には宗教と宗派の名に
おいて犯される拝斥、人権強奪、個人及び集団の自由の侵害そして信義の侵害によって育っていく
我々はテロに対する我々の責任からのがれることはできない。言い訳も役に立たない。
まず我々は責任を認め、我々自身と他者に謝罪し、今から我々の生き方を改めていかなければならない。
そのためには、教育のカリキュラムを再検討し、初等教育から大学レベルまでそれを根本から
かえなければならない。それをやらないと何も前に進まない
https://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP622115
590学術2018/12/23(日) 09:03:16.720
過激派は一部だが激高することがあってもいいよ。
591考える名無しさん2018/12/24(月) 00:30:22.910
@岩波文庫2月。
小池昌代編『吉野弘詩集』
宇野千代『色ざんげ』
川合康三,富永一登,釜谷武志,和田英信,浅見洋二,緑川英樹訳注『文選 詩篇 五』
井筒俊彦『神秘哲学――ギリシアの部』
岡義武編『明治政治史 上』
592考える名無しさん2018/12/24(月) 09:39:08.900
一夫多妻制は市民権であると述べたイスラム教徒の指導者、
イタリア政府で「民主的代表」を要求
http://www.ilgiornale.it/news/politica/lislamico-che-vuole-poligamia-sfida-salvini-organizzi-1619972.html
イタリアイスラム共同体連合(UCOII)の創設者は、イタリア人は「一夫多妻制の
人口学的効果を過小評価するべきではない」と主張して知られています
彼は今、そのイタリア政府に、イスラム教を政治体制に持ち込むよう求めています。
「政府がイタリアのイスラム教に秩序をもたらすことができる協議を組織させよう、
我々はこの無秩序にうんざりしています」
593考える名無しさん2018/12/26(水) 09:12:38.550
日本での「本来のイスラーム教はこうだ」という議論には、イスラーム教も日本的な
「こころ教」と「本来は」同様であると議論するものが多く、欧米でもスピリチュアリズムや
政教分離思想を普遍的と考える論者が、イスラーム教でも宗教は人間の内面に限定されるのが
本来のあり方であるという誤った説明をしているといった事情がある。
アラブ世界でも、イスラーム世界一般でも圧倒的多数は、人間の外部に神が絶対的な規範を定め、
それを人間は護持していく義務があるのだ、と信じている。日本の宗教に大きく欠けているのは
(それがいいか悪いかは別に)、律法主義的な側面だ。「あなたがどう考えるかどうかとは別に、
あなたのこころとか世俗社会の論理などの外に、絶対的な規範を示す存在がいて、
規範を示しています」ということ信じ、実践する(それぞれのあり方で)のが律法主義と言えるが、
日本ではこれを理解できない人が多い。私はどのタイプの宗教が正しくて、他は正しくない、
という立場ではない。しかし日本の外には律法主義を根幹とし、「本来」のあり方とする宗教があり、
人数から言っても、国際世論の中での支配的な地位から言っても、そちらが圧倒的に優位である。
キリスト教を固く信じているからイスラーム教を認められない、というような人はまだ、
自分がどのような規範体系を信じていて、それに対してイスラーム教の規範体系のどの部分が
認められない、ということを議論するきっかけがある。しかし「こころ教」の場合は、
世界の大多数の人が信じている律法主義的な宗教を丸ごと「宗教じゃないでしょ」と言って頭から退け、
自足してしまうのだ。当初から、イスラーム教(あるいは宗教一般)にある律法主義的な側面と
霊性主義的な側面の判別能力の有無が、日本での無理解や抵抗感の根幹にあると私は考えており、
折に触れ指摘してきたが、状況はまるで変わっていない。宗教者や宗教学者ですら気づかないのだから、
一般人は気づきようがない。----------------------------------池内恵
594考える名無しさん2018/12/26(水) 10:27:58.910>>811
「薔薇の名前」でも読んだらいいんじゃね?
595考える名無しさん2019/01/01(火) 03:48:49.050>>597
アルジェリアの活動家は「哲学と闘う」ことを望んでいる
政治活動家Houria Bouteldjaは、イスラム人権委員会の会議でスピーチで次のように
述べています、哲学主義と戦う "「我々は国家人種主義の同じ面である過激なイスラム恐怖症と
哲学を批判しなければならない。ハマスとヒズボラは抵抗する抵抗運動です。
私はこれら二つの運動が抵抗運動であることを大声ではっきりと述べます。」
https://www.i24news.tv/fr/actu/international/europe/192151-181231-france-une-militante-franco-algerienne-veut-combattre-le-philosemitisme
596考える名無しさん2019/01/01(火) 04:02:48.730>>598
サウジアラビアに導入される哲学 18年12.31
サウジアラビアの教育者たちは、王国の学校で哲学の研究を紹介する準備を始めました。
何人かの観察者はサウジアラビアの教室に哲学を含めることを賞賛し、彼らはデジタル教育と
STEM科目(科学、技術、工学と数学)に重点を置いているビン・サルマンの教育改革に賛辞を
示しています。しかし、他の人たちは、まさに「哲学」や「批判的思考」が何を伴うのかについて
懐疑的です。クウェートの教育者、Dhari Salmanは「哲学を自由思考プロセスではなく
悪魔の道具と見なすことは保守的な長老たちの間では一般的でした。」問題は、「神学は
サウジ国民が生まれる瞬間からの日常生活における最大の関心事である」ということです。
1960年代に始まって、シェイク・アブデル - アジズ・ビン・バズと他の高い尊敬された
サウジアラビアの宗教学者たちは学校で哲学の教えを禁止するいくつかの「ファトワ」(イスラムの判決)
を出しました。彼らは、この主題を「異端者」および「悪」と見なしました - 社会の柱に対する脅威です。
https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5438386,00.html
597考える名無しさん2019/01/01(火) 13:19:13.330
>>595
政治的主張はよそでやってくれ。
598考える名無しさん2019/01/01(火) 15:21:07.390>>599
>>596
宗教学者が危機感を抱くほど哲学が浸透してるのは喜ばしいことではないか。
何か問題でも?
599考える名無しさん2019/01/02(水) 08:25:52.300>>601
>>598
ムハンマド皇太子が改革でこれから哲学を導入するという話なんだが?
サウジは60年代から哲学を教えていない。
600学術2019/01/02(水) 09:01:02.930
一夫多妻というと妻が並べられるから品が悪いね。女が多いのは良いけど。
601考える名無しさん2019/01/02(水) 12:05:39.910
>>599
いくら極端な保守的ワッハーブ主義者が外来思想の受容を拒んでもグローバル化にさらされて受容せざるを得なくなるよ。
イスラムには豊穣な哲学的遺産があるからそれが再発見されると良いね。
602考える名無しさん2019/01/03(木) 14:44:42.290>>603
哲学は全てを検証するだろう。それは神や信仰も例外としない。
批判精神にイスラムが耐えられるとは考えられない。
ザカーリーを持ち出して哲学者は再び非難されるだろうな。
過去におきたことと同様のことがおきるだろうな。
603考える名無しさん2019/01/03(木) 18:04:27.910>>605
>>602
ザカーリーって誰?
聞いたことないが?
ガザーリーなら活躍して何年たったと思ってる!
古いよ。
最もガザーリーの偶因論はグレアム ハーマンの最新の哲学に取り入れられてるけどね。
604考える名無しさん2019/01/04(金) 19:52:04.880
偶像禁止という偶像を破壊できるか
605考える名無しさん2019/01/05(土) 07:46:34.290
>>603
間違えただけだろう。12世紀にイスラム社会が哲学を拒否しただけじゃない。
サウジアラビアは1960年代に哲学を教育から排除しているだろう。
2度目の拒否じゃないのか?あの社会に神を自由に批判的精神で検証することなどできるのか
606考える名無しさん2019/01/05(土) 16:43:01.930
中東の北朝鮮という異名を持つサウジアラビアはイスラム機構57国でもかなり特殊だろ!
石油で儲けたからそういう閉鎖的政策も出来たが8割の確率で今後は変わらざるを得ない。
607考える名無しさん2019/02/02(土) 15:27:58.750
イスラム文学の代表作、イスマイール一世の「英雄詩」をアゼルバイジャン語から訳してくれ。
サファヴィー朝の建国者であり、「神」「預言者」と呼ばれるのを辞退したらしい。
608考える名無しさん2019/02/02(土) 15:41:20.280>>610
キリスト教に関する著述をもっと読んでみたかった
609学術2019/02/02(土) 18:55:45.300
ソクラテスは弁証法デカルトは批判とすると批判まで零落した哲学にイスラム教相手取って何ができるというんだい?
610考える名無しさん2019/02/02(土) 20:30:35.980
>>608
「読むと書く」「神秘哲学」「ロシア的人間」でキリスト教に触れてる部分はあるよ。
611考える名無しさん2019/02/04(月) 11:57:46.980
イスラムもの。読んで感想くれ。
井戸の所有
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bookall/1549073894/145
612考える名無しさん2019/02/04(月) 17:58:55.490
存在と本質の関係を、非限定と限定、あるいは無限と有限の関係に置き換えてみる。
613考える名無しさん2019/02/04(月) 18:24:02.510
ガザーリーの「哲学者の意図」を読んでる。
340ページのところを146ページまで来た。
あまりたいした内容はない。
614考える名無しさん2019/02/05(火) 13:23:29.210
ブリハッドの神学的応用
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bookall/1549073894/164
615考える名無しさん2019/02/05(火) 13:31:16.730>>657
ここ、すごいな。インド哲学の「ブリハッド・ウパニシャッド」と似たことをいってる。
これを読むかぎりでは、「霊魂」は「無意識」のことをそう呼んでいたようだ。
ガザーリー「哲学者の意図」200ページ
そのもの自体にある性質を与えるような他の助けを必要とせず、
可能的なものをすべて所有し、
それを備えているようなもの。
これは完全(存在者)と呼ばれる。
616考える名無しさん2019/02/05(火) 13:50:31.000>>617>>619
アーリア人、アラブ人、ペルシャ人の思想的起源はゾロアスター教にあるのだから
同様の世界観が見られるのは当然だろ
ヤハウェとアッラーは似ている!と言って喜んでるようなもんだ
617考える名無しさん2019/02/05(火) 16:25:59.350
>>616
いや、読む前は誤解していたことでいっぱいだよ。
618学術2019/02/05(火) 18:15:15.820
ネーチャン オプ イスリム
619考える名無しさん2019/02/07(木) 10:41:03.810
>>616
ガザーリーの思考の根底にはプロティノスの新プラトン主義があるのだろう。
新プラトン主義とインド哲学は中村元以来共通性が指摘されてる。
ウィリアムジェームズが神秘主義はその宗教や地域を問わず似たものになると指摘してる。
神秘体験自体に共通性があるのだろう。
620考える名無しさん2019/03/12(火) 11:42:00.110
岩波文庫版の「神秘哲学」読んでるが改めて読むとこんなに面白かったのかと感動してる。
621考える名無しさん2019/03/19(火) 08:44:49.590>>623
この人、ウリである共通性をたぐったジャンプが
かなり粗いよね
グダグダ書いているわりに
つなぎ目を見るといい加減
東洋とかそういう言葉に寄りかかりすぎも酷い
622考える名無しさん2019/03/19(火) 09:48:56.090
井筒俊彦の文庫化されたやつ、「神秘哲学」と「意味の深みへ」はどんな感じ?
興味あるんだけど。
623考える名無しさん2019/03/19(火) 13:46:08.370
>>621
具体的にどの著作のどの部分が粗くつなぎ目がいい加減?
624考える名無しさん2019/03/19(火) 13:53:51.210>>625>>626
「意識と本質」でいろんなタイプの思弁的な人間が
出てくるだろ
こいつのこの言葉は俺のいうこれだって論法が
いい加減
625考える名無しさん2019/03/19(火) 19:44:06.480
>>624
例えば?
意識と本質は思い切り単純化すると本質否定論と本質肯定論の3つのタイプが出るがどの辺が原典と照らしていい加減?
626考える名無しさん2019/03/19(火) 21:10:35.210
>>624
『意識と本質』より緻密で内容の濃い本とは、例えばどういうものがある?
挙げてみて?西洋のものでもいいよ。
627考える名無しさん2019/03/19(火) 21:18:04.760
緻密というよりもしっかりと整理されて
接続しているということが重要
グチャグチャで唐突な発想の連続じゃないということだな
たとえばコリンウィルソンの「アウトサイダー」は
きちんと整理されているし、フランス人の
「道徳を基礎づける」は明快な論旨だ
俳句だの老師だのを勝手に自分の言葉で
本質wを掴んだように性急におかしな図式に当てはめない
628考える名無しさん2019/03/19(火) 21:26:12.110
これは廣松もそうだな意味不明
中井正一の一部もそう
たとえば和辻はそういうものがほとんどない
大拙もな
言いたいことそのものはすぐに分かる
まあ井筒のは文体でいえば自分でも整理できていない
悪しき曲線状とも言える
どうしても入れたいから入れたんでしょっていう奴な
無論解題的な書き物は別な
以上のような意味不明さは現代日本の著作だと
まず見られない
たとえば「仏教のゼロポイント」とか
見通しがきちんと立つよ
629考える名無しさん2019/03/19(火) 21:39:41.900>>631
>>627-628
その程度の本を読んでいるレベルの人に『意識と本質』は難しいかもね。
630考える名無しさん2019/03/19(火) 21:46:35.430
デリダは井筒俊彦を巨匠と呼び敬意を表したがデリダ的にはどこが凄いと感じたのだろう?
井筒俊彦は西洋哲学の解説に終始する書生哲学がもてはやされる日本では毀誉褒貶があるがヨーロッパやイスラム圏では日本より高く評価されるのは何故だろう?
彼の語学力を除いても評価が高い。
631考える名無しさん2019/03/19(火) 22:08:40.910>>633
>>629
個々の思想/芸術への見方は別個の批評としては
読み物になり得るんだよな
ああそう感じたんですね貴方は、で済む
だがそれをあの文体で大きな構築物の部品にすると
途端におかしくなる
唐突に観念が登場してロクに整備しないで進むんだから
東洋的、が念仏みたいに響くな
632考える名無しさん2019/03/19(火) 22:09:46.400
まあ整理されていないのが大きいな
小林秀雄よりもさらに一段分酷い
633考える名無しさん2019/03/19(火) 22:12:02.080
>>631
馬鹿の耳に念仏
634考える名無しさん2019/03/19(火) 22:18:48.670>>636
信者しかいないというのもヤバさの特徴だな
傷ひとつさえ指摘できないで
その程度の本を、とか言っちゃう
他人と論争になるような分野じゃないのに
かなり等閑視されてきたのは実際
理由があったんだと思うね
現実にネット上にロクなサマリーもないしね
テーマの大きさと語学神話みたいな
ハッタリでナイーブな読者を獲得しているのかもしれない
635考える名無しさん2019/03/19(火) 22:33:34.900>>637
そういやこのスレ読み返してて出てきたが
九鬼も和辻型で個々の細かい穴があっても
きちんと見通しのいい論旨で唐突さはない
軽みやレトリックから生まれた俳諧表現を
謎の俺言葉でなんの前提もなく解釈したりはしない
そう考えると美学上のひとつの重大な姿勢に
ぶち当たる
それは偉大な芸術だと感じられる作品は
極めて思弁的な精神文化の分析においても偉大で
高度に整合的であるという憶測だ
これを井筒にも強く感じるな
現代アートの有名作品には必ず深い哲学が
潜んでいるという誤った発想と同じ
636考える名無しさん2019/03/20(水) 00:13:11.800
>>634
もうちょいマシな本出せよって気持ちは理解できる。権威主義的に上から目線もあるだろうが。
637考える名無しさん2019/03/20(水) 00:16:18.130
>>635
井筒俊彦が取り上げた俳句の赤冊子は原典読んだけどやはり深いと思ったけどね。
638考える名無しさん2019/03/20(水) 08:22:32.790>>639
芭蕉周辺の俳論は日本の芸術思想上もっとも
目を惹く成果かもしれない
非常に洗練されて独自性がある
風姿花伝なんかとは違う
問題となるのは今流行りの俳句添削みたいな
特定の創作の営みから切り離して、
唐突に別の観念の地図に当てはめること
読み手は論旨の重要な接合部を、信者パワーを
その都度発揮してモヤモヤと乗り切るしかない
なんか深淵そうだなあって
639考える名無しさん2019/03/20(水) 13:39:12.940>>640
>>638
接合部とか抽象的で分かりにくいな。
もっとも君がよくわかってないんだろうが!
640考える名無しさん2019/03/20(水) 15:41:43.970
>>639
昔のことで手元にないからすまんな
641考える名無しさん2019/03/21(木) 22:41:56.690
怖い怖いwww
642考える名無しさん2019/04/01(月) 17:58:37.970
井筒の本が次々と岩波文庫で出てるけど、どんな感じのことが書いてあるの?
643考える名無しさん2019/04/01(月) 18:39:14.610
井筒俊彦の「意味の深みへ」、アマゾンランキング1600位とかなり売れてるじゃん。
「コスモスとアンチコスモス」も四月に岩波文庫で出るらしいね。
644考える名無しさん2019/04/02(火) 02:03:24.460
「日本の友への手紙」 『プシュケー:他なるものの発明II』 (2019/03/27)
ジャック・デリダ
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0246900.pdf
“親愛なる井筒教授。
私たちが会ったとき、私はあなたに「脱構築」という語について―図式的で予備的なものではありますが―いくつかの省察をお約束しました。
問題になっていたのは、要するに、この語を日本語に訳すときに可能な翻訳への予備考察(プロレゴメナ)でした。(略)
なかんずく私が望んでいたのは、ハイデガーのDestruktion[破壊]もしくはAbbau[解体]という語を私の意図へ翻訳し翻案することでした。(略)
けれどもフランス語では「破壊[destruction]」という語は、ハイデガー的な解釈もしくは私が提案していたタイプの読みよりも、
おそらくはむしろニーチェ的な「粉砕」に近い無化、否定的還元という含意があまりに際立っていました。
そこで私はこの「破壊」という語をしりぞけたのです。(続く)”
※デリダの最重要概念である"脱構築"の説明を収録した『プシュケー』は、これまで邦訳されていなかった
645考える名無しさん2019/04/02(火) 02:03:54.670
“井筒が生涯をかけて探求したのは、万物を超越する一神教ではなく、万物に内在する一神教である。
ユダヤ教、キリスト教の伝統に連なるとともにその伝統を刷新し、純粋化していったイスラームのさらなる東方的な展開である。(略)
アラビア半島に生まれた森羅万象すべてに超越する神、スンナ派の神ではなく、
イラン高原で生まれた森羅万象すべてに内在する神、シーア派の神であった。
イラン高原では、神は「存在」と言い換えられていた。
「存在」の根源にして、根源の「存在」である「神」、そこから森羅万象あらゆるものが産出される「神」。
その「神」は一なる神――一神教すべての根幹となる唯一無二の神――を可能にする「無」の神、
より正確には、「無」にして無限の神であった。”
― 安藤礼二 「「東方哲学」素描:鈴木大拙、折口信夫、井筒俊彦の仏教」 『現代思想 2018年10月臨時増刊号 仏教を考える』
646オーバーテクナナシー2019/04/03(水) 03:53:01.150
☆イスラムは科学を滅ぼす?・未来予測
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/future/1345329336/
647考える名無しさん2019/04/06(土) 20:41:39.700
若松英輔に井筒俊彦が山崎弁栄に会っていたら井筒俊彦はイスラムに行かなかっただろうと言わせた浄土宗の高僧山崎弁栄は「超在一神教的汎在神教」をとなえた。
超越的一神に相当する彼の法身の阿弥陀如来と本覚思想の一切衆生悉有仏性の統合と現代的表現だろうけど。
648考える名無しさん2019/04/07(日) 02:07:51.300>>649
若松英輔の妄想世界ビジネス炸裂
649考える名無しさん2019/04/07(日) 10:47:38.560
>>648
若松英輔の場合山崎弁栄の作った光明会上首で東大教授だった河波昌の影響が強い。
650考える名無しさん2019/04/10(水) 00:08:44.050
山崎弁栄いいね。
「超越即内在」。“内なる仏であり、なおかつ外なる仏である”。
一神教と汎神教との相克を超えた「超在一神的汎神教」という立場は、
宇宙を直感するシュライエルマッハーの宗教学を背景としている。
フッサールと同じ1859年生まれで、
インド各地の仏蹟各地を巡拝した最初の日本人。
651考える名無しさん2019/04/19(金) 17:51:07.460
井筒俊彦の「神秘哲学」、一行目がすごいというから読んでみたが、確かにすごいなあ。
640ページもあるから、後まわしにするかもしれないけど、
絶対に読むぜえ。
652考える名無しさん2019/04/19(金) 17:59:42.680>>664
井筒俊彦「神秘哲学」は、一行目からこんなんだぜ。超面白そう。
山深きアジアの蛮神ディオニソスの狂乱が、
あたかも何者の権能を以てしても阻止しがたき悪疫の伝播するごとく、
村から村へ、都市から都市へ飛び火して、すなわちのうちに全ヘラスの美しき天地を
血腥き霊気に充たして行ったのは、人も知る如く西暦紀元前六世紀のことであった。
653考える名無しさん2019/05/09(木) 16:20:12.760
井筒俊彦「神秘哲学」を読み始めたぜ。
井筒俊彦の短い記事が後半にまとまっているみたいで、楽しみだ。
654考える名無しさん2019/05/10(金) 15:46:07.510
井筒俊彦「神秘哲学」96ページ
すごいいいわあ。
井筒俊彦がいうには、哲学者は生きて帰って来るものだと。
生きて帰ってこなければならないと。
井筒俊彦は、宇宙の究極的救済を目標とするのが神秘主義であり、
哲学者はその目標に気づくまで探索して、その後、さらに生きて帰って来なければならないという。
655考える名無しさん2019/05/10(金) 16:19:13.510
>>566
国家レベルで派遣したなら可能だろ
656考える名無しさん2019/05/10(金) 16:24:24.260
>>582
イスラエルを呪うよう要請された預言者バラム
ヨブ記のヨブはウツのアラム人かエドム人
657考える名無しさん2019/05/10(金) 17:32:38.150
>>615
哲学者の意図はガザーリー説じゃなくてイブン・スィーナー説な
イブン・スィーナーが仕えたアラッダウラへの知識の書をアラビア語に抄訳翻訳したもの
658考える名無しさん2019/05/12(日) 12:29:34.870
19、神秘主義に寄せて
中江兆民の著作に「三酔人経論問答」という本がある。明治の哲学書で広く読まれたものである。
それは、古代中世の征服者を良しとする豪傑君と、啓蒙の思想家である紳士君の意見の対立を扱った哲学書である。
紳士君がいくらギリシャ哲学を根拠に理想主義を唱えても、そんなものは、豪傑君の暴力主義に殴り倒されてしまうと書かれている。
紳士君と豪傑君の思想には、それぞれ、現実を反映したものがあり、
両者の良いところを抽出する現実主義によって政治は動くとして終わる。
これは、百年前の明治の思想であり、現代だとさらにちがうと思われる。
しかし、紳士君の理想主義とはどんなものなのか。それは、
井筒俊彦の「神秘哲学」という書にある記述が最も典型であると思われる。
理想主義者の井筒俊彦は1949年の書で何をいったか、それは以下のようなことである。
哲学者は、生きて帰って来なければならない。
井筒俊彦によると、神秘主義とは、宇宙の究極的救済を目的とするものである。
哲学者は、哲学の散策の中でそれを発見して、さらに、生きて帰って来なければならない。
哲学の神秘主義とは、それが宇宙の究極的救済を目指すことを発見することである。
井筒俊彦はいう。「人が神に成り、神であること」が神秘主義であるが、神に成るとは、力強い力を得ることではなく、
人間の身に許された限り、宇宙を救済することである。
世界を救済する理想によって神に似ることが、神秘主義哲学である。
これが、暴力主義に対しての、理想主義である。
659考える名無しさん2019/05/12(日) 12:29:57.550>>660>>661
暴力主義で最強を目指すという哲学者もいるかもしれない。
机上の空論と呼ばれても、理想主義を追求する哲学者もいるかもしれない。
しかし、ぼくは、哲学者すべてが宇宙的救済を目的とすることには、不安を感じる。
哲学の目的は、もっと多様であるべきだ。そして、志だけを高く掲げるのではなく、
目的の実現のために策を練らなければならない。
ぼくは、暴力主義でも、理想主義でもない、第三の道、現実主義を訴えたい。
科学によって、事実の確認をくり返して積み重ねる現実主義こそ、現代における哲学だと思う。
哲学を読んで感動したというだけではダメなのだ。あくまでも、物質的な実利を得るために作戦を練らねばならない。
明治の哲学者である大西祝はいった。「天地の間のすべてを物質的に解釈すべきである」と。
理想主義も良い。だが、物質的な探究の積み重ねが、暴力主義の豪傑君にも、理想主義の紳士君にも、おそらくは勝つであろう。
660考える名無しさん2019/05/12(日) 18:59:51.060
>>659
なんかズレてるな!
661考える名無しさん2019/05/12(日) 19:10:08.120
>>659
中江兆民の時代は日本が欧米に植民地化される危機が生々しく実感としてあった帝国主義全盛期。
だから兆民の答えは時宜を得たものだった。
世界の文明で最も現実主義的だったのは中国。
その功利主義的で現実主義的な態度は現代にも受け継がれる。
西洋に中国が負けたのは西洋には1+1=2に何故なるのかという問いに一生を棒にふった人間がいたのに現実主義的な中国にはそれがいなかった為。
井筒俊彦の仕事は敢えて例えるならその1+1=2に何故なるのかという仕事で別に百年や二百年現実応用出来なくても良い類いの仕事に相当する。
662考える名無しさん2019/05/21(火) 17:27:02.320
「みんな、救ってみせる。誰一人、見捨てやしないさ」
というのは、ストルガツキー兄弟の1972年出版の「ストーカー」のセリフだが、
同じようなことを、1949年の井筒俊彦が「神秘哲学」で述べているなあと思った。
663考える名無しさん2019/07/01(月) 18:25:11.960
引用しかない糞雑魚
664考える名無しさん2019/07/02(火) 00:00:43.990
>>652
序文を読むとこれが単なる文学的修飾でなく、バリバリ体験派の人の実際的感覚だということがわかる。
それも、神秘体験の内でも禅とか密教とかのソフィスティケートされたものだけでなく、
シャーマンのトランスや火山性ガスの吸引によるアポロンの神託など原始的で荒々しい神秘体験も哲学に必須の基盤として高く評価している。
現代ならジョン・リリーやスタニスラフ・グロフ らのLSDなど薬物によるサイケデリック神秘体験研究も高く評価したかもしれない。
665考える名無しさん2019/07/02(火) 20:25:01.880
「東洋哲学の構造」読んでる。
これはある意味「意識と本質」の入門書かも知れない。
重なる部分が非常に多い。
666し ◆P1F.MDbmTg 2019/07/02(火) 21:23:32.830
スーフィズムとマーフィーズム
667考える名無しさん2019/07/16(火) 20:30:32.570>>676
こいつがすごいんじゃなくて、イスラムの哲学者や詩人がすごいだけでは?
668阿吽2019/07/27(土) 13:10:53.980
『意識と本質』を読んでいるが、著者はイスラムは勿論、プラトン、釈迦からシャンカラ、竜樹を経由して
サルトル、メルロポンティまで論じられる鋭い知性に裏打ちされた該博な教養の持主ですね。
ある意味では非常に「日本的な」知性と言える。なのに、余り日本では評価が高くない気もしますね。
一般的には岩波文庫の『コーラン』の訳者程度の認識だが、東洋古典と西洋古典哲学のどちらにも親しみを持ち得る、日本の読書人層には究極の「まとめサイト」みたいな本だよな。
669考える名無しさん2019/08/13(火) 01:16:38.240
ようは唯識最強!って感じだけど
理理無礙だけはよくわからん
6701072019/08/13(火) 20:33:21.830>>671
こいつは正剛のパワーアップ版だろ
何でもかんでも結びつけているだけ
671考える名無しさん2019/08/14(水) 22:19:21.160>>677
>>670
具体的に整合性の取れない何でもかんでも結びつけて矛盾が生じてる部分はどこ?
6721072019/08/15(木) 08:12:16.690>>673
矛盾というか浅い
甘い
哲学的にどうでもいいからデリダとか持ち上げられる
馬鹿にしているから
井筒の評価の高さはそれが全て
673考える名無しさん2019/08/15(木) 12:43:05.200
>>672
じゃあ誰の哲学が深い?
674考える名無しさん2019/08/16(金) 00:24:56.560
中沢新一「創造の出発点―井筒俊彦『神秘哲学』」
中沢は、井筒のやってきたことが西欧哲学の脱構築にあたるとしながら、
その井筒哲学を更に脱構築しようとするのが中沢という構図。
675考える名無しさん2019/08/16(金) 00:26:11.390
>>121
> ・アフリカ(的段階)
『言語と呪術』がこれに該当するか。
676考える名無しさん2019/08/16(金) 19:54:11.300
>>667
そう
その人たちが超凄いから紹介した人も凄いといわれる段階にいられる
677考える名無しさん2019/08/16(金) 20:06:12.630
>>671
イブン・アラビーの
アハド-アハディーヤ-ワーヒディーヤ
を老荘の
無極-太極
に安易に当てはめてるように思えるな
無極と太極の関係についても儒教内で色々あるのに全く違う文化圏のイブン・アラビーを持ち出して当てはめるのは無理がある
678考える名無しさん2019/08/19(月) 20:24:54.920
周敦頤の「無極而太極」については陸象山の解釈と朱子の解釈しか知らないが他に色々あるのか?
中国哲学の主流になった朱子の解釈に井筒俊彦はよっているはず。
ノーベル物理学賞受賞者の量子力学者ハイゼンベルグが自分の思想と同じだと感動してハイゼンベルグ家の家紋に採用した太極図も多分朱子解釈のものじゃなかった?
679学術2019/08/19(月) 20:27:15.350
家具なんか健常型じゃないの欲しいよなあ。インテリアも。
680学術2019/08/19(月) 20:27:57.280
無敗オーラの床。家の庭園大事さ。
681学術2019/08/19(月) 20:28:41.360
過程が長いから中退はしなかったがな。奇形児で。
682学術2019/08/19(月) 20:29:17.720
無でも無の文字に何かたまってない?表彰から立体文字。
683狂神学術2019/08/19(月) 20:30:30.140
無でも無の文字に何かたまってない?表象から立体文字。無も酷使したり現実逃避の方便にはよくない。
684学術2019/08/19(月) 20:31:15.680
サッカートータルフットボールなんて昔すぎ。
685考える名無しさん2019/09/17(火) 10:57:22.830
おはよう
686考える名無しさん2019/09/25(水) 14:30:26.100>>690
ハーマンと井筒俊彦は共通したものがあったと記憶してるがマルクス ガブリエルとは共通するものがあるのだろうか?
687考える名無しさん2019/09/25(水) 17:53:16.520
サッカーのゲームの作り方と建築設計は似ていると思うよ
688考える名無しさん2019/09/26(木) 21:52:32.650
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失 や 精 |´::::::::::::<::::::╋::::::>:::::::::::::::::ヽ.
せ る 神 |::::::::_,.-─‐-ァ-─-::、::::::::::::::::ヽ
ろ か 安 |,. '" / `ヽ、::::::::::〉
ら 定 | / / i ハ ヽ 、 ヽ::/
. 剤 ノ/ /.ゝ!、ハ i ! ,!ィ! ハ !ハ
ヽ i ハ ハ'T7ヽ!ヽ! レ7'"7T'! / i
`''ー---‐'^ヽ!/ ヽハ .!'ト___リ ト__,.リ レ' /
ほ 〈ヽ、 ! " "/! rイ
学 れ ヽ. ヽ.ヽ、 r─ 、 ,.イノ ノ
術 〉ヽ、ヽ.>.、.,,___-' ,.イハイ
ヽ/ ´ ̄`ヽーr‐'"i´ ̄:::ヽ、
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と__ ̄`ヽ、ニ、 ヽr」/ . 十::::`ヽ.::::::::::::>、
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`´ / /7 ハ !ヘ 十::::::::iィ´ ノ
689考える名無しさん2019/09/28(土) 00:48:01.090
井筒についても触れられている
マルクス・ガブリエル『グローバル哲学?』
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/18668.pdf
西洋哲学、東洋哲学、英語圏の分析哲学、グローバル哲学
690考える名無しさん2019/09/28(土) 00:49:52.990
>>686
それぞれに「場」を扱っているとか。
ガブリエルは「意味の場の存在論」、
井筒は「禅的意識のフィールド構造」。
井筒のは、「無心」の境地に立った人が開示する禅的意識の記号過程。
意識と存在リアリティのフィールド構造。
読むことができるのは以下。
・「禅的意識のフィールド構造」『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
・『禅仏教の哲学に向けて』 (2014)
691考える名無しさん2019/09/28(土) 00:51:55.100>>693
“フェルディナン・ド・ソシュールによって定義された
話ないしパロールの基本的構造は、この次元ではもはや観察不可能である。
というのも、ここでは、話者と聴者との間の区別がないからだ。
実際に見られるものは、どこからともなく流れ出て閃光のごとく宙に光り、
そして直ちに、永遠の闇に消え失せるような言葉の光景である。”
― 井筒俊彦 『禅仏教の哲学に向けて』 (2014) 3章
692考える名無しさん2019/09/28(土) 00:54:12.740
『Towards a Philosophy of Zen Buddhism』(1977)
は英語でも美文だった。
ロラン・バルトやデリダと同じ用語を用い、言語哲学として語られる
ポスト構造主義的禅哲学。
禅哲学としても、最も先鋭的な本。
693考える名無しさん2019/09/28(土) 01:04:54.600
>>691
“普通の言語学では意味というものを、
辞書に載っているような、社会的慣習としてシステム化されている次元、
つまりコトバの表層にのみ限って見て行こうとするし、またその方が容易なのである。
これに対して、先生は、人間のコトバというものは本質上、そのような表層だけでなく、
その奥に底知れない深層をもっていること、そしてまさに意味に関してこそ、
この深層の領域を問題にすべきであることを主張された。”
― 牧野信也 「師としての井筒俊彦先生」 『井筒俊彦著作集4 意味の構造』
694考える名無しさん2019/10/03(木) 12:14:22.100
アラーのなすことは全て正しい。アラー・アクバル!アラーは偉大なり。
695考える名無しさん2019/10/03(木) 21:04:07.800
アッラーallahな
アラーalaじゃ全然意味が違う
俄かかな
696考える名無しさん2019/10/04(金) 17:14:01.960
預言者ムハンマド「カーバ神殿を手に入れようか?手に入れるまいか?」
イエス・キリストの霊「カーバ神殿は、誰のものですか?」
預言者ムハンマド「先の預言者イーサー、カーバ神殿はアラーのものです。」
イエス・キリストの霊「アラーのものは、アラーに返しなさい。」
697考える名無しさん2019/10/04(金) 18:08:50.320
意識と本質にアル・ガザーリとイブン・ルシュドを論じたところがある
ガザーリは事物以上の本質は認めない
ルシュドの方は事物以上の本質があるとする
これは世界は無始なのか神による創造なのか、アリストテレスに依拠する哲学と神による創造を肯定する哲学批判者の争いだが
同時に全ては物か、物以上の本質を認めるかの思想対決がある
意識と本質
意識にとって本質は存在するのか否か
個々の存在感、経験を越えた「本質」超越は存在するのか
である存在本質存在本質
がある存在事実存在実存
それは三人称客観の本質とはちがう一人称主観のこの世界の事実性を認めるか認めないかの問題
698考える名無しさん2019/10/04(金) 19:42:29.920
本質存在とか実存とか言ってもおどろおどろしいものじゃない
あなたは人間である
これは内的規定
さらに動物である
理性的存在である
日本人である
内的規定、本質存在をしきつめればあなたになるか
ハイデガーは存在者をつきつめても存在という事実性につきあたらない、存在論的差異と大騒ぎしたのは有名
三人称客観と主観の事実性はおなじか
ガザーリとルシュドの対立も本質を認めるルシュドらと神以外認めないガザーリの本質に関する対立がある
699考える名無しさん2019/10/04(金) 19:50:23.250
井筒俊彦の立場は三人称と一人称の対立を越えましょう
カザーリやルシュドみたいなイスラム哲学の対立の底を主客未分、言語によるソシュール的な分節化の前に立とう
イスラム哲学を禅仏教で止揚する
700考える名無しさん2019/10/04(金) 19:57:31.850
三人称と一人称は違うのか
あなたはある料理を知ることができる
その材料、そのレシピ、調理法を知ることができる
客観的に
その料理を食べる
その味、クオリアを食べたことのない人間に説明できるか
三人称客観では説明できない一人称主観の領域は実在する
701考える名無しさん2019/10/04(金) 20:01:37.240
統合失調症の文章って長いだけで本当に内容ないんだな
702考える名無しさん2019/10/04(金) 20:30:00.200
いや、主著の意識と本質の「本質」とは何か
何が問題なのか噛み砕いて説明しているんだが
これでピンとこないならあんた見込みないよ
703考える名無しさん2019/10/04(金) 20:40:33.040
三人称客観で全てが理解できるなら何も問題はないだろ
物を集めて線形に理解が成立するか否か
そうじゃないから哲学は対立が生ずる
ルシュドとガザーリ
哲学における根本的な対立があるから井筒もそれを取り上げる
で解決のパターンは三人称で全て解決派閥
一人称絶対派閥
井筒は三人称と一人称の対立を止揚する派閥
禅仏教持ち出し主客未分に立つのもそういうこと
井筒解釈としてはごく普通の当たり前
ここまで噛み砕かないから何か勿体づけたわけのわからない解釈かはびこる
井筒解釈としては捻りも糞もない構造的にどうやってもこうなる必然
704考える名無しさん2019/10/04(金) 21:01:49.970>>705
噛み砕いて説明w
能力もないくせに説明も糞もないだろ
705考える名無しさん2019/10/04(金) 21:14:52.940
>>704
ガザーリとルシュドの違いも
本質存在と事実存在
物理主義とクオリアの問題もわからないの?
馬鹿なの?死ぬの?
706考える名無しさん2019/10/04(金) 21:19:20.210
ちゃんと哲学者の自己矛盾やクオリアに関する論争くらいは理解してからこいよ
井筒はそういうものを踏まえて、あるいは予測して書いてんだから
それがわからないなら井筒は理解できないし、ここに書いた当たり前の事も意味不明だよな
要するに馬鹿は死ね
707考える名無しさん2019/10/04(金) 21:20:33.130
704みたいな馬鹿には説明も何も無意味だよな
馬鹿は死ね
708考える名無しさん2019/10/04(金) 21:21:11.420
自分は分かってるつもりだけのタイプだな
それが通じなければ罵倒
709考える名無しさん2019/10/04(金) 21:23:10.710
>馬鹿は死ね
自分の言うこと受け入れな死んで欲しい幼稚園児レベルだな
710考える名無しさん2019/10/04(金) 21:45:43.940>>711>>712
いやさ、食について三人称でレシピやなんか知っても味は説明できないよね
あんだすたん?
711考える名無しさん2019/10/04(金) 21:48:53.210
>>710
それが馬鹿は死ねとか言うのとどういう関係があるの?
712考える名無しさん2019/10/04(金) 21:54:23.130
>>710
君がイラついて馬鹿は死ねと願望を述べることと客観的三人称と同列だと思ってるんw
713考える名無しさん2019/10/04(金) 21:55:13.970
三人称で説明できること記述できることとクオリアにはギャップがある
世界は本質、内的規定で、であるとして説明できることと
一人称として「がある」で説明できることはギャップがある
同じことをカントは観念上の貨幣は内的規定は同じだ
しかし、観念上の貨幣は使えない
事実存在と本質存在は違うと説明した
しかし、この説明は問題があって貨幣は実体的である必要はない
紙幣でも通帳上でも電子通貨でも信用あればいいし、実体的価値はいらない
714考える名無しさん2019/10/04(金) 22:00:06.980
ルシュドは三人称の本質、内的規定が在るとした
ガザーリはない、全ての物と物は関係ないとした
神が関係づけるから物は意味がある
一人称でしか神とは関係ない
ルシュドは認めない
世界の事実の裏には必ず本質が内的規定がある
これがイスラム哲学の本質問題
715考える名無しさん2019/10/04(金) 22:04:52.520
で、三人称と一人称の対立の前
ソシュールの分節化の前がある
ここでソシュールや禅が要請される
イスラムの翻訳者が仏教やソシュールらデリダを持ち出す理由
三人称と一人称
クオリアとかの基本がわからないと何故禅や脱構築が井筒に出てくるかわかるわけがない
716考える名無しさん2019/10/04(金) 22:26:13.440
井筒がなんでガザーリ持ち出してんのか
イスラム哲学論じてんのか考えたことないの?
ただなんとなく格好良いから?
717考える名無しさん2019/10/05(土) 13:05:13.040
何が正しいか、どうすればよいのか、それがわからなかった。今はわかる。全て正しく、どうしても正しいということが。
アラーは偉大なり!
718考える名無しさん2019/10/05(土) 19:02:17.600
ガザーリの偶然性の哲学とアヴェロイエスの因果律の実在性
井筒によればイスラムの原子論は、普遍的「本質」の実在性を認めるかどうかでこれは井筒は言ってないが
「である」内在規定の三人称だけで行くか「がある」現実存在をそれに還元できない存在論的差異を認めるかどうかに帰着する
因果律の実在を認めると神の絶対性が疎外される
因果の中では因果が絶対で神の介入は許さず神は絶対ではない
イスラムの原子論者はこう考えた
井筒「全存在界は互いに鋭い断絶によって分離された無数の個体の一大集積として表象される」
個体、無数のばらばらな個体や経験に、その個々を越えて繋がる関係が本質があるのか
本質があるのか
哲学の根本問題
719考える名無しさん2019/10/05(土) 19:24:39.970
ルシュドは、ガザーリに対抗した
ガザーリの因果律否定は本質批判であり理性的動物の人間の非人間化に他ならないと井筒はルシュドの見解をまとめる
アリストテレスは世界には始まりはない
・ガザーリには神による創造を否定し許しがたい
・ルシュドは無からの創造は認めない
創造は潜性態にある有が現勢態にある有になること
可能性が現実になることでしかない
本質が存在する
本質論者にすれば現実は本質が現実化したものでしかない
720考える名無しさん2019/10/05(土) 20:25:25.000
人間の諸行為は、アラーに対して為されるものである。
アラー・アクバル!アラーは偉大なり。
721考える名無しさん2019/10/05(土) 20:35:54.410
馬鹿しかいないスレになっちゃったな
722考える名無しさん2019/10/05(土) 22:06:35.110
我らの上に平安あれ。神のご加護を!
アッラー・アクバル!神は偉大なり。
723考える名無しさん2019/10/05(土) 23:57:55.560
では、絶対的一神教でない仏教、就中、不立文字の禅ではどうなるのか
道元の正法眼蔵を解説して言う
物を認識するとは何か
今、意識に山水が映る
しかし、それは山水なのか
網膜に映る光の像は山なのか、山として同一性を持つのか
ガザーリの言うとおり物には因果はない
ばらばらで、本質がないなら山が山であり水が水である根拠はどこにもない
今、眼前にする山水は経験的世界で見る山水とは同じであって同じでない。眼前の山水は一定の存在的位置を占めて全体を露見する働きを示す
眼前の山水は山と川に分節されていながら山であること川であることから超出して「本質」に束縛されずに自由自在に働いている
仏教には、事物の背後の神はいない
では山が山であることはどこから来るか
それは意識が、仮構するものだ
意識が、仮構しなければ分節は存在しない
「一」性に返る
724考える名無しさん2019/10/06(日) 07:45:26.460>>725
で、難しく考えることない
存在は事象内容で、説明できる述語ではない
人間が何であるか
動物である
言葉を話せる
理性的動物である
こういった事象内容で存在者は説明できるが、存在、可能性が現実になること、「存在」することは説明できない
存在者と存在することは違う
ハイデガー=カントの存在論的差異
そして、それは三人称の客観だけで存在者だけで現実を説明しつくせるという立場と、いや、そうじゃないという論争に行き着く
ガザーリとルシュドの論争もそうだし、仏教や普遍論争もクオリアに関する論争もそれに行き着く
725考える名無しさん2019/10/06(日) 14:13:15.790
>>724
あなたの論理だと井筒俊彦と心の哲学が何かつながりそうだが不勉強でそこらが良く分からない。
もう少しそこらを論じてくれませんか?
726考える名無しさん2019/10/06(日) 18:33:14.190
猫は猫であって、その物ずばりで理解できる
そういう素朴実在論は哲学的には論外で相手にする必要はない
ある瞬間の網膜に映る光の映像としての「猫」が、次の瞬間の「猫」と同一である根拠はないから
太陽かもしれない、水たまりかも、車かもしれない
猫でなければならない本質とは何かで答えに窮する
三人称客観実在論でアリストテレス式に万人にとって、共通の理解の得られる本質はあるんだと天下り式に絶対万人に妥当する本質は実在すると説くか
そういう物を拒否して一人称のその人その人にしか真理はないとするか
一人称真理は万人には妥当しないは良さそうだが、真理は本質は存在しないで(少なくとも私と他者に共通な真理は存在しない)ニヒリズム、相対主義は避けられない
三人称客観の全体主義か一人称本質否定のアナーキズムニヒリズムになるか
この二つに帰着する
727考える名無しさん2019/10/06(日) 18:37:32.660
井筒俊彦自体は三人称も一人称も拒否して言語分節以前の立場を守ろうとした
その立場では本質が個人的なものか三人称客観的なものかの争いは生じない
728考える名無しさん2019/10/06(日) 20:38:47.480
ある時点の猫、それも意識に上った映像
テセウスの舟じゃないが毛が抜けて別な物質組成になった物の何が同一で何が同一じゃないか
素朴実在論や経験論ではどれが本質として同じ物にくくれるか、他ではないのか、
猫→猫
猫→水たまり
どちらも原子の構成が違う点は変わらない
どれを優先するか根拠はどこにあるか
可能性→現実性
質料因→形相因
作用因→目的因
物を越えた本質を前提にすれば悩まないが逆に言うとそういう誰にとっても妥当する三人称客観が個人や経験を越えて存在しない限り成立しない
アリストテレスやルシュドは三人称万人に妥当する客観性があって目的論に従う
と本質を前提に客観的真理を押し付ける
それを拒否すれば、ばらばらな原子的個人の相対性、ニヒリズムに陥る
ガザーリの原子論とかクオリアにはその問題がつきまとう
729考える名無しさん2019/10/06(日) 21:00:24.070>>731
ガザーリはニヒリストではなく、すべてを神に委ねよの神秘主義者だが、実存主義でも神を前提にするキェルケゴールや無神論の実存主義があるようなもの
クオリアが大騒ぎになるのも、三人称客観の本質を押し付けるのか、一人称主観のバラバラニヒリズムかと互いに譲れないから
事物の底に本質を認めるか主観=意識の相対性に留まるか
だから井筒俊彦の著作は意識と本質
730考える名無しさん2019/10/08(火) 04:53:07.180
イランの女子陸上の放送
tps://video.twimg.com/ext_tw_video/1179118252108271623/pu/vid/956x714/wliRorr3y0d7sfu0.mp4
731考える名無しさん2019/10/21(月) 22:58:50.480
>>729
チャーマーズみたいな井筒俊彦論だな。
732考える名無しさん2019/11/02(土) 13:21:28.910
意識と本質は難解すぎて挫折したけど、神秘哲学は結構読みやすいな
733考える名無しさん2019/11/08(金) 22:05:14.410>>736
BS1スペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」
2019年11月8日(金) 午後11時00分(50分)
2019年11月11日(月) 午後7時00分(50分)
734考える名無しさん2019/11/16(土) 15:06:35.750
BS1スペシャルを観て井筒俊彦先生に感銘を受けました。
初心者が井筒俊彦先生の思想を学ぶには、どの書籍からがいいでしょうか?
上に『神秘哲学』『意識と本質』『コーランを読む』などの書名があがっていますが、迷っています。
735考える名無しさん2019/11/17(日) 02:10:36.580
井筒の著書はどれも専門性が高いので、
>>4、>>410のような解説本やオムニバスから入ると、読みやすくて自分に合ったものが見つけやすいと思う。
その他、イスラム初心者の人には『イスラーム文化―その根底にあるもの』。
736考える名無しさん2019/11/17(日) 07:55:47.680
>>733
NHKオンデマンド/BS1スペシャル
「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2019102918SC000/?capid=nte001
言語学者、哲学者、思想家として世界に名を響かせた井筒俊彦(1914~1993)。
子供のころ父から禅を学び、その後イスラム哲学に傾倒したが、西洋とイスラム世界の衝突を目の当たりにし、その解決の糸口として東洋哲学を確立した。
「多様性」や「他者との共生」を訴える井筒の思想は、不寛容と憎悪が増す今、再び注目を集めている。イラン出身の女優サヘル・ローズが、井筒ゆかりの土地や人を訪ね、独自の世界観を体感する。
737考える名無しさん2019/11/17(日) 07:57:09.650
(1)マンデルブロ集合
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AD%E9%9B%86%E5%90%88&;ei=UTF-8&fr=mozff
(2)ペルシャ絨毯
https://cdnw.elicdn.com/Blog/wp-content/uploads/2018/01/1-3.jpg
https://image.rakuten.co.jp/jahan/cabinet/05669065/imgrc0071618757.jpg
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https://www.clairen.jp/wp-content/uploads/2019/01/131128_perucia-tabriz-e1547182722156.jpg
https://www.speed-kaitori.jp/wp-content/uploads/persian3.png
https://image.rakuten.co.jp/marukura/cabinet/items_int_carpet_mat/persian/062093_016_01.jpg
https://www.clairen.jp/wp-content/uploads/2019/01/An_Iranian_Persian_carpet_exhibition-e1547520203278.jpg
738考える名無しさん2019/11/17(日) 07:58:32.550
“アッラーは天と地の光り。
この光りをものの譬えで説こうなら、まず御堂の壁龕(へきがん)に置いた燈明(とうみょう)か。
燈明は玻璃(はり)に包まれ、玻璃はきらめく星とまごうばかり。
その火を点すはいとも目出度い橄欖樹(かんらんじゅ)で、
これは東国の産でもなく、西国の産でもなく(つまり、この世のものならぬ聖樹ということ)、
その油は火に触れずとも自らにして燃え出さんばかり。
(火をつければ)光りの上に光りを加えて照りまさる。
アッラーは御心のままに人々をその光りのところまで導き給う。”
― コーラン 「24 光り」 35
壁龕=西洋建築で、彫像などを置くため壁面に設けられたくぼみ
燈明=神仏に供える灯火
玻璃=ガラス
橄欖樹=オリーブ
739考える名無しさん2019/11/17(日) 14:01:46.290>>740
井筒訳コーランを読み始めました
740考える名無しさん2019/11/17(日) 16:50:58.880
>>739
井筒信者のオレだけど井筒のコーランはオレは読みにくいと思う。
いろんな訳があるけどコーランは中公の世界の名著版が初心者には理解しやすいと思う。
確認してないが中公クラシックスで出てるんじゃないかな?
741考える名無しさん2019/11/18(月) 16:20:23.040>>742
ムスリムのあいだで翻訳されたものはコーランとは認められない!
742考える名無しさん2019/11/18(月) 17:01:11.800
>>741
じゃあ、誰が翻訳したらいいの?
743考える名無しさん2019/11/23(土) 06:30:18.450
習近平「ウイグル人に情け容赦は無用」、中国政府の内部リークで新事実明らかに 米報道
イスラム教徒のウイグル人にとっては、この世は地獄だろう。
毎日のように、家族が殺され、妻や娘はレイプされる。
将来、日本が中国に侵略されたら、同じような弾圧を受ける。
https://www.afpbb.com/articles/-/3255199
744考える名無しさん2019/12/18(水) 14:29:04.650
「スーフィズムと老荘思想」読んでる。
待望した井筒俊彦の英文主著だ。
第一部のイブン・アラビー読んでるが難解だ。
745考える名無しさん2019/12/21(土) 02:45:53.890
井筒の「英文著作翻訳コレクション>>3」も一通り読むと、
井筒哲学の理解がガラッと変わってくる。
日本語では開陳してこなかった決定的な考察が多い。
特に重要なのは『スーフィズムと老荘思想』。
『意識と本質』から入って『スーフィズムと老荘思想』へと抜け出るように読む。
>>645に関する話もこの本。
746考える名無しさん2019/12/21(土) 10:20:58.000
>>745若松英輔が井筒俊彦が山崎弁栄と出会ってたら井筒はイスラムに行かなかったろうと評価した山崎弁栄は「超在一神的汎在神教」を唱えたが井筒の内在する神と共通するものがあるのだろうか?
747考える名無しさん2019/12/21(土) 10:26:41.810
全てうまくいく。なぜなら、それが神(アッラー)の御心であるからだ。インシャッラー(神の御心のままに)。
748考える名無しさん2019/12/21(土) 15:24:41.660
これまで通りこれからも全てうまくいく。インシャッラー(神の御心のままに)
749考える名無しさん2019/12/21(土) 15:44:08.610
中国共産党によるウイグル族(イスラム教徒)への宗教弾圧や大量殺戮も、アッラーの御心なのかな?
750考える名無しさん2019/12/22(日) 21:43:11.610
「インシャッラー(神の御心のままに)」に近いのはメイヤスーの「偶然性」の哲学
751考える名無しさん2019/12/22(日) 21:44:30.710
その心は原子論的非理由律
752考える名無しさん2019/12/29(日) 12:21:43.810
過去に全き帰依者(ムスリム)であったとしても、今現在全き帰依者でないのならば、全き帰依者とは言えない。
未来に全き帰依者になるとしても、今現在全き帰依者でないのならば、全き帰依者とは言えない。
753考える名無しさん2019/12/30(月) 15:59:08.900
禅の不立文字
ヘーゲルは今ここは絶対的な事実と見えて貧しい物に過ぎないと言った
林の中で今、目の前にある木の知覚、これこそ、この感性的確信こそが真実、真理に見えるがちょっと右を向けば別な木が絶対的なこのものになってしまう
夜中に今は夜だと感覚的確信をどんなに強固に得たとしてもその確信をノートに書き付ける、「今は夜である」と
しかし、時間が立ち昼間みたらそれは間抜けだ
イブン・ルシュドは世界は永遠で始まりも終わりもないし、その個々の物や自然法則は永遠だとして、アリストテレスを支持した
ガザーリは世界は神の創造物であり時間的始まり(天地創造)も終わり(最後の審判)もある
神も立ち入れない絶対的な法則はない
全てはバラバラで原子論的にある
因果法則はヒュームのいう通りにない
神の創造によって神が意味付けたもの以外には
それ以外には真理も絶対的な法則もない
これがガザーリも棹さしたイスラムスーフィズム
754考える名無しさん2019/12/30(月) 17:23:21.920
仏教では禅定を重んじる、戒定慧が根本
戒は心や体や生活を乱す物を慎重に排除する、禅寺での厳しい修行とかイメージすればわかる
残りは心を定め知恵、般若で解脱する
大乗佛教では止観と言う、心を定め(止)周りを観察し(観)解脱する、上座部佛教では同じことをサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想と言う
サマタを訳したものが止でありヴィパッサナーを訳したものが観であり、合わせて止観、同じこと
ミャンマーの上座部の偉いお坊さんがいて、上座部の中でも、世界的にも評価されているそのお坊さんが若い頃に修行した
師匠について本格的な座禅を勉強する、その人は頭の良い人でいろいろ仏教の教義を勉強し高いレベルで理解できる人だった、また、小説を書くことが好きだった、本も沢山持っていた
師匠は言った、今まで知ってたことは全て忘れなさい、本は修行場に持ち込むのは許しません、修行場の外に置いておき、期間中は持ち込んだり読んだりすることのないように、ただ座りなさい
悩みができたら相談に乗ります、何でも話なさい、修行法や心の不安などや人生の悩みでも何でも、本を読んだり研究するのは修行が終わった後にいくらでもできます、この修行場で修行している間は全て忘れなさい、ただ座りなさい
座り始めると様々な雑念が頭に入ってくる、頭からわいてくる、次々と想念が渦巻く、小説を構想する
人間は心を落ち着かせる定めるとかなかなかできない
いろいろな雑念から逃れられないが心はだんだん、そういうものに惑わされること自体が馬鹿らしくなる
修行を続ける、座り続けると徐々に落ち着いていく
呼吸を観ている、吸ってる息、吐いている息、それは誰が行っているのか
最初は私や何らかの体がやっているかに見える
また、この息自体が同じものだと、しかし、どの吸う息、吐く息も同じではない、違うが続いている
私もいない
全宇宙が繋がっていて、それが呼吸させていて、そこには意志や主観は必要ない
世界は繋がって分節されず分節する必要がなくただそこにある、これが気付き(念)である
サティと言われ、大乗では念と言われるが、世界の相互関連、相互作用に気づくことだね
固定した客観的な物は存在しない
それを認識する分節化する主体も主観も存在しない
755考える名無しさん2019/12/30(月) 17:43:32.540
気づきはマインドフルネスと訳され大騒ぎになっているものだ
釈迦はあまり気付きの気もちよさに神秘主義に取り込まれるな、三昧に囚われるな、縁起の法を分析せよと言ったがまずは、世界の未分化な相互作用相互移入連続性に気づかないと
ヴィパッサナーだけでいいか、サマタが必要か論争はあったりするが
「どうでもよい」
また、細かくマニュアル化されている上座部か、大乗かとか論争あるが
「どうでもよい」
中身はどうでもよく、捨てないといけない、マニュアルが邪魔になる
ヘーゲルの弁証法も気づいた後の関係主義的縁起の法だ
仏教、実在論否定、無我論
ヘーゲル、唯物論否定、カント式主観主義哲学否定
両者とも三人称否定、一人称否定、関係主義的な共同主観論
唯物論ではなく視点から見た認識が全てだが個人的な囚われた我を否定する
細かい主観や物はいらない、囚われるな、間違っている、分節できない現実が根底にあり、主観主義や客観主義、一人称や三人称は間違いだ
井筒の「スーフィズムと老荘思想」はじめ言っていること
ルシュド=アリストテレスの三人称客観実在論の否定
一人称主観主義、バラバラの原子論のアナーキズム、ニヒリズム否定
禅の不立文字
老荘の万物斉同
仏教の念、サティ
イスラム、スーフィズムは同じ地点だ
以上、井筒思想の概観にして全てな
756考える名無しさん2019/12/31(火) 00:39:54.410
筑紫 「中沢さんはチベットへ行っちゃったり、ものすごいオールド・デイズにはまり込んでいるでしょう。(略)」
中沢 「ぼく、ああいうの全然オールド・デイズだって感じないの。(略)
どんなにジル・ドゥルーズが現代的哲学者の中でとびぬけているといったって、
イスラム教のスーフィの書いたテキストであるとか、タントラ密教のテキストとかのグローバルさとくらべてみると、
やっぱり劣るなという感じがするのね。(略)」
― 『若者たちの神々:筑紫哲也対論集3』 (1987)
757考える名無しさん2019/12/31(火) 00:40:34.130
「器官なき身体」のようなものは、チベット仏教にもある。
http://samten.seesaa.net/article/434150824.html
チベット仏教の「幻身」あるいは「虹の身体」
『智慧金剛集』という書物には
「幻身は、風と心のみから出来ていて、どこにでもあまねく存在し、
肉と骨を離れ、刹那に動き、陽炎のような、蜃気楼のような、
一つなのに多くの現れをもち、空の状態から忽然と出現し、
虹のごとく物質的存在に汚されず混じり合わないで現れる」とある。
758考える名無しさん2019/12/31(火) 04:20:57.950
イスラム教も瞑想修行をして解脱をする教えなのですか?
759考える名無しさん2019/12/31(火) 07:06:59.890
法華経無内容論というのがある
法華経はこのお経は凄いとコマーシャルは凄いが、何がどう凄いか中身はないと言うのだ、教理が無いと言うのだ
宣伝文、効能書きでどんや効能があるか、それはずらずら書いてあるが肝心の薬が入っていない
ミャンマーの高僧の修行時代と同じ、只管打坐、ただ座れを全ての合言葉にした日本の僧侶に道元がいる
道元は若い頃に宋に渡った
その時の有名な話が二つある
・留学先の年取った坊さんが暑い日に必死に食材の準備の為に汗をだらだら流しながら働いている
そんな仕事はもうあなたほどの人はやらないでいいではないですか、教理問答や勉強してた方がいいではないですか
これが修行だ
せめて今日みたいな日は若い僧侶に任して休んでたらいいではないですか
彼は私ではない
・日本が還る前後に別の老僧が見送りに来てくれた、今日はこのまま、泊まっていったらいいのではないですか、かわりの人はいるでしよう
いや、それは私の仕事であり私の修行だ
それを私以外がやっても意味はない
その道元が最後にひたすら帰依し唱え辞世に残したのは法華経
760考える名無しさん2019/12/31(火) 07:32:52.540
道元が宋に渡った時に師匠に質問して、その問答を書き起こした 道元宝慶記
問答の一つに人は仏性があって救われるはずたが、なら修行したり戒を守る必要はないのではないということになるがそれはおかしいのではないか
プラトンの知者のパラドックスを彷彿させる
知らない人間は知るべきことや知る方法がわからないなら知ることが、できない
知っている人間は既に知っているからわざわざ苦労して知る必要はない
禅の有名な公案に犬には仏性があるか問われて無!と答えたというものがある
犬にしろ、人間にしろ、仏性があるからと安易に思って修行しなければ救われない
しかし、安易にそう答えたら
・儒教や道教は間違っていますが正しいこともあります、仏教はそれを取り込むべきでしょうか、取り込まないべきでしょうか
・普通の仏教と禅宗、どちらが正しいのか、どっちも正しいのなら何故禅宗の修行するのかいらないのではないな
普通の仏教が正しくないなら排斥しないといけないのではないか
・臨済禅はじめ師匠が弟子を殴り恫喝するがそれは正しいのか正しくないのか
宝慶記に書かれている問答の一部だが果てしない問題に巻き込まれる
761考える名無しさん2019/12/31(火) 07:45:24.960
法華経には確かに中身はない
般若経典や、華厳経みたいな空に関する教理や、諸法実相に関する説明がない
哲学がない、哲学を放棄している
仏の妙なる境地は説明ができないと説明している、説明を放棄している
これが法華経
だからいい
気づける
言葉や煩瑣な教理はいらない
邪魔になる
仏の境地は言葉では説明できないということを説明できている
体感できる
だからこそ道元は法華経に深く帰依した
気づいてしまえば何でもないが気づかなければどうしようもないし、それに気づかせることもできない
道元のパラドックスも知者のパラドックスもこういう説明できないという説明しかない
井筒俊彦の言語分節化以前の境地もそういうことだ
祖師達磨は、何故中国にインドから来たのか
答えられるかバカヤロー
それが禅の答えであり、説明できないものは説明する必要はないというのが正しい説明だ
762考える名無しさん2020/01/01(水) 21:26:09.690
言語分節化が三人称、一人称の分割を促し、客観主義と主観主義を生み、それぞれの要素還元主義を作り出す
物から直線的に単純に答えが出る物理主義
閉じた主観から一元的に答えが出る観念論
しかし、一つの実験からも様々の理論解釈が成立し、閉じた主観の独我論は他者の理解で困難が生ずる
ヘーゲルや仏教は唯物論及び私の実在論を否定する
井筒の出発点も仏教や老荘、イスラム神秘主義には、実在論を否定し言語分節化を越える
終着点もそこ
763考える名無しさん2020/01/01(水) 22:07:57.370
日常的には我々は物が固定的に実在したり、私が強固に実在すると考える
しかし、仏教にしろ神秘主義にしろ、修行すればはじめはそれらに拘束された日常の意識だが、
それを抜け出せる、それらがどうでも良くなる瞬間、物の分節が、私の存在が消える、
主客の分裂が消える神秘体験があるし、それなしにはそれらの思想は意味をなさない
井筒思想はそれに還元される
764考える名無しさん2020/01/02(木) 11:20:40.650>>765
イスラム教も仏教みたいな瞑想や座禅を行うの?
765考える名無しさん2020/01/02(木) 16:08:32.470>>766>>776
>>758、>>764
解脱ではないが、よく比較されるのが>>463、>>338の「アナ・ル・ハック」。
身体的な瞑想として有名なのは、メヴレヴィー教団の旋回舞踊。
https://www.youtube.com/watch?v=v5XlOHCFjEY&;feature=youtu.be&t=1080
宇宙の運行を表す回転によって、神との一体化(神の中への消滅)を図るという。
その他にはズィクルという唱念や観想もあって、
ダルヴィーシュとはスーフィーの修道僧のこと。
766考える名無しさん2020/01/02(木) 16:09:19.670>>776
>>765
このメヴレヴィー教団を開基したのが、ジャラール・ウッディーン・ルーミー。
イブン・アラビーと並ぶイスラム神秘主義(スーフィズム)の重要人物。
『ルーミー語録』は井筒が手掛けているが、
ペルシア語のコーランとも呼ばれる『精神的マスナヴィー』は断片的にしか翻訳されていない。
767考える名無しさん2020/01/02(木) 16:09:49.260
> ルーミーとはローマの人のことで、後年に住んだアナトリアが以前東ローマ帝国(アラビア語ではルーム)の領土だったことによる
768考える名無しさん2020/01/02(木) 16:11:17.320
レファレンス協同データベース
ジャラール・ウッディーン・ルーミー(13世紀の詩人)の詩集が見たい。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&;id=1000076694
769考える名無しさん2020/01/02(木) 16:13:24.450
ルーミーは、こういう「1/fゆらぎ」CDまで買って聴いた。
朗読CD【ただひとつの息吹】より「沈黙の満月」
https://www.youtube.com/watch?v=N7_T1geb8v0
770考える名無しさん2020/01/02(木) 16:14:12.000
>>769の説明にある映画『アースピルグリム』の監督・主演がエハン・デラヴィ>>327なのか。
狭い世界だ。
771考える名無しさん2020/01/02(木) 16:14:45.170
隣人みなスーフィー
772考える名無しさん2020/01/02(木) 16:17:14.890
『精神的マスナヴィー』の英訳はR・A・ニコルソン>>463。
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 1, 3, 5, Persian Text (set)
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 2, 4, 6, English Translation (set)
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 7 and 8, Commentary 2 vol set
Jalalu'ddin Rumi (Author); Reynold A. Nicholson (Author)
Published by : Gibb Memorial Trust
773考える名無しさん2020/01/02(木) 16:18:07.130
The Mathnawi Of Jalaluddin Rumi
by Reynold A. Nicholson
https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.151299
774考える名無しさん2020/01/02(木) 16:20:04.870
英語で読むか
775考える名無しさん2020/01/02(木) 21:37:05.240
コーランはアラビア語しか認められてないぞ、ハゲ
776考える名無しさん2020/01/02(木) 22:33:38.560>>778
>>765
>>766
ありがとうございます。
イスラム教にも似たようなものがあるということは、イスラム教のゴールも仏教のゴール(涅槃して転生しないこと)と同じなのでしょうか?
777考える名無しさん2020/01/02(木) 22:35:16.820>>779
キリスト教は、仏教の梵天などの最高位の神を父なる神と同じような気がしてます。
778考える名無しさん2020/01/04(土) 02:52:01.970>>785
>>776
> 神を信じる。預言者を信じる。来世を信じる。イスラムの教えは、基本的にこの三つです。
>
> 神とはアラー。預言者とはムハンマドという神のメッセージを伝えた人。
> そして来世は、イスラム信仰の根幹をなすものです。
> イスラム教には仏教的な信仰と違い、輪廻はありません。
> 一回限りの生を生き、死ぬと最後の審判の日に復活して生き返り、
> 来世である天国か地獄に行くのです。来世は永遠に続きます。
779考える名無しさん2020/01/04(土) 02:55:07.230
>>777
セム系一神教の神は外在的。
インドを中心とした東洋の神(スピノザの汎神論も)は内在的。
780考える名無しさん2020/01/04(土) 02:57:11.740
整理するとこうなる。
[西洋] 一神教世界(非対称性、外在的超越、西洋的二元論)
[東洋] アニミズム、仏教世界(対称性、内在的超越、東洋的一元論 )
対称性/非対称性というのは中沢の対称性人類学。
その他は、以下の井上の論文を読んでもらうといい。
このスレではよく西洋と東洋を行き来するから。
781考える名無しさん2020/01/04(土) 02:58:04.610
『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題
―如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思惟との収斂点―』
井上克人 (2009)
I 明治期アカデミー哲学の形成―「現象即実在論」
井上哲次郎や井上円了らに代表される明治期アカデミー哲学の特質が「現象即実在論」
にあることは夙に知られている。現象の奥に真の「実在」、すなわち形而上学的絶対者を認
め、しかも「実在」は現象の背後にあるのではなく、その只中に内在するという考えであ
る。これは大乗仏教思想の根幹をなす「本体的一元論」、すなわち外に超越者を想定しない
思考様式である。じつは、この発想の淵源は、『大乗起信論』のいわゆる「万法是真如真如
是万法」という定式にある。東京大学で初めて開設され、原坦山が担当した「仏書講義」
のテキストに選ばれたのが、この『起信論』であった。彼らはその本体的一元論に啓発さ
れ、西洋に対抗して日本独自の「哲学」を提唱しようと企図したのである。
ところで西洋における思考様式は、神と人間、近世以降では認識主観と客観的世界とい
った二項対立的な二元論をその特質としてもつ。それに対し、本体的一元論に立つ『起信
論』は、自体清浄なる「心真如」が自らの清浄心を失うことなく心生滅へと転成していく
「真如随縁」の発想をもつ。妄念にまみれた現象的世界は、一方では「真如」の本然性か
らの逸脱でありながら、同時にそれは「真如」そのものの自己展開に他ならず、真如と妄
念とは「非一非異」の関係にあって、「現象」がそのまま「真実在」なのである。
782考える名無しさん2020/01/04(土) 02:58:22.800
敷衍して言えば、「真如」は、それ自身我々の思惟や言説を絶する〈空・無〉、すなわち
絶対的覆蔵態に他ならないのだが、同時にそれは個々の存在者をあるがままに顕現せしめ
る〈開け〉であって、現象せる個々の存在者の形而上的本体として、それらの根底に伏在
し、あらゆるものを自らの内に摂収しつつ、同時にそれらを本然的にあるがままに開放す
るのである。換言すれば、現象せる個々の存在者は、どこまでも自らを顕現せしめた真如
のうちに在り、逆に、個々のものの存在原因たる真如は、どこまでもそれらの本体として
超越的に自己自身のうちに蔵身しつつ、同時に自ら顕現せしめたすべてのものの中に内在
するのである。これこそ東洋的思惟に共通して見られる〈本体的一元論〉である。つまり
言詮を絶する覆蔵的・超越的に一なる原理がその超越性をどこまでも維持しながら、自己
内発的に自己展開し、万物の中に自らを内在化させていく論理、一なる本体とそれが起動
展開する派生態、つまり「体と用」(本体とその作用)の論理であり、「内在と超越」の論
理であった。したがって、超越といっても、「外」に超越したものではなく、「内在的超越」
という構造をもち、これこそ西洋的二元論の思考様式とは異なる「東洋的一元論」なので
あって、いわゆる京都学派の哲学も、この系譜を引くものなのである。
783考える名無しさん2020/01/04(土) 02:58:41.420
II ハイデガーにおける「神学の由来」と西田哲学に伏在する如来蔵思想
さて、以上のような形而上学的一元論の発想は、新プラトン主義の流出論ときわめて類
似した考えであって、それはヘレニズム化したキリスト教、すなわち東方正教会の淵源と
なったものである。それにひきかえ、ラテン的西方教会は、むしろユダヤ・ヘブライ的二
元論の伝統に立脚し、神はどこまでも「隠れたる神」であって、契約で結ばれた神と人間
との間には深い断絶がある。他方、東方正教会の基本的特質は神の顕現(現前性)の強調
と「人間の神化(テオーシス)」にあり、神と人間とは一つに結びついていて、
これは「一切衆生、悉有仏性」を標榜する大乗仏教と通底している。
ところでハイデガーは、自らの「神学的由来」である「新約的」キリスト教の立場から、
同じ西方でありながら新プラトン主義化したアウグスティヌスのキリスト教を論難し、延
いては西洋の形而上学全体にわたってそれを「存在忘却」に基づく「存在-神-論」とみ
なし、その超克を企図したが、彼のいう「存在-神-論的体制」は、東方正教会にこそそ
の最たるものがあるのであって、ハイデガー自身、存在を問うという極めてギリシア・ヘ
レニズム的な思考を展開させながら、存在そのものがもつ覆蔵性に基づき形而上学を超克
しようとする彼の思索の淵源には、ザラデルが指摘しているように、彼自身それに気付く
ことのなかったユダヤ・ヘブライ的発想が根深くあったように思われる。それは現前性の
底に顕現せざる超越的他者を想定するという、非ギリシア的発想なのである。
一方、『起信論』が説く本覚思想を「現象即実在論」として哲学的に開陳したアカデミー
哲学の本体的一元論の「形而上学」の系譜を引きながら、それを乗り越えるかたちで、同
じくその如来蔵思想に見る「真如」のいわば覆蔵性がもつ〈超越的他者性〉を「逆対応」
という発想によって論理化しようとした点に西田哲学の優れた特質がある。
西田とハイデガーとは、ともに「顕現せざるもの」への着眼によって形而上学を超克する
ところに共通点があるといえよう。
http://heideggerforum.main.jp/data08/inoue_r.pdf
784考える名無しさん2020/01/04(土) 03:01:19.630
>>765のズィクルを中心にみると、
正教のヘシュカズム>>355とイスラムと真言密教>>360が比較できる。
785考える名無しさん2020/01/04(土) 03:56:42.550
>>778
イスラムでもドゥルーズ派やアラウィ派には輪廻がある。
786学術2020/01/04(土) 18:33:11.560
客観は世界の方で、主観は先祖の方だ。過去に汚染される危険思考。
787学術2020/01/04(土) 18:36:26.370
両方とも過去で人間を汚す。
788学術2020/01/04(土) 18:36:57.940
主観が未来 客観が過去に属さないといけない。
789考える名無しさん2020/01/07(火) 23:26:15.340
“ホメイニーが当時のソビエト連邦の書記長ゴルバチョフに、イスラーム世界を理解するためには、
イブン・アラビーやイブン・スィーナーの思想を理解することが重要だという旨の書簡を送ったという一事に端的に現れている。
ホメイニーの中では、その革命とイブン・アラビーの思想は通底するものがあったのである。
彼らにおいては、イブン・アラビーの思想と、社会変革実践活動は深く結びついていたと考えなければならない。”
― 『イブン・アラビー学派文献目録』 「序論」 東長靖、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科附属イスラーム地域研究センター (2010)
790考える名無しさん2020/01/08(水) 01:27:26.090>>791
映画『シャルギー(東洋人)』が観れなかった人には、この本がある程度代わりになる。
著者は、映画の中で井筒の紹介の中心的役割を担っていたイラン人研究者。
“以前、私はテヘラン国際ブックフェアに行き、テヘラン大学出版社の展示室にあった諸々の本を見ていた。
いきなり、ハーメネイー師がブックフェアにいらっしゃり、視察していることに気付いた。
ハーメネイー師がテヘラン大学出版社の展示室に至った時、
井筒が書き、テヘラン大学出版社によって出版された『ザブザワーリーのヒクマ(叡智)の基礎』を彼は見た。
そして、彼は私に、なぜ井筒氏はイランに戻らないのかと尋ねた。(メヘディー・モハッゲグとの対談より)” 8章
“井筒とナスルは日本と東アジア研究所の設立のために、2,000冊から3,000冊の本を日本から購入し、哲学アカデミーの図書館へと納入させた。” 11章
― 『井筒俊彦の比較哲学:神的なものと社会的なものの争い』 バフマン・ザキプール、知泉書館 (2019)
791考える名無しさん2020/01/08(水) 01:27:59.780
>>790
ハーメネイー師はホメイニー師の後を継いだ現イランの最高指導者。
このナスルという人物は、マギル大学で一緒だった井筒をイラン王立哲学アカデミーへ誘った。
更に、哲学アカデミーでは井筒に東洋思想をやることを勧め、その結果の一つが『老子道徳経』の英訳。
792考える名無しさん2020/01/08(水) 01:28:40.680
S.H.ナスル 『イスラームの哲学者たち』 黒田寿郎、柏木英彦 訳、岩波書店 (1975)
これも良書。
793考える名無しさん2020/01/08(水) 01:29:42.890>>794
“井筒の東洋哲学は哲学の中心を欧州からアジアへ移すのに貢献するでしょう” ロバート・ウィスノスキー (カナダ イスラム学者)
“我々イラン人は日本人以上に井筒を高く評価しています” バフマン・ザキプール (イラン 哲学者)
“井筒の東洋哲学は、根底でいろんな宗教のおおもとのところで鳴り響いている和音みたいなものを取り出そうとした。
その響きには、構造、論理、論理を超えた何かがある。
世界中に分かれてお互いに対立し合う宗教も、おおもとまでたどっていくとあらゆる宗教が行き来できる。
イスラム教も仏教もいろんな宗教が自由に行き来できる領域を探ろうとした。” 中沢新一
― BS1スペシャル 「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」 20191108
794考える名無しさん2020/01/08(水) 01:31:01.870
>>793
『シャルギー(東洋人)』の中では、井筒がムスリムでないことにも言及されていた。
その一歩引いた視点からの考察が、イスラム世界でも高い評価を得ているとのこと。
そのことを踏まえた上で、このザキプールの評はパンチがある。
井筒が何をやったのかという説明としては、この中沢の評が一番的確。
795考える名無しさん2020/01/08(水) 03:23:26.210
『シャルギー(東洋人)』はイラン制作の2時間10分の映画だから、半分ぐらい寝るだろうと思っていたが、とんでもない。
100名以上の知識人によって、井筒の生涯と思想のディテール、イラン人から見た大東亜共栄圏の検証、昨今の国際政治の状況までもが、
神学と言語意味論(セマンティクス)と分析哲学を織り交ぜて語られる。
井筒のテクストと同じぐらい高度で緻密な内容を、毎秒字幕で読まされるわけだから、
メモを取る暇もないどころか、まばたきもしないようにして観なければならなかった。
796考える名無しさん2020/01/08(水) 03:26:34.410
井筒自身は政治を語らない人だったが、出演していた日本人研究者の一人は、
「井筒が政治について言及していてくれていたら、後の人はもっと楽になった」ということを言っていた。
それはそうだろう。哲学の世界で、前人未到の領域へ到達した人だから。
797考える名無しさん2020/01/08(水) 05:49:48.260>>798
>前人未到の領域へ到達した人
理解できる前人未到=超人
理解できない前人未到=キチガイ
だが超人は、キチガイを自分より遥か上の存在と見ている、おまえらが無能なだけ。
798考える名無しさん2020/01/09(木) 01:37:34.070
>>797
日本語でおk
799考える名無しさん2020/01/09(木) 02:05:53.470
イブン・アラビー(1165-1240)はムウタズィラ派やアシュアリー派といった思弁神学を批判し、神の名で呼ばれる以前の絶対無分節的無と、そこからの神の自己顕現(タッジャーリ)を策定した。
「思弁は諸存在物と結びついている」ため、その関係を断ち切り、思弁の垢から心を浄めるべく、タッジャーリを観照する場として「心」の機能を重視した。
参考:
相樂悠太 「理性と「理性の限界の向こう」:『マッカ開扉』にみるイブン・アラビーによる他説との知的対話」 『宗教研究 第93巻 396』 日本宗教学会(2019.12)
800考える名無しさん2020/01/09(木) 02:07:08.070
カントの理性批判とメイヤスーの切断論を合わせたようなことをやっている
801考える名無しさん2020/01/24(金) 15:34:52.300
幸運の恩恵を受けた者が、幸運の恩恵を受けられなかった者をどうバカにすることができよう。
アラー・アクバル!(神は偉大なり)
802考える名無しさん2020/01/29(水) 02:02:03.030
「老子」各種翻訳
・『老子』 小川環樹、高木智見、中公クラシックス (2005) 原文、書き下し、訳文
・『老子』 福永光司、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『老子』 蜂屋邦夫、岩波文庫 (2008) 原文、書き下し、訳文
・『老子道徳経(英文著作翻訳コレクション1)』 井筒俊彦、慶應義塾大学出版会 (2017) 原文、書き下し、訳文
・『老子 無知無欲のすすめ』 金谷治、講談社学術文庫 (1997) 原文、書き下し、訳文
・『エッセンシャルタオ 老子』 加島祥造、ちくま文庫 (2005) 原文、訳文
・『老子<全> 自在に生きる81章』 王明、地湧社 (2005) 原文、訳文
803考える名無しさん2020/01/29(水) 02:02:19.730
「荘子」各種翻訳
・『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 雑篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 内篇 [中国古典選]』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 外篇 [中国古典選] 上中下』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 雑篇 [中国古典選] 上下』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第1冊 内篇』 金谷治、岩波文庫 (1979) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第2冊 外篇』 金谷治、岩波文庫 (1979) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第3冊 外篇・雑篇』 金谷治、岩波文庫 (1982) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第4冊 雑篇』 金谷治、岩波文庫 (1983) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 全訳注 上下』 池田知久、講談社学術文庫 (2014) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 中国の古典 上下』 藤堂明保、池田知久、学研 (1983) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 全釈漢文大系 上下』 赤塚忠、集英社 (1980) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 1・2』 森三樹三郎、中公クラシックス (2001) 書き下し、訳文
・『荘子(中国の古典)』 野村茂夫、講談社 (1987) 抄訳、原文、書き下し、訳文、全体の1/3
・『荘子[中国の思想]』 岸陽子、徳間文庫 (2008) 抄訳、原文、書き下し、訳文
・『荘子 新訳』 岬龍一郎、PHP研究所 (2013) 抄訳、書き下し、訳文
・『荘子 ヒア・ナウ』 加島祥造、パルコエンタテインメント事業局 (2006) 抄訳、訳文
804考える名無しさん2020/01/29(水) 02:03:34.800
老荘的な語法は、絶対無、分節化/無分節化論、存在の解体構築論など、
井筒哲学の骨格ともいうべき大きなウェイトを占めているので、早めにやっておくのがいい。
805考える名無しさん2020/01/29(水) 02:04:10.950
ハイデガーやデリダの存在解体/再構築にあたる作業を、
荘子は分節化/無分節化(限定/無限定)という形でやっている。
“物を物としてあらしめる道は、物に対して限定を設けないが、物相互の間には限定があり、それを物の区別という。無限定な世界から有限の世界があらわれ、有限の世界がまた無限定の世界へと移ってゆく。”
“物物者。與物無際。而者有際者。所謂物際者也。不際之際。際之不際者也。(知北遊篇第二十二 6)”
― 『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
806考える名無しさん2020/01/29(水) 02:04:30.490>>814
次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。
ラカンはこれと同じ役割を「クッションの綴じ目 (ポワン・ド・キャピトン)」に例えた。(ラカン『無意識の形成物[上]』)
“そもそも道にはもともと境界などなく、ことばにはもともと固定した意味などない。そこから〔道がことばによって表象されるようになると〕区別が現れるようになった。”
“夫道未始有封。言未始有常。爲是而有畛也。(斉物論篇第二 5)”
― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
807考える名無しさん2020/01/29(水) 02:05:17.700
「無無無」が定立される箇所。
“有ということがあるし、無ということがある。またもともと「無ということ」はないということがある。またもともと「無ということはないということ」はないということがある。”
“有有也者。有無也者。有未始有無也者。有未始有夫未始有無也者。(斉物論篇第二 4)”
― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
荘子は有ることと無いことの根源的前提を考えようとした。
解説は以下を参照。
『荘子 内篇(中国古典選 12)』 福永光司、朝日新聞社 (1978)
808考える名無しさん2020/01/29(水) 02:59:02.080>>816
>>173などは特に老荘的な表現。
玄
・《老子》第1章に〈玄のまた玄,衆妙の門〉とあるように,存在の根源にある幽遠にして神秘的なものをあらわす。
・微妙で奥深いこと。深遠なおもむき。
・玄の字は黒い糸を束ねた形で、かすかで見にくいところから天の色とされ、また北方の色とされた。
・赤または黄を含む黒色。
809考える名無しさん2020/02/07(金) 01:51:09.090
>>173
井筒の「存在-神-論(Onto-Theo-Logie)」は、
老荘+ハイデガーの現象学的存在論+デリダのロゴス中心主義の解体。
810考える名無しさん2020/02/07(金) 06:02:22.430
かす(微/幽)かで分かりにくい違いを見事に捌いて見せるからこそ玄人なのでわ?
811考える名無しさん2020/02/07(金) 06:39:29.850
603 :考える名無しさん:2016/01/24(日) 09:45:22.05 0
>>594
構造主義に関連して日本では、一時、ソスュールの「言語には差異しかない」
という発言を引用することが流行ったが、これはとても誤解を招きやすい表現
であり、記号論を理解する妨げにもなっていると思う。記号論としてより妥当
な表現をするなら、「弁別作用の働かない言葉は、物事を区別するのに役立た
ない」というべきだろう。そして、物事を区別するのに役立たない言葉は、
使われなくなるか、「役に立たないことが有用である」限りで使われるのである。
したがって、言葉は、弁別作用を獲得すること/失うことによって絶えず変化しているのである。その変化しつづける弁別作用を、やはり変化しつづけている自らの言葉を用いながら捉えることが、解釈の営みであり、記号論のプロセスなのである。
812考える名無しさん2020/02/07(金) 08:36:45.740
>>808は幽玄の玄
813考える名無しさん2020/02/07(金) 08:44:05.540
能の翁=神
金春禅竹『明宿集』における翁論(翁wikiより)
> 抑翁ノ妙体 根源ヲ尋ネタテマツレバ 天地開闢ノ初メヨリ出現シマシマシテ [中略] 垂跡ヲ知レバ 歴々分明ニマシマス
>
> (そもそも「翁」という神秘的な存在の根源を探究してみると、宇宙創造のはじまりからすでに出現していたものだということがわかる。 [中略] こういう神としての示現(垂迹)を知れば、ますますいろいろなことがわかってくる。)
814考える名無しさん2020/02/07(金) 08:45:02.830
>>806
>次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。
畛 ピンインzhěn ((文語文[昔の書き言葉])) (田の)畔道.
これを同じ発音の表現と比べて見るとすぐに分かるが、
「畛 ピンインzhěn」が表しているのは、「目が詰まっていること」
だから、境界として高く盛られた土が固められている様子を表して
いるのだろう。
缜(稹)ピンインzhěn
((文語文[昔の書き言葉])) 細かい,緻密である.
鬒(黰)ピンインzhěn
((文語文[昔の書き言葉])) (頭髪が)濃くて黒い.
815考える名無しさん2020/02/07(金) 08:53:24.270
さらに、この発音は、「真実」の「真」にも近い
真 ピンインzhēn
すると、「真実」の「真」は、「中実である」こと、すなわち、
「中身が詰まっている」ことを表していたのだろうと推測できる。
816考える名無しさん2020/02/13(木) 17:13:06.430
>>808
老荘に限らず中国思想だろうな
玄は「黒」「闇」などの意味を持つ
五行思想では「水」行が五方では「北」、五色では「黒」または「玄」となる
北方を守護する神を玄武という
817考える名無しさん2020/02/13(木) 18:05:10.220
「北(きた)」は、日本語では、「きたな(穢/汚)し」の「きた」でもある。
この場合、「~なし」が表現しているのは、程度の甚だしさであり、
「きた」は、英語で表現するなら"darkness"を表している。
818考える名無しさん2020/02/14(金) 00:53:30.790
>>814-817
お子様ランチのハンバーグではなく、つけあわせのコーンとパセリの批評かな?
819考える名無しさん2020/02/14(金) 01:00:50.450
「ぼくが知ってる漢字の話」?
820考える名無しさん2020/02/14(金) 09:08:23.100
>>816は、別の人ですね
私には、「きた(北)」は、表現としてよく分からないけど、
「ぼくが知ってる漢字」から推測してみると、「きた」の
「き」は、中国語の"qi(ピンイン表記)"に対応しているの
ではないかと思う。"qi(ピンイン表記)"は、「チィー」
と発音されて、「き」とは似ていないように思えるけど、
"qi(チィー)"と発音される漢字の多くは、日本語の発音
では、「き」と読まれている。
https://cjjc.weblio.jp/content/qì;
821考える名無しさん2020/02/14(金) 09:15:39.100
「きた」の「た」が、「ひな・た(日向)」や「かな・た(彼方)」の
ように方向としての「た(手)」を表していると想定してみると、
「きた(なし)」のように、「きた」は"darkness"を表現するように
用いられているのだから、"qi(チィー)"と発音される中国語の
表現のなかでも、「漆黒」の「漆 ピンインqī」辺りが有力候補
に挙がりそうな気がするけど、どうだろう。
822考える名無しさん2020/02/14(金) 09:17:49.120
ところで、「けた」と読まれる気多(けた)大社の「気多」は、
「きた(北)」とは無関係なのだろうか。
823考える名無しさん2020/02/14(金) 16:55:33.840
https://cjjc.weblio.jp/content/黑漆漆的
黑漆漆
状態詞
日本語訳真っ暗
対訳の関係部分同義関係
黑漆漆の概念の説明
日本語での説明 真っ暗[マックラ]
まったく暗く,何も見えないこと
824考える名無しさん2020/02/14(金) 21:49:53.120
>>820-822
邪魔だから語源板でやってこい
825考える名無しさん2020/02/18(火) 16:10:56.350
>>820で言っているキの音は「団音」、
>>821で言っている漆の字はシツの音で語頭は「尖音」、tsiツィのような音
中国語で両者の区別がなくなりどちらもqiチになったのは新しく、
ここ数百年の変化だ(尖団の合流と言う)
古代においては別の音として区別されていたので、qiの音で一律に語源を解くのは誤りだ
826考える名無しさん2020/02/18(火) 16:29:03.100
>古代においては別の音として区別されていたので、
>qiの音で一律に語源を解くのは誤りだ
『古代の日本語』が音韻変化に基づいて中国語から派生したと想定
するのなら、そのように「明確な誤りを指摘する」ことができるの
でしょう。ところが、現代の日本語を見れば、日本語は、英語の
表現を大々的に流用している。ところで、英語において、"l"と
"r"の発音、「b」と「v」の発音の区別は、はっきりしているが、
日本語において流用される場合、その区別は消失してしまう。
ここで私は、私が単にふと思いついた連想による推測が正しいと
主張しているわけではない。そうではなく、古代において中国語
で区別されていたという事実は、連想によって可能性を探る妨げ
にはまったくならないことを指摘しているまでです。
特に、「時系列」に囚われる考え方は、それ自体が罠に陥る
可能性が高い。というのも、それは、「系統論」的な考え方
を暗黙の規範として前提としているからだ。
827考える名無しさん2020/02/18(火) 16:41:21.060
「歴史的な中国語の変化」の研究が規範として存在し、それに照らして
見ると、「中国語から日本語が派生したとは考えられない」というのは
確かでしょう。中国語と日本語の間にもしそのような派生関係を裏付ける
音韻的な関係が存在するのなら、そのような関係はとっくに実証されて
いたはずだ。しかし、私が主張しているのは、そのようなことではない。
私は、日本語が中国語から派生したと言っているのではなく、日本語が
中国語の表現を「流用」することによって、つまり、中国語の規範を
離れて勝手な体系を作り上げることによって成立したと言っている。
その場合、流用された中国語の表現は、規範に則って中国語に合わせる
ように修正力が働くものではなく、もともとの発音がその時代の
権威ある中国語の規範を外れていたとしても、それを使う人々の間で
通用するように使われることによって規範化したことになる。
828考える名無しさん2020/02/18(火) 16:47:24.430
現代の日本語の表現において英語に由来する「外来語」の表現は極めて多いが、
その発音において英語としての弁別性が無視されているだけでなく、英語の発音
の規範どおりにそれが発音されても、英語を母語とする人々にはまったく意味を
成さない「和製英語」も数多く含まれている。
829考える名無しさん2020/02/18(火) 16:57:32.460
>tsiツィのような音中国語で両者の区別がなくなり
>どちらもqiチになったのは新しく
例えば、時代的変化、地域差を無視したとても大雑把な見方から、
スペイン語とポルトガル語を比べてみても、いずれの言語に
おいても"l"と"r"の区別は消失していないが、対応する言葉で
"l"と"r"が入れ替わっているものがある。時代的な変化を
研究することは、それ自体で重要でしょう。しかし、そのような
入れ替わりが生じたり、その発音が、それを母語としない人々
によって使われたときに区別が消失してしまうことがある
ことは、それ自体が「流用」について「可能性を探る」場合の
重要な手がかりとなる。
830考える名無しさん2020/02/18(火) 17:07:22.120
最初から留保をつけているとおり、
>私には、「きた(北)」は、表現としてよく分からない
しかし、それが「き(=dark)た(=side)」を表している可能性は
十分にあるだろうと思っている。ただし、「きた」が「暗さ」を
表すように用いられている表現は、「きた・なし」の他には
簡単に例が見当たらない。そこで、この「き」という発音の
用法にはどのような由来が考えられるのか、その可能性をオープンに
探っている。
831考える名無しさん2020/02/18(火) 18:21:22.860>>835
「気(qi/チ)」の発音と「漆(tsi/ツィ)」の発音が一緒に
日本語に取り込まれて「き」の発音において混同されて
用いられるようになったという証拠はどこにもない。
したがって、「きた(北)」の「き」が「漆(tsi/ツィ)」
に由来する可能性があるのではないかというのは、連想
によって根拠のない憶測を述べているに過ぎない。
ところで、日本語では、外来語であっても「チ」と「ツィ」
の発音を区別しない。だから、「ツィゴイネルワイゼン」
と書いても、「チゴイネルワイゼン」と発音されるし、
ギリシャ首相を務めた「アレクシス・ツィプラス」の場合
などは、どうせ日本語では発音が区別されないので、新聞
でも「チプラス」と表記していた。
「気(qi/チ)」と「漆(tsi/ツィ)」が同時に日本語に取り込ま
れたのであれば、「気(qi/チ)」は、「き」と発音される
ようになったのだから、「漆(tsi/ツィ)」も同じく「き」と
発音された可能性は排除できないだろうと思う。ただし、
繰り返すが、私は、実際にそうであったと主張しているわけで
はない。
832考える名無しさん2020/02/19(水) 01:37:43.980
>>826-831
井筒の本は読んだことがあるのか?
井筒がどこでそんな語源や音韻の話をしている?
833考える名無しさん2020/02/19(水) 13:16:44.310>>842
井筒の本は、「意識と本質」とか、全集の一部とかを読んだことがある。
井筒訳のコーランと解説本の「コーランを読む」も読んだことがある。
でも、内容はあまり覚えていないな。
834考える名無しさん2020/02/19(水) 13:26:41.010
>>826-831
中国語から現代日本語への「音の流用」などと言う現象は実際には起こっていない
それは言葉の歴史に反する
あなたの脳内でただ連想が起こったと言うだけ
系統の異なる言語の間の話だから、系統論が関係ないのは当たり前だ
835考える名無しさん2020/02/19(水) 13:42:22.250>>837
>>831
違う違う、全然違う
「気」は唐代の中古漢語音でキ、日本漢字音でもキ、
「漆」は中古音でツィッtsit、日本漢字音でシツ、
古代日本語のサ行は破擦音だったので、これは唐代の音をかなり忠実に写している
「漆」の音は中国北方では宋~元頃に後部の詰まる音(入声韻尾)を失いツィtsiとなる
中国北方で「気」キと「漆」ツィが共にチという音になり、区別がなくなったのは、
17世紀頃だろうと言われている。これが尖団の合流。
「気」をキと読む日本語の方が古い中国語の音を保存しているのだ
「気」をチと呼ぶようになった北方中国語の方が、新しく起こった音変化を反映しているのであり、
逆ではない
836考える名無しさん2020/02/19(水) 14:16:56.260
>中国語から現代日本語への「音の流用」
わざとだろうけど、私は「音の流用」なんてことは
どこにも書いてませんよ。
837考える名無しさん2020/02/19(水) 14:52:43.540>>840
>>835
中国語は、権威のある言葉として日本に入ってきたのだから、
中国語から直接に取り入れられたことが明らかである表現について、
その中国語と日本における漢語の対応関係があるのは当然のことでしょう。
それについて、中国語の系統学的な研究は重要であるし、
その知見に基づいた見解を明示的に書き込んでくれることは歓迎します。
私は、別に自分の連想によるちょっとした思い付きが間違っていない
などとは思っていないのです。ただし、中国大陸から入ってきた言葉
の日本語形成における利用の可能性を探る際に、中国語の系統学的な
研究は、探求の道を塞ぐ妨げとして用いられるべきではない。
というのは、古代において大陸から入ってきた「中国語」は、
現代に系統学的な研究において対象とされる「中国語」よりも
はるかに多様であったと考えられるからです。大陸からの言葉の
表現の流用として広く通用するようになっても、それが中国
大陸において中国語として通用しないなら、それが、大陸から
の言葉の流用であったことは忘れられ、権威のある「中国語」
として用いられる漢語との対比において、日本の現地の言葉
となる。そのような流用が生じることは、人々の接触において
自然なことであり、それについて、系統学的な研究は、あまりにも
盲目なのです。
838考える名無しさん2020/02/19(水) 15:12:25.120
発音の変化の系統学的な研究は、発音の変化をあたかも物理学的な
変化であるかのように扱いがちだが、発音は、表現のために用いら
れるので、どのように発音が変更されるかは、表現の意図と結び
ついている。
例えば、英語でもポルトガル語でも"l"によって表記される発音
が、日本語に移せば「ウ」または「オ」で表記される場合が
多くある。一時流行った、「アンビリバボー」というのが
一例である。もともとは、日本語において「アンビリーバブル」
と発音されるものとされていたが、語末の「ル」の発音が
英語を母語とする米国人の発音とかけ離れており、より
近い発音に聞こえるようにそのように変更されたのだろう。
では、日本語において、「ウ」または「オ」の発音は、"l"が
「ル」で表記される場合のような「ル」の発音に変化しうる
だろうか。そのように問うなら、普通は否定的な答えが
返ってくるだろう。
839考える名無しさん2020/02/19(水) 15:26:21.810
最近テレビで流れている不動産仲介会社のCMで、ブタのぬいぐるみが、
「エイブル」という社名を「エイブー」と発音し、それを女性が
「エイブル」と「きちんと発音する」ように訂正する内容のものがある。
これは、「アンビリバボー」をはじめ、英語から取り入れられた
外来語において「~ブル」という発音は誤りで、「~ブー」または
「~ボー」と発音するのが「正しい」とする風潮に抵抗するものだろう。
人は通用する規範が与えられると、それに過剰適応することがしばしば
あり、「エイブル」という固有の社名でも「エイボー」または「エイブー」
の方が正しいはずだと感じてしまう。だが、企業にとっては、自社の
社名は固有の名称なのだから、日本国内で営業している以上、英語として
の発音の一般的な正しさに適応しようとする必要などないのである。
だから、「エイブー」は誤った発音であり、「エイブル」が正しい
ことになる。ところで、逆に日本語は日本語としてきちんと発音しま
しょうという風潮になれば、「~ブー」または「~ボー」は、
「~ブル」だったのではないかという類推が働いて、もともと、
「~ブー」または「~ボー」であったものが、「~ブル」に訂正
されるという過剰適応が行われるようなことも、言葉の使用の変化
においては、常に生じる可能性があるのである。
840考える名無しさん2020/02/19(水) 17:08:04.020
>>837
意味不明。あなたはせいぜいここ数百年の間に起こった音変化を連想の素材にしているだけ
それを古代の多様な中国語と考えるのは事実に反する
事実を思考の妨げと考えるのなら、古代だのより古いだの言わなければいい
時系列に沿った事実の探求には、それなりの先人の科学的思考の蓄積があるのです
連想に基づいたポエムを書きちらしたいだけなら、科学と衝突するような言葉を使わなければいい
841考える名無しさん2020/02/19(水) 18:52:16.440
>時系列に沿った事実の探求には
それは、残された資料に見られる事実を推測により時系列で
互いに関係づけたものであって、それとは別の関係を排除する
ために利用できるようなものではないでしょう
842考える名無しさん2020/02/19(水) 23:15:16.730
>>833
読んでいる内に入らない
843考える名無しさん2020/02/20(木) 01:14:50.400
>>775のデブは、ルーミーを開いたこともないし、
学術に至っては、何を批判したらいいのか検討もつかない
844考える名無しさん2020/02/24(月) 09:55:18.960
人はよく「ま(目)ちが(違)ふ」から、手で触って「た(手)しかめ」ようとする。
845考える名無しさん2020/02/24(月) 10:06:59.240
「うたが(疑)ふ」という表現は、「うた+か(交)ふ」と分解して解釈する
ことができ、岩波古語辞典においてもそのように説明されている。
この「うた」が、「うた(歌)」や「うたた(転)」と共通していることも
岩波古語辞典で指摘されるとおりだろう。だが、そのことから、
「うたがひ」が「自分の気持ちをまっするに表現する意」を表して
いるとする同辞典の解釈は完全に誤っている。というのも、
既に別の機会に指摘したとおり、「うた(歌)」や「うたた(転)」の
「うた」自体が「う(≒表面)+た(≒(手などで)触れる)」として
さらに分解されるからである。
846考える名無しさん2020/02/24(月) 10:12:17.190
「う(≒表面)+た(≒(手などで)触れる)+か(交)ひ」は全体として、
フランス語で表現するなら、試行錯誤としての《tâtonnement》
を表している。実際、「うたがふ」という動詞の意味は、
フランス語の再帰表現、"se tâter"にほぼそのまま対応する
だけでなく、発音のイメージにも共通性を見ることができる。
https://www.larousse.fr/dictionnaires/francais/se_tâ;ter/76821
se tâter
Être indécis, s'interroger sur la conduite à tenir.
847考える名無しさん2020/03/06(金) 23:35:47.940
井筒は「ポスト構造主義の乗り越え」の必要性を説き、
自身もいくつかの例を断片的に示してはいたが、生前にその次のパラダイムを目にすることはなかった。
“構造主義(Structuralism)勃興以来、いわゆるポスト構造主義を経て、
今やそのポスト構造主義の彼方への乗り越えすら云々されております”
― 井筒俊彦 「言語哲学としての真言」 (1984年、高野山での講演)
848考える名無しさん2020/03/06(金) 23:36:09.630
今読み返してみると、『ルーミー語録』(1978)にはそのヒントがあるように思える。
井筒はルーミーの言語哲学を、そのピークにおいて行われる「ファナー(自我消融)」を通じた原始の実在体験と形象体験が再結晶化したものと説く。
このことには、ポスト構造主義(言語的転回)のピークからの実在論的転回(ポスト・ポスト構造主義)という、その後の哲学史的展開と重なるからだ。
849考える名無しさん2020/03/06(金) 23:36:34.740
『ルーミー語録』を軸に、井筒を原=ポストポスト構造主義者として読み直すことができる。
850考える名無しさん2020/03/06(金) 23:37:51.230>>913
ルーミー語録
・『ルーミー語録 (イスラーム古典叢書)』 井筒俊彦、岩波書店 (1978) 訳と解説
・『井筒俊彦著作集 11 ルーミー語録』 中央公論社 (1993) 訳と解説
・『井筒俊彦全集 5』 慶應義塾大学出版会 (2014) 解説のみ
851考える名無しさん2020/03/06(金) 23:39:14.150>>855>>859
この中では、ルーミー自身がハッラージュの「アナ・ル・ハック」(我こそは神)>>463、>>338
の解説をしているのだが、その真相というのがすごい。
一般的な一神教には二神は存在しないにしても、まだ神とそれ以外のもの(世界と人)が存在する。
スーフィズムの立場からすれば、これではまだ生ぬるいらしく、
神と我の対立状態すらも撤去して、神の絶対的な一者性を完成させるだという。謙虚さの極致として。
852考える名無しさん2020/03/06(金) 23:51:50.540
地球人の視点を持てば、木は命の源だ。クルアーンにもイチジクが出て来る。
不老長寿の実だそうだ。エデンの園で二人があそこを隠したのもイチジクの葉だ。
仏が悟りを開いたインド菩提樹も、クワ科イチジク属だ。
だから実はイチジクも剪定しないと、巨大な高木になる。
世界に広めよう、イチジクの実だ。
853考える名無しさん2020/03/06(金) 23:59:33.240
ちなみにイチジクの敵はカミキリムシだ。カミキリムシを寄せ付けない、コンパニオンプランツはビワだ。ビワの木は日本の木刀になる。世界にイチジクの実を広めたら、日本のビワの木の話も加えたい。そんなクルアーンが本当は必要なのだ。
854考える名無しさん2020/03/07(土) 00:29:11.090
>>852-853
邪魔
855考える名無しさん2020/03/07(土) 00:33:47.050
>>851
そうすると、この瞬間、外在的超越から内在的超越になるのかもしれない。
856考える名無しさん2020/03/07(土) 00:36:05.250>>876
他には、イブン・アラビーも内在的超越。存在一性論。
“絶対者そのものが絶対者〈超越者〉であるばかりでなく、絶対者自身が世界に対して世界のなかで〈自己開示〉する”
― 井筒俊彦 『スーフィズムと老荘思想(上)』 4章1部 (2019)
857考える名無しさん2020/03/07(土) 00:36:30.580
【外在的超越】
ユダヤ教、キリスト教、イスラム
↓
【内在的超越】
スーフィズム
・アル・ハッラージュ(858-922)
↓
・イブン・アラビー(1165-1240)
858考える名無しさん2020/03/07(土) 00:37:20.800>>860
すぐに良い例が見つからないのだが、外在的超越の神のイメージというのは、こういうもの。
神≠被造物であり、地球外生命体に例えられる。(もっと言えば宇宙外)
“Godは、人間と、血のつながりがない。全知全能で絶対的な存在。
これって、エイリアンみたいだと思う。
だって、知能が高くて、腕力が強くて、何を考えているかわからなくて、怒りっぽくて、地球外生命体だから。”
― 『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎、大澤真幸、講談社現代新書(2011)
859考える名無しさん2020/03/07(土) 00:37:26.830
>>851 神は母なる地球だ。地球の映像を見た事の無いボケの話は読まぬ様に気を付けたい。
860考える名無しさん2020/03/07(土) 00:38:07.990
>>858
それに対して、内在的超越は汎神論のイメージに近くなる。
861考える名無しさん2020/03/09(月) 02:46:14.970
>>857を拡張
内在的超越から汎神論への影響
【外在的超越】
ユダヤ教、キリスト教、イスラム
↓
【内在的超越】
スーフィズム
・アル・ハッラージュ(858-922)「アナ・ル・ハック(我こそは神)神と被造物の対立の撤去」
・イブン・アラビー(1165-1240)「存在一性論」
↓
スコラ学
・アッシジのフランチェスコ(1182-1226)「万物兄弟の思想」
・トマス・アクィナス(1225-1274)「神の世界内在」
・ニコラウス・クザーヌス(1401-1464)「極大と極小(神と被造物)の一致」
↓
ユダヤ哲学
・スピノザ(1632-1677)「神即自然」
862考える名無しさん2020/03/09(月) 03:21:01.170
内在
② [哲] 〔ドイツ Immanenz〕㋐ 神やイデアが現象(世界・個物)の内に本質として存在すること。 (大辞林 第三版の解説)
外在
[名](スル)外界に存在すること。また、ある事象の原因・理由などが、その事象の外にあること。「外在する原因」(デジタル大辞泉の解説)
863考える名無しさん2020/03/10(火) 01:45:41.770
キリスト教の場合は複雑で、聖書の神は外在的だが、イエスの受肉は、内在へ向かって降りてきている。
864考える名無しさん2020/03/11(水) 16:56:31.910
>>845-846
>Mais ce qu'il avait de bizarre, c'est que, de temps en temps,
il tâtonnait, se reprenait comme s'il eût manqué, et se dépitait
de n'a- voir plus la mème peine dans les doigts.<
Denis Diderot, "Le neveu de Rameau", p.49
865考える名無しさん2020/03/11(水) 16:57:59.790
誤:n'a- voir
正:n'avoir
866考える名無しさん2020/03/11(水) 17:53:28.760
遠くの雷はズドーンと落ちる感じがするが、近くの雷はドカンと落ちる
感じがする。英語の"thunder"とドイツ語の"Donner"の発音の違いには、
そのようなイメージの違いが反映されているだろうか。
ところで、フランス語で驚かすを意味する"étonner"も本来は、雷が
落ちる音と結び付いていたとのことである。その場合の雷の音は、
日本語の「ドーン」に相当するようなものだろうか。次のような
表現は、「壁ドン」(ネットよく見かける表現だだが、今回、検索して
みるまで、私はその用法を知らなかった)を連想させる。
>[...] au lieu qu'un financier fait retentir son appartement
et étonne toute sa rue.
Denis Diderot, "Le neveu de Rameau", p.37
この"étonner"の用法については、注に次のように記載されている。
>Le terme a encore le sens fort de《frapper comme un coup
de tonnerre》.<
867考える名無しさん2020/03/11(水) 17:56:05.520
ちなみに、日本語の古語では、現代の日本語の「ドカン」、「ドスン」、
「ドドーン」のような表現の「ド」に相当するのは、「ののしる」や
「の(宣)る」という表現に見られる「の」によって表記される発音である。
868考える名無しさん2020/03/11(水) 17:59:24.600
https://www.etymonline.com/search?q=thunder
thunder (n.)
mid-13c., from Old English þunor "thunder, thunderclap; the god Thor,
" from Proto-Germanic *thunraz (source also of Old Norse þorr, Old Frisian
thuner, Middle Dutch donre, Dutch donder, Old High German donar,
German Donner "thunder"), from PIE *(s)tene- "to resound, thunder"
(source also of Sanskrit tanayitnuh "thundering," Persian tundar
"thunder," Latin tonare "to thunder"). Swedish tordön is literally
"Thor's din." The unetymological -d- also is found in Dutch and
Icelandic versions of the word (compare sound (n.1)). Thunder-stick,
imagined word used by primitive peoples for "gun," attested from 1904.
869考える名無しさん2020/03/12(木) 00:30:34.900
千葉の『デッドライン』は現代の『ルーミー語録』といってもいい。
ルーミーの「ファナー(自我消融)」に対し、
千葉の場合は「偶然性」や「絶滅」がその自己解体や無化に相当する。
そうして経た実在体験を結晶化させたルーミーのテキストは「根源的形象世界」のものと呼ばれる。
870考える名無しさん2020/03/12(木) 00:30:50.730
『デッドライン』の読みどころ
千葉雅也@masayachiba
外在的な言語から内在的な言語へ。文学の言葉は内在的な言語。
午後3:14 ・ 2020年1月18日
哲学の概念を形象として、フィギュアとして取り扱うというのは『動きすぎてはいけない』から一貫する僕の思考スタイルで、その意味で、実は僕の哲学の仕事は不純なのです。だからこそ、阿部和重さんは『動きすぎてはいけない』はすでに小説的だと評してくださったのだと思う。
午後9:22 ・ 2020年2月7日
871考える名無しさん2020/03/12(木) 00:31:20.240
【形象】けいしょう
かたち。すがた。美学で、対象を観照(想像)して心の中に浮かび上がる、その対象のすがた。
872考える名無しさん2020/03/12(木) 00:34:07.750
『思想としての言語』 中島隆博、岩波書店 (2017)
小説にも出てくる千葉の先生で中国学の中島隆博が、この中で
重要な井筒論を書いていたいたりもする。
873考える名無しさん2020/03/15(日) 08:59:36.620
>Old High German donar, German Donner "thunder")
現代の日本語でも、叱るために大声で「どなり」つけることを
「雷を落とす」と表現するのだから、この例では、日本語とドイツ語は
発音においても、それが想起するイメージにおいてもとてもよく似ている。
874考える名無しさん2020/03/15(日) 14:08:42.780
ちばまさや?おはなしにならない
875考える名無しさん2020/03/20(金) 00:16:11.960
>>861の補足
・新プラトン主義(プロティノスの流出論)
・東方キリスト教
↓
↓
・スーフィズム
↓
↓
汎神論
・スピノザ(1632-1677)「神即自然」
・ゲーテ(1749-1832)ハーフェズの影響
・シェリング(1775-1854)
876考える名無しさん2020/03/20(金) 00:16:55.110>>878
>>858、>>856
創世神話の外在と内在
[外在] 天地(=世界、宇宙)を創る神
[内在] 天地から成る神、天地に成る神
“1:1 初めに、神は天地を創造された。
1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
1:16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。”
― 旧約 「創世記」 1:1-5、16
“天と地とが初めて分かれた開闢の時に、高天原に成り出でた神の名は、
天之御中主神(アメノナカヌシノカミ)、次にタカミムスヒノ神、次にカムムスヒノ神である。
この三柱の神は、皆単独の神として成り出でた神で、姿形を現されなかった。
次に国土がまだ若くて固まらず、水に浮いている脂のような状態で、水母のように漂っているとき、
葦の芽が泥沼の中から萌え出るように、萌えあがる力がやがて神と成ったのが、
ウマシアシカビヒコヂノ神であり、次にアメノトコタチノ神である。”
― 『古事記(上)』 「天地の初め」 次田真幸、講談社学術文庫 (1977)
877考える名無しさん2020/03/20(金) 00:17:26.490
このスレで特に関心を集めたのが>>645だったが、
井筒自身はそれほど頻繁には「外在/内在」という語を使っていない。
東西の神学のこうした整理は、大川の時代には既に確立されていて、
井筒にとっては自明のことだったのかもしれない。
井筒がよく使う「絶対一者からの自己展開」という表現は、内在型神学の特徴であり、
イブン・アラビーの先には、プロティノスの流出論にまで遡る。
878考える名無しさん2020/03/20(金) 00:17:53.080>>882
>>876
大川の解釈では、古事記は混沌から宇宙の生成へ、天地が自己展開していくものであり、
宇宙に内在する生命と力とが神として顕現するのだという。(cf.丸山眞男、本居宣長)
“この〔古事記本文冒頭の〕意味多き一節は、混沌Chaosが宇宙Cosmosに成り往く道筋を述べたものである。
古事記の世界観に就て注意すべき一事は、そが天地の創造を説かずして、天地の啓発、天地の開展を説く事である。
天御中主神は宇宙の根本生命、高皇産霊・神産霊〔高御産巣日・神産巣日〕の両神は宇宙の生成力の神格化である。
そは決して宇宙に超在する神にあらで、内在せる生命と力とが、神として顕現したのである。”
― 大川周明 『日本文明史』 p25 (臼杵陽『大川周明』青土社、2010、p220より孫引き)
879考える名無しさん2020/03/20(金) 00:19:27.360
この本には、井筒の話もよく出てくる。
臼杵陽 『大川周明』 青土社 (2010) p8
“竹内好「イスラム研究だけをとってみても、大川〔周明〕の業績は無視できないはずです。
かれの『回教概論』は、純粋の学術論文であって、日本のイスラム研究の最高水準だと思います。
日本帝国主義のアジア侵略と直接には何の関係もありません。」”
880考える名無しさん2020/03/20(金) 00:20:52.210
大橋良介 『京都学派と日本海軍:新史料「大島メモ」をめぐって』 PHP新書 (2001)
侵略戦争的性格が決定的で、反省されなければならないのは、この「大島メモ」周辺。
881考える名無しさん2020/03/20(金) 00:49:01.110
井筒俊彦×司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」より
<司馬>
大川周明というのは日本的右翼というよりも、
十九世紀のドイツ・ローマン派の日本的なあらわれの人だったのかもしれませんね。
サンスクリット語を勉強するうちに英国支配のインドに同化してゆく。イスラームも学んだそうですね。
<井筒>
そうです。大川周明が私に近づいてきて、私自身も彼に興味をもったのは、
彼がイスラームに対して本当に主体的な興味をもったひとだったからなんです。
知り合いになった頃、これからの日本はイスラームをやらなきゃ話にならない、
その便宜をはかるために自分はなんでもすると、私にはいっていました。
それで、オランダから『イスラミカ』という大業書と『アラビカ』という大業書、
つまりアラビア語基礎テクスト全部とイスラーム研究の手に入る限りの文献は全部集めて、
それをものすごいお金で買ったんです。それを東亜経済調査局の図書館に入れておいた。
ところが、誰も使う人がいないし、アラビア語のテクストを整理する人がいない。
私に「やってくれないか」というありがたい話で、アラビア語の本なんてあの頃は買えませんから、
倉庫に入り込んで毎日のように「整理」と称して、自分で読んでいたんです。
882考える名無しさん2020/03/21(土) 22:11:42.990
>>876、>>878
古事記の更に先
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1433071319/479-480
日本創世神話の原型『淮南子(えなんじ)』
・『淮南子:知の百科(中国の古典)』 池田知久 、講談社 (1989) 原文、書き下し、訳文
・『淮南子の思想:老荘的世界』 金谷治 、講談社学術文庫 (1992) 解説と部分訳
中国四川省イ族の創世神話「勒俄特依(ネウォテイ)」を全文紹介。
・『古事記以前』 工藤隆、大修館書店 (2011)
883考える名無しさん2020/03/21(土) 23:34:45.690
大川周明?wwwきもちわりいの読むな老害。
884考える名無しさん2020/03/22(日) 23:31:04.780
丸山眞男「大川周明は右翼の中でも最も西洋的教養の濃い、いわばバタ臭い方なのです」
885考える名無しさん2020/03/22(日) 23:41:21.480
工藤は>>882の中で、神話の強度を8段階のレベルに分けて説明している。
共同体の祭式の中での生きた神話のあり方を最高レベルの第1段階とすると、
原型性が薄まった『古事記』は第7段階、
文字と国家意思によって権威づけられる『日本書紀』などは第8段階のものだという。
886考える名無しさん2020/03/23(月) 00:53:15.190
馬鹿程
格付けがすき
887考える名無しさん2020/05/11(月) 00:21:13.210
>>820-822,826-831,845-846
二つの言語の間に見られるとんでもない発音の似寄りを持ってきて
それを自分の居場所にする人というのは、
ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの本にも出てくる。
いつの時代にもいるんだよ。
888考える名無しさん2020/06/13(土) 18:14:26.960
> 630 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/06/12(金) 00:16:44.20 0
> >>582
> 出たなピンイン太郎
カール・マルクス32
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1584534246/630-
889考える名無しさん2020/06/14(日) 00:33:27.640>>893
>いつの時代にもいるんだよ。
どこでもいつでもいるのなら、それが人の常になるということでわ
890考える名無しさん2020/06/14(日) 00:43:18.400
大辞林 第三版の解説
〘仏〙 密教の根本教義の一。阿字は宇宙の根源であり、本来不生不滅すなわち永遠に存在するということ。この真理を体得する時、人は大日如来と一体化すると説く。 → 阿字
891考える名無しさん2020/06/14(日) 00:47:21.280
あまてらす
892考える名無しさん2020/06/14(日) 01:20:58.830
大辞林 第三版の解説
梵語字母の第一字、およびそれによって表される音。密教では、阿字はすべての梵字に含まれており、すべての宇宙の事象にも阿字が不生不滅の根源として含まれていると考える
893考える名無しさん2020/06/14(日) 02:31:59.840
>>889
・最低限の知識を持つまでにも至らない奴
・輪廻から抜け出すことが出来ない奴
という話
894考える名無しさん2020/06/14(日) 06:41:19.040>>895
そういう人々がその都度、どのようにか意志の疎通を図っているということだろう
895考える名無しさん2020/06/14(日) 15:40:01.000
>>894
油を売っている暇があったら、先に読むべきものを読め
896考える名無しさん2020/06/14(日) 17:41:10.570
どうでもいい。自分の心配でもしていろ。
897考える名無しさん2020/06/14(日) 20:19:00.430>>899
読むべきものといえば、ようやくドン・キホーテを読み終わった。
といっても、前編の"El Ingenioso Hidalgo"の方だけだが。
いい加減な読み方をしても、それなりに大変なので、後編の
"Caballero"の方を読むのはまだ先のことになりそうだ。
値段が高いのでまだ入手してないし。それにどうせなら、
英訳を先に読んで理解をより深めてから、後編にとりかかった
方が賢明だろう。
898考える名無しさん2020/06/14(日) 20:37:44.750
"Independently published"とかいう、文字データを印刷して製本した
だけのよく分からない形式の本は、入手しやすいけど、好きではないな。
本という感じすらしない。
899考える名無しさん2020/06/14(日) 23:41:48.770
>>897
哲学が何をするものなのか知らないんだろ
900考える名無しさん2020/06/14(日) 23:49:42.460
車輪の再発明(しゃりんのさいはつめい、英: reinventing the wheel)とは、
「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を(知らずに、または意図的に無視して)再び一から作ること」を指すための慣用句。
Cambridgeの辞書では「誰かがすでに生み出した何かを自分で生み出そうとして時間を無駄にすること」といった解説を掲載している。
再発明を行ってしまう理由としては、「既存のものの存在を知らない」
「既存のものがあることを知っていたはずなのに、つい思い出しそこなった」
「既存のものを一応探したが、見つけそこなった」
「既存のものが意図的に隠されていた(時間を無駄遣いするように罠をかけられていた)」
「既存のものの意味を誤解している」などということがある。
901考える名無しさん2020/06/15(月) 01:17:30.580
車輪を自分で組んでみれば、車輪は一度発明されれば済むような単純なもの
ではないことがよく分かりますよ。路面は単に与えられているものではない
し、路面の起伏によってどのように車輪に加わる力を支え、振動を吸収しな
ければならないかが問題になり、路面の摩擦とそれに対する耐久性、
耐久性と振動吸収性能や滑りにくさの両立も図らなければならず、
車輪を駆動するためにどのように力を加えなければならないか、どのように
力を加えることが効率的であるかも考える必要がある。
902考える名無しさん2020/06/15(月) 01:25:39.850
路面が大きな石ころだらけの場合、車輪を使うことが効率的でないことも
多く、それでも車輪を使うとすれば、キャタピラとして構成する必要も
でてくる。キャタピラを構成することが可能になるには、その用法に
耐える強度の素材を開発することが要件となる。また、雪面や凍った
川や湖の上でも車輪は滑ってしまって役に立たないでしょう。
903考える名無しさん2020/06/15(月) 01:29:42.640
>>901-902
「既存のものの意味を誤解している」
車輪の話なら車輪板でやってこい
904考える名無しさん2020/06/15(月) 01:33:40.170
人の意図は既存のものではありませんよ?
905考える名無しさん2020/06/15(月) 01:36:07.070
人が車輪を使っていることは、車輪が発明されている/発明されていない
というような単純な問題ではないのです。
906考える名無しさん2020/06/15(月) 01:38:35.350
>>904-905
哲学的素養がまるでない
907考える名無しさん2020/06/15(月) 07:36:17.120>>908>>911
車輪の利用というのは、統治の問題なのですよ?
交通網を整備することが可能であるのか、道を整備するための労力は
どうするのか、その方が効率的なのか、それによって生じる防御の
の脆弱性はどうするのか、そういう問題です。
908考える名無しさん2020/06/15(月) 08:52:23.410>>910
>>907
車輪と道といったら、老子とハイデガーだよ。
そのどちらも知らないだろ。
ハイデガーの老子 『道徳経』 第11箴言
“三十の輻(や)が車輪中心の轂(こしき)に当たっている。
だが然し、それらの輻の中の空隙が、車輪の有を許し与えているのだ。〈略〉
有るものは、有用性を生ぜしめる。
有らざるものが、有を許し与えるのだ。”
― 『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』p47-48
909考える名無しさん2020/06/15(月) 08:53:15.890
マクガフィン=張り子の虎
910考える名無しさん2020/06/15(月) 08:59:14.990
>>908
ハイデガーも、老子を読んだんだろ
欧米のインテリは、孔孟には無関心だが、老子が大好きだからな
911考える名無しさん2020/06/16(火) 00:50:34.400
>>904-905、>>907
哲学のての字も分からない奴の回答だ
912考える名無しさん2020/06/16(火) 00:56:37.160
その上、頭も悪過ぎる
913考える名無しさん2020/06/25(木) 01:48:37.640
>>850
“一なるものの意識が(略)この上なく美しく崇高な意識として
あらわれるすがたを見たいのなら、イスラム教に目をむけねばならない。
たとえば、すぐれたペルシャ文学ジャラール・ウッ・ディン・ルーミー”
― ヘーゲル 『精神哲学(哲学の集大成・要綱 第3部)』 長谷川宏 訳、作品社 (2006)
914考える名無しさん2020/07/23(木) 13:15:10.420
ドゥンス・スコトゥスの「存在の一義性」関連
訳本
『存在の一義性:ヨーロッパ中世の形而上学』 ドゥンス・スコトゥス 著、八木雄二 訳註、知泉書館 (2019)
『存在の一義性:ペトルス・ロンバルドゥス命題註解』 ドゥンス・スコトゥス 著、花井一典、山内志朗 訳、哲学書房 (1989)
解説
『存在の一義性を求めて:ドゥンス・スコトゥスと13世紀の<知>の革命』 山内志朗 著、岩波書店 (2011)
『ドゥンス・スコトゥス:魅惑の中世』 野中幹隆 編、哲学書房 (1988)
915考える名無しさん2020/07/23(木) 13:15:36.880
山内はスコトゥス理解のために、アラビア語とイスラム哲学もやったと言っている
916考える名無しさん2020/07/24(金) 20:13:26.910
無駄
それを学んであの程度のことしかいえないんだから。
時間の無駄。
917考える名無しさん2020/07/24(金) 21:54:52.950
スコトゥスの「このもの性 haecceitas」を、ドゥルーズやメイヤスーを経由して、ポスト井筒的な存在-神-論にまで昇華させているのが千葉。
“世界とは、異なる此性をもつ複数の無の邂逅である。異質なる複数的な無の寄せ集めである”
― 千葉雅也 「此性をもつ無:メイヤスーから九鬼周造へ」 『現代思想 2017年1月臨時増刊号 特集=九鬼周造―偶然・いき・時間』
918考える名無しさん2020/07/24(金) 22:05:45.400>>919
いまどき、これせいとかww
あほか。
ほんまあたまわるいな。
そんな雑誌買う層がそもそもあほやけど。
919考える名無しさん2020/07/24(金) 22:33:29.880
>>918
では、代わりになるものを挙げてみろ
920考える名無しさん2020/07/24(金) 23:22:11.790>>921
メイヤスーを経由してる場合かよ。なんにも新しくない。
921考える名無しさん2020/07/24(金) 23:31:59.750
>>920
では、代わりになるものを挙げてみろ
922考える名無しさん2020/07/25(土) 13:35:06.430
井筒俊彦=アンビエント系音楽みたいな。
マッシヴさが殆ど無いというかw
安藤礼二が好きなんだろ。
923考える名無しさん2020/07/25(土) 13:48:25.340
植西あきらのほうがいいな。何十倍も売れてるし。
924考える名無しさん2020/07/25(土) 19:36:38.200
キッズたちは曼荼羅交響曲でも聴いてなさい
925考える名無しさん2020/09/08(火) 23:48:48.010
よくある説明としては、
現代が扱っている問題系も起源を辿ると、
少なくとも西洋思想史の中世ぐらいまで遡る。
中世のスコラ学の人たちは、イスラムをやっていた。
というのも、イスラムの人たちは、当時の西洋人も忘れていた
アリストテレスを読んでいたからで、
西洋がイスラムを介してアリストテレスを再導入して起こったのが、
ルネサンス(文芸復興)であるし、この辺で、自然と古代ギリシャなどもやるようになる。
926考える名無しさん2020/09/08(火) 23:49:08.320
キリスト教思想史の中で見ると…
平凡社
中世思想原典集成 1巻 初期ギリシア教父
中世思想原典集成 2巻 盛期ギリシア教父
中世思想原典集成 3巻 後期ギリシア教父・ビザンティン思想
中世思想原典集成 4巻 初期ラテン教父
中世思想原典集成 5巻 後期ラテン教父
中世思想原典集成 6巻 カロリング・ルネサンス
中世思想原典集成 7巻 前期スコラ学
中世思想原典集成 8巻 シャルトル学派
中世思想原典集成 9巻 サン=ヴィクトル学派
中世思想原典集成 10巻 修道院神学
中世思想原典集成 11巻 イスラーム哲学 ←←← この辺の話
中世思想原典集成 12巻 フランシスコ会学派
中世思想原典集成 13巻 盛期スコラ学
中世思想原典集成 14巻 トマス・アクィナス
中世思想原典集成 15巻 女性の神秘家
中世思想原典集成 16巻 ドイツ神秘思想
中世思想原典集成 17巻 中世末期の神秘思想
中世思想原典集成 18巻 後期スコラ学
中世思想原典集成 19巻 中世末期の言語・自然哲学
中世思想原典集成 20巻 近世のスコラ学
中世思想原典集成 別巻 中世思想史
927考える名無しさん2020/11/10(火) 02:50:11.360
『ゲンロン11』 (2020/9/23)
ゲンロンセミナー
「井筒俊彦を読みなおす――新しい東洋哲学のために」 安藤礼二+中島隆博
928考える名無しさん2020/11/10(火) 03:10:22.990>>930
Plastic Love
https://www.youtube.com/watch?v=c0tXxNsXWDg
Blinding Lights
https://www.youtube.com/watch?v=E22RKYWzZG4
https://tangodiario.com.ar/wp-content/uploads/2020/01/the-weeknd.jpg
929考える名無しさん2020/11/10(火) 03:11:07.410
このマッシヴさ
930考える名無しさん2020/11/10(火) 22:12:12.540
>>928
https://www.youtube.com/watch?v=4NRXx6U8ABQ&;t=28s
931考える名無しさん2020/12/20(日) 23:58:31.130
Sébastien Léger at the Great Pyramids
https://www.youtube.com/watch?v=SD6GDiyHmbE
932考える名無しさん2020/12/21(月) 00:01:12.520
『井筒俊彦ざんまい』 若松英輔、慶應義塾大学出版会 (2019)
若松英輔 知られざる井筒俊彦
井筒俊彦年譜
I――原点と回想
白井浩司 時代への批判者
柏木英彦 遠い日の井筒先生
松原秀一 つかずはなれず四十年
牧野信也 師としての井筒俊彦先生
丸山圭三郎 〈読む〉ということ
河合隼雄 井筒俊彦先生の思い出
安岡章太郎 あの頃の井筒先生
日野啓三 言い難く豊かな砂漠の人
佐伯彰一 求む、井筒俊彦伝――ポリグロットの素顔
瀬戸内寂聴 豪華な学者夫妻
立花 隆 職業選択を誤らなかった話
伊東俊太郎 井筒俊彦先生のこと
II――東西の出会い
福永光司 井筒俊彦先生とわたくし
高木訷元 乾坤は經籍の箱
長尾雅人 井筒さんの『起信論』哲学
森本公誠 井筒先生を東大寺にお迎えして
門脇佳吉 井筒先生の風貌と思想の源泉
栁瀬睦男 井筒氏の思い出
ナスロッラー・プールジャヴァーディー 井筒先生との最後の会見(1)(2)
ヘルマン・ランドルト 井筒俊彦を回想して
サイイド・ホセイン・ナスル 井筒俊彦の思い出
ナダール・アルダラン ことばに尽くせぬ思い出
933考える名無しさん2020/12/21(月) 00:01:43.480
関根正雄 井筒俊彦氏のこと
今道友信 少年時からの展景の中で
松本耿郎 井筒先生と『アラビア思想史』
江藤 淳 井筒先生の言語学概論
中村廣治郎 コーランと翻訳
山折哲雄 井筒訳『コーラン』の文体
黒田壽郎 井筒先生のアラブ・イスラーム研究
丸山圭三郎 井筒哲学における東西の出会い
安藤礼二 ディオニュソス的人間の肖像
合庭 惇 『イスラーム思想史の頃』ほか(全3編)
III――追 悼
司馬遼太郎 アラベスク――井筒俊彦氏を悼む
丸山圭三郎 追悼 井筒俊彦先生
遠藤周作 井筒俊彦先生を悼む
牧野信也 井筒俊彦先生の死を悼む
IV――継 承
池田晶子 『意識と本質』を読む
中沢新一 歴史とトランス――井筒俊彦先生のしぐさの記憶
河合隼雄 井筒哲学と心理療法
松永有慶 井筒マンダラ学の炯眼
安藤礼二 新たな時代の「東方」の哲学
澤井義次 エラノス会議と井筒哲学
互 盛央 井筒俊彦と丸山圭三郎――出会い、交錯した二人は、どこに向かったか
934考える名無しさん2020/12/21(月) 00:15:29.770
井筒「私は、元来は新古今が好きで、古今、新古今の思想的構造の意味論的研究を専門にやろうと思ったことさえあるくらいですから」
― 井筒俊彦×司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」
935考える名無しさん2020/12/21(月) 00:20:04.220
『百人一首の秘密:驚異の歌織物』 (1981)
『百人一首の世界 新装版』 (1986)
林直道、青木書店
百人一首をテーマ毎に10×10に並べると、一枚の大きな絵になるという話。
https://i.imgur.com/W9dU6hE.png
↓
https://i.imgur.com/qMTQvKq.png
↓
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/e0/3ce3c037d9c29a6376d9eee7d6a82edb.png
哲学の世界では丸山圭三郎が取りあげた(『丸山圭三郎著作集3』「言葉と無意識」)。
ソシュールのアナグラム研究と比較をして。
936考える名無しさん2020/12/22(火) 22:53:33.060
有名な歌が多く、百人一首の元になっている『古今和歌集』と『新古今和歌集』はペアでやる。
それより古い形になるのが『万葉集』。
迷ったら、この三つは、角川ソフィア文庫にあるものが、手軽で註もしっかりしている。
その他は、講談社学術文庫、新潮日本古典集成など。
937考える名無しさん2021/02/24(水) 19:35:17.800
飯山陽がボロクソに言ってるのがちょっとなあ
そりゃイスラム研究者とイスラム哲学を叩き台にした言語哲学者じゃ土俵が違うだろ
938考える名無しさん2021/02/25(木) 02:05:44.580>>939
中身が分かっているようには思えない。
井筒が取り扱った話題は、確かに、密教や神秘主義と呼ばれるものだけど、
そうしたものを、今日の哲学用語を使って、
何語を話す人にも分かる言語や意識の営みとして解明してみせたわけだ。
海外の学者も言っているように、井筒のやっていることは分析哲学だよ。
939考える名無しさん2021/02/25(木) 23:14:41.500
>>938
こういうのね
https://twitter.com/iiyamaakari/status/1197042724366536705
https://twitter.com/iiyamaakari/status/1192626323031613441
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
940考える名無しさん2021/02/25(木) 23:21:09.300
酷いレベルだな
941考える名無しさん2021/02/26(金) 07:57:28.820
とんでもないクソスレになってるw
942考える名無しさん2021/04/14(水) 21:12:46.370
『ペルシア帝国』 青木健、講談社現代新書 (2020)
943考える名無しさん2021/04/14(水) 21:13:28.090
マニ『シャープラカーン』の一節
“神の使者は、いつの時代にも、絶えることなく叡智と御業をもたらした。
その到来は、あるときはインドでブッダの姿となり、またあるときは、
ペルシャでゾロアスターの姿となり、西方ではイエスの姿となって顕現した。
神の啓示は、今やこの預言の中で、本当の神からバベルの国に遣わされた使者である私、マニの姿下された”
― フレデリック・ルノワール 『仏教と西洋の出会い』 今枝由郎、富樫瓔子 訳、トランスビュー (2010) p24
944し ◆OXsdnjx68E 2021/04/14(水) 21:28:40.890
松尾残党、
945し ◆OXsdnjx68E 2021/04/14(水) 21:29:01.100
松尾残党、ここまで来て
946し ◆OXsdnjx68E 2021/04/14(水) 21:32:29.610
市川さん
947考える名無しさん2021/04/15(木) 08:59:19.770
【盗聴盗撮犯罪者・色川高志がしつこく嫌がらせを継続】
色川高志(葛飾区青戸6-23-21ハイツニュー青戸103号室)
●色川高志「清水婆婆の息子の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
龍神連合五代目総長・清水婆婆の息子(葛飾区青戸6-23-19)の挑発
●清水婆婆の息子「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
492盗聴盗撮犯罪者色川高志(青戸6-23-21ハイツニュー青戸1032021/02/03(水) 13:53:22.55ID:QtP78E4Z
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父の逮捕を要請します」
色川高志(盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6-23-21ハイツニュー青戸103号室
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父
高添沼田ハゲエロ老義父の住所=東京都葛飾区青戸6-26-6
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 ℡03ー3607ー0110
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6-23-19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。
948考える名無しさん2021/05/20(木) 06:44:36.710
このお方こそは、巨匠と呼ぶに値する
949考える名無しさん2021/06/23(水) 00:09:49.200>>950
『原典完訳 アヴェスタ:ゾロアスター教の聖典』 野田恵剛 訳、国書刊行会 (2020)
この"国書刊行会"というのは、あの"国書刊行会"!
950考える名無しさん2021/06/23(水) 00:10:26.180
>>943、>>949
青木健 『ペルシア帝国』 講談社現代新書 (2020)
青木健 『古代オリエントの宗教』 講談社現代新書 (2012)
青木健 『マニ教』 講談社選書メチエ (2010)
青木健 『アーリア人』 講談社選書メチエ (2009)
青木健 『ゾロアスター教』 講談社選書メチエ (2008)
951考える名無しさん2021/06/23(水) 00:15:37.400
青木健は元々はイスラム神秘主義の専門家らしいね。
その周縁的な仕事ばかりをやっているように見えたけど、
実はそれはあることの裏返しなのだという。
『ペルシア帝国』で触れられていた。
952考える名無しさん2021/07/09(金) 12:51:54.510
①身体への自分の同一化をすてる
②精神への自分の同一化をすてる
③魂への自分の同一化をすてる
953考える名無しさん2021/08/04(水) 09:41:11.570
中世イスラム哲学こそ、哲学の最盛期
954考える名無しさん2021/08/04(水) 09:41:32.610
ヨーロッパの哲学は受け売り
955考える名無しさん2021/11/26(金) 21:03:49.410
age
956考える名無しさん2022/03/24(木) 14:09:39.320
この人てまだ生きてんのん?
957考える名無しさん2022/03/24(木) 20:24:50.360
じゃーーーっっぷ
958考える名無しさん2022/04/17(日) 06:41:16.010
井筒がイスラームにカミカゼ教えたようなところがあるような
959考える名無しさん2022/04/17(日) 06:42:13.270
あいつエラノスとか神秘主義好きだし、すぐに分かるような感じではないかもだけど
960考える名無しさん2022/04/17(日) 06:46:14.960
井筒、かなり詳しいし、ゲームとかに教えてた気もするんだ
全然位相(ジャンル)が違うから、それに隠れて
961考える名無しさん2022/04/17(日) 06:48:16.300
エラノス会議のユングとか、読んだ感じがマンガに近いよね
962考える名無しさん2022/05/17(火) 12:09:53.560
あと、FFのプログラマのナーシャ・ジベリとか
イラン出身だっけ?
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1考える名無しさん2017/05/24(水) 21:31:52.490
井筒俊彦(1914-1993)スレ
2考える名無しさん2017/05/24(水) 21:32:49.140
著作
『アラビア哲学―回教哲学』 (1948年)
『神秘哲学―ギリシアの部』 (1949年)
『アラビア語入門』 (1950年)
『マホメット』 (1952年)
『ロシア的人間―近代ロシア文学史』 (1953年)
『イスラーム生誕』 (1979年)
『イスラーム哲学の原像』 (1980年)
『イスラーム文化―その根底にあるもの』 (1981年)
『イスラーム思想史―神学・神秘主義・哲学』 (1982年)
『コーランを読む』 (1983年)
『意識と本質―精神的東洋を索めて』 (1983年)
『意味の深みへ―東洋哲学の水位』 (1985年)
『コスモスとアンチコスモス―東洋哲学のために』 (1989年)
『超越のことば―イスラーム・ユダヤ哲学における神と人』 (1991年)
『意識の形而上学―「大乗起信論」の哲学』 (1993年)
『読むと書く 井筒俊彦エッセイ集』 (2009年)
訳書
『コーラン(上中下)』 (1957-58年)
『愛のロゴスとパトス』 マルティン・C・ダーシー (1957年)
『ルーミー語録』 ジャラール・ルーミー (1978年)
『存在認識の道 存在と本質について』 モッラー・サドラー (1978年)
3考える名無しさん2017/05/24(水) 21:33:11.340
英文著作
Language and Magic - Studies in the Magical Function of Speech (1956年)
Towards a Philosophy of Zen Buddhism (1977年)
Sufism and Taoism (1984年)
老子 Lao-Tzu The way and its virtue (2001年)
The Structure of Oriental Philosophy Collected Papers of the Eranos Conference (全4巻)(2008年)
God and Man in the Koran Semantics of the Koranic Weltanschauung (2015年)
The Concept of Belief in Islamic Theology (2016年)
独文著作(訳書)
Bewusstsein und Wesen (2006年)
英文著作(訳書)
『意味の構造―コーランにおける宗教道徳概念の分析』 (1972年)
『禅仏教の哲学に向けて』 (2014年)
『井筒俊彦英文著作翻訳コレクション』 (全7巻)
『1 老子道徳経』 (2017年4月)
『2 クルアーンにおける神と人間―クルアーンの世界観の意味論』 (2017年6月)。以下は予定
『3 存在の概念と実在』 (2017年9月)
『4 言語と呪術―発話の呪術的機能の研究』 (2017年12月)
『5 イスラーム神学における信の構造―イーマーンとイスラームの意味論的分析』 (2018年1月)
『6 エラノス会議―東洋哲学講演集』 (2018年2月)
『7 スーフィズムと老荘思想(上・下)』 (2018年9月)
4考える名無しさん2017/05/24(水) 21:33:28.910
対談・伝記・研究
『叡知の台座 井筒俊彦対談集』 (1986年)
『井筒俊彦 叡知の哲学』若松英輔 (2011年)
『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』 若松英輔 (2015年)
『井筒俊彦とイスラーム 回想と書評』 松原秀一・坂本勉編 (2012年)
『井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生』 〈KAWADE道の手帖〉 (2014年)
『井筒俊彦記念論文集 Consciousness and Reality』 松原秀一ほか編 (1998年)
5考える名無しさん2017/05/24(水) 21:36:35.720
以上
6考える名無しさん2017/05/24(水) 21:41:52.630
『意識と本質』しか買ってないな。
コーランも読まなきゃ。
7考える名無しさん2017/05/24(水) 21:53:44.300
道教からイスラムまで広いな。
『意識と本質』は読み始めたばかりだけど、西洋哲学への言及もあるし、
抜かりない著述家、哲学者だな。
8美魔女2017/05/24(水) 22:00:13.150
もうすぐ世界最大はイスラム教になりそうな勢いなんですって✨
9考える名無しさん2017/05/24(水) 23:05:34.960
1960年代に空白があるのは学生運動に伴う紛争がらみで忙しかったからだろうか。
10考える名無しさん2017/05/25(木) 00:08:30.200
全集の9巻と別巻には講演の音声CDがついてるね
11学術2017/05/25(木) 08:47:35.460
クルアーンね。しかし情報をつないでいるだけじゃダメなんじゃないの。
内戦で国交を開きつつ布教したらいい。日本も。
12考える名無しさん2017/05/25(木) 13:04:18.490
イスラム文化は西洋や西洋に染まった日本のような気持ち悪さがない。宗教的なのに、いびつなことしてない
13考える名無しさん2017/05/25(木) 17:37:24.250
和辻の風土論についてはどう思ってたんだろうね。
アラブは戦闘的だという。
1492017/05/25(木) 19:04:39.760
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/18616.pdf
1969年にマギル大学の教授になっているが、
1961年にすでに日本を離れていたんだな。
15考える名無しさん2017/05/25(木) 19:39:58.090
>>3に
God and Man in the Koran, Semantics of the Koranic Weltanscahuung (1964)
が抜けてるな。
16152017/05/25(木) 20:07:12.200
間違えた。1964年に出たものが2015年に改めて出たということか。
17考える名無しさん2017/05/26(金) 10:51:46.040
日々の生活での返済、お支払いでお悩みの方。
急な出費などで、今月の生活費が足りない方。
多重債務、ヤミ金、家賃滞納でお困りの方。
東京、神奈川、千葉、埼玉にお住まいの方は優遇です。
エヌピ-オ-法人 エスティーエー
18考える名無しさん2017/05/26(金) 21:51:37.720
戦前には満鉄調査部に居たんだな。
19考える名無しさん2017/05/27(土) 00:34:30.350
満鉄では大川周明の元、膨大なアラビア語文献を読んでイスラーム研究を本格化した。
20考える名無しさん2017/05/27(土) 00:35:29.880
大川の本も新しくなっているから読んでみようか。
大川周明 『文語訳 古蘭(コーラン)(上下)』 (2010)
大川周明 『回教概論』 (ちくま学芸文庫2008、中公文庫1991)
『古蘭』サンプルページ
http://www.shoshi-shinsui.com/book-koran.htm
21考える名無しさん2017/06/01(木) 03:18:46.250
https://twitter.com/yamauchishiro/status/868001380774039552
今度6月に刊行される『道の手帖井筒俊彦』(増補版、河出書房新社)に、
私の「井筒俊彦と中世スコラ哲学」が収録されるようです。
スコトゥスの存在一義性とアヴィセンナの存在偶有性説の関係が書いてあります。
22考える名無しさん2017/06/01(木) 21:33:47.490
二木秀雄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9C%A8%E7%A7%80%E9%9B%84
大日本帝国陸軍技師となり、731部隊(関東軍防疫給水部本部)に所属[2]、第一部第十一課[4]結核班(二木班)班長。
1945年頃、金沢市で与論社を創設し、雑誌『パブリックオピニオン』を発行。
1946年上京し、雑誌『日本与論』を発行した[5]。同年、ジープ社社長として、右翼系政界誌『政界ジープ』を創刊[6][7]。素粒子堂病院院長[6]。
1950年11月、日本ブラッドバンクの設立発起人となり、重役に就任[6]。のちミドリ十字取締役。
1953年4月、第3回参議院議員通常選挙に石川選挙区から無所属で立候補、3位で落選。
1956年、大企業・銀行・政治家などを対象とした暴露記事による恐喝事件
「政界ジープ事件」を起こし、19社から6435万円を脅し取ったとしたとして逮捕、
起訴され、1969年、最高裁判所で懲役3年の刑を言い渡された[8]。
1970年代初め、宗教法人日本イスラム教団を設立、患者をすべてイスラム教に入信させたとしてアラブ産油諸国から援助金を得たが、入信が偽りであったことが発覚し大問題になった[9]。
23学術2017/06/01(木) 21:36:33.260
地味だな。結核だってジープで割れる。
24学術2017/06/01(木) 21:37:12.740
作家遠藤は元気かなあ。放送大学でお会いしたけど。
25学術2017/06/01(木) 21:38:10.990
聖書の中の女たち マグダラ の マリア。が秀逸。
26考える名無しさん2017/06/01(木) 21:46:51.810>>29>>31
単行本 ? 2017/5/25
「飽食した悪魔」の戦後 七三一部隊と二木秀雄『政界ジープ』 加藤 哲郎
https://www.amazon.co.jp/dp/4763408097/
内容紹介
731部隊の闇と戦後史の謎に迫る!
雑誌『政界ジープ』創刊、ミドリ十字創設、731部隊隊友会、日本イスラム教団――
残虐な人体実験・細菌戦を実行した医師がたどる戦後の数奇な運命
GHQと旧軍情報将校の合作による731部隊「隠蔽」「免責」「復権」の構造
731部隊で結核・梅毒の人体実験を企画・実行した二木秀雄。
戦後GHQによって免責された彼は、
故郷の金沢で時局雑誌刊行を始め、政財界にも人脈を広げる。
個人の一生をたどりながら、戦後に連続した731部隊の隊員たちの活動と、
医療民主化の裏側での医学者たちの復権を
アメリカ公文書などの新資料から明らかにする。
出版社からのコメント
隊員数、3560名。
731部隊の解散命令は、いまだ出されていない――。
三つの掟
一、郷里へ帰ったのちも、七三一に在籍していた事実を秘匿し、軍歴をかくすこと
二、あらゆる公職につかぬこと、
三、隊員相互の連絡は厳禁する
内容(「BOOK」データベースより)
731部隊で結核・梅毒の人体実験を企画・実行した二木秀雄。
戦後GHQによって免責された彼は、故郷の金沢で時局雑誌刊行を始め、政財界にも人脈を広げる。
個人の一生をたどりながら、戦後に連続した731部隊の隊員たちの活動と、
医療民主化の裏側での医学者たちの復権をアメリカ公文書などの新資料から明らかにする。
27学術2017/06/01(木) 21:48:39.790
人体はシチュエーション低レベル。動物に実験体にされてもサムイのはサムライ。
28学術2017/06/01(木) 22:02:29.770
寒威
29考える名無しさん2017/06/01(木) 22:51:55.320
>>22、>>26
こういう話は出てこない
30考える名無しさん2017/06/01(木) 23:13:16.050
無知にも程がある
31考える名無しさん2017/06/02(金) 00:01:07.260
>>26
波平のくせに
32考える名無しさん2017/06/02(金) 10:08:56.680>>37
紀伊国屋に井筒俊彦全集が置いてあって、
アラビア哲学を手にとってみたが、
挫折した。
33学術2017/06/02(金) 11:21:44.700>>99
井筒は中退組だよ。挫折の運命。
34考える名無しさん2017/06/02(金) 11:59:58.990
経済学部を中退して思想へ向かった博学な人というと、
経済学部を中退してはいないが芸術思想に向かった浅田彰のような感じもしてくる。
35考える名無しさん2017/06/02(金) 12:33:38.650
そういや中田考も早大政経中退だな。
36考える名無しさん2017/06/04(日) 21:44:45.080>>42>>45
>>2-4
(2013-2016年)
井筒俊彦全集 第1巻 アラビア哲学
井筒俊彦全集 第2巻 神秘哲学
井筒俊彦全集 第3巻 ロシア的人間
井筒俊彦全集 第4巻 イスラーム思想史
井筒俊彦全集 第5巻 存在顕現の形而上学
井筒俊彦全集 第6巻 意識と本質
井筒俊彦全集 第7巻 イスラーム文化
井筒俊彦全集 第8巻 意味の深みへ
井筒俊彦全集 第9巻 コスモスとアンチコスモス (講演CD付き「コスモスとアンティ・コスモス」)
井筒俊彦全集 第10巻 意識の形而上学
井筒俊彦全集 第11巻 意味の構造
井筒俊彦全集 第12巻 アラビア語入門
井筒俊彦全集 別巻 (講演CD付き「言語哲学としての真言」)
(1991-1993年)
井筒俊彦著作集 1 神秘哲学
井筒俊彦著作集 2 イスラーム文化
井筒俊彦著作集 3 ロシア的人間
井筒俊彦著作集 4 意味の構造
井筒俊彦著作集 5 イスラーム哲学
井筒俊彦著作集 6 意識と本質
井筒俊彦著作集 7 コーラン
井筒俊彦著作集 8 コーランを読む
井筒俊彦著作集 9 東洋哲学
井筒俊彦著作集 10 存在認識の道
井筒俊彦著作集 11 ルーミー語録
井筒俊彦著作集 別巻 対談鼎談集・著作目録
37考える名無しさん2017/06/04(日) 21:45:18.320
>>32
「アラビア哲学」はいきなりクライマックスという感じ。
38考える名無しさん2017/06/04(日) 21:45:43.990
導入にオススメなのは、
井筒の仕事にオムニバス的に触れることが出来る、
・『井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生』〈KAWADE道の手帖〉
・『井筒俊彦 叡知の哲学』
各書籍の紹介がある、
・『井筒俊彦とイスラーム 回想と書評』
本人の言葉による、
・『読むと書く 井筒俊彦エッセイ集』
・『叡知の台座 井筒俊彦対談集』
主著、
・『意識と本質』
39考える名無しさん2017/06/04(日) 21:46:03.390
イスラム初心者の人には、
・『イスラーム文化―その根底にあるもの』
がオススメ。
40考える名無しさん2017/06/04(日) 21:47:04.410
井筒のテーマは、
古代ギリシャ、中世スコラ学、聖書学、神秘主義、
現象学、存在論、詩論、ロシア文学、イスラム哲学、ユダヤ哲学、
インド哲学、仏教哲学、密教哲学、老荘思想、東洋のシャマニズム、
ポスト構造主義、比較宗教学、言語哲学、、、
と多岐に渡るので、自分に合ったものを選ぶといい。
41考える名無しさん2017/06/04(日) 21:48:08.890
意識の深層次元における言葉や意味の生成を主題にしたということで、
イメージとして近いのは、デリダやクリステヴァら後期ポスト構造主義だろうか。
42考える名無しさん2017/06/05(月) 00:45:20.530>>48
>>36
「井筒俊彦全集」詳細
http://www.keio-up.co.jp/kup/izutsu/cw.html
43考える名無しさん2017/06/08(木) 11:19:16.880
東大法学部を出たアカデミシャンで井筒並の知の巨人って誰かいますか?
井筒に言及したことのいる東大関係者
渡辺浩、宇野重規、中島隆博、中村廣治郎、今道友信
44考える名無しさん2017/06/08(木) 22:20:55.180
苅部直とか和仁陽とか木庭顕のような、
政治思想史、基礎法学方面の人は、
該博な知識を持っていそうな気がする。井筒には及ばないにしても。
45考える名無しさん2017/06/08(木) 23:26:14.920
>>36
『井筒俊彦著作集 別巻 対談鼎談集・著作目録』
・文学と思想の深層 (遠藤周作)
・東西の哲学 (今道友信)
・イスラーム文明の現代的意義 (伊東俊太郎)
・神秘主義の根本構造 (上田閑照、大沼忠弘)
・スーフィズムとミスティシズム (H・ランドルト)
・ユング心理学と東洋思想 (J・ヒルマン 河合隼雄)
・イスラーム世界とは何か (岩村忍)
・思想と芸術 (安岡章太郎)
・二十世紀末の闇と光 (司馬遼太郎)
※全集では各巻に分散して所収
46考える名無しさん2017/06/08(木) 23:27:23.530
『井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生』 〈KAWADE道の手帖〉 (2014年)
・ジャック・デリダ(丸山圭三郎/訳)「<解体構築>DÉCONSTRUCTIONとは何か 書簡」
・大江健三郎「井筒宇宙の周縁で『超越のことば』井筒俊彦を読む」
・中沢新一「創造の出発点」
ほか
デリダ「<解体構築>DÉCONSTRUCTIONとは何か 書簡」は、井筒宛の書簡。
デリダのトレードマークである"脱構築"を説明した最重要のものとして知られている。
オリジナルは、
Jacques Derrida, "Lettre à un ami japonais", Psyché:Inventions de l'autre, 1987
(デリダ『プシュケー』(未完訳)所収「日本の友人への手紙」)
47考える名無しさん2017/06/08(木) 23:29:29.190
>>2-4
井筒俊彦文献表 編年体順(PDF)
http://www.tenri-u.ac.jp/topics/q3tncs00001diyeb-att/data3.pdf
48考える名無しさん2017/06/09(金) 23:39:41.720
>>42
やはり、西田が行なった東西哲学の統合という話もある
49考える名無しさん2017/06/09(金) 23:40:13.320
井筒俊彦全集9巻
・いま、なぜ、「西田哲学」か
・『西谷形而著作集』推薦
50考える名無しさん2017/06/09(金) 23:41:29.350
井筒俊彦 「東洋哲学の行方を考える」 (井筒俊彦全集別巻)
東洋文化にたいする関心が急に高まりだしている。東洋学者にとっては喜ぶべき事態であるのかもしれない。
だが現代のこの動向には、それなりの陥穽がある。東洋主義独走の危険ということだ。
地球社会的な世界文化パラダイムが求められている今日の思想状況では、孤立した東洋主義はもはや通用しない。
東洋哲学もまた異文化との活発なディアレクティクから生まれてくる、世界に向かって開かれた思想でなければならないのである。(執筆年未詳)
51考える名無しさん2017/06/09(金) 23:47:45.960
×西谷形而
○西谷啓治
52考える名無しさん2017/06/10(土) 05:21:03.830
イスラームは計略と軍事を重視する宗教なので「誠実」は重視されず情報戦や宣伝戦が常に活発に行われる。
「イスラームは誠実で平和です」もすでに宣伝戦。
西アジア史に疎い人はこの辺の機微が分からないので、まんまと騙される。
53考える名無しさん2017/06/12(月) 00:25:01.920
イスラムと言っても宗教と政治、文学などでは違いがあると思う。
平和とは思わないし、謀略もあるだろうが、
アラブ、ペルシャ、その他の何をやるにしても、誠実さは最後まで残るという印象。
54考える名無しさん2017/06/13(火) 01:27:30.260
日本に帰ってきたばかりのころの講演のイスラーム哲学の原像でも老荘思想は既に出てたけど、晩年になる程その色が濃くなっていくな
意識と本質だとイスラーム哲学は一要素に過ぎなくなってる
55考える名無しさん2017/06/15(木) 00:53:21.500
http://blog-imgs-91.fc2.com/l/e/o/leonocusto/201611201957479b0.png
http://stat.ameba.jp/user_images/20110109/14/shintaidojin/16/cf/j/t02200381_0395068410972287833.jpg
岩波文庫版『意識と本質』の表紙には「老子道徳経」が印刷されているね。
英文著作『老子道徳経』が邦訳されたばかりだから読みたいと思ってる。
56考える名無しさん2017/06/22(木) 21:27:16.270
「井筒俊彦とキリスト教」
https://twitter.com/201yos1/status/877656259108814849
57考える名無しさん2017/06/23(金) 03:37:38.190
中田考はどうしちゃったの
58考える名無しさん2017/06/29(木) 00:12:54.480
かんそう【観想】
(1)[仏] 特定の対象に深く心を集中すること。観念。
(2)[哲] 〔ギリシャ theoria; ラテン contemplatio〕
(ア)感官的知覚や行為の実践を離れて、対象を直観すること。テオーリア。 → 思弁
(イ)宗教的修行や神秘主義で、超感覚的・神的本体を心に映ぜしめる霊的直観。冥想。黙想。静観。
(3)美の直観。観照。
(大辞林 第三版の解説)
59考える名無しさん2017/06/29(木) 18:30:26.010
同意
60考える名無しさん2017/07/11(火) 23:34:21.840
“構造主義(Structuralism)勃興以来、いわゆるポスト構造主義を経て、
今やそのポスト構造主義の彼方への乗り越えすら云々されております”
― 井筒俊彦「言語哲学としての真言」(1984年、高野山での講演)
61考える名無しさん2017/07/19(水) 00:44:07.780>>75
井筒は自分に一番影響を与え大学の卒論テーマにもした
次に影響受けたのが純粋経験言い初めたウィリアムジェイムス
純粋経験と井筒の「存在の0ポイント」が全く同じ認識領域示してるような気がしてならないが実際の所どうなんだろ?
62考える名無しさん2017/07/21(金) 03:03:33.920
知らね
63考える名無しさん2017/07/21(金) 10:00:38.320
分からないなら書き込むなよwかまってちゃんかよ
64考える名無しさん2017/07/21(金) 12:04:02.490>>65>>66>>67
井筒は自ら現代思想に言及してボロを出した感がある
65考える名無しさん2017/07/22(土) 02:29:42.790
>>64
どうして?
66考える名無しさん2017/07/22(土) 13:37:04.200
>>64
そうか?ならその当時現代思想の親玉だったデリダから何故巨匠と呼ばれていた?
67考える名無しさん2017/07/22(土) 13:38:25.620
>>64
まあニューエイジとかに興味持ってきた晩年はちょっとなとは思う
68考える名無しさん2017/07/22(土) 13:44:58.930
ニューエイジなんか言ったっけ
69考える名無しさん2017/07/22(土) 13:46:40.400
井筒の無分節ないしは未分節は主客未分の純粋経験と共通点がある
井筒は禅体験してる
純粋経験をジェイムスから援用した西田きたろうも参禅体験してる
ジェイムスは哲学者であるとともに心理学者で宗教学者
精神疾患を宗教を慰めに克服した経験を記しおそらく何らかの宗教体験がある
西田も共通体験があるから援用したのだろうし
70考える名無しさん2017/07/22(土) 13:50:38.360>>72>>372
イスラム教のことすらよく分かってないのに、井筒さんを読んでも何も分からん気がする、ってことで読んだことがない。
そんでイスラム教について勉強しようとしても、入門書や解説書は山ほどあるけど、コーランについての注釈書になると途端に手に入りにくくなる。
聖書についての注釈書だったら廉価でいくらでも買えて、日本人によるものも多数あるのとは対照的。
誰か代表的な注釈書でも訳してくれんかね
71考える名無しさん2017/07/22(土) 13:53:54.130
中田考には実践活動だけでなくそういう理論面での活動もやってほしい。
72考える名無しさん2017/07/22(土) 13:53:57.830
>>70
コーランは自分は井筒の訳した岩波版は読みにくかった
中央公論の世界の名著のコーランが一番読みやすかった
73考える名無しさん2017/07/22(土) 14:00:06.820>>76
イスラムスーフィズムに置ける自我の消滅を意味するファナーと仏教における煩悩の消滅を意味する涅槃は共通点がある
井筒は仏教の真如とイスラム(恐らくイスラム神秘主義)のアラーは同じものを指すと言ったらしいが
74考える名無しさん2017/07/22(土) 15:01:26.270
悟りを開いてしまっているのですよね、意識が
そうなると、宗教にはなっても哲学にはならない
75考える名無しさん2017/07/24(月) 23:44:44.120
>>61
同じだろうね。
形而上学的思惟の極限である「意識と存在のゼロ・ポイント」において
看取されるものとして、古今東西の様々な例が取り上げられている。
仏教の「真如」やプロティノスの「一者」、老子の「道」なども。
76考える名無しさん2017/07/24(月) 23:47:54.220>>78
>>73
> 井筒は仏教の真如とイスラム(恐らくイスラム神秘主義)のアラーは同じものを指すと言ったらしいが
「二十世紀末の闇と光」でその件について触れている。
77考える名無しさん2017/07/25(火) 01:00:27.240
あっそ
78考える名無しさん2017/07/29(土) 19:54:15.570
>>76
中沢新一×河合隼雄『仏教が好き!』(2003)でも触れられている。
この件は、井筒哲学の中でも最重要のテーマの一つだろう。
79考える名無しさん2017/07/29(土) 20:08:47.330
ただ、ここまで振り返ってようやく2003年だからね。
最近では「ポスト井筒的な真如像」というのも出てきている。
80考える名無しさん2017/07/29(土) 20:09:52.060
井筒誰やねん
81考える名無しさん2017/07/29(土) 20:37:23.170>>82
よくわかんないけど、井筒の本買ったお。
意識の形而上学。
82考える名無しさん2017/07/29(土) 20:45:48.350>>83
>>81
それは大乗仏教の大乗起信論の解釈書だから直接井筒のイスラム観知るには少し
イスラム哲学の原像当たりと併読すると面白いかも知れない
井筒のイスラム観は批判もある事を踏まえた上でだけど
83考える名無しさん2017/07/29(土) 21:09:52.190>>88
>>82
おっと、あぶないあぶない。
ありがとうございます。
●意識と本質: 精神的東洋を索めて
●イスラム哲学の原像
も追加購入致しました(о´∀`о)
84考える名無しさん2017/07/29(土) 21:13:42.360>>85>>87
存在認識の道を読むのがいいと思うが
85考える名無しさん2017/07/29(土) 21:17:46.460
>>84
読みたいけど、ちと高かった。。゚(゚´ω`゚)゚。
86考える名無しさん2017/07/29(土) 21:18:05.040
Des Barbares et du Dao
https://www.franceculture.fr/emissions/les-cours-du-college-de-france/universalite-mondialite-cosmopolitisme-chine-japon-inde-5
87考える名無しさん2017/07/29(土) 21:19:10.190
>>84
それもありだと思うけど最初は薄いヤツの方が入りやすい
88考える名無しさん2017/07/29(土) 21:58:32.090
>>83
イスラム生誕とかも読みやすく手頃な価格で井筒俊彦の哲学色が強いその三著書に比べて一般的入門書色が強い
89考える名無しさん2017/07/29(土) 23:36:53.310
『意識の形而上学』は井筒の遺作だね。
巻末には豊子夫人によるあとがきがあり、
井筒がその後に構想していたテーマのいくつかが書き出されている。
90考える名無しさん2017/07/29(土) 23:38:18.200>>91
逝去から四半世紀が経ち、
井筒が手掛けなかった領域やアプローチで
ポスト井筒的な仕事をする人達も出てきているし、
今は、その様な例をいくつ挙げることが出来るか、というところだろう。
91考える名無しさん2017/07/29(土) 23:44:07.570
>>90
自分はイスラム方面除いては若松英輔位しか知らないけど誰がいる?
92考える名無しさん2017/07/29(土) 23:51:41.180
若松といってもね。
安藤もいるか。
まあ、男芸者みたいなもんでありがたいが、ポスト井筒ではないな。
93考える名無しさん2017/07/30(日) 22:05:03.190
名前だけなら他スレなどでも6~7人は挙がっている。
大なり小なりあるけど、井筒の仕事の先にある哲学的な成果を上げている人ね。
94考える名無しさん2017/08/05(土) 19:23:29.860
てst
95考える名無しさん2017/08/10(木) 19:46:26.210
731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~ NHKスペシャル
http://www6.nhk.or.jp/special/sp/detail/index.html?aid=20170813
2017年8月13日(日) 午後9時00分~9時49分 NHK総合
戦時中、旧満州で密かに細菌兵器を開発し実戦で使用した、731部隊。
部隊が証拠を徹底的に隠滅、元隊員が固く口を閉ざしたため、その実像を知る手がかりは限られてきた。
今回NHKは、終戦直後、旧ソ連で行われたハバロフスク裁判の音声記録を発掘。
20時間を越える記録では、部隊中枢メンバーが、国防や国益のためとして細菌兵器を開発した実態、
そして旧満州で日本に反発していた中国や旧ソ連の人々を
「死刑囚」とし、細菌兵器開発の「実験材料」として扱っていた実態を、克明に語っていた。
さらに、元隊員の資料や当時の学術界の膨大な記録からは、軍だけでなく学術界からも多くの研究者が
部隊に参加していた実態が浮かび上がってきた。
満州事変以降、学術界が軍と関係を深めていった過程、
そして日本軍が旧満州で反発する人々を死刑にすることについて世論の支持が高まる中で
「死刑囚」を研究に活用する動きが相次いでいた実態も明らかになってきた。
731部隊はどのようにして生まれ、そして医学者たちは、どう関与していったのか。
数百点にのぼる資料をもとに、731部隊設立の謎に迫る。
96学術2017/08/10(木) 21:41:33.480>>97
徒刑囚 実験素材。
囚ビズ アンド ag
97考える名無しさん2017/08/14(月) 01:07:31.860
>>96
井筒の本はどれを読んだことがあるのかな?
98考える名無しさん2017/08/14(月) 01:08:24.070
今どの辺りの話をしているのか分かるだろうか?
99考える名無しさん2017/08/15(火) 00:25:51.680>>101>>133
>>33
井筒哲学の欠点とは具体的にどこか?
100考える名無しさん2017/08/16(水) 21:34:08.620
ウィリアムジェームスの心理学読んでるが彼の心理学の手法は内観で自分の心理状態をチェックして心理学に敷衍する手法だったらしい。
井筒俊彦も内観で形而上的体験をしてる
ジェームスの純粋経験と井筒の存在の0ポイント体験はやはり同じだろうな
101考える名無しさん2017/08/22(火) 02:40:28.870
>>99
天才すぎて、思考が難解すぎて一般人じゃ容易に理解できない。
102学術2017/08/22(火) 07:09:33.280>>104
井筒は大学先輩で中退組だ。もっといいテクストが公開されると思う。
103学術2017/08/22(火) 07:11:37.660
中退じゃないのか。
104考える名無しさん2017/08/22(火) 07:22:17.520
>>102
> もっといいテクスト
どんな?
105考える名無しさん2017/08/22(火) 19:46:14.620
コテまでつけてデタラメ書き込んでんだから救いようないな
106考える名無しさん2017/08/22(火) 20:42:26.610
虚言癖?
107考える名無しさん2017/08/22(火) 21:13:20.750
学術は天才で好き。虚言癖じゃない。
ホーネットが1番嫌い。虚言癖。あんまりでてこないけれど。
108考える名無しさん2017/08/22(火) 21:23:19.660>>109
自然過程説、マジレス、学術は許さない。
清見、しのさんはおっけー。
109考える名無しさん2017/08/22(火) 21:27:27.550
>>108
やだなあ。゚(゚´ω`゚)゚。
110考える名無しさん2017/08/31(木) 15:48:30.720>>111
存在認識の道の巻末広告に、スフラワルディーの顕照哲学も井筒訳で載ってるけど、結局全く手つかずだったのかな
正直、モッラー・サドラーよりこっちのほうを訳して欲しかった
全訳は無理でも一部だけでも訳してくれたらよかったのに
111考える名無しさん2017/09/01(金) 21:29:11.580
>>110
意識の形而上学の最後にこれから刊行予定としてスフラワディー出てたけど亡くなったからなあ
112考える名無しさん2017/09/04(月) 00:11:39.750>>123
ジェームズの純粋経験が、どれぐらい仏教の影響を受けているのかが気になる。
ニーチェとも近い世代だから、そういうこともあっただろうとは思うが。
(1842-1910)ウィリアム・ジェームズ
(1844-1900)ニーチェ
113考える名無しさん2017/09/04(月) 00:12:02.900
心理学における仏教の影響-過去と展望-
https://www.psych.or.jp/meeting/proceedings/76/contents/pdf/WS125.pdf
たとえば,ウィリアム・ジェームズは,自らの講演中,仏教徒ダルマパーラに短い講話を求め,
この「仏教教理は,25年以内に,誰もが研究することになる心理学となるだろう」と述べている。
実際には,彼の予想通りにはならなかったが,心理学・深層心理学と仏教との関連は,何度となく議論されてきた。
114考える名無しさん2017/09/04(月) 00:56:55.570
井筒は今道友信との対談で、
光の仏陀である大日如来と、スフラワルディーの光の形而上学とを重ねたりもしている。
115考える名無しさん2017/09/04(月) 00:57:31.340
“十二世紀ペルシャの哲学者スフラワルディーが「東洋哲学」ということを考えた”
“その「東洋」ということはアラビア語で「マシュリック」Mashriqというんですが、
「マ」とは「場所」ということで、「シュリック」というのは「黎明の光」という、
暁の光がさしそめるその場所ですね”
“哲学とは精神の「東洋」を探求することでなければならない”
“(略)いわゆるアラブ国家、アラブ文化圏とインド、トルク、ユダヤ、それからペルシャ、そして中国、
チベット、日本などが全部一つになって、
それが精神の黎明の場所みたいな感じにぼくの心には映ってくるわけなんです”
― 井筒俊彦「東西の哲学」〔今道友信との対話〕(『井筒俊彦全集 第五巻』)
116考える名無しさん2017/09/04(月) 00:58:39.200
『井筒俊彦の東洋哲学とスフラワルディー哲学』
ザキプール バフマン
宗教哲学研究 33(0), 82-89, 2016
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sprj/33/0/33_82/_pdf
117考える名無しさん2017/09/04(月) 00:59:42.150
『光の政治哲学―スフラワルディーとモダン』 (2008)
鈴木規夫
スフラワルディーについてまとまって読めるものはこれ
118考える名無しさん2017/09/04(月) 01:10:27.360>>119
ドラクエのピークがⅢでまともにやれるのがⅣかⅤくらいまでのように、意識と本質もⅢがピークでいいのはⅤくらいまでだな
それ以降は今一ネタばかりだな
後半のカバラネタばかりだなとかもうネタ切れ感だな
119考える名無しさん2017/09/04(月) 01:30:30.480
>>118
新しいネタとは例えばどういうものかな?
紹介できる?
120考える名無しさん2017/09/04(月) 01:39:07.700
『意識と本質』の全編を通して紹介されているのは、押さえておかれるべき古典中の古典ばかりでしょ。
121考える名無しさん2017/09/04(月) 02:28:09.040>>122>>127>>675
専門家数人分の仕事をやった井筒だから、足りないというつもりはないが、
井筒にも、力を入れてやらなかったものというのはある。
・数学的アプローチ
・経済/社会モデル
・アフリカ(的段階)
今は、こういうものの先を見ていかなければいけない。
122考える名無しさん2017/09/04(月) 02:35:52.040
>>121
井筒好きだね。井筒より天才なくせに。
123考える名無しさん2017/09/05(火) 14:16:38.840>>125
>>112
宗教的経験の諸相に自分は仏教に詳しい訳ではないがと断った上で仏教の業という観念には賛成するという趣旨の事言ってた記憶がある
確認してないので百パーセントの確証はないが
124考える名無しさん2017/09/05(火) 14:31:50.990
ジェームスの純粋経験は座禅してた西田きたろうの哲学の中核概念になった。やはり座禅してたらしい夏目漱石も影響受けた。西田の親友が鈴木大拙で鈴木の後釜としてエラノス会議に参加したのが井筒俊彦だ
井筒も参禅者
鈴木通じて西田哲学の影響もかなり受けてただろう
ジェームスの哲学は禅的なものと相性が良いのだろ
125考える名無しさん2017/09/05(火) 23:38:16.990
>>123
ありがとう。読んでみる。
126考える名無しさん2017/09/09(土) 22:37:09.410>>130
日本版カバラ
平田篤胤「古道大元顕幽分属図」(1820)
http://c.blog.xuite.net/c/e/9/f/18362079/blog_1168435/txt/32408954/4.jpg
セフィロトの樹
http://blog-imgs-76.fc2.com/a/a/5/aa57/treeofflife20150115.jpg
127考える名無しさん2017/09/09(土) 22:40:08.930>>131
>>121
神道もやらなかったな
128考える名無しさん2017/09/09(土) 23:29:04.890>>135
イスラム移民は絶対入れてはならない。同族結婚を繰り返し遺伝子異常がある。
2005年に行われたBBC2の調査では、イギリスで生まれた子供たちの
3.4%がパキスタン系移民の子供たちですが、イギリスで劣性遺伝病を
持って生まれてきた子供たちの30%がパキスタン系であることが分かりました。
1300年もの間、同族結婚を繰り返せば、絶対に遺伝子異常が多発するのは当たり前です。
その結果、まともな判断ができないほど脳が劣化するそうです。
1. 同族交配により生まれてくる子供の異常:
死産の割合が2倍に増える。
分娩時の新生児の死亡割合が50%増える。
嚢胞性線維症や脊髄性筋萎縮症などの常染色体劣性遺伝のリスクが18倍も高くなる。
先天性異常による死亡率が10倍に増える。
2. 心身障害と病気:
両親の血縁関係が近いほど、知恵遅れ、身体障害、統合失調症や精神異常者の割合が増す。
同族交配によって生まれた子供は社会生活能力の発達がかなり遅れる。
例として、固視、社会的微笑、音による発作、口頭表現、
手を握る動作などが同族交配の子供ではかなりの遅れがある。
研究結果により両親がいとこ同士の子供は、IQが10から16ポイント下がることが分かった。
さらにIQが70以下の子供が生まれる確率も高まる。
いとこ同士の両親からは、知恵おくれの子どもが生まれる確率が通常の4倍となる。
129考える名無しさん2017/09/09(土) 23:29:19.140>>132
(デンマークの心理学者のニコライ・セネルス氏の研究結果)
・ソマリア人の3人に1人が精神障害者
・デンマーク最大の精神病棟に入院している精神疾患の犯罪者の40%以上がイスラム系移民
・コペンハーゲンに住む身体障害者の3分の1がイスラム系移民
・デンマークのイスラム系移民がデンマーク陸軍の入隊試験を受けた結果、
デンマーク人に比べ、不合格者の割合が3倍以上となった。
・デンマークの学校ではイスラム系移民の子供たちは過剰反応をするため特別支援教育が
必要とされるケースが非常に多い。
デンマークの学校の予算の3分の1が特別支援教育に使われている。
・デンマークのアラブ系の両親から生まれた子供の64%が、デンマークの教育制度で
10年間の教育を受けた後も職学能力がない。デンマークの高校の中退率は、
イスラム系移民の生徒がデンマーク人の生徒の2倍。
イスラム系の人々はIQが平均的に低いために、彼らは知識を得たり学んだり抽象的思考ができない。
・中東アフリカのイスラム圏では1年にたった330冊の本しかアラビア語に翻訳されていない。
ギリシャの1年間の本の翻訳率のたった20%。
中東アフリカのイスラム圏では過去1200年でたった10万冊の本しかアラビア語に翻訳されていない。
スペインでは1年間で10万冊の本がスペイン語に翻訳がされている。
・トルコでは10人に1人が生まれてから一度も本を読んだことがない。
・世界のイスラム教徒のうち、たった9人しかノーベル賞を受賞していない。そのうちの5人はノーベル平和賞。
・科学的な研究に関しては、世界平均のたった10%しか実施されていない。
130考える名無しさん2017/09/10(日) 09:02:50.530
>>126
http://imgur.com/s6gFfqQ.png
http://imgur.com/E9OUJPI.png
平田の元ネタはこの当たりだろうな
131考える名無しさん2017/09/10(日) 17:46:23.170>>134
>>127
神典である日本書記はコスモスとアンチコスモスで取り扱ってる
132考える名無しさん2017/09/10(日) 17:49:21.410
>>129
無関係なヘイトはうざい!
133考える名無しさん2017/09/10(日) 17:50:43.400
>>99
結論が無分節だから面白くないという人はいる
134考える名無しさん2017/09/10(日) 18:08:18.120>>136>>143
>>131
天地開闢における混沌(カオス)からの秩序(コスモス)成立か。
井筒的なテーマだ。
135考える名無しさん2017/09/10(日) 18:09:30.560
>>128
劣性という言葉の意味間違えてる(笑)
136考える名無しさん2017/09/10(日) 18:13:38.570
>>134
井筒的読みだと神道の聖典でありながらただの神話扱いだった古事記や日本書記も生きてくる
137考える名無しさん2017/09/10(日) 18:35:04.570>>138
割と不思議なのはイスラーム哲学にも中国思想にも興味ありありだったのに中国イスラーム思想には全く触れてない点
138考える名無しさん2017/09/10(日) 18:43:19.700
>>137
情報が少なかったからだろ。チベット仏教に近い思想を抱いてると指摘されるがチベット仏教への言及は意識と本質に孫引きでわずかにあるだけ
浄土宗の山崎弁栄思想とも近いと若松英輔とかは言ってるが多分山崎弁栄も知らなかったろうし
139考える名無しさん2017/09/12(火) 15:18:07.720
意識と本質、コーランを読む、意識の形而上学を井筒三部作として後代に伝えよう
140考える名無しさん2017/09/12(火) 19:22:27.490>>141
意識の形而上学だけ読んでないけど面白いの?
仏教にまるで興味わかないから大乗起信論を読むっても食指が伸びない
意識と本質も禅語ってるところは全く面白くなかったわ
141考える名無しさん2017/09/12(火) 21:35:52.640>>142
>>140
意識と本質が面白く感じたら面白く読めると思う
142考える名無しさん2017/09/12(火) 22:04:05.460
>>141
ふむ、じゃあ買ってみるか
別に高くもないしね
143考える名無しさん2017/09/13(水) 07:36:08.770>>150
>>134
井筒は、混沌(カオス)と秩序(コスモス)の関係をどのようなものだと考えていたのですか?
具体的にどのようにその関係を記述していますか?
144考える名無しさん2017/09/13(水) 11:47:24.550>>145>>147>>151
クルアーン第9章5節
神聖月があけたら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうが良い。
引っ捕らえ、追い込み、至る所に伏兵をおいて待ち伏せせよ。
クルアーン第2章第193節
「宗教が全くアッラーの宗教ただ1つになる時まで、異教徒どもを相手に戦いぬけ」
クルアーン第47章4節
あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。
かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。
その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。
これが哲学なのか?単純に殺人教唆にしか見えないのだが?
145考える名無しさん2017/09/13(水) 12:08:54.170
>>144
井筒俊彦のコーランを読むから読んで言え。些末なネガティブキャンペーンじゃなく背景と読み方から入る。
146考える名無しさん2017/09/13(水) 14:20:01.480
神道的に詩歌は神への捧げ物とされその為に神道家でもあった本居宣長は神道も詩歌も研究して復古神道の基礎を作った
井筒はイスラム以前のジャヒーリヤ時代の詩人はジン(妖霊)に憑かれた人と見られたと述べる
ジンは日本的な感覚なら八百万神になるだろう
詩は神話の原型とも言われる
井筒は人間の無意識にはミュトポイオスと言う神話形成機能があると仮定してる
147考える名無しさん2017/09/13(水) 14:38:59.900>>148>>149
>>144
>第9章5節
>神聖月があけたら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうが良い。
>引っ捕らえ、追い込み、至る所に伏兵をおいて待ち伏せせよ。
ここでいう多神教徒とはムハンマドと敵対するマッカ軍や同盟軍であること。
それがわかるのは前節に
「多神教徒とて、汝らと協定を結んで後は少しも義務を怠らず、また汝らに敵意をもつ人間はただの一人も援助したこともないような人たちは別とする。」
とあることから、ここで殺せという多神教徒というのは、ある特定の敵対勢力に限定されての意味だと分かる。
まず前提として、マッカとムハンマドは戦争状態にあるわけで、神聖月の間は休戦状態にあるだけ。
だから休戦が明けたら再び戦闘に入れと発破懸けてるだけで殺人教唆とかの話じゃなくて当然のことを言ってるだけ
>第2章第193節
>「宗教が全くアッラーの宗教ただ1つになる時まで、異教徒どもを相手に戦いぬけ」
同じ節「しかしもし向うがやめたなら、(汝らも)害意を棄てねばならなぬぞ」
君、もしかして文盲?すぐ続きの文章も読めないの?
>第47章4節
どうみても戦時の規定じゃん
戦争終われば許すか身代金で済ませってことだけど、それもわかない?
148考える名無しさん2017/09/13(水) 15:56:08.820
>>147
しつこいな。出ていけよ。イスラムネガティブキャンペーンはよそでやってくれ
149考える名無しさん2017/09/13(水) 16:08:13.930
>>147
ごめん間違えた。変なのが迷い込んでたから
150考える名無しさん2017/09/13(水) 16:15:25.250
>>143
井筒は無である混沌たるカオスからコスモスが生まれ更にコスモスを無に帰そうとするアンチコスモスとしてのカオスを措定した
聖書の創世記にしろ日本書記にしろ原初の混沌からそれが凝り固まり秩序が形成される
しかしそれは仮初めのものであるとする老荘や大乗仏教の空思想はアンチコスモス思想だと言う
151考える名無しさん2017/09/13(水) 23:32:44.950
>>144
読んだことないだろ?
152考える名無しさん2017/09/18(月) 12:27:09.510
老子道徳経読んでるが英文に翻訳したの日本語に更に翻訳とかかなり意訳になってる
153学術2017/09/18(月) 13:26:16.360
当時の風景が想像できますか。テロのニュースを見ていると。
しかし爆弾ていうのも短絡的に人を殺しすぎる。
154考える名無しさん2017/09/18(月) 17:34:18.090
テロとされる爆弾の被害より、ハリケーンの方がはるかに被害が大きい。
防止できたはずの犯罪行為なのに対策が不十分だったということなら
騒ぎになるが、どこかのミサイル騒動のようにどっちみち自分が
どうしようとなるようにしかならないと人々が感じれば、みんな他人事
で無関心になる。周囲でミサイルが落ちてくるかもしれないなどと
いって心配している人は見たことも聞いたこともない。
155考える名無しさん2017/09/18(月) 17:48:41.710
老子は訳者によって銘々勝手だから、何冊か比較して読むのが吉。
存在論向きのもあれば、処世術向きのもある。
156考える名無しさん2017/09/18(月) 17:53:44.840
自演するな
157考える名無しさん2017/09/18(月) 18:06:15.860
井筒哲学の理解に老子は不可欠
158考える名無しさん2017/09/18(月) 20:38:36.560>>162
イスラム社会といえば、反フェミニズム、反LGBTQとして
批判されていますが、その辺りのイスラム社会の改革は望めないのでしょうか?
159考える名無しさん2017/09/18(月) 21:00:38.570>>165
イランやパキスタンなど、シーア派は女性の教育や社会進出に力を入れていることで有名。
ホメイニ師と「おしん」の例など。
160考える名無しさん2017/09/18(月) 21:21:15.670
桜井啓子、片倉もとこ、重信メイ、、
161考える名無しさん2017/09/18(月) 21:26:17.920>>163>>164
井筒俊彦英文著作翻訳コレクションの老子道徳経はこんな感じの訳
道可非常道 道(という言葉)によって示されるうような道は永遠の「道」ではない
名可名非常名 名(という言葉)によって示されうるような名は永遠の名ではない
162考える名無しさん2017/09/18(月) 21:30:06.430
>>158
ゲイは表向き禁止だが女性との接触が制限されるイスラム社会では昔からかなり公然と横行してる
アラビアのロレンスの映画とかにも描写がある
163考える名無しさん2017/09/18(月) 22:05:30.350
>>161
普通やん
164考える名無しさん2017/09/19(火) 01:00:37.610>>166
>>161
その第一章に出てくる「玄」という語のニュアンスだろうね。
165考える名無しさん2017/09/19(火) 01:06:40.050>>167
>>159
一番大切なのはムスリムの女性達自身がどうありたいか
フェミニズム的「解放」を望んでいるか否か
166考える名無しさん2017/09/19(火) 12:16:37.600>>168
>>164
玄は神秘と訳してる
同謂之玄 (原初の状態において)等しいものである時それは「神秘」と呼ばれる
玄之又玄 衆妙之門 まさにそれはさまざまな「神秘」の中の「神秘」である。そしてそれこそが無数の驚異の出で来る門なのだ
ここらかなり意訳だ
167考える名無しさん2017/09/19(火) 22:56:28.660
>>165
そういうことは、自分でも読んで探したのかな?
168考える名無しさん2017/09/19(火) 22:57:54.580>>170
>>166
それは字面。
ニュアンスといったのはその注に書かれているようなこと。
169学術2017/09/19(火) 23:01:59.030
ニュ 速。
170考える名無しさん2017/09/20(水) 20:26:16.520
>>168
注を要約すると玄は赤黒さで神秘なる深遠さで多様な現象の奥にありしかもそれを越えて存在する絶対的真実について言われたものとある
171考える名無しさん2017/09/21(木) 00:31:18.280
玄は幽玄の玄でもある。
更にその玄から「妙」(隠された本質)を見出すためには~と続く。
172考える名無しさん2017/09/21(木) 00:32:00.930>>187
道というのは「形而上学的に窮極的な存在(=万物の根源)」であるし、
その表れが現象学的に捉えられているということ。
こういうのが東洋の存在論の典型だろう。
173考える名無しさん2017/09/21(木) 00:35:38.420>>809
“真昼時――地上の万物がそれぞれの輪郭線を露出しつつ
キラビヤカに浮かびあがる光の世界――に、
どこからともなく夕闇の翳りしのび寄ってくる。
事物は相互の明確な差別を失い、浮動的・流動的となって、
各自本来の固定性を喪失し、互いに滲透し合って次第に原初の混沌に戻ろうとする。
有分節的世界が己れの無分節的次元に回帰しようとする両者の中間に拡がる薄暮の空間、
存在の深層領域が、人々の好奇心をさそう。
地上の一切が真の闇の中に没して完全に無化されてしまう直前のひと時の暗さには、
何か言いしれぬ魅惑がある。”
― 井筒俊彦 「監修者のことば」 (エラノス叢書 『一なるものと多なるもの〈1〉』(1991))
174考える名無しさん2017/09/21(木) 00:36:43.800
黄昏(たそがれ)の語源
http://blog.livedoor.jp/rh1-manyo/archives/32287801.html
誰(た)そ彼と われをな問ひそ 九月(ながつき)の
露に濡れつつ 君待つわれそ
~作者未詳 『万葉集』 巻10-2240
誰だあれはと 私のことを聞かないでください
九月の露に濡れながら 愛しい人を待っている私を
この「誰そ彼」は「黄昏(たそがれ)」の語源です。
日暮れ時は薄暗く、昔は精霊の跳梁する禍々しい時とされました。
人の見分けがつかないので、「誰そ」と問うて正体を明らかにしたそうです。
(略)ちなみに「たそかれ」とは逆に夜明け前の薄暗闇を指すの言葉は「かはたれ」です。
175考える名無しさん2017/09/21(木) 00:37:05.280
美文だねぇ
176考える名無しさん2017/09/24(日) 12:16:19.410
クルアーンにおける神と人間読み始めた。これから井筒俊彦の英文著作も翻訳される
10月に存在の概念と実在性が出るが今流行の新実在論なり思弁的実在論と比較出来るものがあるだろうか?
思弁的実在論の誰かがイスラム哲学をインスパイアしてると聞いたことあるが
177考える名無しさん2017/09/24(日) 17:18:15.260
大半は指示出来ないな。基本的に達の悪い宗教であることは
間違い無いけど。オスマントルコ壊滅してから今反撃にでてるとかんがえたら
好きにしろって話かな。女性はどうなんだろね
そう言う場所でそだったら自由の意味すら理解してないと思うよ
178考える名無しさん2017/09/27(水) 21:05:11.450
井筒俊彦の説ではイスラム以前のアラビア人は感覚的、現世現実主義、実務主義的で快楽主義者だったとしてるがどうかな?
そしてイスラムの出た背景としてハニーフというユダヤキリスト教の影響を受けつつそれに属さない一神教概念の持ち主たちを挙げるが
179考える名無しさん2017/09/27(水) 21:20:31.670>>180
ユダヤ教キリスト教に属さないハニーフというのは架空でしょ
実際はどちらか、主にキリスト教に属していた
二つよりも古い伝統がアラビアにはあるというクルアーンの建て前の為の架空の存在がハニーフ
180考える名無しさん2017/09/28(木) 09:42:00.220
>>179
クルアーンにおける神と人間ではウマイヤというユダヤキリスト教にもムハンマドにも従わなかった詩人をハニーフの一例として挙げてる
多分ハニーフとは何となく神仏は信じてるけどどこかの宗派に属する意識は持たない日本人みたいなものじゃないだろうか?
イスラム以前のアラビアは世俗的で宗教は形骸化してたようだから
181考える名無しさん2017/09/28(木) 09:49:15.230
「前イスラム期のアラブ人のほとんどは現世が終わったらその後には何もあり得ないと考えてた」
クルアーンにおける神と人間より
182考える名無しさん2017/09/30(土) 13:50:57.480
井筒俊彦の前イスラム史観は大昔はジン(妖霊)の声を代弁する巫者である詩人が部族長だった。
しかしムハンマド時代には詩人の地位は下がり賎業と見なされる事もあった
その頃のアラブ人は現世現実主義だった。
そしてユダヤキリスト教の影響を受けつつそれに属さないハニーフという一神論者が存在した
詩人とハニーフがイスラム誕生の背景となる
恐らく信仰が形骸化してたから偶像破壊にも抵抗は無かった
183考える名無しさん2017/09/30(土) 14:21:47.450
アラビア半島に影響力あったエチオピアはキリスト教国であり、南アラビアのヒムヤル王国はユダヤ教国
北西にはキリスト教のローマ帝国があり、中近東のキリスト教会からは宣教師が継続的に送られてきていた
マッカに近いヤスリブ後のマディーナはユダヤ人の町
メッカにもキリスト教徒はいたし、ムハンマドが啓示を受けた後最初に相談したワラカはキリスト教徒だった
ジャーヒリーヤの正体はすでに一神教が半島を覆い尽くそうとしていた段階
184考える名無しさん2017/09/30(土) 15:35:40.020
イスラムが特にネストリウス派のキリスト教に影響された事は結構知られてるがキリスト教にならずにイスラムというオルタナティブを取った背景にはハニーフの存在があるのではないだろうか?
185運知空海2017/09/30(土) 15:39:06.060
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/:::::\ プキ?
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/:: | ` `💩´' |:\
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__/ ) ( \__
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186考える名無しさん2017/09/30(土) 15:53:36.550
アラビア語で平和はサラームでヘブライ語ではシャローム
アラビア語で神はアラーでヘブライ語ではエル(エロヒーム)
両方とも語源は同じらしい
ユダヤ人とアラビア人は本来兄弟民族なので一神教概念も古くからある程度共有されてたかも
187考える名無しさん2017/10/04(水) 00:12:30.370
>>172
日常生活の中のふとした拍子に、存在の根源性を目の当りにしてしまうという話が、
サルトルの『嘔吐』だった。
『意識と本質』の冒頭でも触れられている。
188考える名無しさん2017/10/04(水) 00:13:16.480
“「ここから先、おまえは一人で進んでいかなくてはならない」と顔のない男は私に告げた。
「方向も道筋もわからなくても?」
「そういうものは必要とはされない」と男は乳白色の虚無の中から低い声で言った。
「もう川の水は飲んだのだろう。おまえが行動すれば、それに合わせて関連性が生まれていく。
ここはそういう場所なのだ」
それだけを言うと、顔のない男はつばの広い黒い帽子をかぶりなおし、私に背中を向けて舟に戻っていった。”
― 村上春樹 『騎士団長殺し』第2部 遷ろうメタファー編 (2017)
189考える名無しさん2017/10/05(木) 01:32:17.690>>191
デリダは、
ヨーロッパ史上死刑を言い渡された四人の重要人物として、
ソクラテス、キリスト、ジャンヌ・ダルクと共に、ハッラージュ(Al-Hallaj)を挙げている。
ハッラージュはジュナイドの弟子。
『中国が読んだ現代思想 サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで』王前(2011)
190考える名無しさん2017/10/05(木) 15:14:27.730>>192
中田考訳のクルアーン読んだが読みにくかった
けど井筒俊彦訳よりまし
あのじい様口調がちょっと…
中公版コーランが一番読みやすい
191考える名無しさん2017/10/05(木) 15:18:13.650
>>189
デリダは人間の意識の中に神が在るという考えだったと思う
だから井筒俊彦を絶賛したし神人合一のハッラージュを評価したのではないか?
192考える名無しさん2017/10/05(木) 20:39:05.540>>195
>>190
ムスリム協会版は?
193考える名無しさん2017/10/05(木) 20:42:26.700
存在を抹消して痕跡を浮かび上がらせるというデリダのビジョンは、
ジュナイドの「ファナー(消滅)/バカー(持続)」と比較される。
ヘルマン・ランドルトとの対談「スーフィズムとミスティシズム 」で読める。
194考える名無しさん2017/10/05(木) 20:44:44.250>>196
ここに出てくるイスラムや仏教の神秘体験では、ファナー/バカーという
意識(=世界)の否定/肯定、あるいは破壊/形成が体験される。
その時、破壊だけで終わるものは偽物なんだと言っている。
世界の解体後に、改めて新しい世界現出が伴うようでなければならないと。
195考える名無しさん2017/10/05(木) 22:31:38.430
>>192
読んでない
196考える名無しさん2017/10/05(木) 22:37:25.140
>>194
仏教は筏の例えで渡り切った筏は棄てなければならないと仏教自体の中にその解体装置を内蔵さす
大乗仏教の各宗派は解体後の新たな世界観になる
勿論意識と本質に見られるような空を体験した後の本質無き分節もあるが
197考える名無しさん2017/10/06(金) 01:06:48.930
「ジュナイドの「原初の契約」におけるファナーとバカー」
澤井 真(オリエントVol.53 (2010) No.2 p.115-132 )
http://ci.nii.ac.jp/naid/130003396318
> 消滅を意味する「ファナー」の語と存続を意味する「バカー」の語は、
> クルアーンの中で対比的な関係として登場する。
> これらの語は,「地上のあらゆるものは消滅する(fānin),しかし,
> 変わらない(yabqā )のは汝の主の顔,偉大で尊厳の所有者である」(Q55:26-27)
> という節に由来する
198考える名無しさん2017/10/06(金) 01:07:43.430
仏教では、世界は意識の対象として、意識の内にあるわけだから、
外的世界の消滅とは、自己解体の先にある。
199考える名無しさん2017/10/06(金) 14:40:08.140
弥陀の身心は法界に遍く
衆生仏をねんずれば仏も還た念じたまう
一心専念すれば能所(主客)亡じ
果満覚王独り了了たり
浄土宗の高僧山崎弁栄が念仏の覚りを詠んだ歌
念仏専心すれば主客が無くなり仏のみが独り聳え立つという事
スーフィや井筒俊彦と共通した体験だろう
200考える名無しさん2017/10/07(土) 20:08:57.620
思弁的実在論のグレアム ハーマンが中世イスラム哲学の機会原因論に触発されたとwikipediaにあったけどハーマンは実在をどう捉えたのだろう?イスラム神秘主義では究極的に実在は神のみとするが
井筒俊彦に創造不断という作品もあったと思うが
201考える名無しさん2017/10/07(土) 22:03:13.520>>202
イブン・ルシュドは創造はすべての瞬間ごとに行われとしたな
本気でそう信じてそう言ったか分からんが
202考える名無しさん2017/10/07(土) 22:22:33.140
>>201
神の絶対性を突き詰めると実在全てに神が介入する事になるから必然的にそうなる
逆が神が実在界に関わったのは創造の時だけで後は時計のように機械的に実在界は動いてるとする理神論。ニュートンなんかが信奉してた
神抜きで刹那刹那に世界は創造されるとしたのが
唯識の刹那滅。
刹那滅は仏教の無常思想から来てる
後唯識のヨーガ行体験もあると思う
203考える名無しさん2017/10/07(土) 23:01:44.290>>208
ハーマンはまだ詳しくないけど、
機会原因論は、物体や精神ではない
神にのみ作用因(事物を生成させる要因)を認めるということ。
創造不断に近いのは、偶然性の哲学かな。
204考える名無しさん2017/10/07(土) 23:03:34.720>>213
86 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2016/02/11(木) 20:14:15.44 0
“この世界は、まったくの偶然で、
別様の世界に変化しうる。”(『偶然性の後で』帯)
実際に読んで思い出したのは、
9~10世紀イスラムのアシュアリー神学。
そこでは、あらゆる時間性や因果性が断ち切られている。
毎瞬間、毎瞬間、世界は新しく創造され、
その行方は「インシャー・アッラー(全ては神の思し召し)」であると。
もちろん、メイヤスーは丁寧に断っているが。。。
「けれども私たちは、安定した世界に生きていることを天の恵みとしていちいちの瞬間に祝福することはしない。」
ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義 [無断転載禁止]©2ch.net
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1451968507/86
×(『偶然性の後で』帯)
○(『有限性の後で』帯)
205考える名無しさん2017/10/07(土) 23:07:29.560
アシュアリー(873‐935)はスンニ派を代表する学派の祖で、カラーム(思弁神学)を確立した。
206考える名無しさん2017/10/07(土) 23:09:12.980
刹那滅は因果が連鎖する。
アシュアリー神学は因果は切断される非線形な原子論。
そういう違いがある。
207考える名無しさん2017/10/07(土) 23:10:46.950
井筒は、この創造不断をデリダのエクリチュール論に結び付ける。
"書く"たびにそこに世界が創出される、というように。
208考える名無しさん2017/10/07(土) 23:18:01.890>>217
>>203
ハーマンは汎心論者らしいが
209考える名無しさん2017/10/07(土) 23:30:30.530
なるほど。
210考える名無しさん2017/10/07(土) 23:45:09.200>>216
思弁的実在論はポストポスト構造主義と言われるからポスト構造主義からは多大な影響受けてる
その中のハーマンはイスラム中世哲学の機会原因論に影響受けてる
この両方から影響を受けた井筒俊彦は思弁的実在論なりハーマンをどう評価したのだろう
211考える名無しさん2017/10/08(日) 06:42:56.240
井筒俊彦は存在認識の道の注で神こそ実在性そのものであるとする
神とは実在であり究極的に宇宙に神以外存在しないという主張に見える
ただし事の深層的次元に置いてだが
212考える名無しさん2017/10/08(日) 11:35:22.220
井筒俊彦が大川周明の大川塾の講師で司馬遼太郎との対談でもイスラムに積極的に関心を持った面白い人と言ったのは有名
しかしそれだけじゃなく井筒と大川は東西思想の比較と統合とか根底にある一如の思想に共通点があるように思える
213考える名無しさん2017/10/08(日) 12:55:21.890
>>204
これは読んだけどそんなところには気付かなかった
214考える名無しさん2017/10/08(日) 23:55:07.990
一如(wiki)
一如(いちにょ)とは、絶対的に同一である真実の姿、という意味の仏教用語である。
「一」は絶対唯一、「如」は真如(tathā)・如同の意で、一異の差別なく平等であることをいう。
世間における一切の事物・現象には実相(真実の姿)があり、普遍的に不二同一であることをいう。
平たく読めば「一つの如し」となる。一でありつつそれは異なるが、異なりつつもそれはそれは一であるという、真如を弁証法的に表現した語である。
もとは老荘思想の概念であり、万物を生成し存在している真実の相、またその差別相を超越した存在義を意味する。
のちに、本来の仏教用語から派生し、剣禅一如などとも転用されるようになった。
215考える名無しさん2017/10/08(日) 23:55:43.670
マールブランシュの機会原因論
Cause occasionnelle chez Malebranche
http://www.furugosho.com/precurseurs/malebranche/occasion.htm
216考える名無しさん2017/10/08(日) 23:57:15.530
>>200、>>210
ガザーリーか。
Occasionalism is the idea that God is the cause of all things.
Harman’s motif example of object-object relations is fire and cotton which comes from the the Islamic philosopher Al-Ghazali,
who repeats from the Qu’ran: “Fire does not burn cotton ? only God burns cotton”.
https://avoidingthevoid.wordpress.com/dictionary-of-concepts-for-graham-harmans-object-oriented-philosophy-draft-work-in-progress/
ハーマンはハイデガーから中世スコラ学に遡って、そこでイスラムに接しているという点で、
普通に哲学史の通りなんだと思う。
217考える名無しさん2017/10/08(日) 23:58:07.320>>218
>>208
この辺は、清水高志『実在への殺到』(2017)の「機会原因論的アニミズム」が詳しい。
ハーマンは、
・「ハイデガーの存在論」と
・「ジェイムズの経験論」を
・「パースの記号論」的に足してる
218考える名無しさん2017/10/09(月) 04:56:53.110
>>217
ありがとう。読んでみる
219学術2017/10/09(月) 07:09:03.130
平等を思い浮かべると逆搾取されるから平等は成立しえない。
220考える名無しさん2017/10/09(月) 10:35:47.450
井筒俊彦のイスラム思想史のガザ―リーの部分に偶因論(機会原因論)の解説があった。
原因と結果に必然的な結びつきはなく
例えばアリストテレス派では燃焼の原因は火であり
火は自然的必然性を持って機械的に作用するが
ガザ―リーは燃焼の真の作用因は火ではなく神だとした
彼にとり因果律は決して自然法則ではなかった
ガザ―リーの結論はアシュアリー派の因果律否定と一致する
この点においてガザ―リーは後のヒュームの哲学的先輩である
確かメイヤスーもカント批判してヒュームに回帰してなかったかな?
221学術2017/10/09(月) 14:18:50.570
原因と結果に結びつきがないわけないじゃない。
神に偏って酷使するのもなあ。
火は機械ではない。
222考える名無しさん2017/10/09(月) 15:11:43.370
ヒュームも因果律否定
223学術2017/10/09(月) 15:17:05.490
因果律というものは、ある事件があってあることがその結果となっているという
レベルじゃない。
224考える名無しさん2017/10/09(月) 15:42:51.930>>228
ガザーリーのいう因果はなくすべては神の慣習だと言い換えても、結局世界のあり方は変わらないのだから同じことだよな
神の慣習=因果として働いてるんだから
225学術2017/10/09(月) 15:46:17.460
神が少数派だったらどうするね。
226考える名無しさん2017/10/09(月) 15:56:28.920
はたしてどうかな?
227考える名無しさん2017/10/09(月) 16:07:58.600
ヒュームのように経験主義を徹底さすと人間が経験する事の出来ない因果律による普遍的法則などは人間の妄想でしかない事になる
因果律を否定する徹底的経験主義は科学的法則も否定する
228考える名無しさん2017/10/09(月) 16:10:31.900
>>224
一億回同じ因果律があったとしても一億一回目に違いが出たらもう世界は変わり科学的法則も成り立たないことになる
229考える名無しさん2017/10/09(月) 18:26:14.820>>230
量子運動のような、だいたい合ってる程度のもんでも確率的に予測可能な事態であれば科学として成立する
全ての可能性について調べる手段がない以上は、絶対的な確証などあるわきゃない
230考える名無しさん2017/10/09(月) 19:46:02.310
>>229
科学も厳密には蓋然的な統計問題になる。確度を上げていく事は出来るが
それ以上は今のところ哲学の問題だと思う
231考える名無しさん2017/10/12(木) 15:02:23.620>>236>>253
実在への殺到読み始めた。
自分は井筒俊彦の存在の0ポイントとジェイムの純粋経験が同じ認識領域を指すと思った
この作者はジェイムスの純粋経験とメイヤスーの(事実性)が同じ領域を指すと指摘している
232考える名無しさん2017/10/12(木) 19:20:47.910
井筒さんは「禅の心」を卓越した分析哲学者によって分析された「心」と結びつけていた
井筒俊彦の思い出
サイイド ホセイン ナスル
井筒俊彦全集第11巻月報第11号
233考える名無しさん2017/10/12(木) 20:21:29.090>>234
分析ってなんですか?
234考える名無しさん2017/10/12(木) 21:10:13.320
>>233
一文があったので。恐らく心の哲学の類指してると思う。詳しくは掲載されてない
235学術2017/10/12(木) 22:08:21.650
あくまでしょ 神魔でしょ 堕天使でしょ。天使とランクが上がる。
236考える名無しさん2017/10/12(木) 23:04:38.230
>>231
> メイヤスーが《事実性》という名のもとに浮き彫りにするのは、
> 諸現象を整合し、総合するとされた主体の成立に先立つ「状態」であり、
> 主体も対象もそこではいまだ、整合や連接によって肥大していない、ある種の経験である。
p98のここかな?
真如に近いね。
237考える名無しさん2017/10/12(木) 23:05:34.220
【真如】しんにょ(tathatā)
・広説佛教語大辞典の解説
(1)かくあること。ありのままのすがた。あるがままなること。
(2)法がかくのごとく成立していること。法性と同義。
(3)「…真如」は、…なる法として成立していること。
(4)普遍的真理。心のあるがままの真実。あらゆる存在の真のすがた。万有の根源。
・デジタル大辞泉の解説
《〈梵〉tathatāの訳》仏語。ありのままの姿。万物の本体としての、永久不変の真理。宇宙万有にあまねく存在する根元的な実体。法性(ほっしょう)。実相。
・大辞林 第三版の解説
[仏] あるがままにあること。存在の本質、存在の究極的な姿としての真理そのものをいう。大乗仏教では、法性・実相などとほぼ同義に用いる。実性。
・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
仏教用語。あるがままにある状態のこと。
この世のすべてのもの (諸法) の根底にある唯一無二の絶対の実在界のあり方は「その如くである状態」すなわち真如としか表現のしようがない。
諸法の人法二空の本性を真如ということもあり,また,衆生の心の本来の清らかな状態である自性清浄心を真如と呼ぶこともある。
238考える名無しさん2017/10/12(木) 23:09:55.600>>240
西田、井筒、真如、ハイデガー、仏教
“西田が「真実在」を「純粋経験」に求めたのは、主客未分・主客合一の〈境涯〉を披歴するためではなく、
そうした直接的経験の中に見て取られる「統一的或者」であり、
つまり意識の統一的秩序をそこに読み取ったこと、このことである”
“大乗仏教で説かれる「本体的一元論」は、例えばイスラーム学の碵学井筒俊彦氏が最晩年に『起信論』を取り上げて、
東洋的思惟の特徴として揚げる発出論的な形而上学とも異なっていることである”
“「真如」であれ、「仏性」であれ「法界」であれ、それらは「本体」であっても、
決して形而上学的な実体的根拠を意味しない。
むしろあらゆる実体性を打ち砕く「ハタラキ」なのであり、
すべての存在者が実体性の軛(くびき)から自由になって、
言い換えればいわゆる「根拠」から解き放たれて、いわば「無根拠」「没根拠」のままに、
おのずから立ち現われてくる「場所」”
“ハイデガーの所謂「存在(有)」が、あらゆる存在者(有るもの)の根拠として「神」でないように、
「本体」とは「実体」ではなく、場所的性格をもつもの”
“釈尊が掴んだリアリティはおそらくそうした場所的な性格をもつ般若智なのであって、
いわゆる「縁起」という、まことしやかな「理屈」、論理の知的理解ではなかったはずである”
― 井上克人 『〈時〉と〈鏡〉 超越的覆蔵性の哲学―道元・西田・大拙・ハイデガーの思索をめぐって』 (2015)
239考える名無しさん2017/10/12(木) 23:11:42.640
『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題
―如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思惟との収斂点―』
井上 克人
http://heideggerforum.main.jp/data08/inoue_r.pdf
240考える名無しさん2017/10/13(金) 02:12:44.180
>>238
ジェームスと井筒俊彦はある程度分かるが西田は読まず嫌いもあってよくわからない。
井筒の存在の0ポイントは真空妙有と彼が言ってるように実体の破壊の場とあらゆる実体の根拠の場が一体になった領域だと思うが
241考える名無しさん2017/10/13(金) 22:18:40.350
真空妙有
“禅の説く「無」は、 意識的事実としてもまた存在的事実としても、絶対無分節と呼ばれるにふさわしい。
だが、この絶対無分節者は無ではあっても、静的な無ではない。
それは本然の内的傾向に従って不断に自己分節していく力動的、創造的な「無」である。
真空は妙有に転成する、というより、転成せざるをえない。
絶対無分節は自己分節するからこそ絶対無分節なのである。
分節に向かってダイナミックに動いていかない無分節はただの無であり、一つの死物にすぎない。
「死水、竜を蔵せず」(首山省念)。それは禅の問題にする「無」ではない。
禅の考えている「無」は宇宙に漲(みなぎ)る 生命の原点であり、世界現出の太源である。
この了解に基いて坐禅修行道としての禅は、「空」に到って「空」に堕するなとか、
「空」に眠り込むなとかいって修行者を戒める。
「一念未生以前、切に忌む者裏(その境地、すなわち空)に守住することを」(恕中無慍)”
― 井筒俊彦 『意識と本質』Ⅶ
242考える名無しさん2017/10/13(金) 22:19:29.150
井筒は、東洋哲学の共時的構造化といっている。
一神教文明から、神のない仏教や老荘までをも統一した理論で説明しようとする。
一神教では窮極的絶対者である神があり、仏教や老荘では絶対無分節者といった形而上学的中心を立てる。
243考える名無しさん2017/10/13(金) 22:22:04.980
原始仏教は、空というぐらいだから非中心的だし、もっと素朴。
244考える名無しさん2017/10/13(金) 22:22:51.050
井上は、真如を悟る唯一の契機は、心の止滅であり、
「世界は空」に反して事物を実体視しようとする自意識の解体にあるという、
仏教の根本原理を織り込もうとしている。
245考える名無しさん2017/10/13(金) 22:24:32.460
妙なる(言いようもなくすぐれた)有(存在)も、縁起も慈悲も真如も、
空を覚知した後に結果としてついてくるものであって、
最初からそれを目的化するものではない。
246考える名無しさん2017/10/13(金) 22:27:23.300
トレンドからみると、
(1)井筒や西田は、形而上学的な大乗仏教の解説に優れていたが、
原始仏教(ブッダの仏教)についてはあまり触れていない。
↓
(2)最近目立つのは、大乗仏教から原始仏教への原点回帰。
↓
(3)井上>>238は、大乗仏教に軸足を置きながら、そこに原始仏教の原理を読み込もうとしている。
247考える名無しさん2017/10/14(土) 00:35:49.980>>275
西田はこちらでやろうと思ってる。
【西田】京都学派・近代日本哲学総合スレ【西周】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1494594731/334-
336 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/10/06(金) 23:55:26.34 0
しかし、西田哲学を安易に禅哲学だと理解しているようでは
読んでいる内には入らない。
337 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2017/10/06(金) 23:57:04.39 0
“併し君だからよいが普通無識の徒が私を禅などと云ふ場合 私は極力反対いたします
そんな人は禅も知らず 私の哲学も分からず
XとYとが同じいと云って居るにすぎぬ”
― 西田幾多郎 「昭和18年 2月19日 西谷啓治宛」 『西田幾多郎全集23』 (2002-2009)
248考える名無しさん2017/10/14(土) 02:20:58.470
イスラムとヒンズーを統合したシク教のムールマントラに
Ikk oan karr sat nam(神は一つ。その名を真理と言う)がある
Ikkは一者で永遠性の純然たる経験そのものとする
OanはAUMがなまったものでAは認識作用の範疇
Uは絶対的な範疇が崩壊していく意識下の状態
Mは完全な無の意識の状態を指す
SatはSAD(真理を意味するサンスクリット。妙法蓮華経の妙の事)がなまったもの
これをnam即ち名とする
249考える名無しさん2017/10/14(土) 21:13:10.620
デモクリトス、エピクロス、ヘラクレイトス、アシュアリー、デリダなどの
原子論を心理学的にうまく説明したものが思い浮かばないが、
唯識と比べるのが妥当か。
デリダの「散種」などは阿頼耶識に近いところのものだろう。
250考える名無しさん2017/10/14(土) 21:13:53.110
>>204のアシュアリーの説明も「創造不断」で読める。
イブヌ・ル・アラビーの例も出てくる。
251考える名無しさん2017/10/14(土) 21:14:57.220
“「世界は、ひと息ごとに変動する」(イブヌ・ル・アラビー)”
― 井筒俊彦 「創造不断―東洋的時間意識の元型 Ⅱ」『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
252学術2017/10/14(土) 21:20:19.580
ジョン・アヌルース 対 震える焔。
253考える名無しさん2017/10/15(日) 13:58:42.600
>>231
メイヤスーは、「必然的」に見える世界の在り方の奥に「偶然性」を見出だす。
仏教は、事物の「自性」(本質)の奥に「無自性」(本質のなさ)を見出だす。
やっていることは近い。
その際、
メイヤスーは、あらかじめ、心(言語や感覚)は取り外す。
仏教の場合、心はあるが、その内容物をゼロ(無・空)にする。
オブラート一枚分の差があるが、どちらもそうした先に「ありのままの世界」を見る。
254考える名無しさん2017/10/15(日) 13:59:15.700
九鬼周造 『偶然性の問題』 (1935)
“偶然は無に近い存在である”
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/oppo3.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/kuki3.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/level.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/kuki31.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/kuki33.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/guu.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/kuki2.gif
http://www016.upp.so-net.ne.jp/shima/image/circle.gif
“ヘラクレイトスの偶然論とパルメニデスの必然論の対立以来
くりかえし問い続けられてきた「偶然と必然」の問題”(表紙解説)
255考える名無しさん2017/10/15(日) 13:59:37.440
“九鬼周蔵の『偶然性の問題』は、その思弁的な極まりにおいて、カンタン・メイヤスーの『有限性の後で』に類似する。
すなわちそれは、「原始偶然」とも「絶対的形而上的必然」とも捉えられる、「形而上的絶対者」に関する議論である。”
― 千葉雅也「此性をもつ無 メイヤスーから九鬼周造へ」(『現代思想』2017年1月臨時増刊号 特集=九鬼周造)
256考える名無しさん2017/10/15(日) 14:00:03.730
「原始偶然 Urzufall」はシェリングの術語
257考える名無しさん2017/10/15(日) 14:01:50.390
井筒の前の世代にあたる宗教哲学や比較思想も併せてやっておくといい。
・柳宗悦 『柳宗悦宗教選集』
・九鬼周造 『偶然性の問題』
・清沢満之 『清沢満之全集』
・波多野精一 『宗教哲学序論・宗教哲学』
・田辺元 『仏教と西欧哲学』
258考える名無しさん2017/10/20(金) 22:31:00.750
西田と大拙は同い年で、石川県専門学校の同窓生。
柳宗悦は学習院高等科で西田や大拙に学んだ。
259考える名無しさん2017/10/20(金) 22:42:58.960
・西周(1829-1897)
・福沢諭吉(1835-1901)
・中江兆民(1847-1901)
・井上哲次郎(1856-1944)
・井上円了(1858-1919)
・内村鑑三(1861-1930)
・岡倉天心(1862-1913)
・清沢満之(1863-1903)
・南方熊楠(1867-1941)
・鈴木大拙(1870-1966)
・柳田國男(1875-1962)
・折口信夫(1887-1953)
・柳宗悦(1889-1961)
・宮沢賢治(1896-1933)
・井筒俊彦(1914-1993)
京都学派
・西田幾多郎(1870-1945)
・波多野精一(1877-1950)
・田辺元(1885-1962)
・九鬼周造(1888-1941)
・和辻哲郎(1889-1960)
・久松真一(1889-1980)
・三木清(1897-1945)(京都学派左派)
・戸坂 潤(1900-1945)(京都学派左派)
・高坂正顕(1900-1969)(京都学派四天王、近代の超克)
・西谷啓治(1900-1990)(京都学派四天王、近代の超克)
・下村寅太郎(1902-1995)
・高山岩男(1905-1993)(京都学派四天王、近代の超克)
・鈴木成高(1907-1988)(京都学派四天王、近代の超克)
・梅原猛(1925-)
・上田閑照(1926-)
260考える名無しさん2017/10/20(金) 23:04:00.780>>264
柳宗悦
学習院中等科時代、内村鑑三の影響でプロテスタンティズムに親しむ
↓
高等科時代、「聖フランチェスコ伝」がきっかけでキリスト教神秘主義に関心を持つ
↓
エックハルトに傾倒
↓
エックハルトの「無」や「空」から老子や禅に関心を持つ
回教詩人ハラージや、「否定道(否定神学)」などにも言及。
宗悦は「即如」という造語をつくった。
これは「二元を超えた世界を示唆する言葉」だという。
261考える名無しさん2017/10/20(金) 23:08:35.130
井筒に近い。おおよそ出来上がってる。
262考える名無しさん2017/10/20(金) 23:20:29.140
デリダ>>189にも近い。
263考える名無しさん2017/10/20(金) 23:50:39.640
,. -‐  ̄ ̄`  ̄ ´  ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ._,{ 、,i ! 諸行無常 諸法無我
__.. -/ ,.. / `ヽ、
, -‐ ,.´-─./ /:. . . / ..__ / ! `ヽ ヽ クゥクゥ クゥ 空
/,.-‐´ _r‐' _,ノ: : : : : : : . . . . . . . . . . .(_ `丶、ヽ、 、__,ス ,)
~~ ̄/(三,. -‐ ´ / ,.-‐ ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`丶 l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
~ ̄i l゙´  ̄ ̄ / ,/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ し,j ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
. l. ! / / 自己肥大・自己拡張・存在確認のさまようかまってちゃんクレクレ君は荒らし確定
. ! | (, ,,/
! ,j 2chの鉄則(おやくそく)とは 【荒らしはスルー(無視・放置)・あぼ~ん・透明あぼ~ん】 しましょう。
ゝ、ノ
● 荒らしは放置されるのが一番の苦手苦痛です。
→ ウザイと思ったらそのまま放置!
● 放置の荒らしは焦り、煽りや自作自演、PC串スマホで多人数を装い、あなたのレスを誘う。
→ 釣られてレスしたらその時点であなたの負け、あなたが荒らしです!!
● 反撃は荒らしの滋養にして栄養であり、ヨダレを垂らして最も喜ぶことです。
→ 荒らしにはエサを投げ与えないで下さい!
●荒らしは語尾に w をつけてあおります。
→ 問いに問いで返す無頭が故の無脳で、裏の小藪に捨てましょう。
●荒らし・粘着にはスルー・あぼ~ん・透明あぼ~ん・が推奨です。
→ 考えない学ばない荒らしは外道です。
●荒らしは自立できず、もたれかかり、ストーキングする
→ 真贋が見分けられないのが荒らしの属性です。
●無いものを有ると思い、有るものを無いと思う、これが顛倒(てんどう)、妄想(もうぞう)です
→ 公案の答えは無尽蔵、己だけの答えを出せ!
●枯死するまで孤独に暴れさせておくのが一番です。
→ ミイラ化です、放置、風化させ、土に戻しましょう。
264考える名無しさん2017/10/21(土) 23:24:57.120
>>260
『柳宗悦宗教選集 第1巻 宗教とその真理』(1990)より
265考える名無しさん2017/10/21(土) 23:26:04.290
西田や九鬼は数学をやるので、少しタイプが違ってくる
266考える名無しさん2017/10/21(土) 23:27:17.510
“ジャック・デリダの「解体」哲学、ドルーズ=ガタリの「リゾーム」理論に代表される
現代ヨーロッパの前衛的思想フロントは、明らかにアンチコスモス的である。
コスモスへの反逆、「ロゴス中心主義」的存在秩序の解体。
西洋思想のこのアンチコスモス的動向が提起する存在論的、意識論的問題群にたいして、
東洋哲学はどのような対応を示すであろうか。”
― 井筒俊彦 「コスモスとアンチコスモス」
267名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 11:07:22.960
井筒は悪い意味で言っているのではないがね
268名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 12:01:08.850
真空妙用。
真空は妙用のために存在している。
269考える名無しさん2017/10/22(日) 13:13:29.930>>270
アンチコスモスは、アンチ-コスモスなのだから、コスモスに相対するもの
としてしか姿を現しえないだろう。始源としてのアンチコスモスはあり得ないのだ。
270名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 14:28:41.210
>>269
井筒の用法だと始源のカオスはアンチコスモスのカテゴリーに入ると思うが
271考える名無しさん2017/10/22(日) 23:55:59.380
アンチコスモスがコスモスに相対するものとしてしか姿を現しえないことは、
コスモスの「解体」としてアンチコスモスについて語ろうとすることが、
「解体」という表現にもかかわらず、秩序としてのコスモスがどのように
現れているのかを解明しようとすることになることを意味する。
272考える名無しさん2017/10/24(火) 13:13:16.340
コーランを破り捨て踏みつけにしたった
https://www.youtube.com/watch?v=-YrceHdBq7I
273学術 ディジタル rare shinscake adanei2017/10/24(火) 13:14:46.590
クルアーンは?
274学術 ディジタル rare shinscake adanei2017/10/24(火) 15:09:19.010
イスラム金融よりハイエクだよ。利子どころの騒ぎじゃねえぜ。
傷つき仆れた兵士は。対偶が。
275考える名無しさん2017/10/27(金) 22:32:35.510
>>247
例えばこういうところ。
276考える名無しさん2017/10/27(金) 22:32:55.750
“我々の有限なる意識の背後に横たわれる無意識はxに対するdxの如く考へることができないであらうか。”
“我々が或一曲線を意識するといふことは此の如き意味に於て限定せられた曲線である”
“意識するといふことは無限なる全体が己自身を限定することである。”
― 西田幾多郎 「自覚に於ける直観と反省」17 『西田幾多郎全集3』 (2004)
277考える名無しさん2017/10/27(金) 22:33:11.740
任意の直線を意識する時は、実在する無限な直線に対して限定をかけている。
無限な潜在性から有限な現実性が、「限定」=「自覚」として立ち現われる。
278考える名無しさん2017/10/27(金) 22:33:33.980
>>276は以下に繋がる。
279考える名無しさん2017/10/27(金) 22:33:57.210
“仏道をならふことは自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の心身、
および佗己の心身をして脱落せしむるなりと云ふ(道元)。
それは限定するものなき限定、絶対無の自己限定と云ふことでなければならない。”
― 西田幾多郎 「哲学論文 第六」 『西田幾多郎全集10』 (2004)
280考える名無しさん2017/10/27(金) 22:34:19.260
訳
(仏道を習うということは、自己を習うことである。
自己を習うということは、自己を忘れることである。
自己を忘れるということは、一切万物を知ることである。
一切万物を知るということは、主客を分け隔てるものをなくしてしまうことである。)
― 道元 『正法眼蔵』 「現成公案」
281考える名無しさん2017/10/27(金) 22:34:47.350
井筒 数学× ギリシャ語○
西田 数学○ ギリシャ語×
282考える名無しさん2017/11/06(月) 03:02:18.030
東大出の学者で井筒並の知の巨人って誰かいますか?
井筒に言及したことのある東大関係者
渡辺浩、宇野重規、中島隆博、中村廣治郎、今道友信
283考える名無しさん2017/11/06(月) 03:35:15.840
井筒俊彦は辻直四郎に頭を下げて資料を借りてそれを一か月で読んで返して
読むのが速いと感心されたんだよ。
284考える名無しさん2017/11/06(月) 08:51:19.040
結局クルアーンを読まないと井筒は分からないなと思って、クルアーンの注解を買ったわ。
285考える名無しさん2017/11/07(火) 17:29:55.260>>289>>292
イスラム教が哲学?
西欧で仏教は倫理学(道徳哲学)と言われ宗教ではないと言われているのはわかる。
キリスト教やイスラム教に神学(理論的考察)はあるだろうけど哲学じゃないでしょ。
井筒俊彦は神秘主義哲学者らしいけど言語矛盾じゃなかろうか
哲学は形而上学で世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問
神秘主義は神秘的合一と呼ばれる絶対者と自己との合一体験にある
神秘主義哲学者って油性水性ペンと同じくらい奇妙に聞こえるんだが
286考える名無しさん2017/11/07(火) 17:40:08.010
>東大出の学者で井筒並の知の巨人って誰かいますか?
阪大出の学者で井筒並の知の阪神って誰かいますか?
287考える名無しさん2017/11/08(水) 08:57:46.850
東大関係者か知らないが個人的には中沢新一かとおもうけれども、
中沢さん本人は
「井筒さんには一生かかってもかなわない」
と、謙虚に語っている
288考える名無しさん2017/11/08(水) 09:10:27.620
「知の巨人」という称号を得るには、知識の深さや幅広さだけではなく、
知識量とか語学力とかいわば基礎体力的な部分で他を圧倒している必要がある。
日本で言えば南方熊楠とかそういうタイプの人に対して向けられる言葉。
289考える名無しさん2017/11/08(水) 10:37:31.580
>>285
勉強不足。神秘主義哲学は新プラトン派のプロティノスの時代からある伝統的哲学
プロティノスは神秘的合一体験を基にその哲学を展開した
井筒俊彦も「神秘哲学」で取り扱ってる
290考える名無しさん2017/11/08(水) 11:46:19.910
プロティノスどころかソクラテスも ダイモーンに導かれたとか言ってるじゃん
291考える名無しさん2017/11/08(水) 12:05:16.970
そもそも一神教圏以外では哲学と宗教は一体で分離してない
哲学の殿堂アカデメイアをキリスト教ローマが異教として閉鎖したようにギリシャ哲学は宗教と哲学が一体で分離してなかった
一神教ではギリシャ哲学を宗教とすると一教の教義に抵触するので哲学というジャンルとすることで両立を謀った側面があるのではないか?
292考える名無しさん2017/11/08(水) 22:21:32.870
>>285
イスラーム哲学
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%93%B2%E5%AD%A6
293考える名無しさん2017/11/09(木) 01:25:02.340>>297
形而上学における主題の中でも最も中心的な主題に存在の概念がある
存在論の他に、神、精神、自由の概念等が伝統的な主題とされているけど
精神や物質もしくは数や神のような抽象的な事柄が存在するか、また人間という存在は
複雑に組み立てられた物質的な体系として定義できるかどうか
神学が哲学の部門視されることはあるが理性によっては演繹不可能な信仰の保持および
神の存在を前提とすることで、一切の思想的前提を立てない理性の学としての
哲学とは異なるとする見方が一般的です。
294考える名無しさん2017/11/09(木) 15:18:08.650>>295
例えば自然科学の学者、科学者ですね。
科学者が実験、観察、分析、総合、仮説と実証に神を語りだしたらどうでしょう。
神秘主義科学者などと言うのでしょうか。とたんに怪しい人ですよね。
ここにいるのだから皆さんは哲学に傾倒しているのでしょう。
神秘主義哲学者などと哲学に対する侮辱ではないでしょうか。
個人的には社会科学と言う表現も不愉快極まりない。科学に対する侮辱と言っていい。
295考える名無しさん2017/11/09(木) 18:19:07.370
>>294
神秘主義哲学は必ずしも神なんて事は言わない。井筒俊彦読んでみろ。神なんか出てこないから
ミスティシズムとオカルティズムを混同した的外れ言うな。
296考える名無しさん2017/11/09(木) 20:49:07.030
>>293-294
井筒の本はどれを読んだ?
297考える名無しさん2017/11/09(木) 21:24:34.150
>>293
カントの『純粋理性批判』は?
298学術2017/11/09(木) 21:43:59.520
推理力自己批判精神ぐらいでどうだ。次代のカントは。
299考える名無しさん2017/11/11(土) 09:23:31.690
井筒俊彦著作集別巻面白いな
正巻より面白いかもしれん
300考える名無しさん2017/11/11(土) 09:56:05.460
対談は読みやすいし、具体的な話題も出てくる
301考える名無しさん2017/11/12(日) 20:00:25.820
298 名前:あぼ~ん[NGName:学術] 投稿日:あぼ~ん
302考える名無しさん2017/11/19(日) 23:01:37.220>>303
井筒豊子の「井筒俊彦の学問遍路ー同行二人半」読みはじめた
303考える名無しさん2017/11/20(月) 00:41:14.580
>>302
新しい本だ。(2017/9/15)
今年亡くなったのか。
304考える名無しさん2017/11/20(月) 00:45:46.650
井筒豊子 『白磁盒子』 (1993)
短編小説集。
井筒と放浪のタタール人学者ムーサーのやり取りが描かれているもの。
305考える名無しさん2017/11/20(月) 00:46:30.010
>>3の英文著作翻訳コレクション
『2 クルアーンにおける神と人間―クルアーンの世界観の意味論』 (2017年6月)
『3 存在の概念と実在』 (2017年9月)
も出てた。
ハイデガー/サルトルとイスラムの存在論の比較とか。
306考える名無しさん2017/11/20(月) 20:18:49.070
井筒俊彦の学問遍路には余り知られてなかった彼のマッギルからイラン時代やそれ以降まで詳しく書かれてる。内気で人間嫌いとも言われる井筒だが内外問わずそうそうたる面子と関わりあいその才能を認められてる
307考える名無しさん2017/11/23(木) 13:16:51.440
道元の「現成公案」>>279-280自体も華厳的。
自己(一)を忘れる
↓
一切(多)を知る
↓
一切によって自己を知る
自己否定が自己の外部に突き抜け、自己を規定する超越的視点になる。
これ自体が、既にクラインの管的な循環モデル。
クラインの管
http://polyhedra.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2013/07/21/kleinbottle.jpg
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/41/a0024841_4162993.jpg
308考える名無しさん2017/11/23(木) 13:17:07.850
一即多、一即一切の華厳的記号学モデル
A ([a]、b、c、d、e、、、)
B (a、[b]、c、d、e、、、)
C (a、b、[c]、d、e、、、)
[ ]は強調
シニフィアンA/シニフィエaという単純な一対構造ではなく、
シニフィアンがAやBやCである時にもシニフィエは常に(a、b、c、d、e、、、)であるモデル。
Aの時には、相互に浸透し照合されたa、b、c、d、e、、、の中のaが強調される。
参考:井筒俊彦 『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
309考える名無しさん2017/11/23(木) 13:18:13.030
デリダの「ロゴス中心主義の解体」による存在根拠解体のあと(後、跡)。
井筒俊彦氏「事事無礙・理理無礙ーー存在解体のあと」 要約
http://www.furugosho.com/nomadologie/izutsu1-resume.htm
“事物を事物として成立させる相互間の境界線あるいは限界線
ーー存在の「畛」的枠組みとでもいったらいいかと思いますがーー
を取りはずして事物を見るということを、古来、東洋の哲人たちは知っていた。
それが東洋的思惟形態の一つの重要な特徴です。
「畛」的枠組みをはずして事物を見る。
ものとものとの存在論的分離を支えてきた境界線が取り去られ、あらゆる事物の間の差別が消えてしまう。
ということは、要するに、ものが一つもなくなってしまう、というのと同じことです。
限りなく細分されていた存在の差別相が、一挙にして茫々たる無差別性の空間に転成する。
この境位が真に覚知された時、禅ではそれを「無一物」とか「無」とか呼ぶ…”
310考える名無しさん2017/11/23(木) 14:49:47.160
マルチするなゴミが
311考える名無しさん2017/11/23(木) 23:05:20.120
モノたちの宇宙ー思弁的実在論とは何かーの解説に今後ハーマンと井筒俊彦の哲学、あらや識の理論や廣松渉の事的世界観の比較が重要になると書いてる
312考える名無しさん2017/12/12(火) 14:21:24.290
意識と本質の内容
①無本質論…禅、老子
②有本質論
1個別的本質論…本居宣長
2普遍的本質論
(1)存在の深層に本質が在る
…宋学
(2)元型的本質が在る
…シャーマニズム、密教、スーフィ、カバラなど
(3)表層意識で理知的な概念として本質を捉える
…孔子の正名論、プラトン、ニヤーヤヴァイシェーシカなど
意識の形態
1表層意識
2イマージュ世界
3言語アラヤ識
4c領域
5存在の0ポイント
313考える名無しさん2017/12/12(火) 19:48:42.470
存在の概念と実在性で神は存在であるというモッラーサドラーの解釈が出る
井筒俊彦の神観念でもあるだろう
こういう観念で思い出すのはシャンカラの不二一元論だ
314考える名無しさん2017/12/14(木) 09:11:22.080
「意識と本質」も、
後半のユダヤ教の説明は割とどうでも良く、鬱陶しい
315考える名無しさん2017/12/14(木) 12:18:36.510>>317
仏教が哲学を語るのは理解できる。西欧でも倫理学とか道徳哲学言われてるから
しかし一神教ごときが哲学って・・・。
316考える名無しさん2018/01/07(日) 01:43:33.630
自分は井筒さん読み始めの初心者だが、禅仏教の哲学に向けてが凄過ぎて、夢中になって読みました
御本人のリアリティに裏打ちされたというか…
なかなかあそこまで書ける人はいないなあって
ただ難解なのといちいち自分の先入観が揺さぶられるから読み進むのにえらい時間がかかる(笑)
317考える名無しさん2018/01/12(金) 22:04:35.300>>318
>>315
仏教が哲学的発展を遂げたのは実質的には初期段階だけだ、大乗仏教で説かれた膨大な教説は
一見して論理的に見えるのだろうが実態はそうではなく一神教と変わらぬ独断論の集積に過ぎない
318考える名無しさん2018/01/13(土) 02:44:05.240
>>317
何子供の戯言じみた事を(笑)
大乗中観や唯識は現代哲学や現代心理学と比肩される事もある代物
華厳の教学は現代数学の列の論理を含む
密教はホロン理論と比較されユングも注目した
禅はヴィトゲンシュタインとハイデガーという20世紀の二大哲学者と比較されそれより進んだものと言われたりする事もある
319DJ学術 2018/01/13(土) 10:03:01.270
フランス文学の方が本質的でいいと思う。後は文字列の韻とか、関連させたり、
死や文学の技術の関係を、同族的にしないことだろう。
320考える名無しさん2018/01/13(土) 15:16:26.700>>322
科学と仏教を結びつけて考えようとする試みなど、どれも強引なこじつけばかりだろう
特に、大乗経典は釈迦や如来がSFチックな異能力者で超人だからやってることが一神教と大差ない
321DJ学術 2018/01/13(土) 15:33:39.530
宗教文学に向いてるな。小乗の体も荒らされたよ。
322考える名無しさん2018/01/13(土) 15:36:03.470
>>320
あなたが言ってるイメージにあるのは強引に現代物理学と東洋哲学を結合させた浅はかなニューエイジの類
井筒俊彦のもの読んでから大乗に文句言ってね。
323考える名無しさん2018/01/13(土) 16:02:12.560>>325>>332
スマナサーラっていう有名仏教徒が、仏教は心の科学とか言ってるし、
科学者が瞑想を研究したマインドフルネスってのもやたら流行ってるし、
たしかに仏教と科学を結び付けようという流れはあると思う。
現代は、科学的な枠に収まってないと信用されないんだろうな。
実際には科学ってのは限界もあるのに。
324考える名無しさん2018/01/13(土) 19:01:34.720
ヨーガ行唯識派なんかはヨーガ行で内観してその心の動きをチェックしつつ仏教心理学を体系化していった。
そういう側面が仏教にはある
勿論井筒俊彦も内観による内的体験がその哲学の基礎になってる
325考える名無しさん2018/01/16(火) 10:00:01.100>>326
>>323
マインドフルネスは科学とは特に関係ないだろ
昔からあるヴィパッサナー冥想を上座部の人たちが英語で熱心に布教してるだけで
326考える名無しさん2018/01/16(火) 11:40:59.330
>>325
禅やヴィパッサナーのストレス低減効果や集中力改善効果などを科学的に検証したのがマインドフルネス
327考える名無しさん2018/01/16(火) 21:49:19.890
エハン塾「井筒俊彦の紹介」
https://youtu.be/nHyS5CtIBzQ?t=46s
エハン塾「仏教とキリスト教のマインドフルネス」
https://www.youtube.com/watch?v=hGvsCa8WWlk
328考える名無しさん2018/01/27(土) 12:12:29.000>>337>>346
北アフリカ・中東地域生まれつき知能が低い疑い
難民のIQは大卒であってもわずか93しかない
ボイス・オブ・ヨーロッパに掲載された、欧州の移民問題についての赤裸々な議論です
EUと主要メディアは、高齢化する欧州は若い労働力を補うために移民が必要だと言う。
しかし、現実はそれとはかけ離れている。たとえば、ドイツ、スイス、そしてオランダでは、
80~99パーセントの移民が、移住後1年以上を経てもなお定職に就いていない。
多くの移民は、現代の欧州で労働力として要求される技能を有していない。
心理学教授ハイナー・リンダーマンは、2015年10月に難民(移民)がドイツ人と比較して
平均的に低い知能しか持っていない。彼の研究によると、大卒の難民の数学と抽象的な
タスクにおける平均知能指数は93で、地元の高校生と同レベルしかなかった。
よく指摘される“言語の問題”はこの差異が生じている理由のほんの一部でしかなく、
根本的な問題は基礎技能の欠如だとリンダーマンは続けた。「ムスリム社会やアフリカで
見られる頻繁な血族間結婚(いとこ同士の結婚など)とそれによって引き起こされる障害が
問題を悪化させている」と、彼は付け加えた。すべての人間は能力と可能性において平等
であると左翼は信じているが、世界のIQ地図が示しているように、そんなことはありえない
違った地域から来た人たちは皆違うということを認めることは、事実上、レイシストではない。
「高い認知能力を持った人口が多い国々は、単に裕福なだけではなく、
平均的に言ってより自由で民主的であり、法の支配と平等がより確立されており、
有能な政府に統治されている。そういった社会は殺人発生率も低く、より安全だ。
そのような現代性は「認知の現代性」であり、
高い認知能力抜きでは獲得できたり促進できたりするものではない!」
https://www.newshonyaku.com/eu/study/20180122
329考える名無しさん2018/01/27(土) 20:56:54.400
体育会系と理科系の違いでしかないだろう。それをレイシズムにするのは間違っていると思う。
330考える名無しさん2018/01/27(土) 21:01:59.480
それは、欧米ではだいぶ前から、さんざんやってきた議論。
黒人の知能指数が低いのは、後天的な要因なのか、それとも、先天的な要因なのか。
これについては、盛んに議論されている。
まちがいないのは、「黒人の知能指数が低い」ということ。
こればかりは客観的事実なので、誰も否定できない。
議論されているのは、その「原因」について。
331考える名無しさん2018/01/27(土) 21:02:48.120
しかし、アラビア人やペルシャ人は、多くの偉大な知識人を輩出してきた歴史を持っている。
332考える名無しさん2018/01/27(土) 21:06:52.590
>>323
>スマナサーラっていう有名仏教徒が、仏教は心の科学とか言ってるし、
科学者が瞑想を研究したマインドフルネスってのもやたら流行ってるし、
たしかに仏教と科学を結び付けようという流れはあると思う。
それは、「科学」と言ってるだけ。
あんまり関係ないよ。
333考える名無しさん2018/01/27(土) 21:08:24.470
要するに、思考停止して頭の中をカラッポにすることにより、感覚を研ぎ澄ませる。
自分の身体や精神に、意識を集中する。
それがマインドフルネス瞑想。
334考える名無しさん2018/01/27(土) 21:12:40.170
アメリカの黒人で泳げるのは2割程度だと言われる。これは説明なしに理解できる。
イスラムのレベル低下は、毎日アザーンがあって礼拝が義務付けられてるんだからイヂメられっ子と同じだよ。当分ダメだろうね。
335考える名無しさん2018/02/14(水) 03:46:35.760
大川周明 『安楽の門』
私は此の書斎(松沢病院の病室)に古蘭原典と、十種に余る和漢英仏独の訳本を自宅から取寄せ、昭和二十一年十二月一日から之を読み初めた。
それは私が乱心中の白日夢で屡々マホメットと会見し、そのために古蘭に対する興味が強くよみがへったからである。
336考える名無しさん2018/02/14(水) 12:32:54.540
極東軍事裁判にかけられたとき大川はキチガイのふりをして死刑を免れた
イスラムに傾倒したのはその贖罪の念が拭い去れなかった所為だろう
337考える名無しさん2018/03/02(金) 23:34:50.590
>>328
普通の生活を送れる人間と難民とでは、そもそも学習環境に違いがあるだろ
338考える名無しさん2018/03/02(金) 23:39:30.540>>851
ハッラージュ 「アナ・ル・ハック (Ana al-Haqq)」 (われは真理(=神=真実在)なり)
> Haqq is the Arabic word for truth.
> In Islamic contexts, it is also interpreted as right and reality.
> Al-Haqq, 'the truth, is one of the names of God in the Qur'an.
> It is often used to refer to God as the Ultimate Reality in Sufism.
そう言って処刑されるわけだが
339考える名無しさん2018/03/02(金) 23:40:31.220
アウグスティヌスと「VERITAS(真理)」の文字
http://dowym.com/wp-content/uploads/2016/05/ST-Augustine-of-Hippo_edited-1.jpg
> 真理はどのように認識されるのであろうか。
> アウグスティヌスは真理(veritas)を真なるもの(verum)との関係において認識しようとする(I, 15, 27)。
> この二つは別のものとして,真理は真なるものの存在の根拠であり,
> 真なるものは真理によって存在させられる(I, 15, 27)。
> 言い換えれば,真理は神的存在で,真なるものはその被造物だということである。
340考える名無しさん2018/03/02(金) 23:41:26.860
アウグスティヌスはアルジェリア。
アウグスティヌスが一時期信奉していたマニ教は、ゾロアスター教、キリスト教、仏教などの流れを汲む。
341考える名無しさん2018/03/03(土) 01:32:15.650
井筒が指摘した、イスラムの神が仏教の真如に近いものである、
というテーゼは、別に難しい話ではなく、
>>338の様なwikiの辞書的説明にも用いられるもの。
これによって、キリスト教、イスラム、仏教のそれぞれ、
真理=真実在=真如が比較される。
その実体は、神であったり、現象であったり、あるいは偶然性であったりもする。
342考える名無しさん2018/03/03(土) 07:41:36.910
また真如厨か
343考える名無しさん2018/03/05(月) 22:40:51.200>>344>>409
イブン・アラビーのアッラーと無
> 宗教と信仰の言葉では「神」と呼ぶべきものを、イブン・アラビーは哲学用語の次元で「存在」(wujūd)と呼ぶ。
> これは現実にこの世に存在している「存在者」や「現実存在」(mawjūd)とは全く異なる原理存在であるとする。
> そしてその存在の究極位をプロティノスの「一者」と同じように「存在の彼方」に置くと同時に、
> それが全存在世界の太源であると考えた[5]。
> イブン・アラビーの「存在」は、無名無相、つまり一切の「…である」という述語を受け付けない。
> 「神である」とも言えない。なぜなら神以前の神は、普通の意味の神ではないからである[6]。
> 「存在」(wujūd)には、「自己顕現」(tajallī)に向かう志向性が本源的に備わっており、
> 「隠れた神」は「顕れた神」にならずにはいられない。
> 無名無相の「存在」が「アッラー」という名を持つに至るこの段階は、
> ヴェーダーンタ哲学における意味分節する以前の全体存在である「上梵」から
> 言葉によって言い表すことができる経験的世界である「名色」へと移り変わる段階にあたる、と井筒俊彦は解説する[6]。
344考える名無しさん2018/03/05(月) 22:41:51.530
>>343
「東洋的無」と呼ばれるもの
・神(アッラー)そのものが自己顕現する無
・ユダヤ神秘主義カバラにおける神の内なる無
・プロティノスの一者
・ヴェーダーンタ哲学における無相のブラフマン
・老荘の道
・禅の無
・大乗仏教の真空妙有
・易学の無極即太極
意識・存在・実在のゼロポイントである純粋な無、
絶対無から絶対有への展開。
345考える名無しさん2018/03/05(月) 22:43:30.310
井筒のいう「ゼロポイント」という言葉は何に由来するものだったか
346考える名無しさん2018/03/05(月) 23:59:24.410
>>328
「北アフリカ・中東地域生まれ」の人達が始めた宗教を
世界の半分以上の人達が信奉しているわけだろ
・キリスト教 22億5400万人(33.4%)
・イスラム教 15億0000万人(22.2%)
・ヒンズー教 9億1360万人(13.5%)
・仏 教 3億8400万人(5.7%)
・無宗教:7億6900万人(11.4%)
・無神論:1億4830万人(2.2%)
・心霊主義:1366万人(0.2%)
・バハーイ教:786万人(0.1%)
・中国伝統的宗教:3億8720万人(5.7%)
・儒 教:641万人(0.1%)
・道 教:337万人(0.1%)
・神 道:278万人(0.0%)
・その他:134万人(0.0%)
合計:67億4960万人 (百科事典「ブリタニカ」年鑑2009年版)
347考える名無しさん2018/03/06(火) 05:11:56.790
うむ。
348考える名無しさん2018/03/07(水) 23:49:19.190
ロシア哲学・思想史関連
『ゲンロン6・7 ロシア現代思想I・II』 東浩紀 (2017)
『20世紀ロシア思想史 : 宗教・革命・言語』 桑野隆 (2017)
『ロシアあるいは対立の亡霊 : 「第二世界」のポストモダン』 乗松亨平 (2015)
『ロシア精神史への旅 : 野口和重ロシア史論集』 野口和重 (2009)
『ロシアの源流 : 中心なき森と草原から第三のローマへ』 三浦清美 (2003)
『ロシアとヨーロッパ-ロシアにおける精神潮流の研究 1・2・3』 T.G.マサリク (2002-2005)
『ロシア学を学ぶ人のために』 藤本和貴夫 (1996)
『ロシア精神史 哲学と社会思想の流れ』 セルゲイ・レヴィーツキイ (1994)
『ロシア思想史』 森宏一 (1990)
『ロシア思想史 : メシアニズムの系譜』 高野雅之 (1989)
『ロシア精神の源 : よみがえる「聖なるロシア」』高橋保行 (1989)
『ロシア・ソヴィエト哲学史』 ルネ・ザパタ (1997)
『ロシア的人間』 井筒俊彦
349考える名無しさん2018/03/07(水) 23:50:06.330
混沌(カオス)といえば、ロシアもやらないといけない。
井筒は、ロシアには「原初(エレメンタール)な根源」があるという。(「ロシア的人間」)
それから、「存在の窮極の太古の源に彼等は直接つながっている」とも。(「露西亜文学」)
350考える名無しさん2018/03/07(水) 23:50:56.530
難しい話だが、このことはロシアをやっていく上で時折ヒントになる。
351考える名無しさん2018/03/09(金) 22:38:41.610>>352
“おお夜の海よ、お前は何と美しいことか!
ここは燦々と輝き、かしこは暗く濃藍色、
月光を身に浴びて、海は生きもののように
歩み、呼吸し、きらめいている。
涯て知らぬ自由のひろがりの上に
閃々と光り、たゆたい、遠雷のごとくどよみ轟く
縹渺たる月光を全身に浴びた海よ、
人気ない夜の世界に、お前はなんと素晴らしいことか。
巨大なるうねりよ、海のうねりよ
お前はそんなにして誰の祭日を祝つているのか。
浪は轟き輝きつつ寄せて来る。
目ざとい星達が空にまたたいている。
この動揺のさなかに、この煌燿(きらめき)のさなかに、
夢みるごとく茫然と私は立ちつくす。
ああ如何に心地よいことであろうか
この魅惑の中に魂を沈め盡すことができたなら”
― チュチェフ 「無題」 1865年作 (井筒俊彦「ロシア的人間」9章)
352考える名無しさん2018/03/10(土) 14:16:17.360
>>351
笑いそうになった
353考える名無しさん2018/03/10(土) 19:21:00.660
>>351はシェリング。池沼は笑うしかないだろう
354考える名無しさん2018/03/10(土) 19:22:23.290
井筒は、ギリシャ語をやった延長でロシア語をやった
355考える名無しさん2018/03/10(土) 19:22:57.900>>360
“ギリシャ正教の修道院における祈りは、ヘシュカズムと呼ばれる行法に則って行われる。
ヘシュカズムとは、自己の内面への沈潜、静寂(ギリシャ語でヘーシュキア)を求めて精神を集中するために、
イエスの祈りと呼ばれる短い祈り「主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐み給え。」を繰り返し称える行法である。
その際、自己の内面への精神集中の一助として、座法や呼吸法をともなった精神身体技法、心身技法を援用する。
イスラームはスーフィズムのズィクル(神の名の連禱)や仏教は真言密教の三密(身、口、意)瑜伽行とほとんど変わる処はない。”
― 『ギリシャ正教 無限の神』 落合仁司 (2001)
356考える名無しさん2018/03/10(土) 19:28:34.770
落合は全く話にならないんで引用しないほうがいいぞ
357考える名無しさん2018/03/10(土) 19:43:34.490
ヘシュカズムの説明なんてこれぐらいのものでしょ
話になる話とは?
358考える名無しさん2018/03/10(土) 19:49:59.430>>359
ヘシュカズムとは、自己の内面への沈潜、静寂(ギリシャ語でヘーシュキア)を求めて精神を集中するために、
イエスの祈りと呼ばれる短い祈り「主イエス・キリスト、神の子よ、僕を憐み給え。」を繰り返し称える行法である。
↓
この前提から間違いだから
ヘシュカズムは何らかの行法じゃない極端にいえば呼吸法とか座法とかの方法はあってもなくてもいいようなもの
359考える名無しさん2018/03/10(土) 20:33:01.160
>>358
> ヘシュカズムは何らかの行法じゃない
で、何なの?観想だとでも言いたいの?
>>355には、「一助として…援用する」とあるでしょ。
複数の本、各種宗教事典で調べてもこれぐらいのもの。
360考える名無しさん2018/03/10(土) 23:58:39.670>>361>>366
>>355
ズィクルと真言密教は同根だろう。
前者は井筒、後者は小滝がそれぞれ詳しい。
『イスラーム哲学の原像』 井筒俊彦 (1980)
『密教とイスラーム 高野山修行記』 小滝透 (1987)
361考える名無しさん2018/03/11(日) 00:37:03.870>>363
>>360
笑いそうになった
362考える名無しさん2018/03/11(日) 01:55:26.430
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
64NJK
363考える名無しさん2018/03/11(日) 08:35:58.150
>>352、>>361
手錠をかけられたまま笑って見せるのが政治犯
364考える名無しさん2018/03/19(月) 00:13:39.130
>>351は無題で正解だった
365考える名無しさん2018/03/19(月) 00:14:46.310
ギリシャやロシアの正教には絶対的な深さがある
366考える名無しさん2018/03/19(月) 00:17:08.100
>>360
神秘主義や神人合一は、世界中に例があるから、
今更どうこう言うものでもないが、
この二つの比較だけはショッキング。
367考える名無しさん2018/03/19(月) 00:18:50.780
井筒俊彦 『存在の概念と実在性』 (2017/10/21)(英文著作翻訳コレクション3)
は読んだだろうか?
ここへきて井筒哲学が2割増しになる。
・ハイデガー/サルトルの実存主義とイラン哲学の存在主義の比較
・ファナーとバカー論 再
・イブン・アラビーによる無からの神的顕現 再
・エッセンティアとエクステンティア
・イウティバールとイウティバーリー
ほか
368考える名無しさん2018/03/23(金) 21:26:39.560
井筒はゾロアスター教に対して否定的だろうか。
369考える名無しさん2018/03/24(土) 08:29:41.460
『宗教哲学入門』 量義治、講談社学術文庫 (2008)
井筒がやっていた様なこと。
仏教、キリスト教、イスラム教から宗教批判まで、
統一された哲学用語で相対化して通観する一冊。
370考える名無しさん2018/03/25(日) 13:53:06.530>>371
井筒が表紙に写ってる雑誌あるだろ。
あれ見てオレかと思った。
やっぱな、オレって才能あるかも。
371考える名無しさん2018/03/25(日) 20:18:36.350
>>370
http://img-cdn.jg.jugem.jp/5d5/156118/20060717_151629.JPG
372考える名無しさん2018/03/26(月) 06:29:29.570
>>70
講談社学術文庫の「マホメット」が良い
373考える名無しさん2018/03/27(火) 11:54:51.160
ムハンマドは初期のころから命をねらわれたりして
今のオウムみたいな胡散臭い存在だったらしいな。
1000年後いや500年後どうなっているやら。
374考える名無しさん2018/04/27(金) 19:13:18.050
井筒俊彦の哲学は原型としてはシャンカラのそれにより近いと思う。
大乗仏教より井筒俊彦は実在論的で主客未分の実在を語ったのはシャンカラだから。
375オーバーテクナナシー2018/04/28(土) 06:36:03.460
☆宗教的狂信(イスラム等)思考実験 [転載禁止]©2ch.net
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/future/1421323165/
376し ◆0owanyIGTY 2018/04/29(日) 05:38:58.130>>394
井筒俊彦『意識と本質』によると
井筒が「本質」を2つに分けた
a、マーフィーヤ(特殊的意味での本質)
b、スーフィーヤ一般的意味での本質)だけど、
aは普遍的「本質」(マーフィーヤ)
bは個体的「本質」(スーフィーヤ)
詩人
リルケ
マラルメ
松尾芭蕉
それぞれでスーフィーヤとマーフィーヤという本質を追求する態度が違うらしいが。
詩について私が言えることはないが、
これについては、もう一度読み直してまとめてみる。『意識と本質3.4.5に論じられているので、
興味あれば読んでみ
今その次の『意識と本質6』のところ
禅やバカヴァット・ギータのところを読んでいるので、ここのところから。
あとでレジュメ書く
377し ◆0owanyIGTY 2018/04/29(日) 05:40:21.120
『意識と本質』チャプター6
禅ー
すべての存在者から「本質」を消去
すべての意識対象を無化。全存在世界をカオス化してしまう。
一旦カオス化しきった世界に禅は、また再び秩序を戻す。
まったく新しい形で。さまざまな事物がもう一度戻ってくる(しかしあくまで無「本質」的に
具体的には
道元禅師『坐禅箴』
「水清くして地に徹す、漁行きて魚に似たり。空闊くして天に透る、鳥飛んで鳥のごとし」
↓
本質が措定されていない。が、「本質」がないのに鳥は鳥として文節されている。
「川の中を泳いでいる漁」を見ている私が見ているものを禅は無化する。「川に魚が泳いでいることは現実だとしても、
それを映している私の意識がみているものは全て虚像に過ぎない。
「鳥飛んで鳥のごとし」。これも同じで鳥が飛んでいるということ自体、禅では虚像だという。
本来なら「川の中を泳いでいる漁」は確かに私の目に現実として映っている筈である。
何故なら私の意識は、川を泳ぐ漁を「本質」として、確かに現前していると確信しているから。
私たちの意識は「鳥が飛んでいる」景色を見て、「本質」を掴み取っている。
確かに鳥は飛んでいるのだ。何故ならありありと鳥が空を飛ぶ姿を私の意識は、掴んでいるから。
その現実を「本質」として捉える作用が、私の意識の自然な働きだからである。
↑
禅はこれらの意識の働きを無化するという。
つまり実存体験事実に至るのである。
禅は鳥が空を飛んでいることを「本質」として捉える。そしてそれは虚像であることを意識として捉える。
禅の意識はメタ的に本質を無化しているのである。本当は鳥が実際に空を飛んでいることを知っている。
知っていて無化するのだ。無化して、再び秩序を戻す。そして戻した瞬間に「本質」を無化する
では、どうしてそうする必要があるのだろうか?
378し ◆0owanyIGTY 2018/04/29(日) 05:41:08.810
『バカヴァット・ギータ』第18章の一節(サーンキヤ哲学)
「三徳」という考え方があり、
現実在(現質)-
純質(サットヴァ)-全世界を究極的一者として眺める
激質(ラジヤス)-現象的多者の間に動揺ただならぬ意識
闇質(タマス)-愛憎に縛られた沈重な意識
感覚器官も意識も、その対象である外界の事物も、すべてこれら三種の存在エネルギーの
さまざまな混合によって現象し、いわゆる経験界を形成する。
その「三徳」は禅の「無心」「有心」「執心」に当てはまるという。
379し ◆0owanyIGTY 2018/04/29(日) 05:42:00.560
禅に当てはめると
a、純質ー「無心」
b、激質ー「有心」
c、闇質ー「執心」
a、全存在界を究極的一者性において眺める。
b、経験的事物を個々別々なものとして差別し、それらを個々別々に認識する。
c、特定の事物に対する欲情的妄執的な態度。ある一つの対象をまるでそれが全てであるかのように
追い求める、根拠のない愛着の心
禅の「心を擬する」ー
意識のエネルギーをある一定の方向に向かって緊張させ、その先端に一つの対象を認知すること
「至道」への最大の障礙
現実を「本質」的に文節し、個々別々のものとしてしか見ることができない。
「有心」の段階においては、必ず分節的意識が作用するやいなや、存在の真相は無限の彼方に姿を消す
380考える名無しさん2018/04/29(日) 18:35:32.230
意識と本質の29ページにシャンカラとイブンアラビーの共通性を指摘し東洋哲学の一つの典型としてる。
おそらく井筒俊彦の本音が出てる。
勿論大乗仏教特に禅の本質否定論も出すがどちらかというとシャンカラ寄りではないか?
381考える名無しさん2018/05/13(日) 16:08:10.920
ピューリサーチセンターの調査によると
エジプトの88%、パキスタンの62%、ナイジェリアの51%のイスラム教徒が
イスラム教から棄教・改宗する者は殺されるべきだと信じている。
また似たような割合で姦淫には石打、ムハンマドを侮辱する者には厳罰
窃盗犯の腕は切り落とせと考えている。南アジアの84%、東南アジアの77%
北アフリカの74%、サブサハラの64%のイスラム教徒はシャリーアが
国法であるべきだと答えている。西欧にいるムスリムでさえ高い割合で同様の結果が出ている
イスラム教徒はバスだろうがレストランであろうがイスラエルに対する攻撃は
理にかなっていると信じている。「言論の自由」「宗教の自由」「報道の自由」「女性の権利」
「同性愛者の権利」など認めるムスリムは極めて少数派なのはハッキリしている。
ムスリムが啓蒙主義を受け入れた証拠は存在しない。イスラムはキリスト教徒やユダヤ教徒と
争うだけではなくヒンドゥー教徒や仏教徒と衝突している。
改宗の自由すらない。宗教警察なんてものまであるイスラム社会。
世俗法を人間が決めた法、シャリーアは神が決めた法
世俗法に従う義務はないと公言するような連中がいる、こんな邪悪な宗教が他にあるだろうか。
382123師2018/05/13(日) 18:18:21.840>>383
377.
本質を消去、か。
無化する、か。
それは、本来無一物、であるからである。
それで、カオス化する、か。否である。それは秩序となる。
カオスではなく、それは秩序である。
それを、秩序として理解できないこと、が限界となる。
だからして、以後は、勝手な解釈となる。
383し ◆0owanyIGTY 2018/05/13(日) 18:30:01.630
>>382
勝手な解釈ではなくて、ちゃんと書いてある。
チャプター6読んでから言おうか!
384123師2018/05/13(日) 18:56:04.170
383.
勝手な解釈を信じるバカである。
385し ◆0owanyIGTY 2018/05/13(日) 18:58:48.940
読んでおれが作ったレジュメだけど
386考える名無しさん2018/05/20(日) 16:04:41.630
反ユダヤ主義とイスラムフォビアの間には同等のものではない
前者は人々の邪悪な悪魔化だったが後者は正当な批判を黙らせるために使われた
合理的で根拠のある証拠があるため、批判は正当です
恐怖症は偏見ではなく精神障害である。不合理な恐怖、
それは共感を感じる被害者を衰弱させる。精神障害には合理的な根拠はない。
イスラム世界が批判を病理に変えるということをイスラム世界が発明したのはこのためだ
それだけに留まるわけではなく時に人種差別と主張し誤魔化そうとするのです。
387考える名無しさん2018/05/29(火) 00:26:51.790>>388>>515
イスラム教徒だけは入れてはならない。
ロシアは欧米から「国家が社会を支配する国」と思われている
常に改革も上から行われる。イヴァン雷帝、ピョートル大帝、スターリンなど
それに対し欧米は「社会が国家を支配する国」で本質的に合わない
封建制の有無が違いを生んだとされている。
なお白人は日本が中国や韓国とうまくやれるとは思っていない。
それは日本が分権的で中国・韓国が専制的な社会で本質的に異なるから
梅棹教授の生態史観によればロシア・イスラム・インド・中国は政治的に専制国家文化
また一神教は本質において自己の絶対性を主張している原理的に他者を尊重するはずがない
唯一正しいと主張しているのだから相手に対して「あなたも正しい」などと言うはずがない
多神教のように多様な人格を持つ神々を認める宗教とは共通性など存在しないのだ
そして他者の権利を尊重する啓蒙主義・リベラル社会の今日、一神教に正当性など存在しない
イスラム世界は政治文化が専制的で宗教は一神教で最悪の組み合わせ
日本の分権的・多神教文化の真逆である
388考える名無しさん2018/05/29(火) 01:30:57.450
>>387
井筒の本は読んでるの?
389DJgensei artchive gemmar2018/05/29(火) 13:33:04.360
兵隊引いたアホ。
390DJgensei artchive gemmar2018/05/29(火) 13:33:23.350
戦死に届かないアホ。
391DJgensei artchive gemmar2018/05/29(火) 13:33:48.260
中二隊ぐらいのあほ。
392DJgensei artchive gemmar2018/05/29(火) 13:34:12.910
殆んど間違っているあほ。
393考える名無しさん2018/05/29(火) 23:33:12.870
>>389-392
未だに井筒も読まず、
こんな政治工作(>>386-387)をやっているのか?
394考える名無しさん2018/06/04(月) 14:56:35.960>>396
>>376
スーフィーヤって何だよw
そんなもんはないw
395考える名無しさん2018/06/04(月) 20:29:13.450
フウィーヤ
396考える名無しさん2018/06/04(月) 20:46:29.090
>>394
揚げ足とってんなよ。
内容について批判しろよw
397考える名無しさん2018/06/04(月) 20:59:20.920>>398
スーフィーヤwww
398し ◆0owanyIGTY 2018/06/04(月) 21:03:08.470
>>397
ああ、それな。正確な言語ではないが、そんなちっさいことに笑ってるジュン吉の方がな。
399考える名無しさん2018/06/04(月) 21:18:14.450
間違ってたくせに逆ギレかよw
400し ◆0owanyIGTY 2018/06/04(月) 21:23:09.500>>449
おまえは本質的な発音わかって言ってるのか?
説明よろ
401考える名無しさん2018/06/06(水) 23:28:16.440
聖クルアーン - Islamic Books Japan
http://islaam.ninja-x.jp/quranjp/quranhome.htm
アラビア語・日本語・英語 対訳
日本語:日本ムスリム協会 日亜対訳注解聖クルアーン
402考える名無しさん2018/06/06(水) 23:28:58.300
コーラン各種
(1)『コーラン(全3冊)』 井筒俊彦、岩波文庫 (1957)
(2)『聖クルアーン ― 日亜対訳・注解 』 三田了一、日本ムスリム協会 (1982)
(3)『コーラン(全2巻)』 藤本勝次、池田修、伴康哉、中公クラシックス (2002)
(4)『日亜対訳 クルアーン ―「付」訳解と正統十読誦注解』 中田考、作品社 (2014)
予備知識がなくても一気に読めてしまうのは井筒訳。
原語の持つ生き生きとした感じが日本語でも再現されている。
注釈が詳しく、落ち着いて読みたい向きには日亜対訳のムスリム協会版。
その他も読みやすい。
403考える名無しさん2018/06/06(水) 23:29:17.320
コーランの構成(井筒訳)
・上 10章(1~10章)後期
・中 23章(11~33章)中期
・下 81章(34~114章)中期、初期、最初期
コーラン各章の配列は成立年代をほぼ逆さまにした形で収録されている。
初めの方は一章ずつが長く、だんだん各章が短くなっていく。
ムハンマドが受けた最初の啓示の瞬間に向けて、本を読み進めていくことになる。
404考える名無しさん2018/06/06(水) 23:31:41.840
110章は最後期だが
405考える名無しさん2018/06/06(水) 23:51:55.630
一部例外もあるけれど、おおまかな構成という話
406考える名無しさん2018/06/07(木) 20:52:50.960
610年頃、メッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想していたムハンマドは突如金縛りに襲われた。
そのとき天から大天使ジブリールが現れ、「誦め(よめ)」と言った。
ムハンマドが「何を誦めと言うのですか」と尋ねたところ、ジブリールはフッと消えていった。
この時よりクルアーンの啓示が始まる。
それから二十三年の間、ジブリールはムハンマドの元を度々訪れては
クルアーンの各章を啓示していった(クルアーン96章など)。
407考える名無しさん2018/06/08(金) 21:40:12.250
コーラン理解のための副読本
・『イスラーム文化 ―その根柢にあるもの』 井筒俊彦 (1991)
イスラム導入。スンニ派は「外面的」、シーア派は「内面的」
・『「コーラン」を読む』 井筒俊彦 (2013)
コーランのテクスト論、エクリチュール論。コーランの言葉は根源語
・『アラブ的思考様式』 牧野信也 (1979)
コーランとアラビア語の仕組み、言語文化論
408DJgensei artchive gemmar2018/06/08(金) 23:01:32.880
啓示というか戦術指南でしょうね。そういう言葉で戦っていた静かな闘志でしょう。
409考える名無しさん2018/06/09(土) 01:19:26.170
>>343
イブン・アラビーによる「アッラーの神的な自己顕現(タッジャーリ)」
「私は隠れた宝物であった。突然私のなかにそういう自分を知られたいという欲求が起こった。知られんがために私は世界を創造した。」
http://www.sufismus-online.de/IWasAHiddenTreasure
"Kuntu kanzan makhfiyyan fa ahbabtuhu an u`rafa fa khalaqtuhu ‘l-khalq"
I was a hidden treasure, I wanted to be known, so I created Creation.
A Hidden Treasure - wiki
https://en.wikipedia.org/wiki/A_Hidden_Treasure
410考える名無しさん2018/06/09(土) 12:48:05.470>>411
『「東洋」哲学の根本問題 あるいは井筒俊彦』 斎藤慶典 (2018/2/11)
序 章 井筒「東洋」哲学
「東洋」哲学/井筒「東洋」哲学は何を目指しているのか
第1章 表層/深層
a)表層から深層へ
コトバ/深層における分節化/分節化されたものから分節以前のものへ/事事無礙
b)深層から表層へ
理理無礙/分節(1)―「無」―分節(2)/挙体性起/存在の階層性/基付け関係/有力・無力
c)大地と理性――ロシア的人間
ロシアの一九世紀/原始的自然/『コサック』/ドストエフスキー
第2章 空/無
a)「空」の徹底
理理無礙/神の彼方/〈無分節な「ある」〉への反転/「存在」の破れ
b)空と無
『大乗起信論』におけるアラヤ識/ユダヤ教カッバーラー/バスターミーの「欺瞞」論/思考の無能力
c)砂漠と死――ジャック・デリダ
ユダヤとギリシアの狭間で/砂漠における彷徨/墓場、あるいは死
第3章 〈いま・ここで=現に〉
a)「本質(マーヒーヤ)と「存在(フウィーヤ)」
「存在は本質の偶有である」/有「本質」か、無「本質」か/フウィーヤ・マーヒーヤ・タビーア/有「本質」論の三つの型/
イスラーム「原子論」/無「本質」的存在分節/元型とイマージュ/意識と存在の構造モデル/「概念実在論」
b)〈いま・ここで=現に〉
「存在」の「独一性」/創造不断/吾有時/「純粋な可能性」としての「無」/証言
c)「入てん垂手」
聖諦と俗諦/俗、あるいは町という共同体/「無」の共同体
411考える名無しさん2018/06/09(土) 12:48:32.240
>>410
井筒哲学の要約と、著作へのインデックスになっている
412考える名無しさん2018/06/09(土) 19:19:25.690
イスラーム神学における信の構造を読んでるがイスラム過激派にも影響与えたイブンタイミーヤが出てくる。
413考える名無しさん2018/06/09(土) 23:05:56.340
>タイミーヤ
サラフィー主義の祖ね(サラフは「敬虔なる先人たち」を意味)
13世紀モンゴル軍侵攻の結果
414考える名無しさん2018/06/09(土) 23:08:29.270
ハンバリーの系統は正統と認めるべきではなかったな
415考える名無しさん2018/06/10(日) 13:07:52.440
イブンタイミーヤはイマーン(信)をイスラムより高次の概念としてるんだな。初めて知った。
416考える名無しさん2018/06/10(日) 13:23:36.320
イマーン(信)をイスラムより高次の概念
↑
どういう意味?
417考える名無しさん2018/06/12(火) 00:16:09.010
>>413の様な背景があるから、原理主義だテロだというのも他人事ではないね。
418考える名無しさん2018/06/12(火) 00:17:06.100
イスラムのイスラムらしさは、本来、アラブ的でセム的なもの。
419考える名無しさん2018/06/12(火) 01:03:53.120
ユダヤ教もセム的ですが
420考える名無しさん2018/06/12(火) 01:14:27.130
で?
421考える名無しさん2018/06/12(火) 21:09:06.730>>427
スンニ派とシーア派で、人口比はおよそ9:1。
(1)スンニ派を代表するアラブ人は、アラビア語を話すセム語系。
(2)シーア派を代表するイラン人は、ペルシャ語を話すインド=ヨーロッパ語系。
その他の要素として、
(3)シリアのアラウィー派やサウジのワッハーブ派、トルコ民族やトルコ語といった固有の性質がある。
422考える名無しさん2018/06/12(火) 21:11:13.780
井筒と司馬による「二十世紀末の闇と光」という対談は、
イスラムとモンゴルの話。
・『井筒俊彦全集 第10巻 意識の形而上学』
・『井筒俊彦著作集 別巻 対談鼎談集・著作目録』
・『司馬遼太郎 歴史歓談』などに収録
423考える名無しさん2018/06/12(火) 21:12:18.850
1258年にモンゴル軍がバグダードに侵攻して、東西の文明が衝突した。
トマス・アクィナスやエックハルト、ゾーハルのモーシェ・デ・レオンの時代。
チベット仏教を信奉していたフレグ(チンギス・ハンの孫)家はイスラムに改宗し、後に国教にもする。
424考える名無しさん2018/06/12(火) 21:13:45.850>>433>>447
その過程で、仏教とイスラムは相互に影響し合ったという。
大乗仏教は、真如というメタフィジカルな実在原理を中心に据えるものだったが、
大日如来という宇宙の絶対者を持つようになる。
イスラムは、元は生きた神の宗教であったものが、
この時期より、アッラーが真如のような理念「真理(ハック)」として、
あるいは華厳的な光のイマージュとして捉えられるようにもなった。
425考える名無しさん2018/06/12(火) 21:27:18.850>>448
シャイフ・ルトゥフッラー・モスク(イラン、エスファハーン)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b9/Sheikh_Lotf_Allah_3D_aa.jpg/1280px-Sheikh_Lotf_Allah_3D_aa.jpg
岩のドーム(イスラエル、エルサレム)
https://st3.depositphotos.com/1108627/14659/i/1600/depositphotos_146594649-stock-photo-dome-of-the-rock-islamic.jpg
シャーヒ・ズィンダ廟群(ウズベキスタン、サマルカンド)
http://c12.incisozluk.com.tr/res/incisozluk//11506/0/2657850_odc6c.jpg
オルジェイトゥ廟(イラン、ソルターニーイェ)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a3/%C3%96ljait%C3%BC_tomb.jpg/1258px-%C3%96ljait%C3%BC_tomb.jpg
イルハン朝第8代君主。青色タイルで覆われた世界最古のモスク
陶器にコバルトで青を染め付ける技術は、中東で開発された。
モンゴルの支配時代以降、青色タイルで覆われた建造物が、中央アジアやイラン、トルコで盛んに建設された。
(参考『イスラーム不思議曼荼羅』後藤明、野町和嘉)
426考える名無しさん2018/06/12(火) 21:58:03.780
井筒俊彦は
ジャック・デリダから
「マエストロ(巨匠)」って呼ばれていたんだよな
日本ではなく
欧米で生まれていれば
「間違いなく世界思想史に残る存在になったはず」ともデリダは言っていた
427考える名無しさん2018/06/12(火) 22:00:29.550
>>421
スンニーとシーアで人口比っていうならスンニーの代表はアラブ人じゃなくてインドネシア人でしょ
428考える名無しさん2018/06/12(火) 23:23:34.260>>430
モンゴル人は仏教をやってもイスラムをやっても超一流
429考える名無しさん2018/06/12(火) 23:31:04.720
スンニー人口の半分を占めるのはインドネシアとインド系(パキスタン、インド、バングラディッシュ)
430考える名無しさん2018/06/13(水) 06:58:19.140
>>428
相撲やってイカサマやってもな(笑)
431考える名無しさん2018/06/13(水) 10:55:29.380
相撲のいかさまは日本人も一流だが
432考える名無しさん2018/06/13(水) 19:50:15.800
神事としての格闘技といえば、天使とヤコブの格闘(創世記 32:25-29)
433考える名無しさん2018/06/13(水) 19:51:10.330
>>424
“五大にみな響きあり。(地・水・火・風・空の五大からなる森羅万象が声として響き)
十界に言語を具す。(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・緑覚・菩薩・仏の十界すべてが言語を具え)
六塵ことごとく文字なり。(色・声・香・味・触・法の六塵といった知覚世界の諸差異が文字を生じ)
法身はこれ実相なり。”(宇宙の本源たる大日如来は、この世界のあるがままの姿に他ならない)
― 空海 「声字実相義」
434考える名無しさん2018/06/13(水) 19:51:45.310
宇宙の姿は、大日如来の言語活動そのものであると
435考える名無しさん2018/06/13(水) 19:52:25.380
空海は言語哲学的な仏教の代表
436考える名無しさん2018/06/13(水) 19:52:59.860
『空海 (KAWADE 道の手帖)』 河出書房新社 (2006)
世界的な思想家として空海を捉え直す。
インタビュー・中沢新一、前田英樹、竹内信夫、落合仁司、井筒俊彦、中村元、司馬遼太郎×福永光司、五来重、松岡正剛、幸田露伴など。
437考える名無しさん2018/06/13(水) 20:50:20.300
“文は全体であり,世界であり,ブラフマン(宇宙の根本原理)である”
― バルトリハリ(5世紀インドの文法学者)
438考える名無しさん2018/06/14(木) 21:20:50.120
・旧約聖書、新約聖書
・コーラン、ハディース
・タルムード
・アヴェスター
・仏典(原始仏典、大乗仏典)
・リグ・ヴェーダ、ウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター、ヨーガ・スートラ
・孔子、老子、荘子、易経、淮南子
・日本の古典
ぐらいは目を通しておくのがいい。
439考える名無しさん2018/06/15(金) 13:37:28.040
すげぇ
タルムードってすげー分量あるのに目を通しているのか……
日本語訳も一部しかないし、英訳でもあれだけのものを目を通すのは無理だわ
440考える名無しさん2018/06/15(金) 13:50:07.950
>>438で日本語訳だけど目を通したっていえるのは
旧約聖書
新約聖書
コーラン
ハディース(ムスリム)
アヴェスター(ガーサーと、ウィーデーウダート、ヤスナの抄訳)
仏典(ダンマパダ、スッタニパータ、パリニッバーナ経、法華経、大日経住心本、理趣経)
リグヴェーダ(抄訳)、チャードーギヤ・ウパニシャッド、アールニヤカ・ウパニシャッド、カタ・ウパニシャッド、バカヴァットギーター
論語、老子、荘子、易経(概略)
くらいだわ
タルムードまではとても無理
アヴェスターやリグ・ヴェーダとか少なくても英訳に頼らないといけない相当分量あるものはとても目を通す気力がわかないから、438はすごいわ…
441考える名無しさん2018/06/17(日) 20:22:31.940
興味が持てて、手に取れる範囲から、サクサク読んでいけばいい。
442考える名無しさん2018/06/17(日) 20:24:23.790
井筒のカバラとセフィロト(参考:『意識と本質』 10章)
(1)「ケテル Kether」
意味は「王冠」。存在流出の究極的始源。
『旧約』(出エジプト記 3:14)の神言「在りて在るもの」に当たる純粋「有」の絶対的「一」。
仏教でいう「空」すなわち「真空妙有」の「妙有」的側面に当たり、一切の「多」を無文節的に内蔵する。
(2)「ホクマー Hokmah」
「叡智」。仏教の「般若」に相当するが、カッバーラーではこれを神の意識とする。
神が自らを観想するところに現成する知で、絶対無文節的覚知。
イマージュとしては、際涯ない空間の拡がりの中に、独り燦然と輝く巨大な太陽。
この太陽から不断に発生する光線の一つ一つが、もっと下の存在段階で結晶して経験的事物の「元型」となる。
(3)「ビーナー Binah」
「分別知」。神が自らをそこに映して、自らの内面をあるがままに眺める鏡に例えられる。
神は自らの一者性の内に潜む多者を見る。
あたかもプリズムを通った光のように、「神の顔」は無数に分かれ、ここに最初の存在文節が起こる。
密教でいう「種子(ビージャ)」。
(4)「ヘセド Hesed」
「慈悲」。神の創造性の肯定的側面を表し、全てのものに存在を与える。
・
・
・
(10)「マルクート Malkut」
「王国」。先行するすべての「セフィーロート」のエネルギーが一つになってここに流れ込んでくる。
神的実在の世界は「元型」構造的にここで終端に達し、その下には被造界が展開する。
セフィロトの樹:http://blog-imgs-76.fc2.com/a/a/5/aa57/treeofflife20150115.jpg
443考える名無しさん2018/06/17(日) 23:44:43.730>>444
コピペばかりしてメモ帳代わりにしてるハゲは一体何がしたいんだ
444考える名無しさん2018/06/18(月) 11:39:14.650
>>443
自己愛性パーソナリティ障害だと思うわ
「俺はこんなすげーこと書いたんだぞ」と、どうしても読ませたくて複数スレにコピペ荒らし
445考える名無しさん2018/06/18(月) 23:24:03.810>>446
井筒俊彦の『意味の深みへ』がかなり面白い
446考える名無しさん2018/06/21(木) 01:48:40.600
>>445
デリダのエクリチュール論や、ソシュール記号学の先という話ね。
447考える名無しさん2018/06/21(木) 01:50:27.100
>>424
こういうことは、まだこれから、検証していかなければならない。
確かに、モンゴル人は、早い時期から、正教やネストリウス派などのキリスト教とも接していたし、
チベット仏教は、顕教と密教があって、高度に形而上学化されてもいるから、あながちでもない。
聖書が書かれたアラム文字はヘブライ文字とアラビア文字の原型となり、
東伝して、イラン系ソグド文字、ウイグル文字、モンゴル文字などになった。
448考える名無しさん2018/06/21(木) 01:53:05.980
>>425
“おもしろいのは、モンゴル人が天の神を拝むとき《青き天》と呼んでいることである。”
― 『シャマニズム:アルタイ系諸民族の世界像 1』 ウノ・ハルヴァ、田中克彦 (2013) 5章 p149
天の神=テングリのこと。この本の中では、極東からスカンジナビアまで、
ツングース、モンゴル、タタール、テュルク、インド、イラン、シリアから、
ロシア、フィンランド、アイスランドまでの神話が一並びに比較されている。
449考える名無しさん2018/06/27(水) 17:24:41.510
>>400
アラビア語の「本質」
jawhar……原義は宝石。中世ペルシャ語からの借用語。転じて、本質、精髄を意味する。哲学用語として、ギリシャ語ウースィアー(実体)の訳語に採用される。
maahiyyat……上記、アリストテレスの実体の第二定義「何かであること」が訳されてアラビア語maa hiya(それは何)に女性名詞化iyyatが付いた形。
スフラワルディーの照明哲学で、一番最初に創造されたものである「本質」とはこのmaahiyyatのこと。
huwiyyat……huwa(それ、これ)にiyyatが付いた形。「これであること」「これ性」の意味。イブン・シーナーを通してドゥンス・スコトゥスがhaecceitasと翻訳。西洋哲学に導入される。
一般的意味では「自己証明、アイデンティティ」の意味。例 ghayb huwiyyatは哲学・神学的には「(アッラーの深奥である)不可視の本質」だが、一般的には「身元不明」を意味する。
dhaat……dhu(~所有する)の女性名詞。「(それが)もっているもの(つまり本質)」を意味する。
haqiiqat……一般的には「真理」の意味。また「真相」。後者の意味で「本質」。実際に存在しているもの(実在)というニュアンスが強い。
450考える名無しさん2018/07/03(火) 20:04:02.610
斎藤慶典の「東洋」哲学の根本問題読んでるが175ページに無本質論-典型的には老荘思想と大乗仏教(密教と禅)とあるが井筒俊彦は密教は有本質論に分類してなかったか?
451考える名無しさん2018/07/06(金) 14:51:40.810>>452
本当に
>無本質論-典型的には老荘思想と大乗仏教(密教と禅)
と書いてあるなら間違いだな
禅の無本質論に対して、有本質論第二型の「元型」的「本質」論にあるものとして密教を取り扱っている。(意識と本質Ⅹ)
452考える名無しさん2018/07/07(土) 14:56:29.360
>>451
やっぱりそうか!
意識と本質読み返したがやはり間違いだった。
ありがとう
453考える名無しさん2018/07/07(土) 20:11:46.870
「東洋哲学の根本問題ーあるいは井筒俊彦」の帯に(哲学者井筒俊彦がインド、中国、日本に加えイスラーム、ユダヤ、東南アジアを含む全東洋思想を総覧し…)とあるが東南アジアなんか全然出なかった。井筒俊彦自体が東南アジアは扱ってなかったし。
ピーみたいな古代からの精霊信仰か上座部仏教が東南アジアの思想だろうが…
454考える名無しさん2018/07/07(土) 20:27:38.550>>456
東南アジアはイスラーム圏だぞ
455考える名無しさん2018/07/07(土) 20:37:47.710
うるさい
456考える名無しさん2018/07/07(土) 21:46:56.490
>>454
それならマレーシアやインドネシア独自のイスラムの思想形態が出ても良いのだが出てくるのは中東の思想家だけだ。
457考える名無しさん2018/07/08(日) 09:04:40.400
過大評価代表みたいな人だから
特に語学強い学者はそう
ゾンダンとか
458考える名無しさん2018/07/08(日) 21:25:26.490
関口存男ね
459考える名無しさん2018/07/08(日) 21:33:57.660
語学の天才井筒俊彦の勉強法と教え方は常軌を逸していた
https://kotoyumin.com/idutusuzukiepisode-2201
井筒俊彦の語学勉強法の由来は?司馬遼太郎に本の丸暗記法を語る
https://kotoyumin.com/idutsu-shiba-353
460考える名無しさん2018/07/08(日) 21:36:00.890
聖典を丸ごと暗記するのは、脳の古い使い方だと言っていたが、
暗記とか暗算は、特殊な回路が出来てくるのでは
461考える名無しさん2018/07/12(木) 02:06:08.890
ジャン=リュック・ゴダール会見全文載録
「E・サイードに導かれて」
(at第71回カンヌ国際映画祭)
https://dokushojin.com/article.html?i=3660
今回新設された「スペシャル・パルムドール」には、
ジャン=リュック・ゴダール監督『イメージの本』(原題:Le Livre D'image)が選ばれた。
―― 最近のアラブ世界の何が、着想を与えたのでしょうか。
462考える名無しさん2018/07/12(木) 02:06:45.010
サイード『オリエンタリズム』はルイ・マシニョンについても書かれていた。
463考える名無しさん2018/07/12(木) 02:08:01.490
ハッラージュを論じる時のマッスィニョン。
あれはもう我々が常識的に考える「学問」などというものではない。
全人間的「変融」体験の極において「アナ・ル・ハック」(我こそは神)と、
己れの死を賭して叫んだ、あるいは叫ばざるをえなかった西暦十世紀のスーフィーと、
二十世紀の真只中でそれを"じか"に受けとめる、マッスィニョンという
魁奇な一精神との実存的邂逅の生きた記録、でそれはある。
それが尽きせぬ興味を惹き起し、たんなる学問を遥かに越えた不思議な世界に我々を誘う。
(R・A・ニコルソン 『イスラーム神秘主義におけるペルソナの理念』 への序詞) 「井筒俊彦入門」より
464考える名無しさん2018/07/12(木) 02:09:12.970
現代の「イラン的イスラム」哲学における
コルバンと井筒の役割に関する導入的比較研究:
ハイデガーからマシニョンまで (2016-02-19)
https://toyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&;item_id=8402&file_id=22&file_no=1
エフサン・シャリーアティー
翻訳:景山 洋平
465考える名無しさん2018/07/12(木) 07:21:31.440
アナルファック
466学術2018/07/12(木) 12:43:37.320
博士中退はスレ中止。
467学術2018/07/12(木) 12:44:13.530
博士中退はスレ中止。
468考える名無しさん2018/07/13(金) 08:20:31.980>>499
大川周明が東京裁判で東條英機の後頭部を叩いて入院させられた松沢病院も研究に参加している。
大川周明が松沢病院の書斎で預言者ムハンマドと対話したことはよく知られている。
統合失調症、初期に手厚いケアで症状安定 研究で判明:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL6G75QYL6GULZU00W.html
2018年7月13日05時31分
統合失調症などの精神疾患にかかった初期の段階で、治療に加えて手厚い生活支援をすることで、
症状が落ち着いたまま過ごせる確率を大幅に高められることが、東京都医学総合研究所などの研究でわかった。
英国などで取り組みが進む手法で、日本でも今後、広がる可能性がある。
この手法は「初期包括支援サービス」と呼ばれ、治療にあたる医師とは別に、
看護師や精神保健福祉士といったスタッフが「ケースマネジャー」となって患者や家族のケアを担当。
家庭を訪問して患者の困っていることを聞いたり、学校や職場を一緒に訪問して復学や復職を支援したりする。
研究には都立松沢病院や東京大病院などが参加。
統合失調症や双極性障害を発症した77人(15~35歳)のうち40人にこの手法を、
37人には外来受診を中心とした通常の治療を受けてもらい、1年半後の様子を比べた。
すると、目立った症状がなく落ち着いた状態が半年以上続く「寛解」
と判断できた患者は支援サービスを受けた側で23人、通常の治療を受けた側では10人。
初期の病状なども踏まえて解析すると、症状が落ち着く割合はサービスを受けた側が6・3倍高かった。
薬を使う量が少なくてすむ傾向もあったという。
こうしたサービスによる効果は、海外の研究でも報告されている。同研究所の西田淳志・プロジェクトリーダーは
「患者にとって信頼できるスタッフと、発病後の早期から社会復帰に向けてともに歩めたことが回復への希望を生み、
症状の安定につながったのではないか」と話す。
結果は、精神医学研究の専門誌に掲載された。
469学術2018/07/13(金) 09:03:44.870
統合 より 東郷 東条 の方が神がかっている。
470考える名無しさん2018/07/13(金) 20:10:04.360
神がかり的学歴コンプが甘えるな
471考える名無しさん2018/07/13(金) 20:15:47.130>>472
どっかのスレで昔
井筒の業績を説明してくれと投げたが
スゲ~と言ってた相手は結局説明できなかった
ネットで探してもやっぱり説明しているやつはいないので
白川静並みに胡散臭い
472考える名無しさん2018/07/13(金) 21:58:29.860>>473
>>471
漢字辞典でも読んでろ
473考える名無しさん2018/07/13(金) 22:04:07.840>>474
>>472
やっぱ君も説明できないだろ
名誉と天才エピしかないからね
474考える名無しさん2018/07/13(金) 22:22:39.440
>>471、>>473
自分で本も読めない池沼の戯言など知ったことではない
475考える名無しさん2018/07/13(金) 22:25:04.890>>477
初のアラビア語からのクルアーン翻訳
はい論破
476考える名無しさん2018/07/13(金) 22:25:49.930
あら逃げた
ちなみに本を読んでも
堅固な学問的評価は素人には判断できない
白川もそうだろ?
正しさや新しさなんてそうそう評価できないから
477考える名無しさん2018/07/13(金) 22:31:27.350>>479
>>475
それはいいけど
初訳出ってそんな学問的に権威あること?
478考える名無しさん2018/07/13(金) 22:38:00.070
宇宙的学問コンプ
479考える名無しさん2018/07/14(土) 14:01:54.040
>>477
それを含めて当時日本にとって未開分野であったイスラーム哲学思想を日本に齎したってことかな
480考える名無しさん2018/07/14(土) 14:08:54.790
じゃあそれまであまり知られていなかった
イスラム思想を日本に紹介して論じたことが業績ね
了解
これは文献の数や内容である程度は判定できる
ことだな
481考える名無しさん2018/07/15(日) 07:40:12.490
十字架のヨハネ(無の博士)
“無、無、無、無、無、無、山中においても無”
(nada, nada, nada, nada, nada, nada, y aún en el monte nada)
― 『十字架のヨハネ研究』 鶴岡賀雄 (2000) 1部序論 p20
カルメル山図(完徳の山 Monte de perfección)
http://www.mercaba.org/DOCTORES/JUAN-CRUZ/Monte%20de%20perfeccion.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/67/Monte_Carmelo_Juan_de_la_Cruz.jpg
https://i.pinimg.com/564x/d6/35/02/d6350288e6e54d589ec5dd13d480bb4c.jpg
https://cdn-images-1.medium.com/max/1600/1*qY2u3izpyvk5zKFUs649xw.jpeg
図には、「カルメル山」の頂上を指して三つの登攀(はん)路が示されている。
・右の道は「地上の不完全さによる霊的道」
・左の道は「天上の不完全さによる霊的道」
・真ん中の道には「nada, nada, nada, nada, nada, nada, y aún en el monte nada」
登攀の先に、神との一致を目指す。
482考える名無しさん2018/07/15(日) 07:41:22.590
『テオーシス 東方・西方教会における人間神化思想の伝統』 田島照久、阿部善彦 編 (2018/2/8)
東方キリスト教における神化思想
第1章 プラトン主義と神化思想の萌芽──東方教父思想における「神に似ること」概念の変容
第2章 ニュッサのグレゴリウスにおける神化思想──人間本性の開化・成就と神化への道
第3章 証聖者マクシモスにおける神化思想──神化の道行の動的かつ全一的かたち
第4章 デュオニュシオスの神化思想──ヒエラルキアと不知の暗黒
第5章 ディオニュシオス『神秘神学』におけるヒュムネイン(讃えること)──「彼方」の招きと拒絶
第6章 パラマスにおける神化思想──東方的伝統と独創
女性神秘思想における神化思想
第7章 ハーデウィヒの神化思想
第8章 マルグリット・ポレートの神化思想──源流と波紋、火と水の比喩を中心に
ドイツ・ドミニコ会学派における神化思想
第9章 フライベルクのディートリヒの神化思想──「神の像」としての人間知性の観点から
第10章 モースブルクのベルトルトにおける神化思想──神的人間論の観点から
エックハルトにおける神化思想
第11章 エックハルトの「魂における神の子の誕生」教説と「神性への突破」教説
第12章 エックハルトにおける人間神化と関係的存在論
第13章 エックハルトの神化思想と異端断罪
エックハルト以降の神化思想
第14章 タウラーの神化思想──エックハルト断罪以後という観点から
第15章 ゾイゼの神化思想──西方キリスト教におけるキリスト中心的霊性
第16章 リュースブルクの神化思想
近世・近代の神化思想
第17章 クザーヌスの神化思想──神と被造物を隔てる二分法的限界と人間の完全性
第18章 イグナチオ・デ・ロヨラの神化思想──自己無化の下降的動性による一致と涙
第19章 スペイン神秘主義における神化思想──十字架のヨハネとアビラのテレサ
483考える名無しさん2018/07/15(日) 18:25:51.300
今日も今日とてコピペ馬鹿
484考える名無しさん2018/07/16(月) 23:48:43.770>>500
存在認識の道pp.264-265
解説Ⅳより
「確かにアヴィセンナは、存在は本質の偶有であると明言した。
・・・・・・白さは花という実体がなくては現成し得ないけれども、花は白さがそれに偶有しなくても現成する。存在もまた本質に対して、白さ花に対するのと同じような意味での偶有だというのである。」
「もし存在がこのようなものとすると、どんなことになるか。今言ったように、白さは花を必要とするが、花は白さを必要としない。
ということはつまり、白さが偶有しなくとも、白さが偶有してくる前に、花はすでに自分で存在しているということである。
白さと花のこの関係を存在と本質の関係に移してみると、本質は存在が偶有する以前にすでに何らかの意味で、あるいは何らかの形で存在していなければならない、という奇妙なことになってしまう。」
「存在を本質の偶有と見るアヴィセンナの立場が、こんなに簡単にアポリアに追い込まれてしまうのは、もともとこの立場が正しく理解されていないからである。
アヴィセンナ哲学の伝統を始めて真にそのあるべき姿において確立したと称される・・・・・・トゥースィーは、この点を継のように明快に説明している」
『この誤解は、元来本質なるものが、まだ存在しないうちから外界に何らかの形で存立していて、そこへ存在がやって来て宿るのだという考えに基づいている。
だが、この考え自体が間違っているのだ。なぜなら本質が(何らかの形で)存立していると考えるのは、すなわち本質が存在しているということに他ならないから
・・・・・・本質にとっては、それがあるということが、すなわちそれの存在なのである』
485考える名無しさん2018/07/17(火) 15:59:51.580
井筒俊彦の業績は日本で未知だったイスラム哲学の翻訳と紹介。
東洋哲学の共時的構造化という名の元儒教、道教、大乗仏教、ヒンドゥー教、イスラム、ユダヤ教神秘主義に至るまでを統一的なパースペクティブで視た事。
ギリシャ哲学への独自の視点や独特のロシア文学論まである。
486考える名無しさん2018/07/17(火) 20:44:45.470>>489>>491
語学まかせの大風呂敷の訓詁学ね
487考える名無しさん2018/07/17(火) 20:57:21.500
英語も喋れないザコにそれを言う資格はない
488考える名無しさん2018/07/17(火) 21:00:00.600
そういう意味では翻訳の業績は
翻訳者として立派な業績だしきちんと分かる
語学エピはゴミ箱へ
489考える名無しさん2018/07/17(火) 21:00:37.490>>490>>493
>>486
井筒以上の哲学者ってどんな人がいる?
490考える名無しさん2018/07/17(火) 21:02:07.230>>501
>>489
その哲学の中身はどこがすごいん?
説明してみな
できるならな
491考える名無しさん2018/07/17(火) 21:04:05.240
>>486
答えられないの?
492考える名無しさん2018/07/17(火) 21:10:34.230
まぁ、気に食わない研究者は俺にもいるからな。子供が拗ねてダダをこねてるようなもんだ(笑)
493考える名無しさん2018/07/17(火) 21:11:32.910
>>489
さあ興味ないので
494考える名無しさん2018/07/17(火) 21:17:32.720>>496
ネット上で一人もいないんだよね
井筒の業績の具体的な解説って
で世界的とか言ってるw
例えば大拙はzenという言葉が
英語語彙のなかに残ったから分かりやすい
仏教の西欧への紹介者としては飛び抜けている
これはOEDの見出し語zenを見れば極めて明瞭
495考える名無しさん2018/07/17(火) 21:19:33.720
おまえみたいな何者でもないクソザコが何を言ってもノーダメだよ
496考える名無しさん2018/07/17(火) 21:25:23.140>>498
>>494
その程度で喜んでいる奴に井筒は難しい
497考える名無しさん2018/07/17(火) 21:28:31.040
以前に褒めているやつが業績について
触れている論文持ってきてくれたけど
それにも書いてなかったな
訓詁ならどの解釈が重要で今日の学問の
礎になったのか書いていない
観念的な大風呂敷感がウケているんだろう
498考える名無しさん2018/07/17(火) 21:29:06.840
>>496
難しいと偉いの?
ゲラゲラw
499考える名無しさん2018/07/18(水) 00:25:57.500
>>468
最初の「」の次にこれ追加
「このような解釈がアヴィセンナ思想の根本的誤解であることが今日では、少なくともイスラーム学会では、明白になっているが、昔はイスラーム内部でもこれが有力な解釈だった」
井筒もアッ・トゥースィーもこのようなイブン・スィーナー説の解釈は誤解だと述べているが、直接イブン・スィーナーの言うところを当たれば誤解でもなんでもないと思われる
それは正当な解釈であって、むしろアッ・トゥースィーの言うところはイブン・スィーナーの言うところと正確に合致していない。
井筒はイブン・スィーナーの本質と存在に関しての説を取り上げて、その問題を「奇妙なことになってしまう」「アポリア」と呼んでいるが、それに対する回答にアッ・トゥースィーの説を持ち出したことは正当だとは言えない。
イブン・スィーナーの説ならば、イブン・スィーナーにこそ答えを求めるべきであって、アッ・トゥースィーを出すべきではなかった。
p268にもイブン・スィーナーの可能的存在についても井筒は語っているが、それはあくまでもイブン・スィーナー後のイブン・スィーナー解釈であり、それをイブン・スィーナーの真意とするのは正しいとは思えない。
あくまでもそれは後代の解釈であるだけなのだから
イブン・スィーナーの存在と本質の説は、自身のそれより大きな体系の一部であり、それから切り離して考えれば、もはや別物と言えよう。
アンリ・コルバンは「イスラーム哲学史」でスフラワルディーこそがイブン・スィーナーの後継者のようなことを語っているが、そちらの方が正しいように思える。
500考える名無しさん2018/07/18(水) 00:28:47.060
>>484
レス間違い
501考える名無しさん2018/07/18(水) 14:35:24.900
>>490
入り口として井筒俊彦の意識モデルとかどうだ?
表層意識の下に深層イマージュ意識がありそれを生み出す元型的な言語アラヤ識と言うべきものがある。更にその底に存在のゼロポイントという純粋経験的な「無」意識がある。
このモデルにほとんどの東洋哲学は放り込める。
井筒俊彦は「あくまで仮のモデル」と断ってるが。
502考える名無しさん2018/07/18(水) 15:25:29.410>>503
なるほど東洋のさまざまな思想を
統一感のあるモデルに仕立てると
しかしそのこしらえた多層構造に
思想の言葉を当てはめて整理しても
説得力ある繋がりが見えてこないと意味がない
つまりそのモデルによってはじめて
明らかになった成果を具体的に教えて欲しいのだ
503考える名無しさん2018/07/18(水) 18:23:13.150
>>502
本質という視点から禅や道家の究極的本質は無いとする無本質論と究極的本質リアリティを想定するシャンカラ哲学を据えるが二つの鋭い対立を説きつつ無分節という点で共通すると説く。
またイブンアラビーの存在一性論もシャンカラと同じタイプに分類する。
両者とも究極的一者を想定してる。両者とも存在のゼロポイントを語っていると示唆してる。
少し省いて普遍的本質実在論が3タイプ。
第一のタイプが宋学。
中庸の已発(既に分節された意識)と未発(意識と存在の未展開状態。存在のゼロポイント)について語る。未発の性質は無極而太極(無の究極即有の究極)とする。
第二のタイプが元型を普遍的本質と認めるタイプ。
神秘主義、密教、シャーマニズム、ユダヤカバラ主義など。
詳述は避けるが元型から昇るイマージュ的無意識を手がかりにそれを利用し存在=意識のゼロポイント体験たる神人合一を目指す潮流。
第三のタイプは普遍的本質を概念として表層意識で理解するタイプ。
プラトンのイデア論や孔子の正名論(名と実を一致させようという論)
ニヤーヤヴァイシェーシカの存在範疇論など。
こういう分類をしてる。
こうした壮大な試みの根底には存在主義とも言うべきただ「在る」という事の深みを示唆してくれていると自分は思う。
504考える名無しさん2018/07/18(水) 18:55:20.000>>505
そうか、説明はありがたいが
分類の妥当性と、分類から判明した
新しい知見というのが不明瞭だな
特に分類が抽象的で壮大なのが気になる
全体像じゃなくて
君が詳しいとか、特に名高い2つの比較を取り上げて
絞って凄さを語ってくれないか
俺が読んだ論文での評価では
比較思想じゃなくて
イスラム思想内だけの訓詁で革新的な解釈アプローチ
があったという感じだったが
505考える名無しさん2018/07/18(水) 20:50:49.350
>>504
> 俺が読んだ論文
何を読んだのか?
506考える名無しさん2018/07/18(水) 21:04:53.400>>507
井筒ではない今の井筒に詳しい学者の
論文というか論文誌の書き物
イスラム思想を語学的手法を用いて
新しく解釈して、それがイスラム圏や欧米の
学者にインパクトを与えたみたいな書き方だったよ
だからイスラム思想にアラビア語を古典注釈を
駆使して斬新に解釈したと思ってた
俺が知りたいのはそのアプローチ法の中身
井筒後はどういう読みになったのか
507考える名無しさん2018/07/18(水) 21:14:22.930
>>506
> 井筒ではない今の井筒に詳しい学者の
> 論文というか論文誌の書き物
タイトルを挙げれば他の人も確認できるし
話が早いだろ
508考える名無しさん2018/07/18(水) 21:15:46.120
思い出せないけど
後でちょっと探してみるよ
509考える名無しさん2018/07/18(水) 21:20:05.470
人にものを尋ねる前に、自分の根拠を示す。
当たり前の話。
510考える名無しさん2018/07/18(水) 21:22:48.340
いや詳しい人なら
井筒がアラビア語の言語学的な古典注釈で
大きな仕事をしたかどうかは判断できるだろ
そんな話聞かないとかそれは評価されているらしいとか
511考える名無しさん2018/07/18(水) 21:31:26.750
いつまでもその辺をうろついていればいい
512考える名無しさん2018/07/18(水) 21:33:24.480
なんだやっぱり世界的業績が
パッと出てこないのか
みんな同じか
513考える名無しさん2018/07/18(水) 21:36:13.210
伝聞と推量
514考える名無しさん2018/07/18(水) 21:36:55.140
アラビア語の宗教的訓詁学はアラブ世界
にもあるだろうし
キリスト教の文献学も応用しやすいだろう
そこで井筒が語学的に鮮やかな意味分析を施して
一里塚を築いたとしたら世界的と言っていいのだが...
515考える名無しさん2018/07/18(水) 22:00:15.28O
>>387
ロシアは専制的。アジア的ヨーロッパ
日本は共和的。ヨーロッパ的アジア
おもろいね
516考える名無しさん2018/07/21(土) 11:01:51.940>>517>>518
不寛容な人に対して寛容であってはならない。もしオリヴァー・ウェンドル・ホームズの
言うように、自由な表現は、もしそれが明らかな目の前の危険だという証明がつく場合に
かぎり制約されるべきだ、と考えたならばリンカーンの主張は不可能になっていただろう
すなわちリンカーンは、平等の原理にはいかなる妥協もありえないこと、この原理は人々
の選択や選挙に基づくものではないのであって、そもそも人々が選挙をおこなう条件で
あること、黒人奴隷問題に関する大衆支配は、たとえ血まみれた内乱という明らかな目の
前の危険を回避できるとしても許されないことを主張したのである。
-アメリカンマインドの終焉-アラン・ブルームより一部抜粋
我々文明人は不寛容たる野蛮なムスリム達に対して決して妥協的であってはならないのだ
517考える名無しさん2018/07/21(土) 11:12:52.200
>>516
> 我々文明人は
何という差別。何という不寛容。
518考える名無しさん2018/07/21(土) 13:08:53.720
>>516
誰だ?関係ない政治的主張を宣うのは!
519考える名無しさん2018/07/22(日) 15:14:39.770>>520
存在認識の道 解説Ⅵ pp.268-269
「存在という偶有を受け容れる以前の本質、すなわちまだ無の状態にある本質をモッラー・サドラーはアヴィセンナに従って可能的存在者と呼ぶ」
「可能的存在者は存在論的には実に妙な、中途半端なものとなってしまうのである。だが、アヴィセンナをこのように解釈するのは、通俗的解釈に過ぎない。
これはアヴィセンナ自身が理解していた存在可能性の概念からは程遠い。……存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質が可能的存在者に他ならないからである。」
「・・・・・・本質が先ず最初に、どこかわけのわからない所に、わけのわからない仕方で、可能的存在者として存立して、次に存在というリアリティが原因によってその中に注入され……というようなことが実在的に起こるわけではない。そういではなく・・・・・・」
520考える名無しさん2018/07/22(日) 15:34:24.920
>>519
これらの井筒(またはモッラー・サドラー)とイブン・スィーナーの本質理解はズレがあるように感じる。
確かにイブン・スィーナーは本質を可能的存在と呼んだけれども、必然的存在としての観点とセットであり、それら存在ということが本質に偶有・属性として対している。
「存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質」「可能的存在者」はともにイブン・スィーナーの言うところであるが、前者が後者であること「他ならない」ということはないであろう。
正確に言えば、イブン・スィーナーは本質が存在と結合しえる状態、または関係を「可能的存在」と呼んでいるのであって、「存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質が可能的存在者」というのとはズレがある。
本質が可能的存在者そのもの、つまり本質を実体的な存在のようにと想定するからこそ、井筒は「本質が先ず最初に、どこかわけのわからない所に、わけのわからない仕方」という批判を想定してしまう。
「次に存在というリアリティが原因によってその中に注入され……というようなことが実在的に起こるわけではない」というが、イブン・スィーナーの創造論(流出論)を考えれば、まさに事態はそのようなものとしか言いようがない。
必然的存在者・一者・神が存在を与えることによって、それらは存在する。この存在性はまさに本質とは区別され、その存在性が本質をリアリティ化(必然的存在化)する。
ここにおいて、本質ということそれ自体は存在と(可能的であろうとも、必然的であろうとも)別である。
これがイブン・スィーナーの説であって、本質を可能的存在そのものと見做したり、「存在というリアリティが原因によってその中に注入され」のではない、というのはモッラー・サドラー流の存在一性論的な解釈でありイブン・スィーナーの言うところから離れて行っている。
モッラー・サドラーによれば、存在自体が本質と不可分、むしろ存在(の強度)が本質というものがある由来としている。
イブン・スィーナーによれば、存在ということはあくまでも本質の結果であり、偶有である。
結局のところ、「アヴィセンナの真意」と井筒の言うところは、現代イラン・イスラーム哲学によるイブン・スィーナー解釈であって、イブン・スィーナー自身に即したものではないと言えよう。
521考える名無しさん2018/08/02(木) 20:03:38.270>>522>>523
井筒俊彦の生涯・思想・業績を紹介するドキュメンタリー映画
『シャルギー(東洋人)』
https://www.youtube.com/watch?v=MtVsQbXnyD0
“昔、東洋と西洋は衝突していが、井筒俊彦における東洋と西洋は響きあう”
東京イラン映画祭 8/7(火)~8/9(木)チラシ
https://pbs.twimg.com/media/DjLF4TCU4AAQVfL.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DjLF4y_U8AIHfeL.jpg
東京イラン映画祭開催のお知らせ
イラン外交関係樹立90周年を迎えるにあたって8月7日~9日、
港区の赤坂区民センターにて東京イラン映画祭を開催いたします。
今回の映画祭ではイランの有名監督7人の作品を一挙公開する予定です。
詳しくは東京イラン映画祭2018のチラシをご覧ください。
主催:イラン文化センター(イラン・イスラム共和国大使館付属)
協力:港区、港区国際交流協会
日程:8月7日(10:00~21:00)、8月8日(10:00~21:00)、8月9日(10:00~17:00)
オープニングセレモニーは8月7日(火)15:00~15:30
会場:赤坂区民センター区民ホール(3F)
ペルシャ語音声・英語字幕(シャルギー(東洋人)は日本語字幕)
鑑賞料無料・予約不要
522考える名無しさん2018/08/02(木) 20:05:06.350
>>521
慶應義塾大学出版会@KEIOUP
日本の著名なイスラム学者で、コーランを日本語に翻訳した
故・井筒俊彦氏の生涯と思想を描いたたドキュメンタリー映画「シャルギー(東洋人)」が
8月7日、9日と東京イラン映画祭内(赤坂区民センター区民ホール)で上映されます。
3:57 - 2018年7月27日
niconicoffee@252coffee
今日の井筒俊彦ドキュメンタリー映画上映会は、
イラン文化指導省大臣顧問とかの挨拶があり、出演者も10人くらいきてて壇上で挨拶し、
上映後には監督本人と出演者代表によるティーチインもあり、
さらに会場外で飲み物とお菓子があって監督や出演者と歓談もできるという、
途方もない豪華上映会でした、、
8:12 - 2018年7月24日
523考える名無しさん2018/08/03(金) 01:54:57.230
>>521
東洋人(シャルギー)- wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E4%BA%BA%EF%BC%88%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%EF%BC%89
日本のイスラム学者、井筒俊彦氏の生涯を描いた映画、制作終了
http://parstoday.com/ja/news/japan-i46420
日本で、井筒俊彦氏関連のドキュメンタリー映画「東洋人」(シャルギー)が公開
http://parstoday.com/ja/news/japan-i46687
> この映画の制作にあたっては、12カ国以上の著名な思想家102人とのインタビューが行われています。
映画「シャルギー(東洋人)」の日本公開式典でイランのイスラム文化指導省代表が演説
http://parstoday.com/ja/news/japan-i46722
524考える名無しさん2018/08/07(火) 23:58:36.760
『シャルギー(東洋人)』は、単なる回顧録ではなく、哲学的にも充実した内容。
井筒の扱った主要な話題(言語学、意味論、宗教哲学、東洋、西洋、
イスラム、キリスト教、ロシア、インド、中国、仏教、神道など)
をバランスよく見渡し、世界的視点から今日的に読み直そうとしている。
シャルギーとは、「東洋の~」という意味らしく、
「東洋人」だけでなく、井筒のいう「東洋哲学」も追う形となっている。
525考える名無しさん2018/08/07(火) 23:59:15.550
井筒の評価
・言語テクストに向き合い、多様な宗教性を超えるメタ宗教哲学であったこと
・ムスリムにとっても、コーランを読み直す新しい視点を提供した
・井筒の解説する「東洋」は西洋人にも理解しやすく、西洋的分析哲学と東洋的神秘主義の乖離を越える
一神教でいう「神」を、「(形而上的)絶対者」あるいはその根源に横たわる「無」や「真如」として整理したことは、
イスラム圏の人にも西洋人にもよく理解されているようで、評価が高かった。
526考える名無しさん2018/08/07(火) 23:59:45.040
井筒は、政治性を匂わせることがなかったが、
どうもエラノス会議が、戦後にもかかわらず、二次大戦について政治的関心を寄せる雰囲気がない、
そういう性格のものであったらしい。
527考える名無しさん2018/08/27(月) 10:01:50.520
イスラム教徒に我慢ならないのは人権上の問題を指摘しても
人種差別と話をすりかえ議論にならないこと
根拠ある批判をおこなっているのに正面から対応する気が全くない
自由な社会においては宗教テキストは全て精査されるのだ
それに耐えられないのなら自分の国に帰るべきなのだ。
528考える名無しさん2018/08/27(月) 14:30:36.470
英文著作翻訳コレクションの刊行が止まってますね。
楽しみに待っているのですが。
原著の再版もストップしている様子ですし商業的な理由からなんでしょうかね?
529考える名無しさん2018/08/27(月) 14:34:21.590
英文著作翻訳コレクションの刊行が止まってますね。
楽しみに待っているのですが。
原著の再版もストップしている様子ですし商業的な理由からなんでしょうかね?
530考える名無しさん2018/08/27(月) 19:10:59.030
ガザ―リ「哲学者の自己矛盾」を読んでるけど、かなりいい感じだよ。
みんな、読んでみてよ。
531考える名無しさん2018/08/28(火) 10:33:44.700
あまり日本で読んでいる人は少ないので、ガザ―リの「哲学者の自己矛盾」という本の内容を紹介する。
ガザ―リによれば、世界(実存)の始まりより先に創造主(本質)があったはずである。
「世界の中に創造主はいない」という実存主義と考えられる主張が語られる。
ガザ―リはサルトルとは異なる主張を展開する。
例えば、ガザ―リは「世界を創造する前に、創造主が存在した」という主張をとり、
「世界は始まりもなく、終わりもない。永遠の意志によって世界は存在する」という主張と対立する。
さらには、イヴン・スィーナーの主張をガザ―リは紹介していて、かなり興味深い神学が語られる。
それは、こういうものである。神は原因であり、世界は結果である。
原因より結果は優れているはずなので、創造主たる神より。結果であるこの世界は優れていて幸せに満ちているはずである。
つまり、神は、この世界より醜く不幸でさげすまれているはずだ。
だから、この世界は我々が神として想像している概念よりももっと美しく幸せで誇り高き高貴な世界であるはずだ。
ガザ―リも「神よ、どうか実体より偉大な存在であってくれ」と力説してしまうが、
神はこの世界の素晴らしさより醜いものであろう。この世界の喜びは、神の優しさの現れであろう。
キルケゴール「おそれとおののき」を読んだらまた加筆する。
532考える名無しさん2018/08/28(火) 19:07:17.570
せんでよい
533考える名無しさん2018/08/28(火) 19:55:36.970>>535
連投君は誤読ばかりだから辛いわ
534考える名無しさん2018/08/29(水) 15:34:12.000
ガザーリーはオレは興味あるな。新実在論系のハーマンが取り上げてなかったか?
535考える名無しさん2018/08/29(水) 16:01:43.830
>>533
確かに、ぼくの解釈で書いているけど、
ガザ―リーについて書かれた哲学史ものはまったく存在しないじゃない。
よく、西洋哲学史が三世紀から十六世紀まで間が空っぽになって書かれているけど、
つまり、そこは本来、イスラム哲学が紹介されるべきなんじゃないの。
536考える名無しさん2018/09/19(水) 17:12:25.030
哲学者の自己矛盾(中村廣治郎訳)第八問
『本質(mahiyyah)の否定は本性(haqiqah)の否定である。存在者の本性が否定されれば、存在は思惟されない。』
『本質の否定は本性の否定であり、本性の否定によって残るのは、存在という言葉だけとなり、それが本質と関係づけられないときには、何の実体もないのである』
この訳文だけで理解しようとすると、どうして本質(マーヒーヤ、何であるかということ)の否定が本性の否定であり、それが存在が空虚(思惟されない)となるのかは中々理解できない。
ここで本性と訳されているハキーカとは第一義としては真実、真理、事実、現実であることを意味する。次いで本性、実在、真相、本質ということを意味する。
あるものの本質ということではマーヒーヤとハキーカの意味は重なっている。
とすると、ある本質(マーヒーヤ)が否定される時、それは本性(ハキーカ)が否定されるのと同義であり、ハキーカが否定されるということは、その現実性、実在性も否定されるのと等しい。
現実、実在であることが否定されれば、「存在、存在する」ということは、ただの言葉であり、概念であり、それ以上の意味はないことになる。
このようなマーヒーヤは、『意識と本質』Ⅱで述べられているものとは意味が違うであろう。
『意識と本質』ではマーヒーヤとフウィーヤは対立する。フウィーヤは個別的本質であり、現実的なリアリティを持つ。マーヒーヤは普遍本質であり、イデアのようなものであって、このようなリアリティを持たない。
ガザ―リーの言うマーヒーヤはこのような細分化された体系での意味ではなく、ここでのマーヒーヤはむしろアリストテレスに近いものと思われる(つまりマーヒーヤの語源に近い)。
ガザ―リーにとって、本質(マーヒーヤ)こそが存在の真であって、イブン・スィーナーのいうところの純粋存在(ウジュード・マフド)のようなものは、真なるものではないということになる。
537考える名無しさん2018/10/08(月) 05:37:26.170>>538
ガザーリなんてイスラム世界を暗黒時代に追いやった張本人だろ
538考える名無しさん2018/10/08(月) 13:40:57.660
>>537
大学者の業績を一面だけで見て切って捨ててはならない。
例えば復古神道の大成者本居宣長は古事記をそのまま史実として読むという原理主義者。
高度に発達した仏教哲学や儒教を「いとこちたき造り事」として排斥する一方で現代に至る国文学の基礎を作った。
ガザーリーも原理主義的側面を持つ一方現代哲学の思弁的実在論にその隅因論が影響を与えたりアルガゼルとして西洋哲学に決定的影響も与えてる。
539考える名無しさん2018/10/08(月) 14:16:22.650
ガザーリー一人にそこまで影響力あったらとんでもない超天才ってことになるが
540考える名無しさん2018/10/08(月) 15:09:21.610
イスラム教スンニ派では「ムハンマド以来最大のムスリム」とされる超天才がガザーリー。
それだけの大物は一面だけで割り切れない。
541考える名無しさん2018/11/01(木) 10:14:41.000
ガザーリによってイスラム世界は信仰が理性に勝利した。
ルネッサンスまで後一歩だったのに
こいつの登場前は信仰より真理がまさるという意見もあったのに
542考える名無しさん2018/11/01(木) 10:32:59.920>>556
科学的かつ客観的真理への信仰乙
543考える名無しさん2018/11/01(木) 16:02:52.000>>547
モンゴルの侵入によって荒廃したのが原因だが
544考える名無しさん2018/11/01(木) 17:44:59.81O
イラン人やトルコ人もコーランはアラビア語で読んでいるの?
545考える名無しさん2018/11/02(金) 01:47:05.830
> 7世紀頃、ペルシア語に翻訳されたものをはじめとして、
> 現代に至るまでアラビア語を母語としないムスリム向けにクルアーンの翻訳がなされている。
> しかし、アラビア語以外のクルアーンが、クルアーンとして扱われることはなく、
> ムスリムは礼拝においてアラビア語でクルアーンを唱えることが義務である
> (これは日本人の葬式において、般若心経の現代語訳が唱えられないのと似ている。)。
>
> かつてトルコ共和国では政府の脱イスラム化の改革の一環として、
> クルアーンのトルコ語化がはかられるようとしたが、注釈用として以上の用途にはついに広まらなかった。
546考える名無しさん2018/11/02(金) 01:48:39.190>>549
この般若心経云々の例には納得
547考える名無しさん2018/11/02(金) 01:58:11.860
>>543
むしろ、そこからが本番(>>422-425)
548考える名無しさん2018/11/02(金) 02:01:06.250
トルコ共和国で行われたのはアザーンのトルコ語化だけで礼拝そのものはアラビア語だ
アザーン自体は各国語で行うこと許されているがそれでさえ不評だったからアラビア語に戻した
549考える名無しさん2018/11/02(金) 06:43:53.250
>>546
般若心経に限らず
日本のお経は一般信者は意味がわからなくてもよいものとして
唱えられているからなあ
550考える名無しさん2018/11/03(土) 16:27:54.310
昔、仏教界でも現代語訳でお経を読もうという動きがあったが檀家に不評で止めたらしい。
551考える名無しさん2018/11/10(土) 00:49:34.020
意味ではなく音が大事
552考える名無しさん2018/11/10(土) 13:11:34.980
日本の仏教ではそういうことが言われるが音が大事なんてことは残念ながら仏典に書かれてないんだよ
553考える名無しさん2018/11/10(土) 16:00:12.880
> 井筒俊彦(1914-1993)スレ
554考える名無しさん2018/11/12(月) 00:53:47.150
お寺で読経をするような時は「意味は知らなくていい」といわれる。
それぐらいの方が無心になれるから。
哲学で扱う時は、その一字一句を原語のレベルで読む。
555考える名無しさん2018/11/13(火) 11:55:42.610
パキスタン人「イスラム教の国での生活は地獄である」
https://coffeehonyaku.blogspot.com/2018/08/blog-post_42.html
556考える名無しさん2018/11/17(土) 17:28:04.260
>>542
科学は自然の無矛盾な理解が前提
イスラムは神が前提ということかな
新井白石が神という前提に有効な反論していて面白かった
557考える名無しさん2018/11/18(日) 14:54:30.580
アリストテレスの論理学であるオルガノン諸書は一般的にカテゴリアイ、命題論、分析論前後書、トピカ、ソフィスト駁論の6つだが、イスラーム哲学だと更に弁論学と詩学も論理学書だと見なされていた
この8つにポルピュリオスのイサゴーゲーを合わせたのが論理学の基本書
558考える名無しさん2018/11/23(金) 12:02:47.050
「多文化社会とは多紛争社会であり紛争の恒常的な状態を言います。」
「イスラム教原理主義者は私たちの生活様式である啓蒙主義の理想とは
何の関係もない。未来は破滅に向かっている。」
イスラム化を警告していたフランスの賞を受賞した歴史家・ジョルジュベンツサン
559学術2018/11/23(金) 13:56:49.940
お経ん坊さんの発言は論旨を見ると、遅れていると言わざる負えない。
救済するならそれなりの勉強、活動してほしい。
560考える名無しさん2018/11/23(金) 14:42:49.880>>561
ヒンドゥーの一亜流に過ぎない釈迦の観念論が、後世平民に迎合し腐敗し、
支那を過ぎ更に歪曲して伝播された仏教なんか信仰に値しない。
尤も、ヒンドゥーの最終形態ヴェーダーンタ至高の聖典は、
平民なんかに真に理解出来ないから仕様ない。
真の宗教を理解も実践も出来ない平民は、
仏教(≠釈迦の教え)キリスト教(≠キリストの教え)等の似非宗教か新興の偽宗教を信仰するしかないからな。
抑々、何もかもがその程度だ。
釈迦が悟りとやらを開いた時、それを平民に理解させるのは無理だと諦めた。
梵天勧請から布教を始めたらしいが、やはり、平民には理解不可能。
故に、最後に法華経でお茶を濁した。
似非宗教なんか出さなくても、カルマの法則は機能している。
原因のない結果はない。
科学的に云うと、作用反作用の法則みたなものだ。
抑々、共産主義は、原始キリスト教から派生した宗教だ。
そら、仏教もキリスト教も迫害するさ。
似非宗教VS似非宗教の図式。
561考える名無しさん2018/11/24(土) 06:11:57.420
>>560
法華経は釈迦が説いたものでなく後世釈迦に仮託して説かれた経典だよ。
562考える名無しさん2018/11/25(日) 12:43:35.150
アズハルのようなイスラム教育期間では、クルアーンの最も正しいのはクルアーンを
文字通り読み字義通り解釈することであると教えられています。またイスラム法上の
最も強力な規定というのは、クルアーンとハディースの字義通りの意味から導出される
規定であるとも教えられています。これらはイスラム法の大原則であるとも教えられています
クルアーンの章句に立脚していればそこから導かれる複数の解釈は全て正しい価値を持つ、
というのがイスラム教の教義です(中略) 人間には本当のことはわからず真実は神だけがご存知、
というのがイスラム教の大原則であり、解釈が複数存在する場合に どの解釈を採用するかは
個人の選択に委ねられています。
私のクルアーンの引用が恣意的であると感じる人もいるかも知れません。
しかしクルアーンの特定箇所やハディース、 イスラム法の権威ある学説を論拠として引用し
正当化するのがイスラム法的論証の基本的なやり方なのです。
イスラム教の倫理 飯山陽 一部抜粋
563考える名無しさん2018/12/03(月) 08:29:39.820>>567
愛弟子の五十嵐教授が殺されてもイスラムへの愛着は変わらなかった。
つまり「悪魔の詩」を翻訳した五十嵐は殺されて当然と考えたのだろう。
イスラム教とはそれほどまでに人間性を奪うものなのだ。
564考える名無しさん2018/12/03(月) 14:51:27.400
普通の知性があれば理解できるだろう。
逆のケースを想定してみよう。日本人で誰か狂信的な右翼が、イランの
大学教授に天皇について否定的なことを書かれたから、殺害してやろう
と思い立つ。で、イランに渡航したところで、イランの大学の研究室
を訪ね、他に誰もいない時間帯を狙って教授を殺害し、日本に逃げ帰る
ことに成功する、なんてシナリオよりも、現地の言葉も文字も分らず、
教授の殺害に成功するどころか、教授の研究室のある大学までたどり
着けない可能性の方が高いんじゃないかなw
565考える名無しさん2018/12/03(月) 15:49:52.570
当時はイランとはビザなしで渡航できたから沢山イラン人がいたんだな
566考える名無しさん2018/12/03(月) 16:13:27.210>>655
そのなかで筑波みたいな田舎の大学の研究室を探し出して、殺害と逃亡を
綿密に計画できるような日本語能力のあったイラン人がどれだけいたかな?
567考える名無しさん2018/12/04(火) 12:22:09.870
>>563
意味不明…
568学術2018/12/04(火) 14:11:58.230
大学校教授じゃなあ。司教とかのほうがいいのにね。
569学術2018/12/04(火) 14:12:41.970
教授行為も格調高いもんでしょ。レーラーリン。
570考える名無しさん2018/12/06(木) 14:18:17.930
言語と呪術を読むとしよう。
571考える名無しさん2018/12/06(木) 16:10:54.510
読経で物の怪を調伏していたのだから呪術でしょうw
572学術42018/12/06(木) 17:05:32.290>>573
呪文 呪詛 呪術 のどれかを選んで説明して?三人以上で。
573考える名無しさん2018/12/06(木) 17:16:17.880
>>572
どういうこと説明して?
574考える名無しさん2018/12/07(金) 13:44:04.660>>578
我々はイスラム教徒に騙されてはならない。非イスラム教徒から澎湃と湧き起こる
反イスラムの動きを抑えようと嘘をついているのだ。欧州では人種差別として扱うべきと
する要求すら出している。平和の宗教と虚言をばらまき宗教が人種問題なんてありえん
確かに聖書にはヘト人やアモリ人を皆殺しにせよという残虐な神からの 命令があります。
しかし我々はヘト人でもアモリ人でもありません。 つまりユダヤ人やキリスト教徒が
殺害する対象には我々は含まれていません。 しかしイスラム教の不信仰者や多神教徒を
見つけしだい殺せという 神からの命令は今でもいきているのです。
フランスの有識者達が残虐な章句を削除するように要求した時に
それに賛同したイスラム法学者がいただろうか?少なくとも私は一人たりとも知らない。
いるなら教えて欲しい。トルコやイラン、エジプトと反対と反発ばかりなのだ。
つまり不信仰者と多神教徒殺害の神からの命令を放棄しないと言っているのだ。
人口1千万以上の人口で日本以下の殺人発生率の国は世界で一ヶ国も存在しない。
我々の社会と子孫を守る為に彼等ムスリムを一人たりとも受け入れてはならない。
575考える名無しさん2018/12/11(火) 13:49:52.280
古代日本語は話された言葉とその対象とのあいだに違いがなくコトという同一の語が両者に当てはめられる(言語と呪術)より。
576考える名無しさん2018/12/11(火) 14:23:16.980
「言語と呪術」で井筒俊彦はカルナップやチャールズ スティーブンソンみたいな分析哲学を飲用してる。
577考える名無しさん2018/12/11(火) 16:04:14.980>>579
いつまで大風呂敷彦読んでるの
578考える名無しさん2018/12/11(火) 20:38:13.720
>>574
誰だよ?最近政治的主張する変人が出没してるけど。お前だよ!
579考える名無しさん2018/12/11(火) 20:44:43.280
>>577
大して井筒俊彦読んでないクセに!
「意識と本質」要約する位やってから大口叩け。
580考える名無しさん2018/12/13(木) 10:52:48.340
語学達人界隈のネタってフカシばっかだよね
フカシ彦
581考える名無しさん2018/12/17(月) 10:24:47.960
井筒俊彦って若い頃すごい美形だったんだね
嵐の櫻井君みたい
https://i.imgur.com/YTjD0vP.jpg
582考える名無しさん2018/12/18(火) 09:15:24.670>>585>>656>>888
何故ユダヤ教徒やキリスト教徒がムハンマドを預言者と認めないのか、
それは預言者は神の選民たるユダヤ人からしか誕生しないとしているから。
考えてみて欲しい、ムハンマド以外の預言者は全て例外なくユダヤ人である。
そのことはキリスト教徒も理解している。ムハンマドが預言者という基本的なところで
虚偽であるとして嫌われる。神の選民でもないアラブ人から生まれるものかよ、と
583考える名無しさん2018/12/18(火) 13:24:43.710
預言者はユダヤ人のみと言ってるのはユダヤ人だけ、という可能性もありますね
584考える名無しさん2018/12/18(火) 13:48:42.550
預言者が山師って可能性が一番高い
585考える名無しさん2018/12/21(金) 11:25:23.140
>>582
聖書の預言者はユダヤ人だけじゃないよ。
586考える名無しさん2018/12/21(金) 11:27:55.190
言語と呪術はラッセルや心の哲学で活躍するデネットの師ライルも引用してる。
587考える名無しさん2018/12/22(土) 11:36:48.400
時宜にかなった本の邦訳が出版されました。
イギリスのジャーナリスト、ダグラス・マレー氏が著した『西洋の自死』
(町田敦夫訳、東洋経済新報社)です。 欧州諸国は戦後、移民を大量に受け入れてきました。
著者のマレー氏は、その結果、欧州各国の「国のかたち」が大きく変わり、
「私たちの知る欧州という文明が自死の過程にある」と警鐘を鳴らします。
昨年出版された本書は、まず英国内でベストセラーになり、
その後、欧州諸国を中心に23か国語に翻訳され、大きな話題となっています
https://www.sankei.com/region/news/181217/rgn1812170019-n1.html
イスラム移民がいかに社会を破壊するか理解できる正義の本が発売!
588学術2018/12/22(土) 11:46:03.840
戦ってみて認めてるんじゃないの?
589考える名無しさん2018/12/23(日) 08:20:31.300
アラブとムスリムは世界に荒れ狂うテロの直積責任を認めよ
―イラク紙編集長の主張― 著者アドナン・フセイン
小学校、中学校、高等学校そして後になると大学でも、宗教と歴史の教科で我々は選民であり、
至高且つ栄光の民であるとか、我々の宗教が真の宗教であり、(地獄の業火から)救われる
正しい民は我々であるとか、ほかの民は偽りの民で地獄に落ち業火に焼かれる不信心の民であり、
その民の殺害は許され、その民の財産と妻を我々がとっても構わないなどと教えている
我々の子供達と孫達は、他者の宗教や民族或いは国籍などに関係なく、すべての他者を敵視して、
世界聖戦をやっているのである。この環境が過激イスラム集団を生みだした。この集団は、
貧困と失業という土壌で発芽し、汎アラブ主義の名においてそして又時には宗教と宗派の名に
おいて犯される拝斥、人権強奪、個人及び集団の自由の侵害そして信義の侵害によって育っていく
我々はテロに対する我々の責任からのがれることはできない。言い訳も役に立たない。
まず我々は責任を認め、我々自身と他者に謝罪し、今から我々の生き方を改めていかなければならない。
そのためには、教育のカリキュラムを再検討し、初等教育から大学レベルまでそれを根本から
かえなければならない。それをやらないと何も前に進まない
https://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP622115
590学術2018/12/23(日) 09:03:16.720
過激派は一部だが激高することがあってもいいよ。
591考える名無しさん2018/12/24(月) 00:30:22.910
@岩波文庫2月。
小池昌代編『吉野弘詩集』
宇野千代『色ざんげ』
川合康三,富永一登,釜谷武志,和田英信,浅見洋二,緑川英樹訳注『文選 詩篇 五』
井筒俊彦『神秘哲学――ギリシアの部』
岡義武編『明治政治史 上』
592考える名無しさん2018/12/24(月) 09:39:08.900
一夫多妻制は市民権であると述べたイスラム教徒の指導者、
イタリア政府で「民主的代表」を要求
http://www.ilgiornale.it/news/politica/lislamico-che-vuole-poligamia-sfida-salvini-organizzi-1619972.html
イタリアイスラム共同体連合(UCOII)の創設者は、イタリア人は「一夫多妻制の
人口学的効果を過小評価するべきではない」と主張して知られています
彼は今、そのイタリア政府に、イスラム教を政治体制に持ち込むよう求めています。
「政府がイタリアのイスラム教に秩序をもたらすことができる協議を組織させよう、
我々はこの無秩序にうんざりしています」
593考える名無しさん2018/12/26(水) 09:12:38.550
日本での「本来のイスラーム教はこうだ」という議論には、イスラーム教も日本的な
「こころ教」と「本来は」同様であると議論するものが多く、欧米でもスピリチュアリズムや
政教分離思想を普遍的と考える論者が、イスラーム教でも宗教は人間の内面に限定されるのが
本来のあり方であるという誤った説明をしているといった事情がある。
アラブ世界でも、イスラーム世界一般でも圧倒的多数は、人間の外部に神が絶対的な規範を定め、
それを人間は護持していく義務があるのだ、と信じている。日本の宗教に大きく欠けているのは
(それがいいか悪いかは別に)、律法主義的な側面だ。「あなたがどう考えるかどうかとは別に、
あなたのこころとか世俗社会の論理などの外に、絶対的な規範を示す存在がいて、
規範を示しています」ということ信じ、実践する(それぞれのあり方で)のが律法主義と言えるが、
日本ではこれを理解できない人が多い。私はどのタイプの宗教が正しくて、他は正しくない、
という立場ではない。しかし日本の外には律法主義を根幹とし、「本来」のあり方とする宗教があり、
人数から言っても、国際世論の中での支配的な地位から言っても、そちらが圧倒的に優位である。
キリスト教を固く信じているからイスラーム教を認められない、というような人はまだ、
自分がどのような規範体系を信じていて、それに対してイスラーム教の規範体系のどの部分が
認められない、ということを議論するきっかけがある。しかし「こころ教」の場合は、
世界の大多数の人が信じている律法主義的な宗教を丸ごと「宗教じゃないでしょ」と言って頭から退け、
自足してしまうのだ。当初から、イスラーム教(あるいは宗教一般)にある律法主義的な側面と
霊性主義的な側面の判別能力の有無が、日本での無理解や抵抗感の根幹にあると私は考えており、
折に触れ指摘してきたが、状況はまるで変わっていない。宗教者や宗教学者ですら気づかないのだから、
一般人は気づきようがない。----------------------------------池内恵
594考える名無しさん2018/12/26(水) 10:27:58.910>>811
「薔薇の名前」でも読んだらいいんじゃね?
595考える名無しさん2019/01/01(火) 03:48:49.050>>597
アルジェリアの活動家は「哲学と闘う」ことを望んでいる
政治活動家Houria Bouteldjaは、イスラム人権委員会の会議でスピーチで次のように
述べています、哲学主義と戦う "「我々は国家人種主義の同じ面である過激なイスラム恐怖症と
哲学を批判しなければならない。ハマスとヒズボラは抵抗する抵抗運動です。
私はこれら二つの運動が抵抗運動であることを大声ではっきりと述べます。」
https://www.i24news.tv/fr/actu/international/europe/192151-181231-france-une-militante-franco-algerienne-veut-combattre-le-philosemitisme
596考える名無しさん2019/01/01(火) 04:02:48.730>>598
サウジアラビアに導入される哲学 18年12.31
サウジアラビアの教育者たちは、王国の学校で哲学の研究を紹介する準備を始めました。
何人かの観察者はサウジアラビアの教室に哲学を含めることを賞賛し、彼らはデジタル教育と
STEM科目(科学、技術、工学と数学)に重点を置いているビン・サルマンの教育改革に賛辞を
示しています。しかし、他の人たちは、まさに「哲学」や「批判的思考」が何を伴うのかについて
懐疑的です。クウェートの教育者、Dhari Salmanは「哲学を自由思考プロセスではなく
悪魔の道具と見なすことは保守的な長老たちの間では一般的でした。」問題は、「神学は
サウジ国民が生まれる瞬間からの日常生活における最大の関心事である」ということです。
1960年代に始まって、シェイク・アブデル - アジズ・ビン・バズと他の高い尊敬された
サウジアラビアの宗教学者たちは学校で哲学の教えを禁止するいくつかの「ファトワ」(イスラムの判決)
を出しました。彼らは、この主題を「異端者」および「悪」と見なしました - 社会の柱に対する脅威です。
https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5438386,00.html
597考える名無しさん2019/01/01(火) 13:19:13.330
>>595
政治的主張はよそでやってくれ。
598考える名無しさん2019/01/01(火) 15:21:07.390>>599
>>596
宗教学者が危機感を抱くほど哲学が浸透してるのは喜ばしいことではないか。
何か問題でも?
599考える名無しさん2019/01/02(水) 08:25:52.300>>601
>>598
ムハンマド皇太子が改革でこれから哲学を導入するという話なんだが?
サウジは60年代から哲学を教えていない。
600学術2019/01/02(水) 09:01:02.930
一夫多妻というと妻が並べられるから品が悪いね。女が多いのは良いけど。
601考える名無しさん2019/01/02(水) 12:05:39.910
>>599
いくら極端な保守的ワッハーブ主義者が外来思想の受容を拒んでもグローバル化にさらされて受容せざるを得なくなるよ。
イスラムには豊穣な哲学的遺産があるからそれが再発見されると良いね。
602考える名無しさん2019/01/03(木) 14:44:42.290>>603
哲学は全てを検証するだろう。それは神や信仰も例外としない。
批判精神にイスラムが耐えられるとは考えられない。
ザカーリーを持ち出して哲学者は再び非難されるだろうな。
過去におきたことと同様のことがおきるだろうな。
603考える名無しさん2019/01/03(木) 18:04:27.910>>605
>>602
ザカーリーって誰?
聞いたことないが?
ガザーリーなら活躍して何年たったと思ってる!
古いよ。
最もガザーリーの偶因論はグレアム ハーマンの最新の哲学に取り入れられてるけどね。
604考える名無しさん2019/01/04(金) 19:52:04.880
偶像禁止という偶像を破壊できるか
605考える名無しさん2019/01/05(土) 07:46:34.290
>>603
間違えただけだろう。12世紀にイスラム社会が哲学を拒否しただけじゃない。
サウジアラビアは1960年代に哲学を教育から排除しているだろう。
2度目の拒否じゃないのか?あの社会に神を自由に批判的精神で検証することなどできるのか
606考える名無しさん2019/01/05(土) 16:43:01.930
中東の北朝鮮という異名を持つサウジアラビアはイスラム機構57国でもかなり特殊だろ!
石油で儲けたからそういう閉鎖的政策も出来たが8割の確率で今後は変わらざるを得ない。
607考える名無しさん2019/02/02(土) 15:27:58.750
イスラム文学の代表作、イスマイール一世の「英雄詩」をアゼルバイジャン語から訳してくれ。
サファヴィー朝の建国者であり、「神」「預言者」と呼ばれるのを辞退したらしい。
608考える名無しさん2019/02/02(土) 15:41:20.280>>610
キリスト教に関する著述をもっと読んでみたかった
609学術2019/02/02(土) 18:55:45.300
ソクラテスは弁証法デカルトは批判とすると批判まで零落した哲学にイスラム教相手取って何ができるというんだい?
610考える名無しさん2019/02/02(土) 20:30:35.980
>>608
「読むと書く」「神秘哲学」「ロシア的人間」でキリスト教に触れてる部分はあるよ。
611考える名無しさん2019/02/04(月) 11:57:46.980
イスラムもの。読んで感想くれ。
井戸の所有
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bookall/1549073894/145
612考える名無しさん2019/02/04(月) 17:58:55.490
存在と本質の関係を、非限定と限定、あるいは無限と有限の関係に置き換えてみる。
613考える名無しさん2019/02/04(月) 18:24:02.510
ガザーリーの「哲学者の意図」を読んでる。
340ページのところを146ページまで来た。
あまりたいした内容はない。
614考える名無しさん2019/02/05(火) 13:23:29.210
ブリハッドの神学的応用
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bookall/1549073894/164
615考える名無しさん2019/02/05(火) 13:31:16.730>>657
ここ、すごいな。インド哲学の「ブリハッド・ウパニシャッド」と似たことをいってる。
これを読むかぎりでは、「霊魂」は「無意識」のことをそう呼んでいたようだ。
ガザーリー「哲学者の意図」200ページ
そのもの自体にある性質を与えるような他の助けを必要とせず、
可能的なものをすべて所有し、
それを備えているようなもの。
これは完全(存在者)と呼ばれる。
616考える名無しさん2019/02/05(火) 13:50:31.000>>617>>619
アーリア人、アラブ人、ペルシャ人の思想的起源はゾロアスター教にあるのだから
同様の世界観が見られるのは当然だろ
ヤハウェとアッラーは似ている!と言って喜んでるようなもんだ
617考える名無しさん2019/02/05(火) 16:25:59.350
>>616
いや、読む前は誤解していたことでいっぱいだよ。
618学術2019/02/05(火) 18:15:15.820
ネーチャン オプ イスリム
619考える名無しさん2019/02/07(木) 10:41:03.810
>>616
ガザーリーの思考の根底にはプロティノスの新プラトン主義があるのだろう。
新プラトン主義とインド哲学は中村元以来共通性が指摘されてる。
ウィリアムジェームズが神秘主義はその宗教や地域を問わず似たものになると指摘してる。
神秘体験自体に共通性があるのだろう。
620考える名無しさん2019/03/12(火) 11:42:00.110
岩波文庫版の「神秘哲学」読んでるが改めて読むとこんなに面白かったのかと感動してる。
621考える名無しさん2019/03/19(火) 08:44:49.590>>623
この人、ウリである共通性をたぐったジャンプが
かなり粗いよね
グダグダ書いているわりに
つなぎ目を見るといい加減
東洋とかそういう言葉に寄りかかりすぎも酷い
622考える名無しさん2019/03/19(火) 09:48:56.090
井筒俊彦の文庫化されたやつ、「神秘哲学」と「意味の深みへ」はどんな感じ?
興味あるんだけど。
623考える名無しさん2019/03/19(火) 13:46:08.370
>>621
具体的にどの著作のどの部分が粗くつなぎ目がいい加減?
624考える名無しさん2019/03/19(火) 13:53:51.210>>625>>626
「意識と本質」でいろんなタイプの思弁的な人間が
出てくるだろ
こいつのこの言葉は俺のいうこれだって論法が
いい加減
625考える名無しさん2019/03/19(火) 19:44:06.480
>>624
例えば?
意識と本質は思い切り単純化すると本質否定論と本質肯定論の3つのタイプが出るがどの辺が原典と照らしていい加減?
626考える名無しさん2019/03/19(火) 21:10:35.210
>>624
『意識と本質』より緻密で内容の濃い本とは、例えばどういうものがある?
挙げてみて?西洋のものでもいいよ。
627考える名無しさん2019/03/19(火) 21:18:04.760
緻密というよりもしっかりと整理されて
接続しているということが重要
グチャグチャで唐突な発想の連続じゃないということだな
たとえばコリンウィルソンの「アウトサイダー」は
きちんと整理されているし、フランス人の
「道徳を基礎づける」は明快な論旨だ
俳句だの老師だのを勝手に自分の言葉で
本質wを掴んだように性急におかしな図式に当てはめない
628考える名無しさん2019/03/19(火) 21:26:12.110
これは廣松もそうだな意味不明
中井正一の一部もそう
たとえば和辻はそういうものがほとんどない
大拙もな
言いたいことそのものはすぐに分かる
まあ井筒のは文体でいえば自分でも整理できていない
悪しき曲線状とも言える
どうしても入れたいから入れたんでしょっていう奴な
無論解題的な書き物は別な
以上のような意味不明さは現代日本の著作だと
まず見られない
たとえば「仏教のゼロポイント」とか
見通しがきちんと立つよ
629考える名無しさん2019/03/19(火) 21:39:41.900>>631
>>627-628
その程度の本を読んでいるレベルの人に『意識と本質』は難しいかもね。
630考える名無しさん2019/03/19(火) 21:46:35.430
デリダは井筒俊彦を巨匠と呼び敬意を表したがデリダ的にはどこが凄いと感じたのだろう?
井筒俊彦は西洋哲学の解説に終始する書生哲学がもてはやされる日本では毀誉褒貶があるがヨーロッパやイスラム圏では日本より高く評価されるのは何故だろう?
彼の語学力を除いても評価が高い。
631考える名無しさん2019/03/19(火) 22:08:40.910>>633
>>629
個々の思想/芸術への見方は別個の批評としては
読み物になり得るんだよな
ああそう感じたんですね貴方は、で済む
だがそれをあの文体で大きな構築物の部品にすると
途端におかしくなる
唐突に観念が登場してロクに整備しないで進むんだから
東洋的、が念仏みたいに響くな
632考える名無しさん2019/03/19(火) 22:09:46.400
まあ整理されていないのが大きいな
小林秀雄よりもさらに一段分酷い
633考える名無しさん2019/03/19(火) 22:12:02.080
>>631
馬鹿の耳に念仏
634考える名無しさん2019/03/19(火) 22:18:48.670>>636
信者しかいないというのもヤバさの特徴だな
傷ひとつさえ指摘できないで
その程度の本を、とか言っちゃう
他人と論争になるような分野じゃないのに
かなり等閑視されてきたのは実際
理由があったんだと思うね
現実にネット上にロクなサマリーもないしね
テーマの大きさと語学神話みたいな
ハッタリでナイーブな読者を獲得しているのかもしれない
635考える名無しさん2019/03/19(火) 22:33:34.900>>637
そういやこのスレ読み返してて出てきたが
九鬼も和辻型で個々の細かい穴があっても
きちんと見通しのいい論旨で唐突さはない
軽みやレトリックから生まれた俳諧表現を
謎の俺言葉でなんの前提もなく解釈したりはしない
そう考えると美学上のひとつの重大な姿勢に
ぶち当たる
それは偉大な芸術だと感じられる作品は
極めて思弁的な精神文化の分析においても偉大で
高度に整合的であるという憶測だ
これを井筒にも強く感じるな
現代アートの有名作品には必ず深い哲学が
潜んでいるという誤った発想と同じ
636考える名無しさん2019/03/20(水) 00:13:11.800
>>634
もうちょいマシな本出せよって気持ちは理解できる。権威主義的に上から目線もあるだろうが。
637考える名無しさん2019/03/20(水) 00:16:18.130
>>635
井筒俊彦が取り上げた俳句の赤冊子は原典読んだけどやはり深いと思ったけどね。
638考える名無しさん2019/03/20(水) 08:22:32.790>>639
芭蕉周辺の俳論は日本の芸術思想上もっとも
目を惹く成果かもしれない
非常に洗練されて独自性がある
風姿花伝なんかとは違う
問題となるのは今流行りの俳句添削みたいな
特定の創作の営みから切り離して、
唐突に別の観念の地図に当てはめること
読み手は論旨の重要な接合部を、信者パワーを
その都度発揮してモヤモヤと乗り切るしかない
なんか深淵そうだなあって
639考える名無しさん2019/03/20(水) 13:39:12.940>>640
>>638
接合部とか抽象的で分かりにくいな。
もっとも君がよくわかってないんだろうが!
640考える名無しさん2019/03/20(水) 15:41:43.970
>>639
昔のことで手元にないからすまんな
641考える名無しさん2019/03/21(木) 22:41:56.690
怖い怖いwww
642考える名無しさん2019/04/01(月) 17:58:37.970
井筒の本が次々と岩波文庫で出てるけど、どんな感じのことが書いてあるの?
643考える名無しさん2019/04/01(月) 18:39:14.610
井筒俊彦の「意味の深みへ」、アマゾンランキング1600位とかなり売れてるじゃん。
「コスモスとアンチコスモス」も四月に岩波文庫で出るらしいね。
644考える名無しさん2019/04/02(火) 02:03:24.460
「日本の友への手紙」 『プシュケー:他なるものの発明II』 (2019/03/27)
ジャック・デリダ
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0246900.pdf
“親愛なる井筒教授。
私たちが会ったとき、私はあなたに「脱構築」という語について―図式的で予備的なものではありますが―いくつかの省察をお約束しました。
問題になっていたのは、要するに、この語を日本語に訳すときに可能な翻訳への予備考察(プロレゴメナ)でした。(略)
なかんずく私が望んでいたのは、ハイデガーのDestruktion[破壊]もしくはAbbau[解体]という語を私の意図へ翻訳し翻案することでした。(略)
けれどもフランス語では「破壊[destruction]」という語は、ハイデガー的な解釈もしくは私が提案していたタイプの読みよりも、
おそらくはむしろニーチェ的な「粉砕」に近い無化、否定的還元という含意があまりに際立っていました。
そこで私はこの「破壊」という語をしりぞけたのです。(続く)”
※デリダの最重要概念である"脱構築"の説明を収録した『プシュケー』は、これまで邦訳されていなかった
645考える名無しさん2019/04/02(火) 02:03:54.670
“井筒が生涯をかけて探求したのは、万物を超越する一神教ではなく、万物に内在する一神教である。
ユダヤ教、キリスト教の伝統に連なるとともにその伝統を刷新し、純粋化していったイスラームのさらなる東方的な展開である。(略)
アラビア半島に生まれた森羅万象すべてに超越する神、スンナ派の神ではなく、
イラン高原で生まれた森羅万象すべてに内在する神、シーア派の神であった。
イラン高原では、神は「存在」と言い換えられていた。
「存在」の根源にして、根源の「存在」である「神」、そこから森羅万象あらゆるものが産出される「神」。
その「神」は一なる神――一神教すべての根幹となる唯一無二の神――を可能にする「無」の神、
より正確には、「無」にして無限の神であった。”
― 安藤礼二 「「東方哲学」素描:鈴木大拙、折口信夫、井筒俊彦の仏教」 『現代思想 2018年10月臨時増刊号 仏教を考える』
646オーバーテクナナシー2019/04/03(水) 03:53:01.150
☆イスラムは科学を滅ぼす?・未来予測
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/future/1345329336/
647考える名無しさん2019/04/06(土) 20:41:39.700
若松英輔に井筒俊彦が山崎弁栄に会っていたら井筒俊彦はイスラムに行かなかっただろうと言わせた浄土宗の高僧山崎弁栄は「超在一神教的汎在神教」をとなえた。
超越的一神に相当する彼の法身の阿弥陀如来と本覚思想の一切衆生悉有仏性の統合と現代的表現だろうけど。
648考える名無しさん2019/04/07(日) 02:07:51.300>>649
若松英輔の妄想世界ビジネス炸裂
649考える名無しさん2019/04/07(日) 10:47:38.560
>>648
若松英輔の場合山崎弁栄の作った光明会上首で東大教授だった河波昌の影響が強い。
650考える名無しさん2019/04/10(水) 00:08:44.050
山崎弁栄いいね。
「超越即内在」。“内なる仏であり、なおかつ外なる仏である”。
一神教と汎神教との相克を超えた「超在一神的汎神教」という立場は、
宇宙を直感するシュライエルマッハーの宗教学を背景としている。
フッサールと同じ1859年生まれで、
インド各地の仏蹟各地を巡拝した最初の日本人。
651考える名無しさん2019/04/19(金) 17:51:07.460
井筒俊彦の「神秘哲学」、一行目がすごいというから読んでみたが、確かにすごいなあ。
640ページもあるから、後まわしにするかもしれないけど、
絶対に読むぜえ。
652考える名無しさん2019/04/19(金) 17:59:42.680>>664
井筒俊彦「神秘哲学」は、一行目からこんなんだぜ。超面白そう。
山深きアジアの蛮神ディオニソスの狂乱が、
あたかも何者の権能を以てしても阻止しがたき悪疫の伝播するごとく、
村から村へ、都市から都市へ飛び火して、すなわちのうちに全ヘラスの美しき天地を
血腥き霊気に充たして行ったのは、人も知る如く西暦紀元前六世紀のことであった。
653考える名無しさん2019/05/09(木) 16:20:12.760
井筒俊彦「神秘哲学」を読み始めたぜ。
井筒俊彦の短い記事が後半にまとまっているみたいで、楽しみだ。
654考える名無しさん2019/05/10(金) 15:46:07.510
井筒俊彦「神秘哲学」96ページ
すごいいいわあ。
井筒俊彦がいうには、哲学者は生きて帰って来るものだと。
生きて帰ってこなければならないと。
井筒俊彦は、宇宙の究極的救済を目標とするのが神秘主義であり、
哲学者はその目標に気づくまで探索して、その後、さらに生きて帰って来なければならないという。
655考える名無しさん2019/05/10(金) 16:19:13.510
>>566
国家レベルで派遣したなら可能だろ
656考える名無しさん2019/05/10(金) 16:24:24.260
>>582
イスラエルを呪うよう要請された預言者バラム
ヨブ記のヨブはウツのアラム人かエドム人
657考える名無しさん2019/05/10(金) 17:32:38.150
>>615
哲学者の意図はガザーリー説じゃなくてイブン・スィーナー説な
イブン・スィーナーが仕えたアラッダウラへの知識の書をアラビア語に抄訳翻訳したもの
658考える名無しさん2019/05/12(日) 12:29:34.870
19、神秘主義に寄せて
中江兆民の著作に「三酔人経論問答」という本がある。明治の哲学書で広く読まれたものである。
それは、古代中世の征服者を良しとする豪傑君と、啓蒙の思想家である紳士君の意見の対立を扱った哲学書である。
紳士君がいくらギリシャ哲学を根拠に理想主義を唱えても、そんなものは、豪傑君の暴力主義に殴り倒されてしまうと書かれている。
紳士君と豪傑君の思想には、それぞれ、現実を反映したものがあり、
両者の良いところを抽出する現実主義によって政治は動くとして終わる。
これは、百年前の明治の思想であり、現代だとさらにちがうと思われる。
しかし、紳士君の理想主義とはどんなものなのか。それは、
井筒俊彦の「神秘哲学」という書にある記述が最も典型であると思われる。
理想主義者の井筒俊彦は1949年の書で何をいったか、それは以下のようなことである。
哲学者は、生きて帰って来なければならない。
井筒俊彦によると、神秘主義とは、宇宙の究極的救済を目的とするものである。
哲学者は、哲学の散策の中でそれを発見して、さらに、生きて帰って来なければならない。
哲学の神秘主義とは、それが宇宙の究極的救済を目指すことを発見することである。
井筒俊彦はいう。「人が神に成り、神であること」が神秘主義であるが、神に成るとは、力強い力を得ることではなく、
人間の身に許された限り、宇宙を救済することである。
世界を救済する理想によって神に似ることが、神秘主義哲学である。
これが、暴力主義に対しての、理想主義である。
659考える名無しさん2019/05/12(日) 12:29:57.550>>660>>661
暴力主義で最強を目指すという哲学者もいるかもしれない。
机上の空論と呼ばれても、理想主義を追求する哲学者もいるかもしれない。
しかし、ぼくは、哲学者すべてが宇宙的救済を目的とすることには、不安を感じる。
哲学の目的は、もっと多様であるべきだ。そして、志だけを高く掲げるのではなく、
目的の実現のために策を練らなければならない。
ぼくは、暴力主義でも、理想主義でもない、第三の道、現実主義を訴えたい。
科学によって、事実の確認をくり返して積み重ねる現実主義こそ、現代における哲学だと思う。
哲学を読んで感動したというだけではダメなのだ。あくまでも、物質的な実利を得るために作戦を練らねばならない。
明治の哲学者である大西祝はいった。「天地の間のすべてを物質的に解釈すべきである」と。
理想主義も良い。だが、物質的な探究の積み重ねが、暴力主義の豪傑君にも、理想主義の紳士君にも、おそらくは勝つであろう。
660考える名無しさん2019/05/12(日) 18:59:51.060
>>659
なんかズレてるな!
661考える名無しさん2019/05/12(日) 19:10:08.120
>>659
中江兆民の時代は日本が欧米に植民地化される危機が生々しく実感としてあった帝国主義全盛期。
だから兆民の答えは時宜を得たものだった。
世界の文明で最も現実主義的だったのは中国。
その功利主義的で現実主義的な態度は現代にも受け継がれる。
西洋に中国が負けたのは西洋には1+1=2に何故なるのかという問いに一生を棒にふった人間がいたのに現実主義的な中国にはそれがいなかった為。
井筒俊彦の仕事は敢えて例えるならその1+1=2に何故なるのかという仕事で別に百年や二百年現実応用出来なくても良い類いの仕事に相当する。
662考える名無しさん2019/05/21(火) 17:27:02.320
「みんな、救ってみせる。誰一人、見捨てやしないさ」
というのは、ストルガツキー兄弟の1972年出版の「ストーカー」のセリフだが、
同じようなことを、1949年の井筒俊彦が「神秘哲学」で述べているなあと思った。
663考える名無しさん2019/07/01(月) 18:25:11.960
引用しかない糞雑魚
664考える名無しさん2019/07/02(火) 00:00:43.990
>>652
序文を読むとこれが単なる文学的修飾でなく、バリバリ体験派の人の実際的感覚だということがわかる。
それも、神秘体験の内でも禅とか密教とかのソフィスティケートされたものだけでなく、
シャーマンのトランスや火山性ガスの吸引によるアポロンの神託など原始的で荒々しい神秘体験も哲学に必須の基盤として高く評価している。
現代ならジョン・リリーやスタニスラフ・グロフ らのLSDなど薬物によるサイケデリック神秘体験研究も高く評価したかもしれない。
665考える名無しさん2019/07/02(火) 20:25:01.880
「東洋哲学の構造」読んでる。
これはある意味「意識と本質」の入門書かも知れない。
重なる部分が非常に多い。
666し ◆P1F.MDbmTg 2019/07/02(火) 21:23:32.830
スーフィズムとマーフィーズム
667考える名無しさん2019/07/16(火) 20:30:32.570>>676
こいつがすごいんじゃなくて、イスラムの哲学者や詩人がすごいだけでは?
668阿吽2019/07/27(土) 13:10:53.980
『意識と本質』を読んでいるが、著者はイスラムは勿論、プラトン、釈迦からシャンカラ、竜樹を経由して
サルトル、メルロポンティまで論じられる鋭い知性に裏打ちされた該博な教養の持主ですね。
ある意味では非常に「日本的な」知性と言える。なのに、余り日本では評価が高くない気もしますね。
一般的には岩波文庫の『コーラン』の訳者程度の認識だが、東洋古典と西洋古典哲学のどちらにも親しみを持ち得る、日本の読書人層には究極の「まとめサイト」みたいな本だよな。
669考える名無しさん2019/08/13(火) 01:16:38.240
ようは唯識最強!って感じだけど
理理無礙だけはよくわからん
6701072019/08/13(火) 20:33:21.830>>671
こいつは正剛のパワーアップ版だろ
何でもかんでも結びつけているだけ
671考える名無しさん2019/08/14(水) 22:19:21.160>>677
>>670
具体的に整合性の取れない何でもかんでも結びつけて矛盾が生じてる部分はどこ?
6721072019/08/15(木) 08:12:16.690>>673
矛盾というか浅い
甘い
哲学的にどうでもいいからデリダとか持ち上げられる
馬鹿にしているから
井筒の評価の高さはそれが全て
673考える名無しさん2019/08/15(木) 12:43:05.200
>>672
じゃあ誰の哲学が深い?
674考える名無しさん2019/08/16(金) 00:24:56.560
中沢新一「創造の出発点―井筒俊彦『神秘哲学』」
中沢は、井筒のやってきたことが西欧哲学の脱構築にあたるとしながら、
その井筒哲学を更に脱構築しようとするのが中沢という構図。
675考える名無しさん2019/08/16(金) 00:26:11.390
>>121
> ・アフリカ(的段階)
『言語と呪術』がこれに該当するか。
676考える名無しさん2019/08/16(金) 19:54:11.300
>>667
そう
その人たちが超凄いから紹介した人も凄いといわれる段階にいられる
677考える名無しさん2019/08/16(金) 20:06:12.630
>>671
イブン・アラビーの
アハド-アハディーヤ-ワーヒディーヤ
を老荘の
無極-太極
に安易に当てはめてるように思えるな
無極と太極の関係についても儒教内で色々あるのに全く違う文化圏のイブン・アラビーを持ち出して当てはめるのは無理がある
678考える名無しさん2019/08/19(月) 20:24:54.920
周敦頤の「無極而太極」については陸象山の解釈と朱子の解釈しか知らないが他に色々あるのか?
中国哲学の主流になった朱子の解釈に井筒俊彦はよっているはず。
ノーベル物理学賞受賞者の量子力学者ハイゼンベルグが自分の思想と同じだと感動してハイゼンベルグ家の家紋に採用した太極図も多分朱子解釈のものじゃなかった?
679学術2019/08/19(月) 20:27:15.350
家具なんか健常型じゃないの欲しいよなあ。インテリアも。
680学術2019/08/19(月) 20:27:57.280
無敗オーラの床。家の庭園大事さ。
681学術2019/08/19(月) 20:28:41.360
過程が長いから中退はしなかったがな。奇形児で。
682学術2019/08/19(月) 20:29:17.720
無でも無の文字に何かたまってない?表彰から立体文字。
683狂神学術2019/08/19(月) 20:30:30.140
無でも無の文字に何かたまってない?表象から立体文字。無も酷使したり現実逃避の方便にはよくない。
684学術2019/08/19(月) 20:31:15.680
サッカートータルフットボールなんて昔すぎ。
685考える名無しさん2019/09/17(火) 10:57:22.830
おはよう
686考える名無しさん2019/09/25(水) 14:30:26.100>>690
ハーマンと井筒俊彦は共通したものがあったと記憶してるがマルクス ガブリエルとは共通するものがあるのだろうか?
687考える名無しさん2019/09/25(水) 17:53:16.520
サッカーのゲームの作り方と建築設計は似ていると思うよ
688考える名無しさん2019/09/26(木) 21:52:32.650
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失 や 精 |´::::::::::::<::::::╋::::::>:::::::::::::::::ヽ.
せ る 神 |::::::::_,.-─‐-ァ-─-::、::::::::::::::::ヽ
ろ か 安 |,. '" / `ヽ、::::::::::〉
ら 定 | / / i ハ ヽ 、 ヽ::/
. 剤 ノ/ /.ゝ!、ハ i ! ,!ィ! ハ !ハ
ヽ i ハ ハ'T7ヽ!ヽ! レ7'"7T'! / i
`''ー---‐'^ヽ!/ ヽハ .!'ト___リ ト__,.リ レ' /
ほ 〈ヽ、 ! " "/! rイ
学 れ ヽ. ヽ.ヽ、 r─ 、 ,.イノ ノ
術 〉ヽ、ヽ.>.、.,,___-' ,.イハイ
ヽ/ ´ ̄`ヽーr‐'"i´ ̄:::ヽ、
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と__ ̄`ヽ、ニ、 ヽr」/ . 十::::`ヽ.::::::::::::>、
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`´ / /7 ハ !ヘ 十::::::::iィ´ ノ
689考える名無しさん2019/09/28(土) 00:48:01.090
井筒についても触れられている
マルクス・ガブリエル『グローバル哲学?』
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/18668.pdf
西洋哲学、東洋哲学、英語圏の分析哲学、グローバル哲学
690考える名無しさん2019/09/28(土) 00:49:52.990
>>686
それぞれに「場」を扱っているとか。
ガブリエルは「意味の場の存在論」、
井筒は「禅的意識のフィールド構造」。
井筒のは、「無心」の境地に立った人が開示する禅的意識の記号過程。
意識と存在リアリティのフィールド構造。
読むことができるのは以下。
・「禅的意識のフィールド構造」『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
・『禅仏教の哲学に向けて』 (2014)
691考える名無しさん2019/09/28(土) 00:51:55.100>>693
“フェルディナン・ド・ソシュールによって定義された
話ないしパロールの基本的構造は、この次元ではもはや観察不可能である。
というのも、ここでは、話者と聴者との間の区別がないからだ。
実際に見られるものは、どこからともなく流れ出て閃光のごとく宙に光り、
そして直ちに、永遠の闇に消え失せるような言葉の光景である。”
― 井筒俊彦 『禅仏教の哲学に向けて』 (2014) 3章
692考える名無しさん2019/09/28(土) 00:54:12.740
『Towards a Philosophy of Zen Buddhism』(1977)
は英語でも美文だった。
ロラン・バルトやデリダと同じ用語を用い、言語哲学として語られる
ポスト構造主義的禅哲学。
禅哲学としても、最も先鋭的な本。
693考える名無しさん2019/09/28(土) 01:04:54.600
>>691
“普通の言語学では意味というものを、
辞書に載っているような、社会的慣習としてシステム化されている次元、
つまりコトバの表層にのみ限って見て行こうとするし、またその方が容易なのである。
これに対して、先生は、人間のコトバというものは本質上、そのような表層だけでなく、
その奥に底知れない深層をもっていること、そしてまさに意味に関してこそ、
この深層の領域を問題にすべきであることを主張された。”
― 牧野信也 「師としての井筒俊彦先生」 『井筒俊彦著作集4 意味の構造』
694考える名無しさん2019/10/03(木) 12:14:22.100
アラーのなすことは全て正しい。アラー・アクバル!アラーは偉大なり。
695考える名無しさん2019/10/03(木) 21:04:07.800
アッラーallahな
アラーalaじゃ全然意味が違う
俄かかな
696考える名無しさん2019/10/04(金) 17:14:01.960
預言者ムハンマド「カーバ神殿を手に入れようか?手に入れるまいか?」
イエス・キリストの霊「カーバ神殿は、誰のものですか?」
預言者ムハンマド「先の預言者イーサー、カーバ神殿はアラーのものです。」
イエス・キリストの霊「アラーのものは、アラーに返しなさい。」
697考える名無しさん2019/10/04(金) 18:08:50.320
意識と本質にアル・ガザーリとイブン・ルシュドを論じたところがある
ガザーリは事物以上の本質は認めない
ルシュドの方は事物以上の本質があるとする
これは世界は無始なのか神による創造なのか、アリストテレスに依拠する哲学と神による創造を肯定する哲学批判者の争いだが
同時に全ては物か、物以上の本質を認めるかの思想対決がある
意識と本質
意識にとって本質は存在するのか否か
個々の存在感、経験を越えた「本質」超越は存在するのか
である存在本質存在本質
がある存在事実存在実存
それは三人称客観の本質とはちがう一人称主観のこの世界の事実性を認めるか認めないかの問題
698考える名無しさん2019/10/04(金) 19:42:29.920
本質存在とか実存とか言ってもおどろおどろしいものじゃない
あなたは人間である
これは内的規定
さらに動物である
理性的存在である
日本人である
内的規定、本質存在をしきつめればあなたになるか
ハイデガーは存在者をつきつめても存在という事実性につきあたらない、存在論的差異と大騒ぎしたのは有名
三人称客観と主観の事実性はおなじか
ガザーリとルシュドの対立も本質を認めるルシュドらと神以外認めないガザーリの本質に関する対立がある
699考える名無しさん2019/10/04(金) 19:50:23.250
井筒俊彦の立場は三人称と一人称の対立を越えましょう
カザーリやルシュドみたいなイスラム哲学の対立の底を主客未分、言語によるソシュール的な分節化の前に立とう
イスラム哲学を禅仏教で止揚する
700考える名無しさん2019/10/04(金) 19:57:31.850
三人称と一人称は違うのか
あなたはある料理を知ることができる
その材料、そのレシピ、調理法を知ることができる
客観的に
その料理を食べる
その味、クオリアを食べたことのない人間に説明できるか
三人称客観では説明できない一人称主観の領域は実在する
701考える名無しさん2019/10/04(金) 20:01:37.240
統合失調症の文章って長いだけで本当に内容ないんだな
702考える名無しさん2019/10/04(金) 20:30:00.200
いや、主著の意識と本質の「本質」とは何か
何が問題なのか噛み砕いて説明しているんだが
これでピンとこないならあんた見込みないよ
703考える名無しさん2019/10/04(金) 20:40:33.040
三人称客観で全てが理解できるなら何も問題はないだろ
物を集めて線形に理解が成立するか否か
そうじゃないから哲学は対立が生ずる
ルシュドとガザーリ
哲学における根本的な対立があるから井筒もそれを取り上げる
で解決のパターンは三人称で全て解決派閥
一人称絶対派閥
井筒は三人称と一人称の対立を止揚する派閥
禅仏教持ち出し主客未分に立つのもそういうこと
井筒解釈としてはごく普通の当たり前
ここまで噛み砕かないから何か勿体づけたわけのわからない解釈かはびこる
井筒解釈としては捻りも糞もない構造的にどうやってもこうなる必然
704考える名無しさん2019/10/04(金) 21:01:49.970>>705
噛み砕いて説明w
能力もないくせに説明も糞もないだろ
705考える名無しさん2019/10/04(金) 21:14:52.940
>>704
ガザーリとルシュドの違いも
本質存在と事実存在
物理主義とクオリアの問題もわからないの?
馬鹿なの?死ぬの?
706考える名無しさん2019/10/04(金) 21:19:20.210
ちゃんと哲学者の自己矛盾やクオリアに関する論争くらいは理解してからこいよ
井筒はそういうものを踏まえて、あるいは予測して書いてんだから
それがわからないなら井筒は理解できないし、ここに書いた当たり前の事も意味不明だよな
要するに馬鹿は死ね
707考える名無しさん2019/10/04(金) 21:20:33.130
704みたいな馬鹿には説明も何も無意味だよな
馬鹿は死ね
708考える名無しさん2019/10/04(金) 21:21:11.420
自分は分かってるつもりだけのタイプだな
それが通じなければ罵倒
709考える名無しさん2019/10/04(金) 21:23:10.710
>馬鹿は死ね
自分の言うこと受け入れな死んで欲しい幼稚園児レベルだな
710考える名無しさん2019/10/04(金) 21:45:43.940>>711>>712
いやさ、食について三人称でレシピやなんか知っても味は説明できないよね
あんだすたん?
711考える名無しさん2019/10/04(金) 21:48:53.210
>>710
それが馬鹿は死ねとか言うのとどういう関係があるの?
712考える名無しさん2019/10/04(金) 21:54:23.130
>>710
君がイラついて馬鹿は死ねと願望を述べることと客観的三人称と同列だと思ってるんw
713考える名無しさん2019/10/04(金) 21:55:13.970
三人称で説明できること記述できることとクオリアにはギャップがある
世界は本質、内的規定で、であるとして説明できることと
一人称として「がある」で説明できることはギャップがある
同じことをカントは観念上の貨幣は内的規定は同じだ
しかし、観念上の貨幣は使えない
事実存在と本質存在は違うと説明した
しかし、この説明は問題があって貨幣は実体的である必要はない
紙幣でも通帳上でも電子通貨でも信用あればいいし、実体的価値はいらない
714考える名無しさん2019/10/04(金) 22:00:06.980
ルシュドは三人称の本質、内的規定が在るとした
ガザーリはない、全ての物と物は関係ないとした
神が関係づけるから物は意味がある
一人称でしか神とは関係ない
ルシュドは認めない
世界の事実の裏には必ず本質が内的規定がある
これがイスラム哲学の本質問題
715考える名無しさん2019/10/04(金) 22:04:52.520
で、三人称と一人称の対立の前
ソシュールの分節化の前がある
ここでソシュールや禅が要請される
イスラムの翻訳者が仏教やソシュールらデリダを持ち出す理由
三人称と一人称
クオリアとかの基本がわからないと何故禅や脱構築が井筒に出てくるかわかるわけがない
716考える名無しさん2019/10/04(金) 22:26:13.440
井筒がなんでガザーリ持ち出してんのか
イスラム哲学論じてんのか考えたことないの?
ただなんとなく格好良いから?
717考える名無しさん2019/10/05(土) 13:05:13.040
何が正しいか、どうすればよいのか、それがわからなかった。今はわかる。全て正しく、どうしても正しいということが。
アラーは偉大なり!
718考える名無しさん2019/10/05(土) 19:02:17.600
ガザーリの偶然性の哲学とアヴェロイエスの因果律の実在性
井筒によればイスラムの原子論は、普遍的「本質」の実在性を認めるかどうかでこれは井筒は言ってないが
「である」内在規定の三人称だけで行くか「がある」現実存在をそれに還元できない存在論的差異を認めるかどうかに帰着する
因果律の実在を認めると神の絶対性が疎外される
因果の中では因果が絶対で神の介入は許さず神は絶対ではない
イスラムの原子論者はこう考えた
井筒「全存在界は互いに鋭い断絶によって分離された無数の個体の一大集積として表象される」
個体、無数のばらばらな個体や経験に、その個々を越えて繋がる関係が本質があるのか
本質があるのか
哲学の根本問題
719考える名無しさん2019/10/05(土) 19:24:39.970
ルシュドは、ガザーリに対抗した
ガザーリの因果律否定は本質批判であり理性的動物の人間の非人間化に他ならないと井筒はルシュドの見解をまとめる
アリストテレスは世界には始まりはない
・ガザーリには神による創造を否定し許しがたい
・ルシュドは無からの創造は認めない
創造は潜性態にある有が現勢態にある有になること
可能性が現実になることでしかない
本質が存在する
本質論者にすれば現実は本質が現実化したものでしかない
720考える名無しさん2019/10/05(土) 20:25:25.000
人間の諸行為は、アラーに対して為されるものである。
アラー・アクバル!アラーは偉大なり。
721考える名無しさん2019/10/05(土) 20:35:54.410
馬鹿しかいないスレになっちゃったな
722考える名無しさん2019/10/05(土) 22:06:35.110
我らの上に平安あれ。神のご加護を!
アッラー・アクバル!神は偉大なり。
723考える名無しさん2019/10/05(土) 23:57:55.560
では、絶対的一神教でない仏教、就中、不立文字の禅ではどうなるのか
道元の正法眼蔵を解説して言う
物を認識するとは何か
今、意識に山水が映る
しかし、それは山水なのか
網膜に映る光の像は山なのか、山として同一性を持つのか
ガザーリの言うとおり物には因果はない
ばらばらで、本質がないなら山が山であり水が水である根拠はどこにもない
今、眼前にする山水は経験的世界で見る山水とは同じであって同じでない。眼前の山水は一定の存在的位置を占めて全体を露見する働きを示す
眼前の山水は山と川に分節されていながら山であること川であることから超出して「本質」に束縛されずに自由自在に働いている
仏教には、事物の背後の神はいない
では山が山であることはどこから来るか
それは意識が、仮構するものだ
意識が、仮構しなければ分節は存在しない
「一」性に返る
724考える名無しさん2019/10/06(日) 07:45:26.460>>725
で、難しく考えることない
存在は事象内容で、説明できる述語ではない
人間が何であるか
動物である
言葉を話せる
理性的動物である
こういった事象内容で存在者は説明できるが、存在、可能性が現実になること、「存在」することは説明できない
存在者と存在することは違う
ハイデガー=カントの存在論的差異
そして、それは三人称の客観だけで存在者だけで現実を説明しつくせるという立場と、いや、そうじゃないという論争に行き着く
ガザーリとルシュドの論争もそうだし、仏教や普遍論争もクオリアに関する論争もそれに行き着く
725考える名無しさん2019/10/06(日) 14:13:15.790
>>724
あなたの論理だと井筒俊彦と心の哲学が何かつながりそうだが不勉強でそこらが良く分からない。
もう少しそこらを論じてくれませんか?
726考える名無しさん2019/10/06(日) 18:33:14.190
猫は猫であって、その物ずばりで理解できる
そういう素朴実在論は哲学的には論外で相手にする必要はない
ある瞬間の網膜に映る光の映像としての「猫」が、次の瞬間の「猫」と同一である根拠はないから
太陽かもしれない、水たまりかも、車かもしれない
猫でなければならない本質とは何かで答えに窮する
三人称客観実在論でアリストテレス式に万人にとって、共通の理解の得られる本質はあるんだと天下り式に絶対万人に妥当する本質は実在すると説くか
そういう物を拒否して一人称のその人その人にしか真理はないとするか
一人称真理は万人には妥当しないは良さそうだが、真理は本質は存在しないで(少なくとも私と他者に共通な真理は存在しない)ニヒリズム、相対主義は避けられない
三人称客観の全体主義か一人称本質否定のアナーキズムニヒリズムになるか
この二つに帰着する
727考える名無しさん2019/10/06(日) 18:37:32.660
井筒俊彦自体は三人称も一人称も拒否して言語分節以前の立場を守ろうとした
その立場では本質が個人的なものか三人称客観的なものかの争いは生じない
728考える名無しさん2019/10/06(日) 20:38:47.480
ある時点の猫、それも意識に上った映像
テセウスの舟じゃないが毛が抜けて別な物質組成になった物の何が同一で何が同一じゃないか
素朴実在論や経験論ではどれが本質として同じ物にくくれるか、他ではないのか、
猫→猫
猫→水たまり
どちらも原子の構成が違う点は変わらない
どれを優先するか根拠はどこにあるか
可能性→現実性
質料因→形相因
作用因→目的因
物を越えた本質を前提にすれば悩まないが逆に言うとそういう誰にとっても妥当する三人称客観が個人や経験を越えて存在しない限り成立しない
アリストテレスやルシュドは三人称万人に妥当する客観性があって目的論に従う
と本質を前提に客観的真理を押し付ける
それを拒否すれば、ばらばらな原子的個人の相対性、ニヒリズムに陥る
ガザーリの原子論とかクオリアにはその問題がつきまとう
729考える名無しさん2019/10/06(日) 21:00:24.070>>731
ガザーリはニヒリストではなく、すべてを神に委ねよの神秘主義者だが、実存主義でも神を前提にするキェルケゴールや無神論の実存主義があるようなもの
クオリアが大騒ぎになるのも、三人称客観の本質を押し付けるのか、一人称主観のバラバラニヒリズムかと互いに譲れないから
事物の底に本質を認めるか主観=意識の相対性に留まるか
だから井筒俊彦の著作は意識と本質
730考える名無しさん2019/10/08(火) 04:53:07.180
イランの女子陸上の放送
tps://video.twimg.com/ext_tw_video/1179118252108271623/pu/vid/956x714/wliRorr3y0d7sfu0.mp4
731考える名無しさん2019/10/21(月) 22:58:50.480
>>729
チャーマーズみたいな井筒俊彦論だな。
732考える名無しさん2019/11/02(土) 13:21:28.910
意識と本質は難解すぎて挫折したけど、神秘哲学は結構読みやすいな
733考える名無しさん2019/11/08(金) 22:05:14.410>>736
BS1スペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」
2019年11月8日(金) 午後11時00分(50分)
2019年11月11日(月) 午後7時00分(50分)
734考える名無しさん2019/11/16(土) 15:06:35.750
BS1スペシャルを観て井筒俊彦先生に感銘を受けました。
初心者が井筒俊彦先生の思想を学ぶには、どの書籍からがいいでしょうか?
上に『神秘哲学』『意識と本質』『コーランを読む』などの書名があがっていますが、迷っています。
735考える名無しさん2019/11/17(日) 02:10:36.580
井筒の著書はどれも専門性が高いので、
>>4、>>410のような解説本やオムニバスから入ると、読みやすくて自分に合ったものが見つけやすいと思う。
その他、イスラム初心者の人には『イスラーム文化―その根底にあるもの』。
736考える名無しさん2019/11/17(日) 07:55:47.680
>>733
NHKオンデマンド/BS1スペシャル
「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2019102918SC000/?capid=nte001
言語学者、哲学者、思想家として世界に名を響かせた井筒俊彦(1914~1993)。
子供のころ父から禅を学び、その後イスラム哲学に傾倒したが、西洋とイスラム世界の衝突を目の当たりにし、その解決の糸口として東洋哲学を確立した。
「多様性」や「他者との共生」を訴える井筒の思想は、不寛容と憎悪が増す今、再び注目を集めている。イラン出身の女優サヘル・ローズが、井筒ゆかりの土地や人を訪ね、独自の世界観を体感する。
737考える名無しさん2019/11/17(日) 07:57:09.650
(1)マンデルブロ集合
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AD%E9%9B%86%E5%90%88&;ei=UTF-8&fr=mozff
(2)ペルシャ絨毯
https://cdnw.elicdn.com/Blog/wp-content/uploads/2018/01/1-3.jpg
https://image.rakuten.co.jp/jahan/cabinet/05669065/imgrc0071618757.jpg
https://www.mahounojutan.com/data/mahounojutan/product/20180706_fb6979.jpg
http://www.mellibazar.com/images/thumbs/0001308_-12-_600.jpeg
https://ih1.redbubble.net/image.586821818.6124/flat,750x,075,f-pad,750x1000,f8f8f8.u3.jpg
https://www.mahounojutan.com/data/mahounojutan/product/20180806_40f684.jpg
https://historymaniacmegan.files.wordpress.com/2015/07/orientalrug1.jpg
https://static.minne.com/productimages/75877254/large/ebc57f8fbee60cc0e748132ea77906f248535c9c.jpeg?1563720202
https://www.clairen.jp/wp-content/uploads/2019/01/131128_perucia-tabriz-e1547182722156.jpg
https://www.speed-kaitori.jp/wp-content/uploads/persian3.png
https://image.rakuten.co.jp/marukura/cabinet/items_int_carpet_mat/persian/062093_016_01.jpg
https://www.clairen.jp/wp-content/uploads/2019/01/An_Iranian_Persian_carpet_exhibition-e1547520203278.jpg
738考える名無しさん2019/11/17(日) 07:58:32.550
“アッラーは天と地の光り。
この光りをものの譬えで説こうなら、まず御堂の壁龕(へきがん)に置いた燈明(とうみょう)か。
燈明は玻璃(はり)に包まれ、玻璃はきらめく星とまごうばかり。
その火を点すはいとも目出度い橄欖樹(かんらんじゅ)で、
これは東国の産でもなく、西国の産でもなく(つまり、この世のものならぬ聖樹ということ)、
その油は火に触れずとも自らにして燃え出さんばかり。
(火をつければ)光りの上に光りを加えて照りまさる。
アッラーは御心のままに人々をその光りのところまで導き給う。”
― コーラン 「24 光り」 35
壁龕=西洋建築で、彫像などを置くため壁面に設けられたくぼみ
燈明=神仏に供える灯火
玻璃=ガラス
橄欖樹=オリーブ
739考える名無しさん2019/11/17(日) 14:01:46.290>>740
井筒訳コーランを読み始めました
740考える名無しさん2019/11/17(日) 16:50:58.880
>>739
井筒信者のオレだけど井筒のコーランはオレは読みにくいと思う。
いろんな訳があるけどコーランは中公の世界の名著版が初心者には理解しやすいと思う。
確認してないが中公クラシックスで出てるんじゃないかな?
741考える名無しさん2019/11/18(月) 16:20:23.040>>742
ムスリムのあいだで翻訳されたものはコーランとは認められない!
742考える名無しさん2019/11/18(月) 17:01:11.800
>>741
じゃあ、誰が翻訳したらいいの?
743考える名無しさん2019/11/23(土) 06:30:18.450
習近平「ウイグル人に情け容赦は無用」、中国政府の内部リークで新事実明らかに 米報道
イスラム教徒のウイグル人にとっては、この世は地獄だろう。
毎日のように、家族が殺され、妻や娘はレイプされる。
将来、日本が中国に侵略されたら、同じような弾圧を受ける。
https://www.afpbb.com/articles/-/3255199
744考える名無しさん2019/12/18(水) 14:29:04.650
「スーフィズムと老荘思想」読んでる。
待望した井筒俊彦の英文主著だ。
第一部のイブン・アラビー読んでるが難解だ。
745考える名無しさん2019/12/21(土) 02:45:53.890
井筒の「英文著作翻訳コレクション>>3」も一通り読むと、
井筒哲学の理解がガラッと変わってくる。
日本語では開陳してこなかった決定的な考察が多い。
特に重要なのは『スーフィズムと老荘思想』。
『意識と本質』から入って『スーフィズムと老荘思想』へと抜け出るように読む。
>>645に関する話もこの本。
746考える名無しさん2019/12/21(土) 10:20:58.000
>>745若松英輔が井筒俊彦が山崎弁栄と出会ってたら井筒はイスラムに行かなかったろうと評価した山崎弁栄は「超在一神的汎在神教」を唱えたが井筒の内在する神と共通するものがあるのだろうか?
747考える名無しさん2019/12/21(土) 10:26:41.810
全てうまくいく。なぜなら、それが神(アッラー)の御心であるからだ。インシャッラー(神の御心のままに)。
748考える名無しさん2019/12/21(土) 15:24:41.660
これまで通りこれからも全てうまくいく。インシャッラー(神の御心のままに)
749考える名無しさん2019/12/21(土) 15:44:08.610
中国共産党によるウイグル族(イスラム教徒)への宗教弾圧や大量殺戮も、アッラーの御心なのかな?
750考える名無しさん2019/12/22(日) 21:43:11.610
「インシャッラー(神の御心のままに)」に近いのはメイヤスーの「偶然性」の哲学
751考える名無しさん2019/12/22(日) 21:44:30.710
その心は原子論的非理由律
752考える名無しさん2019/12/29(日) 12:21:43.810
過去に全き帰依者(ムスリム)であったとしても、今現在全き帰依者でないのならば、全き帰依者とは言えない。
未来に全き帰依者になるとしても、今現在全き帰依者でないのならば、全き帰依者とは言えない。
753考える名無しさん2019/12/30(月) 15:59:08.900
禅の不立文字
ヘーゲルは今ここは絶対的な事実と見えて貧しい物に過ぎないと言った
林の中で今、目の前にある木の知覚、これこそ、この感性的確信こそが真実、真理に見えるがちょっと右を向けば別な木が絶対的なこのものになってしまう
夜中に今は夜だと感覚的確信をどんなに強固に得たとしてもその確信をノートに書き付ける、「今は夜である」と
しかし、時間が立ち昼間みたらそれは間抜けだ
イブン・ルシュドは世界は永遠で始まりも終わりもないし、その個々の物や自然法則は永遠だとして、アリストテレスを支持した
ガザーリは世界は神の創造物であり時間的始まり(天地創造)も終わり(最後の審判)もある
神も立ち入れない絶対的な法則はない
全てはバラバラで原子論的にある
因果法則はヒュームのいう通りにない
神の創造によって神が意味付けたもの以外には
それ以外には真理も絶対的な法則もない
これがガザーリも棹さしたイスラムスーフィズム
754考える名無しさん2019/12/30(月) 17:23:21.920
仏教では禅定を重んじる、戒定慧が根本
戒は心や体や生活を乱す物を慎重に排除する、禅寺での厳しい修行とかイメージすればわかる
残りは心を定め知恵、般若で解脱する
大乗佛教では止観と言う、心を定め(止)周りを観察し(観)解脱する、上座部佛教では同じことをサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想と言う
サマタを訳したものが止でありヴィパッサナーを訳したものが観であり、合わせて止観、同じこと
ミャンマーの上座部の偉いお坊さんがいて、上座部の中でも、世界的にも評価されているそのお坊さんが若い頃に修行した
師匠について本格的な座禅を勉強する、その人は頭の良い人でいろいろ仏教の教義を勉強し高いレベルで理解できる人だった、また、小説を書くことが好きだった、本も沢山持っていた
師匠は言った、今まで知ってたことは全て忘れなさい、本は修行場に持ち込むのは許しません、修行場の外に置いておき、期間中は持ち込んだり読んだりすることのないように、ただ座りなさい
悩みができたら相談に乗ります、何でも話なさい、修行法や心の不安などや人生の悩みでも何でも、本を読んだり研究するのは修行が終わった後にいくらでもできます、この修行場で修行している間は全て忘れなさい、ただ座りなさい
座り始めると様々な雑念が頭に入ってくる、頭からわいてくる、次々と想念が渦巻く、小説を構想する
人間は心を落ち着かせる定めるとかなかなかできない
いろいろな雑念から逃れられないが心はだんだん、そういうものに惑わされること自体が馬鹿らしくなる
修行を続ける、座り続けると徐々に落ち着いていく
呼吸を観ている、吸ってる息、吐いている息、それは誰が行っているのか
最初は私や何らかの体がやっているかに見える
また、この息自体が同じものだと、しかし、どの吸う息、吐く息も同じではない、違うが続いている
私もいない
全宇宙が繋がっていて、それが呼吸させていて、そこには意志や主観は必要ない
世界は繋がって分節されず分節する必要がなくただそこにある、これが気付き(念)である
サティと言われ、大乗では念と言われるが、世界の相互関連、相互作用に気づくことだね
固定した客観的な物は存在しない
それを認識する分節化する主体も主観も存在しない
755考える名無しさん2019/12/30(月) 17:43:32.540
気づきはマインドフルネスと訳され大騒ぎになっているものだ
釈迦はあまり気付きの気もちよさに神秘主義に取り込まれるな、三昧に囚われるな、縁起の法を分析せよと言ったがまずは、世界の未分化な相互作用相互移入連続性に気づかないと
ヴィパッサナーだけでいいか、サマタが必要か論争はあったりするが
「どうでもよい」
また、細かくマニュアル化されている上座部か、大乗かとか論争あるが
「どうでもよい」
中身はどうでもよく、捨てないといけない、マニュアルが邪魔になる
ヘーゲルの弁証法も気づいた後の関係主義的縁起の法だ
仏教、実在論否定、無我論
ヘーゲル、唯物論否定、カント式主観主義哲学否定
両者とも三人称否定、一人称否定、関係主義的な共同主観論
唯物論ではなく視点から見た認識が全てだが個人的な囚われた我を否定する
細かい主観や物はいらない、囚われるな、間違っている、分節できない現実が根底にあり、主観主義や客観主義、一人称や三人称は間違いだ
井筒の「スーフィズムと老荘思想」はじめ言っていること
ルシュド=アリストテレスの三人称客観実在論の否定
一人称主観主義、バラバラの原子論のアナーキズム、ニヒリズム否定
禅の不立文字
老荘の万物斉同
仏教の念、サティ
イスラム、スーフィズムは同じ地点だ
以上、井筒思想の概観にして全てな
756考える名無しさん2019/12/31(火) 00:39:54.410
筑紫 「中沢さんはチベットへ行っちゃったり、ものすごいオールド・デイズにはまり込んでいるでしょう。(略)」
中沢 「ぼく、ああいうの全然オールド・デイズだって感じないの。(略)
どんなにジル・ドゥルーズが現代的哲学者の中でとびぬけているといったって、
イスラム教のスーフィの書いたテキストであるとか、タントラ密教のテキストとかのグローバルさとくらべてみると、
やっぱり劣るなという感じがするのね。(略)」
― 『若者たちの神々:筑紫哲也対論集3』 (1987)
757考える名無しさん2019/12/31(火) 00:40:34.130
「器官なき身体」のようなものは、チベット仏教にもある。
http://samten.seesaa.net/article/434150824.html
チベット仏教の「幻身」あるいは「虹の身体」
『智慧金剛集』という書物には
「幻身は、風と心のみから出来ていて、どこにでもあまねく存在し、
肉と骨を離れ、刹那に動き、陽炎のような、蜃気楼のような、
一つなのに多くの現れをもち、空の状態から忽然と出現し、
虹のごとく物質的存在に汚されず混じり合わないで現れる」とある。
758考える名無しさん2019/12/31(火) 04:20:57.950
イスラム教も瞑想修行をして解脱をする教えなのですか?
759考える名無しさん2019/12/31(火) 07:06:59.890
法華経無内容論というのがある
法華経はこのお経は凄いとコマーシャルは凄いが、何がどう凄いか中身はないと言うのだ、教理が無いと言うのだ
宣伝文、効能書きでどんや効能があるか、それはずらずら書いてあるが肝心の薬が入っていない
ミャンマーの高僧の修行時代と同じ、只管打坐、ただ座れを全ての合言葉にした日本の僧侶に道元がいる
道元は若い頃に宋に渡った
その時の有名な話が二つある
・留学先の年取った坊さんが暑い日に必死に食材の準備の為に汗をだらだら流しながら働いている
そんな仕事はもうあなたほどの人はやらないでいいではないですか、教理問答や勉強してた方がいいではないですか
これが修行だ
せめて今日みたいな日は若い僧侶に任して休んでたらいいではないですか
彼は私ではない
・日本が還る前後に別の老僧が見送りに来てくれた、今日はこのまま、泊まっていったらいいのではないですか、かわりの人はいるでしよう
いや、それは私の仕事であり私の修行だ
それを私以外がやっても意味はない
その道元が最後にひたすら帰依し唱え辞世に残したのは法華経
760考える名無しさん2019/12/31(火) 07:32:52.540
道元が宋に渡った時に師匠に質問して、その問答を書き起こした 道元宝慶記
問答の一つに人は仏性があって救われるはずたが、なら修行したり戒を守る必要はないのではないということになるがそれはおかしいのではないか
プラトンの知者のパラドックスを彷彿させる
知らない人間は知るべきことや知る方法がわからないなら知ることが、できない
知っている人間は既に知っているからわざわざ苦労して知る必要はない
禅の有名な公案に犬には仏性があるか問われて無!と答えたというものがある
犬にしろ、人間にしろ、仏性があるからと安易に思って修行しなければ救われない
しかし、安易にそう答えたら
・儒教や道教は間違っていますが正しいこともあります、仏教はそれを取り込むべきでしょうか、取り込まないべきでしょうか
・普通の仏教と禅宗、どちらが正しいのか、どっちも正しいのなら何故禅宗の修行するのかいらないのではないな
普通の仏教が正しくないなら排斥しないといけないのではないか
・臨済禅はじめ師匠が弟子を殴り恫喝するがそれは正しいのか正しくないのか
宝慶記に書かれている問答の一部だが果てしない問題に巻き込まれる
761考える名無しさん2019/12/31(火) 07:45:24.960
法華経には確かに中身はない
般若経典や、華厳経みたいな空に関する教理や、諸法実相に関する説明がない
哲学がない、哲学を放棄している
仏の妙なる境地は説明ができないと説明している、説明を放棄している
これが法華経
だからいい
気づける
言葉や煩瑣な教理はいらない
邪魔になる
仏の境地は言葉では説明できないということを説明できている
体感できる
だからこそ道元は法華経に深く帰依した
気づいてしまえば何でもないが気づかなければどうしようもないし、それに気づかせることもできない
道元のパラドックスも知者のパラドックスもこういう説明できないという説明しかない
井筒俊彦の言語分節化以前の境地もそういうことだ
祖師達磨は、何故中国にインドから来たのか
答えられるかバカヤロー
それが禅の答えであり、説明できないものは説明する必要はないというのが正しい説明だ
762考える名無しさん2020/01/01(水) 21:26:09.690
言語分節化が三人称、一人称の分割を促し、客観主義と主観主義を生み、それぞれの要素還元主義を作り出す
物から直線的に単純に答えが出る物理主義
閉じた主観から一元的に答えが出る観念論
しかし、一つの実験からも様々の理論解釈が成立し、閉じた主観の独我論は他者の理解で困難が生ずる
ヘーゲルや仏教は唯物論及び私の実在論を否定する
井筒の出発点も仏教や老荘、イスラム神秘主義には、実在論を否定し言語分節化を越える
終着点もそこ
763考える名無しさん2020/01/01(水) 22:07:57.370
日常的には我々は物が固定的に実在したり、私が強固に実在すると考える
しかし、仏教にしろ神秘主義にしろ、修行すればはじめはそれらに拘束された日常の意識だが、
それを抜け出せる、それらがどうでも良くなる瞬間、物の分節が、私の存在が消える、
主客の分裂が消える神秘体験があるし、それなしにはそれらの思想は意味をなさない
井筒思想はそれに還元される
764考える名無しさん2020/01/02(木) 11:20:40.650>>765
イスラム教も仏教みたいな瞑想や座禅を行うの?
765考える名無しさん2020/01/02(木) 16:08:32.470>>766>>776
>>758、>>764
解脱ではないが、よく比較されるのが>>463、>>338の「アナ・ル・ハック」。
身体的な瞑想として有名なのは、メヴレヴィー教団の旋回舞踊。
https://www.youtube.com/watch?v=v5XlOHCFjEY&;feature=youtu.be&t=1080
宇宙の運行を表す回転によって、神との一体化(神の中への消滅)を図るという。
その他にはズィクルという唱念や観想もあって、
ダルヴィーシュとはスーフィーの修道僧のこと。
766考える名無しさん2020/01/02(木) 16:09:19.670>>776
>>765
このメヴレヴィー教団を開基したのが、ジャラール・ウッディーン・ルーミー。
イブン・アラビーと並ぶイスラム神秘主義(スーフィズム)の重要人物。
『ルーミー語録』は井筒が手掛けているが、
ペルシア語のコーランとも呼ばれる『精神的マスナヴィー』は断片的にしか翻訳されていない。
767考える名無しさん2020/01/02(木) 16:09:49.260
> ルーミーとはローマの人のことで、後年に住んだアナトリアが以前東ローマ帝国(アラビア語ではルーム)の領土だったことによる
768考える名無しさん2020/01/02(木) 16:11:17.320
レファレンス協同データベース
ジャラール・ウッディーン・ルーミー(13世紀の詩人)の詩集が見たい。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&;id=1000076694
769考える名無しさん2020/01/02(木) 16:13:24.450
ルーミーは、こういう「1/fゆらぎ」CDまで買って聴いた。
朗読CD【ただひとつの息吹】より「沈黙の満月」
https://www.youtube.com/watch?v=N7_T1geb8v0
770考える名無しさん2020/01/02(木) 16:14:12.000
>>769の説明にある映画『アースピルグリム』の監督・主演がエハン・デラヴィ>>327なのか。
狭い世界だ。
771考える名無しさん2020/01/02(木) 16:14:45.170
隣人みなスーフィー
772考える名無しさん2020/01/02(木) 16:17:14.890
『精神的マスナヴィー』の英訳はR・A・ニコルソン>>463。
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 1, 3, 5, Persian Text (set)
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 2, 4, 6, English Translation (set)
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 7 and 8, Commentary 2 vol set
Jalalu'ddin Rumi (Author); Reynold A. Nicholson (Author)
Published by : Gibb Memorial Trust
773考える名無しさん2020/01/02(木) 16:18:07.130
The Mathnawi Of Jalaluddin Rumi
by Reynold A. Nicholson
https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.151299
774考える名無しさん2020/01/02(木) 16:20:04.870
英語で読むか
775考える名無しさん2020/01/02(木) 21:37:05.240
コーランはアラビア語しか認められてないぞ、ハゲ
776考える名無しさん2020/01/02(木) 22:33:38.560>>778
>>765
>>766
ありがとうございます。
イスラム教にも似たようなものがあるということは、イスラム教のゴールも仏教のゴール(涅槃して転生しないこと)と同じなのでしょうか?
777考える名無しさん2020/01/02(木) 22:35:16.820>>779
キリスト教は、仏教の梵天などの最高位の神を父なる神と同じような気がしてます。
778考える名無しさん2020/01/04(土) 02:52:01.970>>785
>>776
> 神を信じる。預言者を信じる。来世を信じる。イスラムの教えは、基本的にこの三つです。
>
> 神とはアラー。預言者とはムハンマドという神のメッセージを伝えた人。
> そして来世は、イスラム信仰の根幹をなすものです。
> イスラム教には仏教的な信仰と違い、輪廻はありません。
> 一回限りの生を生き、死ぬと最後の審判の日に復活して生き返り、
> 来世である天国か地獄に行くのです。来世は永遠に続きます。
779考える名無しさん2020/01/04(土) 02:55:07.230
>>777
セム系一神教の神は外在的。
インドを中心とした東洋の神(スピノザの汎神論も)は内在的。
780考える名無しさん2020/01/04(土) 02:57:11.740
整理するとこうなる。
[西洋] 一神教世界(非対称性、外在的超越、西洋的二元論)
[東洋] アニミズム、仏教世界(対称性、内在的超越、東洋的一元論 )
対称性/非対称性というのは中沢の対称性人類学。
その他は、以下の井上の論文を読んでもらうといい。
このスレではよく西洋と東洋を行き来するから。
781考える名無しさん2020/01/04(土) 02:58:04.610
『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題
―如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思惟との収斂点―』
井上克人 (2009)
I 明治期アカデミー哲学の形成―「現象即実在論」
井上哲次郎や井上円了らに代表される明治期アカデミー哲学の特質が「現象即実在論」
にあることは夙に知られている。現象の奥に真の「実在」、すなわち形而上学的絶対者を認
め、しかも「実在」は現象の背後にあるのではなく、その只中に内在するという考えであ
る。これは大乗仏教思想の根幹をなす「本体的一元論」、すなわち外に超越者を想定しない
思考様式である。じつは、この発想の淵源は、『大乗起信論』のいわゆる「万法是真如真如
是万法」という定式にある。東京大学で初めて開設され、原坦山が担当した「仏書講義」
のテキストに選ばれたのが、この『起信論』であった。彼らはその本体的一元論に啓発さ
れ、西洋に対抗して日本独自の「哲学」を提唱しようと企図したのである。
ところで西洋における思考様式は、神と人間、近世以降では認識主観と客観的世界とい
った二項対立的な二元論をその特質としてもつ。それに対し、本体的一元論に立つ『起信
論』は、自体清浄なる「心真如」が自らの清浄心を失うことなく心生滅へと転成していく
「真如随縁」の発想をもつ。妄念にまみれた現象的世界は、一方では「真如」の本然性か
らの逸脱でありながら、同時にそれは「真如」そのものの自己展開に他ならず、真如と妄
念とは「非一非異」の関係にあって、「現象」がそのまま「真実在」なのである。
782考える名無しさん2020/01/04(土) 02:58:22.800
敷衍して言えば、「真如」は、それ自身我々の思惟や言説を絶する〈空・無〉、すなわち
絶対的覆蔵態に他ならないのだが、同時にそれは個々の存在者をあるがままに顕現せしめ
る〈開け〉であって、現象せる個々の存在者の形而上的本体として、それらの根底に伏在
し、あらゆるものを自らの内に摂収しつつ、同時にそれらを本然的にあるがままに開放す
るのである。換言すれば、現象せる個々の存在者は、どこまでも自らを顕現せしめた真如
のうちに在り、逆に、個々のものの存在原因たる真如は、どこまでもそれらの本体として
超越的に自己自身のうちに蔵身しつつ、同時に自ら顕現せしめたすべてのものの中に内在
するのである。これこそ東洋的思惟に共通して見られる〈本体的一元論〉である。つまり
言詮を絶する覆蔵的・超越的に一なる原理がその超越性をどこまでも維持しながら、自己
内発的に自己展開し、万物の中に自らを内在化させていく論理、一なる本体とそれが起動
展開する派生態、つまり「体と用」(本体とその作用)の論理であり、「内在と超越」の論
理であった。したがって、超越といっても、「外」に超越したものではなく、「内在的超越」
という構造をもち、これこそ西洋的二元論の思考様式とは異なる「東洋的一元論」なので
あって、いわゆる京都学派の哲学も、この系譜を引くものなのである。
783考える名無しさん2020/01/04(土) 02:58:41.420
II ハイデガーにおける「神学の由来」と西田哲学に伏在する如来蔵思想
さて、以上のような形而上学的一元論の発想は、新プラトン主義の流出論ときわめて類
似した考えであって、それはヘレニズム化したキリスト教、すなわち東方正教会の淵源と
なったものである。それにひきかえ、ラテン的西方教会は、むしろユダヤ・ヘブライ的二
元論の伝統に立脚し、神はどこまでも「隠れたる神」であって、契約で結ばれた神と人間
との間には深い断絶がある。他方、東方正教会の基本的特質は神の顕現(現前性)の強調
と「人間の神化(テオーシス)」にあり、神と人間とは一つに結びついていて、
これは「一切衆生、悉有仏性」を標榜する大乗仏教と通底している。
ところでハイデガーは、自らの「神学的由来」である「新約的」キリスト教の立場から、
同じ西方でありながら新プラトン主義化したアウグスティヌスのキリスト教を論難し、延
いては西洋の形而上学全体にわたってそれを「存在忘却」に基づく「存在-神-論」とみ
なし、その超克を企図したが、彼のいう「存在-神-論的体制」は、東方正教会にこそそ
の最たるものがあるのであって、ハイデガー自身、存在を問うという極めてギリシア・ヘ
レニズム的な思考を展開させながら、存在そのものがもつ覆蔵性に基づき形而上学を超克
しようとする彼の思索の淵源には、ザラデルが指摘しているように、彼自身それに気付く
ことのなかったユダヤ・ヘブライ的発想が根深くあったように思われる。それは現前性の
底に顕現せざる超越的他者を想定するという、非ギリシア的発想なのである。
一方、『起信論』が説く本覚思想を「現象即実在論」として哲学的に開陳したアカデミー
哲学の本体的一元論の「形而上学」の系譜を引きながら、それを乗り越えるかたちで、同
じくその如来蔵思想に見る「真如」のいわば覆蔵性がもつ〈超越的他者性〉を「逆対応」
という発想によって論理化しようとした点に西田哲学の優れた特質がある。
西田とハイデガーとは、ともに「顕現せざるもの」への着眼によって形而上学を超克する
ところに共通点があるといえよう。
http://heideggerforum.main.jp/data08/inoue_r.pdf
784考える名無しさん2020/01/04(土) 03:01:19.630
>>765のズィクルを中心にみると、
正教のヘシュカズム>>355とイスラムと真言密教>>360が比較できる。
785考える名無しさん2020/01/04(土) 03:56:42.550
>>778
イスラムでもドゥルーズ派やアラウィ派には輪廻がある。
786学術2020/01/04(土) 18:33:11.560
客観は世界の方で、主観は先祖の方だ。過去に汚染される危険思考。
787学術2020/01/04(土) 18:36:26.370
両方とも過去で人間を汚す。
788学術2020/01/04(土) 18:36:57.940
主観が未来 客観が過去に属さないといけない。
789考える名無しさん2020/01/07(火) 23:26:15.340
“ホメイニーが当時のソビエト連邦の書記長ゴルバチョフに、イスラーム世界を理解するためには、
イブン・アラビーやイブン・スィーナーの思想を理解することが重要だという旨の書簡を送ったという一事に端的に現れている。
ホメイニーの中では、その革命とイブン・アラビーの思想は通底するものがあったのである。
彼らにおいては、イブン・アラビーの思想と、社会変革実践活動は深く結びついていたと考えなければならない。”
― 『イブン・アラビー学派文献目録』 「序論」 東長靖、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科附属イスラーム地域研究センター (2010)
790考える名無しさん2020/01/08(水) 01:27:26.090>>791
映画『シャルギー(東洋人)』が観れなかった人には、この本がある程度代わりになる。
著者は、映画の中で井筒の紹介の中心的役割を担っていたイラン人研究者。
“以前、私はテヘラン国際ブックフェアに行き、テヘラン大学出版社の展示室にあった諸々の本を見ていた。
いきなり、ハーメネイー師がブックフェアにいらっしゃり、視察していることに気付いた。
ハーメネイー師がテヘラン大学出版社の展示室に至った時、
井筒が書き、テヘラン大学出版社によって出版された『ザブザワーリーのヒクマ(叡智)の基礎』を彼は見た。
そして、彼は私に、なぜ井筒氏はイランに戻らないのかと尋ねた。(メヘディー・モハッゲグとの対談より)” 8章
“井筒とナスルは日本と東アジア研究所の設立のために、2,000冊から3,000冊の本を日本から購入し、哲学アカデミーの図書館へと納入させた。” 11章
― 『井筒俊彦の比較哲学:神的なものと社会的なものの争い』 バフマン・ザキプール、知泉書館 (2019)
791考える名無しさん2020/01/08(水) 01:27:59.780
>>790
ハーメネイー師はホメイニー師の後を継いだ現イランの最高指導者。
このナスルという人物は、マギル大学で一緒だった井筒をイラン王立哲学アカデミーへ誘った。
更に、哲学アカデミーでは井筒に東洋思想をやることを勧め、その結果の一つが『老子道徳経』の英訳。
792考える名無しさん2020/01/08(水) 01:28:40.680
S.H.ナスル 『イスラームの哲学者たち』 黒田寿郎、柏木英彦 訳、岩波書店 (1975)
これも良書。
793考える名無しさん2020/01/08(水) 01:29:42.890>>794
“井筒の東洋哲学は哲学の中心を欧州からアジアへ移すのに貢献するでしょう” ロバート・ウィスノスキー (カナダ イスラム学者)
“我々イラン人は日本人以上に井筒を高く評価しています” バフマン・ザキプール (イラン 哲学者)
“井筒の東洋哲学は、根底でいろんな宗教のおおもとのところで鳴り響いている和音みたいなものを取り出そうとした。
その響きには、構造、論理、論理を超えた何かがある。
世界中に分かれてお互いに対立し合う宗教も、おおもとまでたどっていくとあらゆる宗教が行き来できる。
イスラム教も仏教もいろんな宗教が自由に行き来できる領域を探ろうとした。” 中沢新一
― BS1スペシャル 「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」 20191108
794考える名無しさん2020/01/08(水) 01:31:01.870
>>793
『シャルギー(東洋人)』の中では、井筒がムスリムでないことにも言及されていた。
その一歩引いた視点からの考察が、イスラム世界でも高い評価を得ているとのこと。
そのことを踏まえた上で、このザキプールの評はパンチがある。
井筒が何をやったのかという説明としては、この中沢の評が一番的確。
795考える名無しさん2020/01/08(水) 03:23:26.210
『シャルギー(東洋人)』はイラン制作の2時間10分の映画だから、半分ぐらい寝るだろうと思っていたが、とんでもない。
100名以上の知識人によって、井筒の生涯と思想のディテール、イラン人から見た大東亜共栄圏の検証、昨今の国際政治の状況までもが、
神学と言語意味論(セマンティクス)と分析哲学を織り交ぜて語られる。
井筒のテクストと同じぐらい高度で緻密な内容を、毎秒字幕で読まされるわけだから、
メモを取る暇もないどころか、まばたきもしないようにして観なければならなかった。
796考える名無しさん2020/01/08(水) 03:26:34.410
井筒自身は政治を語らない人だったが、出演していた日本人研究者の一人は、
「井筒が政治について言及していてくれていたら、後の人はもっと楽になった」ということを言っていた。
それはそうだろう。哲学の世界で、前人未到の領域へ到達した人だから。
797考える名無しさん2020/01/08(水) 05:49:48.260>>798
>前人未到の領域へ到達した人
理解できる前人未到=超人
理解できない前人未到=キチガイ
だが超人は、キチガイを自分より遥か上の存在と見ている、おまえらが無能なだけ。
798考える名無しさん2020/01/09(木) 01:37:34.070
>>797
日本語でおk
799考える名無しさん2020/01/09(木) 02:05:53.470
イブン・アラビー(1165-1240)はムウタズィラ派やアシュアリー派といった思弁神学を批判し、神の名で呼ばれる以前の絶対無分節的無と、そこからの神の自己顕現(タッジャーリ)を策定した。
「思弁は諸存在物と結びついている」ため、その関係を断ち切り、思弁の垢から心を浄めるべく、タッジャーリを観照する場として「心」の機能を重視した。
参考:
相樂悠太 「理性と「理性の限界の向こう」:『マッカ開扉』にみるイブン・アラビーによる他説との知的対話」 『宗教研究 第93巻 396』 日本宗教学会(2019.12)
800考える名無しさん2020/01/09(木) 02:07:08.070
カントの理性批判とメイヤスーの切断論を合わせたようなことをやっている
801考える名無しさん2020/01/24(金) 15:34:52.300
幸運の恩恵を受けた者が、幸運の恩恵を受けられなかった者をどうバカにすることができよう。
アラー・アクバル!(神は偉大なり)
802考える名無しさん2020/01/29(水) 02:02:03.030
「老子」各種翻訳
・『老子』 小川環樹、高木智見、中公クラシックス (2005) 原文、書き下し、訳文
・『老子』 福永光司、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『老子』 蜂屋邦夫、岩波文庫 (2008) 原文、書き下し、訳文
・『老子道徳経(英文著作翻訳コレクション1)』 井筒俊彦、慶應義塾大学出版会 (2017) 原文、書き下し、訳文
・『老子 無知無欲のすすめ』 金谷治、講談社学術文庫 (1997) 原文、書き下し、訳文
・『エッセンシャルタオ 老子』 加島祥造、ちくま文庫 (2005) 原文、訳文
・『老子<全> 自在に生きる81章』 王明、地湧社 (2005) 原文、訳文
803考える名無しさん2020/01/29(水) 02:02:19.730
「荘子」各種翻訳
・『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 雑篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 内篇 [中国古典選]』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 外篇 [中国古典選] 上中下』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 雑篇 [中国古典選] 上下』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第1冊 内篇』 金谷治、岩波文庫 (1979) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第2冊 外篇』 金谷治、岩波文庫 (1979) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第3冊 外篇・雑篇』 金谷治、岩波文庫 (1982) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第4冊 雑篇』 金谷治、岩波文庫 (1983) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 全訳注 上下』 池田知久、講談社学術文庫 (2014) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 中国の古典 上下』 藤堂明保、池田知久、学研 (1983) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 全釈漢文大系 上下』 赤塚忠、集英社 (1980) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 1・2』 森三樹三郎、中公クラシックス (2001) 書き下し、訳文
・『荘子(中国の古典)』 野村茂夫、講談社 (1987) 抄訳、原文、書き下し、訳文、全体の1/3
・『荘子[中国の思想]』 岸陽子、徳間文庫 (2008) 抄訳、原文、書き下し、訳文
・『荘子 新訳』 岬龍一郎、PHP研究所 (2013) 抄訳、書き下し、訳文
・『荘子 ヒア・ナウ』 加島祥造、パルコエンタテインメント事業局 (2006) 抄訳、訳文
804考える名無しさん2020/01/29(水) 02:03:34.800
老荘的な語法は、絶対無、分節化/無分節化論、存在の解体構築論など、
井筒哲学の骨格ともいうべき大きなウェイトを占めているので、早めにやっておくのがいい。
805考える名無しさん2020/01/29(水) 02:04:10.950
ハイデガーやデリダの存在解体/再構築にあたる作業を、
荘子は分節化/無分節化(限定/無限定)という形でやっている。
“物を物としてあらしめる道は、物に対して限定を設けないが、物相互の間には限定があり、それを物の区別という。無限定な世界から有限の世界があらわれ、有限の世界がまた無限定の世界へと移ってゆく。”
“物物者。與物無際。而者有際者。所謂物際者也。不際之際。際之不際者也。(知北遊篇第二十二 6)”
― 『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
806考える名無しさん2020/01/29(水) 02:04:30.490>>814
次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。
ラカンはこれと同じ役割を「クッションの綴じ目 (ポワン・ド・キャピトン)」に例えた。(ラカン『無意識の形成物[上]』)
“そもそも道にはもともと境界などなく、ことばにはもともと固定した意味などない。そこから〔道がことばによって表象されるようになると〕区別が現れるようになった。”
“夫道未始有封。言未始有常。爲是而有畛也。(斉物論篇第二 5)”
― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
807考える名無しさん2020/01/29(水) 02:05:17.700
「無無無」が定立される箇所。
“有ということがあるし、無ということがある。またもともと「無ということ」はないということがある。またもともと「無ということはないということ」はないということがある。”
“有有也者。有無也者。有未始有無也者。有未始有夫未始有無也者。(斉物論篇第二 4)”
― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)
荘子は有ることと無いことの根源的前提を考えようとした。
解説は以下を参照。
『荘子 内篇(中国古典選 12)』 福永光司、朝日新聞社 (1978)
808考える名無しさん2020/01/29(水) 02:59:02.080>>816
>>173などは特に老荘的な表現。
玄
・《老子》第1章に〈玄のまた玄,衆妙の門〉とあるように,存在の根源にある幽遠にして神秘的なものをあらわす。
・微妙で奥深いこと。深遠なおもむき。
・玄の字は黒い糸を束ねた形で、かすかで見にくいところから天の色とされ、また北方の色とされた。
・赤または黄を含む黒色。
809考える名無しさん2020/02/07(金) 01:51:09.090
>>173
井筒の「存在-神-論(Onto-Theo-Logie)」は、
老荘+ハイデガーの現象学的存在論+デリダのロゴス中心主義の解体。
810考える名無しさん2020/02/07(金) 06:02:22.430
かす(微/幽)かで分かりにくい違いを見事に捌いて見せるからこそ玄人なのでわ?
811考える名無しさん2020/02/07(金) 06:39:29.850
603 :考える名無しさん:2016/01/24(日) 09:45:22.05 0
>>594
構造主義に関連して日本では、一時、ソスュールの「言語には差異しかない」
という発言を引用することが流行ったが、これはとても誤解を招きやすい表現
であり、記号論を理解する妨げにもなっていると思う。記号論としてより妥当
な表現をするなら、「弁別作用の働かない言葉は、物事を区別するのに役立た
ない」というべきだろう。そして、物事を区別するのに役立たない言葉は、
使われなくなるか、「役に立たないことが有用である」限りで使われるのである。
したがって、言葉は、弁別作用を獲得すること/失うことによって絶えず変化しているのである。その変化しつづける弁別作用を、やはり変化しつづけている自らの言葉を用いながら捉えることが、解釈の営みであり、記号論のプロセスなのである。
812考える名無しさん2020/02/07(金) 08:36:45.740
>>808は幽玄の玄
813考える名無しさん2020/02/07(金) 08:44:05.540
能の翁=神
金春禅竹『明宿集』における翁論(翁wikiより)
> 抑翁ノ妙体 根源ヲ尋ネタテマツレバ 天地開闢ノ初メヨリ出現シマシマシテ [中略] 垂跡ヲ知レバ 歴々分明ニマシマス
>
> (そもそも「翁」という神秘的な存在の根源を探究してみると、宇宙創造のはじまりからすでに出現していたものだということがわかる。 [中略] こういう神としての示現(垂迹)を知れば、ますますいろいろなことがわかってくる。)
814考える名無しさん2020/02/07(金) 08:45:02.830
>>806
>次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。
畛 ピンインzhěn ((文語文[昔の書き言葉])) (田の)畔道.
これを同じ発音の表現と比べて見るとすぐに分かるが、
「畛 ピンインzhěn」が表しているのは、「目が詰まっていること」
だから、境界として高く盛られた土が固められている様子を表して
いるのだろう。
缜(稹)ピンインzhěn
((文語文[昔の書き言葉])) 細かい,緻密である.
鬒(黰)ピンインzhěn
((文語文[昔の書き言葉])) (頭髪が)濃くて黒い.
815考える名無しさん2020/02/07(金) 08:53:24.270
さらに、この発音は、「真実」の「真」にも近い
真 ピンインzhēn
すると、「真実」の「真」は、「中実である」こと、すなわち、
「中身が詰まっている」ことを表していたのだろうと推測できる。
816考える名無しさん2020/02/13(木) 17:13:06.430
>>808
老荘に限らず中国思想だろうな
玄は「黒」「闇」などの意味を持つ
五行思想では「水」行が五方では「北」、五色では「黒」または「玄」となる
北方を守護する神を玄武という
817考える名無しさん2020/02/13(木) 18:05:10.220
「北(きた)」は、日本語では、「きたな(穢/汚)し」の「きた」でもある。
この場合、「~なし」が表現しているのは、程度の甚だしさであり、
「きた」は、英語で表現するなら"darkness"を表している。
818考える名無しさん2020/02/14(金) 00:53:30.790
>>814-817
お子様ランチのハンバーグではなく、つけあわせのコーンとパセリの批評かな?
819考える名無しさん2020/02/14(金) 01:00:50.450
「ぼくが知ってる漢字の話」?
820考える名無しさん2020/02/14(金) 09:08:23.100
>>816は、別の人ですね
私には、「きた(北)」は、表現としてよく分からないけど、
「ぼくが知ってる漢字」から推測してみると、「きた」の
「き」は、中国語の"qi(ピンイン表記)"に対応しているの
ではないかと思う。"qi(ピンイン表記)"は、「チィー」
と発音されて、「き」とは似ていないように思えるけど、
"qi(チィー)"と発音される漢字の多くは、日本語の発音
では、「き」と読まれている。
https://cjjc.weblio.jp/content/qì;
821考える名無しさん2020/02/14(金) 09:15:39.100
「きた」の「た」が、「ひな・た(日向)」や「かな・た(彼方)」の
ように方向としての「た(手)」を表していると想定してみると、
「きた(なし)」のように、「きた」は"darkness"を表現するように
用いられているのだから、"qi(チィー)"と発音される中国語の
表現のなかでも、「漆黒」の「漆 ピンインqī」辺りが有力候補
に挙がりそうな気がするけど、どうだろう。
822考える名無しさん2020/02/14(金) 09:17:49.120
ところで、「けた」と読まれる気多(けた)大社の「気多」は、
「きた(北)」とは無関係なのだろうか。
823考える名無しさん2020/02/14(金) 16:55:33.840
https://cjjc.weblio.jp/content/黑漆漆的
黑漆漆
状態詞
日本語訳真っ暗
対訳の関係部分同義関係
黑漆漆の概念の説明
日本語での説明 真っ暗[マックラ]
まったく暗く,何も見えないこと
824考える名無しさん2020/02/14(金) 21:49:53.120
>>820-822
邪魔だから語源板でやってこい
825考える名無しさん2020/02/18(火) 16:10:56.350
>>820で言っているキの音は「団音」、
>>821で言っている漆の字はシツの音で語頭は「尖音」、tsiツィのような音
中国語で両者の区別がなくなりどちらもqiチになったのは新しく、
ここ数百年の変化だ(尖団の合流と言う)
古代においては別の音として区別されていたので、qiの音で一律に語源を解くのは誤りだ
826考える名無しさん2020/02/18(火) 16:29:03.100
>古代においては別の音として区別されていたので、
>qiの音で一律に語源を解くのは誤りだ
『古代の日本語』が音韻変化に基づいて中国語から派生したと想定
するのなら、そのように「明確な誤りを指摘する」ことができるの
でしょう。ところが、現代の日本語を見れば、日本語は、英語の
表現を大々的に流用している。ところで、英語において、"l"と
"r"の発音、「b」と「v」の発音の区別は、はっきりしているが、
日本語において流用される場合、その区別は消失してしまう。
ここで私は、私が単にふと思いついた連想による推測が正しいと
主張しているわけではない。そうではなく、古代において中国語
で区別されていたという事実は、連想によって可能性を探る妨げ
にはまったくならないことを指摘しているまでです。
特に、「時系列」に囚われる考え方は、それ自体が罠に陥る
可能性が高い。というのも、それは、「系統論」的な考え方
を暗黙の規範として前提としているからだ。
827考える名無しさん2020/02/18(火) 16:41:21.060
「歴史的な中国語の変化」の研究が規範として存在し、それに照らして
見ると、「中国語から日本語が派生したとは考えられない」というのは
確かでしょう。中国語と日本語の間にもしそのような派生関係を裏付ける
音韻的な関係が存在するのなら、そのような関係はとっくに実証されて
いたはずだ。しかし、私が主張しているのは、そのようなことではない。
私は、日本語が中国語から派生したと言っているのではなく、日本語が
中国語の表現を「流用」することによって、つまり、中国語の規範を
離れて勝手な体系を作り上げることによって成立したと言っている。
その場合、流用された中国語の表現は、規範に則って中国語に合わせる
ように修正力が働くものではなく、もともとの発音がその時代の
権威ある中国語の規範を外れていたとしても、それを使う人々の間で
通用するように使われることによって規範化したことになる。
828考える名無しさん2020/02/18(火) 16:47:24.430
現代の日本語の表現において英語に由来する「外来語」の表現は極めて多いが、
その発音において英語としての弁別性が無視されているだけでなく、英語の発音
の規範どおりにそれが発音されても、英語を母語とする人々にはまったく意味を
成さない「和製英語」も数多く含まれている。
829考える名無しさん2020/02/18(火) 16:57:32.460
>tsiツィのような音中国語で両者の区別がなくなり
>どちらもqiチになったのは新しく
例えば、時代的変化、地域差を無視したとても大雑把な見方から、
スペイン語とポルトガル語を比べてみても、いずれの言語に
おいても"l"と"r"の区別は消失していないが、対応する言葉で
"l"と"r"が入れ替わっているものがある。時代的な変化を
研究することは、それ自体で重要でしょう。しかし、そのような
入れ替わりが生じたり、その発音が、それを母語としない人々
によって使われたときに区別が消失してしまうことがある
ことは、それ自体が「流用」について「可能性を探る」場合の
重要な手がかりとなる。
830考える名無しさん2020/02/18(火) 17:07:22.120
最初から留保をつけているとおり、
>私には、「きた(北)」は、表現としてよく分からない
しかし、それが「き(=dark)た(=side)」を表している可能性は
十分にあるだろうと思っている。ただし、「きた」が「暗さ」を
表すように用いられている表現は、「きた・なし」の他には
簡単に例が見当たらない。そこで、この「き」という発音の
用法にはどのような由来が考えられるのか、その可能性をオープンに
探っている。
831考える名無しさん2020/02/18(火) 18:21:22.860>>835
「気(qi/チ)」の発音と「漆(tsi/ツィ)」の発音が一緒に
日本語に取り込まれて「き」の発音において混同されて
用いられるようになったという証拠はどこにもない。
したがって、「きた(北)」の「き」が「漆(tsi/ツィ)」
に由来する可能性があるのではないかというのは、連想
によって根拠のない憶測を述べているに過ぎない。
ところで、日本語では、外来語であっても「チ」と「ツィ」
の発音を区別しない。だから、「ツィゴイネルワイゼン」
と書いても、「チゴイネルワイゼン」と発音されるし、
ギリシャ首相を務めた「アレクシス・ツィプラス」の場合
などは、どうせ日本語では発音が区別されないので、新聞
でも「チプラス」と表記していた。
「気(qi/チ)」と「漆(tsi/ツィ)」が同時に日本語に取り込ま
れたのであれば、「気(qi/チ)」は、「き」と発音される
ようになったのだから、「漆(tsi/ツィ)」も同じく「き」と
発音された可能性は排除できないだろうと思う。ただし、
繰り返すが、私は、実際にそうであったと主張しているわけで
はない。
832考える名無しさん2020/02/19(水) 01:37:43.980
>>826-831
井筒の本は読んだことがあるのか?
井筒がどこでそんな語源や音韻の話をしている?
833考える名無しさん2020/02/19(水) 13:16:44.310>>842
井筒の本は、「意識と本質」とか、全集の一部とかを読んだことがある。
井筒訳のコーランと解説本の「コーランを読む」も読んだことがある。
でも、内容はあまり覚えていないな。
834考える名無しさん2020/02/19(水) 13:26:41.010
>>826-831
中国語から現代日本語への「音の流用」などと言う現象は実際には起こっていない
それは言葉の歴史に反する
あなたの脳内でただ連想が起こったと言うだけ
系統の異なる言語の間の話だから、系統論が関係ないのは当たり前だ
835考える名無しさん2020/02/19(水) 13:42:22.250>>837
>>831
違う違う、全然違う
「気」は唐代の中古漢語音でキ、日本漢字音でもキ、
「漆」は中古音でツィッtsit、日本漢字音でシツ、
古代日本語のサ行は破擦音だったので、これは唐代の音をかなり忠実に写している
「漆」の音は中国北方では宋~元頃に後部の詰まる音(入声韻尾)を失いツィtsiとなる
中国北方で「気」キと「漆」ツィが共にチという音になり、区別がなくなったのは、
17世紀頃だろうと言われている。これが尖団の合流。
「気」をキと読む日本語の方が古い中国語の音を保存しているのだ
「気」をチと呼ぶようになった北方中国語の方が、新しく起こった音変化を反映しているのであり、
逆ではない
836考える名無しさん2020/02/19(水) 14:16:56.260
>中国語から現代日本語への「音の流用」
わざとだろうけど、私は「音の流用」なんてことは
どこにも書いてませんよ。
837考える名無しさん2020/02/19(水) 14:52:43.540>>840
>>835
中国語は、権威のある言葉として日本に入ってきたのだから、
中国語から直接に取り入れられたことが明らかである表現について、
その中国語と日本における漢語の対応関係があるのは当然のことでしょう。
それについて、中国語の系統学的な研究は重要であるし、
その知見に基づいた見解を明示的に書き込んでくれることは歓迎します。
私は、別に自分の連想によるちょっとした思い付きが間違っていない
などとは思っていないのです。ただし、中国大陸から入ってきた言葉
の日本語形成における利用の可能性を探る際に、中国語の系統学的な
研究は、探求の道を塞ぐ妨げとして用いられるべきではない。
というのは、古代において大陸から入ってきた「中国語」は、
現代に系統学的な研究において対象とされる「中国語」よりも
はるかに多様であったと考えられるからです。大陸からの言葉の
表現の流用として広く通用するようになっても、それが中国
大陸において中国語として通用しないなら、それが、大陸から
の言葉の流用であったことは忘れられ、権威のある「中国語」
として用いられる漢語との対比において、日本の現地の言葉
となる。そのような流用が生じることは、人々の接触において
自然なことであり、それについて、系統学的な研究は、あまりにも
盲目なのです。
838考える名無しさん2020/02/19(水) 15:12:25.120
発音の変化の系統学的な研究は、発音の変化をあたかも物理学的な
変化であるかのように扱いがちだが、発音は、表現のために用いら
れるので、どのように発音が変更されるかは、表現の意図と結び
ついている。
例えば、英語でもポルトガル語でも"l"によって表記される発音
が、日本語に移せば「ウ」または「オ」で表記される場合が
多くある。一時流行った、「アンビリバボー」というのが
一例である。もともとは、日本語において「アンビリーバブル」
と発音されるものとされていたが、語末の「ル」の発音が
英語を母語とする米国人の発音とかけ離れており、より
近い発音に聞こえるようにそのように変更されたのだろう。
では、日本語において、「ウ」または「オ」の発音は、"l"が
「ル」で表記される場合のような「ル」の発音に変化しうる
だろうか。そのように問うなら、普通は否定的な答えが
返ってくるだろう。
839考える名無しさん2020/02/19(水) 15:26:21.810
最近テレビで流れている不動産仲介会社のCMで、ブタのぬいぐるみが、
「エイブル」という社名を「エイブー」と発音し、それを女性が
「エイブル」と「きちんと発音する」ように訂正する内容のものがある。
これは、「アンビリバボー」をはじめ、英語から取り入れられた
外来語において「~ブル」という発音は誤りで、「~ブー」または
「~ボー」と発音するのが「正しい」とする風潮に抵抗するものだろう。
人は通用する規範が与えられると、それに過剰適応することがしばしば
あり、「エイブル」という固有の社名でも「エイボー」または「エイブー」
の方が正しいはずだと感じてしまう。だが、企業にとっては、自社の
社名は固有の名称なのだから、日本国内で営業している以上、英語として
の発音の一般的な正しさに適応しようとする必要などないのである。
だから、「エイブー」は誤った発音であり、「エイブル」が正しい
ことになる。ところで、逆に日本語は日本語としてきちんと発音しま
しょうという風潮になれば、「~ブー」または「~ボー」は、
「~ブル」だったのではないかという類推が働いて、もともと、
「~ブー」または「~ボー」であったものが、「~ブル」に訂正
されるという過剰適応が行われるようなことも、言葉の使用の変化
においては、常に生じる可能性があるのである。
840考える名無しさん2020/02/19(水) 17:08:04.020
>>837
意味不明。あなたはせいぜいここ数百年の間に起こった音変化を連想の素材にしているだけ
それを古代の多様な中国語と考えるのは事実に反する
事実を思考の妨げと考えるのなら、古代だのより古いだの言わなければいい
時系列に沿った事実の探求には、それなりの先人の科学的思考の蓄積があるのです
連想に基づいたポエムを書きちらしたいだけなら、科学と衝突するような言葉を使わなければいい
841考える名無しさん2020/02/19(水) 18:52:16.440
>時系列に沿った事実の探求には
それは、残された資料に見られる事実を推測により時系列で
互いに関係づけたものであって、それとは別の関係を排除する
ために利用できるようなものではないでしょう
842考える名無しさん2020/02/19(水) 23:15:16.730
>>833
読んでいる内に入らない
843考える名無しさん2020/02/20(木) 01:14:50.400
>>775のデブは、ルーミーを開いたこともないし、
学術に至っては、何を批判したらいいのか検討もつかない
844考える名無しさん2020/02/24(月) 09:55:18.960
人はよく「ま(目)ちが(違)ふ」から、手で触って「た(手)しかめ」ようとする。
845考える名無しさん2020/02/24(月) 10:06:59.240
「うたが(疑)ふ」という表現は、「うた+か(交)ふ」と分解して解釈する
ことができ、岩波古語辞典においてもそのように説明されている。
この「うた」が、「うた(歌)」や「うたた(転)」と共通していることも
岩波古語辞典で指摘されるとおりだろう。だが、そのことから、
「うたがひ」が「自分の気持ちをまっするに表現する意」を表して
いるとする同辞典の解釈は完全に誤っている。というのも、
既に別の機会に指摘したとおり、「うた(歌)」や「うたた(転)」の
「うた」自体が「う(≒表面)+た(≒(手などで)触れる)」として
さらに分解されるからである。
846考える名無しさん2020/02/24(月) 10:12:17.190
「う(≒表面)+た(≒(手などで)触れる)+か(交)ひ」は全体として、
フランス語で表現するなら、試行錯誤としての《tâtonnement》
を表している。実際、「うたがふ」という動詞の意味は、
フランス語の再帰表現、"se tâter"にほぼそのまま対応する
だけでなく、発音のイメージにも共通性を見ることができる。
https://www.larousse.fr/dictionnaires/francais/se_tâ;ter/76821
se tâter
Être indécis, s'interroger sur la conduite à tenir.
847考える名無しさん2020/03/06(金) 23:35:47.940
井筒は「ポスト構造主義の乗り越え」の必要性を説き、
自身もいくつかの例を断片的に示してはいたが、生前にその次のパラダイムを目にすることはなかった。
“構造主義(Structuralism)勃興以来、いわゆるポスト構造主義を経て、
今やそのポスト構造主義の彼方への乗り越えすら云々されております”
― 井筒俊彦 「言語哲学としての真言」 (1984年、高野山での講演)
848考える名無しさん2020/03/06(金) 23:36:09.630
今読み返してみると、『ルーミー語録』(1978)にはそのヒントがあるように思える。
井筒はルーミーの言語哲学を、そのピークにおいて行われる「ファナー(自我消融)」を通じた原始の実在体験と形象体験が再結晶化したものと説く。
このことには、ポスト構造主義(言語的転回)のピークからの実在論的転回(ポスト・ポスト構造主義)という、その後の哲学史的展開と重なるからだ。
849考える名無しさん2020/03/06(金) 23:36:34.740
『ルーミー語録』を軸に、井筒を原=ポストポスト構造主義者として読み直すことができる。
850考える名無しさん2020/03/06(金) 23:37:51.230>>913
ルーミー語録
・『ルーミー語録 (イスラーム古典叢書)』 井筒俊彦、岩波書店 (1978) 訳と解説
・『井筒俊彦著作集 11 ルーミー語録』 中央公論社 (1993) 訳と解説
・『井筒俊彦全集 5』 慶應義塾大学出版会 (2014) 解説のみ
851考える名無しさん2020/03/06(金) 23:39:14.150>>855>>859
この中では、ルーミー自身がハッラージュの「アナ・ル・ハック」(我こそは神)>>463、>>338
の解説をしているのだが、その真相というのがすごい。
一般的な一神教には二神は存在しないにしても、まだ神とそれ以外のもの(世界と人)が存在する。
スーフィズムの立場からすれば、これではまだ生ぬるいらしく、
神と我の対立状態すらも撤去して、神の絶対的な一者性を完成させるだという。謙虚さの極致として。
852考える名無しさん2020/03/06(金) 23:51:50.540
地球人の視点を持てば、木は命の源だ。クルアーンにもイチジクが出て来る。
不老長寿の実だそうだ。エデンの園で二人があそこを隠したのもイチジクの葉だ。
仏が悟りを開いたインド菩提樹も、クワ科イチジク属だ。
だから実はイチジクも剪定しないと、巨大な高木になる。
世界に広めよう、イチジクの実だ。
853考える名無しさん2020/03/06(金) 23:59:33.240
ちなみにイチジクの敵はカミキリムシだ。カミキリムシを寄せ付けない、コンパニオンプランツはビワだ。ビワの木は日本の木刀になる。世界にイチジクの実を広めたら、日本のビワの木の話も加えたい。そんなクルアーンが本当は必要なのだ。
854考える名無しさん2020/03/07(土) 00:29:11.090
>>852-853
邪魔
855考える名無しさん2020/03/07(土) 00:33:47.050
>>851
そうすると、この瞬間、外在的超越から内在的超越になるのかもしれない。
856考える名無しさん2020/03/07(土) 00:36:05.250>>876
他には、イブン・アラビーも内在的超越。存在一性論。
“絶対者そのものが絶対者〈超越者〉であるばかりでなく、絶対者自身が世界に対して世界のなかで〈自己開示〉する”
― 井筒俊彦 『スーフィズムと老荘思想(上)』 4章1部 (2019)
857考える名無しさん2020/03/07(土) 00:36:30.580
【外在的超越】
ユダヤ教、キリスト教、イスラム
↓
【内在的超越】
スーフィズム
・アル・ハッラージュ(858-922)
↓
・イブン・アラビー(1165-1240)
858考える名無しさん2020/03/07(土) 00:37:20.800>>860
すぐに良い例が見つからないのだが、外在的超越の神のイメージというのは、こういうもの。
神≠被造物であり、地球外生命体に例えられる。(もっと言えば宇宙外)
“Godは、人間と、血のつながりがない。全知全能で絶対的な存在。
これって、エイリアンみたいだと思う。
だって、知能が高くて、腕力が強くて、何を考えているかわからなくて、怒りっぽくて、地球外生命体だから。”
― 『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎、大澤真幸、講談社現代新書(2011)
859考える名無しさん2020/03/07(土) 00:37:26.830
>>851 神は母なる地球だ。地球の映像を見た事の無いボケの話は読まぬ様に気を付けたい。
860考える名無しさん2020/03/07(土) 00:38:07.990
>>858
それに対して、内在的超越は汎神論のイメージに近くなる。
861考える名無しさん2020/03/09(月) 02:46:14.970
>>857を拡張
内在的超越から汎神論への影響
【外在的超越】
ユダヤ教、キリスト教、イスラム
↓
【内在的超越】
スーフィズム
・アル・ハッラージュ(858-922)「アナ・ル・ハック(我こそは神)神と被造物の対立の撤去」
・イブン・アラビー(1165-1240)「存在一性論」
↓
スコラ学
・アッシジのフランチェスコ(1182-1226)「万物兄弟の思想」
・トマス・アクィナス(1225-1274)「神の世界内在」
・ニコラウス・クザーヌス(1401-1464)「極大と極小(神と被造物)の一致」
↓
ユダヤ哲学
・スピノザ(1632-1677)「神即自然」
862考える名無しさん2020/03/09(月) 03:21:01.170
内在
② [哲] 〔ドイツ Immanenz〕㋐ 神やイデアが現象(世界・個物)の内に本質として存在すること。 (大辞林 第三版の解説)
外在
[名](スル)外界に存在すること。また、ある事象の原因・理由などが、その事象の外にあること。「外在する原因」(デジタル大辞泉の解説)
863考える名無しさん2020/03/10(火) 01:45:41.770
キリスト教の場合は複雑で、聖書の神は外在的だが、イエスの受肉は、内在へ向かって降りてきている。
864考える名無しさん2020/03/11(水) 16:56:31.910
>>845-846
>Mais ce qu'il avait de bizarre, c'est que, de temps en temps,
il tâtonnait, se reprenait comme s'il eût manqué, et se dépitait
de n'a- voir plus la mème peine dans les doigts.<
Denis Diderot, "Le neveu de Rameau", p.49
865考える名無しさん2020/03/11(水) 16:57:59.790
誤:n'a- voir
正:n'avoir
866考える名無しさん2020/03/11(水) 17:53:28.760
遠くの雷はズドーンと落ちる感じがするが、近くの雷はドカンと落ちる
感じがする。英語の"thunder"とドイツ語の"Donner"の発音の違いには、
そのようなイメージの違いが反映されているだろうか。
ところで、フランス語で驚かすを意味する"étonner"も本来は、雷が
落ちる音と結び付いていたとのことである。その場合の雷の音は、
日本語の「ドーン」に相当するようなものだろうか。次のような
表現は、「壁ドン」(ネットよく見かける表現だだが、今回、検索して
みるまで、私はその用法を知らなかった)を連想させる。
>[...] au lieu qu'un financier fait retentir son appartement
et étonne toute sa rue.
Denis Diderot, "Le neveu de Rameau", p.37
この"étonner"の用法については、注に次のように記載されている。
>Le terme a encore le sens fort de《frapper comme un coup
de tonnerre》.<
867考える名無しさん2020/03/11(水) 17:56:05.520
ちなみに、日本語の古語では、現代の日本語の「ドカン」、「ドスン」、
「ドドーン」のような表現の「ド」に相当するのは、「ののしる」や
「の(宣)る」という表現に見られる「の」によって表記される発音である。
868考える名無しさん2020/03/11(水) 17:59:24.600
https://www.etymonline.com/search?q=thunder
thunder (n.)
mid-13c., from Old English þunor "thunder, thunderclap; the god Thor,
" from Proto-Germanic *thunraz (source also of Old Norse þorr, Old Frisian
thuner, Middle Dutch donre, Dutch donder, Old High German donar,
German Donner "thunder"), from PIE *(s)tene- "to resound, thunder"
(source also of Sanskrit tanayitnuh "thundering," Persian tundar
"thunder," Latin tonare "to thunder"). Swedish tordön is literally
"Thor's din." The unetymological -d- also is found in Dutch and
Icelandic versions of the word (compare sound (n.1)). Thunder-stick,
imagined word used by primitive peoples for "gun," attested from 1904.
869考える名無しさん2020/03/12(木) 00:30:34.900
千葉の『デッドライン』は現代の『ルーミー語録』といってもいい。
ルーミーの「ファナー(自我消融)」に対し、
千葉の場合は「偶然性」や「絶滅」がその自己解体や無化に相当する。
そうして経た実在体験を結晶化させたルーミーのテキストは「根源的形象世界」のものと呼ばれる。
870考える名無しさん2020/03/12(木) 00:30:50.730
『デッドライン』の読みどころ
千葉雅也@masayachiba
外在的な言語から内在的な言語へ。文学の言葉は内在的な言語。
午後3:14 ・ 2020年1月18日
哲学の概念を形象として、フィギュアとして取り扱うというのは『動きすぎてはいけない』から一貫する僕の思考スタイルで、その意味で、実は僕の哲学の仕事は不純なのです。だからこそ、阿部和重さんは『動きすぎてはいけない』はすでに小説的だと評してくださったのだと思う。
午後9:22 ・ 2020年2月7日
871考える名無しさん2020/03/12(木) 00:31:20.240
【形象】けいしょう
かたち。すがた。美学で、対象を観照(想像)して心の中に浮かび上がる、その対象のすがた。
872考える名無しさん2020/03/12(木) 00:34:07.750
『思想としての言語』 中島隆博、岩波書店 (2017)
小説にも出てくる千葉の先生で中国学の中島隆博が、この中で
重要な井筒論を書いていたいたりもする。
873考える名無しさん2020/03/15(日) 08:59:36.620
>Old High German donar, German Donner "thunder")
現代の日本語でも、叱るために大声で「どなり」つけることを
「雷を落とす」と表現するのだから、この例では、日本語とドイツ語は
発音においても、それが想起するイメージにおいてもとてもよく似ている。
874考える名無しさん2020/03/15(日) 14:08:42.780
ちばまさや?おはなしにならない
875考える名無しさん2020/03/20(金) 00:16:11.960
>>861の補足
・新プラトン主義(プロティノスの流出論)
・東方キリスト教
↓
↓
・スーフィズム
↓
↓
汎神論
・スピノザ(1632-1677)「神即自然」
・ゲーテ(1749-1832)ハーフェズの影響
・シェリング(1775-1854)
876考える名無しさん2020/03/20(金) 00:16:55.110>>878
>>858、>>856
創世神話の外在と内在
[外在] 天地(=世界、宇宙)を創る神
[内在] 天地から成る神、天地に成る神
“1:1 初めに、神は天地を創造された。
1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
1:16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。”
― 旧約 「創世記」 1:1-5、16
“天と地とが初めて分かれた開闢の時に、高天原に成り出でた神の名は、
天之御中主神(アメノナカヌシノカミ)、次にタカミムスヒノ神、次にカムムスヒノ神である。
この三柱の神は、皆単独の神として成り出でた神で、姿形を現されなかった。
次に国土がまだ若くて固まらず、水に浮いている脂のような状態で、水母のように漂っているとき、
葦の芽が泥沼の中から萌え出るように、萌えあがる力がやがて神と成ったのが、
ウマシアシカビヒコヂノ神であり、次にアメノトコタチノ神である。”
― 『古事記(上)』 「天地の初め」 次田真幸、講談社学術文庫 (1977)
877考える名無しさん2020/03/20(金) 00:17:26.490
このスレで特に関心を集めたのが>>645だったが、
井筒自身はそれほど頻繁には「外在/内在」という語を使っていない。
東西の神学のこうした整理は、大川の時代には既に確立されていて、
井筒にとっては自明のことだったのかもしれない。
井筒がよく使う「絶対一者からの自己展開」という表現は、内在型神学の特徴であり、
イブン・アラビーの先には、プロティノスの流出論にまで遡る。
878考える名無しさん2020/03/20(金) 00:17:53.080>>882
>>876
大川の解釈では、古事記は混沌から宇宙の生成へ、天地が自己展開していくものであり、
宇宙に内在する生命と力とが神として顕現するのだという。(cf.丸山眞男、本居宣長)
“この〔古事記本文冒頭の〕意味多き一節は、混沌Chaosが宇宙Cosmosに成り往く道筋を述べたものである。
古事記の世界観に就て注意すべき一事は、そが天地の創造を説かずして、天地の啓発、天地の開展を説く事である。
天御中主神は宇宙の根本生命、高皇産霊・神産霊〔高御産巣日・神産巣日〕の両神は宇宙の生成力の神格化である。
そは決して宇宙に超在する神にあらで、内在せる生命と力とが、神として顕現したのである。”
― 大川周明 『日本文明史』 p25 (臼杵陽『大川周明』青土社、2010、p220より孫引き)
879考える名無しさん2020/03/20(金) 00:19:27.360
この本には、井筒の話もよく出てくる。
臼杵陽 『大川周明』 青土社 (2010) p8
“竹内好「イスラム研究だけをとってみても、大川〔周明〕の業績は無視できないはずです。
かれの『回教概論』は、純粋の学術論文であって、日本のイスラム研究の最高水準だと思います。
日本帝国主義のアジア侵略と直接には何の関係もありません。」”
880考える名無しさん2020/03/20(金) 00:20:52.210
大橋良介 『京都学派と日本海軍:新史料「大島メモ」をめぐって』 PHP新書 (2001)
侵略戦争的性格が決定的で、反省されなければならないのは、この「大島メモ」周辺。
881考える名無しさん2020/03/20(金) 00:49:01.110
井筒俊彦×司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」より
<司馬>
大川周明というのは日本的右翼というよりも、
十九世紀のドイツ・ローマン派の日本的なあらわれの人だったのかもしれませんね。
サンスクリット語を勉強するうちに英国支配のインドに同化してゆく。イスラームも学んだそうですね。
<井筒>
そうです。大川周明が私に近づいてきて、私自身も彼に興味をもったのは、
彼がイスラームに対して本当に主体的な興味をもったひとだったからなんです。
知り合いになった頃、これからの日本はイスラームをやらなきゃ話にならない、
その便宜をはかるために自分はなんでもすると、私にはいっていました。
それで、オランダから『イスラミカ』という大業書と『アラビカ』という大業書、
つまりアラビア語基礎テクスト全部とイスラーム研究の手に入る限りの文献は全部集めて、
それをものすごいお金で買ったんです。それを東亜経済調査局の図書館に入れておいた。
ところが、誰も使う人がいないし、アラビア語のテクストを整理する人がいない。
私に「やってくれないか」というありがたい話で、アラビア語の本なんてあの頃は買えませんから、
倉庫に入り込んで毎日のように「整理」と称して、自分で読んでいたんです。
882考える名無しさん2020/03/21(土) 22:11:42.990
>>876、>>878
古事記の更に先
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1433071319/479-480
日本創世神話の原型『淮南子(えなんじ)』
・『淮南子:知の百科(中国の古典)』 池田知久 、講談社 (1989) 原文、書き下し、訳文
・『淮南子の思想:老荘的世界』 金谷治 、講談社学術文庫 (1992) 解説と部分訳
中国四川省イ族の創世神話「勒俄特依(ネウォテイ)」を全文紹介。
・『古事記以前』 工藤隆、大修館書店 (2011)
883考える名無しさん2020/03/21(土) 23:34:45.690
大川周明?wwwきもちわりいの読むな老害。
884考える名無しさん2020/03/22(日) 23:31:04.780
丸山眞男「大川周明は右翼の中でも最も西洋的教養の濃い、いわばバタ臭い方なのです」
885考える名無しさん2020/03/22(日) 23:41:21.480
工藤は>>882の中で、神話の強度を8段階のレベルに分けて説明している。
共同体の祭式の中での生きた神話のあり方を最高レベルの第1段階とすると、
原型性が薄まった『古事記』は第7段階、
文字と国家意思によって権威づけられる『日本書紀』などは第8段階のものだという。
886考える名無しさん2020/03/23(月) 00:53:15.190
馬鹿程
格付けがすき
887考える名無しさん2020/05/11(月) 00:21:13.210
>>820-822,826-831,845-846
二つの言語の間に見られるとんでもない発音の似寄りを持ってきて
それを自分の居場所にする人というのは、
ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの本にも出てくる。
いつの時代にもいるんだよ。
888考える名無しさん2020/06/13(土) 18:14:26.960
> 630 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/06/12(金) 00:16:44.20 0
> >>582
> 出たなピンイン太郎
カール・マルクス32
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1584534246/630-
889考える名無しさん2020/06/14(日) 00:33:27.640>>893
>いつの時代にもいるんだよ。
どこでもいつでもいるのなら、それが人の常になるということでわ
890考える名無しさん2020/06/14(日) 00:43:18.400
大辞林 第三版の解説
〘仏〙 密教の根本教義の一。阿字は宇宙の根源であり、本来不生不滅すなわち永遠に存在するということ。この真理を体得する時、人は大日如来と一体化すると説く。 → 阿字
891考える名無しさん2020/06/14(日) 00:47:21.280
あまてらす
892考える名無しさん2020/06/14(日) 01:20:58.830
大辞林 第三版の解説
梵語字母の第一字、およびそれによって表される音。密教では、阿字はすべての梵字に含まれており、すべての宇宙の事象にも阿字が不生不滅の根源として含まれていると考える
893考える名無しさん2020/06/14(日) 02:31:59.840
>>889
・最低限の知識を持つまでにも至らない奴
・輪廻から抜け出すことが出来ない奴
という話
894考える名無しさん2020/06/14(日) 06:41:19.040>>895
そういう人々がその都度、どのようにか意志の疎通を図っているということだろう
895考える名無しさん2020/06/14(日) 15:40:01.000
>>894
油を売っている暇があったら、先に読むべきものを読め
896考える名無しさん2020/06/14(日) 17:41:10.570
どうでもいい。自分の心配でもしていろ。
897考える名無しさん2020/06/14(日) 20:19:00.430>>899
読むべきものといえば、ようやくドン・キホーテを読み終わった。
といっても、前編の"El Ingenioso Hidalgo"の方だけだが。
いい加減な読み方をしても、それなりに大変なので、後編の
"Caballero"の方を読むのはまだ先のことになりそうだ。
値段が高いのでまだ入手してないし。それにどうせなら、
英訳を先に読んで理解をより深めてから、後編にとりかかった
方が賢明だろう。
898考える名無しさん2020/06/14(日) 20:37:44.750
"Independently published"とかいう、文字データを印刷して製本した
だけのよく分からない形式の本は、入手しやすいけど、好きではないな。
本という感じすらしない。
899考える名無しさん2020/06/14(日) 23:41:48.770
>>897
哲学が何をするものなのか知らないんだろ
900考える名無しさん2020/06/14(日) 23:49:42.460
車輪の再発明(しゃりんのさいはつめい、英: reinventing the wheel)とは、
「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を(知らずに、または意図的に無視して)再び一から作ること」を指すための慣用句。
Cambridgeの辞書では「誰かがすでに生み出した何かを自分で生み出そうとして時間を無駄にすること」といった解説を掲載している。
再発明を行ってしまう理由としては、「既存のものの存在を知らない」
「既存のものがあることを知っていたはずなのに、つい思い出しそこなった」
「既存のものを一応探したが、見つけそこなった」
「既存のものが意図的に隠されていた(時間を無駄遣いするように罠をかけられていた)」
「既存のものの意味を誤解している」などということがある。
901考える名無しさん2020/06/15(月) 01:17:30.580
車輪を自分で組んでみれば、車輪は一度発明されれば済むような単純なもの
ではないことがよく分かりますよ。路面は単に与えられているものではない
し、路面の起伏によってどのように車輪に加わる力を支え、振動を吸収しな
ければならないかが問題になり、路面の摩擦とそれに対する耐久性、
耐久性と振動吸収性能や滑りにくさの両立も図らなければならず、
車輪を駆動するためにどのように力を加えなければならないか、どのように
力を加えることが効率的であるかも考える必要がある。
902考える名無しさん2020/06/15(月) 01:25:39.850
路面が大きな石ころだらけの場合、車輪を使うことが効率的でないことも
多く、それでも車輪を使うとすれば、キャタピラとして構成する必要も
でてくる。キャタピラを構成することが可能になるには、その用法に
耐える強度の素材を開発することが要件となる。また、雪面や凍った
川や湖の上でも車輪は滑ってしまって役に立たないでしょう。
903考える名無しさん2020/06/15(月) 01:29:42.640
>>901-902
「既存のものの意味を誤解している」
車輪の話なら車輪板でやってこい
904考える名無しさん2020/06/15(月) 01:33:40.170
人の意図は既存のものではありませんよ?
905考える名無しさん2020/06/15(月) 01:36:07.070
人が車輪を使っていることは、車輪が発明されている/発明されていない
というような単純な問題ではないのです。
906考える名無しさん2020/06/15(月) 01:38:35.350
>>904-905
哲学的素養がまるでない
907考える名無しさん2020/06/15(月) 07:36:17.120>>908>>911
車輪の利用というのは、統治の問題なのですよ?
交通網を整備することが可能であるのか、道を整備するための労力は
どうするのか、その方が効率的なのか、それによって生じる防御の
の脆弱性はどうするのか、そういう問題です。
908考える名無しさん2020/06/15(月) 08:52:23.410>>910
>>907
車輪と道といったら、老子とハイデガーだよ。
そのどちらも知らないだろ。
ハイデガーの老子 『道徳経』 第11箴言
“三十の輻(や)が車輪中心の轂(こしき)に当たっている。
だが然し、それらの輻の中の空隙が、車輪の有を許し与えているのだ。〈略〉
有るものは、有用性を生ぜしめる。
有らざるものが、有を許し与えるのだ。”
― 『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』p47-48
909考える名無しさん2020/06/15(月) 08:53:15.890
マクガフィン=張り子の虎
910考える名無しさん2020/06/15(月) 08:59:14.990
>>908
ハイデガーも、老子を読んだんだろ
欧米のインテリは、孔孟には無関心だが、老子が大好きだからな
911考える名無しさん2020/06/16(火) 00:50:34.400
>>904-905、>>907
哲学のての字も分からない奴の回答だ
912考える名無しさん2020/06/16(火) 00:56:37.160
その上、頭も悪過ぎる
913考える名無しさん2020/06/25(木) 01:48:37.640
>>850
“一なるものの意識が(略)この上なく美しく崇高な意識として
あらわれるすがたを見たいのなら、イスラム教に目をむけねばならない。
たとえば、すぐれたペルシャ文学ジャラール・ウッ・ディン・ルーミー”
― ヘーゲル 『精神哲学(哲学の集大成・要綱 第3部)』 長谷川宏 訳、作品社 (2006)
914考える名無しさん2020/07/23(木) 13:15:10.420
ドゥンス・スコトゥスの「存在の一義性」関連
訳本
『存在の一義性:ヨーロッパ中世の形而上学』 ドゥンス・スコトゥス 著、八木雄二 訳註、知泉書館 (2019)
『存在の一義性:ペトルス・ロンバルドゥス命題註解』 ドゥンス・スコトゥス 著、花井一典、山内志朗 訳、哲学書房 (1989)
解説
『存在の一義性を求めて:ドゥンス・スコトゥスと13世紀の<知>の革命』 山内志朗 著、岩波書店 (2011)
『ドゥンス・スコトゥス:魅惑の中世』 野中幹隆 編、哲学書房 (1988)
915考える名無しさん2020/07/23(木) 13:15:36.880
山内はスコトゥス理解のために、アラビア語とイスラム哲学もやったと言っている
916考える名無しさん2020/07/24(金) 20:13:26.910
無駄
それを学んであの程度のことしかいえないんだから。
時間の無駄。
917考える名無しさん2020/07/24(金) 21:54:52.950
スコトゥスの「このもの性 haecceitas」を、ドゥルーズやメイヤスーを経由して、ポスト井筒的な存在-神-論にまで昇華させているのが千葉。
“世界とは、異なる此性をもつ複数の無の邂逅である。異質なる複数的な無の寄せ集めである”
― 千葉雅也 「此性をもつ無:メイヤスーから九鬼周造へ」 『現代思想 2017年1月臨時増刊号 特集=九鬼周造―偶然・いき・時間』
918考える名無しさん2020/07/24(金) 22:05:45.400>>919
いまどき、これせいとかww
あほか。
ほんまあたまわるいな。
そんな雑誌買う層がそもそもあほやけど。
919考える名無しさん2020/07/24(金) 22:33:29.880
>>918
では、代わりになるものを挙げてみろ
920考える名無しさん2020/07/24(金) 23:22:11.790>>921
メイヤスーを経由してる場合かよ。なんにも新しくない。
921考える名無しさん2020/07/24(金) 23:31:59.750
>>920
では、代わりになるものを挙げてみろ
922考える名無しさん2020/07/25(土) 13:35:06.430
井筒俊彦=アンビエント系音楽みたいな。
マッシヴさが殆ど無いというかw
安藤礼二が好きなんだろ。
923考える名無しさん2020/07/25(土) 13:48:25.340
植西あきらのほうがいいな。何十倍も売れてるし。
924考える名無しさん2020/07/25(土) 19:36:38.200
キッズたちは曼荼羅交響曲でも聴いてなさい
925考える名無しさん2020/09/08(火) 23:48:48.010
よくある説明としては、
現代が扱っている問題系も起源を辿ると、
少なくとも西洋思想史の中世ぐらいまで遡る。
中世のスコラ学の人たちは、イスラムをやっていた。
というのも、イスラムの人たちは、当時の西洋人も忘れていた
アリストテレスを読んでいたからで、
西洋がイスラムを介してアリストテレスを再導入して起こったのが、
ルネサンス(文芸復興)であるし、この辺で、自然と古代ギリシャなどもやるようになる。
926考える名無しさん2020/09/08(火) 23:49:08.320
キリスト教思想史の中で見ると…
平凡社
中世思想原典集成 1巻 初期ギリシア教父
中世思想原典集成 2巻 盛期ギリシア教父
中世思想原典集成 3巻 後期ギリシア教父・ビザンティン思想
中世思想原典集成 4巻 初期ラテン教父
中世思想原典集成 5巻 後期ラテン教父
中世思想原典集成 6巻 カロリング・ルネサンス
中世思想原典集成 7巻 前期スコラ学
中世思想原典集成 8巻 シャルトル学派
中世思想原典集成 9巻 サン=ヴィクトル学派
中世思想原典集成 10巻 修道院神学
中世思想原典集成 11巻 イスラーム哲学 ←←← この辺の話
中世思想原典集成 12巻 フランシスコ会学派
中世思想原典集成 13巻 盛期スコラ学
中世思想原典集成 14巻 トマス・アクィナス
中世思想原典集成 15巻 女性の神秘家
中世思想原典集成 16巻 ドイツ神秘思想
中世思想原典集成 17巻 中世末期の神秘思想
中世思想原典集成 18巻 後期スコラ学
中世思想原典集成 19巻 中世末期の言語・自然哲学
中世思想原典集成 20巻 近世のスコラ学
中世思想原典集成 別巻 中世思想史
927考える名無しさん2020/11/10(火) 02:50:11.360
『ゲンロン11』 (2020/9/23)
ゲンロンセミナー
「井筒俊彦を読みなおす――新しい東洋哲学のために」 安藤礼二+中島隆博
928考える名無しさん2020/11/10(火) 03:10:22.990>>930
Plastic Love
https://www.youtube.com/watch?v=c0tXxNsXWDg
Blinding Lights
https://www.youtube.com/watch?v=E22RKYWzZG4
https://tangodiario.com.ar/wp-content/uploads/2020/01/the-weeknd.jpg
929考える名無しさん2020/11/10(火) 03:11:07.410
このマッシヴさ
930考える名無しさん2020/11/10(火) 22:12:12.540
>>928
https://www.youtube.com/watch?v=4NRXx6U8ABQ&;t=28s
931考える名無しさん2020/12/20(日) 23:58:31.130
Sébastien Léger at the Great Pyramids
https://www.youtube.com/watch?v=SD6GDiyHmbE
932考える名無しさん2020/12/21(月) 00:01:12.520
『井筒俊彦ざんまい』 若松英輔、慶應義塾大学出版会 (2019)
若松英輔 知られざる井筒俊彦
井筒俊彦年譜
I――原点と回想
白井浩司 時代への批判者
柏木英彦 遠い日の井筒先生
松原秀一 つかずはなれず四十年
牧野信也 師としての井筒俊彦先生
丸山圭三郎 〈読む〉ということ
河合隼雄 井筒俊彦先生の思い出
安岡章太郎 あの頃の井筒先生
日野啓三 言い難く豊かな砂漠の人
佐伯彰一 求む、井筒俊彦伝――ポリグロットの素顔
瀬戸内寂聴 豪華な学者夫妻
立花 隆 職業選択を誤らなかった話
伊東俊太郎 井筒俊彦先生のこと
II――東西の出会い
福永光司 井筒俊彦先生とわたくし
高木訷元 乾坤は經籍の箱
長尾雅人 井筒さんの『起信論』哲学
森本公誠 井筒先生を東大寺にお迎えして
門脇佳吉 井筒先生の風貌と思想の源泉
栁瀬睦男 井筒氏の思い出
ナスロッラー・プールジャヴァーディー 井筒先生との最後の会見(1)(2)
ヘルマン・ランドルト 井筒俊彦を回想して
サイイド・ホセイン・ナスル 井筒俊彦の思い出
ナダール・アルダラン ことばに尽くせぬ思い出
933考える名無しさん2020/12/21(月) 00:01:43.480
関根正雄 井筒俊彦氏のこと
今道友信 少年時からの展景の中で
松本耿郎 井筒先生と『アラビア思想史』
江藤 淳 井筒先生の言語学概論
中村廣治郎 コーランと翻訳
山折哲雄 井筒訳『コーラン』の文体
黒田壽郎 井筒先生のアラブ・イスラーム研究
丸山圭三郎 井筒哲学における東西の出会い
安藤礼二 ディオニュソス的人間の肖像
合庭 惇 『イスラーム思想史の頃』ほか(全3編)
III――追 悼
司馬遼太郎 アラベスク――井筒俊彦氏を悼む
丸山圭三郎 追悼 井筒俊彦先生
遠藤周作 井筒俊彦先生を悼む
牧野信也 井筒俊彦先生の死を悼む
IV――継 承
池田晶子 『意識と本質』を読む
中沢新一 歴史とトランス――井筒俊彦先生のしぐさの記憶
河合隼雄 井筒哲学と心理療法
松永有慶 井筒マンダラ学の炯眼
安藤礼二 新たな時代の「東方」の哲学
澤井義次 エラノス会議と井筒哲学
互 盛央 井筒俊彦と丸山圭三郎――出会い、交錯した二人は、どこに向かったか
934考える名無しさん2020/12/21(月) 00:15:29.770
井筒「私は、元来は新古今が好きで、古今、新古今の思想的構造の意味論的研究を専門にやろうと思ったことさえあるくらいですから」
― 井筒俊彦×司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」
935考える名無しさん2020/12/21(月) 00:20:04.220
『百人一首の秘密:驚異の歌織物』 (1981)
『百人一首の世界 新装版』 (1986)
林直道、青木書店
百人一首をテーマ毎に10×10に並べると、一枚の大きな絵になるという話。
https://i.imgur.com/W9dU6hE.png
↓
https://i.imgur.com/qMTQvKq.png
↓
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/e0/3ce3c037d9c29a6376d9eee7d6a82edb.png
哲学の世界では丸山圭三郎が取りあげた(『丸山圭三郎著作集3』「言葉と無意識」)。
ソシュールのアナグラム研究と比較をして。
936考える名無しさん2020/12/22(火) 22:53:33.060
有名な歌が多く、百人一首の元になっている『古今和歌集』と『新古今和歌集』はペアでやる。
それより古い形になるのが『万葉集』。
迷ったら、この三つは、角川ソフィア文庫にあるものが、手軽で註もしっかりしている。
その他は、講談社学術文庫、新潮日本古典集成など。
937考える名無しさん2021/02/24(水) 19:35:17.800
飯山陽がボロクソに言ってるのがちょっとなあ
そりゃイスラム研究者とイスラム哲学を叩き台にした言語哲学者じゃ土俵が違うだろ
938考える名無しさん2021/02/25(木) 02:05:44.580>>939
中身が分かっているようには思えない。
井筒が取り扱った話題は、確かに、密教や神秘主義と呼ばれるものだけど、
そうしたものを、今日の哲学用語を使って、
何語を話す人にも分かる言語や意識の営みとして解明してみせたわけだ。
海外の学者も言っているように、井筒のやっていることは分析哲学だよ。
939考える名無しさん2021/02/25(木) 23:14:41.500
>>938
こういうのね
https://twitter.com/iiyamaakari/status/1197042724366536705
https://twitter.com/iiyamaakari/status/1192626323031613441
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
940考える名無しさん2021/02/25(木) 23:21:09.300
酷いレベルだな
941考える名無しさん2021/02/26(金) 07:57:28.820
とんでもないクソスレになってるw
942考える名無しさん2021/04/14(水) 21:12:46.370
『ペルシア帝国』 青木健、講談社現代新書 (2020)
943考える名無しさん2021/04/14(水) 21:13:28.090
マニ『シャープラカーン』の一節
“神の使者は、いつの時代にも、絶えることなく叡智と御業をもたらした。
その到来は、あるときはインドでブッダの姿となり、またあるときは、
ペルシャでゾロアスターの姿となり、西方ではイエスの姿となって顕現した。
神の啓示は、今やこの預言の中で、本当の神からバベルの国に遣わされた使者である私、マニの姿下された”
― フレデリック・ルノワール 『仏教と西洋の出会い』 今枝由郎、富樫瓔子 訳、トランスビュー (2010) p24
944し ◆OXsdnjx68E 2021/04/14(水) 21:28:40.890
松尾残党、
945し ◆OXsdnjx68E 2021/04/14(水) 21:29:01.100
松尾残党、ここまで来て
946し ◆OXsdnjx68E 2021/04/14(水) 21:32:29.610
市川さん
947考える名無しさん2021/04/15(木) 08:59:19.770
【盗聴盗撮犯罪者・色川高志がしつこく嫌がらせを継続】
色川高志(葛飾区青戸6-23-21ハイツニュー青戸103号室)
●色川高志「清水婆婆の息子の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
龍神連合五代目総長・清水婆婆の息子(葛飾区青戸6-23-19)の挑発
●清水婆婆の息子「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
492盗聴盗撮犯罪者色川高志(青戸6-23-21ハイツニュー青戸1032021/02/03(水) 13:53:22.55ID:QtP78E4Z
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父の逮捕を要請します」
色川高志(盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6-23-21ハイツニュー青戸103号室
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父
高添沼田ハゲエロ老義父の住所=東京都葛飾区青戸6-26-6
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 ℡03ー3607ー0110
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6-23-19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。
948考える名無しさん2021/05/20(木) 06:44:36.710
このお方こそは、巨匠と呼ぶに値する
949考える名無しさん2021/06/23(水) 00:09:49.200>>950
『原典完訳 アヴェスタ:ゾロアスター教の聖典』 野田恵剛 訳、国書刊行会 (2020)
この"国書刊行会"というのは、あの"国書刊行会"!
950考える名無しさん2021/06/23(水) 00:10:26.180
>>943、>>949
青木健 『ペルシア帝国』 講談社現代新書 (2020)
青木健 『古代オリエントの宗教』 講談社現代新書 (2012)
青木健 『マニ教』 講談社選書メチエ (2010)
青木健 『アーリア人』 講談社選書メチエ (2009)
青木健 『ゾロアスター教』 講談社選書メチエ (2008)
951考える名無しさん2021/06/23(水) 00:15:37.400
青木健は元々はイスラム神秘主義の専門家らしいね。
その周縁的な仕事ばかりをやっているように見えたけど、
実はそれはあることの裏返しなのだという。
『ペルシア帝国』で触れられていた。
952考える名無しさん2021/07/09(金) 12:51:54.510
①身体への自分の同一化をすてる
②精神への自分の同一化をすてる
③魂への自分の同一化をすてる
953考える名無しさん2021/08/04(水) 09:41:11.570
中世イスラム哲学こそ、哲学の最盛期
954考える名無しさん2021/08/04(水) 09:41:32.610
ヨーロッパの哲学は受け売り
955考える名無しさん2021/11/26(金) 21:03:49.410
age
956考える名無しさん2022/03/24(木) 14:09:39.320
この人てまだ生きてんのん?
957考える名無しさん2022/03/24(木) 20:24:50.360
じゃーーーっっぷ
958考える名無しさん2022/04/17(日) 06:41:16.010
井筒がイスラームにカミカゼ教えたようなところがあるような
959考える名無しさん2022/04/17(日) 06:42:13.270
あいつエラノスとか神秘主義好きだし、すぐに分かるような感じではないかもだけど
960考える名無しさん2022/04/17(日) 06:46:14.960
井筒、かなり詳しいし、ゲームとかに教えてた気もするんだ
全然位相(ジャンル)が違うから、それに隠れて
961考える名無しさん2022/04/17(日) 06:48:16.300
エラノス会議のユングとか、読んだ感じがマンガに近いよね
962考える名無しさん2022/05/17(火) 12:09:53.560
あと、FFのプログラマのナーシャ・ジベリとか
イラン出身だっけ?