2022/07/28

現代の「イラン的イスラム」哲学におけるコ ルバンと井筒の役割に関する導入的比較研 究:ハイデガーからマシニョンまで エフサン・シャリーアティー 翻訳:景山 洋平

国際哲学別冊7.indd

現代の「イラン的イスラム」哲学におけるコ
ルバンと井筒の役割に関する導入的比較研
究:ハイデガーからマシニョンまで
エフサン・シャリーアティー
翻訳:景山 洋平 
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現代の「イラン的イスラム」哲学におけるコルバンと井筒の役割に関する導入的比較研究:ハイデガーからマシニョンまで 
 
 
 エフサン・シャリーアティー翻訳:景山 洋平 
 
 アンリ・コルバンは、真剣な検討を改めて受けてしかるべき現代世界の精神的な哲学者たちのなかでも、特に、(大陸ヨーロッパにおける)現代西洋哲学と(イランとイスラム世界、特にシーア派における)東洋哲学との架橋に仕える現象学的=解釈学的な系譜との比較哲学1(と神秘主義)の領域に位置づけられる。一方では、このフランスの哲学者はドイツの哲学的言語のエキスパートであり、マルティン・ハイデガーの二つの作品をはじめてフランス語に翻訳した人物である。ただし、その一方で、同時に、中世の傑出した歴史家のエティエンヌ・ジルソンの弟子として、そして、プロテスタント神学者であるジャン・バルージの弟子として、そして、最終的に、(1928 年以後は)ルイ・マシニョンの指導のもとに、コルバンは、イスラム世界とシーア派における精神哲学、神秘主義、そしてスーフィズムへと転換した。初めてイブン・アラービーに熱中した後、コルバンはシャブン・アル=ディン=スフラワルディ(1191 年没)とそのヒクマート・アル=イシュラク(曙の神智学あるいは東洋の神智学)の再読にことさらに取り組んだ。その後、彼は、ミルダマードや、ムラ・サドラと彼のヒクマート・モターリアー(至高の神智学)といった、他のそれほど知られていないイランの神智学者を、体系的な仕方で世界に紹介する仕事を始めた。自らが被った「西洋における追放」から逃れつつ、コルバンは東洋(ソフラワルディが意図した意味で)を探究し、それを、パルシア(またはイラン)の中心にして標準を定める地の内に、ある種の「観念」(イメージ)として見いだした。コルバンのイラン来訪とその著作は、イスラム文化の内で育てられたイランの哲学的な知識人世代に影響を与えたが、それは特に、彼ら ― アフマド・ファルディッド、ダルユシュ・シャイェガン、レザ・ダーワリといった人びと ― に自らを認識させる事を通じてその自信を増大させたからなのだ。彼は、世界中で、共通したパースペクティブを持つ他の人びとにも影響を与えた。フランスで、彼はイランにおけるイスラム哲学と神秘主義の伝統を紹介し、そして、彼の作品はクリスチャン・ジャンベのような新世代の哲学者まで惹き付けた。日本とそして世界的に見ても傑出した哲学上の人物でありまたイスラム学者でもあった井筒俊彦は、明らかにコルバンの影響の下に、比較哲学研究に転向し、イブン・アラービーの知的遺産と道教の教説を比較する作業をおこなった。イランとイスラム世界に関する彼の研究の集成は、今日でも真剣な注意を向けられる(そして今なお批判と研究を受ける)主題である。 
 コルバンがハイデガーから学んだ重要(*** )な教訓は、現存在の実存が自ら自身に関する現存在の生き生きと歩み抜かれる了解(解釈)によって形成されることである。ハイデガーが『日本の友人との対話(言語についての対話)』2で自らの過去の知的成長について指摘するように、ハイデガーは長きに渡り、若い時分の初期の神学研究を通して、ディルタイによる「解釈学」概念の理解に親しんできた。ハイデガーの目的は、ロゴスにおける啓示が可能となる領域を打ち開くことである3。だが、ハイデガーと違い、コルバンは、この解釈学の鍵ないし解釈の方法を、実=存と地平的超越に則して有限性へと深く方向づけられたフライブルクの巨匠の世界観とは異なる他の目的に用いる。則ち、コルバンは、この解釈学の鍵を、「観念」の世界として知られるある他の世界(「観念」の世界、「どこにもない領野、マラクート、ホルクエリアあるいはスフラワルディの『第八の風土』」4)を開くのに使用したのだが、この世界は必ずしも死に方向づけられたものでなく、むしろ、死とは反対側ないし「その彼方に」あるものである。コルバンの見解では、ナスット(自然あるいは経験的与件の感覚知覚)とジャバルート(理性の世界ないし天界の純粋な理性の諸範疇)の領域の中間に位置づけられたマラクートの領域(天使の世界)は、人間の魂ないし「プシュケー」が持つ架橋的な圏域である。つまり、それは、二種の運動によって他の二つの圏域を結合する「能動的想像力」の領野である。ハイデガーの解き明かしえぬ問いに、その方法論的には解釈学的な道行きにおいて応答すると、コルバンの現象学は「霊的解釈」ないし公教的なものの秘教的なものへの差し向けに依拠するもの、つまり、(ハイデガーの被暴露性と同じく)隠されたものの露呈、そして、シーア派の神智学者による「覆いを取り去られたもの」5(カシュフ・アル=マージュブ、ア‒レーテイア)としての真理観に依拠している。 
 (アンリ・ベルクソンと彼の持続ないしデュレの理論の後では)ハイデガー思想の魅力は ― 彼の思想と「言語」に加えて ― 「時間」に関して彼が新しい概念を提示したことによるものである。ハイデガーは、時間を、将来から生成する統一された全体として描出すると同時に(、将来に仕えるところの)過去の伝統の取り戻しの方途としても描き出したのだが、これは極めて革新的なものであった。ハイデガーの言葉でいうと歴史的時代の進展はいかなる必然的な論理的で先行的に構造化された進歩の系列ももつものでないのだが、これは、ヘーゲルによる単線的な進歩の観念とは全く反対のものである。明らかに、こうした時間と歴史の概念は、ある側面ではイスラム的な時間概念の理解に類似している。マシニョンはクルアーンの「時間と空間」の概念を
「瞬間」と「点」の銀河系(milky way)として記述したものである6。 
 ヘーゲルの歴史哲学に対するハイデガーの批判に影響を受けつつ、コルバ
ンは、「歴史学的(historique)」の語とは異なる古いフランス語の単語「歴史的 (historial)」を蘇らせ、そうすることで、「経験的な意味で歴史的」(存在者的概念)と「運命としての歴史」ないしは《生起として歴史的(geschichtlich)》(存在論的概念)を区別しようとした。彼は、ハイデガー哲学における歴史性と地平的超越の領域を、垂直に上昇する霊的にして神聖な「形而上学」の一種へと転化させた(とはいえ、それはハイデガーが否定的な意味で考えた「形而上学」としてではない)。 
 近代的主観性に対するハイデガーの根本的批判は、芸術(詩作)への期待に尊厳を回復してその再生に道を開く。その際、詩作は、伝統を回復し、更には聖なるものの帰還を準備するという目的に、そして、将来せる神の到来のための基盤を準備することとしての瞑想的思索にも仕えるのである。この思索の隠れた源泉は、キリスト教神秘主義(エックハルトなど)に由来するよりむしろ、道教的伝統を戴く東洋の叡智のテキストとその翻訳を徹底して読み抜いたことにより深い根を持つものである7。とはいえ、神学者 ― 特にキルケゴール的な傾向を持った神学者 ― との真剣な対話への彼の信念にもかかわらず、そして、カール・バルト(1968 年没)のような人物の思想を熟知して、ルドルフ・ブルトマンのような人物の思想にハイデガー自身が影響を与えたにもかかわらず、彼は自らの作品が「神学的」に読まれることを許容しなかったし(例えば、ジルソンが企てた新トマス主義的なアプローチによってキリスト教哲学を構築する試み)、そうした企てを、彼が方法論的に無神論的と見なした哲学の徹底した問いの営為と両立しないものと考えた。彼のなかば神秘主義的な傾向、あるいは、特に芸術と詩作の領野における「聖なるもの(heilige)」への着目は、「宗教的」ないし「神学的」神秘主義と性格づけられるものではない(たとえ他方で、サルトルの著作がそうでありうるような意味では、彼の思想が非神学的ないし無神論的とは性格づけられえないにせよ)。この分野でいうとウィトゲンシュタインと似た仕方で、ハイデガーは、「語りえぬものについては沈黙しなければならない」と信じていたように思われる。しかるに、たとえ哲学の営為の方法論に限定されるとしても、こうしたタイプの不可知論的懐疑主義がコルバンの霊的な渇きを癒せない事は明白である。中世のイスラム教とキリスト教の哲学史に関するジルソンの知識から学ぶことによって、コルバンはマシニョンのような人物の情熱に影響を受けたのだ。そして、そのマシニョンは、生ける神性に向かうハラージュの叡智の変容する道のりに、実存的な仕方で、また生きられた経験において、随従したのであるが、その一方で、心根の底から感得する思索の方法を追ってサルマン・パルーシの足跡を辿りもしたのである(クルアーンの用語を使うなら「心情による思索」である)。 
 マシニョンの思想に拠り所を求めることにより、コルバンは、イラン的イスラムの秘教主義ないし霊性と神秘主義(スーフィズム)への包括的なアプローチを採用した(論考「サルマン・パルーシー:イラン的イスラムの最初の霊的開花 1934 年まで」の表題におけるこの概念を参照せよ)。サルマン・エ・パク(そして、マスダ教からキリスト教を経てイスラムとシーア派に至る彼の霊的発展)は、そうしたアプローチとイランおよびイスラムの霊性と神秘主義を典型的に代表している。 
 だが、師と弟子の間にはいくつかの点で相違点がある8。 
― 第一に、イスラム世界へのマシニョンのアプローチは常に宗教的・神秘的なものと社会的・歴史的なものの二つのアスペクトを合同させるものである。他方で、コルバンは、世界中の他の霊的伝統との対話を打ち立てるためにメタ歴史的な領域を探究していた。こうした違いは、神秘主義と社会的コミットメントの関係に関する二つの異なるタイプをこの両人が抱くことへと繋がった。 
― 両者の第二の違いは、イランのシーア派の長所と短所に関する評価と批判への両者の感受性にある。 
― 第三の違いは、イブン・アラービーの知的遺産、特に、存在の統一の教説に関する彼らの評価にある。 
マシニョンは、初期の直感的な神秘主義と比べて、後期の理論的(ないし存在に定位する)神秘主義が、新プラトン主義哲学9がキリスト教化されたもの(則ち、流出論)と混合されてきたと疑った。この場合、直感的に霊魂に根ざした「情熱」はギリシア的な本性(ロゴス)の範疇的・心理的な思想の一種に変身させられてしまう恐れがあり、そうして、宇宙論から倫理学的哲学・政治学にいたる多様な領野における自然的・知的・批判的な理論的営為に対する懐疑主義と延期のせいで、― ニーチェ的な言葉を使うと ― ギリシア人の自然な喜ばしき(gay)性格から受益することもなくなるのである。 
 一方で、マシニョンは、存在の統一の教説を、多様の統一という意味での一神教とは技術的に同一視できない、多神教的本性を持った実存的一元論のある形式として記述した。他方で、彼は、神秘主義の領域において知的=理論的アプローチが過剰に用いられることは、― 語のキルケゴール的な意味において ― 宗教的な諸概念から、その悲劇的=逆説的な深さを奪い取ってしまうと信じた。 
 最後に、マシニョンはスーフィズムの世界からの隠遁と社会からの隔離には馴染むことがなかったが、それだけでなく、彼は、民衆と被造物に対する社会的責任の感覚の内に、聖なるものへの信仰と愛の対応物を見た。だが、彼の哲学的な嗜好と修養過程の結果として、彼は、イブン・アラービーの神秘主義的遺産の理論的な(そしてプラトン的な)アスペクトを、特に、能動的想像力に関する彼の理論的営為を高く評価した。彼は、公教的一神論(アラー以外に神はなし)の反対物として、秘教的一神論(存在の内にはアラー以外に何も無い)を存在の統一と同一のものと考え10、そして、一元論との批判を拒絶した。コルバンは、聖なるものと伝説的歴史を社会学的歴史主義に還元することを避けたし、政治的事象に表だった関心を示すことはなかっ
た。 
 アブラハムの諸宗教において、「人格化された(道徳的な)神」の概念は、形象的に、人間との対話的関係を設立するための基盤となってきた。イクバル・ラフーリの言葉で言うと、「神の擬人的な概念は、生の理解にとって避けがたいものである… 理想的人格のこうした類型的表象は、クルアーンの神概念の最も根本的な要素の一つである。」11  だが、コルバンの見解では、一神論の公教的形式は、逆説的にも、二つの潜在的な奈落に陥る危険に曝されている。一方では、「同化」(キリスト教の受肉論のような受肉による擬人観)の危険がある。他方では、「棄権」(抽象的不可知論)の脅威にも直面している12。秘教的一神論は、これらの異端の二つの奈落をすり抜ける細い小道を歩んでゆく。 
 人格化された親密な神に関するイスラムの(理論的な)神秘主義的概念と、東洋の叡智の、つまり道教と仏教の伝統における存在論的な聖性のリアリティとの間に対話的関係を打ち立てることは、神学ないしは否定の道(否定神学)のある形式を採用することによって、(今日残念ながらアブラハムの諸国と息子たちの間で行き渡っている)神性の擬人的概念を純化することに貢献するかもしれない。他方で、人は、存在に関して人びとが抱いたさまざまな超越的領域を統合することにおけるイスラム世界とイランの霊的=神秘主義的な経験を、後期井筒が採用したアプローチからインスピレーションを受けることによって、極東の文化と精神性に紹介し、そうして、文明のこの圏域におけるありうべき無自覚の欠点に光を当てることができるだろう。 
 キリスト教の受肉の原理ないし教説に立ち臨んで、キリスト教の神秘家は、否定神学に依拠することにより、神の概念をコスモス的な聖なる存在者へと拡張する事を求めた。反対に、イスラム教の神秘家は、イスラムの神性の絶対的な抽象化と一性の原理に対して、クルアーンに記述されている神の人格化された形象と属性を強調する冒険を行った。 
 他方で、極東の存在論的で非・擬人観的な神秘主義(特に道教に結晶化されたものだが)は、明らかに、エックハルトの否定神学、ハイデガーの存在論、そして、イブン・アラービーにおける存在の(至高の)一性とある親和性を持っている。『スーフィズムと道教』において、井筒教授は、極東の存在論的神秘主義とイブン・アラービーの思想のありうべき親和性と比較について語っている。 
 とにかく、今日の我々の世界は、これまで以上に、ある平静さ(ゲラッセンハイト)を必要としており、そして、このグローバルな霊的対話において、東洋の叡智は、「末人」(凡庸な俗人)の使用の為に、思考を挑発する省察へと導くのである。だが、後期の井筒が指摘する通り、そうした対話の予備的条件は、共通の言語的基盤をもつことである13。この種の対話と秘教的・対話的なコミュニケーションの運命は、井筒の三肢に分節化された理論における共時的構造の東洋的記号学のうちに見いだされる、(哲学的な)東洋とその共通言語である。その井筒の理論は次のように構成される。1:同一性と無矛盾の原理に基づけられていて、判明に分離した、本質(意味と本性)の世界;2:宗教的・神秘的瞑想と修練、また、世界の脱構築や世界との意識の最初の邂逅によって獲得された知識の「否定」ないしはその構造的分節の完全な欠如;3:意識のこのゼロ点から出発することによる、「非=存在」、則ち神秘的で聖なるもの、あるいは一者の無媒介の自己分節を、新しく分節化して習得する新たな形式の再生。この段階では、万物は瞬くように現出して、柔軟かつ透明に相互浸透する。第二の段階では、経験をさらに深めることによって、言語の創造的で魔術的な形式が、誰の意味論的エネルギーが「絶対無分節者」の内にそれまで隠されていたかを語り出す。 
 コルバンと連帯しつつ、井筒は、意識と存在(本質)のこの深層領域を「オリエント」と呼び、道教、仏教における「現象の空無(vacuum of phenomena)」、ブラーフマー、スーフィズムにおける「神聖なる名」、ユダヤのカバラーにおける生命(セフィロト)等のさまざまな東洋的伝統の分析を引き受ける。そして、これらを、メルロ=ポンティ、ドゥルーズ、デリダといった現代の人物の作品に照らして評価する。 
 デリダの原=エクリチュールや原=痕跡は、井筒による第二段階の脱構築的分節と等しいものであり、これは、第一段階の分節の脱構築の後に来るものである。この段階では、「絶対無分節者」を通じて14、言語は終末論的な「散種」を始める。これは、デリダが「差異(différence)」の綴りの「e」を「差延(différAnce)」の「a」に変え、そうして、言語の差異化と遅延の両機能を指し示すモチーフないし能動的な名辞と転じさせたのと同じ仕方である。 
 場合によっては間違いも起こすであろう意味の似た語のこうした比較探究は、コルバンと井筒の批判的方法の特徴的性格に属するものであり、そこでは、混合主義を避ける為に、それぞれの概念はただ適切性の方法を適用するなかで各々のシステムにおいてのみ理解される。たとえ、こうした仕方で、異なる思想システムの間の比較が可能になるとしても。 
 結びの言葉として、次のことを指摘したい。いかなる文明と宗教に由来するにせよ、世界のあらゆる東洋人の共通の秘教的・霊的な方向が同一であるならば ― コルバンと井筒の両者に捧げて ― コルバンの有名なモットーを引用することは不適切ではあるまい。 
「世界の東洋人よ、団結せよ!」 
 
原註 
1 マッソン―ウルセル以来の「比較的方法論」については:see H.CORBIN,  
«Philosophie iranienne et philosophie comparée», Téhéran: Académie de Philosophie, 1976 , trad.pers., S. J.Tabatabai, p. 20  
 
2 GA12, 91 
3 P.Arjakovsky, F.Fédier, H.France-Lanord, Le Dictionnaire M.Heidegger, art. «Herméneutique», Paris: Cerf, 2013, p.60 ٣; + GREISCH, J., « Ontologie et temporalité », Paris :PUF, 1994 
4 七つの地理的風土という古い概念を見よ。そこでは、世界が七つの等しい円環に分割される。 
5 See Fadai Mehrabani, M., "Istâdan dar ân Suye marg" (stand beyond death, responses of H. 
Corbin to Heidegger in perspective of the Shiite philosophy), Tehran: Ney, 2012 
6 「機会論者であって、顕在的な『作用』における以外には神聖な因果性を知らないイスラムにとっては、ただ瞬間のみが存在する。hîn (Q. 21, III ;...), ân (Q. 16, 22), 瞬
き(clin d’œil )」;「それ故、時間は連続する『持続』ではなく、瞬間の『銀河系』の布置である(同様に、空間も存在しない。ただ点のみが存在する。)」; L.MASSIGNON, « Le 
temps dans la pensée islamique » (Eranos, XX, 1952, pp.141-148), in Opera Minora de L.M., tome II, 1963, p. 606 Voir aussi: IQBAL, Muhammad, The reconstruction of religious thought in Islam, London: Oxford UP, 1934, rep. A.P.P., 1986, pp. 73 sq. (III.The Conception of God). 
7 Cf. Reinhard May, „Ex oriente lux: Heideggers Werk unter ostasiatischem Einfluss“, 
Stuttgart: Steiner Verlag Wiesbaden; Eng. Trans. Parkes, Graham, Heidegger's Hidden 
Sources: East Asian Influences on His Work, Routledge, 1996 ; voir aussi LÖWITH, Karl, «Remarques sur la différence entre Orient et Occident», in Rev. «Le philosophoire, Labo. de philo.», N°41 (printemps 2014), Paris: Vrin, pp. 181-127 
8 JAMBET, Ch., «Le soufisme entre L.Massignon et H.Corbin », in «Le Caché et l’Apparent», Paris l’Herne, 2003, p. 145 sq. ; + Opera Minora de L.M., tome II, 1963, Mystique musulmane et mystique chrétienne au Moyen Age, pp.480 sq. (Monisme testimonial/Monisme existentiel) 
9 Ibid., t. II, 1963, P.481 
10 Corbin, H., Le paradoe du monothéisme, Paris: l’Herne, 1981, pp. 14, 19 
11 IQBAL, M., ibid.,  pp.59, 63 
12 Corbin, 1981, ibid., p. 101, De la nécessité de l’angéloloie 
13 「… 私がこの研究を始めたのは、アンリ・コルバン教授が『メタ歴史学における対話』と呼んだものが現代世界の状況でなにか緊急に必要とされているものだという確信にうながされてのことである。人間性の歴史のいかなる段階においてであれ、世界の諸国民のあいだの相互理解への必要が、我々の時代より強く感じられたことはなかった。『相互理解』は実現可能であろう ― あるいは少なくとも、理解可能である ― 生の異なる諸次元において。哲学的水準がそのうちでもっとも重要なものの一つである… この省察は、メタ歴史学的対話の可能性に関する極めて重要な方法論的問題へと我々を導く。その問題は、共通の言語体系の必要である。これは、正に「対話」の概念こそが二人の対話者の共通の言語の存在を前提するがゆえに、ひとえに当然の事
である。」T. IZUTSU, Sufism and Taoism: A Comparative Study of Key 
Philosophical Concepts, Berkeley: Univ. of California Press, 1983, pp.469, 471 14 Cf. M.Dalissier, S.Nagai, Y.Sugimura, « Philosophie japonaise, Le néant, le monde et le corps», Paris : Vrin, 2013, p.362-364