2022/05/06

内村鑑三 悲しみの使徒 (岩波新書) | 若松 英輔 | 宗教入門 | Kindleストア | Amazon

内村鑑三 悲しみの使徒 (岩波新書) | 若松 英輔 | 宗教入門 | Kindleストア | Amazon


内村鑑三 悲しみの使徒 (岩波新書) Kindle版
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All for God──神の道と人の道,「不敬事件」と妻の死,義戦と非戦,そして娘の死と,激しいうねりのなかを生きたこのキリスト者は,自らの弱さを知るからこそ,どこまでも敬虔であろうとした.同時代の多くの人を惹きつけ,『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』『代表的日本人』等の著作に今も響きつづける,その霊性を読み解く.



本の長さ

218ページ
言語

日本語



















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販売: 株式会社 岩波書店
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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)
All for God―「不敬事件」、妻と娘の死、非戦、無教会、再臨と、激しいうねりを生きたキリスト者、内村鑑三。彼は、自らの弱さと不完全さを知るからこそ、どこまでも敬虔であろうとした。同時代の人々を惹きつけ、『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』等の著作に今も響きつづけるその霊性を、深みにおいてとらえなおす。 --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
若松/英輔
1968年新潟県生まれ。批評家・随筆家。慶應義塾大学文学部仏文科卒。「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選。『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』にて第2回西脇順三郎学術賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。


登録情報
ASIN ‏ : ‎ B07BVZ1NQB
出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2018/1/19)
発売日 ‏ : ‎ 2018/1/19
言語 ‏ : ‎ 日本語
ファイルサイズ ‏ : ‎ 2907 KB
Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) ‏ : ‎ 有効
X-Ray ‏ : ‎ 有効にされていません
Word Wise ‏ : ‎ 有効にされていません
本の長さ ‏ : ‎ 218ページAmazon 売れ筋ランキング: - 181,105位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)- 849位宗教入門 (Kindleストア)
- 1,459位岩波新書
- 1,565位宗教入門 (本)カスタマーレビュー:
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若松 英輔



1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。東京工業大学リベラルアーツ教育研究院教授。

2007 年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14 回三田文学新人賞受賞。

2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』にて第2回西脇順三郎学術賞受賞。

2018年詩集『見えない涙』で第33回詩歌文学館賞を受賞。

2018年、『小林秀雄 美しい花』で角川財団学芸賞を受賞。

2019年、『小林秀雄 美しい花』で蓮如賞を受賞。

著書に『井筒俊彦 叡知の哲学』(慶応義塾大学出版会)、『生きる哲学』(文春新書)、『霊性の哲学』(角川選書)、『悲しみの秘義』(ナナロク社)、『イエス伝』(中央公論新社)『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)『言葉の贈り物』『弱さのちから』(亜紀書房)など。



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ぱすと〜る

ベスト1000レビュアー
5つ星のうち5.0 悲と無、内村による福音2018年11月19日に日本でレビュー済み
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 悲しみとはなんだろうか。慈悲という言葉があるように、悲しみには慈しみという意味がある。悲母とは、愛に満ちた母のことだ。悲しみと慈しみというふたつの意味があるのではない。人への慈しみがなければ、その人とのかかわりの中で悲しみは生じない。その人の悲しみを感じなければ、慈しみは湧き出て来ない。

 「生者が死者を悼むのではなく、死者が生者を悼み続け、そのはたらきによって生者が支えられている。死者の悼むちからが、生者を支えている。それが内村の実感だった」(p.155)。

 死者が生者を悲しむ。しかし、その悲しみが生者を慈しみ養ってくれるのだ。

 「彼にとって死者の経験は、祈りの挫折の経験であり、また、その深化の出来事でもあった。愛する者にふたたび健やかなる日を、という祈りは聞き入れられることはなかった。しかし、愛する者よ、永遠なれ、という真なる祈りは、自分が感じているよりもずっとたしかに実現されている、と内村は感じている」(p.156)。

 この者を癒してください、救ってくださいとせつに祈ったが、内村の妻は死んだ。神は祈りを聞いてくれなかった。なんと大きな悲しみか。祈りは挫折した。しかし、妻が永遠のいのちにあることを思うとき、それは、なんと大きな慈しみか。祈りは深められた。神とのつながり、妻とのつながりが深化した。

 「内村にとって霊性の深化は、苦痛の経験を経ることによって実現される。キリスト者であろうとすることは、可能な限りキリストの苦しみを感じ、生きてみることだと内村は信じている。再臨運動とは、神が苦しみつつあることへの目覚めを強く促す動きだったといってもよい」(p.169)。「内村にとってキリストの道を生きるとは、他者の痛みを『私』の痛みとして感じようと試みることでもあった」(p.170)。

「苦痛」が「慈しみ」と重なりあうとき、「悲しみ」となる。著者が内村を「悲しみの使徒」と呼んだゆえんだ。

 「再臨」とは何だろうか。

 「福音を信じ得ない者にまでも、贖いの恩寵が光のごとく、万人にあまねくそそがれるとき、それが内村にとっての再臨の日だった・・・再臨のとき、人と神はすでに道によって隔たれてはいない。そこに宗教が入る余地はない。宗教がその使命を終え、消えゆくこと、その実現こそ、内村が自ら使命と信じたことだったのである」(p.180)。

 「万人にあまねくそそがれる恩寵の光」こそが「悲しみ」である。それに満ちた世界には、もはや宗教はない。人が神を隔てるものはない。

 「無教会」とはこの展望のことではなかろうか。「英語でいうnon-churchというよりも、既存の教会のあり方を超えて、beyond-churchと理解した方がよいように思われる」(p.209)。

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ナンダ

5つ星のうち5.0 愛する者の死は天からの恩寵2022年1月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
無教会主義とほかのプロテスタントとはなにが異なるのか。妻と娘を亡くした内村鑑三はそれをどう自分の人生と信仰のなかに位置づけているのかを知りたかった。若松英輔氏はとくに2点目の「死」について語る人だ。
 内村は最初の結婚の直後、「不敬事件」で病で倒れた。内村が健康をとりもどしたと同時に妻は亡くなる。結婚生活は2年に満たなかった。
 生きる気力や意味を失い、神に祈ることもなくなった。
 だがそのうち、「願い」は、自分のおもいを神に届けようとすることであり、「祈り」は神の声を聴くことであると気づく。
 祈れないとき−−自分のおもいでいっぱいのとき−−神は、祈れるときに勝る恩寵をもって人間を包む……と若松は記す。恩寵とは、神の国、死の国との回路が開かれることだ。
「余の愛するものは生涯の目的を達せしものなり。彼の宇宙は小なりし、されどもその小宇宙は彼を霊化し、彼を最大宇宙に導くの階段となれり」
「彼」とは亡妻のことだ。彼女は若くして逝ったが、人生の役割を果たしたのだと確信する。
 妻の死によって、国・宇宙・神を喪失したかに思えたが、実はそれらとより深く交わるための道程だった。死とは、心の次元においては新たな交わりのはじまりであると内村は実感した。
 たしかに、愛する人の死は、人の世を超越するなにかを感じさせてくれる。「何らかの役割」をまっとうして旅立ったのだとは思えるような気がする。
 死者の世界は愛する人が待つ「家」である。この世に生きるとは、疲れを癒やす家路を歩くことにほかならない、と内村は記した。
 内村はその後再婚するが娘が19歳で死んでしまう。
 このときのは「もっともつらき日であると共にもっとも恵まれた日」と感じた。愛する者の死は天の国の距離を縮めてくれる。生者は、死者を感じようとする熱情によって「聖国」からの風を感じる。だからそこに詩が生まれる。詩はたぶん「天の国」の風音を聴くことで生まれる。
 普通のプロテスタントは、死者のために祈ることは禁じられているが、無教会派の伝道者たちは死者の臨在を語りつづけた。詩情が豊かであることも、無教会の人々の特徴だという。内村没後、指導的な役割を担った矢内原忠雄も妻に先立たれ、しばしば死者を語った。

 我が心は愛する者と共にある、
 彼天に召されし後、我が心も天にある。
 年経れど、古びず、
 いやまさる新しき輝きに、
 彼はほほえみつつ天に生きる。

 藤井武も妻を喪った。死を「終わり」ではなく「霊性の完成」の道程であると考えた。

 死者の「命令」に従うことで内村は「再臨運動」もはじめた。
 死別は「肉」の次元においては別離だが、「霊」においては出会いの約束であるという実感をもとに、「再臨の日に、すべての死者は新生する」と信じた。
 イエスは姿を消したのではない。私たちの目に「隠れている」だけで、今もこの世を照らしている。キリストの再臨はすでにはじまっているが、人間はそれを認識できていないだけだと信じた。
 内村自身も矢内原ら弟子たちも、個々が預言者であらねばならないという自覚があった。若松は内村について「遅れてきたイエスの直弟子である使徒の一人だったのではないだろうか」と記す。
 無教会とは、教会という現世の権威を経由することなく、個々の人間が生ける神との交わりを経験しようとする試みだったという。
 聖書を「読む」とは、それを字義的に解釈するよりも、言葉をもたらしたキリストと向き合うことだ。同様に、内村の書物を読んでも彼が見つづけたものを見失っては、彼との対話はうまくいかない。人間を超える何かを自らの人生に招き入れなければならないという。

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araya taro

5つ星のうち5.0 内村の思想と言葉が心を揺さぶる2018年9月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内村鑑三の思想と言葉を読み解きながらその生涯を辿った一冊。霊性(信仰に対する態度)を浮き彫りにしていくことで、内村にとっての基督教が見出されていきます。
妻や娘の死の悲しみを内村はどう乗り越えたのか、悲しみを意味あるものと捉えた第2章死者には最も心を動かすものがありました。人間的には不完全だった内村の元を去っていった多くの弟子たち、師弟の数々の逸話も興味深いものでした。
基督教に対する自分なりの信念を持って生涯を貫いた内村。その思想と言葉は世代を超えて我々に訴えかけるものがあることを本書は教えてくれます。著者の胸に迫る文章にも引き付けられました。

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老虎翁

5つ星のうち5.0 若松英輔さんの評論が内村鑑三に命を吹き込んでいる。2018年2月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
若松英輔さんの文章が素晴らしい。
内村鑑三の霊性がよみがえり手に取るように表現されている。
はっとして読み返してしまう文章が続く。
若松英輔さんの他の評論を検索して読みだしてしまった。

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Giovanni

5つ星のうち5.0 「今ここ」に現前する内村の霊性2018年1月31日に日本でレビュー済み

 「日本的キリスト教」を確立したとされる内村の「霊性」が、いかに普遍的な深みへと達していたのかが、内村と弟子たちとの濃密な交流をたどる中で、とてもわかりやすい言葉で浮き彫りにされていく好著です。

 単なる評伝や近代日本思想史ではなく、「今ここ」に生きる私たちにとって、内村の霊性が有する意義が、ありありと浮かび上がってきます。

 教科書に出てくる、真面目ではあるがさほど自分とは関係がない人物として内村を見ている人は、本書を読んで、内村という人物が、自分の心に強く訴えかける新鮮な言葉を多く残している人物だということに気づき、魅了されること間違いありません。

 岩波新書で最近続々と刊行されてきたキリスト教思想シリーズ(大貫隆『聖書の読み方』、青野太潮『パウロ 十字架の使徒』、赤江達也『矢内原忠雄 戦争と知識人の使命』、徳善義和『マルティン・ルター:ことばに生きた改革者』、出村和彦『アウグスティヌス 「心」の哲学者』、山本芳久『トマス・アクィナス 理性と神秘』)の掉尾を飾るにふさわしい、長く読み継がれていくであろう渾身の一冊です。

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K

5つ星のうち5.0 内村鑑三と祈り2018年5月24日に日本でレビュー済み

本書は内村鑑三の生涯をゆるやかにたどりながら、「回心」「入信」「死者」「非戦」「再臨」「訣別」「宇宙」という七つの鍵言語を章立てにして書き綴られている。本書の中で著者は、内村の一生を不断の「回心の生涯」と語っているが、これらの章立ても内村の「回心」の歴史にそったものである。著者は年譜的事実などの外的時間を導き糸にしながらも、精神の刻印として残された内村の「言葉」をまなざすことで、むしろ内村鑑三の生の変容という、異なる次元の時間を描き出そうとする。章を新たにするたびに読者は、内村において「死者論」「非戦論」「再臨論」が互いに折り重なるようにしてその深度を深めて行くさまをまざまざと感じるだろう。

だが本書は内村鑑三という特異な個性を安易に祀り上げるような姿勢からはほど遠い。実際、章をまたぐたびにその存在感を大きくしてゆくのは、内村の持続する「回心」を支えたさまざまな他者、および超越者のはたらきなのである。多くの弱さをもあわせ持っていた内村が、いかにして他者と深くつながり、超越の働く場となったのか。以下に引くのは、第四章「再臨」の中の一節である。

「内村における再臨論を考えるとき、その原点として見過ごしてはならないのは、彼による持続する祈りの経験である。また、祈りのちからの発見だといってもよい。信仰の結実においてもっとも重要なのは説得ではなく、見えないところで行われる祈りであることに彼〔内村〕は気が付く。〔…〕自らの信仰を深めるだけでなく、信じ得ない者たちのために祈れというのである。」

この言葉は本書そのものの主調低音であるといってよい。本書の中で著者は、内村の生涯を彼個人の歴史としてではなく、彼をめぐるさまざまな人々を含む、より広い無教会の力動性そのものから問い直そうとする。そこで読者が目撃するのは、互いの「見えないところで行われる祈り」によって確かにひびきあう無教会の運動の生々しい現場である。先の引用の少し後には次のような一節が続いている。内村の生涯を素手でたどる著者の眼差しは、その強烈な個性に惑わされることなく、まっすぐにこの稀代の宗教者の裸形に肉薄していく。

「内村にとって霊性の深化は、苦痛の経験を経ることによって実現される。キリスト者であろうとすることは、可能な限りキリストの苦しみを感じ、生きてみることだと内村は信じている。」

ともすれば単なる賞賛になりかねない内村の生涯の偉大さを著者は、むしろその苦痛と祈りの深さのうちに見る。「祈りは、神の「声」を聴くことである〔…〕神の声を聴こうとする者は、まず自らのおもいを鎮め、沈黙を招き入れなくてはならない」と著者が言うように、「苦痛」や「祈り」の中においてこそ人は、最も近く他者や超越者と共にありうるからである。その意味で、本書で描かれる内村鑑三は、決してただの偶像ではない。人々を魅せると同時に、人々と衝突せざるを得ない自分の個性を前に、自ら深く悩み、静かに祈るひとりの人間の姿なのである。

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ドラミ

5つ星のうち2.0 選書ミスをしてしまいました2018年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は失敗でした。信仰書だと思い込んで買ったのですが著者が全く別の視点で書いているので2頁位読んでやめました。内村鑑三の著書は何冊も読み同じクリスチャンの大先輩として大きな力を受けています。題名からして気付くべきでした。

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우치무라 칸조 슬픔의 사도 (이와나미 신서) Kindle 판
와카마츠 에이스케  (작가)  형식: 킨들 에디션
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All for God──하느님의 길과 사람의 길, '불경사건'과 아내의 죽음, 의전과 비전, 그리고 딸의 죽음과 격렬한 파도 속에서 살았던 이 그리스도인은 자신의 약점을 알기 때문에 어디까지나 경건할 것이라고 했다. 동시대의 많은 사람을 끌어들여, 「여는 어떻게 그리스도 신도가 될 수 있을까」 「대표적 일본인」등의 저작에 지금도 울려 퍼지는, 그 영성을 읽는다.
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상품 설명
내용(「BOOK」데이터베이스에서)
All for God―'불경사건', 아내와 딸의 죽음, 비전, 무교회, 재림과 격렬한 굴곡을 살아온 그리스도인, 우치무라 감삼. 그는 자신의 약점과 불완전함을 알기 때문에 어디까지나 경건할 것이라고 했다. 동시대의 사람들을 끌어당겨, 『여는 어떻게 그리스도 신도가 될 수 있을까』등의 저작에 지금도 울려 퍼지는 그 영성을, 깊이에서 파악한다. --이 텍스트는 paperback_shinsho 버전과 연관되어 있습니다.
저자 약력 (「BOOK 저자 소개 정보」에서)
와카마츠/영스케
1968년 니가타현 출생. 비평가·수필가. 게이오 대학교 문학부 불문과 졸업. 「에치치 호오와 그 시대 구도의 문학」에서 제14회 미타 문학 신인상 평론 부문 당선. "지치의 시학 고바야시 히데오와 이통 슌히코" 에서 제 2 회 니시와키 쥰 사부로 학술상 수상 있습니다.
등록정보
ASIA ‏: ‎ B071N1N
출판사‏ : ‎이와나미 서점 (2018/1/19)
발매일 ‏ ‎ ‎ 2018/1/19
언어 ‏ : ‎일본어
파일 크기 ‏ : ‎ 2907 KB
Text-to-Speech(텍스트 읽기 기능) ‏ ‎有効
X-Ray ‏ ‎ ‎Enabled
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와카마츠 에이스케
1968년 니가타현 출생. 비평가, 수필가. 도쿄 공업 대학 리버럴 아트 교육 연구원 교수.

2007년 「에치치 호오와 그 시대 구도의 문학」에서 제14회 미타 문학 신인상 수상.

2016년 「지치의 시학 고바야시 히데오와 이통 슌히코」에서 제2회 니시와키 준사부로 학술상 수상.

2018년 시집『보이지 않는 눈물』로 제33회 시가문학관상을 수상.

2018년 『고바야시 히데오 아름다운 꽃』에서 카도카와 재단 학예상을 수상.

2019년 『고바야시 히데오 아름다운 꽃』에서 연꽃상을 수상.

저서에 『이통 슌히코 지치의 철학』(게이오 요시카쿠대학 출판회), 『사는 철학』(문춘 신서), 『영성의 철학』(카도카와 선서), 『슬픔의 비의』(나나록사), 『예수 덴」(중앙 공론 신사) '안개 그분 스가 아츠코'(슈에이샤) '말의 선물' '약점 뒤에서'(아키 서방) 등.

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별 5개 중 5.0 슬픔, 우치무라의 복음
2018년 11월 19일에 확인함
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 슬픔이란 무엇일까. 자비라는 말이 있듯이 슬픔에는 자비라는 의미가 있다. 비모란 사랑이 가득한 어머니를 말한다. 슬픔과 자비라는 두 가지 의미가 있는 것은 아니다. 사람에 대한 자비가 없으면 그 사람과의 관계 속에서 슬픔은 생기지 않는다. 그 사람의 슬픔을 느끼지 않으면 자비는 솟아나오지 않는다.

 “생자가 죽은 자를 혐오하는 것이 아니라, 죽은 자가 생자를 계속 흠뻑 빠졌고, 그 일은 생명을 지지하고 있다. "(p.155).

 죽은 자가 생자를 슬퍼한다. 그러나 그 슬픔이 생자를 자비롭게 먹여주는 것이다.

 “그에게 죽은 자의 경험은 기도의 좌절의 경험이었고, 그 심화의 사건이기도 했다. , 영원해지라는 참된 기도는 자신이 느끼는 것보다 훨씬 분명히 실현되고 있다고 우치무라는 느끼고 있다”(p.156).

 이 사람을 치유해 주시고 구원해 주시고 기도했지만 우치무라의 아내는 죽었다. 하나님은 기도를 들어주지 않았다. 얼마나 큰 슬픔? 기도는 좌절했다. 그러나 아내가 영원한 생명에 있다는 것을 생각할 때, 그것은 얼마나 큰 자비인가? 기도는 깊어졌다. 하나님과의 연결, 아내와의 연결이 심화되었다.

 “우치무라에게 있어서 영성의 심화는 고통의 경험을 거쳐 실현된다. 재림운동이란 하나님이 고통받고 있는 것에 대한 각성을 강하게 촉구하는 움직임이었다고 할 수 있다”(p.169). “우치무라에게 그리스도의 길을 사는 것은 다른 사람의 아픔을 '나'의 아픔으로 느끼려고 하기도 했다”(p.170).

「고통」이 「자애」와 겹칠 때, 「슬픔」이 된다. 저자가 우치무라를 '슬픔의 사도'라고 불렀다.

 「재림」이란 무엇일까.

 “복음을 믿을 수 없는 자에게까지도, 구속의 은총이 빛과 같이, 만명에게 부끄러워질 때, 그것이 우치무라에게 있어서의 재림의 날이었다···재림의 때, 사람과 신은 이미 길 에 의해 분리되어 있지 않다. 거기에 종교가 들어갈 여지는 없다.종교가 그 사명을 끝내고, 사라지는 것, 그 실현이야말로, 우치무라가 스스로 사명이라고 믿은 것이었다”(p.180).

 '만인에게 부러워하는 은총의 빛'이야말로 '슬픔'이다. 그것으로 가득 찬 세계에는 더 이상 종교가 없다. 사람이 하나님을 분리하는 것은 없다.

 「무교회」란 이 전망의 것이 아닐까. “영어로 말하는 non-church라기보다는 기존 교회의 본연의 길을 넘어 beyond-church라고 이해하는 것이 좋을 것 같다”(p.209).
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별 5개 중 5.0 사랑하는 자의 죽음은 하늘로부터의 은총
2022년 1월 23일에 확인함
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무교회주의와 다른 개신교와는 무엇이 다른가. 아내와 딸을 잃은 우치무라 감삼은 그것을 어떻게 자신의 인생과 신앙 속에 자리매김하고 있는지 알고 싶었다. 와카마츠 에이스케씨는 특히 두 번째 '죽음'에 대해 말하는 사람이다.
 우치무라는 첫 결혼 직후 '불경사건'으로 병으로 쓰러졌다. 우치무라가 건강을 되찾았을 때 아내는 사망한다. 결혼 생활은 2년에 못 미쳤다.
 사는 기력과 의미를 잃고 하나님께 기도하는 일도 없어졌다.
 하지만 그 중 '소원'은 자신의 추억을 하나님께 전달하려고 하는 것이며, '기도'는 하나님의 목소리를 듣는 것임을 깨닫는다.
 기도할 수 없을 때--자신의 추억으로 가득 찼을 때--하느님은 기도할 때에 이기는 은총으로 인간을 감싼다......와 와카마츠는 적는다. 은총이란 하나님의 나라, 죽음의 나라와의 회로가 열리는 것이다.
"여러분의 사랑하는 것은 평생의 목적을 이루게 되는 것이다. 그의 우주는 작아지고, 그 소우주는 그를 영화하고 그를 최대 우주로 인도하는 계단이 될 수 있다.
" 유부녀의 일이다. 그녀는 어린 나이가 되었지만 인생의 역할을 했다고 확신한다.
 아내의 죽음으로 나라·우주·신을 상실했는지 생각했지만, 실은 그들과 보다 깊게 교제하기 위한 방법이었다. 죽음은 마음의 차원에서 새로운 교제의 시작이라고 내촌은 실감했다.
 분명히, 사랑하는 사람의 죽음은 사람의 세상을 초월하는 무언가를 느끼게 해준다. 「어떤 역할」을 얽히고 떠난 것이라고는 생각되는 것 같다.
 죽은 자의 세계는 사랑하는 사람이 기다리는 '집'이다. 이 세상에 사는 것은 피로를 치유하는 가로를 걷는 것에 불과하다고 우치무라는 말했다.
 우치무라는 그 후 재혼하지만 딸이 19세에 죽어 버린다.
 이 때는 "가장 힘든 날이자 함께 가장 은혜받은 날"이라고 느꼈다. 사랑하는 자의 죽음은 하늘나라의 거리를 줄여준다. 생자는 죽은 자를 느끼려는 열정으로 '성국'의 바람을 느낀다. 그래서 거기에 시가 태어난다. 시는 아마 「하늘의 나라」의 풍음을 듣는 것으로 태어난다.
 보통 개신교는 죽은 자를 위해 기도하는 것은 금지되어 있지만, 무교회 전도자들은 죽은 자의 임재를 계속 말했다. 시정이 풍부한 것도 무교회 사람들의 특징이라고 한다. 우치무라 몰후, 지도적인 역할을 맡은 야우치하라 타다오도 아내에 앞서 자주 죽은 자를 말했다.

 우리 마음은 사랑하는 자와 함께 있는
 그 하늘에 부름받은 후 우리 마음도 하늘에 있다.
 나이가 들지만, 낡고,
 싫어하는 새로운 빛에,
 그는 희미하게 천국에 살고 있다.

 후지이 타케도 아내를 상했다. 죽음을 '끝'이 아니라 '영성의 완성'의 정도라고 생각했다.

 죽은 자의 '명령'에 따라 내촌은 '재림운동'도 시작했다.
 사별은 '육'의 차원에서는 별리이지만, '영'에서는 만남의 약속이라는 실감을 바탕으로 '재림의 날에 모든 죽은 사람은 신생한다'고 믿었다.
 예수님은 사라진 것이 아니다. 우리 눈에 '숨어있다'만으로 지금도 이 세상을 비추고 있다. 그리스도의 재림은 이미 시작되었지만 인간은 그것을 인식할 수 없을 뿐이라고 믿었다.
 우치무라 자신도 야우치하라 등 제자들도 개개인이 선지자여야 한다는 자각이 있었다. 와카마츠는 우치무라에 대해 “늦어 온 예수의 직제자인 사도의 한 사람이었을까”라고 적는다.
 무교회란 교회라는 현세의 권위를 경유하지 않고 개별 인간이 살아가는 신과의 교제를 경험하려고 하는 시도였다고 한다.
 성서를 '읽는다'는 것은 그것을 자의적으로 해석하는 것보다 말씀을 가져온 그리스도와 마주하는 것이다. 마찬가지로 우치무라의 책을 읽어도 그가 찾은 것을 놓치면 그와의 대화는 잘 안된다. 인간을 넘는 무언가를 스스로의 인생에 초대해야 한다고 한다.
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araya taro
별 5개 중 5.0 우치무라의 사상과 말이 마음을 흔드는
2018년 9월 17일에 확인함
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우치무라 칸조의 사상과 말을 읽으면서 그 생애를 추적한 한 권. 영성(신앙에 대한 태도)을 돋보이게 하는 것으로, 우치무라에게 있어서의 기독교가 발견되어 갑니다.
아내나 딸의 죽음의 슬픔을 우치무라는 어떻게 극복했는지, 슬픔을 의미 있는 것으로 파악한 제2장 사자에게는 가장 마음을 움직이는 것이 있었습니다. 인간적으로는 불완전했던 우치무라의 근원을 떠나간 많은 제자들, 사제의 수많은 일화도 흥미로운 것이었습니다.
기독교에 대한 자신 나름의 신념을 가지고 생애를 관철한 우치무라. 그 사상과 말은 세대를 넘어 우리에게 호소하는 것이 있는 것을 본서는 가르쳐 줍니다. 저자의 가슴에 다가오는 문장에도 끌렸습니다.
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타이거 웽
별 5개 중 5.0 와카마츠 에이스케 씨의 평론이 우치무라 감조에게 목숨을 불어넣고 있다.
2018년 2월 16일에 확인함
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와카마츠 에이스케씨의 문장이 훌륭하다.
우치무라 감조의 영성이 부활하고 손에 들도록 표현되고 있다.
벌써 읽어 버리는 문장이 계속된다.
와카마츠 에이스케 님의 다른 평론을 검색하여 읽었습니다.
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조반니
별 5개 중 5.0 「지금 여기」에 현전하는 우치무라의 영성
2018년 1월 31일에 확인함
 '일본적 기독교'를 확립했다고 여겨지는 우치무라의 '영성'이 얼마나 보편적인 깊이에 도달했는지가 우치무라와 제자들과의 농밀한 교류를 따르는 가운데, 매우 알기 쉬운 말 로 부조로 되어 가는 호저입니다.

 단순한 평전이나 근대 일본 사상사가 아니라, 「지금 여기」에 사는 우리에게 있어서, 우치무라의 영성이 가지는 의의가, 있어 있어 떠오릅니다.

 교과서에 나오는 진지하지만 그다지 자신과는 관계가 없는 인물로서 우치무라를 보고 있는 사람은, 본서를 읽고, 우치무라라는 인물이, 자신의 마음에 강하게 호소하는 신선한 말을 많이 남겨 하고 있는 인물이라는 것을 깨닫고, 매료되는 것 틀림없습니다.

 이와나미 신서에서 최근 속속 간행되어 온 기독교 사상 시리즈(오오츠키 타카시 『성경을 읽는 방법』, 아오노 태조 『바울 십자가의 사도』, 아카에 타츠야 『야나이하라 타다오 전쟁과 지식인의 사명』, 덕선 요시와 『마르틴 · 루터 : 말에 살았던 개혁자 ', 데무라 카즈히코 '아우구스티누스 '마음'의 철학자 ', 야마모토 요시히사 '토마스 아퀴나스 이성과 신비 ')의 리오를 장식하기에 어울리는 오랫동안 읽혀져 혼신의 한 권입니다.
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케이
별 5개 중 5.0 우치무라 감조와 기도
2018년 5월 24일에 확인함
이 책은 우치무라 감조의 생애를 완만하게 따라가면서 '회심', '입신', '죽은 자', '비전', '재림', '별별', '우주'라는 7가지 열쇠 언어를 챙겨서 쓰여져 있다. 있다. 이 책에서 저자는 우치무라의 일생을 불단의 '회심의 생애'라고 말하고 있지만, 이러한 장립도 우치무라의 '회심'의 역사에 따른 것이다. 저자는 연보적 사실 등의 외적 시간을 이끌 실로 하면서도, 정신의 각인으로서 남겨진 우치무라의 「말」을 모방하는 것으로, 오히려 우치무라 감조의 생의 변용이라고 하는, 다른 차원의 시간을 그려내려고 한다. 장을 새롭게 할 때마다 독자는 우치무라에서 '사자론', '비전론', '재임론'이 서로 접히게 하여 그 심도를 깊게 가는 여러분을 그대로 느낄 것이다.

하지만 이 책은 우치무라 감조라는 특이한 개성을 안이하게 모시는 자세와는 거리가 멀다. 실제로 장을 넘어 갈 때마다 그 존재감을 크게 해가는 것은 우치무라가 지속하는 '회심'을 지지한 다양한 타자, 그리고 초월자의 작용이다. 많은 약점을 갖고 있던 우치무라가 어떻게 타인과 깊게 연결되어 초월의 일장이 되었는가. 다음으로 그리는 것은 제4장 「재림」의 일절이다.

“우치무라에 있어서의 재임론을 생각할 때, 그 원점으로서 간과해서는 안 되는 것은, 그에 의한 지속하는 기도의 경험이다. 또, 기도 후의 발견이라고 해도 좋다. 신앙의 결실에 있어서 가장 중요한 것은 설득이 아니고, 보이지 않는 곳에서 행해지는 기도인 것에 그[우치무라]는 깨닫는다.[…]자신의 신앙을 깊게 할 뿐만 아니라, 믿을 수 없는 자들을 위해서 기도라고 하는 것이다.”

이 말은 본서 자체의 주조 저음이라고 할 수 있다. 이 책에서 저자는 우치무라의 생애를 그의 개인의 역사로서가 아니라 그를 둘러싼 다양한 사람들을 포함하여 더 넓은 무교회의 역동성 그 자체로부터 묻는다. 거기서 독자가 목격하는 것은, 서로의 「보이지 않는 곳에서 행해지는 기도」에 의해 확실히 찢어지는 무교회의 운동의 생생한 현장이다. 앞의 인용의 조금 후에는 다음과 같은 일절이 이어지고 있다. 우치무라의 생애를 맨손으로 따라가는 저자의 눈빛은, 그 강렬한 개성에 걸리지 않고, 곧바로 이 희대의 종교자의 알몸 형태에 육박해 간다.

“우치무라에게 있어서 영성의 심화는 고통의 경험을 거쳐 실현된다. 라고

하면 단순한 칭찬이 될 수 있는 우치무라의 평생의 위대함을 저자는 오히려 그 고통과 기도의 깊이 가운데 본다. “기도는 하나님의 “목소리”를 듣는 것이다. '고통'이나 '기도' 중에서야 사람은 가장 가까이 타자나 초월자와 함께 있을 수 있기 때문이다. 그런 의미에서 본서에서 그려진 우치무라 감조는 결코 단순한 우상이 아니다. 사람들을 매료시키는 동시에 사람들과 충돌하지 않을 수 없는 자신의 개성을 앞두고 스스로 깊게 고민하고 조용히 기도하는 한 사람의 모습인 것이다.
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드라미
5성급 중 2.0 선서 실수를했습니다.
2018년 5월 4일에 확인됨
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이 책은 실패했다. 신앙서라고 생각해 샀습니다만 저자가 완전히 다른 시점으로 쓰고 있기 때문에 2페이지 정도 읽고 그만두었습니다. 우치무라 감조의 저서는 여러 권을 읽고 같은 그리스도인 대선배로서 큰 힘을 받고 있습니다. 제목에서 깨달아야 했다.
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