2024/02/11

힌두교 10강, 아카마츠 아키히코 ヒンドゥー教10講 赤松 明彦

ヒンドゥー教10講 (岩波新書 新赤版 1867) | 赤松 明彦 |本 | 通販 | Amazon

힌두교 10강  2021/2/22, 아카마츠 아키히코 (저)




古代のバラモン教、さらには四千年前のインダス文明にまで遡るとされるインドの宗教思想はきわめて複雑だが、その教えは密教儀礼や帰依観念など、日本の宗教にも通ずる面をもつ。本質論に陥らず、歴史的・地域的・社会的な重層性に注意しながら、丁寧なテキスト読解によってヒンドゥー教の思考と実践をとらえる、体系的入門書。

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本の長さ

281ページ
2021/2/22

トップレビュー

上位レビュー、対象国: 日本


美しい夏

5つ星のうち5.0 講義形式のヒンドゥー教入門。多様なものは多様なまま語る方針。2021年2月27日に日本でレビュー済み
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インドのヒンドゥー教徒は1911年には約2億人であったが、2011年には総人口の79.8%の9億6600万人になったとのことである。
一、概要
〇「ヒンドゥー教徒は何か」という問いに答える方法として、①普遍的に当てはまる定義を与える方法と、②「ヒンドゥー教」と言われる現象を構成している様々な要素を取り出して、ありのままに記述する方法がある。著者は、多様なものは多様のまま語るとして、②の方法を取る。
いや、一応定義はしている。すなわち、「ヒンドゥー教とは、インドに住む大多数の人々の宗教で、イスラーム教でも、キリスト教でも、仏教でも、シク教でも、ジャイナ教でも、ゾロアスター教でも、ユダヤ教でもないものである」(7頁)
〇第1講 ヒンドゥー教の歴史と地理。
☆時代層1 インダス文明。
☆時代層2 ヴェーダの時代(前1500ー前500)
☆時代層3 叙事詩とプラーナの時代(前500ー後500)・・『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』。ブラフマー神とヴィシュヌ神とシヴァ神。のちに、ヴィシュヌ教とシヴァ教の二つの大きな流れに。
☆時代層4  バクティとタントリズムの時代(500-1500)
☆時代層5 その後のヒンドゥー教(1500-現在)
〇第2講 信仰の形
礼拝であるプージャー(神像への供犠)について。プージャーがいつ始まったか。
〇第3講 死後の観念
宗教的実践の後に実現される死後の状態として、「生天」(天界に生まれること)と「解脱」(輪廻からの解放)がある。マヌの教典の活動的行為は神々と等しくなることで「生天」、静止的行為は五物質要素を超越することで「解脱」。静止的行為である苦行の方が高く評価されている。
〇第4講 現世拒否の宗教
現代インドにおける約500万人の苦行者。『マハーバーラタ』における死の克服。
〇第5講 不死の探求
ヨーガは「解脱」としての「悟り」へ導く「精神集中」の瞑想法、修行法。前3世紀頃の『カタ・ウパニシャッド』に現れ、5世紀の『ヨーガ・スートラ』で体系化。『バガヴァッド・ギーター』は様々なヨーガを記述。「ヨーガ」から、一神教的「バクティ」(帰依)へ。
〇第6講 帰依と親愛
「バクティ」(帰依)は『ギーター』において出現。『ギーター』においては、クリシュナが唯一絶対神であり、「ヨーガ」の自力的な傾向に比して、「バクティ」(帰依)には他力的な傾向も見られる。「バクティ」は後年「知的バクティ」と「情的バクティ」に分かれる。「知的バクティ」は感覚器官を抑制し、心を最高神に結び付け霊的な完成に到達しようとするもので、ヨーガの思想と結び付く。「情的バクティ」クリシュナ神に対するロマンティックな、エロティックな情愛に等しく、民衆的な感情の表現である。
〇第7講 象徴と儀礼
タントリズム(即身)はエリアーデによれば「六世紀以後汎インド的流行となった大きな哲学的、宗教的運動を指す」。密教として日本にも及ぶ。空海によれば、即身とは、修行者が現在の身体のままで、その身体において、仏との同一化、または同一性を体験することである。ヒンドゥー教のタントラの宗派に入信、入門する者はディークシャーの儀式を経なければならない。密教における灌頂である。
〇第8講 シヴァ教の歴史
〇第9講 ヴィシュヌ教の歴史
〇第10講 ヒンドゥー教の誕生
ヴェーダの伝統に連なる正統性を競って主張する各宗派の紹介。最後にヒンドゥー教の誕生となる。ヒンドゥー教という全体概念が生まれた理由としては、①イスラムという他者との遭遇、②ヴェーダーンタ哲学的一元論化の波によって、シヴァ神もヴィシュヌ神もヴェーダにおける最高原理と同一視されるようになり、個性は消えて、ヴェーダの伝統を引き継ぐ宗教としての「ヒンドゥー教」のうちに包摂された。
二、私的感想
〇本を開く前から、難しいだろうと予想していたが、やはり、大変難しかった。
〇多様なものは多様のまま語るという方針は理解できるが、なにぶん馴染みの薄い世界のことであり、もう少し易しく書いてもらえるとありがたい。
〇写真や図版が入っているのは良かった。
〇「クリシュナについて」「女神について」がまとまらなかったのは大変大変残念。そのためか「情的バクティ」の部分が途中でぷつりと切れてしまった印象を受ける。
〇参考文献は大変親切である。
三、私的結論
〇あまり楽しくは読めなかったが、大変勉強になった。

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ほうしゅー

5つ星のうち5.0 宗教儀礼やインドの現状などを踏まえた具体的な記述が嬉しい2021年2月22日に日本でレビュー済み
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鈴木大拙『日本的霊性』には、「西洋の花を日本の土に植えると、数世代で別の花になる」という趣旨の記述があったと記憶しているが、仏教をはじめ、インドの地で誕生した宗教には、良くも悪くも、その土の匂いのようなもの(=インド的霊性?)が色濃く染み付いているのではなかろうか。インドの仏教に関心を持つ私は、そうした精神文化の基層というか、「土の匂い」のようなものの一端を知りたいと思い、本書を手に取った。

白状すれば、前著『インド哲学10講』は「存在論」というテーマもあってか、抽象的な記述が多く、残念ながら「理解が及ばない」という印象が強く残った。しかし、本書は現在のインドにおける宗教儀礼などを、豊富な画像を用いながら具体的に記述しているので、前著に比べてはるかに「分かりやすい」という印象を得た。また、空海や清沢満之など、日本の仏教者の事例を踏まえながらインドの宗教の説明をしているのも理解の助けになり、大変有難かった。

前著『インド哲学10講』を難解だと感じた方も、本書を先に読んだ後で前著に取り組むという順番で挑戦すれば、前著の理解もはるかに深まるのではないかとも思われる。

また、現在にも脈々と流れる苦行者の伝統について、パーリ語仏典の言及も積極的におこなっているので、ブッダ在世時の仏教のあり方に関心を持つ者にとっても有益な情報が詰まっている。是非ご一読をお勧めしたい。なお、ヒンドゥー教、仏教と並んでインドの大地が育んだ宗教であるジャイナ教については、著者が前著『インド哲学10講』でその重要性に注目するも、初学者が手に取りやすい文献が未だ皆無である現状がある。著者、ならびに出版社におかれては、是非ともジャイナ教についての分かりやすい入門書も企画戴ければ幸甚である。

それにしても気になるのが「バクティ」という概念である。原始浄土教の専門家である藤田宏達先生は浄土教の古層を研究するなかで「浄土教の『信』とヒンドゥー教の『バクティ』は異なる」として、あくまで仏教の中の思想の深まりの中から出てきたものだと強調されておられるが、故・上村勝彦先生の『バガヴァット・ギーター』の解説書や本書などを拝読するなかで、紀元前後のガンダーラにおいて、仏教とヒンドゥー教の双方に何らかの思想的な影響もあり、その中で浄土教も生まれてきたのではないかという思いも一層強くなった。

なお、筆者の赤松明彦先生には『楼蘭王国』(中公新書)というガンダーラ語に注目した中央アジア史をテーマとするユニークなお仕事もある。ヴェーダーンタ思想研究の権威である前田專學先生の「大乗仏教はヒンドゥー教の対外輸出ヴァージョンである」というご指摘の検証も含めて、ガンダーラにおける諸宗教の立体的な記述を、いつか手掛けて戴きたいとも念ずる次第である。

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つくしん坊

5つ星のうち4.0 複雑なヒンドゥー教をコンパクトに解き明かす2021年8月18日に日本でレビュー済み

著者は1953年生れのインド哲学者であり、多くの専門的著書がある。本書はヒンドゥー教の特徴と言える十の考え方を解説したものである。姉妹書に『インド哲学10講』(岩波新書、2018年)がある。ヒンドゥー教もインド哲学も、門外漢には鬱蒼とした密林のように近づき難いものを、ともにコンパクトに解き明かしている。

著者によれば、ヒンドゥー教を歴史的に辿れるのはヴェーダの時代(前1500-前500年)であるが、それ以前のインダス文明(前2500-前1500年)の宗教的遺産である動物犠牲や水による浄化などもヒンドゥー教の要素であるので、その起源はきわめて古い。その後に叙事詩とプラーナの時代(前500-1500年)が続き、現代へと続く(1500-現在)。広大なインドの地域差もからみ、複雑なヒンドゥー教が形作られた。著者は特徴として生天(天界に生まれること)と解脱という死後の観念、現世拒否(苦行と棄世)、不死の追求、象徴と儀礼(タントリズム)などを挙げている。このような様々な宗教的伝統が統合され、「ヒンドゥー教」となったのは意外に新しく、19世紀になってからであるという。

著者の指摘通り、ヒンドゥー教は歴史的にも内容的にも複雑であり、日本人には全体像を理解することが容易ではない。しかし、本書中で触れていているように、ヒンドゥー教が(断片的であるにせよ)日本へも影響を及ぼしていると知り、少し身近に感じた。真言密教の祭儀は確かに護摩、祭具などヒンドゥー教の臭いがする。また修験道は真言密教とも近く、真言密教の一部の僧侶が山岳修行に転じたという説もあるので、ヒンドゥー教と無関係ではないであろう。もちろん、仏教自体がヒンドゥー教の前身であるバラモン教を母体にして、バラモン教の苦行への反発から生まれたことを考えれば、ヒンドゥー教と無関係ではない。本書により、従来仏教は中国経由で日本に伝来したとされているが、その源流であるインドの影響も日本は受けていることを改めて知った。こうして、日本の宗教の本質を理解するには、アジア的な視点が宗教には不可欠であると痛感した。

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chacmool

5つ星のうち5.0 断片的だった「インド的なるもの」が脳内で繋がっていく面白さ2021年4月20日に日本でレビュー済み

ヴェーダ、バガヴァット・ギーター、ヨーガ、苦行、密教、シヴァやブラフマン……
今まで断片的だった「インド的なもの」の歴史的、文化的な位置づけが整理され、読めば読むほど表面的な意味以上のものが見えてくる読書体験は圧巻の一言。それでいて文章はあくまで読みやすく、これぞまさに新書の醍醐味だと思う。

中でも、「密教」についての記述は興味深かった。前から仏教における密教の位置づけがいまいち腑に落ちていなかったが、つまりそういうことなのかとやっと理解できた気がする。空海が持ち込んだのは宗教という名の下に形成された究極の様式美だったのかも知れない、と。同時に、空海という人がやけにリアルに感じられるようにもなった(『天平の甍』をもう一度読まねば!)

本書はほぼ時系列に沿って話が進んでいくのだが、通読してつくづく思うのは、インド哲学というのは紀元前にある意味完成されていたのだなということ。そして、それが俗化されていく過程がその後の2000年なのかとも思った。哲学は宗教たりえず、人々はある意味わかりやすいものに流れる。しかし、そうして俗化した宗教がまた複雑に分岐していく。そのあまりに複雑化した思想体系が「ヒンドゥー教」という名の下にくくられたのは比較的新しく、これでは確かに「ヒンドゥー教」のイメージが理解しにくいのもやむを得ないのだろう。
もちろん、本書を読んでヒンドゥー教についてわかったなどという気はないが、少なくとも「わからないことがわかる」という、知的好奇心を刺激される一冊。順番が逆になったが、同著者の『インド哲学10講』もぜひ読みたい。

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nikataro

5つ星のうち5.0 「無限の多様性」と「混沌」が心地よい「知のインド周遊歴史大紀行」2021年3月9日に日本でレビュー済み

宗教と哲学が不分離であり「神と魂が同一なのか、等しいのか、別なのか?」の一元論と二元論(このなかでもさまざまながあり)があって、さらに「神と神像などの物質は?」の一元論と二元論があって、宗教から宗派の枝分かれまでを総称してのヒンドゥー教であり、儀式、解脱、修行、苦行、遊行などの精神と肉体のありようが示されるという本書はまさに「混然一体」であり、短絡な結論を求めがちな自分にとってはまさに「自宅でできるインド大冒険」であった。

「~は・・・である。」という辞書的な定義が一切通用しないインドはやはり遠きにありて思うもの、なのだろうがその無限大の歴史と文化は還暦バックパッカーになってでも「行かなくてはならない」感が強く漂っている。

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必殺仕事人

5つ星のうち5.0 インドの熱気がムンムン2021年10月3日に日本でレビュー済み

ヒンドゥー教の思想や文化について解説と考察をなす良書です。読んでいてインドの現地にいるかのような熱気がムンムンと伝わってきて、楽しかったです。インドは哲学も気候も熱い!

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沙風琴

5つ星のうち2.0 ヒンドウー教の哲学をめぐる内容が多く、哲学に興味がある人向け2021年3月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ヒンドウー教の哲学をめぐる内容が多く、哲学に興味がある人向け。
ヒンドウー教の現在のインド社会への影響等、社会学的な視点を期待する人向けではありません。

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힌두교 10강 (이와나미 신서 신적판 1867) 신서 – 2021/2/22
아카마츠 아키히코 (저)
4.1 5성급 중 4.1 26개의 평가

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고대의 바라몬교, 심지어는 4천년 전 인다스 문명으로 거슬러 올라가는 인도의 종교 사상은 매우 복잡하지만, 그 가르침은 밀교 의례나 귀의 관념 등 일본 종교에도 통하는 면을 가진다. 본질론에 빠지지 않고, 역사적·지역적·사회적인 중층성에 주의하면서, 정중한 텍스트 독해에 의해 힌두교의 사고와 실천을 파악하는, 체계적 입문서.

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최고 리뷰
상위 리뷰, 대상국가 : 일본
아름다운 여름
5성급 중 5.0 
강의 형식의 힌두교 입문. 다양한 것은 다양한 채로 말할 방침.
2021년 2월 27일에 확인됨
아마존에서 구매

인도의 힌두교도는 1911년에는 약 2억명이었지만, 
2011년에는 총 인구의 79.8%인 9억6600만명이 됐다는 것이다.

1, 개요
〇「힌두교도는 무엇인가」라는 질문에 대답하는 방법으로서, 
①보편적으로 적용되는 정의를 주는 방법과, 
②「힌두교」라고 불리는 현상을 구성하고 있는 여러가지 요소를 꺼내, 있는 그대로 기술하는 방법이 있다. 저자는 다양한 것은 다양하게 말한다고 ②의 방법을 취한다.

아니, 일단 정의는 하고 있다.
 즉, 힌두교란 인도에 사는 대다수의 종교로 
이슬람교도, 기독교도, 불교도, 시크교도, 자이나교도, 조로아스타교도, 유대교도 아닌 것이다” (7페이지

〇제1강 힌두교의 역사와 지리.
☆시대층 1 인더스 문명.
☆시대층 2 베다의 시대(전 1500-전 500)
☆시대층 3 서사시와 플라나의 시대(전 500-후 500)··
『마하버라타』와 『라마야나』. 브라흐머 신과 비슈누 신과 시바 신. 나중에, 비슈누교와 시바교의 두 가지 큰 흐름에.
☆시대층 4 박티와 탄트리즘의 시대(500-1500)
☆시대층 5 그 후의 힌두교(1500-현재)

0제2강 신앙의 형태 예배인
푸저(신상에의 공희)에 대해. 푸저가 언제 시작되었는가?

○제3강 사후의 관념
종교적 실천 후에 실현되는 사후의 상태로서 「생천」(천계에 태어나는 것)과 「해탈」(윤회로부터의 해방)이 있다. 마누의 교전의 활동적 행위는 신들과 같아지는 것으로 「생천」, 정지적 행위는 5물질 요소를 초월하는 것으로 「해탈」. 정지적 행위인 고행이 더 높은 평가를 받고 있다.

〇제4강 현세 거부의 종교
현대 인도에 있어서의 약 500만명의 고행자. 『마하버라타』에 있어서의 죽음의 극복.

〇 제5강 불사의 탐구
요가는 「해탈」로서의 「깨달음」으로 이끄는 「정신 집중」의 명상법, 수행법. 전 3세기 무렵의 「카타・우파니샤드」에 나타나, 5세기의 「요가・수트라」로 체계화. 「바가바드・기타」는 다양한 요가를 기술. 「요가」로부터, 일신교적 「박티」(귀의)에.

0제6강 귀의와 친애
「박티」(귀의)는 「기타」에 있어서 출현. 『기타』에 있어서는, 크리슈나가 유일 절대신이며, 「요가」의 자력적인 경향에 비해, 「박티」(귀의)에는 타력적인 경향도 볼 수 있다. '박티'는 후년 '지적 박티'와 '정적 박티'로 나뉜다. '지적 박티'는 감각 기관을 억제하고 마음을 최고 하나님과 연결시켜 영적인 완성에 도달하려고 하는 것으로, 요가의 사상과 연결된다. '정적 박티' 크리슈나 신에 대한 로맨틱하고 에로틱한 정애와 같고 민중적인 감정의 표현이다.

〇 제7강 상징과 의례
탄트리즘(즉신)은 에리어 데에 따르면 “육세기 이후 범인도적 유행이 된 큰 철학적, 종교적 운동을 가리킨다”. 밀교로서 일본에도 미친다. 공해에 따르면, 즉신이란, 수행자가 현재의 신체인 채로, 그 신체에서, 부처와의 동일화, 또는 동일성을 체험하는 것이다. 힌두교의 탄트라 종파에 입신, 입문하는 사람은 디크셔의 의식을 거쳐야 한다. 밀교에서의 관정이다.

〇제8강 시바교의 역사
〇제9강 비슈누교의 역사

〇제10강 힌두교의 탄생 베다의

전통에 이은 정통성을 겨루고 주장하는 각 종파의 소개. 마지막으로 힌두교의 탄생이 된다. 힌두교라는 전체 개념이 태어난 이유로는, ①이슬람이라고 하는 타자와의 조우, ②베단타 철학적 일원론화의 파도에 의해, 시바신도 비슈누신도 베다에 있어서의 최고 원리와 동일시되게 되어, 개성은 사라지고 베다의 전통을 계승하는 종교로서의 '힌두교' 가운데 포섭되었다.

둘째, 사적 감상 
0책을 열기 전부터, 어려울 것이라고 예상하고 있었지만, 역시, 매우 어려웠다.
0다양한 것은 다양하게 말한다는 방침은 이해할 수 있지만, 어쩐지 익숙한 얇은 세계의 일이며, 좀 더 쉽게 써 주시면 고맙다.
〇사진이나 도판이 들어 있는 것은 좋았다.
〇 「크리슈나에 대해」 「여신에 대해」가 정리되지 않았던 것은 매우 몹시 유감. 그 때문인지 '정적 박티' 부분이 도중에 푸르르 끊어진 인상을 받는다.
○참고문헌은 매우 친절하다.

셋째, 사적 결론
0별로 즐겁게는 읽을 수 없었지만, 매우 공부가 되었다.

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호시
5성급 중 5.0 종교 의례와 인도의 현상 등을 근거로 한 구체적인 설명이 기쁘다.
2021년 2월 22일에 확인됨
아마존에서 구매

스즈키 오오츠키 『일본적 영성』에는, 「서양의 꽃을 일본의 땅에 심으면, 수세대로 다른 꽃이 된다」라고 하는 취지의 기술이 있었다고 기억하고 있지만, 불교를 비롯해 인도 땅에서 탄생한 종교에는, 좋든 나쁘든, 그 흙의 냄새 같은 것(=인도적 영성?)이 짙게 얼룩 붙어 있는 것은 아닐까. 인도의 불교에 관심을 가지는 나는 그러한 정신문화의 기층이라 할지, '흙의 냄새'와 같은 것의 일단을 알고 싶어 본서를 손에 들었다.

백색하면 전저 '인도 철학 10강'은 '존재론'이라는 주제도 있었는지 추상 기술이 많아 불행히도 '이해가 미치지 않는다'는 인상이 강하게 남았다. 그러나 본서는 현재 인도의 종교 의례 등을 풍부한 이미지를 이용하면서 구체적으로 기술하고 있기 때문에 전저에 비해 훨씬 "알기 쉽다"는 인상을 얻었다. 또, 공해나 기요사와 만지 등 일본 불교자의 사례를 근거로 인도 종교의 설명을 하고 있는 것도 이해의 도움이 되어, 매우 고마웠다.

전저 『인도철학 10강』을 난해하다고 느낀 분도, 본서를 먼저 읽은 후에 전저에 임한다는 차례로 도전하면, 전저의 이해도 훨씬 깊어지는 것이 아닐까라고 생각해 된다.

또, 현재에도 맥렬하게 흐르는 고행자의 전통에 대해서, 파리어 불전의 언급도 적극적으로 행하고 있으므로, 붓다 재세시의 불교의 본연의 자세에 관심을 가지는 사람에게도 유익한 정보가 담겨 있다. 부디 일독을 추천하고 싶다. 또한, 힌두교, 불교와 함께 인도의 대지가 자란 종교인 자이나교에 대해서는, 저자가 전저 「인도 철학 10강」에서 그 중요성에 주목하는 것도, 초학자가 손에 잡기 쉬운 문헌 하지만 아직도 전무인 현상이 있다. 저자, 그리고 출판사에 있어서는, 꼭 자이나교에 대한 알기 쉬운 입문서도 기획 받으면 행복하다.

그래도 신경이 쓰이는 것이 '박티'라는 개념이다. 원시 정토교의 전문가인 후지타 히로타치 선생님은 정토교의 고층을 연구하는 가운데 「정토교의 「신」과 힌두교의 「박티」는 다르다」로서 어디까지나 불교 속의 사상의 깊음 속 에서 나온 것이라고 강조되고 있으나, 고·우에무라 카츠히코 선생님의 “바가밧·기타”의 해설서나 본서 등을 배독하는 가운데, 기원 전후의 간다라에 있어서, 불교와 힌두교의 양쪽에 어떠한 사상적인 영향도 있어, 그 중에서 정토교도 태어 온 것이 아닐까 하는 생각도 한층 강해졌다.

덧붙여 필자의 아카마츠 아키히코 선생님은 '누란왕국'(중공신서)이라는 간다라어에 주목한 중앙아시아사를 테마로 하는 독특한 일도 있다. 베단타 사상 연구의 권위인 마에다 專學 선생님의 「대승 불교는 힌두교의 대외 수출 버전이다」라고 하는 지적의 검증도 포함해, 간다라에 있어서의 여러 종교의 입체적인 기술을, 언젠가 다루고 싶다고도 염려하는 대로이다.
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쓰쿠신보
5성급 중 4.0 복잡한 힌두교를 컴팩트하게 풀어
2021년 8월 18일에 확인됨

저자는 1953년 출생의 인도 철학자이고 많은 전문 저서가 있다. 이 책은 힌두교의 특징이라고 할 수 있는 십의 사고방식을 해설한 것이다. 자매서에 '인도철학 10강'(이와나미 신서, 2018년)이 있다. 힌두교도 인도철학도 문외한에는 울창한 밀림처럼 다가가기 어려운 것을 함께 컴팩트하게 풀어내고 있다.

저자에 의하면, 힌두교를 역사적으로 추적하는 것은 베다의 시대(전 1500-전 500년)이지만, 그 이전의 인더스 문명(전 2500-전 1500년)의 종교적 유산인 동물 희생 이나 물에 의한 정화 등도 힌두교의 요소이기 때문에, 그 기원은 매우 낡다. 그 후에 서사시와 플라나의 시대(전 500~1500년)가 이어져 현대로 이어진다(1500-현재). 광대한 인도의 지역 차이도 보고 복잡한 힌두교가 형성되었다. 저자는 특징으로 생천(천계에서 태어나는 것)과 해탈이라는 사후 관념, 현세 거부(고행과 기세), 불사의 추구, 상징과 의례(탄트리즘) 등을 꼽고 있다. 이러한 다양한 종교적 전통이 통합되어 ‘힌두교’가 된 것은 의외로 새롭고 19세기가 되고 나서다고 한다.

저자의 지적대로, 힌두교는 역사적으로나 내용적으로도 복잡하고, 일본인에게는 전체상을 이해하기 쉽지 않다. 그러나 이 책에서 접하고 있는 것처럼 힌두교가 (단편적이더라도) 일본에도 영향을 미치고 있다는 것을 알고 조금 가까이 느꼈다. 진언밀교의 제의는 확실히 호마, 제구 등 힌두교의 냄새가 난다. 또 수험도는 진언밀교와도 가깝고, 진언밀교의 일부 승려가 산악 수행으로 돌아갔다는 설도 있으므로 힌두교와 무관하지 않을 것이다. 물론 불교 자체가 힌두교의 전신인 바라몬교를 모체로 삼고 바라몬교의 고행에 대한 반발에서 태어난 것을 생각하면 힌두교와 무관하지 않다. 본서에 따르면, 종래 불교는 중국 경유로 일본에 전래했다고 하고 있지만, 그 원류인 인도의 영향도 일본은 받고 있는 것을 다시 알았다. 이렇게 일본 종교의 본질을 이해하기 위해서는 아시아적인 관점이 종교에 필수적이라고 통감했다.
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차물
5성급 중 5.0 단편적이었던 "인도적인 것"이 뇌에서 연결되는 재미
2021년 4월 20일에 확인됨

베다, 바가밧 기타, 요가, 고행, 밀교, 시바와 브라프만
… 의 것이 보이는 독서 체험은 압권의 한마디. 그래서 문장은 어디까지나 읽기 쉽고, 이것이 바로 신서의 묘미라고 생각한다.


그 중에서도 '밀교'에 대한 설명은 흥미로웠다. 전부터 불교에 있어서의 밀교의 위치설정이 지금 잇몸에 떨어지지 않았지만, 즉 그러한 것인지 겨우 이해할 수 있었던 생각이 든다. 공해가 반입한 것은 종교라는 이름 밑에 형성된 궁극의 양식미였을지도 모른다고. 동시에, 공해라고 하는 사람이 화상에 리얼하게 느껴지게 되었다(『천평의 甍』를 다시 한번 읽으면!) 는, 인도 철학이라고 하는 것은 기원전에 있는 의미 완성되고 있었던 것이다라고 하는 것. 그리고 그것이 속화되어 가는 과정이 그 후의 2000년이라고 생각했다. 철학은 종교할 수 없고, 사람들은 어느 의미 알기 쉬운 것에 흐른다. 그러나 그렇게 속화된 종교가 또 복잡하게 분기해 간다. 그 너무 복잡해진 사상체계가 '힌두교'라는 이름으로 썼던 것은 비교적 새롭고, 이것으로는 확실히 '힌두교'의 이미지가 이해하기 어려운 것도 부득이할 것이다.
물론 이 책을 읽고 힌두교에 대해 알게 된 것 같은 느낌은 없지만, 적어도 "모르는 것을 알 수 있다"는 지적 호기심을 자극받는 한 권. 순서가 반대가 되었지만, 저자의 '인도 철학 10강'도 꼭 읽고 싶다.
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니카타로
5성급 중 5.0 「무한의 다양성」과 「혼돈」이 기분 좋은 「지의 인도 주유 역사 대기행」
2021년 3월 9일에 확인됨
종교와 철학이 불분리하고 "신과 영혼이 동일한지, 동등한가, 다른가?"의 일원론과 이원론 (이 중에서도 다양한 것이 있음)이 있고, 또한 "신과 신상 등의 물질 는?」의 일원론과 이원론이 있어, 종교로부터 종파의 분기까지를 총칭하고 있는 힌두교이며, 의식, 해탈, 수행, 고행, 유행 등의 정신과 육체의 존재가 나타난다고 하는 본서는 바로 '혼연 일체'였고, 단락한 결론을 요구하기 쉬운 자신에게 있어서는 바로 '자택에서 할 수 있는 인도 대모험'이었다.


「~는・・・이다.」라고 하는 사전적인 정의가 일절 통용하지 않는 인도는 역시 멀리 있고 생각하는 것인데, 그 무한대의 역사와 문화는 환력 백패커가 되어도 「가나 없어야 한다' 느낌이 강하게 감돌고 있다.
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필살 일인
5성급 중 5.0 인도의 열기가 문문
2021년 10월 3일에 확인됨
힌두교의 사상이나 문화에 대해 해설과 고찰을 이루는 양서입니다. 읽고 인도 현지에 있는 것 같은 열기가 문문과 전해져 즐거웠습니다. 인도는 철학도 기후도 뜨겁다!
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모래 오르간
5성급 중 2.0 힌두교의 철학을 둘러싼 내용이 많고 철학에 관심이있는 사람들을위한
2021년 3월 9일에 확인됨
아마존에서 구매
힌드우교의 철학을 둘러싼 내용이 많아, 철학에 흥미가 있는 사람용.
힌드우교가 현재 인도 사회에 미치는 영향과 같은 사회학적 관점을 기대하는 사람들에게는 적합하지 않습니다.
9명의 고객이 이것이 도움이 되었다고 생각합니다.
유용한
보고서