"죽음의 임상"에서 얻은 이야기와 불교
「死の臨床」から得られる語りと仏教
衽衲社会教化の実践の事例から衽衲
佐藤 雅彦
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はじめに
「社会教化」の問題群のなかの実践//
「社会教化」とは何か、どのような内容を指し示すのか、これらの地盤固めは、
小山典勇先生らによって議論の上で積み重ねられてきた1)。総じていえば社会教
化には、現実の社会に生じている問題と仏教がどのように関わっていくかという、
理念や指針、方法論が求められていることは言うまでもない。筆者は、そこにい
くつかのテキストが認められると考える。その代表とされるものは、いうまでも
なく仏教経典だろう。しかしそれに並んで重要と考えられるのは「ひとびとの
声」だ。無論、声の確かめ方は文章や、直接、聴覚に届いた声、多様にある。つ
まり心の表現としての「声」に耳を傾ける、注意を払うことは、何が仏教に求め
られているか、何が問題とされているのか聴き取る姿勢であり、経典にみえるブ
ッダの教えと、その声を結ぶ役割を担うことこそ、教化者のつとめといえるので
はないだろうか。/
多くの仏教研究は、仏教経典やその思想を扱うことが主たる領域を占めてきた。
しかしそれぞれの時代において、その各々の時代を生きることを「現代」として
考えるとき、「ひとびとの声」を聴きとろうという努力や、社会の声に耳を傾け
る努力をしなければ、我々は、仏教を学んでいても、仏教を実践するものとはい
えないのではないだろうか。言い換えれば、社会教化は、社会に生きる人々の声
を聴き、その声に仏教の立場から応えようとする作業の蓄積ともいうことができ
るのではないだろうか。
すでにさまざまな人文研究においては、「声を聴く」という方法論は、その対
象となる当事者や関係する人々に「語り」(narrative)という行為を通して、広く用
いられている。筆者は長年、「こころのケア・ボランティア」として末期がん患
者や、さまざまな疾患にある患者の病床を訪問し、多様な患者の「語り」から学
ばせていただいてきた2)。本稿ではそこから得られたことと仏教が、どのように
関わっていくかということを、問題意識として述べてみたい。これらの作業は、
具体的な、もしくは実践的な社会教化の事例と位置付けられると考える。/
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「사회교화」란 무엇인가, 어떠한 내용을 가리키는지, 이러한 지반 굳은 것은, 오야마 노리 유키 선생님들에 의해 논의 위에서 쌓여 왔다1). 전체적으로 말하면 사회교화에는 현실 사회에서 발생하는 문제와 불교가 어떻게 관련되어 가는가 하는 이념이나 지침, 방법론이 요구되고 있는 것은 말할 필요도 없다. 필자는, 거기에 몇개의 텍스트가 인정된다고 생각한다. 그 대표로 여겨지는 것은 말할 필요도 없이 불교 경전일 것이다. 그러나 그것에 나란히 중요하다고 생각되는 것은 '한사람의 목소리'다. 물론, 목소리를 확인하는 방법은 문장이나, 직접, 청각에 도착한 목소리, 다양하게 있다. 즉 마음의 표현으로서의 「목소리」에 귀를 기울이는, 주의를 기울이는 것은, 무엇이 불교에 요구되고 있는지, 무엇이 문제로 되고 있는지 듣는 자세이며, 경전으로 보이는 부처 의 가르침과 그 목소리를 잇는 역할을 담당하는 것이야말로 교화자의 근본이라고 할 수 있는 것은 아닐까.
많은 불교 연구는 불교 경전과 그 사상을 다루는 것이 주된 영역을 차지해 왔다. 그러나 각각의 시대에 있어서, 그 각각의 시대를 살 것을 「현대」라고 생각할 때, 「한사람의 목소리」를 듣고자 하는 노력이나, 사회의 목소리에 귀를 기울이는 노력을 하지 않으면, 우리는 , 불교를 배우고 있어도 불교를 실천하는 것이 아닐까. 즉 사회교화는 사회에 사는 사람들의 목소리를 듣고 그 목소리에 불교의 입장에서 응하려 하는 작업의 축적이라고도 할 수 있는 것은 아닐까.
이미 다양한 인문 연구에서 '목소리 듣기'라는 방법론은 그 대상이 되는 당사자나 관계하는 사람들에게 '말하기'(narrative)라는 행위를 통해 널리 사용되고 있다. 필자는 오랜 세월, 「마음의 케어 자원봉사」로서 말기암환자나, 여러가지 질환에 있는 환자의 병상을 방문해, 다양한 환자의 「말하기」로부터 배워 왔다2). 본고에서는 거기에서 얻은 것과 불교가 어떻게 관련되어 가는가를 문제의식으로 말하고 싶다. 이러한 작업은 구체적이거나 실용적인 사회교화의 사례로 자리매김할 수 있다고 생각한다.
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「死の臨床」から得られる語りと仏教衽衲社会教化の実践の事例から衽衲
佐藤 雅彦
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はじめに 「社会教化」の問題群のなかの実践
「社会教化」とは何か、どのような内容を指し示すのか、これらの地盤固めは、小山典勇先生らによって議論の上で積み重ねられてきた1)。総じていえば社会教
化には、現実の社会に生じている問題と仏教がどのように関わっていくかという、理念や指針、方法論が求められていることは言うまでもない。筆者は、そこにいくつかのテキストが認められると考える。その代表とされるものは、いうまでもなく仏教経典だろう。しかしそれに並んで重要と考えられるのは「ひとびとの声」だ。無論、声の確かめ方は文章や、直接、聴覚に届いた声、多様にある。つまり心の表現としての「声」に耳を傾ける、注意を払うことは、何が仏教に求められているか、何が問題とされているのか聴き取る姿勢であり、経典にみえるブッダの教えと、その声を結ぶ役割を担うことこそ、教化者のつとめといえるのではないだろうか。
多くの仏教研究は、仏教経典やその思想を扱うことが主たる領域を占めてきた。
しかしそれぞれの時代において、その各々の時代を生きることを「現代」として考えるとき、「ひとびとの声」を聴きとろうという努力や、社会の声に耳を傾ける努力をしなければ、我々は、仏教を学んでいても、仏教を実践するものとはいえないのではないだろうか。言い換えれば、社会教化は、社会に生きる人々の声を聴き、その声に仏教の立場から応えようとする作業の蓄積ともいうことができるのではないだろうか。
すでにさまざまな人文研究においては、「声を聴く」という方法論は、その対象となる当事者や関係する人々に「語り」(narrative)という行為を通して、広く用いられている。筆者は長年、「こころのケア・ボランティア」として末期がん患者や、さまざまな疾患にある患者の病床を訪問し、多様な患者の「語り」から学ばせていただいてきた2)。本稿ではそこから得られたことと仏教が、どのように関わっていくかということを、問題意識として述べてみたい。これらの作業は、具体的な、もしくは実践的な社会教化の事例と位置付けられると考える。
1 「死」を学ぶ時代から問う時代へ
1977年、日本死の臨床研究会は発足した。どんなに治療しても死ななければならない人間のクオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life)を考えるためにも、治療に偏重した医療からケアを尊重する医療へと変遷していく中で、さまざまな職種の人々が患者のために「死」を学ぶ研究会が立ち上がったのは、当時、画期的であり時代のニーズでもあった。当時は、公の会場で「死」を表面に出して会合を持とうということ自体、抵抗のあった時代だったという。しかし今日、これに類した学会、研究会はあまたのごとく存在する。これはいかに死の問題が、個人的な問題から多くの人々が共有すべき社会の問題であり、死を語ることがタブーとされた時代から、死を学ぶ時代へと変化してきたことの顕われと受け止められよう。
さらには、これから先20年、団塊の世代の人々が老年を迎えていく時代は、日本人が未曾有の死者が増加する時代といわれ、否応なく死と向き合わねばならない時代が、すでに到来しているということを覚悟してかからなければならない。
死んだらどこに行くのだろうか?死後の世界はあるのか?この私の人生にはどんな意味があったのだろうか?なぜこんな病気にかかり、死んでいかなければならないのだろうか?今日これらの問題は、「スピリチュアル(spiritual)な問題」としてくくられる。医療に関わる人々は、死を間近にした人間には、上記のようなスピリチュアルな問題が、心の安心の上で重要な意味を持つということは、すでに知られるところのものである。
一方、人生の終わりにあたっての備えをする活動は「終活」という言葉を用いて、すっかり市民権を得たようで、今やそうした類の雑誌が、コンビニに並べられている。相続、生命保険、お葬式、お墓等についての情報や学びを得るための媒体がその具体的な内容のようだ。また死後に大切なことを伝えるための「エンディング・ノート」等も、一般的な文具店でも手にすることができるようになった。しかし、相続、葬儀、お墓等、そこで取り上げられている内容は、経済に関わる問題が目につき、もっと精神的なもの、心のあり方等については、おおよそ触れられていないように感じ、何か足りないような気がするのは、筆者だけだろうか。前述したスピリチュアルな問題は、おおよそ取り上げられてはいない。自分にとっての死、自らの死の問題は、各人が各々の立場で自らのいのちの問題として、問いかける時代と言ってもいいだろう。そこには仏教が支える、助けになるというような必要はないのだろうか。
2 心のケア・ボランティアとして
「心のケア・ボランティア」という名称を使いだして20年近くの歳月が経過する。さまざまな学びの場や、看護師として勤めていた妻の関係から、数名の医療従事者が「この患者さんには宗教家のケアが必要」と推察した場合、患者本人に
「こんなお坊さんがいるけれど会ってみますか?」と尋ねる。患者が「会いたい」と意思表示した場合、筆者に連絡が届くという仕組みだ。緩和ケア病棟もあれば、一般病棟や在宅の場合もある。
筆者の場合、仏教の教えを根本的な立場として聴聞するが、自分の所属する特定の宗派の布教や伝道をする目的ではなく、幅広く仏教思想を基にする態度で接することを主眼にしている。「宗教」「仏教」の言葉を用いると、特定の宗教の布教をされるのではないかという、懸念を持たせないようにするため「心のケア・ボランティア」という名称を用いている。ここでは以下に「心のケア・ボランティア」の実践活動を通し、患者からの語りを通して得られた、いくつかの学びを指摘する。
3 患者の語りから得られる仏教への問いかけ ①「なぜ私が」という根本的な問いかけ
「なぜ私が、こんな病気にならなければならないのか?」この問いかけは、もっとも医療従事者を窮する問いかけといわれる。患者ももちろんだが、若い看護師などから「こんな病気になぜなっちゃたんだろう」と言われて、なんとも慰めることもできなかったという言葉は、しばしば聞かれることだ。
さらにこの苦しみは、胃ガンや肺ガンといった、完治の難しい病気に出会ってしまったという問題だけではなく、思いも寄らぬ時期、タイミングに病気と出会ったことから生じる場合もある。新しい事業を興したばかりであったり、やりかけていた仕事が、あと一歩で成し遂げられる時期であったり、子育て盛りの婦人であったり、どうして人生の「この時期に病気になってしまったのか」と、悔しさや失望にみまわれるようだ。まさに人が生きるということには、こうした「予期せぬ」時期に狙ったようにやってくる苦しみがつきものだ。
病気の受け止め方というものは「親もガンだったし、同じ体質だから仕方がない」「いつかは、親と同じ病気になるのだろう」と、自分の体質について予め覚悟していて、病気になることは自然と受け入れられても、その発症する時期については「なんで今この時期に病気にならなければならないんだ」と、思い通りにならない人生に落胆する人は多いものだ。せっかくここまで懸命に生きてきたのに、なぜこの私が病気にならなければならないのかと、積み重ねてきた人生の努力に対して、報われないことと悲観して、悲しさや恨みさえ感じる人もいるものだ。
「生老病死」の苦しみを仏陀は説いたというが、
このような病気との出会いを、仏陀は「どのように受け止めよ」と教えたのだろうか。
筆者は、患者からの病気との出会いについて問われたとき、縁の話をすることにしている。
「つらいご縁と出会いましたね」と声をかける。すると
「こんなつらい出来事も『ご縁』というのですか?」
「私は健康にご縁が無かったのだと思っています」
患者は、しばしば自らのご縁に対する考え方を聞かせてくれる。どうやら仏陀の説かれた「ご縁」と世間一般的に理解されている「ご縁」には、いささか異なりがあることに、よく気づかされる。一般的には、良いこと、好ましいことに出会ったとき「ご縁がある」と言葉が用いられているように感じる。しかしこの良いこと、好ましいこととは、「誰にとって」良いこと、好ましいことなのだろうか。「私にとって」の良いこと、好ましいことであり、私の都合を中心にした考え方に他ならない。これに対して仏陀の考え方は、そういう自分を中心にしたものの見方ではないと教示されている。つまり現代の日本人の多くが用いている「ご縁」という言葉の使い方は、本意を歪めた「聞きかじり」の受け止め方であるといわざるを得ない。
仏教では、すべての成り立ちは「因縁」によると考えることはいうまでもない。
厳密には「因縁」は「因」と「縁」とに分けて考えられる。これは直接的に関わりあう「因」と、間接的に見えないちからで関わりあう「縁」との、結びついたはたらきを「因縁」と示す。
具体的には、どう考えてもあれだけタバコを吸ったのだから仕方ないというような人が肺ガンになった場合、その原因を考えると、確かにたくさんタバコを吸ったということは、直接的な原因となる「因」であるにちがいない。しかしこの時期にこのタイミングで発症したというのは、わからないけれど出会ってしまった「縁」のはたらきと受け止めることができるだろう。
このことは、私たちは、目に見えない縁のはたらきがあることを知らずに、目に見える原因のみを見つけようとし「なぜ?」「どうして?」と心を焦燥させる。さらには、これだけタバコを吸ったのだから、肺がんになって当たり前だと、その原因が明確なら納得できるけれども、酒もタバコもやらないこの私が、なんでガンにならなければならないのか、と直接的な原因が究明できないとなると、病気にかかったことそれ自体が納得できなくなってしまうものだ。私たちは、現代の科学の尺度でものを見、考える生活をしていると、何事も「原因」を目に見える形で確かめられないと、納得できない、気がすまない生き方になってしまいがちだ。しかしここでいう原因は、仏教の考え方からすれば、本来の物事の成り立ちの、一面的な意味だけしか指し示していないことになる。「どうしてかわからないけれど出会ってしまう」というご縁の考え方を受け入れていくとき、つらく思い通りにならない病気との出会いも「ご縁」と受け止めることが、きっとできることだろう。
仏陀の示したご縁の考え方を、もう少し身近なものにするために、患者の前では、患者自身の人生に例えて話をする場合もある。
振り返れると、私たちが生まれてきて、こうして今、存在するすべてのことは、みな因縁によって成り立っているというのだが、それはしっかり目に見えること、理路整然と納得のできることばかりだったろうか。父と母の結びつきから私たちは誕生した。これは目に見える原因だ。しかし父と母は、どうして出会ったのだろうか。これは目に見えないご縁といえる。いや両親は見合いで、必然的に結婚したのだという場合もある。仲人が引き合わせたという直接的な原因のなせることという。しかしなぜ、仲人は星の数ほどいる男女の中から、父と母とを選んだのだろうか。これもご縁のはたらきといえるはずだ。
自ら努力をして、人生の成功を勝ち取ったという人も、実は、見えない不思議なご縁の力に、支えられて生きてきたのではないだろうか。ご縁とは、元来、そういう不思議な出会いのはたらきをもつものなのだ。
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「なぜ私が、病気になってしまったのだろうか?」
この問いかけの答えは「わからないけれど、そのようなご縁をいただいた」としか言うことができない。
わからないことをなんとかわかるように探究する努力は、無駄ではないと思う。
しかしわからないことを、何とかわかるようにしようとして、苦しみを増大させている人がいることも事実だと思われる。人が生きるということは、わからないけれど出会う「ご縁」のはたらきが大きく作用していることを認めることができるのならば、わからないことはわからないこととして謙虚に受け入れようとすることこそ、心に安楽を引き起こすことにつながると考えられる。人生を三十年生きた人も、八十年生きた人も、その間、私たちが学ばせていただいたことは、この広い世界の、宇宙の営みのほんのわずかなことでしかないのだ。謙虚にわからないことを、認める勇気をもつことこそ、生きる智慧というものではないだろうか。
②仏教に答えがあると知っている人々
たとえ自分の病気を受け入れられたとしても、迫りくる「死」については、病気の受容とは、また別の感慨があると思われる。宗教的なニーズが感じられるからこそ「心のケア・ボランティア」として筆者が呼ばれるわけだが、筆者は患者に会うと、まず最初にある質問を必ずすることにしている。
「どうしてお坊さんに会いたいと思ったのですか?」と尋ねるのだ。すると多くの60代から80代前半くらいの患者が、同じような言葉を返してくることに気付かされる。
「もっと仏教の話を聴いてみたかった」
「もっとお寺の行事などに参加して、仏教の教えを知りたかった」
「これから自分は、お経を読まれる立場(死んでお葬式にお経をあげられるの意味)になってしまうのだが、読まれるお経なら、そのお経の意味内容を一度くらい、自分も読んだり、たずねたりしたかった」等々。
おしなべて「仏教の何々がしたかった」というのだ。これは死期が迫った患者にとって、日本人として特別仏教の信仰をもっているとはいえないながら、求めるものの答えが仏教の中にあると感じている。「いのち」の瀬戸際の大事なところで、尋ねたい答えが仏教の中にあると察している、知っているということの顕われといえるのではないだろうか。しかし死に至るような病気や、寝たきりの状
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態に至るまで、まだ自分には時間がある、今はこの仕事や趣味など、やることがあるので、まだ求めなくても後からで大丈夫だろうと、大切なものを求めたいと思っていても、大切なことを後回し、先送りにしてきたことの結果が、言わしめる言葉ではなかろうかといつも感じるのだ。
そのように感じるからこそ、元気なうちに「いのち」にとって、大切なことを考える時間、学ぶ時間が設けられたらと考えるのだ。いわば昨今の終活の言葉には、このような視点が欠けていると考える。しかし、そんなことは必要ない、なぜなら死はすべての終わりなのだから、精一杯、その時が来るまで楽しんだらいいじゃないか、死のことなんか、考える必要はないと考える人々もいるのは、もちろん当然のことだ。
③死んだら「無」になるのか
「仏教は[無]を説く教えだ」、しばしば耳にする言葉だが、これも「ご縁」同様に、聞きかじりの仏教語を知っているだけなのか、本来の意味を理解しているのか、二分されるところだ。医療従事者からも、この問いかけに付随して「どのように死のことを説明したらいいのか」という質問は、頻繁に受ける質問だ。
はじめに「仏教は無を説くのだから、死後の世界も何も無い」というのは、まさに聞きかじりの理解であり、混乱を招く表現だ。
確かにブッダは「無」を説いた。しかし「無」という漢字を「ない(nothing)」と受け止めるところから間違いは生じている。後世、仏陀の言葉が弟子によって編纂され、経典が成立し、さらにインドから中国へ伝えられていく。そのプロセスでブッダの時代の言葉・サンスクリット語は、中国語に翻訳されていく。そこで仏典の漢訳翻訳家たちは思想に相当する漢字を当てはめるという作業をする。そこでは「無」だけが説かれるのではなく、「有」に対する言葉として「無」が当てはめられたわけだ。では何を「有、無」といったのだろうか。仏陀が有るとか無いとか言いたかったのは、「煩悩」や「迷いの心」だ。また仏教以前の思想を否定していくために、しばしば「無」は説き示されている。もっと平易に言えば、仏陀が無という言葉を用いて表現したかったのは、「とらわれを離れた世界」を「無」の語を使って言いたかったといってよいと思われる。煩悩という執着、とらわれから離れた世界であり、こだわりや迷いを離れた世界を、無を使って言いたかったのだ。元来それは、死ななければ得られないというような世界ではなく、この世においても煩悩、執着を捨て去ることで、無の世界を体現できることを言われたのだ。
とりわけもっとも古い仏教の教えでは、ブッダは「死後の世界」についても、何も説かれなかった、と受け止められる説もある。しかしそれは、ブッダの最大
の関心事は、いかに今を生きることから苦しみを除去し、悟りを開くことであり、苦しみからの解脱であり、死んでからどうこうなるということよりも、「今の生き方」にその教説があふれていたからともいえる。その後、誰もがみな救われる道を求めた「大乗仏教」では、この世において解脱すること、悟りを開くことのできなかった人間に対して、死後、仏の世界に生まれて、それから悟りを開かれる道が、ブッダの教えとして示し残された。したがってブッダは「確かに無を説くが、死後が何もない世界と示されたわけではない」と理解すべきだろう。
④「仏さまの世界」を見る方法
ここで事例をひとつ紹介したい。
患者は、80代半ばの末期がんの男性。緩和ケアに勤務する医師からの電話は「仏さまの世界を見たい」と言っている患者がおられるので来てほしい、という要請だった。80代半ばという年齢や病状から、いつ変化があってもおかしくないので、なるべく早く来てほしいという。早速その緩和ケアを訪問すると、男性は個室のベッドに横になっていた。やせ衰えた面長な顔に大きな目でギョロッと、筆者を見つめてきた。
現役で働いていた頃は、大きな造船会社で、船の設計に長年携わってきたという。その性格は設計家らしく、何ごともきちっと自分で掌握できていないと気がすまない性分で、病気に関しても自分の病状、これから予測される容態、服用している薬の効き目や副作用にいたるまで、すべて自分の承知の上で、管理していないと嫌だということだった。そのために眠気を伴う鎮痛剤を拒否し、充分に痛みは緩和されているとはいえない状態だった。自分に迫ってきた死のことも、自分の納得のいくように心得ておきたいという欲求から「死後の世界、仏さまの世界を、どうしたら見ることができるか」という質問を、筆者に投げかけてきた。自己紹介の後、経典のなかに書かれている表現で、極楽の蓮の花や池、さえずる鳥や空、そういった世界から思い描いたらどうかと、話した。しかしそれは「空想を思い描くだけの世界に感じられる。現実に見たいと思っても、実感が伴わない」と反論してきた。経典の中に示されてある極楽浄土の観察の方法で、日の沈
み行く西方に思いを凝らす方法を説いても「西の方角に進んだら、地球を一周し
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てもとに戻ってしまうだろう」と言う始末だ。この男性は、目に見えるものとして証明してほしいというのだ。死の世界のあちら側のことは、今、生きてこちら側にいる我々は、誰も行っていないのだから、それを見ることはできない、と私は、現実に戻して話をすることにした。「大切なことは、こういう世界であったらいいな、あってほしいなと「願いながら生きる」ことではないでしょうか。仏さまの世界を見ようとするならそれは、この目ではなく、私たちの「心の目」を開き、「心の目」を仏さまの方向に向けることによって、見ようとすることでは
ないでしょうか。」 こう続けて話していくと、男性は、「そうか、心の目でね」と、静かにささやき眠りだしてしまった。
人間は、死の間際になって、いきなり仏さまを探せといっても、なかなか見出すことのできるものではない。私たちの生きる世界というものは、目に見えるものと、目には見えないけれど、確かにあるな、あってほしいな、というような「あやふやな世界」があるものだ。この男性のように、目に見える、計算、証明のできる「科学」という物差しでしかものを見てこなかった人に、いきなり仏の世界に目を向けてといっても、なかなか難しかったのだろう。
たしかに経典の中には、池があり、鳥がうたい、花が咲き、穏やかな理想郷が描かれている。なぜ仏陀や経典の翻訳者たちは、そのような世界を描く必要があったのだろう。それは他ならない、そこに描かれるような世界こそが、少なくとも2千年ほど前の人々にとっては、理想的な誰もが憧れるような世界ではなかったのだろうか。おそらく仏陀や翻訳者たちは、苦しみの多い、大変な人生を生き抜いたのち、このような世界だったなら、心が休まる、平穏になれる世界を示したかったのではないだろうか。そこに眼差しを向けずに、単純に経典に解かれる情景のみに拘束されて「仏さまの世界」を語ったのなら、それこそ、とらわれのみの有の世界となってしまうのではないかと、この事例以後、心がけて語るようにしている。まさに筆者にとって、日常の元気なうちから、心の目で大切なものを見ること、感じることを修養しつつ生きることがいかに尊いかを教えてくれた出会いであった。
4 患者が「死を語る」ということ
「死後の世界はあるのか?」「死後とはどんなところだろうか?」「この私が行けるのか?」「生きることには、どんな意味があるのか?」等々、これらスピリ
チュアルな問題といわれる設問を、ターミナル期に関わっていても何も問われない医療従事者がいたり、それを頻繁に問われる看護師がいたりする。これは、どういう理由なのだろうか?上記のような設問を、元気な時に私たちは、笑いごとのように否定的に語ったりする。しかしターミナル期にある患者の言葉は、真にそれを求める魂からの言葉ともいえるだろう。そしてそれはどのような人に対して吐露されるのか?束の間の関わり合いといえども、患者は真剣に関われると信頼を寄せる相手だからこそ、これらの問題を投げかけるのではないだろうか。いわば、これらの設問には、声にはならないが「あなたのことを信頼しているからこそ尋ねるのですが」という前置きが隠されていると受け取ってもいいと思う。もちろん、時には「こういう質問をして、試してやろう」といった気持ちが隠されているときもあるだろう。
だからこそ、「死後の世界は、どんな世界なのでしょうね?」と尋ねられた医療従事者が、「あかね雲みたいな世界かもしれませんね」と言ったものなら、「先生がそう言うなら、私もあかね雲の世界に旅立って行こうと思います」と、同調する言葉を返してくるほどだ。その大前提に立つのは、医療行為に対する技術や人柄による信頼性が重要であることを、忘れてはならない。
医療従事者側が、死後の世界を認めようが、認めまいが、専門職として一人の人間の人生の最期に関わろうというのであれば、自分の主義や思想は傍らにおいても、患者の心情を支え、不満の残らない状態で支えられたならいいだろうと考える。そのためには、自身の考えとは異なる考え方であったとしても、先ずは寛容に受け入れるというのは、根本的な専門家としての前提ではないだろうか。患者が「こうであったらいいのになあ」と発した場合は、なかばオウム返しのようでも「そうであったらいいですね」と、患者の言葉から見える死に対する希望や願いを、受けとめる姿勢が、心の安寧につながるのだろうと考えている。
5 死の世界を語る表現
死んだ後の世界は、どのように表現したらいいだろう。日本人はしばしば「あの世」と言うが、あの世は、良い意味合いが込められた表現だろうか。
「天国」はキリスト教で、仏教だと「極楽」「浄土」「彼岸」「仏国」、さまざまな言葉に微妙な差異があるようだ。宗教的な感覚に疎い日本人は、その使用方法は、使う人の受け止め方によって異なるようだ。場合によっては、患者があの世へ行くのを「怖いこと、恐ろしいこと」と感じているのにもかかわらず、医療従事者の側は、良き世界に旅立つ思いで「あの世」と使っている場合などがある。そんな場合は、どういう言葉を選んで用いたらいいだろう。
特定の宗教の言葉や、何か文化的なことを思いはかって、考えすぎた言葉の用い方は反って意思のすれ違いを生みやすいのではないかと考えられる。私は患者から、「死の向こう側(死後)の世界とは、どう考えたらいいですか?」「どう思い描いたらいいですか?」という質問に対しては、次にあげる二通りの表現を用いている。
一つは「あなたのお母さんのいる世界」という表現だ。これは仏教経典にも仏さまの心遣いを例えるとき、ブッダはしばしば「仏心とは、母の心のような」という表現を用いている。キリスト教における聖母マリアのように、仏教でも母の愛情の深さは、普遍的にうなずくことのできる、最も気高い愛情のしるしであるといえる。しかし時には「母と子」という愛情の関係も一般的ではない関係の母子もあることは、注意しなければならない。苦い思いをした事例に、「仏の世界はどのようなところか?」という質問を末期がんの初老の男性から受けた時のことだ。筆者はいつものように「お母さんのおられる世界」と吞気に答えたところ、男性は「母のいるような世界なら、行きたくはない」と苦言を返してきた。「どうして?」と尋ねると、男性の妻から「この人(夫)は、幼年期に母親に捨てられるように、他家に養子に出されたのです。その為に母親に恨みを感じて生きてきたのです。」 と注釈されて、一度出た言葉を戻すことのできない苦しさにさいなまれた経験がある。筆者は患者との面談前に、担当スタッフから、最低限のライ
フヒストリーを聞かせてもらうようにしているが、それでも「母との関係性」は、注意深く尋ねるように、この出来事の以後は心がけている。
もう一つは「あなたの大切な人々がいる世界」という表現だ。筆者の接する最も多い世代は、60代から80代前半位までの方々が多いのだが、既に父、母のいずれか、または両親を亡くされている場合が圧倒的に多い。もちろん親の健在の場合もある。誰かとの死別の体験をしていない人の方が少なく、誰かしら大切な人との死別の体験はしている世代といえよう。そのような場合は、「あの人」と限定して思い起こすことのできる「大切な人」と、亡くなったのちの世界で再会できると、受け止められたなら、死別の苦しみからは、いささかなりとも緩和されることだと考えられる。その時大切なことは、そういったことを伝えている私たちも、元気なように見えるけれど「いずれ何年かの後に、必ずそちらに旅立っていきます」ということを伝えることだ。そのことで「あなただけの死」ではなく、共に死に向って生きている「いのち」だと、感じてもらうことができるものだ。「大切な人のいる世界」という表現は、人と人とが関わりあって生きる人間の特性として、「私だけが終わっていく死」のネガティブな受け止め方ではなく、
「大切な人とまた会える死」というポジティブな死の受け止め方を与えてくれると考えることが可能といえる。
さらに「死の世界はどんなところでしょうね?」という質問を受けた時には、患者のベッドサイドで歌を口ずさんでみせるとう表現方法もある。
「日本人の大切にしてきた心の情景が、仏さまの世界を思い起こさせてくれる歌がありますよ。ちょっと歌ってみましょうか」と、言葉をかける。
「ふるさと」 作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一
1) うさぎ追いし かの山 小ぶな釣りし かの川夢は 今も めぐりて 忘れがたき ふるさと
2) いかにいます 父母 つつがなしや 友がき雨に 風に つけても 思いいづる ふるさと
3) こころざしを 果たして いつの日にか 帰らん山は 青き ふるさと 水は 清き ふるさと
思い出す自然の情景、大切な父母や友達、これらの歌詞には、大きな声を出す必要はなく、そっと患者の耳に聞こえるほどの声で口ずさめば、その情景はメロディにのって患者の心に届くと思われる。そしてこれからおもむく世界も「こうであったらいいな」と願わずにはおられない希望を持たせてくれる、歌には不思議なはたらきがあるといつも感じている。
結びとして
社会教化はさまざまな方法論を模索してきた。社会教化が対象とする現代の問題、人びとの声は多岐多様である。それだけに多様な方法論の実践が必要とされる。さまざまな実践の積み重ねを集積して宝庫とし、さらに有益な方法論を構築していかなければならないと考えられる。とりわけ東日本大震災以降、スピリチュアルケアワーカー、臨床宗教士、臨床仏教士等、心のありようにふれる臨床的な活動が認定資格としての展開も見せている。これはひとえに宗教的な言説が、求められていることの実証に相違ない。しかしそこでは日本人が宗教的な言説や宗派の特別な言葉を使わずとも、自然にその精神性をもって対処してきた「いのち」や、生と死の問題が、改めて普遍的でさまざまなアプローチから必要とされていると考えられる。欧米社会で「メメント・モリ(死を忘るることなかれ)」の辞があるように、仏陀も「生まれてきたという縁によりて死がある」と説き、死を正面から見つめることによって「いのちを生きること」を説かれた。これは人間
として、真実、必要だからこそ、こうした思索がなされてきたと疑うことはない。
一人の臨床家として、大切ないのちに寄り添う人々ともに、実践のネットワークを共有し、展開していけたらと望んでいる。
==
小山典勇先生への学恩に感謝をこめて 合掌
註
1) 小山典勇「社会教化とは何か〜その10年を省みて、仏教研究・教育の視点として
〜」大正大学研究紀要86、
2) 多くの事例は、拙著「また会える[さようなら]〜末期がん患者に仏教は何ができるのか〜」佼成出版2010にて表現した。
〈キーワード〉 死の臨床、ターミナルケア、社会教化、心のケア