2023/03/01

山岸巳代蔵全集│山岸风光│东洋号邮轮

山岸巳代蔵全集│山岸风光│东洋号邮轮

 
山岸巳代蔵全集

山岸风光 (发表日期:2017-07-12 09:56:11 阅读人次:8679 回复数:16)

  山岸巳代蔵全集刊行にあって

  


  


  


  
人として、この世に産まれたからには、「幸福に生きたい」というのが、人間誰しもの望みであり、それを願いながらの日々の営みと言えるだろう。それゆえ、真の幸福を求めてやまない多くの思索や実践が、人類の歴史の中で、時や場所を超えて幾重にも積まれてきた。しかし、「本当に幸福に生き得た」という人が、いったいどのぐらいいるだろうか。また、自分は幸福だと思っている人がいたとしても、それが、子々孫々変わりなく続く揺ぎないものだと、言い切ることができるだろうか。

  
ここに、一つの思想がある。

  
誰もが幸福に生きることは何も難しいことではなく、「幸福が当たり前で、一人の不幸な人もいない社会は人間自身の知恵と力によって必ず実現し得る」という信念を抱いていた、山岸巳代蔵の思想である。

  
一人ひとりは、「幸福でありたい」、「争いなどしたくはない」と心の底では望んでいるのに、なぜ仲違いしたり、反目しあったり、しまいには同じ人間同士での闘争にまで至ってしまうのだろう。山岸は、そんな人と社会のあり方に疑問を持ち、「人生の真の姿とはどのようなものか」、「本当の社会とは何か」と、真理の究明に自らのすべてを注ぎ込んで理想社会の実現を目指した。戦争の世紀とも云われる二〇世紀前半のことである。

  
そして、思索の中から一つの考え方を見つけ出し、〝ヤマギシズム〟と名づけた。同時に、その考え方を通して、「誰もが幸せに生きられる社会」を齎すための理念や具体的方法も、数多く提唱していくことになる。

  
その一つのかたちである「山岸養鶏」が戦後の日本農業界において一世を風靡する中、山岸巳代蔵の思想に触れ、それに共感を覚えた人達によって山岸会が結成され、その後、様々な活動が行われていった。山岸の没後、活動は時代と共に移り変わり、農業面のみにとどまらず、流通、教育、環境など多岐にわたって展開され、日本国内はもとより世界各地にも伝播していった。

  
だが一方で、かたちとなって現われた姿を、〝ヤマギシズム〟そのものと受け取り、誤解してしまうということが、実践しようとする人にもままあったし、周りからもそう見られがちであった。目に見える部分ではなく、どうしたら皆が幸せに暮らせる社会になるだろうか、本当に人間らしい生き方とは何だろうか、と探究しつつ実践する一人ひとりの中に、その精神が息づいてきたのだろうが……。

  
今ここで、私たちは改めて出発点に立ち返り、考えてみたい。はたしてヤマギシズムとはいかなる考え方なのだろうか。そして、山岸巳代蔵がその生涯をかけて究明した思想は、その到達した世界は奈辺にあるのだろうか、と。

  
それには様々なアプローチが可能であろうが、私達は、提唱者である山岸自身の著作や講演記録、口述記録などから、なんとかその本質を読み取ることができないだろうかと考えた。

  
ところが、山岸自身はかなり多くの文章や記録を残しているにもかかわらず、その提唱した考え方や思想、哲学、具体的実現方法等を知ることのできる資料は、わずかしか世に出ていない。山岸会会員ですら、その著作の一部しか知らないし、まして、それらがまとめられて公刊され、一般の目に触れたり、研究対象になるといったこともなかった。そこで、私たちはまず、山岸巳代蔵の著作・講演録・私信・その他の記録等の資料を整理し、公刊することから始めることにした。それによって、自分たち自身や、現在山岸会活動に関わっている人のみならず、広く世界の学者・研究者・実際家へ、研究資料として提供しようと考えたのである。

  
山岸自身が何を考え、どんな社会を描いていたかを、その著作や記録といった「文字」から正確に読みとることは、難しいことかもしれない。また、人の一生や社会は生きたものであり、その本質や妙味、肝心なところは、どれだけ言葉を並べても、表現できないものなのかもしれない。

  
ただ少なくとも、本全集の刊行によって、この思想が広く様々な人々の目に触れる機会が増えるであろう。そして、公正な批判・検討の対象となることで、〝ヤマギシズム〟の解明が進み、誰もが希求してやまない、ほんものの幸福社会、仲良い住みよい社会を齎す一助となすことができれば幸いである。

  
二〇〇四年三月

  
山岸巳代蔵全集 刊行委員会

  


  
来源 http://www.yamagishi-miyozo.org/

  


 回复[1]: 山岸巳代蔵全集第一巻目录 骏骏 (2017-07-12 09:56:37)  
 
  ◆ 山岸会養鶏法 農業養鶏編

  
本書は幸福の書

  


  
改訂に当りて

  
ヤマギシズム社会式養鶏法

  
一 特別解説

  
1 本書を読みとり兼ねる人に

  
2 この養鶏法を批判する人に

  
3 現状に満足している人に

  
4 頭の悪い人のために

  
5 私が貧乏しているように誤解する人に

  
6 山岸三号種について

  
二 総論 養鶏産業の重要性

  
三 事業態による分類とその将来性

  
四 産業養鶏の分類

  
五 目的生産物から見た部門とその概要

  
六 本養鶏法の沿革

  
七 農業養鶏とは

  
農業養鶏の使命

  
農業経営の一環としての農業養鶏

  
副業養鶏は永続しない

  
農法と養鶏の関連性鶏糞と農業経営

  
肥料問題の解決農業養鶏の強靭性

  
経営上の弱点  技術面の弱点

  
余剰労力と人間生活

  
山岸会養鶏法の一貫性

  
人類生活に花を贈るもの

  
物心共に満ち足りた協力社会へ

  
農業養鶏の真髄

  
八 農業養鶏には

  
技術よりも経営を、技術・経営よりも根本原理を先に

  
堆肥熱育雛推奨の理由

  
生魚屑養鶏を排する理由

  
九 失敗の実例とその原因

  
十 山岸会とは

  
十一 体験発表

  
十二 結 び

  
補遺・『山岸式養鶏法 農業養鶏編(前編)』より

  
◆山岸式農業養鶏について

  
ナマクラ養鶏の真髄

  
真理追究から発した養鶏

  
自ら墓穴を掘る

  
――無制限の増羽による半専業化は危険

  
病災は内より ――鶏舎の作り方について

  
家相

  
◆山岸式養鶏法の実際

  
稲と鶏(一)

  
稲と鶏(二)

  
稲と鶏(三)

  
農業養鶏の目標

  
ニューカッスル病について

  
鶏舎

  
【参考】山岸養鶏古参者どのへ

  
◆獣性より真の人間性へ

  
獣性より真の人間性へ(一)

  
獣性より真の人間性へ(二)

  
◆山岸式養鶏会会報・創刊号より

  
○米を一粒も輸入せずして満腹する法

  
○会員諸氏に図る

  
──会の技術と私の技術の公開について

  
○本会の現状を検討しましょう

  
【参考】高槻のお母さん

  
【参考】無資本から五○○羽養鶏へ

  
【参考】 技術を統一しよう

  
運営の方法を研究しよう

  
【参考】編集後記

  
【参考】何故雛を寒さにさらして訓練するのか

  
◆山岸式養鶏会会報・第二号より

  
○会の性格と運営について

  
○孫会員・孤独会員・無籍者を

  
無くしましょう

  
○籠を編むに竹を使う男

  
○難解な私の言動

  
○山岸式養鶏法

  
【参考】 ことばと真理 

  
・・・・・・・・・・・・・・・・・

  
【補遺】 山岸会と山岸巳代蔵

  
【資料】山岸会創設期の記録から

  
①山岸式養鶏会生い立ちの記/和田義一 

  
②本部研鑽会記  

  
③懐想・メーポール /かばくひろし

  
④八年前感激のめぐりあい/座談会記録

  
第一巻の編集を終えて

  
【資料】山岸巳代蔵年譜・山岸会年表

  
〈付録〉山岸巳代蔵 著作・口述等 資料目録

  
用語・人名解説

  
索引

  


  

 回复[2]:  骏骏 (2017-07-12 09:57:59)  
 
  第二巻について

  
この巻では、一九五四年一二月に発行された『山岸会・山岸式養鶏会会報・第三号』(以下『会報三号』)に掲載されたものから、一九五八年二月に発行された『快適新聞第四三号』に掲載されたものまで、約三年間にわたる、山岸巳代蔵の著作や講演録・口述録及び、山岸の著作ではないかと伝えられ、扱われているものなどを収録した。

  
『会報三号』において、山岸巳代蔵は『世界革命実践の書』として、〈ヤマギシズム社会の実態(一)〉、〈知的革命私案(一)〉、〈知的革命の端緒・一卵革命を提唱す〉の三論文を発表した。これらの論文は、それまでのような、養鶏の経営や技術の中に山岸の思想や哲学や方法論を織り込んで発表するものでなく、山岸の考える理想社会(ヤマギシズム社会)構想やその実現方法を、初めて、包括的に、具体的に、正面から発表したものである。極めて短時間のうちに綴られたものであるが、青年期に構想しその後再検討を加えてきたものが端的に提案されている。この論文が発表された背景には、山岸式養鶏会の全国への急速な拡がりがあり、社会的にも山岸の思想が受け入れられる素地ができてきたという確信があったのではないかと思われる。

  
これらの論文はその後、『ヤマギシズム社会の実態―世界革命実践の書』という一冊の本としてまとめられ、発表から約一年後に開催される「山岸会特別講習会」の研鑽資料として使用された。そして現在に至るまで、一三版を重ね、今もなお「ヤマギシズム特別講習研鑽会」において使用されている。

  
山岸はその翌年、〈二つの幸福・真の幸福と幸福感〉を発表、また、山岸会会報に替わり山岸会の機関紙としての役割を担った『農工産業新聞』に〈山岸養鶏の真髄〉を連載する。そして、一九五六年一月には「山岸会特別講習会」(以下「特講」)が初めて開催され、それまでは養鶏を通して広がった山岸会の活動も、そのもともとの趣旨である「幸福社会づくりの会」というあり方を鮮明にし、新たな段階に入っていく。

  
この第一回特講の冒頭に行われた山岸巳代蔵・志津子夫妻による特別講演は、幸いなことに録音されたテープが現存しており、それを活字に起こすとともに、CDにその録音を収録して別売付録とすることにした。その肉声から伝わってくるものも味わい深いものがあるのではと思う。

  
特講開催以降には、山岸名で発表された著作はほとんど見当たらない。一九五七年一月に創刊した『快適新聞』に掲載されたものはほとんどが講演録か口述録、あるいはペンネームを使ったり、他人名での著述となっており、例えば〈出精平使より愛妻への手紙〉は守本道夫の名で発表している。それ以外にも、本巻に収録した〈飼料のよしあしは鶏に聞く〉という文章が、当時の会員であった明田久雄名義で書かれたという記録がある。このように、山岸が他人名やペンネームを使って発表したと推測さるものが、多数ある可能性がある。例えば、第二巻関連の資料として収録した〈開拓と養鶏〉〈あんまり話がウマすぎる〉などがそれにあたるが、現段階では確認できていない。これからも調査を続けていくつもりである。

  
特講を受講した山岸会会員は、理想社会実現を目指して、全国各地で支部活動を展開し、近隣・同業の人々を続々と特講に送り出した。その結果、特講受講者は急速に増え、一九五六、五七年の二年間で四五〇〇名を超える。その中から、和歌山県有田郡金屋町下六川や山口県の大島で、農業経営を一つにした一体経営の動きが始まるなど、さまざまな動きが始まった。こうした運動の活発化を背景に、一九五八年三月、「山岸会式百万羽科学工業養鶏」構想が発表され、具体化されていくのであるが、それについては、第三巻を楽しみにしていただきたい。

  
また、今回、特講を受講したことのある哲学者の鶴見俊輔氏より、ご自身と山岸会との関わりを綴った文章を送っていただいた。鶴見氏はこれまで一貫してヤマギシズムに対する関心を持ち続けておられ、全集刊行の仕事への励ましの言葉もかけてもらった。そこで、送っていただいた文章と、これまでにヤマギシズムに関して書かれた文章をまとめ、特別寄稿として収録した。

  
二〇〇四年一〇月一〇日

  
山岸巳代蔵全集刊行委員会

 回复[3]:  骏骏 (2017-07-12 09:58:49)  
 
  第二巻目次より

  
◆ヤマギシズム社会の実態

  
ヤマギシズム社会への世界革命実践の書

  
解説 ヤマギシズム社会の実態(一)

  
まえことば

  
一 零位よりの理解を

  
二 宗教に非ず

  
三 自己弁明 ―人物を切り離した批判を ―

  
四 技術出し惜しみの批難に対して

  
五 同調の人々と共に

  
六 山岸会と山岸式養鶏会との関連

  
第一章 概要

  
一 真実の世界

  
二 かつてない新しい社会

  
三 法で縛らぬ社会

  
四 機構と人情社会に

  
五 悪平等を押し付けぬ社会

  
六 差別待遇のない社会

  
七 貧困者のない社会

  
八 幸福一色 快適社会

  
九 陽的社会・暗黒の夜から昼の世界へ

  
一〇 物は飽くほど豊満な世界

  
第二章 構 成

  
一 幸福研鑽会

  
二 専門研鑽会

  
三 構成員

  
1 幸福会員(物心幸福会員の略称)

  
2 十人のメンバー

  
四 要約

  
知的革命 私案(一)

  
一 正しきに戻す

  
1 世はまさに逆手なり

  
2 アメリカに日本の心が掴めたら

  
3 ああ、チャンスは彼方へ

  
4 わがために乞うにあらず

  
5 正か逆か

  
6 ヤマギシズム社会に

  
7 革命提案の弁

  
8 知的革命の呼称と性格

  
9 なぜ幸福社会が実現しなかったか

  
10 「具現方式」によって

  
11 具現方式は何にでも

  
12 人間の知能

  
13 不幸の原因

  
14 人情社会組織に改造

  
15 人種改良と体質改造を

  
16 百万人のエジソンを

  
17 女性は三〇〇人近くの直子を遺す

  
18 体質改造

  
二 先ず日本から

  
1 日本なる呼称

  
2 乏しき日本

  
3 日本人の反省

  
―国境をなくし理想社会へ通ずる近道―

  
4 日本を豊かに

  
知的革命の端緒 一卵革命を提唱す

  
一 前説

  
1 日本の鶏と農

  
2 働き過ぎる ―馬鹿働きを―

  
3 日本農民の仕事

  
4 卵を五円に引き下げましょう

  
5 私は秘密を堅持している

  
6 養鶏技術について

  
7 云いかけて云わないことと

  
後編発行を遅らせている理由は

  
8 一卵革命具現方式の要約

  
二 本旨 心あらば愛児に楽園を

  
1 源泉の涵養

  
2 鶏を飼う身で協力

  
3 学者に一卵を

  
4 疎遠の会員の質問に応えて、会の実情を

  
5 学問・頭脳を優待しましょう

  
6 主として種鶏家に提案

  
7 一卵革命の弁

  
8 万金積んでも買えない卵を

  
◆山岸会・山岸式養鶏会会報 第三号より

  
○ゴヂャゴヂャ云いなさんな

  
○農山村の今日の姿を眺めて 

  
―一九五四年の歳の瀬に―

  
〈参考資料〉ことばと真理(二) 

  


  
◆山岸会式養鶏の急所と成功への道順

  
一 まず本文を一字も余さず何回も繰り返して

  
意読すること

  
二 何ゆえに鶏を飼うのか

  
三 自分だけのもうけのためでない

  
四 山岸会式養鶏の目的

  
五 どんな時代でも絶対に脱落しないためには

  
―成功の急所と道順―

  
六 高度化技術を要すること

  
─ 永久に安定した経営である道は─

  
◆二つの幸福 ― 真の幸福と幸福感―

  
仮の幸福(幸福感)に生きる愚かしさ

  
感(幸福感)人種のいかに多きことよ

  
真の幸福はいずこに……方法あり、具現方式で

  
山岸会の結合とその活動

  
ヤマギシズム社会は、幸福研鑽会から

  
山岸会とは

  
〈書簡〉諸畑のみなさまへ

  
―明田正一氏宛の通信から

  
◆山岸養鶏の真髄

  
一 損をさせては申しわけないと思って言うのです 

  
二 真理から外れて、真果は得られない

  
三 賞金一万円または十万円技術について

  
四 第一回特別講習会開催と

  
秘匿技術実施種鶏場参観について

  
五 秘匿技術実施種鶏場参観

  
六 求むれば得らる 

  
──希った鶏界総親和の日はまさに──

  
七 鶏界を毒するもの

  
八 盲腸炎 

  
九 山岸養鶏成功の最大条件(秘訣公開)

  
◆第一回特別講習研鑽会にて

  
○全人幸福のため

  
第一回山岸会特別講習研鑽会 〈記念講演〉から

  
○全人幸福 愛和の誓

  
○第一回特別講習研鑽を共にした、わが一体の家族、なつかしの兄姉弟妹よ、わが父・母・妻・子よ

  
◆農工産業新聞より

  
○点灯について 

  
○飼料のよしあしは鶏に聞く

  
○早く話の通ずる人に

  
○立卵鑽より(1)

  
○立卵鑽より(2)

  


  
◆快適新聞より

  
○出精平使より愛妻への手紙(一)(二)

  
○無数の愛人と共に/愉快の幾千万倍の気持

  
○知らぬが仏(一)

  
○知らぬが仏(二)

  
◆第二巻関連の資料から

  
○第一回全国大会記

  
○長岡幸福研鑽会

  
○第一回特別講習会記

  
○腹の立つのが当然と決めていた人が 亀井正子

  
○ あんまり話がウマすぎる

  
○醍醐味の満喫─親愛の会員を訪ねて 宮下安一

  
○下六川一体作業実践報告 杉本利治

  
○開拓と養鶏 田島薫2

  
○山岸さんとコクシジウム 明田恵二

  
第二巻の編集を終えて

  
凡例/第一巻の正誤訂正

  
特別寄稿 ヤマギシ会と私鶴見俊輔

  
〈付録〉山岸巳代蔵・山岸会関連地図

  
山岸会組織図

  
山岸会趣旨・会旨

  
山岸巳代蔵 著作・口述等 資料目録

  
用語・人名解説

  
索引

 回复[4]:  骏骏 (2017-07-12 09:59:20)  
 
  第三巻について

  
この第三巻に収録した山岸巳代蔵の著作や口述、その他の記録は、一九五八年から一九六〇年前半にかけてのものである。

  
一九五六年一月に「山岸会特別講習研鑽会(特講)」が始まり、それを受講した会員が増えるにしたがって、山岸会の支部は全国に広がっていった。特講は、関西地方では連続して開かれ、関東地方でも開催されるなどの活況を呈し、受講者は一九五七年だけで二千五百人を数えるまでになる。

  
特講の拡大に伴い、運動の方向も様々な広がりを見せ、現状そのままでの理想社会実現を目指す一体経営的な試みも、和歌山県有田郡下六川や山口県大島郡など各所で起ってきた。

  
そうした中、一九五八年三月に「山岸会式百万羽科学工業養鶏(百万羽)」構想が発表されると、各地で中心的に活動を行っていた会員たちが続々とそれに参画、七月には三重県四日市市赤堀で創立総会が開かれ、八月から三重県阿山郡春日村(現伊賀市)に「ヤマギシズム生活実践場・春日実験地」が造られ、参画した有志会員による「一体生活」が始まった。

  
山岸巳代蔵自身も、特講の連続開催や、「百万羽」の建設活動に深く関わっていた。同時並行で、愛情問題の探究にも携わっており、そういった多忙の中にあったためか、この時期の山岸の著述は非常に少ない。「百万羽」構想に関するものも、講演記録や座談会記録があるのみで、まとまった著述はない。したがって、「百万羽」関係で本巻に収録したものは、主に『快適新聞』に発表された記録類である。

  
「百万羽」建設の最中、一九五九年四月一五日、山岸は『真目的達成の近道』を発表し、「急進拡大運動」を会に向けて提案した。そして、一九五九年七月に「山岸会事件」が起る。

  
これらの運動や事件の事実経緯や、その意味については、本巻に収録した山岸の著作や、巻末に収録した試論を参照していただきたいのだが、結果として、山岸巳代蔵は運動の渦中から一時的に離れることになった。

  
そのことで、山岸は著作に専念できる時間が持てるようになり、この時期の著作は、未発表のものや草稿段階のものを含めて、かなりの量に及んでいる。本巻では、それらのうちから、当時発表された『愛和―山岸巳氏からの第一信』、『山岸会事件雑観』の他、生前には発表されなかった『第二信』や『正解ヤマギシズム全輯』草稿の一部(没後に「ボロと水」に掲載されたもの)、『盲信について』を収録した。

  
一九六〇年四月、山岸巳代蔵は、『声明書』を発表して自ら警察に出頭し、その後三重県津市に移った。そして、この頃に、「ヤマギシズム生活実顕地」構想の第一弾と言うべき、『金の要らない楽しい村』、『ヤマギシズム生活実顕地 山田村の実況』の二編を書き上げることになる。

  
以上が本巻に収録した、著作や記録の概要であるが、前述したように、山岸会事件後、警察に出頭するまでの約九ヶ月間に書かれた著作は多い。だが、大部分は草稿段階のものであり、ほとんどが未整理で、発表できる段階にはない。

  
本全集は、これまでは時系列に沿って山岸巳代蔵の著作や記録を収録してきたが、右のような事情により、第三巻においては、すべての著作や記録を成立年代順に載せていくことはできなくなった。したがって、この巻に収録したのは、山岸の生前に公に発表されたものや、没後に山岸会関係の出版物に掲載されたり、なんらかの形で発表されたものである。未発表・未整理の記録や草稿類については、準備ができたものから、刊行リストに加えていく考えである。

  
二〇〇五年三月

  
山岸巳代蔵全集 刊行委員会

 回复[5]:  骏骏 (2017-07-12 09:59:47)  
 
  第三巻目次より

  
◆『山岸会式百万羽科学工業養鶏』構想とその実態

  
百万羽養鶏を語る座談会

  
〈参考〉有志各位の質問に答えて

  
百万羽の育雛室見学料は春日村繁栄速進会の収入

  
◆『快適新聞』より

  
コクシの秘匿技術公開

  
固定したものはない

  
〈参考〉脂肪鶏を解決する方法8

  
話し合える場がほしい

  
〈参考〉『ひとことずつ』より

  
真目的達成の近道

  
◆山岸会事件中の記者会見

  
◆『愛和―山岸巳氏よりの第一信集』より

  
会員のみなさんへ ―― 第一信

  
私の態度を截る

  
ハイハイ研鑽について

  
思いごと叶えるにはまず零位になること

  
◆第二信

  
◆『正解ヤマギシズム全輯』草稿より

  
正解ヤマギシズム刊行に当たりて

  
刊行にあたりて

  
〈参考〉恋愛と結婚について ─山岸巳代蔵氏の結婚観を軸にして─ 安井登一

  
◆盲信について

  
盲信について

  
ハイハイ研の解答の抜書き

  
◆山岸会事件雑観  

  
一、私の立場

  
二、私はヤマギシズムをこう思う

  
三、ヤマギシズムと山岸会

  
四、山岸会特別講習研鑽会について  

  
五、山岸会式百万羽科学工業養鶏㏍について  

  
六、世界急進Z革命について

  
七、Xマンについて 

  
八、私の感想

  
あとがき

  
◆声明書

  
◆金の要らない楽しい村

  
研究家・実行家に贈る言葉

  
総論

  
◆金の要らない楽しい村 

  
ヤマギシズム生活実顕地 山田村の実況 

  
1 小さな研究会

  
2 方向転換

  
3 新機軸への展望

  
4 村造りの研究

  
5 世界革命の口火

  
◆ 第三巻関連の資料から

  
《資料Ⅰ》百万羽子供研鑽会

  
《資料Ⅱ》春日村繁栄速進会会則

  
《資料Ⅲ》話し合い(研鑽)と革命

  
《資料Ⅳ》無駄にはしないむかえ水 明田正一

  
《資料Ⅴ》木下雅巳手記(抄)

  
第三巻の編集を終えて

  
〈試論〉『百万羽養鶏』の展開 山口昌彦

  
山岸会・百万羽養鶏関連年表

  
〈試論〉報道にみる山岸会事件 佐川清和

  
〈付録〉 山岸巳代蔵 著作・口述等 資料目録

  
用語・人名解説

  
索引

 回复[6]:  骏骏 (2017-07-12 10:00:10)  
 
  第四巻について

  
この巻に収録した文書は、一九六〇(昭和三五)年秋頃から、翌一九六一年五月に旅先の岡山県興除村(現岡山市)で山岸巳代蔵が逝去するまでの、八ヵ月足らずの間に語られた口述録及び研鑽会記録等である。

  
この時期、山岸自身は、三重県の津市や名古屋を拠点としながら、ヤマギシズム理念を検べていく研鑽会を開催し、実際にヤマギシズム運動やヤマギシズム生活実顕地づくりに向けての様々な活動を行いながら、著述としては主に口述筆記によって、多数の記録を残している。

  
その中には、未発表のものや、未整理のものが含まれていて、現段階ではまだ公刊できないものも多い。したがって、この第四巻では、この時期の口述著作及び研鑽会記録の中で、一応何らかの形で世に出たものの他に、未発表記録のうちから整理の出来たものを加えて刊行することにした。

  
山岸会事件(一九五九年七月)以後、表立った組織的活動こそ見受けられなかったものの、山岸会員は地道な活動を続け、和歌山県、三重県、山口県、長崎県などでの一体経営を目指した動きや、東京に出向いてヤマギシズムを社会に広く紹介していく活動などが活発に行われていた。一方で、ヤマギシズム生活実践場春日実験地も、山岸会事件やその後の伊勢湾台風等の壊滅的な打撃による窮乏生活を乗り越えて、次第に一体生活の顕現へと向かって歩き始めていた。そんな時期に、山岸が口述したのが、本巻に収録した『体質改造に想う』、『山の鶏のあり方』、『一体生活について』、『聴く態度について―夫婦のあり方』である。

  
また、一九六〇年後半頃から、春日実験地のように家屋敷を売り払って一ヵ所に集合する形態でなく、現状そのままで生活そのものを一つにしていく、財布一つの、金の要らない「ヤマギシズム生活実顕地」への動きが各支部間に広まり、一九六一年一月末に、実顕地第一号として兵庫県に北条実顕地が誕生、その後、各地に実顕地が次々と誕生することとなる。

  
「ヤマギシズム生活実顕地」構想については、既に第三巻に収録した『金の要らない楽しい村』、及び『ヤマギシズム生活実顕地 山田村の実況』の中で触れられている。『山田村の実況』では、実顕地はこのように生み出されてゆくであろうとする見取り図を、架空の村を舞台にして描き出しているが、現実も、無いはずの「山田村」と同じように進行し、具体化していった。本巻に収録した『ヤマギシズム生活実顕地について―六川での一体研鑽会記録から』(一九六〇年一〇月・和歌山県金屋町)と、『実顕地養鶏法発表会』(一九六一年五月・岡山県興除村)は、共に、当時まさに実顕地をつくろうとしている会員やその周囲の会員に対して、ヤマギシズム生活実顕地だけでなく、研鑽学校・試験場・振出寮など一体生活を成立させるための機構と、その元となる心のあり方について、山岸が詳しく語った貴重な記録である。「山田村の実況」は、第三巻発行の後に口述筆記の原本が見つかり、そこにはこれまで未発表の、続きの部分があって、ヤマギシズム生活実顕地調正機関のことも書かれていたので、本巻冒頭に『山田村の実況(続)』として収録した。なお、研鑽学校については、山岸が口述した「ヤマギシズム研鑽学校案内」があり、それを収録した。

  
実顕地造成が進む一方で、社会に向けて広くヤマギシズムを打ち出していく活動も、同時に展開されている。一九六〇年八月には山岸会事件後最初の特別講習研鑽会(特講)である第八八回特講が東京で、翌年三月に三重県津市で「法政産経Z革命特講」が開催された。この「法政産経Z革命特講」に向けて全国都道府県で日を定めて一斉に配布されたのが、『Z革命はあなたの身辺に』であり、この特講の参加者に向けて送られたメッセージが『理想社会を目指して―一粒万倍に』である。

  
さらに、実顕地に関連して、「ヤマギシズム社会式養鶏法」が発表された。この養鶏法は、これまでの農業養鶏法とは違い、無所有・一体、完全分業の「ヤマギシズム生活実顕地」を基盤とする養鶏法であり、『山岸会養鶏法・増補改訂・農業養鶏編』(本全集第一巻所収)にその発表を予告していたものであった。これに関わる資料として残っているのが、一九六一年四月二日に山岸自身が参加して名古屋の八事園で行われた『ヤマギシズム社会式養鶏法について』の座談会記録であり、一九六一年四月一六日に名古屋で行われた「ヤマギシズム社会式養鶏法」発表会に向けて山岸が送った『社会式養鶏法発表会に寄せて』のメッセージである。また、同年四月の『ヤマギシズム』紙〈意見の広場〉欄には、研鑽によって個々の囲いを無くし、ヤマギシズム実顕地の造成をと呼びかける趣旨の原稿を掲載している。

  
こうした著作や記録からは、最晩年の山岸巳代蔵が、胸に秘めていた幸福社会実現の具現方式であるヤマギシズム実顕地構想を、情勢を見ながら、その受入れ準備の出来る段階に応じて打ち出してゆく姿を読み取ることが出来る。

  
ヤマギシズム実顕地造成、そしてそれと併行しての、社会に向けてのヤマギシズムの提案といった動きの渦中にあって、山岸は次第に身体の健康を損なっていく。にもかかわらず、自分の思想や具現方式を出来るだけ伝えて、全人幸福社会の実現に尽したいという思いからだろうか、山岸は体力の許す限り各種の研鑽会に出席した。そして、四月末に当時の居宅であった三眺荘(三重県津市)で行われた『さびしがり研鑽会』及び『会いたい見たい研鑽会』の後、山岸はその終焉の地となる岡山へと旅立つ。なお、この二つの研鑽会記録は、長年人目に触れることがなく、今回初めて公開されるものである。

  
山岸は、五月一日から岡山県興除村に於て持たれた『科学・研鑽態度について』、『実顕地養鶏法発表会』等の研鑽会に出席した後、五月三日に引き続き当地で行われた『一体高度研鑽会』に出席していたが、午後五時三〇分、発言中に頭痛に襲われ、くも膜下出血で倒れた。そして一九六一年五月四日午前零時五〇分、そのまま帰らぬ人となった。享年五九歳であった。

  
なお、本巻巻末資料として、山岸の死後に発表された『ヤマギシズム生活中央調正機関』、『ヤマギシズム世界実顕試験場機構』などを紹介した。これらの発案が山岸によることは間違いないとしても、最終的な文書の作成にどこまで関わっていたかは不明である。また、実顕地造成の記録として、一九六三年の六川の記録と、北条実顕地の荒瀬崎次の当時を振り返っての談話を収録した。そして、岡山で山岸が亡くなった直後に現地で行われた追悼研鑽会の記録も併せて収録した。

  
本巻に収録した資料のうち、名古屋での『ヤマギシズム社会式養鶏法について』の音声記録を別売付録CDに収めた。当時の生の声は貴重な資料である。併せて味わっていただきたい。

  
二〇〇五年一〇月

  
山岸巳代蔵全集 刊行委員会

 回复[7]:  骏骏 (2017-07-12 10:00:38)  
 
  第四巻目次より

  
◆金の要らない楽しい村 

  
ヤマギシズム生活実顕地 山田村の実況(続)

  
◆ヤマギシズム生活実顕地について

  
――六川での一体研鑽会記録から

  
◆一体生活について その他  

  
〇体質改造に想う

  
〇山の鶏のあり方

  
〇一体生活について

  
〇聴く態度について――夫婦のあり方

  
◆法政産経Z革命特講に向けて

  
〇Z革命はあなたの身辺に!

  
〇理想社会を目指して―一粒万倍に

  
◆ヤマギシズム社会式養鶏法について

  
〇ヤマギシズム社会式養鶏法について

  
――名古屋での座談会記録から 

  
〇 「意見の広場」から

  
〇社会式養鶏法発表会に寄せて

  
◆ヤマギシズム研鑽学校案内

  
◆津での研鑽会の記録より

  
〇さびしがり研鑽会の記録

  
〇会いたい見たい研鑽会の記録

  
《参考》春日山の食堂の張り紙

  
◆岡山での研鑽会の記録より  

  
〇科学・研鑽態度について

  
〇実顕地養鶏法発表会

  
〇岡山一体高度研鑽会の記録

  
◆ 第四巻関連の資料から

  
《資料Ⅰ》ヤマギシズム実践諸機関について

  
〇一体社会の具現方式発表さる

  
〇解説・ヤマギシズムの各種実践活動体について

  
《資料Ⅱ》ヤマギシズム生活中央調正機関

  
《資料Ⅲ》ヤマギシズム世界実顕試験場機構

  
《資料Ⅳ》一体化による私達の農業経営概要六川実顕地の実例から

  
《資料Ⅴ》北条実顕地の始まりと山岸さん

  
《資料Ⅵ》山岸巳代蔵追悼研鑽会の記録

  
山岸巳代蔵 著作・口述等 資料目録

  
用語・人名解説

  
索引/凡例

 回复[8]:  骏骏 (2017-07-12 10:12:45)  
 
  第五巻について

  
山岸巳代蔵全集第五巻には、一九六〇年七月から一九六一年三月まで、九回にわたって行われた「ヤマギシズム理念徹底研鑽会(「理念研」)の記録のうちの前半部分、第一回(七月)から第四回(九月)までの記録を収録した。本全集は、第四巻までは時系列に従って、すでに発表されたことのある山岸巳代蔵の著述や記録を中心に、整理・収録してきたが、ここからは、未発表資料を主に収録していくことになる。この第五巻に収録した記録は、第三巻収録の『金の要らない楽しい村』、『ヤマギシズム生活実顕地―山田村の実況』(一九六〇年五月頃)の後から、第四巻収録の『ヤマギシズム生活実顕地について』(和歌山県六川での記録・同年一〇月)の前までの時期にあたる。

  
「理念研」の記録は、研鑽会の記録である。その中に山岸巳代蔵の発言もあり、様々なやりとりのなかで「ヤマギシズム」なり、山岸の思想が語られていくというふうになっている。実際の対話の中で語られているがゆえに、各出席者の生々しい息づかいが感じられる。

  
一般的に、あるグループの人々の中で行われる対話は、共通の前提知識を持たない人にとっては、分かりにくい面がある。そうした場合、その発言の語られた時代、社会風潮、そのグループの持つ共通認識等をある程度知っておくことが理解の助けになる場合がある。逆に、それが先入観になって、誤解へと導くこともあり得る。どの程度注釈を施しておくかは難しい問題であるが、ここでは、一般的な社会事情と当時の山岸会の運動、主な出席者について、理解の助けとなると思われる範囲の説明を加えておきたい。

  
この「理念研」が始められた、一九六〇年の七月は、山岸会事件から約一年が経過した時期にあたり、ともすればそれまでは〝養鶏〟というキーワードで語られることの多かった山岸会活動が、思想的に、或いは社会活動の一つとして認知されていく過程の中にあった。

  
日本の社会状況は、流動的で、活況を呈していた。日米安全保障条約の改訂反対の声に日本中が大きく揺れる一方で、経済は戦後の窮状を脱して、高度成長への階を登りつつあった。世界では、冷戦構造の中、ソ連がアメリカとの人工衛星打ち上げ競争で一歩リードし、中国の人民公社による生産手段の共有化や経済の「大躍進路線」が大きな話題を呼び、キューバにも共産党政権が樹立されるなど、共産主義が大きな波を起していた。 北朝鮮でも、農業協同化の推進、完全配給制等が進められて、識者・学生の中には、そこに新しい進歩的な考え方を見る人もいたし、一部のマスコミは、北朝鮮を「地上の楽園」ともてはやしたりもした。宗教界では、創価学会が、青年部を中心に「折伏大行進」と呼ばれる大々的な勧誘キャンペーンを行っていた。つまり、この時期は、様々な動きの中で揺れ動く日本社会の方向性が、ある意味で決定づけられるような時期であったとも言えるだろう。

  
しかし、山岸は、こうした社会の動きや世論の動向に対して、危機感を抱いていたようだ。「理念研」の中でも、社会の動きが話題に上ったり、「宗教と研鑽の異い」等がテーマとなったりしている。

  
順調に会員を拡大しているように見えた山岸会の活動は、山岸会事件を境に、一つの転機を迎えていた。特別講習研鑽会は一九五九年七月から中断され、「ヤマギシズム生活実践場春日実験地」は、事件とその後の伊勢湾台風による壊滅的な打撃の影響もあって、窮乏生活の下にあった。参画者の中には、資金難から縁故者の所に一時的に身を寄せたり、資金を稼ぐために土方に出たり、女中奉公をしたり、行商に回ったり、工員となったりする者もいた。事件後の動揺の中で運動から離れる者もいた。しかし、現象的には窮状と見える中にありながら、本来の目的とする一体生活の顕現へと向かって歩き始めていたのもまた事実である。東京へ出て、一体生活をしながら学者や政治家に山岸会の活動を知らせようとする女性達もおり、それらが結実して、一九六〇年八月に東京で、事件以降初めてのヤマギシズム特別講習研鑽会(特講)が企画され、実施されることになった。これは、〝ヤマギシズム〟という一つの思想を前面に押し出した内容のものを、学者や政治家なども含めた知識人層に呼びかけて行われたものであった。

  
全国各地の山岸会員の間では、一体経営を目指す試みが始まっていた。和歌山県有田郡下六川、長崎県西彼杵郡の「青い鳥農場」、京都府伏見区の久我、山口県大島郡その他、各地でその動きが起っていたが、中には、〝一体〟と〝共同〟の本質的な異いが分からないままに、より世間的に受け入れられやすい〝共同〟から〝一体〟へと漸進しようという考えを持ち、その方向へと進んでいくところもあった。

  
山岸会活動に影響力を持つメンバーの中にも、〝ヤマギシズム〟に対する理解が十分でなかったり、一体になりきれないという状況が存在した。広く社会に向けて一つの〝イズム〟を打ち出していこうという時に、内部の不一致は運動の足元を掬いかねない要素だった。

  
こうした状況の中で、運動の中核となるメンバーの中でのヤマギシズムへの理解や、一体化を図るために、山岸は「理念研」という機会を設けたというような観方も可能であろう。

  
山岸巳代蔵自身は、一九六〇年四月に自ら警察に出頭して、その後、三重県津市阿漕の「三眺荘」という借家に居を定め、福里柔和子との新たな生活を始めていた。この「三眺荘」は、翌年五月に岡山で逝去するまで山岸の生活の拠点となった場所で、本巻で採り上げる「理念研」の舞台となった。

  
この「ヤマギシズム理念徹底研鑽会」に山岸が当初参加を呼びかけたのは、明田恵二、戎井章雄、奥村久雄、奥村通哉、坂本哲夫、杉本利治、西辻誠二、安井登一、山本作治郎、山本英清の十人で、そこに山岸自身と柔和子が加わっていた。全員が毎回出席していたわけではなく、また、他のヤマギシズム生活実践場のメンバーや山岸会員が加わるケースもあったが、一応、レギュラーメンバーとしてはこうした人々が想定されていたようである。これらの人々については、巻末の用語・人名解説に略歴を載せている他、口絵写真においても可能な限り当時の写真を載せた。いずれも、当時の山岸会や「ヤマギシズム生活実践場」に相当の影響力を持っていた人々である。

  
なお、この第五巻では、「理念研」第一回~第四回の記録以外に、それに先立って持たれた、ヤマギシズム特講打合せ」、「明田恵二氏との対談」及び、「七月一五日の談話」の三篇も収録した。これらの資料はこの「理念研」の持たれた背景を知るために興味深い資料である。

  
また、参考資料として『フルシチョフ首相及びソ連の友へ』、『第一回理念研への呼びかけ』、『第二回理念研への呼びかけ』、『第八八回特講のお知らせ』、『内閣総理大臣 池田隼人殿―特講への招待状』を収録した他、研鑽会の筆記録を一貫して担当した奥村通哉へのインタビューを収めた。背景を知る資料として貴重なものであり、併せて読んでいただきたい。

  
二〇〇六年五月

  
山岸巳代蔵全集 刊行委員会

 回复[9]:  骏骏 (2017-07-12 10:13:36)  
 
  第五巻目次より

  
第五巻について

  
◆〈第一回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

  
〈第一回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

  
ヤマギシズム特講開催について

  
第一回理念研つづき

  
第一回理念研後の談話など

  
◆〈第二回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

  
〈第二回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

  
天皇制についての雑談(要旨)

  
◆〈第三回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会  

  
〈第三回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

  
◆〈第四回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

  
〈第四回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

  
◆第一回理念研直前の記録から

  
ヤマギシズム特講打合せ

  
明田恵二との対談より

  
七月一五日の談話記録

  
◆ 第五巻関連の資料から

  
《資料Ⅰ》フルシチョフ首相及びソ連の友へ

  
《資料Ⅱ》第一回理念研への呼びかけ

  
《資料Ⅲ》第二回理念研への呼びかけ

  
《資料Ⅳ》第八八回特講のお知らせ

  
《資料Ⅴ》内閣総理大臣・池田隼人殿 特講への招待状

  
第五巻の編集を終えて

  
凡例

  
《インタビュー》「理念研」の周辺 奥村通哉氏にきく

  
山岸巳代蔵 著作・口述等 資料目録

  
用語・人名解説

  
索引

 回复[10]:  骏骏 (2017-07-12 10:14:08)  
 
  第六巻について

  
山岸巳代蔵全集第六巻には、第五巻に引き続き、「ヤマギシズム理念徹底研鑽会」(理念研)の後半にあたる、第五回(一九六〇年一〇月)から第九回(一九六一年四月)までの記録及び、同時期のその他の記録類をまとめて収録した。第四巻に収録した資料類とほぼ同じ頃のものである。

  
この時期は、山岸会事件(一九五九年七月)後、一時沈静化していた山岸会員達の活動が再び全国で活発になり、それまでとは違った展開を見せ始める頃にあたる。ヤマギシズム特別講習研鑽会(特講)も、約一年の休止期間を経て一九六〇年八月に東京で行われたのに引き続き、北海道で「話し合い特講」が始まり、名古屋でも連続的に開催されるようになってきた。一九六一年三月には、三重県津市で「ヤマギシズム法政産経特講」が開催され、新しい理想社会建設に向けての社会革命・人間革命を提唱する〝ヤマギシズム〟をよりクローズアップして一般社会に向けて訴えていくような方向へと進んでいく。東京特講前後の運動をきっかけとして、思想研究を専門とする学者達の間にも山岸会の存在が知られるようになり、ヤマギシズムという思想を対象とする研究会が発足するといった動きも起き始めていた。

  
一方で、各地で運動を進める会員自体の中に、当時脚光を浴びつつあった農業共同化の動きと、ヤマギシズム理念による一体化とを混同したり、そもそもヤマギシズムに対する理解が不十分であるというような状況も存在し、山岸会事件以後、各地の山岸会員達は、それぞれの受けとっているヤマギシズム理解によって、それぞれの方向へと進んでいこうとしていた。こうした会員に向けて、正しくヤマギシズムを理解する機会を提供するような動きも生じている。

  
そうした中、一九六〇年一〇月以後、ヤマギシズム生活実顕地発足への動きが具体化していく。

  
一体生活を実践する生活体としては、〝百万羽〟から発足した三重県春日山のヤマギシズム生活実践場等が既に始まってはいたが、ヤマギシズム生活実顕地はそれとは違って、「現状そのままから」生活すべてを一つにして理想社会を目指していこうという試みであり、和歌山県有田郡の〝六川〟などで、一体経営から一体生活への発展が画策されていたが、一九六一年一月末に、兵庫県加西市のヤマギシズム生活北条実顕地がその第一号として誕生、その後、各地に実顕地が誕生していくことになる。

  
それと同時にヤマギシズム社会式養鶏法の構想も発表され、当時、日本の中で養鶏産業の先進地として栄えていた名古屋地方の山岸会員達に向けて、一九六一年四月に最初の発表会が持たれた。

  
こうした様々な動きの中にあって、「理念研」は、約十ヵ月にわたって続けられていく。その参加メンバーは、当時ヤマギシズム運動で中核を担っていたり、会員間に影響を持つ人々であった。運動を中心的に進めていくメンバーの中でこそ、真のヤマギシズム理解や、〝一体〟となっての実践が必要不可欠だと山岸巳代蔵は思っていたようである。

  
本当に「ひとりも不幸な人のない社会」を作るために、まず第一に進めなければならないと山岸が考えていたのが、「考え方の革命」から始まる「人間革命」であった。世の中のあらゆる紛争の元はいったい何かと考えた時、夫婦間や仲間同士、そして同じ人間同士の中での意見の違いや好き嫌い感情の食い違いからの対立、ひいては思想・信条の違いによる対立や敵視がその根本原因であり、それを克服しない限り、妥協してたとえ一時形の上では平穏が保たれたとしても、またいかに技術が進歩し物が豊富になったとしても、決してみんなが幸福になる方向には進まない。考え方の食い違いがあっても不和や対立が起ることなく、研鑽によってみんなが納得する結論を見出し実践していくものこそが、ヤマギシズム運動である。このような、山岸の強い、そして熱い思いが、一連の「理念研」のやりとりの中には色濃く見られる。ヤマギシズムの考え方の根本に、「一体」「無我執」といった、心の世界のあり方を最優先する考え方が見てとれるのである。

  
山岸は一九六一年五月四日、突然、帰らぬ人となった。岡山で実顕地づくりを目指し、本当の仲良しとはどのようなものかと考える研鑽会の途中で倒れたのである。そして、「みんな好きや、仲良ういこうな」という言葉を残して世を去った。

  
さて、この巻には、「ヤマギシズム理念徹底研鑽会」第五回~第九回の記録の他に、その当時に行われた研鑽会等の記録のうち、山岸夫妻の住んでいた三重県津市の「三眺荘」で行われたものや、名古屋の山岸会員加藤巷二宅で行われたものなど、これまで未収録のものや、一般会員向けに行われた「ヤマギシズム理念研」参加者へのメッセージ、その他の口述録なども収録した。一つ一つについては、本文中で紹介しているので参照していただきたいが、それぞれ、当時の息吹が感じられる興味深い資料である。また、杉本利治が当時の山岸の発言を中心に抜き書きした記録が残されており、それらを「杉本ノート」と題して収録した。

  
参考資料としては、『「ヤマギシズム生活研究・山岸会式養鶏研究後援会」趣意書(案)』、『山岸会運営懇談会案内(草稿)』、『ヤマギシズム政治専門研鑽会趣意書』、『第一回ヤマギシズム理念研ご案内』、『人事についての提案』を収録した他、巻末に、山岸没後に杉本利治がまとめた『ヤマギシズム実顕地養鶏部用養鶏法』を収めた。これらも、当時の背景を知ることの出来る資料であり、併せて読んでいただきたい。

  
二〇〇六年一二月

  
山岸巳代蔵全集 刊行委員会

 回复[11]:  骏骏 (2017-07-12 10:14:46)  
 
  第六巻目次より

  


  
第六巻について

  
◆〈第五回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

  
◆〈第六回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

  
◆〈第七回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会  

  
◆〈第八回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

  
◆〈第九回〉ヤマギシズム理念徹底研鑽会

  
◆「理念研」開催当時の記録から

  
津での研鑽会記録

  
「ヤマギシズム理念研」打合せ

  
我抜き・割り切りについて

  
第一回ヤマギシズム理念研の集いの友へ

  
第九回理念研後の記録

  
ヤマギシズム社会式養鶏法発表会準備研

  
名古屋加藤宅での研鑽会

  
〈参考〉「杉本ノート」より

  
・名古屋加藤宅での理念研より

  
・「ヤマギシズム紙発刊に当たって」など

  
・〈参考〉実顕地造成研鑽会より

  
◆ 第六巻関連の資料から

  
《資料Ⅰ》「ヤマギシズム生活研究・

  
山岸会式養鶏研究後援会」趣意書(案)

  
《資料Ⅱ》山岸会運営懇談会案内(草稿)

  
《資料Ⅲ》ヤマギシズム政治専門研鑽会趣意書

  
《資料Ⅳ》第一回ヤマギシズム理念研 ご案内

  
《資料Ⅴ》人事についての提案

  
第六巻の編集を終えて

  
凡例

  
ヤマギシズム実顕地養鶏部用養鶏法

  
山岸巳代蔵 著作・口述等 資料目録

  
用語・人名解説

  
索引

 回复[12]:  骏骏 (2017-07-12 10:15:18)  
 
  第七巻について

  
この巻には、『正解ヤマギシズム全輯』に関わる山岸の著述、口述録、研鑽会記録などを収録した。著述・口述録は、一九五九年秋頃から一九六〇年春頃までのもので、研鑽会記録は一九六〇年二月~三月に行われた、『正解ヤマギシズム全輯』の編集に関するものである。

  
今回初めて、『正解ヤマギシズム全輯』に関する資料をすべて整理・収録することが出来た。『正解ヤマギシズム』については、その存在もあまり知られておらず、これまでに、ごく一部が発表されていたに過ぎなかった。すなわち、草稿のうち比較的まとまっているものが『明暗二道への岐路に立つ危機』、『宗教・信仰は百害あって一利なし』との題名で発表されたり(ヤマギシズム運動誌『ボロと水三号』(一九七一年刊)に掲載、本全集第三巻に所収)、安井登一が草稿を編集して『恋愛と結婚について』と題して発表したり(『ボロと水四号』(一九七二年刊)に掲載、本全集第三巻に所収)、ヤマギシズム顕示博覧会(一九九一年一一月に開催)において「ヤマギシズム結婚観」と題して展示発表されたにとどまっていた。

  
しかし最近、B5版わら半紙に、山岸が自身、鉛筆で書いたものが約四百枚近く遺されていたのが発見された。これらのほとんどは、『正解ヤマギシズム全輯』の草稿として、あるいは著作に関するメモとして書かれたものであることが分かった。これまで本全集に収録した山岸の著述には、その元となる山岸直筆の草稿はほとんどなく、何らかの形で発表されたものや、口述記録や、録音テープなどを底本としていたが、この巻に収めた著作は、これらの未発表の草稿が中心である。

  
これらの遺された資料は、ごく初期段階の草稿であって、それぞれがどのような繋がりになっているのかが明確でない。したがって、整理して構成し直すのにかなりの時間を要した。また、一つ一つの草稿には山岸本人による添削が複雑に施されていて、非常に読みとりにくい。例えば、ある主題で書き始めても、途中で別の主題に飛んで、最後は中断状態になったり、書き出しの部分に幾通りもの表現がなされたために同じような草稿が数種類存在したりしている。

  
この貴重な資料がこれまで公にされなかったのは、こういったことも理由の一つだったのかもしれない。

  
今回初めてこれらを発表するにあたって、山岸直筆の草稿に関しては、欄外に書き記された語句や、斜線で削除されたように見える文章なども、また、同様な草稿が二種類以上存在する場合にも、出来る限りすべて再現・収録する編集方針で臨んだ。ただその中には、数行書きとめられた、現時点では前後の脈絡が確認できない文章や、メモのようなものもある。未完成草稿であるが故に誤字と思われるところもある。そこで、出来るだけ読者の理解を図るために、草稿原本を尊重しながら、刊行委員会で適宜判断を加えて校訂した箇所もある。

  
ところで、今回本巻に収録された『正解ヤマギシズム全輯』関連の草稿は、山岸巳代蔵の思想の中ではどのように位置づけられるのだろうか。

  
これらの草稿はじめ口述録及び研鑽会記録等のなされた時期は、一九五九年七月の山岸会事件後から翌年四月一二日に三重県上野警察署へ山岸自身が自意出頭するまでの約九ヵ月間に当たっている。

  
そこで、警察署への出頭の際、記者たちに配布した『声明書』(本全集第三巻所収)の一部を要約・紹介しながら、当時の山岸の心情や時代背景を見てみよう。

  
○昨年の山岸会事件について、さまざまの風評・意見・所感等があるのは当然のことで、真相を誰一人知り得ない人間が、真相・実質を究め、認識しているように思っている場合でも、それはほんの一部分で、全貌をつかみ得ないものである。

  
○確かに自分の目で見たから、或いはこの耳で聞いたから間違いないとしても、その物事の真相は決して正確には把握していないものだと思う。

  
○ヤマギシズムについては、未だその概要程度を発表しているのみで、ヤマギシズムを正解している人は少ないはずで、いろいろな言動があることも当然だと思う。

  
○私は昨年七月春日(ヤマギシズム生活実践場春日実験地のこと)の地を離れ、『正解ヤマギシズム全輯』の著述に専念している。

  
○ここで願わしいことは、ひとの噂や自分流儀に一面からみた推察でいろいろと早まってキメツケないで、どういう理論に立脚し、どういう方法を以て、どういう順序で進行・発展しているかということについて、正しい解釈をされたいものである。

  
○一日も早く出版して、識者・大衆・会員諸氏に応え、正しい理解を俟つものである。

  
このように、『正解ヤマギシズム全輯』の著述に専念していたと山岸自身は述べている。

  
ときあたかも科学の結晶を象徴する宇宙ロケットを月界まで到着させたり、人類間対立の最終的氷解を覗う米ソ巨頭会談が発表されたりと、当時の世界の動きや世論の動向には一種の雪解けムードがあった。しかし、山岸は「それで世界が一つになったとしても、それがために本当の社会が陽の目を見なくなるかもしれない」と、危惧を感じていたようだ。

  
また、本全集第一巻に収録されている『山岸会式養鶏法・農業養鶏編』(一九五四年発行)の中の「本養鶏法の沿革 月界への通路」と題した文章の中に、

  
「私は十九歳の時、或る壁にぶつかり、苦悩の内に一生かけての仕事を始めたのです。そして人生の理想について探求し、真理は一つであり、〝理想は方法によって実現し得る〟という信念を固め、只今ではその方法を『月界への通路』と題しまして記述し続けております」

  
との一節がある。この『月界への通路』の一部を整理して『正解ヤマギシズム全輯』を書き始めたとも、山岸は草稿の中で述べている。

  
しかしながら、指名手配中の身でもあり、満足に著述に打ち込める状況ではなかったようだ。しかも、警察に出頭するに当たっては、山岸の真意は分からないが、身辺にあった原稿はすべて「燃やしてほしい」と当時近くにいた人に託されたとの証言もある。 遺された草稿も前に述べた通り、まだまだ未完成の段階であった。こうした中で、山岸は著述を一時中断し、警察への出頭に踏み切ったのである。

  
山岸が描いていた青写真では、人間生活をはじめ、政治・経済・社会・人生問題その他すべての分野を、十輯に亘って著述し、刊行するつもりであったようである。

  
『正解ヤマギシズム全輯』の構想自体も、途中で変遷している。例えば、第一輯を「一、ヤマギシズム正解の最短コース」、「二、真理と人間の考え」との内容で発表するつもりだった時期もあるようだし、第二輯に分類されていた「愛・愛情、結婚・恋愛について」を先にまとめて世に問うつもりだった時期もあるようだ。さらに、本巻所収の『編輯計画について』等の研鑽会記録を読むと、各輯ごとの分類、内容、順序立てが刻々と変化・進化していく様子をうかがい知ることができる。今回、『正解ヤマギシズム全輯』草稿と同時期に書かれた「盲信」を主題にした二編を収録したが、これは、一九六〇年二月後半あたりから「盲信」のテーマが浮上し、その大きさが見直されているからである。

  
『正解ヤマギシズム全輯』の構成は、最終的には、第一輯が「盲信」の項目が付け加えられて「けんさん・もうしん」、続いて、第二輯が「真理・人間の考え・行為」、第三輯が「愛・愛情・結婚・恋愛」ということになった。刊行順序も前掲『声明書』の中で、「第一輯第一部は近く上梓される運びであり、第二輯・第三輯の草稿も成り、引き続いて出版される用意をしている」と、述べられている。

  
その後、山岸は三重県津市の三眺荘に居を定め、以後亡くなるまで、「ヤマギシズム理念徹底研鑽会」(本全集第五巻、六巻所収)を十名ほどの運動の中核となるメンバーと共に持ちながら、メンバー間のヤマギシズムへの理解を深めつつ、具体的に農村の一角に一体を顕現するヤマギシズム実顕地造成に向けての研鑽の方に大きく力を注いでいくのだが、この間、なぜ積極的に全輯関連の原稿の整理や出版に向かわなかったのか、明確な発言は残されていない。

  
この一九六〇年頃は池田内閣の所得倍増計画が発表されたり、農村では小型のトラクターが普及し始め、農業の省力化(機械化)が始まり、共同経営が叫ばれだした時期でもあった。一方、中国・北朝鮮など社会主義思想の台頭に新しい社会像を見る人々も多かった。

  
そんな情勢の中で、山岸は、「金の要らない楽しい村」づくりの研鑽に傾注し、現状そのままで数家族が寄り、一体となって暮らす実態をつくり顕そうとしていた。言葉であれこれ説明しなくても、実際にその姿に触れることで、誰もが一目瞭然で理解でき、問題点も自ずと解消されていく、そんな世界中に響くような具現方式の顕現に着手していたのである。そして、一九六一年五月、一体の実顕地づくりの候補地の一つである、岡山県児島郡興除村の会員宅での研鑽会の途中、この世を去った。

  
『正解ヤマギシズム全輯』は、未完のままとなったのである。

  
二〇〇七年一二月

  
山岸巳代蔵全集 刊行

 回复[13]:  骏骏 (2017-07-12 10:15:55)  
 
  第七巻目次より

  


  
第七巻について 1

  
■ 正解ヤマギシズム全輯「刊行に当たって」

  
正解ヤマギシズム刊行に当たりて15

  
正解ヤマギシズム刊行に当たりて22

  
正解ヤマギシズム刊行に当たりて24

  
正解ヤマギシズム発刊に当たりて26

  
刊行にあたりて27

  
この文庫は教書ではありません27

  
信仰文法と研鑽文法29

  
この文庫は教書ではありません…35

  
教義・教本など固定したもののないのが…37

  
これを読みたくない人は…38

  
この文庫の刊行は…39

  
みんな仲よい楽しい暮らし ─言でなく行を40

  
正解ヤマギシズム全輯を通じての前ことば43

  
はじめに43

  
ヤマギシズムについて46

  
出版計画について47

  
著者及び編輯について48

  
出版期間について48

  
本書を読む人のために49

  
教書でない49

  
読み方について49

  
自分の考えと違う場合には50

  
本書の書き方について51

  
研鑽形態と研鑽文法51

  
どれほど日本語に堪能な人でも52

  
当り前だと思っていることでも、よく検べてみると53

  
研鑽読書法で55

  
■ 正解ヤマギシズム全輯 第一輯

  
一、ヤマギシズム正解の最短コース 59

  
一、ヤマギシズム正解の最短コース59

  
誤解・曲解59

  
研鑽式文法と宗教的文法62

  
ある人は、私ほど仕合せものはない…64

  
新説は、新しく稚い感覚、頭脳で66

  
僕の文章・言行は…67

  
ヤマギシズムとは何だろう?

  
―ヤマギシズムを理解するには―69

  
知恵・知識・良識・常識・非常識について69

  
知恵と知識75

  
こんな光景を瞼に描いて…76

  
私は長キライで…80

  
ヤマギシズムを簡単に…82

  
ヤマギシズムとは何だろう?83

  
ヤマギシズムの根元 研鑽84

  
二、真理と人間の考えと現象 85

  
みずかがみ85

  
我はあるが、持たない…86

  
枯れ尾花を幽霊と…90

  
固体に対し気体…91

  
予想は人によって異う…94

  
観念・固執・きめつけ・主観95

  
主観について97

  
玄人になったらあかん…98

  
第一輯の前ことば 99

  
■ 正解ヤマギシズム全輯 第二輯

  
第二輯刊行に当たりて 103

  
第二輯刊行に当たりて103

  
僕の表現は…109

  
第二輯刊行に当たりて112

  
第二輯刊行に当たりて116

  
行為は、心が平静な時は…117

  
本当に理解するには…118

  
いずれが正しいか…119

  
ヤマギシズム社会に於る人間の真の恋愛・結婚について122

  
『恋愛と結婚』の前書き123

  
一、愛と愛情 134

  
愛・愛情・恋愛・結婚考134

  
愛とは…135

  
無辺愛と有限愛137

  
愛とは保ち合い、即ち、安定139

  
愛と愛情の関連140

  
二、ヤマギシズム結婚・恋愛 145

  
結婚を研鑽(真の科学)する145

  
真の結婚を求めて149

  
真の結婚を探ねて150

  
結婚を研鑽(真の科学)する159

  
ヤマギシズム恋愛、結婚161

  
ヤマギシズム結婚観164

  
凡ての革命(真正復原)―真に正しく166

  
真の結婚167

  
真の自由結婚168

  
無契約結婚172

  
ヤマギシズム結婚の五大条件177

  
夫婦は先ず心の一致から…180

  
結婚条件・恋愛181

  
条件…184

  
一旦フトした一点からでも…185

  
非結婚条件187

  
頑固者は真の幸福結婚が出来ない192

  
頑固者は真の幸福結婚が出来ない196

  
固執・きめつけ・頑固は、真の幸福結婚が出来ない…200

  
観念固執 きめつけ 頑固206

  
■ その他の全輯遺稿・口述・メモ類 

  
ヤマギシズム解釈による真の法政機構211

  
正解ヤマギシズム第八輯212

  
我抜き研鑽は…213

  
柔あるのみ。剛は一切やめたいものです214

  
Do Goodby…216

  
私の心の中を見てみよう…218

  
人間の単位223

  
用いない武力を備えよう227

  
世界全人類幸福への大鉄門開扉第一の鍵229

  
本当に相合う仕事に…230

  
正しいハイハイ研鑽について231

  
ヒヨコ 鶏舎 飼料もタダ…235

  
対人処世訓236

  
書いている 究明している…237

  
その気持でいたら…239

  
ガラス張りでない…240

  
■ 正解ヤマギシズム全輯 関連資料

  
今度の出版はどこから…243

  
今度の著述も共著によって…245

  
根本目的 自他繁栄の一体の指針は…246

  
史上空前の大道路開設途上…249

  
全人幸福への巨弾 254

  
いろいろ絶対の方法着々進行中…256

  
山岸健康法 生活法…259

  
■ 盲信について

  
盲信 263

  
喜びの感想 269

  
■ 編輯計画について

  
編輯要領について 293

  
出版計画打合せ(編輯計画) 313

  
出版計画打合せの続き317

  
出版計画打合せ 322

  
全輯を通じての前ことばについて322

  
出版計画は長期に亘る326

  
本題 注意327

  
本題 第一章 けんさん329

  
編輯計画打合せ 331

  
〈参考〉 正解ヤマギシズム全輯を通しての前ことば (試案)418

  
第七巻の編集を終えて 421

  
凡例

  
用語・人名解説

  
山岸巳代蔵 著作・口述等 資料目録

  
索引

 回复[14]: 全集发行情报 骏骏 (2017-07-12 10:18:45)  
 
  第一巻の編集を終えて

  
山岸会創設五〇周年を期して、昨(二〇〇三)年五月、山岸会全国集会が開催された。そのときに、山岸巳代蔵の著作を何とか形にして世に発表し、広く全世界の幸福を希求する人々の研究材料として提供できないだろうか、という話がもちあがった。思えばそれが、「山岸巳代蔵全集刊行委員会」の始まりだった。

  
その話が、具体化したのが昨年九月のことだった。

  
はじめての会合がもたれたとき、「第一巻を来年の五月に出そう」という話で一致した。何しろ、山岸会の創設期を実際に体験されている人には、亡くなられている方も多い。生前の山岸巳代蔵を直接知る人も、年齢を重ねられている方が多く、時を経るにしたがって、貴重な証言を得る機会が少なくなっていくのである。

  
刊行委員会の仕事は、そういった方々への取材や確認に基づいて、さまざまな著作や資料の蒐集・確認・整理をしながら、それと並行して、整理されたものを順次刊行していくということになった。そして、それには、第一巻をできるだけ早く形にし、刊行の趣旨を知ってもらうことが肝要であると考えた。当初思っていたよりもはるかに手のかかる作業だったが、幸いなことに多くの方々の協力を得ることができ、第一巻を出せるところまでこぎつけることができた。

  
山岸巳代蔵の著作の中には、これまでに何らかの形で発表されたものも多い。しかし、半世紀も前の掲載誌を保管されている方は少なく、写し間違いや誤植もある。編集過程で変わっていると見受けられる文面もある。元の原稿がないものがほとんどなので、どのように整理し、訂正を加えたらよいか、判然としないところもあった。判断がつきかねて、その旨を註として記した箇所もある。

  
山岸巳代蔵著と思われるが、確実な根拠もなく、どうとも判定できない文章もあった。できるだけ確実を期したいが、収録されないことによってそれらが日の目を見ないのは惜しいという意見も多く、山岸の著作である可能性が高いと思われるものに関しては、参考資料扱いにして収録することにした。

  
編集にあたっては、著作そのものの中から真意を汲み取り、思想を研究できるように、原文の流れを損なわないことを第一とした。その範囲内で、読みやすさを図るため、漢字や仮名遣いなどは、できるだけ現代の表記に改めた。また、意味が通りにくいと思われるところでは、句点や読点の位置などを修正した。さらに、時代や社会的な背景をある程度つかめるように、註釈をつけたり、年譜を作成したりすると同時に、同時代の資料をいくつか収録した。

  
それらを一つ一つ検討したり、事実の確認をしたりしながら、この刊行委員会で集約した見解によって編集を行った。検討の足りない部分もあると思うし、間違いの含まれている可能性も否めない。もし間違いがあればご指摘いただき、正しい情報があれば、ぜひ刊行委員会までお寄せいただきたい。それらの意見をきいて、さらに検討を加え、正しさを期していきたい。具体的には、このホームページにて、新たに分かった事実や、訂正を随時掲載することで、補完していく所存である。

  
第一巻について

  
この巻には、一九五三年(昭和二八)から一九五四年(昭和二九)九月までに、山岸巳代蔵が発表した著作を中心に収録した。

  
山岸巳代蔵の思想は、養鶏や農業にとどまるものでなく、人間の幸福や社会のあり方の理想を追求し実現しようとするものであろう。しかし、戦時下という時代の制約もあって、山岸は当初、自分の思想を鶏に適用して山岸式養鶏法を組み立てた。それが非常に画期的な省力養鶏で、短期間に効果のあがったこともあって、山岸の思想本体そのものよりも、その具現体の一つである「山岸養鶏」が戦後の農村を中心に急速に広まった。そうした関係上、特に初期の著作は、養鶏に関連したものが大半である。山岸自身の思惑としては、山岸式養鶏法の断片的な技術のみが広まり、それを中途半端に取り入れて、一時的には経済的成功を収めても、結局は失敗に終ることを懸念し、山岸式養鶏法の精神・経営・技術をも含めた総体を何とか多くの人に伝えようとしたようである。

  
本巻冒頭に収録の、『山岸会養鶏法』は、こうした背景で一九五四年二月に出版された、山岸最初のまとまった著書である。それと前後して、篤農家の集まりである「全国愛農会」により山岸式養鶏法が紹介され、その発行誌である『愛農養鶏』に山岸の文章が連載された。また、農村への農業技術普及や精神運動を展開していた「愛善みずほ会」発行の『みづほ日本』にも連載の場が提供された。いずれも養鶏にまつわる著述であるが、山岸の思想が色濃く反映したものとなっている。

  
さらに、同年四月には、山岸式養鶏会の機関誌『山岸式養鶏会会報』が創刊され、「獣性より真の人間性へ」を発表。九月発行の会報二号では「獣性より真の人間性へ(二)」「会の性格と運営について」など、山岸の思想を直接綴った文章も次第に発表するようになる。

  
山岸が養鶏に関わったのは約二十年に及ぶが、心身ともに養鶏に打ち込んだのは、その間わずか二年に過ぎなかったという。山岸の本業は、一貫して、真理及び理想社会の探究、そしてその実現のための知的革命の理念と方法の模索であった。このことは、巻を追うごとに理解を得られると思う。

  
第二巻の編集を終えて

  
山岸巳代蔵全集第一巻は今年の五月に刊行し、五月三日の幸福会ヤマギシ会会員集会において、全国の会員の前に発表することができた。

  
第一巻の内容は、養鶏という、一般にはなじみの薄い事柄に関する記述が多いので、どの程度受け入れられるかという懸念もあった。だが、山岸式養鶏に関する著作は、これまでほとんど世に知られておらず、それを公開することは、山岸巳代蔵の思想を理解する上で欠かせないという意見を多数の方よりいただくことができた。また、ヤマギシズムに関心を持つ学者の方々より、「ヤマギシズムとは何か」と探究していく上でこの全集刊行の仕事は必要不可欠なものであるから、ぜひ完成させてほしいという励ましの声もいただいた。

  
中には、翻訳を進めてほしいとか、もっと多くの人に読んでもらえるよう文庫化してはどうかなどの提案も寄せられた。ポルトガル語への翻訳を担当したいと申し出る人も現れた。もとより、この全集は全世界に向けて発信するものであるから、そういった提案は非常にありがたく、今後の発刊活動の指針の一つとさせていただき、実現をはかっていきたいと考えている。

  
また、編集作業中に、これまで人の目に触れることのなかった新たな資料が相当数見つかり、その整理も並行して進めていくこととなった。口述記録が多く、当時その口述筆記を担当した刊行委員の奥村通哉に確認しながら進めており、そうした諸記録類を全集の第五巻以後に収録できると思う。

  
編集作業は、それぞれが他に仕事を抱えての作業にもかかわらず、なんとか計画通りに進めてこられた。第一巻において確認不足からの誤植や訂正事項もいくつかあり、できるだけ、そういったことはなくしていきたいと考えている。至らぬ点や、誤りに関しては、訂正していく所存であり、忌憚ないご意見やご指摘を今後とも賜りたい。正誤訂正については、各巻において前巻までの誤りを訂正するとともに、ホームページに随時掲載していく予定である。

  
第三巻の編集を終えて 

  
山岸巳代蔵全集第一巻を刊行して、はや一年になる。

  
この間、編集作業と同時並行で、山岸会初期からこの運動にかかわってきた人々への取材や、生前の山岸巳代蔵を直接知る人々に資料の提供をお願いするといった活動も行ってきた。

  
その結果、当時の時代背景をかなり確認することが出来、多くの未発表資料を集めることも出来た。編集に携わる自分たちも初めて見るような資料も多く、この全集の編集作業は当初考えていたよりもかなり多くの資料を扱うことになった。これらの資料の中には、草稿段階のものや、口述筆記によるものも多いので、発表できる形にするまでには、まだまだかなりの確認・整理作業を必要としそうである。多くの方々から寄せられる協力や、励ましの言葉に応えて、なんとか完結させていきたい。

  
さて、この第三巻に収録した著作や資料の成立した時代は、「特講」の拡大、「一体経営」の試み、「百万羽科学工業養鶏」建設、「急進拡大運動」といった様々な活気あふれる動きに満ちている。また一方で、「山岸会事件」が起るなど、山岸会初期における激動の時代とも言えよう。

  
しかし現在では、その当時のことを知る人は非常に少なく、山岸会会員でも、正確な背景知識を持っている人はほとんどいない。

  
例えば、「百万羽」構想とは具体的にどのような構想を指していたのだろうか。その本当の目的は何だったのだろうか。なぜ、当時の山岸会会員たちの多くが、自分の家や財産を売り払ってまで、その活動に『参画』していったのだろうか。また、「山岸会事件」とはどういう『事件』だったのだろうか。特に、山岸会事件については、事実関係すら明瞭に把握されていないことが多く、それがかえって様々な憶測を呼ぶ原因となり、その真相や本質を非常にわかりにくくしているようだ。

  
こうした『目に見える』動きは、どのような目的をもって、どのような背景で展開されていったのだろうか。その本質にあるものはいったい何だったのだろうか。

  
ヤマギシズムなり、山岸巳代蔵の思想を研究し、理解しようとする場合、その著作として文字や言葉で表現されたもの以外にも、こうした山岸会や、山岸会員の活動や、その活動の総体となって現れた運動も、十分に研究する必要があるであろう。

  
もちろん、この全集刊行の目的は、あくまで山岸巳代蔵の著作物や口述記録といった資料によって、ヤマギシズムとは何かを探っていく材料を提供することにあり、ヤマギシズム運動そのものに対する研究がその任ではない。ただ、この巻に収録された山岸巳代蔵の著作や記録には、「百万羽」構想と「山岸会事件」に直接的、あるいは間接的に関連したものが多数含まれる。そこで、当時の時代背景や事実関係を整理して、山岸の言わんとするところの理解を助けるため、刊行委員会のメンバーが作成した『試論』を二編、巻末に収録した。

  
また、この巻の参考資料としては、『木下雅巳手記』も収録した。一人の青年会員が、特講を受け、その後百万羽へと参画していく過程や心境を綴ったものであり、当時の山岸会活動の息吹の感じとれる、貴重な資料である。

  

 回复[15]:  骏骏 (2017-07-12 10:19:17)  
 
  第四巻の編集を終えて 

  
山岸巳代蔵全集は、順調に年二回のペースで刊行することが出来た。

  
しかも嬉しいことに、山岸巳代蔵と生前関わりある人々から貴重な資料がこの間続々と寄せられてきている。本巻冒頭に収録されている『ヤマギシズム生活実顕地 山田村の実況』なども、最近口述筆記の原本が見つかったものであるし、『一体生活について』、『聴く態度について―夫婦のあり方』など、山岸作と伝えられてはいたが、原本が見つかっていなかったものも、今回原本を寄せていただくことが出来た。やはり「山岸巳代蔵全集刊行委員会」という一つの受け皿が整いつつあるからなのだろうか。こうしたみんなで守り育てていこうとする心からの動きを、まずは一番にお礼かたがたご報告申し上げたいと思う。

  
さて、第四巻は、一九五三年三月に「山岸会」が京都府向日町に発足してから、一九六一年五月、岡山県興除村において山岸巳代蔵が逝去するまでの、年代順に編集してきた山岸の著述や記録の最後の部分にあたる。

  
思えば、「山岸会」発足から約八年という短い歳月の中で、一人から始まったヤマギシズム運動が日本全国に急速に拡がり、ヤマギシズムに共鳴した一人一人の活動が作り上げていったものを改めて振り返ってみると、その拡がりと深まりには驚嘆の念を禁じえない。そこには、人の心を打つ本質的な何かが含まれていたからには違いないだろうが、やはり方法の面においても相当に考え抜かれたものがあったからではなかろうか。

  
ヤマギシズムは、単なる思想や社会構想にとどまらず、その実現方法を伴った思想であるという点で、非常に独特のものがあると思う。幸福研鑽会、特別講習研鑽会など、様々な方法が打ち出され、運動の原動力となってきたが、その最たるものが、本巻で採り上げた「ヤマギシズムの実顕地」であり、「試験場」「研鑽学校」であろう。

  
実際、保守的と言われた日本の農村に、無所有・一体の「金の要らない楽しい村」が一年にも満たない期間のうちに、十ヵ所ほども誕生したのである。それは、いくら理念を説き、研鑽を重ねても、どうも分からない、通じないという人にも、目に見える形で本物を示して、「ああ、これだったのか」と誰もがじかに触れて分かる、生き方の提案であった。「金の要らない楽しい村」をこの地上の一角に一点打ち立てることで、それを見、聞き、伝えた世界中の科学者達の研究課題になり、人間の本質、社会のあり方などについて関心を寄せられる人々の注目が集まり、実行家が続出する姿が、そしてその先のことも、山岸には見えていたことであろう。

  
山岸の死後もヤマギシズム社会構想は受け継がれていったのだが、天がいま少し山岸に余命を与えていたら……。

  
・ ・ ・ 

  
さて、山岸の死をもって全集の仕事もひと段落、というわけにはいかない。冒頭に触れたように、刊行委員会発足後に見つかったり、寄せられた未整理の資料がかなりの量にのぼっているのである。この後は「ヤマギシズム理念研鑽会」などの研鑽会記録や「正解ヤマギシズム全輯」の草稿や、私信などの未発表・未整理資料を、確認・整理作業を終えたものから順次刊行していくという作業が待っている。

  
第五巻の編集を終えて 

  
第五巻は、九回にわたって行われた「ヤマギシズム理念徹底研鑽会(「理念研」)」の記録のうち、一九六〇年七月から九月までの四回分を編集・収録した。次に予定する第六巻と併せて、「理念研」全体を収録することになる。

  
これまで、この「理念研」の記録は、その一部が、ヤマギシズム生活実顕地の内部の研鑽資料として発表されたことはある。しかし、山岸以外の参加者の発言を含めてすべてを公開するのは、これが初めてである。それも、当時の口述記録の原本と、口述記録をした奥村通哉本人の確認という、この上ない条件の下に編集することが出来た。この口述記録原本は、長い間行方が分からず、わずかに、それを筆写したノートをもとに、実顕地内の研鑽資料も作られていた。それが、この全集刊行を機に、貴重な原本が見つかったのである。

  
この「理念研」に参加した人物は、多くの方がすでに故人となっている。経歴や、それぞれの当時の状況などは、巻末の用語・人名解説に簡潔に記したが、実際にどのような人物であったかは、本文から読みとっていただく他ないだろう。

  
この巻に収録した「理念研」の前半部分は、「話し合える態度」に始まり、「聴く態度」、「一体について」、「宗教と研鑽の異い」などのテーマが主に採り上げられている。いずれも、これまでには述べられてこなかったような直截的な表現で、ヤマギシズム理念が語られている、貴重な資料であると言えよう。

  
・ ・ ・ 

  
編集中に、読者から、『ヤマギシズム社会の実態』(第二巻収録)についての重要な指摘をいただいた。

  
その内容は、第二巻33㌻の、

  
「また道を尋ねられても、自分は自分、ひとはひとと、他に関せずの個人主義も、実は社会が自分一人限りのものでなく、必ず何かで他の人との関連があり、人間は相対的であって、吾一人行かんも程度の差こそあれ、帰結するところ、他との保ち合いで人生が有意義になります。」

  
という部分が、『ヤマギシズム社会の実態・第二版』(一九五七年三月一〇日発行)においては、

  
「また道を尋ねられても、自分は自分、ひとはひとと、他に関せずの個人主義も、社会に生きる吾々人間の真実の姿ではないようです。

  
実は社会が自分一人限りのものでなく、必ず何かで他の人との関連があり、人間は相対的であって、吾一人行かんも程度の差こそあれ、帰結するところ、他との保ち合いで人生が有意義になります。」

  
という表現(斜線部が付加され、その後改行されている)になっているという指摘であった。

  
これを受けて、改めて調べてみたところ、確かに第二版から第五版(一九六九年一〇月一日発行)までは、後者の表現が使われており、第六版(一九七四年六月一日発行)の改訂において、『山岸会・山岸式養鶏会会報・第三号』(一九五四年一二月三〇日発行)及び『ヤマギシズム社会の実態・第一版』(一九五六年四月二〇日発行)における前者の表現に戻り、以後そのままになっていることが分かった。ちなみに、第二版の改訂は、山岸巳代蔵存命中のことであり、あくまで推測に過ぎないが、初版において抜け落ちていた一節を復活させた可能性もある。

  
もう一点、本全集第三巻において、山岸が出頭にあたって書いたとされる『自意出頭書』が見つかっていないとしていたが、その後、それが見つかったことも付け加えておきたい。

  
・ ・ ・ 

  
なお、この第五巻の編集中に、「この全集の編集は本当に正確にありのままの山岸巳代蔵の言葉を再現しているのか」という疑問の声をいただいた。山岸巳代蔵の自筆原稿はほとんどなく、活字になったものには誤植のあるものが少なくない。口述記録などは、筆記者が果して一〇〇パーセント忠実に記録しているかという保障はどこにもない。また、互いに相違する記録が存在する場合もあり、両者を併記すると同時に、どちらかを採用するということにならざるを得ない。そうした選択は、あくまで、この刊行委員会独自の判断であり、それに異論のある場合ももちろんあると思う。

  
したがって、希望する人には、原本や原資料は閲覧できるよう、準備を進めているし、ひとつひとつの指摘に関しては、改めて調査し、可能な限り正確を期したいと考えているので、疑問点のある場合には、ぜひお知らせいただきたい。

  
第六巻の編集を終えて 

  
この第六巻には、第五巻と併せて、記録として残された「ヤマギシズム理念徹底研鑽会(理念研)」のすべてを収録した。

  
山岸巳代蔵はこの「理念研」の中で、繰り返し繰り返し我執について語っている。我執をなくしさえしたら「絶対、摩擦も闘争もない、憎しみも勝ち負け感も起らんの。絶対と言いたい。本当の仕合せはそこから来る」、そしてそれこそ「僕の命。……近い将来に世界中なくなれば、今日すぐこの場で死んでもよい。それがすべてと言いたい。みんな仲良く愛し合って、愛し合っての言葉もない、愛以外にない、無辺の愛」(第七回理念研)と言いきる。これらの言葉に「理念研」に懸ける山岸の念いが端的に表されているように思われる。さまざまな理念やその具現方式も、ここに根ざし、ここに向かって打ち出されたのではなかろうか。

  
第九回理念研のちょうど一ヵ月後に、山岸はこの世を去った。ヤマギシズム理念のうち、語ろうとして語らぬままになってしまったこと、すなわち、受け取る方の準備の出来しだい打ち出す予定であったことは、まだまだたくさんあったのかもしれない。何がまだ語られずにいたのかは知る由もない。

  
しかし、残された資料だけでもかなりなものがある。そこから山岸巳代蔵の思想、ヤマギシズム理念を探っていくことは可能であろう。「理念研」の記録と共に、実顕地について書かれた『金の要らない楽しい村』(本全集第三巻所収)、『ヤマギシズム生活実顕地 山田村の実況』(三~四巻)、『ヤマギシズム生活実顕地について――六川での一体研鑽会記録から』(四巻)、および実顕地養鶏について語った『ヤマギシズム社会式養鶏法について』、『岡山での研鑽会記録』(四巻)等を併せて読んでいくことによって、山岸の描いていた理想社会の姿が垣間見えてくるのではないだろうか。また事件後ヤマギシズムを広く世間に呼びかけたものとして『法政産経Z革命特講に向けて』(四巻)があり、これも「理念研」の内容と深く関わっている。

  
ここで、ひとつお断りしておきたいことがある。この「理念研」の記録はすべて筆記録に基づいて編集したものである。録音でもなく、速記法による記録でもない、耳で聞いたものを文字化した記録である。当然、話すスピードと、聞いて書くスピードとの間にかなりのズレが生ずることは避けられない。そのため、一部の話が飛んでしまったりして、分かりづらいところが生じている。また、同じ場を記録しているにもかかわらず、筆記者によって異なる部分を記録をしている箇所があり、二つの記録を組み合わせて意味の通ったものとするため、多少の言葉の補足を行ったところがある。それも難しい箇所については、不本意ながらそのまま記すにとどめたので、意味の判読しかねる部分もある。これらについては、『第五巻の編集を終えて』でもお断りしたことではあるが、もう一度繰り返させていただきたい。もしそれらの補足等(主にカッコ内におさめてある)に誤りがあるとお気づきの場合は、ぜひとも刊行委員会までご指摘いただきたい。

  
今後の刊行予定について

  
第七巻以降は、すべて未発表・未整理の草稿類等の編集となるため、それらの整理・分類・調査・確認及び、入力・校正・編集など、刊行に至る作業がこれまで以上に煩雑で手がかかることが予想される。したがって、第七巻の刊行時期は未確定であるが、二〇〇七年の秋頃をめどとしたい。

  
内容は、山岸会事件後の一九五九年秋から一九六〇年春頃まで、山岸が出頭の機会を窺っていた時期に書き始めた、『正解ヤマギシズム全輯』の草稿類を中心に、同時期の未発表資料をまとめていくつもりである。

 回复[16]:  骏骏 (2017-07-12 10:19:38)  
 
  第七巻の編集を終えて 

  
本巻は、『正解ヤマギシズム全輯』の草稿とそれに関連した文書や書簡を元に構成したが、冒頭にも記したとおり、それらの原稿は山岸巳代蔵直筆のものもあれば、口述筆記された原稿もある。また、これらの中には、記録者の元原稿が残されているものもあれば、元原稿が散逸して筆写された二次原稿しか残っていないものもある。収録されたそれぞれの文書がそのどれに属するかは、各文書の冒頭脚注に注記しておいた。

  
山岸直筆の草稿のほとんどはB5判のわら半紙に鉛筆で書かれている。ただし順序立てて書かれたものではなく、頭に描かれた全体構想の中でその時々に思い浮かんだことをそのまま書き記すというふうな形になっており、同じような表現が何回も繰り返されたり、途中で中断して別のテーマに移ったりしている。また行の途中から別の行や欄外へ、あるいは別紙へ矢印でつながれていたりして、そのつながりが正確に読み取れないものもあった(口絵写真参照)。このようなものは、刊行委員会での検討によって、一応こうつながるのではないかとの推測をもとに構成した。見出しもついていないものが多かった。分類も刊行委員会で判断した。

  
このように草稿は、将来の『正解ヤマギシズム全輯』出版に向けての初期準備段階のものであるが、それだけに山岸が自分の頭の中にある構想をどのように表現すればよいかと推敲している様子が読みとれるのではないだろうか。永年にわたってあたためてきた、人間生活はもとより、宇宙万般の現象界・無現象界についての草案をみんなの前に一日も早く届けたいという思いも感じとれるような気がする。そうした筆者の著述過程に添うために、重複して書かれた文書もそのまま採録し、また理解しがたい文面や表現も概ねそのままとした。同じ趣旨で、表記についても、山岸直筆のものは出来る限り原文そのままを活かそうとしたため、これまでの巻とは異なる表記になっている場合も少なくない。たとえば「いう」は「言う」ではなく「云う」と表記されていたり、「研鑽」が「けんさん」とも表記されるなど、統一されていない表記をあえて原文そのままにしておいたところが多い。ただし、副詞については、読みやすさを考慮して、文意を損なう恐れのないかぎりにおいて「ひらがな」に改めたり、ひらがなやカタカナが多すぎて読みにくい箇所では多少漢字に変えるなどした点もある。さらに、カギ括弧をつけて読みやすくしたり、編集で語句を補った箇所もあり、補った語句はヤマ括弧に入れておいた。

  
先に記したように、口述記録の元原稿がなく、二次原稿だけのものもある。さらに、その二次原稿が二種類存在するものがあり、それが同じ元原稿から写されたものか、二次原稿をさらに筆写した三次原稿なのか、不明なものもあった。それら二種類の筆写原稿の間に多少の違いがある場合、そのどれを採用するかは、全体的な流れや繋がりから推量して、刊行委員会において判断させてもらった。今後、読者や研究者のみなさんのご意見・ご批判をいただき、より山岸巳代蔵の言わんとする意に近づけられれば幸いである。

  
本巻に収録した文書はすべて、山岸巳代蔵が一九五九年七月に山岸会事件で指名手配されたあと、翌年四月に自意出頭するまでの期間に記述・記録されたものであるが、その間全輯の草稿以外にも幾つか重要な文書が書かれており、本全集第三巻に収録済みである(『愛和―山岸氏よりの第一信集より』、『第二信』、『盲信について』、『山岸会事件雑観』、『声明書』等)。それらも併せて本巻を読み進めていただければ、ヤマギシズム(運動も含めて)の総合的な理解・究明に役立つと思う。

  
さて、全集の次の巻は一九五八年に行われた「愛情研鑽会」の記録を予定しているが、さまざまな検討課題があり、明確に日時を区切ることはできない。一応、来年中に、ということでご了解いただきたい。

  
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最後に、この全集作成に協力をいただいている多くの方々に改めて深く感謝いたします。これからも、情報や資料の提供、ご意見ご感想など、お寄せいただければ幸いです。

  
山岸巳代蔵全集刊行委員会

  
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