オデュッセイア

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『オデュッセイア』(古代ギリシア語: ΟΔΥΣΣΕΙΑ〈Ὀδύσσεια〉、古代ギリシア語ラテン翻字: Odysseia, Odysseiā、ラテン語: Odyssēa)は、ホメーロスの作品とされる、古代ギリシアの二大叙事詩の一つである[1][2]。
『イーリアス』とともに西洋最古の古典とされる[3]。本作はイタケー島の英雄王オデュッセウスが、十年にわたったトロイア戦争終了後、故郷に帰還する物語である。トロイアからイタケーまでの旅には更に十年が費やされ、この間、オデュッセウスは多数の危難に遭遇し、彼の船の搭乗員は全員が命を落とす。長い期間の不在によって、彼はイタケーでは死亡したと見なされ、妻ペーネロペーと息子テーレマコスは、ペーネロペーと結婚して財産と王の地位を手にいれようと互いに争う、無法で不埒な求婚者たちの群れに抗する日々を過ごしている。
成立時期は諸説あるが、紀元前700年前後とするのが多数説である[4]。前6世紀以降、ギリシア文学の模範(カノン)の一つとなった[5][6]。古典古代にあっては、ホメーロスが作者であることは疑いのない真実と考えられたが、現在の学者のあいだでは、『イーリアス』と『オデュッセイア』は、長い口承の一部として別個に詩作されたとする考えが優勢である(ホメーロス問題)。古代にはアオイドス(楽人)[注釈 1]やラプソードス(吟唱詩人)[注釈 2]によって口演され、道徳や識字の教材にもなった[7]。
この叙事詩の鍵となる主題は、「帰還・帰郷」[8](ノストス)、「放浪」[8]、「見知らぬ客のもてなし」[9](クセニアー)[10]、「試練」[11]、「復讐」[8]、「家・家族」(オイコス)[12]などの概念である。研究者は、詩のなかの特定グループが、ナラティブ(語り)にあって優越して現れることを論じている。例えば、女性や奴隷などのグループで、古代文学の他の作品中に比較して、より重要な役割を担っている。この点は、トロイア戦争のあいだ、戦士や王侯の功業に焦点を合わせている『イーリアス』と対比するとき、とりわけ顕著である。
あらすじ

概観
『イーリアス』と同じく全24歌からなる[13]。前半(第1から12歌)は、オデュッセウスがイタケーに帰還するまでの旅の物語、後半(第13から24歌)は、イタケーに上陸してから家族と再会するまでの物語を描く[14][15]。
ムーサへの祈り
『オデュッセイア』は『イーリアス』と同様、朗誦の開始において「ムーサへの祈り」の句が入っている[注釈 3]。これは話を始める契機としての重要な宣言であり、自然なかたちで詩のなかに織り込まれている。『オデュッセイア』では、最初の行は次のようになっている。
Ἄνδρα μοι ἔννεπε, Μοῦσα, πολύτροπον, ὃς μάλα πολλὰ
(古代ギリシア語ラテン翻字: Ándra moi énnepe, Moũsa, polútropon, hòs mála pollà...)[注釈 4]
原文の語順どおりに訳すと、次のようになる。
あの男のことを わたしに 語ってください ムーサよ 数多くの苦難を経験した「あの男」を……
「あの男」とは、オデュッセウスのことを指す。オデュッセウスが経験した数々の苦難の旅の物語を、わたしの舌を通じて語ってください、とムーサに祈るのである。このようにして、ムーサ女神が、吟遊詩人の言葉を通じて「ある英雄」の話をヘクサメトロスの韻律で人々に伝え語るのである。
第1 - 12歌

- 第1歌
物語は、トロイア戦争の英雄オデュッセウスが、女神カリュプソー(「隠す者」の意)の島に囚われているところから始まる。
主神ゼウスをはじめとするオリュンポスの神々のほとんどが「オデュッセウスを故郷のイタケーに帰郷させること」を決議するが、オデュッセウスに我が子ポリュペーモスの眼を潰された海神ポセイドーンのみはオデュッセウスに深い恨みを持ち続け、海路で帰途に就こうとするオデュッセウスに様々な困難をもたらす趣旨が説明される。聴衆にオデュッセウスの帰路の旅が困難になるであろう事を前提で示しながら、また同時に英雄オデュッセウスに対してオリュンポスの神々が少なからず助力し「正しい行いをする者」を神々が憐み見放さない事を聴衆に暗示しつつ語りかけを成立させている。
- 第2歌

オデュッセウスが死んだと考えられているイタケーでは、オデュッセウスの妻ペーネロペーのところに、40人の求婚者が遺産目当てに言い寄って数年が経っていた。オデュッセウスの妻ペーネロペーの実子であるテーレマコスは、母の苦境とオデュッセウス家の窮状を救うべく決心し、イタケーの衆を集め求婚者達の横道ぶりを皆に訴えた。しかしテーレマコスの訴えは憐みを得たがすぐに求婚者たちの非難の声にかき消され、テーレマコスの訴えは虚しく終わる。ここにきてイタケーの衆の意を得られなかったテーレマコスは、父の行方を探す望み薄き危険な旅に出る事を決意する。この時テーレマコスは屋敷や町の者たちに自分を養育してくれた恩義を述べつつもオデュッセウス邸での非道ぶりに対して正義が糺されると宣言し、悪辣な求婚者たちへの敵対を表明する。求婚者たちは将来の憂いになるテーレマコスの除外も相談するが、女神アテーナーの助けを借りて、テーレマコスは無事に父の行方を探す旅に出立する。
- 第3歌
テーレマコスはまずイタケー島を出てピュロスに着き、同じアカイア人で武勇の名高いネストール王に会う。王はおりしも海神ポセイドーンへ生贄を捧げる祭祀の途中であったが、訪れてきた旅の若者を快く迎え儀礼に加えて歓待してくれた。古代ギリシアではゼウスは旅人の守護神でもあり、自身も艱難を経てトロイア戦争から帰国出来たネストール王は儀礼を尽くしてテーレマコスを歓待し、またテーレマコスも儀礼をもって王に答えた。この礼儀を弁えた若者に対して、王はトロイア戦争が9年の長きに及び多くの英雄たちさえも失った事を語りだす。そしてこのトロイア戦争に戦況を打開して戦に終止符を打ったのが知略の人・オデュッセウスであったと讃嘆し、戦争が終結しアカイア人の武将たちの多くが帰郷の際に亡くなった事を告げる。が、肝心のオデュッセウスの行方はネストール王にも判らず、ネストール王が帰郷の際に神々への祭祀を怠りさまざまな海難に有った事をテーレマコスに語る(だからこそ祭祀を怠らず、テーレマコスを歓待している故を旅の話で語る)。オデュッセウスの生死については自分は判らないが海神の翁(ポセイドーンとは別の海神)に助けられた際に、この翁が言うには「オデュッセウスはカリュプソーの島に囚われているらしい」との伝聞をネストール王に語ってくれた。こうしてネストール王の帰国の艱難の帰路と、王の中の王「アガメムノーン王」がアイギストスに謀殺されたことを話し、漂流の間にアガメムノーンの仇を討つことを誓うが、帰国が叶ったおりに、アガメムノーン王の息子オレステースが父の仇アイギストスを見事討ち果たし後世に名を残す勇名を得た事をテーレマコスに語る。これはテーレマコスに対してもこれを見習い青年よ大義を成せとの激励の示唆なのであるが、テーレマコスは礼儀を持って返答しつつ「私にはそのような大事を成せる自信がない」と弱音を漏らす。ここで女神アテーナーはメントス王の姿を借りて弱音を吐くテーレマコスを叱責する。このような話の流れから、ネストール王は戦友オデュッセウスの息子に力を貸し、彼の息子たちにテーレマコスに助力する事を命じ、ネストール王の子息と壮麗な車を従わせスパルタのメネラーオス王に送った。
- 第4歌
メネラーオス王は、オデュッセウスのアイギュプトスでの難破について話す。オデュッセウスは、ニュンペーのカリュプソーに引き止められている。
- 第5歌

ポセイドーンの怒りを買い、イタケーに還れずにいるオデュッセウスに対して、他の神々は同情的である。ポセイドーンがアイティオピアーの宴席に赴いており、オリュンポスに不在である隙を見て、アテーナーは、大神ゼウスに嘆願し、オデュッセウスの帰国の許しを得る。神々の王ゼウスは、伝令使ヘルメースをカリュプソーの島に赴かせ、オデュッセウスを出立させる。しかし、その帰国を快く思わないポセイドーンは、オデュッセウスのいかだを三叉矛で難破させる。
オデュッセウスは女神レウコテアーの加護で溺死を免れ、パイアーケス人の国スケリアの海岸に流れ着き、オリーブの茂みで眠りにつく。
- 第6歌

難破したオデュッセウスを海岸で助けたのは、パイアーケス人の姫ナウシカアーであった[18]。
- 第7歌

オデュッセウスはナウシカアーとアテーナーに導かれ、王アルキノオスと王妃アーレーテーに謁見する[18]。オデュッセウスは名前を明かさずに海上での苦難を語る[18]。感銘を受けた王は、娘ナウシカアーの婿にならないかと打診するが、オデュッセウスは断って帰国を願う[18]。
- 第8歌
王はオデュッセウスを送り出す前日、宴を催す[18]。楽人デーモドコスが歌うトロイア戦争の物語を聞き、オデュッセウスは密かに涙する[18]。王はオデュッセウスの素性を尋ねる[19]。
- 第9歌
オデュッセウスは素性を明かし、今までの長旅について話し始める[19]。(話は13歌のはじめまで続く[19]。)
オデュッセウスと仲間たちはトロイアを12艘の船で出航した[20]。はじめにキコネス人の都市イスマロスで掠奪を行なった[20]。この時神官マローンを見逃した礼に葡萄酒をもらう[20]。
ロートパゴス人の国では、ロートスという植物を食べて酔いしれた船員が帰国を嫌がるという事態にあう[20]。
一つ目巨人族キュクロープスの島では、ポリュペーモスに船員が食べられてしまうが、マローンの酒とオデュッセウスの知略で出し抜く。
- 第10歌
風神アイオロスの島で風の袋をもらい、順調に航海したが、船員が袋を開けてしまい逆風でアイオロスの島に戻ってしまう[21]。
人食い巨人ライストリューゴーン人の島では、船員の大半が食べられ船が1艘になってしまう[21]。
アイアイエー島では、魔女キルケーに船員が動物にされてしまう。オデュッセウスは、ヘルメースに授けられた魔法を防ぐ薬草モーリュによってキルケーを屈服させる[21]。キルケーは、安全な帰国のために冥界で予言者テイレシアースに会えと話す[22]。
- 第11歌
オデュッセウスは大洋オーケアノスを越えて、冥界に通じる陸地に辿り着き、キルケーの指示通り準備をする。穴にたまった黒い血を目指し、死者の霊が集まってくる。最初に部下エルペーノールの霊に会う[24]。次いで母アンティクレイアの霊が現れると、オデュッセウスは驚く。彼は母の死を知らなかった。しかし、剣を振りかざして母を追う。やがて予言者テイレシアースが現れ、彼から今後の旅について予言を聞く。その後、母と言葉を交わす。次には、テューロー・アンティオペーら歴史に名高い女性の霊が現れる[25]。
やがて、トロイア戦争で戦死した者や、帰国の後に命を落とした者の霊が現れる。アガメムノーンは自分を殺害した妻クリュタイムネーストラーを烈しく非難する。勲に満ちた英雄アキレウスが現れると、オデュッセウスは最高の言葉で彼を称えるが、アキレウスは、死者としてあることの無意味さを嘆き、貧しき農夫であっても、生きてあることこそが素晴らしいと述べる。
最後に冥界の住民ミーノースやシーシュポスの姿を見て、冥界を脱出する[14]。
- 第12歌

キルケーの島に戻って別れを告げた後、半人半鳥の怪物セイレーンの島の横を通過する[26]。セイレーンの歌を聴いた者は、記憶を失い、自ら餌食になるとされる。しかし、オデュッセウスは、その歌が聞きたかったため、仲間たちの耳は蜜蝋で塞ぎ、自分は帆柱に縛り付けてもらい、身動きできないようにして、無事通過する。オデュッセウスは、セイレーンの島に進むのだと叫ぶが、仲間たちは歌もその言葉も聞こえないので、そのまま無視して進んだ。
次に、怪物スキュラのいる岩の横を通過する。スキュラは、6本の頭で仲間たち6人をくわえて捉えむさぼり食うが、オデュッセウスを初め、他の仲間は何とか無事にスキュラの岩の傍らを通過できた。
それから、さらにヘーリオスの家畜がいる、トリーナキエー島に一行は上陸する。オデュッセウスは、あらかじめに警告を受けていたので上陸を止めたが、仲間たちが上陸すると言って聞かず、やむをえず上陸する。すると、やはり凶事は起こり、部下がヘーリオスの家畜をみだりに殺し食用にしたため、家畜を世話していたヘーリオスの娘ランペティエーはそのことを父に知らせた。ヘーリオスは、怒ってゼウスに訴えたので、ゼウスは船に雷を落とした。彼らの船は再びスキュラの岩とカリュブディスの近くに流され、今度は、大渦巻きですべてを飲み込むカリュブディスの岩の下の海に吹き寄せられた。船は仲間を含めて渦巻きに飲み込まれたが、オデュッセウスだけは助かり、カリュプソーの島に流れ着いた。
第13 - 24歌
- 第13歌

オデュッセウスの話は終わり、翌日パイアーケス人の船でイタケーに送られる[27]。パイアーケス人は、眠っているオデュッセウスをイタケーの浜に寝かせて去るが、ポセイドーンの怒りで船は石になってしまう[27]。
オデュッセウスは浜でアテーナーに遭遇する[27]。アテーナーはオデュッセウスを敵対者から守るため、乞食に変身させる。
- 第14歌
乞食姿のオデュッセウスが、豚飼いエウマイオスの小屋を訪れる[28]。エウマイオスは主人と気づかぬまま歓待する[28]。乞食は嘘の身上話をし、オデュッセウスに戦場で救われたと話す[28]。
- 第15歌
アテーナーは、スパルタ滞在中のテーレマコスを故郷に呼び戻す[29]。オデュッセウスはエウマイオスに家族の様子などを尋ねる[29]。
- 第16歌

テーレマコスがエウマイオスの小屋を訪れ、乞食を父と気づかぬまま食事をともにする[30]。エウマイオスが伝令のため小屋を出ると、アテーナーはオデュッセウスを一旦もとの姿に戻す[30]。オデュッセウスはテーレマコスと再会する。2人は求婚者を退治する計略を話し合う[30]。
- 第17歌
テーレマコスが館に帰り、母ペーネロペーと再会する[30]。テーレマコスは、オデュッセウスは生きているが帰還の手段がない、という噂を聞いたと伝える[30]。
エウマイオスと乞食姿のオデュッセウスが館にやってくる[30]。老犬アルゴスのみが主人に気づくが、直後に死んでしまう[30]。求婚者たちは乞食を侮辱し、リーダー格のアンティノオスは足置きを投げつける[30]。オデュッセウスは怒りと痛みに耐える[30]。
- 第18歌
乞食イーロスがオデュッセウスに拳闘を挑むが返り討ちにされる[31]。ペーネロペーは求婚者たちに贈り物を用意してから出直せと告げる[31]。求婚者の1人エウリュマコスがオデュッセウスに足置きを投げるが避けられる[31]。
- 第19歌
求婚者が退出した後、オデュッセウスとテーレマコスは広間の武器を蔵に隠す[31]。オデュッセウスはペーネロペーと長く話し、彼はもうすぐ帰還するだろうと告げる[31]。ペーネロペーは、オデュッセウスの乳母エウリュクレイアに、乞食の足を洗うよう命じる[32]。エウリュクレイアは、足の傷から彼がオデュッセウスであることに気付く[32]。
- 第20歌
翌日、アポローンの祭日にもかかわらず求婚者は館で無礼をはたらき、テーレマコスと口論になる[33]。その場に居合わせた予言者テオクリュメノスは、求婚者が皆殺しにされると予言するが笑い飛ばされる[33]。
- 第21歌
ペーネロペーはオデュッセウスの弓を持ち、「この強弓を扱える者と私は結婚する」と告げる。求婚者は次々と試すが失敗。その隙に、オデュッセウスはエウマイオスと牛飼いピロイティオスに正体を明かす[34]。オデュッセウスは弓で、矢を12本の斧の穴に通す[34]。
- 第22歌

オデュッセウスは首謀者アンティノオスの喉を矢で射抜き、息子や家来と共に求婚者をすべて討ち果たす[35]。次いで、オデュッセウスを裏切った侍女たちを絞首刑に処し、山羊飼いメランティオスを殺す[36]。楽人ペーミオスと使番メドーンは見逃される[36]。
- 第23歌
オデュッセウスとペーネロペーが再会する[36]。ペーネロペーは当初は彼が本物だと信じなかったが、二人だけの秘密であるオリーブの木のベッドの存在を知っていたため、本物だと気づき号泣する[36][37]。
- 第24歌
求婚者の魂が冥界に行く[38]。冥界でアガメムノーンがペーネロペーを良妻と讃え、自身の妻クリュタイムネーストラーとの差を嘆く[38]。
背景
年代
『イーリアス』と『オデュッセイア』の成立年代がいつなのかをめぐって、多数の見解が提示されたが、合意を得た結論は出ていない[40]。ロバート・ランバートンは、これらの叙事詩が、紀元前5世紀半ば以降の識字率が普及し始めた時期を[跨いでいた][41]と述べるが、しかし詩の言語はこの時期よりも遙かに古い時代に遡ることができる[42]。古代ギリシア人は、紀元前8世紀の間、自分たちの書記システムを生み出すため、フェニキア・アルファベットを改変した文字を採択し始めていた[40]。もしホメーロスの叙事詩がこのように発展した識字力による最初期の所産に含まれているとすると、作品は前8世紀の末頃には成立していたことになる[43][注釈 5]。
ルドルフ・プファイファーによると、叙事詩はおそらく文字に書き下ろされていた。しかし、そのようなテキストが公開され、識字力のある読者が読むことができるよう物理的に配布されていたという証拠が存在しない[46][注釈 6]。年代の決定は、ホメーロスの叙事詩、またその一部が、数百年にわたりラプソードスによって口演されていたという事実によって、一層に複雑である。
詩の成立と作者
学者たちのあいだでは、ホメーロスの叙事詩が、数百年にわたる口頭伝承の一部として発達したことについて同意がある[48]。20世紀初頭において、ミルマン・パリーとアルバート・ロードは、これらの叙事詩が、口承詩の特徴を顕著に含んでいることを実地に証明した[49][注釈 7]。これらの特徴は、詩人が文字を知らなくとも、口演を通じて長大な詩句を即興で構成して[51]、詩作することを可能にする[49]。しかし学者たちは、詩がどのようにして口承伝統から生み出されたのかについては意見が一致しておらず[42]、口承伝統が叙事詩の構成と成立において決定的な役割を持ったかどうかは明らかでない[52]。
19世紀においては、叙事詩の作者に関係する一連の疑問は、ホメーロス問題として知られるようになった[53]。古代より伝わる情報源は、ホメーロスを説明するため、神話的なナラティヴ(語り)を生み出した[54]。ホメーロスについての多数にわたる問題は、今日でもなお執拗に議論されている[42]。例えば、『イーリアス』と『オデュッセイア』、そして「叙事詩環」に属する大部分が失われた詩作品のあいだの作品構成的な関係性について、ホメーロスは実在していたのかどうか、もし彼が実在していたなら何時の時代に[53]、また、叙事詩は、何らかの地理的、歴史的、文化的現実を反映しているのかいなか[42]、ホメーロスが今日『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者とされている他方、歴史的には彼の作品だとされていた他の作品、例えば、『ホメーロス風讃歌』はどうなのか[55]。
テキストにおける再建は、叙事詩が多数の形態を取っていたことを示す[56]。聴衆の反応はライブの口演における重要な要素であり、詩の内容は、口演から口演へと朗唱場面に応じて変動していったであろう[55]。この流れ(コンテクスト)は、叙事詩を理解し解釈するにおいて重要である[57]。ジョン・マイルズ・フォーリーは、実演は、叙事詩の意味にとって決定的に重要な部分であると記している[58]。叙事詩の実演は、両作品で主題となっており、『オデュッセイア』においては、ペーミオスとデーモドコスのような専門的な朗唱家を実際に描いている[59][60]。叙事詩内で語られているこれらの実演例を、叙事詩の公演についての一般的な理解に当てはめると、紀元前2千年期および前1千年期初頭にあって、名門家族の邸宅での宴会や晩餐の一部として、これらの叙事詩が実演されていたと考えられる[61][62]。また聴衆が演出したり、参加していた可能性が示唆される[61]。叙事詩はおそらく、その場で朗読されたのであり、音楽と共に上演されたのではないであろうと考えられる[63]。
『イーリアス』と同様に『オデュッセイア』は、24巻に分かれている[注釈 8]。初期の研究者は、この数がギリシア語アルファベットの文字数に対応していると指摘したが、これは歴史的に特に意味はないと一般に考えられている[65][注釈 9]。巻立てはおそらく叙事詩が制作されてずっと後になって為されたものであるが、詩の現代的な構造の一部として今日一般に受け入れられている[67]。この巻立てがどのようにして起こったのか、多数の説がある。ある者は、口頭伝承の由緒ある一部であるとし、別の者はアレクサンドレイアの学者たちが発明したのだとする[68]。偽プルータルコスは、アリスタルコスが巻立てしたとしているが、これを否定する証拠が存在する[69][70]。ある学者たちは、叙事詩の巻分割を、公演の伝統、例えば、ラプソードスの創作に帰している[71][72]。
両方の叙事詩が、聴衆に対してある程度の予備知識、例えばトロイア戦争に関する知識があることを前提にしている。この事実は、両叙事詩が、先行して存在していた神話の伝統に基ずいていることを強く示唆する[73]。両詩にとってトロイア戦争は重要な要素である一方、『オデュッセイア』は『イーリアス』が描いている戦争の出来事を直接的には参照しておらず[74][注釈 10]、一般に両詩は、互いに独立して形成されたと見なされている[76]。どちらの叙事詩が先に造られたのか議論されているが、明瞭には分かっていない[76]。
技巧
『オデュッセイア』は技巧に富んだ作品であり、「回想」など現代でも使われる物語技法が見られる[77]。
作中には「12」が象徴的な数として頻出する[20](例: 12艘の船、12本の斧)。前半12歌と後半12歌からなり、4歌ずつに区切ることもできる[78]。前後半で似た展開が反復されるキアスムス構造も見られる[79]。
叙事詩の韻律であるダクテュロス・ヘクサメトロスで韻を踏み、枕詞(エピセット)を豊富に使っている[80]。ホメーロスのギリシア語は教科書的な古代ギリシア語と異なる(ホメーロスの言語[81])。
受容史


古代
伝承では、前6世紀アテーナイの僭主ペイシストラトスが、初めてホメーロスの写本を整理した(ソローンとする説もある)[82][83]。前3世紀から前2世紀、アレクサンドレイア図書館のゼーノドトスまたはアリスタルコスが24歌に整理した[84]。出土パピルスの内容も前2世紀半を境に現行本に近くなる[85][86][87]。ホメーロスはプラトーンやアリストテレースに引用され[88]、アリストテレース『詩学』や伝ロンギーノス『崇高について』では文芸批評の対象になっている[80]。
古代ローマでは、前3世紀リーウィウス・アンドロニークスがラテン語に翻訳(ないし翻案)したとされる[89]。ラテン文学の歴史はこの翻訳に始まるとも言われる[90]。
ウェルギリウス『アエネーイス』は、前半は『オデュッセイア』、後半は『イーリアス』をモデルにしている[91][92]。例えば、オデュッセウスが漂流してナウシカアーに出会うのと同様に、アエネーアースは漂流してディードーに出会う[93]。
キリスト教にとってホメーロスの詩は異教の書物だが、教父のクレーメーンスらは、十字架のキリストを帆柱に縛られたオデュッセウスに見立てて語り、異教との融和を図った[94]。
中近世

中世ビザンツでは、古代から引き続いて初等教材として読まれ[95][96]、ツェツェースやエウスタティオスの注解や[96]、スコリアが作られた[95]。一方、イスラム圏では目立った受容は無かった[97]。
中世ラテン語圏では、上記ウェルギリウスや『イーリアス・ラティーナ』、ダレースやディクテュスを通じてトロイア戦争が知られ、ブノワ『トロイ物語』などが書かれ、ダンテ『神曲』にもオデュッセウスが登場するが、『オデュッセイア』が読まれることは無かった[98]。例外として、ビザンツと交流のあった南イタリア・オトラントの修道院製の写本が現存する[99]。
ルネサンス期、ホメーロスは再発見されるが、プラトーンやアリストテレースほどには注目されなかった[100]。14世紀、ピラートが『オデュッセイア』のラテン語訳を作り、ペトラルカが注解を試みたが未完に終わった[101]。15世紀、ビザンツ人クリュソロラスらによりギリシア語の知識が広まると同時に、ヴェネツィア写本Aに代表されるホメーロスの冊子写本が西欧にもたらされた[102]。1488年には『オデュッセイア』最初のギリシア語刊本(カルコンデュレス校訂)、1497年には最初のラテン語刊本(マッフェイ訳)が刊行された[103]。以降、チャップマンやポープの英訳など『オデュッセイア』の各国語訳が作られた[104]。
17世紀から18世紀には、ペローら新旧論争の近代派が『オデュッセイア』を低劣として批判した[105]。フェヌロンは道徳的小説『テレマックの冒険』でテーレマコスの冒険を創作し、広く読まれた[106]。ゲーテ『若きウェルテルの悩み』ではホメーロスがウェルテルの愛読書として登場する[107]。ゲーテは戯曲『ナウジカア』を構想したが未完に終わった[107]。ヴォルフの文献学書『ホメーロス序説』はホメーロス問題の端緒となった[108][109]。
近現代


近代ヨーロッパでは、ホメーロスは教養・ハイカルチャーの象徴とされた[110]。近代に翻訳が充実して、初めてウェルギリウスを超えるカノンになったとも言われる[111]。
サミュエル・バトラーは『オデュッセイア』の作者は女性であり、ナウシカアーは作者の自画像であるという説を唱えた[112]。この説は珍説だが現代でもよく引き合いに出される[112]。
ジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』は、『オデュッセイア』を20世紀ダブリンの物語に翻案している[113][114]。ほかにもニコス・カザンツァキス『オジッシア』、ジャン・ジロドゥー『エルペノール』、ジャン・ジオノ『オデュッセイアの誕生』、ルイ・アラゴン『テレマックの冒険』、デレク・ウォルコットの詩劇『オデュッセイア』などが『オデュッセイア』を踏まえている[115]。21世紀現在もザッカリー・メイスン『オデュッセイアの失われた書』、マーガレット・アトウッド『ペネロピアド』などの小説が創作されている[116]。
『オデュッセイア』の映像化作品は、1905年『カリュプソの島』(ジョルジュ・メリエス監督)をはじめ多数存在する[116]。1954年『ユリシーズ』はカーク・ダグラスとシルヴァーナ・マンガーノの出演作として知られる[116]。2026年には『オデュッセイア』(クリストファー・ノーラン監督)が公開された[117]。
1968年のSF映画『2001年宇宙の旅』(原題: 2001: A Space Odyssey、スタンリー・キューブリック監督、アーサー・C・クラーク原作)は、副題通り『オデュッセイア』を意識しており、ポリュペーモスに相当する単眼のコンピュータHAL 9000が登場する[118]。2000年のコメディ映画『オー・ブラザー!』(コーエン兄弟監督)も『オデュッセイア』を意識している[116]。
『百合若大臣』
中世日本の『百合若大臣』は、『オデュッセイア』と筋書きが類似することなどから、『オデュッセイア』が伝播して成立したとする説がある[119][120]。伝播説は明治の坪内逍遥が提唱した[119][120][121]。当時の学界は肯定が優勢だったが、現代では否定が優勢になっている[122]。
題名の別形など
「オデュッセイア」という形は、古代ギリシア語のオデュッセウス (Ὀδυσσ-εύς) から来ている。Ὀδύσσειαは、Ὀδῠσσεύς + -ιᾰ で[123]、この形は、オデュッセウスの女性形であって、特に「詩歌」を意味するわけではない。しかし、古典ギリシア時代よりホメーロスの叙事詩の『オデュッセイア』を指す言葉として、ヘーロドトス、プラトーン、アリストテレースなどが使っている [124]。ホメーロスの叙事詩は、オデュッセイアという形以外に、オデュッセイアーという形も存在する。
元々、オデュッセウスという人名に、-ia という接尾辞を付けたものである。オデュッセウスという人名については、古代ギリシア語で様々な形があった。紀元2世紀頃のギリシアの文法学者アイリオス・ヘーローディアノス(Αἴλιος Ἡρωδιανός) の『一般プロソーイディアー』の第1巻には、オデュッセウスの別形として、ウーリクセウス (Οὐλιξεύς, Oulikseus) が挙げられている[124]。これらは、別形では、オデュッセーオス、ウーリクセース等となる。
ドーリス方言と考えらえるギリシア語名ウーリクセースより、ラテン語のウリクセース (Ulixēs) およびウリュッセース (Ulyssēs) が派生し[125]、ここより、フランス語のユリス (Ulysse)、イタリア語のウリッセ (Ulisse)、英語のユーリシーズ (Ulysses) が派生している。これらは、ギリシア神話でのオデュッセウスと、ローマ神話での対応英雄を指す。ホメーロスの叙事詩を指すのではない。
叙事詩のオデュッセイアは、古代ギリシア語の言葉を借用して、ラテン語では、オデュッセーア (Odyssēa) という語が作られた。ここから中世フランス語形を通過して、現代のフランス語では、オディセ (Odyssée) という言葉となった。英語ではアディスィ (Odyssey) で、ドイツ語ではオデュッセー (Odyssee)、イタリア語ではオディッセア (Odissea) である。
英語のアディスィ (Odyssey) を日本語では慣用的に、オデッセイと発音して呼ぶ。
土井晩翠訳
土井晩翠(1871年 - 1952年)は英文学者・詩人で、『荒城の月』の作詞者としても知られる。土井は『イーリアス』とともに『オデュッセイア』をギリシア語原典から翻訳し、『オヂュッセーア』の題で冨山房より1943年(昭和18年)に上下2巻の韻文訳として刊行した[126]。当時の日本におけるホメロス作品の翻訳の多くが英語やフランス語などからの重訳であったのに対し、土井の訳はギリシア語原典に基づく数少ない例のひとつとされる[127]。同書は後に冨山房百科文庫からも再刊されている[128]。
『オデュッセイア』はもともと吟遊詩人によって竪琴の伴奏とともに歌われた口承の英雄叙事詩であり、原文は「英雄詩律」(ヘクサメトロス)と呼ばれる韻律で書かれている[129]。土井は「叙事詩は韻文に訳すべし」との方針のもと、原文1行(24音)を日本語の七・五・七・五(24音)に置き換える形式を採用し、原典と同じ約1万3千行にわたって全編を七五調の韻文で訳し通した[130]。土井自身も訳の跋文で、西洋文化の受容以来ダンテやシェイクスピアなど数々の翻訳が刊行されてきた一方、ホメロスをこのような韻律を保った形で訳した例はまだなかったと述べ、自らをその先駆と位置づけている[131]。以後の主な邦訳(呉茂一訳、高津春繁訳、松平千秋訳、中務哲郎訳など)はいずれも散文訳ないし改行散文訳であり、原文の行数・韻律を保ったまま全編を訳し切った例は土井訳をおいて他にないとされる[132]。
現在では著作権保護期間の満了により、これらは国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されており、誰でも無料で閲覧することができる。土井の自筆による翻訳原稿(1935年起稿、1941年脱稿、全6冊)[133]のほか、1943年(昭和18年)刊行の印刷版本文[134]も公開されている。
その他
- トロイア戦争が紀元前1200年代中期であるとの考古学的推定に基づき、トロイア陥落の100年以内の期間を調べた結果、『オデュッセイア』中の日食など天文現象に関する描写が歴史的事実の可能性があるとの研究報告が、2008年6月23日の『米科学アカデミー紀要』に発表された[135]。同報告によると、オデュッセウスが帰国したのは皆既日食が発生した紀元前1178年4月16日(紀元前12世紀)と比定される。
- 本田技研工業(ホンダ)で生産されているミニバン、オデッセイ (ODYSSEY) の名もこれに由来する。また、同社で生産されているミニバン、エリシオン (ELYSION) は、この物語に登場する楽園の名であるエーリュシオンに由来している。また、海外専売車のミニバン、フィアット・ウリッセ(ウリッセはオデッセイアのラテン語読み)も同様の由来である。
脚注
注釈
- アオイドスは、各地を訪問して、行く先々で叙事詩を歌い語る人物を指す。「歌い手」である。アオイドスは、アーデイン(うたう)から派生している (ἀοιδός)。『イーリアス』の冒頭は、「メーニン・アエイデ・テアー(怒りを・歌え・女神よ)」であるが、この「アエイデ」と同じ語源である。
- ラプソードスは、紀元前6世紀から前5世紀頃に登場する詩歌の専門吟唱者である。ホメーロスの叙事詩やヘーシオドスの教訓詩を朗唱した。独特の外套をまとい杖を手にしていた。
- ムーサは、ゼウスと記憶の女神ムネーモシュネーとのあいだの子とされる。
- ホメーロスの詩は、英雄脚六脚韻(ダクテュロス・ヘクサメトロス)の韻律でうたわれる。この最初の行を、高低アクセントは無視して、音節の長単だけに着目してカタカナで転写すると、次のようになる(叙事詩の実際の朗唱では,個々の単語は続けて発音される):「アンドラモイ|エンネペ|ムーサポ|リュトロポン|ホスマラ|ポッラ」。これは音節の長短で示すと、「長単単|長単単|長単単|長単単|長単単|長単」となっている。「長単単」という音節のパターンは、英雄脚(ダクテュロス)と呼ばれ、それが六回繰り返される詩形を六脚韻(ヘクサメトロン)と言う。ホメーロスの詩は、『イーリアス』もそうであるが、その行のすべてが、英雄脚ヘクサメトロンとなっている。「長単単」を基本とするが、「長長」の場合もあり、六脚の最後の脚は、「長長」または「長単」となる。
- 1954年にイタリアのイスキア島で発見された陶器の杯(通称、ピテクサイのネストールの杯。紀元前735年頃-前720年頃製作)の表面には、「飲むに宜しきネストールの杯」との語がギリシア文字で刻まれていた[44]。キャルバート・ワトキンズなど、幾人かの学者は、この陶器の杯を『イーリアス』中に出てくる「ネストール王の黄金の杯」の描写と関連付けようとした[45]。杯の銘文が『イーリアス』への言及だとすると、叙事詩の文字成立は、少なくとも紀元前700 - 750年の年代に遡ることができる[40]。
- 乾燥した気候によって保存された『オデュッセイア』の断片を含むパピルスが、エジプトで発見されている。パピルスの年代は紀元前3世紀で、中世のヴァージョンとは内容が異なっている[47]。
- これらの特徴には、名詞と形容詞的な働きを持つエピテットの組み合わせ、類型場面及び交叉構造が含まれる[50]。
- これらの巻を、「書籍」と呼ぶのはいまや時代錯誤である[64]。
- ホメーロスの時代、イオーニア方言のアルファベットの数は20から26文字にわたっていた[66]。
- この所見は、デヴィッド・モンローに因んで「モンローの法則」として知られている[75]。
出典
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『オデュッセイア』の日本語訳
新しい順
- 中務哲郎 訳『オデュッセイア』京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2022年。散文改行訳。
- 松平千秋 訳『オデュッセイア』岩波文庫(上下)、1994年。のちワイド版、電子書籍版(2013年より)。大活字版岩波文庫(上下)、2026年。散文訳。
- 『世界文学全集1 ホメロス アポロニオス』講談社、1982年。
- 呉茂一 訳『オデュッセイアー』岩波文庫(旧版 上下)、1971-72年。散文改行訳。
- 高津春繁 訳「オデュッセイア」-『世界古典文学全集1 ホメーロス』1964年、『筑摩世界文学大系2 ホメーロス』1980年、各・筑摩書房。散文訳。
- 土井晩翠 訳『オヂュッセーア』冨山房百科文庫(上下)、1943年。新書判2026年。韻文訳。
参考文献
日本語
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- 井上章一『南蛮幻想 : ユリシーズ伝説と安土城』文藝春秋、1998年。ISBN 9784163543406。
- 小川正廣『ホメロスの逆襲 それは西洋の古典か』名古屋大学出版会、2021年。ISBN 9784815810504。
- 久保正彰『オデュッセイア : 伝説と叙事詩』岩波書店〈岩波セミナーブックス〉、1983年。ISBN 9784000048736。NDLJP:12575435。
- 高橋宏幸『ギリシア神話を学ぶ人のために』世界思想社、2006年。ISBN 9784790711612。
- 中務哲郎「解説」『オデュッセイア』京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2022年。ISBN 9784814004225。
- 西村賀子『ホメロス『オデュッセイア』 : 〈戦争〉を後にした英雄の歌』岩波書店、2012年。ISBN 9784000283007。
- 松村一男; 沖田瑞穂『『オデュッセイア』入門』河出書房新社〈河出新書〉、2026年。ISBN 9784309632056。
- 松本仁助『『オデュッセイア』研究』北斗出版、1986年。ISBN 9784938427306。NDLJP:12575437。
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日本語以外
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