2020/10/16

仏教で「心の三毒」は貪瞋痴(とんじんち) | ブログ | <公式サイト>東広島アイフィットさいき葬祭 | JR西条駅から一番近くて便利で選べて納得

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仏教で「心の三毒」は貪瞋痴(とんじんち)

貪瞋痴とは仏教で心の三毒と言われております。
貪(とん)とは、むさぼることで貪欲に際限なくあれこれ欲することです。
動物的欲求や物欲、あるいは金銭欲が強すぎることが、貪(とん)といわれます。
とはいえ無欲ならば良いわけでなく、向上心からくる欲ならばいいのです。
次に、瞋(じん)とは、簡単に言えば感情をぶちまけること。
不快なものに対して激しく怒ったり、妬んだり、恨んだりすることです。
不快だといって、みずからがさらに不快感をぶちまけ、周囲をより不快にさせることです。
最後に痴(ち)とは、無知であること。
自己弁護に走ったり、常識知らずで自己利益しか考えないようなことです。
ゆえに、愚かであることを指します。
つまり貪瞋痴は、貪欲だったり、感情の抑制が効かなかったり、また自分勝手なさまを「貪(むさぼり)」「瞋(いかり)」「痴(おろかさ)」の一字ずつにあて表した言葉です。
とまあ言いますがね、結局のところ、お坊さんでも一生かけてたどり着けないから、修行してるわけですね。
それよりも、生きている姿、その姿勢、発する言葉、それら生き様がどうかが大事です。
つづく


≪つづき≫ 棺(かん)を蓋(おお)いて事(こと)定まる
生き様がどうだったか?という話ですが
過去は変えれないのです。
やってきたことしか、ここにないのです。

そこでこのことば。
棺(かん)を蓋(おお)いて事(こと)定まる
《「晋書」劉毅伝から》人間の真価は、死んでから決まる。人事は棺を蓋 (おお) うて定まる。蓋棺事定 (がいかんじてい) 。

お棺の蓋を閉じる時にその人の真価が決まる。
だからこそ、お棺の蓋を閉じるという行為は、とってもそのご家族にとって、とてもとても重要なことですから、
並々ならぬ決意で、お手伝いさせていただくのが、当社の姿勢なのです。
もう、いまからの当社はこれまでとは違う。
深い考えを持って、1つ1つのお葬儀に携わらせていただくのでしょうね。
遠くの尊敬する人間を慕うより、身近な社員一人ひとりに誇りをもち、そして、育てるのであります。
社長にしかできないことにまい進するのであります。
社長は副社長へ、副社長は各部長へ、各部長は各社員からアルバイトのスタッフまで・・・
まず、身近な伝承が、本来の仕事であるのです。
求める答えは決して、尊敬すべき偉い他人には無くて、誇れるべき社員創造の中にある。
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