三毒の煩悩【貪・瞋・痴】とは | 生きる意味が分かる親鸞の教え
三毒の煩悩【貪・瞋・痴】とは
2019/02/07 2019/08/24
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仏教に「三毒の煩悩」という言葉があります。
全部で108ある煩悩の中でも、特に私たちを苦しませ悩ませる三つの大きなものが「三毒の煩悩」です。その三つとは、【欲】【怒り】【愚痴】の三つです。
三毒・貪瞋痴の煩悩をそれぞれ形容詞で表すと、【欲】は「汚い心」。【怒り】は「恐ろしい心」。【愚痴】は「醜い心」。
それぞれどんな心なのか、事例を通してお話ししましょう。
目次 [とじる]
1 【貪欲】三毒の煩悩(貪瞋痴)の筆頭
2 【瞋恚】怒り、という恐ろしい煩悩(貪瞋痴)
3 【愚痴】うらみ、ねたみ、そねみの煩悩(貪瞋痴)
【貪欲】三毒の煩悩(貪瞋痴)の筆頭
貪瞋痴の筆頭【貪欲】とは、金がほしい、ほめられたい、好かれたい、という心です。
それを得るためには人はどうなってもいい、自分さえ儲かればいい、自分さえ認められたらいい、という心です。
その欲の本性である、我利我利亡者、エゴ、自己中、が「汚い心」といわれる所以です。
自らの私利私欲のために、人を押しのけたり、だましたりする人は、「あいつのやり口は汚い」「汚い人だ」と言われます。
また自分のもうけや評価でしか動かない人を「意地汚い奴」と言ったりもします。
その貪欲の一つに『財欲』があります。
お金が欲しいという欲であり、物が欲しいという欲です。
今日、物欲と言われるのも、この『財欲』にあたります。
この財欲によって私たちは、どれだけの人を苦しめ、傷つけ、殺していることか知れません。
一例を見てみましょう。
カラシニコフ自動小銃。悪魔の銃です。
この銃は、その軽量から10歳の子供も使うことができるので欲す。
もちろん子供用だから、といっておもちゃではありません。
この機関銃の開発により、年端も行かぬ少年が兵士となりました。
アフリカの紛争地域で、この銃で殺傷された人は数え切れません。
実はこれら紛争地域の多くが、石油やダイヤモンドの産地です。
産地となる国々では、石油やダイヤモンドの利潤をめぐって、これら政府軍、反政府軍の終わることなき紛争が続いてます。
原因はダイヤをめぐる財欲です。
一方、石油やダイヤモンドを消費するのは、先進国の我々です。
ダイヤの宝石が欲しいという先進国民の財欲が戦争の原因と知れば、私たちは地球の裏側の国々の紛争に無関心ではいれません。
「戦争の原因を知りたければ『誰が得をしたか』考えてみればその答えがわかる」とよく語られます。
民族間の紛争で、家族を殺されたり、家を失って難民になったりして、誰も得をした人はいない。得をしたのは、その国のごく一部の権力者と武器や戦闘機を売って儲けた軍需産業、そして戦争の後、ビジネスにやってくる欧米の企業です。
どれだけ市民団体が運動を起こしても、国連が介入しようとしても、戦火は拡大するばかりで、人間の財欲はとどまるところを知らず、アフリカに次々と悲劇をもたらしています。
【瞋恚】怒り、という恐ろしい煩悩(貪瞋痴)
貪瞋痴の二番目【怒り】が「恐ろしい心」と言われるのは、人間は腹が立つと、言ってはいけないことを言い、やってはいけないことをしてしまうからです。
冷静な時は、こんなことを言ったら相手との関係が壊れる、こんなことをしたら相手から嫌われる、と慎んでいますが、腹が立つと自制心を失ってしまうと、言ってはいけないことを言う、やってはいけないことをする、その結果、人生を台無しにしてしまうのです。
一瞬の怒りで、会社を首になる、家庭が崩壊する、といった事態が引き起こりますから、実に恐ろしい心です
NHKのアンケート調査によると、夫婦ゲンカの原因は、家事のしかたや、ちょっとした物の置き場所など、ささいなきっかけが多いとのこと。
ある夫婦が離婚に至ったけんかのきっかけは「夫の靴下の脱ぎっぱなし」だったそうです。
たかが夫の靴下の脱ぎっぱなしくらいで離婚なんて、と失笑する人もあるかもしれませんが、それは妻にとっては、ただの“脱ぎっぱなしの靴下”ではないのです。
「今まで何度も言ってきたのに、少しも聞いてくれない」という何十年も積み重なった失望の象徴であり、いつも自分の言うことが軽んじられてきたことの証であり、大事にされてこなかった寂しさと怒りがそこにあるのです。
夫にしても、妻のとげとげしい態度、うんざりした口調に「その言い方はないだろ」「その態度は何だ」と腹が立って仕方ありません。
「家庭を支えるため、妻子を守るために、職場で下げれない頭も下げ、様々なことに耐えているのに、おまえと子供たちのためと思って働いているのに、そのオレに対して、いつもいつも、そんな態度しかとれんのか」との、やるせない憤りがあるのです。
夫婦げんかには、その二人にしかわからぬ、第三者にはうかがい知ることのできぬ、何十年の歴史があっての今のけんかなので、「たかが靴下くらいで」ではありません。
縁の浅い人なら、我慢でき、受け流すことができたことでも、縁がとても深い人には、怒りが出てきます。
私たちは縁の浅い人との間には、大きな喜びを交わすこともなければ、大きな怒りをぶつけ合うこともありません。
縁の深い人だからこそ、様々な喜怒哀楽が激しく生じるのです。
【愚痴】うらみ、ねたみ、そねみの煩悩(貪瞋痴)
貪瞋痴三番目の【愚痴】が「醜い心」だと言われるのはなぜでしょうか。
【愚痴】とは、うらみ、ねたみ、そねみ、憎しみの心です。
幸せそうな人を見るとおもしろくなく、ねたましくなってくる心です。
成功して意気揚々としている人を見て、苦々しく思う心です。
同期の友達が先に出世すると、どうでしょう。
友達なのですから、一緒に喜んであげればいいのに、素直に喜べない心が起きてきます。
「なんでこんな心が自分にはあるんだろう」と我ながら醜い心が嫌になります。
「よかったなあ、おめでとう」と口では言いながら、心の中に渦巻いている醜い心が表情に現れて笑顔が固くなっていないだろうか、と気にしています。
自分でもねたみの醜さが分かるから、人には知られないよう、隠そう隠そうとするのです。
「どうしてもほしい」と自分の欲の心を口にしたり、「腹が立って仕方ない」と怒りの心を訴えたりすることはあっても、「あいつがねたましい」「嫉妬している」とは、そうそう口にしません。
そんな心は全くないように振る舞うのは、私たちもこの心の醜さを自覚しているからでしょう。
また【愚痴】とは、人の不幸をクスクス笑う心でもあります。
人が失敗して狼狽している姿を見てひそかにおもしろがる心です。
不幸な人を見て「かわいそうに」と口では言いながら、心では何か愉快な気持ちがこみあげてきます。
人の幸福をねたむ心も醜いですが、人の不幸をおもしろがる心はもっと醜く感じます。
ある中学2年生のクラスの授業。
教師が「理想のクラスを漢字ひと文字で表すと」と課題を出しました。
生徒たちが書いてきたのは、『笑』『明』『楽』などの字でした。
次に教師は「今度は、無視、いたずら、悪口など、いじめをする人の気持ちを想像して、そういう人の気持ちを漢字一字で表してみてください」という課題を出しました。
教師の課題に生徒からあがってきたのは『怒』『悪』『嫌』などでした。
案の定、暗いイメージの漢字が並びました。
ところが中に『笑』『楽』という字があったのです。
この字は、理想のクラスのイメージとしても出た言葉です。
書いた生徒のわけをこうでした。
「ほかの人をいじめるときに、ストレス解消というか、『ハハッ』とあざ笑うという意味で書きました。ぼくも小学校のころいじめられてた。いじめられてるときに笑われたんですよ、ぼく」。
Eテレ(NHK)でこの授業の様子は紹介され、いじめを「楽」と書いたこの生徒の言葉に反応したのが、元AKBの高橋みなみさんでした。
彼女もこの教師の出した“いじめたくなるときの人の気持ち”の課題にぱっと浮かんだ漢字が「楽」だったそうです。
「いじめている人というのは、一瞬楽しむ傾向がある。人にいじめを言うことが楽しくなったりとか、自分が上に立つことが楽しくなったりとか…」(高橋さん)。
いじめは人の不幸をクスクス笑う愚痴の心から発します。
苦しんでいる人を見て面白がり、狼狽していたり、困っている姿を見て楽しむ心です。
上履きを隠されておろおろしている人、教室で無視されて顔を青くしている人を見て、含み笑いをしているのは、愚痴の醜い心に他なりません。
高橋みなみさんや一部の生徒が、いじめをする人の気持ちとしてあげた『笑』『楽』は、まさに愚痴の心のことであり、その心の醜さに敏感に気づいている人の回答だと思います。
楽しむ方法はいろいろ世の中にあり、笑顔になれる場もいろいろあります。
何も人をいじめて笑ったり、楽しんだりすることはない。
スポーツで勝利した笑顔、試験に合格した笑顔、子供の顔を見たときの笑顔、読書や音楽や映画の楽しみ、身体を動かす楽しみ、好きな人と一緒にいるときの楽しみ、『笑』『楽』はいろいろあります。
人を困らせ、人を苦しませて笑ったり、楽しむのは醜く、最低の『笑』『楽』です。
そんなことで笑顔になり、楽しむのは、とても恥ずかしい、みっともないことなので、愚痴の心を「醜い心」といわれるのです。