Yukio Irie, Emerson and Quakerism, 연구회사, 1982년, \1,800(비평 소개)
カ と して は 取 る に 足 らぬ 存 在 だ っ た が 、 ア
メ リ カ で は 、 Williarn Penn を指 導者 と し
て 開拓 し た Pennsylvaniaを 中 心 と し て
New Jersey, Delaware な どの 中部 諸州 で 、
一つ の 強 い 社 会 的 勢 力 を 形 成す る こ とが で
きた よ うに 思 わ れ る 。 そ の よ うな 社会 的背
景か ら、Penn , Paine , Woolman , Brockden
Brown , Cooper, Whitman , Emerson ,
Whitder な ど、 ク ェ ー カ リズ ム の 影 響 を強
く示 して い る 作家た ちが 現 わ れ た 。 Henry
SeidelCandy の C 痂 ∬ ’‘ Aneericans(lg31 )
は 、 お そ ら く、 こ の 事 実 に 最も早 く注 目 し
た 書物 で あ る が 、比 較 的 系統 的 に こ の 閥題
を扱 っ た もの と して は 、 Howard W .Hintz
の The 2uaikerlny70sencein AneericanLitera−
lure (lg40 )が あ っ た 。 が、 と くに エ マ ソ ン
に 対 す る ク エ ー カ リズ ム の 影響 を論 じた も
の と して は、 こ の 書 の な か で 著者 が しば し
ば 言 及 して い る 、
Frederick B .Tolles の
‘‘ Emefson and Quakerism’ (ig38 ) と
Mafy C .Turpie の
“ A Quakersource fof
Emerson ’s Sermon on the Lord ’s Supper”
(i944 )とい う二 つ の 論文 が あ る だ け で あ
る。 著 者 は こ の 書 の なか で 、 上 の 二 つ の 論
文 を踏 ま え な が ら、 そ れ らをは る か に 凌 駕
す る 、 精緻 で 説 得力 の あ る論述 を展 開 して
い る 。
Eveer∫on and 2uakeri∫ne と い う書 名か ら、
読者は こ の 書 を エ マ ソ ン の 思想 の きわ め て
限 られた一 面 を扱 っ た 特殊 研究 で あ る か の
よ うに 誤 解す るか も知れ ない 。 しか し、 本
書 の 第 三 章 以 下 の 四 章 は 、 そ れ ぞ れ 、
“
Emerson ’s Religious Philosophy ”
,
{ cEmerson ,
s Practice of Religion,「
,
“Emerson as a Poet ,,
,
tc Emetson as a
Monist ” と題 して 、
エ マ ソ ン に お け る 包
括 的 な諸 問題 を論 じて い る こ とか ら も判 る
よ うに、 エ マ ソ ン の 全 体 の 像 に 迫 ろ うと志
して い る の は 明 らか で あ る 。 もち ろ ん 著 者
の 基本 的立 場 は 、 第… 章 の “The Quake:
Influeflceupon Emerson ”
と第 2 章 の
“
Emerson ’s ctiticismof Qual〈 erism ’ の
な か で 明確に 述べ られ て お り、 こ の 基 本的
な 立 場 と角度 か らエ マ ソ ン の 思 想 全体 を裁
断 して 見 せ た も の で あ る が 、 そ の 裁 断 面
は 、
‘L
Ernersonianism ” と い わ れ て い る も
の の 最 も本 質的 な 部分 を明 らか に す る こ と
に 成 功 して い る 。 著 者 が 述 べ て い る よ う
に 、
‘‘Self−Reliance ’”や
‘‘The Ovcr −Soul ”
な どに 見 られ る 、 人 聞 と神 に 関 す る エ マ ソ
ン の 基本 的 な思 想 は 、 ク エ ー カ リズ ム に お
け る
‘eSeed of God ” や
‘‘Inner Light’
”
の 理 念 と共 通 す る も の が非常 に 多 く、 両 者
の 一 方 を 明 らか に す る こ と は 同時 に 他方 を
明 らか に す る こ とに な る 場合 が 多 い か らで
あ る 。
著 者 は 、
エ マ ソ ン が 聖餐式 に 関す る 最後
の 説 教 を行 な っ て ボ ス トン 第二 教 会の 聖 職
を辞 した r832 年 とい う、 彼 の 精 神史 に お
け る 重 要な 時 点 を中心 と して 、 そ れ ま で の
彼 の 多 くの 説教 の 内容 を精 密に辿 り、 こ の
前 後 に 彼 が耽 読 した ク エ ー カ ー関係 の 文 献
や、 彼 が親 し く交わ っ て 深 い 精神 的影 響を
受 けた ニ ュ ー ・ベ ッ ドフ ォ ー ドの ク エ ー カ
一の 女 性 Mary Rotch や Whittierな ど、
ク エ ー カ ー との 人 間 的接 触 を、 そ の 細部 に
い た る ま で 実 証 的 に跡づ けて い て 、 た い へ
ん興 味 深 い 。 しか し、 著者 が 、
エ マ ソ ン と
ク エ ー カ リズ ム との 、 以 上 の よ うな 具体 的
な接 触 の 事 実を跡づ け る こ とか らさ らに 一
歩 を進 め て 、
エ マ ソ ン の 超 絶主義 の 思想 的
源 流 に ま で さか の ぼ り、 ま た ク エ ー カ リ ズ
ム の キ リ ス ト教 的神 秘主 義 を、
エ ッ ク ハ ル
トや ヤ コ ブ ・べ 一 メな ど、そ の ヨ ー n ッ パ
に お け る源 流に ま で さか の ぼ っ て 、 両者 を
比 較検 討 した な らば、 こ の 書 は さ らに 深 さ
と厚 み を加 えた に 違 い な い と思 わ れ る。
最 後 の
“
Emerson as a Monist ” と題 す
る 章 は 、
エ マ ソ ン の 二 元 論 的 傾 向を 強 調 す
る 従 来 の 多 くの ア メ リ カ の 学 者 た ち の 立 場
に 対 して 、 一 元論者 と して の エ マ ソ ン を 論
証 し よ うとこ こ ろみ た 、 い ろ ん な 意味 で 著
者そ の 人 の 個性 の に じ みで た 、 カ の こ も っ
た 重 要 な 章 で あ るが 、 多分 多 くの 論議 を呼
ぶ で あ ろ う。 す で に エ マ ソ ン の 存命 中に 、
JamcsRussell Lowell は 、A Fav’le for
Critics (1848 )に お V
・ て 、
“ A Greek head
on right Yankee shoulders , whose range f
Has Olympus for one pQle,for t
’
othet
the Exchange ; 1APIotinus−Montaigne,
where the Egyptian ’
s gold mist !And
the Gascon’s shrewd wit cheek −by−jowl
coexist ;
” と書 い て 、 エ マ ソ ン の 二 元 論 的
傾 向 を指摘 し、 エ マ ソ ン 自身 も、
1835 年
5 月 5 日の 日記 の な か で 、
“1 am the practi−
cal Idealist.” と:書い て 自分 の 二 元 的傾向 を
承 認 して い る 。 対 立 す る もの の 中間 に 立 つ
て 平 衡 感覚 をた の しん で い る か の よ うな 或
る た くま しさ こ そ 、
エ マ ソ ン の 思想 全体 を
つ ら ぬ くとこ ろ の 無視 し得な い 特質 で あ っ
て 、 これ な くして エ マ ソ ン は 、 ア メ リ カ 思
想 の 源 流 の 一 つ とな る 栄誉 は に な い 得 なか
っ た に 違 い ない の で あ る 。
一一 小 泉 一 郎