Amazon.co.jp: 徹底討議 禅とイエス・キリスト : 誠一, 八木, 龍〓@59BC, 秋月: Japanese Books
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八木 誠一
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Ryōmin Akizuki
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徹底討議 禅とイエス・キリスト Tankobon Hardcover – December 1, 1989
by 八木 誠一 (著), 秋月 龍〓@59BC (著)
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caritas77
5.0 out of 5 stars 秋月龍珉氏と八木誠一氏との対話Reviewed in Japan on February 22, 2023
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はしがき 八木誠一
Ⅰ 海外における新しい「イエス」研究
「イエス」と「釈迦」/「歴史のイエス」と「歴史の釈迦」/タイセンの『イエス運動の社会学』/「イエスの言葉」は「倫理」ではない/「巡回伝道者」とはどういう人々か/「福音書」の成立/「Q史料」/スウィードラーの『イェシュア』/「倫理」と「宗教」の関係について
Ⅱ 「釈迦」と「イエス」の共通点と相違点
釈迦の出家の動機の二つの解釈/問題は自我の絶対化だった!/「自我」と「律法」の問題/釈迦はどこで見出されるか/「法」による仏教と「人」によるキリスト教/「覚」の宗教と「信」の宗教の裏と表/「涅槃」から「菩提」へ/釈迦は何を悟ったのか/文献解釈の基本問題
Ⅲ あるキリスト教徒の禅仏教体験
八木の「禅」体験/「愛」と「自我」/グンデルト先生を訪ねる/カッセル車中での「禅」経験/八木自身の経験の解釈/西田哲学の問題/垂直面と水平面
Ⅳ 禅仏教とはどんな宗教か(一) ―― 黄檗の「一心論」 ――
「無心」ということ/「無心」は禅の特色/「以心伝心」ということ/「即心則仏」ということ/「身心一如」ということ/神も仏も「相」だ/直だ「一心」だけを指し示す
Ⅴ 禅仏教とはどんな宗教か(二) ―― 黄檗の「無心論」 ――
「ずばり無心であれ」(直下無心)/「直下」とか「当下」ということ/「応」とは「無心の心」である/「無心の心」とは大乗菩薩の「大悲心」
Ⅵ 宗教言語論の視点から「イエス」と「禅」を語る(一)
イエスの「言葉」はどういう言葉か/言葉の分類とその機能/イエスの言語/イエスの言語表現 ―― 「律法」に関して/イエスの言語表現 ―― 「愛」と「人生」に関して/イエスの言語表現 ―― 「神の国」に関して
Ⅶ 宗教言語論の視点から「イエス」と「禅」を語る(二)
イエスの言語表現と「絶対矛盾的自己同一」/「神の支配」と「西田哲学」について/禅の言葉
Ⅷ ふたたび「イエス」と「禅」について
「自我」と「自己」の区別と統合/「パウロ」における「キリスト」/イエスにおける「信」と「覚」/宗教における「直接性」ということ/直接経験(純粋経験)のこと
Ⅸ 仏教における「覚」の宗教と「信」の宗教について
「覚の宗教」「信の宗教」/廓庵禅師の『十牛図』/仏教における「信の宗教」ということ
Ⅹ 「覚」の宗教と「信」の宗教の統合
「思考」の座と「実存」の座ということ/「〈超個の個〉の超個」と「〈超個の個〉の個」ということ/「覚」と「信」と二つの宗教の発語形態/「覚」の宗教と「信」の信仰の統合
あとがき 秋月龍珉
のうちわけです。
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