2021/04/29

般若心経は間違い (J Edition) Sumanasara Sold in Amazon E

Amazon.com: The Pajna-para-mita sutra is wrong (Sumanasara Classics) (Japanese Edition) eBook: Alubomulle Sumanasara: Books: Buy The Pajna-para-mita sutra is wrong (Sumanasara Classics) (Japanese Edition): Read Kindle Store Reviews - Amazon.com


日本で一番知られているお経「般若心経」。テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老が、ブッダの教えをもとに般若心経を解読していきます。「どこがおかしいのか」「どのように解釈したら良いのか」論理的に順を追って解説されています。本書を読み終えたときにはお釈迦さまの教えの神髄を理解することができます。

(はじめに より)
「『般若心経』は難しくてわからない」。そんな声をよく耳にします。
 確かに『般若心経』について、いろんな人々が解説していますが、どれもイマイチ納得できません。皆が好き勝手な解釈をして「私の『般若心経』」を語っています。それが日本の「『般若心経』文化」になっているのです。
 文化を楽しむのはいいことですが、『般若心経』のことを本当に知りたいと思っている人には困りものですね。
 じつは『般若心経』は、わからなくて当たり前なのです。それはお釈迦さま、正等覚者である釈迦牟尼ブッダその人が語った経典ではないからです。
『般若心経』をはじめとする大乗仏教の経典は、お釈迦さまが涅槃に入られてから数百年後、その直接の教えから一部を抜き出して、その人なりの能力で深い意味を表現しようとした宗教家たちの文学作品です。それを、私たちはいろいろと頭をひねって解釈しなければならないのですが、私たちもお釈迦さまが説いた真理を知っているわけではないので、納得いかないのです。
 このジレンマを解決する方法が一つだけあります。
『般若心経』を読んで、わからないところは、直接、お釈迦さまに聞くことです。
 お釈迦さまは誰でも理解できる言葉で、真理、すなわち「普遍的で客観的な事実」を完全に語りました。
 ブッダ以外、完全に真理を語れる人はいません。完全たる悟りに達していない人々は、たとえ高度な知識があったとしても、たとえ高度な精神的境地に達していたとしても、言葉という不完全なものを駆使して「完全に語る」ことはありえないのです。正等覚者でない限りは、真理は完全には語れないのです。どんなに頑張って深遠な教えを表現しようとしても、どうしても、欠点・欠陥が起きてしまうのです。
 このようなわけで、ブッダのあとに作られた大乗経典には、不完全な言葉で表現するというハンディがつきまとっているのです。その不完全な言葉の前でいくら悩んでも答えは出ません。  
 しかし、お釈迦さまが完全に説いたオリジナルの教えに立ち返ると、それまでわからなかった経典の教えもたちどころに理解できるようになります。『般若心経』の作者がお釈迦さまの教えのどこにヒントを得て、どんな真理を教えようとしたのか、明確にわかります。『般若心経』の欠点もわかりにくさも、なるほどと俯瞰できます。
 そこではじめて、出口のない「『般若心経』文化」の迷路から抜け出て、『般若心経』をきっかけとして、お釈迦さまの説かれた真理へとアクセスするための道のりも描けるのです。
 本書はそのような狙いで、ブッダの言葉から抽出して書かれました。『般若心経』を信仰している方々を批判するつもりも、嫌な気持ちにさせるつもりもありません。これはあくまでも『般若心経』をどう理解すればいいのか、という知的な挑戦なのです。  では、お釈迦さまの教えからみた『般若心経』入門のはじまりはじまり。

※『般若心経は間違い?』は、2007年8月に宝島社新書として刊行されました。2009年6月に文庫化(宝島SUGOI文庫)されました。電子書籍化にあたって内容に再編集を加えました。

目次
はじめに 般若心経は難しい?
第一章 色即是空と空即是色
 『般若心経』全文
 『般若心経』書き下し
 諸行無常と色即是空
 経典とは何か
 お釈迦さまの教え「パーリ三蔵」
 大乗仏教の三蔵
 般若心経は日本仏教の心臓部
 スリランカの般若心経『慈経』
 二六二文字に凝縮?
 省略しているから短い
 観音菩薩は架空キャラ
 菩薩は悟りを開く前のお釈迦さま
 菩薩の修行が波羅蜜
 大乗仏教でエスカレート
 初期仏教は十波羅蜜
 人格完成は一歩一歩
 誓願は「成仏」とは限らない
 五蘊を空と観察する
 五蘊には実体がない
 空は特別視するものではない
 サーリプッタ尊者を侮る悪い癖
 サーリプッタ尊者は修行のチェック役
 対話で学ぶのが仏教
 五蘊とは何か?
 五蘊でできている「私」
 色即是空だけでは足りない
 初期仏教では「空」の観察が数十種類ある
 現象の観察は無常から始まる
 空即是色は間違い
 空をもてあそんで実践が置き去り
 無常を否定する愚
 虚無主義への転落
 「空」と「無」は両立しない
 「生命とは何か」とブッダが問う
 ヒンドゥー教の出す答え
 西洋一神教の出す答え
 「生きている」とはなんなのか?
 眼耳鼻舌身意から色声香味触法を得る
 十八界は「存在のネットワーク」の説明
 簡単にわかったら意味がない?
 十二因縁は仏教の心髄
 四聖諦の説明
 なぜ人のやる気を削ぐのか?
 道徳が破れるまで語ってはならない
 弟子に守られる師匠
 仏教経典は修行の方法を語るべき
第二章 呪文と真実語
 空論者→虚無主義→神秘主義
 宗教は呪文願望を支えてはならない
 仏教は祝福する
 お釈迦さまを元気付けた「呪文」
 意味のある言葉に力がある
 呪文には力がない
 『般若心経』の真言は不完全
 『般若心経』の作者も真剣ではなかった?
 中身の勉強は不要
 理論、実践、向上への躾が必要
 ブッダの経典には隙がない
 矛盾のない言葉は一切智者にしか語れない
 龍樹の失敗
 「どう生きるべきか?」が欠けた教え
 人格向上のための道具を捨てるのか?
 日常生活での般若波羅蜜の実践法
 無常だから夫婦仲良く親孝行
 苦集滅道を発見するのが智慧
第三章 生き方を語る仏教
 『モーガラージャ経』
 死を乗り越えるための世界の見方
 『シーラ経』
 五蘊の観察リスト十一
 無常・苦・無我のどれかを発見する
 実践的な空論
 気づきで「空=無価値」を発見する
 修行が完成しても空を生きる
 大乗仏教と初期仏教の空論
 事実が役に立つとは限らない
 生き方を語っているか?
 龍樹の空論と空即是色
 無を使ったら空論は成り立たない
 空ではなく無常を語れ
 愚者の機嫌を取る空論
 空は語れない
 大乗仏教は何も発見していない
 唯識論の間違い
 大乗仏教優位論は成り立たない
 弥勒菩薩の伝説
 お釈迦さまは分析主義者
 真理は常に輝いている
 仏教徒という誇り
 ブッダの教えは原理主義でないと危険
 仏教徒の誇りを取り戻す
第四章 無我問答
 相応部経典 詩偈相応比丘尼の章「無我問答」
 どういうわけで無我なのか?
 「悪魔」とは何か
 「魔」には五つの意味がある
 神は、心のエネルギーのレベルで生きる生命
 修行者の心の振動はトップレベル
 悪魔は「私たちの代弁者」
 悪魔は「仏教を攻撃する人々」
 出家の生活
 悪魔が阿羅漢の禅定を妨げる
 悪魔のすごい質問
 ヴァジラー比丘尼が悪魔だと見抜く
 しょせんは「世間の合意」
 五蘊①色蘊(rūpa-kkhandha ルーパッカンダ)は、肉体を構成する物質
 五蘊②受蘊(vedanā-kkhandha ヴェーダナーッカンダ)は、六つの感覚
 五蘊③想蘊(saññā-kkhandha サンニャーッカンダ)は、感覚から生じる概念
 五蘊④行蘊(saṅkhāra-kkhandha サンカーラッカンダ)は、「したい」という衝動
 五蘊⑤識蘊(viññāṇa-kkhandha ヴィンニャーナッカンダ)は、認識
 頭をサンニャーでいっぱいにすることはない
 五蘊の無常は、たとえようがない
 永遠不滅の魂はありえない
 感じるから生命
 見える光しか見えない
 「感覚の楽」は「感覚の苦が消えること」
 あれもこれもぜんぶ苦
 苦①生きることは苦
 最高の幸福は、不幸のどん底で
 涅槃に入るとつまらない?
 苦しみがないと幸せを感じない
 苦②現象があっという間に消えること
 生命は成り立たない
 自分自身の思考こそ「悪魔」
 「思考する」なら「まだまだ馬鹿」
 阿羅漢には「自分」がない
おわりに まことの般若心経
===
日本で一番知られているお経「般若心経」。テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老が、ブッダの教えをもとに般若心経を解読していきます。「どこがおかしいのか」「どのように解釈したら良いのか」論理的に順を追って解説されています。本書を読み終えたときにはお釈迦さまの教えの神髄を理解することができます。

(はじめに より)
「『般若心経』は難しくてわからない」。そんな声をよく耳にします。
 確かに『般若心経』について、いろんな人々が解説していますが、どれもイマイチ納得できません。皆が好き勝手な解釈をして「私の『般若心経』」を語っています。それが日本の「『般若心経』文化」になっているのです。
 文化を楽しむのはいいことですが、『般若心経』のことを本当に知りたいと思っている人には困りものですね。
 じつは『般若心経』は、わからなくて当たり前なのです。それはお釈迦さま、正等覚者である釈迦牟尼ブッダその人が語った経典ではないからです。
『般若心経』をはじめとする大乗仏教の経典は、お釈迦さまが涅槃に入られてから数百年後、その直接の教えから一部を抜き出して、その人なりの能力で深い意味を表現しようとした宗教家たちの文学作品です。それを、私たちはいろいろと頭をひねって解釈しなければならないのですが、私たちもお釈迦さまが説いた真理を知っているわけではないので、納得いかないのです。
 このジレンマを解決する方法が一つだけあります。
『般若心経』を読んで、わからないところは、直接、お釈迦さまに聞くことです。
 お釈迦さまは誰でも理解できる言葉で、真理、すなわち「普遍的で客観的な事実」を完全に語りました。
 ブッダ以外、完全に真理を語れる人はいません。完全たる悟りに達していない人々は、たとえ高度な知識があったとしても、たとえ高度な精神的境地に達していたとしても、言葉という不完全なものを駆使して「完全に語る」ことはありえないのです。正等覚者でない限りは、真理は完全には語れないのです。どんなに頑張って深遠な教えを表現しようとしても、どうしても、欠点・欠陥が起きてしまうのです。
 このようなわけで、ブッダのあとに作られた大乗経典には、不完全な言葉で表現するというハンディがつきまとっているのです。その不完全な言葉の前でいくら悩んでも答えは出ません。  
 しかし、お釈迦さまが完全に説いたオリジナルの教えに立ち返ると、それまでわからなかった経典の教えもたちどころに理解できるようになります。『般若心経』の作者がお釈迦さまの教えのどこにヒントを得て、どんな真理を教えようとしたのか、明確にわかります。『般若心経』の欠点もわかりにくさも、なるほどと俯瞰できます。
 そこではじめて、出口のない「『般若心経』文化」の迷路から抜け出て、『般若心経』をきっかけとして、お釈迦さまの説かれた真理へとアクセスするための道のりも描けるのです。
 本書はそのような狙いで、ブッダの言葉から抽出して書かれました。『般若心経』を信仰している方々を批判するつもりも、嫌な気持ちにさせるつもりもありません。これはあくまでも『般若心経』をどう理解すればいいのか、という知的な挑戦なのです。  では、お釈迦さまの教えからみた『般若心経』入門のはじまりはじまり。

※『般若心経は間違い?』は、2007年8月に宝島社新書として刊行されました。2009年6月に文庫化(宝島SUGOI文庫)されました。電子書籍化にあたって内容に再編集を加えました。

目次
はじめに 般若心経は難しい?
第一章 色即是空と空即是色
 『般若心経』全文
 『般若心経』書き下し
 諸行無常と色即是空
 経典とは何か
 お釈迦さまの教え「パーリ三蔵」
 大乗仏教の三蔵
 般若心経は日本仏教の心臓部
 スリランカの般若心経『慈経』
 二六二文字に凝縮?
 省略しているから短い
 観音菩薩は架空キャラ
 菩薩は悟りを開く前のお釈迦さま
 菩薩の修行が波羅蜜
 大乗仏教でエスカレート
 初期仏教は十波羅蜜
 人格完成は一歩一歩
 誓願は「成仏」とは限らない
 五蘊を空と観察する
 五蘊には実体がない
 空は特別視するものではない
 サーリプッタ尊者を侮る悪い癖
 サーリプッタ尊者は修行のチェック役
 対話で学ぶのが仏教
 五蘊とは何か?
 五蘊でできている「私」
 色即是空だけでは足りない
 初期仏教では「空」の観察が数十種類ある
 現象の観察は無常から始まる
 空即是色は間違い
 空をもてあそんで実践が置き去り
 無常を否定する愚
 虚無主義への転落
 「空」と「無」は両立しない
 「生命とは何か」とブッダが問う
 ヒンドゥー教の出す答え
 西洋一神教の出す答え
 「生きている」とはなんなのか?
 眼耳鼻舌身意から色声香味触法を得る
 十八界は「存在のネットワーク」の説明
 簡単にわかったら意味がない?
 十二因縁は仏教の心髄
 四聖諦の説明
 なぜ人のやる気を削ぐのか?
 道徳が破れるまで語ってはならない
 弟子に守られる師匠
 仏教経典は修行の方法を語るべき
第二章 呪文と真実語
 空論者→虚無主義→神秘主義
 宗教は呪文願望を支えてはならない
 仏教は祝福する
 お釈迦さまを元気付けた「呪文」
 意味のある言葉に力がある
 呪文には力がない
 『般若心経』の真言は不完全
 『般若心経』の作者も真剣ではなかった?
 中身の勉強は不要
 理論、実践、向上への躾が必要
 ブッダの経典には隙がない
 矛盾のない言葉は一切智者にしか語れない
 龍樹の失敗
 「どう生きるべきか?」が欠けた教え
 人格向上のための道具を捨てるのか?
 日常生活での般若波羅蜜の実践法
 無常だから夫婦仲良く親孝行
 苦集滅道を発見するのが智慧
第三章 生き方を語る仏教
 『モーガラージャ経』
 死を乗り越えるための世界の見方
 『シーラ経』
 五蘊の観察リスト十一
 無常・苦・無我のどれかを発見する
 実践的な空論
 気づきで「空=無価値」を発見する
 修行が完成しても空を生きる
 大乗仏教と初期仏教の空論
 事実が役に立つとは限らない
 生き方を語っているか?
 龍樹の空論と空即是色
 無を使ったら空論は成り立たない
 空ではなく無常を語れ
 愚者の機嫌を取る空論
 空は語れない
 大乗仏教は何も発見していない
 唯識論の間違い
 大乗仏教優位論は成り立たない
 弥勒菩薩の伝説
 お釈迦さまは分析主義者
 真理は常に輝いている
 仏教徒という誇り
 ブッダの教えは原理主義でないと危険
 仏教徒の誇りを取り戻す
第四章 無我問答
 相応部経典 詩偈相応比丘尼の章「無我問答」
 どういうわけで無我なのか?
 「悪魔」とは何か
 「魔」には五つの意味がある
 神は、心のエネルギーのレベルで生きる生命
 修行者の心の振動はトップレベル
 悪魔は「私たちの代弁者」
 悪魔は「仏教を攻撃する人々」
 出家の生活
 悪魔が阿羅漢の禅定を妨げる
 悪魔のすごい質問
 ヴァジラー比丘尼が悪魔だと見抜く
 しょせんは「世間の合意」
 五蘊①色蘊(rūpa-kkhandha ルーパッカンダ)は、肉体を構成する物質
 五蘊②受蘊(vedanā-kkhandha ヴェーダナーッカンダ)は、六つの感覚
 五蘊③想蘊(saññā-kkhandha サンニャーッカンダ)は、感覚から生じる概念
 五蘊④行蘊(saṅkhāra-kkhandha サンカーラッカンダ)は、「したい」という衝動
 五蘊⑤識蘊(viññāṇa-kkhandha ヴィンニャーナッカンダ)は、認識
 頭をサンニャーでいっぱいにすることはない
 五蘊の無常は、たとえようがない
 永遠不滅の魂はありえない
 感じるから生命
 見える光しか見えない
 「感覚の楽」は「感覚の苦が消えること」
 あれもこれもぜんぶ苦
 苦①生きることは苦
 最高の幸福は、不幸のどん底で
 涅槃に入るとつまらない?
 苦しみがないと幸せを感じない
 苦②現象があっという間に消えること
 生命は成り立たない
 自分自身の思考こそ「悪魔」
 「思考する」なら「まだまだ馬鹿」
 阿羅漢には「自分」がない
おわりに まことの般若心経
===
著者からのコメント
■はじめに 般若心経は難しい? 「『般若心経』は難しくてわからない」。そんな声をよく耳にします。
 確かに『般若心経』について、いろんな人々が解説していますが、どれもイマイチ納得できません。皆が好き勝手な解釈をして「私の『般若心経』」を語っています。それが日本の「『般若心経』文化」になっているのです。
 文化を楽しむのはいいことですが、『般若心経』のことを本当に知りたいと思っている人には困りものですね。
 じつは『般若心経』は、わからなくて当たり前なのです。それはお釈迦さま、正等覚者である釈迦牟尼ブッダその人が語った経典ではないからです。
『般若心経』をはじめとする大乗仏教の経典は、お釈迦さまが涅槃に入られてから数百年後、その直接の教えから一部を抜き出して、その人なりの能力で深い意味を表現しようとした宗教家たちの文学作品です。それを、私たちはいろいろと頭をひねって解釈しなければならないのですが、私たちもお釈迦さまが説いた真理を知っているわけではないので、納得いかないのです。
 このジレンマを解決する方法が一つだけあります。
『般若心経』を読んで、わからないところは、直接、お釈迦さまに聞くことです。
 お釈迦さまは誰でも理解できる言葉で、真理、すなわち「普遍的で客観的な事実」を完全に語りました。
 ブッダ以外、完全に真理を語れる人はいません。完全たる悟りに達していない人々は、たとえ高度な知識があったとしても、たとえ高度な精神的境地に達していたとしても、言葉という不完全なものを駆使して「完全に語る」ことはありえないのです。正等覚者でない限りは、真理は完全には語れないのです。どんなに頑張って深遠な教えを表現しようとしても、どうしても、欠点・欠陥が起きてしまうのです。
 このようなわけで、ブッダのあとに作られた大乗経典には、不完全な言葉で表現するというハンディがつきまとっているのです。その不完全な言葉の前でいくら悩んでも答えは出ません。  
 しかし、お釈迦さまが完全に説いたオリジナルの教えに立ち返ると、それまでわからなかった経典の教えもたちどころに理解できるようになります。『般若心経』の作者がお釈迦さまの教えのどこにヒントを得て、どんな真理を教えようとしたのか、明確にわかります。『般若心経』の欠点もわかりにくさも、なるほどと俯瞰できます。
 そこではじめて、出口のない「『般若心経』文化」の迷路から抜け出て、『般若心経』をきっかけとして、お釈迦さまの説かれた真理へとアクセスするための道のりも描けるのです。
 本書はそのような狙いで、ブッダの言葉から抽出して書かれました。『般若心経』を信仰している方々を批判するつもりも、嫌な気持ちにさせるつもりもありません。これはあくまでも『般若心経』をどう理解すればいいのか、という知的な挑戦なのです。  では、お釈迦さまの教えからみた『般若心経』入門のはじまりはじまり。 --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
===
Product details
ASIN : B073W3ZG8N
Publisher : Evolving (July 11, 2017)
Publication date : July 11, 2017
Language : Japanese
File size : 632 KB
Text-to-Speech : Enabled
Enhanced typesetting : Enabled
X-Ray : Not Enabled
Word Wise : Not Enabled
Print length : 137 pages
Lending : Not Enabled
Best Sellers Rank: #5,202,056 in Kindle Store (See Top 100 in Kindle Store)
#547 in Theravada Buddhism (Kindle Store)
#781 in Religion in Japanese
#1,155 in Theravada Buddhism (Books)
Customer Reviews: 4.1 out of 5 stars    13 ratings

Very poor Neutral Great
Customer reviews
4.1 out of 5 stars
--
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makky
4.0 out of 5 stars 前半:般若心経批判/後半:「苦」の説明
Reviewed in Japan on May 8, 2020
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実家は大変な大乗仏教の厚い信者で、私も子供のころからよく般若心経を聞いて育ちました。機会があってスマナサーラ長老の本に出合うことがあり、長老が書かれた「般若心経は間違い?」も手に取ってみました。確かにロジックで論破されています。なにより気に入ったのが、「そんな分かりやすいお経が、なぜ毎年たくさん注釈書がでるのか?」というところでした。確かに分かり切ったことを、それぞれの筆者ごとに解釈が異なるということは、大乗仏教では般若心経の意味、解釈の統一ができていない、つまり不十分であることだと思います。
あと、後半の「苦」の理論はいらないと思います。既に別冊で刊行されています。
「般若心経」への批判は前半だけで十分であり、ここまで本を分厚くする必要はなかったのではないかと感じました。

訂正:「苦の見方」は2015年に発刊されたのに対し、「般若心経」は2007年発刊でした。よって、本の半分を「苦」について言及されたのは当然かと思います。失礼いたしました。
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akrtmd
5.0 out of 5 stars 般若心経は釈迦仏教の全否定
Reviewed in Japan on October 15, 2017
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100人僧侶が集まれば100通りの空が議論される。 小乗仏教のテーラワーダ仏教では42種類の空を修業するという。 空とは現象の移り変わりで無ではない。 般若心経は人間を構成している5蘊は空であるとしながら後に無として否定する。 さらに釈迦の教えである12因縁4聖諦8正道や悟りを空とすべきものを無として否定する。 またすべてが実体がない諸法無我と言いながら現象の生滅や増減、垢浄もないと釈迦の無常を否定する。 著者はこれを釈迦の教えを完全に無視した虚無主義と非難する。 最後に般若波羅蜜多を呪文として唱えよという。 著者は呪文を宗教に入れれば邪教になり神秘主義に陥いると主張する。般若心経を空を無と取り違えた支離滅裂の経典と断罪する。 一般人がこの経典を理解できないのは創作した人が仏教を真に理解していなかったためだという。 難解な理論はその作者の頭が悪いので学習する人の頭が悪いのではない。 師匠が生徒に助けられて解釈を更新しているのが般若心経である。
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なぞなぞ太郎
5.0 out of 5 stars 般若心経を批判的に理解する
Reviewed in Japan on September 22, 2013
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著者であるアルボムッレ・スマナサーラ長老は、スリランカ上座仏教
(テーラワーダ仏教)の長老であり、日本への留学では駒澤大学大学
において道元の思想を研究、日本においても上座部仏教の伝道を行い、
日本テーラワーダ仏教協会の長老でもある。

そんな日本通のスマナサーラ長老が般若心経を題材として取り上げた
のは、もちろん日本において人口に膾炙した経文だからである。

スマナサーラ長老はタイトルでずばり結論を語っているのだが、本書
では原文の意味を解読し、仏教の思想の解説と共にそれを興味深く明
快に説明してくれている。おかしな話かもしれないが、般若心経擁護
派のためにも本書は最も分かりやすい解説書となるだろう。

何が間違いであるかとは明快で、般若心経は釈尊が論じてきた仏説を
全て否定しているという点です。詳細は本書を参照して下さい。仏教
とは念仏(呪文)を唱える宗教だ、というぐらいの認識の人は眼から
鱗が落ちることでしょう。
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こさりん
5.0 out of 5 stars ようやく合点がいった気がしました。
Reviewed in Japan on August 16, 2008
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まず、私は家庭的に、法華経には親しんでいましたが、般若心経には慣れ親しむことはこれまで無く、柳澤桂子さんの『生きて死ぬ智慧』で初めて、きちんと般若心経というものに触れた者だということを申し上げておきます。

前半部分は、それはそれは素晴らしいと思えたのですが…

最後で、「??????これは何?何でこうなるの???」
という気持ちになったのです。
これまで、こんなに素晴らしい言葉を並べていたはずのお経が、
何で訳の分からないそう、まるで呪文もどきの言葉で終わってしまうのか、とても不思議でした。
なので、スマサラーナ師の解説で、そうだったのか!!ととても合点がいったのです。

スマサラーナ師は、けして、日本人をけなしているのではありません。
あまりにも乱暴に、膨大な教典を略してしまって、肝心な所を加え損ね、余計なモノを入れてしまった作者にとても残念な気持ちを持っておられるのです。
 なんとなくいい加減で、本当の信仰とは別の所にいるような、今の日本の宗教全体の問題を正視しないのはいけない事だと思います。

お釈迦様の本当の言葉、仏教の本当の素晴らしさ、それをもっと真っ直ぐな気持ちで、私達は見つめ直すべきではないでしょうか。
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mahrin
5.0 out of 5 stars すっきりしました
Reviewed in Japan on July 21, 2017
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般若心経の解説本を色々読んで、自分なりに理解しようとしていましたが、何か理解しきれないモヤモヤ感を持っていました。本書を読んで、納得でき、すっきりしました。ありがたいことです。
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==
일본에서 가장 잘 알려진 불경 '반야심경'. 테일러워더 불교협회의 스마나사라 장로가 붓다의 가르침을 바탕으로 반야심경을 해독합니다.'어디가 이상한가' '어떻게 해석하면 좋은가' 논리적으로 순서대로 해설하고 있습니다.이 책을 다 읽었을 때는 부처님의 가르침의 진수를 이해할 수 있어요.

(처음에요리)
반야심경은 어려워서 모르겠다. 그런 소리를 많이 듣습니다.
 분명 반야심경에 대해 여러 사람들이 해설하고 있지만 어느 것도 납득이 가지 않습니다.모두가 제멋대로 해석해서 "나의 반야심경"을 말하고 있어요.그것이 일본의 '반야심경' 문화로 되어 있는 것입니다.
 문화를 즐기는 것은 좋지만 반야심경을 정말 알고 싶어하는 사람에게는 곤란합니다.
 사실 반야심경은 알아야 하죠.그건 부처님, 정등각자인 석가모니 부처님이 말한 경전이 아니기 때문이에요.
반야심경을 비롯한 대승불교의 경전은 부처가 열반하신 지 수백 년 만에 그 직접 가르침에서 일부를 떼어내 그 나름의 능력으로 깊은 의미를 표현하고자 한 종교인들의 문학작품입니다.그것을 우리는 여러 가지로 머리를 짜내서 해석해야 하는데, 우리도 부처가 설명한 진리를 알고 있지 않기 때문에 납득이 가지 않습니다.
 이 딜레마를 해결할 방법이 딱 한 가지 있습니다.
반야심경을 읽으면서 모르는 건 직접 부처님께 물어보는 거예요.
 부처는 누구나 이해할 수 있는 말로 진리, 즉 '보편적이고 객관적인 사실'을 완전히 이야기하지요.
 붓다말고는완전히진리를이야기할수있는사람은없습니다.완전한 깨달음에 도달하지 못한 사람들은, 비록 고도의 지식이 있다 하더라도, 비록 고도의 정신적 경지에 도달했다고 해도, 언어라는 불완전한 것을 구사해 「완전히 말한다」는 것은 있을 수 없습니다.정등각자가 아닌 한 진리는 말할 수 없습니다"아무리 애써 심원한 가르침을 표현하려 해도, 결점·결함이 일어나고 맙니다."
 그래서 붓다 뒤에 만들어진 대승경전에는 불완전한 언어로 표현하는 핸디캡이 따라다닌답니다.그 불완전한 말 앞에서 아무리 고민해도 답이 나오지 않습니다.  
 하지만 부처가 완전히 설파한 오리지널의 가르침으로 돌아가면 그동안 몰랐던 경전의 가르침도 금세 이해할 수 있게 되죠.반야심경의 작자가 부처의 가르침의 어디에 힌트를 얻어 어떤 진리를 가르치고자 했는지 분명히 알 수 있습니다.반야심경의 결점도 알기 힘들다는 점도 부감할 수 있습니다.
 그래서 비로소 출구가 없는 반야심경 문화의 미로를 벗어나 반야심경을 계기로 부처가 설파한 진리로 들어가는 과정도 그릴 수 있는 거죠.
 이 책은 그런 목적으로 붓다의 말에서 추출해 썼어요.반야심경을 믿는 분들을 비판할 생각도, 언짢게 할 생각도 없어요.이것은 어디까지나 <반야심경>을 어떻게 이해해야 하는가 하는 지적인 도전입니다. 그럼 부처의 가르침으로 본 <반야심경> 입문의 시작.

※ 『반야심경은 실수?』는 2007년 8월에 보물섬사신서로 간행되었습니다.2009년 6월에 문고화(타카라시마 SUGOI 문고)되었습니다.전자 서적화에 임해 내용에 재편집을 더했습니다.

목차
처음에 반야심경은 어려워?
제1장 색즉시공과 공즉시색
 『반야심경』전문
 『반야심경』서하
 제행무상과 색즉시공
 경전이란 무엇인가
 부처의 가르침 '팔리삼장'
 대승 불교의 삼장.
 반야심경은 일본 불교의 심장부
 스리랑카의 반야심경 자경
 이육이자로 응축?
 생략하고 있기 때문에 짧다
 관음보살은 가공 캐릭터
 보살은 깨달음을 얻기 전의 부처님
 보살의 수행이 파란 비밀
 대승불교에서 에스컬레이트
 초기 불교는 십파라밀
 인격 완성은 한걸음 한걸음
 서원은 「성불」이라고는 할 수 없다.
 5온을 하늘로 관찰하다
 5온에는 실체가 없다
 하늘은 특별시하는 것이 아니다
 사리풋타 존자를 깔보는 나쁜 버릇
 사리풋타 존자는 수행의 체크역
 대화로 배우는 것이 불교
 5온이란 무엇인가?
 5온으로 되어 있는 「나」
 색즉시공만으로는 부족하다
 초기 불교에서는 '하늘'을 관찰하는 경우가 수십 가지 있다
 현상의 관찰은 무상부터 시작된다
 공즉시색은 잘못되었다.
 하늘을 가지고 놀아서 실천이 놓고 가고
 무상을 부정하는 어리석음
 허무주의로의 전락
 「하늘」과「무」는 양립할 수 없다.
 생명이란 무엇인가 하고 붓다가 묻는다
 힌두교가 내놓는 대답
 서양 일신교가 내는 대답
 '살아있다'가 뭐냐?
 안이비설신의에서 색성향미촉법을 얻다
 18계는 '존재의 네트워크'에 대한 설명
 쉽게 알면 의미가 없어?
 십이 인연은 불교의 심수.
 사성체의 설명
 왜 남의 의욕을 꺾는가?
 도덕이 깨질 때까지 말해서는 안 된다
 제자에게 보호받는 스승
 불교 경전은 수행의 방법을 말해야 한다.
제2장 주문과 진실어
 공론자→허무주의→신비주의
 종교는 주문을 뒷받침해서는 안 된다.
 불교는 축복한다
 부처에게 힘을 불어넣은 주문
 의미 있는 말에 힘이 있다
 주문에는 힘이 없다
 『반야심경』의 진언은 불완전함
 반야심경 작자도 진지하지 않았다?
 내용 공부는 필요 없다
 이론, 실천, 향상에 대한 훈육이 필요
 붓다의 경전에는 빈틈이 없다
 모순이 없는 말은 일체 지자에게만 할 수 있다
 류키의 실패
 '어떻게 살아야 하는가?'가 결여된 가르침
 인격 향상을 위한 도구를 버릴 것인가?
 일상생활에서의 반야바라밀 실천법
 무상하니까 부부 사이좋게 효도
 고집멸도를 발견하는 것이 지혜
제3장 삶의 방식을 말하는 불교
 모갈라쟈경
 죽음을 극복하기 위한 세계의 견해
 쉴라경
 5온의 관찰 리스트 11
 무상·고·무아의 어느 것인가를 발견하다.
 실천적인 공론
 깨달음으로 하늘=무가치 발견하기
 수행이 완성되어도 하늘을 산다
 대승 불교와 초기 불교의 공론
 사실이 도움이 된다고는 할 수 없다
 삶의 방식을 말하고 있나?
 용수의 공론과 공즉시색
 무를 쓰면 공론은 성립되지 않는다
 하늘이 아니라 무상을 말하라
 어리석은 자의 비위를 맞추는 공론
 하늘은 말할 수 없다
 대승 불교는 아무것도 발견하지 못했다.
 유식론의 잘못
 대승 불교 우위론은 성립되지 않는다
 미륵보살의 전설
 부처는 분석주의자
 진리는 언제나 빛나고 있다.
 불교도라는 자랑
 붓다의 가르침은 원리주의가 아니면 위험해
 불교도의 긍지를 되찾다
제4장 무아문답
 상응부 경전 시게 상응 비구니의 장 무아문답
 무슨 이유로 무아인가?
 '악마'가 뭐냐
 마에는 다섯 가지 뜻이 있다
 신은 마음의 에너지 차원에서 살아가는 생명
 수행자 마음의 진동은 최고 수준
 악마는 '우리의 대변자'
 악마는 불교를 공격하는 사람들.
 출가 생활
 악마가 아라한의 선정을 방해하다
 악마의 굉장한 질문
 바질라 비구니가 악마라고 간파하다
 첫 판은 세상의 합의.
 5온 ①색온(rppa-kkhandha 루파칸다)은 육체를 구성하는 물질
 5온 ②수온(vedanā-kkhandha 베다나 칸다)은 6개의 감각
 5온 ③ 상온(saāā-kkhandha 산냐칸다)은 감각에서 생기는 개념
 5온 ④행온(sakkhāra-kkhandha 상카라칸다)은 '하고 싶다'는 충동
 5온⑤식온(viāāaa-kkhandha 빈냐나 칸다)은 인식
 머리를 산냐로 가득 채울 필요는 없다.
 5온의 무상은 비유할 수 없다
 영원불멸의 영혼은 있을 수 없다
 느끼니까 생명
 보이는 빛밖에 보이지않아
 감각의악은감각의고가사라지는것.
 이것도 저것도 다 괴로움
 고 ① 사는 것은 고
 최고의 행복은 불행의 밑바닥이고
 열반하면 재미없다?
 고통이 없으면 행복을 느끼지 못한다
 두번째,현상이순식간에사라져야한다.
 생명은 유지되지 않는다
 자기 자신의 사고야말로 악마
 '사고하기'라면 '아직도 바보'
 아라한에는 '자기'가 없다
마지막으로 진정한 반야심경
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Product details
ASIN : B073W3ZG8N
Publisher : Evolving ( July 11 , 2017 )
Publication date : July 11 , 2017
Language : Japanese
File size : 632 KB
Text - to - Speech : Enabled
Enhanced typesetting : Enabled
X - Ray : Not Enabled
Word Wise : Not Enabled
Print length : 137 pages
Lending : Not Enabled
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makky
4.0 out of 5 stars 전반: 반야심경 비판/후반: '고'의 설명
Reviewed in Japan on May 8 , 2020
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본가는 대단한 대승 불교의 두터운 신자여서 저도 어릴 때부터 자주 반야심경을 듣고 자랐습니다.기회가 있어 스마나사라 장로님의 책을 만나기도 했고, 장로님이 쓰신 '반야심경은 틀렸나?' 도 집어보았지요.확실히 논리적으로 논파되고 있어요.무엇보다 마음에 들었던 부분이 '그렇게 알기 쉬운 불경이 왜 해마다 주석서가 많이 나올까?' 하는 부분이었습니다.뻔한 사실들을 보면 각 필자마다 해석이 다르다는 것은 대승불교에서는 반야심경의 의미, 해석의 통일이 되어 있지 않다는 사실, 불충분한 사실이라고 생각합니다.
그리고 뒷부분의 '고' 이론은 필요없다고 생각합니다.이미 별책으로 간행되고 있습니다.
반야심경에 대한 비판은 전반부만으로도 충분해 책을 두껍게 할 필요는 없지 않았나 하는 생각이 들었습니다.

정정:'고의견'은 2015년에 발간된 반면, '반야심경'은 2007년에 발간되었습니다.따라서 책의 절반에 '고'가 언급된 것은 당연하다고 생각합니다.실례했습니다.
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akrtmd
5.0 out of 5 stars 반야심경은 석가불교의 전 부정
Reviewed in Japan on October 15 , 2017
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100인 승려가 모이면 100가지 하늘이 논의된다. 소승 불교의 테일러워더 불교에서는 42가지 하늘을 수업한다고 한다. 하늘이란 현상의 변천으로 무가 아니다. 반야심경은 인간을 구성하고 있는 5온은 하늘이라고 하면서 나중에는 무로 하여 부정한다. 게다가 석가의 가르침인 12인연 4성체 8정도나 깨달음.반야심경을 하늘을 무와 혼동한 지리멸렬의 경전으로 단죄한다. 일반인들이 이 경전을 이해하지 못하는 것은 창작자가 불교를 진정으로 이해하지 못했기 때문이라고 한다. 난해한 이론은 그 작가의 머리가 나쁘므로 학습하는 사람의 머리가 나쁜 것이 아니다. 스승이 학생의 도움을 받아 해석을 갱신하고 있는 것이 반야심경이다.
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수수께끼타로
5.0 out of 5 stars 반야심경을 비판적으로 이해하다
Reviewed in Japan on September 22 , 2013
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저자인 아르보믈레 스마나사라 장로는 스리랑카 상좌불교
(테일러워더 불교)의 장로이며, 일본 유학에서는 고마자와 대학대학
에서 도원의 사상을 연구, 일본에서도 상좌부 불교의 전도를 실시하고,
일본 테이라워다 불교협회의 장로이기도 하다.

그런 일본통인 스마나사라 장로가 반야심경을 소재로 삼았다
것은 물론 일본에서 인구에 회자된 경문이기 때문이다.

스마나사라 장로는 제목으로 정확히 결론을 말하고 있는데, 본서
이제 원문의 뜻을 해독하여 불교사상의 해설과 함께 그것을 흥미롭게 명명
쾌히 설명해 주고 있다.우스운 이야기일지 모르나 반야심경 옹호
파를 위해서도 본서는 가장 알기 쉬운 해설서가 될 것이다.

무엇이 잘못되었는지는 명쾌하고 반야심경은 석존이 논해온 불설을
모두 부정하고 있다는 점이에요.자세한 것은 본서를 참조해 주세요.불교
란 염불(주문)을 외우는 종교다라는 정도의 인식을 가진 사람은 눈으로부터
비늘이 벗겨지겠죠.
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코사린
5.0 out of 5 stars 드디어 합점이 온 것 같았어요
Reviewed in Japan on August 16 , 2008
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우선 저는 가정적으로 법화경에는 익숙했지만 반야심경에는 익숙했던 적이 없으며, 류택 게이코 씨의 살아 죽는 지혜에서 비로소 제대로 반야심경이라는 것을 접한 사람이라는 점을 말씀드리겠습니다.

앞부분은, 그거 멋지다고 생각했는데...

마지막으로 '????????이건 뭐야?왜 이러는 거야?"
하는마음이들었던것입니다.
지금까지 이렇게 훌륭한 말을 늘어놓았어야 할 경이
왜 영문을 모르겠다는 듯, 마치 주문 비슷한 말로 끝나 버리는 건지, 너무 신기했어요.
그래서 스마살라나 스승의 해설로 그랬구나!! 하고 매우 납득이 갔습니다.

스마살라나 스승은 결코 일본인을 깎아 내리고 있는 것은 아닙니다.
너무 난폭하게 방대한 교전을 생략해버려, 중요한 부분을 더하지 못하고, 불필요한 것을 넣어 버린 작자가 너무 안타까운 마음을 가지고 계십니다.
 어쩐지 적당히, 진짜 신앙과는 다른 곳에 있는 듯한, 지금의 일본의 종교 전체의 문제를 정시하지 않으면 안 되는 일이라고 생각합니다.

부처의 진짜 말씀, 불교의 진짜 멋짐, 그것을 좀 더 정직한 마음으로 우리는 다시 바라봐야 하지 않을까요?
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mahrin
5.0 out of 5 stars 후련했어요
Reviewed in Japan on July 21 , 2017
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반야심경 해설책을 여러 번 읽고 나름대로 이해하려고 했지만 뭔가 이해할 수 없는 답답함을 느꼈어요.본서를 읽고 납득할 수 있어서 상쾌했습니다.감사한 일이에요.
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