2016/10/20

大東亜戦争肯定論 - Wikipedia

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大東亜戦争肯定論

大東亜戦争肯定論(だいとうあせんそうこうていろん)は、林房雄の著作の題名。
より一般的に、文字通り“大東亜戦争日中戦争太平洋戦争)はアジア解放のための戦争で侵略戦争ではなかった”という主張の意味に用いられることもある。 ただし、敗戦後の日本はポツダム宣言を受託しており、国連(連合国側 )を正史としている。

林房雄の著作[編集]

作家・林房雄は、『中央公論』に1963年から65年にかけて、16回にわたりこの題名の論考を連載した。その後、1964-65年に番町書房で正続2冊が刊行(のち全1巻)、他社でも四度にわたり新装再刊した。長らく絶版だったが、2001年に夏目書房から復刊された(ただし2007年倒産した)。なお続編的著作に東京新聞で長期連載された『緑の日本列島-激動の明治百年』(文藝春秋、1966年)がある。
林は本書で、従来「太平洋戦争」と称された「大東亜戦争」の名称を、あえて用い、これは「東亜百年戦争」とも呼ぶべき、欧米列強によるアジア侵略に対するアジア独立のための戦いであった、と述べた。しかし同時に林は、その理念が捻じ曲げられ、「アジア相戦う」ことになったことを悲劇と見て、「歴史の非情」を感じると述べている。
後半は、幕末維新期の歴史に説き及び、西洋の衝撃に対して維新の志士たちがどれほど誠実に対処したかを論じるなど、話題は多岐に及ぶが、戦争協力作家と見なされ長らく文壇から干されていた林が、長年の鬱積した想い(憤懣-ふんまん)をぶち上げた著作とも言える。左翼・戦後民主主義勢力(進歩的文化人)からの批判は浴びたが、林はこの連載が始まってから、「朝日新聞」で文芸時評を担当している。
しかし上に見る通り、題名から想像されるような全面肯定論ではなく、また「東京裁判史観」とは別の意味で、天皇(昭和天皇)に戦争責任はあると述べている。

日本基督教団[編集]

国策遂行のため建設された日本基督教団は、1944年復活祭に「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を発表して、大東亜戦争は白人種の優越性という聖書にもとる思想によって人種差別と搾取を行う米英から、大東亜を開放するための聖戦であるとした。戦後も日本基督教団の手束正昭牧師は、2007年 - 2009年に連載されたキリスト教系月刊誌『ハーザー』の記事で、大東亜戦争肯定論を唱えている。

一般論[編集]

アジア学者・中島岳志は、2007年に上梓した『パール判事』で、東京裁判の裁判官でインド出身のラダ・ビノード・パールの「全員無罪」の個別意見・判決書を根拠に「大東亜戦争肯定論」を唱える右派の論客がいることは看過できないとして、パールが平和主義者であったと主張したが、小林よしのりを批判したため小林の反論を呼び、論争となり、小林は『パール真論』を上梓した。
しかし中島は、小谷野敦が、大東亜戦争肯定論とはどのように定義されるのか問うたのに対しても、小林の問いに対しても正面から答えようとはしなかった[要出典]
なお「アジア相戦う悲劇」としても認めずこれを日本の正当な戦争と見るのは、渡部昇一谷沢永一らがおり、ために彼らは「新しい歴史教科書をつくる会」の発足の時点で排除されていた。

参考文献[編集]