2016/10/25

エコロジーと歴史にもとづく地域デザイン




エコロジーと歴史にもとづく地域デザイン



プロローグ

 21世紀は「環境の時代」といわれる。だが例えば、実際の東京を見ると、大規模開発のプロジェクトが続々と実現し、高層ビルが建ち並ぶ風景が出現している。一方、地方の多くの町では、田園を潰し市街地がますます外へ虫食い的に広がる一方、本来、歴史の厚みがあり魅力的だった都心部が寂れ、元気がない。今、日本の都市づくりはどこを目指すべきなのか。
 
 それを根本から問うべく、本書が企画された。その基をなすのは、法政大学主催の国際シンポジウム「エコロジーと歴史に基づく地域デザインへの挑戦」(2003年6月7、8日の2日間にわたって市ヶ谷キャンパスで行われた)である。参加した講師、コメンテーター全員に、シンポジウムでの討論の成果を踏まえ、今回の出版を目的として新たに原稿を執筆していただいて、この本が生まれた。

 工業化を推進した20世紀が科学技術力と経済力にものをいわせ、エネルギーを大量消費し、海辺や山河の自然を破壊し、効率と機能性を追求する非人間的な都市空間を生み出してきたのに対し、「環境の時代」における地域づくりは、〈エコロジー〉と〈歴史〉の視点に立って、その場所の環境・文化資源を生かし、真にサステイナブルな方向を目指す必要がある。その理念と手法を世界的な広がりの中で比較・展望するのが本書の目的である。



 過去を振り返るなら、世界のどの地域にも、生態系を生かし、歴史を蓄積した魅力的な都市の風景がつくられてきた。川沿いや海岸の水辺に、また丘陵の頂や斜面に、あるいはその裾の里に、地形や自然環境を生かし、地元で調達できる建築材料を用いて、それぞれに特徴のある生活空間と都市の風景を形成してきた。京都や江戸東京をはじめとする日本の都市では、とりわけ、豊富な地下水が都市づくりに生かされ、湧水が産業・経済活動ばかりか、信仰や文化を育むのにも重要な役割を果たしてきた。都市はエコロジーの体系を十分に踏まえて発展し、独自の歴史を重ねてきた。

 しかし、科学技術力と経済力にものいわせた近代の巨大開発は、都市における環境のバランスと文化的アイデンティティの喪失をもたらした。都市は歴史と文化を象徴する中心を失って空洞化し、またかつて存在した都市と田園の明確な境界線を喪失して、捉え所のない状況を呈してきた。都市の内部を流れていた河川、運河を埋め水辺を喪失したのは、何も日本だけではない。例えば、イタリアを代表するミラノ、ボローニャ、パドヴァなど、魅力ある都市でも、実は同じ経験をした。自動車等、陸の交通への対応もあったが、当時の衛生思想によるところが大きい。ヨーロッパでは、こうした近代的な開発、改造のもたらす問題について1960年代に自覚され、都市の近代の歩みを批判的に捉え直す動きへとつながった。

 今、世界各地で、近代の都市開発への反省に立ち、歴史と生態系を大切にしながら持続可能で、かつ個性豊かな地域づくりを実現することが大きな課題となっている。近年、よく耳にする「都市再生」という言葉も、本来はそう位置づけられるべきであろう。経済再活性化の切り札として、もっぱらこの言葉が使われるわが国の状況からは早く脱したい。

 また、グローバリゼーションが進むほど、実は逆に、それぞれの地域の個性、文化的なアイデンティティがますます強く求められるようになっている。



 本書のねらいは、まず、〈エコロジー〉と〈歴史〉の結合にある。この二つのキーワードを結ぶ発想は、実はこれまで、日本のみならず海外にもあまりなかった。今の学問や技術は、専門ごとに分断され、力をもてないでいるのだ。

 特に、日本では、〈エコロジー〉と〈歴史〉を一緒に考えることは、従来あまりなかった試みといえよう。関西の人々にとっては、都市の歴史が長いだけに、生活環境を考えると自ずとそこに歴史的なセンスが入ってくるという感覚もあるようだが、特に、東京を中
心とする関東では、歴史的に物事を考えようという発想は乏しい。

 ランドスケープの歴史は従来からあるし、環境史という新たなジャンルへの挑戦も生まれつつあるが、まだ明確な姿は見えていない。建築史の領域からの都市史に関する研究はだいぶ活発になっているが、エコロジーの視点となると、まだまだ弱いと言わざるを得ない。逆に、エコロジーを専門とする方々には、地域の歴史、都市の歴史にもっと関心をもっていただければと日頃から思ってきた。

 実際のまちづくりや地域づくりにおいては、学問の世界ほどの垣根はないかもしれないが、それでも、歴史的な町並みの保存再生の分野とエコロジーの視点に立った地域再生の活動との間の交流は、まだ不十分に見える。いずれのアプローチも、市民、住民にとって、自分の身の回りの価値を発見し、魅力ある地域づくりを目指す点では共通している。歴史的環境からのアプローチと、水・緑、動物や昆虫などの自然生態系の環境からのアプローチとを重ね合わせると、豊かな地域像をより多角的に描けるに違いない。

 自分の身近なところで考えてみたい。私は法政大学の建築学科の中に、「東京のまち研究会」というグループを1977年につくり、以来、東京のまちを主に建築と都市の歴史の観点からフィールド調査してきた。古い建物ばかりか、敷地、街区の歴史性、道や坂のでき方、宗教空間の立地などを調べるのがベースだが、地形とか緑の分布にも大いに関心をもち、やがて産業や文化を育んだ都心の川や掘割の存在の重要性をも視野に入れて研究してきた。しかし、自然河川、地下水、湧水などの視点にまで深い関心を向けることはできなかった。

 一方、本書の筆者の一人であり、法政大学で「建築生態学」を講ずる建築家、神谷博氏は、ライフワークとして、東京のエコロジーの調査研究に取り組み、地下水、湧水や川の生態系に関する研究で大きな成果を挙げてきた。その神谷氏と、やはり法政大学建築学科で教鞭をとり、地元の小金井を中心に武蔵野の地域研究を行う永瀬克己氏らと一緒に、2年前に、進士五十八氏、石川幹子氏、小倉紀雄氏、倉田直道氏など、他大学の方々にも呼びかけて「東京再生研究会」を設立し、今〈エコロジー〉と〈歴史〉を重ねながら、東京研究を精力的に進めている。実際にやってみると、立場は違うとはいえ、お互いの発想、アプローチには共通性が大きいことを知って、驚かされたのである。

 我々をこのような方向に導いてくれたのは実は、法政大学建築学科で長年、教鞭をとられた河原一郎氏であった。若い頃、イタリア、スウェーデンで学び、実務の経験を積んだ建築家、河原氏は1970年代から一貫して、東京の特質を歴史と生態学から捉え、その成果を都市づくりに生かすべきことを、いくつものケーススタディを通じて示し、多くの提言をされてきた。大きな視野からの壮大なビジョンをもった河原氏の魅力溢れる研究成果が、著書『地球環境と東京─歴史的都市の生態学的再生をめざして』(筑摩書房、2001年)に集大成されたのを受けて、まさにこうした21世紀にとっての重要課題について、我々の世代が、さらに深く掘り下げ、発展的に取り組んでいこうと考えるようになった。〈エコロジー〉と〈歴史〉を結びつける発想に立つ本書は、このような経緯の中から生まれたと言える。



 もう一つの本書の特徴は、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、そして日本の専門家が一堂に会し、〈西〉と〈東〉の知を融合させる試みにチャレンジする、という点にある。

 環境観や歴史観には、欧米とアジア・日本で大きな違いがあり、互いの経験から学び合うことができるのに、グローバリゼーションの時代といわれる今も、地域や国を越えた交流は案外乏しい。

 今、都市・環境の領域で日本が世界に向けて主導権をもつ意義は大きい。近年の欧米のエコロジーに基づく都市計画には、人間中心に自然を支配・征服し管理してきた西欧の考え方を反省し、自然と共に生きる存在として人間を見る日本・東洋の世界観から学ぼうとする発想が見られる。実際、4年前に日本国際賞を受賞し、来日したアメリカ人の都市計画家、イアン・L・マクハーグ氏は、まさにそうした日本やアジアの自然観、環境観から得た大きなインスピレーションをもとに、生態学的都市計画の分野を切り開き、先駆的な役割を果たした『デザイン・ウィズ・ネーチャー』(下河辺淳・川瀬篤美総括監訳、集文社、1994年、原著は1969年刊行)を著したのである。その後、惜しくも亡くなられた彼が残したこの著作は、今後の日本でこそもっと読まれてほしい本である。今回のシンポジウムでドイツよりお招きした、本書の著者の一人、エクハルト・ハーン氏も、かつて中国の都市、地域に入り込み、調査研究をした経験からエコロジカル・プランニングの発想を得たという。

 他方、都市や地域での歴史、環境、文化を尊重し、経済優先の開発を抑制するヨーロッパの成熟社会から、日本やアジアが学ぶことは多い。豊かな時代を迎えたはずの日本なのに、いまだ経済開発のために、歴史的に価値のある建築や都市の貴重な緑はどんどん失われているのが現状である。斜面緑地等での大規模なマンション開発で、湧水、地下水に大きなダメージが及ぶということが後を絶たない。開発のまさに途上にあるアジアの諸都市では、経済活動の競争力をつけながらも、持続的な発展をいかに実現するか、大きな問題を抱えている。それだけに、ヨーロッパにおける、社会的公正を欠く利益追求型の大規模開発を厳しく制御する一方で、時代を切り開く創造性に満ちた質の高い都市づくりや地域づくりを次々に展開する知恵と技術の豊かな蓄積は、とりわけ成熟社会を迎えた今の日本の我々には大いに参考になる。

 このような意図のもと、本書は、異なる文化背景をもつ世界の西と東の知恵や技術を交流、融合させる試みとして編まれているのである。

 その意味でも、ヨーロッパ、アメリカとアジアの専門家とともに、東京を比較の視点から論ずることに大きな価値があると考える。この点も本書の大きな特徴となっている。

 10年ほど前、デンマークのコペンハーゲンで開かれた、ヨーロッパの日本研究者の学会におけるアーバン・セッションで、「東京は21世紀の都市モデルか? アンチモデルか?」という刺激的な議論がなされたことがある。ヨーロッパの人々も、次の時代の都市イメージを切り開くのに、日本からインスピレーションを大いに得ようとしていることを物
語っていた。

 東京は、ここでのテーマである〈エコロジー〉と〈歴史〉の視点から見ると、様々な特徴をもち、豊かな可能性を秘めていると言える。東京は、まさにヴェネツィアと同様、「水の都」であった。永井荷風も、東京徘徊の名エッセイ『日和下駄』の中で、水の風景を描写し、多様な川、水辺、湧水が東京の環境をいかに豊かにしているかを論じている。実際、本書を執筆いただいた外国人の方々も、シンポジウムでの東京滞在の間に、小舟による東京の水路巡りを堪能し、本来水と密接に結びついて形成されたこの都市独特の在り方に大きな関心をもったようだ。

 こうした資源を生かし、うまく育て、ハイテク都市、先端都市と組み合わせて環境を再生すれば、西欧モデルとは異なるユニークな魅力ある都市空間を実現できる可能性が確かにあるだろう。

 シンポジウムが行われた法政大学市ヶ谷キャンパスのすぐ近くに、歴史が現代にうまく生かされた代表例、神楽坂の町がある。外国人筆者の方々も、夕方、この界隈を徘徊し、石畳の路地に面した雰囲気のある店で食事を楽しんだ。

 最近の『週刊現代』の調査では、住んでみたい町として、関東では神楽坂が一番に挙がった。便利でいて、風情豊かな落ち着いた雰囲気に包まれた町の佇まいに引かれる人が多いという。もともと、料亭や待合の並ぶ花柳界の町で、石畳の迷宮が不思議な魅力を醸し出している。最近では、その路地的な雰囲気やスケール観を壊さずに、新しい趣向の洒落た店も増え、若者や女性にも開かれた界隈になっている。

 ここには、懐かしさや粋な遊び心だけでなく、もっと普遍性をもつ現代的な価値がある。地形も道も変化に富み、多彩な機能、活動が詰まった神楽坂は、仕事場としても最高の環境を提供してくれるのだ。ベンチャービジネスの小さめのオフィスも多いという。歴史がたっぷり感じられるいいスケールの変化に富んだ場所が、今の文化をつくりだすというのは何とも素敵な話だ。ようやく日本も成熟した社会になった、と言いたいところだが、実は問題もある。この地域にも、その人気が高まるほど、高層マンションによる環境破壊が増えるという難しい状況がある。



 本書では特に、水の都市、臨海部の環境、そして内陸の河川流域や湧水など、近代の都市開発でダメージを受け続けた「水の環境」の復権に向けた議論にこだわっている。東京の失われた水辺空間を再生するシナリオを描くためにも、まずはヴェネツィア、中国江南の水郷都市、バンコクという世界に名高い「水の都」との比較考察が行われる。世界を代表するこれらの都市から専門家が一堂に会し、真正面から比較研究に取り組むというのは、
これまでにない初めての試みである。

 ヴェネツィアについては、水との共生を実現し、水害から守り、独自の豊かなイメージをもつ「水の都」をつくりあげたその形成の諸相について、ヨーロッパを代表する都市史研究者のD・カラビ氏が論じている。その歴史の重みを背負ったヴェネツィアが、新たな時代に向けて、都心居住のための快適な集合住宅を供給し、交通インフラの導入を探るなど、真の「都市再生」に努力する姿を、都市計画が専門で、ウォーターフロント問題の第一人者R・ブルットメッソ氏が描き出している。

 続いて、人々の暮らしと密接に結びつき、生き生きと使われ続けるアジアの水辺空間の魅力と環境上の諸問題が論じられる。中国江南には、水を制御しつつ、水と実に近しい町の形態とライフスタイルが長い歴史の中で確立した。中国における歴史都市再生の分野を精力的に切り開いてきた阮儀三氏は、こうした水の町を対象に、モータリゼーションの問題、近代に向けての住宅改善などを視野に入れつつ、保存再生をいかに実現するかが問われていることを論ずる。一方のバンコクは、歴史的にもより水との直接的な共生を実現してきた都市であり、陸の価値を重視する近代化の中で、いかにその「水の都市」としての魅力、アイデンティティを大切にした都市づくりに取り組むか、大きな岐路に立たされている。そう論ずるのは、タイきっての都市研究および地域計画の理論家、S・タダニティ氏である。

 東京の水辺空間の破壊と再生については陣内が論じているが、外国人筆者の論考はどれも、本来「水の都市」だったこの東京の再生を考えるのに、大きな示唆を与えてくれるものばかりである。

 同時に比較の視点から、やや歴史は新しいが、すでに水辺都市の形成、そして衰退から再生へ豊富な経験をもつアメリカの事例が取り上げられ、時代を切り開くプロジェクトが紹介されている。東海岸のウォーターフロント再生の分野に精通する神田駿氏が論ずる、ボストンの古い町を分断していた高速道路を地下に埋めて人間の手に取り戻す「Big Dig」と呼ばれる都市再生のプロジェクトに関する話は、東京でも日本橋の上を走る高速道路を撤去する可能性が十分あることを示し、我々を勇気づけてくれる。一方、西海岸の湾を望むサンフランシスコの環境に配慮した質の高いウォーターフロント開発については、その事情に詳しい都市計画家、倉田直道氏が報告する。

 東京は、「水の都市」であると同時に、山の手から武蔵野の郊外にかけて、本来は、湧水に恵まれ、多くの中小河川や上水がめぐる緑に包まれたエコ・シティであった。開発からそれを守り、また再生するための道筋が神谷博氏によって示される。それと発想を一にするのが、ベルリンを中心にEU全体でエコロジカルな都市再生の分野で活躍するE・ハーン氏の論考であり、環境に負荷を与えず、水と緑を取り込んで魅力溢れる地域の住環境を創出するドイツのエコロジカル・プランニングの実践は示唆に富む。一方、イタリアの歴史都市の保存・再生の第一人者、P・ファリーニ氏は、旧市街の外側に広がる歴史的田園地域におけるアクティブな保存の理念と計画手法を取り上げ、歴史とエコロジーを尊重する今日の最も進んだ地域づくりの考え方を示している。

 また、それぞれの論考の後には、様々な専門分野の方々から、コメントを寄せてもらっている。分量は短いが、示唆に富む指摘、考え方が続々と登場する。

 〈エコロジー〉と〈歴史〉のキーワードを中心に、色々な分野の専門家が会し、〈学際的な研究交流〉の中で本書が成立しているのが、おわかりいただけると思う。同時に、世界各地から第一線で活躍する方々が集まり、異なる地域相互の〈比較研究〉にチャレンジしているところに本書の特徴があるのだ。

 本書の外国人筆者たちが、シンポジウムを終えるにあたり、豊かな資源や素材に恵まれた東京の将来に大いに期待したい、と口々に発言していたのが心に残っている。シンポジウムが実施された2003年は折しも、江戸開府400年にあたる。まさに江戸の遺産を生かし、新たな東京のまちづくりへと発想を大きく転換させるのにふさわしい時代に我々はいるのである。

2004年5月
陣内秀信