森岡 正博
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快を求め、苦しみを避ける方向へと突き進む現代文明。その流れのなかに、われわれはどうしようもなく飲み込まれ、快と引き替えに「生きる意味」を見失い、死につつ生きる化石の生を送るしかなくなるのではないだろうか・・・。
現代文明と人間の欲望をとことんまで突き詰めて描いた超問題作!
無痛文明論 (Japanese) Tankobon Hardcover – October 16, 2003
by 森岡 正博 (著)
3.5 out of 5 stars 19 ratings
Product description
内容(「BOOK」データベースより)
一度手に入れたものは決して放すまいとする「身体の欲望」が、回生する「生命のよろこび」を食い尽くす過程を、愛と性、教育、自然、誕生と死、資本主義などの領域にわたってダイナミックに論じ、現代思想の新たな領域を切り拓いた、森岡“生命学”の代表作。
内容(「MARC」データベースより)
快を求め、苦を避ける現代文明が行き着く先の悪夢-「無痛文明」。一度手に入れたものは決して放すまいとする「身体の欲望」が、回生する「生命のよろこび」を食い尽くす過程を、様々な領域にわたってダイナミックに論じる。
レビュー
現代社会は、いま、「無痛文明」とういう病理にのみ込まれようとしているのではないだろうか。快にまみれた不安のなかで、よろこびを見失った反復の中で、どこまで行っても出口のない迷路の中で、それでもなお人生を悔いなく生き切りたいと心のどこかでおもっている人々に、私はこの本を届けたいと思う。
第一章から第六章までは、一九九八年から二〇〇〇年まで雑誌に掲載されたものを、原型をとどめないくらい書き直したものである。この連載は、思想に関心を持つ人々のあいだで大きな反響を呼んだ。
その後、結論部分に当たる第七章と第八章を、本書のために書き下ろした。第八章において、「無痛文明」の秘密が、最終的に解き明かされる。
現代社会のなかで、真綿に包まれるような漠然とした不安を覚えるとき、われわれは直感的に「無痛文明」の存在を感じ取っているのかもしれない。この本は、読者が一度は感じたことのあるあろうそのような感覚に、言葉を与えようとする試みなのである。(「はじめに」より) --本書「はじめに」より
著者について
1958年生まれ。1988年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。(倫理学)。現在、大阪府立大学総合科学部教授。研究テーマは哲学・生命学・科学論。新しい総合的な人間学である「生命学」を提唱し、日本で最も大きな注目を浴びる思想家の一人である。
著書に、脳死問題を独自の視点で論じて世界的な反響を巻き起こした『脳死の人』、新しいジャンルである生命学を提起、発展させた『生命学への招待』『生命学に何ができるか』、インターネット社会の到来とその問題点を世界に先がけて論じた『意識通信』、オウム真理教事件を自己の思想遍歴と重ね合わせて考察した『宗教なき時代を生きるために』など、社会に衝撃を与えた多くの著作がある。
AUTHCOMMENTS: 『無痛文明論』が、とうとう2003年10月にトランスビュー社から刊行される。雑誌の連載をはじめたのが1998年だったから、もう五年間も書き続けてきたことになる。私がいままで書いた本のなかで、これが最高だと思う。期待と不安感で胸がいっぱいだ。
人々の寿命が延び、ものが溢れる社会になったのに、どうして人々は顔を輝かせて生きていないのか。その背景には、物質的な豊かさとひきかえに、われわれから「よろこび」をシステマティックに奪っていく文明の仕組みがあるのではないか。
私は、子どもの暴力や、新宗教に惹かれる人間の心理などを例にとって、「無痛文明」へと呑み込まれてゆく現代人の姿に迫った。その迫り方が、あまりにも常軌を逸していたために、雑誌連載時から大きな反響を呼び、インターネットを巻き込んだ賛否両論の嵐となった。自分でも、ここまで書いていいのだろうかと何度も思い悩むことがあった。連載を終えてから、全体を二度書き直し、長大な二つの章を、さらに書き下ろした。 私は、この本によって、現代思想の可能性を一歩進めることができたと思う。『無痛文明論』は、日本よりも、海外での反響のほうが大きいかもしれない。思索とは、文体をも含めた一個の実験であるということを、この本を書きながら実感した。
「無痛文明」とは、苦しみとつらさのない文明のことである。たとえ苦しみやつらさがあったとしても、そこからどこまでも目をそらしてゆく仕組みが、社会のすみずみにまで張りめぐらされている文明のことである。われわれは、そこで快適さや快楽を得るが、それとひきかえに、「よろこび」を奪われ、自分を内側から破って自己変容する可能性を閉ざされてゆく。その先にあるものは、何か。それは、快楽と眠りに満ちた、生きながらの死の世界だ。すべての人々が表面上はにこにこ笑いながらも、心の奥底では絶望して、かつその絶望からも用意周到に目をそらし続けていくような世界だ。
『無痛文明論』は、この悪夢のような世界をどこまでも描き込んだ。自傷行為にはしる子どもたち、空虚な快楽ゲームにはまる大人たち、管理化される自然環境などの向こう側に、われわれは「無痛文明」の姿を感じ取ることができる。
「無痛化」を引き起こす原動力は、われわれ自身の内部にひそむ「
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
森岡/正博
1958年、高知県生まれ。1988年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得(倫理学)。現在、大阪府立大学総合科学部教授。研究テーマは、生命学・哲学・科学論。従来の人文学の枠組みを大胆に改変し領域を押し広げ、その著作は一作ごとに大きな反響を呼んでいる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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Product Details
Publisher : トランスビュー (October 16, 2003)
Publication date : October 16, 2003
Language : Japanese
Tankobon Hardcover : 451 pages
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Customer Reviews:
3.5 out of 5 stars 19 ratings
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nacamici
TOP 500 REVIEWER
4.0 out of 5 stars ある種の奇書。オリジナルの強さ。Reviewed in Japan on July 7, 2020
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ひょっとしたら10年くらい積読していた本。コロナ自粛生活が長引いたせいだろうか、思わず読んだ。見かけの重厚さに反してさくさく読める。ということはある程度ここに書かれていることへの関心、共感、理解はあるのだと思うが、一方でざらざらとした違和感も感じる本だった。新興宗教の教義って読んだことはないがこういう感じではないのかな。まさに著者自身が「私はこの本で、無痛文明論という名の、宗教の道を通らない宗教哲学を書いているのかもしれない」と述べている。
読みながら、ニーチェ、三島由紀夫、石原莞爾といった名前が思い浮かんだ。こうした人たちは著者が言うところの、無痛奔流と戦う兵士たちである。その戦いのイメージは『ファイト・クラブ』だ。悠々自適の隠居生活を最初から目指すような価値観が無痛文明であり、そのような家畜化された人生を真っ向から否定し、生命の欲望にどこまでも素直に生きていくために絶えず自己解体し、ときに他人を犠牲にしながらもひりひりするような毎日を送ろうではないか、というのが本書の呼びかけである。与えられた欲望を充足させるためだけの予定調和の人生を送れるように、現代の社会は「すべてを予測の大枠の内側に収めるように制御したうえで、しかしその内側には無数のハプニングを仕掛ける」という「二重管理構造」によってコントロールされているという著者の見立てには腑に落ちるところがある。北欧の環境運動に熱心な少女活動家などは飛行機はCO2を出すからヨットで移動するというあたり絵にかいたような二重管理構造の住人である。
この無痛文明論は著者個人の死への恐怖を克服しようとする過程で生まれてきた思想である。それゆえ第7章「私の死」と無痛文明の章は切実で読み応えがあった。「私とは、私を支えるすべてのものを、私の限界ある生を通して、私ではない何かに向かって伝えていく主体」であり、「私の限界を超えて何かを伝えるために、私の限界を生き尽くす」ことが「生ききる」ということだという境地に著者はたどりつく。この部分にはたしかに救いを感じた。
しかしながら、人類が苦労してたどりついたところの「無痛文明」になぜあえて戦いを挑まなくてはならないのか、その説明が不十分というか、かなりの飛躍がある。いきなり「無痛奔流と戦う戦士よ」と呼びかけられても「えっ、私のことですか」と構えてしまう。こういう反応についても著者はあらかじめ予防線を張っており、「本書を閉じてお茶でもすすりながら『いい文章を読んだ』などと悦に入ったり、『面白い哲学者が出てきた』などとただ賞賛している、そんなところまで無痛化の進んだ存在が、読者よ、あなたなのかもしれないのだ」と真上から挑発してくる。
もうひとつ咀嚼できなかったのは「捕食」という概念だ。他者を犠牲にしてでも自分を生ききるという文脈で出てくるが、「みずからの中心軸を生ききるために、捕食する側は能動的に奪い取り、捕食される側は受動的に奪い取られる。捕食の要望は、このとき双方において十全に満たされる」などという話は論理的にも直観的にも受け入れられない。捕食する側は自覚的であれというところはわかる。毎日他の動植物の命を犠牲にせずには生きられないのが人間というかたちの命である。しかしこれは実質的には捕食する側だけを正当化するこじつけではないのか。
他にも突っ込みどころ満載の本だが、二次情報の単なるまとめに終わらないオリジナルな思想の生みだされる過程に立ち会っているような異様な生々しさに興奮を覚えた。コロナというものを世界が経験するなかで無痛文明的なものが目に見えるかたちで立ち上がった。ソーシャルディスタンスやマスク、ロックダウンや次週など、人を隔てる規範や手段がまたたくまに世界中にひろがり、おおむね受け入れられているというこの背景には、無痛文明の浸透があるといっても間違いではないだろう。
問題はここから出たいという意思があるかどうか。無痛文明に至った社会の人はそれに抗う兵士として自ら立ち上がるかもしれないが、そこまで至らない、決意などなくてもひりひりとした死と手をたずさえた毎日を送っている人間、つまり無痛奔流と戦う戦士が目指すところにすでにいる人間は、逆に無痛文明を目指すのかもしれない。
テクノロジーによって管理された自然という「二重管理構造」という見方にはひとまず納得させられるとしても、宇宙的な規模でみればその二重管理構造などほとんど意味がないものであり、わざわざ戦わずとも宇宙あるいは自然のほうがわれわれを処理し、宇宙がただなくなるその日まで続いていくだけのような気もするのだけれどもどうなんだろう。
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sora
4.0 out of 5 stars 20代の僕は「幸福とは何か。生きるとはどういうことか。」を探し求めた。そして辿り着いた本が本書『無痛文明論』だった。Reviewed in Japan on May 13, 2020
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本書において、著者は現代社会が無痛文明へと向かう現状を危惧している。
無痛奔流に飲まれることで、我々は「生命のよろこび」を失い、家畜の如く "死につつ生きる” 人生を歩むことになるのだという。
20代があと数年で終わろうとしている僕は、人生を振り返り、改めて「幸福とは何だろうか?」と疑問を持った。
努力して努力して努力して何かを掴み取ることだろうか。
欲を捨て、現状に満足し、日常に溢れた小さな出来事に喜びを見出すことだろうか。
ネガティブ思考を捨て、ポジティブ思考の癖をつけることだろうか。
しかし、どれもすっきりしない。
中島義道は、著書『不幸論』で「本当の幸福などは存在しない」と断言し、「自らを幸福だと言う人間は真実から目をそむけているだけだ」と言い切った。
哲学者カントは、自分自身に誠実であることを、幸福であることよりはるかに重要なことと見なしたという。
関連して、マコなり社長(真子就有氏)は動画『結婚式は行かなくていい』で、幸福の定義を
「いかに自分の信念を貫いて生きたか、自分の心に嘘をつかなかったか」とした。
なるほど、「自らを幸福だという人間」は無痛奔流に飲み込まれた人間と言え、
「自分の信念を貫く」ことを選んだ人間は、無痛奔流からの脱出を決意した人間と見ることもできるのではないか。
岡本太郎は著書『自分の中に毒を持て』で、
「自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。」
と言った。
まさに、これは『無痛文明論』で言うところの
「身体の欲望」が「生命のよろこび」を奪い取る、ということではなかろうか。
これらの本を読んで、僕は「生きがい」と「安楽」はトレードオフの関係にあると考えた。
「安楽」を選択すれば「生きがい」を失うという意味で幸福にはなれず、
「生きがい」を選択すれば「安楽」を失うだろうし、その選択はある意味最もつらいことだろう。
生きるとは、自分自身の「不幸のかたち」を選ぶことなのかもしれない。
様々な書籍を読み、「幸福とは何か。生きるとはどういうことか。」を探し求め、さまよい続けた僕にとって、本書『無痛文明論』は、あらゆる書籍に対する統一的な見解を与えてくれた。
とはいえ、著者である森岡正博氏の主張の半分も理解できていない感じがするし、後半部分(6章と8章)はイマイチ掴めず、腑に落ちない点もいくつかある。
もう少し大人になったら読み直してみようと思う。
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ゆうさく
5.0 out of 5 stars 無痛文明で生き抜く術はReviewed in Japan on November 22, 2017
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壮大で、痛快で、先鋭的な文明批判であるとともに、読んでいる側に内省と大きな気づきを促す本だと思う。451Pと分厚いけど、専門的な記述は特にないので哲学を知らなくても読めます。
森岡氏の本でいちばん好きな本を選べと言われたら、私はこれを選ぶかな。
畜産化したシステムの中で快楽を求め、痛みを感じることや、自身のアイデンティティーが崩れた先にある本当のよろこびを感じれなくなった現代の文明と人々・・。常に欲望に付きまとわれる資本主義社会に生きて、悔いなく生きていくためにはどうすればいいのか・・。
「われわれに罠を仕掛けてくるものは、われわれひとりひとりのこころと身体の奥底にある、われわれ自身の無痛文明なのである。」(P95)、「文明は物質と社会制度のみでできているのではない。無痛化する現代文明の姿を的確にとらえるためには、物質や社会制度のみではなく、集合的なこころの次元の制度や、それが人間の集団行動に及ぼすダイナミクスについて深い解明を行わなければならない。(P118)
こうした調子で書かれる文体にいつしか引き込まれ、夢中になって読んでしまう。
森岡氏の本は、徹底的に自分自身の体験として突き詰めた上でエッセイのように猛烈に書き綴っているところに特徴がある。生命倫理、ジェンダー、フェミニズム、障害など言及する領域は広く、現代社会を見ていく上で看過できない問題を多く扱っている。
いまあげた分野では、人のいのちやスピリチュアリティの本質に関わるにも関わらず、どうも分析的になってしまっている節があるような気がする。
森岡氏のような、自分のことを棚に上げずに問題と向き合っていく姿勢は、周囲に否が応でも自分自身の態度を見つめ直させるような影響力を持っていると思う。
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goodmooning
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5.0 out of 5 stars ロマン主義 ~新宝島~Reviewed in Japan on April 24, 2020
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ゼロ地点から思想を練り上げて狼煙をあげていて好感がもてます。家畜化、無痛化の正反対として「魔の山」や「サバイバル登山家」があると感じた。それすらも簡単にファッションになってしまうが…。
後期近代の行きつく所まできたテーマを扱っていて引用も見事で仏教思想にも通じでおります。また無痛文明を創立していて大著でありものぐさ精神分析の読後感にも個人的には似ています。優生学なども担ぎ出されていて議論を奥深いものにしている。無痛文明との戦いは単独者の道で細々としていて険しい。拗らせた厨二病でもありラディカルでアナーキーにも陥る危険もある覚醒、オルタナティブな生き方を促す思想書兼自己啓発書であります。対象年齢は若い程、刺激を貰えて良いと思います。「攻殻機動隊」や「マトリックス」などにも通じる思想で橋渡し存在としてもベターだと感じました。安心毛布に包まっていたいタイプなので行動までに繋がるかはなかなか難しいです。
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Amazon カスタマー
5.0 out of 5 stars まだ読んでいます。Reviewed in Japan on January 2, 2018
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無痛文明、怖いですね。自分、あるいは自分たちの他愛ない不都合のために、
人を殺してもいい、という考え方ですね。しかも殺しても何の負担も
感じない、あるいは感じなくていい、とは恐ろしい。
このような心を隠して生きている現代人はどう思っているのでしょうか。
ただ、私は違う、と言い切る自信はありませんが。
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七海光一
3.0 out of 5 stars 言いたいことは分かるが、なぜか物足りないReviewed in Japan on February 11, 2007
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言いたいことはわかるが、読者の立場から、気になる点を指摘すると:1)抽象的な物言いの反復が非常に多く、表現もやや陳腐で凝縮力が感じられない。この量の半分でよかったのではないか;2)「中心軸を生ききる」「捕食」「生命の欲望」など、これでもかと何度も出てくるが、実際に具体的な象を結ばず、重みがない;3)これを言うのは反則かもしれないが、そこまで言うのなら、では、何故あなたは大学教授などという給料取りをやっているのか、と反問したくなる。これは一種の近代批判なのだろうけれど、「無痛文明」という現象を理論的に徹底的に問い詰める、というスタンスでもよかったのではないか。もっとも、そういうことは他の書物でやっているとは思うけれど。
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kohrinosekai
1.0 out of 5 stars ちょっと独りよがりに思えるReviewed in Japan on December 15, 2014
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人間は文明の家畜までは判る。そこから著者の言う無痛文明論への論理拡張は理解不能。
著者の独りよがりのように思えて、途中で投げ出した。
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무통문명 - 고통 없는 문명
모리오카 마사히로 (지은이),조성윤,이창익 (옮긴이)모멘토2005-02-25
모리오카 마사히로
양장본420쪽
책소개
새로운 시각에서 자본주의 문명에 대한 문제를 제기하는 책. 지은이가 8년에 걸쳐 집필한 이 책은, 진지하고 아름다운 문체로 현대문명이 도달하는 악몽에 대한 자각과 자성을 촉구하고 있다. 동서양의 현대철학을 망라하여 사랑과 성, 교육, 자연, 탄생과 죽음, 자본주의 등의 영역을 상세하게 논의한다.
현대 자본주의 산업사회가 가는 길을 <무통문명>이라고 표현하며 신체의 욕망, 소유의 욕망의 결과인 무통문명과 대비되는 것으로 생명의 기쁨을 이야기한다.
자본주의 문명이 신체의 욕망에 기초한 무통문명이 되고 있다고 지적하면서, 생명의 기쁨을 깨닫기 위해서는 고통을 견디며 생명을 소중히 여겨야 한다고 강조한다.
목차
제1장 고통 없는 문명이란 무엇인가
고통 없는 문명 / 스스로를 가축으로 만드는 사람들 / 신체의 욕망 / ‘생명의 기쁨’이란 무엇인가 / ‘무통문명’으로의 진화 / 무통문명 속의 인간 / 무통문명론 말하기
제2장 무통문명에서의 사랑의 조건
‘생명의 품질관리학’ 등장 / 선택적 중절과 조건부 사랑 / ‘조건 없는 사랑’이란 무엇인가 / 무통문명에서의 사랑 / 섹스와 자해행위 / 무통문명의 두 가지 전략
제3장 무통격류(無痛激流)
큰 소용돌이 속에서 / 칼은 누구를 향해 내미는 것일까 / 무통문명의 여러 가지 공격 형태 / ‘신체의 욕망’과 ‘생명력’의 싸움 / 자승자박의 세 가지 차원 / 적은 어디에 있나
제4장 암흑 속에서의 자기해체
나로부터 / 사회차원의 자승자박의 해체 / 공범관계적 지배를 풀어 헤친다 / 아이덴티티와 중심축 / 나 자신의 경우 / ‘만남’의 의미 / 끝없는 과정으로서의 사랑 / 절대 고독이라는 것
제5장 신체의 욕망에서 생명의 욕망으로
‘신체의 욕망’과 ‘생명의 욕망’ / 괴로움을 헤쳐 나가는 것 / 에로스적인 교제를 위하여 / 영토 확장에 대항하여 / 포식(捕食)의 연쇄 / 예를 들어 출생 전 진단을 생각하다 / 신체, 생명, 지혜의 삼원론 / 무통문명을 완전히 해체하기 위하여
제6장 자연화하는 기술의 함정
이중관리구조 / 경관 몰입(landscape immersion) / ‘거룩한 장소’로의 침입 / 자연의 배후를 파헤치다 / 무통문명에서 ‘자연’의 의미 / 붕괴 전략
제7장 ‘나의 죽음’과 무통문명
나의 사색 / 죽음의 공포 / ‘나의 죽음’이 무서운 것은 무엇 때문일까 / 사건으로서의 ‘나의 죽음’ / 관념으로서의 ‘나의 죽음’ / 중심축 통로
제8장 스스로 치료하는 무통문명
자본주의와 무통격류 / 욕망을 다시 생각한다 / 개화(開花)의 지혜 / 포식(捕食)의 사상과 우주회귀의 지(知) / 중심축 회로망 / 무통화 장치 / 무통화 장치의 해체 / 스스로 치유하는 시스템 / 스스로 치유하는 시스템과의 싸움과 그 운명 / 페너트레이터(penetrator)
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접기
책속에서
인간이 자신을 가축화(家畜化)하는 내용은 다음과 같다.
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- 첫 번째, 좁은 우리에 갇혀 빛과 온도가 인공적으로 조절되고, 먹고 자는 것만이 생활의 전부인 가축처럼 인간은 자신이 살아갈 공간인 도시를 대부분 인공적인 환경으로 만든다.
- 두 번째, 스스로 먹이를 찾지 않아도 되는 가축처럼 식품이 자동공급된다. 거의 모든 사람들은 먹을 것을 자연에서가 아니라 슈퍼마켓에서 얻는다. 돈이 있는 한 자동공급에 가깝다.
- 세 번째, 자연의 위협에서 멀어진다. 인간은 하천과 태풍을 관리하고, 농작물의 대량생산과 비축으로 식품을 안정적으로 공급하는 데 성공한다.
- 네 번째, 가축을 번식시키고 관리하는 것처럼 인간은 인공수정, 체외수정, 불임수술 등에 의해 생식에 개입한다.
- 다섯 번째, 야생 늑대가 개가 된 것처럼 19세기 말의 ‘우생학’ 이래 ‘불량한 인간’을 낳지 않기 위한 정책이나 입법으로 인간은 일관되게 품종개량을 해왔다. 장애아를 낳지 않으려고 선택적 중절이나 유전자 진단 등을 해 생식기술을 발전시킨다.
- 여섯 번째, 멧돼지가 주둥이가 짧아지고 긴 이빨이 퇴화해 돼지가 된 것처럼 인간도 신체의 형태가 변화한다. 곱슬머리의 출현, 추간판뼈 수ㆍ사지뼈 수의 변화, 피부색소의 증감 등이 일어난다.
- 일곱 번째, 가축은 죽음이 조절되어 인간에게 가장 유리한 시점에서 죽을 수 있도록 통제된다. 인간의 ‘예기치 않은 죽음’은 철저히 배제된다. 존엄사 안락사 등 ‘죽음의 자기 결정권’도 이 흐름 위에 있다.
- 여덟 번째, 가축은 인간에게 ‘자발적인 속박’의 태도를 취한다. 인간은 먹을 것과 안정, 쾌적함을 공급해 주는 사회 시스템과 자발적인 속박관계를 맺는다. - 본문 중에서 접기
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추천글
진정한 고통 없이 진정한 기쁨은 없다 - 장석주 (시인, 소설가, 문학평론가)
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저자 및 역자소개
모리오카 마사히로 (森岡 正博) (지은이)
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1958년생. 현재 와세다 대학 교수. 생명학 제창자이자 철학자다.
《남자도 모르는 남성에 대하여》는 저자가 자신의 섹슈얼리티에 관해 솔직하게 털어놓은 책이다. 특히 불감증의 원인을 파고들었다. 남성의 성적 욕망 뒤에 가려진 여성 착취의 문제도 지적한다. 남성 중심 사회에서 남성성은 공론화되기 어렵다. 저자는 이 책이 그 계기가 되길 바란다. 그것이 여성 혐오를 비롯한 적대적인 관계를 풀 한 방법일 수 있기 때문이다.
지은 책으로 《무통문명》 《생명학을 연다》 《초식계 남자의 연애학》 《생명학으로 무엇을 할 수 있는가》 《종교 없는 시대를 살아가기 위하여》 등이 있다.
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최근작 : <남자도 모르는 남성에 대하여>,<무통문명> … 총 16종 (모두보기)
조성윤 (옮긴이)
서울에서 태어나 서울 사람으로 살다가 1982년 제주대학교 사회학과 교수로 부임하면서부터 제주 사람이 되었다. 공부하고 싶은 것, 연구해야 할 것들이 많아 오랫동안 논문 발표에 열중했으나 최근에는 자신의 연구를 여러 사람과 공유하기 위해 공부한 것들을 책으로 출판하자고 마음을 먹었다. 논문으로 「임오군란의 사회적 성격」, 「조선후기 서울 주민의 신분구조와 변동」이 있으며, 저서로 <제주지역 민간신앙의 구조와 변용>(공저), <일제 말기 제주도 일본군 연구>(엮음), <빼앗긴 시대 빼앗긴 시절: 제주도 민중들의 이야기>(공저)가 있다. 2014년 현재 ‘오키나와 전쟁의 기억’, ‘남양군도’, ‘일본 신종교의 평화운동’ 등의 연구를 진행하고 있다. 접기
최근작 : <1964년, 어느 종교 이야기>,<남양 섬에서 살다>,<남양군도> … 총 13종 (모두보기)
이창익 (옮긴이)
1984년 제주대학교 일어일문학과를 졸업했다. 1990년 일본 도카이대학에서 문학연구과 박사과정을 수료했다. 현재 제주대학교 일어일문학과 교수이다. 역서로는 <오키나와에서 배운다 1,2>가 있다.
최근작 : <제주와 오키나와>,<오키나와와 평화> … 총 4종 (모두보기)
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“생명의 기쁨을 어디에서 찾을 것인가?” 새창으로 보기
‘고통 없는 문명’이라하는 ‘무통문명’은 무엇인가?
이 책의 지은이 모리오카 마사히로는 도쿄대학 대학원 인문과학연구과 윤리학박사. 현재 오사카 부립대학 종합과학부 교수로 재직 중이라고 한다. 생명학, 철학, 과학론 등으로 인문학의 연구 틀을 넓히고 새로운 인간학인 ‘생명학’을 제창하여 일본에서 가장 주목받는 사상가중 한 사람이라고 알려져 있다.
저자는 책머리에 다음과 같은 질문을 던지고 있다.
지금 우리의 현대사회는 ‘무통문명’이라는 병리(病理)에 삼켜지고 있는 것은 아닐까?
덧붙여서..‘끝없는 쾌락속의 불안, 기쁨을 잃은 반복, 출구 없는 미로 속임에도 불구하고 인생을 후회 없이 살고 싶다고 생각하는 분들에게 이 책을 드리고 싶다.’ 라고 적고 있다.
지은이가 ‘무통문명(無痛文明)’이라는 말을 처음 떠올리게 된 것은, 어떤 간호사의 이야기를 들었을 때라고 한다. 종합병원 중환자실에 근무하는 그 간호사는 의식이 또렷하진 않지만, 죽은 것도 아닌 그저 ‘편안하게 잠자는’ 상태의 환자를 돌보면서 이런 생각이 들었다고 한다. “결국 현대문명이 만들어내고 있는 것은 이와 같은 인간의 모습이 아닐까.”
지은이는 다시 질문한다. 현대문명이란 중환자실에서 편안하게 잠자는 인간을 대량으로 만들어 내는 것은 아닐까. 활기차게 일하고 즐겁게 노는 것처럼 보여도 실제로는 단지 편안하게 잠자는 인간들을 도시라는 이름의 중환자실 속에서 조직적으로 만들어내는 것은 아닐까. 그렇다면 도대체 누가 그와 같은 함정을 만든 것일까. 왜 문명은 이러한 방향으로 나아간 것일까.
지은이는 인간들이 문명을 끌고 온 것은 욕망 때문이었다고 한다. 욕망 중에서도 ‘신체의 욕망’이다. 이를 다섯 가지 측면에서 나누어 생각한다.
1) 쾌락을 찾고 고통을 피한다.
2) 현상유지와 안정을 추구한다.
3) 틈새가 보이면 확대 증식한다.
4) 타인을 희생양으로 삼는다.
5) 인생, 생명, 자연을 관리한다.
인간은 신체의 욕망에 따라 움직이고, 욕망을 꽃피우기 위한 장치를 만들어냈다. 그 때 인간은 바깥세계와 인간 자신을 조절하기 위해 ‘콘트롤(Control 이성’을 사용했다. 콘트롤 이성이란 미리 예상된 틀 속에 일들의 운행방식을 담아두는 지혜와 기술을 생산하는 능력이다. 인간은 자연환경과 인간자신을 관리하기 위한 이성을 지니고 있었으며, 그 이성을 신체의 욕망을 만족시키기 위해 사용했던 것이다. 막스 호르크하이머는 “인간 안팎의 자연을 인간이 지배하기 위한 도구”로서의 ‘이성’의 역할을 지적하고, 이것을 ‘도구적 이성’이라고 불렀다.
무통문명을 설명하기 위해서 지은이는 ‘생명의 기쁨’을 설명하고 있다. 공감이 가는 부분이다. “나는 어떤 조직에서 일을 하므로 안정된 생활을 유지하고 있다. 이 안정을 잃어버리고 싶지 않기 때문에 지금 일을 그만둘 수 없다. 지금의 일이 가져다주는 수입과 안정을 지키고 싶은 것은 ‘신체의 욕망’이다. 그런데 일을 계속하면서 발생하는 여러 모순이 자신의 안팎에서 축적되면, 나는 점차 어찌할 수 없는 불안이나 초조함에 직면하게 된다. 그것을 얼버무리기 위해 일의 양을 늘리거나, 술에 빠지거나, 혼외정사를 하거나, 자해행위를 반복한다. 일시적으로 괴로움이 사라져도 또 엄습한다. 일이 가져다주는 수입과 안정을 확보한 채, 거기서 비롯되는 괴로움을 얼버무리기 위한 선택을 끊임없이 준비하는 것이 고통 없는 문명이다.
여기에서 저자는 생명의 기쁨은 내가 얻으려 한다고 얻을 수 있는 것은 아니라고 하는데, 나는 그 기쁨의 정의와 범위를 어디에다 두느냐에 따라 다르다는 생각을 갖고 있다.
예를 들면 ‘잘산다는 것’이 꼭 평수 넓은 아파트에 고급 외제 승용차, 온갖 가전 신제품등은 물론 소위 호화로운 삶이 행복의 정의로까지 간다면 ‘살다 가는 삶’ 이외에 무엇이 남겠는가? 그래도 이 땅에 살다갔으면 무언가 향내 나는 흔적이라도 남기고 떠나 가야하지 않겠는가? 즉, 생명의 기쁨에 대한 정의조차도 내가 어떻게 설정하느냐에 따라 달라질 수 있다. 내가 얻고자하면 얻을 수 있다고 나는 생각한다.
한편 무통문명론에서의 ‘고통(痛)’과 ‘무통화’라는 단어가 정확하게 무엇을 가리키는지 짚어본다. “‘고통’에는 육체와 정신의 아픔이 다 들어있다. 많은 글에서 ‘고통’이란 단어는 그런 의미에서 사용된다. 한 인간에게 무엇이 아픔과 고통이 되는가는 다른 사람이 외부에서 정의할 수 없다. 무엇이 아프고 괴로운지를 결정하는 권한을 갖는 사람은 아픔과 고통을 겪는 당사자뿐이다.(...) ‘무통화’에는 두 가지가 있다. 하나는 확실히 비판해야 하는 무통화다. 그것은 예방적 무통화와 눈가림구조를 이용하여 고통에서 계속 도망치는 무통화다. 나는 그런 무통화와 싸우는 것을 의무라고 생각한다.”
저자가 주장하는 ‘무통문명’하에서의 인간적인 소통은 어떤 양상을 띠게 될까?
“무통문명에서는 현재 자신의 쾌적한 틀을 유지하는 일이 가장 중요하고, 서로 그것을 깨뜨리지 않으면서 다른 사람과 관계를 맺으려한다. 그러므로 만약 서로의 조건이 맞지 않을 때는 부분적으로 관계를 조정한다. 물론 각자의 쾌적한 틀은 손대지 않아야 한다. 그래도 안될 경우는 상대방과의 관계를 청산한다. 지금의 쾌적한 틀을 깨뜨리지 않으려고 조심하면서 기분 좋은 자극만을 골라 서로 제공하려는 사랑의 관계. 이에 반해서 지은이는 ‘조건 없는 사랑’을 그 해법으로 제시하고 있다. 이를 무통문명에선 가능하면 존재하지 않기를 바라는 정념(情念)이라고 이름 붙인다. 이 정념이야말로 무통문명 하에서 지금의 쾌적한 틀을 일격에 부수어 버릴지도 모를 파괴력을 지닌 것이기 때문이라고 한다.
해결책은 무엇일까?
“무통문명과의 싸움. 그것은 ‘신체의 욕망’과 싸우는 일이다. 신체의 욕망은 우리들에게 삶의 활력을 불어넣는 것이다. 따라서 무통문명과의 싸움은 우리들 내부에 존재하는 ‘신체의 욕망’을 없애는 것을 목표로 하는 것이 아니라 신체의 욕망에서 출발하여 사회의 무통문명을 추진하는 연쇄(連鎖)를 도중에서 단절시키는 것만을 목표로 해야 한다. (......)내가 변하지 않으면 세상은 변하지 않는다. 그러나 내 내면이 바뀌는 것만으로는 세상은 꿈쩍도 하지 않는다. 세상을 바꾸기 위해서는 나의 외부에 존재하는 ‘무통화 장치’의 해제가 필요하다.
무통화장치란 나의 외부와 내부에 존재하며, 우리들의 신체의 욕망을 계속해서 ‘무통격류’로 끌어들이는 ‘장치’이다. 이것을 ‘장치’라고 부르는 것은 외부의 영향으로 간단히 파괴되지 않는 안정성을 갖추고 있기 때문이고, 스스로 내부에 인간을 끌어들임으로써 자동적으로 움직이기 시작하기 때문이다.”