2021/02/19

Amazon.co.jp: 無痛文明論: 森岡 正博: 本

Amazon.co.jp: 無痛文明論: 森岡 正博: 本

無痛文明論
無痛文明論
by森岡 正博
Write a review
How are ratings calculated?
See All Buying Options
Add to Wish List
Top positive review
All positive reviews›
nacamici
TOP 500 REVIEWER
4.0 out of 5 starsある種の奇書。オリジナルの強さ。
Reviewed in Japan on July 7, 2020
ひょっとしたら10年くらい積読していた本。コロナ自粛生活が長引いたせいだろうか、思わず読んだ。見かけの重厚さに反してさくさく読める。ということはある程度ここに書かれていることへの関心、共感、理解はあるのだと思うが、一方でざらざらとした違和感も感じる本だった。新興宗教の教義って読んだことはないがこういう感じではないのかな。まさに著者自身が「私はこの本で、無痛文明論という名の、宗教の道を通らない宗教哲学を書いているのかもしれない」と述べている。

読みながら、ニーチェ、三島由紀夫、石原莞爾といった名前が思い浮かんだ。こうした人たちは著者が言うところの、無痛奔流と戦う兵士たちである。その戦いのイメージは『ファイト・クラブ』だ。悠々自適の隠居生活を最初から目指すような価値観が無痛文明であり、そのような家畜化された人生を真っ向から否定し、生命の欲望にどこまでも素直に生きていくために絶えず自己解体し、ときに他人を犠牲にしながらもひりひりするような毎日を送ろうではないか、というのが本書の呼びかけである。与えられた欲望を充足させるためだけの予定調和の人生を送れるように、現代の社会は「すべてを予測の大枠の内側に収めるように制御したうえで、しかしその内側には無数のハプニングを仕掛ける」という「二重管理構造」によってコントロールされているという著者の見立てには腑に落ちるところがある。北欧の環境運動に熱心な少女活動家などは飛行機はCO2を出すからヨットで移動するというあたり絵にかいたような二重管理構造の住人である。

この無痛文明論は著者個人の死への恐怖を克服しようとする過程で生まれてきた思想である。それゆえ第7章「私の死」と無痛文明の章は切実で読み応えがあった。「私とは、私を支えるすべてのものを、私の限界ある生を通して、私ではない何かに向かって伝えていく主体」であり、「私の限界を超えて何かを伝えるために、私の限界を生き尽くす」ことが「生ききる」ということだという境地に著者はたどりつく。この部分にはたしかに救いを感じた。

しかしながら、人類が苦労してたどりついたところの「無痛文明」になぜあえて戦いを挑まなくてはならないのか、その説明が不十分というか、かなりの飛躍がある。いきなり「無痛奔流と戦う戦士よ」と呼びかけられても「えっ、私のことですか」と構えてしまう。こういう反応についても著者はあらかじめ予防線を張っており、「本書を閉じてお茶でもすすりながら『いい文章を読んだ』などと悦に入ったり、『面白い哲学者が出てきた』などとただ賞賛している、そんなところまで無痛化の進んだ存在が、読者よ、あなたなのかもしれないのだ」と真上から挑発してくる。

もうひとつ咀嚼できなかったのは「捕食」という概念だ。他者を犠牲にしてでも自分を生ききるという文脈で出てくるが、「みずからの中心軸を生ききるために、捕食する側は能動的に奪い取り、捕食される側は受動的に奪い取られる。捕食の要望は、このとき双方において十全に満たされる」などという話は論理的にも直観的にも受け入れられない。捕食する側は自覚的であれというところはわかる。毎日他の動植物の命を犠牲にせずには生きられないのが人間というかたちの命である。しかしこれは実質的には捕食する側だけを正当化するこじつけではないのか。

他にも突っ込みどころ満載の本だが、二次情報の単なるまとめに終わらないオリジナルな思想の生みだされる過程に立ち会っているような異様な生々しさに興奮を覚えた。コロナというものを世界が経験するなかで無痛文明的なものが目に見えるかたちで立ち上がった。ソーシャルディスタンスやマスク、ロックダウンや次週など、人を隔てる規範や手段がまたたくまに世界中にひろがり、おおむね受け入れられているというこの背景には、無痛文明の浸透があるといっても間違いではないだろう。

問題はここから出たいという意思があるかどうか。無痛文明に至った社会の人はそれに抗う兵士として自ら立ち上がるかもしれないが、そこまで至らない、決意などなくてもひりひりとした死と手をたずさえた毎日を送っている人間、つまり無痛奔流と戦う戦士が目指すところにすでにいる人間は、逆に無痛文明を目指すのかもしれない。

テクノロジーによって管理された自然という「二重管理構造」という見方にはひとまず納得させられるとしても、宇宙的な規模でみればその二重管理構造などほとんど意味がないものであり、わざわざ戦わずとも宇宙あるいは自然のほうがわれわれを処理し、宇宙がただなくなるその日まで続いていくだけのような気もするのだけれどもどうなんだろう。
Read more
7 people found this helpful
Top critical review
All critical reviews›
七海光一
3.0 out of 5 stars言いたいことは分かるが、なぜか物足りない
Reviewed in Japan on February 11, 2007
言いたいことはわかるが、読者の立場から、気になる点を指摘すると:1)抽象的な物言いの反復が非常に多く、表現もやや陳腐で凝縮力が感じられない。この量の半分でよかったのではないか;2)「中心軸を生ききる」「捕食」「生命の欲望」など、これでもかと何度も出てくるが、実際に具体的な象を結ばず、重みがない;3)これを言うのは反則かもしれないが、そこまで言うのなら、では、何故あなたは大学教授などという給料取りをやっているのか、と反問したくなる。これは一種の近代批判なのだろうけれど、「無痛文明」という現象を理論的に徹底的に問い詰める、というスタンスでもよかったのではないか。もっとも、そういうことは他の書物でやっているとは思うけれど。
Read more
19 people found this helpful
Search customer reviews
Search
SORT BY

Top reviews
Top reviews
FILTER BY

All reviewers
All reviewers

All stars
All stars

Text, image, video
Text, image, video
19 global ratings | 17 global reviews
Translate all reviews to English
From Japan
nacamici
TOP 500 REVIEWER
4.0 out of 5 stars ある種の奇書。オリジナルの強さ。
Reviewed in Japan on July 7, 2020
Verified Purchase
ひょっとしたら10年くらい積読していた本。コロナ自粛生活が長引いたせいだろうか、思わず読んだ。見かけの重厚さに反してさくさく読める。ということはある程度ここに書かれていることへの関心、共感、理解はあるのだと思うが、一方でざらざらとした違和感も感じる本だった。新興宗教の教義って読んだことはないがこういう感じではないのかな。まさに著者自身が「私はこの本で、無痛文明論という名の、宗教の道を通らない宗教哲学を書いているのかもしれない」と述べている。

読みながら、ニーチェ、三島由紀夫、石原莞爾といった名前が思い浮かんだ。こうした人たちは著者が言うところの、無痛奔流と戦う兵士たちである。その戦いのイメージは『ファイト・クラブ』だ。悠々自適の隠居生活を最初から目指すような価値観が無痛文明であり、そのような家畜化された人生を真っ向から否定し、生命の欲望にどこまでも素直に生きていくために絶えず自己解体し、ときに他人を犠牲にしながらもひりひりするような毎日を送ろうではないか、というのが本書の呼びかけである。与えられた欲望を充足させるためだけの予定調和の人生を送れるように、現代の社会は「すべてを予測の大枠の内側に収めるように制御したうえで、しかしその内側には無数のハプニングを仕掛ける」という「二重管理構造」によってコントロールされているという著者の見立てには腑に落ちるところがある。北欧の環境運動に熱心な少女活動家などは飛行機はCO2を出すからヨットで移動するというあたり絵にかいたような二重管理構造の住人である。

この無痛文明論は著者個人の死への恐怖を克服しようとする過程で生まれてきた思想である。それゆえ第7章「私の死」と無痛文明の章は切実で読み応えがあった。「私とは、私を支えるすべてのものを、私の限界ある生を通して、私ではない何かに向かって伝えていく主体」であり、「私の限界を超えて何かを伝えるために、私の限界を生き尽くす」ことが「生ききる」ということだという境地に著者はたどりつく。この部分にはたしかに救いを感じた。

しかしながら、人類が苦労してたどりついたところの「無痛文明」になぜあえて戦いを挑まなくてはならないのか、その説明が不十分というか、かなりの飛躍がある。いきなり「無痛奔流と戦う戦士よ」と呼びかけられても「えっ、私のことですか」と構えてしまう。こういう反応についても著者はあらかじめ予防線を張っており、「本書を閉じてお茶でもすすりながら『いい文章を読んだ』などと悦に入ったり、『面白い哲学者が出てきた』などとただ賞賛している、そんなところまで無痛化の進んだ存在が、読者よ、あなたなのかもしれないのだ」と真上から挑発してくる。

もうひとつ咀嚼できなかったのは「捕食」という概念だ。他者を犠牲にしてでも自分を生ききるという文脈で出てくるが、「みずからの中心軸を生ききるために、捕食する側は能動的に奪い取り、捕食される側は受動的に奪い取られる。捕食の要望は、このとき双方において十全に満たされる」などという話は論理的にも直観的にも受け入れられない。捕食する側は自覚的であれというところはわかる。毎日他の動植物の命を犠牲にせずには生きられないのが人間というかたちの命である。しかしこれは実質的には捕食する側だけを正当化するこじつけではないのか。

他にも突っ込みどころ満載の本だが、二次情報の単なるまとめに終わらないオリジナルな思想の生みだされる過程に立ち会っているような異様な生々しさに興奮を覚えた。コロナというものを世界が経験するなかで無痛文明的なものが目に見えるかたちで立ち上がった。ソーシャルディスタンスやマスク、ロックダウンや次週など、人を隔てる規範や手段がまたたくまに世界中にひろがり、おおむね受け入れられているというこの背景には、無痛文明の浸透があるといっても間違いではないだろう。

問題はここから出たいという意思があるかどうか。無痛文明に至った社会の人はそれに抗う兵士として自ら立ち上がるかもしれないが、そこまで至らない、決意などなくてもひりひりとした死と手をたずさえた毎日を送っている人間、つまり無痛奔流と戦う戦士が目指すところにすでにいる人間は、逆に無痛文明を目指すのかもしれない。

テクノロジーによって管理された自然という「二重管理構造」という見方にはひとまず納得させられるとしても、宇宙的な規模でみればその二重管理構造などほとんど意味がないものであり、わざわざ戦わずとも宇宙あるいは自然のほうがわれわれを処理し、宇宙がただなくなるその日まで続いていくだけのような気もするのだけれどもどうなんだろう。
7 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
sora
4.0 out of 5 stars 20代の僕は「幸福とは何か。生きるとはどういうことか。」を探し求めた。そして辿り着いた本が本書『無痛文明論』だった。
Reviewed in Japan on May 13, 2020
Verified Purchase
本書において、著者は現代社会が無痛文明へと向かう現状を危惧している。
無痛奔流に飲まれることで、我々は「生命のよろこび」を失い、家畜の如く "死につつ生きる” 人生を歩むことになるのだという。

20代があと数年で終わろうとしている僕は、人生を振り返り、改めて「幸福とは何だろうか?」と疑問を持った。
努力して努力して努力して何かを掴み取ることだろうか。
欲を捨て、現状に満足し、日常に溢れた小さな出来事に喜びを見出すことだろうか。
ネガティブ思考を捨て、ポジティブ思考の癖をつけることだろうか。

しかし、どれもすっきりしない。

中島義道は、著書『不幸論』で「本当の幸福などは存在しない」と断言し、「自らを幸福だと言う人間は真実から目をそむけているだけだ」と言い切った。
哲学者カントは、自分自身に誠実であることを、幸福であることよりはるかに重要なことと見なしたという。
関連して、マコなり社長(真子就有氏)は動画『結婚式は行かなくていい』で、幸福の定義を
「いかに自分の信念を貫いて生きたか、自分の心に嘘をつかなかったか」とした。
なるほど、「自らを幸福だという人間」は無痛奔流に飲み込まれた人間と言え、
「自分の信念を貫く」ことを選んだ人間は、無痛奔流からの脱出を決意した人間と見ることもできるのではないか。

岡本太郎は著書『自分の中に毒を持て』で、
「自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。」
と言った。
まさに、これは『無痛文明論』で言うところの
「身体の欲望」が「生命のよろこび」を奪い取る、ということではなかろうか。

これらの本を読んで、僕は「生きがい」と「安楽」はトレードオフの関係にあると考えた。
「安楽」を選択すれば「生きがい」を失うという意味で幸福にはなれず、
「生きがい」を選択すれば「安楽」を失うだろうし、その選択はある意味最もつらいことだろう。
生きるとは、自分自身の「不幸のかたち」を選ぶことなのかもしれない。

様々な書籍を読み、「幸福とは何か。生きるとはどういうことか。」を探し求め、さまよい続けた僕にとって、本書『無痛文明論』は、あらゆる書籍に対する統一的な見解を与えてくれた。
とはいえ、著者である森岡正博氏の主張の半分も理解できていない感じがするし、後半部分(6章と8章)はイマイチ掴めず、腑に落ちない点もいくつかある。
もう少し大人になったら読み直してみようと思う。
3 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
ゆうさく
5.0 out of 5 stars 無痛文明で生き抜く術は
Reviewed in Japan on November 22, 2017
Verified Purchase
 壮大で、痛快で、先鋭的な文明批判であるとともに、読んでいる側に内省と大きな気づきを促す本だと思う。451Pと分厚いけど、専門的な記述は特にないので哲学を知らなくても読めます。 
 森岡氏の本でいちばん好きな本を選べと言われたら、私はこれを選ぶかな。
 
 畜産化したシステムの中で快楽を求め、痛みを感じることや、自身のアイデンティティーが崩れた先にある本当のよろこびを感じれなくなった現代の文明と人々・・。常に欲望に付きまとわれる資本主義社会に生きて、悔いなく生きていくためにはどうすればいいのか・・。 
 「われわれに罠を仕掛けてくるものは、われわれひとりひとりのこころと身体の奥底にある、われわれ自身の無痛文明なのである。」(P95)、「文明は物質と社会制度のみでできているのではない。無痛化する現代文明の姿を的確にとらえるためには、物質や社会制度のみではなく、集合的なこころの次元の制度や、それが人間の集団行動に及ぼすダイナミクスについて深い解明を行わなければならない。(P118) 
 こうした調子で書かれる文体にいつしか引き込まれ、夢中になって読んでしまう。 
 
 森岡氏の本は、徹底的に自分自身の体験として突き詰めた上でエッセイのように猛烈に書き綴っているところに特徴がある。生命倫理、ジェンダー、フェミニズム、障害など言及する領域は広く、現代社会を見ていく上で看過できない問題を多く扱っている。 
 いまあげた分野では、人のいのちやスピリチュアリティの本質に関わるにも関わらず、どうも分析的になってしまっている節があるような気がする。 
 森岡氏のような、自分のことを棚に上げずに問題と向き合っていく姿勢は、周囲に否が応でも自分自身の態度を見つめ直させるような影響力を持っていると思う。
4 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
goodmooning
TOP 500 REVIEWER
5.0 out of 5 stars ロマン主義 ~新宝島~
Reviewed in Japan on April 24, 2020
Verified Purchase
ゼロ地点から思想を練り上げて狼煙をあげていて好感がもてます。家畜化、無痛化の正反対として「魔の山」や「サバイバル登山家」があると感じた。それすらも簡単にファッションになってしまうが…。
後期近代の行きつく所まできたテーマを扱っていて引用も見事で仏教思想にも通じでおります。また無痛文明を創立していて大著でありものぐさ精神分析の読後感にも個人的には似ています。優生学なども担ぎ出されていて議論を奥深いものにしている。無痛文明との戦いは単独者の道で細々としていて険しい。拗らせた厨二病でもありラディカルでアナーキーにも陥る危険もある覚醒、オルタナティブな生き方を促す思想書兼自己啓発書であります。対象年齢は若い程、刺激を貰えて良いと思います。「攻殻機動隊」や「マトリックス」などにも通じる思想で橋渡し存在としてもベターだと感じました。安心毛布に包まっていたいタイプなので行動までに繋がるかはなかなか難しいです。
One person found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
Amazon カスタマー
5.0 out of 5 stars まだ読んでいます。
Reviewed in Japan on January 2, 2018
Verified Purchase
無痛文明、怖いですね。自分、あるいは自分たちの他愛ない不都合のために、
人を殺してもいい、という考え方ですね。しかも殺しても何の負担も
感じない、あるいは感じなくていい、とは恐ろしい。
このような心を隠して生きている現代人はどう思っているのでしょうか。
ただ、私は違う、と言い切る自信はありませんが。
One person found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
七海光一
3.0 out of 5 stars 言いたいことは分かるが、なぜか物足りない
Reviewed in Japan on February 11, 2007
Verified Purchase
言いたいことはわかるが、読者の立場から、気になる点を指摘すると:1)抽象的な物言いの反復が非常に多く、表現もやや陳腐で凝縮力が感じられない。この量の半分でよかったのではないか;2)「中心軸を生ききる」「捕食」「生命の欲望」など、これでもかと何度も出てくるが、実際に具体的な象を結ばず、重みがない;3)これを言うのは反則かもしれないが、そこまで言うのなら、では、何故あなたは大学教授などという給料取りをやっているのか、と反問したくなる。これは一種の近代批判なのだろうけれど、「無痛文明」という現象を理論的に徹底的に問い詰める、というスタンスでもよかったのではないか。もっとも、そういうことは他の書物でやっているとは思うけれど。
19 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
kohrinosekai
1.0 out of 5 stars ちょっと独りよがりに思える
Reviewed in Japan on December 15, 2014
Verified Purchase
人間は文明の家畜までは判る。そこから著者の言う無痛文明論への論理拡張は理解不能。
著者の独りよがりのように思えて、途中で投げ出した。
12 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
エヌ爺
5.0 out of 5 stars 志が高いのは良いことだ
Reviewed in Japan on September 21, 2004
無痛文明論として現状を把握することには,強く賛同の意を表したい。すなわち,現在高度に展開しつつある無痛文明では,「身体の欲望」が「生命のよろこび」を奪い取る仕組みが,社会システムのなかに整然と組み込まれており,そこでは,現状維持と安定,拡大と増殖,他人を犠牲にすること,人生・生命・自然の徹底的な管理などが特徴となっているというのである。著者は,科学技術や資本主義の発展を無痛文明の確立に寄与したと論じているが,付け加えるなら大衆社会の発展やマスコミもその尻馬に乗っている。無痛化が人間行動の管理に向かった場合は,医療や教育となる。精神保健従事者である評者にとって,「無痛化は心のケアという形をとって社会に浸透する」というのは,耳の痛い指摘である。
著者はさらに,単なる文明批評を超えて,無痛文明への対策を明確に打ち出そうとしている。本書の価値は,それによって大いに高められている。著者は,「身体の欲望」から生じる欺瞞を認識して,「身体の欲望」を「転轍」することによって,「生命のよろこび」に適うものにするなどの活動を勧めている。しかし著者の主張する無痛文明への対抗策の議論には,強気と弱気が交錯しており,幾つかの不整合がある。また,対抗策が学問的,哲学的な姿勢であるのか,実際の行動であるのかを明らかにしていない。しかし,無痛文明への対応は,あまりにも大きい問題である。著者の対抗策の議論が未成熟であることは責められない。
本書に触れることによって,この文明に潜む矛盾や欺瞞に一人でも多くの人々(もちろん私自身も含めて)が真剣に取り組むようになることを望む。
43 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
daepodong
VINE VOICE
4.0 out of 5 stars 切り捨てるにはあまりに惜しい内容
Reviewed in Japan on September 11, 2005
 著者が「この本を書くために生まれてきた」とまで言い切る、著者の代表作。確かに、資本主義社会を一段上から包含する思想としての無痛文明という見方は、鋭い着眼点を含んでおり、一読に値する。しかし、著者は「知るだけ、この本を推薦するだけでは、却って無痛文明を助長するだけで、戦おうとしなければ逆効果だ、と対抗することをある意味強要していることに注意が必要だ。著者は理解のみならずアクションを要求しているのである。
 大部だが、一気に読み切れる内容だ。冗長という感もあるが、雑誌への連載に加筆したという性質ゆえのもので、大部を理由に読者を選んでいるとしたらそれは残念なことだ。著者自らの経験談も登場し、これをナルシシズムと取るか著者の誠実さと取るかは人により評価が分かれるかもしれない。わたくしは後者と取りたい。
 さまざま評価が分かれるのは、特に具体的な行動を要求されていることを考えれば(反対することが許されないとしたらそれはファシズムだろう)やむを得ないと思われるが、それにしても無視するにはあまりに惜しい内容を含んでいる。是非一読を勧めたい(著者は「一読を勧めるだけではだめだ」と言っているのだが・・・)。
24 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
coolsunnyday
VINE VOICE
4.0 out of 5 stars 「身体の欲望」について考えさせられる本です
Reviewed in Japan on December 31, 2003
著者に寄れば
現代文明は、「身体の欲望」に基づく「無痛文明」である
「身体の欲望」
1.快を求め苦痛を避ける
2.獲得した快を維持しようとする
3.得た快をさらに増大しようとする
4.その為には他人を少々犠牲にしても構わない
5.自分の人生をコントロールしようとする
この「身体の欲望」に基づく「無痛文明」が、苦しみの中で
自己が内側から解体し、変容していくときに訪れる「生命の
よろこび」を奪っている。
これは、あたかも人間自身が自己家畜化しているようである。
「生命のよろこび」を奪う無痛文明との戦いに対する結論は
著者は個人に任せている。
身体の欲望や無痛文明を捨て去ることは容易ではないが、喜び
とは、確かに変化(感情の上昇角度)であり、その為に平坦な
毎日(感情の起伏がない毎日)より変化を自ら求めることの重
要性を再認識させられた本であった。
12 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English