2021/03/29

創価大学に“宗教色”ゼロなのは「世界宗教になっていくことを本気で考えているから」 佐藤優氏が指摘 (1/4) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

創価大学に“宗教色”ゼロなのは「世界宗教になっていくことを本気で考えているから」 佐藤優氏が指摘 (1/4) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)
創価大学に“宗教色”ゼロなのは「世界宗教になっていくことを本気で考えているから」 佐藤優氏が指摘

2020.11.18 07:02AERA







佐藤優(さとう・まさる)/作家・元外務省主任分析官。『創価学会と平和主義』『危機の正体』『ウイルスと内向の時代』『世界宗教の条件とは何か』など著書多数。2020年の菊池寛賞を受賞(撮影/楠本涼)







澤田瞳子(さわだ・とうこ)/作家。2010年、『孤鷹の天』でデビュー。『満つる月の如し 仏師・定朝』で新田次郎文学賞受賞。『若冲』『火定』『落花』『能楽ものがたり 稚児桜』で4度の直木賞候補に(撮影/楠本涼)







池田大作研究 世界宗教への道を追う

佐藤 優

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 AERA本誌で集中連載を終え、書籍化された『池田大作研究』。AERA 2020年11月23日号で、筆者の佐藤優氏と作家の澤田瞳子氏が語り合った。

【澤田瞳子さんの写真はこちら】

*  *  *
澤田:これからもまだ、池田大作氏や創価学会について注視していかれるのですか。

佐藤:はい。この本の中で書けていないことも、やっぱりあるんですよ。創価学会インタナショナル、SGIです。これがどのような発展をしていくかということについては、やはり関心を持っていますね。あと、教義的なことにも関心はあり、日寛教学がどのように再編されていくのかにも注目しています。

澤田:私、今回の対談のために初めて、創価大学のサイトを見たんですけど、宗教学部に近いものはないんですか。

佐藤:ないです。あえて作っていないんです。

澤田:じゃあ、例えば入学式とか卒業式とか、そういうときに宗教色は。

佐藤:ないんです。創価大学の中で、例えば寮とかで勤行(ごんぎょう)をやっている学生は当然多いわけなんですけれども、創価学会専用の宗教施設は大学内にはないんです。イスラム教の礼拝ができる施設はあって、これは留学生用です。イスラム教の礼拝場はありますが、創価学会の専用施設はありません。創価大学は宗教学大学ではないという立場を明確にしています。

澤田:そういうお話をうかがうと、創価学会はよその宗教や、よその文化に対しても、ものすごく敬意を払う団体なんだと感じますね。

佐藤:そこは、やはり世界宗教になっていくことを本気で考えているからですよね。池田大作氏がイギリスの歴史学者のアーノルド・トインビーや、ハーバード大学の神学の教授、ハーヴェイ・コックスら、いろいろな文化、宗教の人たちと対話しているという特徴がありますからね。

澤田:宗教というのは長く続けば続くほど、文化と密接に関わってくると思います。創価学会はほかの文化に非常に敬意を払っている。それは、我々がほかの宗教を見る時に必要な目ではないのかな、とも感じるわけです。

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佐藤:公明党のスタートということも考えてみると、創価学会の文化部から始まっているわけです。文化に政治を包み込んでいくという考え方が、創価学会員には濃厚なんでしょう。さまざまな文化があるということを認めて、多元性に立たないといけないから。ほかの宗教や文化を尊重できるっていうのは、自信があるからなんでしょうね。そういったものの影響を受けても、自分たちの信仰の本質が揺らぐことはないという自信。でも意外とそれ、知られてないところなんです。


澤田:創価学会関係の出版物がたくさんありますが、出版社を複数持っている宗教団体というのも珍しいです。「潮」と「第三文明」と……。


佐藤:僕は「第三文明」で松岡幹夫さんと対談をしています。大石寺(たいせきじ)のお坊さんだったんだけれども、創価学会との訣別があったときに、創価学会側についたお坊さんですね。彼には、なぜそういう人生を選択したのかとか、教義的なことを教えてもらったりしています。


澤田:学会員ではない佐藤さんが教義の解釈を話すということですね。


佐藤:あの人たちは全然そこのところは問題視しない。その意味では極めて寛容なんですよ。もっとも日本でも、キリスト教の教義について話す学者でキリスト教徒でない人もたくさんいますから。創価学会の人たちは、自分たちの解釈に自信を持っている。あと、私が悪意を持っていないということはわかっているわけですよね。


澤田:それは大きいでしょうね。


■コロナという難に直面 排外主義に歯止めかける


佐藤:だから、よく創価学会の婦人部の方たちに話しかけられるんですよ。佐藤優さんだね、いい本書いたらしいねって。あんた信頼してるからと。あと、今世はキリスト教でいいから、何回か輪廻転生を繰り返したら、うちのほうに来るだろうねと。そうすると逆に、横で聞いていた創価学会の幹部の人たちがあわてていました(笑)。


澤田:今世はキリスト教でいいからねって、明るい表現ですね。これは他宗教との優劣がないということでもありますよね。


佐藤:彼ら彼女らは、人間に強い関心があるんじゃないんですかね。生命、人間主義っていうことを重視する。それとつながるのが、この本の中で何度も出てきた「難」という言葉。苦難がやはり信心を強化する。人を強化する。だから、今このコロナという「難」に直面したときに、排外主義が強まっていくなかで、それに歯止めをかけてくれるっていう役割を、私は創価学会に非常に期待しているんです。創価学会員は、ナショナリズムや戦争に向けた動きがあっても、動かないんですよ。どんな理屈をつけて誰がどうやって動かそうとしても、体が動かない。だから、創価学会は、あれだけ激しい対立を日蓮正宗と起こしても、死者が一人も出てない。これもすごいことなんですよ。


澤田:そうですね。小説家の立場からすると、日蓮というのは、みんな興味を持つけれど、書くのに少々覚悟がいる人物です。そういう意味でも、創価学会のほうからアプローチしてみると実は捉えやすい、という気が今、してきました。明治から敗戦までを知ろうと思ったときに、やっぱり日蓮系の流れっていうのは、どこかで押さえなきゃいけないんですよね。


佐藤:それは絶対必要です。特に創価学会の人にとっては、日蓮ではなく釈尊から始まるというのは、モーゼとかアブラハムとか、あのへんの話をしてるように聞こえるんです。そうじゃなくて、イエス・キリストからスタートするということだったら、日蓮からスタートしないといけないんです。日蓮こそが、末法の時代の本仏なんだと。


澤田:対外的危機意識と日蓮を絡めて、その見方がどういうふうに変遷してきたかということには、個人的な興味があります。


佐藤:立正安国論の位置付けとも非常に関係してくるわけですよね。佐渡に渡る前の日蓮の業績も、創価学会は非常に重視するじゃないですか。これは時代の危機意識と関係してると思うんですよ。


澤田:創価学会の歴史を追いかけていくと、本当にこう、キリスト教がずっとやってきたことをぎゅっと短縮して、「NHKスペシャル」のようにまとめて見ているのと近い感覚を覚えます。


佐藤優(さとう・まさる)/作家・元外務省主任分析官。『創価学会と平和主義』『危機の正体』『ウイルスと内向の時代』『世界宗教の条件とは何か』など著書多数。2020年の菊池寛賞を受賞(撮影/楠本涼)
佐藤優(さとう・まさる)/作家・元外務省主任分析官。『創価学会と平和主義』『危機の正体』『ウイルスと内向の時代』『世界宗教の条件とは何か』など著書多数。2020年の菊池寛賞を受賞(撮影/楠本涼)





澤田瞳子(さわだ・とうこ)/作家。2010年、『孤鷹の天』でデビュー。『満つる月の如し 仏師・定朝』で新田次郎文学賞受賞。『若冲』『火定』『落花』『能楽ものがたり 稚児桜』で4度の直木賞候補に(撮影/楠本涼)

■曖昧にしておく力がある 機が熟すまでは決めない


佐藤:私にも、そういうふうに見えるんですよね。だから今回の本は、その点が創価学会の人からしても、意外な面白さだったと思うんです。その中で見えたこととして、創価学会は池田大作氏を信仰の核心においていくという信仰体系がある。私はこれに全然違和感がないんですよ。キリスト教もそうですから、結局。


澤田:なるほど。ただ池田大作氏は存命でいらっしゃるというところが、私からするとイエス・キリストと一緒にしていいのかというのがあるのですが……。


佐藤:本来仏教の考え方だと、悟りっていうのは誰でも開けるわけだから。悟りを開いたんだったら、それは仏なわけだから。


澤田:そういう意味では私は、既存の宗教観に侵されているんでしょうね。宗教とはすごく過去に作られたものっていうイメージが、どこかにあるようです。


佐藤:あと、創価学会の面白さに、「曖昧にしておく力」があるんですよ。例えば信濃町に広宣流布大誓堂というのがあるんですが、これが他宗派でいう本山に相当する中心なのか中心じゃないのか、よくわからないんですよね。SGIも、会憲ができるまでは「創価学会インタナショナル」教という宗教であるとも、各国の創価学会のネットワークであるとも、どっちとも読めたわけなんです。「機が熟すまでは物事を決めない」っていう、中途半端にしておく力がすごくあるんですよね。


 それはやっぱり、池田大作氏の発想で、それが教団の集合的な意識を作っているんだと思いますよ。無理やり型にはめて「これで行かないといけない」ということになると、教義主導で、現実を切り捨てちゃう。わからないところはわからないままで、歴史に委ねるみたいなところがあるんですよね。


(構成/編集部・木村恵子)


※AERA 2020年11月23日号より抜粋