「近代の超克」と京都学派 近代性・帝国・普遍性 Tankobon Hardcover – November 30, 2010
by 酒井 直樹 (編集), 磯前 順一 (編集)
5.0 5.0 out of 5 stars 2 ratings
Paperback
from ¥5,580
4 Used from ¥5,580
「近代の超克」が提起した問題を、パックス・アメリカーナが揺らぎ始め、国際秩序の再編の時期に、近代性、帝国、普遍性など優れて現代的な視点から歴史的な再検討を試みる。ことに、「近代の超克」の座談会には参加しなかった三木清も含め、西田幾多郎から田邊元を経て、第三世代の三木や西谷啓治へ繋がっていく京都学派は、特に新カント派、マルクス、ヘーゲル、フッサール、ハイデッガーを丹念に読破し、西洋近代思想の受容に多大な成果を上げると同時に日本特有の文化という言説を創出していった。その壮大な経緯の批判的な検討。
Print length
368 pages
Language
Customers who viewed this item also viewed
Page 1 of 2Page 1 of 2
Previous page
京都学派 (講談社現代新書)
菅原 潤
3.9 out of 5 stars 27
Paperback Shinsho
¥990¥990
30pt (3%)¥1,680 shipping
Only 6 left in stock (more on the way).
近代の超克 (冨山房百科文庫 23)
河上徹太郎
4.3 out of 5 stars 20
Paperback Bunko
¥1,650¥1,650
75pt (5%)¥1,727 shipping
Only 19 left in stock (more on the way).
物語「京都学派」 - 知識人たちの友情と葛藤 (中公文庫)
竹田 篤司
3.4 out of 5 stars 7
Paperback Bunko
¥1,320¥1,320
60pt (5%)¥1,698 shipping
Only 1 left in stock (more on the way).
「近代の超克」とは何か
子安 宣邦
3.7 out of 5 stars 6
Tankobon Hardcover
¥2,420¥2,420
88pt (4%)¥1,872 shipping
Only 4 left in stock (more on the way).
新書715新京都学派 (平凡社新書)
柴山 哲也
5.0 out of 5 stars 3
Paperback Shinsho
¥880¥880
27pt (3%)¥1,647 shipping
Only 1 left in stock (more on the way).
Next page
Product description
出版社からのコメント
アジア・太平洋戦争の最中1942年の座談会「近代の超克」をめぐる、日本、欧米、アジアの研究者による国際シンポジウム。
内容(「BOOK」データベースより)
アジア・太平洋戦争のさなか、1942年の座談会「近代の超克」をめぐる、日本、欧米、アジアの研究者による国際シンポジウム。「近代の超克」の座談会には参加しなかった三木清も含め、西田幾多郎から田邊元を経て、第三世代の三木や西谷啓治へ繋がっていく京都学派は、特に新カント派、マルクス、ヘーゲル、フッサール、ハイデッガーを丹念に読破し、西洋近代思想の受容に多大な成果を上げると同時に、日本特有の「文化」という言説を創出してきた。その壮大な経緯を批判的に再検討する国際シンポジウム。
著者について
酒井直樹(さかい なおき):1946年生まれ。シカゴ大学人文学部極東言語研究学科博士課程修了。現在,コーネル大学教授。著書に,『日本思想という問題』(岩波書店)『過去の声』(以文社)『希望と憲法』(以文社)など多数。 〈br〉 磯前順一(いそまえ じゅんいち):1961年生まれ。国際日本文化研究センター准教授。東京大学大学院博士課程中退。著書に、『記紀神話と考古学―歴史的始原へのノスタルジア』(角川学芸出版,2009年),『喪失とノスタルジア―近代日本の余白へ』(みすず書房,2007年),『近代日本の宗教言説とその系譜―宗教・国家・神道』(岩波書店,2003年),その他。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
酒井/直樹
1946年生まれ。シカゴ大学人文学部極東言語研究学科博士課程修了。現在、コーネル大学教授
磯前/順一
1961年生まれ。文学博士(東京大学)。現在、国際日本文化研究センター准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
Publication date : November 30, 2010
Language : Japanese
Tankobon Hardcover : 368 pages
#2,221 in Introduction to Eastern Philosophy
Customer Reviews:
5.0 5.0 out of 5 stars 2 ratings
Translate all reviews to English
うちのネコさん
5.0 out of 5 stars 「外縁部を持たない空間のうちにこそ余白あるいは残余といったものは見出しえるのだ」(磯前順一、P.357)Reviewed in Japan on June 6, 2020
Verified Purchase
新型コロナウイルス関連で少々。2020年6月1日(月)の朝日新聞朝刊1面、2面に「アベノマスク」関連で「布マスク「質より量」 迷走」(1面の題名)として特集記事がありました。その中で、2面に下記のような文章があります。
「マスク確保に関わった政府関係者の一人はこう振り返る。「『マスクを何とかしろ』という官邸の声の大きい人が言ったことが通り、無理に無理を重ねた」。関係者らの間では、今回の配布計画は第2次世界大戦中の日本軍による「インパール作戦」にたとえられているという。司令部がずさんな作戦を強行して多くの犠牲者を出し、「大戦中最も無謀」と呼ばれた作戦だ(中田詢子、相原亮)」
ちょっと前に、「NHKスペシャル 戦慄の記録 インパール」を2~3回視聴しました。戦闘中の死傷者よりも作戦中止が決まった後の撤退のなかでの死傷者(河での溺死、マラリア等での病死や餓死、自決した者、等々)の方が圧倒的に多く、牟田口廉也(インパール作戦の責任者?)に仕えた斎藤博国少尉の日誌も「効果的」に使われていて、その「無謀さ」が骨身にしみました、日本軍上層部の無責任さも同様に。しかし、アジア・太平洋戦争中の各種作戦に関して、「計画」&結果ともに「無謀」で無かったものがあるのでしょうか。満州事変に始まり(もっと前からでしょうが)、日中戦争、ノモンハン、ミッドウェイ、サイパン、ガダルカナル、朝鮮半島・沖縄・満州・樺太、そして、戦艦大和の「海上特攻隊」、「本土決戦」等々等々。
安倍晋三の各種政策・作った法律等々は皆「無謀」そのものです、新型コロナウイルス関連で始まったわけではありません。彼の政策は全て「大本営発表」です、つまりフェイクニュースということですが、社会に埋め込まれた「地雷」でもあります、今後、どんどん破裂して、国民に危害を加えていくでしょう、コロナ禍と同じように。過去の法律も理解せず、憲法も理解せず、「独裁」のやりたい放題です。それを許す国民が大勢いますから、処置なしではありますが。
「新学期9月開始」も撤回のようです、馬鹿丸出しで、弱ったものです。それ以外にも、補正予算のなかに、安倍一族関連企業(ex. 電通やパソナ等々)を儲からせる算段が目白押しのようです(各種「トンネル法人」(官僚の天下り先法人)もあるようです、「持続化給付金」関連で「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」という組織とか、「幽霊会社」みたいですが)。そして、第二次補正予算のなかに、安倍晋三が「フリーハンド」で使える金を、10兆円も潜り込ませているとか、とんでもないことです、「馬鹿につける薬」です。東日本大震災の復興予算を、復興とは関係ない道路事業等々に大量に「横流し」したのと全く同じ構図です。安倍一族自民公明党の政治屋連中、「高級」官僚、経団連のいつもの「手」です、「血税」の使いたい放題です。新型コロナ専門家会議の議事録がない、という問題もあります、これも大変な問題です、証拠隠滅・改竄・焼却等々以前の問題です。
「戯言」はこれくらいにしないと、「馬鹿」に「感染」してしまいますので、止めにします。本書(『「近代の超克」と京都学派 ―― 近代性・帝国・普遍性』(酒井直樹・磯前順一編、2010年11月30日初版第1刷発行、2010年12月20日初版第2刷発行、以文社))の引用紹介をします。傍点、傍線、まるぼしは、≪ ≫で代替します。引用文全体は、【 】で囲みます。引用文中の引用は、< >で囲みます。
まずは、本書の諸論稿の題名と著者名等を下記します。
●「序 パックス・アメリカーナの下での京都学派の哲学 酒井直樹、高橋原訳」(P.3 ~ P.28)
■「1 「近代の超克」と京都学派」(P.29 ~ P.122)
●「「近代の超克」と京都学派 ―― 近代性・帝国・普遍性 磯前順一」(P.31 ~ P.73)
●「座談会「近代の超克」の思想喪失 ―― 近代とその超克をめぐる対立 藤田正勝」(P.75 ~ P.94)
●「西谷啓治と近代の超克(1940 - 1945) J.W.ハイジック」(P.95 ~ P.122)
■「2 三木清と帝国の哲学 ―― 普遍性をめぐって」(P.123 ~ P.180)
●「東亜共同体論と普遍性をめぐって ―― 主体的技術論序説 酒井直樹」(P.125 ~ P.162)
●「「近代の超克」と「中国革命」 ―― 戦後日本思想史における二つのモメント 孫歌」(P.163 ~ P.180)
■「3 「近代の超克」と「世界史的立場と日本」 ―― 帝国の役割」(P.181 ~ P.232)
●「「近代の超克」思想と「大東亜共栄圏」構想をめぐって 鈴木貞美」(P.183 ~ P.210)
●「同化あるいは超克 ―― 植民地朝鮮における近代超克論 金哲」(P.211 ~ P.232)
■「4 総合研究:日本における西洋近代の経験」(P.233 ~ P.349)
●「近代との格闘 ―― ジェイムズ・カズンズと日本・インド・脱植民地の文化 ゴウリ・ヴィシュワナータン、三原芳秋訳」(P.235 ~ P.264)
●「西洋の針路の喪失/東漸の終焉と脱ヨーロッパ化 ヘント・デ・ヴリース、苅田真司訳」(P.265 ~ P.320)
●「「西側」近代性に対する抵抗と、「東洋的」沈潜への誘惑と 稲賀繁美」(P.321 ~ P.349)
●「あとがき ―― 討議の後で 磯前順一」(P.350 ~ P.357)
●「執筆者紹介」(P.358 ~ P.359)
上記の諸論稿のうち、まず磯前順一の「あとがき」から、若干長く引用します。これが、分かりやすくまとまっていますので。それから、酒井直樹の論稿と稲賀繁美の論稿から引用します。それ以外にも引用したい文章は数々あるのですが、酒井・稲賀論稿だけでも尻切れトンボになりそうですので、致し方ありません。
半分以上の著者が、書評者にとっては初めてですし、論稿中に出てくる人物(たとえば、ゴウリ・ヴィシュワナータンの論稿のジェイムズ・カズンズ、ヘント・デ・ヴリースの論稿のワシリー・グロスマンやエマニュエル・レヴィナス、J.A.ハイジックの西谷啓治、等々。西谷啓治やレヴィナスは、名前は知っていますが、その著書は読んでいません)でも知らない人物が多数います。しかし、多少難しい内容で理解が行き届かない面も多々ありますが、それぞれ非常に勉強になり今後の書評者の「本読み」の参考になります。
では引用紹介を始めます。
●「あとがき ―― 討議の後で 磯前順一」(P.350 ~ P.357)
【 「 幕末の西洋世界への開国がもたらした不平等条約によって、植民地化という大きな圧力の下に日本は置かれていた。そういった状況の中で、日本人は一方では西洋になりたいのだが、他方では西洋に反発するといった、相反する欲求の葛藤を抱えるようになる。ただし、日本が国家の独立を達成するために西洋諸国と競わなければならないという限りでは、こういった二重の欲求もまた基本的には西洋化によって規定された状況が生み出したものであった。このような文脈のなかで、日本あるいは東洋と西洋といった表象が相互依存的なかたちで人々に想像されるようになっていったのだ。さらに日本以外のアジア地域もまた、一方では日本によって植民地=文明化されるべきものとして、たとえば1910年の韓国併合のように、日本がアジアを侵略していった明らかな事実があるにも関わらず、アジアは日本とともに西洋に立ち向かうべきものとして、そこでも二重性を帯びた存在として表象されていった。すなわち、日本はアジアに対しては西洋であり、西洋に対してはアジアであったのだ。
こういった意味において、「近代の超克」あるいは「世界史の哲学」といった言説は、本質的に曖昧さを含むものであらざるをえなかった。しかし、それが日本帝国による他民族の包摂という政治的課題を抱えた状況のなかで生じたものであるがゆえに、これらの言説はある種の普遍性、すなわち帝国の支配下に置かれた他民族との共存を志向する性質を帯びることは避けがたいものであった。場合によっては、日本人みずからが帝国における日本民族の位置を脱中心化する契機を含まざるをえなかったのである。戦後の京都学派をめぐる議論の多くは、京都学派に属する者自身の主張も含め、戦後の日本社会が単一民族の国民国家といった装いをまとうようになったために、かつて三木清や田辺元が思考したような他民族と共存し、かれらを統合しうる帝国としての世界史規模での普遍性の論理の模索を放棄してしまったといえる。今日、イスラームとキリスト教といった異宗教間の問題だけでなく、新たな自国内への移民者や内地植民地の民として政治的に同化されてしまったマイノリティの人々といった、国内外における他者との共存の倫理が急務とされる社会においては、いま一度、戦前の京都学派が抱え込んだ普遍性の問題を、共存の倫理へと道を開くものであると同時に他者への暴力行為へと転じうる危険性として見つめ直していく必要があろう。
そして、座談会「近代の超克」のように西洋中心主義を批判するという行為は、そのアンチテーゼとして東洋という言説を固定的な実体として立ち上げることにもなりかねず、典型的なセルフ・オリエンタリズムの表象回路へと落ち込んでいく危険を孕んでいた。すなわち、西洋に対抗して、自文化を非西洋的な特殊性の論理のもとに表象することは、たしかに西洋を批判するためには有効な手段ではあり得るのだが、同時に自文化を排他的な本質主義化させることにもなり、結局は<西洋対日本あるいはアジア>といった二項対立的な表象を固定化させることになる。「近代の超克」とは、このような二項対立的思考を立ち上げる言説にはかならなかった。そのような語りのもとでは、もはや日本が西洋近代化という逃れざる空間の内部にあることが忘れ去られ、あたかもその空間の外部に独自の特殊の文化として日本文化あるいはアジアの文化圏が屹立しているかのような錯覚を生み出すのである。日本帝国の論理が結局のところ、他者による自己変革を前提とする普遍性ではなく、同質化された自己の特殊性を他者に押し付ける普遍主義に終わってしまったのは、西洋に対抗する自文化側の単位をアジア側に措定したにもかかわらず、その広域圏を同質な特殊性のもとに一元的に捉えようとする欲望が勝ったためである。
興味深いことは、このようなセルフ・オリエンタリズム的表象は、戦中期に京都学派の哲学者をはじめとする日本の知識人が西洋に対抗するなかで自ら作り上げた言説であったのだが ―― むろん、同時に西洋の知識人もまた日本を否定的な形で特殊化することで自文化を同質なものとして表象していったわけだが ―― 、戦後になると今度は西洋の知識人が京都学派の哲学を肯定的に特殊化し、自らの西洋的伝統を批判するために日本の京都学派の研究者と協調していったことである。京都学派は叡智に満ちた神秘的哲学といったふうに。それは西洋中心主義に対する批判としては一見有効に見え、論じられた当の日本人にとっては自分たちが西洋の限界を乗り越えた東洋の叡智と名指されるだけに、そのナルシシズムをくすぐられるといった効果を生み出してきた。しかし、戦中期の京都学派がそうであったように、西洋と日本が異質なものであるといった二分法をつくりあげ、実際の他者のあり方を無視した、現実離れした排他的表象を幻想的に作り上げてしまう点に根本的な問題がある。そこには自己のナルシシズムに亀裂を入れるかたちで、他社に出会うという機会がまったく逸せられてしまっているのだ。
このような日本と西洋あるいはアジアと西洋を二項対立的に捉える思考の魔力は、「近代の超克」や「世界史の哲学」といった日本人の言説を被植民者の側へと流用して、抵抗の言説に読みかえようとした朝鮮半島の知識人もまた逃れがたいものであった。しかし、おそらくは台湾や満州も含め、日本の支配下に置かれた東アジアの知識人は、近代の超克や世界史の哲学の議論を読み替えることで、日本文化の特殊性を正当化するためではなく、その支配に対する抵抗の論理として、あるいは転向と呼ばれるような積極的な同化行為を通じて、同化対象である日本帝国のアイデンティティに異質性や変容をもたらす試みをおこなっていた。その過程において、西洋と朝鮮あるいは日本と朝鮮といった二項対立的な表象の図式自体が脱臼されようとしていたことは十分に考えられよう。
安易に「近代を超克する」や「世界史の普遍性」といった言説に同化されることなく、このような近代の抱えるアポリアのなかに身を置いて思考していくこと。それはけっして西洋近代という空間の外部に自分たちが立ちえるのだ、あるいは近代を「超克」し得るのだというような幻想に陥ることなく、その内部からさまざまな二項対立的な境界線を脱臼させていく抵抗の試みを模索していくことを意味しよう。外縁部を持たない空間のうちにこそ余白あるいは残余といったものは見出しえるのだ。それが日文研の討議だけでなく、京大や立命館の企画を通じて、その参加者たちにもたらされた共通認識であったように思われる。そのなかで、普遍性と特殊性、抵抗と同化、帝国と国民国家、あるいは日常を異化する働きとしての宗教や哲学の可能性、これらの主題を考え続けていくことが、今日の思想状況にとってもなお大きな課題であり続けていることが確認されたのである。」(P.354 ~ P.357) 】
酒井直樹の論稿から3か所、稲賀繁美の論稿から3か所、引用紹介します。
●「序 パックス・アメリカーナの下での京都学派の哲学 酒井直樹、高橋原訳」(P.3 ~ P.28)
谷崎潤一郎の「陰影礼賛」の「評価」に関する文章、京都学派の「普遍性」に関する文章(2か所)、を引用します。
【 「 奇妙なことだと言ってよいと思うが、これまで「陰影礼賛」はノスタルジックな文化主義をおおっぴらに支持するものとして評価されてきた。しかし、注意深く読んでみれば、この随筆が日本文化を崇め奉る文化主義の滑稽さを描いてみせたものであることもわかる。これはいわば「立ち小便の姿勢から奏でられた日本文化論」ということになるだろう。伝統というものに期待されるようなあらゆる生真面目な特質を、古風な日本家屋の暗く汚辱な部分と結びつけ、谷崎は笑いを誘うようなちぐはぐな感じを生み出し、古きもの、不便なもの、歴史的なものを愛でるエキゾチズムを笑い飛ばしているのである。このユーモアに満ちた随筆をサイデン・ステッカーは、ご丁寧にも、日本の伝統の礼賛と読み込んだのである。他の作品にも概して見られることだが、谷崎は並外れた批判精神の持ち主であり、しばしば性的な立場性という視点から二項対立の機能を寓話化することによって、近代対伝統だとか、西洋対東洋といった包括的な二分法に疑問を投げかけることができた文学者であった。谷崎は権力関係において性がきわめて重要であることを理解していた戦前日本の数少ない文学者の一人であったといってよいだろう。」(P.6)
「 京都学派が目指しているような種類の哲学は「土着の」(ただし、そもそも私はいかなる「土着の認識論」という観念にもきわめて懐疑的であるが)知識から決定的に切り離されている。そのかぎりにおいて、京都学派の哲学を研究する際の第一の課題は、そのテキストにおける哲学的構造と概念的一貫性を理解することである。同時代の日本社会についての知識が問題となるのは、歴史的評価と社会-政治的含意の検討という第二の課題に取り組むときである。たしかに、第一の課題の領域を第二のものと区別することが困難なのは事実である。しかし、第一の課題をこなせなければ京都学派についての理のかなった研究はできない。いわゆる日本専門家と称する者たちはたいてい第二の課題を得意としているが、第一の課題に対して勤勉に取り組んでいるとは限らない。彼らのなかには第一の課題を行う能力に欠けている者が多くいるというのが実情ではないか。」(P.16)
「 私自身の教室での経験からいえば、たとえ「日本文化」について非常に限られた知識しか持たなくても、日本人でない学生が腰を据えて綿密に哲学的に読解するように指導されれば、議論の概念的連関を厳密に理解できる例は少なくない。漠然と「民族文化」に通じていることよりもはるかに重要なのは、いかに上手に辞書に当たり概念的に議論の一貫性を一歩一歩追っていけるかということなのである。どんなに日本語に習熟していても、概念的労働を行う準備のない者は、京都学派のテキストに「日本文化」や「東洋宗教」、「禅精神」などといったステレオタイプを押し付けて、京都学派の哲学者がいかに「西洋人」とは違った思惟様式をもっているかを強調しようとする。しかし、このような「東洋」や異文化を持ち上げる者に限って、西ヨーロッパや北アメリカの哲学や社会思想の概念的な構成を丹念に追う準備を欠いている場合が多い。自らを「西洋人」と自認する割には、彼らの「西洋思想」の読解力はお粗末な場合があまりに多くみられる。京都学派の哲学を批判的に理解するために決定的なのは、「東洋精神」についてのエキゾチックな空想を捨て、テキストに語られていることを、その時代にヨーロッパやその他の地域で論じられていた知的問題と関連づける能力なのである。」(P.17) 】
●「「西側」近代性に対する抵抗と、「東洋的」沈潜への誘惑と 稲賀繁美」(P.321 ~ P.349)
引用紹介する箇所は、竹内好(あるいは孫歌)、オウム真理教、伊勢神宮、等に関連する文章です。
【 「 ここでことさら柳宗悦に言及するのは、孫歌が竹内好を論ずる際に問題とする「アジア式近代の矛盾」 paradox of Asian Modernity に、柳が思わぬ照明を与えているからだ。竹内の「周作人から核実験まで」(1965)を孫歌はこう要約する。東アジアは欧州の近代を模倣することによっては、近代に達することはできない。なぜならば、ほかならぬ先生(西欧)が武力に訴えることで、学生(アジア)が自分(西欧)を模倣することを妨げているからだ。ここに竹内は矛盾を見る。その結果として、欧州は人間の尊厳を唱えるけれども、東アジアは、人間の尊厳を実現するために、その欧州と闘わねばならない運命を背負っているのだ、と。
思うに同様のジレンマは、早くも徳川時代の儒学者、山崎闇斎(1619-1682)によって定式化されていたのではなかったか。山崎闇斎は問う。もし中国が孔子を総大将に、孟子を軍師として日本に攻め込んだ場合、日本人はいかに対応すべきか。儒学の説く仁すなわち人間の尊厳の名において、日本は孔子や孟子に対して戦端を開くべきなのか。それとも儒学の教えに忠実な日本人としては、先生たる孔子と孟子とが仮に侵略者となった場合でも、鉾を交えずすなおにその軍門に下るのが、儒教への忠誠を示す行為なのだろうか。中世スコラ学にも似た机上の空論を嗤う向きもあろう。だがこの譬話は、1910年代の日本による朝鮮半島併合のあと、朝鮮で蜂起が発生した折に、柳宗悦が取り上げた問いかけだった。柳が言外に暗示しようとしたことは、明らかだろう。もし日本に孔子・孟子の軍隊を撃退する権利があるならば、これに劣らず同様の理屈で、朝鮮の民が日本に対して蜂起することも、仁義に叶った、人間の尊厳に相応しい道義となる。どちらも儒教の道に照らして義人たる振る舞いだからだ。
柳の議論に照らしてみると、竹内好のいう矛盾は、その論理的妥当性の脆弱さを晒すことになる。というのも竹内は、議論が中華人民共和国の政治的決定に抵触する地点に達するや、それより先に進むことを自らに禁ずるからだ。そもそも竹内の理屈は、事の最初から、中華人民共和国の核実験は是が非でも正当化せねばならないという、時局の要請を合理化するために構築されており、その前提ゆえの限界を免れない。イデオロギーの次元を離れ、論理の次元に限定するならば、皮肉にも竹内の中国正当化の理屈は、若き竹内が参画した大東亜共栄圏正当化の理屈を、奇妙にも反復するような軌跡を描いていることに気づかされる。」(P.329 ~ P.330)
「 だが、さらに恐るべきことは、日本がオウム真理教とその教祖を根絶やしにしようとする、その姿勢にあった、と筆者は考える。なぜなら善良な日本人たちは、麻原たちが説教したお祓い purification の理屈をそのまま踏襲して、麻原とその危険きわまりない教団を、毒蜘蛛同様に一掃し、浄化され汚染から無縁な日本の再建を望んだからだ。「祓い給へ清め給へ」の過敏性潔癖症といってもよいが、新型インフルエンザの世界的流行(2009年5月現在)という事態のもとで、これと変わらぬ浄化への強迫神経症は、健全に保存され、罪悪感もないまま順調に再生産され、完璧な無菌室よろしき日本列島の安全確保に、めでたくも貢献している。ここで「近代の超克」の討論会(1942)に戻るならば、そこにもまた、西欧列強による「文化的侵略」に対抗すべく、純粋日本の自己防御と自己閉塞に努めようとする本能が、躁鬱症的な傾向を帯びて蔓延し、大東亜共栄圏の夢想へと異常肥大を遂げた有様が窺える。」(P.339 ~ P.340)
「 純粋にして無垢、汚れなき日本という虚構の核をなすのが、伊勢神宮だろう。式年遷宮は20年の周期で社の木造構造を代替わりさせる仕来たりであり、その反復によって歴史性を否認するものだが、しかしその起源は西暦690年に確定できる。天武・持統の治世に制度化された式年遷宮は、大陸中国や朝鮮半島の圧倒的な文化的影響に対する対抗反応として、日本の古代王朝が想像上の日本的文化同一性を擬制として導入する政治的意思を表明した時点を記しづける。そしてそれが近代において象徴的に再評価されるには、ブルーノ・タウトに代表される、外からの(期待される)視線の介入が大きな役割を果たし、太古より歴史的に不変で恒常なる日本美学という神話的観念の涵養に貢献した。これまた二階建ての構造の反復だ。
古代にあっては中国や朝鮮からの使節の眼が、日本に純粋日本なる虚構の立ち上げを促進させ、近代においては西洋からの視線が、伊勢神宮の象徴的価値の確立を嵩上げさせた。さらに伊勢神宮は、西洋的な「個」や「全体性」の観念に疑義を呈する。式年遷宮は物質的な継続性を犠牲にした、精神性のみの非物質的継承の永続性に価値を授ける。これが西欧近代社会で発達した保存修理の理念とは対極をなすことに、西欧の専門家は気づかされた。すでに不在となった原型からの引用と複製のみからなる、定義からしてオリジナルを欠いた、掘っ立て柱の萱葺き小屋は、個を犠牲とした全体性を、万世一系という天皇家の家系に重ね合わせ、循環のうちに永続させる。そこにはそもそもの始めから、ヴァルター・ベンヤミンの呼ぶような意味でのアウラは存在していなかっただろう。実際、ジャン・ボードリヤールの表現を借りるなら「オリジナルなきシミュラクール」でしかない伊勢神宮は、その複製の再生反復のなかに、霊のアウラを宿す。それはヘーゲル学者コジェーフ呼ぶところの「純粋なるスノビズム」の具現として、歴史―後の楽園 post-historical paradise を生きている。」(P.340 ~ P.341) 】
2 people found this helpful
=======================
See all reviews
5.0 5.0 out of 5 stars 2 ratings
Translate all reviews to English
うちのネコさん
5.0 out of 5 stars 「外縁部を持たない空間のうちにこそ余白あるいは残余といったものは見出しえるのだ」(磯前順一、P.357)Reviewed in Japan on June 6, 2020
Verified Purchase
新型コロナウイルス関連で少々。2020年6月1日(月)の朝日新聞朝刊1面、2面に「アベノマスク」関連で「布マスク「質より量」 迷走」(1面の題名)として特集記事がありました。その中で、2面に下記のような文章があります。
「マスク確保に関わった政府関係者の一人はこう振り返る。「『マスクを何とかしろ』という官邸の声の大きい人が言ったことが通り、無理に無理を重ねた」。関係者らの間では、今回の配布計画は第2次世界大戦中の日本軍による「インパール作戦」にたとえられているという。司令部がずさんな作戦を強行して多くの犠牲者を出し、「大戦中最も無謀」と呼ばれた作戦だ(中田詢子、相原亮)」
ちょっと前に、「NHKスペシャル 戦慄の記録 インパール」を2~3回視聴しました。戦闘中の死傷者よりも作戦中止が決まった後の撤退のなかでの死傷者(河での溺死、マラリア等での病死や餓死、自決した者、等々)の方が圧倒的に多く、牟田口廉也(インパール作戦の責任者?)に仕えた斎藤博国少尉の日誌も「効果的」に使われていて、その「無謀さ」が骨身にしみました、日本軍上層部の無責任さも同様に。しかし、アジア・太平洋戦争中の各種作戦に関して、「計画」&結果ともに「無謀」で無かったものがあるのでしょうか。満州事変に始まり(もっと前からでしょうが)、日中戦争、ノモンハン、ミッドウェイ、サイパン、ガダルカナル、朝鮮半島・沖縄・満州・樺太、そして、戦艦大和の「海上特攻隊」、「本土決戦」等々等々。
安倍晋三の各種政策・作った法律等々は皆「無謀」そのものです、新型コロナウイルス関連で始まったわけではありません。彼の政策は全て「大本営発表」です、つまりフェイクニュースということですが、社会に埋め込まれた「地雷」でもあります、今後、どんどん破裂して、国民に危害を加えていくでしょう、コロナ禍と同じように。過去の法律も理解せず、憲法も理解せず、「独裁」のやりたい放題です。それを許す国民が大勢いますから、処置なしではありますが。
「新学期9月開始」も撤回のようです、馬鹿丸出しで、弱ったものです。それ以外にも、補正予算のなかに、安倍一族関連企業(ex. 電通やパソナ等々)を儲からせる算段が目白押しのようです(各種「トンネル法人」(官僚の天下り先法人)もあるようです、「持続化給付金」関連で「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」という組織とか、「幽霊会社」みたいですが)。そして、第二次補正予算のなかに、安倍晋三が「フリーハンド」で使える金を、10兆円も潜り込ませているとか、とんでもないことです、「馬鹿につける薬」です。東日本大震災の復興予算を、復興とは関係ない道路事業等々に大量に「横流し」したのと全く同じ構図です。安倍一族自民公明党の政治屋連中、「高級」官僚、経団連のいつもの「手」です、「血税」の使いたい放題です。新型コロナ専門家会議の議事録がない、という問題もあります、これも大変な問題です、証拠隠滅・改竄・焼却等々以前の問題です。
「戯言」はこれくらいにしないと、「馬鹿」に「感染」してしまいますので、止めにします。本書(『「近代の超克」と京都学派 ―― 近代性・帝国・普遍性』(酒井直樹・磯前順一編、2010年11月30日初版第1刷発行、2010年12月20日初版第2刷発行、以文社))の引用紹介をします。傍点、傍線、まるぼしは、≪ ≫で代替します。引用文全体は、【 】で囲みます。引用文中の引用は、< >で囲みます。
まずは、本書の諸論稿の題名と著者名等を下記します。
●「序 パックス・アメリカーナの下での京都学派の哲学 酒井直樹、高橋原訳」(P.3 ~ P.28)
■「1 「近代の超克」と京都学派」(P.29 ~ P.122)
●「「近代の超克」と京都学派 ―― 近代性・帝国・普遍性 磯前順一」(P.31 ~ P.73)
●「座談会「近代の超克」の思想喪失 ―― 近代とその超克をめぐる対立 藤田正勝」(P.75 ~ P.94)
●「西谷啓治と近代の超克(1940 - 1945) J.W.ハイジック」(P.95 ~ P.122)
■「2 三木清と帝国の哲学 ―― 普遍性をめぐって」(P.123 ~ P.180)
●「東亜共同体論と普遍性をめぐって ―― 主体的技術論序説 酒井直樹」(P.125 ~ P.162)
●「「近代の超克」と「中国革命」 ―― 戦後日本思想史における二つのモメント 孫歌」(P.163 ~ P.180)
■「3 「近代の超克」と「世界史的立場と日本」 ―― 帝国の役割」(P.181 ~ P.232)
●「「近代の超克」思想と「大東亜共栄圏」構想をめぐって 鈴木貞美」(P.183 ~ P.210)
●「同化あるいは超克 ―― 植民地朝鮮における近代超克論 金哲」(P.211 ~ P.232)
■「4 総合研究:日本における西洋近代の経験」(P.233 ~ P.349)
●「近代との格闘 ―― ジェイムズ・カズンズと日本・インド・脱植民地の文化 ゴウリ・ヴィシュワナータン、三原芳秋訳」(P.235 ~ P.264)
●「西洋の針路の喪失/東漸の終焉と脱ヨーロッパ化 ヘント・デ・ヴリース、苅田真司訳」(P.265 ~ P.320)
●「「西側」近代性に対する抵抗と、「東洋的」沈潜への誘惑と 稲賀繁美」(P.321 ~ P.349)
●「あとがき ―― 討議の後で 磯前順一」(P.350 ~ P.357)
●「執筆者紹介」(P.358 ~ P.359)
上記の諸論稿のうち、まず磯前順一の「あとがき」から、若干長く引用します。これが、分かりやすくまとまっていますので。それから、酒井直樹の論稿と稲賀繁美の論稿から引用します。それ以外にも引用したい文章は数々あるのですが、酒井・稲賀論稿だけでも尻切れトンボになりそうですので、致し方ありません。
半分以上の著者が、書評者にとっては初めてですし、論稿中に出てくる人物(たとえば、ゴウリ・ヴィシュワナータンの論稿のジェイムズ・カズンズ、ヘント・デ・ヴリースの論稿のワシリー・グロスマンやエマニュエル・レヴィナス、J.A.ハイジックの西谷啓治、等々。西谷啓治やレヴィナスは、名前は知っていますが、その著書は読んでいません)でも知らない人物が多数います。しかし、多少難しい内容で理解が行き届かない面も多々ありますが、それぞれ非常に勉強になり今後の書評者の「本読み」の参考になります。
では引用紹介を始めます。
●「あとがき ―― 討議の後で 磯前順一」(P.350 ~ P.357)
【 「 幕末の西洋世界への開国がもたらした不平等条約によって、植民地化という大きな圧力の下に日本は置かれていた。そういった状況の中で、日本人は一方では西洋になりたいのだが、他方では西洋に反発するといった、相反する欲求の葛藤を抱えるようになる。ただし、日本が国家の独立を達成するために西洋諸国と競わなければならないという限りでは、こういった二重の欲求もまた基本的には西洋化によって規定された状況が生み出したものであった。このような文脈のなかで、日本あるいは東洋と西洋といった表象が相互依存的なかたちで人々に想像されるようになっていったのだ。さらに日本以外のアジア地域もまた、一方では日本によって植民地=文明化されるべきものとして、たとえば1910年の韓国併合のように、日本がアジアを侵略していった明らかな事実があるにも関わらず、アジアは日本とともに西洋に立ち向かうべきものとして、そこでも二重性を帯びた存在として表象されていった。すなわち、日本はアジアに対しては西洋であり、西洋に対してはアジアであったのだ。
こういった意味において、「近代の超克」あるいは「世界史の哲学」といった言説は、本質的に曖昧さを含むものであらざるをえなかった。しかし、それが日本帝国による他民族の包摂という政治的課題を抱えた状況のなかで生じたものであるがゆえに、これらの言説はある種の普遍性、すなわち帝国の支配下に置かれた他民族との共存を志向する性質を帯びることは避けがたいものであった。場合によっては、日本人みずからが帝国における日本民族の位置を脱中心化する契機を含まざるをえなかったのである。戦後の京都学派をめぐる議論の多くは、京都学派に属する者自身の主張も含め、戦後の日本社会が単一民族の国民国家といった装いをまとうようになったために、かつて三木清や田辺元が思考したような他民族と共存し、かれらを統合しうる帝国としての世界史規模での普遍性の論理の模索を放棄してしまったといえる。今日、イスラームとキリスト教といった異宗教間の問題だけでなく、新たな自国内への移民者や内地植民地の民として政治的に同化されてしまったマイノリティの人々といった、国内外における他者との共存の倫理が急務とされる社会においては、いま一度、戦前の京都学派が抱え込んだ普遍性の問題を、共存の倫理へと道を開くものであると同時に他者への暴力行為へと転じうる危険性として見つめ直していく必要があろう。
そして、座談会「近代の超克」のように西洋中心主義を批判するという行為は、そのアンチテーゼとして東洋という言説を固定的な実体として立ち上げることにもなりかねず、典型的なセルフ・オリエンタリズムの表象回路へと落ち込んでいく危険を孕んでいた。すなわち、西洋に対抗して、自文化を非西洋的な特殊性の論理のもとに表象することは、たしかに西洋を批判するためには有効な手段ではあり得るのだが、同時に自文化を排他的な本質主義化させることにもなり、結局は<西洋対日本あるいはアジア>といった二項対立的な表象を固定化させることになる。「近代の超克」とは、このような二項対立的思考を立ち上げる言説にはかならなかった。そのような語りのもとでは、もはや日本が西洋近代化という逃れざる空間の内部にあることが忘れ去られ、あたかもその空間の外部に独自の特殊の文化として日本文化あるいはアジアの文化圏が屹立しているかのような錯覚を生み出すのである。日本帝国の論理が結局のところ、他者による自己変革を前提とする普遍性ではなく、同質化された自己の特殊性を他者に押し付ける普遍主義に終わってしまったのは、西洋に対抗する自文化側の単位をアジア側に措定したにもかかわらず、その広域圏を同質な特殊性のもとに一元的に捉えようとする欲望が勝ったためである。
興味深いことは、このようなセルフ・オリエンタリズム的表象は、戦中期に京都学派の哲学者をはじめとする日本の知識人が西洋に対抗するなかで自ら作り上げた言説であったのだが ―― むろん、同時に西洋の知識人もまた日本を否定的な形で特殊化することで自文化を同質なものとして表象していったわけだが ―― 、戦後になると今度は西洋の知識人が京都学派の哲学を肯定的に特殊化し、自らの西洋的伝統を批判するために日本の京都学派の研究者と協調していったことである。京都学派は叡智に満ちた神秘的哲学といったふうに。それは西洋中心主義に対する批判としては一見有効に見え、論じられた当の日本人にとっては自分たちが西洋の限界を乗り越えた東洋の叡智と名指されるだけに、そのナルシシズムをくすぐられるといった効果を生み出してきた。しかし、戦中期の京都学派がそうであったように、西洋と日本が異質なものであるといった二分法をつくりあげ、実際の他者のあり方を無視した、現実離れした排他的表象を幻想的に作り上げてしまう点に根本的な問題がある。そこには自己のナルシシズムに亀裂を入れるかたちで、他社に出会うという機会がまったく逸せられてしまっているのだ。
このような日本と西洋あるいはアジアと西洋を二項対立的に捉える思考の魔力は、「近代の超克」や「世界史の哲学」といった日本人の言説を被植民者の側へと流用して、抵抗の言説に読みかえようとした朝鮮半島の知識人もまた逃れがたいものであった。しかし、おそらくは台湾や満州も含め、日本の支配下に置かれた東アジアの知識人は、近代の超克や世界史の哲学の議論を読み替えることで、日本文化の特殊性を正当化するためではなく、その支配に対する抵抗の論理として、あるいは転向と呼ばれるような積極的な同化行為を通じて、同化対象である日本帝国のアイデンティティに異質性や変容をもたらす試みをおこなっていた。その過程において、西洋と朝鮮あるいは日本と朝鮮といった二項対立的な表象の図式自体が脱臼されようとしていたことは十分に考えられよう。
安易に「近代を超克する」や「世界史の普遍性」といった言説に同化されることなく、このような近代の抱えるアポリアのなかに身を置いて思考していくこと。それはけっして西洋近代という空間の外部に自分たちが立ちえるのだ、あるいは近代を「超克」し得るのだというような幻想に陥ることなく、その内部からさまざまな二項対立的な境界線を脱臼させていく抵抗の試みを模索していくことを意味しよう。外縁部を持たない空間のうちにこそ余白あるいは残余といったものは見出しえるのだ。それが日文研の討議だけでなく、京大や立命館の企画を通じて、その参加者たちにもたらされた共通認識であったように思われる。そのなかで、普遍性と特殊性、抵抗と同化、帝国と国民国家、あるいは日常を異化する働きとしての宗教や哲学の可能性、これらの主題を考え続けていくことが、今日の思想状況にとってもなお大きな課題であり続けていることが確認されたのである。」(P.354 ~ P.357) 】
酒井直樹の論稿から3か所、稲賀繁美の論稿から3か所、引用紹介します。
●「序 パックス・アメリカーナの下での京都学派の哲学 酒井直樹、高橋原訳」(P.3 ~ P.28)
谷崎潤一郎の「陰影礼賛」の「評価」に関する文章、京都学派の「普遍性」に関する文章(2か所)、を引用します。
【 「 奇妙なことだと言ってよいと思うが、これまで「陰影礼賛」はノスタルジックな文化主義をおおっぴらに支持するものとして評価されてきた。しかし、注意深く読んでみれば、この随筆が日本文化を崇め奉る文化主義の滑稽さを描いてみせたものであることもわかる。これはいわば「立ち小便の姿勢から奏でられた日本文化論」ということになるだろう。伝統というものに期待されるようなあらゆる生真面目な特質を、古風な日本家屋の暗く汚辱な部分と結びつけ、谷崎は笑いを誘うようなちぐはぐな感じを生み出し、古きもの、不便なもの、歴史的なものを愛でるエキゾチズムを笑い飛ばしているのである。このユーモアに満ちた随筆をサイデン・ステッカーは、ご丁寧にも、日本の伝統の礼賛と読み込んだのである。他の作品にも概して見られることだが、谷崎は並外れた批判精神の持ち主であり、しばしば性的な立場性という視点から二項対立の機能を寓話化することによって、近代対伝統だとか、西洋対東洋といった包括的な二分法に疑問を投げかけることができた文学者であった。谷崎は権力関係において性がきわめて重要であることを理解していた戦前日本の数少ない文学者の一人であったといってよいだろう。」(P.6)
「 京都学派が目指しているような種類の哲学は「土着の」(ただし、そもそも私はいかなる「土着の認識論」という観念にもきわめて懐疑的であるが)知識から決定的に切り離されている。そのかぎりにおいて、京都学派の哲学を研究する際の第一の課題は、そのテキストにおける哲学的構造と概念的一貫性を理解することである。同時代の日本社会についての知識が問題となるのは、歴史的評価と社会-政治的含意の検討という第二の課題に取り組むときである。たしかに、第一の課題の領域を第二のものと区別することが困難なのは事実である。しかし、第一の課題をこなせなければ京都学派についての理のかなった研究はできない。いわゆる日本専門家と称する者たちはたいてい第二の課題を得意としているが、第一の課題に対して勤勉に取り組んでいるとは限らない。彼らのなかには第一の課題を行う能力に欠けている者が多くいるというのが実情ではないか。」(P.16)
「 私自身の教室での経験からいえば、たとえ「日本文化」について非常に限られた知識しか持たなくても、日本人でない学生が腰を据えて綿密に哲学的に読解するように指導されれば、議論の概念的連関を厳密に理解できる例は少なくない。漠然と「民族文化」に通じていることよりもはるかに重要なのは、いかに上手に辞書に当たり概念的に議論の一貫性を一歩一歩追っていけるかということなのである。どんなに日本語に習熟していても、概念的労働を行う準備のない者は、京都学派のテキストに「日本文化」や「東洋宗教」、「禅精神」などといったステレオタイプを押し付けて、京都学派の哲学者がいかに「西洋人」とは違った思惟様式をもっているかを強調しようとする。しかし、このような「東洋」や異文化を持ち上げる者に限って、西ヨーロッパや北アメリカの哲学や社会思想の概念的な構成を丹念に追う準備を欠いている場合が多い。自らを「西洋人」と自認する割には、彼らの「西洋思想」の読解力はお粗末な場合があまりに多くみられる。京都学派の哲学を批判的に理解するために決定的なのは、「東洋精神」についてのエキゾチックな空想を捨て、テキストに語られていることを、その時代にヨーロッパやその他の地域で論じられていた知的問題と関連づける能力なのである。」(P.17) 】
●「「西側」近代性に対する抵抗と、「東洋的」沈潜への誘惑と 稲賀繁美」(P.321 ~ P.349)
引用紹介する箇所は、竹内好(あるいは孫歌)、オウム真理教、伊勢神宮、等に関連する文章です。
【 「 ここでことさら柳宗悦に言及するのは、孫歌が竹内好を論ずる際に問題とする「アジア式近代の矛盾」 paradox of Asian Modernity に、柳が思わぬ照明を与えているからだ。竹内の「周作人から核実験まで」(1965)を孫歌はこう要約する。東アジアは欧州の近代を模倣することによっては、近代に達することはできない。なぜならば、ほかならぬ先生(西欧)が武力に訴えることで、学生(アジア)が自分(西欧)を模倣することを妨げているからだ。ここに竹内は矛盾を見る。その結果として、欧州は人間の尊厳を唱えるけれども、東アジアは、人間の尊厳を実現するために、その欧州と闘わねばならない運命を背負っているのだ、と。
思うに同様のジレンマは、早くも徳川時代の儒学者、山崎闇斎(1619-1682)によって定式化されていたのではなかったか。山崎闇斎は問う。もし中国が孔子を総大将に、孟子を軍師として日本に攻め込んだ場合、日本人はいかに対応すべきか。儒学の説く仁すなわち人間の尊厳の名において、日本は孔子や孟子に対して戦端を開くべきなのか。それとも儒学の教えに忠実な日本人としては、先生たる孔子と孟子とが仮に侵略者となった場合でも、鉾を交えずすなおにその軍門に下るのが、儒教への忠誠を示す行為なのだろうか。中世スコラ学にも似た机上の空論を嗤う向きもあろう。だがこの譬話は、1910年代の日本による朝鮮半島併合のあと、朝鮮で蜂起が発生した折に、柳宗悦が取り上げた問いかけだった。柳が言外に暗示しようとしたことは、明らかだろう。もし日本に孔子・孟子の軍隊を撃退する権利があるならば、これに劣らず同様の理屈で、朝鮮の民が日本に対して蜂起することも、仁義に叶った、人間の尊厳に相応しい道義となる。どちらも儒教の道に照らして義人たる振る舞いだからだ。
柳の議論に照らしてみると、竹内好のいう矛盾は、その論理的妥当性の脆弱さを晒すことになる。というのも竹内は、議論が中華人民共和国の政治的決定に抵触する地点に達するや、それより先に進むことを自らに禁ずるからだ。そもそも竹内の理屈は、事の最初から、中華人民共和国の核実験は是が非でも正当化せねばならないという、時局の要請を合理化するために構築されており、その前提ゆえの限界を免れない。イデオロギーの次元を離れ、論理の次元に限定するならば、皮肉にも竹内の中国正当化の理屈は、若き竹内が参画した大東亜共栄圏正当化の理屈を、奇妙にも反復するような軌跡を描いていることに気づかされる。」(P.329 ~ P.330)
「 だが、さらに恐るべきことは、日本がオウム真理教とその教祖を根絶やしにしようとする、その姿勢にあった、と筆者は考える。なぜなら善良な日本人たちは、麻原たちが説教したお祓い purification の理屈をそのまま踏襲して、麻原とその危険きわまりない教団を、毒蜘蛛同様に一掃し、浄化され汚染から無縁な日本の再建を望んだからだ。「祓い給へ清め給へ」の過敏性潔癖症といってもよいが、新型インフルエンザの世界的流行(2009年5月現在)という事態のもとで、これと変わらぬ浄化への強迫神経症は、健全に保存され、罪悪感もないまま順調に再生産され、完璧な無菌室よろしき日本列島の安全確保に、めでたくも貢献している。ここで「近代の超克」の討論会(1942)に戻るならば、そこにもまた、西欧列強による「文化的侵略」に対抗すべく、純粋日本の自己防御と自己閉塞に努めようとする本能が、躁鬱症的な傾向を帯びて蔓延し、大東亜共栄圏の夢想へと異常肥大を遂げた有様が窺える。」(P.339 ~ P.340)
「 純粋にして無垢、汚れなき日本という虚構の核をなすのが、伊勢神宮だろう。式年遷宮は20年の周期で社の木造構造を代替わりさせる仕来たりであり、その反復によって歴史性を否認するものだが、しかしその起源は西暦690年に確定できる。天武・持統の治世に制度化された式年遷宮は、大陸中国や朝鮮半島の圧倒的な文化的影響に対する対抗反応として、日本の古代王朝が想像上の日本的文化同一性を擬制として導入する政治的意思を表明した時点を記しづける。そしてそれが近代において象徴的に再評価されるには、ブルーノ・タウトに代表される、外からの(期待される)視線の介入が大きな役割を果たし、太古より歴史的に不変で恒常なる日本美学という神話的観念の涵養に貢献した。これまた二階建ての構造の反復だ。
古代にあっては中国や朝鮮からの使節の眼が、日本に純粋日本なる虚構の立ち上げを促進させ、近代においては西洋からの視線が、伊勢神宮の象徴的価値の確立を嵩上げさせた。さらに伊勢神宮は、西洋的な「個」や「全体性」の観念に疑義を呈する。式年遷宮は物質的な継続性を犠牲にした、精神性のみの非物質的継承の永続性に価値を授ける。これが西欧近代社会で発達した保存修理の理念とは対極をなすことに、西欧の専門家は気づかされた。すでに不在となった原型からの引用と複製のみからなる、定義からしてオリジナルを欠いた、掘っ立て柱の萱葺き小屋は、個を犠牲とした全体性を、万世一系という天皇家の家系に重ね合わせ、循環のうちに永続させる。そこにはそもそもの始めから、ヴァルター・ベンヤミンの呼ぶような意味でのアウラは存在していなかっただろう。実際、ジャン・ボードリヤールの表現を借りるなら「オリジナルなきシミュラクール」でしかない伊勢神宮は、その複製の再生反復のなかに、霊のアウラを宿す。それはヘーゲル学者コジェーフ呼ぶところの「純粋なるスノビズム」の具現として、歴史―後の楽園 post-historical paradise を生きている。」(P.340 ~ P.341) 】
2 people found this helpful
=======================
「근대의 초극」과 교토학파 근대성・제국・보편성 Tankobon Hardcover – November 30, 2010
by 사카이 나오키 (편집), 이소마에 준이치 (편집)
5.0 별 5개 중 5.0개 2 등급
----
5,580엔부터
4개 중고 5,580엔 부터
----
'근대의 초극'이 제기한 문제를 팩스 아메리카나가 흔들리기 시작해 국제질서 재편 시기에 근대성, 제국, 보편성 등 뛰어나 현대적인 관점에서 역사적인 재검토를 시도한다. 무엇보다, 「근대의 초극」의 좌담회에는 참가하지 않았던 미키 키요를 포함해, 니시다 기타로로부터 타나베 모토를 거쳐, 제3세대의 미키나 니시타니 게이지에 연결되어 가는 교토 학파는, 특히 신칸트 파, 마르크스, 헤겔, 푸사르, 하이데거를 정성껏 독파하고 서양 근대 사상의 수용에 큰 성과를 올리는 동시에 일본 특유의 문화라는 언설을 창출해 갔다. 그 웅장한 경위의 비판적인 검토.
----
인쇄 길이
368페이지
----
출판사의 댓글
아시아·태평양 전쟁 중 1942년의 좌담회 “근대의 초극”을 둘러싼, 일본, 구미, 아시아의 연구자에 의한 국제 심포지엄.
내용(「BOOK」데이터베이스에서)
아시아·태평양 전쟁의 사이, 1942년의 좌담회 “근대의 초극”을 둘러싼, 일본, 구미, 아시아의 연구자에 의한 국제 심포지엄. 「근대의 초극」의 좌담회에는 참가하지 않았던 미키 기요시도 포함해, 니시다 기타로로부터 타나베모토를 거쳐, 제3세대의 미키나 니시타니 게이지에 연결되어 가는 교토 학파는, 특히 신칸트파, 마르크스 , 헤겔, 푸사르, 하이데거를 정성껏 읽고 서양 근대 사상의 수용에 큰 성과를 올리는 것과 동시에 일본 특유의 '문화'라는 언설을 창출해 왔다. 그 장대한 경위를 비판적으로 재검토하는 국제 심포지엄.
저자 정보
사카이 나오키(사카이 나카키):1946년생. 시카고 대학 인문학부 극동 언어 연구 학과 박사 과정 수료. 현재 코넬 대학 교수. 저서에, 「일본 사상이라고 하는 문제」(이와나미 서점) 「과거의 소리」(이분사) 「희망과 헌법」(이분사) 등 다수. <이소마에 준이치(이소마에 준이치):1961년생. 국제 일본 문화 연구 센터 준 교수. 도쿄 대학 대학원 박사 과정 중퇴. 저서에 『기기신화와 고고학-역사적 시원에의 노스탤지어』(카도카와 학예 출판, 2009년), 『상실과 노스탤지어―근대 일본의 여백에』(미스즈 서방, 2007년), 『근대 일본의 종교 언설과 그 계보-종교·국가·신도”(이와나미 서점, 2003년), 그 외.
저자 약력 ( "BOOK 저자 소개 정보"에서)
사카이/나오키
1946년생. 시카고 대학 인문학부 극동 언어 연구 학과 박사 과정 수료. 현재 코넬 대학 교수
이소마에 / 준이치
1961년생. 문학박사(도쿄대학). 현재, 국제 일본 문화 연구 센터 준 교수(본 데이터는 이 서적이 간행된 당시에 게재되고 있던 것입니다)
---
출판사 : Yiwenshe, 초판 (2010년 11월 30일)
발행일 : 2010년 11월 30일
언어 : 일본어
Tankobon 하드커버 : 368 페이지
=====
우리 고양이
별 5개 중 5.0개 「외연부를 가지지 않는 공간 가운데 여백 혹은 잔여라고 하는 것은 찾아낼 수 있는 것이다」(이소마에 준이치, P.357)
작성일: 2020년 6월 6일 일본
--
신형 코로나 바이러스 관련으로 조금. 2020년 6월 1일(월)의 아사히 신문 조간 1면, 2면에 「아베노 마스크」관련으로 「옷감 마스크 「질보다 양」 미주」(1면의 제목)로서 특집 기사가 있었습니다. 그 중 2면에 아래와 같은 문장이 있습니다.
"마스크 확보에 관여한 정부 관계자 중 한 명은 이렇게 되돌아 본다. "'마스크를 어떻게든'이라는 관저의 목소리가 큰 사람이 말한 대로 무리하게 무리를 거듭했다". 관계자들 사이에서는 이번 배포 계획은 제2차 세계대전 중인 일본군에 의한 '임팔 작전'에 비유되고 있다고 한다. 사령부가 엉성한 작전을 강행해 많은 희생자를 내고, 「대전 중 가장 무모」라고 불린 작전이다(나카타 아야코, 아이하라 료)」 얼마전에, 「NHK 스페셜 전율의 기록 임펄」
을 2~3회 시청했습니다. 전투 중의 사상자보다 작전 중지가 정해진 후의 철퇴 속의 사상자(하에서의 익사, 말라리아 등에서의 병사나 아사, 자결한 사람, 등등)가 압도적으로 많아, 무타 입구야(임펄 작전의 책임자?)를 섬긴 사이토 히로쿠니 소위의 일지도 「효과적」으로 사용되고 있어, 그 「무모함」이 골신으로 삼았습니다, 일본군 상층부의 무책임도 마찬가지로. 그러나, 아시아·태평양 전쟁중의 각종 작전에 대해서, 「계획」&결과 모두 「무모」로 없었던 것이 있습니까. 만주사변으로 시작(더 전부터일까요), 일중전쟁, 노몬한, 미드웨이, 사이판, 가달카날, 한반도·오키나와·만주·가타, 그리고, 전함 야마토의 “해상 특공대”, “본토 결전” 등등등등 .
아베 신조의 각종 정책·만든 법률 등은 모두 「무모」 그 자체입니다, 신형 코로나 바이러스 관련으로 시작된 것은 아닙니다. 그의 정책은 모두 「대본영 발표」입니다, 즉 가짜 뉴스라고 하는 것입니다만, 사회에 묻힌 「지뢰」이기도 합니다. 마찬가지로. 과거의 법률도 이해하지 않고, 헌법도 이해하지 않고, 「독재」의 하고 싶은 무제한입니다. 그것을 용서하는 국민이 많이 있기 때문에, 처치 없이는 있습니다만.
「신학기 9월 개시」도 철회인 것 같습니다, 바보 돌출로, 약한 것입니다. 그 이외에도, 보정 예산 속에, 아베 일족 관련 기업(ex. 덴츠나 퍼소나 등등)을 돈으로부터 시키는 산단이 눈에 띄는 것 같습니다(각종 「터널 법인」(관료의 천하선 법인)도 있는 것 같습니다, 「지속화 급부금」관련으로 「일반 사단법인 서비스 디자인 추진 협의회」라고 하는 조직이라든가, 「유령 회사」같습니다만). 그리고, 제2차 보정 예산 속에, 아베 신조가 「프리 핸드」로 사용할 수 있는 금을, 10조엔도 잠입하고 있다든가, 터무니 없는 것입니다, 「바보에 붙이는 약」입니다. 동일본 대지진의 부흥 예산을, 부흥과는 관계없는 도로 사업 등등에 대량으로 「횡류해」한 것과 완전히 같은 구도입니다. 아베 일족 자민공명당의 정치상자 중, 「고급」관료, 경단련의 평소의 「손」입니다, 「혈세」의 사용하고 싶은 무제한입니다. 신형 코로나 전문가 회의의 회의록이 없다, 라고 하는 문제도 있습니다, 이것도 힘든 문제입니다, 증거 은멸·개축·소각 등등 이전의 문제입니다.
「희언」은 이것 정도로 하지 않으면, 「바보」에 「감염」해 버리므로, 멈춥니다. 본서(『근대의 초극』과 교토학파 2쇄 발행, 이분사))의 인용 소개를 합니다. 접점, 꺾은선, 마루는 ≪ ≫로 대체합니다. 인용문 전체는 【 】로 묶습니다. 인용문의 인용은 < >로 묶습니다.
우선은, 본서의 제논고의 제목과 저자명 등을 아래에 합니다.
● "서 팩스 아메리카나에서 교토 학파의 철학 사카이 나오키, 타카하시 원역"(P.3 ~ P.28
) 122)
●「「근대의 초극」과 교토
학파 과 그 초극을 둘러싼 대립 후지타 마사카츠」(P.75 ~ P.94)
●「니시타니 케이지와 근대의 초극(1940 - 1945) JW 하이직크」(P.95 ~ P.122)
■「2 미키 기요 과 제국의 철학 ―― 보편성을 둘러싸고」(P.123 ~ P.180)
●「동아 공동체론과 보편성을 둘러싸고―― 주체적 기술론 서설 사카이 나오키」(P.125 ~ P.162)
●「 근대의 초극」과 「중국 혁명」 ―― 전후 일본 사상사에 있어서의 2개의 모멘트 손가」(P.163 ~ P.180)
■「3 「근대의 초극」과 「세계사적 입장과 일본」 ―― 제국의 역할」(P.181 ~ P.232)
●「「근대의 초극」사상과 「대동아공영권」구상을 둘러싸고 스즈키 사다미」(P.183 ~ P.210) ●「동화 혹은
초 극 ―― 식민지 조선에 있어서의 근대 초극론 김철」(P.211 ~ P.232)
■「4 종합 연구: 일본에 있어서의 서양 근대의 경험」(P.233 ~ P.349)
●「근대와의 격투 ―― 제임스 카즌스와 일본·인도·탈식민지의 문화 고우리·비슈와나탄, 미하라 요시아키역”(P.235 ~ P.264)
● 「서양의 침로의 상실 / 동점의 종말과 탈유럽화 헨트 데 브리스, 칸다 신지역 」에의 유혹과 이나가 시게미」(P.321 ~ P.349)
●「나중에 토론 후 이소젠 준이치」(P.350 ~ P.357)
●「집필자 소개」(P.358 ~ P .359)
상기의 논고 중, 우선 이소 전 순일의 「후퇴」로부터, 약간 길게 인용합니다. 이것이, 알기 쉽게 구별되고 있기 때문에. 그리고, 사카이 나오키의 논고와 이나가 시미의 논고로부터 인용합니다. 그 이외에도 인용하고 싶은 문장은 여러가지 있습니다만, 사카이·이나가 논고만으로도 엉덩이 끊김 잠자리가 될 것 같기 때문에, 하는 방법 없습니다.
절반 이상의 저자가 서평자에게는 처음이며 논고 중에 나오는 인물 이나 에마뉘엘 레비나스, JA 하이직의 니시타니 게이지, 등등.니시야 케이지나 레비나스는, 이름은 알고 있습니다만, 그 저서는 읽지 않습니다)에서도 모르는 인물이 다수 있습니다. 그러나, 다소 어려운 내용으로 이해가 잘 안 되는 면도 많이 있습니다만, 각각 매우 공부가 되어 향후의 서평자의 「본 읽기」의 참고가 됩니다.
그럼 인용 소개를 시작합니다.
●「나중에 ―― 토의 후에 이소젠 준이치」(P.350 ~ P.357)
【 “막부 말의 서양 세계에의 개국이 가져온 불평등 조약에 의해, 식민지화라고 하는 큰 압력하에 일본은 놓여져 있었다. 그러한 상황 속에서, 일본인은 한편으로는 서양이 되고 싶지만, 다른 한편으로는 서양에 반발하는 등 상반되는 욕구의 갈등을 안게 된다.다만, 일본이 국가의 독립을 달성하기 위해서 서양 제국과 경쟁해야 한다면, 이러한 이중의 욕구도 또, 기본적으로는 서양화에 의해 규정된 상황이 만들어진 것이었다.이런 문맥 속에서, 일본 혹은 동양과 서양이라고 하는 표상이 상호 의존적인 형태로 사람들에게 상상되게 되었다 또한 일본 이외의 아시아 지역도 한편으로는 일본에 의해 식민지 = 문명화되어야 할 것으로서 사실이 있음에도 불구하고, 아시아는 일본과 함께 서양에 맞서야 할 것으로서, 거기에서도 이중성을 가진 존재로서 표상되어 갔다.즉, 일본은 아시아에 대해서는 서양이며, 서양에 대해서 는 아시아였던 것이다.
이런 의미에서 '근대의 초극' 혹은 '세계사의 철학'이라는 언설은 본질적으로 애매함을 포함하는 것으로서 다를 수 없었다. 그러나 그것이 일본 제국에 의한 타민족의 포섭이라는 정치적 과제를 안고 있는 상황 속에서 생긴 것이기 때문에, 이러한 언설은 일종의 보편성, 즉 제국의 지배하에 놓여진 다른 민족과의 공존을 지향하는 성질을 띠는 것은 피하기 어려운 것이었다. 경우에 따라서는 일본인 미즈카라가 제국에서의 일본 민족의 위치를 탈중심화하는 계기를 포함할 수밖에 없었던 것이다. 전후의 교토 학파를 둘러싼 논의의 대부분은, 교토 학파에 속하는 자 자신의 주장도 포함해, 전후의 일본 사회가 단일 민족의 국민 국가라고 하는 옷차림을 모으게 되었기 때문에, 한때 미키 키요와 타나베 모토가 사고한 것 같은 타민족과 공존해, 그들을 통합할 수 있는 제국으로서의 세계사규모에서의 보편성의 논리의 모색을 포기해 버렸다고 할 수 있다. 오늘날 이슬람과 기독교와 같은 이종교 간의 문제뿐만 아니라 새로운 자국 내 이민자와 내지 식민지의 백성으로 정치적으로 동화되어 버린 마이너리티 사람들과 같은 국내외의 다른 사람들과 의 공존의 윤리가 급무로 되는 사회에 있어서는, 한 번, 전전의 교토 학파가 안고 있던 보편성의 문제를, 공존의 윤리에 길을 여는 것과 동시에 타자에게의 폭력 행위로 변할 수 있는 위험성으로 재검토해 나갈 필요가 있을 것이다.
그리고 좌담회 '근대의 초극'과 같이 서양중심주의를 비판한다는 행위는 그 안티테제로서 동양이라는 언설을 고정적인 실체로 시작할 수도 있어 전형적인 셀프 오리엔탈리즘 의 표상회로로 우울해 가는 위험을 겪고 있었다. 즉, 서양에 대항하여, 자문화를 비서양적인 특수성의 논리하에 표상하는 것은, 확실히 서양을 비판하기 위해서는 유효한 수단일 수 있지만, 동시에 자문화를 배타 적인 본질주의화하게 되기도 하고, 결국은 <서양 대 일본 혹은 아시아>라는 이항 대립적인 표상을 고정화하게 된다. '근대의 초극'이란 이런 이항 대립적 사고를 시작하는 언설에는 없었다. 그러한 이야기하에 더 이상 일본이 서양 근대화라는 놓치지 않는 공간의 내부에 있다는 것을 잊어 버렸고, 마치 그 공간 외부에 독자적인 특수 문화로서 일본 문화 혹은 아시아의 문화권이 불립 하고 있는 것 같은 착각을 낳는 것이다. 일본 제국의 논리가 결국, 타자에 의한 자기 변혁을 전제로 하는 보편성이 아니라, 동질화된 자기의 특수성을 타자에게 밀어붙이는 보편주의로 끝나버린 것은, 서양에 대항한다 자문화 측의 단위를 아시아 측에 조치했음에도 불구하고 그 광역권을 동질적인 특수성하에 일원적으로 파악하려는 욕망이 이겼기 때문이다.
흥미로운 것은, 이러한 셀프·오리엔탈리즘적 표상은, 전중기에 교토 학파의 철학자를 비롯한 일본의 지식인이 서양에 대항하는 가운데 스스로 만들어낸 언설이었지만―― 물론, 동시에 서양의 지식인 역시 일본을 부정적인 형태로 특수화함으로써 자문화를 동질적인 것으로 표상해 갔는데――, 전후가 되면 이번에는 서양의 지식인이 교토학파의 철학을 긍정적으로 특수화하고 스스로의 서양적 전통을 비판하기 위해 일본 교토학파의 연구자와 협조해간 것이다. 교토학파는 지혜로 가득한 신비적 철학이라고 하는 식으로. 그것은 서양중심주의에 대한 비판으로서는 일견 유효하게 보이고, 논의된 당 일본인에게 있어서는 자신들이 서양의 한계를 뛰어넘은 동양의 지혜로 명지되는 만큼, 그 나르시시즘을 간질거리는 효과를 만들어 왔다. 그러나 전중기 교토 학파가 그랬듯이 서양과 일본이 이질적인 것이라는 이분법을 만들어 실제 타인의 모습을 무시한 현실 떨어져 있는 배타적 표상을 환상적으로 만들어 버리는 점에 근본적인 문제가 있다. 거기에는 자기 나르시시즘에 균열을 넣는 형태로 타사를 만나는 기회가 전혀 빗나가게 되어 버린 것이다.
이러한 일본과 서양 혹은 아시아와 서양을 이항 대립적으로 파악하는 사고의 마력은, 「근대의 초극」이나 「세계사의 철학」이라고 하는 일본인의 언설을 피식민자의 측에 유용해 라고 저항의 언설을 읽으려고 한 한반도 지식인도 또 도망치기 힘든 것이었다. 그러나 아마도 대만과 만주를 포함한 일본의 지배하에 놓여진 동아시아 지식인은 근대의 초극과 세계사의 철학 논의를 읽어 일본문화의 특수성을 정당화하기 위해 대신 그 지배에 대한 저항의 논리로서 혹은 전향이라고 불리는 적극적인 동화행위를 통해 동화대상인 일본제국의 정체성에 이질성이나 변용을 가져오는 시도를 하고 있었다. 그 과정에서 서양과 조선 혹은 일본과 조선과 같은 이항대립적인 표상의 도식 자체가 탈구되려고 했던 것은 충분히 생각할 수 있을 것이다.
안이하게 「근대를 초극한다」나 「세계사의 보편성」이라고 하는 언설에 동화되는 일 없이, 이러한 근대가 안고 있는 아폴리아 속에 몸을 두고 사고해 나가는 것. 그것은 서양 근대라는 공간 외부에 자신들이 서있을 수 있거나 근대를 '초극'할 수 있다는 환상에 빠지지 않고 그 내부에서 다양한 이항 대립적인 경계선을 탈구시켜 가는 저항의 시도를 모색해 나가는 것을 의미하자. 외연부를 가지지 않는 공간 가운데 여백 혹은 잔여라고 하는 것은 찾아낼 수 있는 것이다. 그것이 닛분켄의 토의뿐만 아니라 쿄다이와 리츠메이칸의 기획을 통해서 그 참가자들에게 가져온 공통 인식이었던 것 같다. 그 가운데 보편성과 특수성, 저항과 동화, 제국과 국민국가, 혹은 일상을 이화하는 일로서 종교나 철학의 가능성, 이러한 주제를 계속 생각해 나가는 것이 오늘의 사상 상황에 매우 큰 과제가 계속되고 있는 것이 확인된 것이다. (P.354 ~ P.357)]
사카이 나오키의 논고에서 3 개소, 이나가 시게미의 논고에서 3 개소, 인용 소개합니다.
●「서 팩스 아메리카나 아래 교토 학파의 철학 사카이 나오키, 타카하시 하라역」(P.3 ~ P.28) 타니자키 준이치로의 「음영 예찬」의 「평가」에 관한 문장, 교토 학파의 「
보편성 에 관한 문장(2곳)을 인용합니다.
【 「기묘한 일이라고 말해도 좋다고 생각하지만, 지금까지 「음영 예찬」은 노스탤직한 문화주의를 오피라에게 지지하는 것으로 평가되어 왔다. 그러나 주의 깊게 읽어보면 이 수필이 일본문화를 숭배하는 문화주의의 윤활함을 그려보인 것임을 알 수 있다. 이것은 말하자면 "서서 소변의 자세에서 연주된 일본 문화론"이 될 것이다. 전통이라고 하는 것에 기대되는 것 같은 모든 진지한 특질을, 고풍인 일본 가옥의 어둡고 오욕적인 부분과 연결해, 타니자키는 웃음을 초대하는 치구하구나 느낌을 만들어 내고, 옛 것, 불편한 것, 역사적 뭔가를 사랑하는 이국주의를 웃으며 날리고 있다. 이 유머로 가득한 수필을 사이덴·스티커는, 정중하게, 일본의 전통의 예찬이라고 읽어들인 것이다. 다른 작품에도 일반적으로 볼 수 있는 것이지만, 타니자키는 뛰어난 비판 정신의 소유자이며, 종종 성적인 입장성이라는 관점에서 이항 대립의 기능을 우화화함으로써 근대 대 전통이라든지 서양 대동양이라는 포괄적인 이분법에 의문을 던질 수 있었던 문학자였다. 타니자키는 권력관계에 있어서 성이 매우 중요하다는 것을 이해하고 있던 전전 일본의 몇 안되는 문학자의 한 사람이었다고 해도 좋을 것이다. "(P.6)
「교토학파가 목표로 하고 있는 종류의 철학은 「토착」(다만, 원래 나는 어떠한 「토착의 인식론」이라고 하는 관념에도 극히 회의적이지만) 지식으로부터 결정적으로 분리되어 있다. 그 중 교토 학파의 철학을 연구 할 때 첫 번째 과제는 텍스트의 철학적 구조와 개념적 일관성을 이해하는 것입니다. 동시대의 일본사회에 대한 지식이 문제가 되는 것은 역사적 평가와 사회-정치적 함의의 검토라는 제2의 과제에 임할 때이다. 분명히 첫 번째 과제의 영역을 두 번째 문제와 구별하기가 어렵습니다. 그러나, 제1의 과제를 해내지 않으면 교토 학파에 대한 이론적인 연구는 할 수 없다. 이른바 일본 전문가라고 칭하는 자들은 대부분 제2의 과제를 자랑하고 있지만, 제1의 과제에 대해 근면하게 노력하고 있는 것은 아니다. 그들 가운데에는 제일 과제를 하는 능력이 부족한 자가 많다는 것이 실정이 아닌가. "(P.16)
“나 자신의 교실에서의 경험으로부터 말하자면, 비록 “일본 문화”에 대해서 매우 한정된 지식 밖에 갖지 않아도, 일본인이 아닌 학생이 허리를 잡고 면밀하게 철학적으로 독해하도록 지도되고 그렇다면 논의의 개념적 연관을 엄격하게 이해할 수있는 예는 적지 않다. 막연히 '민족문화'에 통하는 것보다 훨씬 중요한 것은, 어떻게 잘 사전에 있어서 개념적으로 논의의 일관성을 한 걸음 한 걸음 쫓아갈 수 있는가 하는 것이다. 아무리 일본어에 익숙해도 개념적 노동을 할 준비가 없는 자는 교토학파의 텍스트에 '일본문화', '동양종교', '선정신' 등 스테레오타입을 밀어붙여 교토학파 철학자가 어떻게 '서양인'과는 다른 사유양식을 가지고 있는지를 강조하려고 한다. 그러나 이러한 '동양'과 이문화를 들어올리는 자에 한해서 서유럽과 북아메리카의 철학과 사회 사상의 개념적인 구성을 정성껏 쫓을 준비가 부족한 경우가 많다. 스스로를 '서양인'이라고 자인하는 것에 비해서는 그들의 '서양사상'의 독해력은 어색한 경우가 너무 많다. 교토 학파의 철학을 비판적으로 이해하기 위해 결정적인 것은 '동양 정신'에 대한 이국적인 공상을 버리고 텍스트에 말한 것을 그 시대에 유럽과 다른 지역에서 논의되었다 지적 문제와 관련시키는 능력이다. "(P.17)]
●""서쪽"근대성에 대한 저항과, "동양적"침잠에의 유혹과 이나가 시미"(P.321 ~ P.349) 인용 소개하는 개소는, 타케우치 호(
혹은 손가), 앵무새 진리교, 이세 신궁 등에 관련된 문장입니다.
["여기서 말하자면 야나기 무네요시를 언급하는 것은 손가가 타케우치 호를 논할 때 문제로 하는 '아시아식 근대의 모순" paradox of Asian Modernity에 야나기가 생각하지 않는 조명을 주고 있기 때문이다. 타케우치의 「주작인부터 핵실험까지」(1965)를 손가는 이렇게 요약한다. 동아시아는 유럽의 근대를 모방함으로써 근대에 도달할 수 없다. 왜냐하면, 다름없는 선생님(서유럽)이 무력에 호소하는 것으로, 학생(아시아)이 자신(서유럽)을 모방하는 것을 방해하고 있기 때문이다. 여기에 타케우치는 모순을 본다. 그 결과 유럽은 인간의 존엄을 주장하지만 동아시아는 인간의 존엄을 실현하기 위해 그 유럽과 싸워야 할 운명을 짊어지고 있다고.
생각했던 것처럼 비슷한 딜레마는 일찍이 도쿠가와 시대의 유학자, 야마자키 암사이(1619-1682)에 의해 정식화되어 있었던 것이 아닐까. 야마자키 암사이는 묻는다. 만약 중국이 공자를 총대장으로, 맹자를 군사로 일본에 몰입한 경우, 일본인은 어떻게 대응해야 하는가. 유학이 전하는 인 즉 인간의 존엄의 이름에서 일본은 공자와 맹자에 대해 전단을 열어야 하는가. 아니면 유학의 가르침에 충실한 일본인으로서는 선생님인 공자와 맹자가 만약 침략자가 되었을 경우라도 鉾을 섞지 않고 그 군문에 내리는 것이 유교에 대한 충성을 나타내는 행위일까 우카. 중세 스코라학과 비슷한 책상 공론을 우회하는 방향도 있을 것이다. 하지만 이 봉화는 1910년대 일본에 의한 한반도 병합 이후 조선에서 봉기가 발생한 때 야나기 무네요시가 다룬 질문이었다. 야나기가 말밖에 암시하려고 했던 것은 분명할 것이다. 만약 일본에 공자·맹자의 군대를 격퇴할 권리가 있다면, 이것에 못지않게 같은 이굴로, 조선의 백성이 일본에 대하여 봉기하는 것도, 인의에 이루어진, 인간의 존엄에 적합한 도의 된다. 둘 다 유교의 길에 비추어 의인인 행동이기 때문이다.
버드나무의 논의에 비추어 보면, 타케우치 호가 말하는 모순은, 그 논리적 타당성의 취약함을 노출하게 된다. 라고 하는 것도 다케우치는, 논의가 중화인민공화국의 정치적 결정에 저촉하는 지점에 이르자, 그보다 앞으로 나아가는 것을 스스로 금지하기 때문이다. 원래 타케우치의 이굴은, 일의 시작부터, 중화인민공화국의 핵실험은 꼭이라도 정당화해야 한다는, 시국의 요청을 합리화하기 위해서 구축되고 있어, 그 전제 때문에의 한계를 면해 아니. 이데올로기의 차원을 떠나 논리의 차원에 한정한다면, 아이러니하게도 타케우치의 중국 정당화의 이굴은, 젊은 타케우치가 참가한 대동아공영권 정당화의 이굴을, 기묘하게도 반복하는 궤적 를 묘사하고 있음을 깨닫습니다. "(P.329 ~ P.330)
"그러나, 더 두려워하는 것은, 일본이 앵무새 진리교와 그 교조를 근절시키려고 하는, 그 자세에 있었다, 라고 필자는 생각한다.왜냐하면 선량한 일본인 이들은 마하라들이 설교한 아련 purification의 이굴을 그대로 답습하고, 마하라와 그 위험이 없는 교단을 독 거미처럼 일소하고 정화되어 오염으로부터 무연한 일본의 재건을 원했기 때문이다. 급에 청정급에」의 과민성 결버증이라고 해도 되지만, 신형 인플루엔자의 세계적 유행(2009년 5월 현재)이라고 하는 사태 하에서, 이와 변함없는 정화에의 강박 신경증은, 건전하게 보존되어 죄책감도 없는 채 순조롭게 재생산되어 완벽한 무균실 요로시키 일본 열도의 안전 확보에 힘차게 공헌하고 있다. 여기서 '근대의 초극' 토론회(1942)로 돌아가면 거기에도 서구 열강에 의한 '문화적 침략'에 대항하기 위해 순수 일본의 자기 방어와 자기 폐색에 노력하려고 한다 본능이 조울증적인 경향을 갖고 만연해 대동아공영권의 몽상으로 이상비대를 이룬 유양이 엿볼 수 있다. "(P.339 ~ P.340)
"순수하고 무구, 더러워지지 않는 일본이라는 허구의 핵을 이루는 것이 이세 신궁일 것이다. 식년 천궁은 20년의 주기로 사의 목조 구조를 대체하게 하는 구조이기도 하고, 그 반복에 의해 역사성 하지만 부인하는 것이지만, 그 기원은 기원 690년에 확정할 수 있다. 일본의 고대 왕조가 상상의 일본 문화 동일성을 의제로 도입하는 정치적 의사를 표명한 시점을 기록한다. 밖에서의 (기대되는) 시선의 개입이 큰 역할을 하고, 태고보다 역사적으로 불변으로 항상 있는 일본미학이라는 신화적 관념의 풍양에 공헌했다.이것 또한 2층건물의 구조의 반복이다.
고대에는 중국과 조선으로부터의 사절의 눈이 일본에 순수 일본이 되는 허구의 시작을 촉진시키고, 근대에서는 서양으로부터의 시선이 이세진구의 상징적 가치의 확립을 부피시켰다. 또한 이세신궁은 서양적인 '개'나 '전체성' 관념에 의의를 보인다. 식년천궁은 물질적인 연속성을 희생한 정신성만의 비물질적 계승의 영속성에 가치를 부여한다. 이것이 서구 근대사회에서 발달한 보존수리의 이념과는 대극을 이루는 것에 서구 전문가는 깨달았다. 이미 부재가 된 원형으로부터의 인용과 복제만으로 이루어지는, 정의로 해 오리지날이 부족한, 파고 기둥의 萱葺 오두막은, 개를 희생으로 한 전체성을, 만세일계라고 하는 천황가의 가계에 거듭해 합치고 순환 중에 영속시킨다. 거기에는 원래 시작부터 발터 벤야민이 부르는 의미에서 아우라는 존재하지 않았을 것이다. 실제로, 장보드 리얄의 표현을 빌린다면 '오리지널 없는 시뮬라 쿨' 밖에 없는 이세진구는 그 복제의 재생 반복 속에 영의 아우라를 담는다. 그것은 헤겔 학자 코제프 부르는 "순수한 스노비즘"의 구현으로 역사-후의 낙원 post-historical paradise를 살아있다. "(P.340 ~ P.341)]
적게 읽기
2명이 도움이 되었다고 합니다.
See all reviews