信仰の新しい形としてのスピリチュアリティ
鎌田東二(京都造形芸術大学教授)
1 WHOの「健康」の定義をめぐる議論
1980年代以降、徐々に信仰の新しい形や現代の宗教意識を表す言葉として「スピリチュアリティ(spirituality)」ないし「霊性」という語が頻繁に用いられるようになってきた。その典型的な現れが、WHOにおける新しい健康の定義の検討である。
これまで、「健康」の定義は、「「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」(1951年官報掲載)"Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity"というものであった。これは、WHO憲章の序文にも出ている健康観である。
この健康の定義は、1946年6月19日から22日にかけてニューヨークで行われた国際保健会合で採択され、同年7月22日に61ヶ国が署名して、1948年4月7日に発効となった。
その健康の定義をめぐり、1998年9月に行なわれた第101回WHO(世界保健機関)執行理事会で、WHO東地中海地域加盟国のアフガニスタン、バーレーン、キプロス、ジプチ、エジプト、イラン、ヨルダン、クウェート、レバノン、リビア、モロッコ、オマーン、パキスタン、カタール、シリア、サウジアラビア、ソマリア、スーダン、チニジア、アラブ首長国連邦、イエメンから出た見直し要求に基づく改正案の討議がなされた。
臼田寛と玉城英彦は、論文「WHO憲章の健康定義が改正に至らなかった経緯」の中で、「アラブ諸国がこの時期に改正案を提出した最も大きな理由の一つは、現行のWHO健康定義に含まれる physical, mental and social well-being という3つの指標が西洋医学の成熟限界に伴いphysical一辺倒となり、また、あまりに数値化、客観化されすぎた事の反動として伝統医学への回帰が起こった世界的流れの一環と無関係ではない」と指摘している(1)。その背景には、1980年代以降高まってきたホリスティック医学や代替医療、またアラビアのユナニ医学への再注目と再評価があったと言えよう。臼田と玉城は代替医療の具体例として、ホメオパチー、ナチュロパチー、ホリスティック医療、心理療法、心霊療法、呪術療法、祈祷療法、アロマテラピー、ヒーリング・リラクゼーション、鍼灸、指圧、整体、食餌療法、ライフ・スタイル指導、薬草療法、気功療法、水療法、運動療法、マッサージ、電気治療、超音波療法、光療法、カウンセリングを挙げている。
さて、そのWHO執行理事会における改正案とは次のようなものであった。"Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity"(「健康とは、完全な肉体的、精神的、霊性的及び社会的福祉の活力ある状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」)。
しかし、この改正案が正式に提出された1999年5月に行なわれた第52回WHA(世界保健総会)では、実質的な審議が行われないまま事務局長預かりとなり、健康の定義は改正されなかった。以来、この改正案は事務局長預かりになったまま変化は見られない。 とはいえ注目したいのは、この改正案には、従来の健康定義に、"spiritual"と"dynamic"という語が加えられた点である。つまり、従来の「身体的、心理的、社会的」良好に加えて、"spiritual"と"dynamic"という語を加えようと議論し、執行理事会では承認され、世界保健総会で決議されれば、「健康」には"spiritual"な面での充実が不可欠であるとの認識が世界中に共有されることになろうとしていたわけである。実際は、そこまでには到らなかったが、これは、ある意味では、近代化の反転であり、コペルニクス的な転回であるとも言える。健康の定義に「spiritual」を入れるというのは、イスラーム世界からの提言であったが、結局のところ、欧米諸国や日本はこれに難色を示したというのである。
2 「スピリチュアリティ」あるいは「霊性」の概念分析
ところで、現代社会で、実践的な観点から「spirituality(霊性)」の必要を強く広く訴えてきた代表的な人物の一人は、チベット仏教の最高指導者ダライラマであろう。ダライラマはその平和活動を評価され、1989年にノーベル平和賞を受賞したが、彼の平和運動はガンジーの衣鉢を継ぐものでもあるが、その愛(慈悲)と非暴力的平和の運動は"spirituality"の実践でもあったといえる。ダライラマは"spirituality"は「慈悲心=compassion」の基台であり、智慧と慈悲の源泉であると主張している(2)。
この「スピリチュアリティ」や「霊性」は、「求道心」や「発心(発菩提心)」とも結びつく。つまり、道を求める根本衝動が「スピリチュアリティ」であり「霊性」であると考えられるのである。そのような観点から、わたしは、「スピリチュアリティ=霊性」を「生の羅針盤」と考え、「スピリチュアリティ=霊性」を生を方向付けドライブさせていく根源的な力と志向性であると位置づけている。それは生の方向指示器であり、磁針である。
拙著『神道のスピリチュアリティ』の中で、わたしは、「霊性」の概念を、①普遍志向性、②宗教性・通宗教性、③平等志向、人権意識とのからみ、④開放性、閉鎖性・偏りを打破できる言葉、⑤神性、仏性、心性、精神性との違いと、そうでないことの意味の地平、⑥曖昧さ・融通無碍・ぼやかし、⑦WHOの「健康」の定義への語の使用は無信仰、無神論者への強制・圧力になるか、⑧精神性のさらに深い次元、深層的自己への注視と関心と洞察(内省・内察)、という8つの観点から考察した。そして、結論的に、「霊性」の三要素として、①全体性、②根源性、③深化(業熟体)という特徴を抽出した(3)。
というのも、今日的な「スピリチュアリティ=霊性」という言葉は、多義的な意味内容を包含しているからである。それは、神や仏というような特定の霊的存在や理想的人格を表わすものではなく、むしろそれをも包摂することのできるような、普遍的な包括概念としての意味内容を持っている。それゆえに、「霊性」という語は、普遍志向性を持ち、すべての宗教に通じる「宗教性」ないし「通宗教性」を示そうとしている。それはまた、すべての人間に通じる平等志向を持っているので、人権思想を支える基盤ともなる。さらに、人権を超えて、あらゆる生命の生命性を包含する概念としても用いられ得る。事実、ダライ・ラマの「スピリチュアリティ(霊性)=慈悲心=宇宙的責任」観にはそうした響きがある。こうして、「スピリチュアリティ=霊性」は、神性や仏性や心性や精神性とも違う、より開放的な、閉鎖性や偏りのない概念として使用され始めていると言えよう。
こうして、「スピリチュアリティ」ないし「霊性」という語は、精神性のより深い次元への洞察と関心を示す言葉であることがわかる。それは結局、「スピリチュアリティ=霊性」という語が、「全体性」と「根源性」と「深化」という普遍三要素を含み持っているがゆえであろう。それは、全体的で、根源的でありつつ、人間の深化と成熟と変容を指し示し得る言葉なのである。それゆえにこそ、それは諸「宗教」の基盤となり、共通土俵や共通地平となり、共有財産となる可能性を持っていると言える。
3 わが国の「霊性」の語の歴史的概観
さて、「スピリチュアリティ」の一般的な和訳を「霊性」に定めるとして、神道や仏教の文献に「霊性」の語が現われるのは平安時代の終わり頃からである。管見の限りでは、平安末から鎌倉初期にかけて活躍した神祇官大副・卜部兼友の著したとされる『神道秘録』に、「霊性」の語が初出する。例えば、「道は天地未だ分かれざる時、日月星辰未だ顕れず、木火土金水の五行も未だ備はらず、ゆえに虚空界の相尽き、善悪の法量渉らず、寂然無為円満虚無霊性を以って、神道の玄旨と為す」、「それ神道は、円満虚無霊性を守り、生死の二法に渉らず。ゆえに、神道の二字を釈きて、神は神に超ゆる神なり、道は道を超ゆる道なり。それ神は神に超ゆる神にして道は自性の神光なり」などと(4)。
ここで卜部兼友は、「神道」の「玄旨」は「円満虚無霊性」であり、「神道」とはこの「円満虚無霊性」を守ることであるという。このように、「霊性」の語が最重要語として多用され、「神道」の「秘説」の中核をなす根源的な宇宙観が表現されているのである。
ところが、それとは対極的に、道元は、主著『正法眼蔵』「弁道話」の中で、「外道の見」として「霊性(れいしょう)」の語を批判的に使用している。「いはく、かの外道の見は、わが身、うちにひとつの霊知あり、かの知、すなはち縁にあふところに、よく好悪をわきまへ、是非をわきまふ。痛痒をしり、苦楽をしる、みなかの霊知のちからなり。しかあるに、かの霊性(れいしょう)は、この身の滅するとき、もぬけてかしこにむまるるゆえに、ここに滅すとみゆれども、かしこの生あれば、ながく滅せずして常住なりといふなり。かの外道が見、かくのごとし」と(5)。つまり、好悪・是非・痛痒・苦楽を知るのは皆「霊知」の力であるという考えや、死んで「霊性」が残るという実体論的な考えは、真実の洞察から離れた「外道」の妄見・謬見であると批判的に使用しているのである。
その後「霊性」の語は、室町時代の応仁の乱期を逞しく生き抜いた中世最大の神道家で、吉田神道(卜部神道とも唯一宗源神道ともいう)の大成者吉田兼倶の主著『唯一神道名法要集』の中で、「問ふ。何ぞ神道ト謂はずして真道と謂ふぞ哉。/答ふ。神(カミ)トハ善悪邪正、一切霊性の通号也。所謂純一無雑の真元ノ神ヲ明かサンが為ニ、之ヲ真道ト謂ふ者也」と展開された(6)。吉田兼倶は「神」とはすべての「霊性」の通称であるという。そして、この「純一無雑」の「真元」の「神」の本質を言い表すために「神道」と言わずに「真道」と言うのだと主張する。ここでは、「霊性」は、万物を万物たらしめる根本原理、根源エネルギー、そして至純にして正邪善悪の倫理道徳の根幹をなすものと考えられている。ここでも「霊性」は「神道=真道」の本源をなしているのである。
このような中世の「霊性」論は、言ってみれば存在論的な霊性論で、一種の宇宙原理というべきものである。そうした宇宙論的霊性論が江戸時代の国学者平田篤胤によって自己論的霊性論へと展開される。平田篤胤は吉田神道を俗神道と痛烈に批判しながらも、『密法修事部類稿』の中で「霊性」という言葉を用いて、「吾が身はこれ産霊神。風・火・金・水・土を聚結し、しこうしてその至善の霊性を分賦するものなり。身はついに五大に帰り、ただ霊性のみ、無窮の吾れなり。しかるにすなはち、わが身は天地と同体にして、わが神魂はすなわち産霊の神の分神なり)」と(7)。このように、平田篤胤は「吾身観」という神道行法を編み出し、それを自己修養ないし修道として実践したのである。それは、わが身がムスビ(産霊)の神の至善の霊性を分与された分魂・分神であり、天地と同体で、その霊性は死んでも残る無窮の「吾」であるという観想法の実修である。そして、その産霊神の妙なる神徳・力業を理解する知性は、「久延毘古(彦)」という天下世界のすべてのことを知る神の働きであると考え、わが身がその久延彦と同体であると観想し、自己鍛錬したのである。
明治時代になると、今度は仏教学者が「霊性」の語を用いて、自分たちの思想的特質を言い表すようになる。島地大等の『日本近代宗教史』や鈴木大拙著『宗教原論』や鈴木大拙が訳したスウェーデンボルグ『神智と神愛』などの中にも「霊性」の語が散見する。また、鈴木大拙は昭和19年以降、『日本的霊性』など「霊性」の語を関した著作を次々と発表する(8)。
対するに、神道的立場からは、大正時代に大本教の出口王仁三郎が大本教の機関誌『神霊界』の中で、「大本には基督教も仏教も其他各国の宗教信者も集まって来て互にその霊性を研き、時代に順応したる教義を研究する所であります」と、自分たちは仏教とかキリスト教とかの宗教宗派に関係なく、互いにその「霊性」を磨き、時代に順応した「教義」を研究するところであると主張している。ということは、ここでは、「霊性」は教団宗教的な立場を超えてある普遍的な人間的本質としてとらえられていると考えられる(9)。
続いて、昭和初期にはアメリカのジャーナリストJ・W・T・メーソンが『神ながらの道』を著し、そこで「spirituality=霊性」の語をキーワード的に肯定的に用いたことも忘れてはならない。メーソンは、神道や神社には「自然の霊性」があり、特に神社はそこで「普遍的霊性」に挨拶をする場所であり、「霊的元気回復の場所」であると主張している(10)。
さて、戦後、特に1960年代後半からの対抗文化運動の流れの中で、「spirituality」の訳語として「霊性」の語が定着してゆく。それがやがて、精神世界的用語としての「霊性=spirituality」となってゆく。その動向を「新霊性運動」の概念で宗教史・宗教学的に説明しようとした島薗進は、『精神世界のゆくえ』(東京堂)の中で、アメリカの「ニューエイジ運動」の「信念や観念のリスト」を19項目あげ、その第一番目に「自己変容あるいは霊性的覚醒の体験による自己実現」を置いている。また、その「新霊性運動」を定義して、「個々人の『自己変容』や『霊性の覚醒』を目指すとともに、それが伝統的な文明やそれを支える宗教、あるいは近代科学と西洋文明を超える、新しい人類の意識段階を形成し、霊性を尊ぶ新しい人類の文明に貢献すると考える運動群である」と述べている(11)。
その島薗の言う「新霊性運動」のシンボリック・パーソンともいえる、アカデミー賞主演女優賞を受賞したシャーリー・マクレーンは、『オール・イン・ザ・プレイング』の中で、「宗教は必ずしも霊性と関係があるわけではないの。宗教はみんな、自分こそ神へのホットラインだと思っているでしょう。でも、本当は私達一人ひとり、すべて神に属しているのよ。わたし達はみんな神の一部なの」と述べている。このような「spirituality=霊性観」はその後も幅広く共有されてきた。
例えば、物理学を専攻した博士号を持つ科学者青山圭秀は、『理性のゆらぎ』の中で、インドのグル崇拝されていたサイババと出会った時に感じた印象を「存在の深いレベルに立脚し、それをも超越するのが人間の霊性なのだと、サイババはいいたかったに違いない」と述べ、さらに、「私は最後に一つだけ、サイババに話しておきたいことがあった。『スワミ、私は日本に帰ったら、アーユルヴェーダや占星学のような深い霊性の科学のこと、そしてあなたのことを、本にまとめようと思っています』」と書いている(13)。
こうして「霊性」という語は、時代のキーワードになってきた。「霊性」の語は、その時代のさまざまなメッセージや要請を引き受けて使用されてき、今なお使用されづづけているキーワードの一つである。それは、知性の浅はかさと慢心を戒め、人間性の深さや存在の深遠を喚起することが可能な言葉でもあると言えるであろう。
参考文献
(1)臼田寛、玉城英彦「WHO憲章の健康定義が改正に至らなかった経緯」『日本公衛誌』第47巻第12号、2000年。この中で、賛否の議論が次のようにまとめられている。「欧州連合(EU)代表のVoigtlanderは、改正に反対し、他の重要案件が山積している時期に加盟各国の同意を得るのは困難であり、改正は必ずしも必要ではないとして、事務局長預かりとすることを提案した。アルゼンチン代表のPicoも、改正に反対し、改正を議論するのは現在行っているWHOの組織構造改革終了後が望ましいとした。中国代表のZhaoも改正に反対し、現在の健康の定義は非常に明解なもので半世紀にわたって親しまれており、改正の必要も意義も全くないと述べた。日本代表の仲村英一氏も改正に反対し、改正案は専門家の検討によって提出され重要性も高いが、今回の総会で議論すべきことではないと審議の見送りを主張した。オーストラリア代表のWhitworthも改正に反対し、各国の同意が得られておらず提案の緊急性も低く早急な結論は必要ないとして、事務局長預かりとすることを主張した。ロシア代表のMonissovも改正に反対し、WHOが組織改革中の過渡期(新事務局長ブルントラント赴任に伴う改革)にこのような改正案を持ち出すことは適当でなく、改正によってWHOの活動に効果が発現する保証もないと述べた。スリランカのJeganathanも改正に反対し、人間の日常生活指標としてspiritual dimensionは非常に重要であり、健康の意味を理解するためには神聖な手法が必要であるが、それは宗教を超越したものでありspiritual dimensionを宗教と混同するのはよくないと述べ次回以降での再審議を主張した。これに対してバーレーン代表のAl Mousawiは、この提案を行った執行理事会の専門家は1984年に"spiritual dimension of health4)"が総会で唱えられて以来、この提案に関わったことを重視すべきであるとして審議継続を主張した。リビアのAbudajajaは、健康定義は非常に繊細な問題でそのspiritual dimensionも重視されるべきであると述べたが、他の参加国が採択を見送る姿勢をとったためにそれに従った。/このような議論の結果、現行の健康定義は適切に機能しており審議の緊急性が他案件に比べ低いなどの理由が大勢を占め、審議入りしないまま採択も見送りとなった。今後は健康定義を含めた他の憲章改正案と共に一括で、事務局長が見直しを続けていくこととなった。」
(2)ダライ・ラマ『愛と非暴力』春秋社、1991年。
(3)鎌田東二『神道のスピリチュアリティ』作品社、2003年。
(4)牟禮仁『中世神道説形成論考』皇學館大學出版部、2000年。
(5)『日本古典文学大系31-32 正法眼蔵』岩波書店、1968年。
(6)『日本思想大系19 中世神道論』岩波書店、1977年。
(7)平田篤胤『印度蔵志』『密報修事部類稿』(『新修 平田篤胤全集』第9巻)名著出版、1977年。出口王仁三郎『霊界物語』天声社、1959年。
(8)『鈴木大拙全集』第8・23・24・25巻、岩波書店、1968-1970年。
(9)鎌田東二『神界のフィールドワーク――霊学と民俗学の生成』青弓社、1985年。
(10)W・B・メーソン『神ながらの道』今岡信一良訳、冨山房、1935年。
(11)島薗進『精神世界のゆくえ』東京堂出版、1996年。
(12)シャーリー・マクレーン『アウト・オン・ア・リム』『オール・イン・ザ・プレイング』山川紘矢・亜希子訳、地湧社、原著1987年、翻訳1988年。
(13)青山圭秀『理性のゆらぎ』(三五館、1993年)
その他の参考文献
樫尾直樹編『スピリチュアリティを生きる』せりか書房、2002年。
伊藤雅之『現代社会とリピリチュアリティ』渓流社、2003年。
鎌田東二『宗教と霊性』角川選書、1985年。
喜納昌吉・鎌田東二『霊性のネットワーク』青弓社、1999年。
鎌田東二『神と仏の精神史――神神習合論序説』春秋社、2000年。
加藤清・鎌田東二『霊性の時代――これからの精神のかたち』春秋社、2001年。
鎌田東二『呪殺・魔境論』集英社、2004年。