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第1章 心のケア 総論
1. 在外教育施設における危機管理と心のケア
近年、世界各地で無差別テロ事件、暴動、騒乱、地域紛争などが多発している。各国でも不安定な経済・社会状況を反映して、殺人、強盗、盗難、放火などが発生しており、地域によっては外国人を狙った強盗事件や傷害事件などの犯罪も多発している。時にはナショナリズムの高揚を背景に外国人排斥主義的な抗議行動や、日本人を含む外国人が暴行を受ける事件などが起きることもある。また、地震の他、異常気象の影響と思われる大規模な台風、洪水などの自然災害による被害も発生している。
このような不安定な治安状況・自然環境のなかで、海外の日本人学校、補習授業校は、危機管理体制を整え、児童生徒、教職員の生命や財産の安全を守ると同時に、このような危機的状況に際して、適切な心のケアを実施することが求められている。
危機的な出来事に遭遇した場合、「人命を第一とする安全の確保」が最優先課題であるが、心のケアの視点からは、さらに「安心の確保」が重要な課題となる。従来の危機管理の考え方では、安全の確保がされても、安心の確保については配慮が十分になされていなかったが、心のケアを考えた危機管理では、「安全と安心の確保」が基本方針となる。
「安全と安心の確保」には、次のことが重要となる。
環境的安全の確保: 生命の安全を確保するための避難行動及び防衛体制
身体的安全の確保: 身体的な負傷の手当てなど医療的援助
精神的安心の確保: 精神的な安心をもたらす援助・予防活動
精神的安心の確保は、その後のPTSDや様々な問題を予防する大切な危機管理行為である。
危機管理体制については、「在外教育施設安全対策資料【児童生徒の在校時編】」「【児童生徒の登下校時編】」「【事例集編】」にまとめられており、本編では、危機的状況に際して、あるいは学校教育活動の中で実施する心のケア活動に必要な知識や方法、事例を取りまとめる。
2. 心のケアとは
危機的出来事などに遭遇した為に発生する心身の健康に関する多様な問題を予防すること、あるいはその回復を援助する活動を心のケア(活動)と呼ぶ。心のケアを行うには、人間の心身のメカニズムや回復を援助する方法について正しい知識を持つこと、人間の心を大切にする心構えが必要である。
一般に心身に不快な反応をもたらす要因をストレッサーと呼ぶが、人生において出会う出来事は、全て生活環境ストレッサーとなる。
海外の異文化社会における生活では、気候風土、言語や生活習慣並びに治安や健康管理など様々な問題が生活環境ストレッサーとして加わることになる。
健康な人間の心身は、これらの生活環境ストレッサーに対し対処できるメカニズムを持っているが、これらのストレッサーに対して適切な対応ができなかったり、ストレッサーが個人の対処能力を超えているときに、心身にはストレス反応と呼ばれる様々な症状が現れる。ストレス反応は、誰もが経験する自然な反応といえるが、ストレス状態が長期間継続する場合、心身に様々な疾患や障害が発生する。
特に、個人の生命の脅威となるような衝撃的な出来事は、外傷性ストレッサー(外傷体験)と呼ばれ、その体験が過ぎ去った後も、その体験の記憶が精神的な影響を与え続けることがある。このような精神的な後遺症をPTSD(Post Traumatic Stress Disorder外傷後ストレス障害)と呼ぶ。危機的出来事などに遭遇した場合は、PTSDだけではなく、悲嘆、うつ、心身症、閉じこもりなど、心身の健康に関する多様な問題が発生する。このような状態の人には、その回復を適切に援助する心のケアが必要となる。
ベトナム戦争の帰還兵の戦争後遺症に関する研究からこの分野の研究が進み、予防的活動、早期から長期にわたるケア活動の継続がダメージからの回復に大きく寄与するとされ、危機的事態における心のケア活動の重要性とその予防体制の充実が次第に図られるようになってきた。
3. 在外教育施設におけるスクールカウンセリング
心のケアが必要とされるのは、テロ事件や震災などの危機的な出来事だけではない。日本国内の学校教育現場においても、いじめ、不登校、児童虐待、非行、子供の心身症やストレス障害など多くの心のケアを必要とする問題や事件が増加している。これらの問題の背景には、社会・地域・家庭・学校での教育力の低下など社会環境的な要因があることから、文部科学省は、「心の教育」や「生きる力」を育てることを教育目標に掲げ、学校制度や教育内容の見直し、家庭の教育力を高めるための支援、地域での生活体験を増加させる活動やスクールカウンセラーを登用し教育相談体制を整えるなどの諸施策を実施している。
いうまでもなく、海外で暮らす子供達とその家族は、日本国内とは異なる文化、生活習慣、言語環境で生活しており、言語取得、学習、健康、進路、対人関係などの多様な問題を抱えている。また、治安の問題がある地域では、子供は犯罪の被害者になりやすいことから、学校でも家庭でも安全確保のための生活が余儀なくされており、子供達を放課後家の周囲で遊ばせることができない。また、気象条件の過酷な地域では、外での遊びや活動が長期間にわたり制限されることとなる。
また、子供達の社会経験を育む地域社会との交流が少なく、国内以上に地域・家庭での教育的経験が不足する傾向があり、子供達の「生きる力」を育てることが重要な課題となっている。このような環境の中で在外教育施設は、さらに他の教育施設がないこともあり、地域における教育専門機関として、子供達の抱える多様な問題への援助を行うこと、困難な状況を乗り越える力を育てること、地域や家庭の教育環境のあり方について積極的に指導する役割が期待されている。
スクールカウンセリングは、カウンセリングマインドを持ったすべての教員が環境的な問題の解決や子供の心理的発達を援助する積極的な教育活動であり、在外教育施設においては、様々な問題の予防とその解決を図るために、スクールカウンセリング活動の積極的な取り組みが望まれている。
4. 教職員と家族のメンタルヘルス
現在の国際的な経済競争や産業構造の変化、情報化・技術革新は、様々な分野で人々の心の健康に影響を及ぼしている。企業だけでなく学校においても、従来の仕事の進め方の見直しが迫られる一方で、個々の価値観の多様化が進み、職場の人間関係が複雑になるなど、職場・仕事に関係するストレッサーは増加しており、働く人達の心身の不調や病気、不適応、過労死など様々な問題が発生している。
このような職場における心のケアの問題は、心の健康(メンタルヘルス)管理と呼ばれるが、在外教育施設に派遣された教職員とその家族及び現地採用の教職員のメンタルヘルス管理も重要な課題である。
働く人のストレッサーの要因には、次のようなものがある。
環境要因――気候風土、騒音、振動、空気汚染など
仕事要因――業務の多忙、不規則な勤務、重責、トラブルなど
肉体的要因――病気、怪我、睡眠不足、不規則な生活など
精神的要因――家族や身近な人の死、別離、挫折など
人間関係要因――職場・家族・親戚・友人・近所など
特に、在外教育施設に派遣された教職員は、国内とは異なる次のような要因がストレッサーとして加わることがあり、注意が必要である。
海外に家族と共に赴任し、家族全員が現地の生活環境に適応すること(特に希望と異なる勤務地に派遣された場合ストレス度が高まる)
日本と大きく異なる職場環境での多様な仕事
比較的狭い日本人社会での人間関係(プライバシーの問題やライフスタイルの相違)
管理職は、部下が環境や仕事に適応しているか、職場全体が活力ある健康な状態であるか把握し、職場のメンタルヘルスを維持・向上する責任がある。また、教職員の家族のメンタルヘルスに配慮することも必要である。
特に、問題が発生しないよう予防的な観点から、職場のコミュニケーションの活性化を図り、信頼関係を構築し、問題が大きくならないうちに相談できる体制を作ることが重要である。
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