2020/09/19

コメント投稿:豊かで平等だった明治維新前の日本|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

 イギリスの旅行家・紀行作家のイザベラ・バードは「日本奥地紀行」(高梨健吉訳、平凡社ライブラリー、2000年2月)で次のように書いている。
 私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルにわたって旅をしたが、全く安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法にも合わず、まったく安全に旅行が出来る国はないと信じている。
 このバードの記述、つまり1878年の体験によって書かれた一節は、現代の旅行記に出てきたとしても、何の不思議もないだろう。江戸時代から明治、大正、昭和、平成、令和を通じて日本は極めて安全な国だと言えるのだろう。
 下の図はOECD諸国の犯罪率の比較だが、日本はスペイン、ハンガリーなどと並んでもっとも犯罪が少ないグループに属している。明治時代にバードが語ったことは、現在でも充分当てはまるという訳なのだ。
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明治維新まで平和な国だった日本

 日本の安全は日本の歴史において平和な時期が長く続いたことに深く関係している。
 梅棹忠夫の言い方では、日本はイギリスなどと同じユーラシア大陸の縁辺の国として「ぬくぬく育った」のだった(梅棹忠夫著「文明の生態史観」1974年、中公文集)。大陸から荒海で隔てられた日本は、国が成立して以来千数百年間、一度も異民族に侵略されなかった世界でも稀な国なのだ。
 日本で大規模な内乱が無く平和だった年数を数えると平安時代は391年、江戸時代が265年で合計656年にもなる。明治維新までの千数百年に日本が戦った対外戦争はたった3回、(i)663年白村江の戦い、(ii)元寇(1274年の文永の役と1281年の弘安の役)、(iii)朝鮮出兵(1592年の文禄の役と1597年の慶長の役)に過ぎないのだ。しかも、この内の2回は戦場が朝鮮半島で、日本の地における対外戦争は元寇のみだった。
 長い平和の歴史の中で日本は、イザベラ・バードが絶賛したように、アジアの大陸国家やヨーロッパ諸国に比べても極めて安全な国になっていった。近世から近代にかけての日本の平和は、世界でも例外的な事で、素晴らしいものだったのだ。
 明治維新後は、所謂帝国主義戦争に巻き込まれていくのだが、それまでは「戦争のヨーロッパ」に対して、「平和の日本」だったという事が出来るのだろう。


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平和で安全だった日本は、又、かなりの豊かな国でもあった。渡辺京二は名著「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー、2005年)の中で次のように書いている。



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コメント投稿:豊かで平等だった明治維新前の日本|論座 - 朝日新聞社の言論サイト



プヨよりDNAID: 550ff6通報日本人はDNA解析によると朝鮮半島との繋がりはないとの説を聞いたことがありますが、違うのでしょうか?勿論、朝鮮半島出身の方はいると思いますし、皇室のDNA解析など不可能なのでわかりようがありませんが。11返信 (13件)ツイート1ヶ月前

だいまちID: c8c5a0安全の問題では、イザベラ・バードを引用するくせに、貧富や格差の問題ではハリスを引用する。こういう「良いとこ取り」の「つまみ食い」は止めて欲しい。こういう自説に都合の良い部分だけの資料引用をするなら、なんだって主張することができる。



バードは日本の旅の安全性について、確かにそう記述している。しかしその直後に、通過した村の様子として「見るも痛々しいのは、疥癬、しらくも頭、たむし、 ... 続きを表示安全の問題では、イザベラ・バードを引用するくせに、貧富や格差の問題ではハリスを引用する。こういう「良いとこ取り」の「つまみ食い」は止めて欲しい。こういう自説に都合の良い部分だけの資料引用をするなら、なんだって主張することができる。



バードは日本の旅の安全性について、確かにそう記述している。しかしその直後に、通過した村の様子として「見るも痛々しいのは、疥癬、しらくも頭、たむし、ただれ目、不健康そうな発疹など嫌な病気が蔓延していることである。」「ここはたいそう貧しいところで、みじめな家屋があり、子どもたちはとても汚く、ひどい皮膚病にかかっていた。女たちは顔色もすぐれず、酷い労働と焚火のひどい煙のために顔もゆがんで全く醜くなっていた。」と書いている。



そもそも都市としての江戸の方が例外で、ハリスはそれしか見ていないのだから、ここから「江戸時代の日本は」とやれるはずがない。もっと言えば、ハリスは日本の役人を、「嘘つき」「二枚舌」「底なしの虚言癖」「奸智」「狡猾」「姑息」などの厳しい言葉で評価している。



この評価から「日本人は昔から、嘘つきでずる賢かった」という主張だってできる。51返信するツイート1ヶ月前

no nameID: daf4ff平等であったかどうかはわからないが、江戸末期、江戸や大阪は別として地方特に東北は1830年代の享保の大飢饉で悲惨な状況であった。とても豊かであったとは言えないだろう。幕末の混乱はそこからもきているらしい。それにしても人の命が軽い、時代であったように思う。なかなか歴史の教科書では教えてくれないが。10返信するツイート1ヶ月前

寝言が好きID: 80be0dまぁ、見る場所や聞く話で違う意見が出るのは普通の事なんで微妙な意見ではある。



ちなみに皇室の出生は縁の神社に伝説として残っているのは中国から来たと天皇が語った事があるって程度で詳細不明が正しい。

百済の話は百済が滅んで日本に移民した6代目(だったと記憶している)の孫娘が産んだ子が天皇になったって話で、ほぼ血統的には百済は無関係に近い。

朝鮮半島から皇室が来 ... 続きを表示まぁ、見る場所や聞く話で違う意見が出るのは普通の事なんで微妙な意見ではある。



ちなみに皇室の出生は縁の神社に伝説として残っているのは中国から来たと天皇が語った事があるって程度で詳細不明が正しい。

百済の話は百済が滅んで日本に移民した6代目(だったと記憶している)の孫娘が産んだ子が天皇になったって話で、ほぼ血統的には百済は無関係に近い。

朝鮮半島から皇室が来たっていうのも「距離的に近い」ってだけで具体的な証拠は存在しない。



個人的には中国の春秋戦国時代の滅んだ小国の王族なんじゃないかって話が好きだわ。

再起を図り成功ってところにロマンを感じるww

00返信するツイート1ヶ月前

百済王室の血を引いているのが日本皇室の内実ID: e86854「日本は国が成立して以来千数百年間,1度も異民族に侵略されなかった世界でも稀な国なのだ。」は榊原氏の言い過ぎであろう。なぜなら東大教授の江上波夫氏は朝鮮から渡海した騎馬民族系扶余人が倭の地に上陸して大和王室を開いたという扶余人征服説を提唱し,扶余人征服を「ノルマン・コンクエスト(1066年フランス王室に仕えていたノルマンディー公ギヨーム2世が軍を率いてイングランドに上陸して戦いに勝ってノルマン王朝 ... 続きを表示「日本は国が成立して以来千数百年間,1度も異民族に侵略されなかった世界でも稀な国なのだ。」は榊原氏の言い過ぎであろう。なぜなら東大教授の江上波夫氏は朝鮮から渡海した騎馬民族系扶余人が倭の地に上陸して大和王室を開いたという扶余人征服説を提唱し,扶余人征服を「ノルマン・コンクエスト(1066年フランス王室に仕えていたノルマンディー公ギヨーム2世が軍を率いてイングランドに上陸して戦いに勝ってノルマン王朝を開き現イギリス王室を開いた高祖となった事実であると同時にイギリス史上最も著名な事件)」と似ていると指摘したことで有名だが,第50代桓武天皇の生母・高野新笠が百済の武寧王の血統が流れているという実情を考慮すると彼の学説は決して空虚ではなかろう。そして古来榊原氏は徳川時代の日本の国情を褒めすぎることが往々にしてあり,人が良すぎるように見受ける。彼は徳川時代の悪い面もしくは問題点をあげたほうがよい。何事も良い面と悪い面がある。

11返信 (1件)ツイート1ヶ月前

『文明の生態史観』は拙劣かつ無価値な作品ID: 8a38d5梅棹忠夫氏の『文明の生態史観』の内容は過去の定説をないがしろにしているという問題点があげられている。そして彼は京都大学教授の吉川幸次郎氏から「古典をないがしろにする梅棹はバカだ。」という批判された逸話の持ち主としても有名。

01返信するツイート1ヶ月前

no nameID: 125293彼女が書き残したものだけで総てを判断するところが信じられない。23返信するツイート1ヶ月前