2021/01/24

Emerson and Quakerism: Irie, Yukio 1967 150 pages

Emerson and Quakerism: Irie, Yukio:入江勇起男
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This is part of the first chapter of my paper Emerson and Quakerism (196o)
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11073741_po_ART0009666585.pdf?contentNo=1&alternativeNo=

Emerson and Quakerism Jan 1, 1967
by Yukio Irie (Author)

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Publisher ‏ : ‎ Kenkyusha (January 1, 1967)
Language ‏ : ‎ English
Unknown Binding ‏ : ‎ 150 pages
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EMERSON AND QUAKERISM. By YuKIO IRIE. Kenkyusha,
Tokyo. 150 pages (in English). Pendle Hill, Wallingford, Pa.
Book Review by HOWARD H. BRINTON in February 15, 1968 FRIENDS JOURNAL
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This is an important and remarkable book from which both Quakers and Emersonians have something to learn. Dr. Yukio lrie, professor of English at Tokyo University of Education, has a profopnd understanding of Quakerism, as was shown in his lecture on "The Centre of Quakerism" to the Friends World
Committee at its meeting in Ireland in 1964; he also has a wide knowledge of Emerson, gained through years of intensive research in America and England in Emerson's published and unpublished letters, essays, sermons, and lectures.

He finds that Emerson accepts the fundamental Quaker doctrine of the "universal and saving light" and its social implications. This comes out most clearly in Emerson's lecture on George Fox, whom he considers a great and revolutionary religious genius. But Emerson does not understand the silent meeting for worship. This is not surprising, since in his time the majority of New England Yearly Meeting was beginning to revert to a narrow pre-Quaker evangelicalism. Fortunately
Emerson was well read in Quaker literature and was acquainted with some outstanding contemporary Friends, among them Mary Roche and Edward Stabler. Yukio Irie records and answers Emerson's criticism of Quakerism and cites his agreements. Bradford Smith, in his Meditation, the Inward Art, says that Walt Whitman was half a Quaker and that Emerson said he was more a Quaker than anything else. We now need a book on the Quaker half of Whitman. Emerson was the first important person to discover Whitman, possibly because they
both shared this kernel of Quakerism.
Walt Whitman은 반은 퀘이커교도였고 Emerson은 자신이 무엇보다 퀘이커교도에 가깝다고 말했습니다. 우리는 이제 휘트먼의 퀘이커 반쪽에 관한 책이 필요합니다. 에머슨은 휘트먼을 발견한 최초의 중요한 사람이었습니다. 아마도 둘 다 이 퀘이커교의 핵심을 공유했기 때문일 것입니다.
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Emerson and Quakerism. By Yukio Irie. Tokyo, Japan: Kenkyusha. 1967.
 150 pages. Pendle Hill, Wallingford, Pa.
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 Book Review by Robert E. Spille University of Pennsylvania 
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 Dr. Yukio Irie of Tokyo and of Pendle Hill has done a very great service
 both to Friends and to Emersonians by this study of the common ground of
 these two forms of religious experience. The advantage of his analysis over those
 of some other Quaker-Emersonian scholars lies in his thorough study of the
 unpublished manuscripts of many of the early sermons, in addition to the better
 known lecture on George Fox and the known facts of his reading of Quaker books
 and his friendships with New Bedford Quakers.

 Dr. Irie's main point is unassailable: that both Transcendentalism and
 Quakerism rest finally on the capacity of each human soul to enter into immediate
 communication with the Divine soul by calling upon the aid of the "Inner Light."

 This is a primary similarity, and it is not surprising that Emerson thought himself "more of a Quaker than anything else." But, as Dr. Irie also points out,
 Emerson could not be "anything else" (that is, commit himself exclusively to
 any sect) because with him this is an experience of the individual and can only
 be achieved in "solitude," whereas the Quaker thinks of it as a group experience
 which is intensified by being shared and which incites to group rather than
 individual action. 

 Dr. Irie traces the growth of this common emphasis on a self-reliance which
 is in effect a God-reliance from Emerson's earliest days at Harvard to the point
 of his purest transcendentalism, 1836-1838, and then argues that his position
 was very little if any changed between then and 1860 when he wrote his more
 complex and often apparently skeptical essays and lectures. He aims his attack
 mainly at Whicher, Carpenter, and others who have argued for a fundamental
 psychological and theological change in Emerson's position and personality during
 a major crisis between 1838 and 1844. Particularly telling are his point that
 Emerson experienced periods of acute self-distrust and despair at various times
 throughout his life and his argument that, whatever alternatives Emerson offered,
 he always returned finally to a monistic faith in the one moral law. But even
 when these arguments are admitted, Emerson's shift to a more dialectic and
 pragmatic method of presenting his ideas during these years, whatever the reasons, as argued and documented by Rusk, Lindeman, and many other Emerson
 students, remains to be explained. Dr. Irie does not undertake this much more
 complex task, but he need not fear to do so because practicality and pragmatism
 are also shared by Emerson with the Quakers.


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Yukio Irie: Emerson and Quakerism
研 究 社 昭 和 42 年 ¥ 1,800
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こ の 書 は 学 問的探 究精神 や旺 盛 な知 的好奇心 だ けか ら生 ま れ た も の で は ない 。 著者の ク エ ー カ ー と して の 宗 教的 信 仰 と生 活信条の すべ て が 、 あ え て い え ば著 者の 存 在全体 が賭 け られ て い る 著書 で あ る。 しか しまた こ の 書 を 、 い わ ゆ る 「信 仰告 白の 書」 と呼 ぶ の は 正 し くな い 。 著者 は 、 三 年近 い 海外 留学 中 、 主 と して ア メ リ カ の Pendle Hil1と英 国 の Woodbrooke と い う、 ク エ ー ヵ一 の 二 つ の 研 究 セ ン タ ーに 住ん で 、 周到 な用 意 を も っ て ク エ ー カ リズ ム の 本質 を探 った ば か り で な く、ハ ー ヴ ァ ー ド大 学 のHoughton Library所蔵の エ マ ソ ン の 、 未発 表 の も の も含 む 尨 大 な説 教原 稿 を 丹 念 に調 査 して 、 ア メ リ カ の 研究者 た ち もま だ 触れ て い な い 貴 重な 幾 つ か の 資料 を と りあ げて 論究 の 根 拠 とす る な ど、 ほ とん ど可能 な限 りの 精到 な 学 問 的 努 力 を傾 け て い る か らで あ る 。
ク エ ー カ ー は 、17 世 紀 の な か ばに 英 国の 北部 に 起 っ た プ m テ ス タ ン トの 一派 で ある が、 そ の 信仰 内容 と生 き方 の 強 烈 な 独 自性 の 故 に 、 英 国国教 会 と清教 徒 の 双 方か ら迫 害 と論 難 の 十 字砲 火 を浴び て 、 社 会 的 勢カ と して は 取 る に 足 らぬ 存 在 だ っ た が 、 アメ リ カ で は 、 Williarn Penn を指 導者 と して 開拓 し た Pennsylvaniaを 中 心 と し てNew Jersey, Delaware な どの 中部 諸州 で 、一つ の 強 い 社 会 的 勢 力 を 形 成す る こ とが できた よ うに 思 わ れ る 。 そ の よ うな 社会 的背景か ら、Penn , Paine , Woolman , Brockden Brown , Cooper, Whitman , Emerson ,Whitder な ど、 ク ェ ー カ リズ ム の 影 響 を強く示 して い る 作家た ちが 現 わ れ た 。 HenrySeidelCandy の C 痂 ∬ ’‘ Aneericans(lg31 )は 、 お そ ら く、 こ の 事 実 に 最も早 く注 目 した 書物 で あ る が 、比 較 的 系統 的 に こ の 閥題を扱 っ た もの と して は 、 Howard W Hintzの The 2uaikerlny70sencein American Literature (lg40 )が あ っ た 。 が、 と くに エ マ ソ ンに 対 す る ク エ ー カ リズ ム の 影響 を論 じた もの と して は、 こ の 書 の な か で 著者 が しば しば 言 及 して い る 、Frederick B Tolles の‘‘ Emerson and Quakerism’ (ig38 ) とMafy C .Turpie の “ A Quaker source for Emerson ’s Sermon on the Lord ’s Supper”
(i944 )とい う二 つ の 論文 が あ る だ け で ある。 著 者 は こ の 書 の なか で 、 上 の 二 つ の 論文 を踏 ま え な が ら、 そ れ らをは る か に 凌 駕す る 、 精緻 で 説 得力 の あ る論述 を展 開 してい る 。 
Eveer∫on and 2uakeri∫ne と い う書 名か ら、読者は こ の 書 を エ マ ソ ン の 思想 の きわ め て限 られた一 面 を扱 っ た 特殊 研究 で あ る か のよ うに 誤 解す るか も知れ ない 。 しか し、 本書 の 第 三 章 以 下 の 四 章 は 、 そ れ ぞ れ 、

Emerson ’s Religious Philosophy ” {Emerson's Practice of Religion,“Emerson as a Poet,Emetson as a Monist ” と題 して 、
エ マ ソ ン に お け る 包括 的 な諸 問題 を論 じて い る こ とか ら も判 るよ うに、 エ マ ソ ン の 全 体 の 像 に 迫 ろ うと志して い る の は 明 らか で あ る 。 もち ろ ん 著 者の 基本 的立 場 は 、 第… 章 の “The Quake:Influeflce upon Emerson ”
と第 2 章 のEmerson ’s criticism of Quakerism ’ のな か で 明確に 述べ られ て お り、 こ の 基 本的な 立 場 と角度 か らエ マ ソ ン の 思 想 全体 を裁断 して 見 せ た も の で あ る が 、 そ の 裁 断 面は 、‘Ernersonianism ” と い わ れ て い る も
の の 最 も本 質的 な 部分 を明 らか に す る こ とに 成 功 して い る 。 著 者 が 述 べ て い る よ うに 、‘‘Self−Reliance ’”や‘‘The Ovcr −Soul ”な どに 見 られ る 、 人 聞 と神 に 関 す る エ マ ソン の 基本 的 な思 想 は 、 ク エ ー カ リズ ム に おけ る‘Seed of God ” や‘‘Inner Light’”の 理 念 と共 通 す る も の が非常 に 多 く、 両 者の 一 方 を 明 らか に す る こ と は 同時 に 他方 を明 らか に す る こ とに な る 場合 が 多 い か らで
あ る 。
著 者 は 、エ マ ソ ン が 聖餐式 に 関す る 最後の 説 教 を行 な っ て ボ ス トン 第二 教 会の 聖 職を辞 した r832 年 とい う、 彼 の 精 神史 に お け る 重 要な 時 点 を中心 と して 、 そ れ ま で の彼 の 多 くの 説教 の 内容 を精 密に辿 り、 こ の前 後 に 彼 が耽 読 した ク エ ー カ ー関係 の 文 献や、 彼 が親 し く交わ っ て 深 い 精神 的影 響を受 けた ニ ュ ー ・ベ ッ ドフ ォ ー ドの ク エ ー カ137 一の 女 性 Mary Rotch や Whittierな ど、 ク エ ー カ ー との 人 間 的接 触 を、 そ の 細部 に い た る ま で 実 証 的 に跡づ けて い て 、 た い へん興 味 深 い 。 しか し、 著者 が 、エ マ ソ ン とク エ ー カ リズ ム との 、 以 上 の よ うな 具体 的な接 触 の 事 実を跡づ け る こ とか らさ らに 一歩 を進 め て 、エ マ ソ ン の 超 絶主義 の 思想 的源 流 に ま で さか の ぼ り、 ま た ク エ ー カ リ ズム の キ リ ス ト教 的神 秘主 義 を、エ ッ ク ハ ルトや ヤ コ ブ ・べ 一 メな ど、そ の ヨ ー n ッ パに お け る源 流に ま で さか の ぼ っ て 、 両者 を比 較検 討 した な らば、 こ の 書 は さ らに 深 さと厚 み を加 えた に 違 い な い と思 わ れ る。
最 後 の“Emerson as a Monist ” と題 する 章 は 、エ マ ソ ン の 二 元 論 的 傾 向を 強 調 する 従 来 の 多 くの ア メ リ カ の 学 者 た ち の 立 場に 対 して 、 一 元論者 と して の エ マ ソ ン を 論証 し よ うとこ こ ろみ た 、 い ろ ん な 意味 で 著者そ の 人 の 個性 の に じ みで た 、 カ の こ も った 重 要 な 章 で あ るが 、 多分 多 くの 論議 を呼ぶ で あ ろ う。 す で に エ マ ソ ン の 存命 中に 、JamcsRussell Lowell は 、A Fav’le forCritics (1848 )に お V・ て 、“ A Greek head on right Yankee shoulders , whose range fHas Olympus for one pQle,for to the the Exchange  1APIotinus−Montaigne,where the Egyptian ’s gold mist !Andthe Gascon’s shrewd wit cheek −by−jowlcoexist ;
” と書 い て 、 エ マ ソ ン の 二 元 論 的傾 向 を指摘 し、 エ マ ソ ン 自身 も、
1835 年5 月 5 日の 日記 の な か で 、“1 am the practical Idealist.” と:書い て 自分 の 二 元 的傾向 を承 認 して い る 。 対 立 す る もの の 中間 に 立 つて 平 衡 感覚 をた の しん で い る か の よ うな 或る た くま しさ こ そ 、エ マ ソ ン の 思想 全体 を
つ ら ぬ くとこ ろ の 無視 し得な い 特質 で あ って 、 これ な くして エ マ ソ ン は 、 ア メ リ カ 思想 の 源 流 の 一 つ とな る 栄誉 は に な い 得 なかっ た に 違 い ない の で あ る 。

一一 小 泉 一 郎