人の往来の少ない昨今、本欄などを含め、ネットなどを通じた、まさにソシアルディスタンス(?)を狭くした交流をしている。わたしは実に幸いなことに、まだ若い20代にタイプライターの教師を1年ほど経験したことがあり、感謝する。当時、負担だった科目だが、私がコンピューターなどの機材に近づくきっかけになったからである。
読者との出会いを広くする良い基礎になったことになる。拙著の 内容によっては離れていく人もいるが、より深い理解を与えて下さった質の高い読者を持つことが出来て感謝。 昨日、著名な民俗学者宮崎公立大学の永松敦教授が拙著に対する読後感を投稿してくださった。約20年前に書いたもの、あまりにも時代を先行した内容で、読者があまりいなかったが、今韓国でも再版準備進行中である。感謝のあいさつを兼ねてここに転載する。
永松敦氏から
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崔吉城先生の御本、本当に読みごたえがありました。戦前の鳥居龍蔵、秋葉隆といった諸先学の研究法の見直しから、セマウル運動での戦前の日本の影響、私が最も興味深かったのは旧朝鮮総督府、のちの韓国国立中央博物館の解体に対する崔先生のお立場。私は解体寸前の中央博物館に公務出張で訪れる機会があり、最後の館長と2度面会する機会に恵まれた。もう1回は、九州国立博物館誘致運動での視察である。ただ、当時、素人であった私の目にも、ソウル市の景福宮の正面に立ちはだかるこの建物を韓国国民がどのように見ていたのかを考えれば、解体は致し方なかったのではないかと思ってしまう。
保存しておいてもそれは「恨」の象徴にしかならなかったのではないかと・・・ただ、私は福岡市博物館に勤務していた1990年から韓国を訪れるようになりました。当初は、同僚からの忠告もあり、警戒していった記憶があります。ただ、行っておどろいたのは、うどんがあったり、日式食堂があったり、日本を嫌いなのか好きなのかよくわからない不思議な国という驚きがありました。確かに、中央博物館は解体されましたが、旧ソウル市庁舎は図書館として再利用されていますし、必ずしも日本の要素を完全に否定しているのではないようにも見受けられます。
今、在日の方とも十五夜行事のことでお世話になっておりますので、最後の章も大変参考になりました。学生にも是非読ませたい書物です。機会がございましたら、是非、宮崎にお越しいただければと思います。これからもご健康でご活躍されることを心より祈念いたしております。ありがとうございました。
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