2017/01/14

バイオダイナミック農法 - Wikipedia

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バイオダイナミック農法

バイオダイナミック農法(独:Biologisch-dynamische Landwirtschaft。ビオダイナミックビオディナミバイオロジカルダイナミック農業BD農法生命力動農法シュタイナー農法とも)とは、人智学ルドルフ・シュタイナーによって提唱された有機農法・自然農法の一種で、循環型農業である。ドイツやスイスで普及しており、人智学運動の一角を担っている。通常の有機農業と異なり、生産物が有機的であることだけでなく、生産システムそのものが生命体(organic)であることが意識される[1]。「理想的な農場はそれ自身で完成した個体である」というシュタイナーの思想に基づき、外部から肥料を施すことを良しとせず[2]、理想的には農場が生態系として閉鎖系であることを目指す。これは、当時成立しつつあった生態学や社会学の有機体論との関係が指摘されている。神智主義の有機栽培実践家に有機栽培の神智学的な基礎付けを求められたルドルフ・シュタイナーが、亡くなる前年の1924年ドイツのコーバーヴィッツで行った8回に及ぶ講演、通称「コーバーヴィッツ農業講座」に基づいており、神智学または人智学を根拠にするとされる。元来ドイツで伝統的に行われていた農法を神智学的に再解釈して作られたと理解されているが、その際に、伝統的には効率や有効性を根拠に理解されてきた事柄が、シュタイナーの農業への幻想により希釈されたり、場合によってはそれは機械化の否定として現れているという。
シュタイナー自身がバイオダイナミック農法を実践していた証拠はない。農業経済学者の藤原辰史は、バイオダイナミック農法の名付け親の一人エルンスト・シュテーゲマンが1922年から化学肥料を用いない農法を試していることから、シュタイナーが農法を発明したと言うより、シュテーゲマンらが行なっていた農法に対して理論を構築したのではないかと考察している[3]
バイオダイナミック農法は、鉱物製肥料の使用を中心としたそれまでの農法を否定し、土壌と植物、動物の相互作用だけでなく、宇宙の力を土壌に呼び込み、様々な天体の作用を農作物の生育に生かすことを目指す[4]太陰暦占星術に基づいた「農業暦」にしたがって種まきや収穫、調合剤の攪拌などを行い、また牛の角や水晶粉などの特殊な物質を利用する。ホメオパシー療法のような物質を、満月など定められた時刻に土壌へ加えることで、土壌の改良を目指す。そのため限界があり、微量元素の少ない土壌、またはpHが高いなどの理由で植物が利用可能な微量元素に乏しい土壌には適さない[5]
シュタイナーの農法では効率はほとんど重視されず、経済効率を超越しており(この点が経営を成り立たせる側にとって大きな欠陥となっている)、「手作業」の優越性や娯楽の問題として判断がなされ、超自然的作用だけでなく、農民の具体的な「手触り」が重視されている。シュタイナーは「動物は人間より賢い」と断言し、現在も動物との共生が重視される。農地という空間、有機体において人間を一つの構成要素に過ぎないものと考え、作物以外の植物の有効性を認め、家畜以外の動物の有効性を認め、農地を再構成しようとした。それは、農地の空間と人間に対する制限を前提とするものであった。シュタイナーの農法には、既存の自然と人間の関係、農業における「人間中心主義」を変革する可能性があり、同時に閉鎖性と排他性を抱えていた。[6]
ナチス時代、生産量の低さからバイオダイナミック農法は公的には禁止されたが、ハインリヒ・ヒムラーリヒャルト・ヴァルター・ダレなどナチスの支持者によって実質的に研究や実践が続けられ、それは強制収容所にも及んだ[3][7]
バイオダイナミック農法は、欧米の提携運動の一種で、特定の範囲の地域の中で農業生産者と消費者が会を作り長期間にわたって食料品の供給・購入を直接行う「コミュニティー・サポーテッド・アグリカルチャー英語版」(CSA、地域が支える農業)として、スイスやドイツで行われ、近年アメリカやイギリスにも広まった[8]。実践には非常な大きな労力が必要であるが、困難さの度合いは、ドイツの伝統に由来するこの農法が、実践される気候風土に適しているかどうかによっても大きく異なる[9] 。日本は農法の実践はほとんどないが、超自然的世界観や魔術的側面が肯定的にとらえられたり、ロハスな商品と認識され、一部で商品が流行している[10]。一方、ドイツの最大手週刊誌「デア・シュピーゲル」が2006年に「シュタイナーの突飛な思いつきの一つ」と紹介し「疑似科学信仰システム」と呼んでいるなど、魔術的思考に基づく疑似科学であるという批判もある[10][11]。この農法が通常の有機農法に比べてより有効であることは証明されていないが、生産物の一部は品質について一定の評価を得ている[9]

名称[編集]

シュタイナーの死後、かれの理論づけた農法は、西洋近代の農法と区別するために「バイオダイナミック農法」(独:Biologisch-dynamische Landwirtschaft)と呼ばれるようになった。ナチス時代に活躍した指導者のひとりエアハルト・バルチェによる施肥の生物学的調整という側面に注目した「生物学的」という形容詞と、エルンスト・シュテーゲマンによるエーテル的力とアストラル的力の関係性をあらわす「ダイナミックな」という形容詞が冠されることがあったが、両人が妥協しあう形で「バイオダイナミック」という形容詞が使われるようなった。[12]

世界観[編集]

シュタイナーは、眼に見える自然の背後には超自然の霊的世界が存在し、地球に由来する霊的なフォース(力)と宇宙に由来する霊的なフォースがあり、生物はこれを互いに放出・吸収しあっていると考えた。人類の霊的な成長、完璧な直観力の獲得は、霊的なフォース(力)に富んだ食料によって助けられるとし、化学肥料の使用で食料品の霊的品質が落ちると考え、人間の霊的発展のためにフォースを食料にいかに導くかを教えた。[13]

背景[編集]

シュタイナーが提唱した当時は、ハーバー・ボッシュ法による窒素ガスと水素ガスからのアンモニア合成が始まった時期で、これは火薬の材料に用いられたが、第一次世界大戦が終了すると、無機の窒素肥料が工場で合成されるようになり、広く利用された。合成化学農薬の普及は化学肥料より少し遅い。農学者の西尾道徳は、シュタイナーは無機肥料や化学農薬による作物や食べ物の霊的な質の低下を憂慮したが、農薬の普及の時期もあり、農薬よりも無機化学肥料の影響を強く懸念していたようであると述べている。[13]

農法としての特徴[編集]

有機栽培の一種であり、農薬化学肥料を使わない。天体の動きとの調和、動物との共生、独自の調合剤の使用を特徴とする[1]

農業暦[編集]

月やその他の天体の動きが植物に与える作用を重視した農業暦を用いた栽培を行う。ただし重視しているのは重力放射線などの実際の力学的な作用ではなく、占星術などで培われた知識を元にした秘教的・非科学的なものである。太陰暦だけでなく、黄道十二宮や惑星の位置と関連させて決定される。

調合剤[編集]

シュタイナーは、499番からなるホメオパシーの延長として、500番から508番の9種類の調合剤(プレパラート)を考案した[14]。なお材料はその地方でとれたものを使う。早稲田大学教授の子安美知子は、調合剤の利用は、あくまで「力」の伝播であって、「物質」の投入ではなく、これは人智学のすべての分野に共通する決定的な点であると述べている[15]
バイオダイナミック農法の調合剤
番号調合剤使い方目的
500雌牛の糞雌牛の角に糞を詰て土の中に冬につくり、雨水で希釈し散布根の強化
501水晶(長石石英)の粉砕いて雌の牛角に詰めて6ヶ月土中に埋め希釈し散布根の強化
502セイヨウノコギリソウの花アカシカの膀胱につめて一冬寝かし、夏にまく硫黄の供給
503カモミールの花秋に牛の小腸につめて、春にまく石灰分の供給窒素量を調整
504イラクサの腐葉土乾燥させておいて、使う時に煎じる。いつでも利用してよい。窒素と鉄分の供給
505オークの樹皮樹皮を細かく砕き、家畜の頭蓋骨につめて一冬寝かせたもの
506タンポポの花牛の腹膜につめて一冬越したもの珪酸の供給
507セイヨウカノコソウの花絞った汁を発酵させたもの リンの供給
508スギナ陰干しして乾燥させ、煮出して使うサビ病など病害を防ぐ
牛の角は、その中に詰めた材料にフォースを受け取り、濃縮する特別な力があるとされる[13]。たくさんの胃袋を持つ牛は強力な消化力を持つが、そのエネルギーは角に阻害され体外に抜けることができず、角にエネルギーが集中しており、また角には宇宙のエネルギーを漏斗のように集める効果があるのだという[15]。冬の地中では精神の世界とつながりあう生命活動が活発に行われるため、角に糞を詰めて冬に地中に埋めておくと、冬の間の高次の生命が角を通して牛糞に注がれる[15]。冬に活発だった地中の生命がいなくなると鉱物の結晶力が強くなるため、水晶の粉を砕いて角に詰め春に地中に埋めると、夏中鉱物界の力が水晶に注がれ、しっとりと純化したものになるという[15]。腐植調合剤は地球のフォースの含量を高め、水晶(シリカ)の調合剤は、光や熱とつながった宇宙のフォースの含量を高めるとされる[13]
調合剤を攪拌したものを畑にまくが、この水には調合剤の元の物質は何も残っておらず、調合剤に蓄えられた諸力が水に伝えられ、畑や野菜に作用するとされる。調合剤の攪拌作業は、独自の暦(カレンダー)によって宇宙と呼応する日を選んで行われるが、攪拌作業は水中に太陽系を生じさせ、しばらく動かしてからこれを壊す、という作業であり、これにより調合剤に蓄えられたフォースが水に伝えられるのだという。この水によって、土壌の力が強まり、宇宙の諸天体と大地の呼応関係が活発になると考えられている。[15]

団体と品質認証の基準[編集]

バイオダイナミック農法を実践する生産者団体デメター[16](1924年設立)は、1946年に品質認証のための自主基準を作った。おそらくこれが、初めて作られた有機農産物の基準であるといわれている。デメターは基準を策定することで、加盟する農民に栽培の指針を示し、外部に対しては信用が落ちるような事態を防ぎ、品質を保証することで権益を守った。バイオダイナミック農法は、生産団体が自ら農法の研究、生産物の品質保守、販売のあっせん(デメターは商取引そのものは行わなかった)までを行うという形で広まっていったと考えられている。[17]バイオダイナミック農法のグループは、デメター以外にも存在する。
1997年に19のグループがデメター・インターナショナル(Demeter International)を結成し、2015年時点でこの組織に登録されている農場数は4950、農地面積は約16万haで、ヨーロッパ、アメリカ、ブラジル、エジプト、ニュージーランド、インド、チリなどに多い。日本には生産者や加工業者はないが、3つの販売業者が登録されている。[18]各国から18の認証団体が参加し世界的ネットワークが作られており、世界約40か国から認証された3500を超える商品が流通している[1]
デメターは1992年にバイオダイナミック農業の基準を定めており、農業生産、加工、ラベル表示、養蜂の4つの基準がある。農産物の認定には以下の条件を守る必要がある。(これ以外にも細かい条件がある)
  1. 有機農業の認証を受ける:EUの「有機農業規則」および「有機農業実施規則」、アメリカの「1990年有機食品生産法」および「全米有機プログラム」(National Organic Program)、オーストラリアの「国定有機農業およびバイオダイナミック生産物規則」のいずれかの認証が必要とされる。
  2. 占星術による作業日程調整や調合剤を使用する:シュタイナーの思想に基づき、黄道十二宮を巡る月の周期から播種などの時期を選定する占星術や、地球フォース(力)や宇宙フォースといったフォースを集める調合剤の使用が必須である。
  3. EUの有機農業基準よりも厳しい家畜飼養密度や、肥料としての家畜ふん尿使用量の上限を守る:作物輪作にわたって平均して家畜ふん尿によって供給して良い窒素の最大量は、農場が自ら生産した飼料によって維持する動物によって生産される量を超えてはならず、農場の全面積当たり、最大1.4家畜ふん尿単位/haを超えることができないと規定している。ただし例外条件がある。
  4. 生物多様性のを保護する:農場は生物多様性維持の誓約を提出し、農場と直接隣接地内の生物多様性の保護地が全農場面積の10%に達していない場合には、その達成プランをチェック機関に提出し、承認を受ける。[18]

産物[編集]

種子の供給[編集]

種苗の市場は、現在では少数の多国籍企業がほとんど独占し、扱われるのは短期間で育成された広域適応性のある新しい改良品種のハイブリッド種子[19]である。各作物は少数の品種が栽培の大部分を占め画一化が進んでおり、農家が自分の播きたい種子を入手することが困難な状況すらある。有機農業ではハイブリッド種子は扱わず、放任受粉によって自家採種されたOP品種を用いる。ドイツでは伝統品種の育種、種子生産、流通においてバイオダイナミック農法が大きな役割を担っており、ヨーロッパで注目を集めている。種子会社、研究所、種子生産を行う農家グループがある。[1]

ワイン[編集]

シュタイナーはアルコールを忌避していたので、本来バイオダイナミック農法とワインは無関係であるが、有機栽培の変種としてバイオダイナミック農法で使われる調剤や農業暦を応用したぶどう栽培と、酸化防止剤としての二酸化硫黄を使わない醸造が行われている。またバイオダイナミック農法を実践しているとされているワイン農家のいくつかは、必要に応じてボルドー液などの農薬を使うことや農業暦に関しても柔軟に対応していることを明言している。
バイオダイナミック農法の認証は非常に厳格であるため、バイオダイナミック農法のブドウを使う醸造家の多くは、生産年によってブドウをどのように栽培するかを自由に選択したいという思いから、認証の申請を行わず、バイオダイナミック農法を利用していることをラベルに表示していない。コラムニストのデイヴィッド・コッボルドは、この農法を採用している生産者の中で経済的に成功しているのはごく少数であると述べている。[9]

化粧品[編集]

日本で知られるバイオダイナミック農法の商品に、スイスに本社のある医薬品企業で、日本ではコスメティック・ブランドとして認知されているヴェレダ社の商品がある。バイオダイナミック農法で栽培された植物を原料として作られる。ファッション誌「VOGUE」はヴェレダ等のバイオダイナミック農法で栽培された植物を使った製品を「シュタイナーコスメ」と名付け、シュタイナーが提唱したロハスな思想が信頼できるオーガニックコスメの礎となっていると紹介している。[10](「ロハス」は現代のマーケティング概念で、シュタイナーの時代には存在しない。)

批判・論争[編集]

畑中の微生物の多様性や数について、農薬を使わない分たしかに農薬を使っている畑に比べて多いが、他の有機栽培に比べて、調剤や太陰暦を用いたバイオダイナミック農法が特に優れている証拠は全くない。ドメーヌの当主であるロランス・ファレルは、「有機農法との対比でバイオダイナミック農法の特別な貢献を評価することは難しい」と述べている[9]
シュタイナーは霊的向上のための食料の生産に注目したが、環境上の懸念や自然の保全、生産物の生化学的品質の低下は眼中になく、土壌の環境問題については特に指示はなかった。[13]
シュタイナーの超自然的世界観は、自然科学とは合致しない。また、調合剤について「カリウムとカルシウムが窒素に変換される」と説明しているが、これは正しい理解ではなく、シュタイナーの自然科学についての理解には誤りも多いと指摘されている。[13]
バイオダイナミック農法では、ホメオパシー療法のような物質を独自の暦に従って土壌へ加えることで、土壌の改良を目指す。しかし、この方法には限界があり、熱帯地域のアレノソル(新しい砂丘、海岸の砂など未熟な砂質土壌)のような、微量元素の少ない土壌、pHが高いなどの理由で植物が利用可能な微量元素に乏しい土壌の場合、植物の成長にこれらの元素が不足するため、植物から栄養を摂取している人間を含む動物は元素が不足する。[5]
バイオダイナミック農法の実践者には、シュタイナーの思想やシュタイナー自身を信奉している人もいれば、必ずしもその思想を受け入れていない人、思想には頓着しない人もいる。シュタイナーの教えを厳密に実践している人も、一部を取り入れているだけの人もいる[9]
デイヴィッド・コッボルドは、バイオダイナミック農法で作られたワインについて語る際に、ホメオパシーを応用して得られたと思われる“恵み”と、土を耕すといった実際に増大した手のかかる作業による“恵み”を切り離すことはほとんど不可能であり、ブドウ栽培という複雑なプロセスにおいて結果を厳密な価値量として見極めることは非常に困難であると指摘している。この農法の“活性化”という部分は、科学というより秘儀といったほうが良いものであるが、有効性の根拠はともかく、成果は生産されたワインに表れており、バイオダイナミック農法が有機農法以上のものでないとしても、ブドウ栽培について考える良いきっかけにはなると述べている。[9]

アルバート・ハワードによる批判[編集]

シュタイナーのバイオダイナミック農法と双璧をなす初期有機農業の源流アルバート・ハワード英語版(1873 – 1947年)は、インドで農業研究に携わるうちに化学肥料中心の西洋の近代農学に疑問を持ち、現地の農業を研究し、インド、中国や日本の伝統的な農法をヒントに「インドール方式」という農法を作り上げた。彼は西洋の近代農法を批判したが、同時にシュタイナーのバイオダイナミック農法も批判している。シュタイナーは、人糞尿の肥料としての利用を「肥料としてごくわずかな効果しかない」「人糞尿で育った植物には、人糞尿の段階のままでとどまっているものが含まれる」という漠然とした説明で、「できる限り用いないほうが良い」としており、シュタイナーの門弟たちは「人間の排泄物の施用は有害である」としていた。ハワードはこの点を批判し、「ルドルフ・シュタイナーの門弟たちが、自然の諸法則を本当に解明し、彼ら理論の価値を実証する実例を提示できたとは考えられない」と述べた。[3]
また、バイオダイナミック農業の肥料の配合方法は秘儀的な要素が強く、農法の伝承も人智学徒以外に必ずしも開かれているとはいえないが、ハワードはこの点も批判している。ハワードは著書で、バイオダイナミック農業の名を明示はしないが、明らかにわかる形で次のように述べている。インドール式には何の秘密もなく、秘法的知識に基づいたり健康と幸福が促進されると主張する「糞と魔法の混合」とでもいうべき農法のような主張は一切しない、インドール式は単に自然の土の中で行われていることの模倣である、と述べている。[3]
シュタイナー自身は、講演会における「どのような人間が作業をするのかということは、意味を持つのでしょうか。それとも誰でも作業をしていいのでしょうか。作業をするのは、人智学的なものに関心のある人でなくてはならないのでしょうか」という聴衆からの問いに、次のように答えている。
瞑想的な生活を営むことで心の準備ができている人が、そういう仕事を見事に為しうるのです。瞑想している人は、イマジネーションを含み持つ窒素に対して、ほかの人と全く異なった関わり方をします。…わたしはこうした事柄について公衆の面前で自由に語るのは気が進まないのです。— ルドルフ・シュタイナー、藤原辰史『ナチス・ドイツの有機農業 「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』
藤原辰史は、ここでシュタイナーは精神修行を行った人智学徒に限るとしているわけではないが、自らの農法を伝える相手を厳しく制限することを望んでいたことは間違いないと述べている。シュタイナーが一方的に教えるという関係は揺らぎないものであり、「授ける側」-「授けられる側」という権威的な構図が固定しており、聴衆が問いシュタイナーが答えるという形しかなかった。ハワードは、インドール式はバイオダイナミック農法と違い、明快で開かれた農法であると自負していた。[3]

ナチス支配下でのバイオダイナミック農法[編集]

ナチス時代、生産量の低さからバイオダイナミック農法は公的には禁止されたが、ハインリヒ・ヒムラーリヒャルト・ヴァルター・ダレなどナチスの支持者によって実質的に研究や実践が続けられ、実践者の側からもナチスへの歩み寄りが図られ、バイオダイナミック農法の秘儀的性格からの脱却がもたらされた[7]。東方占領地では入植ドイツ人によって行われ、ヒムラーは強制収容所で囚人の強制労働によるバイオダイナミック農法の菜園を経営した[3]。藤原辰史は、ナチス支配下のドイツでバイオダイナミック農法がナチス農本思想と「混淆」し、「変容」を遂げていく過程を検証し、「人間非中心主義」が「他民族との共生」を拒む凶器と化すという「自然との共生」がはらむ暴力性を具体的に論じた[3]ルドルフ・ヘスはナチスがシュタイナーの人智学を禁止した後もBD農法全国連盟の活動を守ろうとし、ダレは戦後、バイオダイナミック施肥法の闘士となった[3]

脚注[編集]

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  1. a b c d 藤原 2007.
  2. ^ 小川 2004.
  3. a b c d e f g h 藤原 2005.
  4. ^ 近藤 2001.
  5. a b 北里大学学長通信 情報:農業と環境と医療 67号(最終号) 北里大学学長室 2012年06月01日
  6. ^ 藤原 2005. pp. 45-46.
  7. a b 伊藤淳史 (2006年10月). “<書評>藤原辰史『ナチス・ドイツの有機農業』”. 人環フォーラム 19. 20151125閲覧。
  8. ^ 桝潟 1994.
  9. a b c d e f デイヴィッド・コッボルド (2009年3月). “UNCORK バイオダイナミックは本物か黒魔術か”. WANDS online. 20090911閲覧。
  10. a b c 井上 2007.
  11. ^ Smith, D. (2006). “On Fertile Ground? Objections to Biodynamics”The World of Fine Wine (12): 108–113.
  12. ^ 藤原 2005, p. 46.
  13. a b c d e f No.263 有機農業は当初,生命哲学や自然観の上に創られた 西尾道徳の環境保全型農業レポート 2014年11月25日
  14. ^ シュタイナーによるバイオダイナミック農法 有限会社マカイバリジャパン
  15. a b c d e 子安 1997.
  16. ^ デメターは、ギリシャ神話の農業・結婚・社会秩序の女神の名である。
  17. ^ 桝潟 1994.
  18. a b No.289 バイオダイナミック農法の生産基準 西尾道徳の環境保全型農業レポート 2015年11月24日
  19. ^ 異なる性質の種をかけ合わせた雑種の1代の種子で、2代以降はメンデルの法則の通り、優れた品質は安定的に受け継がれない。

参考文献[編集]

外部サイト[編集]

퇴계 와 율곡 사상 비교

퇴계 와 율곡 사상 비교



퇴계 와 율곡 사상 비교 |

원두막 2012.12.09

http://blog.daum.net/wonduho/11781876



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2.퇴계의 사상



2.1 聖學十圖

퇴계가 어린선조가 임금에 등극하자 聖君이 되기를 바라는 마음에서 성인이 되기 위한 학문을 10개의 그림으로 구성하여 선조에게 올렸다

성학십도는 소학과 대학을 중심으로 위로는 그 우주론적 근거와 기준을 탐구하고 아래로는 가치의 본원을 밝히고 체득하며 이를 현실세계에서 구현하는 방법을 제시한 것이다

여기에는 우주와 인간의 참모습,여기에 도달할 수 있는 방법론, 그리고 이를 바탕으로 인간이 추구해야할 바른 삶의 방향에 대한 최선의 지식을 자각하게 하는 내용이 들어있고 특히 心統性情圖에 퇴계사상의 핵심이 들어있다



2.2 사단칠정론쟁

四端은 맹자의 측은지심은 인지단(仁之端), 수오지심은 의지단(義之端), 사양지심은 예지단(禮之端), 시비지심은 지지단(智之端)이라고 한 仁義禮智 端을 모아서 사단이라고 하며,



칠정이란 예기에 나오는 사람이 갖고 있는 일곱 가지 감정, 喜怒哀懼愛惡欲을 말한다.

이 사단과 칠정의 관계를 철학적으로 설명하는 데 있어서 그 주장을 사칠론이라고 하며,

2/5

또한 이것은 사람의 견해에 따라 의견을 달리하며 조선시대의 성리학에 있어서 오랫동안

논쟁 대상이 되었다.(기대승과의 논쟁)



2.3 이기론

理氣論은 조선시대 성리학에 있어서 자연의 존재법칙을 연구하는 우주론의 하나이다.

이기론은 사칠론과 얽히어 조선시대 유교계에 있어서 논쟁의 초점이 되었다.

四端은 理에 發하므로 순선(純善)이요, 七情은 氣를 겸하였으므로 선악(善惡)이 있다

사단은 이의 발이요, 칠정은 기의 발이다.사단에도 기가 없는 것이 아니지만 이가 주가 되므로 사단은 이의 발이라 말하고, 칠정에도 이가 없는 것이 아니지만 기의 발이라 한다고 하여 理氣二元論을 취하고 理氣互發說을 주장하였다.



퇴계의 사상은 정자, 주자의 입장을 바탕에 둔 정주학의 토대 위에서 세워졌다. 그리하여 그 좋은 예가 심성론 특히 사단칠정론이다. 퇴계는 기대승과의 4단7정론을 통하여 이기론의 이론을 심성 개념의 분석과 해명에 적용하여 한국 유학의 중요한 특징인 심성론(인성론)의 발전에 크게 기여하였다. 이와 같은 퇴계의 사상으로 인하여 한국 성리학은 강한 독자성을 지니고 발전하며 일본에도 큰 영향을 끼쳤다

퇴계의 학문정신은 이론에 사로잡혀 있는 것이 아니라 인격적 완성을 추구하는 수양론으로 열려 있기 때문에, 인간의 심성을 살아 움직이는 현실 속에서 이해한다는데 중요한 특징이 있다. 퇴계의 수양론은 심(心)과 경(敬)의 두 축으로 이루어져 있다. 심은 수양이 이루어지는 바탕이요, 경은 수양을 실천하는 방법이다. 퇴계의 학문적 관심은 항상 인간의 도덕적 자기완성을 추구하는 수양론으로 귀결되고 있으므로 이 '경'이야말로 퇴계 사상의 핵심이며, 퇴계가 존경받는 이유도 이러한 경의 태도를 한 평생 몸소 실천한 인격자이기 때문이다.



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4. 이율곡의 사상



율곡은 한국 도학사상의 정맥을 계승하여 通儒로서 유교의 고전과 송대 선현들의 학술을 깊이 이해하고 그 기본정신에 투철하였으며 실제적인 현실문제에까지 연결시켰다



4.1 理氣之妙

理와 氣는 보기도 어렵고 말하기도 어렵다. 무릇 리의 근원도 하나이며 기의 근원도 하나이다 (氣發理乘 : 운동하는 것은 氣요, 스스로는 운동하지 않으면서 기의 운동 원인이 되는 것은 理다.) 율곡은 理氣一途說로써 理發을 부정하고 氣發理乘만을 관철하였으며, 사단과 칠정의 근원으로서 퇴계의 이른바 이발·기발이란 두 묘맥(苗脈)을 부정하고 기발의 한 묘맥만을 인정하였다. 율곡은 선배인 퇴계의 이원적 이기론에 동의하지 않았다.

율곡은 “인심도심이 다 기의 발이요, 기에 있어 本然之理를 順한다면 기가 본시 本然之氣이다.”라고 하고 퇴계의 주장처럼 하나는 기발, 하나는 이발로 서로 다른 본질과 근원을 가지는 것이 아니라, 현존하는 하나의 심이 “단지 발하는 곳에 있어서 이단(二端)이 있을 뿐”이라고 생각했다.



4.2 人心道心說

인심은 본능적 욕구이고 도심은 도덕적인 순수의욕이다.

퇴계는 인심과 도심을 이기론으로 설명하면서 도심은 사단, 인심은 칠정으로 규정했으나 율곡은 인심과 도심은 사단이 칠정에 내포되므로 사.칠이 하나의 情인것과는 달리 서로 대립



적인 두 개의 마음으로 보고 인심과 도심은 다같이 理라고 하는 하나의 원천에서 흘러나와

두가지 마음이 된 것이다 (源一而流二)

4/5

인심은 성현이라도 면할 수 없으며, “먹을 때 먹고 입을 때 입는 것”은 바로 천리인 것이다. 율곡은 인심이라 해도 그것이 알맞게 조절된 상태에서는 “인심 또한 도심이 된다.”고 하였다.氣質之性 은 理와 氣의 합이며 인심은 氣의 가린 바이나 도심은 氣가 가리지 않는 것이고 意는 마음이 발한 것을 헤아려 생각하는 것으로 정의했다



또 정치사상에서는 민본 덕치주의를 강조하여 왕도정치가 실현되어 요순시대가

재실현되기를 바랐으며 정치에는 때를 아는 것이 귀하고,일에는 참을 힘쓰는 것이 중요함을 강조하며 국방력의 강화와 (10만 양병설을 주장) 정치의 주체는 국민이므로 民意에 의한 정치와 언로가 열리느냐, 닫히느냐에 국가의 흥망이 달려있다며 言路의 개방을 강조했다

경제사상 측면에서 애민정신으로 인간 생명 중시하였으며 養民 연후에 敎民으로 보았고

생산장려, 국부증대. 분배의 형평. 절약, 검소의 소비윤리를 강조하고 사창(社倉)제도 실시하여 빈민을 구제하였으며 오늘날 정치의 핵심이 되고 있는 경제에 있어서 의리와 실리가 조화 를 이루는 경제 윤리를 제시하여 이익에만 치우치는 경제를 경고하고 있다.

저서는 '성학집요' '격몽요결' '경연일기' '동호문답' 등이 있다.





5.맺음말



퇴계는 스스로 도산서원을 창설, 후진양성과 학문연구에 힘썼고 현실생활과 학문의 세계를 구분하여 끝까지 학자의 태도로 일관했다. 중종·명종·선조의 지극한 존경을 받았으며 시문은 물론 글씨에도 뛰어났다. 영의정에 추증되고 문묘 및 선조의 묘정에 배향되었으며 단양의 단암서원, 괴산의 화암서원, 예안의 도산서원 등 전국의 수십 개 서원에 배향되었다.



율곡은 진정한 학문은 내적으로 반드시 인륜에 바탕을 둔 덕성의 함양과 외적으로 물리에 밝고 경제에 밝은 부강을 겸비하여야 한다고 여기고 당시의 피폐한 현실은 역사적으로 경장기에 해당한다고 하여 국방력의 강화,경제 부강,사회정의의 확립등을 주장하면서 우리가 실리를 주장하다보면 의리에 어긋나고 의리를 추구하면 실리를 망각하기 쉽다 이러한 모순을 원만히 타개해야한다고 주장했다



퇴계의 理發, 율곡의 氣發이란 상반되는 견해는 다음 主理派와 主氣派의 양대 진영으로 갈리어, 유교계에서 오랫동안 논쟁을 계속하였고 퇴계를 지지하는 주리파는 영남지방에서,

율곡을 지지하는 주기파는 경기·호남 등지에서 성행하였으므로 각기 영남학파·기호학파라고도 일컬어졌다.



이상에서 본 바와 같이 퇴계,율곡을 정점으로 하는 전성기의 성리학은 인간성의 문제를 매우 높은 철학적 수준에서 구명하였을 뿐만 아니라 그것이 空疎한 관념에 머무르지 않고 역사적,사회적 현실과 연관을 가지고 영향을 주었으며 후세에는 의리사상 및 실학사상으로 전개되는 하나의 계기를 만들었다