『人文学報』第94号(2007年2月) (京都大学人文科学研究所)
癒しとイヤラシのポルノグラフィー 代々木忠監督作品をめぐって
田 中 雅
ポルノグラフィーの文化人類学的分析という仕事も,まもなくあらわれるかもしれない(梅棹忠夫『季刊人類学』第1巻 4号, 171頁, 197の。
A moral pornographer might use pornography as a critique Of current relations between sexes. His business would be the total demystification Of the flesh and subsequent revelation through the infinite modulations Of the sexual act, Of the real relations Of man and his kind. Such a pornographer would not be the enemy Of woman (Angela Carter, The S eaれⅣ0襯pp. 19-20, 1979).
1はじめに
本章の目的は,アダルト・ビデオ業界の巨匠と称される代々木忠による初期のアダルト・ビデオ作品や関連資料を取りあげ,そこにどのようなセックス観や女性観が認められるのかを分析することである。
わたしはかって「世界を構築するェロス」にて,ェロスと反ェロスという概念を使ってセクシュアリティをめぐるさまざまな言説の分析を試みた。
ェロスは,個人間の濃密な関係(二人の世界)を強く示唆する。それはなによりも性を媒介とする偶発的な関係・状況てある。ェロスは主観的には性的な相互作用を通じて自己と他者の変容や融合を引き起こす。身体を越え,あるいは身体そのものが他者の身体を受け
*たなかまさかず 只都大学人文科学研究所shakti@zinbun.kyoto—u.ac.jp
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人文
入れ物理的境界を越えて拡大していく,自己だけでなく他者もまたともに世界を共有し拡大していく,そうした世界構築の感覚をェロスが生み出す。ただし,これが一番重要なポイントであるが,ここではェロスを具体的な実体というより,ェロスの関係を無化するような支配にたいする対抗的概念としてとらえる。工ロスは完成したものとしてではなく生成的な概念である[田中1997, 290頁]。
そして,ェロスの関係を無化するような支配を反ェロスという言葉で表現した。
反工ロスとは身体が当人にとって監獄と感じられるような,意識が身体の虜と感じられるような状況を意味する。それはスカリー [Scarry 1985」か描く拷問の世界てある。そこでは自分の身体の延長である道具的世界一一-家具や部屋,家屋- ・ -----が,自分を抹殺するための道具と化する。それだけではない。自身の身体すら痛みの源に変容するのである。体が痛いのではなく,体までもがわたしを痛めるのだ。身体とその延長である親和的な世界の自明性が消滅し,自己を苛む道具となる。それは快楽ではなく痛みが支配する世界だ。だが,快楽の有無がェロスを反ェロスから分かつのではない。快楽を与えることが与える側の圧倒的な力の誇示であり, また与えられる側はその無力さを確認しているだけでしかない,ということもあるからだ。自己の世界構築,それを可能にする力が他者の無化によってしか確認され得ないような状況が反ェロス的なのである。さらに,直接的・物理的な力が認められないにしても他者を対等な,自立した存在とみなさない言説もまた反ェロスだ。つまり,反ェロスという概念は具体的な性行為においてだけではなく,それを取り囲むまなざしや語りが一方的な権力関係を前提として成立しているような状況をも示す。その場合,ェロスは既存の完成された関係というよりは可能態として,支配的な反ェロス世界にたいする抵抗として立ち現れる[田中1997, 291頁]。
反ェロスの典型としてポルノグラフィーを掲げることができる。そこで,女性は,男性の欲望の対象(犠牲者)であると同時に,みずから我慢できない,男性なしには満足できない性的存在として描かれている。ポルノグラフィーだけではない。同じことは医学的言説にもしばしば認められるものである。女性は,男性の欲望や医学的まなざしの客体であると同時に,みずからの欲望ゆえに男性に依存せざるをえない存在として描かれている。
わたしはまた「射精する性」〔1999」という論文で男性のセクシュアリティについて論じ, 欲望する女性という前提に対する男性の態度として,それに暴力的なかたちで接し,またみずからの欲望を満たそうとする「排泄行為」に近い態度と,女性の欲望は暴力的なかたちで満たされるものではないと認めたうえで,女性に快楽を与えることで女性を究極的に支配しようと
一
する態度の二つについて論じた。両者とも反ェロス的な態度であり,男性の主導的立場は揺るがない。すくなくともそれが攪乱することを男性は望んではいない。しかし, こうした状況では,男性もまた「女性をつねにリードしなければならない」といった理念に支配された犠牲者でもある。
ーっの論文でわたしが行ったことは,どちらかというと反工ロスの構造を明らかにすることである。しかし,これらの論文で,工ロスの可能性を示唆する事例をいくっかあげ,そのうちの一つとして代々木の作品に言及しておいた。わたしにとって代々木の作品が他のアダルト・ビデオ作品(ポルノグラフィー)と決定的に異なると思われるのは,そこに反ェロスではなくエロスの可能性を見るからである。
代々木の作品は, 1980年代に脚光を浴び,見る者に強い衝撃を与えてきた。その作風は当時のアダルト・ヒデオ業界をリードしてきたが,その作品は手本というよりは,ほかの誰にもまねができないものとしてとらえられてきたというほうが正確であろう。そして, 代々木自身の書物や雑誌,テレビ番組での発言,さらにはかれを対象とするルポルタージュなどからそのセクシュアリティについての考え方もよりよく知られるようになった。
以下,代々木の生い立ちについて紹介した後,主として1987年から1991年まての初期の代表的な作品について考察を加えたい。
2生い立ち
代々木忠は,昭和13年( 1938年)に北九州で生まれた1 )。父は王子製紙の研究室に勤務し, その後ミヤタ自転車に移っている。そこではプロペラを補助するジェット噴射の開発などにも携わってきたが,軍の機密事項に属していたため,その間家族との連絡を許されなかった。母は3歳とのときに亡くなっている。姉夫婦に預けられたが,うまくいかなかったという。親戚をたらい回しにされ,最後は祖父母のところに落ち着く。小学二年で終戦を迎えた。当時代々木を預かっていた祖母が米兵向けの売春宿を始める。二階には数人の女たちがいつも住んでいた。終戦直後,米車キャンプに忍び込んでチョコレートを横流ししたり,吸い殻を集めて紙巻きたばこを再生したりして金を稼いだ。米兵と日本人娼婦との大胆なふるまいに衝撃を受け, 性に対する関心も芽生えた。
中学に入ると,やくざとも関係し,ケンカにあけくれていた。高校時代に,小倉警察署の副署長の息子とケンカをし,大阪へ逃ける。17歳のときである。そして, 寝屋川で花屋勤めをする。独立し, 23歳で結婚もしてうまくいくかにみえたが,北九州に妹を訪ねたとき,かっての仲間から戻ってきて力を貸して欲しいといわれ,やくざの世界にはいる。妻とも別れてしまう。そしてストリップの興行を仕切る仕事に就いていたが,結局,金が優先する世界に嫌気
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がさして27歳で足を洗った。興行時代は未成年の踊り子を車で運んだせいで,未決囚として 8ヶ月間勾留されている。また,従業中,地方のやくざとのいざこざで警察に数度逮捕されている。足を洗って,ストリップの興行で知り合ったコメディアンのところで世話になりながらピンク映画の世界に関心を抱くようになった。代々木の左手の小指が欠損しているのは,やくざ時代の名残である。ワールド映画の助監督になったのが29歳の時だった。 1967年に入社し, 1970年に倒産するまで働いた。そのとき女優の真湖道代と再婚している。その後,日活の下請けをしていたプリマ企画にプロデューサーとして入社した。
1972年に制作した「女高生芸者」が他の作品とともに猥褻罪て摘発を受ける。これがいわゆる日活ロマンポルノ裁判の発端で, 1983年に東京高裁で結審,無罪となる。
1981年女優愛染恭子を主演とするビデオ『淫欲のうずき』を制作する。翌年には『ドキュ ノト・オナニーシリーズ』を7本作成,そのうちの一つは8万本売れる大ヒットとなった。また松下電器の家庭用ビデオテッキと愛染恭子主演のビデオとのセット販売によって,ビデオデッキの普及率は一年で日本全国の世帯総数の1パーセントから5パーセントへ増えたという。 1982年にはビデオソフト(アダルト・ビデオはそのうち4割)は100億円市場とみなされ,ビデオデッキは98万台売れた。レンタル店が普及するのはこれより少し後, 1984年になってからである2)。これによって,ひとびとは手軽にたくさんのビデオを楽しめるようになった。アダルト・ビデオは, 大人のおもちゃ屋の陳列棚から飛びだし,より廉価な商品として出回ることになったのである。1981年に日本ビテオ倫理協会の審査対象になったのは119本であった。
それが1992年には4406本となった。
アダルト・ビデオは,ビデオという特性を生かし,演出を極力抑えた本番(あるいはそれに近い性行為)をドキュメントタッチで撮る,ということが基本的な設定として定着した。そして, 視聴者は,快楽に耽る女性たちの痴態を求めていた。セックスという行為ではなく,オーガズムという体験が商品化された3)。代々木がこうした流れの先駆者であったことは間違いない。
しかし,かれはさらに,体験の主体となる個々の出演者に注目していた。
1981年12月に自身のビデオ制作会社アテナ映像を設立し, 2005年まで社長の任に就いていた。年に30本近いビデオ制作だけでなく,執筆活動も盛んで,処女作となる『プラトニ ツク・アニマル』( 1992) ,『オープンハート』( 1993 ) , 『色即是空』( 1995 ) ,『マルチェイジ・レポリューション』( 1998)などがある。
3作 群
代々木の作帛ロは,いくっかのシリーズに分けることができる。本格的にビデオ作品を取り始めた代々木は, まず『愛染恭子の本番生撮りシリーズ』5本をヒットさせた後, 1982年から『ドキュメント・オナニーシリーズ』を撮る。まず7本,その後,新シリーズで9本, 計16本の作品を撮っている。
3ー1『看護婦小林礼子の場合』
手元にある『看護婦小林礼子の場合』( 1987年, 30分)を紹介しておこう。「ただたたオナ ーをする女の内面を嘘偽りなくいかに引き出せるかこの隠されたおんなの性を大胆にも実践編へ挑戦した作品である」というキャプションが最初に流れる。そして,代々木との面接場面が流れる。真正面に小林か座り,代々木に対面している。かれは画面に背を向けて右手に座っているが,見えるのは左手だけである。
仕事の話,初体験(高校時代) ,いまの年齢( 25歳) ,オナニーの記憶(小学生の時から)などについての質問がなされる。さらに,「定期的に(オナニーを)やりたくなったのはいっから?」「今はかれはいるの?」「フェラチオなんかはしてるの?」「女の人って,フェラチオなんかして快感を得られるってホンと?」「精液を飮んだりする?」などと性生活についての質問が続く。「暑いてしよ。上着を脱いだら?」という代々木の誘いに,「じゃあちょっとだけ。すこしはずかしんだけど」と言って小林は下着姿になる。代々木はここで用意した白衣を着てほしいと頼む。場面が飛んで,看護婦の衣装を着て座る。バイプをもたせ,フェラチオのまねをしてほしいと頼む。「どの辺が一番感じると思う。先の方?」「この辺かな」と言いながら小林はバイプに舌を這わせ,「こんな感じかな」と,バイブの先をくわえる。「これ以上は無理」とはにかみながら拒否する。「彼氏のはこんな(大きさな)の?」「いつもの通りにフェラチオを見せて」と実演を頼む。沈黙のまま,小林のフェラの場面か続く。「うまいじゃない,ね, すごいね,一回二回じゃないじゃない,やつばりそういうふうにやってあげると女の人も感じてくるう」「うん,快感ある。」そして,スイッチを人れ,胸に当てさせる。「ああ,感じる」 ・「はじめてですか,じゃちょっとさ投間にさ,ずーっとそれをさ,あなたの一番感じるとこに,太股に,太股が感じるって言ったよね,じゃあ太股に当ててみてよ」「ここでですか」「うん,はずかしい?」「ちょっとはずかしい」「でも今日はやって見せてくれるっていう約束だから,ぜひともお願いしたいね。ね,かたちだけでいいからちょっとやってみて」「かたちだけですか?」「うん,あなたの指でいいから一番感じやすいところ,どこ?」「指ですか?」と言って,看護婦の制服の裾を自分でめくり股間に指を這わせる。もう少し足をひろげてくれると頼むと,白いバンツがアップになる。小林は4本の指を上下に這わせながら代々木との会三ロ一舌を続ける。「どんなとき濡れてくるのか」などなど。スイッチを入れさせて,長椅子に横たわってもらい, バイプを股間にあてがう。小林の反応を見て「敏感なほうなんだね」「上下に動かしたらいい」「もう中濡れてる」「そんなに感じてるんだ」 「ね,パンツとって」「脱ぐんですか,はずかしい。」いったん中断してべッドに誘う。「じゃあ看護婦さんのオナニーを
今日はじっくりと見せてもらおう,いいね今日は。」
場面が変わって,べッドに一人仰向けになっている小林が写っている。制服もバンツも着たまま。「感じる,入れたくなっちゃう」「いいよ, (パンツ)とっちゃいなよ。」モザイクがかかる。途中で顔のアップとなり,「イキそう」という彼女の顔を撮り続ける。もう一度イクことをうながし,「イクときの顔つて最高だね」とコメント。「いい感じ?」「いい感じ」「もっと強いの使ってみたい?」「強いの使ってみたい。」代わりにもっと太いバイプを入れて,ローターをクリトリスに当ててそのままイツてしまう。ローターについての会話か続く。小林は目を閉じたまま話をしている。
「こんなにいいと思わなかった」「どう,今の,その感じ?」「ぜんぜんもう周りが分からな 「見えない, だからあの一 ェクスタシーに達するときって,痛みだとか,臭いだとか, 聴覚視覚,感覚がすべてなくなっちゃう,そんな感じ」「体がね,なんていうか,きゅーんとなってね,その後からこう,だんたん頭がぼうっとしてくる。」
カメラが引いて,全身を映すが,まだ会話か続く。小林が今度は上半身をたてて,カメラに向かう。かなりリラックスした感しが伝わってくる。失神の感覚,バイブの効果などの話題が リし0 使用した2つのバイプとローターを並べて,その品定めとなる。「どれがいい?」「どれって言われても,全部ほしい」「助監督さん, ーっあげていい?」「全部ほしい,いろいろ試したい。」一つ一つの効果について会話が続く。「全部ほしい,もって帰りたい」「はい,じゃ, あげますよ,プレゼントします」「わっ,うれしい,すみません。」
代々木作品の原点は,この「オナニーシリーズ」にあると言っていいだろう。出演者は素人。
やらせ(演出)ではなく本物のオーガズム。出演者のあえぎにかぶさる代々木の声。ときに その声は,医師( 1983年に始まる荒木昭の『性感極秘テクニック』)や催眠術師( 1985年に始まるジャイアント吉田の『サイコ催眠ェクスタシー』)に代わる。また,状況も女性一人だけでなく,男優とのセックスがあったり,複数のカップルがセックスをしたりする場合もある。そのテーマは,女性のいやらしさ,淫乱さを衆目にさらすことであり,それは, 1986年に始まる美少女プーム(こんなかわいい子があんなにェッチなのか)や1988年の淫乱プーム(女ってすごい)へとつながる,アダルト・ビデオの基本的なテーマーー赤川の言う迫真性(リアリティ)の追求「赤川1998」 となる。ちなみに当時横浜国大生の黒木香がデビューしたのは1986年のことである。
3ー2『愛とは?』
1987年には『いんらんパフォーマンス』シリーズが始まり,さまざまな状況設定のもとセックスをめぐる複数の男女のかけひきや葛藤嫉妬がなまなましく描写されている。
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『愛とは?』( 1988年, 100分,資料1 )は素人のカップルに男優と女優がからむ。「この作品は,愛し合っている恋人同志が心と肉体の絆を賭けた真実のドキュメントである」という説明が冒頭にはいる。カップルはもう一人の女性と三角関係にあり,男(耕助, 25歳)は長い間北海道にいる女性(「向こうの彼女」)と別れる気はない,彼女が帰ってきたら,いま隣にいて,っきあっている女性(冴子, 21歳)と別れると断言する。女性は,自分の気持ちをはっきりさせたいから出演をしたと説明する。このあと,女優,恵子が登場。別の部屋に耕助と消えていく。
代々木が冴子に話しかける。耕助は8人目の男性,かれがオーガズムを感じた最初の男性で, 別れたくない。しかし,彼女もいま大阪に新しいかれができたということか分かる。耕助への当てつけでつきあったが,好きになっている。この男のことは耕助も知っている。耕助も恵子と会話を続けている。代々木は,男優がもうしきやってくるが,かれとセックスをするか,と切り出す。耕助に負けない(セックスします)と冴子。
お風呂で耕助が恵子を愛撫している場面がモニターに映る。その前で冴子は目頭を押さえながら泣きはじめる。代々木が語り始める。ビールをすすめながら話しかける。顔は見えない。「ある程度覚悟してたけどさ,現実に目の当たりにするとどうにもならない」と冴子。「でもこれ飛び越えちゃおう,もっと追い込んじゃうからね,そうするとなにか見えてくるからね。」耕助と女優とのセックスが始まる。冴子も匠という名の男優を呼ぶ。一緒にお風呂にはいる。お風呂から上がった後しばらくモニターで耕助たちのセックスを見ているが,セックスを始める。代々木はずっと冴子と一緒にいてときどき声をかけている。今度は耕助が冴子と匠のセックスをモニターで見ている。もう冴子と寝ることはない,と耕助。翌朝,冴子は匠と一緒に 際に立って,ホテルの中庭を恵子と一緒に歩く耕助を見おろしている。「わたしはまだ忘れていないから・ 、・・」と言って泣き始める。ふんぎりをつけるためにやってきた,泣きたいだけ泣けばいい,と代々木の声。2組のカップルが大浴場で顔を合わせる。お互いに無視しながら愛撫をしている。冴子は匠の股間に顔を埋めフェラチオをしていたが,耕助の気配を感じて匠にしがみついて泣く。
代々木と匠と恵子の3名がこれからどうしたらいいか,話し合っている。とりあえず,冴子は耕助に未練があるから,最後のセックスを耕助に求めるようにしむけることにする。「でも, ことわられたら?」「先は見えないけどとりあえずその方向でことを進めてみようか。重いな。
スタッフのみなさん,なんか意見ありますか?」カメラが回って9名ほどのスタッフが映る。
一日目の終わり,冴子と匠が座っている。「もう一回(耕助に)抱かれたい,と言えるか」と代々木が挑発する。「これから友達でいようね, って言えるといいね。」耕助と冴子か実際に会う。4人でヒールを飲む。冴子は耕助の隣に座るか,かれを見ようとしない。匠と恵子が退出して,はじめて二人だけになる。匠たちはモニターで観察。
冴子が耕助に尋ねる。「怒ってる?」「もう超越しちゃった。」「あたしのセックス見てた?」
一
耕助「声がすごかった」冴子「モニターで(彼のセックスを)ずっと見てようと思ってたけど見てらんなかった ・・もしかして,しないんじゃないか,だけど見てられなかった ・「もういい」「なにが?もういい?」「(泣きながら)・・・・笑わない?・・・・・今でもまだ愛してる。でも, もういいの」「おれもね,愛している。ちょっと形は変わったけど」を ・・だからもしよかったら(聞き取れず)」耕助「・ ・(聞き取れず)」耕助「かれの方が良かったっていうのが少し悔しいな。おまえそういうときはお世辞でも良くなかったって言えよ」「だから,そうじゃなくて, ・・気持ちよかったのは体だけ。」
冴子は泣きながらかれに寄りそう。そして, 二人はべッドへ移動してセックスする。このビテオでは初めての二人のセックス。射精の後, 抱きあったまま耕助に「ありかとう」「ありがとう」「愛している?」と冴子かささやくと耕助はうなずく。
場面が変わって,耕助と恵子がソファーに座っている。「耕助さん,もうこれて(彼女とは) 終わりなんでしよう」「恋人関係はね」 ・「じゃあ今わたしを抱いて。」耕助はこれを無視す
場面が変わって冴子と匠。「じゃ, どういうセックスだったの昨日,体だけイッチャッタって感じ?」「すこい嫉妬しちゃったよ, モニター見てて」と匠。
再び耕助。恵子が週一くらいで会ってくれるってほんと?と誘う。耕助は笑いながら受けみルす。
場面が変わって冴子。匠が冴子の胸に手を伸ばし愛撫を始める。上半身がはだけて,乳房が見える。もう終わったんだから,キスしてよ,とせまる。しかし,冴子は拒否する。冴子は匠の手をふりほどくわけではないが,目をそらすことなくじっとにらみつけるように匠を見ている。画面いつばいに冴子の顔。「なんで黙ってるの,教えて」「なんで,なんで・・ 。」冴子の表情は,いままで匠に見せていたのとは全く異なっている。みつめたままの長い沈黙の後「あたし,あなたのこと嫌いじゃないけど愛してない。」ストップモーションで終了。
『愛とは?』では,破綻を来しつつあるカップルの迷いが描写されている。耕助には北海道に女がいる。その女がときどき男のところにやってくる。そのとき冴子は立ち去らなければならない。彼女も大阪に男を作った。しかし,ほんとに好きなのは,彼女にセックスの快楽を教えた耕助だ。だけど,どこかでふんぎりをつけたいと思っているのも事実だ。代々木は,二人に男優と女優をからませることで,自分たちの関係を見直させていく。冴子の嫉妬,腹いせのセンクス。耕助は,プレイボーイよろしく女優とのセックスを臆せずに楽しんでいるように見える。だが,最後に冴子と会い,態度が変わっていく。愛しているという言葉にすなおに反応する耕助。ここには,アダルト・ビデオの性描写以上のものが含まれていることは明らかである。たんなる複数のセックスなら,みんな女優や男優でもいいはずだ。また会話も最小限にとどめることができるはずである。ここでは,セックスというより,セックスを通じてしか関係していない男女が,セックスに還元できない関係をはからずも示しているのである。
3ー3『目かくしFUCKわたしを犯して!』
1989年には『目かくしFIJCKÅ]シリーズが始まる。これは女性が目かくしをして,複数の男優たちにいたぶられるシリーズで,視覚を遮ることで,女性を非日常的な状況に置き,ふた んは抑圧している自身の欲望に対峙させようとしている。
『目かくしFUCKJシリーズのひとつ「わたしを犯して!」( 1990年, 50分)をここで紹介する(資料2参照)。冒頭に立花ひかるのインタヒューが人る。ひかる「わたし,結構レイプ願望とかあるから,目かくしされて,手とか足とか縛られて,自分がもう絶対自由かきかない状態で,ムリャリってかたちがいいですね」「そんなのやってもらったことある?」「ないです」「いつごろからそういうふうなこと考えるようになったの?」「それはいつごろからっていうか, もう結構前からあったんですけど,私生活でそんなこと言ったら変なふうに思われちゃいますよね,だから人前では言ったことないですけど, やはりそれはあります。」これを代々木が受けて,「実はおんなは強引に犯してほしい。わたしを奪って欲しいと」「それってえ, みんな口 出さないだけで,誰でもあるんじゃないかなあって,思いますけどね」「ちょっと足ひらいてノヾンティ見せてくれない。」 ニの下から白いハ。ンツが見える。「舐められることを想像して ・。」立花の体がこきざみに震えはじめる。
一転してべッドで体を縛られている,もうひとりの出演女性,桜美紀のシーン。桜は目隠しされて縛られ,足を大きく開かれ,男優3人から視姦される。男たちが声をかけている。「みんなあなたのあそこを見てるよ。」パンストが破られていく。ひかるは同じ部屋にあるソファーに縛られ,目隠しされて座っている。プラウスがはがされ,胸が現れる。パンツの上からクンニが始まる。「なにしてるのかわかる?」「いやああだ」と桜。ずっといたぶる場面か続く。いつのまにか男が一人増えている。
ひかるが目かくしされたまま震えている。足が縛られて,自由がきかない。バンツは丸見えだ。代々木が声をかける。「想像してんの,いやらしいね,ね,なに想像してんの」「やってほしいんだろ,むちゃくちゃにされたいんだろ」「されたくない」「腰使ってんじゃない」「ああ, いやらしい」べッドの桜の声に反応して,ひかるのふるえが激しくなる。桜は「もっともっとズボズボしてええ,もっともっと」と叫びながらイツてしまう。さらに,目かくしをしてセックス。ひかるのよがり声が聞こえる。
男たちがひかるのほうに移動。顔に男根をこすりつけられ,なんなのか,口を開けろ,ほんとは好きなんでしょ,と言われながら,胸を揉まれ,また性器をしつように触られる。べッド 横になって,ひかるの方を見ている桜が何回か映し出される。ひかる「もっともっと,ズボ
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ズボして」と叫ぶ。桜「来てよ,おねがい。」ひかるの目かくしがとれる。もっと舐めて, はやく入れて,指じゃいや,と叫び続ける。バイプが挿入される。桜のあえぎ声も聞こえる。 ひかるは失神状態になる。桜も同じく忘我状態。
顔を軽くたたかれて,ひかるは目が覚める。男優の一人が声をかける。「どこ行った?わからない?あっちに行っちゃった?」まだ答えられない。茫然自失。代々木の声が人る。「どうだった?」消え入るような声で「気持ちよかった」とひかる。「納得したかい。ずっとこれしたかったんだろ。納得したかい。」
インタビュー場面。桜とひかるが並んで,いまの体験を述べている。
桜「見てると, ひかるちゃんがヤッてるのを見てると,その通りになっちゃうんです。自分か頭ん中でちょっと思うと,自分がそうゆう風にやられてるようになっちゃう」代々木「挿人感みたいなのも感じる?」「あるんです」代々木「ある。ひかるちゃんの方はどうなの」「(強く即答)同じです。桜ちゃんとまったく同じ」「はいってくる?」ひかる「本当にはいってきて,ズンズンくるし, ・・・同じです。」
ふたたびセックスの場面。桜がべッドで男優にクンニされている。それをみながら,床に仰向けに寝ているひかるが体を震わせながら叫んでいる。下半身は裸で,腰を上下に振っている。
桜はセックス。これに,はげしく響応するひかるの体。ここでチャネリングの文字が画面には る。ひかる「イツちゃう,気持ちいいい」代々木が声をかける。「なにもしてないよ,おちんちんはいってるの,おちんちんはいってるの,ああ,いやらしく腰使ってるじゃない」 ひかる「ズボズホはいっている」「ズボズボ」「イツちゃえ, いやらしい・、 べッドの上では男か射精。
一人を桜のところに残して男が二人ひかるの方に移動する。四つんばいになって後ろからバイプを突っ込まれる。言葉でなぶられている。 ・「スケベ, スケベなんだろ,・・・・・・抑えていたんだ今まで,全部爆発させちゃえ」「わたしへンタイです, って言ってみな, イツちゃうから」「わたし,ヘンタイですう ・。」その言葉とともにひかるはバイプを突っこまれたまま失神してしまう。
「手を握ってやって」と代々木が男優に指示する。「これで満足しただろう, ・・これで卒業たよ。」ひかるは,まだ目を閉じている。(男優たちに)「これでもうレイプ願望から卒業するだろう,このこも。」「なんにもない顔してんね,いいね」ひかるに向かって「戻ってらっしゃい, 戻ってらっしゃい,天国行ってんな・・ ・。」まだ反応はない。
ひかるか少し目を開く。「戻ってきた?ピースですか。 ・・うん,よかった,もう満足した?もういつもこれをやられたいと悶々しないてすむな。もうやっちゃったからな,な,卒業だな。これからは愛のあるセックスをできるようになるな」 「どこ行ってたの?」「わからないです」「どんなところだった?」「まっしろ,なにもなくて,ただ・ ・わからない」
「わからない,どんな気持ちだった,そこに行っているとき」「すごい幸せだったような気がする」「はじめて?」「はじめてです」「自信できたな。死んだときそこに行くんだ」・ ・「まだ 痙攣してるじゃない,どうしたの,だんだん戻ってきてるんだ,現実に。」すごく震えている。震えながら泣き始める。「全部出しちゃいな,はじめての体験たからな,いいよ,安心して大丈夫。」
同じ姿勢のままだが,ひかるが語りはじめる。床に寝たままのひかるの顔がアップになる。「今までのセックスってなんだったのかな,今までなんどもしてきたことって,なんだったのかな」「こうやって,心からしてくれた人に感謝するっていうのもそうだけど,自分自身が んなに幸せな気分になれるってすばらしいな, って思いました」「よかったね,自分に感謝しなよ」「はい,いますごく幸せです。」ストップモーションで終了。
このビデオではじめて二人の女性の身体が同調する。しかし, ここでの本当のテーマは,レイプ願望を持っているひかるに対する一種の治療である。代々木は,この願望を隠れた欲望, 女の淫乱さなどに還元するわけではない。むしろ,かれはそれを合意のもとで実現させることで,その先を示そっとしている。「卒業」というのがキーワードであり,愛のあるセックスがこれからのあるヘきセックスとして,ひかるに呈示されているのである。
3ー4チャネリングFUCK
『チャネリングFUCK』シリーズが始まったのが1990年のことである。これは,アテナ映像のビデオ制作数300本を記念して企画された。すでに見たように,代々木作品でチャネリングが表れるのは『わたしを犯して!』においてであった。代々木はここにイメージの力を指摘する。直接的な接触がなくてもイメージを与える肉体とそれを受ける肉体があれば性的興奮が伝わっていく。代々木はこの響応関係を波動という言葉で表現している。
『わたしを犯して!』でチャネリングを体験したひかるは,その後『チャネリングFUCK山下麻衣の失神するまで』( 1990年)にも脇役で出演。さらに,後述する『性感Xテクニック処女』( 1992年)にも出演している。最初の二つは,セックスという行為がすでにあって,それに応じるかたちでチャネリングしていたのだが,最後の作品では,むしろ主導的な立場に立ってチャネリングを誘導している。
『性感Xテクニック処女』でひかるが登場する場面は,出演者が一休みしているところから始まる(資料3参照)。代々木がひかるをその部屋に招き入れる。彼女はたまたま遊びに来ていたのだという。しかし,代々木は,ひかるかすでに出演者のセックスを感じて階下でよがっていたとコメントする。ここまではいままでの状況と類似している。しかし,そのあと,ひかるは,男優の日比野達郎に座ったまま抱きついて,あたかもセックスしているかのようによがり声をあげはじめる。私生活でもこんな非肉体的な「セックス」をしているのだと言う。
「きみ,下でイキまくってたよね(笑)」ひかる「(笑)南さんが(想像の中で)男になったり女になったりしてて,びつくりしました」「今カレシとはほとんどおちんちんを使わないでセックスをしてるらしいけど,かれがそうなったプロセスを教えてよ」「あたしがこうゆー仕事()V女優)してるの,かれは知っててつきあってるし,自分の女がどういうビデオ出てるのかとか知りたいじゃないですか。 ・(略)・・・・・・で,『目隠しFUCK』を見せたんですよ。で,その中であたし失神とかしまくってたからかれが「おまえばかか! ? っていうから (なんで失神したか,いかに気持ちよかったか)説明したんだけど聞き人れてくれなくて。
(略)・・・・・・本当のセノクスっていうのは(今までしてきたような)こうゆうもんじゃないんだよっていうことを知ってほしくて,かれに鷹さんか失神したビデオ(後述)を見せたらかれが涙浮かべちゃって。そのあとそうゆう行為しますよね。そのとき初めて本当の自分を見せてくれて (略) ・・もうそれからおちんちんいらない,ただ抱き合っているだけでいい。しあわせですね。前は,おちんちんとおまんこ, ・・そうゆう次元でしか考えられなかったんですよ。でも今はそんなの関係ない,男も女も関係ないと思いますね。気持ちでしちゃったらもう男も女も関係ない。代々木監督に感謝しています」「ありがとう。でも(処女のリサは) わかんないよね。ひかるちゃん,ひびやんと抱き合ってみてくれない?」座っている日比野に ひかるが抱きっく。ひかるは喘き,悶える。代々木のコメント「早くこのレベルにまで達しちゃうと年取って体が崩れても大丈夫だよね。」この後場面か変わってリサと日比野とのセックスになる。
ここに興味深い展開が見られる。それは, 19歳のときにはじめて代々木のビデオに出演して,レイプ願望を克服したかに見えるひかるが,まさに代々木の思想と実践の伝道師として恋人を「改宗」させ,さらには非身体的なセックスをコントロールする存在となっていることだ。男優だけではない。女性もまた,代々木のコミュニティのメンバーとして重要な役割を果たしていることが分かる。
さて,チャネリングとは,当時流行していた精神世界あるいはニュー・エイジのキーワードの一つで,もともとは,宇宙に存在する至高体の波動(メンセージ)を受けることを意味し, 受ける人をチャネラーという4)。代々木は,これをセックスの際に出るとされる「波動」に同調する現象に適用した。チャネリング・ファックとは,波動を受けて, 直接の肉体的接触がなくても体内に男根を感じ,オーガズムに達するような状態を意味する。一種のトランス状態にはいるとこうした波動はより受けやすいとみなされている。
藤本由香里は,上述の場面で彼女自身が同時にイッテしまうという経験を述べている。これ はじめて観た代々木のビデオでもあった。「快感のエネルギーが頭の先から足の先までズドーンと抜けていった」[ 1994, 198頁]。そういた体験をふまえて,藤本は興味深い議論を展開している。彼女によれば,チャネリングの快感は,セックス(狭い意味での肉体の快楽)でも愛を確かめ合っているようなときの感情的なものでもなく,「強力な磁場」が生まれるところに由来するという。セックスの時に相手が放っ強力な磁カ(気,生体工ネルギー)に応じ,受け入れ,共鳴していくことがセックスのもっとも大きな快感だと指摘する。それは,愛情ではない。この快感は,はじめての相手でも可能だし,愛情はむしろ世間的な常識に根ざしているからだ。それはセックスの快楽とも異なる。藤本の体験からわかるように肉体関係をかならずしも必要としないからだ。
1991年には,代々木一人と女性とが対峙する『素人発情地帯』シリースと,主として南智子という女性が,代々木に代わって素人女性を欲情させ,またみずからも男優たちとのからみ こ参加する『性感Xテクニック』シリーズが始まる。『性感Xテクニック処女』はこのシリーズの一つである。そこでは,女性だけでなく男性もまた,いままでの価値観を捨て, あらたな自己の発見を求めていく。これについては後述したい。
もちろん,こうしたシリーズ以外にも単発の作品もたくさんある。詳しくは付録の作品一覧 (資料4 )を参考にして欲しい5)。
4マニュアルの世界
新語の打為遂行的性格に注目し,ジェンダー・アイデンティティが日々の会話や行為を通じて形成されると論じたのはジュディス・バトラー[ 1990]である。そのような観点に立てば, へテロセクシャルなセックスという行為とそれをめぐる言説ほどジェンダー・アイデンティティに大きな影響を与えるものはない。われわれはまさにセックスを通じて,だれが男で,だれが女なのか,男とはなにをすべきなのか,女とはなにをすべきなのか,を教えられる。そしてそうした教えはなにも特別なことではなく,直接身体的な相違に裏づけられていると考える。セックスを通じてわれわれのジェンダー・アイテンティティとセクシュアル・アイデンティティ(性的指向)が確認・構築されるのである。そして,セックスがとりわけ身体的な行為であるゆえに,ジェンダー・アイデンティティとセクシュアル・アイデンティティとが肉体的な男女の差異に根ざした本質的なことがらに見える。だが,はたしてそうだろうか。なによりも, 性行為や性についての表象は文化によって大きく異なる。そして,歴史的にも,また個人的にも多様である。とはいえ,わたしたちは,自由にセクシュアル・アイデンティティを変更できるわけではない。各々の文化や時代において,支配的なジェンダー規範やセクシュアリティについての理念的な考え方が存在し,そこで生きているわたしたちは自分たちの性的実践を自然なものとみなし,また支配的な理念に従おうとする。一
日々のやりとりや性行為時のやりとりに加えて,現代日本のセックスを形作っているのはセックスのマニュアル本である。恋愛から始まってセックス,そして結婚まで男性と女性との関係についてはつねにマニュアル本がっきまとっている。『幸福な結婚』にはじまるセックスのマニュアル本についての分析は別稿に譲りたいが,現代日本においては,多くの男性向けマニュアル本の最終目的は,女性をいかに悦ばせるのか,いかにしてオーガズムを相手の女性にもたらすのか,ということに尽きる。そのための雰囲気作り,愛撫のテクニック,体位,そしてさまざまな器具の使用や彼女も悦ぶ「変態プレイ」である。
マニュアル本は読者に男とか女の性行為の型を教える6)。型を身につけることが第一の条件であると考える。そこから始まって徐々に先に進んでいく。それは,世間で普通だとされる男や女のあるべき姿を学ぶことを意味する。したがってマニュアル本を読むことによって読者は必要とすべき性の身体と技法を身につけようとするだけでなく,「自分は正常だろうか。うまくいくだろうか。」と自問する。男の場合だったら早漏てはないか, 短小ではないか,包茎ではないか,と悩む。それだけではない。体毛は濃くないか。体臭はどうか,と気になることがどんどん増えてくる。まずこのような「欠点」を直さなければまともなセックスはできない, そもそももてるはずはない,とマニュアル本は教える。マニュアル本はしたがって医学的言説と密接な関係にある。実際に読者が身体をいじる------整形,脱毛,包茎手術, ペニスの矯正 場合も生じるからだ。 ニュアル本を通じて,わたしたちは正常な セックスに臨むことのできる機能的な 身体像を学習し,みずからの身体能力の改良に向かうのであ
同じことは,アダルト・ビデオについてもあてはまる。それは,まさに動くマニュアル本として見られているといってもいいからだ。アダルト・ビデオに認められるさまざまな性行為が若い男性や女性に大きな影響を与えていることはっとに指摘されていることである。射精を劇的に見せる顔射(女性の顔に射精する)という行為は,アダルト・ビデオを通じて普及し,男性のなかには初体験で顔射をする者もいるという。女性は女性で,セックスの時にあんな声がちゃんと出るかどうか心配する者がいる。
5オーガズムあるいは本音の世界
代々木が問いかけるのは,まさにこうしたマニュアル本が教える型についてである。すでに指摘したように,性のマニュアル本とはなによりもオーガズムを獲得するための技術書である。代々木によると, マニュアル本かわれわれの性行為を文字通り型にはめていてつまらなくしているという。したがって,真の解放的な意味でのオーガズムの世界からはほど遠いと喝破する。オーガズムの達成を目的とするマニュアル本こそが,オーガズムを阻んでいる。 これが代々木の主張である。
型をはずせ,という代々木の主張はなにを意味するのだろうか。まず,女はかくあるべきだ, 男はこうすべきといった格式張った考えからも自由にならなければならない。代々木は,このような固定観念が支配する世間を「制度の世界」と呼び,本能に基づく「本音の世界」と対比させる。
代々木「かくあらねばならないとか,女をイカせなくてはならないとか,あるいはオレは早漏たとか,遅漏だとか,短小だとか,そんなことを考えていては相手を感じることはできない。 ・自信を持て。背伸びしなくてもキミはもともと完璧なのだから。」[『CADET』 1993年2月号, 38頁」
学校や会社や国家は制度の世界に属しているが, SEXとは本音の世界のものだから,「かくあらねばならぬ」という制度のよろいやかぶとをどこまで脱げるか,自分の価値観や固定観念をどこまで捨てられるかが重要になってくる[代々木1992 , 53頁]。
代々木は,同じ引用箇所でさらにつぎのように述べる。「見栄やプライドが捨てられなければ,オーガズムを体験できるわけがない。」そして,自分を捨てろ,と主張する。「オーガズムとは,制度の世界で自分を自分たらしめている自我=ェゴから自分自身を解放する,〈ェゴの崩壊〉であり,くエゴの死〉」なのだと言明する。ェゴが崩壊することこそ「本音の世界」にはいる条件であり,それが「愛の状態」と呼ばれるものである。そしてそのとき「本当の自分」に会えるのである。
もしSEXに愛がなかったら,・夬楽という幻の奴隷になっていくよ。もしSEXに愛があったらあなたは真に人を愛することを知るだろう。しかし,今あなたは愛が何であるかがわからない。愛とは,思考が落ち,ェゴが死んだときのみ起きる心の状態をいうからね「代々木1992, 56頁」。
ここでは愛は肉体的な快楽と対比されているということに注意したい。オーガスムは「愛の体験」であって,快楽ではないのである。しかし,愛は性愛と対比されるような純愛ではな 代々木はセックスの快楽を否定しない。しかし,ェゴの崩壊を通じて生まれる至福の世界こそ愛に満ちた世界であり,その体験こそオーガズムなのである。
一115 -
代々木「ふだん恋愛関係と呼んでいるもの,あれは実は執着関係なんですね。愛というのはそういうエゴが落ちた瞬間に起きるものだから,むしろ,ビデオの現場でこそ本当の愛が起きているんじゃないでしようか。現場においてそういう関係性を捨てて,自分をさらけ出したときに,愛が起きる。で,男と女の両方に愛が起きたとき,愛と愛の波動のスパークが,オーガズムであるし, 。オーガズムを体験した瞬間,過去がダーツとよみがえってきて,現場で泣きます。だから現場はもう道場ですよ。」オレンジ通信』1990 年4月号, 132頁]
代々木にとってのオーガズムとは,男であれ,女であれ,制度の世界(世間)から離れ,本音の世界に移ってはじめて可能となるものである。そして,それは制度の世界の中で押しつぶされそうになりながら自分のエゴを必死に維持しようと,もがいている多くの人にとっては,
「癒し」への道なのである。つまり,本音の世界にはいっていくことが癒しへと通じる。そう代々木は主張しているのである8)。代々木によれば,性産業は癒し産業であり,制度の世界が抑圧的であるかきり必要である9)。しかし,制度の世界が本音の世界に変われば性産業はもはや不要の長物である。
問い「つまり逆を言えばそういう良識ぶった人たちがエゴを捨てて,真のSEXができるようになれは,そういう(性産業の)女性が日本中にあふれかえれば何もそういうものはなくてすんでしまう」代々木「必要ないです。だから,僕の今行き着いているところはアダルト・ビデオはなくなるべきだ,ということなんですね。われわれを含めてごく何割かの男優さん,女優さんはもうそれを知っちゃったんです。内なる喜びを。それを伝えたいという思いで,すいませんが代々木忠は今やっているんです。」[同上, 132頁]
学校や会社や国家など制度の世界においては,ェゴを武装していなければならない。だが, 恋愛やセックスなど,本音が問われる世界では,ェゴが足枷になってしまう。
代々木のもとには代々木のセックス観に共鳴する数多くの男優や女優が集まっている。かれらは,いわば代々木とともに本音の世界の住人である。かれらから見ると,世界が逆転して見えてくる。ある男優はつぎのように述べる。
「監督,世間はオレたちの世界を,何か歪んだスゲエところだと思っているけど,でもオレ思うんだけど,世間って歪んでるよね。そして今の女の子もあのときの女子高生もオレたちのところを通って,そういう歪みみたいなものが全部なおって,なにか本当にノーマルになって戻っていったように思えるんだよね。」[代々木1992, 56 - 57頁]
ー -
この言葉にはセックスが拓く深いコミュニケーションを避けて通る世間とオレたちの世界という対比に的確に表現されている。それは代々木の言う制度の世界と本音の世界という対比と対応している。オレたちの世界とは本音で語り合い,ェゴを溶解させ,愛にふれる場所である。そのときわたしは「ノーマル」になって,世間の歪みを見いだすことができるのである。そのときわたしは本当の自分になれる。これが癒しの効果をともなう覚醒といって良かろう。世間ではなく,世間から見たら後ろめたいセックス中心の世界一-ー撮影現場 でこそ真のわたしになれる,というのだ。
このように見ていくと,代々木の批判的オーカズム論の背景にあるのは,制度すなわち現代社会批判というものであり,そのオルタナティヴとしての癒しの空間がある。「われわれの世界」あるいは「愛の状態」にはいること,それがそのまま癒しの過程であり,その結果がオーガズムという身体的経験である。このとき代々木は道義的ポルノ作家(moral pornographer) になる[Carter 1979 : 19]
6攪乱するアイテンティティ
本音の世界にはいる,あるいははいった人は,相手を警戒せずに信頼しきっている。代々木はこれを「無垢な子供」[代々木, 1992 , 52頁」と表現するが,かれの口からはしばしば,赤ちゃん,子供といった言葉か発せられる。それはプライドを捨てた人間の別の言い方なのである。
「池田[男優の名] ,もっとスケベになってみな。自分で腰を使ってみなよ。全部捨てちゃえ。全部捨てて赤ちゃんになっちゃえ。」[足立1992, 165頁」
赤ちゃんになるということは,男性と女性というセックスの基本単位となる属性さえ解消されてしまう。自我の溶解とオーガズムの達成とは,結局のところ男性と女性というジェンダー・セクシュアリティ体制の二元論に基づく快楽の追求を否定することを意味する。
「人間がさまざまな呪縛から解放されてオーガズムに達したら,本当は男も女もないんだよ。」[同上161頁]
あるいは,つぎのような言葉を参照して欲しい。
「イクとかイカないとかいうところにウェイトを置き過ぎているよね。 セックスが快感を
得る手段になっているし,男は射精が最終目的になっている。でも本当のオーガズムって, 至福の境地に至ること。「その瞬間,俺は俺であったけれど彼女でもあった」という相手との一体感だよね。能書きを言っている今の俺が死んで,どれだけ「子供」になれるかなんだよ。」[『pinkJ 1997年10月号, 22頁」
わたしの理解では,オーガズムとは,男性が女性になったり,女性が男性になったりするような状態を引きおこすという意味で,生物学的な性を越える状態と言えるのではないか。それは,男性と女性を本質主義的に決定する性器主義への批判へと向かう。
その典型は,チャネリング・ファックに認められる男女のからみである。すなわちチャネリング・ファックの特徴は,実際に性器の結合がないにもかかわらず,センクスをしているかのような感覚に襲われたり,実際にセンクスをしているカップルを見ているだけで感応したりする。いや,たんに目かくしをされて視覚を遮断されても生まれる。それは,性的な同調と言 ていいかもしれない1の
代々木「肉のレベルに止まったままでは,頂点に達したような気はしても,本当にイツたのかイカないのかわからない。そうすると,また明日もしたくなる。SMに走ったり,スワッピングをやったりする。だから,そのエネルギーを魂のレベルに上げてあげる。そうすると肉体を越えているから男も女もない。チャネリング・センクスを覚えた人には,ペニスは必要ないんです。抱き合っているだけで至福の世界。涙を流しながらのオーガズム状態が何時間でも続く。こうしたチャネリング・セックスを体験したいと思ったら,まずプライド,思考,制度の価値観を全部捨ててみることです。」「『SPA !』1992年8月26 日号, 41頁〕
それは心身の境界の溶解でもあるし,以下に紹介する麻生まみの場合には一種の心身離脱の体験として表れているように思われる。
麻生まみ「こんなもんなんだ,すご一い」代々木(以下Y)「これからのセックス何か変わりそう?」「そりゃ変わりますよう」Y「どう変わるの?」「まあ鷹(男優の名前)を代表として男の人ってものを信用できるようになったし,それに甘えることもできるような気がするんですよ。うん,だから自分が素直になれるから相手も受けとめてくれるだろうと思って,もう自分をさらけ出して本当のセックスをしたいですね」Y「できそうな気がする?」Y「いままで恐かったのセックスが?」「相手のね,なんか相手のことを考えるとね,あ,こうやって思ってんのかなとかね, どうやって思ってんだろうとか思ってそうい
-
うことを考えちゃって恐かったのすごく。いつもみんなね,不幸とかね思っている人って自分にウソついてるんだよきっと」Y「うん,なるほどね」「うん,本当の自分になろう」 Y「自分になっちゃったのね」「うん」Y「神様に会って来たわけだ」「会ってきたと思う」「わたし自分の姿見てきたもん」Y「あそう,光輝いていた?」「なんていうのかな, 最初真っ黒でね,それでこうだんだん,こう真っ黒で真っ黒同士の丸いのも見えないんですよ。自分が悪い姿も見えなかったの。こう空気を人れていくうちに白い,こういう自分のきれいなのが白いのに変わっていって,だんだん灰色になって自分の汚いものときれいなものがまじり合った姿がまたかたちになって灰色に・・・・・・それかまたこう灰色と黒が一緒になっていくうちに白が強くなって,今度真っ白になって自分の姿も見んなくなってきて, それをずっと繰り返しているうちに自分がねガラスのような,透明なような,空中に浮いているようなかたちのないものになったの。て,どこかに放り出されても傷つかないような気がしてね,空気のようなもんだから。自分がすごくきれいに見える」Y「あー,すこ い,うんおめでとう。それはすごい」「なんていうの真っ白になっちゃって。」[『チャネリングFUCKお尻で失神』( 1990年)より」Il)
退行や心身離脱の体験などは「再生」への助走である。女子大生の水城麗華は, 『性感Xテ ック変態! 性戯の味方』に出て,目かくしをとって代々木の顔を見たときの体験をつぎのように語っている。「生まれたばかりの動物が,目を開けて,親にあっているような気持ちでした。」[足立1992 , 159頁]そして,つぎのように総括する。
「自分でも信じられません。こんないい思いをして,そのうえお金までいただけるなんて。
代々木先生のおかげでなんだか自分が生まれ変わったような気がしたんです。」[同上, 157頁」
しかし,この再生はたんなる登教え富ーよるものではない。ビデオから明らかなように,代々木
0 =、=ざ= 0、夫0凝0す= 人物0ー→ー。,ー→ー→を攪乱、0、く。・0中も くに重要と思われるのが声である。
7愛撫する声
ビデオで女性の表情や体,男優とのセンクスという行為以上に,画面を支配するのが監督の声である。それは,基本的に女性に語りかけ,彼女の考えや意見,いま思っていることを引き出していく。女性とのコミ ュニケーションを確立することこそが代々木作品の基本である。そ
ー
の信念がもっともよく分かるのが,出演希望女性にたいしてなされる数時間もの面接であろう。
それがそのままビデオ作品の一部(「面接』シリーズ12) )にもなっている。
代々木作品に登場する女性か性的になんらかの問題を抱えていることが,面接を通じて明らかになっていく。そして,その問題発見と「解決」の過程が作品のテーマになるのである。かれの声・語りは,そのままカウンセリングの語りであり,女性の欲望を解放し,誘発する13)。そのとき心の奥に閉じこめられていた女性の声が,代々木の声に応じ,発話しはじめるのである。声を発することで,体が開き,心が開くのである。
そこには,猥褻な言葉を言ったり,女性に言わせたりする,というかけひきも含まれる。女 性は,普段使わない猥褻な言葉を発することで,心理的に無防備となる。恥ずかしいことをさせることでかえって,心の鎧を脱ぎ捨てることができるというのである「『スコラ』1992年9 月10日, 119頁]。
語る内容のみが相手の心を開くのではない。意味やロジックだけで相手に訴えるのではない。声そのものか,いわば身体の延長のように物質化して女性の体を内外から愛撫していくのである。声は身体の延長として他者に触れ,他者の身体と心を解き放つ。だから,代々木作品にお ては,面接の時からすでにセックスは始まっていると言っていいだろう。
愛撫としての声の効果をさらに高めているのが,催眠術や目かくしなどである。催眠術や目かくしは,代々木の声や男優の愛撫に集中することを可能とする道具立てである。人間の視覚は生物学的にはきわめて特化した知覚であるが,それを遮断することによって,触覚や聴覚などをとぎすませ,非日常的な状態へと女性を導いていく。
催眠術は自我の溶解という点では,もっと露骨で直裁的な方法であると言えよう。代々木はとくに,催眠による年齢退行が,制度の世界によって生まれたさまざまな呪縛を解き放つ効果があることを強調している[代々木1992 , 1 12頁]。
8南智子,もうーっの声,そして身体
『性感xテクニック』シリーズの主役とも言える南智子は,代々木作品ではみずから出演者として男優以上に女性たちに積極的に関与してきた14)。短大を卒業後,性産業を転々としてきた現役の風俗嬢である。彼女は, 14歳のとき40歳の男性と3年間っきあっていたが,自分か快感を得るのはフェラチオなどでかれが感じているときの表情やしぐさだったか,それを打ち明けることはできなかった。その後もずっと,女性の方から積極的に男性にアプローチし, セックスにおいても主導権を握ることができないことに不満をいだいていた。20歳のときお金が必要となって風俗嬢となった。 ソープランドで2年半,そのあとピンサロやヘルスで働く。
その後,男性が受け身状態で,全身マッサージやフェラ,前立腺マッサージなと,性器への挿
一
入以外のサービスを受ける性感マッサージの店で働き,性感マッサージ師あるいは性感ェステティシャンと呼ばれることになる。
代々木は南についてつぎのように語っている。
南智子という女の子は,男も女のようにヨガっていいのよ,男だって失神して女以上にヨガるのよ,というわけです。その時,男は真に解放される[『コラムニスト2』1991 , 97頁]。
以下の南の言葉は,前述した代々木の快楽と愛の区別についての立場を踏襲していると言えよ
わたしが考えるオーガズムは二種類あって,ーっは生理的なもの。性器にある刺激を加えればイキますよね。もうーっは精神をともなう深いオーガズム。それは肉体の絶頂感を伴うこともあれば伴わないこともありますけど,深いんです。自分のエゴの殻をとらないと, 後者の本当のオーガズムに到達できません。そんなことしたら破滅だと思う人,臆病で恐がりの人は,自分の殻をとることができなくて,結局物理的なオーガズムしか得られない [『SPA !』1992年8月26日, 41頁]。
『性感xテクニック』シリーズでは,代々木に代わって南の声が画面を支配する。南がしっように女性を言葉で責める。ここでも南は,代々木のダブルとして現場をリードしているかに見える15)。それだけではない。南の役割は,代々木と異なり,みずから出演者として女性に直接性の手ほどきをし,セックスを男優としたり,女性とからんだりしている。多くの場合,男優と南が悩みをいだく出演女性をオーガズムに導く。男優と南あるいは女優と南が,女性の前でセックスをし,そのあと女性をセックスに誘う。
以下では,すでに触れた『性感Xテクニック処女』を紹介しておく。リサという女性へのインタビューの場面。男は好きだけど,セックスに踏みきれない。「自分が指とか入れられてもぜんぜん気持ちよくないし,たくさんされるともうやめて,ってかんじ」。床にマットを敷いただけでいつばいになるような狭い部屋。そこで南と日比野がセックスをしている。これをすぐそばで座ってみているリサ。彼女の前で南と日比野がセックスをするわけだが,始終南がリードし,日比野は受け身である。そして,最後は射精していないのに,快楽に震え失神してしまう。リサは泣いている。「あなた泣いてるけど,下は濡れてるでしよ。下は濡れて心は幸せ・・・・・・いいね。今日はもうセックスしなくていいね」「あたしもやりたい・ ・・」とリサ。
こで休みとなり,立花ひかるか登場する上述の場面が続く。このあと,南がリサにからむ。そして,途中で日比野が現れて,リサとセックスする。そうして処女を喪失。3人でからむ。
一
子
度は積極的に日比野にフェラをする。
南はまた,ペニスパンドをつけてゲイの男性とからんだり,ペニスパンドをつけた複数の女性たちと相互に自慰行為を繰り広げたりするなど,男女がセックスで期待されている行為を攪乱していく。これはたんに女性同性愛者の男役を演じているわけではない。なぜなら,女性はペニスパンドのペニスを男性かするようにこすりながら自慰をするからだ。ペニスの先端を刺激すると,直接あたっているわけでもないのにクリトリスが,また陰茎部を触られると膣が刺激を受けて気持ちよくなるという。もちろん射精などない。しかし,彼女たちは南の巧みな言葉とリードによってオーガズムに達するのてある。チャネリング・ファックと同様に,ここでも心身の高まりと同調が認められる。
いままで女性についてのみ語ってきたが,男性についても一言述べておきたい。
9男のオーガズム16)
代々木のオーカズム論は,男も女も両方を含めたものである。制度の世界にどっぷり浸かっている男性の方がオーガズムに達しにくい。射精は快楽かもしれないが,それはオーガズムを意味しない。オーガズムは男にとっても失神行為をともなうような深い経験なのてある。どうして男は簡単にオーガズムに達しないのか。それは男が自分を捨てること,自分を相手に明け渡すことが下手だからである。男性は,制度の世界で主導権を握ることが自他ともに期待されていて,そのような関係を否定し放棄することにはさらなる困難が伴う。セックスに制度の世界のふるまいや考え方を持ち込もうとするからだ。
ポルノグラフィーについてしばしば指摘されてきたのは,従来の伝統的なジェンダー規範に基づく男性は能動的,女性は受動的という固定的な関係であった。そこで,男性は能動的にふるまうことで快楽を得ることができると想定されている。それゆえ,『ハイト・リポート』で「あなたはフェラチオ,マスターベーンヨン,・生交で得たオーガズムのうち,どれが最良のものだと思いますか。」という設問への回答が興味深い。というのもそこでフェラチオと答えた理由として,相手のことを考えないで自分の快楽の充足に満足できる,と回答していた男性が数人いたからだ[ 1982 , 86頁]。つまり, ここではまさに受け身の快楽がストレートに表現されている。それは支配の快楽を強調し,結果として男性の不安を一方でつのらせるポルノグラフィーとは異なる快楽の回路を示唆している。
こうした視点から特筆すべきなのが,代々木作品においても徹底的に受け身な男性が描かれ始めているということだ。そこでは男性も快楽の果てに失神する。しかもそれはかならずしも射精をともなわない。性行為における能動性や支配欲を放棄するだけでなく,射精をも放棄することで得られる快楽とはどのようなものなのか。少し長いが失神した男優の手記を以下に引
-
用しておきたい。
ボクは4年前,代々木監督の「いんらんパフォーマンス密教昇天の極意』( 1990年)という作品で,イクということをはじめて体験した。この作品は,男のオーガズムを追求するという意図でつくられたものだった。 ・・・ボクと相手役の栗原早記は,いつにも増して, 自分の中へ中へと意識を下ろしていった。努力することを放棄して,期待することを放棄して,とにかくあらゆる意識を放棄して,同じ殻の中にいることを実感として感じながら求めあった。 はどなくして, 思識が性器からふっと離れたとき・ そこからの記憶がない。何をとうして,自分がどうなっていたのかがまったくわからなくなってしまった。た たとえようのない快感,幸福感に包まれて浮かんでいた。射精とはまったく違う感覚。それとは較べようもないほどの満足感と充実感で身体が満たされているのを実感した。性別をこえた快感。根拠はないのだか,そう実感できた。 ・栗原早記がこういった。「鷹, おぼえてる?わたしがおちんちんさわろうとしたら『さわらないで。そのまま抱きしめて』っていったのよ」まるで記憶になかった。 ボクの性器は,これ以上は小さくなれないほどに縮み上がっていて,射精もしていなかった。身体中に鬲肌がビッシリと立っていた。
気がっくと涙もこぼれていた。男の幸福感はかならずしも射精にあるわけではなかった。
性器を使わなくても達するセックスがある。予想していたこととはいえ,ショックだった。と同時に, ことばにあらわすことかできないほどの至福のときに包まれてもいた[加藤 1994 131ー133頁」。
女優の栗原早記は,週刊誌のインタビューに答えてつぎのように述べている。
あの日は半立ちにもならない状態のうちから,体がビクビクと硬直し始めたのよ。わたしはヒ。ンときたわよ。。イツちゃってる"って。射精をしないうちに,アクメに達したわけ。肉体の快感より,精神のオルガスムスが上回ったのよね。そう女のェクスタシーに近づいた感じだと思う[『週間ポスト』1991年2月8日, 204頁]。
男が受け身となり,失神にまで至るオーがズムを得る。栗原がいみじくも述べていたように それは「女のェクスタシー」であった川。ここにジェンダー攪乱の一つの帰結を認めることか可能だ。そして,こうした攪乱を受け入れかたい男は,撮影現場を逃げ去るしかない。
以上,代々木の基本的な考え方を紹介,吟味してきた。っきに,かれの考えを支えることがらについて考察をおこないたい。
学
10代々木自身の物語
代々木の生い立ちで注目しておきたいのは,「家族愛」への飢餓感である。それは母が早くになくなり,父とも別れたて育ったという幼少時の体験に端を発している。そこから血のつながりを求め,やくざの世界にあこがれた。しかし,それは無残に裏切られていくことになる。
家族愛に代わる強い絆を,かれは映画製作の現場に見いだす。だが,このような世界も「裁判」というかたちで中断されてしまう。長すぎる裁判,猥褻という考えをめぐっての仲間との対立,裁判費用の捻出,生活費の枯渇。代々木の妻はストリップで働き始めるが,代々木に知らせず身重のまま妊娠6ヶ月まで働き続けたため,過労と妊娠中毒症で倒れる。そして,生後 4日で最初の子供を失う。
代々木にとって,ビデオの世界は,小規模ながらも家族愛を越えた絆を確認できる世界なのであろう。そのことは,すでに引用した男優の言葉「オレたちの世界」という言葉に如実に表れている。かって憧れていた男たちとの絆を,代々木は男優との関係で手に入れたのではないだろうか。
子供の頃代々木は,娼婦たちの生態を目の当たりに見て,子供心に女性の「バケモノ性」を見いだした。それが,その後のビデオ作りの原点になっているという[山田1995, 247頁]。スト ーリーのあるピンク映画では描けない女をビデオで描きたい,というのが代々木の強い気持ちであったろう。そして,みずからのバケモノ性に向き合おうとしない女,世間が期待する女らしさに甘んじて,体裁を繕う女。代々木がビデオで求めているのは,こうした女性たちの変貎である。
代々木の作品に登場する女性たちは,この世の性をめぐるしがらみのせいで苦しんでいる。彼女たちの変化を追うことで「自分自身」を取り戻していく過程を描く。それは,視聴者の多くの男性にとっては隠れていた淫乱な本性の表れであり,そこに興奮するのかもしれないし, 実際そういう過程が強調されている。そのような「淫乱な本性」を露わにする女性をさらに包み込む存在として代々木が求めているのは,母の姿なのではないだろうか。子供時代の女の淫乱さについての体験と密接に結びついているのが肉親への愛の渇望であった。
淫乱な女性を待っているのは,欲情した男だけではなく,母を希求する男-----ー子供なのである。だが,厳密にはそれは半分しか正しくない。というのも,すでに指摘したように,出演者たちもまた子供になることか期待されているからだ。それがエゴを捨てた無我の境地であり, そのときはじめて真のオーガズムに達することができるのである。代々木が求めているのは, 母としての女性という実体ではなく,母子関係における無償の愛に基づく無私の関係なのである。ビデオでオーガズムを得るということは,否定されている母子関係を獲得することに他ならないとしたら,それは,出演者が子供となり,代々木や男優そして女優たちか「母」となることであり,また出演者がみずから母を体験することであろう。後者の場合,代々木たちが子供となる。代々木のビデオにおいてなされているアイデンティティ攪乱の根本にあるのは, ジェンダー・アイデンティティというより, こうした母子関係の確立とその逆転である。ジェンダー・アイデンティティの攪乱は子供への変貎(退行)の過程で不可避に生じるものだ。それは,攪乱というより,男でも女でもなくという意味で,非(あるいは否)ジェンダー化といった方か適切かもしれない18)。もちろん,こうした変貎の能力は特殊なものと考えるべきではなく,制度の世界と本音の世界の存在を認めたうえで,後者において濃密な人間関係をもとうと思うのは,程度の差はあれ多くの人間か求め,また事実実現していることである。しかし, それかうまくいかない人もいる。なぜだろうか。
その理由として,代々木は幼少時の母子関係に注目する。「(セックスでハウッーものに頼る人は子供時代に)スキンシップをしてない。そこに問題があるんだよね。子供の頃に,母乳で育ってない。お母さんの頬にふれてない。オッパイにふれてない。お父さんに殴られてない, 殴られてお母さんの懐に飛び込む,その時肌の温もりを感じ,お母さんの優しさにふれて,自分をあけ渡して泣きじゃくる。それがオーガズムですよ」「rfuu』1994年6月号, 52頁」とまで言っている。
オーガズムの問題だけではない。 そもそもビデオに出演したいと言ってくる女性たちは,親とうまくいってない。親のエゴの犠牲者になってきたという思いが強い。そして,ビデオに出ることで,どこかで親に復讐したいと思っているという。
代々木はこの続きとも言える意見をつぎのように述べている。
たとえば幼児期に母親の懐で安心して泣けた子というのは,本能が成熟できたと思う。ところが,それを受け入れる母親の本能が成熟していないと,母親にとって子供の泣き声は不快でしかない。だから虐待に走る。そうして虐待されて育った子は,当然本能が不快でいつばいだから,同じように暴力的な行動に出たり,人格が崩壊したりするわけ[『双葉社好奇心ブック36』31頁]。
だが,そう主張するかれ自身母性は二重の意味で否定されていた。実母の不在。そして,最初の子供のあまりにも早すぎる死。かれは,子供の死を「生涯最大の節目」と表現し,「ヤクザになる時も,辞める時も,映画に関わる時も,自分の意志だった。でも,これは俺の意志じゃない・・ 初めて,目が覚めた気かしたよ。己の人生を他人の目で振り返ることかできるようになった。」[足立1992, 144頁」
したがって,われわれにとって大事なことは,代々木はどのようにして母子関係の欠落という根本的な問題を克服しようとしてきたのか,ということであろう。それこそか,独特のオー
: 子
ガズム観に至る過程でもあるからだ。
以下3つのエピソードを紹介して,不完全ながらも代々木の思想の軌跡に迫りたい9)。
最初のエピソードは, 45歳の頃の話である。代々木は大阪の一流ホテルに泊まり,指圧師を呼んだ。60歳過ぎの老女である。しかし,彼女は代々木の股間に手を伸ばし,最後はロにくわえた。
これが,うまい。気持ちがいい。が,このことは絶対に友達にいえねえなあとか, 3年ぐらい,酒の肴にされるなあとか,さまざまな思いがよきって素直になれない私がいる。。こんな婆あに,オレ,こんな事されて"と,それはもうすごい葛藤かある。 だが,おばあちゃんは「あんた,素直になんなはれ。気持ちよかったらオナゴはんみたいに声出したらええのに」と,どんどん心をほぐしてくれる。しかしまだ,素直になれない。それでも私はイキそうになる。が,今度はおばあちゃんがじらす。その繰り返しがあり,そして最後におばあちゃんが私にこういったのだ。「あんた,なんぼのもんや。あんた,どれほどの男や」そうバシッといわれた。脳天を打ち割られた感じがし, そして私は至福の世界に入っていった。気づいたらワンワン泣いていた。涙が止まらないのだ「『CADET』1993 年2月号, 37頁」。
代々木はこの体験で,外面にこだわり,心の中を見られないようにしてきた自身の限界を知った。「おはあちゃん」を通じて,かれは子供になることを学んだ。 子供になることの快楽を体験したのだ。
つぎは,出演者のひとり,井上真梨子との間に生じた経験である。代々木は,『素人欲情地帯淫界から来た女』( 1995)で,出演者井上真梨子の過去を探りながら,セックスへの両義的な態度を克服していく過程を記録している。井上は,子供の頃に両親がスワッピングに参加したビデオを偶然観ている。この作品を撮りながら,代々木は体調の不調を感じていた。そして, いままで自己を捨てることを説いてきたが,監督としてどうしても捨てられない客観的な目を保持していたことを告白している。そのうえで,今回はそうした冷めた視点も維持できないほど力がなかったという。代々木がトランス状態のようになって,子供時代のことを思い出したのは,撮影後彼女と別れてからである。思い出した内容はすでに紹介したことがらと重なる。
その子供時代の思いこそが,いま私がこんなふうな仕事を続けている理由だということがはっきりとわかったのです。同時に,私が井上さんとまったく同じで,じつは,私自身がそれに気づき,私自身がいやされるために彼女に出会ったのだということも率直にそう思えたのです。 ・・これまでにいろんなことをいってきたのに,なにもわかっていなかった
- -
んです。ひとがいやし,いやされる,ということは,ひととひとが本当に同じになれた 瞬しか起きないことかもしれません[山田1995, 247頁]。
最後に, 2003年に会ったとき代々木がわたし自身に語った話を紹介しておこう。「いますこい女優がいる」と言って,代々木がわたしに紹介したのは自衛隊出身の女優,新田利恵である2の。1996 , 7年のころ,千葉の民家を使っての泊まり込みの撮影でのことであった。撮影か終わって,同じ部屋に雑魚寝をした。みんなが寝静まってから,代々木がふと目を覚ますと, 新田か代々木を枕元で母が赤ん坊を抱くように抱きしめて,涙を流していた。彼女によると, そのとき代々木は3歳のころの代々木に戻っていたというだから,母となって寝ていたかれを抱きしめたというのだ。
最ネ刀のエピソー ドは,セックスにおいて代々木自身がエゴを捨てることを学んたことを語っている。二つ目のエピソードでは,代々木は監督としての客観的な視点を放棄し, みずから子供時代にいわば「退行」し,追体験することで,悩みをもつ出演者と同じ視座を獲得している。
最後のエピソードで代々木は本当に子供となって女優の前に現れている。こうした一連のェヒ。
ソードから,代々木の変化を跡づけることは可能てあろう。セックスについての考え方から, さらに自身の退行を経験していく。代々木もまた出演女性とともに そして彼女たちによって癒されていく。 こうした代々木による(失われた)肉親との絆の回復への意志は,娘との関係にも認められる。
代々木は,当時中学2年生の娘に対して,「もし,どうしても自分ひとりでは対処しきれない場合には,お父さんに相談してくれ。僕には命を代えてでも君を守る準備があるから。その時はカになるから」と言えたことについて,「その時,僕は本当に解放された。普通の親のように,世間体だけを気にして,子供を自分のエゴに栄養を与えるための道具にしなくて済んだ」と述べ,アダルト・ビデオの仕事に携わっていろんな女性を見てきたおかげだと述べている[『MARCOPOLO』1992年9月号, 62頁]。これこそ,代々木が娘と確立したかった無私の関係ではなかったろうか。
10悪しき主体の出現
以上の代々木とその作品についての分析からどんなことが言えるだろうか。赤川学は,視聴者の視点から,個室でアダルト・ビデオを観る視聴者とビデオ映像との関係を「AVオナニ 空間」と名づけている22)。そして,アダルト・ヒデオを,「主として青年男性がオナニーをするための媒介( =メディア)として,あるいは来るべき性行為のマニュアルとして,個室ビデオ店や一人部屋という条件のもとで鑑賞・視聴されるポルノグラフィ」[赤川1993, 140頁]
ー ー
と述べている。そして,アダルト・ビデオに認められる多様な性は,視聴者にたいし,みずからの性欲のありかた(おまえはなにに興奮するのか)を問い,性的指向を再認させるための手段だと指摘する。この問いかけに答えることで,視聴者は性的主体となる。視聴者は,みずからの性欲を知ることでそれを核とするアイデンティティを構築し,それに束縛される。代々木が目指しているのは,同じAVオナニー空間という設定において,男性視聴者がオナニーする可能性を残しながらも,まさにそうしたアイデンティティ形成を攪乱しようとしているのであ
冒頭でェロスと反工ロスという対立を提不したが,ェロスの空間とはジェンダーのステレオタイプや欲望の予想される発動の攪乱によって生まれると言えよう。リンダ・ホラーは,身体を肯定する倫理としてのェロスを,身体否定のロゴスと対比させ,身体が人間存在にとっていかに重要な役割を果たしているのかを論じ,ェロスの復活を唱えている[Holler 2002」。そして,身体と精神といった二元論を批判的に克服し,自己と他者か真に交わるような「浸透可能空間permeable space」を生み出す必要がある,と主張している。それは工ロスの空間であり, 癒しの空間である。代々木がビデオ作品で生み出そうとしている空間もまた この浸透可能空間と言えるのではないか23) それは,制度の世界に対立する本音の世界である 24 )
しかし,それは思っているほど単純ではない。マニュアルを孑比判し,マニュアル的な性の世界から脱するためのマニュアルを,代々木は呈示していると言えるが,それ自体か,視聴者や読者にとって東縛となりかねないからだ。宮台らが,代々木の「プラトニック・アニマル』について,指摘するように,「代々木の本は,「マニュアルがもたらす逆説を克服するためのマニュアル」という,きわめて逆説的な形式を取り始める」[宮台ほか1993 , 206頁] 25)。森岡もまた代々木を含むオーガズムの探求者に警鐘をならす。というのも「彼らのような真のオーガズムを追求する方向に行ってしまうと,自分のセクシュアリティのねじれを維持したまま, 「性の快楽への欲望」だけが肥大することになりかねないからである。」[森岡2004, 165頁] しかし,わたしはこうした批判か的を射ているとは思わない。すでに見てきたように,代々木の言説だけ読むと,オーガズムへの欲望にとらえられたり,またそのためのマニュアルという印象を受けるかもしれないが,代々木自身の告白やビデオカメラの前で生じていることがらから明らかなように,オーガズムは突然かっ偶発的であるからだ。代々木は森岡の指摘する懸念をSMの実践に認め,むしろ批判している( 2002年7月の田中によるインタビー)。代々木もまた快楽追求の自己目的化にたいし否定的なのである。そのような「快楽」はオーガズムとは言えない。性的な実践はつねに偶発的なものなのである。
少数ではあるか,視聴者はそのまま視聴者としてとどまるわけではない。代々木のビデオに関心をもち,問題を発見した女性たちは,マニュアル通りの性を克服し,オーカズムを得るためには,本を読んだり,ビデオを観たりしているだけでは不十分で,直接代々木,南そしてかれらを取りまく男優たちの手ほどきを受けるしかないと考えるようになる。とすれは,代々木のビデオは,性的指向を再認する場として機能しているというより,そのような場の前提となっているビデオと視聴者との欲望をめぐるAVオナニー空間の密約一一-ビデオが提供するさまざまな性行為とそれを見て興奮するわたしという関係一一を揺さぶり,問題群の発見を促す機能を果たしていると言えないだろうか。視聴者は,代々木のビデオを観ることで,性的指向を再認するというより,性的な問題に対峙する。視聴者たちは,セックスの仕方やオーガスムの体験に至るいろはを学ぶだけではない。 「イケない」という性的な問題を抱えた女あるいは男として主体化される。しかし,それだけでは従来のAV空間において生じたこととあまり変わりはないかもしれない。そこでも,たとえば男性たちは,男優とみずからの身体やテクニンクを比べて,問題のある存在として主体化していたからだ。代々木の独創的なところはそうした問題化された主体(悪しき主体〔山崎1989, 155〕) 26)にこそ(逆説的だが)癒しの可能性を示唆しているところである。そして,その呼ひかけに応じた一握りの勇気ある視聴者がアテナ映像の面接室のソファ-に座り,出演することになるのである。
11おわ
一部繰り返しになるが,最後に上記の議論をまとめておこう。代々木によると,制度の世界のせいで,われわれは真のオーガズムに達することはできない。建前を捨てて本音で語り,自己を発見することを通じて真のオーガズムを得ることができる。それはまた,本音の世界からの社会批判へとつながる。しかし,代々木がポルノ産業に留まるかぎり,そうした批判は十分に展開できない。とするなら,いわゆる「性の商品化」に通じる「制度の世界」の論理を否定できないのではないか。また,オーガズム達成の有無が問題であるかぎり,あくまでそれは内的あるいは身体的な問題として理解され,真の社会批判や改革に結びつかないのではないか。
さらに,わたしの理解が正しいとすれば,母子関係をあまりに理想化することにならないか。
マニュアル批判があらたなマニュアル化を生むのではないか。
これらの批判にたいし,以下のように答えておきたい。オーガズムをめぐる性の問題を性行為を通じて「癒す」ことの可能性は無視すべきではないだろう。代々木の主張には,教師,聖職者,医者による実践以外の可能性が認められるのではないだろうか。かれの実践が性的かっ身体的なものであるかぎりマニュアル化の悪循環を裏切ることができるはずてある。また,母性の重要性についても,これは従来の性を否定したところに措定される母性ではない。
も母性の,したがって母子関係の攪乱の可能性を認めることができるのではないだろうか。ま 監督と女優,男優と女優といった関係もけっして固定された性格のものではないことも確認しておきたい。
- -
視聴者は,ー大決心をしてアテナ映像の面接室のソファーに座る。それでは,わたしはどのような経過で面接室のソファーに座ることになったのだろうか。
1986年8月,わたしは京橋名画座の窮屈な椅子に体を沈めながら,『ドキュメント・オナ ーシリーズ』のキネコ版『ONANIE 2』とTONANIE 3』を観た。これが,わたしと代々木との最初の出会いだった。ビデオの制作からおよそ4年のずれかあるが, 1980年代前半をスリランカと英国で過ごし, 6年ぶりに帰国したのが一ヶ月前であったのだから,このずれは仕方がないたろう。わたしは,ロンドン滞在中にすでに女性のオナニーを研究テーマにしようと考えていた27 )。そのため,日本に帰って最初にはじめたのは,オナニーと名の付くピンク映画を片っ端から観ることであった。日本のアダルト・ビデオ事情に疎かった当時,『ONANIE』のオリジナルがヒデオ版であることさえ知らなかった。しかし,わたしは代々木の古い作品の多くを京橋や東阪急通りの映画館で観ることかできた。わたしは,なにかに憑かれたかのよう ビデオショ ップの販売用ビテオを漁り,代々木についての文章を集め,そして語っていた。 1980年代後半から90年代前半にかけての代々木の精力的な活動は,わたしにとって同時代的な体験であり, このころの資料が一番充実している。
はじめて代々木について論じたのが1993年の近衛ロンドでの席上であった。その後講義でも取りあげ,またさまざまな研究会でもビデオ持参で報告をした。しかし,わたしがアテナ映像の面接室で代々木に会おうと決心したのは,ずっとあと2002年7月のことだ。およそ5年間,わたしは逡巡していた。ふたたび,代々木のビデオを見始めたのは,藤本由香里氏との出会いがきっかけであった。それから,また長い月日が経った。とりあえず,本稿をわたしがなぜ代々木に惹かれてきたのか,そして,その理由はなんなのかを考察したものとして位置づけ
謝辞まず,短い時間であったかわたしのい質問に丁寧に答えてくださった代々木忠監督に感謝したい。代々木監督にはこの論文の第一稿を見ていただき,再度お会いして,修正追加を行っ 2006年2月, 2回目にお会いしたときは,母の死をめぐって,また小学校低学年のときに罹った執病の経験などから,死あるいは死後の世界についての強い思いや,闇の恐怖について語ってくれた。このような感情は,不可視の世界への強い関心と結びついている。これらのことがらもまた,監督の作品を理解する上で重要であることを思い知らされたか,本稿に十分に取り入れることはできなかった。この点については今後の課題にしたい。またアテナ映像の長井泉氏には最後の最後まてお世話になった。代々木監督を紹介してくれた筑摩書房の藤本由香里氏,彼女との出会いを設定してくれた国立民族学博物館教授野村雅一氏に感謝する。近衛ロンド( 1993年2月) ,大阪市大での講義( 1993年前期) ,女神クラブ宇和島大会( 1994年9月) ,
愛知学院大学癒し研究会( 1994年10月) ,総研大(国立民族学博物館)大学院自主ゼミ( 1994 年10月) ,人文研助手会ゼミ( 1994年1 1月) ,けいはんな『マラソンセミナー人間・生物・時間』( 1996年3月) ,総研大本部での湘南セミナー( 1996年7月) ,国立民族学博物館企画展ゲストトーク「20世紀のェロス,オーガズム」(2000年4月) ,九州大学での特別講義(2002 年10月) ,などでビデオを使って報告し,そのたびに参加者から貴重な意見を伺うことができた。本稿に,そうした意見が少しでも反映していれば幸いである。さらに,京都大学人文科学研究所の共同研究班「ポルノグラフィー研究」(大浦康介代表, 1999ー2002 )での討論は大変有役であった。資料の整理にあたっては局橋景子さんにお世話になった。
1 ) かれの生い立ちについては代々木は993, 61 - 87頁]参照。
2 ) レンタル店は1989年をビークに減少していく。
3 ) この点については,「性的コミュニケノョンに踏みだす仕方 く行為〉 はもはや問題ではなく, 性的コミュニ ノョンの中で何をく体験〉しうるかに 主題が完全に移行している。「踏み出し得るか否か」から「旱受しうるか否か」へーー--ー」〔宮台ほか1993, 266頁]という指摘がある。
1990年前後からチャネリングが流行する。 この点については『週刊朝日』( 1990年12月7日号)の記事「「大霊界」よりすごいチャネリングって何だ」を参照。より学術的なものとして匚島薗2006 : 247 - 262」がある。
5 )本稿が扱う時代のアダルト・ビデオ作品一般については,「80年代AV完全データ」(『好奇心フ。ック36』)を参照。
6 )マニュアルは書物だけではなく,ビデオも多い。しかし,これは日本より米国で顕著である。
7 ) 3節で紹介した藤本の快楽体験についての記述を参照。
8 )代々木は別のところで,制度の世界を固定観念や価値観という催眠にかけられている状態と述べ,そこで違う価値に出会うと悩む。悩んでいる女性がかれのところに来るから,かれのしなければならないことは,そうした価値観を捨てさせることであり,世間が彼女にかけた催眠を解くことだという[『コラムニスト2』1991 , 95頁]。「催眠を解く」ことが癒しなのである。
9 )もちろん,多くの性産業が制度の世界の一端を担っているのは否定しがたい事実である。むしろこれは代々木流の性産業観,と考えるべきであろう。
10 )すでに紹介した藤本のチャネリング論をも参昭
(1)『オレンジ通信』( 1991年, 4月号, 99頁)での麻生の発言も参照。
12 )このシリーズは, 1990年に一本制作された後, 1993年から本格的にシリーズ化されたため, 本稿の分析対象から外している。
13 )代々木は1993年に『綺麗』という女性誌で「代々木忠の性の相談室」を連載していた。また翌年には『fuuJで「愛の伝道師代々木監督の究極のオーガズム」を連載している。同年同じ雑誌で,代々木に影響を受けた男優加藤鷹も「鷹さんに訊け!」というセックス相談室を担当している。これらは,レディースマガジンと呼ばれ, 1993年頃に相次いで公刊された。全頁アート紙仕上けで,写真がふんだんに使われている 冗りは,読者参加による有名AV男優とのセックスやバイプ使用のセックスの誌上掲載であった。tfuu』では,こうした企画に応募してきた
女性に6万円を進呈している。女性の性的な欲望を全面に出したという点で, 1980年代末に始まる女性観の変化を表していると言える。この点については,東匚1998]を参照。
14 )南については,代々木との長い対談匚代々木1992, 201ー217頁]や斉藤綾子と亀山早苗らとの座談会の記録[斉藤ほか200乢また『ベストの本11』( 1999 )や[宮1994〕を参昭
15 )鷲田は南とのインタビューについてつぎのように述べている。「南さんの口からは,「受け身」と「多様」という言葉がくりかえしこばれてくる。どちらも固定観念から感覚をほどくという文脈で出てくる。身を他人にあずけることで決壊する瞬間,類型のなかで,つまり他人との比較のなかでじぶんをとらえることを止める瞬間,そういう次元に誘導するために動員されるのが,このひとの言葉と手の技なのだ。指を肛門に突っ込む,言葉でいたぶる。肉体のなか,幻想のなか, 相手の内部にぐいっと入っていくのだ。ひととひとのあいだで侵してはならないとされるその境を跨ぐ。これはたぶん「普通」のひとがいちはん怖がっていることだ」〔鷲田2000, 16頁]。あるいは,「性は幻想によって編まれている。だから,言葉や観念がく性〉としての人間をがちがちに固着させたり,ぐらぐら揺すぶったりする。南さんが言葉と手を協同させていることにはたぶん深い意味がある。わたしたちのなかの幻想性と物質性とをそれによって一挙にかき混ぜてしまうからた。言葉を身体感覚のなかに溶け込ませ,手のように物質体としての身体にかかわらせていくことで,相手の生理じたいを,あるいはみずからの生理へのかかわりそのものをずらせていく。<性〉そのものが内蔵する生理からのずれを,ぐいと開ききるのだ。ほ。くらはこういうふうにして他人の幻想世界にかかわっていくことを恐れている。しかし,南さんはひとにほんとうにかかわるというのはそういうことだと信じている。セックスワークはある意味ては究極のサービス業であり,究極のナースなのかもしれないという」[同上, 17頁」。指はともかく,言葉についてはすくなくとも代々木にも十分に当てはある指摘であろう。
(6)本節の一部は[田中1999]に記載している。
17 )ほかの男優の例については,代々木[ 1992 , 130ー134頁]と藤木[ 1994」を参照。
18 )とはいえ,なぜ父ではないのか,という点で,こうした関係もまたジェンダー化されている。
19 )これらの工ヒ。ソード自体がかれのオーガズム観の由来を示唆していると言えるが,より思弁的な次元では,代々木は,インドの聖者で,セックスを肯定的にとらえたヴァガワン・ラジニ の名前をしばしばあげている。そして, 1989年に会った僧侶佐藤順陽との出会いが決定的であったとも言う。佐藤順陽には『始動!新神々の降臨』という書物がある。かれのエネルギーに角虫れたことで,自分がビデオ作成を通じてしなければならない使命のようなものを獲得したという[『コラムニスト2』1991 , 94頁」。
20 )新田は『お姉様淫女隊』シリーズ「シャフ、ンてほしい?クワえてほしい?お姉様がイジッてあげる!」( 1999年)などに出演している。
21 )新田は,最初からこうした能力が備わった女性として代々木の前に現れたのではない。そうではなく,代々木との交流を通じてより深く人間を理解する力を得ることになったと考えられている。
22 )ただし,この視聴者は男性を想定している。この点については,アダルト・ビデオが女性のオナニーに不向きである,という藤本の指摘〔1994, 190ー191頁に注目したい。
23 )田辺もまた,「エロスは,差異を認めつつ同時にその差異を乗り越えようとする態度,また差異を超えた同一性を認識しつつ同時に差異に基づいた関係性を楽しもうとする態度から生じる」 [田辺2002, 261頁」と指摘し,「差異性と同一性の相互交歓的関係性」[同上, 265頁]という言葉でェロスを表現する。この相互交歓という概念はH。Ilerの浸透可能性という視点と重なる。
また注15で引用した鷲田の発言を参照。
24 )ターナー[ 1976〕のコムニタス論に慣れ親しんだ文化人類学者なら,代々木の言う「制度の世界」とは構造のことだと考えるであろう。構造においては地位,義務や権利が人間関係を支配している。それにたいし,コムニタスの様態では,こうした社会的なきまりごとが一時的であれ判断停止となる。そして,ふだんなら許されない禁忌の侵犯や価値・役割の逆転が生じる。
25 )この引用箇所(第4章3節)は宮台の執筆担当である。
26 )「悪しき主体mauvais sujets」とは,厳密にはアルチュセール(Louis Althusser, posわれs, Paris : Editions socials, p. 120 )の言葉である。詳しくは山崎〔1989」を未二クハ、0
27 )きっかけは, 1982年のSカe沢めという雑誌に掲載されていたバイプの広告で読んだ,自立するための一歩(一本)とでも言いたげな,フェミニストたちの心をくすぐるような文面であっ
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『オレンジ通信』1991年4月号「チャネリングFUCK出演GALS座談会SPECIAL私達が覗いたチャネリング未体験ゾーン」(水津宏) 96一102頁。
『CADET』1993年2月号,「代々木忠純粋性愛哲学読解真のェクスタシーは,知ろうとせずにただ感じること」(太田穣) 36ー39頁。
『好奇心ブック36 80年代AV大全』1999年,「"チャネリング"で女をイカせまくる代々木マジックの秘密」26ー32頁。
「好奇心ブック36 80年代AV大全』1999年,「80年代AVビデオ完全データ」175ー195頁。
「コラムニスト2』1991年「代々木忠作家の宗教観ー--ー・4ェゴの消えた瞬間に愛がある」94ー 97頁。
「スコラ』1992年9月10日,「代々木忠のサ・失神SEX女のコを淫乱にする! !」110一124頁。
fSPA !』1992年8月26日号,「ヴァーチャルセックスの可能性」36一44頁。
fpink』1997年10月号「男をイカせる,女をイカせる。「イケない時代」対談AV監督代々木忠さんx風俗嬢・ライター山口みずかさん」22ー23頁。
『fuu』1994年6月号「愛の伝道師代々木忠監督の究極のオーガズムその3」52ー53頁。
『ベストの本11号噂のマニア風俗読本」1999年「性感ェステの達人南智子」(ジャンキー伊藤) 157一162頁。
『週間ポスト』1991年2月8日,「なんと『男の失神」ビデオが大好評」203ー205頁。
『MARCOPOLOJ 1992年9月号,「オーガズムのかなたに神を見た」(田中茂朗) 60ー63頁。
資料1
・愛とは いんらんパフォーマンス特別編
(分)
く耕助と冴子のカップルが各々俳優とSEXする。〉
1 1 く耕助と恵子〉
風呂でペッティング。冴子,別室からその様子をモニターで見ている。 嫉妬のこもった目。
泣き出す。
ソフアでペッティング。→べッドへ移動
17 匠登場。このあと,一組のカップルのセックスの場面がおよそ30分交互に続く。
(翌日)
52 耕助と恵子が仲良く散歩しているのを部屋から見ていた冴子が泣きだす。
54 〈冴子と匠〉風呂場でペッティング。
耕助と恵子が風呂場に来る。ペッティング始める。
60 く冴子と匠〉フェラ。
63 耕助と恵子,風呂から出る。
64 冴子と匠,風呂から出る。
65 匠と恵子にインタビュ
「(彼女は)飛び降りたい気分だといっていました。」(匠)
「中途半端になるくらいなら別れた方がいいと思う。」(恵子)
68 匠と冴子にインタビュー
70 耕助,冴子で話し合い。
「あたしのセックス見てた?」「声がすごかった」
「モニターで(彼のセックスを)ずっと見てようと思ってたけど見てらんなかった・・
「(泣きながら)・・・・・・笑わない? ・・今でもまだ愛してる、・・・・・だからもしよかったら・・・・・・」「かれ(匠)の方が良かったっていうのが少し悔しいな。おまえそういうときはお世辞でも良くなかったって言えよ」「違うの。気持ちよかったのは体だけ」
80 く耕助と冴子〉べッドへ移動 →ペッティング,セックス
射精
「(女を抱きしめて)ありがとう」(耕助)
95 耕助と恵子にインタビュー
「これからは(恵子とは)友達関係」(耕助) 98 冴子と匠,ペッティング始めるも冴子か拒否「あなたのこと嫌いじゃないけど愛してない」
資料2
・目かくしFUCK わたしを犯して!
(分)
1 インタビュ
ひかる (セックスは)手とか足とか縛られて, ャリってかたちがいいですね。
- -
自分がもう絶対自由がきかない状態でムリ
監督:
ひかる:
監督.
ひかる: そんなのやってもらったことある?
ないです。
いつごろからそういうふうなこと考えるようになったの?
3
4
9
16
22
24 なこと言ったら変なふうに思われちゃいますよね。
監督: 実はおんなを強引に犯してほしい。わたしを奪って欲しいと。
ひかる: みんな口に出さないだけで,誰でもあるんじゃないかなあって。
く桜と男優3人〉
桜は目隠しされて縛られ,男優3人から視姦される。
ひかるは同じ部屋にあるソフアに縛られ,目隠しされて座っている。
鋏でストッキングを切り刻まれる。
ペッティング(指挿入)
(ひかる,桜の喘ぎ声に反応し悶える。) 桜, ペッティング,クンニでイク。
フェラ。挿入顔射。フェラ
くひかるx男優4人〉
性器を顔に押し付けられる。ペッティング(指挿人) , オナニーさせられる。
ひかる もっともっとズボズボして!
桜はひかるの痴態を見つつ欲情している。
イツた顔のアップとコメント
監督 (男優に) (桜,ひかるが)戻ってくるから,手握っててあげて。 じゃないと戻れ
なくなるから。(男優か頬を叩くと,ひかるが目覚める) 男優: どこ行ってたの?真っ白になっちゃった?
ひかる: (ぐったりしたまま)わかんない 監督・ どうだった?
ひかる: 気持ちよかった・
監督: 納得したかい。ずっとこれしたかったんだろう。
インタビュー
いつごろからっていうか,ずっと(レイプ願望)あったんですけど,私生活でそん
桜:
監督
桜.
ひかる監督ひかる見てるのと,ひかるちゃんがヤッてるのを見てると,その通りになっちゃうんです。自分が頭ん中でちょっと思うと,自分がそうゆう風にやられてるようになっちゃう。
挿人感みたいなのを感じる?
あるんです。
同じです。桜ちゃんとまったく同じ。
はいってくる?
本当にはいってきて,ズンズンくるし, ・・・同じです。
28 桜,ク
ひかる,桜の痴態に反応。
29 桜,挿人(正常位)
ひかるが激しく反応。「チャネリング!」の文字がはいる。
32 ロ内発射
34 ひかる,張形挿人(バックから)
35 ひかる,桜のイツた顔のアップ。コメント。
監督: (ひかるにたいし)これで満足しただろう, ・・これでもうレイプ願望から卒業するだろう。
監督. (ひかるの顔を見ながら)なんにもない顔してるね,いいね。
天国行ってんな。これからは愛のあるセックスができるようになるな。
(桜,起きて周りを見回す)
監督 桜 (桜にたいして)周りの景色がめずらしいかい?どこ行ってたの?
わからないです。すつごい幸せたったような気がする。
死んだときそこに行くんだ。
40 ひかる,ゆれ戻しがくる。喘ぎ,泣き出す。
監督 全部出しちゃいな。
ひかる
今までのセックスってなんだったのかな・・なれるってすばらしいなって思いました。
自分に感謝しなよ。 。自分自身がこんなに幸せな気分に
ひかる はい,いますこく幸せです。
資料3
・性感Xテクニック処女
(分)
1 インタビュー
リサ・
監督:
リサ:
監督.
リサ.
そういうこと(セックス)するのが不潔じゃないんだけど,男の人はすごく好きなんだけど,それ(セックス)だけの対象にされている気がして・・それで挿入を拒んだの?痛いとか怖いからじゃなくて?
それはありました。指とか入れられると痛いし,ぜんぜん気持ち良くないのに声とか出さなくちゃって考えたら・・・(周りに)良いセックスをしている人はいなくて。
フェラしたり,アソコ触られてるときは気持ちよかったり幸せだったりした?
フェラして相手が気持ちよさそうだったりしたら嬉しいし,やってあげたいって
思うけど,自分が指とか入れられてもぜんぜん気持ちよくないし,たくさんされるともうやめて,ってかんじ。
3 く日比野と南智子〉
/ヾッフ、イ ング
5 フェラ
6 騎上位
9 ツンユ0 リサ泣く。
あなた泣いてるけど下は濡れてるでしよ。下は濡れて心は幸せ・・ ・いいね。 今日はもうセックスしなくていいね。 一 ー
リサ:
監督
ひびやん:
南:
監督 あたしもやりたい・
今日はいつばいやってあげるよ。おちんちん入れなくても,射精しなくてももっといいセックスがあるってことを覚えとくといいね。・・・・・・何よりエイズにかからなくていいね(笑)。21世紀のセックス,究極のセンクスですね。
今イツたと思ったもん。その後動けなかったもんね。
(泣いている)泣いたのは撮影では初めて。普段は地味って言われるけど,今日はケダモノみたいにひびやんを貪っちゃった。
立花が(二人のプレイを)見てたらウケちゃって,助監督か下に連れて行ったけ
(立花ひかる登場)
監督.きみ,下でイキまくってたよね(笑)
ひかる. (笑)南さんが(想像の中で)男になったり女になったりしてて, ひっくりしまし (略)
ひかるちゃん,ひびやんと抱き合ってみてくれない?
〈ひかると日比野〉
ひかるは喘ぎ,悶えている。
監督.早くこのレベルにまで達しちゃうと年取って体か崩れても大丈夫だよね。
〈リサと南智子〉 丁イング バイフ。
26 ひびやん登場。く日比野と丿サ〉ペッティング(クンニ)
32 挿入
36 処女喪失
インタビュー
リサ:ありがとうございました。
リサ:痛いんだけど,頭の中は気持ちよかった。
くリサx南智子x日比野〉
リサがひびやんをベッティング
44 リサ,ひびやんの性器をこすり,舐める。フェラ
45 南,ひびやんの性器をしごき,リサは舐める
(リサの性器のアップ。濡れている)
監督. リサちゃんはこっち(人にしてあげる)の方が好きみたいね。
南. (リサの顔を持ち上げて)目がこんなに蕩けてる。
・リサ 監督 リサ してるうちに自分も感じちゃう。
潜在的にしてあげたい女性って多いんだね。
男の人が声をあげたり,恥すかしい格好をしてくれると感じちゃう。
-
資料4
・代々木忠作品( 1981ー1992)
出典山田陽一編『代々木忠の世界 為の学校』(夏目書房, 1995年, 353ー61頁)
*昭和56年
愛染恭子の本番撮りシリーズ
Part 1淫欲のうずき(30分)
Part 2淫乱館の失神夢(30分)
Part 3めまい(30分)
*昭和57年
愛染恭子の本番生撮りシリース
Part4華麗なる愛の遍歴(60分) Part5華麗なる追慮(90分) 海外版本番生撮り
安西ェリの禁断のサンゴ礁(60分) 安西ェリの南海の楽園(禁断の園) ( 30分) 山口ひろみの白砂は情事のしとね( 30分) ドキュメントサ・オナニーシリーズ
Part I 主婦斎藤京子(30分)
Part 2 女優 田口ゆかり(30分)
Part 3 女高生西川小百合(30分)
Part 4 女子大生中田加代子( 30分)
Part 5 美容学生水城真理(30分)
Part 6 女子大生林久美(30分)
Part 7 OLvs女子大生杉山優vs白鳥かおる(30分)
ドキュメント新サ・オナニーシリーズ
Part 8
Part 9
Part 10
Part 11
Part 12
Part 13 Part 14 看護婦小林礼子の場合25才( 30分) モデル高田悠子の場合19才( 30分)
スチュワーデスイサベルの場合24才(30分)
' 81ミスヌード世界3位山宮智恵の場合19才(30分) ェスコートレディ野口かおるの場合20才(30分) 女優安西ェリの場合22才( 30分)
トルコ嬢滝ゆう子の場合18才( 60分)
*昭和58年
ドキュメント新ザ・オナニーシリース
Part 15 ーハーフ橋本すみれの場合23才(60分)
Part 16主婦はみんなしたい萌神望友紀(30分)
一
ザ・ロリータ
Part 1裸舞(らぶ) (30分)
Part 2と・き・め・き(30分)
Part 3夢少女(30分) サ・ドキュメントオーガズム
Part 1 SM作品(60分) Part 2 SM作品(60分) 性感極秘テクニック
Part 1
Part 2
Part 3
Part 4
Part 5 ぐしょぐしよなの・・・。愛染恭子( 60分) こんなの初めて・・ 西川瀬里奈( 60分) 腰か抜けちゃう・・ 明神望友紀( 60分) ああみないで・・・。佐藤祭子(60分)
どうして腰が動くの・・ 栗田明子( 60分)
ストリップ界のアイドル美カⅡマドカ( 60分) ザ・ドキュメント出産( 60分) 刺青( 60分)
*昭和59年
ザ・ドキュメント性戯実験室
Part I
Part Ⅱ
Part Ⅲ
PartlV
Part V ほ。く, こわい・・・ツ。 (30分) ノゞ、ノクからお願いツ・・・。( 30分)
初めゆっくり,中バッノヾよ・・。( 30分) だって気持ちいいんだもん・・。( 30分) 真珠があたる・物(30分)
愛染恭子ザ・サバイバル(90分) 女がホントに果てるとき(60分) 大学対校本番大会(ニャンニャン) ( 60分) インド式SMハウッウテクニック
Part 1女が歓ぶ変態テクニック編( 60分)
Part 2女が狂うじらしのテクニック編( 60分) Part 3女が離れない完全飼育編( 60分) ドキュメンタリー ハウッウ・オナニー・テクニック
Part 1女子高生攻略法(45分)
Part 2 OL攻略法(45分) Part 3人妻攻略法(45分) 美少女N ( 30分) キュート・レズビアン(30分) 好寄心( 90分)
マスペット・ギャルNO. 1 (30分) ザッツ旻会テイメント(60分)
一
新・性感極秘テクニック
Part 1 Part 2
Part 3
Part 4
Part 5 いつばい出てる水野真美( 60分) 本物がほしい望月あゆみ( 60分)
先生のちょうだい五十嵐涼子( 60分)
もうべちょべちょ小早川ひとみ/田村悠子(60分) もっとやって末次富士子( 60分)
*昭和60年
オナニー3ザ・バイプ(90分) マスペット・ギャルNO. 2 (30分) とびつきりギャル無垢・剥くメニューこんなの恥すかしい/小暮ゆかり( 60分) 怖いけど好き/中野絵里子(45分) ぜ~んぶ見せちゃうもん/佐々木里美( 45分) 性感極秘テクニック・スペシャル( 90分) マスペット・ギャルNO. 3 (30分) サイコ催眠工クスタシー
Part I
Part 2 Part 3
Part 4
Part 5
Part 6
Part 7 驚異のマインド・オーガズム/愛染恭子(60分) 四次元SEXの全て/相原真理( 60分) 女の夢精の不思議/滝川真子( 60分) 失神の世界/萌神望友紀( 60分)
神秘 女の本能/望月あゆみ( 60分) トリノブSEXの魔術/杉本羽純( 60分)
トリップ・オナニー/小早川ひとみ( 60分)
ねあかオナニ (30分) ねくらオナニ (30分) 好寄心2 ( 90分)
ありさのびくびくバラダイス( 60分) 愛染オン・ステージ(60分) 梨花の排泄日記(60分)
・スペシャルあこがれトリオ( 45分) かぐや姫
清水ひとみのはじらい(60分) 清水ひとみ・うずき(30分) セクシー4
Part 1
Part 2
Part 3
Part 4 あのニャンニャンをもう一度(60分) 奥までムキムキ(60分) おにゃん娘ゴッコ(60分) いっしょに感じて(60分)
悪戯
柏木早苗( 30
-
清水ひとみ(30分) 進藤恵( 30分) 奈月恵子( 30分) 大崎忍( 30分) 性感マッサージ・奥義田口ゆかり(30分) 橘良子( 30分) 中村京子( 30分) 立木良美( 30分) 奈月恵子( 30分)
*昭和61年 THE工ロス
v引. 1 トレ・一シーvs愛染・レズ狂艶( 30分) vol. 2 シーvs愛染・童貞破り( 60分)
vol. 3 シーvsワイセッ軍団・豪華淫乱(60分) いんらん主婦ひかり (60分) 女子大生優子(60分) 学生ェミ(60分) モデル真樹(60分) OL絵里子( 60分) 愛川深雪( 60分) 沙耶とまこ( 60分) 二Pレズ任態(60分) マスペット・ギャル
NO. 4 松原ェミ( 30分)
NO. 5 谷口真樹(30分)
NO. 6 青葉ひかり(30分)
NO. 7 野口優子(30分)
NO. 8 愛川深雪(30分)
セクシー4
V01. 5 vol. 6 vol. 7 vol. 8 なんてったってモッコリ( 60分) さわってマンゴ(60分) ごきげんファックン( 60分) コカンでウインク(60分)
隷嬢( 90分)
。性感マッサージ・奥義豪華版( 90分) ザ・悪戯スペシャル版(90分) ザ・エロス総集編
トレーシー ・ローズ愛染恭子 競演( 90分)
-
性感極秘テクニックバーフェクト( 90分) セニョリータ V01. 1しびれマンタ( 60分)
*昭和62年
星野麻由vs山口(ティッシュGAL)美樹(30分) バックリマン3 (30分) ミラーマン娘(30分) セニョリータ
vol. 2はまぐりマンボ(70分) vol. 3うかれてアンコ(70分) V01. 4ひろげてワカメ(60分) vol. 5イカれてマンチョビ(60分) いんらん′ヾフォ-マンス
GINZAカリカリ娘(60分) 猥流呶宴会(わいるどば一てい) ( 60分) 夫婦(60分) 巨根(50分)
TELO盗撮( 60分) 恋人( 90分) 恋愛ゲーム( 60分) アダルト女優(60分) 撮影現場裏表(60分)
「私はインランです」(60分)
森田水絵スペシャルセクシー4 AGAIN (30分) セクシーメイツ
vol. 1 OMATAカーニバル( 72分) V01. 2マングリSAMBA ( 70分) ザ・いんらん豪華版(90分) ザ・いんらん2 (90分)
*昭和63年
いんらん/ヾフォーマンス色即是空(60分) 淫靡如来( 90分) 淫科少女( 60分) サオ師( 60分) 淫行菩薩( 90分) おしゃぶり少女(60分) 咥え弁天(90
妻と夫とサオ師たち(60
愛とは( 108分) 処女喪失( 60分) 淫乱天使( 90分) 名器・淫乱・挑発娘(90分) セクシーメイツ
V01. 3 ばいチュウPARTY (62分)
v引. 4 KOKAN艶ジェル(70分)
vol. 5 アイドル危機一発(75分)
V01. 6 射Sayハリケーン(82分)
いんらんハ。フォーマンスパション( 80分) vol. 7微・少女クライマックス(82分) V01. 8燃え立ちフィナーレ(90分) セニョリータSPECIAL特版(90分) セクシー4 BESTエレクション( 90分) 淫乱催眠術( 90分) 淫乱一族(90
*平成元年いんらんパフォーマンス豪華版ザ・カリ取り合戦( 100分) 沙弥加タコFUCK (60分) 嫉妬で濡れる女達(45分) 肉欲・愛欲( 90分)
◇サイコスペシャル無差別快楽( 90分) 姉妹( 90分) 処女と淫女とェロ事師(90分) 私マジメな女子大生(90分) 処女と発情妻(90分) 舌戯乱ロスペシャル(90分) デカ乳・潮吹き・挑発娘(90分) 性豪/中原絵美林由美香(90分) 目かくしFUCK 面接で「翔んじゃった」(50分) 目かくしFUCKシリーズ()M集) ( 15分) 女学生( 70分) 女子寮の潮吹き女(50分) 前も後も( 50分) おくちいつばい(60分) 処女だ! ( 60分) 熟女と女子大生(50分)
いやらしいことしてください(60
一
畑中葉子と看護婦さん(60分) あっ!潮吹きだ! ! (60分) 絶叫プルース黒人vsサオ師(45 セクシーメイッファイナル(45分) 新人パフォーマンス看護婦( 60分)
*平成2年いんらん/ヾフォーマンス特別版密教昇天の極意(80分) That's艶会テイメント(75分) 巨根(USA) vs性豪(JAPAN) ( 60分) 樹まり子/中に出して! (50分) 淫女子( 50分) 寺崎泉の本気じるし(60分) 目かくしFUCK のどの奥まで(80分) あっ!失神だ! ! (50分) お尻もいじめて(60分) おにいちゃんありがとう(60分) ひやあ!いやらしい! ! (60分) こんなにグチョグチョ(60分) 私を犯してっ! (50分) お尻もズボズボ(45分) 林由美香驚愕!連続失神(60分) ああっ,出ちゃう(50分) やめて,イヤやめないで(60分) チャネリングFUCK 悪霊と聖霊たち(90分) 山下麻衣の失神するまで( 60分) ズボズボきちゃう(60分) 淫乱波動前も後も(50分) 隷嬢淫乱館(75分) お尻で失神(60分) チャネリング特報(30分)
ザ・面接いやらしいことされちゃった( 60分)
*平成3年チャネリングパフォーマンス大淫開( 90分) 胎内宇宙( 65分) 秘戯大公開(70
素人発情地帯この女,門限あり(50分) スカウトマン殺しの女(60
「夫には内証にしてください」( 60分) 私,乱れていいですか(60分) こんな私は銀行員(50分) 奥さん,いやらしすぎます(50分) ボディコン放心FUCK (60分) 制服の女の子(60分) 奥さん,そんなことまで(60分) 性感Xテクニック(60分) 性感Xテクニック
恥ずかしいけどもっとして(60分) じらさないで,やめないで(60分) 変態!性戯の味方(60分) お嬢様,はり裂けそうっ! ! (60分) 肉卍( 60分)
10倍感じる逆転FUCK (60分) スゴすぎます! (60分) いんらんパフォーマンス現役女学生(60分) 淫女/椎名美月( 60分)
代々木忠のいんらんテイメント 処女か! 乱か! (60分) 処女喪失スペシャル(60分)
チャネマンフェスティバル(60分)
目かくしFUCK私を女にして(40分)
*平成4年
いんらんハ。フォーマンス激女/椎名美月(60分) 素人発情地帯
奥さん,清純すぎます(60分) 芸者(ねえ)さん,そこまでするの( 80分) 悪戯されたお嬢様(60分) 処女膜強靱症の医大生(60分) 淫乱な女になりたいの(60分) 奥さん, お金欲しいんだって(60分) 奥さん, 別れたんだって(75分) 奥さん, タンナが浮気したんだって( 75分) 奥さん, ダンナじゃ濡れないんだって( 60分) 奥さん, 不自由してるんだって( 60分) 監禁( 60
一 -
:
性感Xテクニックプロの秘技教えます(60分) 特別版林由美香vs代々木忠(60 処女( 60分) 人妻( 60分) 新人さん,いらっしゃい
濡れてるくせに,ジタバタすんなっ! ( 50分) おもらしで失神すんなっ! (50分) 腰が抜けても,腰っかえ! (60分) おかされてんのに尻ふるなっ! (50分) 再起不能の淫乱娘(60分)
おもらししちゃっていいですか( 60分) 感じるビデオドグ(40分) AV女優vsお嬢様肉体の選択( 60分) 私のほうが淫乱です(60分) お嬢様vs銀行員(65分)
===
『인문학보』 제94호(2007년 2월) (교토대학 인문과학연구소)
치유와 귀걸이 포르노 요요기 다다 감독 작품을 둘러싸고
다나카 마사
포르노의 문화 인류학적 분석이라는 일도 곧 나타날지도 모른다.
A moral pornographer might use pornography as a critique Of current relations between sexes. His business would be the total demystification Of the flesh and subsequent revelation through the infinite modulations Of the sexual act, Of the real relations Of man and his kind. Such a (Angela Carter, The Sea Ⅳ0 襯pp. 19-20, 1979).
1 소개
이 장의 목적은 성인 비디오 업계의 거장이라고 불리는 요요기 타다시의 초기 성인 비디오 작품과 관련 자료를 취해 거기에 어떤 섹스관과 여성관이 인정되는지를 분석하는 것이다.
저는 '세계를 구축하는 엘로스'에서 엘로스와 반 에로스라는 개념을 사용하여 섹슈얼리티를 둘러싼 다양한 언설의 분석을 시도했다.
엘로스는 개인 간의 밀접한 관계(두 사람의 세계)를 강하게 시사한다. 그것은 무엇보다 성을 매개로 하는 우발적인 관계·상황이 있다. 엘로스는 주관적으로 성적인 상호작용을 통해 자기와 타인의 변화와 융합을 일으킨다. 신체를 넘어서거나 신체 자체가 다른 사람의 신체를받습니다.
*타나카마사카즈 타다시대학 인문과학연구소 shakti@zinbun.kyoto—u.ac.jp
ー
인문
넣어 물리적 경계를 넘어 확대해 나가는, 자기 뿐만이 아니라 타자도 또 세계를 공유해 확대해 나가는, 그러한 세계 구축의 감각을 에로스가 만들어낸다. 다만, 이것이 가장 중요한 포인트이지만, 여기서는 엘로스를 구체적인 실체라기 보다는 엘로스의 관계를 무화시키는 지배에 대한 대항적 개념으로 파악할 수 있다. 공로스는 완성된 것이 아니라 생성적인 개념이다 [다나카 1997, 290쪽].
그리고 엘로스의 관계를 무화시키는 지배를 '반로스'라는 말로 표현했다.
반공 손실은 신체가 당인에게 감옥으로 느껴지는 의식이 신체의 포로로 느껴지는 상황을 의미한다. 그것은 스칼리 [Scarry 1985" 또는 그리는 고문의 세계 있다. 거기서는 자신의 신체의 연장인 도구적 세계 제일-가구나 방, 가옥-·-----가 자신을 말살하기 위한 도구로 된다. 그것만이 아니다. 자신의 신체조차 통증의 근원으로 변용하는 것이다. 몸이 아픈 것이 아니라 몸까지도 나를 아프게 하는 것이다. 신체와 그 연장인 친화적인 세계의 자명성이 소멸되어 자기를 괴롭히는 도구가 된다. 그것은 쾌락이 아니라 고통이 지배하는 세계다. 하지만, 쾌락의 유무가 엘로스를 반 에로스에서 분분한 것은 아니다. 쾌락을 주는 것이 주는 쪽의 압도적인 힘의 과시이며, 또 주어지는 쪽은 그 무력함을 확인하고 있을 뿐일 뿐이라는 것도 있기 때문이다. 자기의 세계 구축, 그것을 가능하게 하는 힘이 타인의 무화에 의해서만 확인될 수 있는 상황이 반에로스적인 것이다. 게다가 직접적·물리적인 힘이 인정되지 않더라도 타자를 대등한, 자립한 존재로 간주하지 않는 언설도 또 반에로스다. 즉, 반에로스라는 개념은 구체적인 성행위에서만이 아니라, 그것을 둘러싸는 눈빛이나 말이 일방적인 권력관계를 전제로 성립하고 있는 상황을 나타낸다. 그 경우, 엘로스는 기존의 완성된 관계라기보다는 가능태로서 지배적인 반 에로스 세계에 대한 저항으로서 나타난다 [다나카 1997, 291].
반 에로스의 전형으로 포르노를 내세울 수 있다. 따라서 여성은 남성의 욕망의 대상 (희생자)이자 동시에 참을 수없는 남성없이는 만족할 수없는 성적 존재로 그려져 있습니다. 포르노만이 아니다. 같은 것은 의학적 언설에서도 자주 인정되는 것이다. 여성은 남성의 욕망과 의학적 눈물의 개체이자 동시에 욕망 때문에 남성에 의존하지 않을 수없는 존재로 그려져있다.
나는 또한 "사정하는 성"[1999]이라는 논문에서 남성의 성에 대해 논하고, 욕망하는 여성이라고 하는 전제에 대한 남성의 태도로서 거기에 폭력적인 형태로 접해, 또 벌써부터의 욕망을 채우려고 하는 「배설 행위」에 가까운 태도와 여성의 욕망은 폭력적인 형태로 채워지는 것이 아니라고 인정한 후, 여성에게 쾌락을 주는 것으로 여성을 궁극적으로 지배하려고
하나
하는 태도의 두 가지에 대해 논했다. 양쪽 모두 반에로스적인 태도이며, 남성의 주도적 입장은 흔들림이 없다. 어쨌든 그것이 혼란스러워하는 것을 남자는 원하지 않는다. 그러나 이러한 상황에서는 남성도 '여성을 항상 이끌어야 한다'는 이념에 지배된 희생자이기도 하다.
- 논문에서 내가 한 것은, 어느 쪽인가 하면 반공 손실의 구조를 밝히는 것이다. 그러나 이러한 논문에서 공손의 가능성을 시사하는 사례를 살펴보면서 그 중 하나로 요요기의 작품을 언급했다. 나에게 요요기의 작품이 다른 성인 비디오 작품(포르노그래피)과 결정적으로 다르다고 생각되는 것은, 거기에 반 에로스가 아니라 에로스의 가능성을 보기 때문이다.
요요기의 작품은, 1980년대에 각광을 받아, 보는 사람에게 강한 충격을 주었다. 그 작풍은 당시의 어덜트 히데오 업계를 리드해 왔지만, 그 작품은 모본이라기보다는, 다른 누구에게도 흉내낼 수 없는 것으로 파악되어 왔다는 편이 정확할 것이다. 그리고 요요기 자신의 책이나 잡지, TV 프로그램에서의 발언, 나아가 누구를 대상으로 하는 르포르타주 등으로부터 그 섹슈얼리티에 대한 생각도 보다 잘 알려지게 되었다.
이하, 요요기의 생생함에 대해 소개한 후, 주로 1987년부터 1991년까지의 초기의 대표적인 작품에 대해서 고찰을 더하고 싶다.
2 살아남다
요요기 타다는, 쇼와 13년(1938년)에 기타큐슈에서 태어난 1). 아버지는 왕자 제지의 연구실에 근무하고, 그 후 미야타 자전거로 옮겨가고 있다. 거기에서는 프로펠러를 보조하는 제트 분사의 개발 등에도 종사해 왔지만, 군의 기밀 사항에 속하고 있었기 때문에, 그 사이 가족과의 연락을 허락되지 않았다. 어머니는 세 살 때 죽었다. 누나 부부에게 맡겨졌지만 잘 안 됐다고 한다. 친척을 돌려주고 끝은 조부모에게 진정한다. 초등학교 2년 만에 종전을 맞았다. 당시 요요기를 맡고 있던 할머니가 미병을 위한 매춘 숙소를 시작한다. 2층에는 몇 명의 여자들이 늘 살았다. 종전 직후, 미차 캠프에 끌어들여 초콜릿을 횡류하거나, 꽁초를 모아 종이 감은 담배를 재생하거나 해서 돈을 벌었다. 미병과 일본인 창녀와의 대담한 행동에 충격을 받아 성에 대한 관심도 싹트었다.
중학교에 들어가자 야쿠자와도 관련되어 싸움에 빠져 있었다. 고등학교 시절에 오구라 경찰서 부서장의 아들과 싸움을 하고 오사카로 도망친다. 17세 때이다. 그리고 네야가와에서 꽃집 근무를 한다. 독립해, 23세에 결혼도 해 잘 어울리는 것처럼 보였지만, 키타큐슈에 여동생을 방문했을 때, 카라의 동료로부터 돌아와 힘을 빌려 주었으면 한다고 하고, 야쿠자의 세계에는 있다. 아내와도 헤어져 버린다. 그리고 스트립의 흥행을 나누는 일에 종사하고 있었지만 결국 금이 우선하는 세계에 혐기
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27세에 발을 씻었다. 흥행시대는 미성년의 무용자를 차로 옮긴 탓에 미결수로서 8개월간 구류되고 있다. 또한 종업 중 지방의 야쿠자와의 정작으로 경찰에 몇 번 체포되고 있다. 다리를 씻어 스트립의 흥행으로 알게 된 코미디언 곳에서 돌보면서 핑크 영화의 세계에 관심을 갖게 되었다. 요요기의 왼손의 새끼 손가락이 결손하고 있는 것은, 야쿠자 시대의 유명인이다. 월드 영화의 조감독이 된 것이 29세 때였다. 1967년에 입사해, 1970년에 도산할 때까지 일했다. 그 때 여배우 마코미치요와 재혼하고 있다. 그 후, 일활의 하청을 하고 있던 프리마 기획에 프로듀서로서 입사했다.
1972년 제작한 '여고생 게이샤'가 다른 작품과 함께 외설죄하여 적발을 받는다. 이것이 이른바 일활로만 포르노 재판의 발단으로, 1983년에 도쿄 고재에서 결심, 무죄가 된다.
1981년 여배우 애염 쿄코를 주연으로 하는 비디오 '음욕의 끄덕임'을 제작한다. 이듬해에는 '도큐노트 자위 시리즈'를 7개 작성, 그 중 하나는 8만개 팔리는 대히트가 되었다. 또 마츠시타 전기의 가정용 비디오 테크와 애염 쿄코 주연의 비디오와의 세트 판매에 의해, 비디오 데크의 보급률은 일년에 일본 전국의 세대 총수의 1퍼센트에서 5퍼센트로 늘었다고 한다. 1982년에는 비디오 소프트(성인·비디오는 그 중 40%)는 100억엔 시장으로 간주되어, 비디오 데크는 98만대 팔렸다. 렌탈점이 보급되는 것은 이보다 조금 후, 1984년이 되고 나서이다2). 이것에 의해, 한사람은 간편하게 많은 비디오를 즐길 수 있게 되었다. 성인 비디오는 성인 장난감 가게의 진열장에서 뛰어 내려보다 저렴한 상품으로 나돌게 된 것이다. 1981년에 일본 비테오 윤리협회의 심사 대상이 된 것은 119개였다.
그것이 1992년에는 4406개가 되었다.
성인 비디오는 비디오라는 특성을 살려, 연출을 최대한 억제한 프로덕션(혹은 그것에 가까운 성행위)을 문서 터치로 찍는다는 것이 기본적인 설정으로 정착했다. 그리고 시청자는 쾌락에 빠지는 여성들의 치태를 요구하고 있었다. 섹스라는 행위가 아니라 오르가즘이라는 체험이 상품화된 3). 요요기가 이러한 흐름의 선구자였던 것은 틀림없다.
그러나 그들은 또한 경험의 주체가되는 개별 출연자에게 주목했다.
1981년 12월에 자신의 비디오 제작사 아테나 영상을 설립해, 2005년까지 사장의 임무를 맡고 있었다. 년에 30개 가까운 비디오 제작 뿐만 아니라, 집필 활동도 활발해, 처녀작이 되는 「플라토니츠크·애니멀」(1992), 「오픈 하트」(1993), 「색 즉 시공」(1995), 「말체이지・레폴리션」(199).
3 작군
요요기의 작곡은 여러 시리즈로 나눌 수 있다. 본격적으로 비디오 작품을 찍기 시작한 요요기는 먼저 '애염 쿄코의 실전 촬영 시리즈' 5개를 히트시킨 후 1982년부터 '문서 자위 시리즈'를 찍는다. 우선 7개, 그 후, 신시리즈로 9개, 총 16개의 작품을 찍고 있다.
3-1 “간호부 고바야시 레이코의 경우”
수중에 있는 『간호부 고바야시 레이코의 경우』(1987년, 30분)를 소개해 두자. "그냥 오나를 하는 여자의 내면을 거짓말 정말 어떻게 끌어낼 수 있을지 이 숨겨진 너의 성을 대담하게도 실천편에 도전한 작품이다"라는 캡션이 먼저 흐른다. 그리고 요요기와의 면접 장면이 흐른다. 정면에 고바야시나 앉아, 요요기에 대면하고 있다. 그들은 화면에 등을 돌려 오른손에 앉아 있지만, 보이는 것은 왼손뿐이다.
일 이야기, 첫 체험(고등학교 시절), 지금의 나이(25세), 자위 기억(초등학생 때부터) 등에 대한 질문이 이루어진다. 게다가, 「정기적으로(수음을) 하고 싶어진 것은 어떻습니까?」 「지금은 어떨까?」 「덥고 있어. 요요기는 여기에서 준비한 백의를 입으면 좋겠다고 부탁한다. 장면이 날아 간호사의 의상을 입고 앉는다. 바이프를 가져오고, 입으로 흉내내기를 원한다고 부탁한다. 「어느 쪽이 제일 느낀다고 생각한다. 앞의 분?」 「이 근처일까」라고 말하면서 고바야시는 바이프에 혀를 기르게 하고, 「이런 느낌일까」라고, 바이브의 끝을 짊어진다. 「이상은 무리」라고는 씹으면서 거부한다. "남친은 이런 (크기)?" "평소대로 입으로 보여줘"라고 실연을 부탁한다. 침묵 그대로, 고바야시의 입으로의 장면인가 계속된다. 「좋지 않아, 네, 굉장하네, 1회 2회가 아니잖아. "아, 느낀다"・「처음인가요, 그럼 잠깐 던지기에, 쭉 그것을 하고, 당신의 제일 느끼는 곳에, 타이거에, 타이거가 느낀다고 말했잖아, 그럼 타이가에 맞추어봐」 「여기서입니까」 라고 하는 약속이니까, 꼭 부탁하고 싶네요. 좀 더 다리를 뻗어 준다고 부탁하면 하얀 번츠가 올라간다. 고바야시는 4개의 손가락을 위아래로 포복시키면서 요요기와의 회삼로 한혀를 계속한다. 「어떤 때 젖어 오는 것인가」등등. 스위치를 켜고 긴 의자에 누워서 바이프를 가랑이에 맞 춥니 다. 고바야시의 반응을 보고 「민감한 편이구나」 「상하로 움직이면 좋다」 「벌써 안 젖어있다」 「그렇게 느끼고 있어」 「네, 팬츠라고」 "그럼 간호사의 자위
오늘은 차분히 보여주자, 좋아 오늘은. "
장면이 바뀌고, 베드에 혼자서 향하고 있는 고바야시가 비치고 있다. 제복도 번츠도 입은 채. 「느낌, 넣고 싶어져버린다」 「좋아, (팬츠) 엉망이야.」 모자이크가 걸린다. 도중에 얼굴의 업이 되어, 「이키そう」라고 하는 그녀의 얼굴을 계속 찍는다. 다시 한번 이쿠를 고개를 끄덕이고, "이크 때의 얼굴 붙어 최고구나"라고 코멘트. 「좋은 느낌?」 「좋은 느낌」 「더 강한 것 사용해 보고 싶어?」 「강한 것 사용해 보고 싶다.」 대신에 더 굵은 바이프를 넣고, 로터를 클리토리스에 대고 그대로 이트해 버린다. 로터에 관하여 대화 또는 계속한다. 고바야시는 눈을 감은 채 이야기를 하고 있다.
"이렇게 좋다고 생각하지 않았다" "어떻게, 지금, 그 느낌?" 청각 시각, 감각이 전부 없어져 버리는, 그런 느낌」 「몸이 네, 뭐라고 할까, 쿤이 되어, 그 후부터 이렇게, 점점 머리가 흐려져 온다.」
카메라가 당겨 전신을 비추지만 아직 대화나 계속된다. 고바야시가 이번에는 상반신을 세워 카메라로 향한다. 꽤 편안한 느낌이 전해진다. 실신의 감각, 바이브의 효과 등의 화제가 리 0 사용한 2개의 바이프와 로터를 나란히 하여, 그 품정이 된다. '어떤 것이 좋다?' "전부 원해, 돌아가고 싶다" "네, 그럼, 줄게요, 선물하겠습니다."
요요기 작품의 원점은, 이 「수음 시리즈」에 있다고 말해도 좋을 것이다. 출연자는 아마추어.
야세(연출)가 아니라 진짜 오르가즘. 출연자의 헐떡거림에 쓰는 요요기의 목소리. 때때로 그 목소리는 의사(1983년에 시작되는 아라키 아키라의 '성감극비 테크닉')와 최면술사(1985년에 시작되는 자이언트 요시다의 '사이코 최면 엑스타시')를 대신한다. 또, 상황도 여성 혼자 뿐만이 아니라, 남배우와의 섹스가 있거나, 복수의 커플이 섹스를 하는 경우도 있다. 그 주제는 여성의 괴롭힘과 음란을 중시하는 것입니다. 1986년에 시작되는 미소녀 품(이런 귀여운 아이가 그렇게 예치인가)나 1988년의 음란 품(여자는 대단하다)으로 이어지는, 어덜트·비디오의 기본적인 테마-아카가와가 말하는 박진성(리얼리티)의 추구 「아카가와 1998」이 된다. 덧붙여서 당시 요코하마 국대생의 쿠로키카가 데뷔한 것은 1986년이다.
3-2 『사랑이란?』
1987년에는 「인란 퍼포먼스」시리즈가 시작되어, 다양한 상황 설정 아래 섹스를 둘러싼 복수의 남녀의 걸 히키나 갈등 질투가 엄청나게 묘사되고 있다.
-
『사랑이란?』(1988년, 100분, 자료1)은 아마추어 커플에게 남배우와 여배우가 얽힌다. "이 작품은 사랑하는 연인 동지가 마음과 육체의 유대를 베팅한 진실의 문서"라는 설명이 서두에 있다. 커플은 또 다른 여성과 삼각관계에 있어 남자(경조, 25세)는 오랫동안 홋카이도에 있는 여성('너머의 그녀')과 헤어질 생각은 없다. 여성은 자신의 마음을 분명하게 하고 싶으니까 출연을 했다고 설명한다. 그 후, 여배우, 케이코가 등장. 다른 방에 경조로 사라져 간다.
요요기가 사코코에게 말을 건다. 경조는 여덟 번째 남자, 누가 오르가즘을 느낀 첫 번째 남성으로, 헤어지고 싶지 않습니다. 그러나 그녀도 지금 오사카에 새로운 사람이 생겼다는 것을 알 수 있다. 경조에 대한 붙임으로 붙어 있었지만, 좋아하게 되고 있다. 이 남자는 경조도 알고 있다. 경조도 케이코와 대화를 계속하고 있다. 요요기는 남배우가 벌써 오지만, 누구와 섹스를 할까,라고 잘라낸다. 경조에 지지 않는다(섹스 합니다)라고 사코.
목욕에서 경조가 에코를 애무하고 있는 장면이 모니터에 비친다. 그 앞에서 사코는 눈가리개를 누르면서 울기 시작한다. 요요기가 말하기 시작한다. 맥주를 진행하면서 말을 건넨다. 얼굴은 보이지 않는다. "어느 정도 각오하고 있었지만, 현실에 눈을 돌리면 아무것도 안 된다"고 사코. 「하지만 이것 뛰어넘어버리자, 좀더 몰아넣으니까, 그렇게 하면 뭔가 보이니까.」 경경과 여배우와의 섹스가 시작된다. 사코도 장인이라는 이름의 배우를 부른다. 함께 목욕에 있다. 목욕에서 올라간 후 잠시 모니터에서 경조들의 섹스를 보고 있지만 섹스를 시작한다. 요요기는 쭉 사코와 함께 가끔 목소리를 내고 있다. 이번에는 코스케가 사코와 장인의 섹스를 모니터로 보고 있다. 더 이상 사코와 자는 것은 없다, 라고 경조. 다음날 아침, 사코는 장인과 함께 때때로 서서 호텔 안뜰을 에코와 함께 걷는 경조를 내려다보고 있다. "나는 아직 잊지 않았으니까····"라고 말하고 울기 시작한다. 부드러움을 붙이기 위해 온, 울고 싶은 만큼 울면 좋다, 라고 요요기의 목소리. 2쌍의 커플이 대욕탕에서 얼굴을 맞춘다. 서로 무시하면서 애무를 하고 있다. 사코는 장인의 가랑이 사이에 얼굴을 묻어 입으로 하고 있었지만, 경조의 기색을 느끼고 장인에게 달라붙어 울었다.
요요기와 장인과 에코의 3명이 앞으로 어떻게 하면 좋을지 토론하고 있다. 우선, 사코는 경조에 미련이 있기 때문에, 마지막 섹스를 경조에 요구하도록 하기로 한다. 「그래도, 쫓겨나면?」 「처음은 보이지 않지만 우선 그 방향으로 일을 진행해 보자. 무겁다.
스탭 여러분, 뭔가 의견 있나요?」 카메라가 돌고 9명 정도의 스탭이 비친다.
하루의 끝에 사코와 장인이 앉아있다. 「다시 한 번(경조에) 안고 싶다, 라고 할 수 있을까」라고 요요기가 도발한다. "지금부터 친구로 가자, 라고 말할 수 있으면 좋겠어." 4명이서 힐을 마신다. 사코는 경조 옆에 앉아 있거나 누군가를 보려고하지 않는다. 장인과 케이코가 퇴출해, 처음으로 2명만이 된다. 장인들은 모니터로 관찰.
사코가 코스케에게 물었다. "화가 났어?" "벌써 초월해 버렸어."
하나
코스케 "목소리가 굉장했다"사코 "모니터에서 (그의 섹스를) 계속 보고 싶었지만 보지 못했다 ・・혹시, 하지 않을까, 하지만 볼 수 없었다 ・"이제 좋다" "뭐가? 이제 좋다?" 벌써 괜찮아." "모두, 사랑한다. 조금 모양은 바뀌었지만"・(듣지 못해)」경조 「그쪽이 좋았다고 하는 것이 조금 분한구나. 너 그럴 때는 아첨에서도 좋지 않았다고 말할 수 있어」 「그러니까, 그렇지 않고, ・・기분 좋았던 것은 몸뿐.」
사코는 울면서 누구에게 들러보자. 그리고 두 사람은 베드로 이동하여 섹스한다. 이 비테오에서는 처음 두 사람의 섹스. 사정 후, 안아 둔 채 경조에 「아리카우」 「고마워」 「사랑해?」라고 사코코 속삭이면 경조는 고개를 끄덕인다.
장면이 바뀌어 경조와 에코가 소파에 앉아 있다. 「코스케씨, 이미 이것(그녀와는) 끝 어쩔까요」 「연인 관계는 말이지」 ・「그럼 지금 나를 안고.」 코스케는 이것을 무시한다
장면이 바뀌어 사코와 장인. 「그럼, 어떤 섹스였던 어제, 몸만 이챠타라는 느낌?」
다시 경조. 케이코가 일주일 정도로 만나준다고 정말? 경조는 웃으면서 받는다.
장면이 바뀌어 사코. 장인이 사코의 가슴에 손을 뻗어 애무를 시작한다. 상반신이 딱, 유방이 보인다. 이미 끝났으니까 키스해라 그러나 사코는 거부한다. 사에코는 장인의 손을 흔들리지 않지만, 눈을 어지럽히지 않고 가만히 달라붙도록 장인을 보고 있다. 화면 언제나 사코의 얼굴. 「어째서 침묵하고 있는 것, 가르쳐」 「어째서, 어째서·· .」 사코의 표정은, 지금까지 장인에게 보여주었던 것과는 전혀 다르다. 응시한 채로 긴 침묵 후 「나, 당신을 싫지 않지만 사랑하지 않는다.」 스톱 모션으로 종료.
『사랑이란?』에서는 파탄을 하고 있는 커플의 망설임이 묘사되고 있다. 경조에는 홋카이도에 여자가 있다. 그 여자가 때때로 남자에게 온다. 그 때 사코는 떠나야 한다. 그녀도 오사카에 남자를 만들었다. 하지만 정말 좋아하는 것은 그녀에게 섹스의 쾌락을 가르친 경조다. 하지만 어딘가에서 푹신하고 싶은 것도 사실이다. 요요기는 두 사람에게 남배우와 여배우를 얹게 함으로써, 자신들의 관계를 재검토해 나간다. 사코의 질투, 배고픈 센크스. 경조는, 플레이보이 잘 여배우와의 섹스를 겁먹지 않고 즐기고 있는 것처럼 보인다. 하지만 마지막으로 사코와 만나 태도가 바뀌어 간다. 사랑한다는 말에 여전히 반응하는 경조. 여기에는 성인 비디오의 성적 묘사 이상의 것들이 포함되어 있음이 분명합니다. 단순한 복수의 섹스라면, 모두 여배우나 남배우라도 좋을 것이다. 또 대화도 최소한으로 머물 수 있을 것이다. 여기에서는 섹스라기보다 섹스를 통해서만 관계하고 있는 남녀가 섹스에 환원할 수 없는 관계를 벗어나 보여주고 있는 것이다.
3-3 「눈빛 FUCK 나를 저지르고!」
1989년에는 '눈빛 FIJCKÅ] 시리즈가 시작된다. 이것은 여성이 눈을 깜짝 놀라게 하고, 복수의 남배우들에게 흔들리는 시리즈로, 시각을 차단하는 것으로, 여성을 비일상적인 상황에 두고, 둘 다 억압하고 있는 자신의 욕망에 대치시키려 하고 있다.
「눈빛 FUCKJ 시리즈의 하나 「나를 저지르고!」(1990년, 50분)를 여기서 소개한다(자료 2 참조). 서두에 타치바나 히카루의 인터휴가 사람이다. 히카루「나, 상당히 강간 욕망이라든지 있으니까, 눈을 뜨게 하고, 손이든 다리라든지 묶여, 자신이 이제 절대 자유롭지 않은 상태로, 무랴리라는 모습이 좋네요」「그런 걸 받은 적이 있나?」 「없습니다」 「언제부터 그런 것 생각해 이제 상당히 전부터 있었는데, 사생활에서 그런 말을 하면 이상한 것 같아요, 그러니까 사람 앞에서는 말한 적이 없지만, 역시 그것은 있습니다. 나오지 않는 것만으로, 누구라도 있는 것이 아닐까 하고, 생각합니다만」 언츠가 보인다. 「핥을 수 있다는 것을 상상해.
일전하고 베드로 몸을 묶여 있는, 또 하나의 출연 여성, 사쿠라 미키의 장면. 벚꽃은 눈가리개되어 묶여 다리를 크게 열고 남배우 3명에게서 시간된다. 남자들이 말을 걸고 있다. "모두 당신의 저기를 보고 있어." 팬티 스타킹이 깨져 간다. 히카루는 같은 방에 있는 소파에 묶여 눈가리개 되어 앉아 있다. 플라우스가 벗겨져 가슴이 나타난다. 바지 위에서 쿤니가 시작된다. 「무엇을 하고 있는지 알 수 있어?」 「아아아다」라고 벚꽃. 계속 흔들리는 장면 또는 계속한다. 어느새 남자가 혼자 늘고 있다.
히카루가 눈에 띄는 채 떨리고 있다. 다리가 묶여서 자유가 오지 않는다. 반츠는 둥근 보인다. 요요기가 말을 건다. 「상상하고 있어, 싫은데, 네, 뭐 상상하고 있어」 「하고 싶으면, 엉망이 되고 싶겠지」 「되고 싶지 않다」 「허리 사용하지 않아」 「아, 싫다」 베드의 벚꽃의 목소리에 반응해, 히카루의 체가 격렬해진다. 벚꽃은 "더 좀더 즈보즈보하고 네, 좀더 좀 더"라고 외치면서 딱 버린다. 게다가, 눈을 뜨게하고 섹스. 히카루의 소리가 들린다.
남자들이 히카루쪽으로 이동. 얼굴에 남근을 문지르고, 뭔가, 입을 열어, 정말 좋아하겠지,라고 말하면서 가슴을 비비고, 또 성기를 촉촉하게 만진다. 베드 누워서 히카루 쪽을 보고 있는 벚꽃이 여러 번 비추어진다. 히카루 「더 좀 더, 즈보
-
바보하고 "라고 외친다. 사쿠라 「와줘, 부탁해.」 히카루의 눈빛이 잡힌다. 더 핥고, 빨리 넣고, 손가락 아니야, 라고 계속 외치는. 바이프가 삽입된다. 벚꽃의 헐떡거리는 소리도 들린다. 히카루는 실신 상태가 된다. 벚꽃도 마찬가지로 잊어 상태.
얼굴을 가볍게 두드려, 히카루는 일어난다. 남배우 중 한 명이 말을 건다. "어디 갔어? 모르겠어? 저쪽에 갔어?" 망연 자실. 요요기의 목소리가 난다. "어땠어?" 사라지는 목소리로 "기분 좋았다"고 히카루. 「납득하고 싶다. 쭉 이것하고 싶었지. 납득하고 싶다.」
인터뷰 장면. 벚꽃과 히카루가 나란히 지금의 체험을 말하고 있다.
사쿠라 「보고 있으면, 히카루쨩이 얽히고 있는 것을 보고 있으면, 그대로가 되어 버립니다. 루?」 「있어요」요요기 「있어. 히카루쨩은 어떨까」 「(강하게 즉답) 같습니다.・・・같습니다.
다시 섹스의 장면. 벚꽃이 베드로 남배우에게 쿤니 되고 있다. 그것을 보면서, 바닥에 고향으로 자고 있는 히카루가 몸을 떨리면서 외치고 있다. 하반신은 알몸으로 허리를 위아래로 흔들고 있다.
벚꽃은 섹스. 이것에, 대충 향응하는 히카루의 몸. 여기서 채널링 문자가 화면에 표시됩니다. 히카루 「이트 버리는, 기분 좋다」요요기가 말을 건다. 「아무것도 하지 않아, 오친친은 말하고 있는거야, 오친친은 말하고 있는거야, 아, 부드럽게 허리 사용하고 있지 않다」 히카루「즈보즈호는 말하고 있다」 「즈보즈보」
한 사람을 벚꽃 곳에 남기고 남자가 두 명 히카루 쪽으로 이동한다. 네 쭉 뻗어 뒤에서 바이프를 돌진한다. 말로 쓰러져 있다. ・「변태, 변태일까,······억지하고 있었던 지금까지, 전부 폭발시켜 버려」 「나 헨타이입니다, 라고 말해 보아, 이트 버리니까」 「나, 헨타이입니다 ・.」 그 말과 함께 히카루는 바이프를 찌그러진 채로 실신해 버린다.
「손을 잡고 해」라고 요요기가 남배우에게 지시한다. 「이것으로 만족했을 것이다, ・・이것으로 졸업했어.」히카루는, 아직 눈을 감고 있다. (남배우들에게) 「이걸로 이미 강간 욕망에서 졸업할 거야, 이게 뭐야.」 「아무것도 없는 얼굴을 해줘, 좋네」 히카루를 향해 「돌아와줘, 돌아와줘, 천국 가는 거야···.」 아직 반응은 없다.
히카루카 조금 눈을 뜬다. 「돌아왔어? 조각인가. ・・응, 좋았어, 이미 만족했어?・모르겠다」
「모르는, 어떤 기분이었다, 거기에 갔을 때」 「대단히 행복했던 것 같은 생각이 든다」 「처음?」 「처음입니다」 「자신할 수 있었구나. 죽었을 때 거기에 갈거야」· ・「아직 경련하고 있지 않다, 어떻게 된 것, 점점 돌아오고 있어.」 떨면서 울기 시작한다. "전부 내버려, 처음 체험했으니까, 좋아, 안심하고 괜찮아."
같은 자세인데, 히카루가 말하기 시작한다. 바닥에 자고 있는 히카루의 얼굴이 올라간다. 「지금까지의 섹스는 뭐였는지, 지금까지 아무래도 해 온 것은, 어땠어?」 라고 생각했습니다」 「좋았다, 자신에게 감사하지 말아라」 「네, 벌써 행복합니다.」 스톱 모션으로 종료.
이 비디오에서는 처음으로 두 여성의 몸이 동조한다. 그러나 여기의 진정한 주제는 강간 욕망을 가진 히카루에 대한 일종의 치료입니다. 요요기는 이 소망을 숨은 욕망, 여자의 음란함 등으로 환원하는 것은 아니다. 오히려, 그들은 합의하에 그것을 실현함으로써 그 목적을 보여주고 있습니다. 「졸업」이라고 하는 것이 키워드이며, 사랑이 있는 섹스가 앞으로의 어떤 헤이 섹스로서, 히카루에 제시되고 있는 것이다.
3-4 채널링 FUCK
「채널링 FUCK」시리즈가 시작된 것이 1990년의 일이다. 이것은 아테나 영상의 비디오 제작 수 300개를 기념해 기획되었다. 이미 본 것처럼, 요요기 작품에서 채널링이 나타나는 것은 『나를 저지르고!』에 있어서였다. 요요기는 여기에 이미지의 힘을 지적한다. 직접적인 접촉이 없어도 이미지를 주는 육체와 그것을 받는 육체가 있으면 성적 흥분이 전해져 간다. 요요기는 이 향응 관계를 파동이라는 말로 표현하고 있다.
「나를 저지르고!」로 채널링을 체험한 히카루는, 그 후 「채널링 FUCK 야마시타 마이의 실신할 때까지」(1990년)에도 옆역으로 출연. 또한 후술하는 '성감 X테크닉 처녀'(1992년)에도 출연하고 있다. 처음 두 가지는 섹스라는 행위가 이미 있었고, 그에 대응하는 형태로 채널링하고 있었지만, 마지막 작품에서는 오히려 주도적인 입장에 서 채널링을 유도하고 있다.
『성감 X테크닉 처녀』에서 히카루가 등장하는 장면은, 출연자가 쉬고 있는 곳에서 시작된다(자료 3 참조). 요요기가 히카루를 그 방에 초대한다. 그녀는 우연히 놀러 왔다고 한다. 그러나 요요기는 히카루카 이미 출연자의 섹스를 느끼고 아래층에서 좋았다고 코멘트한다. 여기까지는 지금까지의 상황과 유사하다. 그러나 그 뒤 히카루는 남배우 히비노 타츠로에 앉은 채 껴안고 마치 섹스하고 있는 것처럼 소리를 들기 시작한다. 사생활에서도 이런 비육체적인 「섹스」를 하고 있다고 한다.
"너, 밑에서 이키 뻗어 있었지 (웃음)"히카루 "(웃음) 미나미 씨가 (상상 속에서) 남자가 되거나 여자가 되거나 해서, 만들었습니다" 그런 것 같지만, 어쩌면 그렇게 된 과정을 가르쳐줘」 「내가 이런 일()V여배우) 하고 있는건, 어쩐지 알고 붙어 있고, 자신의 여자가 어떤 비디오 나오고 있는지 알고 싶지 않습니까.・(략)·····에서, 「눈가리개 FUCK」를 보여줬어요. 그리고, 그 안에서 나 실신이라고 버리고 있었기 때문에 카레가 「너 어쩐지인가! ?
(약어)····· 진짜 세녹스라고 하는 것은 (지금까지 해 온 것 같은) 이런 것 같지 않다고 하는 것을 알고 싶어서, 누구에게 매나 실신한 비디오(후술)를 보였으면 하는 것이 눈물 떠 버려서. 그 후 그렇게 행동합니다. 그 때 처음으로 진짜 자신을 보여줘 (약어) ・・이제 그때 어쩔 수 없는, 단지 껴안고 있는 것만으로 좋다. 그렇습니다. 전에는, 오친치와 보지, ··그렇다 차원에서밖에 생각할 수 없었어요. 하지만 지금은 그런 관계없는, 남자도 여자도 관계 없다고 생각하네요. 마음으로 버리면 더 이상 남자도 여자도 상관없다. 요요기 감독에게 감사하고 있습니다」 「고마워요. 하지만 (처녀의 리사는) 모르겠네요. 히카루쨩, 히비얀과 껴안아 주지 않을래?」 앉아 있는 히비노에 히카루가 안아. 히카루는 헐떡이고, 괴롭힌다. 요요기의 코멘트 「빨리 이 레벨에까지 도달해 버리면 나이가 들면서 몸이 무너져도 괜찮지.」 이 후장면인가 바뀌어 리사와 히비노와의 섹스가 된다.
여기에 흥미로운 전개가 보인다. 그것은, 19세 때 처음으로 요요기의 비디오에 출연해, 강간 욕망을 극복했는지 보이는 히카루가, 바로 요요기의 사상과 실천의 전도사로서 연인을 「개종」시키고, 나아가 비신체적인 섹스를 컨트롤 하는 존재가 되어 있는 것이다. 남배우만이 아니다. 여성도 요요기 지역 사회의 구성원으로서 중요한 역할을 수행하고 있음을 알 수 있습니다.
그런데, 채널링이란 당시 유행하고 있던 정신 세계 혹은 뉴 에이지의 키워드의 하나로, 원래는 우주에 존재하는 지고체의 파동(멘세지)을 받는 것을 의미하고, 받는 사람을 채널러라고 한다. 요요기는 이를 섹스 때 나온다고 하는 '파동'에 동조하는 현상에 적용했다. 채널링 팩은 파동을 받아 직접 육체적 접촉이 없어도 체내에 남근을 느끼고 오르가즘에 이르는 상태를 의미한다. 일종의 트랜스 상태에 있으면 이러한 파동은 보다 받기 쉽다고 여겨지고 있다.
후지모토 유카리는, 상술한 장면에서 그녀 자신이 동시에 잇테 한다는 경험을 말하고 있다. 이것 처음 본 요요기의 비디오이기도 했다. “쾌감의 에너지가 머리끝부터 발끝까지 즈돈과 빠져나갔다”[1994, 198쪽]. 그러한 체험을 근거로 후지모토는 흥미로운 논의를 전개하고 있다. 그녀에 의하면, 채널링의 쾌감은, 섹스(좁은 의미로의 육체의 쾌락)에서도 사랑을 확인하고 있을 때의 감정적인 것도 아니고, 「강력한 자장」이 태어나는 곳에 유래한다고 한다. 섹스 때 상대방이 쏘는 강력한 자기장(기, 생체공 넬기)에 따라 받아들여 공명해 나가는 것이 섹스의 가장 큰 쾌감이라고 지적한다. 그것은 애정이 아니다. 이 쾌감은 처음의 상대라도 가능하고, 애정은 오히려 세간적인 상식에 뿌리를 두고 있기 때문이다. 그것은 섹스의 쾌락과도 다릅니다. 후지모토의 체험에서 알 수 있듯이 육체관계를 반드시 필요로 하지 않기 때문이다.
1991년에는 요요기 혼자와 여성이 대치하는 '아마추어 발정지대' 시리스와, 주로 미나미 토모코라는 여성이 요요기를 대신해 아마추어 여성을 욕정시키고, 또 모두 남배우들과의 바람 참가하는 '성감 X테크닉' 시리즈가 시작된다. 『성감 X테크닉 처녀』는 이 시리즈의 하나이다. 거기에서는 여성뿐만 아니라 남성도 지금까지의 가치관을 버리고, 새로운 자기 발견을 요구해 간다. 이것에 대해서는 후술하고 싶다.
물론 이런 시리즈 외에도 단발 작품도 많이 있다. 자세한 것은 부록의 작품 일람 (자료 4 )를 참고로 해 주었으면 한다 5).
4 매뉴얼의 세계
신어의 타위 수행적 성격에 주목해, 젠더 아이덴티티가 매일의 대화나 행위를 통해 형성된다고 논한 것은 주디스 버틀러[1990]이다. 그런 관점에 서면, 헤테로섹셜한 섹스라는 행위와 그것을 둘러싼 언설만큼 젠더 아이덴티티에 큰 영향을 미치는 것은 없다. 우리는 바로 섹스를 통해 누가 남자이고 누가 여자인지, 남자와는 무엇을 해야 하는지, 여자와는 무엇을 해야 하는가를 가르칠 수 있다. 그리고 그러한 가르침은 아무것도 특별한 것이 아니라 직접 신체적인 차이에 뒷받침되고 있다고 생각한다. 섹스를 통해 우리의 젠더 아이텐티티와 섹슈얼 아이덴티티(성적 지향)가 확인·구축되는 것이다. 그리고 섹스가 특히 신체적 행위이기 때문에 젠더 아이덴티티와 섹슈얼 아이덴티티가 육체적인 남녀의 차이에 뿌리를 둔 본질적인 것들로 보인다. 하지만 과연 그럴까. 무엇보다 성행위와 성에 대한 표상은 문화에 따라 크게 다르다. 그리고 역사적으로나 개인적으로도 다양하다. 그럼에도 불구하고 우리는 자유롭게 성의 정체성을 변경할 수 없습니다. 각 문화와 시대에 지배적인 성별 규범과 성에 대한 이념적인 사고방식이 존재하며, 거기서 살고 있는 우리는 자신들의 성적 실천을 자연스러운 것으로 간주하고 지배적인 이념을 따르려고 한다. 하나
매일의 교환이나 성행위시의 교환에 가세해 현대 일본의 섹스를 형성하고 있는 것은 섹스의 매뉴얼 책이다. 연애부터 시작해 섹스, 그리고 결혼까지 남성과 여성과의 관계에 대해서는 언제나 매뉴얼 책이 뚜렷하다. 『행복한 결혼』에 시작되는 섹스의 매뉴얼 책에 대한 분석은 별고에 양보하고 싶지만, 현대 일본에서는, 많은 남성용 매뉴얼 책의 최종 목적은, 여성을 어떻게 깨닫게 하는지, 어떻게 해서 오르가즘을 상대의 여성에게 가져오는 것인가, 라고 하는 것에 다한다. 그를 위한 분위기 만들기, 애무의 테크닉, 체위, 그리고 다양한 기구의 사용이나 그녀도 기뻐하는 「변태 플레이」이다.
수동 책은 독자에게 남자 또는 여자 성행위의 형을 가르친다 6). 형을 착용하는 것이 제일의 조건이라고 생각한다. 거기서부터 서서히 앞으로 나아간다. 그것은 세상에서 보통이라고 여겨지는 남자나 여자가 있어야 할 모습을 배우는 것을 의미한다. 따라서 매뉴얼 책을 읽음으로써 독자는 필요로 하는 성의 신체와 기법을 익히려고 할 뿐만 아니라 "자신은 정상일까. 잘 작동할까?"라고 자문한다. 남자의 경우라면 조루는 없는가, 단소가 아닌가, 포경이 아닌가, 라고 고민한다. 그것만이 아니다. 체모는 진하지 않습니까? 체취는 어떨까, 라고 신경이 쓰이는 것이 점점 늘어난다. 우선 이런 '결점'을 고쳐야 괜찮은 섹스는 할 수 없다. 매뉴얼 책은 따라서 의학적 언설과 밀접한 관계에 있다. 실제로 독자가 신체를 괴롭히는------성형, 탈모, 포경 수술, 음경 교정 경우도 생기기 때문이다. 뉴얼 책을 통해, 우리는 정상적인 섹스에 임할 수 있는 기능적인 신체상을 학습하고, 모두로부터의 신체 능력의 개량에 향하기 때문에
같은 것은 성인 비디오에도 적용됩니다. 그것은 바로 움직이는 매뉴얼 책으로 볼 수 있다고 해도 좋기 때문이다. 성인 비디오에 인정되는 다양한 성행위가 젊은 남성과 여성에 큰 영향을 미치고 있다는 것은 확실히 지적되고 있다. 사정을 극적으로 보여주는 얼굴사정(여성의 얼굴에 사정한다)이라는 행위는 성인 비디오를 통해 보급되어 남성 속에는 첫 체험으로 얼굴사정을 하는 사람도 있다고 한다. 여성은 여성으로, 섹스 때 그런 목소리가 제대로 나올지 걱정하는 사람이 있다.
5 오르가즘 혹은 진심의 세계
요요 기가 묻는 것은 바로 이러한 매뉴얼 책이 가르치는 형태에 관한 것이다. 이미 지적한 것처럼 성의 매뉴얼 책이란 무엇보다 오르가즘을 획득하기 위한 기술서이다. 요요기에 의하면, 매뉴얼 본래 우리의 성행위를 말 그대로 형에 끼워 놓고 지루하게 하고 있다고 한다. 그러므로 진정한 해방적 의미에서 오르가즘의 세계와는 거리가 멀다고 깨진다. 오르가즘의 달성을 목적으로 하는 매뉴얼 책이야말로 오르가즘을 막고 있다. 이것이 요요기의 주장이다.
형을 떼어라, 라고 하는 요요기의 주장은 무엇을 의미하는 것일까. 첫째, 여자는 가야 한다, 남자는 이렇게 해야 한다고 하는 격식한 생각으로부터도 자유롭게 되어야 한다. 요요기는 이러한 고정관념이 지배하는 세상을 '제도의 세계'라고 부르며 본능에 근거한 '본심의 세계'와 대비시킨다.
요요기「갓 봐야 한다든지, 여자를 몰아야 한다든가, 혹은 내가 조루했다던가, 지루하다든가, 단소라든가, 그런 것을 생각해도 상대를 느낄 수 없다. ・자신을 가지고. 38페이지
학교나 회사나 국가는 제도의 세계에 속하고 있지만, SEX와는 진심의 세계의 것이기 때문에, 「갓 구워져야 한다」라는 제도의 부드러운 목을 어디까지 벗을 것인가, 자신의 가치관이나 고정 관념을 어디까지 버릴 수 있을지가 중요해진다[요요기 1992, 53].
요요기는 같은 따옴표에서 다음과 같이 말한다. “보기나 자존심이 버려지지 않으면 오르가즘을 체험할 수 있는 것이 없다.” 그리고 자신을 버려라고 주장한다. “오르가즘이란 제도의 세계에서 자신을 자신을 낳고 있는 자아=예고로부터 자신을 해방하는, <에고의 붕괴>이며, 쿠에고의 죽음>”이라고 말한다. 에고가 붕괴하는 것이야말로 '본심의 세계'에는 있는 조건이며, 그것이 '사랑의 상태'라고 불리는 것이다. 그리고 그 때 '진짜 자신'을 만날 수 있는 것이다.
만약 SEX에 사랑이 없었다면, ・오락이라는 환상의 노예가 되어 갈 거야. 만약 SEX에 사랑이 있다면 당신은 진정으로 사람을 사랑한다는 것을 알 것이다. 그러나 지금 당신은 사랑이 무엇인지 모른다. 사랑이란, 사고가 떨어지고, 예고가 죽었을 때만 일어나는 마음의 상태를 말하기 때문에 「요요기 1992, 56쪽」.
여기에서는 사랑은 육체적인 쾌락과 대비되고 있다는 것에 주의하고 싶다. 오르가슴은 '사랑의 체험'이며 쾌락이 아니다. 그러나 사랑은 성애와 대비되는 순애가 아닌 요요기는 섹스의 쾌락을 부정하지 않는다. 그러나 에고의 붕괴를 통해서 태어나는 행복의 세계야말로 사랑이 가득한 세계이며, 그 체험이야말로 오르가즘인 것이다.
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요요기 「평소 연애 관계라고 부르고 있는 것, 저것은 실은 집착 관계군요. 사랑이라고 하는 것은 그러한 에고가 떨어진 순간에 일어나는 것이니까, 오히려, 비디오의 현장에서야말로 진정한 사랑이 일어나고 있는 거야 그렇게 하지 않을까. 오르가즘을 체험한 순간, 과거가 다트와 부활해 와, 현장에서 울어요.그러므로 현장은 이미 도장입니다.
요요기에게 있어서의 오르가즘이란, 남자이든, 여자이든, 제도의 세계(세간)로부터 떨어져, 진심의 세계로 옮겨 처음으로 가능해지는 것이다. 그리고 그것은 제도의 세계 안에서 분쇄 될 것처럼 보이면서 자신의 자아를 필사적으로 유지하려고 노력하고 많은 사람들에게는,
「치유」에의 길인 것이다. 즉, 본심의 세계로 가는 것이 치유로 통한다. 이렇게 요요기는 주장하고 있는 것이다 8). 요요기에 의하면 성산업은 치유산업이며 제도의 세계가 억압적일 필요가 있다. 그러나 제도의 세계가 진심의 세계로 바뀌면 성산업은 더 이상 불필요한 장물이다.
물음 "즉 반대를 말하면 그러한 양식한 사람들이 에고를 버리고, 진정한 SEX를 할 수 있게 되면, 그러한 (성산업의) 여성이 일본에 넘쳐 흐르면 아무것도 그런 것은 없어 버린다"요요기 "필요 없습니다. 그러니까, 나의 지금 다가가고 있다고 무렵은 성인·비디오는 없어져야 한다, 라고 하는 것입니다. 132쪽]
학교나 회사나 국가 등 제도의 세계에서는 예고를 무장하고 있어야 한다. 하지만, 연애나 섹스 등, 본심이 묻히는 세계에서는, 에고가 발걸음이 되어 버린다.
요요기의 아래에는 요요기의 섹스관에 공명하는 수많은 남배우나 여배우가 모여 있다. 이들은 이른바 요요기와 함께 본심의 세계 거주자이다. 그들로부터 보면, 세계가 역전해 보인다. 한 배우는 다음과 같이 말한다.
"감독, 세상은 나의 세계를, 뭔가 왜곡된 스게 곳이라고 생각하고 있지만, 하지만 나는 생각하지만, 세상은 왜곡하고 있지. 생도 나들의 곳을 통해서, 그러한 왜곡 같은 것이 전부 다시, 뭔가 정말 노멀하게 되어 돌아간 것 같아요.” [요요기 1992, 56-57쪽]
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이 말에는 섹스가 개척하는 깊은 커뮤니케이션을 피해 다니는 세상과 나의 세계라는 대비로 정확하게 표현되고 있다. 그것은 요요기가 말하는 제도의 세계와 진심의 세계라는 대비와 대응하고 있다. 나의 세계와는 진심으로 이야기하고, 예고를 용해시켜, 사랑에 접하는 장소이다. 그 때 나는 '노멀'이 되어 세간의 왜곡을 찾아낼 수 있는 것이다. 그 때 나는 진정한 자신이 될 수 있다. 이것이 치유의 효과를 수반하는 각성이라고 해도 좋을 것이다. 세상이 아니라 세상에서 보면 뒤에서 싶은 섹스 중심의 세계 제일--촬영 현장이야말로 진정한 나가 될 수 있다는 것이다.
이와 같이 보면 요요기의 비판적 오카즘론의 배경에 있는 것은 제도 즉 현대사회 비판이라고 하는 것이며, 그 얼터너티브로서의 치유의 공간이 있다. '우리의 세계' 혹은 '사랑의 상태'에 있는 것, 그것이 그대로 치유의 과정이며, 그 결과가 오르가즘이라는 신체적 경험이다. 이때 요요기는 도의적 포르노 작가(moral pornographer)가 된다 [Carter 1979 : 19]
6 교란하는 아이텐티티
본심의 세계에 있거나 혹은 말한 사람은 상대를 경계하지 않고 신뢰하고 있다. 요요기는 이것을 「무구한 아이」[요요기, 1992, 52쪽」이라고 표현하지만, 어느 입으로부터는 종종 아기, 아이라고 하는 말인가 발한다. 그것은 자존심을 버린 인간의 또 다른 말투이다.
"이케다 [남배우의 이름] , 더 변태가되어 모두. 스스로 허리를 사용해 보라. 전부 버려 버려. 전부 버리고 아기가 되어 버려."[아다치 1992, 165쪽」
아기가 된다는 것은 남성과 여성이라는 섹스의 기본 단위가 되는 속성조차 해소되어 버린다. 자아의 용해와 오르가즘의 달성은 결국 남성과 여성이라는 젠더 섹슈얼리티 체제의 이원론에 기초한 쾌락의 추구를 부정하는 것을 의미한다.
“인간이 다양한 저주에서 해방되어 오르가즘에 이르면, 사실은 남자도 여자도 없어.” [동상 161쪽]
또는 다음과 같은 단어를 참조하십시오.
"이크라든지 오징어가 없다든가 하는 곳에 가중치를 너무 많이 두고 있지. 섹스가 쾌감을
얻는 수단이 되고 남자는 사정이 최종 목적이 되고 있다. 하지만 진짜 오르가즘은 행복의 경지에 이르는 것. 「그 순간, 나는 나였지만 그녀도 있었다」라고 하는 상대와의 일체감이지. 능서를 말하고 있는 지금의 내가 죽고, 얼마나 「아이」가 될 수 있을까. "["pinkJ 1997년 10월호, 22쪽"
내 이해에서 오르가즘이란 남성이 여성이 되거나 여성이 남성이 되는 상태를 끌어내는다는 의미에서 생물학적 성을 넘는 상태라고 말할 수 있는 것은 아닐까. 그것은 남성과 여성을 본질적으로 결정하는 성기주의에 대한 비판으로 향한다.
그 전형적인 것은 채널링 팩에 인정되는 남녀의 씹는 것입니다. 즉, 채널링 팩의 특징은 실제로 성기의 결합이 없는데도 센스를 하고 있는 것 같은 감각에 습격당하거나 실제로 센스를 하고 있는 커플을 보고 있는 것만으로 감응하기도 한다. 아니, 가끔 눈을 돌리고 시각을 차단해도 태어난다. 그것은 성적인 동조라고 말할 수 있습니다 1
요요기 「고기의 레벨에 멈춘 채로는, 정점에 이른 것 같은 생각은 해도, 정말로 이트했는지 오징어 없는지 모른다. 그러면, 또 내일도 하고 싶어진다. SM에 달리거나, 스와핑을 하거나 한다. 그래서, 그 에너지를 영혼의 레벨로 올려 준다. 또한 없다.채널링·센크스를 기억한 사람에게는, 페니스는 필요하지 않습니다. !』1992년 8월 26일호, 41쪽]
그것은 심신의 경계의 용해이기도 하고, 이하에 소개하는 아소마미의 경우에는 일종의 심신이탈의 체험으로서 나타나고 있는 것처럼 보인다.
아소 마미 「이런 것 뭐야, 굉장하다」요요기(이하 Y) 「앞으로의 섹스 뭔가 바뀔 것 같아?」 「그럼 바꿀 것 같아」 Y 「어떻게 바뀌는 거야?」 응, 그러니까 자신이 솔직해질 수 있기 때문에 상대도 받아 들일 것이라고 생각하고, 이제 자신을 드러내 진짜 섹스를 하고 싶네요」 Y 「할 수 있을 것 같은 생각이 든다?」 내가 어떻게 생각하는지 궁금해.
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하는 것을 생각해 버려서 무서웠던 것 굉장히. 언제나 모두, 불행이라고 생각하는 사람은 자신에게 거짓말을 하고 있어요. Y 「자신이 되어버렸네」 「응」 Y 「하나님을 만나 온 거야」 「만나왔다고 생각한다」 「내 자신의 모습 봐 온 것」 처음으로 새까맣게, 그래서 이런, 이렇게 새까맣고 서로의 둥근 것도 보이지 않아요. 자신이 나쁜 모습도 보이지 않았어. 응 회색이 되어 자신의 더러운 것들과 깨끗한 것이 얽힌 모습이 또 모양이 되어 회색에・・・・・・그것을 쭉 반복하고 있는 사이에 자신이 유리 같은, 투명한 것 같은, 공중에 떠 있는 것 같은 형태가 되지 않았어. 네, 응 축하.
퇴행이나 심신이탈 체험 등은 '재생'에 대한 조주이다. 여대생 미즈키 레이카는 '성감 X텍 변태! 성희의 아군'에 나와 눈빛을 잡고 요요기의 얼굴을 보았을 때의 체험을 다음과 같이 말하고 있다. “지난 태어난 동물이 눈을 뜨고 부모에게 있는 것 같은 기분이었습니다.”[아다치 1992, 159쪽] 그리고, 다음과 같이 총괄한다.
“스스로도 믿을 수 없습니다. 이런 생각을 하고, 그 뒤 돈까지 받을 수 있다니.
요요기 선생님 덕분에 왠지 자신이 다시 태어난 것 같은 생각이 들었습니다. [동상, 157쪽]
그러나 이 재생은 단지 등교가 풍부한 것이 아니다. 비디오에서 알 수 있듯이 요요 기
0 =, =자 = 0, 남편 0응 0한다 = 인물 0-→-. ,ー→ー→를 교란, 0, 구.・0중에도 중요하다고 생각되는 것이 목소리이다.
7 애무하는 목소리
비디오에서 여성의 표정이나 몸, 남배우와의 센크스라는 행위 이상으로 화면을 지배하는 것이 감독의 목소리이다. 그것은 기본적으로 여성에게 말을 걸어, 그녀의 생각이나 의견, 지금 생각하고 있는 것을 이끌어 간다. 여성과의 커뮤니케이션을 확립하는 것이야말로 요요기 작품의 기본이다. 그
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의 신념을 가장 잘 알 수 있는 것이, 출연 희망 여성들에게서 만들어지는 몇 시간의 면접일 것이다.
그것이 그대로 비디오 작품의 일부(「면접」시리즈 12))도 되고 있다.
요요기 작품에 등장하는 여성이나 성적으로 어떠한 문제를 안고 있는 것이, 면접을 통해 밝혀져 간다. 그리고 그 문제 발견과 '해결' 과정이 작품의 테마가 되는 것이다. 그 목소리와 이야기는 그대로 상담의 이야기이며 여성의 욕망을 해방하고 유발한다 13). 그 때 마음 속에 갇혀 있던 여성의 목소리가 요요기의 목소리에 따라 발화하기 시작한다. 목소리를 내는 것으로 몸이 열리고 마음이 열리는 것이다.
거기에는 음란한 말을 하거나 여성에게 말하게 하는 등의 걸음도 포함된다. 여성은 평소 사용하지 않는 외설적인 말을 발하는 것으로 심리적으로 무방비가 된다. 부끄러운 일을 함으로써 오히려 마음의 갑옷을 벗어 버릴 수 있다는 것이다.
말하는 내용만이 상대의 마음을 여는 것이 아니다. 의미나 논리만으로 상대에게 호소하는 것은 아니다. 목소리 그 자체인가, 말하자면 신체의 연장과 같이 물질화하여 여성의 몸을 내외에서 애무해 나가는 것이다. 목소리는 신체의 연장으로서 타자를 만지고 타인의 신체와 마음을 풀어낸다. 그러므로 요요기 작품에서는 면접 때부터 이미 섹스가 시작되었다고 말해도 좋을 것이다.
애무로서의 목소리의 효과를 더욱 높이고 있는 것이 최면술이나 눈빛 등이다. 최면술과 눈빛은 요요기의 목소리와 남배우의 애무에 집중하는 것을 가능하게 하는 도구구조이다. 인간의 시각은 생물학적으로는 매우 특화된 지각이지만, 그것을 차단함으로써, 촉각이나 청각 등을 벗어나지 않고, 비일상적인 상태로 여성을 이끌어 간다.
최면술은 자아의 용해라는 점에서 더 노골적이고 직재적인 방법이라고 할 수 있다. 요요기는 특히 최면에 의한 연령 퇴행이 제도의 세계에 의해 태어난 다양한 주박을 풀어주는 효과가 있다고 강조한다 [요요기 1992, 1 12].
8 미나미 토모코, 이미 목소리, 몸
『성감x테크닉』시리즈의 주역이라고도 말할 수 있는 미나미 토모코는, 요요기 작품에서는 모두 출연자로서 남배우 이상으로 여성들에게 적극적으로 관여해 왔다. 단대를 졸업 후 성산업을 전전해온 현역의 풍속양이다. 그녀는 14세 때 40세 남성과 3년간 뻗어 있었지만, 자신이나 쾌감을 얻는 것은 입으로 등이 느끼고 있을 때의 표정이나 시끄러움이었는지, 그것을 털어낼 수 없었다. 그 후도 계속, 여성 분으로부터 적극적으로 남성에게 어프로치해, 섹스에 있어서도 주도권을 잡을 수 없는 것에 불만을 받고 있었다. 20살 때 돈이 필요해 풍속양이 됐다. 소프란드에서 2년 반, 그 후 핀살로나 헬스에서 일한다.
나중에 남성은 전신 마사지, 입으로 전립선 마사지 및 성기관에 삽입됩니다.
하나
입 이외의 서비스를 받는 성감 마사지의 가게에서 일해, 성감 마사지사 혹은 성감 에스테티션이라고 불리게 된다.
요요기는 남쪽에 대해 다음과 같이 말하고 있다.
미나미 토모코라는 여자는 남자도 여자처럼 요가해도 좋고, 남자도 실신하고 여자 이상으로 요가하는 거야, 라는 것입니다. 그때 남자는 진정으로 해방된다[『칼럼니스트2』1991, 97쪽].
다음 남쪽의 말은 앞서 언급 한 요요 기의 쾌락과 사랑의 구별에 대한 입장을 답습하고 있다고 말할 수 있습니다.
내가 생각하는 오르가즘은 2종류 있고, ー는 생리적인 것. 성기에 있는 자극을 더하면 이키네요. 벌써 정신을 수반하는 깊은 오르가즘. 그것은 육체의 절정감을 수반하는 것도 있으면 수반하지 않는 경우도 있습니다만, 깊습니다. 자신의 자아 껍질을 잡지 않으면 후자의 진정한 오르가즘에 도달 할 수 없습니다. 그렇게 하면 파멸이라고 생각하는 사람, 비겁하고 두려워하는 사람은, 자신의 껍질을 잡을 수 없어, 결국 물리적인 오르가즘 밖에 얻을 수 없다[『SPA!』1992년 8월 26일, 41쪽].
「성감 x 테크닉」시리즈에서는 요요기 대신 남쪽의 목소리가 화면을 지배한다. 남쪽이 확실히 여성을 말로 비난한다. 여기에서도 남쪽은 요요기의 더블로서 현장을 리드하고 있는 것처럼 보인다. 그것만이 아니다. 남쪽의 역할은 요요기와 달리, 출연자로서 여성에게 직접성의 손을 뻗고, 섹스를 남배우로 하거나 여성과 얽히고 있다. 많은 경우, 남배우와 남쪽이 고민을 받는 출연 여성을 오르가즘으로 이끈다. 남배우와 남쪽 혹은 여배우와 남쪽이 여성 앞에서 섹스를 하고, 그 후 여성을 섹스에 초대한다.
이하에서는, 이미 접한 「성감 X테크닉 처녀」를 소개해 둔다. 리사라는 여성에 대한 인터뷰의 장면. 남자는 좋아하지만 섹스에 밟을 수 없다. 「자신이 손가락이라든지 넣어져도 전혀 기분 좋지 않고, 많이 되면 이제 그만두고, 라고 간지」. 바닥에 매트를 깔면 언제든지 될 수있는 좁은 방. 그래서 남쪽과 히비노가 섹스를 하고 있다. 이것을 바로 옆에 앉아 보는 리사. 그녀 앞에서 남쪽과 히비노가 섹스를 하는 것이지만, 시종남이 리드하고, 히비노는 받는다. 그리고 마지막은 사정하지 않았는데 쾌락에 떨리고 실신해 버린다. 리사는 울고 있다. "당신 울고 있지만, 아래는 젖어 있어요. 아래는 젖어 마음은 행복······좋다. 오늘은 더 이상 섹스하지 않아도 좋다" "나도 하고 싶다····"라고 리사.
여기에서 쉬고, 타치바나 히카루가 등장하는 상술 한 장면이 이어진다. 그 후 남쪽이 리사에게 얽힌다. 그리고 도중에 히비노가 나타나 리사와 섹스한다. 그렇게 처녀를 상실. 3명으로 얽힌다.
하나
아이
도는 적극적으로 히비노에 입으로 한다.
남쪽은 또, 페니스 펀드를 붙여 게이의 남성과 얽히거나, 페니스 팬드를 붙인 복수의 여성들과 상호 자위 행위를 벌이는 등, 남녀가 섹스로 기대되고 있는 행위를 교란해 간다. 이것은 단지 여성 동성애자의 남자 역을 연기하고 있는 것은 아니다. 왜냐하면, 여성은 페니스 판도의 페니스를 남성인가 하도록 문지르면서 자위를 하기 때문이다. 음경의 팁을 자극하면 직접 맞는 것도 아닌데 클리토리스가, 또 남근을 만지면 질이 자극을 받아 기분 좋아진다고 한다. 물론 사정 등 없다. 그러나, 그녀들은 남쪽의 숙련된 말과 리드에 의해 오르가즘에 이르렀다. 채널링 팩과 마찬가지로 여기에서도 심신의 고조와 동조가 인정된다.
지금까지 여성에 대해서만 말해 왔지만, 남성에 대해서도 한마디 말하고 싶다.
9남자 오르가즘 16)
요요기의 오카즘론은 남자와 여자 모두를 포함한 것이다. 제도의 세계에 흠뻑 젖어있는 남성이 오르가즘에 도달하기 어렵다. 사정은 쾌락일지도 모르지만, 그것은 오르가즘을 의미하지 않는다. 오르가즘은 남자에게도 실신 행위를 수반하는 깊은 경험이다. 왜 남자는 쉽게 오르가즘에 도달하지 않는가. 그것은 남자가 자신을 버리는 것, 자신을 상대에게 넘겨주는 것이 서투르기 때문이다. 남성은 제도의 세계에서 주도권을 잡는 것이 자타적으로 기대되고 있으며, 그러한 관계를 부정하고 포기하는 데는 더욱 어려움이 수반된다. 섹스에 제도의 세계의 행동이나 사고방식을 반입하려고 하기 때문이다.
포르노 그래픽에 대해 종종 지적 된 것은 전통적인 전통적인 성별 규범을 기반으로 한 남성은 능동적이고 여성은 수동적이라는 고정 관계였습니다. 그래서 남성은 능동적으로 행동함으로써 쾌락을 얻을 수 있다고 상정되고 있다. 그러므로 '하이트 리포트'에서 “당신은 입으로, 마스터베인 연, 생교에서 얻은 오르가즘 중 어느 것이 최선이라고 생각합니까?”라는 설문에 대한 답변이 흥미롭다. 그렇다고 하는 것도 거기서 입으로 대답한 이유로서, 상대를 생각하지 않고 자신의 쾌락의 만족에 만족할 수 있다,라고 응답하고 있던 남성이 몇명 있었기 때문이다[1982, 86쪽]. 즉, 여기에서는 바로 수신의 쾌락이 스트레이트하게 표현되고 있다. 그것은 지배의 쾌락을 강조하고, 결과적으로 남성의 불안을 한편으로 연결시키는 포르노와는 다른 쾌락의 회로를 시사하고 있다.
이런 관점에서 특필해야 할 것이 요요기 작품에서도 철저히 받은 남성이 그려지기 시작하고 있다는 것이다. 거기에서는 남성도 쾌락의 끝에 실신한다. 게다가 그것은 반드시 사정을 수반하지 않는다. 성행위에 있어서의 능동성이나 지배욕을 포기할 뿐만 아니라, 사정도 포기하는 것으로 얻을 수 있는 쾌락이란 어떤 것인가. 조금 길지만 실신 한 남자 배우의 수기
-
사용하고 싶다.
나는 4년 전, 요요기 감독의 「인간 퍼포먼스 밀교 승천의 극의」(1990년)라는 작품으로, 이크라는 것을 처음으로 체험했다.이 작품은, 남자의 오르가즘을 추구하는 의도로 만들어진 것이었다. 자신 속으로 안으로 의식을 내려갔다. 비유할 수 없는 쾌감, 행복감에 싸여 떠오르고 있었다. 사정과는 완전히 다른 감각. 기억하니? 내가 짱짱을 만나려고 했더니 '만지지 말고. 나의 성기는 더 이상 작아지지 않을 정도로 줄어들고 있었고 사정도하지 않았다. 신체 안에 울퉁불퉁한 피부가 삐걱 거리고 서 있었다.
눈부시게 눈물도 쏟아졌다. 남자의 행복감은 반드시 사정에 있는 것은 아니었다.
성기를 사용하지 않아도 도달하는 섹스가 있다. 예상했던 것은 충격이었다. 그와 동시에 말에 드러낼 수 없을 정도의 행복의 때에 싸여 있었다 [카토 1994 131-133 페이지.
여배우 쿠리하라 사키는 주간지 인터뷰에 대답하여 다음과 같이 말했다.
그 날은 반반도 되지 않는 상태 가운데서, 몸이 빅빅과 경직하기 시작했어. 나는 히. 언제 했어. . 이츠 버리고 있다"라고. 사정을 하지 않는 사이에, 북극에 이른 셈. 육체의 쾌감보다, 정신의 오르가슴스가 웃돌았지.
남자가 받고 실신에 이르는 오가 줌을 얻는다. 구리하라가 제비도 말하고 있던 것처럼 그것은 「여자의 엑스타시」였던 강. 여기에 젠더교란의 하나의 귀결을 인정하는지 가능하다. 그리고 이러한 교란을 받아들이고 싶은 남자는 촬영 현장을 도망칠 수밖에 없다.
이상, 요요기의 기본적인 사고방식을 소개, 음미해 왔다. 분명히, 어떤 생각을 지지하는 것에 대해 고찰을 하고 싶다.
학
10요요기 자신의 이야기
요요기의 삶에서 주목하고 싶은 것은 '가족 사랑'에 대한 기아감이다. 그것은 어머니가 일찍 사라지고 아버지와 헤어지고 자랐다는 어린 시절의 체험에 끝을 내고 있다. 거기에서 피의 연결을 찾아, 야쿠자의 세계에 동경했다. 그러나 그것은 잔인하게 배신당할 것이다.
가족 사랑을 대신하는 강한 유대를, 영화 제작의 현장으로 찾아낸다. 하지만 이런 세계도 ‘재판’이라는 형태로 중단되어 버린다. 너무 긴 재판, 외설이라는 생각을 둘러싼 동료와의 대립, 재판비용의 비상, 생활비의 고갈. 요요기의 아내는 스트립에서 일하기 시작하지만, 요요기에게 모르고 신중한 채 임신 6개월까지 계속 일했기 때문에, 과로와 임신 중독증으로 쓰러진다. 그리고 생후 4일 만에 첫 아이를 잃는다.
요요기에게 비디오의 세계는 소규모이면서도 가족 사랑을 넘은 유대를 확인할 수 있는 세계일 것이다. 그것은 이미 인용한 남배우의 말 '나의 세계'라는 말에 여실히 나타나고 있다. 그렇게 동경하고 있던 남자들과의 유대를, 요요기는 남배우와의 관계로 손에 넣은 것이 아닐까.
어린 시절 요요기는 창녀들의 생태를 눈에 띄고 어린 시절에 여성의 '바케모노성'을 발견했다. 그것이, 그 후의 비디오 제작의 원점이 되고 있다고 한다[야마다 1995, 247페이지]. 스토리가 있는 핑크 영화에서는 그릴 수 없는 여자를 비디오로 그리고 싶다는 것이 요요기의 강한 기분이었을 것이다. 그리고, 미즈로부터의 물통성에 마주하려고 하지 않는 여자, 세상이 기대하는 여자다움에 달콤하고, 체재를 솟는 여자. 요요기가 비디오에서 요구하고 있는 것은, 이러한 여성들의 변호이다.
요요기의 작품에 등장하는 여성들은 이 세상의 성을 둘러싼 시라라미 때문에 고통받고 있다. 그녀들의 변화를 쫓는 것으로 '자신'을 되찾아가는 과정을 그린다. 그것은 시청자의 많은 남성들에게는 숨어 있던 음란한 본성의 표현이며, 거기에 흥분할지도 모르고, 실제로 그러한 과정이 강조되고 있다. 그런 '음란한 본성'을 드러내는 여성을 더욱 감싸는 존재로서 요요기가 요구하고 있는 것은 어머니의 모습이 아닐까. 어린 시절의 여자의 음란에 대한 체험과 밀접하게 연결되어있는 것이 육친에 대한 사랑의 갈망이었다.
음란한 여성을 기다리고 있는 것은, 욕정한 남자 뿐만이 아니라, 어머니를 희구하는 남자------아이인 것이다. 하지만 엄밀하게는 그것은 절반밖에 옳지 않다. 라는 것도 이미 지적한 것처럼 출연자들도 아이가 될지 기대되고 있기 때문이다. 그것이 에고를 버린 무아의 경지이며, 그 때 처음으로 진정한 오르가즘에 이를 수 있는 것이다. 요요기가 요구하고 있는 것은, 어머니로서의 여성이라는 실체가 아니라, 모자 관계에 있어서의 무료의 사랑에 근거하는 무사의 관계인 것이다. 비디오에서 오르가즘을 얻는 것은 부정된 모자관계를 획득하는 것에 다름없다고 한다면, 그것은 출연자가 아이가 되고, 요요기나 남배우 그리고 여배우들 또는 "어머니"가 되는 것이고, 또한 출연자가 모두 어머니를 체험하는 것이다. 후자의 경우, 요요기들이 아이가 된다. 요요기의 비디오에서 이루어진 정체성 교란의 근본에있는 것은 성별 정체성이라기보다는 이러한 모자 관계의 확립과 그 역전이다. 젠더 아이덴티티의 교란은 아이로의 변호(퇴행) 과정에서 불가피하게 생기는 것이다. 그것은, 교란이라기보다는, 남자도 여자도 아니라는 의미로, 비(혹은 부) 젠더화라고 하는 쪽인가 적절할지도 모른다18). 물론, 이러한 변호의 능력은 특별한 것으로 생각해서는 안 되며, 제도의 세계와 본심의 세계의 존재를 인정한 다음에, 후자에 있어서 농밀한 인간관계를 갖고자 하는 것은, 정도의 차이는 그만큼 많은 인간인지 요구하고, 또 사실 실현하고 있는 것이다. 하지만 그것이 잘 안되는 사람도 있다. 왜일까.
그 이유로서 요요기는 어린 시절의 모자 관계에 주목한다. "(섹스로 하우물에 의지하는 사람은 어린 시절에) 스킨십을 하지 않았다. 거기에 문제가 있네. 때려 엄마의 회에 뛰어들어 그 때 피부의 따스함을 느끼고 엄마의 부드러움에 접해 자신을 열어 울어 버린다. 그것이 오르가즘이에요.
오르가즘의 문제만이 아니다. 원래 비디오에 출연하고 싶다고 말하는 여성들은 부모와 잘 어울리지 않는다. 부모의 에고의 희생자가 되어 왔다는 생각이 강하다. 그리고, 비디오에 나오는 것으로, 어딘가에서 부모에게 복수하고 싶다고 한다고 한다.
요요기는 이 계속이라고도 할 수 있는 의견을 다음과 같이 말하고 있다.
예를 들어 유아기에 어머니의 회에서 안심하고 울었던 아이라는 것은 본능이 성숙할 수 있었다고 생각한다. 그런데 그것을 받아들이는 어머니의 본능이 성숙하지 않으면 어머니에게 있어서 아이의 울음소리는 불편할 수밖에 없다. 그러니까 학대에 달린다. 그렇게 학대되어 자란 아이는 당연히 본능이 불편하고 언제나 그렇듯 폭력적인 행동에 나서거나 인격이 붕괴되거나 하는 것이다.
하지만 그렇게 주장하는지 자신 모성은 이중의 의미로 부정되고 있었다. 어머니의 부재. 그리고 첫 아이의 너무 이른 죽음. 카레는, 아이의 죽음을 「평생 최대의 고비」라고 표현해, 「야쿠자가 될 때도, 그만둘 때도, 영화에 관련될 때도, 자신의 의지였다. 그렇지만, 이것은 나의 의지가 아니다·· 처음으로, 깨어났다고 생각했어.
그러므로 우리에게 중요한 것은 요요기가 어떻게 모자 관계의 누락이라는 근본적인 문제를 극복하려고 했는가 하는 것이다. 그야말로 독특한 오
: 아이
가즘관에 이르는 과정이기 때문이다.
이하 3개의 에피소드를 소개하고, 불완전하면서도 요요기의 사상의 궤적에 다가가고 싶다9).
첫 번째 에피소드는 45세 무렵의 이야기이다. 요요기는 오사카의 일류 호텔에 묵고 지압사를 불렀다. 60세가 넘는 노녀이다. 그러나 그녀는 요요기의 가랑이 사이에 손을 뻗었고, 마지막은 로로 돌아갔다.
이것이 괜찮습니다. 기분이 좋다. 하지만, 이건 절대로 친구에게 말할 수 없어나, 3년 정도 술의 안주가 되는 뒤나, 다양한 생각이 좋고 솔직해질 수 없는 내가 있다. . 이런 할아버지, 나, 이런 일을 해"라고, 그것은 이미 대단한 갈등인가 있다. 하지만, 할머니는 "너, 솔직하게 뭐라고. 그러나 아직 솔직할 수 없다. 그래도 난 괜찮아. 하지만, 이번에는 할머니가 떠오른다. 그 반복이 있고, 마지막으로 할머니가 나에게 이렇게 한 것이다. 「너, 난보노몬야. 너, 얼마나 남자나」 그렇게 바싯이라고 했다. 뇌천을 깨뜨린 느낌이 들고, 나는 행복의 세계에 들어갔다. 눈치채면 완완 울고 있었다. 눈물이 멈추지 않는 것이다 「『CADET』1993년 2월호, 37쪽」.
요요기는 이 체험으로 외면을 고집해 마음 속을 볼 수 없게 해 온 자신의 한계를 알았다. '할머니'를 통해 누가 아이가 되는 것을 배웠다. 아이가 되는 것의 쾌락을 체험한 것이다.
다음은 출연자 중 한 명인 이노우에 마리코와의 경험입니다. 요요기는 '아마추어 욕정 지대 음계에서 온 여자'(1995)에서 출연자 이노우에 마리코의 과거를 탐구하면서 섹스에 대한 양의적인 태도를 극복해 나가는 과정을 기록하고 있다. 이노우에는 어린 시절 부모님이 스와핑에 참가한 비디오를 우연히 보고 있다. 이 작품을 찍으면서 요요기는 컨디션의 부진을 느끼고 있었다. 그리고 지금까지 자기를 버리는 것을 설해 왔지만, 감독으로서 아무래도 버릴 수 없는 객관적인 눈을 유지하고 있었다는 것을 고백하고 있다. 게다가 이번에는 그러한 차가운 시점도 유지할 수 없을 정도로 힘이 없었다고 한다. 요요기가 트랜스 상태처럼 되어, 어린 시절을 생각해낸 것은, 촬영 후 그녀와 헤어지고 나서이다. 상기한 내용은 이미 소개한 것들과 겹친다.
그 어린 시절의 생각이 바로 지금이 이런 일을 계속하고 있는 이유라는 것을 분명히 알았습니다. 동시에 내가 이노우에 씨와 완전히 같았고, 실은 나 자신이 그것을 깨닫고 내 자신이 치유되기 위해 그녀를 만났다는 것도 솔직하게 그렇게 보였다. · · 지금까지 여러 가지 일을 해왔지만 아무 것도 알지 못했습니다.
- -
그렇습니다. 사람이 치유되고 치유된다는 것은 사람이 정말로 똑같이 된 순간밖에 일어나지 않을지도 모릅니다 [야마다 1995, 247].
마지막으로, 2003년을 만났을 때 요요기가 나 자신에게 말한 이야기를 소개해 둡시다. 「이제 이런 여배우가 있다」라고 말해, 요요기가 나에게 소개한 것은 자위대 출신의 여배우, 닛타 리에이다2의. 1996, 7년 무렵, 지바의 민가를 사용한 묵은 촬영에서의 것이었다. 촬영이나 끝나고, 같은 방에 잡어잠을 했다. 모두가 잠들고 나서, 요요기가 문득 일어나자, 닛타나 요요기를 베개원으로 어머니가 아기를 안도록 껴안고, 눈물을 흘리고 있었다. 그녀에 의하면, 그 때 요요기는 3세 무렵의 요요기로 돌아왔다고 하기 때문에, 어머니가 되어 자고 있었던 것을 안아 준다는 것이다.
최네도의 에피소드는 섹스에서 요요기 자신이 에고를 버리는 것을 배웠다고 말했다. 두 번째 에피소드에서는 요요기는 감독으로서의 객관적인 시점을 포기하고, 어쩌면 어린 시절에 말하자면 '퇴행'하고 추체험함으로써 고민을 가진 출연자와 같은 시점을 획득하고 있다.
마지막 에피소드에서 요요기는 정말 아이가 되어 여배우 앞에 나타나고 있다. 이러한 일련의 예히.
검으로부터 요요기의 변화를 자취하는 것이 가능할 것이다. 섹스에 대한 생각으로부터, 더욱 자신의 퇴행을 경험해 간다. 요요기도 출연 여성과 함께 그리고 그녀들에 의해 치유되어 간다. 이러한 요요기에 의한 (잃어버린) 육친과의 유대의 회복에 대한 의지는, 딸과의 관계에도 인정된다.
요요기는 당시 중학 2학년의 딸에 대해 “만약 아무래도 자신 혼자서 대처할 수 없는 경우에는 아버지와 상담해 줘 보통 부모처럼, 세간체만을 신경쓰고, 아이를 자신의 에고에 영양을 주기 위한 도구로 하지 않아도 되었다”고 말해, 어덜트·비디오의 일에 종사해 여러가지 여성을 봐 온 덕분이라고 말하고 있다[『MARCOPOLO』1992년 9월호, 62쪽]. 이것이야말로 요요기가 딸과 확립하고 싶었던 무사의 관계가 아니었을까.
10 나쁜 주체의 출현
이상의 요요기와 그 작품에 대한 분석에서 어떤 것을 말할 수 있을까. 아카가와 학은 시청자의 관점에서 개인실에서 성인 비디오를 시청하는 시청자와 비디오 영상과의 관계를 「AV 자위 공간」이라고 명명하고있다 22). 그리고 성인 히데오를 "주로 청년 남성이 자위를 하기 위한 매개(=미디어)로 혹은 와야 할 성행위의 매뉴얼로서 개인실 비디오점이나 혼자 방이라는 조건 하에서 감상·시청되는 포르노그래피" [아카가와 1993, 140페이지]
ー
라고 말했다. 그리고 성인 비디오에 인정되는 다양한 성은 시청자들에게 있어, 모두로부터의 성욕이 있는 분(너는 무엇에 흥분하는 것인가)을 물어, 성적 지향을 재인시키기 위한 수단이라고 지적한다. 이 질문에 대답함으로써 시청자는 성적 주체가됩니다. 시청자는 자신의 성욕을 아는 것으로 그것을 핵으로 하는 정체성을 구축하고 그것에 속박된다. 요요 기가 목표로하는 것은 같은 AV 자위 공간이라는 설정에서 남성 시청자가 자위 할 가능성을 남기면서도 바로 그러한 정체성 형성을 교란하려고하고 있기 때문에
서두에서 엘로스와 반공 로스라는 대립을 제불했지만, 엘로스의 공간은 젠더의 스테레오타입이나 욕망의 예상되는 발동의 교란에 의해 태어난다고 말할 수 있다. 린다 호러는 신체를 긍정하는 윤리로서의 엘로스를 신체 부정의 로고스와 대비시켜, 신체가 인간 존재에 있어서 얼마나 중요한 역할을 하고 있는지를 논하고, 엘로스의 부활을 주장하고 있다 [Holler 2002]. 그리고 신체와 정신과 같은 이원론을 비판적으로 극복하고 자기와 타인이나 진정으로 교제하는 '침투 가능 공간 permeable space'를 만들어야 한다고 주장하고 있다. 그것은 공로스의 공간이며, 치유의 공간이다. 요요 기가 비디오 작품으로 만들어 내려고하는 공간도이 침투 가능 공간이라고 할 수 있지 않을까 23) 그것은 제도의 세계에 대립하는 본심의 세계이다 24)
그러나 그것은 생각하는 것만큼 간단하지 않습니다. 매뉴얼을 학비하고, 매뉴얼적인 성의 세계에서 벗어나기 위한 매뉴얼을, 요요기는 제시하고 있다고 할 수 있지만, 그 자체나, 시청자나 독자에게 동박이 될 수 있기 때문이다. 미야다이 등이 요요기의 '플라토닉 동물'에 대해 지적하듯이 '요요기의 책은 '매뉴얼이 가져오는 역설을 극복하기 위한 매뉴얼'이라는 매우 역설적인 형식을 취하기 시작한다' [미야다이 외 1993, 206쪽] 모리오카도 요요기를 포함한 오르가즘의 탐구자에게 경종을 한다. 그렇다고 하는 것도 「그들과 같은 진정한 오르가즘을 추구하는 방향으로 가 버리면, 자신의 섹슈얼리티의 비틀림을 유지한 채, 「성의 쾌락에의 욕망」만이 비대하게 될 수 있기 때문이다. "[모리오카 2004, 165 페이지] 그러나 나는 이런 비판이나 적을 쏘고 있다고 생각하지 않는다. 이미 보았듯이 요요기의 언설만 읽으면 오르가즘에 대한 욕망에 사로잡히거나 또 그를 위한 매뉴얼이라는 인상을 받을지도 모르지만 요요기 자신의 고백이나 캠코더 앞에서 일어나고 있는 것으로부터 분명한 바와 같이 오르가즘은 갑자기 우발적이기 때문이다. 요요기는 모리오카가 지적하는 우려를 SM의 실천에 인정, 오히려 비판하고 있다(2002년 7월 다나카에 의한 인터비). 요요기도 쾌락추구의 자기목적화에 있어서 부정적인 것이다. 그런 '쾌락'은 오르가즘이라고는 말할 수 없다. 성적인 실천은 항상 우발적인 것이다.
소수일까, 시청자는 그대로 시청자로서 머무는 것은 아니다. 요요기의 비디오에 관심을 갖고, 문제를 발견한 여성들은, 매뉴얼대로의 성을 극복해, 오카즘을 얻기 위해서는, 책을 읽거나, 비디오를 보는 것만으로는 충분하지 않고, 직접 요요기, 남쪽 그리고 그들을 다루는 남배우들의 손잡이를 받을 수밖에 없다고 생각하게 된다. 그러면 요요기의 비디오는 성적 지향을 재인하는 장으로 기능하고 있다고 하는 것보다, 그런 장의 전제가 되고 있는 비디오와 시청자와의 욕망을 둘러싼 AV 자위 공간의 밀약일일-비디오가 제공하는 다양한 성행위와 그것을 보고 흥분하는 나라는 관계일일을 흔들며 문제군의 발견을 시청자는 요요기의 비디오를 보면서 성적 지향을 재인하는 것보다 성적인 문제에 대치한다. 시청자들은 섹스 방법과 오르가슴 체험에 이르는 여러 가지를 배울 뿐이 아니다. ‘이케 없다’는 성적인 문제를 안은 여자 혹은 남자로 주체화된다. 그러나, 그것만으로는 종래의 AV공간에서 생긴 것과 그다지 변함은 없을지도 모른다. 거기서도, 예를 들면 남성들은, 남배우와 미즈로부터의 신체나 테크닌크를 비교해, 문제가 있는 존재로서 주체화하고 있었기 때문이다. 요요기의 독창적인 곳은 그러한 문제화된 주체(나쁜 주체[야마자키 1989, 155]) 26)이야말로 (역설적이지만) 치유의 가능성을 시사하고 있는 곳이다. 그리고 그 호흡에 응한 한 줌의 용기 있는 시청자가 아테나 영상의 면접실의 소파에 앉아서 출연하게 되는 것이다.
11 오와
일부 반복이 되지만, 마지막으로 상기의 논의를 정리해 두자. 요요 기에 따르면, 제도의 세계 때문에 우리는 진정한 오르가즘에 도달 할 수 없다. 건전을 버리고 진심으로 말하고 자기를 발견함으로써 진정한 오르가즘을 얻을 수 있다. 그것은 또한 본심의 세계에서 사회 비판으로 이어진다. 그러나 요요기가 포르노 산업에 머무르는 한 그러한 비판은 충분히 전개 할 수 없다. 그렇다면 이른바 '성의 상품화'에 통하는 '제도의 세계'의 논리를 부정할 수 없는 것이 아닌가. 또한, 오르가즘 달성의 유무가 문제인 한, 어디까지나 그것은 내적 혹은 신체적인 문제로서 이해되고, 진정한 사회 비판이나 개혁에 연결되지 않는 것이 아닌가.
게다가 내 이해가 옳다면 모자 관계를 너무 이상화하지 않을까?
매뉴얼 비판이 새로운 매뉴얼화를 낳는 것은 아닐까.
이러한 비판에 대해 다음과 같이 대답해 두고 싶다. 오르가즘을 둘러싼 성 문제를 성행위를 통해 '치유'할 가능성은 무시해서는 안 된다. 요요기의 주장에는 교사, 성직자, 의사에 의한 실천 이외의 가능성이 인정되는 것은 아닐까? 어떤 실천이 성적이고 신체적인 것이라면 수동화의 악순환을 배반할 수 있어야 한다. 또한, 모성의 중요성에 대해서도, 이것은 종래의 성을 부정한 곳에 조치되는 모성이 아니다.
그럼에도 모성, 따라서 모자관계의 교란 가능성을 인정할 수 있는 것은 아닐까. 마 감독과 여배우, 남배우와 여배우 등의 관계도 굳이 고정된 성격의 것이 아닌 것도 확인해 두고 싶다.
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시청자는 대결심을 하고 아테나 영상의 면접실 소파에 앉는다. 그렇다면 나는 어떤 경과로 면접실 소파에 앉게 되었을까.
1986년 8월, 나는 쿄바시 명화좌의 비좁은 의자에 몸을 가라앉히면서, 「문서・오나 시리즈」의 키네코판 「ONANIE 2」와 TONANIE 3」를 보았다. 이것이 나와 요요 기와의 첫 만남이었다. 비디오의 제작으로부터 약 4년의 어긋남이 있지만, 1980년대 전반을 스리랑카와 영국에서 보내고, 6년만에 귀국한 것이 1개월 전이었기 때문에, 이 어긋남은 어쩔 수 없을 것이다. 나는 런던에 머무는 동안 이미 여성 자위를 연구 주제로 만들려고 생각했다 27). 그래서 일본으로 돌아가 처음 시작한 것은 자위라는 핑크 영화를 한쪽 끝에서 보는 것이었다. 일본의 성인·비디오 사정에 소홀했던 당시, 「ONANIE」의 오리지널이 히데오판인 것조차 몰랐다. 그러나 나는 요요 기의 오래된 작품 중 많은 부분을 교바시와 히가시 한큐 거리의 영화관에서 볼 수 있었다. 나는 뭔가 어리석은 것처럼 비디오 숍의 판매용 비테오를 잡고, 요요기에 관한 문장을 모아서 말했다. 1980년대 후반부터 90년대 전반에 걸친 요요기의 정력적인 활동은 나에게 있어서 동시대적인 체험이며, 이 무렵의 자료가 제일 충실하다.
처음으로 요요기에 대해 논한 것이 1993년의 근위 론드에서의 석상이었다. 그 후 강의에서도 취해, 또 다양한 연구회에서도 비디오 지참으로 보고를 했다. 그러나 내가 아테나 영상의 면접실에서 요요기를 만나려고 결심한 것은 계속 2002년 7월이다. 약 5년간, 나는 순환하고 있었다. 다시, 요요기의 비디오를 보기 시작한 것은, 후지모토 유카리씨와의 만남이 계기였다. 그 후, 또 긴 월일이 지났다. 우선,이 논문을 내가 왜 요요기에게 끌려 왔는지, 그리고 그 이유는 무엇인지를 고찰 한 것으로 자리 매김
감사의 말 먼저 짧은 시간이었던 내 질문에 정중하게 대답해 주신 요요기 타다시 감독에게 감사하고 싶다. 요요기 감독에게는 이 논문의 제1고지를 봐 주시고, 다시 만나, 수정 추가를 실시해 2006년 2월, 2회째에 만났을 때는, 어머니의 죽음을 둘러싸고, 또 초등학교 저학년 때에 걸린 집병의 경험 등으로부터, 죽음 혹은 사후의 세계에 대한 강한 생각이나, 어둠 이러한 감정은 불가시의 세계에 대한 강한 관심과 연결되어 있다. 이 모든 것도 감독의 작품을 이해하는 데 중요하다는 사실을 알게되었거나이 논문에 충분히 통합 될 수 없었습니다. 이 점에 대해서는 향후의 과제로 하고 싶다. 또 아테나 영상의 나가이 이즈미 씨에게는 마지막 마지막까지 신세를 졌다. 요요기 감독을 소개해 준 쓰쿠마 서방의 후지모토 유카리씨, 그녀와의 만남을 설정해 준 국립 민족학 박물관 교수 노무라 마사이치 씨에게 감사한다. 근위 론드(1993년 2월), 오사카시대에서의 강의(1993년 전기), 여신 클럽 우와시마 대회(1994년 9월),
아이치 학원 대학 치유 연구회(1994년 10월), 총연대(국립 민족학 박물관) 대학원 자주 세미나(1994년 10월), 인문 연조 수회 세미나(1994년 1 1월), 케이한나 『마라톤 세미나 인간・생물・시간』 총연 대본부에서의 쇼난 세미나(1996년 7월) , 등으로 비디오를 사용하여 보고하고, 그 때마다 참가자로부터 귀중한 의견을 들을 수 있었다. 본 논문에 그러한 의견이 조금이라도 반영되어 있으면 다행이다. 게다가 교토대학 인문과학연구소의 공동연구반 '포르노그래피 연구'(오우라 야스스케 대표, 1999-2002)에서의 토론은 매우 유역이었다. 자료의 정리에 있어서는 쿠오하시 케이코씨에게 신세를 졌다.
1 ) 누구의 살아남기에 대해서는 요요기는 993, 61 - 87쪽] 참조.
2 ) 렌탈점은 1989년을 비크로 감소해 간다.
3 ) 이 점에 대해서는, 「성적 커뮤니케이션에 내딛는 법 행위」는 더 이상 문제가 아니고, 성적 커뮤니논 중에서 무엇을 구체험>할 수 있을지에 주제가 완전히 이행하고 있다. 266쪽]이라는 지적이 있다.
1990년 전후부터 채널링이 유행한다. 이 점에 대해서는 「주간 아사히」(1990년 12월 7일호)의 기사 「「대령계」보다 대단한 채널링이란 무엇이다」를 참조. 더 학술적인 것으로 匚島薗 2006 : 247 - 262'가 있다.
5 ) 본고가 다루는 시대의 어덜트·비디오 작품 일반에 대해서는, 「80년대 AV완전 데이터」(『호기심 후크36』)를 참조.
6 ) 매뉴얼은 책뿐만 아니라 비디오도 많다. 그러나 이것은 일본보다 미국에서 더 두드러진다.
7 ) 3절에서 소개한 후지모토의 쾌락 체험에 대한 설명을 참조.
8 ) 요요기는 다른 곳에서 제도의 세계를 고정관념이나 가치관이라는 최면에 걸려 있는 상태라고 말하고, 거기서 다른 가치를 만나면 고민한다. 고민하고 있는 여성이 어딘가에 오기 때문에, 그가 해야 하는 것은 그러한 가치관을 버리는 것이며, 세상이 그녀에게 걸친 최면을 푸는 것이다. '최면을 푸는' 것이 치유인 것이다.
9 ) 물론, 많은 성산업이 제도의 세계의 일단을 담당하고 있는 것은 부정하기 어려운 사실이다. 오히려 이것은 요요기류의 성산업관이라고 생각해야 할 것이다.
10 ) 이미 소개한 후지모토의 채널링론도 참소
(1) 「오렌지 통신」(1991년, 4월호, 99쪽)에서의 아소의 발언도 참조.
12 ) 이 시리즈는 1990년에 1개 제작된 후 1993년부터 본격적으로 시리즈화 되었기 때문에 본고의 분석대상에서 제외하고 있다.
13 ) 요요기는 1993년에 '예쁜'이라는 여성지에서 '요요기 타다시의 성 상담실'을 연재하고 있었다. 또 이듬해에는 'fuuJ에서 '사랑의 전도사 요요기 감독의 궁극의 오르가즘'을 연재하고 있다. 같은 해 같은 잡지에서 요요기에 영향을 받은 남배우 가토 타카도 「타카 씨에게 물어!」라는 섹스 상담실을 담당하고 있다. 이것들은 여성 매거진이라고 불리며 1993 년경에 잇따라 공간되었다. 전체 페이지 아트지 마무리로, 사진이 듬뿍 사용되고 있다 중복은, 독자 참가에 의한 유명 AV남배우와의 섹스나 바이프 사용의 섹스의 지상 게재였다. tfuu '에서는 이러한 기획에 응모했습니다.
여성에게 6만엔을 증정하고 있다. 여성의 성적인 욕망을 전면에 내놓았다는 점에서 1980년대 말에 시작되는 여성관의 변화를 나타내고 있다고 할 수 있다. 이 점에 대해서는 동장 1998]을 참조한다.
14 ) 남쪽에 대해서는 요요 기와의 긴 대담 匚 요요 기 1992, 201-217 페이지], 사이토 아야코와 카메야마 사나에 등과의 좌담회 기록
15 ) 와시다는 남쪽과의 인터뷰에 대해 다음과 같이 말하고 있다. '미나미 씨의 입에서 '수신'과 '다양'이라는 말이 되살아난다. 둘 다 고정관념에서 감각을 푸는 문맥으로 나온다. 몸을 타인에게 맡기는 것으로 결괴하는 순간, 유형 속에서, 즉 타인과의 비교 속에서 어쩔 수 없는 것을 멈추는 순간, 그러한 차원으로 유도하기 위해 동원되는 것이 이 한마디와 손의 기술이다. 손가락을 항문에 밀어 넣고 말로 찌른다. 육체 속, 환상 속, 상대의 내부에 가득 들어가는 것이다. 사람과 사람 사이에 침범해서는 안되는 그 경계를 건너. 이것은 어쩌면 "보통"의 한 사람이 일단 무서워하는 것일 것이다"[와시다 2000, 16 페이지]. 혹은 “성은 환상에 의해 짜여져 있다. 우리의 안의 환상성과 물질성을 그것에 의해 일거에 저어 버리기 때문이었다. 이를, 혹은 미즈로부터의 생리에의 관계 그 자체를 어긋나게 해 간다. 하지만 두려워하고 있다. 17 페이지. 손가락은 어쨌든, 말에 대해서는 어쩔 수 없어도 요요기에도 충분히 해당되는 지적일 것이다.
(6) 본 절의 일부는 [다나카 1999]에 기재되어 있다.
17 ) 다른 남배우의 예는 요요 기 [1992, 130-134 페이지]와 후지키 [1994]를 참조하십시오.
18 ) 하지만 왜 아버지가 아닌가라는 점에서 이러한 관계도 젠더화되고 있다.
19 )이 공희. 소드 자체가 오르가즘 관의 유래를 시사하고 있다고 할 수 있지만, 보다 사변적인 차원에서는 요요기는 인도의 성자로 섹스를 긍정적으로 파악한 바가완 라디니의 이름을 자주 들고 있다. 그리고 1989년에 만난 승려 사토 순양과의 만남이 결정적이라고도 한다. 사토 준요에는 『시동! 신신들의 강림』이라는 책이 있다. 그 에너지에 굶주린 것으로, 자신이 비디오 작성을 통해 해야 하는 사명과 같은 것을 획득했다는 [『칼럼니스트 2』1991, 94쪽」.
20 ) 닛타는 '언니 음녀대' 시리즈 '샤프, 줬으면 좋겠어?
21 ) 닛타는 처음부터 이러한 능력을 갖춘 여성으로서 요요기 앞에 나타난 것이 아니다. 오히려 요요기와의 교류를 통해 보다 깊게 인간을 이해하는 힘을 얻게 되었다고 생각된다.
22 ) 그러나이 시청자는 남성을 가정합니다. 이 점에 관해서는 성인 비디오가 여성 자위에 적합하지 않다는 후지모토의 지적 [1994, 190-191]에 주목하고 싶다.
23 ) 타나베 역시 "에로스는 차이를 인정하면서 동시에 그 차이를 극복하고자하는 태도, 또한 차이를 넘은 동일성을 인식하면서 동시에 차이에 기초한 관계성을 즐기려는 태도로부터 발생한다"[타나베 2002, 261 페이지] 265쪽]이라는 말로 엘로스를 표현한다. 이 상호교환이라는 개념은 H. Iler의 침투 가능성이라는 관점과 겹칩니다.
또 주15에서 인용한 와시다의 발언을 참조.
24 ) 터너[1976]의 컴니타스론에 익숙한 문화인류학자라면, 요요기가 말하는 「제도의 세계」란 구조의 일이라고 생각할 것이다. 구조에서는 지위, 의무 및 권리가 인간 관계를 지배한다. 게다가 컴니타스의 형태에서는 이러한 사회적인 함정이 일시적이든 판단 정지가 된다. 그리고 일반적으로 허용되지 않는 금기의 침범이나 가치·역할의 역전이 생긴다.
25 ) 이 인용 개소(제4장 3절)는 미야다이의 집필 담당이다.
26 ) "나쁜 주체 mauvais sujets"는 엄밀히 말하면 알추세일 (Louis Althusser, pos 's, Paris : Editions socials, p. 120)의 말이다. 자세한 것은 야마자키〔1989」를 미지쿠하, 0
27 ) 계기는, 1982년의 S카e사와메라는 잡지에 게재되고 있던 바이프의 광고로 읽은, 자립하기 위한 한 걸음(한 책)이라고도 말했던, 페미니스트들의 마음을 간질이는 문면이다
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자료1
・사랑이란 퍼포먼스 특별편
(분)
구경조와 사코의 커플이 각각 배우와 SEX한다. 〉
1 1 구경조와 에코>
목욕에서 애완 동물. 사코, 별실에서 그 모습을 모니터로 보고 있다. 질투심이 담긴 눈.
울다.
소후아에서 애완 동물. → 베드로 이동
17 장인 등장. 그 후, 한 쌍의 커플 섹스 장면이 약 30분 번갈아 계속된다.
(다음날)
52 경경과 에코가 사이 좋게 산책하고 있는 것을 방에서 보고 있던 사코가 울다.
54 <사코와 장인> 목욕탕에서 펫팅.
경조와 케이코가 목욕탕에 온다. 애완 동물을 시작하십시오.
60 쿠사코와 장인> 입으로.
63 경조와 에코, 목욕에서 나온다.
64 사코와 장인, 목욕에서 나온다.
65 장과 에코에게 인터뷰
「(그녀는) 뛰어내리고 싶은 기분이라고 했습니다.」(장인)
「중도반단이 될 정도라면 헤어지는 것이 좋다고 생각한다.」(케이코)
68장인과 사에코에 인터뷰
70 경경, 사코로 토론한다.
"내 섹스를 봤어?" "목소리가 굉장했다"
"모니터에서 (그의 섹스를) 계속 보고 싶었지만 보지 못했다···
「(울며) …
80 쿠 경조와 유코> 베드로 이동 → 페팅, 섹스
사정
"(여자를 안아줘) 고마워"(경조)
95 경경과 에코에 인터뷰
「앞으로는(에코와는) 친구 관계」(경조)
자료2
· 눈 깜짝 FUCK 나를 저지르고!
(분)
1 인터뷰
히카루 (섹스는) 손이라든지 다리라든지 묶여서, 샬리는 형태가 좋네요.
- -
자신이 더 이상 절대 자유를 가지지 않는 상태에서 무리
감독:
히카루:
감독.
히카루 : 그런 일을 했니?
아니다.
언제부터 그런 식으로 생각하게 되었습니까?
3
4
9
16
22
24 일을 말하면 이상한 것처럼 보이는군요.
감독: 실은 너를 억지로 저지르고 싶다. 나를 빼앗길 바란다.
히카루: 모두 입에 넣지 않는 것만으로, 누구라도 있는 게 아닐까.
쿠사쿠라와 남배우 3명>
벚꽃은 눈가리개되어 묶여, 남배우 3명으로부터 시간된다.
히카루는 같은 방에 있는 소후아에 묶여 눈가리개 되어 앉아 있다.
가위로 스타킹을 잘라낸다.
페팅 (손가락 삽입)
(히카루, 벚꽃의 헐떡거림에 반응하고 번창한다.) 벚꽃, 펫팅, 쿤니에서 이크.
입으로. 삽입 얼굴사정. 입으로
쿠히카루 x남배우 4명>
성기를 얼굴에 밀어 넣습니다. 애완 동물 (검사자), 수음.
히카루 더 더 즈보즈보!
벚꽃은 히카루의 치태를 보면서 욕정하고 있다.
좋은 얼굴의 업과 코멘트
감독 (남배우에게) (벚꽃, 히카루가) 돌아오니까, 손 잡아줘. 그렇지 않으면 돌아갑니다.
사라지기 때문에. (남배우나 뺨을 두드리면 히카루가 깨어난다.) 배우: 어디 갔어?
히카루 : (정말로) 모르는 감독 · 어땠어?
히카루 : 기분이 좋았다 ·
감독: 납득하고 싶다. 계속 이것 하고 싶었겠지.
인터뷰
언제부터 말할지, 계속 (강간 욕망) 있었지만, 사생활에서
벚꽃:
감독
벚꽃.
히카루 감독 히카루 보고 있는 것과, 히카루쨩이 얽히고 있는 것을 보고 있으면, 그대로가 되어 버립니다. 자신이 머리 속에서 조금 생각하면, 자신이 그렇게 할 수 있게 되어 버린다.
삽인감 같은 느낌?
있어요.
동일합니다. 벚꽃과 똑같습니다.
그래?
정말로 들어와서, 준준 쿠루시,···같습니다.
28 벚꽃,
히카루, 벚꽃의 치태에 반응.
29 벚꽃, 삽인 (정상위)
히카루가 격렬하게 반응. 「채널링!」의 문자가 있다.
32 로내 발사
34 히카루, 장형 삽입 (뒤에서)
35 히카루, 벚꽃의 딱딱한 얼굴의 업. 코멘트.
감독: (히카루에 대해) 이것으로 만족했을 것이다, ··이것으로 이미 강간 욕망으로부터 졸업할 것이다.
감독. (히카루의 얼굴을 보면서) 아무것도 없는 얼굴 하고 있네, 좋네요.
천국 가고 있어. 앞으로는 사랑이 있는 섹스를 할 수 있게 되지 마라.
(벚꽃, 일어나서 주위를 둘러본다)
감독 벚꽃 (벚꽃에 대해) 주위의 경치가 드문 일인가? 어디 갔니?
몰라요. 굉장히 행복했던 것 같다.
죽었을 때 거기에 갈거야.
40 히카루, 흔들림이 온다. 헐떡임, 울다.
감독 전부 내버렸다.
히카루
지금까지의 섹스는 어땠을까?
자신에게 감사하지 마라. . 자신이 이렇게 행복한 기분으로
히카루 네, 점점 행복합니다.
자료3
・성감 X테크닉 처녀
(분)
1 인터뷰
리사
감독:
리사:
감독.
리사.
그런 것 (섹스)하는 것이 불결하지 않지만, 남자는 매우 좋아하지만, 그것 (섹스) 만의 대상으로되어있는 것 같아 · · 그래서 삽입을 거부했습니까?
그것은 있었다. 손가락이라든지 넣어지면 아프고, 전혀 기분 좋지 않은데 목소리라든지 나오지 않아 생각하면・・・(주위에) 좋은 섹스를 하고 있는 사람은 없어서.
Blowjob 또는 Asoco를 만질 때 기분이 좋거나 행복했습니까?
입으로 상대가 기분 좋을 것 같으면 기쁘고 해주고 싶다고
생각하지만, 자신이 손가락이라든지 넣어져도 전혀 기분 좋지 않고, 많이 되면 이제 그만두고, 라고 간지.
3 쿠 히비노와 미나미 토모코>
/ 지프, 잉
5 입으로
6 기상위
9 툰유 0 리사 울다.
너 울고 있지만 아래는 젖어있어. 아래는 젖어 마음은 행복····좋다. 오늘은 더 이상 섹스하지 않아도됩니다. 하나
리사:
감독
히비얀:
남쪽:
감독 나도하고 싶다 ·
오늘은 언제나 해줄게. 부드럽게 넣지 않아도 사정하지 않아도 더 좋은 섹스가 있다는 것을 기억하자. ····· 무엇보다 에이즈에 걸리지 않아도 좋네요 (웃음). 21세기의 섹스, 궁극의 센크스군요.
지금 이츠했다고 생각했어. 그 후 움직일 수 없었다.
(울고 있다) 울었던 것은 촬영에서는 처음. 평상시는 수수하다고 말하지만, 오늘은 케다모노처럼 균열을 탐했다.
타치바나가 (두 명의 놀이를 보았을 때)
(타치바나 히카루 등장)
감독. 키미, 아래에서 이키가 왔어요 (웃음)
히카루. (웃음) 미나미 씨가 (상상에서) 남자가되거나 여자가되고,
히카루 짱, 히비 얀과 껴안지 않아?
<히카루와 히비노>
히카루는 헐떡이고 괴로워한다.
감독.빨리 이 레벨에까지 도달해 버리면 나이가 들어 몸이나 무너져도 괜찮지요.
<리사와 미나미 토모코> 정잉 바이프.
26 히비얀 등장. 쿠 히비노와 탄사> 페팅 (쿤니)
32 삽입
36 처녀상실
인터뷰
리사: 감사합니다.
리사: 아프지만, 머리 속은 기분 좋았다.
쿠리사 x난 토모코 x 히비노>
리사가 균열을 베팅
44 리사, 균열의 성기를 문지르고 핥는다. 입으로
45 남쪽, 히비얀의 생식기를 시고키, 리사는 핥다
(리사의 성기의 업. 젖어 있다)
감독. 리사 짱은 이쪽(사람으로 해 준다) 쪽을 좋아하고 싶네요.
미나미. (리사의 얼굴을 들어 올려) 눈이 이렇게 탕하고 있다.
・리사 감독 리사 하고 있는 동안 자신도 느껴 버린다.
잠재적으로 해주고 싶은 여성은 많네요.
남자의 사람이 소리를 내거나 부끄러운 모습을 해준다고 느낀다.
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자료4
・요요기 타다작(1981-1992)
출처 야마다 요이치편 「요요기 타다의 세계를 위한 학교」(나츠메 서방, 1995년, 353-61쪽)
*쇼와 56년
애염 쿄코의 프로덕션 시리즈
Part 1음란의 끄덕임(30분)
Part 2음란관의 실신꿈(30분)
Part 3 현기증(30분)
*쇼와 57년
愛染恭子의 프로덕션 촬영 시리스
Part4 화려한 사랑의 편력(60분) Part5 화려한 추려(90분)
안서 엘리의 금단 산호초 (60 분) 안서 엘리의 남해 낙원 (금단의 정원) (30 분)
Part I 주부 사이토 쿄코(30분)
Part 2 여배우 타구치 유카리(30분)
Part 3 여고생 니시카와 코유리(30분)
Part 4 여대생 나카타 카요코(30분)
Part 5 미용 학생 미즈키 마리 (30 분)
Part 6 여대생 임구미(30분)
Part 7 OLvs 여대생 스기야마 유 vs 백조 카오루(30분)
문서 신사 자위 시리즈
Part 8
Part 9
Part 10
Part 11
Part 12
Part 13 Part 14 간호사 고바야시 레이코의 경우 25 세 (30 분) 모델 타카다 유코의 경우 19 세 (30 분)
스튜어디스 이사벨의 경우 24세(30분)
81 미스 누드 세계 3위 야마미야 토모에의 경우 19세(30분) 에스코트 레이디 노구치 카오루의 경우 20세(30분)
터키어 폭포 유코의 경우 18세(60분)
*쇼와 58년
문서 신자 수음 시리스
Part 15 - 하프 하시모토 스미레의 경우 23 세 (60 분)
Part 16 주부는 모두 보고 싶은 모에 카미토모키(30분)
하나
로리타
Part 1 벌거벗은 춤(30분)
Part 2와 · 키 · 메 · 키 (30 분)
Part 3 꿈 소녀 (30 분) 사 문서 오르가즘
Part 1 SM작품(60분) Part 2 SM작품(60분) 성감극비기술
Part 1
Part 2
Part 3
Part 4
Part 5 구쇼 구시요인···. 애염 쿄코(60분) 이런 처음··니시카와 세리나(60분) 사토 제자(60분)
왜 허리가 움직이는지・・쿠리타 아키코(60분)
스트립계의 아이돌미카Ⅱ마드카(60분) 더·문서 출산(60분) 문신(60분)
*쇼와 59년
더 문서 성희 실험실
Part I
Part Ⅱ
Part Ⅲ
PartlV
Part V 호. 쿠, 무서워···츠. (30분) 노우, 노크로부터 부탁 쓰・・・. (30분)
처음 천천히, 中バノヾ요··. (30분) 그래도 기분 좋다··. (30분) 진주가 맞는 물건(30분)
愛染恭子 더 서바이벌 (90 분) 여자가 정말로 끝날 때 (60 분) 대학 대교 프로덕션 대회 (냥냥) (60 분)
Part 1여자가 기뻐하는 변태 테크닉편( 60분)
Part 2 여자가 미친 우울증의 기술 편 (60 분) Part 3 여자가 떠나지 않는 완전 사육편 ( 60 분)
Part 1 여고생 공략법(45분)
Part 2 OL 공략법(45분) Part 3 유부녀 공략법(45분) 미소녀 N (30분) 큐트 레즈비언(30분) 호기심(90분)
마스페트 걸 NO. 1 (30분)
하나
신·성감극비 테크닉
Part 1 Part 2
Part 3
Part 4
Part 5 언제나 나오는 미즈노 마미(60분) 진짜를 원하는 모치즈키 아유미(60분)
선생님의 조금 이가라시 료코(60분)
이미 베쵸 베쵸 코바야카와 히토미 / 타무라 유코 (60 분) 더하고 말차 후지코 (60 분)
*쇼와 60년
자위 3 더 바이프(90분) 성감극비 테크닉 스페셜( 90분) 머스펫트 걸 NO. 3
Part I
Part 2 Part 3
Part 4
Part 5
Part 6
Part 7 경이의 마인드·오르가즘/애염 쿄코(60분) 4차원 SEX의 모두/아이하라 마리(60분)
신비 여자의 본능/모치즈키 아유미(60분) 토리노브 SEX의 마술/스기모토 하순(60분)
트립 자위 / 코바야카와 히토미 (60 분)
Neaka Onani (30 분) Nekura Onani (30 분) 호기심 2 (90 분)
아리사노 비쿠비쿠 발라다이스(60분) 애염 온·스테이지(60분) 이화의 배설 일기(60분)
・스페셜 동경 트리오(45분) 카구야 공주
시미즈 히토미의 시작 (60 분) 시미즈 히토미 · 우즈키 (30 분) 섹시 4
Part 1
Part 2
Part 3
Part 4 그 냥냥을 다시(60분) 안쪽까지 무김키(60분)
나쁜
카시와기 사나에(30
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시미즈 히토미(30분) 진도 메구미(30분) 나츠키 에코(30분) 오사키 시노부(30분)
*쇼와 61년 THE공 로스
v 당. 1 트레·이치 씨 vs 애염·레즈 광광( 30분) vol. 2 씨 vs 애염·동정 파괴( 60분)
vol. 3 씨 vs 와이세트 군단·호화 음란(60분) 이란 주부 히카리(60분) 여대생 유코(60분) 학생 에미(60분) 모델 마키(60분) OL에리코(60분) 아이카와 후유키(60분) 2P 레즈비언 (60 분) 머스펫 걸
NO. 4 마츠바라 에미( 30분)
NO. 5 타니구치 마키(30분)
NO. 6 아오바 히카리(30분)
NO. 7 노구치 유코(30분)
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섹시 4
V01. 5 vol. 6 vol. 7 vol. 8 뭐니뭐니 해도 뻐꾸기(60분) 만져 망고(60분)
예녀(90분)
. 성감 마사지·오의 호화판(90분) 더·악희 스페셜판(90분) 더·에로스 총집편
트레이시 로즈 애염 쿄코 경연 (90 분)
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성감극비 테크닉 버펙트( 90분) 세뇨리타 V01.
*쇼와 62년
호시노 마유 vs 야마구치 (티슈 GAL) 미키 (30 분) 백리만 3 (30 분) 미라만 딸 (30 분) 세뇨리타
vol. 2 하마구리 맘보(70분) vol. 3 우려 앙코(70분) V01. 4 히로게 미역(60분) vol.
GINZA 바삭바삭한 딸(60분)
TELO 도촬 (60 분) 연인 (90 분) 연애 게임 (60 분) 성인 여배우 (60 분) 촬영 현장 뒷면 (60 분)
「나는 인란입니다」(60분)
모리타 수화 스페셜 섹시 4 AGAIN (30 분) 섹시 메이츠
vol. 1 OMATA 카니발( 72분) V01. 2만그리 SAMBA ( 70분)
*쇼와 63년
인란/오 포먼스 색 즉시공(60분) 음란 여래(90분) 음과 소녀(60분) 사오사(60분)
아내와 남편과 사오사들 (60
사랑이란(108분) 처녀상실(60분) 음란천사(90분) 명기·음란·도발딸(90분) 섹시 메이츠
V01. 3 배 주 PARTY (62분)
v 당김. 4 KOKAN 광택제(70분)
vol. 5 아이돌 위기 일발(75분)
V01. 6 사 Say 허리케인(82분)
이란하. 포먼스 파션(80분) vol. 7미소녀 클라이맥스(82분) V01.
*헤이세이 원년 이란 퍼포먼스 호화판 더·칼리 대전전(100분) 사야카 타코 FUCK (60분) 질투로 젖는 여자들(45분) 육욕·애욕(90분)
◇사이코 스페셜 무차별 쾌락(90분) 자매(90분) 처녀와 음녀와 엘로사사(90분) 나 진지한 여대생(90분) 처녀와 발정 아내(90분) 혀희란 로스페셜(90분) 성호/나카하라 에미린 유미카(90분) 60분) 숙녀와 여대생(50분)
귀찮게하십시오 (60
하나
하타나카 하코와 간호사 (60 분) 아! 물총이다!
*헤이세이 2년 이란/오 포먼스 특별판 밀교 승천의 극의(80분) That's 유회 테인먼트(75분) 큰 수 탉(USA) vs성호(JAPAN) 목구멍까지 (80 분) 어! 실신이다! ! 하야시 유미카 경악! 연속 실신(60분) 예녀 음란관(75분) 엉덩이로 실신(60분) 채널링 특보(30분)
The · 면접 야한 것 되어 버렸다( 60분)
*헤세이 3년 채널링 퍼포먼스 대음개(90분) 태내 우주(65분) 비희대 공개(70
아마추어 발정 지대이 여자, 문한 있음 (50 분) 스카우트맨 죽이는 여자 (60
「남편에게는 내증으로 해 주세요」( 60분) 나, 흐트러져도 괜찮습니까(60분)
부끄럽지만 좀 더 해 (60 분) 멈추지 말고, 그만두지 마세요 (60 분) 변태!
10배 느끼는 역전 FUCK (60분) 너무 굉장합니다! (60분) 퍼포먼스 현역 여학생(60분)
요요 기 타다노의 란란 테인먼트 처녀인가! 혼란! (60분)
차네만 페스티벌(60분)
눈 깜짝 FUCK 나를 여자로 해 (40 분)
*헤세이 4년
이란하. 포먼스 격녀/시이나 미즈키(60분) 아마추어 발정지대
부인, 너무 청순합니다(60분) 게이샤(이봐)씨, 거기까지 하는 거야(80분) 부인, 탄나가 바람을 피웠다고( 75분) 부인, 단나는 젖지 않아(60분)
하나 -
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성감 X 테크닉 프로의 비기 가르칩니다(60분) 특별판림 유미카 vs 요요기 타다(60 처녀(60분) 유부녀(60분) 신인씨, 계시다
젖은 주제에, 지타바타 응!(50분)
즐길 수 있을까요?(60분) 느끼는 비디오 도그(40분)
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