2023/05/05

太原(たいげん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

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太原(読み)たいげん


日本大百科全書(ニッポニカ) 「太原」の意味・わかりやすい解説

太原
たいげん / タイユワン


中国、山西(さんせい)省中央部にある地級市で、同省の省都汾河(ふんが)の中流、太原盆地の北部に位置する。6市轄区と陽曲(ようきょく)、清徐(せいじょ)、婁煩(ろうはん)の3県を管轄し、1県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口369万7000(2014)。秦(しん)代に太原郡が置かれ、漢代には并州(へいしゅう)も加えられ、以後この両地名でよばれた。太原郡府の治所はかつての陽曲県に置かれ、陽曲県を一般に太原と称していたが、太原の名をもつ県は別に陽曲県の南西(現在、晋祠(しんし)のある付近)にあった。また、いまの陽曲県は新しく設けられた県である。

 太原盆地は汾河の中流にあって四周を山地に囲まれて孤立してはいるが、南は汾河を経て黄河(こうが)流域でもっとも古く文明の発達した関中(かんちゅう)、中原(ちゅうげん)の地へ通じ、北は長城線に近接し、東は太行(たいこう)山脈を越えて華北平原に進出できるという位置にある。このため華北平原から黄河中流域にかけてもっとも政治地理的に重要な地域の一つであった。西周初め、成王の弟叔虞(しゅくぐ)がここに封ぜられ晋(しん)国を建て、東の斉(せい)(現在の山東省)とともに周室を補佐した。その後、北方に戦乱があるときには、しばしば中央に対する反対勢力の拠点ともなった。近代においても軍閥閻錫山(えんしゃくざん)の「山西モンロー主義」は有名である。

 農業は、寒冷な気候ながら太原盆地の平坦(へいたん)な地形と肥沃な土壌を有し、汾河の分流を利用した灌漑(かんがい)も行われ、古代から重要な生産地とされてきた。山地を利用した牧畜業も発達している。また古くから商業が発達し、盆地南部の汾陽(ふんよう)とともに山西商人を輩出した地域であった。工業は中華人民共和国成立前には小規模な軽工業しか存在しなかったが、現在は省内の豊富な資源を利用する重工業がこれに加わり、工業都市として発達している。石太線(石家荘(せきかそう)―太原)、太焦線(太原―焦作(しょうさく))、太中銀線(太原―中衛(ちゅうえい)―銀川(ぎんせん))、同蒲(どうほ)線(大同(だいどう)―華山(かざん))など、鉄道が東西南北へ通じているほか、市南東部の太原武宿国際空港からは国内外の各都市への航空路も開かれており、交通上でも省の中心となっている。

 市の周囲には名勝・旧跡が多い。天竜山石窟(てんりゅうざんせっくつ)は北朝期から開削されたもので、大同市雲崗(うんこう)のそれに匹敵する価値をもつ。そのほか開化寺、大仏寺など北朝仏教の足跡を残す寺院も多い。晋祠は周代の叔虞を祠(まつ)ったもので、聖母殿をはじめ各代の多くの建造物が残り、地域第一の名所となっている。

[秋山元秀・編集部 2017年10月19日]
[参照項目] | 閻錫山 | 山西(省) | 山西商人 | | 天竜山石窟 | 汾河

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百科事典マイペディア 「太原」の意味・わかりやすい解説

太原【たいげん】
中国,山西省の省都。汾水東岸にあり,同蒲(大同〜孟【げん】),石太(石家荘〜太原),太焦(太原〜焦作)などの鉄路の交差点で,中国の主要重工業都市の一つ。石炭を豊富に産し,製鋼,製紙,セメント,紡績業などが行われ,商業も盛ん。民国時代閻錫山が山西モンロー主義を標榜(ひょうぼう)してこの地に割拠,産業を興し,軍備を整えた。春秋時代から晋陽と呼ばれ史跡が多い。郊外に山西大学がある。284万人(2014)。
→関連項目山西[省]

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旺文社世界史事典 三訂版 「太原」の解説

太原
たいげん
Tàiyuán
中国山西省中部にある同省の省都
戦国時代の趙 (ちよう) の国都で,秦以後太原郡,後漢 (ごかん) 以後幷州 (へいしゆう) の治所。唐では王業創始の地として重んじたが,宋はここに都した北漢を滅ぼすと徹底的に破壊し,新たに今の太原を建設。現在は製鉄機械工業が盛ん。

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デジタル大辞泉 「太原」の意味・読み・例文・類語

たいげん【太原】
中国、山西省の省都。黄河支流、汾河ふんがの東岸にあり、製鉄・機械工業が盛ん。代に建造された正方形城壁が残る。人口、行政区256万(2000)。タイユワン

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精選版 日本国語大辞典 「太原」の意味・読み・例文・類語

たいげん【太原】

中国、山西省の省都。省中央部、黄河の支流汾河(ふんが)の左岸に位置する。春秋時代から晉陽として知られた。陽泉の石炭・鉄を用いて、製鉄・機械工業がさかん。

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世界大百科事典 第2版 「太原」の意味・わかりやすい解説


たいげん【太原 Tài yuán】
中国,華北地区,山西省の省都。省の中央部にあり,汾河に沿う。太原盆地の北端にあたり,同蒲(大同~孟塬),石太(石家荘~太原),太新(太原~新郷)などの鉄道の交点にあたる,山西省の政治,経済,文化,交通の中心。陽曲,清徐,婁煩の3県を管轄する。旧石器時代中期以来仰韶(ぎようしよう)・竜山期の遺跡もあり,陶唐氏(帝尭)の拠点だったという伝説もある。戦国時代になると秦は荘襄王4年(前246)太原郡を置き,晋陽(今の太原市南西晋源鎮)を郡治とした。

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しかし禅の説く「無」は絶対無分節者としての「無」ではあるが、静的な無ではない。それは不断に自己分節していく力動的、創造的な「無」である。分節に向かってダイナミックに動いていかない無分節はただの無であり、ひとつの死物にすぎない。それは禅の問題にする「無」ではない。禅の考えている「無」は宇宙に漲る生命の原点であり、世界現出の太源である。

그러나 선의 설하는 「무」는 절대 무분절자로서의 「무」이지만, 정적인 무는 아니다. 그것은 부단하게 각자 분절해 가는 역동적이고 창조적인 "무"이다. 분절을 향해 다이나믹하게 움직이지 않는 무분절은 단지 무이며, 하나의 사물에 지나지 않는다. 그것은 선의 문제로 만드는 "무"가 아니다. 선이 생각하고 있는 「무」는 우주에 쏟아지는 생명의 원점이며, 세계 현출의 태원이다.
However, the 'nothingness' that Zen preaches is 'nothingness' as an absolutely unsegmented person, but it is not a static nothingness. It is a dynamic, creative "nothingness" that constantly articulates itself. An articulation that does not move dynamically towards articulation is just nothing, a dead thing. It is not the 'nothingness' that is the problem of Zen. The "nothingness" that Zen conceives is the origin of life that fills the universe, and the source of the world's emergence.
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 イスラームと言えば、人はすぐ唯一絶対の人格神、アッラーの名を憶う。それが常識だ。イスラームを信奉していない異教徒の場合だけでなく、普通一般のイスラーム教徒でもそのとおり。全存在世界を創造し、支配し、自ら存在そのものである神は、アッラーを措いてほかにはない。イスラームでは、正統的神学(=教義学)の思想も哲学的思惟も、いやしくも存在とか実在とかを云々するかぎり、存在性・実在性の窮極の境位を必ず神アッラーとする。ごく当然のことであって、敢えて疑問を呈出するには当らない、と誰でも考える。

 しかし、同じイスラームの正統派的哲学でも、イブヌ・ル・アラビーの「存在一性論」(waḥda al-wujūd)などになると、問題は急に複雑になってくる。宗教と信仰のコトバが神と呼ぶものを、彼は哲学のコトバの次元で「存在ウジユード」(wujūd)と呼び、しかもこの「存在」の窮極位を、プロティノスの「一者」のように存在の彼方におく。 プロティノス的「実在性と思考の彼方」は、そのままイブヌ・ル・アラビーの「存在」に当てはまる、それが存在の彼方でありながら、しかも全存在世界の太源である点でも。

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