2023/05/07

日本 の 心 理 療 法 一内観法の誕生 と国際化 一 榛 木 美恵子

일본의 심리 치료법
일내관법의 탄생과 국제화 일

하루키미에코

긴키 대학 임상심리 센터

요약

내관법의 창시자 요시모토 이신이 내관 체험의 훌륭함을 전 세계인들에게 소개하고자 사재를 던져치고 내관 보급에 힘써 반세기 이상이 되었다.올해는 나라현에서 개최된 일본내관학회에 중국인가 이들 27명이 참가해 5개 논문이 발표됐다. 또, 9월에는 중국 산둥성에서 제2회 중국내 관광법학회가 열려 개최된다. 이처럼 1993년 중국에 내관이 도입된 이래 이후 발전과 연구의 진보는 두드러진다.

불교는 538년 중국·한국을 거쳐 일본에 도래했다. 이 무렵 우리나라는 중국·층과의 교역이나
조선반도와의 교류가 시작되었다. 이러한 일본의 국제사회화 속에서 쇼토쿠 태자(574년 1622년)는 『삼보흥륭의 조'(佛法僧)를 발령하여 불교를 보호하고 신도와의 융합을 도모하였다. 드디어 도래했다

불교는 일본의 풍토·문화 속에서 독자적으로 발달하여 많은 사람들의 정신적 지주가 되어 갔다.요시모토이노부의 내관법은 가마쿠라 시대 일본 토양 속에서 탄생한 불교, 정토진종을 초석으로 1939년 스승 고마야 체신이와 함께 개발하였다.
이후 내관법은 사업·교육·교정교육·의학·가족관계 각 방면에 보급되어 현현재는 정신치료로도 해외에서도 높은 평가를 받게 되어 인간성 회복, 사회생활 복귀, 마음의 양생으로서 널리 응용되고 있다.

본론에서는이내관법의탄생과국제화에대해보고한다.

Keywords : 고민으로부터의 개방, 자기검색, 경청, 자기발견, 내관

1) 처음으로

1981년 7월 외국에서 온 내관시찰단이 내관연수소를 찾았다. 이후 내관은 일본에서만




없이 해외에도 보급되어, 특히 최근 중국에서 급속히 발전해 왔다. 그 역사를 되돌아보면 해외




는 1964년 영국에서 미국의 Northwestern대학교 사회부 준교수 Johnr Kitsuse.에




에 의해 소개된 또 프랑스에서는 1972년 타키노 코우(리쓰메이칸 대학)가 유럽에서




처음으로 내관지도를 했다. 그리고 1976년 David.K..Ph.D(남캘폴니아대학교)




의과대학 교수)이 집중내관을 체험, 1981년에 미국에서 처음으로 집중내관회를 주최하였다. 소




그래서 Reynolds 박사는 1983년 "Naikan Psychotherapy"를 출간하면서 많은 내관을 소개하고










26 긴키 대학 임상심리센터기요 제2권 2009년




타. 또한 1980년 이시이 미츠시(아오야마학원대)와 Franz.Ritter(오스트리아)가 오스트리아




아에서 내관연수회를 개최. 그리고 1986년 Franz.에 의해 호주에 일본 이외의 첫 내




관연수소가 개설되었다. 독일에서는 1987년 Gerald Steinke.에 의해 내관연수소가 개설되었다.




되었다. 또한 "독일내관 20년" DVD가 발행되어 독일에서의 내관 의학, 복지, 학




교교육, 교정교육으로의 도입 양상이 널리 소개되었다.




1987년 독일 이탈리아 오스트리아에서 4명의 내관자가 일본을 방문하여 요시모토 이신의 집중내




면접을 보았다. 또 중국에서는 1993년 첫 집중내관자가 탄생, 이후 상하이정신위




생센터를 중심으로 내관워크숍이 개최되었고, 2004년 5명의 의사가 집중 내관체험




에 일본에 왔다. 그 후 오사카 내 관연수소에서는 계속해서 중국 의사단의 집중 내 관연수를 실시했다.




또한 2007년 중국에서의 제1회 집중내관연수회가 11명의 의사와 심리전문가 참여하여 상




해상신 위생센터에서 개최되었다.




내관의 국제적인 연구는 1991년 제1회 내관국제회의가 이시이 미쓰루 교수(아오야마학원대학)에게




따라서 도쿄에서 개최되고, 제2회는 오스트리아에서 개최되며, 이후 3년마다 유럽과 일




책에서 개최되고 있다.




또한 2003년 가와하라 류조(도리토리대학 의학부) 교수에 의해 국제내 관광법 학회가 일본에서




개최되었고, 제2회는 2005년 11월 중국 상하이 정신건강 중심에서 개최되었다. 이후 2년




이미 개최되고 있다. 한편, 국내에서의 내관 연구는 1978년에 일본내관학회가 발족,




1998년에 내과 학회가 발족하여 매년 개최되어 각 분야에서의 연구가 발표되고 있다. 이




이와 같이 내관의 보급과 연구는 국내외에서 국제적으로 진행되고 있다. 앞서 정신과 의사




이시시다(1965)는 '내관분석치료법의 제창'과 연구사례를 발표하였다. 탁목문학의 정신분석학




과적 연구에 있었던 석전은 탁목이 약 10일간의 유아기억의 집중사고에 의해 카타르시스에 의해




라고 생각되는 상쾌감을 느낀다는 것을 알고, 기억의 집중 사고에 의해 상당한 단기간에 정




신정화를 달성하는 것이 아닌가 생각하여 '내관'의 단기집중정신정화법을 정신분석의 기법과




병용하여 심인성 질환으로 생각되는 환자에게 도입하고 이후 많은 치료 효과를 얻고 있다(이시다,




1966)。




2) 내관법의 성립




이와 같이 심리치료로도 널리 활용되어 온 「내관법」은 나라현에 사는 요시모토 이노부




(1916년~1988년) 구도 체험에서 탄생하였다.




그 역사를 살펴보면 인도에서 중국으로 건너간 불교(대승불교)가 중국 각지에서 발달하여




간몬




있었다. 그 중에서도 지금으로부터 약 1500년 전 중국 남북시대 산시성 북부의 영봉 오대산 인근 안문에서




태어난 중담취대사는 유교 등의 학문과 당시 중국에서 성행했던 노자·장자 등의 길




도다이실키요




가사상을 수양하고 특히 인도에서 전해진 경전 중 『대집경』에 중국 학문의 전통을 깊게




미야코라쿠요우부콘보네요우부콘보네요우호오부콘보네요우호오부콘보네요




이해하고 주석을 달았다. 또한 도 낙양에서 불전번역 지도자였던 외국승 보리류지(仁田流支)










하루키 미에코 : 일본의 심리요법 27




바가지도 씌우고




도)와 만나 끝없는 생명을 설파하는 『관경』을 배우고 보리류지에 의해 번역되어 중국에 소개




종도종도종유




된 염불왕생의 가르침 「정토론」에 주석을 달아 『정토논주』를 저술하고 타력정토의 가르침을




세키헤이코겐츄우지




분명히 했다. 그리고 이 '정토의 가르침'을 담앵대사는 석벽골 겐츄지에 살고 있지 않다.




사람들 속에 들어가서 보급했다. 지금도 현중사 비석에는 황제의 칙명에 따라 정토의 교




에' 원래 불을 산서의 드넓은 시골에 지내기도 했다, 이름 없는 소년 흐림칙한 생애와 정토왕생의 말이다.




마가 기록되어 있다(오오우치, 2003). 역시 층의 멸망과 그에 따른 대란의 시대 10세로 출가




한 중국 승려 선도대사(613년 1681년)는 이 '정토의 가르침'을 당나라 도장안에서 일권




의 『니카와 백도의 예』도를 걸어 포교하였다. 이 가르침은 선도대사에 의해 칭명(염불)




이를 통해 민중의 마음에 직접 호소·울리고 받아들여졌다. 또 선도대사는




황제로부터 당나라 대사업 낙양 용문석굴의 대불조영을 맡아 완성하였다. 그리고 이




낙양 용문석굴의 대불은 참배객들에게 프랑스 땅의 감동을 주었다. 그리하여 아미타 정토의 교




그림은 도 장안에서 자라 중국 전역으로 퍼져나가 마침내 일본에 전해지게 되었다.




중국 낙양용문(2007년 촬영) 중국 낙양용문석굴과 남무아미타불




(2007년 촬영)




3. 불교와 일본 문화 속에서 탄생한 내관법




중국·한국을 거쳐 일본에 도래한 불교는 층과의 교역이나(견계사 점강성 닝보·견당사),




조선반도와의 교류가 이루어지는 국제사회를 살기 위해 594년 성덕태자(574~622년)




에 의해 『삼보흥륭의 조』(불·법·승)가 발령되어 일본 신도와 함께 보호되고 보급




하게 되었다(증근, 2007).




후에 헤이안 시대, 히에이산의 승원신(942~1017년)은 이 정토의 가르침을 「왕생요집」






(1175년경)에 편찬하였다.



















BuIletinof⊂enterfor⊂lini⊂alPsychoIogyKinkiUniversityVo1.2:25〜33(2009)

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日本 の 心 理 療 法

一内観法の誕生 と国際化 一

榛 木 美恵子

近畿大学臨床心理セ ンター

要 約

内観法の創始者 ・吉 本伊 信が、 内観体験 のすば らしさを世界中の人 々に紹 介 したい と、私財 を投 げ

打 って内観普及 に励 んで、半世紀以上 となる。本年 は、奈 良県で開催 された 日本内観学会 に、中国か

ら27名 が参加 し、5論 文が発表 され た。 また、9月 には、 中国山東省 で第二 回中国内観療 法学会が開

催 され る。 この ように、1993年 に中国 に内観が導入 されて以来、その後の発展 と研 究の進歩 は、著 しい。

さて、仏教 は538年 、 中国 ・韓 国 を経 て、 日本に渡来 した。 この頃、わが 国は中国 ・階 との交易 や

朝鮮半 島との交流が始 まった。 このような 日本 の国際社 会化 の中で、聖徳太子(574年 一622年)は 『三

宝興隆の詔』(仏 ・法 ・僧)を 発令 して、仏教 を保護 し、神道 との融合 をはか った。 やが て、渡 来 した

仏教 は 日本 の風土 ・文化 の中で独 自に発達 し、多 くの人 々の精神 的 な支 えとなっていった。吉本伊信

の内観法 は、鎌倉時代、 日本 の土壌 中のか ら誕生 した仏教 、浄土真 宗を礎 に1939年 、 師匠の駒谷諦信

とと もに開発 した。そ の後 内観 法 は、事業 ・教 育 ・矯正教育 ・医学 ・家族関係の各方 面に普及 し、現

在 で は、精神療 法 と して も海外 で も高 く評価 を うけ るようにな り、 人間性の 回復、社 会生活復帰、心

の養生 として広 く応用 されてい る。本論で は、 この内観法の誕生 と国際化 につ いて報告す る。

Keywords:悩 み か らの 開 放 、 自 己 検 索 、 傾 聴 、 自 己 発 見 、 内 観

1.は じめ に

1981年7月 、 外 国 か らの 内 観 視 察 団 が 、 内観 研 修 所 を訪 れ た。 以 来 内 観 は 、 日本 だ け で

な く海 外 へ も普 及 し、 殊 に 近年 、 中 国 で急 速 に 発展 して きた 。 そ の 歴 史 を振 り返 る と、 海 外

に は1964年 、 イギ リス で 、 米 国 のNorthwestern大 学 社 会 学 部 準 教 授JohnrKitsuse.に

よ っ て紹 介 され た 、 ま た フ ラ ンス で は 、1972年 滝 野 功(立 命 館 大 学)が ヨー ロ ッパ で 、

は じめ て の 内 観 指 導 を行 っ た。 そ して、1976年 、David.K..Ph.D(南 カ ル フ ォル ニ ア大 学

医 学 部 教 授)が 集 中 内 観 を体 験 、1981年 に、 米 国 で 初 め て の 、 集 中 内 観 会 を 主 催 した。 そ

して、Reynolds博 士 は、1983年"NaikanPsychotherapy"を 出版 して ひ ろ く内観 を紹 介 し



26 近 畿 大 学 臨 床 心 理 セ ン タ ー紀 要 第2巻2009年

た。 また1980年 、 石 井 光 氏(青 山学 院 大)とFranz.Ritter(オ ー ス トリア)が オ ー ス トリ

アで 内観 研 修 会 を 開催 。 そ して 、1986年Franz.に よっ て オ ー ス トリア に 日本 以 外 で初 の 内

観 研 修 所 が 開 設 さ れ た。 ドイ ツで は1987年 、Gerald.Steinke.に よっ て 内 観研 修 所 が 開設 さ

れ た。 また 、"ド イ ツ内 観20年"のDVDが 発 行 され て 、 ドイ ツで の 内 観 の 医学 、 福 祉 、 学

校 教 育 、 矯 正 教 育 へ の導 入 の様 子 が 広 く紹 介 され た。

1987年 、 ドイ ツ ・イ タ リア ・オ ー ス トリ ア か ら4名 の 内観 者 が 来 日、 吉 本 伊 信 の 集 中 内

観 面 接 を う け た。 また 中 国 で は1993年 は じめ て の 集 中 内 観 者 が 誕 生 、 そ の 後 、 上 海 精 神 衛

生 セ ン ター を 中 心 に 内観 ワー ク シ ョ ップ が 開 催 さ れ、2004年 、5名 の 医 師 が 集 中 内 観 体 験

に来 日 した。 そ の後 、大 阪 内 観研 修 所 で は継 続 して 、中 国 医 師 団 の集 中 内観 研 修 を 実 施 した 。

ま た2007年 中 国 で の 第一 回集 中 内観 研 修 会 が11名 の 医 師 や心 理 の専 門 家 が 参加 して 、 上

海 精 神 衛 生 セ ン ター で 開催 さ れ た。

内 観 の 国 際 的 な研 究 は 、1991年 、 第 一 回 内 観 国 際 会 議 が 石 井 光 教 授(青 山学 院 大 学)に

よ っ て、 東 京 で 開催 さ れ、 第二 回 は オ ー ス トリア で 開催 され て、 以 降3年 ご とに 、 欧 州 と 日

本 で 開催 され て い る。

ま た 、2003年 、 川 原 隆 造(鳥 取 大 学 医学 部)教 授 に よ っ て 、 国 際 内観 療 法 学 会 が 日本 で

開催 さ れ、 第 二 回 は、2005年11月 、 中 国 上 海 精 神 衛 生 中心 に お い て 開 催 され た。 以 後2年

ご とに 開催 さ れ て い る 。 一 方 、 国 内 に お け る 内観 研 究 は、1978年 に 日本 内 観 学 会 が 発 足 、

1998年 に内 観 医 学 会 が 発 足 して、 毎 年 開 催 され 各 分 野 で の研 究 が 、 発 表 さ れ て い る。 こ の

よ う に内 観 の 普 及 と研 究 は、 国 内外 にお い て 国際 的 に進 ん で い る。 こ れ に先 立 ち、 精 神 科 医

師 石 田(1965)は 、 「内 観 分 析 療 法 の提 唱 」 と研 究 症 例 を発 表 した。 啄 木 文 学 の 精神 分 析 学

的 研 究 に あ っ た 石 田 は、 啄 木 が 約10日 間 の幼 児 記 憶 の 集 中思 考 に よ っ て、 カ タル シス に よ

る と思 わ れ る爽 快 感 を 覚 え た こ と を知 り、 記 憶 の 集 中思 考 に よっ て 、 か な りの 短 期 間 に精

神 浄 化 を達 成 す るの で は な い か と考 え、 「内観 」 の 短 期 集 中精 神 浄化 法 を精 神 分 析 の技 法 と

併 用 し、 心 因性 疾 患 と思 わ れ る患 者 に導 入 し、 そ の 後 、 多 くの 治療 効 果 を得 て い る(石 田,

1966)。

2.内 観 法 の成 り立 ち

この よ うに心 理療 法 と して も広 く活 用 され て き た 「内 観 法 」 は、 奈 良 県 に住 む、 吉 本 伊 信

(1916年 〜1988年)の 求 道 の体 験 か ら誕 生 した。

そ の歴 史 をた ど る と、 イ ン ドか ら中 国 へ 渡 った 仏 教(大 乗 佛 教)が 、 中 国 各 地 で 発 達 して

がんもん

い た 。 中 で も今 か ら約1500年 前 、 中 国南 北 朝 時 代 、 山 西 省 北 部 の霊 峰 五 台 山近 くの 雁 門 で

生 ま れ た僧 ・曇 鷲大 師 は 、儒 教 な どの学 問 や 、 当 時 の 中 国 で 盛 ん だ っ た 老 子 ・荘 子 な どの 道

ドだ い じつ き ょ うヨ

家思想 を修 め、特 に イン ドか ら伝 わった経典 の中か ら 『大集経』 に中国の学問の伝 統 を深 く

み や こ ら く よ う ぶ っ て ん ほ んや く ぼ だ い る し

理解 して注釈 をつけた。 また、都 ・洛陽で仏典 翻訳 の指導者であ った外 国僧菩提 流支(イ ン



榛木美恵子:日 本の心理療法 27

ぼ だ い る し

ド)と 出逢 い 、 限 りな い命 を説 く 『観 経』 を学 び 、 菩提 流 支 に よっ て翻 訳 され、 中 国 に紹 介

じ ょう ど う ん ドじ ょう どう ん ち ゅ うユ

された念仏往生 の教 え 「浄土論」 に注釈 を付 けて 『浄土論註』 を著 し、他力浄土 の教 えをあ

せ きへ っ こ く げん ち ゅ う じ

き らか に した。 そ して こ の 「浄 土 の 教 え」 を曇 鶯 大 師 は、石 壁 谷 の玄 中寺 に住 み 、 い な か の

人 々 の 中 に入 っ て、 普 及 した 。 今 も、 玄 中寺 の石 碑 に は、 皇 帝 の 勅 命 に よっ て 、 「浄 土 の教

え」 の と も し火 を 山西 の ひ な びた 田舎 に と も した 、 名 も無 き少 年 曇 驚 の生 涯 と浄 土 往 生 の さ

まが記 され て い る(大 内,2003)。 や が て 、 階 の 滅 亡 とそ れ に伴 う大 乱 の 時代10歳 で 出家

した 中 国 の 僧 、 善 導 大 師(613年 一681年)は 、 この 「浄 土 の教 え 」 を唐 の都 長 安 で 一 巻

の 『二 河 白道 の 例 え』 図 を掛 け て布 教 した。 こ の教 え は、 善 導 大 師 に よ っ て、 称 名(念 仏)

と掛 け図 に よっ て民 衆 の 心 に 直接 訴 え ・響 き、 受 け入 れ られ普 及 され た。 ま た、 善 導大 師 は、

皇 帝 よ り唐 朝 あ げて の大 事 業 洛 陽 の 龍 門石 窟 の 大仏 造 営 を任 さ れ完 成 した。 そ して、 こ の

洛 陽 の龍 門石 窟 の大 仏 は参 拝 す る人 々 に仏 国 土 の 感動 を与 え た。 こ う して、 阿 弥 陀 浄 土 の教

え は、 都 長 安 で 育 ち、 中国全 土 に広 が り、 や が て 日本 に伝 え られ る こ とに な った 。

中国 洛陽 龍門(2007年 撮影) 中国 洛 陽 龍門石窟 と南無阿弥陀仏

(2007年 撮 影)

3.仏 教 と 日本 文 化 の 中か ら誕 生 した 内観 法

中 国 ・韓 国 を経 て 日本 に渡 来 した仏 教 は、 階 との交 易 や(遣 階 使 漸 江省 寧 波 ・遣唐 使)、

朝鮮 半 島 との 交 流 が うな が され る 国 際社 会 を生 きる た め、594年 、聖 徳 太 子(574〜622年)

に よ っ て 『三 宝 興 隆 の 詔 』(仏 ・法 ・僧)が 発 令 され 、 日本 の神 道 と と も に保 護 さ れ、 普 及

す る こ と とな った(曾 根,2007)。

後 に平 安 時 代 、 比 叡 山 の 僧 源 信(942〜1017年)は 、 この 浄 土 の 教 え を 「往 生 要 集 」

(1175年 頃)に 編 纂 した。 また 平 安 末 期 か ら鎌 倉 幕府 成 立 の動 乱 の 時代 、 僧 法 然(ll33年

〜1212年)は 、 比 叡 山西 塔 の 黒 谷 で 中 国 か ら 日本 に もた ら した 経 典 の 中 か ら、 善 導 大 師 の



28 近 畿 大学 臨床 心理 セ ン ター 紀 要 第2巻2009年

書 い た 『観 経 書』 に出 会 い 民 衆 に念 仏 を普 及 す る こ とに生 涯 をつ くす と と もに、 専 択 本 願 念

仏 集 を完 成 した 。 法 然 の弟 子 と な っ た僧 親 驚(1173〜1262年)は 『愚 か な る仏 弟子 』 を

悟 り"限 りあ る 命"と"愚 者 の 自己"に 目覚 め"先 師(良 き人)"に 導 か れ る 身 を悟 っ た。

この悟 りは後 に 吉本 伊 信 に よっ て 、 内観 法 とな っ た(榛 木,1972)。

4.悩 み 、 こ だわ りか らの 脱 出

幸 せ を求 め て 親驚 の道 を求 道 して い た奈 良 県 在住 の吉 本 は、 恩 師 ・駒 谷 諦 信(大 阪 布 施

諦 観 庵)に 導 か れ て、 「愚 か さの 自覚 ・いず れ の行 い も及 ば な い 身 の気 付 き、"罪 業 深 重"(日

暮 し ・生 業 ナ リワ イ)」 を悟 り、 そ の 喜 び 「幸 せ 」 を 世 界 中 に普 及 した い と一 念 発 起 し駒 谷

と と もに 「内観 法 』 を大 成 させ た。

「内 観 法 」 とは、 愛 す る人 か ら離 れ られ な い、 別 れ た 人 が 忘 れ られ な い 、 失 っ た もの に し

が み つ く、 次 々 に 湧 き上 が る欲 望 、 これ らの 執 着(固 着)一 む さ ぼ り(貧)、 い か り(瞑)、

愚 か(擬)さ 一 の気 づ き 「洞 察 」 を得 る 方 法 で あ る。 人 間 の あ くな き欲 望 を調 べ て(内 観 法

の前 身 「身調 べ 」)無 常 を知 り 「一 期 一会 」 の 生 きる エ ネ ル ギ ー を得 る方 法 と して 「内 観 法 」

は、 誕 生 した。 そ して そ の至 る 道標 に 「罪」 を掲 げ 、 そ の 罪 を調べ る 方 法 と して 、 内 観3項

目(① して頂 い た こ と② して返 した事 ③ 迷 惑 か け た こ と)や 、 嘘 と盗 み な ど をテ ー マ に掲 げ

1940年 、 内 観 法 は確 立 され た(吉 本,1965)。

〔内観療法〕

内観療法 では、一方 的な 自己理解 や他者理解 が、現在 の環境へ の適応 困難 をもた らしてい

る と考 え、過去 か ら現在 まで 自分が他者 と、 どの ような人間関係 を結んで きたか を、改 めて

調べ る事 によ り、新 しい 自己理解や、他者 理解 を得 る方法 と して 「内観 法」 を用 いている。

即 ち内観法 に よって、一方 的な理解 が修正 されて、環境へ の適応 ・和解 が促 進 され人間関係

の改善が はか られる。 その根源 に、 人間関係 の 「愛」 を第一 テーマに掲 げその作 用に、幼児

期か ら現在 までの、記憶 の集 中思考 をおこないその過程 に精 神の浄化 が もた らされた。 内観

法が別名 「泣 き観」 とも言 われ、 さわや かな爽快感 と素直 な こころを得 る所 以である。

1課 題 内 観 三 項 目

1、 お 世 話 に な っ た こ と

2、 して 返 した こ と

3、 迷 惑 をか け た事

☆ 嘘 と盗 み

☆ 養 育 費 の 計 算 ・ギ ャ ンブ ル等 にか か っ た費 用

た こ と

過去か ら現在 まで具

体 的な事実 を年齢順

に調べ る。







榛 木 美恵 子:日 本 の 心理 療 法

29

Hテ ーマの設定

母 、 父 、 先 生 、 配偶 者 同僚 、子 ど も、 身 近 な 人 々 と、 自分 との 関 係 を調 べ る。

皿 集中内観の構成

1)場 の安全

①居住性 と隔離性 の確保 …安住 ・食 ・入浴 な どの生活の保護

②集 中思索 で きるよ う人間相互 関係 の一時的中断 と物理 的刺激 遮断…屏風 の使用

⇒刺激遮 断 ・記憶 の集 中思考継続

2)内 観者側の条件 …内観 の基本 ルールや前提 条件 の受入 れ、これに従 う合 意 と約束が

あるこ と

3)内 観 の 姿 勢

①1日15〜16時 間(1週 間の 宿 泊 研 修)。

楽 な姿 勢 で 座 り、 内 観 の テー マ に集 中す る。

② テ レ ビ ・携 帯 ・書 籍 の 禁 止

④ 内 観 に関 す る テー プの 聴 取(自 由)

⑤ 指 導 者 以 外 の 人 との 交 談 厳 禁

⑥ 入 退 観 の 自由(意 思 の 尊 重)

4)自 力 性

① 面 接 は3〜5分(内 観深 化 は 、 実 習 者 の 独 力 に よ る内 観 時 にお こ なわ れ る)

② テ ー マ に そ っ て 過去 体 験 を幼 少 時 に さか の ぼ り、 系 統 的 ・具 体 的 に想 起 す る。

5)口 頭 での開陳

面接者 の巡 回面接 に よ り、実 習者 は内観内容 を口頭 で開陳(自 己開示)す る。

6)面 接頻度 と面接態 度

①2〜2.5時 間に一 回の面接

小学生 ・老 人 ・病的 な場合 は1時 間〜30分 お きに面接

②基本的態度 は受容的で あるが、実習者 の発想が外罰 的 ・自己中心 的 ・感情 的な場

合 は指示的 に内観への方向づ けを行 う。

③ 礼節 を重ん じる。



30

近 畿 大 学 臨 床 心 理 セ ン タ ー紀 要 第2巻2009年

7)秘 密保持

面接者 は秘密厳守 の信頼 ・契約 を守 る。

IV内 観 過 程 の 心 理 規 制

1.当 面 の悩 み と無 関係 な課 題(内 観 三項 目)受 入 れへ の抵 抗



2.思 考 様 式 変 更へ の と ま どい

(例)し て も らわ な か っ た事 か ら して も らっ た 事へ の 思 考 様 式

↓ の変 更

3.記 憶 想 起 へ の 困難(思 索 の集 中 ⇔ 食事 ・入 浴 等 の 生活 の 世 話)



4.刺 激 遮 断法 へ の抵 抗(情 報 遮 断 と拘 束 ⇔ 入 退 内観 の 意 思 の 尊重)



5.防 衛 規 制(都 合 の悪 い誤 っ た対 人 感情 へ の 意 識化)



6.陽 性 感 情 転 移 に基 づ く記 憶 の愛 情 再 体 験



7.抵 抗 の排 除 と カ タル シス の発 露



8.精 神 浄化 作 用



9.洞 察(新 しい 自己発 見)



10.欲 望 か ら感謝 へ の転 向(ポ ジテ ィブ な エ ネ ル ギ ー の 活 動)

「と らわ れ 」 か らの解 放

2〜3日

4〜6日

6〜7日

5.内 観 にお け る傾 聴 と 自己 治 癒

[傾聴 一現 実検 討 の抵 抗 の打 破 一]

内観 の面 接 者 は 、 内観 者(記 憶 の 集 中思 考 に取 り組 む 人)の 体験 を内観3項 目 に した が っ

て 聞 く事 『傾 聴 』 が最 も重 要 で あ り、 面接 者 は傾 聴 に徹 す る 。 そ れ は 内観 者 の 「語 り」 は面

接 者 に とっ て は 「法」 あ り、 同 時 に 内 観者 に とっ て は 、存 在 の 是 認 で あ る。 この 面 接 者 の 態

度 に よ り、 内観 者 は 「行 動 の罪 へ の責 任 転 嫁(罪 責 感)」 とい う抵抗 が解 除 され る。 そ して 、

現 実 検 討 はす す み 、記 憶 の 愛 情 体 験 が 想 起 され て、カ タル シス が お こ る。 この よ う な経 緯 で 、

精 神 の 浄化 作 用 が 勧 め られ、 これ まで の執 着(む さぼ り(貧)、 い か り(瞑)、 愚 か(瘍)さ)、



榛 木 美 恵 子.日 本 の 心 理 療 法 31

固 着 、 固 執 へ の 気 づ き、 す なわ ち 『洞 察 』 が お こ な わ れ、 葛 藤 か ら解 放 さ れ る。 こ の時 、 欲

望 は感 謝 へ 転 向 し、 そ の エ ネ ル ギー は 自 己治 癒 力(自 然 回復 力)へ 転 化 され る。 現 実 検 討 の

自動 操作 、 罪 悪 の 検 索 ス イ ッチ がONに な り、 内観 は進 め られ る。 こ こ に罪 責 感 に よ る ス ト

レス や 抵 抗 は解 除 され 、 現 実 否 認 に よ って 現 れ て い た 身体 症 状 は軽 減 され る。 内観 者 の 内観

3項 目の 報 告 の 傾 聴 は、 この 機 能 が 、 自力 で 開 始 され る こ とをす す め る。

傾 聴 とは 、 山 か ら流 れ 出 る水 が 水 車 を 回 し、 それ が 力(エ ネ ル ギ ー)と な って 稲(内 観 の

種)を 脱 穀 す る。 そ の 水 車 の 音 を、 面 接 者 が 聴 いて い る こ とを意 味 す る。 同時 に傾 聴 は、 面

接 者 の 内 部 の 水 車 を まわ し、 面 接 者 の稲(内 観 の種)の 脱 穀 を も行 な う。 これ を 、吉 本 は内

観場 所 「屏風 の 中 」 を 「法座 」 とい い 内 観 者 の 「自己 開 示 」 を 「法 を聴 く」 と言 っ て、 面 接

者 の 内観 を常 と した 。

内観 法 は 、 太 陽 の 光 が あ た ら ない と なげ い て い る者 に、 太 陽 が 雲 上 で 輝 い て い る事 を知 ら

せ 、 また 、 雲 の切 れ 目 に さす 光 の 効 力 と、 太 陽 の 光 に よ って 育 つ 、 動 植 物 の 恵 み を知 る方 法

と も言 え る。

6.終 りに

石 田(1966)は 、"内 観 者 が 、 この 自責 的 思 考 に な れ な い の は、 罪 責 観 す な わ ち責 任 を罪

に転 化 一 抵 抗 一 して い る か らで あ る"と 述 べ 、"う つ 病 者 の 罪 責 感 の多 くは、 防衛 的 な もの

で純 粋 な罪 悪 感 で は な い"と のべ て い る 。 つ ま り罪 責 は 内 観 で はな く他 者 へ の 攻 撃 で 外 観 で

あ る。 この と き面 接 者 は 、 「〜 して も らわ なか っ た事 」 を 「して も らっ た 事 」 に 「〜 して あ

げ られ な か っ た事 」 を 「〜 して あ げ た事 」へ の 訂 正 を う なが し、 対象 選択 を配 慮 し、 あ るい

は 「内観 目的 」 と 「動 機 」 を明 確 化 して 、 あ らた め て 内 観3項 目へ の取 り組 み を推 奨 して 、

内観 へ の導 入 を慎 重 に すす め る。 しか し集 中 内観 の3〜4日 間 は 、悩 み と無 関 係 な課 題 「内

観 三 項 目」 の受 入 れ や、 刺 激 遮 断法 へ の抵 抗 も大 きい 。 この 時 内観 者 の お 世話 や 、 傾聴 に徹

す る こ とは重 要 で あ る。

内 観 法 に よ る治 癒 像 に つ い て石 田(1972)は 、"病 気 が 治 って 自己 満 足 す る だ け で な く、

自己 を乗 り越 え て、 社 会 に 向 か っ て働 きか け る 一創 造 的 、 自発 的行 動 カ ー エ ネ ル ギ ー が伴 う

人 間像"と 掲 げ て い る。

ま た吉 本 は、 「集 中 内観 は 電 柱 を建 て た に す ぎず 、 日常 内観 と い う電 線 を 張 ら な け れ ば 電

気 が 通 らな い 」 と述 べ 、 「内 観 法 一 集 中 内観 一 に よ る罪 責 観 の抵 抗 の 打 破 」 は 自己 検 索 の は

じま りで 「内観 へ の 入 門 」 で あ り、 打 破 され た 無 明 の 闇(あ つ い雲 一迷 い)は 、 す ぐに貧 ・

愛 ・瞑 ・憎 の 雲 で お お われ る と述 べ 、 集 中 内観 後 の、 日常 内観 をす す め、 そ の重 要 性 を説 い

た 。 吉 本 は、 「日常 内 観 者 」 を〈 と らわ れ 〉 か ら解 放 さ れ た 人 間 像(治 癒 像)と して掲 げ あ

くな き悩 み に内 観 との 二 人 三 脚 を指 導 して い る。



32 近 畿 大 学 臨 床 心 理 セ ンタ ー 紀 要 第2巻20⑪9年

比叡山無動寺谷 大乗院 範宴(親 鴛)9歳 一29歳 修 行 の地

1987年 撮 影

複雑 な現代社会 で、生活 のい きづ ま りや、希薄 な人間 関係 によって、 ます ます 自殺者や う

つ病 は増大 している。 また神経症、非行、ギ ャ ンブル依存への対応 に も、人間性の再発見 と

育成 は急務 であ る。 内観法 は多 くの人が一度 に行 える新 しい 自己へ の気付 き 「自己発見 法」

で あ り、「愛 の再発見 」「社 会性 の育成法」であ る。

ITの 発展 と ともに、 文化 を越 えて情 報 化が 津波 の よ うに押 し寄せ ては 引 く現代社 会 の

精神 文化 の戸 惑い は、 さま ざまなひずみ の因 と もなる。 これ ら社会 の発展 と精 神文化 との

ギ ャップに、内観 法がはたす役割は非常 に大であ る。

参 考 文 献

玄海編集部(1973)t玄 海 内観特集号 福 岡刑 務所 教育部

榛木美恵子(1972);子 供の内観 佐藤幸 治(監 修)禅 的療法 ・内観法 文 光堂pp331 344

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金子大栄(195ω:他 力本願 全 人社

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榛 木 美 恵 子:日 本 の心 理 療 法

33

竹内硬(1972):内 観 法の周辺 佐 藤幸 治(監 修)禅 的療 法 ・内観法 文光堂pp301 330.

梅原真隆(1936)十 七憲法 講讃 親驚聖 人研 究発行所

吉本伊信(1965)内 観 四十年 春秋社

吉本伊 信(1975)内 観法 内観研修所

吉本伊 信(1980)内 観25年 の歩み 内観研 修所