2022/04/20

***【イスラム哲学】井筒俊彦を読む [2]

【イスラム哲学】井筒俊彦を読む [無断転載禁止]©2ch.net YouTube動画>10本 ->画像>43枚
401考える名無しさん2018/06/06(水) 23:28:16.440
聖クルアーン - Islamic Books Japan
http://islaam.ninja-x.jp/quranjp/quranhome.htm
アラビア語・日本語・英語 対訳
日本語:日本ムスリム協会 日亜対訳注解聖クルアーン

402考える名無しさん2018/06/06(水) 23:28:58.300
コーラン各種

(1)『コーラン(全3冊)』 井筒俊彦、岩波文庫 (1957)

(2)『聖クルアーン ― 日亜対訳・注解 』 三田了一、日本ムスリム協会 (1982)

(3)『コーラン(全2巻)』 藤本勝次、池田修、伴康哉、中公クラシックス (2002)

(4)『日亜対訳 クルアーン ―「付」訳解と正統十読誦注解』 中田考、作品社 (2014)


予備知識がなくても一気に読めてしまうのは井筒訳。
原語の持つ生き生きとした感じが日本語でも再現されている。

注釈が詳しく、落ち着いて読みたい向きには日亜対訳のムスリム協会版。

その他も読みやすい。

403考える名無しさん2018/06/06(水) 23:29:17.320
コーランの構成(井筒訳)

・上 10章(1~10章)後期
・中 23章(11~33章)中期
・下 81章(34~114章)中期、初期、最初期

コーラン各章の配列は成立年代をほぼ逆さまにした形で収録されている。
初めの方は一章ずつが長く、だんだん各章が短くなっていく。
ムハンマドが受けた最初の啓示の瞬間に向けて、本を読み進めていくことになる。

404考える名無しさん2018/06/06(水) 23:31:41.840
110章は最後期だが

405考える名無しさん2018/06/06(水) 23:51:55.630
一部例外もあるけれど、おおまかな構成という話

406考える名無しさん2018/06/07(木) 20:52:50.960
610年頃、メッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想していたムハンマドは突如金縛りに襲われた。
そのとき天から大天使ジブリールが現れ、「誦め(よめ)」と言った。
ムハンマドが「何を誦めと言うのですか」と尋ねたところ、ジブリールはフッと消えていった。
この時よりクルアーンの啓示が始まる。
それから二十三年の間、ジブリールはムハンマドの元を度々訪れては
クルアーンの各章を啓示していった(クルアーン96章など)。

407考える名無しさん2018/06/08(金) 21:40:12.250
コーラン理解のための副読本

・『イスラーム文化 ―その根柢にあるもの』 井筒俊彦 (1991)
 イスラム導入。スンニ派は「外面的」、シーア派は「内面的」

・『「コーラン」を読む』 井筒俊彦 (2013)
 コーランのテクスト論、エクリチュール論。コーランの言葉は根源語

・『アラブ的思考様式』 牧野信也 (1979)
 コーランとアラビア語の仕組み、言語文化論

408DJgensei artchive gemmar2018/06/08(金) 23:01:32.880
啓示というか戦術指南でしょうね。そういう言葉で戦っていた静かな闘志でしょう。

409考える名無しさん2018/06/09(土) 01:19:26.170
>>343
イブン・アラビーによる「アッラーの神的な自己顕現(タッジャーリ)」

「私は隠れた宝物であった。突然私のなかにそういう自分を知られたいという欲求が起こった。知られんがために私は世界を創造した。」

http://www.sufismus-online.de/IWasAHiddenTreasure
"Kuntu kanzan makhfiyyan fa ahbabtuhu an u`rafa fa khalaqtuhu ‘l-khalq"
I was a hidden treasure, I wanted to be known, so I created Creation.

A Hidden Treasure - wiki
https://en.wikipedia.org/wiki/A_Hidden_Treasure

410考える名無しさん2018/06/09(土) 12:48:05.470
『「東洋」哲学の根本問題 あるいは井筒俊彦』 斎藤慶典 (2018/2/11)

序 章 井筒「東洋」哲学
  「東洋」哲学/井筒「東洋」哲学は何を目指しているのか
第1章 表層/深層
 a)表層から深層へ
  コトバ/深層における分節化/分節化されたものから分節以前のものへ/事事無礙
 b)深層から表層へ
  理理無礙/分節(1)―「無」―分節(2)/挙体性起/存在の階層性/基付け関係/有力・無力
 c)大地と理性――ロシア的人間
  ロシアの一九世紀/原始的自然/『コサック』/ドストエフスキー
第2章 空/無
 a)「空」の徹底
  理理無礙/神の彼方/〈無分節な「ある」〉への反転/「存在」の破れ
 b)空と無
  『大乗起信論』におけるアラヤ識/ユダヤ教カッバーラー/バスターミーの「欺瞞」論/思考の無能力
 c)砂漠と死――ジャック・デリダ
  ユダヤとギリシアの狭間で/砂漠における彷徨/墓場、あるいは死
第3章 〈いま・ここで=現に〉
 a)「本質(マーヒーヤ)と「存在(フウィーヤ)」
  「存在は本質の偶有である」/有「本質」か、無「本質」か/フウィーヤ・マーヒーヤ・タビーア/有「本質」論の三つの型/
  イスラーム「原子論」/無「本質」的存在分節/元型とイマージュ/意識と存在の構造モデル/「概念実在論」
 b)〈いま・ここで=現に〉
  「存在」の「独一性」/創造不断/吾有時/「純粋な可能性」としての「無」/証言
 c)「入てん垂手」
  聖諦と俗諦/俗、あるいは町という共同体/「無」の共同体

411考える名無しさん2018/06/09(土) 12:48:32.240
>>410
井筒哲学の要約と、著作へのインデックスになっている

412考える名無しさん2018/06/09(土) 19:19:25.690
イスラーム神学における信の構造を読んでるがイスラム過激派にも影響与えたイブンタイミーヤが出てくる。

413考える名無しさん2018/06/09(土) 23:05:56.340
>タイミーヤ
サラフィー主義の祖ね(サラフは「敬虔なる先人たち」を意味)
13世紀モンゴル軍侵攻の結果

414考える名無しさん2018/06/09(土) 23:08:29.270
ハンバリーの系統は正統と認めるべきではなかったな

415考える名無しさん2018/06/10(日) 13:07:52.440
イブンタイミーヤはイマーン(信)をイスラムより高次の概念としてるんだな。初めて知った。

416考える名無しさん2018/06/10(日) 13:23:36.320
イマーン(信)をイスラムより高次の概念


どういう意味?

417考える名無しさん2018/06/12(火) 00:16:09.010
>>413の様な背景があるから、原理主義だテロだというのも他人事ではないね。

418考える名無しさん2018/06/12(火) 00:17:06.100
イスラムのイスラムらしさは、本来、アラブ的でセム的なもの。

419考える名無しさん2018/06/12(火) 01:03:53.120
ユダヤ教もセム的ですが

420考える名無しさん2018/06/12(火) 01:14:27.130
で?

421考える名無しさん2018/06/12(火) 21:09:06.730
スンニ派とシーア派で、人口比はおよそ9:1。

(1)スンニ派を代表するアラブ人は、アラビア語を話すセム語系。
(2)シーア派を代表するイラン人は、ペルシャ語を話すインド=ヨーロッパ語系。

その他の要素として、

(3)シリアのアラウィー派やサウジのワッハーブ派、トルコ民族やトルコ語といった固有の性質がある。

422考える名無しさん2018/06/12(火) 21:11:13.780
井筒と司馬による「二十世紀末の闇と光」という対談は、
イスラムとモンゴルの話。

・『井筒俊彦全集 第10巻 意識の形而上学』
・『井筒俊彦著作集 別巻 対談鼎談集・著作目録』
・『司馬遼太郎 歴史歓談』などに収録

423考える名無しさん2018/06/12(火) 21:12:18.850
1258年にモンゴル軍がバグダードに侵攻して、東西の文明が衝突した。
トマス・アクィナスやエックハルト、ゾーハルのモーシェ・デ・レオンの時代。

チベット仏教を信奉していたフレグ(チンギス・ハンの孫)家はイスラムに改宗し、後に国教にもする。

424考える名無しさん2018/06/12(火) 21:13:45.850
その過程で、仏教とイスラムは相互に影響し合ったという。

大乗仏教は、真如というメタフィジカルな実在原理を中心に据えるものだったが、
大日如来という宇宙の絶対者を持つようになる。

イスラムは、元は生きた神の宗教であったものが、
この時期より、アッラーが真如のような理念「真理(ハック)」として、
あるいは華厳的な光のイマージュとして捉えられるようにもなった。

425考える名無しさん2018/06/12(火) 21:27:18.850
シャイフ・ルトゥフッラー・モスク(イラン、エスファハーン)
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岩のドーム(イスラエル、エルサレム)
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シャーヒ・ズィンダ廟群(ウズベキスタン、サマルカンド)
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オルジェイトゥ廟(イラン、ソルターニーイェ)
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イルハン朝第8代君主。青色タイルで覆われた世界最古のモスク


陶器にコバルトで青を染め付ける技術は、中東で開発された。
モンゴルの支配時代以降、青色タイルで覆われた建造物が、中央アジアやイラン、トルコで盛んに建設された。
(参考『イスラーム不思議曼荼羅』後藤明、野町和嘉)

426考える名無しさん2018/06/12(火) 21:58:03.780
井筒俊彦は
ジャック・デリダから
「マエストロ(巨匠)」って呼ばれていたんだよな
 
日本ではなく
欧米で生まれていれば
「間違いなく世界思想史に残る存在になったはず」ともデリダは言っていた
 

427考える名無しさん2018/06/12(火) 22:00:29.550
>>421
スンニーとシーアで人口比っていうならスンニーの代表はアラブ人じゃなくてインドネシア人でしょ

428考える名無しさん2018/06/12(火) 23:23:34.260
モンゴル人は仏教をやってもイスラムをやっても超一流

429考える名無しさん2018/06/12(火) 23:31:04.720
スンニー人口の半分を占めるのはインドネシアとインド系(パキスタン、インド、バングラディッシュ)

430考える名無しさん2018/06/13(水) 06:58:19.140
>>428
相撲やってイカサマやってもな(笑)

431考える名無しさん2018/06/13(水) 10:55:29.380
相撲のいかさまは日本人も一流だが

432考える名無しさん2018/06/13(水) 19:50:15.800
神事としての格闘技といえば、天使とヤコブの格闘(創世記 32:25-29)

433考える名無しさん2018/06/13(水) 19:51:10.330
>>424
“五大にみな響きあり。(地・水・火・風・空の五大からなる森羅万象が声として響き)
 十界に言語を具す。(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・緑覚・菩薩・仏の十界すべてが言語を具え)
 六塵ことごとく文字なり。(色・声・香・味・触・法の六塵といった知覚世界の諸差異が文字を生じ)
 法身はこれ実相なり。”(宇宙の本源たる大日如来は、この世界のあるがままの姿に他ならない)

― 空海 「声字実相義」

434考える名無しさん2018/06/13(水) 19:51:45.310
宇宙の姿は、大日如来の言語活動そのものであると

435考える名無しさん2018/06/13(水) 19:52:25.380
空海は言語哲学的な仏教の代表

436考える名無しさん2018/06/13(水) 19:52:59.860
『空海 (KAWADE 道の手帖)』 河出書房新社 (2006)

世界的な思想家として空海を捉え直す。
インタビュー・中沢新一、前田英樹、竹内信夫、落合仁司、井筒俊彦、中村元、司馬遼太郎×福永光司、五来重、松岡正剛、幸田露伴など。

437考える名無しさん2018/06/13(水) 20:50:20.300
“文は全体であり,世界であり,ブラフマン(宇宙の根本原理)である”

― バルトリハリ(5世紀インドの文法学者)

438考える名無しさん2018/06/14(木) 21:20:50.120
・旧約聖書、新約聖書
・コーラン、ハディース
・タルムード

・アヴェスター

・仏典(原始仏典、大乗仏典)
・リグ・ヴェーダ、ウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター、ヨーガ・スートラ

・孔子、老子、荘子、易経、淮南子
・日本の古典

ぐらいは目を通しておくのがいい。

439考える名無しさん2018/06/15(金) 13:37:28.040
すげぇ
タルムードってすげー分量あるのに目を通しているのか……
日本語訳も一部しかないし、英訳でもあれだけのものを目を通すのは無理だわ

440考える名無しさん2018/06/15(金) 13:50:07.950
>>438で日本語訳だけど目を通したっていえるのは

旧約聖書
新約聖書
コーラン
ハディース(ムスリム)
アヴェスター(ガーサーと、ウィーデーウダート、ヤスナの抄訳)
仏典(ダンマパダ、スッタニパータ、パリニッバーナ経、法華経、大日経住心本、理趣経)
リグヴェーダ(抄訳)、チャードーギヤ・ウパニシャッド、アールニヤカ・ウパニシャッド、カタ・ウパニシャッド、バカヴァットギーター
論語、老子、荘子、易経(概略)

くらいだわ
タルムードまではとても無理
アヴェスターやリグ・ヴェーダとか少なくても英訳に頼らないといけない相当分量あるものはとても目を通す気力がわかないから、438はすごいわ…

441考える名無しさん2018/06/17(日) 20:22:31.940
興味が持てて、手に取れる範囲から、サクサク読んでいけばいい。

442考える名無しさん2018/06/17(日) 20:24:23.790
井筒のカバラとセフィロト(参考:『意識と本質』 10章)

(1)「ケテル Kether」
意味は「王冠」。存在流出の究極的始源。
『旧約』(出エジプト記 3:14)の神言「在りて在るもの」に当たる純粋「有」の絶対的「一」。
仏教でいう「空」すなわち「真空妙有」の「妙有」的側面に当たり、一切の「多」を無文節的に内蔵する。

(2)「ホクマー Hokmah」
「叡智」。仏教の「般若」に相当するが、カッバーラーではこれを神の意識とする。
神が自らを観想するところに現成する知で、絶対無文節的覚知。
イマージュとしては、際涯ない空間の拡がりの中に、独り燦然と輝く巨大な太陽。
この太陽から不断に発生する光線の一つ一つが、もっと下の存在段階で結晶して経験的事物の「元型」となる。

(3)「ビーナー Binah」
「分別知」。神が自らをそこに映して、自らの内面をあるがままに眺める鏡に例えられる。
神は自らの一者性の内に潜む多者を見る。
あたかもプリズムを通った光のように、「神の顔」は無数に分かれ、ここに最初の存在文節が起こる。
密教でいう「種子(ビージャ)」。

(4)「ヘセド Hesed」
「慈悲」。神の創造性の肯定的側面を表し、全てのものに存在を与える。



(10)「マルクート Malkut」
「王国」。先行するすべての「セフィーロート」のエネルギーが一つになってここに流れ込んでくる。
神的実在の世界は「元型」構造的にここで終端に達し、その下には被造界が展開する。

セフィロトの樹:【イスラム哲学】井筒俊彦を読む [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>10本 ->画像>43枚

443考える名無しさん2018/06/17(日) 23:44:43.730
コピペばかりしてメモ帳代わりにしてるハゲは一体何がしたいんだ

444考える名無しさん2018/06/18(月) 11:39:14.650
>>443
自己愛性パーソナリティ障害だと思うわ
「俺はこんなすげーこと書いたんだぞ」と、どうしても読ませたくて複数スレにコピペ荒らし

445考える名無しさん2018/06/18(月) 23:24:03.810
井筒俊彦の『意味の深みへ』がかなり面白い

446考える名無しさん2018/06/21(木) 01:48:40.600
>>445
デリダのエクリチュール論や、ソシュール記号学の先という話ね。

447考える名無しさん2018/06/21(木) 01:50:27.100
>>424
こういうことは、まだこれから、検証していかなければならない。

確かに、モンゴル人は、早い時期から、正教やネストリウス派などのキリスト教とも接していたし、
チベット仏教は、顕教と密教があって、高度に形而上学化されてもいるから、あながちでもない。

聖書が書かれたアラム文字はヘブライ文字とアラビア文字の原型となり、
東伝して、イラン系ソグド文字、ウイグル文字、モンゴル文字などになった。

448考える名無しさん2018/06/21(木) 01:53:05.980
>>425
“おもしろいのは、モンゴル人が天の神を拝むとき《青き天》と呼んでいることである。”

― 『シャマニズム:アルタイ系諸民族の世界像 1』 ウノ・ハルヴァ、田中克彦 (2013) 5章 p149


天の神=テングリのこと。この本の中では、極東からスカンジナビアまで、
ツングース、モンゴル、タタール、テュルク、インド、イラン、シリアから、
ロシア、フィンランド、アイスランドまでの神話が一並びに比較されている。

449考える名無しさん2018/06/27(水) 17:24:41.510
>>400
アラビア語の「本質」

jawhar……原義は宝石。中世ペルシャ語からの借用語。転じて、本質、精髄を意味する。哲学用語として、ギリシャ語ウースィアー(実体)の訳語に採用される。

maahiyyat……上記、アリストテレスの実体の第二定義「何かであること」が訳されてアラビア語maa hiya(それは何)に女性名詞化iyyatが付いた形。
        スフラワルディーの照明哲学で、一番最初に創造されたものである「本質」とはこのmaahiyyatのこと。

huwiyyat……huwa(それ、これ)にiyyatが付いた形。「これであること」「これ性」の意味。イブン・シーナーを通してドゥンス・スコトゥスがhaecceitasと翻訳。西洋哲学に導入される。
        一般的意味では「自己証明、アイデンティティ」の意味。例 ghayb huwiyyatは哲学・神学的には「(アッラーの深奥である)不可視の本質」だが、一般的には「身元不明」を意味する。

dhaat……dhu(~所有する)の女性名詞。「(それが)もっているもの(つまり本質)」を意味する。

haqiiqat……一般的には「真理」の意味。また「真相」。後者の意味で「本質」。実際に存在しているもの(実在)というニュアンスが強い。

450考える名無しさん2018/07/03(火) 20:04:02.610
斎藤慶典の「東洋」哲学の根本問題読んでるが175ページに無本質論-典型的には老荘思想と大乗仏教(密教と禅)とあるが井筒俊彦は密教は有本質論に分類してなかったか?

451考える名無しさん2018/07/06(金) 14:51:40.810
本当に

>無本質論-典型的には老荘思想と大乗仏教(密教と禅)

と書いてあるなら間違いだな
禅の無本質論に対して、有本質論第二型の「元型」的「本質」論にあるものとして密教を取り扱っている。(意識と本質Ⅹ)

452考える名無しさん2018/07/07(土) 14:56:29.360
>>451
やっぱりそうか!
意識と本質読み返したがやはり間違いだった。
ありがとう

453考える名無しさん2018/07/07(土) 20:11:46.870
「東洋哲学の根本問題ーあるいは井筒俊彦」の帯に(哲学者井筒俊彦がインド、中国、日本に加えイスラーム、ユダヤ、東南アジアを含む全東洋思想を総覧し…)とあるが東南アジアなんか全然出なかった。井筒俊彦自体が東南アジアは扱ってなかったし。
ピーみたいな古代からの精霊信仰か上座部仏教が東南アジアの思想だろうが…

454考える名無しさん2018/07/07(土) 20:27:38.550
東南アジアはイスラーム圏だぞ

455考える名無しさん2018/07/07(土) 20:37:47.710
うるさい

456考える名無しさん2018/07/07(土) 21:46:56.490
>>454
それならマレーシアやインドネシア独自のイスラムの思想形態が出ても良いのだが出てくるのは中東の思想家だけだ。

457考える名無しさん2018/07/08(日) 09:04:40.400
過大評価代表みたいな人だから
特に語学強い学者はそう
ゾンダンとか

458考える名無しさん2018/07/08(日) 21:25:26.490
関口存男ね

459考える名無しさん2018/07/08(日) 21:33:57.660
語学の天才井筒俊彦の勉強法と教え方は常軌を逸していた
https://kotoyumin.com/idutusuzukiepisode-2201

井筒俊彦の語学勉強法の由来は?司馬遼太郎に本の丸暗記法を語る
https://kotoyumin.com/idutsu-shiba-353

460考える名無しさん2018/07/08(日) 21:36:00.890
聖典を丸ごと暗記するのは、脳の古い使い方だと言っていたが、
暗記とか暗算は、特殊な回路が出来てくるのでは

461考える名無しさん2018/07/12(木) 02:06:08.890
ジャン=リュック・ゴダール会見全文載録
「E・サイードに導かれて」
(at第71回カンヌ国際映画祭)

https://dokushojin.com/article.html?i=3660

今回新設された「スペシャル・パルムドール」には、
ジャン=リュック・ゴダール監督『イメージの本』(原題:Le Livre D'image)が選ばれた。

―― 最近のアラブ世界の何が、着想を与えたのでしょうか。

462考える名無しさん2018/07/12(木) 02:06:45.010
サイード『オリエンタリズム』はルイ・マシニョンについても書かれていた。

463考える名無しさん2018/07/12(木) 02:08:01.490
ハッラージュを論じる時のマッスィニョン。
あれはもう我々が常識的に考える「学問」などというものではない。
全人間的「変融」体験の極において「アナ・ル・ハック」(我こそは神)と、
己れの死を賭して叫んだ、あるいは叫ばざるをえなかった西暦十世紀のスーフィーと、
二十世紀の真只中でそれを"じか"に受けとめる、マッスィニョンという
魁奇な一精神との実存的邂逅の生きた記録、でそれはある。
それが尽きせぬ興味を惹き起し、たんなる学問を遥かに越えた不思議な世界に我々を誘う。

(R・A・ニコルソン 『イスラーム神秘主義におけるペルソナの理念』 への序詞) 「井筒俊彦入門」より

464考える名無しさん2018/07/12(木) 02:09:12.970
現代の「イラン的イスラム」哲学における
コルバンと井筒の役割に関する導入的比較研究:
ハイデガーからマシニョンまで (2016-02-19)
https://toyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&;item_id=8402&file_id=22&file_no=1
エフサン・シャリーアティー
翻訳:景山 洋平

465考える名無しさん2018/07/12(木) 07:21:31.440
アナルファック

466学術2018/07/12(木) 12:43:37.320
博士中退はスレ中止。

467学術2018/07/12(木) 12:44:13.530
博士中退はスレ中止。

468考える名無しさん2018/07/13(金) 08:20:31.980
大川周明が東京裁判で東條英機の後頭部を叩いて入院させられた松沢病院も研究に参加している。
大川周明が松沢病院の書斎で預言者ムハンマドと対話したことはよく知られている。


統合失調症、初期に手厚いケアで症状安定 研究で判明:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL6G75QYL6GULZU00W.html
2018年7月13日05時31分
 統合失調症などの精神疾患にかかった初期の段階で、治療に加えて手厚い生活支援をすることで、
 症状が落ち着いたまま過ごせる確率を大幅に高められることが、東京都医学総合研究所などの研究でわかった。
 英国などで取り組みが進む手法で、日本でも今後、広がる可能性がある。

 この手法は「初期包括支援サービス」と呼ばれ、治療にあたる医師とは別に、
 看護師や精神保健福祉士といったスタッフが「ケースマネジャー」となって患者や家族のケアを担当。
 家庭を訪問して患者の困っていることを聞いたり、学校や職場を一緒に訪問して復学や復職を支援したりする。

 研究には都立松沢病院や東京大病院などが参加。
 統合失調症や双極性障害を発症した77人(15~35歳)のうち40人にこの手法を、
 37人には外来受診を中心とした通常の治療を受けてもらい、1年半後の様子を比べた。

 すると、目立った症状がなく落ち着いた状態が半年以上続く「寛解」
 と判断できた患者は支援サービスを受けた側で23人、通常の治療を受けた側では10人。
 初期の病状なども踏まえて解析すると、症状が落ち着く割合はサービスを受けた側が6・3倍高かった。
 薬を使う量が少なくてすむ傾向もあったという。

 こうしたサービスによる効果は、海外の研究でも報告されている。同研究所の西田淳志・プロジェクトリーダーは
 「患者にとって信頼できるスタッフと、発病後の早期から社会復帰に向けてともに歩めたことが回復への希望を生み、
 症状の安定につながったのではないか」と話す。
 結果は、精神医学研究の専門誌に掲載された。

469学術2018/07/13(金) 09:03:44.870
統合 より 東郷 東条 の方が神がかっている。

470考える名無しさん2018/07/13(金) 20:10:04.360
神がかり的学歴コンプが甘えるな

471考える名無しさん2018/07/13(金) 20:15:47.130
どっかのスレで昔
井筒の業績を説明してくれと投げたが
スゲ~と言ってた相手は結局説明できなかった

ネットで探してもやっぱり説明しているやつはいないので
白川静並みに胡散臭い

472考える名無しさん2018/07/13(金) 21:58:29.860
>>471
漢字辞典でも読んでろ

473考える名無しさん2018/07/13(金) 22:04:07.840
>>472
やっぱ君も説明できないだろ
名誉と天才エピしかないからね

474考える名無しさん2018/07/13(金) 22:22:39.440
>>471>>473
自分で本も読めない池沼の戯言など知ったことではない

475考える名無しさん2018/07/13(金) 22:25:04.890
初のアラビア語からのクルアーン翻訳

はい論破

476考える名無しさん2018/07/13(金) 22:25:49.930
あら逃げた
ちなみに本を読んでも
堅固な学問的評価は素人には判断できない

白川もそうだろ?
正しさや新しさなんてそうそう評価できないから

477考える名無しさん2018/07/13(金) 22:31:27.350
>>475
それはいいけど
初訳出ってそんな学問的に権威あること?

478考える名無しさん2018/07/13(金) 22:38:00.070
宇宙的学問コンプ

479考える名無しさん2018/07/14(土) 14:01:54.040
>>477
それを含めて当時日本にとって未開分野であったイスラーム哲学思想を日本に齎したってことかな

480考える名無しさん2018/07/14(土) 14:08:54.790
じゃあそれまであまり知られていなかった
イスラム思想を日本に紹介して論じたことが業績ね

了解

これは文献の数や内容である程度は判定できる
ことだな

481考える名無しさん2018/07/15(日) 07:40:12.490
十字架のヨハネ(無の博士)

“無、無、無、無、無、無、山中においても無”
 (nada, nada, nada, nada, nada, nada, y aún en el monte nada)

― 『十字架のヨハネ研究』 鶴岡賀雄 (2000) 1部序論 p20


カルメル山図(完徳の山 Monte de perfección)
【イスラム哲学】井筒俊彦を読む [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>10本 ->画像>43枚
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図には、「カルメル山」の頂上を指して三つの登攀(はん)路が示されている。
・右の道は「地上の不完全さによる霊的道」
・左の道は「天上の不完全さによる霊的道」
・真ん中の道には「nada, nada, nada, nada, nada, nada, y aún en el monte nada」
登攀の先に、神との一致を目指す。

482考える名無しさん2018/07/15(日) 07:41:22.590
『テオーシス 東方・西方教会における人間神化思想の伝統』 田島照久、阿部善彦 編 (2018/2/8)

東方キリスト教における神化思想
第1章  プラトン主義と神化思想の萌芽──東方教父思想における「神に似ること」概念の変容
第2章  ニュッサのグレゴリウスにおける神化思想──人間本性の開化・成就と神化への道
第3章  証聖者マクシモスにおける神化思想──神化の道行の動的かつ全一的かたち
第4章  デュオニュシオスの神化思想──ヒエラルキアと不知の暗黒
第5章  ディオニュシオス『神秘神学』におけるヒュムネイン(讃えること)──「彼方」の招きと拒絶
第6章  パラマスにおける神化思想──東方的伝統と独創

女性神秘思想における神化思想
第7章  ハーデウィヒの神化思想
第8章  マルグリット・ポレートの神化思想──源流と波紋、火と水の比喩を中心に

ドイツ・ドミニコ会学派における神化思想
第9章  フライベルクのディートリヒの神化思想──「神の像」としての人間知性の観点から
第10章  モースブルクのベルトルトにおける神化思想──神的人間論の観点から

エックハルトにおける神化思想
第11章  エックハルトの「魂における神の子の誕生」教説と「神性への突破」教説
第12章  エックハルトにおける人間神化と関係的存在論
第13章  エックハルトの神化思想と異端断罪

エックハルト以降の神化思想
第14章  タウラーの神化思想──エックハルト断罪以後という観点から
第15章  ゾイゼの神化思想──西方キリスト教におけるキリスト中心的霊性
第16章  リュースブルクの神化思想

近世・近代の神化思想
第17章  クザーヌスの神化思想──神と被造物を隔てる二分法的限界と人間の完全性
第18章  イグナチオ・デ・ロヨラの神化思想──自己無化の下降的動性による一致と涙
第19章  スペイン神秘主義における神化思想──十字架のヨハネとアビラのテレサ

483考える名無しさん2018/07/15(日) 18:25:51.300
今日も今日とてコピペ馬鹿

484考える名無しさん2018/07/16(月) 23:48:43.770
存在認識の道pp.264-265
解説Ⅳより
「確かにアヴィセンナは、存在は本質の偶有であると明言した。
・・・・・・白さは花という実体がなくては現成し得ないけれども、花は白さがそれに偶有しなくても現成する。存在もまた本質に対して、白さ花に対するのと同じような意味での偶有だというのである。」
「もし存在がこのようなものとすると、どんなことになるか。今言ったように、白さは花を必要とするが、花は白さを必要としない。
ということはつまり、白さが偶有しなくとも、白さが偶有してくる前に、花はすでに自分で存在しているということである。
白さと花のこの関係を存在と本質の関係に移してみると、本質は存在が偶有する以前にすでに何らかの意味で、あるいは何らかの形で存在していなければならない、という奇妙なことになってしまう。」
「存在を本質の偶有と見るアヴィセンナの立場が、こんなに簡単にアポリアに追い込まれてしまうのは、もともとこの立場が正しく理解されていないからである。
アヴィセンナ哲学の伝統を始めて真にそのあるべき姿において確立したと称される・・・・・・トゥースィーは、この点を継のように明快に説明している」
『この誤解は、元来本質なるものが、まだ存在しないうちから外界に何らかの形で存立していて、そこへ存在がやって来て宿るのだという考えに基づいている。
だが、この考え自体が間違っているのだ。なぜなら本質が(何らかの形で)存立していると考えるのは、すなわち本質が存在しているということに他ならないから
・・・・・・本質にとっては、それがあるということが、すなわちそれの存在なのである』

485考える名無しさん2018/07/17(火) 15:59:51.580
井筒俊彦の業績は日本で未知だったイスラム哲学の翻訳と紹介。
東洋哲学の共時的構造化という名の元儒教、道教、大乗仏教、ヒンドゥー教、イスラム、ユダヤ教神秘主義に至るまでを統一的なパースペクティブで視た事。
ギリシャ哲学への独自の視点や独特のロシア文学論まである。

486考える名無しさん2018/07/17(火) 20:44:45.470
語学まかせの大風呂敷の訓詁学ね

487考える名無しさん2018/07/17(火) 20:57:21.500
英語も喋れないザコにそれを言う資格はない

488考える名無しさん2018/07/17(火) 21:00:00.600
そういう意味では翻訳の業績は
翻訳者として立派な業績だしきちんと分かる

語学エピはゴミ箱へ

489考える名無しさん2018/07/17(火) 21:00:37.490
>>486
井筒以上の哲学者ってどんな人がいる?

490考える名無しさん2018/07/17(火) 21:02:07.230
>>489
その哲学の中身はどこがすごいん?
説明してみな

できるならな

491考える名無しさん2018/07/17(火) 21:04:05.240
>>486
答えられないの?

492考える名無しさん2018/07/17(火) 21:10:34.230
まぁ、気に食わない研究者は俺にもいるからな。子供が拗ねてダダをこねてるようなもんだ(笑)

493考える名無しさん2018/07/17(火) 21:11:32.910
>>489
さあ興味ないので

494考える名無しさん2018/07/17(火) 21:17:32.720
ネット上で一人もいないんだよね
井筒の業績の具体的な解説って
で世界的とか言ってるw

例えば大拙はzenという言葉が
英語語彙のなかに残ったから分かりやすい
仏教の西欧への紹介者としては飛び抜けている
これはOEDの見出し語zenを見れば極めて明瞭

495考える名無しさん2018/07/17(火) 21:19:33.720
おまえみたいな何者でもないクソザコが何を言ってもノーダメだよ

496考える名無しさん2018/07/17(火) 21:25:23.140
>>494
その程度で喜んでいる奴に井筒は難しい

497考える名無しさん2018/07/17(火) 21:28:31.040
以前に褒めているやつが業績について
触れている論文持ってきてくれたけど
それにも書いてなかったな

訓詁ならどの解釈が重要で今日の学問の
礎になったのか書いていない

観念的な大風呂敷感がウケているんだろう

498考える名無しさん2018/07/17(火) 21:29:06.840
>>496
難しいと偉いの?
ゲラゲラw

499考える名無しさん2018/07/18(水) 00:25:57.500
>>468
最初の「」の次にこれ追加
「このような解釈がアヴィセンナ思想の根本的誤解であることが今日では、少なくともイスラーム学会では、明白になっているが、昔はイスラーム内部でもこれが有力な解釈だった」

井筒もアッ・トゥースィーもこのようなイブン・スィーナー説の解釈は誤解だと述べているが、直接イブン・スィーナーの言うところを当たれば誤解でもなんでもないと思われる
それは正当な解釈であって、むしろアッ・トゥースィーの言うところはイブン・スィーナーの言うところと正確に合致していない。
井筒はイブン・スィーナーの本質と存在に関しての説を取り上げて、その問題を「奇妙なことになってしまう」「アポリア」と呼んでいるが、それに対する回答にアッ・トゥースィーの説を持ち出したことは正当だとは言えない。
イブン・スィーナーの説ならば、イブン・スィーナーにこそ答えを求めるべきであって、アッ・トゥースィーを出すべきではなかった。
p268にもイブン・スィーナーの可能的存在についても井筒は語っているが、それはあくまでもイブン・スィーナー後のイブン・スィーナー解釈であり、それをイブン・スィーナーの真意とするのは正しいとは思えない。
あくまでもそれは後代の解釈であるだけなのだから
イブン・スィーナーの存在と本質の説は、自身のそれより大きな体系の一部であり、それから切り離して考えれば、もはや別物と言えよう。
アンリ・コルバンは「イスラーム哲学史」でスフラワルディーこそがイブン・スィーナーの後継者のようなことを語っているが、そちらの方が正しいように思える。

500考える名無しさん2018/07/18(水) 00:28:47.060
>>484
レス間違い

501考える名無しさん2018/07/18(水) 14:35:24.900
>>490
入り口として井筒俊彦の意識モデルとかどうだ?
表層意識の下に深層イマージュ意識がありそれを生み出す元型的な言語アラヤ識と言うべきものがある。更にその底に存在のゼロポイントという純粋経験的な「無」意識がある。
このモデルにほとんどの東洋哲学は放り込める。
井筒俊彦は「あくまで仮のモデル」と断ってるが。

502考える名無しさん2018/07/18(水) 15:25:29.410
なるほど東洋のさまざまな思想を
統一感のあるモデルに仕立てると

しかしそのこしらえた多層構造に
思想の言葉を当てはめて整理しても
説得力ある繋がりが見えてこないと意味がない

つまりそのモデルによってはじめて
明らかになった成果を具体的に教えて欲しいのだ

503考える名無しさん2018/07/18(水) 18:23:13.150
>>502
本質という視点から禅や道家の究極的本質は無いとする無本質論と究極的本質リアリティを想定するシャンカラ哲学を据えるが二つの鋭い対立を説きつつ無分節という点で共通すると説く。

またイブンアラビーの存在一性論もシャンカラと同じタイプに分類する。
両者とも究極的一者を想定してる。両者とも存在のゼロポイントを語っていると示唆してる。

少し省いて普遍的本質実在論が3タイプ。
第一のタイプが宋学。
中庸の已発(既に分節された意識)と未発(意識と存在の未展開状態。存在のゼロポイント)について語る。未発の性質は無極而太極(無の究極即有の究極)とする。
第二のタイプが元型を普遍的本質と認めるタイプ。
神秘主義、密教、シャーマニズム、ユダヤカバラ主義など。
詳述は避けるが元型から昇るイマージュ的無意識を手がかりにそれを利用し存在=意識のゼロポイント体験たる神人合一を目指す潮流。
第三のタイプは普遍的本質を概念として表層意識で理解するタイプ。
プラトンのイデア論や孔子の正名論(名と実を一致させようという論)
ニヤーヤヴァイシェーシカの存在範疇論など。
こういう分類をしてる。
こうした壮大な試みの根底には存在主義とも言うべきただ「在る」という事の深みを示唆してくれていると自分は思う。

504考える名無しさん2018/07/18(水) 18:55:20.000
そうか、説明はありがたいが
分類の妥当性と、分類から判明した
新しい知見というのが不明瞭だな
特に分類が抽象的で壮大なのが気になる

全体像じゃなくて
君が詳しいとか、特に名高い2つの比較を取り上げて
絞って凄さを語ってくれないか

俺が読んだ論文での評価では
比較思想じゃなくて
イスラム思想内だけの訓詁で革新的な解釈アプローチ
があったという感じだったが

505考える名無しさん2018/07/18(水) 20:50:49.350
>>504
> 俺が読んだ論文

何を読んだのか?

506考える名無しさん2018/07/18(水) 21:04:53.400
井筒ではない今の井筒に詳しい学者の
論文というか論文誌の書き物

イスラム思想を語学的手法を用いて
新しく解釈して、それがイスラム圏や欧米の
学者にインパクトを与えたみたいな書き方だったよ

だからイスラム思想にアラビア語を古典注釈を
駆使して斬新に解釈したと思ってた

俺が知りたいのはそのアプローチ法の中身
井筒後はどういう読みになったのか

507考える名無しさん2018/07/18(水) 21:14:22.930
>>506
> 井筒ではない今の井筒に詳しい学者の
> 論文というか論文誌の書き物

タイトルを挙げれば他の人も確認できるし
話が早いだろ

508考える名無しさん2018/07/18(水) 21:15:46.120
思い出せないけど
後でちょっと探してみるよ

509考える名無しさん2018/07/18(水) 21:20:05.470
人にものを尋ねる前に、自分の根拠を示す。
当たり前の話。

510考える名無しさん2018/07/18(水) 21:22:48.340
いや詳しい人なら
井筒がアラビア語の言語学的な古典注釈で
大きな仕事をしたかどうかは判断できるだろ

そんな話聞かないとかそれは評価されているらしいとか

511考える名無しさん2018/07/18(水) 21:31:26.750
いつまでもその辺をうろついていればいい

512考える名無しさん2018/07/18(水) 21:33:24.480
なんだやっぱり世界的業績が
パッと出てこないのか

みんな同じか

513考える名無しさん2018/07/18(水) 21:36:13.210
伝聞と推量

514考える名無しさん2018/07/18(水) 21:36:55.140
アラビア語の宗教的訓詁学はアラブ世界
にもあるだろうし
キリスト教の文献学も応用しやすいだろう

そこで井筒が語学的に鮮やかな意味分析を施して
一里塚を築いたとしたら世界的と言っていいのだが...

515考える名無しさん2018/07/18(水) 22:00:15.28O
>>387
ロシアは専制的。アジア的ヨーロッパ
日本は共和的。ヨーロッパ的アジア
おもろいね

516考える名無しさん2018/07/21(土) 11:01:51.940
不寛容な人に対して寛容であってはならない。もしオリヴァー・ウェンドル・ホームズの
言うように、自由な表現は、もしそれが明らかな目の前の危険だという証明がつく場合に
かぎり制約されるべきだ、と考えたならばリンカーンの主張は不可能になっていただろう
すなわちリンカーンは、平等の原理にはいかなる妥協もありえないこと、この原理は人々
の選択や選挙に基づくものではないのであって、そもそも人々が選挙をおこなう条件で
あること、黒人奴隷問題に関する大衆支配は、たとえ血まみれた内乱という明らかな目の
前の危険を回避できるとしても許されないことを主張したのである。
-アメリカンマインドの終焉-アラン・ブルームより一部抜粋

我々文明人は不寛容たる野蛮なムスリム達に対して決して妥協的であってはならないのだ

517考える名無しさん2018/07/21(土) 11:12:52.200
>>516
> 我々文明人は

何という差別。何という不寛容。

518考える名無しさん2018/07/21(土) 13:08:53.720
>>516
誰だ?関係ない政治的主張を宣うのは!

519考える名無しさん2018/07/22(日) 15:14:39.770
存在認識の道 解説Ⅵ pp.268-269
「存在という偶有を受け容れる以前の本質、すなわちまだ無の状態にある本質をモッラー・サドラーはアヴィセンナに従って可能的存在者と呼ぶ」

「可能的存在者は存在論的には実に妙な、中途半端なものとなってしまうのである。だが、アヴィセンナをこのように解釈するのは、通俗的解釈に過ぎない。
これはアヴィセンナ自身が理解していた存在可能性の概念からは程遠い。……存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質が可能的存在者に他ならないからである。」

「・・・・・・本質が先ず最初に、どこかわけのわからない所に、わけのわからない仕方で、可能的存在者として存立して、次に存在というリアリティが原因によってその中に注入され……というようなことが実在的に起こるわけではない。そういではなく・・・・・・」

520考える名無しさん2018/07/22(日) 15:34:24.920
>>519
これらの井筒(またはモッラー・サドラー)とイブン・スィーナーの本質理解はズレがあるように感じる。
確かにイブン・スィーナーは本質を可能的存在と呼んだけれども、必然的存在としての観点とセットであり、それら存在ということが本質に偶有・属性として対している。
「存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質」「可能的存在者」はともにイブン・スィーナーの言うところであるが、前者が後者であること「他ならない」ということはないであろう。
正確に言えば、イブン・スィーナーは本質が存在と結合しえる状態、または関係を「可能的存在」と呼んでいるのであって、「存在から切り離して純粋にそれ自身で考えられた本質が可能的存在者」というのとはズレがある。
本質が可能的存在者そのもの、つまり本質を実体的な存在のようにと想定するからこそ、井筒は「本質が先ず最初に、どこかわけのわからない所に、わけのわからない仕方」という批判を想定してしまう。
「次に存在というリアリティが原因によってその中に注入され……というようなことが実在的に起こるわけではない」というが、イブン・スィーナーの創造論(流出論)を考えれば、まさに事態はそのようなものとしか言いようがない。
必然的存在者・一者・神が存在を与えることによって、それらは存在する。この存在性はまさに本質とは区別され、その存在性が本質をリアリティ化(必然的存在化)する。
ここにおいて、本質ということそれ自体は存在と(可能的であろうとも、必然的であろうとも)別である。
これがイブン・スィーナーの説であって、本質を可能的存在そのものと見做したり、「存在というリアリティが原因によってその中に注入され」のではない、というのはモッラー・サドラー流の存在一性論的な解釈でありイブン・スィーナーの言うところから離れて行っている。
モッラー・サドラーによれば、存在自体が本質と不可分、むしろ存在(の強度)が本質というものがある由来としている。
イブン・スィーナーによれば、存在ということはあくまでも本質の結果であり、偶有である。
結局のところ、「アヴィセンナの真意」と井筒の言うところは、現代イラン・イスラーム哲学によるイブン・スィーナー解釈であって、イブン・スィーナー自身に即したものではないと言えよう。

521考える名無しさん2018/08/02(木) 20:03:38.270
井筒俊彦の生涯・思想・業績を紹介するドキュメンタリー映画
『シャルギー(東洋人)』
ダウンロード&関連動画>> @www.youtube 




“昔、東洋と西洋は衝突していが、井筒俊彦における東洋と西洋は響きあう”

東京イラン映画祭 8/7(火)~8/9(木)チラシ
【イスラム哲学】井筒俊彦を読む [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>10本 ->画像>43枚
【イスラム哲学】井筒俊彦を読む [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>10本 ->画像>43枚

東京イラン映画祭開催のお知らせ
イラン外交関係樹立90周年を迎えるにあたって8月7日~9日、
港区の赤坂区民センターにて東京イラン映画祭を開催いたします。
今回の映画祭ではイランの有名監督7人の作品を一挙公開する予定です。
詳しくは東京イラン映画祭2018のチラシをご覧ください。

主催:イラン文化センター(イラン・イスラム共和国大使館付属)
協力:港区、港区国際交流協会
日程:8月7日(10:00~21:00)、8月8日(10:00~21:00)、8月9日(10:00~17:00)
オープニングセレモニーは8月7日(火)15:00~15:30
会場:赤坂区民センター区民ホール(3F)
ペルシャ語音声・英語字幕(シャルギー(東洋人)は日本語字幕)
鑑賞料無料・予約不要

522考える名無しさん2018/08/02(木) 20:05:06.350
>>521
慶應義塾大学出版会@KEIOUP

日本の著名なイスラム学者で、コーランを日本語に翻訳した
故・井筒俊彦氏の生涯と思想を描いたたドキュメンタリー映画「シャルギー(東洋人)」が
8月7日、9日と東京イラン映画祭内(赤坂区民センター区民ホール)で上映されます。
3:57 - 2018年7月27日


niconicoffee@252coffee

今日の井筒俊彦ドキュメンタリー映画上映会は、
イラン文化指導省大臣顧問とかの挨拶があり、出演者も10人くらいきてて壇上で挨拶し、
上映後には監督本人と出演者代表によるティーチインもあり、
さらに会場外で飲み物とお菓子があって監督や出演者と歓談もできるという、
途方もない豪華上映会でした、、
8:12 - 2018年7月24日

523考える名無しさん2018/08/03(金) 01:54:57.230
>>521
東洋人(シャルギー)- wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E4%BA%BA%EF%BC%88%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%EF%BC%89

日本のイスラム学者、井筒俊彦氏の生涯を描いた映画、制作終了
http://parstoday.com/ja/news/japan-i46420

日本で、井筒俊彦氏関連のドキュメンタリー映画「東洋人」(シャルギー)が公開
http://parstoday.com/ja/news/japan-i46687
> この映画の制作にあたっては、12カ国以上の著名な思想家102人とのインタビューが行われています。

映画「シャルギー(東洋人)」の日本公開式典でイランのイスラム文化指導省代表が演説
http://parstoday.com/ja/news/japan-i46722

524考える名無しさん2018/08/07(火) 23:58:36.760
『シャルギー(東洋人)』は、単なる回顧録ではなく、哲学的にも充実した内容。

井筒の扱った主要な話題(言語学、意味論、宗教哲学、東洋、西洋、
イスラム、キリスト教、ロシア、インド、中国、仏教、神道など)
をバランスよく見渡し、世界的視点から今日的に読み直そうとしている。

シャルギーとは、「東洋の~」という意味らしく、
「東洋人」だけでなく、井筒のいう「東洋哲学」も追う形となっている。

525考える名無しさん2018/08/07(火) 23:59:15.550
井筒の評価

・言語テクストに向き合い、多様な宗教性を超えるメタ宗教哲学であったこと
・ムスリムにとっても、コーランを読み直す新しい視点を提供した
・井筒の解説する「東洋」は西洋人にも理解しやすく、西洋的分析哲学と東洋的神秘主義の乖離を越える

一神教でいう「神」を、「(形而上的)絶対者」あるいはその根源に横たわる「無」や「真如」として整理したことは、
イスラム圏の人にも西洋人にもよく理解されているようで、評価が高かった。

526考える名無しさん2018/08/07(火) 23:59:45.040
井筒は、政治性を匂わせることがなかったが、
どうもエラノス会議が、戦後にもかかわらず、二次大戦について政治的関心を寄せる雰囲気がない、
そういう性格のものであったらしい。

527考える名無しさん2018/08/27(月) 10:01:50.520
イスラム教徒に我慢ならないのは人権上の問題を指摘しても
人種差別と話をすりかえ議論にならないこと
根拠ある批判をおこなっているのに正面から対応する気が全くない
自由な社会においては宗教テキストは全て精査されるのだ
それに耐えられないのなら自分の国に帰るべきなのだ。

528考える名無しさん2018/08/27(月) 14:30:36.470
英文著作翻訳コレクションの刊行が止まってますね。
楽しみに待っているのですが。
原著の再版もストップしている様子ですし商業的な理由からなんでしょうかね?

529考える名無しさん2018/08/27(月) 14:34:21.590
英文著作翻訳コレクションの刊行が止まってますね。
楽しみに待っているのですが。
原著の再版もストップしている様子ですし商業的な理由からなんでしょうかね?

530考える名無しさん2018/08/27(月) 19:10:59.030
ガザ―リ「哲学者の自己矛盾」を読んでるけど、かなりいい感じだよ。
みんな、読んでみてよ。

531考える名無しさん2018/08/28(火) 10:33:44.700
 あまり日本で読んでいる人は少ないので、ガザ―リの「哲学者の自己矛盾」という本の内容を紹介する。
 ガザ―リによれば、世界(実存)の始まりより先に創造主(本質)があったはずである。
「世界の中に創造主はいない」という実存主義と考えられる主張が語られる。
ガザ―リはサルトルとは異なる主張を展開する。
 例えば、ガザ―リは「世界を創造する前に、創造主が存在した」という主張をとり、
「世界は始まりもなく、終わりもない。永遠の意志によって世界は存在する」という主張と対立する。
 さらには、イヴン・スィーナーの主張をガザ―リは紹介していて、かなり興味深い神学が語られる。
それは、こういうものである。神は原因であり、世界は結果である。
原因より結果は優れているはずなので、創造主たる神より。結果であるこの世界は優れていて幸せに満ちているはずである。
つまり、神は、この世界より醜く不幸でさげすまれているはずだ。
だから、この世界は我々が神として想像している概念よりももっと美しく幸せで誇り高き高貴な世界であるはずだ。
ガザ―リも「神よ、どうか実体より偉大な存在であってくれ」と力説してしまうが、
神はこの世界の素晴らしさより醜いものであろう。この世界の喜びは、神の優しさの現れであろう。
 キルケゴール「おそれとおののき」を読んだらまた加筆する。

532考える名無しさん2018/08/28(火) 19:07:17.570
せんでよい

533考える名無しさん2018/08/28(火) 19:55:36.970
連投君は誤読ばかりだから辛いわ

534考える名無しさん2018/08/29(水) 15:34:12.000
ガザーリーはオレは興味あるな。新実在論系のハーマンが取り上げてなかったか?

535考える名無しさん2018/08/29(水) 16:01:43.830
>>533
確かに、ぼくの解釈で書いているけど、
ガザ―リーについて書かれた哲学史ものはまったく存在しないじゃない。
よく、西洋哲学史が三世紀から十六世紀まで間が空っぽになって書かれているけど、
つまり、そこは本来、イスラム哲学が紹介されるべきなんじゃないの。

536考える名無しさん2018/09/19(水) 17:12:25.030
哲学者の自己矛盾(中村廣治郎訳)第八問
『本質(mahiyyah)の否定は本性(haqiqah)の否定である。存在者の本性が否定されれば、存在は思惟されない。』
『本質の否定は本性の否定であり、本性の否定によって残るのは、存在という言葉だけとなり、それが本質と関係づけられないときには、何の実体もないのである』

この訳文だけで理解しようとすると、どうして本質(マーヒーヤ、何であるかということ)の否定が本性の否定であり、それが存在が空虚(思惟されない)となるのかは中々理解できない。
ここで本性と訳されているハキーカとは第一義としては真実、真理、事実、現実であることを意味する。次いで本性、実在、真相、本質ということを意味する。
あるものの本質ということではマーヒーヤとハキーカの意味は重なっている。
とすると、ある本質(マーヒーヤ)が否定される時、それは本性(ハキーカ)が否定されるのと同義であり、ハキーカが否定されるということは、その現実性、実在性も否定されるのと等しい。
現実、実在であることが否定されれば、「存在、存在する」ということは、ただの言葉であり、概念であり、それ以上の意味はないことになる。

このようなマーヒーヤは、『意識と本質』Ⅱで述べられているものとは意味が違うであろう。
『意識と本質』ではマーヒーヤとフウィーヤは対立する。フウィーヤは個別的本質であり、現実的なリアリティを持つ。マーヒーヤは普遍本質であり、イデアのようなものであって、このようなリアリティを持たない。
ガザ―リーの言うマーヒーヤはこのような細分化された体系での意味ではなく、ここでのマーヒーヤはむしろアリストテレスに近いものと思われる(つまりマーヒーヤの語源に近い)。
ガザ―リーにとって、本質(マーヒーヤ)こそが存在の真であって、イブン・スィーナーのいうところの純粋存在(ウジュード・マフド)のようなものは、真なるものではないということになる。

537考える名無しさん2018/10/08(月) 05:37:26.170
ガザーリなんてイスラム世界を暗黒時代に追いやった張本人だろ

538考える名無しさん2018/10/08(月) 13:40:57.660
>>537
大学者の業績を一面だけで見て切って捨ててはならない。
例えば復古神道の大成者本居宣長は古事記をそのまま史実として読むという原理主義者。
高度に発達した仏教哲学や儒教を「いとこちたき造り事」として排斥する一方で現代に至る国文学の基礎を作った。
ガザーリーも原理主義的側面を持つ一方現代哲学の思弁的実在論にその隅因論が影響を与えたりアルガゼルとして西洋哲学に決定的影響も与えてる。

539考える名無しさん2018/10/08(月) 14:16:22.650
ガザーリー一人にそこまで影響力あったらとんでもない超天才ってことになるが

540考える名無しさん2018/10/08(月) 15:09:21.610
イスラム教スンニ派では「ムハンマド以来最大のムスリム」とされる超天才がガザーリー。
それだけの大物は一面だけで割り切れない。

541考える名無しさん2018/11/01(木) 10:14:41.000
ガザーリによってイスラム世界は信仰が理性に勝利した。
ルネッサンスまで後一歩だったのに
こいつの登場前は信仰より真理がまさるという意見もあったのに

542考える名無しさん2018/11/01(木) 10:32:59.920
科学的かつ客観的真理への信仰乙

543考える名無しさん2018/11/01(木) 16:02:52.000
モンゴルの侵入によって荒廃したのが原因だが

544考える名無しさん2018/11/01(木) 17:44:59.81O
イラン人やトルコ人もコーランはアラビア語で読んでいるの?

545考える名無しさん2018/11/02(金) 01:47:05.830
> 7世紀頃、ペルシア語に翻訳されたものをはじめとして、
> 現代に至るまでアラビア語を母語としないムスリム向けにクルアーンの翻訳がなされている。
> しかし、アラビア語以外のクルアーンが、クルアーンとして扱われることはなく、
> ムスリムは礼拝においてアラビア語でクルアーンを唱えることが義務である
> (これは日本人の葬式において、般若心経の現代語訳が唱えられないのと似ている。)。
>
> かつてトルコ共和国では政府の脱イスラム化の改革の一環として、
> クルアーンのトルコ語化がはかられるようとしたが、注釈用として以上の用途にはついに広まらなかった。

546考える名無しさん2018/11/02(金) 01:48:39.190
この般若心経云々の例には納得

547考える名無しさん2018/11/02(金) 01:58:11.860
>>543
むしろ、そこからが本番(>>422-425

548考える名無しさん2018/11/02(金) 02:01:06.250
トルコ共和国で行われたのはアザーンのトルコ語化だけで礼拝そのものはアラビア語だ
アザーン自体は各国語で行うこと許されているがそれでさえ不評だったからアラビア語に戻した

549考える名無しさん2018/11/02(金) 06:43:53.250
>>546
般若心経に限らず
日本のお経は一般信者は意味がわからなくてもよいものとして
唱えられているからなあ

550考える名無しさん2018/11/03(土) 16:27:54.310
昔、仏教界でも現代語訳でお経を読もうという動きがあったが檀家に不評で止めたらしい。

551考える名無しさん2018/11/10(土) 00:49:34.020
意味ではなく音が大事

552考える名無しさん2018/11/10(土) 13:11:34.980
日本の仏教ではそういうことが言われるが音が大事なんてことは残念ながら仏典に書かれてないんだよ

553考える名無しさん2018/11/10(土) 16:00:12.880
> 井筒俊彦(1914-1993)スレ

554考える名無しさん2018/11/12(月) 00:53:47.150
お寺で読経をするような時は「意味は知らなくていい」といわれる。
それぐらいの方が無心になれるから。

哲学で扱う時は、その一字一句を原語のレベルで読む。

555考える名無しさん2018/11/13(火) 11:55:42.610
パキスタン人「イスラム教の国での生活は地獄である」
https://coffeehonyaku.blogspot.com/2018/08/blog-post_42.html

556考える名無しさん2018/11/17(土) 17:28:04.260
>>542
科学は自然の無矛盾な理解が前提
イスラムは神が前提ということかな

新井白石が神という前提に有効な反論していて面白かった

557考える名無しさん2018/11/18(日) 14:54:30.580
アリストテレスの論理学であるオルガノン諸書は一般的にカテゴリアイ、命題論、分析論前後書、トピカ、ソフィスト駁論の6つだが、イスラーム哲学だと更に弁論学と詩学も論理学書だと見なされていた
この8つにポルピュリオスのイサゴーゲーを合わせたのが論理学の基本書

558考える名無しさん2018/11/23(金) 12:02:47.050
「多文化社会とは多紛争社会であり紛争の恒常的な状態を言います。」
「イスラム教原理主義者は私たちの生活様式である啓蒙主義の理想とは
何の関係もない。未来は破滅に向かっている。」

イスラム化を警告していたフランスの賞を受賞した歴史家・ジョルジュベンツサン

559学術2018/11/23(金) 13:56:49.940
お経ん坊さんの発言は論旨を見ると、遅れていると言わざる負えない。
救済するならそれなりの勉強、活動してほしい。

560考える名無しさん2018/11/23(金) 14:42:49.880
ヒンドゥーの一亜流に過ぎない釈迦の観念論が、後世平民に迎合し腐敗し、
支那を過ぎ更に歪曲して伝播された仏教なんか信仰に値しない。

尤も、ヒンドゥーの最終形態ヴェーダーンタ至高の聖典は、
平民なんかに真に理解出来ないから仕様ない。


真の宗教を理解も実践も出来ない平民は、
仏教(≠釈迦の教え)キリスト教(≠キリストの教え)等の似非宗教か新興の偽宗教を信仰するしかないからな。
抑々、何もかもがその程度だ。


釈迦が悟りとやらを開いた時、それを平民に理解させるのは無理だと諦めた。
梵天勧請から布教を始めたらしいが、やはり、平民には理解不可能。
故に、最後に法華経でお茶を濁した。


似非宗教なんか出さなくても、カルマの法則は機能している。
原因のない結果はない。
科学的に云うと、作用反作用の法則みたなものだ。


抑々、共産主義は、原始キリスト教から派生した宗教だ。
そら、仏教もキリスト教も迫害するさ。
似非宗教VS似非宗教の図式。

561考える名無しさん2018/11/24(土) 06:11:57.420
>>560
法華経は釈迦が説いたものでなく後世釈迦に仮託して説かれた経典だよ。

562考える名無しさん2018/11/25(日) 12:43:35.150
アズハルのようなイスラム教育期間では、クルアーンの最も正しいのはクルアーンを
文字通り読み字義通り解釈することであると教えられています。またイスラム法上の
最も強力な規定というのは、クルアーンとハディースの字義通りの意味から導出される
規定であるとも教えられています。これらはイスラム法の大原則であるとも教えられています

クルアーンの章句に立脚していればそこから導かれる複数の解釈は全て正しい価値を持つ、
というのがイスラム教の教義です(中略) 人間には本当のことはわからず真実は神だけがご存知、
というのがイスラム教の大原則であり、解釈が複数存在する場合に どの解釈を採用するかは
個人の選択に委ねられています。

私のクルアーンの引用が恣意的であると感じる人もいるかも知れません。
しかしクルアーンの特定箇所やハディース、 イスラム法の権威ある学説を論拠として引用し
正当化するのがイスラム法的論証の基本的なやり方なのです。

イスラム教の倫理 飯山陽 一部抜粋

563考える名無しさん2018/12/03(月) 08:29:39.820
愛弟子の五十嵐教授が殺されてもイスラムへの愛着は変わらなかった。
つまり「悪魔の詩」を翻訳した五十嵐は殺されて当然と考えたのだろう。
イスラム教とはそれほどまでに人間性を奪うものなのだ。

564考える名無しさん2018/12/03(月) 14:51:27.400
普通の知性があれば理解できるだろう。
逆のケースを想定してみよう。日本人で誰か狂信的な右翼が、イランの
大学教授に天皇について否定的なことを書かれたから、殺害してやろう
と思い立つ。で、イランに渡航したところで、イランの大学の研究室
を訪ね、他に誰もいない時間帯を狙って教授を殺害し、日本に逃げ帰る
ことに成功する、なんてシナリオよりも、現地の言葉も文字も分らず、
教授の殺害に成功するどころか、教授の研究室のある大学までたどり
着けない可能性の方が高いんじゃないかなw

565考える名無しさん2018/12/03(月) 15:49:52.570
当時はイランとはビザなしで渡航できたから沢山イラン人がいたんだな

566考える名無しさん2018/12/03(月) 16:13:27.210
そのなかで筑波みたいな田舎の大学の研究室を探し出して、殺害と逃亡を
綿密に計画できるような日本語能力のあったイラン人がどれだけいたかな?

567考える名無しさん2018/12/04(火) 12:22:09.870
>>563
意味不明…

568学術2018/12/04(火) 14:11:58.230
大学校教授じゃなあ。司教とかのほうがいいのにね。

569学術2018/12/04(火) 14:12:41.970
教授行為も格調高いもんでしょ。レーラーリン。

570考える名無しさん2018/12/06(木) 14:18:17.930
言語と呪術を読むとしよう。

571考える名無しさん2018/12/06(木) 16:10:54.510
読経で物の怪を調伏していたのだから呪術でしょうw

572学術42018/12/06(木) 17:05:32.290
呪文 呪詛 呪術 のどれかを選んで説明して?三人以上で。

573考える名無しさん2018/12/06(木) 17:16:17.880
>>572
どういうこと説明して?

574考える名無しさん2018/12/07(金) 13:44:04.660
我々はイスラム教徒に騙されてはならない。非イスラム教徒から澎湃と湧き起こる
反イスラムの動きを抑えようと嘘をついているのだ。欧州では人種差別として扱うべきと
する要求すら出している。平和の宗教と虚言をばらまき宗教が人種問題なんてありえん
確かに聖書にはヘト人やアモリ人を皆殺しにせよという残虐な神からの 命令があります。
しかし我々はヘト人でもアモリ人でもありません。 つまりユダヤ人やキリスト教徒が
殺害する対象には我々は含まれていません。 しかしイスラム教の不信仰者や多神教徒を
見つけしだい殺せという 神からの命令は今でもいきているのです。
フランスの有識者達が残虐な章句を削除するように要求した時に
それに賛同したイスラム法学者がいただろうか?少なくとも私は一人たりとも知らない。
いるなら教えて欲しい。トルコやイラン、エジプトと反対と反発ばかりなのだ。
つまり不信仰者と多神教徒殺害の神からの命令を放棄しないと言っているのだ。
人口1千万以上の人口で日本以下の殺人発生率の国は世界で一ヶ国も存在しない。
我々の社会と子孫を守る為に彼等ムスリムを一人たりとも受け入れてはならない。

575考える名無しさん2018/12/11(火) 13:49:52.280
古代日本語は話された言葉とその対象とのあいだに違いがなくコトという同一の語が両者に当てはめられる(言語と呪術)より。

576考える名無しさん2018/12/11(火) 14:23:16.980
「言語と呪術」で井筒俊彦はカルナップやチャールズ スティーブンソンみたいな分析哲学を飲用してる。

577考える名無しさん2018/12/11(火) 16:04:14.980
いつまで大風呂敷彦読んでるの

578考える名無しさん2018/12/11(火) 20:38:13.720
>>574
誰だよ?最近政治的主張する変人が出没してるけど。お前だよ!

579考える名無しさん2018/12/11(火) 20:44:43.280
>>577
大して井筒俊彦読んでないクセに!
「意識と本質」要約する位やってから大口叩け。

580考える名無しさん2018/12/13(木) 10:52:48.340
語学達人界隈のネタってフカシばっかだよね
フカシ彦

581考える名無しさん2018/12/17(月) 10:24:47.960
井筒俊彦って若い頃すごい美形だったんだね
嵐の櫻井君みたい
【イスラム哲学】井筒俊彦を読む [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>10本 ->画像>43枚

582考える名無しさん2018/12/18(火) 09:15:24.670
何故ユダヤ教徒やキリスト教徒がムハンマドを預言者と認めないのか、
それは預言者は神の選民たるユダヤ人からしか誕生しないとしているから。
考えてみて欲しい、ムハンマド以外の預言者は全て例外なくユダヤ人である。
そのことはキリスト教徒も理解している。ムハンマドが預言者という基本的なところで
虚偽であるとして嫌われる。神の選民でもないアラブ人から生まれるものかよ、と

583考える名無しさん2018/12/18(火) 13:24:43.710
預言者はユダヤ人のみと言ってるのはユダヤ人だけ、という可能性もありますね

584考える名無しさん2018/12/18(火) 13:48:42.550
預言者が山師って可能性が一番高い

585考える名無しさん2018/12/21(金) 11:25:23.140
>>582
聖書の預言者はユダヤ人だけじゃないよ。

586考える名無しさん2018/12/21(金) 11:27:55.190
言語と呪術はラッセルや心の哲学で活躍するデネットの師ライルも引用してる。

587考える名無しさん2018/12/22(土) 11:36:48.400
時宜にかなった本の邦訳が出版されました。
イギリスのジャーナリスト、ダグラス・マレー氏が著した『西洋の自死』
(町田敦夫訳、東洋経済新報社)です。 欧州諸国は戦後、移民を大量に受け入れてきました。
著者のマレー氏は、その結果、欧州各国の「国のかたち」が大きく変わり、
「私たちの知る欧州という文明が自死の過程にある」と警鐘を鳴らします。
昨年出版された本書は、まず英国内でベストセラーになり、
その後、欧州諸国を中心に23か国語に翻訳され、大きな話題となっています
https://www.sankei.com/region/news/181217/rgn1812170019-n1.html

イスラム移民がいかに社会を破壊するか理解できる正義の本が発売!

588学術2018/12/22(土) 11:46:03.840
戦ってみて認めてるんじゃないの?

589考える名無しさん2018/12/23(日) 08:20:31.300
アラブとムスリムは世界に荒れ狂うテロの直積責任を認めよ
―イラク紙編集長の主張― 著者アドナン・フセイン
小学校、中学校、高等学校そして後になると大学でも、宗教と歴史の教科で我々は選民であり、
至高且つ栄光の民であるとか、我々の宗教が真の宗教であり、(地獄の業火から)救われる
正しい民は我々であるとか、ほかの民は偽りの民で地獄に落ち業火に焼かれる不信心の民であり、
その民の殺害は許され、その民の財産と妻を我々がとっても構わないなどと教えている
我々の子供達と孫達は、他者の宗教や民族或いは国籍などに関係なく、すべての他者を敵視して、
世界聖戦をやっているのである。この環境が過激イスラム集団を生みだした。この集団は、
貧困と失業という土壌で発芽し、汎アラブ主義の名においてそして又時には宗教と宗派の名に
おいて犯される拝斥、人権強奪、個人及び集団の自由の侵害そして信義の侵害によって育っていく
我々はテロに対する我々の責任からのがれることはできない。言い訳も役に立たない。
まず我々は責任を認め、我々自身と他者に謝罪し、今から我々の生き方を改めていかなければならない。
そのためには、教育のカリキュラムを再検討し、初等教育から大学レベルまでそれを根本から
かえなければならない。それをやらないと何も前に進まない
https://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP622115

590学術2018/12/23(日) 09:03:16.720
過激派は一部だが激高することがあってもいいよ。

591考える名無しさん2018/12/24(月) 00:30:22.910
@岩波文庫2月。
小池昌代編『吉野弘詩集』
宇野千代『色ざんげ』
川合康三,富永一登,釜谷武志,和田英信,浅見洋二,緑川英樹訳注『文選 詩篇 五』
井筒俊彦『神秘哲学――ギリシアの部』
岡義武編『明治政治史 上』

592考える名無しさん2018/12/24(月) 09:39:08.900
一夫多妻制は市民権であると述べたイスラム教徒の指導者、
イタリア政府で「民主的代表」を要求
http://www.ilgiornale.it/news/politica/lislamico-che-vuole-poligamia-sfida-salvini-organizzi-1619972.html

イタリアイスラム共同体連合(UCOII)の創設者は、イタリア人は「一夫多妻制の
人口学的効果を過小評価するべきではない」と主張して知られています
彼は今、そのイタリア政府に、イスラム教を政治体制に持ち込むよう求めています。
「政府がイタリアのイスラム教に秩序をもたらすことができる協議を組織させよう、
我々はこの無秩序にうんざりしています」

593考える名無しさん2018/12/26(水) 09:12:38.550
日本での「本来のイスラーム教はこうだ」という議論には、イスラーム教も日本的な
「こころ教」と「本来は」同様であると議論するものが多く、欧米でもスピリチュアリズムや
政教分離思想を普遍的と考える論者が、イスラーム教でも宗教は人間の内面に限定されるのが
本来のあり方であるという誤った説明をしているといった事情がある。
アラブ世界でも、イスラーム世界一般でも圧倒的多数は、人間の外部に神が絶対的な規範を定め、
それを人間は護持していく義務があるのだ、と信じている。日本の宗教に大きく欠けているのは
(それがいいか悪いかは別に)、律法主義的な側面だ。「あなたがどう考えるかどうかとは別に、
あなたのこころとか世俗社会の論理などの外に、絶対的な規範を示す存在がいて、
規範を示しています」ということ信じ、実践する(それぞれのあり方で)のが律法主義と言えるが、
日本ではこれを理解できない人が多い。私はどのタイプの宗教が正しくて、他は正しくない、
という立場ではない。しかし日本の外には律法主義を根幹とし、「本来」のあり方とする宗教があり、
人数から言っても、国際世論の中での支配的な地位から言っても、そちらが圧倒的に優位である。
キリスト教を固く信じているからイスラーム教を認められない、というような人はまだ、
自分がどのような規範体系を信じていて、それに対してイスラーム教の規範体系のどの部分が
認められない、ということを議論するきっかけがある。しかし「こころ教」の場合は、
世界の大多数の人が信じている律法主義的な宗教を丸ごと「宗教じゃないでしょ」と言って頭から退け、
自足してしまうのだ。当初から、イスラーム教(あるいは宗教一般)にある律法主義的な側面と
霊性主義的な側面の判別能力の有無が、日本での無理解や抵抗感の根幹にあると私は考えており、
折に触れ指摘してきたが、状況はまるで変わっていない。宗教者や宗教学者ですら気づかないのだから、
一般人は気づきようがない。----------------------------------池内恵

594考える名無しさん2018/12/26(水) 10:27:58.910
「薔薇の名前」でも読んだらいいんじゃね?

595考える名無しさん2019/01/01(火) 03:48:49.050
アルジェリアの活動家は「哲学と闘う」ことを望んでいる

政治活動家Houria Bouteldjaは、イスラム人権委員会の会議でスピーチで次のように
述べています、哲学主義と戦う "「我々は国家人種主義の同じ面である過激なイスラム恐怖症と
哲学を批判しなければならない。ハマスとヒズボラは抵抗する抵抗運動です。
私はこれら二つの運動が抵抗運動であることを大声ではっきりと述べます。」
https://www.i24news.tv/fr/actu/international/europe/192151-181231-france-une-militante-franco-algerienne-veut-combattre-le-philosemitisme

596考える名無しさん2019/01/01(火) 04:02:48.730
サウジアラビアに導入される哲学 18年12.31

サウジアラビアの教育者たちは、王国の学校で哲学の研究を紹介する準備を始めました。
何人かの観察者はサウジアラビアの教室に哲学を含めることを賞賛し、彼らはデジタル教育と
STEM科目(科学、技術、工学と数学)に重点を置いているビン・サルマンの教育改革に賛辞を
示しています。しかし、他の人たちは、まさに「哲学」や「批判的思考」が何を伴うのかについて
懐疑的です。クウェートの教育者、Dhari Salmanは「哲学を自由思考プロセスではなく
悪魔の道具と見なすことは保守的な長老たちの間では一般的でした。」問題は、「神学は
サウジ国民が生まれる瞬間からの日常生活における最大の関心事である」ということです。
1960年代に始まって、シェイク・アブデル - アジズ・ビン・バズと他の高い尊敬された
サウジアラビアの宗教学者たちは学校で哲学の教えを禁止するいくつかの「ファトワ」(イスラムの判決)
を出しました。彼らは、この主題を「異端者」および「悪」と見なしました - 社会の柱に対する脅威です。
https://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-5438386,00.html

597考える名無しさん2019/01/01(火) 13:19:13.330
>>595
政治的主張はよそでやってくれ。

598考える名無しさん2019/01/01(火) 15:21:07.390
>>596
宗教学者が危機感を抱くほど哲学が浸透してるのは喜ばしいことではないか。
何か問題でも?

599考える名無しさん2019/01/02(水) 08:25:52.300
>>598

ムハンマド皇太子が改革でこれから哲学を導入するという話なんだが?
サウジは60年代から哲学を教えていない。

600学術2019/01/02(水) 09:01:02.930
一夫多妻というと妻が並べられるから品が悪いね。女が多いのは良いけど。

601考える名無しさん2019/01/02(水) 12:05:39.910
>>599
いくら極端な保守的ワッハーブ主義者が外来思想の受容を拒んでもグローバル化にさらされて受容せざるを得なくなるよ。
イスラムには豊穣な哲学的遺産があるからそれが再発見されると良いね。

602考える名無しさん2019/01/03(木) 14:44:42.290
哲学は全てを検証するだろう。それは神や信仰も例外としない。
批判精神にイスラムが耐えられるとは考えられない。
ザカーリーを持ち出して哲学者は再び非難されるだろうな。
過去におきたことと同様のことがおきるだろうな。

603考える名無しさん2019/01/03(木) 18:04:27.910
>>602
ザカーリーって誰?
聞いたことないが?
ガザーリーなら活躍して何年たったと思ってる!
古いよ。
最もガザーリーの偶因論はグレアム ハーマンの最新の哲学に取り入れられてるけどね。

604考える名無しさん2019/01/04(金) 19:52:04.880
偶像禁止という偶像を破壊できるか

605考える名無しさん2019/01/05(土) 07:46:34.290
>>603

間違えただけだろう。12世紀にイスラム社会が哲学を拒否しただけじゃない。
サウジアラビアは1960年代に哲学を教育から排除しているだろう。
2度目の拒否じゃないのか?あの社会に神を自由に批判的精神で検証することなどできるのか

606考える名無しさん2019/01/05(土) 16:43:01.930
中東の北朝鮮という異名を持つサウジアラビアはイスラム機構57国でもかなり特殊だろ!
石油で儲けたからそういう閉鎖的政策も出来たが8割の確率で今後は変わらざるを得ない。

607考える名無しさん2019/02/02(土) 15:27:58.750
イスラム文学の代表作、イスマイール一世の「英雄詩」をアゼルバイジャン語から訳してくれ。

サファヴィー朝の建国者であり、「神」「預言者」と呼ばれるのを辞退したらしい。

608考える名無しさん2019/02/02(土) 15:41:20.280
キリスト教に関する著述をもっと読んでみたかった

609学術2019/02/02(土) 18:55:45.300
ソクラテスは弁証法デカルトは批判とすると批判まで零落した哲学にイスラム教相手取って何ができるというんだい?

610考える名無しさん2019/02/02(土) 20:30:35.980
>>608
「読むと書く」「神秘哲学」「ロシア的人間」でキリスト教に触れてる部分はあるよ。

611考える名無しさん2019/02/04(月) 11:57:46.980
イスラムもの。読んで感想くれ。

井戸の所有
http://2chb.net/r/bookall/1549073894/145

612考える名無しさん2019/02/04(月) 17:58:55.490
存在と本質の関係を、非限定と限定、あるいは無限と有限の関係に置き換えてみる。

613考える名無しさん2019/02/04(月) 18:24:02.510
ガザーリーの「哲学者の意図」を読んでる。
340ページのところを146ページまで来た。
あまりたいした内容はない。

614考える名無しさん2019/02/05(火) 13:23:29.210
ブリハッドの神学的応用
http://2chb.net/r/bookall/1549073894/164

615考える名無しさん2019/02/05(火) 13:31:16.730
ここ、すごいな。インド哲学の「ブリハッド・ウパニシャッド」と似たことをいってる。
これを読むかぎりでは、「霊魂」は「無意識」のことをそう呼んでいたようだ。

ガザーリー「哲学者の意図」200ページ

そのもの自体にある性質を与えるような他の助けを必要とせず、
可能的なものをすべて所有し、
それを備えているようなもの。
これは完全(存在者)と呼ばれる。

616考える名無しさん2019/02/05(火) 13:50:31.000
アーリア人、アラブ人、ペルシャ人の思想的起源はゾロアスター教にあるのだから
同様の世界観が見られるのは当然だろ
ヤハウェとアッラーは似ている!と言って喜んでるようなもんだ

617考える名無しさん2019/02/05(火) 16:25:59.350
>>616
いや、読む前は誤解していたことでいっぱいだよ。

618学術2019/02/05(火) 18:15:15.820
ネーチャン オプ イスリム

619考える名無しさん2019/02/07(木) 10:41:03.810
>>616
ガザーリーの思考の根底にはプロティノスの新プラトン主義があるのだろう。
新プラトン主義とインド哲学は中村元以来共通性が指摘されてる。
ウィリアムジェームズが神秘主義はその宗教や地域を問わず似たものになると指摘してる。
神秘体験自体に共通性があるのだろう。

620考える名無しさん2019/03/12(火) 11:42:00.110
岩波文庫版の「神秘哲学」読んでるが改めて読むとこんなに面白かったのかと感動してる。

621考える名無しさん2019/03/19(火) 08:44:49.590
この人、ウリである共通性をたぐったジャンプが
かなり粗いよね
グダグダ書いているわりに
つなぎ目を見るといい加減

東洋とかそういう言葉に寄りかかりすぎも酷い

622考える名無しさん2019/03/19(火) 09:48:56.090
井筒俊彦の文庫化されたやつ、「神秘哲学」と「意味の深みへ」はどんな感じ?
興味あるんだけど。

623考える名無しさん2019/03/19(火) 13:46:08.370
>>621
具体的にどの著作のどの部分が粗くつなぎ目がいい加減?

624考える名無しさん2019/03/19(火) 13:53:51.210
「意識と本質」でいろんなタイプの思弁的な人間が
出てくるだろ

こいつのこの言葉は俺のいうこれだって論法が
いい加減

625考える名無しさん2019/03/19(火) 19:44:06.480
>>624
例えば?
意識と本質は思い切り単純化すると本質否定論と本質肯定論の3つのタイプが出るがどの辺が原典と照らしていい加減?

626考える名無しさん2019/03/19(火) 21:10:35.210
>>624
『意識と本質』より緻密で内容の濃い本とは、例えばどういうものがある?
挙げてみて?西洋のものでもいいよ。

627考える名無しさん2019/03/19(火) 21:18:04.760
緻密というよりもしっかりと整理されて
接続しているということが重要
グチャグチャで唐突な発想の連続じゃないということだな

たとえばコリンウィルソンの「アウトサイダー」は
きちんと整理されているし、フランス人の
「道徳を基礎づける」は明快な論旨だ

俳句だの老師だのを勝手に自分の言葉で
本質wを掴んだように性急におかしな図式に当てはめない

628考える名無しさん2019/03/19(火) 21:26:12.110
これは廣松もそうだな意味不明
中井正一の一部もそう

たとえば和辻はそういうものがほとんどない
大拙もな
言いたいことそのものはすぐに分かる

まあ井筒のは文体でいえば自分でも整理できていない
悪しき曲線状とも言える
どうしても入れたいから入れたんでしょっていう奴な
無論解題的な書き物は別な

以上のような意味不明さは現代日本の著作だと
まず見られない
たとえば「仏教のゼロポイント」とか
見通しがきちんと立つよ

629考える名無しさん2019/03/19(火) 21:39:41.900
>>627-628
その程度の本を読んでいるレベルの人に『意識と本質』は難しいかもね。

630考える名無しさん2019/03/19(火) 21:46:35.430
デリダは井筒俊彦を巨匠と呼び敬意を表したがデリダ的にはどこが凄いと感じたのだろう?
井筒俊彦は西洋哲学の解説に終始する書生哲学がもてはやされる日本では毀誉褒貶があるがヨーロッパやイスラム圏では日本より高く評価されるのは何故だろう?
彼の語学力を除いても評価が高い。

631考える名無しさん2019/03/19(火) 22:08:40.910
>>629
個々の思想/芸術への見方は別個の批評としては
読み物になり得るんだよな
ああそう感じたんですね貴方は、で済む

だがそれをあの文体で大きな構築物の部品にすると
途端におかしくなる
唐突に観念が登場してロクに整備しないで進むんだから

東洋的、が念仏みたいに響くな

632考える名無しさん2019/03/19(火) 22:09:46.400
まあ整理されていないのが大きいな
小林秀雄よりもさらに一段分酷い

633考える名無しさん2019/03/19(火) 22:12:02.080
>>631
馬鹿の耳に念仏

634考える名無しさん2019/03/19(火) 22:18:48.670
信者しかいないというのもヤバさの特徴だな
傷ひとつさえ指摘できないで
その程度の本を、とか言っちゃう

他人と論争になるような分野じゃないのに
かなり等閑視されてきたのは実際
理由があったんだと思うね

現実にネット上にロクなサマリーもないしね
テーマの大きさと語学神話みたいな
ハッタリでナイーブな読者を獲得しているのかもしれない

635考える名無しさん2019/03/19(火) 22:33:34.900
そういやこのスレ読み返してて出てきたが
九鬼も和辻型で個々の細かい穴があっても
きちんと見通しのいい論旨で唐突さはない

軽みやレトリックから生まれた俳諧表現を
謎の俺言葉でなんの前提もなく解釈したりはしない

そう考えると美学上のひとつの重大な姿勢に
ぶち当たる

それは偉大な芸術だと感じられる作品は
極めて思弁的な精神文化の分析においても偉大で
高度に整合的であるという憶測だ
これを井筒にも強く感じるな

現代アートの有名作品には必ず深い哲学が
潜んでいるという誤った発想と同じ

636考える名無しさん2019/03/20(水) 00:13:11.800
>>634
もうちょいマシな本出せよって気持ちは理解できる。権威主義的に上から目線もあるだろうが。

637考える名無しさん2019/03/20(水) 00:16:18.130
>>635
井筒俊彦が取り上げた俳句の赤冊子は原典読んだけどやはり深いと思ったけどね。

638考える名無しさん2019/03/20(水) 08:22:32.790
芭蕉周辺の俳論は日本の芸術思想上もっとも
目を惹く成果かもしれない
非常に洗練されて独自性がある
風姿花伝なんかとは違う

問題となるのは今流行りの俳句添削みたいな
特定の創作の営みから切り離して、
唐突に別の観念の地図に当てはめること

読み手は論旨の重要な接合部を、信者パワーを
その都度発揮してモヤモヤと乗り切るしかない
なんか深淵そうだなあって

639考える名無しさん2019/03/20(水) 13:39:12.940
>>638
接合部とか抽象的で分かりにくいな。
もっとも君がよくわかってないんだろうが!

640考える名無しさん2019/03/20(水) 15:41:43.970
>>639
昔のことで手元にないからすまんな

641考える名無しさん2019/03/21(木) 22:41:56.690
怖い怖いwww

642考える名無しさん2019/04/01(月) 17:58:37.970
井筒の本が次々と岩波文庫で出てるけど、どんな感じのことが書いてあるの?

643考える名無しさん2019/04/01(月) 18:39:14.610
井筒俊彦の「意味の深みへ」、アマゾンランキング1600位とかなり売れてるじゃん。

「コスモスとアンチコスモス」も四月に岩波文庫で出るらしいね。

644考える名無しさん2019/04/02(火) 02:03:24.460
「日本の友への手紙」 『プシュケー:他なるものの発明II』 (2019/03/27)
ジャック・デリダ
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0246900.pdf

“親愛なる井筒教授。

 私たちが会ったとき、私はあなたに「脱構築」という語について―図式的で予備的なものではありますが―いくつかの省察をお約束しました。
 問題になっていたのは、要するに、この語を日本語に訳すときに可能な翻訳への予備考察(プロレゴメナ)でした。(略)

 なかんずく私が望んでいたのは、ハイデガーのDestruktion[破壊]もしくはAbbau[解体]という語を私の意図へ翻訳し翻案することでした。(略)

 けれどもフランス語では「破壊[destruction]」という語は、ハイデガー的な解釈もしくは私が提案していたタイプの読みよりも、
 おそらくはむしろニーチェ的な「粉砕」に近い無化、否定的還元という含意があまりに際立っていました。
 そこで私はこの「破壊」という語をしりぞけたのです。(続く)”

※デリダの最重要概念である"脱構築"の説明を収録した『プシュケー』は、これまで邦訳されていなかった

645考える名無しさん2019/04/02(火) 02:03:54.670
“井筒が生涯をかけて探求したのは、万物を超越する一神教ではなく、万物に内在する一神教である。
 ユダヤ教、キリスト教の伝統に連なるとともにその伝統を刷新し、純粋化していったイスラームのさらなる東方的な展開である。(略)

 アラビア半島に生まれた森羅万象すべてに超越する神、スンナ派の神ではなく、
 イラン高原で生まれた森羅万象すべてに内在する神、シーア派の神であった。

 イラン高原では、神は「存在」と言い換えられていた。
 「存在」の根源にして、根源の「存在」である「神」、そこから森羅万象あらゆるものが産出される「神」。

 その「神」は一なる神――一神教すべての根幹となる唯一無二の神――を可能にする「無」の神、
 より正確には、「無」にして無限の神であった。”

― 安藤礼二 「「東方哲学」素描:鈴木大拙、折口信夫、井筒俊彦の仏教」 『現代思想 2018年10月臨時増刊号 仏教を考える』

646オーバーテクナナシー2019/04/03(水) 03:53:01.150
☆イスラムは科学を滅ぼす?・未来予測
http://2chb.net/r/future/1345329336/

647考える名無しさん2019/04/06(土) 20:41:39.700
若松英輔に井筒俊彦が山崎弁栄に会っていたら井筒俊彦はイスラムに行かなかっただろうと言わせた浄土宗の高僧山崎弁栄は「超在一神教的汎在神教」をとなえた。
超越的一神に相当する彼の法身の阿弥陀如来と本覚思想の一切衆生悉有仏性の統合と現代的表現だろうけど。

648考える名無しさん2019/04/07(日) 02:07:51.300
若松英輔の妄想世界ビジネス炸裂

649考える名無しさん2019/04/07(日) 10:47:38.560
>>648
若松英輔の場合山崎弁栄の作った光明会上首で東大教授だった河波昌の影響が強い。

650考える名無しさん2019/04/10(水) 00:08:44.050
山崎弁栄いいね。
「超越即内在」。“内なる仏であり、なおかつ外なる仏である”。

一神教と汎神教との相克を超えた「超在一神的汎神教」という立場は、
宇宙を直感するシュライエルマッハーの宗教学を背景としている。

フッサールと同じ1859年生まれで、
インド各地の仏蹟各地を巡拝した最初の日本人。

651考える名無しさん2019/04/19(金) 17:51:07.460
井筒俊彦の「神秘哲学」、一行目がすごいというから読んでみたが、確かにすごいなあ。
640ページもあるから、後まわしにするかもしれないけど、
絶対に読むぜえ。

652考える名無しさん2019/04/19(金) 17:59:42.680
井筒俊彦「神秘哲学」は、一行目からこんなんだぜ。超面白そう。

山深きアジアの蛮神ディオニソスの狂乱が、
あたかも何者の権能を以てしても阻止しがたき悪疫の伝播するごとく、
村から村へ、都市から都市へ飛び火して、すなわちのうちに全ヘラスの美しき天地を
血腥き霊気に充たして行ったのは、人も知る如く西暦紀元前六世紀のことであった。

653考える名無しさん2019/05/09(木) 16:20:12.760
井筒俊彦「神秘哲学」を読み始めたぜ。

井筒俊彦の短い記事が後半にまとまっているみたいで、楽しみだ。

654考える名無しさん2019/05/10(金) 15:46:07.510
井筒俊彦「神秘哲学」96ページ

すごいいいわあ。
井筒俊彦がいうには、哲学者は生きて帰って来るものだと。
生きて帰ってこなければならないと。
井筒俊彦は、宇宙の究極的救済を目標とするのが神秘主義であり、
哲学者はその目標に気づくまで探索して、その後、さらに生きて帰って来なければならないという。

655考える名無しさん2019/05/10(金) 16:19:13.510
>>566
国家レベルで派遣したなら可能だろ

656考える名無しさん2019/05/10(金) 16:24:24.260
>>582
イスラエルを呪うよう要請された預言者バラム
ヨブ記のヨブはウツのアラム人かエドム人

657考える名無しさん2019/05/10(金) 17:32:38.150
>>615
哲学者の意図はガザーリー説じゃなくてイブン・スィーナー説な
イブン・スィーナーが仕えたアラッダウラへの知識の書をアラビア語に抄訳翻訳したもの

658考える名無しさん2019/05/12(日) 12:29:34.870
  19、神秘主義に寄せて

 中江兆民の著作に「三酔人経論問答」という本がある。明治の哲学書で広く読まれたものである。
 それは、古代中世の征服者を良しとする豪傑君と、啓蒙の思想家である紳士君の意見の対立を扱った哲学書である。
 紳士君がいくらギリシャ哲学を根拠に理想主義を唱えても、そんなものは、豪傑君の暴力主義に殴り倒されてしまうと書かれている。
 紳士君と豪傑君の思想には、それぞれ、現実を反映したものがあり、
両者の良いところを抽出する現実主義によって政治は動くとして終わる。
 これは、百年前の明治の思想であり、現代だとさらにちがうと思われる。
 しかし、紳士君の理想主義とはどんなものなのか。それは、
井筒俊彦の「神秘哲学」という書にある記述が最も典型であると思われる。
理想主義者の井筒俊彦は1949年の書で何をいったか、それは以下のようなことである。
 哲学者は、生きて帰って来なければならない。
 井筒俊彦によると、神秘主義とは、宇宙の究極的救済を目的とするものである。
哲学者は、哲学の散策の中でそれを発見して、さらに、生きて帰って来なければならない。
 哲学の神秘主義とは、それが宇宙の究極的救済を目指すことを発見することである。
 井筒俊彦はいう。「人が神に成り、神であること」が神秘主義であるが、神に成るとは、力強い力を得ることではなく、
人間の身に許された限り、宇宙を救済することである。
世界を救済する理想によって神に似ることが、神秘主義哲学である。
 これが、暴力主義に対しての、理想主義である。

659考える名無しさん2019/05/12(日) 12:29:57.550
 暴力主義で最強を目指すという哲学者もいるかもしれない。
 机上の空論と呼ばれても、理想主義を追求する哲学者もいるかもしれない。
 しかし、ぼくは、哲学者すべてが宇宙的救済を目的とすることには、不安を感じる。
哲学の目的は、もっと多様であるべきだ。そして、志だけを高く掲げるのではなく、
目的の実現のために策を練らなければならない。
 ぼくは、暴力主義でも、理想主義でもない、第三の道、現実主義を訴えたい。
 科学によって、事実の確認をくり返して積み重ねる現実主義こそ、現代における哲学だと思う。
 哲学を読んで感動したというだけではダメなのだ。あくまでも、物質的な実利を得るために作戦を練らねばならない。
 明治の哲学者である大西祝はいった。「天地の間のすべてを物質的に解釈すべきである」と。
 理想主義も良い。だが、物質的な探究の積み重ねが、暴力主義の豪傑君にも、理想主義の紳士君にも、おそらくは勝つであろう。

660考える名無しさん2019/05/12(日) 18:59:51.060
>>659
なんかズレてるな!

661考える名無しさん2019/05/12(日) 19:10:08.120
>>659
中江兆民の時代は日本が欧米に植民地化される危機が生々しく実感としてあった帝国主義全盛期。
だから兆民の答えは時宜を得たものだった。
世界の文明で最も現実主義的だったのは中国。
その功利主義的で現実主義的な態度は現代にも受け継がれる。
西洋に中国が負けたのは西洋には1+1=2に何故なるのかという問いに一生を棒にふった人間がいたのに現実主義的な中国にはそれがいなかった為。
井筒俊彦の仕事は敢えて例えるならその1+1=2に何故なるのかという仕事で別に百年や二百年現実応用出来なくても良い類いの仕事に相当する。

662考える名無しさん2019/05/21(火) 17:27:02.320
「みんな、救ってみせる。誰一人、見捨てやしないさ」
というのは、ストルガツキー兄弟の1972年出版の「ストーカー」のセリフだが、

同じようなことを、1949年の井筒俊彦が「神秘哲学」で述べているなあと思った。

663考える名無しさん2019/07/01(月) 18:25:11.960
引用しかない糞雑魚

664考える名無しさん2019/07/02(火) 00:00:43.990
>>652
序文を読むとこれが単なる文学的修飾でなく、バリバリ体験派の人の実際的感覚だということがわかる。
それも、神秘体験の内でも禅とか密教とかのソフィスティケートされたものだけでなく、
シャーマンのトランスや火山性ガスの吸引によるアポロンの神託など原始的で荒々しい神秘体験も哲学に必須の基盤として高く評価している。
現代ならジョン・リリーやスタニスラフ・グロフ らのLSDなど薬物によるサイケデリック神秘体験研究も高く評価したかもしれない。

665考える名無しさん2019/07/02(火) 20:25:01.880
「東洋哲学の構造」読んでる。
これはある意味「意識と本質」の入門書かも知れない。
重なる部分が非常に多い。

666し ◆P1F.MDbmTg 2019/07/02(火) 21:23:32.830
スーフィズムとマーフィーズム

667考える名無しさん2019/07/16(火) 20:30:32.570
こいつがすごいんじゃなくて、イスラムの哲学者や詩人がすごいだけでは?

668阿吽2019/07/27(土) 13:10:53.980
『意識と本質』を読んでいるが、著者はイスラムは勿論、プラトン、釈迦からシャンカラ、竜樹を経由して
サルトル、メルロポンティまで論じられる鋭い知性に裏打ちされた該博な教養の持主ですね。
ある意味では非常に「日本的な」知性と言える。なのに、余り日本では評価が高くない気もしますね。
一般的には岩波文庫の『コーラン』の訳者程度の認識だが、東洋古典と西洋古典哲学のどちらにも親しみを持ち得る、日本の読書人層には究極の「まとめサイト」みたいな本だよな。

669考える名無しさん2019/08/13(火) 01:16:38.240
ようは唯識最強!って感じだけど
理理無礙だけはよくわからん

6701072019/08/13(火) 20:33:21.830
こいつは正剛のパワーアップ版だろ

何でもかんでも結びつけているだけ

671考える名無しさん2019/08/14(水) 22:19:21.160
>>670
具体的に整合性の取れない何でもかんでも結びつけて矛盾が生じてる部分はどこ?

6721072019/08/15(木) 08:12:16.690
矛盾というか浅い
甘い
哲学的にどうでもいいからデリダとか持ち上げられる
馬鹿にしているから
井筒の評価の高さはそれが全て

673考える名無しさん2019/08/15(木) 12:43:05.200
>>672
じゃあ誰の哲学が深い?

674考える名無しさん2019/08/16(金) 00:24:56.560
中沢新一「創造の出発点―井筒俊彦『神秘哲学』」

中沢は、井筒のやってきたことが西欧哲学の脱構築にあたるとしながら、
その井筒哲学を更に脱構築しようとするのが中沢という構図。

675考える名無しさん2019/08/16(金) 00:26:11.390
>>121
> ・アフリカ(的段階)

『言語と呪術』がこれに該当するか。

676考える名無しさん2019/08/16(金) 19:54:11.300
>>667
そう
その人たちが超凄いから紹介した人も凄いといわれる段階にいられる

677考える名無しさん2019/08/16(金) 20:06:12.630
>>671
イブン・アラビーの
アハド-アハディーヤ-ワーヒディーヤ

を老荘の
無極-太極

に安易に当てはめてるように思えるな
無極と太極の関係についても儒教内で色々あるのに全く違う文化圏のイブン・アラビーを持ち出して当てはめるのは無理がある

678考える名無しさん2019/08/19(月) 20:24:54.920
周敦頤の「無極而太極」については陸象山の解釈と朱子の解釈しか知らないが他に色々あるのか?
中国哲学の主流になった朱子の解釈に井筒俊彦はよっているはず。
ノーベル物理学賞受賞者の量子力学者ハイゼンベルグが自分の思想と同じだと感動してハイゼンベルグ家の家紋に採用した太極図も多分朱子解釈のものじゃなかった?

679学術2019/08/19(月) 20:27:15.350
家具なんか健常型じゃないの欲しいよなあ。インテリアも。

680学術2019/08/19(月) 20:27:57.280
無敗オーラの床。家の庭園大事さ。

681学術2019/08/19(月) 20:28:41.360
過程が長いから中退はしなかったがな。奇形児で。

682学術2019/08/19(月) 20:29:17.720
無でも無の文字に何かたまってない?表彰から立体文字。

683狂神学術2019/08/19(月) 20:30:30.140
無でも無の文字に何かたまってない?表象から立体文字。無も酷使したり現実逃避の方便にはよくない。

684学術2019/08/19(月) 20:31:15.680
サッカートータルフットボールなんて昔すぎ。

685考える名無しさん2019/09/17(火) 10:57:22.830
おはよう

686考える名無しさん2019/09/25(水) 14:30:26.100
ハーマンと井筒俊彦は共通したものがあったと記憶してるがマルクス ガブリエルとは共通するものがあるのだろうか?

687考える名無しさん2019/09/25(水) 17:53:16.520
サッカーのゲームの作り方と建築設計は似ていると思うよ

688考える名無しさん2019/09/26(木) 21:52:32.650
 
          .| ,. '"::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ、
 失 や 精   |´::::::::::::<::::::╋::::::>:::::::::::::::::ヽ.
 せ る 神  |::::::::_,.-─‐-ァ-─-::、::::::::::::::::ヽ
 ろ か 安  |,. '"    /      `ヽ、::::::::::〉
    ら 定  | / /  i ハ ヽ 、   ヽ::/
.      剤  ノ/  /.ゝ!、ハ i  ! ,!ィ! ハ  !ハ
ヽ       i ハ   ハ'T7ヽ!ヽ! レ7'"7T'! /   i
 `''ー---‐'^ヽ!/ ヽハ .!'ト___リ     ト__,.リ レ'  /
     ほ  〈ヽ、  ! "        "/! rイ
   学 れ  ヽ. ヽ.ヽ、   r─ 、  ,.イノ ノ
   術       〉ヽ、ヽ.>.、.,,___-' ,.イハイ
          ヽ/ ´ ̄`ヽーr‐'"i´ ̄:::ヽ、
        __ rイ、__、___   iヽ--‐ヘ::::::ヽ:::ヽ.
      と__ ̄`ヽ、ニ、 ヽr」/ . 十::::`ヽ.::::::::::::>、
      ,. '", θ:..`ヽ、!,イ .   十::::::::::!、_r:、_rン
     /./7 ,.  .  !ン `   - ''^:::::::-イ、   ヽ.
     `´ / /7 ハ !ヘ       十::::::::iィ´   ノ
 

689考える名無しさん2019/09/28(土) 00:48:01.090
井筒についても触れられている

マルクス・ガブリエル『グローバル哲学?』
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/18668.pdf
西洋哲学、東洋哲学、英語圏の分析哲学、グローバル哲学

690考える名無しさん2019/09/28(土) 00:49:52.990
>>686
それぞれに「場」を扱っているとか。

ガブリエルは「意味の場の存在論」、
井筒は「禅的意識のフィールド構造」。

井筒のは、「無心」の境地に立った人が開示する禅的意識の記号過程。
意識と存在リアリティのフィールド構造。

読むことができるのは以下。

・「禅的意識のフィールド構造」『コスモスとアンチコスモス』 (1989)
・『禅仏教の哲学に向けて』 (2014)

691考える名無しさん2019/09/28(土) 00:51:55.100
“フェルディナン・ド・ソシュールによって定義された
 話ないしパロールの基本的構造は、この次元ではもはや観察不可能である。
 というのも、ここでは、話者と聴者との間の区別がないからだ。

 実際に見られるものは、どこからともなく流れ出て閃光のごとく宙に光り、
 そして直ちに、永遠の闇に消え失せるような言葉の光景である。”

― 井筒俊彦 『禅仏教の哲学に向けて』 (2014) 3章

692考える名無しさん2019/09/28(土) 00:54:12.740
『Towards a Philosophy of Zen Buddhism』(1977)
は英語でも美文だった。

ロラン・バルトやデリダと同じ用語を用い、言語哲学として語られる
ポスト構造主義的禅哲学。

禅哲学としても、最も先鋭的な本。

693考える名無しさん2019/09/28(土) 01:04:54.600
>>691
“普通の言語学では意味というものを、
 辞書に載っているような、社会的慣習としてシステム化されている次元、
 つまりコトバの表層にのみ限って見て行こうとするし、またその方が容易なのである。
 これに対して、先生は、人間のコトバというものは本質上、そのような表層だけでなく、
 その奥に底知れない深層をもっていること、そしてまさに意味に関してこそ、
 この深層の領域を問題にすべきであることを主張された。”

― 牧野信也 「師としての井筒俊彦先生」 『井筒俊彦著作集4 意味の構造』

694考える名無しさん2019/10/03(木) 12:14:22.100
アラーのなすことは全て正しい。アラー・アクバル!アラーは偉大なり。

695考える名無しさん2019/10/03(木) 21:04:07.800
アッラーallahな
アラーalaじゃ全然意味が違う
俄かかな

696考える名無しさん2019/10/04(金) 17:14:01.960
預言者ムハンマド「カーバ神殿を手に入れようか?手に入れるまいか?」

イエス・キリストの霊「カーバ神殿は、誰のものですか?」

預言者ムハンマド「先の預言者イーサー、カーバ神殿はアラーのものです。」

イエス・キリストの霊「アラーのものは、アラーに返しなさい。」

697考える名無しさん2019/10/04(金) 18:08:50.320
意識と本質にアル・ガザーリとイブン・ルシュドを論じたところがある
ガザーリは事物以上の本質は認めない
ルシュドの方は事物以上の本質があるとする
これは世界は無始なのか神による創造なのか、アリストテレスに依拠する哲学と神による創造を肯定する哲学批判者の争いだが
同時に全ては物か、物以上の本質を認めるかの思想対決がある
意識と本質

意識にとって本質は存在するのか否か
個々の存在感、経験を越えた「本質」超越は存在するのか

である存在本質存在本質
がある存在事実存在実存

それは三人称客観の本質とはちがう一人称主観のこの世界の事実性を認めるか認めないかの問題

698考える名無しさん2019/10/04(金) 19:42:29.920
本質存在とか実存とか言ってもおどろおどろしいものじゃない
あなたは人間である
これは内的規定
さらに動物である
理性的存在である
日本人である

内的規定、本質存在をしきつめればあなたになるか
ハイデガーは存在者をつきつめても存在という事実性につきあたらない、存在論的差異と大騒ぎしたのは有名

三人称客観と主観の事実性はおなじか

ガザーリとルシュドの対立も本質を認めるルシュドらと神以外認めないガザーリの本質に関する対立がある

699考える名無しさん2019/10/04(金) 19:50:23.250
井筒俊彦の立場は三人称と一人称の対立を越えましょう
カザーリやルシュドみたいなイスラム哲学の対立の底を主客未分、言語によるソシュール的な分節化の前に立とう
イスラム哲学を禅仏教で止揚する

700考える名無しさん2019/10/04(金) 19:57:31.850
三人称と一人称は違うのか

あなたはある料理を知ることができる
その材料、そのレシピ、調理法を知ることができる
客観的に
その料理を食べる
その味、クオリアを食べたことのない人間に説明できるか

三人称客観では説明できない一人称主観の領域は実在する

701考える名無しさん2019/10/04(金) 20:01:37.240
統合失調症の文章って長いだけで本当に内容ないんだな

702考える名無しさん2019/10/04(金) 20:30:00.200
いや、主著の意識と本質の「本質」とは何か
何が問題なのか噛み砕いて説明しているんだが
これでピンとこないならあんた見込みないよ

703考える名無しさん2019/10/04(金) 20:40:33.040
三人称客観で全てが理解できるなら何も問題はないだろ
物を集めて線形に理解が成立するか否か
そうじゃないから哲学は対立が生ずる
ルシュドとガザーリ
哲学における根本的な対立があるから井筒もそれを取り上げる
で解決のパターンは三人称で全て解決派閥
一人称絶対派閥
井筒は三人称と一人称の対立を止揚する派閥
禅仏教持ち出し主客未分に立つのもそういうこと
井筒解釈としてはごく普通の当たり前
ここまで噛み砕かないから何か勿体づけたわけのわからない解釈かはびこる

井筒解釈としては捻りも糞もない構造的にどうやってもこうなる必然

704考える名無しさん2019/10/04(金) 21:01:49.970
噛み砕いて説明w
能力もないくせに説明も糞もないだろ

705考える名無しさん2019/10/04(金) 21:14:52.940
>>704
ガザーリとルシュドの違いも
本質存在と事実存在
物理主義とクオリアの問題もわからないの?
馬鹿なの?死ぬの?

706考える名無しさん2019/10/04(金) 21:19:20.210
ちゃんと哲学者の自己矛盾やクオリアに関する論争くらいは理解してからこいよ
井筒はそういうものを踏まえて、あるいは予測して書いてんだから
それがわからないなら井筒は理解できないし、ここに書いた当たり前の事も意味不明だよな
要するに馬鹿は死ね

707考える名無しさん2019/10/04(金) 21:20:33.130
704みたいな馬鹿には説明も何も無意味だよな
馬鹿は死ね

708考える名無しさん2019/10/04(金) 21:21:11.420
自分は分かってるつもりだけのタイプだな
それが通じなければ罵倒

709考える名無しさん2019/10/04(金) 21:23:10.710
>馬鹿は死ね

自分の言うこと受け入れな死んで欲しい幼稚園児レベルだな

710考える名無しさん2019/10/04(金) 21:45:43.940
いやさ、食について三人称でレシピやなんか知っても味は説明できないよね
あんだすたん?

711考える名無しさん2019/10/04(金) 21:48:53.210
>>710
それが馬鹿は死ねとか言うのとどういう関係があるの?

712考える名無しさん2019/10/04(金) 21:54:23.130
>>710
君がイラついて馬鹿は死ねと願望を述べることと客観的三人称と同列だと思ってるんw

713考える名無しさん2019/10/04(金) 21:55:13.970
三人称で説明できること記述できることとクオリアにはギャップがある
世界は本質、内的規定で、であるとして説明できることと
一人称として「がある」で説明できることはギャップがある

同じことをカントは観念上の貨幣は内的規定は同じだ
しかし、観念上の貨幣は使えない
事実存在と本質存在は違うと説明した

しかし、この説明は問題があって貨幣は実体的である必要はない
紙幣でも通帳上でも電子通貨でも信用あればいいし、実体的価値はいらない

714考える名無しさん2019/10/04(金) 22:00:06.980
ルシュドは三人称の本質、内的規定が在るとした
ガザーリはない、全ての物と物は関係ないとした
神が関係づけるから物は意味がある
一人称でしか神とは関係ない
ルシュドは認めない
世界の事実の裏には必ず本質が内的規定がある

これがイスラム哲学の本質問題

715考える名無しさん2019/10/04(金) 22:04:52.520
で、三人称と一人称の対立の前
ソシュールの分節化の前がある
ここでソシュールや禅が要請される

イスラムの翻訳者が仏教やソシュールらデリダを持ち出す理由

三人称と一人称
クオリアとかの基本がわからないと何故禅や脱構築が井筒に出てくるかわかるわけがない

716考える名無しさん2019/10/04(金) 22:26:13.440
井筒がなんでガザーリ持ち出してんのか
イスラム哲学論じてんのか考えたことないの?

ただなんとなく格好良いから?

717考える名無しさん2019/10/05(土) 13:05:13.040
何が正しいか、どうすればよいのか、それがわからなかった。今はわかる。全て正しく、どうしても正しいということが。

アラーは偉大なり!

718考える名無しさん2019/10/05(土) 19:02:17.600
ガザーリの偶然性の哲学とアヴェロイエスの因果律の実在性
井筒によればイスラムの原子論は、普遍的「本質」の実在性を認めるかどうかでこれは井筒は言ってないが
「である」内在規定の三人称だけで行くか「がある」現実存在をそれに還元できない存在論的差異を認めるかどうかに帰着する

因果律の実在を認めると神の絶対性が疎外される
因果の中では因果が絶対で神の介入は許さず神は絶対ではない
イスラムの原子論者はこう考えた
井筒「全存在界は互いに鋭い断絶によって分離された無数の個体の一大集積として表象される」

個体、無数のばらばらな個体や経験に、その個々を越えて繋がる関係が本質があるのか

本質があるのか

哲学の根本問題

719考える名無しさん2019/10/05(土) 19:24:39.970
ルシュドは、ガザーリに対抗した
ガザーリの因果律否定は本質批判であり理性的動物の人間の非人間化に他ならないと井筒はルシュドの見解をまとめる

アリストテレスは世界には始まりはない
・ガザーリには神による創造を否定し許しがたい
・ルシュドは無からの創造は認めない
創造は潜性態にある有が現勢態にある有になること
可能性が現実になることでしかない
本質が存在する

本質論者にすれば現実は本質が現実化したものでしかない

720考える名無しさん2019/10/05(土) 20:25:25.000
人間の諸行為は、アラーに対して為されるものである。

アラー・アクバル!アラーは偉大なり。

721考える名無しさん2019/10/05(土) 20:35:54.410
馬鹿しかいないスレになっちゃったな

722考える名無しさん2019/10/05(土) 22:06:35.110
我らの上に平安あれ。神のご加護を!

アッラー・アクバル!神は偉大なり。

723考える名無しさん2019/10/05(土) 23:57:55.560
では、絶対的一神教でない仏教、就中、不立文字の禅ではどうなるのか
道元の正法眼蔵を解説して言う
物を認識するとは何か
今、意識に山水が映る
しかし、それは山水なのか
網膜に映る光の像は山なのか、山として同一性を持つのか

ガザーリの言うとおり物には因果はない
ばらばらで、本質がないなら山が山であり水が水である根拠はどこにもない

今、眼前にする山水は経験的世界で見る山水とは同じであって同じでない。眼前の山水は一定の存在的位置を占めて全体を露見する働きを示す
眼前の山水は山と川に分節されていながら山であること川であることから超出して「本質」に束縛されずに自由自在に働いている

仏教には、事物の背後の神はいない
では山が山であることはどこから来るか
それは意識が、仮構するものだ
意識が、仮構しなければ分節は存在しない
「一」性に返る

724考える名無しさん2019/10/06(日) 07:45:26.460
で、難しく考えることない

存在は事象内容で、説明できる述語ではない

人間が何であるか
動物である
言葉を話せる
理性的動物である

こういった事象内容で存在者は説明できるが、存在、可能性が現実になること、「存在」することは説明できない
存在者と存在することは違う
ハイデガー=カントの存在論的差異

そして、それは三人称の客観だけで存在者だけで現実を説明しつくせるという立場と、いや、そうじゃないという論争に行き着く
ガザーリとルシュドの論争もそうだし、仏教や普遍論争もクオリアに関する論争もそれに行き着く

725考える名無しさん2019/10/06(日) 14:13:15.790
>>724
あなたの論理だと井筒俊彦と心の哲学が何かつながりそうだが不勉強でそこらが良く分からない。

もう少しそこらを論じてくれませんか?

726考える名無しさん2019/10/06(日) 18:33:14.190
猫は猫であって、その物ずばりで理解できる
そういう素朴実在論は哲学的には論外で相手にする必要はない
ある瞬間の網膜に映る光の映像としての「猫」が、次の瞬間の「猫」と同一である根拠はないから
太陽かもしれない、水たまりかも、車かもしれない
猫でなければならない本質とは何かで答えに窮する

三人称客観実在論でアリストテレス式に万人にとって、共通の理解の得られる本質はあるんだと天下り式に絶対万人に妥当する本質は実在すると説くか
そういう物を拒否して一人称のその人その人にしか真理はないとするか
一人称真理は万人には妥当しないは良さそうだが、真理は本質は存在しないで(少なくとも私と他者に共通な真理は存在しない)ニヒリズム、相対主義は避けられない

三人称客観の全体主義か一人称本質否定のアナーキズムニヒリズムになるか
この二つに帰着する

727考える名無しさん2019/10/06(日) 18:37:32.660
井筒俊彦自体は三人称も一人称も拒否して言語分節以前の立場を守ろうとした
その立場では本質が個人的なものか三人称客観的なものかの争いは生じない

728考える名無しさん2019/10/06(日) 20:38:47.480
ある時点の猫、それも意識に上った映像
テセウスの舟じゃないが毛が抜けて別な物質組成になった物の何が同一で何が同一じゃないか
素朴実在論や経験論ではどれが本質として同じ物にくくれるか、他ではないのか、
猫→猫
猫→水たまり
どちらも原子の構成が違う点は変わらない
どれを優先するか根拠はどこにあるか

可能性→現実性
質料因→形相因
作用因→目的因

物を越えた本質を前提にすれば悩まないが逆に言うとそういう誰にとっても妥当する三人称客観が個人や経験を越えて存在しない限り成立しない

アリストテレスやルシュドは三人称万人に妥当する客観性があって目的論に従う
と本質を前提に客観的真理を押し付ける

それを拒否すれば、ばらばらな原子的個人の相対性、ニヒリズムに陥る
ガザーリの原子論とかクオリアにはその問題がつきまとう

729考える名無しさん2019/10/06(日) 21:00:24.070
ガザーリはニヒリストではなく、すべてを神に委ねよの神秘主義者だが、実存主義でも神を前提にするキェルケゴールや無神論の実存主義があるようなもの
クオリアが大騒ぎになるのも、三人称客観の本質を押し付けるのか、一人称主観のバラバラニヒリズムかと互いに譲れないから
事物の底に本質を認めるか主観=意識の相対性に留まるか

だから井筒俊彦の著作は意識と本質

730考える名無しさん2019/10/08(火) 04:53:07.180
イランの女子陸上の放送
tps://video.twimg.com/ext_tw_video/1179118252108271623/pu/vid/956x714/wliRorr3y0d7sfu0.mp4

731考える名無しさん2019/10/21(月) 22:58:50.480
>>729
チャーマーズみたいな井筒俊彦論だな。

732考える名無しさん2019/11/02(土) 13:21:28.910
意識と本質は難解すぎて挫折したけど、神秘哲学は結構読みやすいな

733考える名無しさん2019/11/08(金) 22:05:14.410
BS1スペシャル「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」

2019年11月8日(金) 午後11時00分(50分)
2019年11月11日(月) 午後7時00分(50分)

734考える名無しさん2019/11/16(土) 15:06:35.750
BS1スペシャルを観て井筒俊彦先生に感銘を受けました。

初心者が井筒俊彦先生の思想を学ぶには、どの書籍からがいいでしょうか?

上に『神秘哲学』『意識と本質』『コーランを読む』などの書名があがっていますが、迷っています。

735考える名無しさん2019/11/17(日) 02:10:36.580
井筒の著書はどれも専門性が高いので、
>>4>>410のような解説本やオムニバスから入ると、読みやすくて自分に合ったものが見つけやすいと思う。

その他、イスラム初心者の人には『イスラーム文化―その根底にあるもの』。

736考える名無しさん2019/11/17(日) 07:55:47.680
>>733
NHKオンデマンド/BS1スペシャル
「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2019102918SC000/?capid=nte001

言語学者、哲学者、思想家として世界に名を響かせた井筒俊彦(1914~1993)。
子供のころ父から禅を学び、その後イスラム哲学に傾倒したが、西洋とイスラム世界の衝突を目の当たりにし、その解決の糸口として東洋哲学を確立した。
「多様性」や「他者との共生」を訴える井筒の思想は、不寛容と憎悪が増す今、再び注目を集めている。イラン出身の女優サヘル・ローズが、井筒ゆかりの土地や人を訪ね、独自の世界観を体感する。

737考える名無しさん2019/11/17(日) 07:57:09.650

738考える名無しさん2019/11/17(日) 07:58:32.550
“アッラーは天と地の光り。
 この光りをものの譬えで説こうなら、まず御堂の壁龕(へきがん)に置いた燈明(とうみょう)か。
 燈明は玻璃(はり)に包まれ、玻璃はきらめく星とまごうばかり。

 その火を点すはいとも目出度い橄欖樹(かんらんじゅ)で、
 これは東国の産でもなく、西国の産でもなく(つまり、この世のものならぬ聖樹ということ)、
 その油は火に触れずとも自らにして燃え出さんばかり。

 (火をつければ)光りの上に光りを加えて照りまさる。
 アッラーは御心のままに人々をその光りのところまで導き給う。”

― コーラン 「24 光り」 35


壁龕=西洋建築で、彫像などを置くため壁面に設けられたくぼみ
燈明=神仏に供える灯火
玻璃=ガラス
橄欖樹=オリーブ

739考える名無しさん2019/11/17(日) 14:01:46.290
井筒訳コーランを読み始めました

740考える名無しさん2019/11/17(日) 16:50:58.880
>>739
井筒信者のオレだけど井筒のコーランはオレは読みにくいと思う。

いろんな訳があるけどコーランは中公の世界の名著版が初心者には理解しやすいと思う。
確認してないが中公クラシックスで出てるんじゃないかな?

741考える名無しさん2019/11/18(月) 16:20:23.040
ムスリムのあいだで翻訳されたものはコーランとは認められない!

742考える名無しさん2019/11/18(月) 17:01:11.800
>>741
じゃあ、誰が翻訳したらいいの?

743考える名無しさん2019/11/23(土) 06:30:18.450
習近平「ウイグル人に情け容赦は無用」、中国政府の内部リークで新事実明らかに 米報道

イスラム教徒のウイグル人にとっては、この世は地獄だろう。
毎日のように、家族が殺され、妻や娘はレイプされる。

将来、日本が中国に侵略されたら、同じような弾圧を受ける。
https://www.afpbb.com/articles/-/3255199

744考える名無しさん2019/12/18(水) 14:29:04.650
「スーフィズムと老荘思想」読んでる。
待望した井筒俊彦の英文主著だ。
第一部のイブン・アラビー読んでるが難解だ。

745考える名無しさん2019/12/21(土) 02:45:53.890
井筒の「英文著作翻訳コレクション>>3」も一通り読むと、
井筒哲学の理解がガラッと変わってくる。
日本語では開陳してこなかった決定的な考察が多い。

特に重要なのは『スーフィズムと老荘思想』。
『意識と本質』から入って『スーフィズムと老荘思想』へと抜け出るように読む。

>>645に関する話もこの本。

746考える名無しさん2019/12/21(土) 10:20:58.000
>>745若松英輔が井筒俊彦が山崎弁栄と出会ってたら井筒はイスラムに行かなかったろうと評価した山崎弁栄は「超在一神的汎在神教」を唱えたが井筒の内在する神と共通するものがあるのだろうか?

747考える名無しさん2019/12/21(土) 10:26:41.810
全てうまくいく。なぜなら、それが神(アッラー)の御心であるからだ。インシャッラー(神の御心のままに)。

748考える名無しさん2019/12/21(土) 15:24:41.660
これまで通りこれからも全てうまくいく。インシャッラー(神の御心のままに)

749考える名無しさん2019/12/21(土) 15:44:08.610
中国共産党によるウイグル族(イスラム教徒)への宗教弾圧や大量殺戮も、アッラーの御心なのかな?

750考える名無しさん2019/12/22(日) 21:43:11.610
「インシャッラー(神の御心のままに)」に近いのはメイヤスーの「偶然性」の哲学

751考える名無しさん2019/12/22(日) 21:44:30.710
その心は原子論的非理由律

752考える名無しさん2019/12/29(日) 12:21:43.810
過去に全き帰依者(ムスリム)であったとしても、今現在全き帰依者でないのならば、全き帰依者とは言えない。
未来に全き帰依者になるとしても、今現在全き帰依者でないのならば、全き帰依者とは言えない。

753考える名無しさん2019/12/30(月) 15:59:08.900
禅の不立文字
ヘーゲルは今ここは絶対的な事実と見えて貧しい物に過ぎないと言った
林の中で今、目の前にある木の知覚、これこそ、この感性的確信こそが真実、真理に見えるがちょっと右を向けば別な木が絶対的なこのものになってしまう
夜中に今は夜だと感覚的確信をどんなに強固に得たとしてもその確信をノートに書き付ける、「今は夜である」と
しかし、時間が立ち昼間みたらそれは間抜けだ

イブン・ルシュドは世界は永遠で始まりも終わりもないし、その個々の物や自然法則は永遠だとして、アリストテレスを支持した
ガザーリは世界は神の創造物であり時間的始まり(天地創造)も終わり(最後の審判)もある
神も立ち入れない絶対的な法則はない
全てはバラバラで原子論的にある
因果法則はヒュームのいう通りにない
神の創造によって神が意味付けたもの以外には

それ以外には真理も絶対的な法則もない
これがガザーリも棹さしたイスラムスーフィズム

754考える名無しさん2019/12/30(月) 17:23:21.920
仏教では禅定を重んじる、戒定慧が根本
戒は心や体や生活を乱す物を慎重に排除する、禅寺での厳しい修行とかイメージすればわかる
残りは心を定め知恵、般若で解脱する
大乗佛教では止観と言う、心を定め(止)周りを観察し(観)解脱する、上座部佛教では同じことをサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想と言う
サマタを訳したものが止でありヴィパッサナーを訳したものが観であり、合わせて止観、同じこと
ミャンマーの上座部の偉いお坊さんがいて、上座部の中でも、世界的にも評価されているそのお坊さんが若い頃に修行した
師匠について本格的な座禅を勉強する、その人は頭の良い人でいろいろ仏教の教義を勉強し高いレベルで理解できる人だった、また、小説を書くことが好きだった、本も沢山持っていた
師匠は言った、今まで知ってたことは全て忘れなさい、本は修行場に持ち込むのは許しません、修行場の外に置いておき、期間中は持ち込んだり読んだりすることのないように、ただ座りなさい
悩みができたら相談に乗ります、何でも話なさい、修行法や心の不安などや人生の悩みでも何でも、本を読んだり研究するのは修行が終わった後にいくらでもできます、この修行場で修行している間は全て忘れなさい、ただ座りなさい
座り始めると様々な雑念が頭に入ってくる、頭からわいてくる、次々と想念が渦巻く、小説を構想する
人間は心を落ち着かせる定めるとかなかなかできない
いろいろな雑念から逃れられないが心はだんだん、そういうものに惑わされること自体が馬鹿らしくなる
修行を続ける、座り続けると徐々に落ち着いていく
呼吸を観ている、吸ってる息、吐いている息、それは誰が行っているのか
最初は私や何らかの体がやっているかに見える
また、この息自体が同じものだと、しかし、どの吸う息、吐く息も同じではない、違うが続いている
私もいない
全宇宙が繋がっていて、それが呼吸させていて、そこには意志や主観は必要ない
世界は繋がって分節されず分節する必要がなくただそこにある、これが気付き(念)である
サティと言われ、大乗では念と言われるが、世界の相互関連、相互作用に気づくことだね
固定した客観的な物は存在しない
それを認識する分節化する主体も主観も存在しない

755考える名無しさん2019/12/30(月) 17:43:32.540
気づきはマインドフルネスと訳され大騒ぎになっているものだ
釈迦はあまり気付きの気もちよさに神秘主義に取り込まれるな、三昧に囚われるな、縁起の法を分析せよと言ったがまずは、世界の未分化な相互作用相互移入連続性に気づかないと
ヴィパッサナーだけでいいか、サマタが必要か論争はあったりするが
「どうでもよい」
また、細かくマニュアル化されている上座部か、大乗かとか論争あるが
「どうでもよい」
中身はどうでもよく、捨てないといけない、マニュアルが邪魔になる

ヘーゲルの弁証法も気づいた後の関係主義的縁起の法だ
仏教、実在論否定、無我論
ヘーゲル、唯物論否定、カント式主観主義哲学否定
両者とも三人称否定、一人称否定、関係主義的な共同主観論
唯物論ではなく視点から見た認識が全てだが個人的な囚われた我を否定する
細かい主観や物はいらない、囚われるな、間違っている、分節できない現実が根底にあり、主観主義や客観主義、一人称や三人称は間違いだ

井筒の「スーフィズムと老荘思想」はじめ言っていること
ルシュド=アリストテレスの三人称客観実在論の否定
一人称主観主義、バラバラの原子論のアナーキズム、ニヒリズム否定

禅の不立文字
老荘の万物斉同
仏教の念、サティ
イスラム、スーフィズムは同じ地点だ
以上、井筒思想の概観にして全てな

756考える名無しさん2019/12/31(火) 00:39:54.410
筑紫 「中沢さんはチベットへ行っちゃったり、ものすごいオールド・デイズにはまり込んでいるでしょう。(略)」

中沢 「ぼく、ああいうの全然オールド・デイズだって感じないの。(略)
    どんなにジル・ドゥルーズが現代的哲学者の中でとびぬけているといったって、
    イスラム教のスーフィの書いたテキストであるとか、タントラ密教のテキストとかのグローバルさとくらべてみると、
    やっぱり劣るなという感じがするのね。(略)」

― 『若者たちの神々:筑紫哲也対論集3』 (1987)

757考える名無しさん2019/12/31(火) 00:40:34.130
「器官なき身体」のようなものは、チベット仏教にもある。

http://samten.seesaa.net/article/434150824.html
チベット仏教の「幻身」あるいは「虹の身体」

『智慧金剛集』という書物には
「幻身は、風と心のみから出来ていて、どこにでもあまねく存在し、
肉と骨を離れ、刹那に動き、陽炎のような、蜃気楼のような、
一つなのに多くの現れをもち、空の状態から忽然と出現し、
虹のごとく物質的存在に汚されず混じり合わないで現れる」とある。

758考える名無しさん2019/12/31(火) 04:20:57.950
イスラム教も瞑想修行をして解脱をする教えなのですか?

759考える名無しさん2019/12/31(火) 07:06:59.890
法華経無内容論というのがある
法華経はこのお経は凄いとコマーシャルは凄いが、何がどう凄いか中身はないと言うのだ、教理が無いと言うのだ
宣伝文、効能書きでどんや効能があるか、それはずらずら書いてあるが肝心の薬が入っていない
ミャンマーの高僧の修行時代と同じ、只管打坐、ただ座れを全ての合言葉にした日本の僧侶に道元がいる
道元は若い頃に宋に渡った
その時の有名な話が二つある
・留学先の年取った坊さんが暑い日に必死に食材の準備の為に汗をだらだら流しながら働いている
そんな仕事はもうあなたほどの人はやらないでいいではないですか、教理問答や勉強してた方がいいではないですか
これが修行だ
せめて今日みたいな日は若い僧侶に任して休んでたらいいではないですか
彼は私ではない
・日本が還る前後に別の老僧が見送りに来てくれた、今日はこのまま、泊まっていったらいいのではないですか、かわりの人はいるでしよう
いや、それは私の仕事であり私の修行だ
それを私以外がやっても意味はない

その道元が最後にひたすら帰依し唱え辞世に残したのは法華経

760考える名無しさん2019/12/31(火) 07:32:52.540
道元が宋に渡った時に師匠に質問して、その問答を書き起こした 道元宝慶記
問答の一つに人は仏性があって救われるはずたが、なら修行したり戒を守る必要はないのではないということになるがそれはおかしいのではないか
プラトンの知者のパラドックスを彷彿させる
知らない人間は知るべきことや知る方法がわからないなら知ることが、できない
知っている人間は既に知っているからわざわざ苦労して知る必要はない
禅の有名な公案に犬には仏性があるか問われて無!と答えたというものがある
犬にしろ、人間にしろ、仏性があるからと安易に思って修行しなければ救われない

しかし、安易にそう答えたら
・儒教や道教は間違っていますが正しいこともあります、仏教はそれを取り込むべきでしょうか、取り込まないべきでしょうか
・普通の仏教と禅宗、どちらが正しいのか、どっちも正しいのなら何故禅宗の修行するのかいらないのではないな
普通の仏教が正しくないなら排斥しないといけないのではないか
・臨済禅はじめ師匠が弟子を殴り恫喝するがそれは正しいのか正しくないのか
宝慶記に書かれている問答の一部だが果てしない問題に巻き込まれる

761考える名無しさん2019/12/31(火) 07:45:24.960
法華経には確かに中身はない
般若経典や、華厳経みたいな空に関する教理や、諸法実相に関する説明がない
哲学がない、哲学を放棄している
仏の妙なる境地は説明ができないと説明している、説明を放棄している
これが法華経

だからいい
気づける
言葉や煩瑣な教理はいらない
邪魔になる
仏の境地は言葉では説明できないということを説明できている
体感できる
だからこそ道元は法華経に深く帰依した

気づいてしまえば何でもないが気づかなければどうしようもないし、それに気づかせることもできない
道元のパラドックスも知者のパラドックスもこういう説明できないという説明しかない

井筒俊彦の言語分節化以前の境地もそういうことだ
祖師達磨は、何故中国にインドから来たのか
答えられるかバカヤロー
それが禅の答えであり、説明できないものは説明する必要はないというのが正しい説明だ

762考える名無しさん2020/01/01(水) 21:26:09.690
言語分節化が三人称、一人称の分割を促し、客観主義と主観主義を生み、それぞれの要素還元主義を作り出す
物から直線的に単純に答えが出る物理主義
閉じた主観から一元的に答えが出る観念論
しかし、一つの実験からも様々の理論解釈が成立し、閉じた主観の独我論は他者の理解で困難が生ずる
ヘーゲルや仏教は唯物論及び私の実在論を否定する
井筒の出発点も仏教や老荘、イスラム神秘主義には、実在論を否定し言語分節化を越える
終着点もそこ

763考える名無しさん2020/01/01(水) 22:07:57.370
日常的には我々は物が固定的に実在したり、私が強固に実在すると考える
しかし、仏教にしろ神秘主義にしろ、修行すればはじめはそれらに拘束された日常の意識だが、
それを抜け出せる、それらがどうでも良くなる瞬間、物の分節が、私の存在が消える、
主客の分裂が消える神秘体験があるし、それなしにはそれらの思想は意味をなさない

井筒思想はそれに還元される

764考える名無しさん2020/01/02(木) 11:20:40.650
イスラム教も仏教みたいな瞑想や座禅を行うの?

765考える名無しさん2020/01/02(木) 16:08:32.470
>>758>>764
解脱ではないが、よく比較されるのが>>463>>338の「アナ・ル・ハック」。

身体的な瞑想として有名なのは、メヴレヴィー教団の旋回舞踊。
ダウンロード&関連動画>> @www.youtube 



;feature=youtu.be&t=1080
宇宙の運行を表す回転によって、神との一体化(神の中への消滅)を図るという。

その他にはズィクルという唱念や観想もあって、
ダルヴィーシュとはスーフィーの修道僧のこと。

766考える名無しさん2020/01/02(木) 16:09:19.670
>>765
このメヴレヴィー教団を開基したのが、ジャラール・ウッディーン・ルーミー。
イブン・アラビーと並ぶイスラム神秘主義(スーフィズム)の重要人物。

『ルーミー語録』は井筒が手掛けているが、
ペルシア語のコーランとも呼ばれる『精神的マスナヴィー』は断片的にしか翻訳されていない。

767考える名無しさん2020/01/02(木) 16:09:49.260
> ルーミーとはローマの人のことで、後年に住んだアナトリアが以前東ローマ帝国(アラビア語ではルーム)の領土だったことによる

768考える名無しさん2020/01/02(木) 16:11:17.320
レファレンス協同データベース
ジャラール・ウッディーン・ルーミー(13世紀の詩人)の詩集が見たい。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&;id=1000076694

769考える名無しさん2020/01/02(木) 16:13:24.450
ルーミーは、こういう「1/fゆらぎ」CDまで買って聴いた。

朗読CD【ただひとつの息吹】より「沈黙の満月」
ダウンロード&関連動画>> @www.youtube 




770考える名無しさん2020/01/02(木) 16:14:12.000
>>769の説明にある映画『アースピルグリム』の監督・主演がエハン・デラヴィ>>327なのか。
狭い世界だ。

771考える名無しさん2020/01/02(木) 16:14:45.170
隣人みなスーフィー

772考える名無しさん2020/01/02(木) 16:17:14.890
『精神的マスナヴィー』の英訳はR・A・ニコルソン>>463

The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 1, 3, 5, Persian Text (set)
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 2, 4, 6, English Translation (set)
The Mathnawi of Jalalu'ddin Rumi, Vols 7 and 8, Commentary 2 vol set

Jalalu'ddin Rumi (Author); Reynold A. Nicholson (Author)
Published by : Gibb Memorial Trust

773考える名無しさん2020/01/02(木) 16:18:07.130
The Mathnawi Of Jalaluddin Rumi
by Reynold A. Nicholson
https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.151299

774考える名無しさん2020/01/02(木) 16:20:04.870
英語で読むか

775考える名無しさん2020/01/02(木) 21:37:05.240
コーランはアラビア語しか認められてないぞ、ハゲ

776考える名無しさん2020/01/02(木) 22:33:38.560
>>765
>>766
ありがとうございます。
イスラム教にも似たようなものがあるということは、イスラム教のゴールも仏教のゴール(涅槃して転生しないこと)と同じなのでしょうか?

777考える名無しさん2020/01/02(木) 22:35:16.820
キリスト教は、仏教の梵天などの最高位の神を父なる神と同じような気がしてます。

778考える名無しさん2020/01/04(土) 02:52:01.970
>>776
> 神を信じる。預言者を信じる。来世を信じる。イスラムの教えは、基本的にこの三つです。
>
> 神とはアラー。預言者とはムハンマドという神のメッセージを伝えた人。
> そして来世は、イスラム信仰の根幹をなすものです。
> イスラム教には仏教的な信仰と違い、輪廻はありません。
> 一回限りの生を生き、死ぬと最後の審判の日に復活して生き返り、
> 来世である天国か地獄に行くのです。来世は永遠に続きます。

779考える名無しさん2020/01/04(土) 02:55:07.230
>>777
セム系一神教の神は外在的。
インドを中心とした東洋の神(スピノザの汎神論も)は内在的。

780考える名無しさん2020/01/04(土) 02:57:11.740
整理するとこうなる。

[西洋] 一神教世界(非対称性、外在的超越、西洋的二元論)
[東洋] アニミズム、仏教世界(対称性、内在的超越、東洋的一元論 )

対称性/非対称性というのは中沢の対称性人類学。
その他は、以下の井上の論文を読んでもらうといい。
このスレではよく西洋と東洋を行き来するから。

781考える名無しさん2020/01/04(土) 02:58:04.610
『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題
 ―如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思惟との収斂点―』

井上克人 (2009)

I 明治期アカデミー哲学の形成―「現象即実在論」

井上哲次郎や井上円了らに代表される明治期アカデミー哲学の特質が「現象即実在論」
にあることは夙に知られている。現象の奥に真の「実在」、すなわち形而上学的絶対者を認
め、しかも「実在」は現象の背後にあるのではなく、その只中に内在するという考えであ
る。これは大乗仏教思想の根幹をなす「本体的一元論」、すなわち外に超越者を想定しない
思考様式である。じつは、この発想の淵源は、『大乗起信論』のいわゆる「万法是真如真如
是万法」という定式にある。東京大学で初めて開設され、原坦山が担当した「仏書講義」
のテキストに選ばれたのが、この『起信論』であった。彼らはその本体的一元論に啓発さ
れ、西洋に対抗して日本独自の「哲学」を提唱しようと企図したのである。

ところで西洋における思考様式は、神と人間、近世以降では認識主観と客観的世界とい
った二項対立的な二元論をその特質としてもつ。それに対し、本体的一元論に立つ『起信
論』は、自体清浄なる「心真如」が自らの清浄心を失うことなく心生滅へと転成していく
「真如随縁」の発想をもつ。妄念にまみれた現象的世界は、一方では「真如」の本然性か
らの逸脱でありながら、同時にそれは「真如」そのものの自己展開に他ならず、真如と妄
念とは「非一非異」の関係にあって、「現象」がそのまま「真実在」なのである。

782考える名無しさん2020/01/04(土) 02:58:22.800
敷衍して言えば、「真如」は、それ自身我々の思惟や言説を絶する〈空・無〉、すなわち
絶対的覆蔵態に他ならないのだが、同時にそれは個々の存在者をあるがままに顕現せしめ
る〈開け〉であって、現象せる個々の存在者の形而上的本体として、それらの根底に伏在
し、あらゆるものを自らの内に摂収しつつ、同時にそれらを本然的にあるがままに開放す
るのである。換言すれば、現象せる個々の存在者は、どこまでも自らを顕現せしめた真如
のうちに在り、逆に、個々のものの存在原因たる真如は、どこまでもそれらの本体として
超越的に自己自身のうちに蔵身しつつ、同時に自ら顕現せしめたすべてのものの中に内在
するのである。これこそ東洋的思惟に共通して見られる〈本体的一元論〉である。つまり
言詮を絶する覆蔵的・超越的に一なる原理がその超越性をどこまでも維持しながら、自己
内発的に自己展開し、万物の中に自らを内在化させていく論理、一なる本体とそれが起動
展開する派生態、つまり「体と用」(本体とその作用)の論理であり、「内在と超越」の論
理であった。したがって、超越といっても、「外」に超越したものではなく、「内在的超越」
という構造をもち、これこそ西洋的二元論の思考様式とは異なる「東洋的一元論」なので
あって、いわゆる京都学派の哲学も、この系譜を引くものなのである。

783考える名無しさん2020/01/04(土) 02:58:41.420
II ハイデガーにおける「神学の由来」と西田哲学に伏在する如来蔵思想

さて、以上のような形而上学的一元論の発想は、新プラトン主義の流出論ときわめて類
似した考えであって、それはヘレニズム化したキリスト教、すなわち東方正教会の淵源と
なったものである。それにひきかえ、ラテン的西方教会は、むしろユダヤ・ヘブライ的二
元論の伝統に立脚し、神はどこまでも「隠れたる神」であって、契約で結ばれた神と人間
との間には深い断絶がある。他方、東方正教会の基本的特質は神の顕現(現前性)の強調
と「人間の神化(テオーシス)」にあり、神と人間とは一つに結びついていて、
これは「一切衆生、悉有仏性」を標榜する大乗仏教と通底している。

ところでハイデガーは、自らの「神学的由来」である「新約的」キリスト教の立場から、
同じ西方でありながら新プラトン主義化したアウグスティヌスのキリスト教を論難し、延
いては西洋の形而上学全体にわたってそれを「存在忘却」に基づく「存在-神-論」とみ
なし、その超克を企図したが、彼のいう「存在-神-論的体制」は、東方正教会にこそそ
の最たるものがあるのであって、ハイデガー自身、存在を問うという極めてギリシア・ヘ
レニズム的な思考を展開させながら、存在そのものがもつ覆蔵性に基づき形而上学を超克
しようとする彼の思索の淵源には、ザラデルが指摘しているように、彼自身それに気付く
ことのなかったユダヤ・ヘブライ的発想が根深くあったように思われる。それは現前性の
底に顕現せざる超越的他者を想定するという、非ギリシア的発想なのである。
一方、『起信論』が説く本覚思想を「現象即実在論」として哲学的に開陳したアカデミー
哲学の本体的一元論の「形而上学」の系譜を引きながら、それを乗り越えるかたちで、同
じくその如来蔵思想に見る「真如」のいわば覆蔵性がもつ〈超越的他者性〉を「逆対応」
という発想によって論理化しようとした点に西田哲学の優れた特質がある。
西田とハイデガーとは、ともに「顕現せざるもの」への着眼によって形而上学を超克する
ところに共通点があるといえよう。

http://heideggerforum.main.jp/data08/inoue_r.pdf

784考える名無しさん2020/01/04(土) 03:01:19.630
>>765のズィクルを中心にみると、
正教のヘシュカズム>>355とイスラムと真言密教>>360が比較できる。

785考える名無しさん2020/01/04(土) 03:56:42.550
>>778
イスラムでもドゥルーズ派やアラウィ派には輪廻がある。

786学術2020/01/04(土) 18:33:11.560
客観は世界の方で、主観は先祖の方だ。過去に汚染される危険思考。

787学術2020/01/04(土) 18:36:26.370
両方とも過去で人間を汚す。

788学術2020/01/04(土) 18:36:57.940
主観が未来 客観が過去に属さないといけない。

789考える名無しさん2020/01/07(火) 23:26:15.340
“ホメイニーが当時のソビエト連邦の書記長ゴルバチョフに、イスラーム世界を理解するためには、
 イブン・アラビーやイブン・スィーナーの思想を理解することが重要だという旨の書簡を送ったという一事に端的に現れている。
 ホメイニーの中では、その革命とイブン・アラビーの思想は通底するものがあったのである。
 彼らにおいては、イブン・アラビーの思想と、社会変革実践活動は深く結びついていたと考えなければならない。”

― 『イブン・アラビー学派文献目録』 「序論」 東長靖、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科附属イスラーム地域研究センター (2010)

790考える名無しさん2020/01/08(水) 01:27:26.090
映画『シャルギー(東洋人)』が観れなかった人には、この本がある程度代わりになる。
著者は、映画の中で井筒の紹介の中心的役割を担っていたイラン人研究者。


“以前、私はテヘラン国際ブックフェアに行き、テヘラン大学出版社の展示室にあった諸々の本を見ていた。
 いきなり、ハーメネイー師がブックフェアにいらっしゃり、視察していることに気付いた。
 ハーメネイー師がテヘラン大学出版社の展示室に至った時、
 井筒が書き、テヘラン大学出版社によって出版された『ザブザワーリーのヒクマ(叡智)の基礎』を彼は見た。
 そして、彼は私に、なぜ井筒氏はイランに戻らないのかと尋ねた。(メヘディー・モハッゲグとの対談より)” 8章

“井筒とナスルは日本と東アジア研究所の設立のために、2,000冊から3,000冊の本を日本から購入し、哲学アカデミーの図書館へと納入させた。” 11章

― 『井筒俊彦の比較哲学:神的なものと社会的なものの争い』 バフマン・ザキプール、知泉書館 (2019)

791考える名無しさん2020/01/08(水) 01:27:59.780
>>790
ハーメネイー師はホメイニー師の後を継いだ現イランの最高指導者。

このナスルという人物は、マギル大学で一緒だった井筒をイラン王立哲学アカデミーへ誘った。
更に、哲学アカデミーでは井筒に東洋思想をやることを勧め、その結果の一つが『老子道徳経』の英訳。

792考える名無しさん2020/01/08(水) 01:28:40.680
S.H.ナスル 『イスラームの哲学者たち』 黒田寿郎、柏木英彦 訳、岩波書店 (1975)

これも良書。

793考える名無しさん2020/01/08(水) 01:29:42.890
“井筒の東洋哲学は哲学の中心を欧州からアジアへ移すのに貢献するでしょう” ロバート・ウィスノスキー (カナダ イスラム学者)

“我々イラン人は日本人以上に井筒を高く評価しています” バフマン・ザキプール (イラン 哲学者)

“井筒の東洋哲学は、根底でいろんな宗教のおおもとのところで鳴り響いている和音みたいなものを取り出そうとした。
 その響きには、構造、論理、論理を超えた何かがある。
 世界中に分かれてお互いに対立し合う宗教も、おおもとまでたどっていくとあらゆる宗教が行き来できる。
 イスラム教も仏教もいろんな宗教が自由に行き来できる領域を探ろうとした。” 中沢新一

― BS1スペシャル 「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」 20191108

794考える名無しさん2020/01/08(水) 01:31:01.870
>>793
『シャルギー(東洋人)』の中では、井筒がムスリムでないことにも言及されていた。
その一歩引いた視点からの考察が、イスラム世界でも高い評価を得ているとのこと。
そのことを踏まえた上で、このザキプールの評はパンチがある。

井筒が何をやったのかという説明としては、この中沢の評が一番的確。

795考える名無しさん2020/01/08(水) 03:23:26.210
『シャルギー(東洋人)』はイラン制作の2時間10分の映画だから、半分ぐらい寝るだろうと思っていたが、とんでもない。

100名以上の知識人によって、井筒の生涯と思想のディテール、イラン人から見た大東亜共栄圏の検証、昨今の国際政治の状況までもが、
神学と言語意味論(セマンティクス)と分析哲学を織り交ぜて語られる。

井筒のテクストと同じぐらい高度で緻密な内容を、毎秒字幕で読まされるわけだから、
メモを取る暇もないどころか、まばたきもしないようにして観なければならなかった。

796考える名無しさん2020/01/08(水) 03:26:34.410
井筒自身は政治を語らない人だったが、出演していた日本人研究者の一人は、
「井筒が政治について言及していてくれていたら、後の人はもっと楽になった」ということを言っていた。

それはそうだろう。哲学の世界で、前人未到の領域へ到達した人だから。

797考える名無しさん2020/01/08(水) 05:49:48.260
>前人未到の領域へ到達した人
理解できる前人未到=超人
理解できない前人未到=キチガイ
だが超人は、キチガイを自分より遥か上の存在と見ている、おまえらが無能なだけ。

798考える名無しさん2020/01/09(木) 01:37:34.070
>>797
日本語でおk

799考える名無しさん2020/01/09(木) 02:05:53.470
イブン・アラビー(1165-1240)はムウタズィラ派やアシュアリー派といった思弁神学を批判し、神の名で呼ばれる以前の絶対無分節的無と、そこからの神の自己顕現(タッジャーリ)を策定した。

「思弁は諸存在物と結びついている」ため、その関係を断ち切り、思弁の垢から心を浄めるべく、タッジャーリを観照する場として「心」の機能を重視した。

参考:
相樂悠太 「理性と「理性の限界の向こう」:『マッカ開扉』にみるイブン・アラビーによる他説との知的対話」 『宗教研究 第93巻 396』 日本宗教学会(2019.12)

800考える名無しさん2020/01/09(木) 02:07:08.070
カントの理性批判とメイヤスーの切断論を合わせたようなことをやっている

801考える名無しさん2020/01/24(金) 15:34:52.300
幸運の恩恵を受けた者が、幸運の恩恵を受けられなかった者をどうバカにすることができよう。

アラー・アクバル!(神は偉大なり)

802考える名無しさん2020/01/29(水) 02:02:03.030
「老子」各種翻訳

・『老子』 小川環樹、高木智見、中公クラシックス (2005) 原文、書き下し、訳文
・『老子』 福永光司、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『老子』 蜂屋邦夫、岩波文庫 (2008) 原文、書き下し、訳文
・『老子道徳経(英文著作翻訳コレクション1)』 井筒俊彦、慶應義塾大学出版会 (2017) 原文、書き下し、訳文
・『老子 無知無欲のすすめ』 金谷治、講談社学術文庫 (1997) 原文、書き下し、訳文
・『エッセンシャルタオ 老子』 加島祥造、ちくま文庫 (2005) 原文、訳文
・『老子<全> 自在に生きる81章』 王明、地湧社 (2005) 原文、訳文

803考える名無しさん2020/01/29(水) 02:02:19.730
「荘子」各種翻訳

・『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 雑篇』 福永光司、興膳宏、ちくま学芸文庫 (2013) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 内篇 [中国古典選]』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 外篇 [中国古典選] 上中下』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 雑篇 [中国古典選] 上下』 吉川幸次郎、福永光司、朝日新聞社 (1978) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 第1冊 内篇』 金谷治、岩波文庫 (1979) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第2冊 外篇』 金谷治、岩波文庫 (1979) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第3冊 外篇・雑篇』 金谷治、岩波文庫 (1982) 原文、書き下し、訳文
・『荘子 第4冊 雑篇』 金谷治、岩波文庫 (1983) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 全訳注 上下』 池田知久、講談社学術文庫 (2014) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 中国の古典 上下』 藤堂明保、池田知久、学研 (1983) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 全釈漢文大系 上下』 赤塚忠、集英社 (1980) 原文、書き下し、訳文

・『荘子 1・2』 森三樹三郎、中公クラシックス (2001) 書き下し、訳文

・『荘子(中国の古典)』 野村茂夫、講談社 (1987) 抄訳、原文、書き下し、訳文、全体の1/3

・『荘子[中国の思想]』 岸陽子、徳間文庫 (2008) 抄訳、原文、書き下し、訳文

・『荘子 新訳』 岬龍一郎、PHP研究所 (2013) 抄訳、書き下し、訳文

・『荘子 ヒア・ナウ』 加島祥造、パルコエンタテインメント事業局 (2006) 抄訳、訳文

804考える名無しさん2020/01/29(水) 02:03:34.800
老荘的な語法は、絶対無、分節化/無分節化論、存在の解体構築論など、
井筒哲学の骨格ともいうべき大きなウェイトを占めているので、早めにやっておくのがいい。

805考える名無しさん2020/01/29(水) 02:04:10.950
ハイデガーやデリダの存在解体/再構築にあたる作業を、
荘子は分節化/無分節化(限定/無限定)という形でやっている。


“物を物としてあらしめる道は、物に対して限定を設けないが、物相互の間には限定があり、それを物の区別という。無限定な世界から有限の世界があらわれ、有限の世界がまた無限定の世界へと移ってゆく。”
“物物者。與物無際。而者有際者。所謂物際者也。不際之際。際之不際者也。(知北遊篇第二十二 6)”

― 『荘子 外篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)

806考える名無しさん2020/01/29(水) 02:04:30.490
次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。
ラカンはこれと同じ役割を「クッションの綴じ目 (ポワン・ド・キャピトン)」に例えた。(ラカン『無意識の形成物[上]』)


“そもそも道にはもともと境界などなく、ことばにはもともと固定した意味などない。そこから〔道がことばによって表象されるようになると〕区別が現れるようになった。”
“夫道未始有封。言未始有常。爲是而有畛也。(斉物論篇第二 5)”

― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)

807考える名無しさん2020/01/29(水) 02:05:17.700
「無無無」が定立される箇所。


“有ということがあるし、無ということがある。またもともと「無ということ」はないということがある。またもともと「無ということはないということ」はないということがある。”
“有有也者。有無也者。有未始有無也者。有未始有夫未始有無也者。(斉物論篇第二 4)”

― 『荘子 内篇』 福永光司、興膳宏、筑摩書房 (2013)


荘子は有ることと無いことの根源的前提を考えようとした。

解説は以下を参照。
『荘子 内篇(中国古典選 12)』 福永光司、朝日新聞社 (1978)

808考える名無しさん2020/01/29(水) 02:59:02.080
>>173などは特に老荘的な表現。


・《老子》第1章に〈玄のまた玄,衆妙の門〉とあるように,存在の根源にある幽遠にして神秘的なものをあらわす。
・微妙で奥深いこと。深遠なおもむき。
・玄の字は黒い糸を束ねた形で、かすかで見にくいところから天の色とされ、また北方の色とされた。
・赤または黄を含む黒色。

809考える名無しさん2020/02/07(金) 01:51:09.090
>>173
井筒の「存在-神-論(Onto-Theo-Logie)」は、
老荘+ハイデガーの現象学的存在論+デリダのロゴス中心主義の解体。

810考える名無しさん2020/02/07(金) 06:02:22.430
かす(微/幽)かで分かりにくい違いを見事に捌いて見せるからこそ玄人なのでわ?

811考える名無しさん2020/02/07(金) 06:39:29.850
603 :考える名無しさん:2016/01/24(日) 09:45:22.05 0
>>594
構造主義に関連して日本では、一時、ソスュールの「言語には差異しかない」
という発言を引用することが流行ったが、これはとても誤解を招きやすい表現
であり、記号論を理解する妨げにもなっていると思う。記号論としてより妥当
な表現をするなら、「弁別作用の働かない言葉は、物事を区別するのに役立た
ない」というべきだろう。そして、物事を区別するのに役立たない言葉は、
使われなくなるか、「役に立たないことが有用である」限りで使われるのである。
したがって、言葉は、弁別作用を獲得すること/失うことによって絶えず変化しているのである。その変化しつづける弁別作用を、やはり変化しつづけている自らの言葉を用いながら捉えることが、解釈の営みであり、記号論のプロセスなのである。

812考える名無しさん2020/02/07(金) 08:36:45.740
>>808は幽玄の玄

813考える名無しさん2020/02/07(金) 08:44:05.540
能の翁=神

金春禅竹『明宿集』における翁論(翁wikiより)

> 抑翁ノ妙体 根源ヲ尋ネタテマツレバ 天地開闢ノ初メヨリ出現シマシマシテ [中略] 垂跡ヲ知レバ 歴々分明ニマシマス
>
> (そもそも「翁」という神秘的な存在の根源を探究してみると、宇宙創造のはじまりからすでに出現していたものだということがわかる。 [中略] こういう神としての示現(垂迹)を知れば、ますますいろいろなことがわかってくる。)

814考える名無しさん2020/02/07(金) 08:45:02.830
>>806
>次の「畛」は、田のあぜ。そこから転じて、区切り・境界をいう。

畛 ピンインzhěn ((文語文[昔の書き言葉])) (田の)畔道.

これを同じ発音の表現と比べて見るとすぐに分かるが、
「畛 ピンインzhěn」が表しているのは、「目が詰まっていること」
だから、境界として高く盛られた土が固められている様子を表して
いるのだろう。

缜(稹)ピンインzhěn
((文語文[昔の書き言葉])) 細かい,緻密である.
鬒(黰)ピンインzhěn
((文語文[昔の書き言葉])) (頭髪が)濃くて黒い.

815考える名無しさん2020/02/07(金) 08:53:24.270
さらに、この発音は、「真実」の「真」にも近い
真 ピンインzhēn

すると、「真実」の「真」は、「中実である」こと、すなわち、
「中身が詰まっている」ことを表していたのだろうと推測できる。

816考える名無しさん2020/02/13(木) 17:13:06.430
>>808
老荘に限らず中国思想だろうな
玄は「黒」「闇」などの意味を持つ
五行思想では「水」行が五方では「北」、五色では「黒」または「玄」となる
北方を守護する神を玄武という

817考える名無しさん2020/02/13(木) 18:05:10.220
「北(きた)」は、日本語では、「きたな(穢/汚)し」の「きた」でもある。
この場合、「~なし」が表現しているのは、程度の甚だしさであり、
「きた」は、英語で表現するなら"darkness"を表している。

818考える名無しさん2020/02/14(金) 00:53:30.790
>>814-817
お子様ランチのハンバーグではなく、つけあわせのコーンとパセリの批評かな?

819考える名無しさん2020/02/14(金) 01:00:50.450
「ぼくが知ってる漢字の話」?

820考える名無しさん2020/02/14(金) 09:08:23.100
>>816は、別の人ですね
私には、「きた(北)」は、表現としてよく分からないけど、
「ぼくが知ってる漢字」から推測してみると、「きた」の
「き」は、中国語の"qi(ピンイン表記)"に対応しているの
ではないかと思う。"qi(ピンイン表記)"は、「チィー」
と発音されて、「き」とは似ていないように思えるけど、
"qi(チィー)"と発音される漢字の多くは、日本語の発音
では、「き」と読まれている。
https://cjjc.weblio.jp/content/qì;

821考える名無しさん2020/02/14(金) 09:15:39.100
「きた」の「た」が、「ひな・た(日向)」や「かな・た(彼方)」の
ように方向としての「た(手)」を表していると想定してみると、
「きた(なし)」のように、「きた」は"darkness"を表現するように
用いられているのだから、"qi(チィー)"と発音される中国語の
表現のなかでも、「漆黒」の「漆 ピンインqī」辺りが有力候補
に挙がりそうな気がするけど、どうだろう。

822考える名無しさん2020/02/14(金) 09:17:49.120
ところで、「けた」と読まれる気多(けた)大社の「気多」は、
「きた(北)」とは無関係なのだろうか。

823考える名無しさん2020/02/14(金) 16:55:33.840
https://cjjc.weblio.jp/content/黑漆漆的
黑漆漆
状態詞

日本語訳真っ暗
対訳の関係部分同義関係
黑漆漆の概念の説明
日本語での説明 真っ暗[マックラ]
まったく暗く,何も見えないこと

824考える名無しさん2020/02/14(金) 21:49:53.120
>>820-822
邪魔だから語源板でやってこい

825考える名無しさん2020/02/18(火) 16:10:56.350
>>820で言っているキの音は「団音」、
>>821で言っている漆の字はシツの音で語頭は「尖音」、tsiツィのような音
中国語で両者の区別がなくなりどちらもqiチになったのは新しく、
ここ数百年の変化だ(尖団の合流と言う)
古代においては別の音として区別されていたので、qiの音で一律に語源を解くのは誤りだ

826考える名無しさん2020/02/18(火) 16:29:03.100
>古代においては別の音として区別されていたので、
>qiの音で一律に語源を解くのは誤りだ

『古代の日本語』が音韻変化に基づいて中国語から派生したと想定
するのなら、そのように「明確な誤りを指摘する」ことができるの
でしょう。ところが、現代の日本語を見れば、日本語は、英語の
表現を大々的に流用している。ところで、英語において、"l"と
"r"の発音、「b」と「v」の発音の区別は、はっきりしているが、
日本語において流用される場合、その区別は消失してしまう。

ここで私は、私が単にふと思いついた連想による推測が正しいと
主張しているわけではない。そうではなく、古代において中国語
で区別されていたという事実は、連想によって可能性を探る妨げ
にはまったくならないことを指摘しているまでです。

特に、「時系列」に囚われる考え方は、それ自体が罠に陥る
可能性が高い。というのも、それは、「系統論」的な考え方
を暗黙の規範として前提としているからだ。

827考える名無しさん2020/02/18(火) 16:41:21.060
「歴史的な中国語の変化」の研究が規範として存在し、それに照らして
見ると、「中国語から日本語が派生したとは考えられない」というのは
確かでしょう。中国語と日本語の間にもしそのような派生関係を裏付ける
音韻的な関係が存在するのなら、そのような関係はとっくに実証されて
いたはずだ。しかし、私が主張しているのは、そのようなことではない。
私は、日本語が中国語から派生したと言っているのではなく、日本語が
中国語の表現を「流用」することによって、つまり、中国語の規範を
離れて勝手な体系を作り上げることによって成立したと言っている。
その場合、流用された中国語の表現は、規範に則って中国語に合わせる
ように修正力が働くものではなく、もともとの発音がその時代の
権威ある中国語の規範を外れていたとしても、それを使う人々の間で
通用するように使われることによって規範化したことになる。

828考える名無しさん2020/02/18(火) 16:47:24.430
現代の日本語の表現において英語に由来する「外来語」の表現は極めて多いが、
その発音において英語としての弁別性が無視されているだけでなく、英語の発音
の規範どおりにそれが発音されても、英語を母語とする人々にはまったく意味を
成さない「和製英語」も数多く含まれている。

829考える名無しさん2020/02/18(火) 16:57:32.460
>tsiツィのような音中国語で両者の区別がなくなり
>どちらもqiチになったのは新しく

例えば、時代的変化、地域差を無視したとても大雑把な見方から、
スペイン語とポルトガル語を比べてみても、いずれの言語に
おいても"l"と"r"の区別は消失していないが、対応する言葉で
"l"と"r"が入れ替わっているものがある。時代的な変化を
研究することは、それ自体で重要でしょう。しかし、そのような
入れ替わりが生じたり、その発音が、それを母語としない人々
によって使われたときに区別が消失してしまうことがある
ことは、それ自体が「流用」について「可能性を探る」場合の
重要な手がかりとなる。

830考える名無しさん2020/02/18(火) 17:07:22.120
最初から留保をつけているとおり、
>私には、「きた(北)」は、表現としてよく分からない

しかし、それが「き(=dark)た(=side)」を表している可能性は
十分にあるだろうと思っている。ただし、「きた」が「暗さ」を
表すように用いられている表現は、「きた・なし」の他には
簡単に例が見当たらない。そこで、この「き」という発音の
用法にはどのような由来が考えられるのか、その可能性をオープンに
探っている。

831考える名無しさん2020/02/18(火) 18:21:22.860
「気(qi/チ)」の発音と「漆(tsi/ツィ)」の発音が一緒に
日本語に取り込まれて「き」の発音において混同されて
用いられるようになったという証拠はどこにもない。
したがって、「きた(北)」の「き」が「漆(tsi/ツィ)」
に由来する可能性があるのではないかというのは、連想
によって根拠のない憶測を述べているに過ぎない。

ところで、日本語では、外来語であっても「チ」と「ツィ」
の発音を区別しない。だから、「ツィゴイネルワイゼン」
と書いても、「チゴイネルワイゼン」と発音されるし、
ギリシャ首相を務めた「アレクシス・ツィプラス」の場合
などは、どうせ日本語では発音が区別されないので、新聞
でも「チプラス」と表記していた。

「気(qi/チ)」と「漆(tsi/ツィ)」が同時に日本語に取り込ま
れたのであれば、「気(qi/チ)」は、「き」と発音される
ようになったのだから、「漆(tsi/ツィ)」も同じく「き」と
発音された可能性は排除できないだろうと思う。ただし、
繰り返すが、私は、実際にそうであったと主張しているわけで
はない。

832考える名無しさん2020/02/19(水) 01:37:43.980
>>826-831
井筒の本は読んだことがあるのか?
井筒がどこでそんな語源や音韻の話をしている?

833考える名無しさん2020/02/19(水) 13:16:44.310
井筒の本は、「意識と本質」とか、全集の一部とかを読んだことがある。
井筒訳のコーランと解説本の「コーランを読む」も読んだことがある。
でも、内容はあまり覚えていないな。

834考える名無しさん2020/02/19(水) 13:26:41.010
>>826-831
中国語から現代日本語への「音の流用」などと言う現象は実際には起こっていない
それは言葉の歴史に反する
あなたの脳内でただ連想が起こったと言うだけ
系統の異なる言語の間の話だから、系統論が関係ないのは当たり前だ

835考える名無しさん2020/02/19(水) 13:42:22.250
>>831
違う違う、全然違う
「気」は唐代の中古漢語音でキ、日本漢字音でもキ、
「漆」は中古音でツィッtsit、日本漢字音でシツ、
古代日本語のサ行は破擦音だったので、これは唐代の音をかなり忠実に写している
「漆」の音は中国北方では宋~元頃に後部の詰まる音(入声韻尾)を失いツィtsiとなる
中国北方で「気」キと「漆」ツィが共にチという音になり、区別がなくなったのは、
17世紀頃だろうと言われている。これが尖団の合流。
「気」をキと読む日本語の方が古い中国語の音を保存しているのだ
「気」をチと呼ぶようになった北方中国語の方が、新しく起こった音変化を反映しているのであり、
逆ではない

836考える名無しさん2020/02/19(水) 14:16:56.260
>中国語から現代日本語への「音の流用」

わざとだろうけど、私は「音の流用」なんてことは
どこにも書いてませんよ。

837考える名無しさん2020/02/19(水) 14:52:43.540
>>835
中国語は、権威のある言葉として日本に入ってきたのだから、
中国語から直接に取り入れられたことが明らかである表現について、
その中国語と日本における漢語の対応関係があるのは当然のことでしょう。
それについて、中国語の系統学的な研究は重要であるし、
その知見に基づいた見解を明示的に書き込んでくれることは歓迎します。

私は、別に自分の連想によるちょっとした思い付きが間違っていない
などとは思っていないのです。ただし、中国大陸から入ってきた言葉
の日本語形成における利用の可能性を探る際に、中国語の系統学的な
研究は、探求の道を塞ぐ妨げとして用いられるべきではない。
というのは、古代において大陸から入ってきた「中国語」は、
現代に系統学的な研究において対象とされる「中国語」よりも
はるかに多様であったと考えられるからです。大陸からの言葉の
表現の流用として広く通用するようになっても、それが中国
大陸において中国語として通用しないなら、それが、大陸から
の言葉の流用であったことは忘れられ、権威のある「中国語」
として用いられる漢語との対比において、日本の現地の言葉
となる。そのような流用が生じることは、人々の接触において
自然なことであり、それについて、系統学的な研究は、あまりにも
盲目なのです。

838考える名無しさん2020/02/19(水) 15:12:25.120
発音の変化の系統学的な研究は、発音の変化をあたかも物理学的な
変化であるかのように扱いがちだが、発音は、表現のために用いら
れるので、どのように発音が変更されるかは、表現の意図と結び
ついている。

例えば、英語でもポルトガル語でも"l"によって表記される発音
が、日本語に移せば「ウ」または「オ」で表記される場合が
多くある。一時流行った、「アンビリバボー」というのが
一例である。もともとは、日本語において「アンビリーバブル」
と発音されるものとされていたが、語末の「ル」の発音が
英語を母語とする米国人の発音とかけ離れており、より
近い発音に聞こえるようにそのように変更されたのだろう。
では、日本語において、「ウ」または「オ」の発音は、"l"が
「ル」で表記される場合のような「ル」の発音に変化しうる
だろうか。そのように問うなら、普通は否定的な答えが
返ってくるだろう。

839考える名無しさん2020/02/19(水) 15:26:21.810
最近テレビで流れている不動産仲介会社のCMで、ブタのぬいぐるみが、
「エイブル」という社名を「エイブー」と発音し、それを女性が
「エイブル」と「きちんと発音する」ように訂正する内容のものがある。
これは、「アンビリバボー」をはじめ、英語から取り入れられた
外来語において「~ブル」という発音は誤りで、「~ブー」または
「~ボー」と発音するのが「正しい」とする風潮に抵抗するものだろう。

人は通用する規範が与えられると、それに過剰適応することがしばしば
あり、「エイブル」という固有の社名でも「エイボー」または「エイブー」
の方が正しいはずだと感じてしまう。だが、企業にとっては、自社の
社名は固有の名称なのだから、日本国内で営業している以上、英語として
の発音の一般的な正しさに適応しようとする必要などないのである。
だから、「エイブー」は誤った発音であり、「エイブル」が正しい
ことになる。ところで、逆に日本語は日本語としてきちんと発音しま
しょうという風潮になれば、「~ブー」または「~ボー」は、
「~ブル」だったのではないかという類推が働いて、もともと、
「~ブー」または「~ボー」であったものが、「~ブル」に訂正
されるという過剰適応が行われるようなことも、言葉の使用の変化
においては、常に生じる可能性があるのである。

840考える名無しさん2020/02/19(水) 17:08:04.020
>>837
意味不明。あなたはせいぜいここ数百年の間に起こった音変化を連想の素材にしているだけ
それを古代の多様な中国語と考えるのは事実に反する
事実を思考の妨げと考えるのなら、古代だのより古いだの言わなければいい
時系列に沿った事実の探求には、それなりの先人の科学的思考の蓄積があるのです
連想に基づいたポエムを書きちらしたいだけなら、科学と衝突するような言葉を使わなければいい

841考える名無しさん2020/02/19(水) 18:52:16.440
>時系列に沿った事実の探求には

それは、残された資料に見られる事実を推測により時系列で
互いに関係づけたものであって、それとは別の関係を排除する
ために利用できるようなものではないでしょう

842考える名無しさん2020/02/19(水) 23:15:16.730
>>833
読んでいる内に入らない

843考える名無しさん2020/02/20(木) 01:14:50.400
>>775のデブは、ルーミーを開いたこともないし、
学術に至っては、何を批判したらいいのか検討もつかない

844考える名無しさん2020/02/24(月) 09:55:18.960
人はよく「ま(目)ちが(違)ふ」から、手で触って「た(手)しかめ」ようとする。

845考える名無しさん2020/02/24(月) 10:06:59.240
「うたが(疑)ふ」という表現は、「うた+か(交)ふ」と分解して解釈する
ことができ、岩波古語辞典においてもそのように説明されている。
この「うた」が、「うた(歌)」や「うたた(転)」と共通していることも
岩波古語辞典で指摘されるとおりだろう。だが、そのことから、
「うたがひ」が「自分の気持ちをまっするに表現する意」を表して
いるとする同辞典の解釈は完全に誤っている。というのも、
既に別の機会に指摘したとおり、「うた(歌)」や「うたた(転)」の
「うた」自体が「う(≒表面)+た(≒(手などで)触れる)」として
さらに分解されるからである。

846考える名無しさん2020/02/24(月) 10:12:17.190
「う(≒表面)+た(≒(手などで)触れる)+か(交)ひ」は全体として、
フランス語で表現するなら、試行錯誤としての《tâtonnement》
を表している。実際、「うたがふ」という動詞の意味は、
フランス語の再帰表現、"se tâter"にほぼそのまま対応する
だけでなく、発音のイメージにも共通性を見ることができる。
https://www.larousse.fr/dictionnaires/francais/se_tâ;ter/76821
se tâter
Être indécis, s'interroger sur la conduite à tenir.

847考える名無しさん2020/03/06(金) 23:35:47.940
井筒は「ポスト構造主義の乗り越え」の必要性を説き、
自身もいくつかの例を断片的に示してはいたが、生前にその次のパラダイムを目にすることはなかった。


“構造主義(Structuralism)勃興以来、いわゆるポスト構造主義を経て、
 今やそのポスト構造主義の彼方への乗り越えすら云々されております”

― 井筒俊彦 「言語哲学としての真言」 (1984年、高野山での講演)

848考える名無しさん2020/03/06(金) 23:36:09.630
今読み返してみると、『ルーミー語録』(1978)にはそのヒントがあるように思える。

井筒はルーミーの言語哲学を、そのピークにおいて行われる「ファナー(自我消融)」を通じた原始の実在体験と形象体験が再結晶化したものと説く。

このことには、ポスト構造主義(言語的転回)のピークからの実在論的転回(ポスト・ポスト構造主義)という、その後の哲学史的展開と重なるからだ。

849考える名無しさん2020/03/06(金) 23:36:34.740
『ルーミー語録』を軸に、井筒を原=ポストポスト構造主義者として読み直すことができる。

850考える名無しさん2020/03/06(金) 23:37:51.230
ルーミー語録

・『ルーミー語録 (イスラーム古典叢書)』 井筒俊彦、岩波書店 (1978) 訳と解説
・『井筒俊彦著作集 11 ルーミー語録』 中央公論社 (1993) 訳と解説
・『井筒俊彦全集 5』 慶應義塾大学出版会 (2014) 解説のみ

851考える名無しさん2020/03/06(金) 23:39:14.150
この中では、ルーミー自身がハッラージュの「アナ・ル・ハック」(我こそは神)>>463>>338
の解説をしているのだが、その真相というのがすごい。

一般的な一神教には二神は存在しないにしても、まだ神とそれ以外のもの(世界と人)が存在する。
スーフィズムの立場からすれば、これではまだ生ぬるいらしく、
神と我の対立状態すらも撤去して、神の絶対的な一者性を完成させるだという。謙虚さの極致として。

852考える名無しさん2020/03/06(金) 23:51:50.540
地球人の視点を持てば、木は命の源だ。クルアーンにもイチジクが出て来る。
不老長寿の実だそうだ。エデンの園で二人があそこを隠したのもイチジクの葉だ。
仏が悟りを開いたインド菩提樹も、クワ科イチジク属だ。
だから実はイチジクも剪定しないと、巨大な高木になる。
世界に広めよう、イチジクの実だ。

853考える名無しさん2020/03/06(金) 23:59:33.240
ちなみにイチジクの敵はカミキリムシだ。カミキリムシを寄せ付けない、コンパニオンプランツはビワだ。ビワの木は日本の木刀になる。世界にイチジクの実を広めたら、日本のビワの木の話も加えたい。そんなクルアーンが本当は必要なのだ。

854考える名無しさん2020/03/07(土) 00:29:11.090
>>852-853
邪魔

855考える名無しさん2020/03/07(土) 00:33:47.050
>>851
そうすると、この瞬間、外在的超越から内在的超越になるのかもしれない。

856考える名無しさん2020/03/07(土) 00:36:05.250
他には、イブン・アラビーも内在的超越。存在一性論。


“絶対者そのものが絶対者〈超越者〉であるばかりでなく、絶対者自身が世界に対して世界のなかで〈自己開示〉する”

― 井筒俊彦 『スーフィズムと老荘思想(上)』 4章1部 (2019)

857考える名無しさん2020/03/07(土) 00:36:30.580
【外在的超越】
ユダヤ教、キリスト教、イスラム

【内在的超越】
スーフィズム
・アル・ハッラージュ(858-922)

・イブン・アラビー(1165-1240)

858考える名無しさん2020/03/07(土) 00:37:20.800
すぐに良い例が見つからないのだが、外在的超越の神のイメージというのは、こういうもの。
神≠被造物であり、地球外生命体に例えられる。(もっと言えば宇宙外)


“Godは、人間と、血のつながりがない。全知全能で絶対的な存在。
 これって、エイリアンみたいだと思う。
 だって、知能が高くて、腕力が強くて、何を考えているかわからなくて、怒りっぽくて、地球外生命体だから。”

― 『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎、大澤真幸、講談社現代新書(2011)

859考える名無しさん2020/03/07(土) 00:37:26.830
>>851 神は母なる地球だ。地球の映像を見た事の無いボケの話は読まぬ様に気を付けたい。

860考える名無しさん2020/03/07(土) 00:38:07.990
>>858
それに対して、内在的超越は汎神論のイメージに近くなる。

861考える名無しさん2020/03/09(月) 02:46:14.970
>>857を拡張

内在的超越から汎神論への影響

【外在的超越】
ユダヤ教、キリスト教、イスラム

【内在的超越】
スーフィズム
・アル・ハッラージュ(858-922)「アナ・ル・ハック(我こそは神)神と被造物の対立の撤去」
・イブン・アラビー(1165-1240)「存在一性論」

スコラ学
・アッシジのフランチェスコ(1182-1226)「万物兄弟の思想」
・トマス・アクィナス(1225-1274)「神の世界内在」
・ニコラウス・クザーヌス(1401-1464)「極大と極小(神と被造物)の一致」

ユダヤ哲学
・スピノザ(1632-1677)「神即自然」

862考える名無しさん2020/03/09(月) 03:21:01.170
内在 

② [哲] 〔ドイツ Immanenz〕㋐ 神やイデアが現象(世界・個物)の内に本質として存在すること。 (大辞林 第三版の解説)


外在 

[名](スル)外界に存在すること。また、ある事象の原因・理由などが、その事象の外にあること。「外在する原因」(デジタル大辞泉の解説)

863考える名無しさん2020/03/10(火) 01:45:41.770
キリスト教の場合は複雑で、聖書の神は外在的だが、イエスの受肉は、内在へ向かって降りてきている。

864考える名無しさん2020/03/11(水) 16:56:31.910
>>845-846
>Mais ce qu'il avait de bizarre, c'est que, de temps en temps,
il tâtonnait, se reprenait comme s'il eût manqué, et se dépitait
de n'a- voir plus la mème peine dans les doigts.<
Denis Diderot, "Le neveu de Rameau", p.49

865考える名無しさん2020/03/11(水) 16:57:59.790
誤:n'a- voir
正:n'avoir

866考える名無しさん2020/03/11(水) 17:53:28.760
遠くの雷はズドーンと落ちる感じがするが、近くの雷はドカンと落ちる
感じがする。英語の"thunder"とドイツ語の"Donner"の発音の違いには、
そのようなイメージの違いが反映されているだろうか。

ところで、フランス語で驚かすを意味する"étonner"も本来は、雷が
落ちる音と結び付いていたとのことである。その場合の雷の音は、
日本語の「ドーン」に相当するようなものだろうか。次のような
表現は、「壁ドン」(ネットよく見かける表現だだが、今回、検索して
みるまで、私はその用法を知らなかった)を連想させる。

>[...] au lieu qu'un financier fait retentir son appartement
et étonne toute sa rue.
Denis Diderot, "Le neveu de Rameau", p.37

この"étonner"の用法については、注に次のように記載されている。
>Le terme a encore le sens fort de《frapper comme un coup
de tonnerre》.<

867考える名無しさん2020/03/11(水) 17:56:05.520
ちなみに、日本語の古語では、現代の日本語の「ドカン」、「ドスン」、
「ドドーン」のような表現の「ド」に相当するのは、「ののしる」や
「の(宣)る」という表現に見られる「の」によって表記される発音である。

868考える名無しさん2020/03/11(水) 17:59:24.600
https://www.etymonline.com/search?q=thunder
thunder (n.)
mid-13c., from Old English þunor "thunder, thunderclap; the god Thor,
" from Proto-Germanic *thunraz (source also of Old Norse þorr, Old Frisian
thuner, Middle Dutch donre, Dutch donder, Old High German donar,
German Donner "thunder"), from PIE *(s)tene- "to resound, thunder"
(source also of Sanskrit tanayitnuh "thundering," Persian tundar
"thunder," Latin tonare "to thunder"). Swedish tordön is literally
"Thor's din." The unetymological -d- also is found in Dutch and
Icelandic versions of the word (compare sound (n.1)). Thunder-stick,
imagined word used by primitive peoples for "gun," attested from 1904.

869考える名無しさん2020/03/12(木) 00:30:34.900
千葉の『デッドライン』は現代の『ルーミー語録』といってもいい。

ルーミーの「ファナー(自我消融)」に対し、
千葉の場合は「偶然性」や「絶滅」がその自己解体や無化に相当する。
そうして経た実在体験を結晶化させたルーミーのテキストは「根源的形象世界」のものと呼ばれる。

870考える名無しさん2020/03/12(木) 00:30:50.730
『デッドライン』の読みどころ

千葉雅也@masayachiba

外在的な言語から内在的な言語へ。文学の言葉は内在的な言語。
午後3:14 ・ 2020年1月18日

哲学の概念を形象として、フィギュアとして取り扱うというのは『動きすぎてはいけない』から一貫する僕の思考スタイルで、その意味で、実は僕の哲学の仕事は不純なのです。だからこそ、阿部和重さんは『動きすぎてはいけない』はすでに小説的だと評してくださったのだと思う。
午後9:22 ・ 2020年2月7日

871考える名無しさん2020/03/12(木) 00:31:20.240
【形象】けいしょう

  かたち。すがた。美学で、対象を観照(想像)して心の中に浮かび上がる、その対象のすがた。

872考える名無しさん2020/03/12(木) 00:34:07.750
『思想としての言語』 中島隆博、岩波書店 (2017)

小説にも出てくる千葉の先生で中国学の中島隆博が、この中で
重要な井筒論を書いていたいたりもする。

873考える名無しさん2020/03/15(日) 08:59:36.620
>Old High German donar, German Donner "thunder")

現代の日本語でも、叱るために大声で「どなり」つけることを
「雷を落とす」と表現するのだから、この例では、日本語とドイツ語は
発音においても、それが想起するイメージにおいてもとてもよく似ている。

874考える名無しさん2020/03/15(日) 14:08:42.780
ちばまさや?おはなしにならない

875考える名無しさん2020/03/20(金) 00:16:11.960
>>861の補足

・新プラトン主義(プロティノスの流出論)
・東方キリスト教


・スーフィズム


汎神論
・スピノザ(1632-1677)「神即自然」
・ゲーテ(1749-1832)ハーフェズの影響
・シェリング(1775-1854)

876考える名無しさん2020/03/20(金) 00:16:55.110
>>858>>856

創世神話の外在と内在

[外在] 天地(=世界、宇宙)を創る神
[内在] 天地から成る神、天地に成る神

“1:1 初めに、神は天地を創造された。
 1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
 1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
 1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
 1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
 1:16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。”

― 旧約 「創世記」 1:1-5、16

“天と地とが初めて分かれた開闢の時に、高天原に成り出でた神の名は、
 天之御中主神(アメノナカヌシノカミ)、次にタカミムスヒノ神、次にカムムスヒノ神である。
 この三柱の神は、皆単独の神として成り出でた神で、姿形を現されなかった。
 次に国土がまだ若くて固まらず、水に浮いている脂のような状態で、水母のように漂っているとき、
 葦の芽が泥沼の中から萌え出るように、萌えあがる力がやがて神と成ったのが、
 ウマシアシカビヒコヂノ神であり、次にアメノトコタチノ神である。”

― 『古事記(上)』 「天地の初め」 次田真幸、講談社学術文庫 (1977)

877考える名無しさん2020/03/20(金) 00:17:26.490
このスレで特に関心を集めたのが>>645だったが、
井筒自身はそれほど頻繁には「外在/内在」という語を使っていない。

東西の神学のこうした整理は、大川の時代には既に確立されていて、
井筒にとっては自明のことだったのかもしれない。

井筒がよく使う「絶対一者からの自己展開」という表現は、内在型神学の特徴であり、
イブン・アラビーの先には、プロティノスの流出論にまで遡る。

878考える名無しさん2020/03/20(金) 00:17:53.080
>>876
大川の解釈では、古事記は混沌から宇宙の生成へ、天地が自己展開していくものであり、
宇宙に内在する生命と力とが神として顕現するのだという。(cf.丸山眞男、本居宣長)

“この〔古事記本文冒頭の〕意味多き一節は、混沌Chaosが宇宙Cosmosに成り往く道筋を述べたものである。
 古事記の世界観に就て注意すべき一事は、そが天地の創造を説かずして、天地の啓発、天地の開展を説く事である。
 天御中主神は宇宙の根本生命、高皇産霊・神産霊〔高御産巣日・神産巣日〕の両神は宇宙の生成力の神格化である。
 そは決して宇宙に超在する神にあらで、内在せる生命と力とが、神として顕現したのである。”

― 大川周明 『日本文明史』 p25 (臼杵陽『大川周明』青土社、2010、p220より孫引き)

879考える名無しさん2020/03/20(金) 00:19:27.360
この本には、井筒の話もよく出てくる。


臼杵陽 『大川周明』 青土社 (2010) p8

“竹内好「イスラム研究だけをとってみても、大川〔周明〕の業績は無視できないはずです。
 かれの『回教概論』は、純粋の学術論文であって、日本のイスラム研究の最高水準だと思います。
 日本帝国主義のアジア侵略と直接には何の関係もありません。」”

880考える名無しさん2020/03/20(金) 00:20:52.210
大橋良介 『京都学派と日本海軍:新史料「大島メモ」をめぐって』 PHP新書 (2001)

侵略戦争的性格が決定的で、反省されなければならないのは、この「大島メモ」周辺。

881考える名無しさん2020/03/20(金) 00:49:01.110
井筒俊彦×司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」より

<司馬>

大川周明というのは日本的右翼というよりも、
十九世紀のドイツ・ローマン派の日本的なあらわれの人だったのかもしれませんね。
サンスクリット語を勉強するうちに英国支配のインドに同化してゆく。イスラームも学んだそうですね。

<井筒>

そうです。大川周明が私に近づいてきて、私自身も彼に興味をもったのは、
彼がイスラームに対して本当に主体的な興味をもったひとだったからなんです。
知り合いになった頃、これからの日本はイスラームをやらなきゃ話にならない、
その便宜をはかるために自分はなんでもすると、私にはいっていました。
それで、オランダから『イスラミカ』という大業書と『アラビカ』という大業書、
つまりアラビア語基礎テクスト全部とイスラーム研究の手に入る限りの文献は全部集めて、
それをものすごいお金で買ったんです。それを東亜経済調査局の図書館に入れておいた。
ところが、誰も使う人がいないし、アラビア語のテクストを整理する人がいない。
私に「やってくれないか」というありがたい話で、アラビア語の本なんてあの頃は買えませんから、
倉庫に入り込んで毎日のように「整理」と称して、自分で読んでいたんです。

882考える名無しさん2020/03/21(土) 22:11:42.990
>>876>>878
古事記の更に先
http://2chb.net/r/philo/1433071319/479-480

日本創世神話の原型『淮南子(えなんじ)』

・『淮南子:知の百科(中国の古典)』 池田知久 、講談社 (1989) 原文、書き下し、訳文
・『淮南子の思想:老荘的世界』 金谷治 、講談社学術文庫 (1992) 解説と部分訳

中国四川省イ族の創世神話「勒俄特依(ネウォテイ)」を全文紹介。

・『古事記以前』 工藤隆、大修館書店 (2011)

883考える名無しさん2020/03/21(土) 23:34:45.690
大川周明?wwwきもちわりいの読むな老害。

884考える名無しさん2020/03/22(日) 23:31:04.780
丸山眞男「大川周明は右翼の中でも最も西洋的教養の濃い、いわばバタ臭い方なのです」

885考える名無しさん2020/03/22(日) 23:41:21.480
工藤は>>882の中で、神話の強度を8段階のレベルに分けて説明している。
共同体の祭式の中での生きた神話のあり方を最高レベルの第1段階とすると、
原型性が薄まった『古事記』は第7段階、
文字と国家意思によって権威づけられる『日本書紀』などは第8段階のものだという。

886考える名無しさん2020/03/23(月) 00:53:15.190
馬鹿程
格付けがすき

887考える名無しさん2020/05/11(月) 00:21:13.210
>>820-822,826-831,845-846
二つの言語の間に見られるとんでもない発音の似寄りを持ってきて
それを自分の居場所にする人というのは、
ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの本にも出てくる。
いつの時代にもいるんだよ。

888考える名無しさん2020/06/13(土) 18:14:26.960
> 630 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2020/06/12(金) 00:16:44.20 0
>>582
> 出たなピンイン太郎


カール・マルクス32
http://2chb.net/r/philo/1584534246/630-

889考える名無しさん2020/06/14(日) 00:33:27.640
>いつの時代にもいるんだよ。

どこでもいつでもいるのなら、それが人の常になるということでわ

890考える名無しさん2020/06/14(日) 00:43:18.400
大辞林 第三版の解説
〘仏〙 密教の根本教義の一。阿字は宇宙の根源であり、本来不生不滅すなわち永遠に存在するということ。この真理を体得する時、人は大日如来と一体化すると説く。 → 阿字

891考える名無しさん2020/06/14(日) 00:47:21.280
あまてらす

892考える名無しさん2020/06/14(日) 01:20:58.830
大辞林 第三版の解説
梵語字母の第一字、およびそれによって表される音。密教では、阿字はすべての梵字に含まれており、すべての宇宙の事象にも阿字が不生不滅の根源として含まれていると考える

893考える名無しさん2020/06/14(日) 02:31:59.840
>>889
・最低限の知識を持つまでにも至らない奴
・輪廻から抜け出すことが出来ない奴
という話

894考える名無しさん2020/06/14(日) 06:41:19.040
そういう人々がその都度、どのようにか意志の疎通を図っているということだろう

895考える名無しさん2020/06/14(日) 15:40:01.000
>>894
油を売っている暇があったら、先に読むべきものを読め

896考える名無しさん2020/06/14(日) 17:41:10.570
どうでもいい。自分の心配でもしていろ。

897考える名無しさん2020/06/14(日) 20:19:00.430
読むべきものといえば、ようやくドン・キホーテを読み終わった。
といっても、前編の"El Ingenioso Hidalgo"の方だけだが。
いい加減な読み方をしても、それなりに大変なので、後編の
"Caballero"の方を読むのはまだ先のことになりそうだ。
値段が高いのでまだ入手してないし。それにどうせなら、
英訳を先に読んで理解をより深めてから、後編にとりかかった
方が賢明だろう。

898考える名無しさん2020/06/14(日) 20:37:44.750
"Independently published"とかいう、文字データを印刷して製本した
だけのよく分からない形式の本は、入手しやすいけど、好きではないな。
本という感じすらしない。

899考える名無しさん2020/06/14(日) 23:41:48.770
>>897
哲学が何をするものなのか知らないんだろ

900考える名無しさん2020/06/14(日) 23:49:42.460
車輪の再発明(しゃりんのさいはつめい、英: reinventing the wheel)とは、
「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を(知らずに、または意図的に無視して)再び一から作ること」を指すための慣用句。

Cambridgeの辞書では「誰かがすでに生み出した何かを自分で生み出そうとして時間を無駄にすること」といった解説を掲載している。

再発明を行ってしまう理由としては、「既存のものの存在を知らない」
「既存のものがあることを知っていたはずなのに、つい思い出しそこなった」
「既存のものを一応探したが、見つけそこなった」
「既存のものが意図的に隠されていた(時間を無駄遣いするように罠をかけられていた)」
「既存のものの意味を誤解している」などということがある。

901考える名無しさん2020/06/15(月) 01:17:30.580
車輪を自分で組んでみれば、車輪は一度発明されれば済むような単純なもの
ではないことがよく分かりますよ。路面は単に与えられているものではない
し、路面の起伏によってどのように車輪に加わる力を支え、振動を吸収しな
ければならないかが問題になり、路面の摩擦とそれに対する耐久性、
耐久性と振動吸収性能や滑りにくさの両立も図らなければならず、
車輪を駆動するためにどのように力を加えなければならないか、どのように
力を加えることが効率的であるかも考える必要がある。

902考える名無しさん2020/06/15(月) 01:25:39.850
路面が大きな石ころだらけの場合、車輪を使うことが効率的でないことも
多く、それでも車輪を使うとすれば、キャタピラとして構成する必要も
でてくる。キャタピラを構成することが可能になるには、その用法に
耐える強度の素材を開発することが要件となる。また、雪面や凍った
川や湖の上でも車輪は滑ってしまって役に立たないでしょう。

903考える名無しさん2020/06/15(月) 01:29:42.640
>>901-902
「既存のものの意味を誤解している」
車輪の話なら車輪板でやってこい

904考える名無しさん2020/06/15(月) 01:33:40.170
人の意図は既存のものではありませんよ?

905考える名無しさん2020/06/15(月) 01:36:07.070
人が車輪を使っていることは、車輪が発明されている/発明されていない
というような単純な問題ではないのです。

906考える名無しさん2020/06/15(月) 01:38:35.350
>>904-905
哲学的素養がまるでない

907考える名無しさん2020/06/15(月) 07:36:17.120
車輪の利用というのは、統治の問題なのですよ?
交通網を整備することが可能であるのか、道を整備するための労力は
どうするのか、その方が効率的なのか、それによって生じる防御の
の脆弱性はどうするのか、そういう問題です。

908考える名無しさん2020/06/15(月) 08:52:23.410
>>907
車輪と道といったら、老子とハイデガーだよ。
そのどちらも知らないだろ。



ハイデガーの老子 『道徳経』 第11箴言

“三十の輻(や)が車輪中心の轂(こしき)に当たっている。
 だが然し、それらの輻の中の空隙が、車輪の有を許し与えているのだ。〈略〉

 有るものは、有用性を生ぜしめる。
 有らざるものが、有を許し与えるのだ。”

― 『ハイデッガー全集 75 ヘルダーリンに寄せて』p47-48

909考える名無しさん2020/06/15(月) 08:53:15.890
マクガフィン=張り子の虎

910考える名無しさん2020/06/15(月) 08:59:14.990
>>908
ハイデガーも、老子を読んだんだろ

欧米のインテリは、孔孟には無関心だが、老子が大好きだからな

911考える名無しさん2020/06/16(火) 00:50:34.400
>>904-905>>907
哲学のての字も分からない奴の回答だ

912考える名無しさん2020/06/16(火) 00:56:37.160
その上、頭も悪過ぎる

913考える名無しさん2020/06/25(木) 01:48:37.640
>>850
“一なるものの意識が(略)この上なく美しく崇高な意識として
 あらわれるすがたを見たいのなら、イスラム教に目をむけねばならない。
 たとえば、すぐれたペルシャ文学ジャラール・ウッ・ディン・ルーミー”

― ヘーゲル 『精神哲学(哲学の集大成・要綱 第3部)』 長谷川宏 訳、作品社 (2006)

914考える名無しさん2020/07/23(木) 13:15:10.420
ドゥンス・スコトゥスの「存在の一義性」関連

訳本
『存在の一義性:ヨーロッパ中世の形而上学』 ドゥンス・スコトゥス 著、八木雄二 訳註、知泉書館 (2019)
『存在の一義性:ペトルス・ロンバルドゥス命題註解』 ドゥンス・スコトゥス 著、花井一典、山内志朗 訳、哲学書房 (1989)

解説
『存在の一義性を求めて:ドゥンス・スコトゥスと13世紀の<知>の革命』 山内志朗 著、岩波書店 (2011)
『ドゥンス・スコトゥス:魅惑の中世』 野中幹隆 編、哲学書房 (1988)

915考える名無しさん2020/07/23(木) 13:15:36.880
山内はスコトゥス理解のために、アラビア語とイスラム哲学もやったと言っている

916考える名無しさん2020/07/24(金) 20:13:26.910
無駄

それを学んであの程度のことしかいえないんだから。

時間の無駄。

917考える名無しさん2020/07/24(金) 21:54:52.950
スコトゥスの「このもの性 haecceitas」を、ドゥルーズやメイヤスーを経由して、ポスト井筒的な存在-神-論にまで昇華させているのが千葉。


“世界とは、異なる此性をもつ複数の無の邂逅である。異質なる複数的な無の寄せ集めである”

― 千葉雅也 「此性をもつ無:メイヤスーから九鬼周造へ」 『現代思想 2017年1月臨時増刊号 特集=九鬼周造―偶然・いき・時間』

918考える名無しさん2020/07/24(金) 22:05:45.400
いまどき、これせいとかww

あほか。

ほんまあたまわるいな。

そんな雑誌買う層がそもそもあほやけど。

919考える名無しさん2020/07/24(金) 22:33:29.880
>>918
では、代わりになるものを挙げてみろ

920考える名無しさん2020/07/24(金) 23:22:11.790
メイヤスーを経由してる場合かよ。なんにも新しくない。

921考える名無しさん2020/07/24(金) 23:31:59.750
>>920
では、代わりになるものを挙げてみろ

922考える名無しさん2020/07/25(土) 13:35:06.430
井筒俊彦=アンビエント系音楽みたいな。
マッシヴさが殆ど無いというかw
安藤礼二が好きなんだろ。

923考える名無しさん2020/07/25(土) 13:48:25.340
植西あきらのほうがいいな。何十倍も売れてるし。

924考える名無しさん2020/07/25(土) 19:36:38.200
キッズたちは曼荼羅交響曲でも聴いてなさい

925考える名無しさん2020/09/08(火) 23:48:48.010
よくある説明としては、
現代が扱っている問題系も起源を辿ると、
少なくとも西洋思想史の中世ぐらいまで遡る。

中世のスコラ学の人たちは、イスラムをやっていた。
というのも、イスラムの人たちは、当時の西洋人も忘れていた
アリストテレスを読んでいたからで、
西洋がイスラムを介してアリストテレスを再導入して起こったのが、
ルネサンス(文芸復興)であるし、この辺で、自然と古代ギリシャなどもやるようになる。

926考える名無しさん2020/09/08(火) 23:49:08.320
キリスト教思想史の中で見ると…

平凡社

中世思想原典集成 1巻 初期ギリシア教父
中世思想原典集成 2巻 盛期ギリシア教父
中世思想原典集成 3巻 後期ギリシア教父・ビザンティン思想
中世思想原典集成 4巻 初期ラテン教父
中世思想原典集成 5巻 後期ラテン教父
中世思想原典集成 6巻 カロリング・ルネサンス
中世思想原典集成 7巻 前期スコラ学
中世思想原典集成 8巻 シャルトル学派
中世思想原典集成 9巻 サン=ヴィクトル学派
中世思想原典集成 10巻 修道院神学
中世思想原典集成 11巻 イスラーム哲学 ←←← この辺の話
中世思想原典集成 12巻 フランシスコ会学派
中世思想原典集成 13巻 盛期スコラ学
中世思想原典集成 14巻 トマス・アクィナス
中世思想原典集成 15巻 女性の神秘家
中世思想原典集成 16巻 ドイツ神秘思想
中世思想原典集成 17巻 中世末期の神秘思想
中世思想原典集成 18巻 後期スコラ学
中世思想原典集成 19巻 中世末期の言語・自然哲学
中世思想原典集成 20巻 近世のスコラ学
中世思想原典集成 別巻 中世思想史

927考える名無しさん2020/11/10(火) 02:50:11.360
『ゲンロン11』 (2020/9/23)

ゲンロンセミナー
「井筒俊彦を読みなおす――新しい東洋哲学のために」 安藤礼二+中島隆博

928考える名無しさん2020/11/10(火) 03:10:22.990

929考える名無しさん2020/11/10(火) 03:11:07.410
このマッシヴさ

930考える名無しさん2020/11/10(火) 22:12:12.540

931考える名無しさん2020/12/20(日) 23:58:31.130
Sébastien Léger at the Great Pyramids
ダウンロード&関連動画>> @www.youtube 




932考える名無しさん2020/12/21(月) 00:01:12.520
『井筒俊彦ざんまい』 若松英輔、慶應義塾大学出版会 (2019)

若松英輔   知られざる井筒俊彦
井筒俊彦年譜

 I――原点と回想
白井浩司  時代への批判者
柏木英彦  遠い日の井筒先生
松原秀一  つかずはなれず四十年
牧野信也  師としての井筒俊彦先生
丸山圭三郎  〈読む〉ということ
河合隼雄  井筒俊彦先生の思い出
安岡章太郎  あの頃の井筒先生
日野啓三  言い難く豊かな砂漠の人
佐伯彰一  求む、井筒俊彦伝――ポリグロットの素顔
瀬戸内寂聴  豪華な学者夫妻
立花 隆  職業選択を誤らなかった話
伊東俊太郎  井筒俊彦先生のこと

 II――東西の出会い
福永光司  井筒俊彦先生とわたくし
高木訷元  乾坤は經籍の箱
長尾雅人  井筒さんの『起信論』哲学
森本公誠  井筒先生を東大寺にお迎えして
門脇佳吉  井筒先生の風貌と思想の源泉
栁瀬睦男  井筒氏の思い出
ナスロッラー・プールジャヴァーディー  井筒先生との最後の会見(1)(2)
ヘルマン・ランドルト  井筒俊彦を回想して
サイイド・ホセイン・ナスル  井筒俊彦の思い出
ナダール・アルダラン  ことばに尽くせぬ思い出

933考える名無しさん2020/12/21(月) 00:01:43.480
関根正雄  井筒俊彦氏のこと
今道友信  少年時からの展景の中で
松本耿郎  井筒先生と『アラビア思想史』
江藤 淳  井筒先生の言語学概論
中村廣治郎  コーランと翻訳
山折哲雄  井筒訳『コーラン』の文体
黒田壽郎  井筒先生のアラブ・イスラーム研究
丸山圭三郎  井筒哲学における東西の出会い
安藤礼二  ディオニュソス的人間の肖像
合庭 惇  『イスラーム思想史の頃』ほか(全3編)

 III――追  悼
司馬遼太郎  アラベスク――井筒俊彦氏を悼む
丸山圭三郎  追悼 井筒俊彦先生 
遠藤周作  井筒俊彦先生を悼む
牧野信也  井筒俊彦先生の死を悼む

 IV――継  承
池田晶子  『意識と本質』を読む
中沢新一  歴史とトランス――井筒俊彦先生のしぐさの記憶
河合隼雄  井筒哲学と心理療法
松永有慶  井筒マンダラ学の炯眼 
安藤礼二  新たな時代の「東方」の哲学
澤井義次  エラノス会議と井筒哲学
互 盛央  井筒俊彦と丸山圭三郎――出会い、交錯した二人は、どこに向かったか

934考える名無しさん2020/12/21(月) 00:15:29.770
井筒「私は、元来は新古今が好きで、古今、新古今の思想的構造の意味論的研究を専門にやろうと思ったことさえあるくらいですから」

― 井筒俊彦×司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」

935考える名無しさん2020/12/21(月) 00:20:04.220
『百人一首の秘密:驚異の歌織物』 (1981)
『百人一首の世界 新装版』 (1986)
林直道、青木書店

百人一首をテーマ毎に10×10に並べると、一枚の大きな絵になるという話。

【イスラム哲学】井筒俊彦を読む [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>10本 ->画像>43枚

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哲学の世界では丸山圭三郎が取りあげた(『丸山圭三郎著作集3』「言葉と無意識」)。
ソシュールのアナグラム研究と比較をして。

936考える名無しさん2020/12/22(火) 22:53:33.060
有名な歌が多く、百人一首の元になっている『古今和歌集』と『新古今和歌集』はペアでやる。
それより古い形になるのが『万葉集』。

迷ったら、この三つは、角川ソフィア文庫にあるものが、手軽で註もしっかりしている。
その他は、講談社学術文庫、新潮日本古典集成など。

937考える名無しさん2021/02/24(水) 19:35:17.800
飯山陽がボロクソに言ってるのがちょっとなあ
そりゃイスラム研究者とイスラム哲学を叩き台にした言語哲学者じゃ土俵が違うだろ

938考える名無しさん2021/02/25(木) 02:05:44.580
中身が分かっているようには思えない。

井筒が取り扱った話題は、確かに、密教や神秘主義と呼ばれるものだけど、
そうしたものを、今日の哲学用語を使って、
何語を話す人にも分かる言語や意識の営みとして解明してみせたわけだ。

海外の学者も言っているように、井筒のやっていることは分析哲学だよ。

939考える名無しさん2021/02/25(木) 23:14:41.500

940考える名無しさん2021/02/25(木) 23:21:09.300
酷いレベルだな

941考える名無しさん2021/02/26(金) 07:57:28.820
とんでもないクソスレになってるw

942考える名無しさん2021/04/14(水) 21:12:46.370
『ペルシア帝国』 青木健、講談社現代新書 (2020)

943考える名無しさん2021/04/14(水) 21:13:28.090
マニ『シャープラカーン』の一節

“神の使者は、いつの時代にも、絶えることなく叡智と御業をもたらした。
その到来は、あるときはインドでブッダの姿となり、またあるときは、
ペルシャでゾロアスターの姿となり、西方ではイエスの姿となって顕現した。
神の啓示は、今やこの預言の中で、本当の神からバベルの国に遣わされた使者である私、マニの姿下された”

― フレデリック・ルノワール 『仏教と西洋の出会い』 今枝由郎、富樫瓔子 訳、トランスビュー (2010) p24

944し ◆OXsdnjx68E 2021/04/14(水) 21:28:40.890
松尾残党、

945し ◆OXsdnjx68E 2021/04/14(水) 21:29:01.100
松尾残党、ここまで来て

946し ◆OXsdnjx68E 2021/04/14(水) 21:32:29.610
市川さん

947考える名無しさん2021/04/15(木) 08:59:19.770
【盗聴盗撮犯罪者・色川高志がしつこく嫌がらせを継続】
色川高志(葛飾区青戸6-23-21ハイツニュー青戸103号室)
●色川高志「清水婆婆の息子の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
龍神連合五代目総長・清水婆婆の息子(葛飾区青戸6-23-19)の挑発
●清水婆婆の息子「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)

492盗聴盗撮犯罪者色川高志(青戸6-23-21ハイツニュー青戸1032021/02/03(水) 13:53:22.55ID:QtP78E4Z
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父の逮捕を要請します」
色川高志(盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6-23-21ハイツニュー青戸103号室
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父
高添沼田ハゲエロ老義父の住所=東京都葛飾区青戸6-26-6
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 ℡03ー3607ー0110

盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6-23-19)の
五十路後半強制脱糞
【イスラム哲学】井筒俊彦を読む [無断転載禁止]©2ch.net	YouTube動画>10本 ->画像>43枚
アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。

948考える名無しさん2021/05/20(木) 06:44:36.710
このお方こそは、巨匠と呼ぶに値する

949考える名無しさん2021/06/23(水) 00:09:49.200
『原典完訳 アヴェスタ:ゾロアスター教の聖典』 野田恵剛 訳、国書刊行会 (2020)

この"国書刊行会"というのは、あの"国書刊行会"!

950考える名無しさん2021/06/23(水) 00:10:26.180
>>943>>949
青木健 『ペルシア帝国』 講談社現代新書 (2020)
青木健 『古代オリエントの宗教』 講談社現代新書 (2012)
青木健 『マニ教』 講談社選書メチエ (2010)
青木健 『アーリア人』 講談社選書メチエ (2009)
青木健 『ゾロアスター教』 講談社選書メチエ (2008)

951考える名無しさん2021/06/23(水) 00:15:37.400
青木健は元々はイスラム神秘主義の専門家らしいね。
その周縁的な仕事ばかりをやっているように見えたけど、
実はそれはあることの裏返しなのだという。
『ペルシア帝国』で触れられていた。

952考える名無しさん2021/07/09(金) 12:51:54.510
①身体への自分の同一化をすてる
②精神への自分の同一化をすてる
③魂への自分の同一化をすてる

953考える名無しさん2021/08/04(水) 09:41:11.570
中世イスラム哲学こそ、哲学の最盛期

954考える名無しさん2021/08/04(水) 09:41:32.610
ヨーロッパの哲学は受け売り

955考える名無しさん2021/11/26(金) 21:03:49.410
age

956考える名無しさん2022/03/24(木) 14:09:39.320
この人てまだ生きてんのん?

957考える名無しさん2022/03/24(木) 20:24:50.360
じゃーーーっっぷ


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