高木八尺
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2011年7月) |
日本の政治家 高木 八尺たかぎ やさか | |
---|---|
生年月日 | 1889年12月25日 |
出生地 | 東京府 |
没年月日 | 1984年4月28日(満94歳没) |
出身校 | 東京帝国大学卒業 |
前職 | 東京帝国大学法学部教授 |
現職 | 東京大学法学部名誉教授 |
称号 | 従三位 勲一等瑞宝章 法学士(東京帝国大学・1915年) 文化功労者 |
親族 | 神田孝平(養祖父) 神田乃武(父) |
貴族院議員 | |
選挙区 | 貴族院勅選議員 |
在任期間 | 1946年9月18日 - 1947年5月3日 |
来歴[編集]
英学者・神田乃武の子として東京に生まれる。一高、1915年、東京帝国大学卒業、新渡戸稲造、内村鑑三の影響を受ける。1918年、母校で米国憲法・歴史及び外交講座の初代担当者となり、1933年 東京大学法学博士 「米国政治史序説 」。1938年、教授に就任。定年となる1950年まで米国政治史などを教えた。
戦前は太平洋問題調査会常任理事。木戸幸一と学習院で同級であり、日米開戦前には、戦争回避の為近衛文麿とフランクリン・ルーズベルトの会談の実現に努め、ジョセフ・グルー駐日大使に自制を求める手紙を出したりした。1946年には貴族院議員。戦後の駐日大使エドウィン・ライシャワーとも親しく、アメリカ学会を創設し、国際文化会館を設立した。1948年日本学士院会員。1965年、アメリカ歴史学会名誉会員。1965年、賜銀杯一組(第三号)。1967年、文化功労者。1984年、叙従三位、叙勲一等授瑞宝章。アメリカ研究者には教えを受けたものが多い。
人物[編集]
実父である神田乃武は英語学者として知られ、帝国大学文科大学教授を経て東京外国語学校校長を務めるとともに、貴族院議員などを歴任した。乃武の養父である神田孝平は、兵庫県令や元老院議官などを歴任した政治家である。八尺の実弟である神田盾夫は言語学者であり、八尺と同じく東京大学教授として教鞭を執った。アメリカ文学者の斎藤光は女婿であり、やはり東京大学の教授を務めた。
著書[編集]
- 米国政治史序説 有斐閣、1931
- 米国東洋政策の史的考察 岩波書店、1942
- 米国憲法略義 有斐閣、1947
- 現代米国の研究 有斐閣、1948
- アメリカ 明善書房、1948
- 米国政治史の研究 岩波書店、1950
- 近代アメリカ政治史 岩波書店、1957
- 民主主義の精神 東京大学出版会、1962
- 新渡戸稲造先生の平和思想と実践 基督友会日本年会、1963
- 高木八尺著作集 全5巻 東京大学出版会、1970-1971
翻訳の一部[編集]
- アメリカ発展史 マックス・ファランド 名原高三郎共訳 岩波新書、1941
- アメリカの学者 ラルフ・ウォルドー・エマソン 斎藤光共訳 新月社、1947
- リンコーン演説選 斎藤光共編訳 新月社、1948(のち岩波文庫)
- 人権宣言集 末延三次、宮沢俊義共編訳 岩波文庫、1957