やしの実通信
北岡伸一と三輪公忠の新渡戸稲造論 [2015年12月18日(Fri)]
もう一冊図書館に返却しなければならない本があるので、これも簡単なメモだけ残しておきたい。
岩波講座 近代日本と植民地4 統合と支配の論理
(大江 志乃夫,浅田 喬二,三谷 太一郎,後藤 乾一,小林 英夫,高崎 宗司,若林 正丈,川村 湊 編集委員)2005年
この著書に北岡伸一氏の『新渡戸稲造における帝国主義と国際主義」(179-203頁)がある。
とにかく愕然とする内容なのだ。新渡戸稲造が生きていたら、どう出るか。馬鹿に馬鹿と言ってしまう矢内原先生が生きていたらただでは済まないような内容である、と思う。
この後偶然、三輪公忠の新渡戸稲造論を『日本•1945年の視点』(東京大学出版会、1986年)の中に見つけた。(14-19頁)たった5頁の短い文章であるが、北岡氏の新渡戸論を読んだ後だったので救われた思いであった。
一カ所だけ両者を比較する箇所を引用したい。
「このようにして新渡戸は満州事変以降、国際主義らしからぬ変貌を遂げていった。松山事件以来、国際主義者らしい発言は聞かれなくなり、積極的は事変擁護の発言だけが際立つ様になる。(中略)
しかしながら、このような「転向」を可能にする内在的な条件が新渡戸の思想の中に存在したことを軽視してはならない。新渡戸の思想の特色は、道義が全面に出る事であった。。。」(上記北岡氏の新渡戸論 198-199)
この満州事変以降の新渡戸の言動について三輪氏は
「日本政府当局は、満州事変において、日本は国際法を破っていない、国際法を遵守していると弁明し続けた。(中略)このたてまえのもとで、現実には体制否定の軍事行動がとられていた。しかしたてまえのもとでは軍閥も国際法遵守を国是とする日本国家の一部であり、軍閥を否定することは、国家を否定することに通じていた。(松山事件で新渡戸は軍閥を否定する発言をし、暗殺の可能性もあった、とどこかで読んだ記憶がある)しかし、たてまえと現実の乖離に気付いていたものは(即ち新渡戸のこと)たてまえの方を尊重し、国際的には協調主義となり、国内的には軍閥批判に向わざるをえなかったわけである。新渡戸の立場は本質的にいってこれであった。」(上記の三輪氏の新渡戸論、18-19頁、()内のコメントは当方のもの)
北岡氏が言う様に新渡戸が転向の可能性をもっていたのではなく、三輪氏が分析するように社会がひね曲がっていたために、新渡戸は日本国内にも、米国にも敵を作ったのである、と私は思う。
この2つの短い論文も再読し後で書き直したい。
新渡戸稲造の世界の玄関先に立ったばかりの自分が書くべき内容ではないが、現時点での認識と理解の範囲でメモだけ残しておきたい。
Posted by 早川理恵子 at 19:12 | 新渡戸稲造と矢内原忠雄 | この記事のURL