『日本-その問題と発展の諸局面』(11) [2016年06月08日(Wed)]
新渡戸は同書において、あくまでも天皇制を支持する。 それは、「八紘一宇」とか「現御神」という言葉で導いた皇国史観とは違う*、科学的、学術的説明なので、当方はすんなり飲み込める。当方は天皇制に関するこういう説明を始めて読んだ。これならば英国人も理解できるであろう。 以下『日本-その問題と発展の諸局面』の「第二章歴史的背景」にある「第九項封建制と将軍制」(新渡戸稲造全集第18巻、2001、88-92頁)を要約しました。 11世紀までに統治権力は3つの党で争われた。権力の唯一の正統な源である天皇、軍事力を備えた地方地主、そして退廃した僧侶。 天皇は僧侶の傲慢を打ち砕くため武士たちに援助を求めざるを得なかったが、その結果武士が権力を掌握し、二頭政治が明治維新まで続く事となった。 天皇の威信を回復しようという試みは何度か行われたが、失敗に終わる。その度に天皇の威信はさらに縮小された。北条氏は天皇の二千の地を奪った。天皇の手当が米5,200トンの時、将軍はその200倍の112万トンであった。 しかし、天皇がいかに貧乏で苦しんでいても国の唯一正統の元首であるとの確信は決して揺るがなかった。将軍は天皇の唯一の代理人であると理解された。戦国時代でさえも誰一人天皇の資格に疑いをもたなかった。ここで新渡戸はヨーロッパの思想家を出してくる。 ヴォルテールは2、3人いたが、フランス王室を転覆させたルソーは日本にいなかった。クロムウェルを頼朝に例え、東洋のカーライルの存在を暗示した。(カーライルはクロムウェルを評価した) 即ち、将軍制度は道徳改革を促した、という。 擡頭した武家は禅宗、日蓮宗から道徳的影響を受けた。鎌倉時代僧侶は哲学者となった。その頃中国からの宋学の形而上学と哲学が伝えられ事も軽視できない。 女性も夫の家庭に留まり(以前は父親の家にいた)家族への愛、自己否定、節倹、勇気、不撓不屈というような今に残る女性の徳が発達した。 *参照 「国家神道とは何か」 http://www.izumo-murasakino.jp/shinto-007.html 「明治末期から昭和初期の修身や歴史の教科書を見ると、「現御神(あきつみかみ)」(現人神よりもこちらがよく使用された)や「八紘一宇」という言葉が現れたのは昭和十四年以降のことである、ということです。天皇観も明治末は天照大御神の子孫であるという神孫論と君臣論だったのが、大正末にはそこに天皇は親で国民は子であるというような家族論が入り、昭和十四年以降になって、天皇は神であるという表現に変わってきた、ということです。」 |