改竄する矢内原 改竄される新渡戸 [2016年06月12日(Sun)]
新渡戸の言論を読みながら少しずつこのブログに書いている。 結構な、というかかなりの反応がある。その多くが 「新渡戸がそんな事を言っていたんですか?」 という驚きの反応である。 実は当方も当初は全く同じ反応であった。 最初矢内原の「南洋群島の研究」で矢内原の植民政策学をなぞっていたら、新渡戸稲造にたどり着いた。矢内原の植民学は新渡戸のそれを継承している。 そして新渡戸の植民政策は後藤新平を継承しているのだと思う。(後藤新平はこれから読み込む予定) 新渡戸の言論が広く理解されていないのはなぜなのか? 新渡戸の弟子、矢内原のせいなのである。 矢内原は戦後、新渡戸を守るために新渡戸の言論を改竄したのだ。 新渡戸は、「朝鮮は朝鮮人のため」と譲らない伊藤博文を説き伏せて朝鮮への日本移民を進めた。 新渡戸は、帝国主義的拡張論者であった。 レーニンの民族自決、ウィルソンの民族自決の矛盾を一番知っていたのは新渡戸だったのではないか?国際連盟を実際に立ち上げる中でその矛盾を背負ったのは新渡戸だったのではないか。 戦後GHQの検閲のためか、矢内原は新渡戸に関する記述を改竄している。 詳細は、何度か取り上げた『日本・1945年の視点』(三輪公忠著、東京大学出版会、2014年、213-215頁)にある。 三輪氏は「新渡戸稲造の「復権」」(展望、ソフィア:西洋文化ならびに東西文化交流の研究、33(3) 1984年)という論考でも同様な内容を発表している。同論文に、新渡戸稲造研究者が、新渡戸を英雄化したがる姿勢のために、近代日本の汚点をではなく、ヒューマニスト、クリスチャン、反軍国主義の国際主義者のイメージだけを抽出したかったのであろう、と指摘している。そういう意味で他の新渡戸研究者も矢内原と同じく新渡戸の改竄を行っていたわけである。 「ヒューマニスト、クリスチャン、反軍国主義の国際主義者」 まさにこれが、当方の、新渡戸全集を読む前の漠然とした印象であった。 多分、このブログにコメント下さった多くの方の印象も同じであろう。 ところで矢内原は、1949年11月25日昭和天皇に「新渡戸稲造について」進講している。 昭和天皇はなぜ新渡戸の事を知りたかったのであろうか? 矢内原はいったい何を話したのであろうか? 改竄した新渡戸か?それとも真の新渡戸か? 追記:『昭和天皇実録』巻三十八、153頁に以下の文があるらしい。 11月25日午前、表拝謁の間で、天皇は、東京大学教授矢内原忠雄から「新渡戸稲造について」と題する進講を受け、「新渡戸の人間観、平和思想、教育精神などにつきお聴きにな」った。 |