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2022/05/06

内村鑑三 悲しみの使徒 (岩波新書) | 若松 英輔 | 宗教入門 | Kindleストア | Amazon

内村鑑三 悲しみの使徒 (岩波新書) | 若松 英輔 | 宗教入門 | Kindleストア | Amazon


内村鑑三 悲しみの使徒 (岩波新書) Kindle版
若松 英輔 (著) 形式: Kindle版


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All for God──神の道と人の道,「不敬事件」と妻の死,義戦と非戦,そして娘の死と,激しいうねりのなかを生きたこのキリスト者は,自らの弱さを知るからこそ,どこまでも敬虔であろうとした.同時代の多くの人を惹きつけ,『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』『代表的日本人』等の著作に今も響きつづける,その霊性を読み解く.



本の長さ

218ページ
言語

日本語



















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販売: 株式会社 岩波書店
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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)
All for God―「不敬事件」、妻と娘の死、非戦、無教会、再臨と、激しいうねりを生きたキリスト者、内村鑑三。彼は、自らの弱さと不完全さを知るからこそ、どこまでも敬虔であろうとした。同時代の人々を惹きつけ、『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』等の著作に今も響きつづけるその霊性を、深みにおいてとらえなおす。 --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
若松/英輔
1968年新潟県生まれ。批評家・随筆家。慶應義塾大学文学部仏文科卒。「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選。『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』にて第2回西脇順三郎学術賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。


登録情報
ASIN ‏ : ‎ B07BVZ1NQB
出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2018/1/19)
発売日 ‏ : ‎ 2018/1/19
言語 ‏ : ‎ 日本語
ファイルサイズ ‏ : ‎ 2907 KB
Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) ‏ : ‎ 有効
X-Ray ‏ : ‎ 有効にされていません
Word Wise ‏ : ‎ 有効にされていません
本の長さ ‏ : ‎ 218ページAmazon 売れ筋ランキング: - 181,105位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)- 849位宗教入門 (Kindleストア)
- 1,459位岩波新書
- 1,565位宗教入門 (本)カスタマーレビュー:
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著者について
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若松 英輔



1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。東京工業大学リベラルアーツ教育研究院教授。

2007 年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14 回三田文学新人賞受賞。

2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』にて第2回西脇順三郎学術賞受賞。

2018年詩集『見えない涙』で第33回詩歌文学館賞を受賞。

2018年、『小林秀雄 美しい花』で角川財団学芸賞を受賞。

2019年、『小林秀雄 美しい花』で蓮如賞を受賞。

著書に『井筒俊彦 叡知の哲学』(慶応義塾大学出版会)、『生きる哲学』(文春新書)、『霊性の哲学』(角川選書)、『悲しみの秘義』(ナナロク社)、『イエス伝』(中央公論新社)『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)『言葉の贈り物』『弱さのちから』(亜紀書房)など。



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ぱすと〜る

ベスト1000レビュアー
5つ星のうち5.0 悲と無、内村による福音2018年11月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 悲しみとはなんだろうか。慈悲という言葉があるように、悲しみには慈しみという意味がある。悲母とは、愛に満ちた母のことだ。悲しみと慈しみというふたつの意味があるのではない。人への慈しみがなければ、その人とのかかわりの中で悲しみは生じない。その人の悲しみを感じなければ、慈しみは湧き出て来ない。

 「生者が死者を悼むのではなく、死者が生者を悼み続け、そのはたらきによって生者が支えられている。死者の悼むちからが、生者を支えている。それが内村の実感だった」(p.155)。

 死者が生者を悲しむ。しかし、その悲しみが生者を慈しみ養ってくれるのだ。

 「彼にとって死者の経験は、祈りの挫折の経験であり、また、その深化の出来事でもあった。愛する者にふたたび健やかなる日を、という祈りは聞き入れられることはなかった。しかし、愛する者よ、永遠なれ、という真なる祈りは、自分が感じているよりもずっとたしかに実現されている、と内村は感じている」(p.156)。

 この者を癒してください、救ってくださいとせつに祈ったが、内村の妻は死んだ。神は祈りを聞いてくれなかった。なんと大きな悲しみか。祈りは挫折した。しかし、妻が永遠のいのちにあることを思うとき、それは、なんと大きな慈しみか。祈りは深められた。神とのつながり、妻とのつながりが深化した。

 「内村にとって霊性の深化は、苦痛の経験を経ることによって実現される。キリスト者であろうとすることは、可能な限りキリストの苦しみを感じ、生きてみることだと内村は信じている。再臨運動とは、神が苦しみつつあることへの目覚めを強く促す動きだったといってもよい」(p.169)。「内村にとってキリストの道を生きるとは、他者の痛みを『私』の痛みとして感じようと試みることでもあった」(p.170)。

「苦痛」が「慈しみ」と重なりあうとき、「悲しみ」となる。著者が内村を「悲しみの使徒」と呼んだゆえんだ。

 「再臨」とは何だろうか。

 「福音を信じ得ない者にまでも、贖いの恩寵が光のごとく、万人にあまねくそそがれるとき、それが内村にとっての再臨の日だった・・・再臨のとき、人と神はすでに道によって隔たれてはいない。そこに宗教が入る余地はない。宗教がその使命を終え、消えゆくこと、その実現こそ、内村が自ら使命と信じたことだったのである」(p.180)。

 「万人にあまねくそそがれる恩寵の光」こそが「悲しみ」である。それに満ちた世界には、もはや宗教はない。人が神を隔てるものはない。

 「無教会」とはこの展望のことではなかろうか。「英語でいうnon-churchというよりも、既存の教会のあり方を超えて、beyond-churchと理解した方がよいように思われる」(p.209)。

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ナンダ

5つ星のうち5.0 愛する者の死は天からの恩寵2022年1月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
無教会主義とほかのプロテスタントとはなにが異なるのか。妻と娘を亡くした内村鑑三はそれをどう自分の人生と信仰のなかに位置づけているのかを知りたかった。若松英輔氏はとくに2点目の「死」について語る人だ。
 内村は最初の結婚の直後、「不敬事件」で病で倒れた。内村が健康をとりもどしたと同時に妻は亡くなる。結婚生活は2年に満たなかった。
 生きる気力や意味を失い、神に祈ることもなくなった。
 だがそのうち、「願い」は、自分のおもいを神に届けようとすることであり、「祈り」は神の声を聴くことであると気づく。
 祈れないとき−−自分のおもいでいっぱいのとき−−神は、祈れるときに勝る恩寵をもって人間を包む……と若松は記す。恩寵とは、神の国、死の国との回路が開かれることだ。
「余の愛するものは生涯の目的を達せしものなり。彼の宇宙は小なりし、されどもその小宇宙は彼を霊化し、彼を最大宇宙に導くの階段となれり」
「彼」とは亡妻のことだ。彼女は若くして逝ったが、人生の役割を果たしたのだと確信する。
 妻の死によって、国・宇宙・神を喪失したかに思えたが、実はそれらとより深く交わるための道程だった。死とは、心の次元においては新たな交わりのはじまりであると内村は実感した。
 たしかに、愛する人の死は、人の世を超越するなにかを感じさせてくれる。「何らかの役割」をまっとうして旅立ったのだとは思えるような気がする。
 死者の世界は愛する人が待つ「家」である。この世に生きるとは、疲れを癒やす家路を歩くことにほかならない、と内村は記した。
 内村はその後再婚するが娘が19歳で死んでしまう。
 このときのは「もっともつらき日であると共にもっとも恵まれた日」と感じた。愛する者の死は天の国の距離を縮めてくれる。生者は、死者を感じようとする熱情によって「聖国」からの風を感じる。だからそこに詩が生まれる。詩はたぶん「天の国」の風音を聴くことで生まれる。
 普通のプロテスタントは、死者のために祈ることは禁じられているが、無教会派の伝道者たちは死者の臨在を語りつづけた。詩情が豊かであることも、無教会の人々の特徴だという。内村没後、指導的な役割を担った矢内原忠雄も妻に先立たれ、しばしば死者を語った。

 我が心は愛する者と共にある、
 彼天に召されし後、我が心も天にある。
 年経れど、古びず、
 いやまさる新しき輝きに、
 彼はほほえみつつ天に生きる。

 藤井武も妻を喪った。死を「終わり」ではなく「霊性の完成」の道程であると考えた。

 死者の「命令」に従うことで内村は「再臨運動」もはじめた。
 死別は「肉」の次元においては別離だが、「霊」においては出会いの約束であるという実感をもとに、「再臨の日に、すべての死者は新生する」と信じた。
 イエスは姿を消したのではない。私たちの目に「隠れている」だけで、今もこの世を照らしている。キリストの再臨はすでにはじまっているが、人間はそれを認識できていないだけだと信じた。
 内村自身も矢内原ら弟子たちも、個々が預言者であらねばならないという自覚があった。若松は内村について「遅れてきたイエスの直弟子である使徒の一人だったのではないだろうか」と記す。
 無教会とは、教会という現世の権威を経由することなく、個々の人間が生ける神との交わりを経験しようとする試みだったという。
 聖書を「読む」とは、それを字義的に解釈するよりも、言葉をもたらしたキリストと向き合うことだ。同様に、内村の書物を読んでも彼が見つづけたものを見失っては、彼との対話はうまくいかない。人間を超える何かを自らの人生に招き入れなければならないという。

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araya taro

5つ星のうち5.0 内村の思想と言葉が心を揺さぶる2018年9月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内村鑑三の思想と言葉を読み解きながらその生涯を辿った一冊。霊性(信仰に対する態度)を浮き彫りにしていくことで、内村にとっての基督教が見出されていきます。
妻や娘の死の悲しみを内村はどう乗り越えたのか、悲しみを意味あるものと捉えた第2章死者には最も心を動かすものがありました。人間的には不完全だった内村の元を去っていった多くの弟子たち、師弟の数々の逸話も興味深いものでした。
基督教に対する自分なりの信念を持って生涯を貫いた内村。その思想と言葉は世代を超えて我々に訴えかけるものがあることを本書は教えてくれます。著者の胸に迫る文章にも引き付けられました。

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老虎翁

5つ星のうち5.0 若松英輔さんの評論が内村鑑三に命を吹き込んでいる。2018年2月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
若松英輔さんの文章が素晴らしい。
内村鑑三の霊性がよみがえり手に取るように表現されている。
はっとして読み返してしまう文章が続く。
若松英輔さんの他の評論を検索して読みだしてしまった。

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Giovanni

5つ星のうち5.0 「今ここ」に現前する内村の霊性2018年1月31日に日本でレビュー済み

 「日本的キリスト教」を確立したとされる内村の「霊性」が、いかに普遍的な深みへと達していたのかが、内村と弟子たちとの濃密な交流をたどる中で、とてもわかりやすい言葉で浮き彫りにされていく好著です。

 単なる評伝や近代日本思想史ではなく、「今ここ」に生きる私たちにとって、内村の霊性が有する意義が、ありありと浮かび上がってきます。

 教科書に出てくる、真面目ではあるがさほど自分とは関係がない人物として内村を見ている人は、本書を読んで、内村という人物が、自分の心に強く訴えかける新鮮な言葉を多く残している人物だということに気づき、魅了されること間違いありません。

 岩波新書で最近続々と刊行されてきたキリスト教思想シリーズ(大貫隆『聖書の読み方』、青野太潮『パウロ 十字架の使徒』、赤江達也『矢内原忠雄 戦争と知識人の使命』、徳善義和『マルティン・ルター:ことばに生きた改革者』、出村和彦『アウグスティヌス 「心」の哲学者』、山本芳久『トマス・アクィナス 理性と神秘』)の掉尾を飾るにふさわしい、長く読み継がれていくであろう渾身の一冊です。

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K

5つ星のうち5.0 内村鑑三と祈り2018年5月24日に日本でレビュー済み

本書は内村鑑三の生涯をゆるやかにたどりながら、「回心」「入信」「死者」「非戦」「再臨」「訣別」「宇宙」という七つの鍵言語を章立てにして書き綴られている。本書の中で著者は、内村の一生を不断の「回心の生涯」と語っているが、これらの章立ても内村の「回心」の歴史にそったものである。著者は年譜的事実などの外的時間を導き糸にしながらも、精神の刻印として残された内村の「言葉」をまなざすことで、むしろ内村鑑三の生の変容という、異なる次元の時間を描き出そうとする。章を新たにするたびに読者は、内村において「死者論」「非戦論」「再臨論」が互いに折り重なるようにしてその深度を深めて行くさまをまざまざと感じるだろう。

だが本書は内村鑑三という特異な個性を安易に祀り上げるような姿勢からはほど遠い。実際、章をまたぐたびにその存在感を大きくしてゆくのは、内村の持続する「回心」を支えたさまざまな他者、および超越者のはたらきなのである。多くの弱さをもあわせ持っていた内村が、いかにして他者と深くつながり、超越の働く場となったのか。以下に引くのは、第四章「再臨」の中の一節である。

「内村における再臨論を考えるとき、その原点として見過ごしてはならないのは、彼による持続する祈りの経験である。また、祈りのちからの発見だといってもよい。信仰の結実においてもっとも重要なのは説得ではなく、見えないところで行われる祈りであることに彼〔内村〕は気が付く。〔…〕自らの信仰を深めるだけでなく、信じ得ない者たちのために祈れというのである。」

この言葉は本書そのものの主調低音であるといってよい。本書の中で著者は、内村の生涯を彼個人の歴史としてではなく、彼をめぐるさまざまな人々を含む、より広い無教会の力動性そのものから問い直そうとする。そこで読者が目撃するのは、互いの「見えないところで行われる祈り」によって確かにひびきあう無教会の運動の生々しい現場である。先の引用の少し後には次のような一節が続いている。内村の生涯を素手でたどる著者の眼差しは、その強烈な個性に惑わされることなく、まっすぐにこの稀代の宗教者の裸形に肉薄していく。

「内村にとって霊性の深化は、苦痛の経験を経ることによって実現される。キリスト者であろうとすることは、可能な限りキリストの苦しみを感じ、生きてみることだと内村は信じている。」

ともすれば単なる賞賛になりかねない内村の生涯の偉大さを著者は、むしろその苦痛と祈りの深さのうちに見る。「祈りは、神の「声」を聴くことである〔…〕神の声を聴こうとする者は、まず自らのおもいを鎮め、沈黙を招き入れなくてはならない」と著者が言うように、「苦痛」や「祈り」の中においてこそ人は、最も近く他者や超越者と共にありうるからである。その意味で、本書で描かれる内村鑑三は、決してただの偶像ではない。人々を魅せると同時に、人々と衝突せざるを得ない自分の個性を前に、自ら深く悩み、静かに祈るひとりの人間の姿なのである。

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ドラミ

5つ星のうち2.0 選書ミスをしてしまいました2018年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は失敗でした。信仰書だと思い込んで買ったのですが著者が全く別の視点で書いているので2頁位読んでやめました。内村鑑三の著書は何冊も読み同じクリスチャンの大先輩として大きな力を受けています。題名からして気付くべきでした。

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우치무라 칸조 슬픔의 사도 (이와나미 신서) Kindle 판
와카마츠 에이스케  (작가)  형식: 킨들 에디션
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Kindle판 (전자 서적) ¥902 획득 포인트: 54pt

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All for God──하느님의 길과 사람의 길, '불경사건'과 아내의 죽음, 의전과 비전, 그리고 딸의 죽음과 격렬한 파도 속에서 살았던 이 그리스도인은 자신의 약점을 알기 때문에 어디까지나 경건할 것이라고 했다. 동시대의 많은 사람을 끌어들여, 「여는 어떻게 그리스도 신도가 될 수 있을까」 「대표적 일본인」등의 저작에 지금도 울려 퍼지는, 그 영성을 읽는다.
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상품 설명
내용(「BOOK」데이터베이스에서)
All for God―'불경사건', 아내와 딸의 죽음, 비전, 무교회, 재림과 격렬한 굴곡을 살아온 그리스도인, 우치무라 감삼. 그는 자신의 약점과 불완전함을 알기 때문에 어디까지나 경건할 것이라고 했다. 동시대의 사람들을 끌어당겨, 『여는 어떻게 그리스도 신도가 될 수 있을까』등의 저작에 지금도 울려 퍼지는 그 영성을, 깊이에서 파악한다. --이 텍스트는 paperback_shinsho 버전과 연관되어 있습니다.
저자 약력 (「BOOK 저자 소개 정보」에서)
와카마츠/영스케
1968년 니가타현 출생. 비평가·수필가. 게이오 대학교 문학부 불문과 졸업. 「에치치 호오와 그 시대 구도의 문학」에서 제14회 미타 문학 신인상 평론 부문 당선. "지치의 시학 고바야시 히데오와 이통 슌히코" 에서 제 2 회 니시와키 쥰 사부로 학술상 수상 있습니다.
등록정보
ASIA ‏: ‎ B071N1N
출판사‏ : ‎이와나미 서점 (2018/1/19)
발매일 ‏ ‎ ‎ 2018/1/19
언어 ‏ : ‎일본어
파일 크기 ‏ : ‎ 2907 KB
Text-to-Speech(텍스트 읽기 기능) ‏ ‎有効
X-Ray ‏ ‎ ‎Enabled
Word Wise ‏ ‎ ‎Enabled
책의 길이 ‏ ‎ ‎ 218 페이지
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와카마츠 에이스케
1968년 니가타현 출생. 비평가, 수필가. 도쿄 공업 대학 리버럴 아트 교육 연구원 교수.

2007년 「에치치 호오와 그 시대 구도의 문학」에서 제14회 미타 문학 신인상 수상.

2016년 「지치의 시학 고바야시 히데오와 이통 슌히코」에서 제2회 니시와키 준사부로 학술상 수상.

2018년 시집『보이지 않는 눈물』로 제33회 시가문학관상을 수상.

2018년 『고바야시 히데오 아름다운 꽃』에서 카도카와 재단 학예상을 수상.

2019년 『고바야시 히데오 아름다운 꽃』에서 연꽃상을 수상.

저서에 『이통 슌히코 지치의 철학』(게이오 요시카쿠대학 출판회), 『사는 철학』(문춘 신서), 『영성의 철학』(카도카와 선서), 『슬픔의 비의』(나나록사), 『예수 덴」(중앙 공론 신사) '안개 그분 스가 아츠코'(슈에이샤) '말의 선물' '약점 뒤에서'(아키 서방) 등.

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별 5개 중 5.0 슬픔, 우치무라의 복음
2018년 11월 19일에 확인함
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 슬픔이란 무엇일까. 자비라는 말이 있듯이 슬픔에는 자비라는 의미가 있다. 비모란 사랑이 가득한 어머니를 말한다. 슬픔과 자비라는 두 가지 의미가 있는 것은 아니다. 사람에 대한 자비가 없으면 그 사람과의 관계 속에서 슬픔은 생기지 않는다. 그 사람의 슬픔을 느끼지 않으면 자비는 솟아나오지 않는다.

 “생자가 죽은 자를 혐오하는 것이 아니라, 죽은 자가 생자를 계속 흠뻑 빠졌고, 그 일은 생명을 지지하고 있다. "(p.155).

 죽은 자가 생자를 슬퍼한다. 그러나 그 슬픔이 생자를 자비롭게 먹여주는 것이다.

 “그에게 죽은 자의 경험은 기도의 좌절의 경험이었고, 그 심화의 사건이기도 했다. , 영원해지라는 참된 기도는 자신이 느끼는 것보다 훨씬 분명히 실현되고 있다고 우치무라는 느끼고 있다”(p.156).

 이 사람을 치유해 주시고 구원해 주시고 기도했지만 우치무라의 아내는 죽었다. 하나님은 기도를 들어주지 않았다. 얼마나 큰 슬픔? 기도는 좌절했다. 그러나 아내가 영원한 생명에 있다는 것을 생각할 때, 그것은 얼마나 큰 자비인가? 기도는 깊어졌다. 하나님과의 연결, 아내와의 연결이 심화되었다.

 “우치무라에게 있어서 영성의 심화는 고통의 경험을 거쳐 실현된다. 재림운동이란 하나님이 고통받고 있는 것에 대한 각성을 강하게 촉구하는 움직임이었다고 할 수 있다”(p.169). “우치무라에게 그리스도의 길을 사는 것은 다른 사람의 아픔을 '나'의 아픔으로 느끼려고 하기도 했다”(p.170).

「고통」이 「자애」와 겹칠 때, 「슬픔」이 된다. 저자가 우치무라를 '슬픔의 사도'라고 불렀다.

 「재림」이란 무엇일까.

 “복음을 믿을 수 없는 자에게까지도, 구속의 은총이 빛과 같이, 만명에게 부끄러워질 때, 그것이 우치무라에게 있어서의 재림의 날이었다···재림의 때, 사람과 신은 이미 길 에 의해 분리되어 있지 않다. 거기에 종교가 들어갈 여지는 없다.종교가 그 사명을 끝내고, 사라지는 것, 그 실현이야말로, 우치무라가 스스로 사명이라고 믿은 것이었다”(p.180).

 '만인에게 부러워하는 은총의 빛'이야말로 '슬픔'이다. 그것으로 가득 찬 세계에는 더 이상 종교가 없다. 사람이 하나님을 분리하는 것은 없다.

 「무교회」란 이 전망의 것이 아닐까. “영어로 말하는 non-church라기보다는 기존 교회의 본연의 길을 넘어 beyond-church라고 이해하는 것이 좋을 것 같다”(p.209).
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별 5개 중 5.0 사랑하는 자의 죽음은 하늘로부터의 은총
2022년 1월 23일에 확인함
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무교회주의와 다른 개신교와는 무엇이 다른가. 아내와 딸을 잃은 우치무라 감삼은 그것을 어떻게 자신의 인생과 신앙 속에 자리매김하고 있는지 알고 싶었다. 와카마츠 에이스케씨는 특히 두 번째 '죽음'에 대해 말하는 사람이다.
 우치무라는 첫 결혼 직후 '불경사건'으로 병으로 쓰러졌다. 우치무라가 건강을 되찾았을 때 아내는 사망한다. 결혼 생활은 2년에 못 미쳤다.
 사는 기력과 의미를 잃고 하나님께 기도하는 일도 없어졌다.
 하지만 그 중 '소원'은 자신의 추억을 하나님께 전달하려고 하는 것이며, '기도'는 하나님의 목소리를 듣는 것임을 깨닫는다.
 기도할 수 없을 때--자신의 추억으로 가득 찼을 때--하느님은 기도할 때에 이기는 은총으로 인간을 감싼다......와 와카마츠는 적는다. 은총이란 하나님의 나라, 죽음의 나라와의 회로가 열리는 것이다.
"여러분의 사랑하는 것은 평생의 목적을 이루게 되는 것이다. 그의 우주는 작아지고, 그 소우주는 그를 영화하고 그를 최대 우주로 인도하는 계단이 될 수 있다.
" 유부녀의 일이다. 그녀는 어린 나이가 되었지만 인생의 역할을 했다고 확신한다.
 아내의 죽음으로 나라·우주·신을 상실했는지 생각했지만, 실은 그들과 보다 깊게 교제하기 위한 방법이었다. 죽음은 마음의 차원에서 새로운 교제의 시작이라고 내촌은 실감했다.
 분명히, 사랑하는 사람의 죽음은 사람의 세상을 초월하는 무언가를 느끼게 해준다. 「어떤 역할」을 얽히고 떠난 것이라고는 생각되는 것 같다.
 죽은 자의 세계는 사랑하는 사람이 기다리는 '집'이다. 이 세상에 사는 것은 피로를 치유하는 가로를 걷는 것에 불과하다고 우치무라는 말했다.
 우치무라는 그 후 재혼하지만 딸이 19세에 죽어 버린다.
 이 때는 "가장 힘든 날이자 함께 가장 은혜받은 날"이라고 느꼈다. 사랑하는 자의 죽음은 하늘나라의 거리를 줄여준다. 생자는 죽은 자를 느끼려는 열정으로 '성국'의 바람을 느낀다. 그래서 거기에 시가 태어난다. 시는 아마 「하늘의 나라」의 풍음을 듣는 것으로 태어난다.
 보통 개신교는 죽은 자를 위해 기도하는 것은 금지되어 있지만, 무교회 전도자들은 죽은 자의 임재를 계속 말했다. 시정이 풍부한 것도 무교회 사람들의 특징이라고 한다. 우치무라 몰후, 지도적인 역할을 맡은 야우치하라 타다오도 아내에 앞서 자주 죽은 자를 말했다.

 우리 마음은 사랑하는 자와 함께 있는
 그 하늘에 부름받은 후 우리 마음도 하늘에 있다.
 나이가 들지만, 낡고,
 싫어하는 새로운 빛에,
 그는 희미하게 천국에 살고 있다.

 후지이 타케도 아내를 상했다. 죽음을 '끝'이 아니라 '영성의 완성'의 정도라고 생각했다.

 죽은 자의 '명령'에 따라 내촌은 '재림운동'도 시작했다.
 사별은 '육'의 차원에서는 별리이지만, '영'에서는 만남의 약속이라는 실감을 바탕으로 '재림의 날에 모든 죽은 사람은 신생한다'고 믿었다.
 예수님은 사라진 것이 아니다. 우리 눈에 '숨어있다'만으로 지금도 이 세상을 비추고 있다. 그리스도의 재림은 이미 시작되었지만 인간은 그것을 인식할 수 없을 뿐이라고 믿었다.
 우치무라 자신도 야우치하라 등 제자들도 개개인이 선지자여야 한다는 자각이 있었다. 와카마츠는 우치무라에 대해 “늦어 온 예수의 직제자인 사도의 한 사람이었을까”라고 적는다.
 무교회란 교회라는 현세의 권위를 경유하지 않고 개별 인간이 살아가는 신과의 교제를 경험하려고 하는 시도였다고 한다.
 성서를 '읽는다'는 것은 그것을 자의적으로 해석하는 것보다 말씀을 가져온 그리스도와 마주하는 것이다. 마찬가지로 우치무라의 책을 읽어도 그가 찾은 것을 놓치면 그와의 대화는 잘 안된다. 인간을 넘는 무언가를 스스로의 인생에 초대해야 한다고 한다.
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araya taro
별 5개 중 5.0 우치무라의 사상과 말이 마음을 흔드는
2018년 9월 17일에 확인함
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우치무라 칸조의 사상과 말을 읽으면서 그 생애를 추적한 한 권. 영성(신앙에 대한 태도)을 돋보이게 하는 것으로, 우치무라에게 있어서의 기독교가 발견되어 갑니다.
아내나 딸의 죽음의 슬픔을 우치무라는 어떻게 극복했는지, 슬픔을 의미 있는 것으로 파악한 제2장 사자에게는 가장 마음을 움직이는 것이 있었습니다. 인간적으로는 불완전했던 우치무라의 근원을 떠나간 많은 제자들, 사제의 수많은 일화도 흥미로운 것이었습니다.
기독교에 대한 자신 나름의 신념을 가지고 생애를 관철한 우치무라. 그 사상과 말은 세대를 넘어 우리에게 호소하는 것이 있는 것을 본서는 가르쳐 줍니다. 저자의 가슴에 다가오는 문장에도 끌렸습니다.
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타이거 웽
별 5개 중 5.0 와카마츠 에이스케 씨의 평론이 우치무라 감조에게 목숨을 불어넣고 있다.
2018년 2월 16일에 확인함
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와카마츠 에이스케씨의 문장이 훌륭하다.
우치무라 감조의 영성이 부활하고 손에 들도록 표현되고 있다.
벌써 읽어 버리는 문장이 계속된다.
와카마츠 에이스케 님의 다른 평론을 검색하여 읽었습니다.
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조반니
별 5개 중 5.0 「지금 여기」에 현전하는 우치무라의 영성
2018년 1월 31일에 확인함
 '일본적 기독교'를 확립했다고 여겨지는 우치무라의 '영성'이 얼마나 보편적인 깊이에 도달했는지가 우치무라와 제자들과의 농밀한 교류를 따르는 가운데, 매우 알기 쉬운 말 로 부조로 되어 가는 호저입니다.

 단순한 평전이나 근대 일본 사상사가 아니라, 「지금 여기」에 사는 우리에게 있어서, 우치무라의 영성이 가지는 의의가, 있어 있어 떠오릅니다.

 교과서에 나오는 진지하지만 그다지 자신과는 관계가 없는 인물로서 우치무라를 보고 있는 사람은, 본서를 읽고, 우치무라라는 인물이, 자신의 마음에 강하게 호소하는 신선한 말을 많이 남겨 하고 있는 인물이라는 것을 깨닫고, 매료되는 것 틀림없습니다.

 이와나미 신서에서 최근 속속 간행되어 온 기독교 사상 시리즈(오오츠키 타카시 『성경을 읽는 방법』, 아오노 태조 『바울 십자가의 사도』, 아카에 타츠야 『야나이하라 타다오 전쟁과 지식인의 사명』, 덕선 요시와 『마르틴 · 루터 : 말에 살았던 개혁자 ', 데무라 카즈히코 '아우구스티누스 '마음'의 철학자 ', 야마모토 요시히사 '토마스 아퀴나스 이성과 신비 ')의 리오를 장식하기에 어울리는 오랫동안 읽혀져 혼신의 한 권입니다.
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케이
별 5개 중 5.0 우치무라 감조와 기도
2018년 5월 24일에 확인함
이 책은 우치무라 감조의 생애를 완만하게 따라가면서 '회심', '입신', '죽은 자', '비전', '재림', '별별', '우주'라는 7가지 열쇠 언어를 챙겨서 쓰여져 있다. 있다. 이 책에서 저자는 우치무라의 일생을 불단의 '회심의 생애'라고 말하고 있지만, 이러한 장립도 우치무라의 '회심'의 역사에 따른 것이다. 저자는 연보적 사실 등의 외적 시간을 이끌 실로 하면서도, 정신의 각인으로서 남겨진 우치무라의 「말」을 모방하는 것으로, 오히려 우치무라 감조의 생의 변용이라고 하는, 다른 차원의 시간을 그려내려고 한다. 장을 새롭게 할 때마다 독자는 우치무라에서 '사자론', '비전론', '재임론'이 서로 접히게 하여 그 심도를 깊게 가는 여러분을 그대로 느낄 것이다.

하지만 이 책은 우치무라 감조라는 특이한 개성을 안이하게 모시는 자세와는 거리가 멀다. 실제로 장을 넘어 갈 때마다 그 존재감을 크게 해가는 것은 우치무라가 지속하는 '회심'을 지지한 다양한 타자, 그리고 초월자의 작용이다. 많은 약점을 갖고 있던 우치무라가 어떻게 타인과 깊게 연결되어 초월의 일장이 되었는가. 다음으로 그리는 것은 제4장 「재림」의 일절이다.

“우치무라에 있어서의 재임론을 생각할 때, 그 원점으로서 간과해서는 안 되는 것은, 그에 의한 지속하는 기도의 경험이다. 또, 기도 후의 발견이라고 해도 좋다. 신앙의 결실에 있어서 가장 중요한 것은 설득이 아니고, 보이지 않는 곳에서 행해지는 기도인 것에 그[우치무라]는 깨닫는다.[…]자신의 신앙을 깊게 할 뿐만 아니라, 믿을 수 없는 자들을 위해서 기도라고 하는 것이다.”

이 말은 본서 자체의 주조 저음이라고 할 수 있다. 이 책에서 저자는 우치무라의 생애를 그의 개인의 역사로서가 아니라 그를 둘러싼 다양한 사람들을 포함하여 더 넓은 무교회의 역동성 그 자체로부터 묻는다. 거기서 독자가 목격하는 것은, 서로의 「보이지 않는 곳에서 행해지는 기도」에 의해 확실히 찢어지는 무교회의 운동의 생생한 현장이다. 앞의 인용의 조금 후에는 다음과 같은 일절이 이어지고 있다. 우치무라의 생애를 맨손으로 따라가는 저자의 눈빛은, 그 강렬한 개성에 걸리지 않고, 곧바로 이 희대의 종교자의 알몸 형태에 육박해 간다.

“우치무라에게 있어서 영성의 심화는 고통의 경험을 거쳐 실현된다. 라고

하면 단순한 칭찬이 될 수 있는 우치무라의 평생의 위대함을 저자는 오히려 그 고통과 기도의 깊이 가운데 본다. “기도는 하나님의 “목소리”를 듣는 것이다. '고통'이나 '기도' 중에서야 사람은 가장 가까이 타자나 초월자와 함께 있을 수 있기 때문이다. 그런 의미에서 본서에서 그려진 우치무라 감조는 결코 단순한 우상이 아니다. 사람들을 매료시키는 동시에 사람들과 충돌하지 않을 수 없는 자신의 개성을 앞두고 스스로 깊게 고민하고 조용히 기도하는 한 사람의 모습인 것이다.
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드라미
5성급 중 2.0 선서 실수를했습니다.
2018년 5월 4일에 확인됨
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이 책은 실패했다. 신앙서라고 생각해 샀습니다만 저자가 완전히 다른 시점으로 쓰고 있기 때문에 2페이지 정도 읽고 그만두었습니다. 우치무라 감조의 저서는 여러 권을 읽고 같은 그리스도인 대선배로서 큰 힘을 받고 있습니다. 제목에서 깨달아야 했다.
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キリスト教講義 (文春e-book) | 若松 英輔, 山本 芳久 | 宗教入門 | Kindleストア | Amazon

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기독교 강의 (문춘 e-book) Kindle 버전
와카마츠 에이스케  (지은이) 야마모토 요시히사  (작가)  형식: 킨들 에디션
별 5개 중 4.6    27개의 평가
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『예수전』(2015, 중앙 공론 신사) 등의 저자이며, 스스로도 그리스도인인 와카마츠 에이스케씨.
『토마스 아퀴나스 이성과 신비』(2017, 이와나미 신서) 등의 저작이 있는 철학자인 야마모토 요시히사.

함께 같은 신부에게 배운 두 사람이 중세 철학·신학의 거인 토마스·아퀴나스와 그에 영향을 받은 근대 일본의 철학자나 문학자들의 말을 읽는다.
말·신비·역사·악·사랑·성성의 6개의 커트를 바탕으로 정적이고 윤리적인 기독교의 이미지를 동적으로 쇄신하는 비그리스도인에게도 열린 부드럽고도 심원한 획기적인 기독교 강의.

판매 : 주식회사 문예춘추 
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상품 설명
내용(「BOOK」데이터베이스에서)
기독교는 역동적이다. 이성의 움직임을 넘어가는 종교의 역동성이 사랑, 신비, 말, 역사, 악, 성성-6개의 커트에서 현대에 열린다. 중세 철학의 태두와 영혼의 비평가. 같은 신부 밑에 모인 두 사람이 사반세기 때를 거쳐 깊어지는 기독교 강의. --이 텍스트는 tankobon_hardcover 버전과 연관되어 있습니다.

저자 약력 (「BOOK 저자 소개 정보」에서)
와카마츠 / 에이스케
도쿄 공업 대학 리버럴 아츠 연구 교육원 교수·비평가. 1968년생. 게이오 대학교 문학부 불문학과 졸업. 「에치치 호오와 그 시대 구도의 문학」에서 미타 문학 신인상, 「코바야시 히데오 아름다운 꽃」(분예 춘추)에서 카도카와 재단 학예상 수상

야마모토/요시히사
도쿄 대학 대학원 종합 문화 연구과 준 교수. 1973년생. 도쿄 대학 대학원 인문 사회계 연구과 박사 과정 수료. 박사(문학). 전문은 철학·윤리학(서양 중세 철학·이슬람 철학), 기독교학. '토마스 아퀴나스 이성과 신비'( 이와 나미 신서)에서 산토리 학예상 수상

퍼블리셔 : ‎봄과 가을(2018/12/15)
출시일 : ‎ 2018/12/15
언어 ‏ : ‎일본어
책의 길이 ‏ ‎ ‎ 318 페이지
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와카마츠 에이스케
1968년 니가타현 출생. 비평가, 수필가. 도쿄 공업 대학 리버럴 아트 교육 연구원 교수.

2007년 「에치치 호오와 그 시대 구도의 문학」에서 제14회 미타 문학 신인상 수상.

2016년 「지치의 시학 고바야시 히데오와 이통 슌히코」에서 제2회 니시와키 준사부로 학술상 수상.

2018년 시집『보이지 않는 눈물』로 제33회 시가문학관상을 수상.

2018년 『고바야시 히데오 아름다운 꽃』에서 카도카와 재단 학예상을 수상.

2019년 『고바야시 히데오 아름다운 꽃』에서 연꽃상을 수상.

저서에 『이통 슌히코 지치의 철학』(게이오 요시카쿠 대학 출판회), 『사는 철학』(문춘 신서), 『영성의 철학』(카도카와 선서), 『슬픔의 비의』(나나록사), 『예수 덴」(중앙 공론 신사) '안개 그분 스가 아츠코'(슈에이샤) '말의 선물' '약점의 뒤에서'(아키 서방) 등.

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야마모토 요시히사
 도쿄 대학 대학원 종합 문화 연구과 교수.

 1973년생. 도쿄 대학 문학부 졸업. 이 대학원 인문사회계 연구과(철학전문분야) 박사과정 수료.

 지바 대학 문학부 준 교수, 미국 가톨릭 대학 객원 연구원을 거쳐 현직.

 전공은 철학·윤리학(서양 중세 철학·이슬람 철학). 박사(문학)(도쿄대학).

 西洋中世最大の神学者であるトマス・アクィナスの研究をベースとしながら、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の比較神学的・比較哲学的研究に取り組んでいる。


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キリスト教の核心をよむ NHK出版 学びのきほん
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5つ星のうち4.6
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상위 리뷰, 대상국가 : 일본
산허리
전당베스트 50 리뷰
별 5개 중 5.0 기독교의 수수께끼에 대답하십시오!
2018년 12월 16일에 확인함
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저자의 야마모토 씨는 중세 기독교 철학, 특히 토마스 아퀴나스를 전문으로 하는 철학자, 신학자이며, 와카마츠 씨는 문예 평론가이다. 이 두 사람은 20년 이상 전에 어떤 교회에서 만나 종교적 대화를 계속해 왔다. 발군에 재미있어, 참고가 된다.
야마모토씨는 기독교의 가르침이 난해하고 신기한 종교라고 말한다. 성령=신=예수를 동격으로 본 삼위일체설에 그 근거를 구한다. 하나님이 인간으로 죽은 의미입니다. 예수께서는 십자가에 의해 죽으나, 마그다라의 마리아와 십이사도 앞에 부활하셨고(예수의 시신을 담은 관에서 3일 후에 사라졌다) 그들의 마음에 영원히 살아간다. 예수님이야말로 유대인이 대망한 구세주=메시아=그리스도라는 신앙이 여기에서 태어났다. 그러나 이것만으로는 기독교는 성립하지 않았음에 틀림없다. 문제인 것은 예수께서 인류의 근원적인 죄(원죄)를 구속하기 위해 몸 대신되어 죽었다는 해석을 믿는 것이 기독교라는 것이다. 즉, 예수께서는 인류에게 회개를 구하기 위해 죽는 운명을 맡고 인간의 모습을 하여 이 세상에 파견된 하나님의 아들이다. 예수의 부활을 믿고 메시아로 간주하는 사상은 유대교를 계승하는 것이며, 믿는 자에게 회개를 요구하는 바울의 사상이야말로 기독교의 사상이다. 십이사도에서 바울까지는 큰 사상적 단절이 있다. 바울의 사상과 전도 활동이야말로 기독교가 세계 종교로 발전할 수 있는 이유이다.
이 점을 시작으로 확실히 기술하고 싶었다. 기독교는 난해도 특이한 종교도 아니다. 본서를 읽으면 알 수 있다. 기독교에 관심 있는 모든 사람에게 추천하는 책이다.
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파스토~루
베스트 1000 리뷰어
별 5개 중 5.0 기독교의 주요 주제들이 어려운 것이 아니라 깊게 파헤쳐진 대담
2019년 2월 21일에 확인함
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 개신교로서 오랫동안 익숙해져 온 생각을, 카톨릭의 야마모토씨의 말은 기분 좋게 자극해 준다.

 예를 들어, 에로스와 아가페. 에로스는 (보답을) 요구하는 사랑. 아가페는 (보답없이)주는 사랑. 하나님의 아가페는 인간의 에로스와 완전히 다르다고 배웠다.

 하지만 야마모토씨는 말한다. 자신에게 매력적인 것을 찾는(에로스) 속에서 그것을 독점하지 않고 깨달아, 주자(아가페)라는 생각이 나온다. 「에로스가 있는 가운데서 아가페가 태어난다」(p.67). 즉, 자신에게 바람직한 것을 요구하는 것을 포기하고, 자신을 희생해서 사람에게 주는 것이 아니라, 자신이 선한 것을 요구해, 얻은 것을, 이번은 타인과 공유한다고 하는 것이다. 그 쪽이 자기 희생을 자신에게 강한 것보다 인간의 자연에 있다고. 게다가, 「기독교란 무엇인가 부자연스러운 것을 설교하는 자기 희생적인 가르침이라는 이해가 상당히 있다고 생각한다」가 「토마스의 해석을 보면 오히려 인간의 자연스러운 방식을 받아들이고 한편, 동시에 하나님께 열려가는 자세를 볼 수 있다”(p.82)라고.

 예를 들어, 수육. 하나님이 (육신) 사람이 되는 것. 개신교의 나는 하나님이 우리와 같은 인간이 되어 그 약점과 고통을 몸에 익혀 주었다고 배웠다.

 하지만 야마모토씨는 말한다. (토마스 아퀴나스에 의하면) 「변화하는 것은 신이 아니고, 피조물――인간――의 분이다」(p.106). 즉, "인간성을 신성에 일치시킨다" 혹은 "인간과 신이 깊게 연결된다"는 것입니다. 이것은 인간이 하나님과 같은 절대자가 되는 것이 아니라 오히려 하나님의 성, 선, 사랑, 아가페를 조금이라도 공유할 수 있는 가능성이라고 생각했다.

 예를 들어, 은총(하나님의 편에서 일방적인 은혜)과 인간의 자유 의지. 나는 인간의 자유 의지 등은 맞지 않는다. 그것은 사람을 희생해서 자신의 이익을 얻는 것 밖에 사용되지 않고, 자유의지로 하나님께 다가갈 수 없다고 배웠다.

 하지만 야마모토씨는 말한다. “인간은 행복에 대한 동경 같은 것, 그리고 『은총』과 협동하는 힘도 원래 가지고 있지만, 자신 혼자서 실현할 만큼의 힘은 가지고 있지 않다. 참가하게 되는 것으로, 마음속 추구하고 있던 것이 스스로의 생각을 넘은 방식으로 나타나, 실현한다.거기서, 「은총」과 「자유 의지가 모두 필요하다」(p.114).

 이런 야마모토씨의 말에 대해,

 와카 마츠 씨는 다른 각도에서, 보통 보완한다. 그렇다고 하는 것도 기독교의 기본적인 교리가 명확하게 확립되기까지는, 5백년 정도의 시간이 걸리고 있기 때문입니다」(p.204).

 이것은 확실히 할 지적이다. 야마모토 씨는 토마스를 통해 개신교가 부족한 부분을 가르쳐주고 있다. 배워야 할 것은 아직도 많이 있었다.

 하지만 와카마츠씨의 말은 야마모토씨를 보충한다. “자신들의 전통 속에 있는 불교와 어느 밀도로 대치해 보는 것으로, 기독교의 한 측면이 새롭게 보일 가능성이 있는 것이 아닐까 생각합니다. 불교의 빛에 비추어져 그리스도교의 한 측면에 무언가가 있을지도 모른다”(p.205). 와카마츠씨는, 일본의 정신사(종교, 사상, 철학, 문학, 비평, 예술···)에 있어서 「보이지 않는 근원」에의 접촉, 언급을 찾아내, 다양한 저술 중에서, 독자에게 수중 에게도 전해 왔다. 이들은 그리스도를 일본에 전하기 위한 보조 수단 등의 영역이 아니다. 오히려 기독교와 대비하는 대등한 빛이다.

 이 책은 '사랑', '신비', '말', '역사', '악', '성성'의 6장에서 기독교 역사와 현재의 근본적인 주제를 망라하고 파고 있다. 독자는 지식의 습득 이상으로 깊은 사색과 영의 여행으로 초대된다.
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===
케이볼
별 5개 중 5.0 기독교의 '사랑'이란? 「죄」란? 최고의 정보원
2020년 5월 5일에 확인됨
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 일본인에게는 기독교의 상식이 부족하다고 하는 경우가 많다.
 그리스도교의 교리의 중심이 되는 '사랑', '죄(원죄)', '속죄', '기도', '부활', '악'을 정확하게 이해하는 손을 찾아내기 어려운 것이기 때문이다(그 때문에 교회의 문을 통과하는 것도 주저된다).
 대담자인 와카마츠 에이스케씨는 평론가, 야마모토 요시히사씨는 최대의 스콜라 철학자 토마스·아퀴나스의 연구자로, 모두 가톨릭의 신자이다.
 이 책은 기독교인을 향한 것일까. 아니면 비그리스도인에게 기독교의 이해를 촉구하려고 했을까.
 어느 쪽인가 하면, 입신자용이 이기고 있다고 생각하지만, 이러한 양질의 내륜화가, 비그리스도자에게는 오히려 유익한 정보원이 아닐까.
 예를 들어, 최초로 화제가 되는 「사랑」이지만, 예수의 이웃사랑이 이미지에 오르는 경우가 많다. 그렇지 않다면 토마스가 자기 사랑을 중시했다는 사실이 제시되어 하나님의 사랑, 에로스와 아가페, 연애, 우애, 가족 사랑과 논점이 펼쳐진다. 그 설명에는 가능한 한 많은 장르의 책 - "나르니아 나라 모노타리"의 작가 루이스, 아우구스티누스, 키케로 등 -의 인용문이 포함되어있다.
 한 사람만의 말이라면, 그것이 일반적인 생각인지, 그 사람만의 생각인지, 비그리스도인에게는 판단이 되지 않지만, 이러한 인용에 의해, 다양한 포함이나 차이를 수반한 중층적인 이해를 얻을 수 있다. 야마모토 씨는 토마스의 견해, 와카마츠 씨는 이 박한 독서에서 선택한 책의 에센스를 선보이고 있다.
 그 중에서도 말을 둘러싼 다양한 언설은, 다음의 인용이 나타내는 바와 같이, 서로 모순되고 있는 것처럼 보일 정도로 기독교에 있어서의 말의 다양한 면을 포착하고 있다.

「토마스가 체현하고 있는 것은 말이란, 원래 그것을 넘어 가기 위한 누군가일까, 라고 하는 것」(말의 한계=신비)
「천사란, 개별 별개의 씨라고 할 때, 말도 또 그렇다고 생각합니다 .
전체가 하나님이란 어떤 존재인지를 결정적으로 말하는 “대문자의 말”입니다”  (
예수의 생애=하느님의 말씀)
 
교입신의 권고의 책도 아니다 - 좋은 거리감으로 기독교의 교리에 대해 알 수 있다.
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케이
별 5개 중 5.0 그리스도라는 수수께끼
2018년 12월 20일에 확인함
이 책 '기독교 강의'는 '사랑', '신비', '말', '역사', '악', '성성'이라는 여섯 가지 관점에서 기독교의 '수수께끼'를 대화하려는 시도이다. 함께 오랫동안 기독교와 친숙해져 그 실감에 밀착하면서 방어되는 말은 신앙의 유무에 관계없이 독자의 가슴에 깊게 머물러야 한다.

<그럼, 「말」이란 어떤 것인가. 우리의 일상을 생각해 보았을 때, 누군가의 말을 들으면, 대략 그 사람은 어떤 사람인지의 윤곽을 알 수 있는, 그것이 말이라고 하는 것이 아닐까요. 말이란 말하는 사람의 모습을 나타내는 것입니다

> 반대로 단정적인 판단을 앞두고 있는 점이다. 오히려 현대에 있어서 다양한 왜곡된 「해석」을 정중하게 시정하면서, 고이마 동서의 다양한 테크스트——머리말로 야마모토씨가 말하는 「예수에 대해 쓰여진 책」——을 인용하는 것으로, 그 중심에 어느 예수라는 수수께끼가 서서히 깊어져 간다는 방법으로 대화는 진행해 간다. 그리고 이상하게도, 「수수께끼」는 깊어짐에 따라 그 리얼리티를 늘려가는 것이다.

<예수님은 십자가에 걸려 죽는다. 그러나 그리스도는 지금도 여기에 있다는 것이 기독교의 생각이지만, 현대적인 이성을 가진 우리는 이 “사실”을 어떻게 이해해 나가 라는 질문이 남아 있습니다. 오히려 이 질문을 쉽게 이해할 수 없는 곳에 신비가 있다. 신비란 무엇인가를 생각하는 것으로 길이 열려가는 것보다, 우리는 수수께끼를 수수께끼대로 체감하고 경험하고 살면서 신비로 길을 열어 깊이를 보여 가는 것이 아닐까>(와카마츠씨 p.110)

해석은 낡지만 수수께끼는 항상 새롭다. 이 책은 수수께끼를 푸는 것이 아니라 수수께끼를 깊게하기위한 대화라고 말할 수 있습니다. 그렇게 하는 것으로 처음으로 본 강의 중에서 「기독교」는, 「지금·여기」에 있어서 생생하게 소생하기 때문이다. 두 사람의 저자는 모두 이노우에 요지 신부의 제자이지만, 대화를 읽고 있다고 만난 적이없는 신부의 얼굴이 행 사이에서 보이는 것은 나뿐일까. 어쨌든, 이 책은 일본의 기독교사에서 중요한 책이 될 것임에 틀림없다.
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마사오족
별 5개 중 5.0 모든 장은 흥미로운
2018년 12월 19일에 확인함
성경, 신학, 철학, 문학에서 많은 인용문이 포함된 대화입니다. 앞서 야마모토 선생님이 "아우구스티누스와 토마스 아퀴나스에서 스가 아츠코까지 이르는 이러한 다양한 텍스트에 의해 우리의 대화에 힘이 주어졌다고 할 수 있으며, 우리의 대화를 통해 이러한 텍스트에 새로운 생명 가 불어졌다고도 할 수 있다고 생각합니다」라고 쓰고 있습니다만, 바로 그대로라고 생각했습니다. 그런데 전문적인 이야기도 나옵니다만, 정중하게 알기 쉽게 설명되고 있습니다. 권말의 북리스트를 다루고, 더 기독교 관련의 책을 읽어 보고 싶습니다.
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魂にふれる 大震災と、生きている死者 | 若松 英輔 |本 | 通販 | Amazon

魂にふれる 大震災と、生きている死者 | 若松 英輔 |本 | 通販 | Amazon
魂にふれる 大震災と、生きている死者 単行本 – 2012/3/6
若松 英輔  (著)
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単行本
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私たちが悲しむとき、悲愛の扉が開き、亡き人が訪れる。死者は私たちに寄り添い、常に私たちの魂を見つめている。悲しみは死者が近づく合図なのだ。大切な人をなくした若い人へのメッセージを含む、渾身のエセー。
本の長さ
225ページ
言語
日本語
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魂にふれる——大震災と、生きている死者 【増補新版】
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悲しみの秘義 (文春文庫)
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若松 英輔
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死者との対話
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「生きがい」と出会うために: 神谷美恵子のいのちの哲学
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
私たちが悲しむとき、悲愛の扉が開き、亡き人が訪れる。―死者は私たちに寄り添い、常に私たちの魂を見つめている。私たちが見失ったときでさえ、それを見つめつづけている。悲しみは、死者が近づく合図なのだ。―死者と協同し、共に今を生きるために。
著者について
[著者]若松 英輔(ワカマツ エイスケ)
1968年生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。批評家。(株)シナジーカンパニージャパン代表取締役。「越知保夫とその時代」で第14回三田文学新人賞受賞。その後『三田文学』に「小林秀雄と井筒俊彦」、「須賀敦子の足跡」などを発表し、2010年より「吉満義彦」を連載。また『小林秀雄――越知保夫全作品』(慶應義塾大学出版会、2010)を編集。著書『井筒俊彦 叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会、2011)、『神秘の夜の旅』が大きな話題を呼ぶ。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
若松/英輔
1968年生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。批評家。(株)シナジーカンパニージャパン代表取締役。「越知保夫とその時代」で第14回三田文学新人賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
出版社 ‏ : ‎ トランスビュー (2012/3/6)
発売日 ‏ : ‎ 2012/3/6
言語 ‏ : ‎ 日本語
単行本 ‏ : ‎ 225ページ
ISBN-10 ‏ : ‎ 4798701238
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4798701233
寸法 ‏ : ‎ 2 x 14 x 20 cm
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沈黙のちから
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著者について
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若松 英輔
1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。東京工業大学リベラルアーツ教育研究院教授。

2007 年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14 回三田文学新人賞受賞。

2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』にて第2回西脇順三郎学術賞受賞。

2018年詩集『見えない涙』で第33回詩歌文学館賞を受賞。

2018年、『小林秀雄 美しい花』で角川財団学芸賞を受賞。

2019年、『小林秀雄 美しい花』で蓮如賞を受賞。

著書に『井筒俊彦 叡知の哲学』(慶応義塾大学出版会)、『生きる哲学』(文春新書)、『霊性の哲学』(角川選書)、『悲しみの秘義』(ナナロク社)、『イエス伝』(中央公論新社)『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)『言葉の贈り物』『弱さのちから』(亜紀書房)など。

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上位レビュー、対象国: 日本
ぱすと〜る
ベスト1000レビュアー
5つ星のうち5.0 レトリックでも思想でもない、死者との対話ストリーム
2012年5月23日に日本でレビュー済み
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 「死者が接近するとき、私たちの魂は悲しみにふるえる。悲しみは、死者が訪れる合図である。それは悲哀の経験だが、私たちに寄り添う死者の実在を知る、慰めの経験でもある」(p.8)

 読み始めてまもなく見つけたこの言葉に、これはあらたなレトリックの創造なのか、それとも、思索ゆえの思想なのか、あるいは、そういうふうにわけられない出来事なのか、と問わずにはいられなかった。

 「死者は、万人の内に共に生きている。死者の姿は見えない。見えないものに出会うことを望むなら、見えないものを大切にしなくてはならない」(p.12)。

 聴覚においても同様であろう。接近してきた死者は、わたしたちに語りかける。祈りとは、願いを解き放つことだけでなく、沈黙のうちに、死者の声を聞くことである、と著者は言う。

 沈黙のうちに語りかける者はひそかにともに歩く者でもある。わたしたちは死者のできなかったこと、死者の残した課題を果たすのではない。「死者は、『課題』のなかで、君たちと共に生きる、ひそやかな同伴者になる」(p.20)。

 最初の十枚余をめくりながら、この人はもしかしたら・・・という想いが生じてきた。

 そこから百枚にわたり、著者は文字通り、死者の声に聴き、対話を重ねる。上原専祿、池田晶子、井筒俊彦、小林秀雄、鈴木大拙、西田幾多郎、田辺元、神谷美恵子。彼らの声は、最初は、当然、活字を通して聞こえてきたに違いないが、文字にとどまるものではなかったであろう。

 著者の妻は逝った。慟哭し、天を糾弾する。「そのとき、心配することは何もない。わたしはここにいる、そう言って」(p.218)彼女が彼を抱きしめた。「誰も自分の悲しみを理解しない、そう思ったとき、あなたの傍らにいて、共に悲しみ、涙するのは死者である」「悲しいのは逝った方ではないだろうか。死者は、いつも生者の傍らにあって、自分のことで涙する姿を見なくてはならない。死者もまた、悲しみのうちに生者を感じている。悲愛とは、こうした二者の間に生まれる協同の営みである」。著者がもっとも深く、長い時間、語り合った死者は妻であり、本書はその対話の果実ではなく、育ちつつある樹木そのものだ。
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ヨーキー
5つ星のうち5.0 死者とともに、、
2016年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
死者とともに生きたいと願ってしまう日々に そっと寄り添ってくれる本です。
優しく書かれた文章と行間からも 言葉がこんなに人を勇気づけてくれるのかと
涙をにじませながら読みました。
そして いつも手元に置き、気持ちが落ち込んでしまったときに開く本です。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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真知子
5つ星のうち5.0 死者とのつながり
2012年3月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
処女著作『井筒俊彦 叡知の哲学』や『神秘の夜の旅』が
大きな話題を呼んだ若松英輔氏の3冊目の著作。

本書で若松氏は、彼をつねに「書くこと」へと誘い、超越の世界へ触れるよう導いてきた「死者」に向き合う。

そこで描かれる対象は、上原専禄や田辺元、鈴木大拙、神谷美恵子など、
不滅の「死者」や死への問いを、個人的な喪失を経験し、主体的に向き合った人たちである。

「死者」とは何か? それは言葉の上の理論的で抽象的な存在などではなく、
わたしたちが愛し、大切に思い、身近に感じ、共に生きた人たちである、
まずそのことに本書は読む者を立ち戻らせる。

大震災のあと、復興に国家的な規模で全力が注がれている今、
命をおとした「死者」や彼らとのつながりを求める「残された人々」について、
生きた言葉で発する者は――宗教家を含め――誰ひとりいなかった。
若松氏を執筆に駆り立てたのも、そのようないたたまれない現状だったのだろう。

死者について語ること、想うことは、身を切るような思いを伴う。
2年前に最愛の妻を喪った若松氏も、本書で彼女の死と向き合っている。
時折、頁を繰るのも辛くなるような生々しい筆致で、
壮絶な体験が語られるが、そんな悲しみについて若松氏は、
「悲しむのは死者が訪れるから」ではないか、という実感をもつようになったという。

「悲しみは容易に癒えない。でも(中略)ぼくらが悲しいのは、
その人がいなくなったことよりも、むしろ、近くにいるからだ、そう思ったことはないだろうか」

若松氏が東京新聞(2012年3月10日)でのインタビューで言うように、
現代は「死んだら何も残らない」という虚構が蔓延している。
人の「魂」を卑小するような考え・慣習が出来あがってしまった。

そんな世界の中で、若松氏のような強靱な精神力をもった著者の言葉は、
計り知れないほど多くの人を勇気づけ、救うだろう。

現代社会に警鐘をならす一冊としても評価されるべきだが、
何より、一人でも多くの死者とのつながりを求める人びとの手に届けられて欲しい。
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ソコツ
VINEメンバー
5つ星のうち5.0 呼びかけてくる死者とともに
2012年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大震災から1年というメモリアルな時節、新たなる死者論の誕生である。生者と共にあり、こちらを見、呼びかけてくる死者の「実在」は、どのようにしてあるのか、ふれられるのか、これを池田晶子や小林秀雄、柳田國男や鈴木大拙や田辺元ら、「私」の経験から死者を語った、あるいは語らされた人々の言葉とコトバに導かれながら深く深く思考していく。
昨今のこれに近似した死者論としては、末木文美士氏の仕事を即座に想起するが、より学問的なニュアンスが強く、非常に啓発的で勉強になる感じはあったが、本書のように、どこか彼方の世界を意識させられながらする読書経験は得られなかった。こういう表現は眉唾かもしれないが、より死者に「近い」ところで、全身の感性、五感を研ぎ澄ませながら言葉をつむいでいる感触があった。
著者が約2年前に最愛の妻を喪った、そのことの影響がむろん大きいのだろう。そして、その約1年後に同じ国に住む人たちが、短い間に多くの大切な生命の終わりを経験したということも。死者とともに生きていくとはどのようなことか、根柢から考えていく機会を、幸か不幸か得られたというわけだ。
「このたびの震災は多くの死者と遺族を生んだ。遺族は死者を探して、存在の深みへと導かれる。人は、あるときは外界から隔絶され、あるいは疎外されたと思うことがあるかもしれない。だが、内実は別である。深層における個の経験は、個にとどまることを十分とせず、他者に向かって自ずと開かれていく。人知れず刻まれた無数の悲しみが今、私たちをつないでいる。彼らの掘った悲しみの井戸から湧き上がる水を、今、私たちは飲んでいる。彼らが毎夜ひとり、涙で石を削るように作った道を、私たちは歩いている。」
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茶トラのボクチン
5つ星のうち5.0 良い意味で若松氏の他の書籍はもう読みたくないと思った!
2015年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あまりにも腑に落ちる内容ばかり。
生者と死者の関係。
若松氏の他の書籍は、幻滅したくないのでこの書籍だけで十分だと思った。

このような経験は初めてで、素晴らしい書籍に出会った感激から、同じ著者による他書も読みたいと思うのが通常だったが、今回ばかりは、この書籍を繰り返し読むことで満足したい、と考えていましたが、その後の講演録『死者との対話』をさきほど、アマゾンさんに注文してしまいました(苦笑。

ともあれ、とても優れた分析で、的確であると思いました。

 この書籍の言わんとすることの大意は、帯の説明文にあるように、

 私たちが悲しむとき、悲愛の扉が開き、亡き人が訪れる。
 死者は私たちに寄り添い、常に私たちの魂を見つめている。私たちが見失ったときでさえ、それを見つづけている。悲しみは、死者が近づく合図なのだ。━━死者と共同し、共に今を生きるために。

と書かれている。

 これは比喩的に述べているのではない。

 帯に書かれている案内文だけではやや物足りない。
 本文に沿って補足すれば、

「生者は寄り添ってくれる死者のお陰で、今を生きることができるのだ。」

 を加えるべきか。
 いずれにせよ、かなり的確と思います。

 実際の内容は、いずれも既に故人となられたフランクルやリルケ、池田晶子・柳田国男・鈴木大拙・西田幾多郎・田辺元・神谷美恵子など、哲学者や思想家の著作を読み解く「死者論」であるから、そこいらへんにころがっているお気楽なスピ本とは異なります。

 愛妻を長期間の闘病の末に亡くされた著者の実体験あってこそ、愛妻との共著といえる作品と思われます。

 ちなみに、著者の若松英輔氏は慶応大学仏文科卒の批評家であるが、「三田文学」編集長を務め、読売新聞読書委員であるかたわら、「薬草を商う人」でもあるという。
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ねこうさぎ
5つ星のうち4.0 大切な人を亡くした方に読んでもらいたい良書です。
2012年11月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「私たちが悲しむとき、悲愛の扉が開き、亡き人が訪れる」
ぼくらが悲しいのは、その人がいなくなったことよりも、
むしろ、近くにいるからだ、そう思ったことはないだろうか。

若松さんの衝撃的な語りかけに、私は絶句した。
私が涙がどうしても止まらないとき、
それは、亡くなった息子が近くにいて、手を伸ばしても触れることができない、
近くにいるのに声も聴こえないことが悲しいということだったのか?

哲学者である若松さんは、池田晶子、井筒俊彦、スワラルディー、
リルケ、など著名な哲学者の言葉を用いて、「生と死」を語る。

『私たちは死とは逆の方向に行かなくてはならない。
なぜなら、死者は死の彼方で新生しているからである。
心、あるいはココロにも、その扉を開ける重要な鍵が潜んでいる。
ココロの中とは、私たちの記憶を意味するのではない。
死者は、私たちの思い出ではない。ココロはもう一つの世界である。』
・・・・・・
こんなふうに、なんだかとっても不思議な感覚で話は進む。

震災で大切な人を亡くした人へ語りかけている若松さんは、
ご自身も、その一年前、十年の闘病の末に愛妻を亡くされた体験をもつ。

『妻を喪い、悲しみは今も癒えない。
しかし、悲しいのは逝った方ではないだろうか。
死者はいつも生者の傍らにあって、自分のことで涙する姿を見なくてはならない。
死者もまた、悲しみのうちに生者を感じている。
悲愛とは、こうした二者の間に生まれる共同の営みである』

若松さんの、この言葉で、私は涙が止まらくなった。

私の哀しむ姿を見て、息子がどんな思いでいるのだろう。
哀しいのは息子の方だ・・・。
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猫背の黒猫
5つ星のうち5.0 TVで
2013年12月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
紹介されていました。その書評に感動しましたので、即購入しました。染みる内容です。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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JOHN JOHN BY THE RUINS
ベスト500レビュアー
5つ星のうち5.0 レクイエム
2021年2月27日に日本でレビュー済み
わたしもいつかは死ぬ。死んだらどうなるかわからない。それでおしまいかもしれない。ただ、死んだわたしのことを生きている誰かがときおり思い出してくれるかもしれない。そうしてわたしはその人のこころの中で生きてゆくのかもしれない。生と死はそんなふうにしてつながってゆくのかもしれない。そんなふうに繰り返されてゆくのかもしれない。死んだ者は悲しまない。そう思ったこともあったが、はたして本当にそうだろうか、といまでは思う。生きている者のなかで死んだ者が生きているならば、言いかえれば、生きている者と死んだ者がともにあるならば、生者だけが悲しみ、死者は悲しまないということがあるだろうか。本書のタイトルは『魂にふれる』だが、初めて鎮魂、レクイエムの意味するところが、なんとなくではあるがわかりかけたように思う。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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すべてのレビューを参照します
==
영혼에 접하는 대지진과 살아있는 사망자 단행본 – 2012/3/6
와카마츠 에이스케  (작가)
별 5개 중 4.6    18개의 평가
==

우리가 슬픔 때 비애의 문이 열리고 죽은 사람이 방문한다. 죽은 자는 우리에게 붙잡혀 항상 영혼을 응시합니다. 슬픔은 죽은 사람이 다가오는 신호다. 소중한 사람을 잃어버린 젊은이에게 메시지를 포함한 혼신의 에세.
책의 길이
225화

상품 설명
내용(「BOOK」데이터베이스에서)

우리가 슬픔 때 비애의 문이 열리고 죽은 사람이 방문한다. ―죽은 자는 우리에게 다가가 항상 우리의 영혼을 응시하고 있다. 우리가 잃었을 때조차 그것을 응시하고 있습니다. 슬픔은 죽은 사람이 다가오는 신호다. ―죽은 자와 협동해, 함께 지금을 살기 위해서.

저자 정보
[저자]와카마츠 에이스케(와카마츠 에이스케)
1968년생. 게이오 대학교 문학부 불문과 졸업. 비평가. (주)시너지 컴퍼니 재팬 대표 이사. 「에치치 호오와 그 시대」에서 제14회 미타 문학 신인상 수상. 그 후 「미타 문학」에 「고바야시 히데오와 이통 슌히코」, 「스카 아츠코의 발자취」등을 발표해, 2010년부터 「요시만 요시히코」를 연재. 또 『고바야시 히데오――에치치호오 전 작품』(게이오 대학교 출판회, 2010)을 편집. 저서 『이통 슌히코 지치의 철학』(게이오기주쿠대학 출판회, 2011), 『신비의 밤여행』이 큰 화제를 부른다.
저자 약력 (「BOOK 저자 소개 정보」에서)
와카마츠/영스케
1968년생. 게이오 대학교 문학부 불문과 졸업. 비평가. (주)시너지 컴퍼니 재팬 대표 이사. 「에치치 호오와 그 시대」로 제14회 미타 문학 신인상 수상(본 데이터는 이 서적이 간행된 당시에 게재되고 있던 것입니다)

출판사
발매일 ‏ ‎ ‎ 2012/3/6
언어 ‏ : ‎일본어
단행본 ‏ ‎ ‎ 225 페이지

저자 정보
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팔로우
와카마츠 에이스케
1968년 니가타현 출생. 비평가, 수필가. 도쿄 공업 대학 리버럴 아트 교육 연구원 교수.

2007년 「에치치 호오와 그 시대 구도의 문학」에서 제14회 미타 문학 신인상 수상.

2016년 「지치의 시학 고바야시 히데오와 이통 슌히코」에서 제2회 니시와키 준사부로 학술상 수상.

2018년 시집『보이지 않는 눈물』로 제33회 시가문학관상을 수상.

2018년 『고바야시 히데오 아름다운 꽃』에서 카도카와 재단 학예상을 수상.

2019년 『고바야시 히데오 아름다운 꽃』에서 연꽃상을 수상.

저서에 『이통 슌히코 지치의 철학』(게이오 요시카쿠대학 출판회), 『사는 철학』(문춘 신서), 『영성의 철학』(카도카와 선서), 『슬픔의 비의』(나나록사), 『예수 덴」(중앙 공론 신사) '안개 그분 스가 아츠코'(슈에이샤) '말의 선물' '약점 뒤에서'(아키 서방) 등.

고객 리뷰
별 5개 중 4.6

상위 리뷰, 대상국가 : 일본
파스토~루
베스트 1000 리뷰어
별 5개 중 5.0 레트릭도 사상도 아닌, 죽은 사람과의 대화 스트림
2012년 5월 23일에 확인함
아마존에서 구매
 “죽은 사람이 접근할 때, 우리의 영혼은 슬픔에 빠진다. 슬픔은, 죽은 사람이 방문하는 신호이다. 그것은 비애의 경험이지만, 우리에게 다가가는 죽은 사람의 실재를 아는, 위로의 경험이기도 하다”(p .8)

 읽기 시작하고 곧 발견한 이 말에, 이것은 새로운 리트릭의 창조인가, 아니면, 사색이기 때문에의 사상인가, 혹은, 그런 식으로 할 수 없는 사건인가, 라고 불문하고 있을 수 없다 했다.

 “죽은 사람은 만명 안에 함께 살고 있다. 죽은 사람의 모습은 보이지 않는다.

 청각에서도 마찬가지다. 접근해온 죽은 자는 우리에게 말을 건다. 기도는 소원을 풀어내는 것뿐만 아니라 침묵 중에 죽은 자의 목소리를 듣는 것이라고 저자는 말한다.

 침묵 속에 말을 건 사람은 몰래 함께 걷는 사람이기도 하다. 우리는 죽은 자의 할 수 없었던 것, 죽은 자의 남은 과제를 이루는 것은 아니다. 「죽은 사람은, 「과제」속에서, 너희들과 함께 사는, 은은한 동반자가 된다」(p.20).

 최초의 10장여를 넘기면서, 이 사람은 어쩌면···라고 하는 생각이 생겨 왔다.

 거기에서 백장에 걸쳐, 저자는 말 그대로 죽은 자의 목소리에 듣고 대화를 거듭한다. 우에하라 전진, 이케다 아키코, 이츠쓰 토시히코, 고바야시 히데오, 스즈키 오오조, 니시다 기타로, 타나베 모토, 카미야 미에코. 그들의 목소리는 처음에는 당연히 활자를 통해 들려 왔을 것입니다.

 저자의 아내는 잡았다. 慟哭하고 하늘을 규탄한다. “그때 걱정할 일은 없어요. 저는 여기에 있습니다. "아무도 자신의 슬픔을 이해하지 못하고, 그렇게 생각했을 때, 당신 옆에 있고, 함께 슬픔, 눈물을 흘리는 것은 죽은 사람이다." 옆에 있어, 자신의 일로 눈물하는 모습을 보지 않으면 안 된다.죽은 ​​자도, 또 슬픔 속에 생자를 느끼고 있다.비애란, 이런 둘 사이에 태어나는 협동의 행위이다」 . 저자가 가장 깊고 오랫동안 말한 죽은 사람은 아내이며, 이 책은 그 대화의 과실이 아니라 자라나는 나무 그 자체다.
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유용한
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요키
별 5개 중 5.0 죽은 자와 함께,
2016년 2월 11일에 확인함
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죽은 자와 함께 살고 싶으면 날마다 부드럽게 다가 주는 책입니다.
부드럽게 쓰여진 문장과 행 사이에서도 말이 이렇게 사람을 용기해 주는지
눈물을 흘리며 읽었습니다.
그리고 항상 수중에 두고, 기분이 우울해 버렸을 때에 열리는 책입니다.
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마치코
별 5개 중 5.0 죽은 사람과의 연결
2012년 3월 19일에 확인함
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처녀저작 『이통 슌히코 지치의 철학』이나 『신비의 밤의 여행』이
큰 화제를 불렀던 와카마츠 에이스케씨의 3권째의 저작.

본서에서 와카마츠씨는, 그를 언제나 「쓰기」로 초대해, 초월의 세계에 접하도록 이끌어 온 「죽은 자」에 마주한다.

거기서 그려지는 대상은 우에하라 전록과 타나베 모토, 스즈키 오오조, 가미야 미에코 등
불멸의 '죽은 자'나 죽음에 대한 질문을 개인적인 상실을 경험해 주체적으로 마주한 사람들이다.

「죽은 자」란 무엇인가? 그것은 단어 위의 이론적이고 추상적인 존재 등이 아니라,
우리가 사랑하고 소중하게 생각하고 가까이서 느끼며 함께 살았던 사람들이다
.

대지진 후, 부흥에 국가적인 규모로 전력이 쏟아지고 있는 지금,
목숨을 건 '죽은 자'나 그들과의 연결을 요구하는 '남은 사람들'에 대해
살아있는 말로 발하는 사람은 ――종교가를 포함――누구 혼자 없었다.
와카마츠씨를 집필에 몰두한 것도 그런 참을 수 없는 현상이었을 것이다.

죽은 자에 대해 말하는 것, 생각하는 것은 몸을 자르는 생각을 수반한다.
2년 전에 사랑하는 아내를 괴롭힌 와카마츠씨도 본서에서 그녀의 죽음과 마주하고 있다.
때때로 페이지를 넘기는 것도 힘들어지는 생생한 필치로,
장절한 체험을 말할 수 있지만, 그런 슬픔에 대해 와카마츠씨는,
「슬퍼하는 것은 죽은 사람이 방문하기 때문에」가 아닌가 하는 실감을 가지도록 되었다고 한다.

“슬픔은 쉽게 치유되지 않는다.


그 사람이 사라진 것보다는 오히려 가까이에 있기 때문이다. 그렇게
생각한 적은 없을까? 아무것도 남지 않는다”는 허구가 만연하고 있다.
사람의 「혼」을 비소하는 생각·관습이 완성되어 버렸다.

그런 세계 속에서, 와카마츠씨와 같은 강인한 정신력을 가진 저자의 말은,
헤아릴 수 없을 정도로 많은 사람을 용기, 구할 것이다.

현대사회에 경종을 하는 한권으로도 평가받아야 하지만
무엇보다 혼자라도 많은 죽은 자와의 연결을 요구하는 사람들의 손에 전달받기를 바란다.
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소코츠
VINE 회원
별 5개 중 5.0 부르는 죽은 자와 함께
2012년 3월 10일에 확인함
아마존에서 구매
대지진으로부터 1년이라는 메모리얼한 시절, 새로운 사자론의 탄생이다. 생자와 함께 있어, 이쪽을 보고 호소해 오는 죽은 자의 「실재」는, 어떻게 하고 있는지, 접할 수 있을까, 이것을 이케다 아키코나 고바야시 히데오, 야나기 쿠니오나 스즈키 오오츠키와 타나베 모토등, 「나 '의 경험에서 죽은 자를 말했다.
요즈음의 이것에 근사한 사자론으로서는, 스에키 후미미 씨의 일을 즉각 생각해 보지만, 보다 학문적인 뉘앙스가 강하고, 매우 계발적이고 공부가 되는 느낌은 있었지만, 본서와 같이 에, 어딘가 그분의 세계를 의식시키면서 하는 독서 경험은 얻을 수 없었다. 이런 표현은 눈썹일지도 모르지만, 보다 죽은 사람에게 「가까운」곳에서, 전신의 감성, 오감을 날카롭게 하면서 말을 씹고 있는 감촉이 있었다.
저자가 약 2년 전에 사랑하는 아내를 상한, 그 일의 영향이 오히려 큰 것이다. 그리고 그 약 1년 후에 같은 나라에 사는 사람들이 짧은 기간에 많은 중요한 생명의 끝을 경험했다는 것도. 죽은 자와 함께 살아간다는 것은 어떤 것인지, 근柢로부터 생각해 갈 기회를, 행운이든 불행인지 얻을 수 있었다는 것이다.
“이번 지진은 많은 죽은 자와 유족을 낳았다. 유족은 죽은 자를 찾아서 존재의 깊이로 인도된다. 하지만, 내실은 다르다. 심층에서의 개 경험은 개에 머무를 충분하지 않고, 다른 사람을 향해 스스로 열려 간다. 우리가 잡고 있다.그들이 파는 슬픔의 우물에서 솟아나는 물을, 이제 우리는 마시고 있다. 있다.”
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차 호랑이 권투
별 5개 중 5.0 좋은 의미로 와카마츠씨의 다른 서적은 더 이상 읽고 싶지 않다고 생각했다!
2015년 5월 4일에 확인됨
아마존에서 구매
너무 힘들게 떨어지는 내용뿐.
생자와 죽은 자의 관계.
와카마츠씨의 다른 서적은 환멸하고 싶지 않기 때문에 이 서적만으로 충분하다고 생각했다.

이러한 경험은 처음으로, 훌륭한 서적을 만난 감격으로부터, 같은 저자에 의한 다른 책도 읽고 싶은 것이 보통이었지만, 이번만은, 이 서적을 반복해 읽는 것으로 만족하고 싶다고 생각하고 있다 했습니다만, 그 후의 강연록 「죽은 ​​사람과의 대화」를 방금전, 아마존씨에게 주문해 버렸습니다(쓴웃음.

어쨌든, 매우 뛰어난 분석으로, 정확하다고 생각했습니다.

 이 서적의 말 그렇다고 하는 것의 중요성은, 띠의 설명문에 있는 것처럼,

 우리가 슬퍼할 때, 비애의 문이 열리고, 죽은 사람이 방문한다.
 죽은 사람은 우리에게 붙잡고, 항상 우리의 영혼을 응시하고 있다.나 우리가 잃어 버렸을 때조차도 그것을보고 있습니다. 슬픔은 죽은 사람들이 다가오는 신호  입니다

.

말하고 있는 것은 아니다.

 띠에 쓰여져 있는 안내문만으로는 다소 부족하다.
 본문에 따라서 보충하면,

「생자는 다가와 주는 사망자의 덕분에, 지금을 살 수 있는 것이다.」

 덧붙여야 할까.
 어쨌든, 꽤 적확하다고 생각합니다.

 실제의 내용은, 모두 고인이 된 프랑크르나 리르케, 이케다 아키코·야나기 쿠니오·스즈키 오오츠키·니시다 기타로·타나베 모토·가미야 미에코 등 , 철학자나 사상가의 저작을 읽어내는 「사자론」이기 때문에, 거기 오히려 넘어져 있는 편한 스피 책과는 다릅니다.

 애처를 장기간의 투병 끝에 사망한 저자의 실체험이야말로, 아내와의 공저라고 할 수 있는 작품이라고 생각됩니다.

 덧붙여서, 저자의 와카마츠 에이스케씨는 게이오대학 불문과 졸업의 비평가이지만, 「미타 문학」편집장을 맡고, 요미우리 신문 독서 위원인 가운데, 「약초를 상하는 사람」이기도 하다고 한다.
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네코 토끼
별 5개 중 4.0 소중한 사람을 죽은 분에게 읽어 주었으면 하는 양서입니다.
2012년 11월 18일에 확인함
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“우리가 슬픔 때, 비애의 문이 열리고, 죽은 사람이 방문한다”보쿠라
가 슬픈 것은, 그 사람이 없어진 것보다,
오히려, 가까이에 있기 때문이다, 그렇게 생각한 적은 없을까.

와카마츠씨의 충격적인 말을 걸고, 나는 절절했다.
내가 눈물이 아무래도 멈추지 않을 때,
그것은 죽은 아들이 가까이에 있고, 손을 뻗어도 만질 수 없다
.

철학자인 와카마츠 씨는 이케다 아키코, 이츠쓰 슌히코, 스와랄디,
릴케 등 유명한 철학자의 말을 이용하여 '생과 죽음'을 말한다.

'우리는 죽음과는 반대 방향으로 가야 한다.
왜냐하면 죽은 자는 죽음의 그분에서 신생하고 있기 때문이다.
마음, 혹은 여기에도 그 문을 여는 중요한 열쇠가 숨어 있다.
이곳 안이란 우리의 기억을 의미하는 것은 아니다.
죽은 자는 우리의 추억이 아니다. 코코로는 또 다른 세계이다. 』
・・・・・・
이런 식으로, 어쩐지 매우 신기한 감각으로 이야기는 진행된다.

지진 재해로 소중한 사람을 죽은 사람에게 말을 걸고 있는 와카마츠씨는,
자신도, 그 1년전, 10년의 투병 끝에 애처를 잃은 체험을 가진다.

『아내를 상하고 슬픔은 지금도 치유되지 않는다.
그러나 슬픈 것은 속인 편이 아닐까.
죽은 자는 언제나 생자 곁에 있고, 자신의 일로 눈물하는 모습을 보아야 한다.
죽은 자도 슬픔 가운데 생자를 느낀다.
비애란 이런 두 사람 사이에 태어나는 공동의 영업이다

.

나의 애처로운 모습을 보고, 아들이 어떤 생각이 있을까.
슬픈 것은 아들의 분이다···.
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고양이 키 검은 고양이
별 5개 중 5.0 TV에서
2013년 12월 4일에 확인함
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소개되었습니다. 그 서평에 감동했기 때문에, 즉 구입했습니다. 스며드는 내용입니다.
4명의 고객이 이것이 도움이 되었다고 생각합니다.
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폐허의 존 존
최고의 500 리뷰
별 5개 중 5.0 레퀴엠
2021년 2월 27일에 확인됨
나는 언젠가는 죽는다. 죽으면 어떻게 될지 모른다. 그래서 끝날지도 모른다. 다만, 죽은 나를 살아 있는 누군가가 때때로 기억해 줄지도 모른다. 그러므로 나는 그 사람의 마음 속에서 살아갈지도 모른다. 삶과 죽음은 그런 식으로 연결되어 갈지도 모른다. 그런 식으로 반복되어 갈지도 모른다. 죽은 사람은 슬퍼하지 않는다. 그렇게 생각한 적도 있었지만, 과연 정말 그럴까, 지금은 생각한다. 살아있는 사람 가운데서 죽은 사람이 살아 있다면, 말하자면, 살아있는 사람과 죽은 사람이 모두 있다면, 살아있는 사람만이 슬픔, 죽은 사람은 슬프지 않는다는 것이 있겠지 우카. 본서의 타이틀은 『영혼에 접한다』이지만, 처음으로 진혼, 레퀴엠이 의미하는 곳이, 어쩐지는 아니지만 알았다고 생각한다.
2명의 고객이 이것이 도움이 되었다고 생각합니다.
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Amazon.co.jp: 弱さのちから eBook : 若松英輔: 本

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弱さのちから Kindle版
若松英輔 (著) 形式: Kindle版


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Kindle版 (電子書籍)
¥1,359

弱さを肯定するところから、生まれるもの——

強くあるために勇気を振り絞ろうとする。
だが、そうやって強がろうとしても、勇気は湧いてこない。

勇気は自分の「弱さ」と向き合いつつ、大切な人のことを思ったとき、どこかから湧出してくる——。

弱さを克服し、強くなることが善とされてきたが、それは本当だろうか?
自分と他者の弱さを見つめ、受け入れることから、信頼やつながりを育む真の強さが生まれるのではないか?

現代に鋭い問いを投げかけ続ける批評家が、
危機の時代を生き抜くための叡智を、やさしく語る。

【目次】
はじめに


・天耳(てんに)
・弱い自分
・おそれと向き合う
・弱さに学ぶ
・見えないものの復興
・賢者と「時」の感覚
・無常と情愛

・言葉のともしび
・遅れてきた新学期
・「弱さ」において「つながる」社会
・弱さの彼方にある光——敬意と愛と正義
・闇を照らす言葉

・いのちを守る
・いのちと経済をつなぐもの
・愛に渇く
・言葉に渇く
・言葉の護符
・仕事
おわりに
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本の長さ

112ページ
商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)
弱さを克服し、強くなることが善とされてきたが、それは本当だろうか?自分と他者の弱さを見つめ、受け入れることから、信頼やつながりを育む真の強さが生まれるのではないか?自己と社会のあり方を根本から問い直す最新エッセイ集。 --このテキストは、tankobon_softcover版に関連付けられています。

著者について
若松 英輔(わかまつ・えいすけ)
1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。
2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016年『叡智の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶応義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018年『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、第16回蓮如賞受賞。
著書に『イエス伝』(中央公論新社)、『魂にふれる 大震災と、生きている死者』(トランスビュー)、『生きる哲学』(文春新書)、『霊性の哲学』(角川選書)、『悲しみの秘義』(ナナロク社、文春文庫)、『内村鑑三 悲しみの使徒』(岩波新書)、『種まく人』『詩集 愛について』『常世の花 石牟礼道子』『本を読めなくなった人のための読書論』(以上、亜紀書房)、『学びのきほん 考える教室 大人のための哲学入門』『詩と出会う 詩と生きる』(以上、NHK出版)、『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)など多数。 --このテキストは、tankobon_softcover版に関連付けられています。
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登録情報
ASIN ‏ : ‎ B08FDPJTLS
出版社 ‏ : ‎ 亜紀書房 (2020/7/22)
発売日 ‏ : ‎ 2020/7/22
言語 ‏ : ‎ 日本語
ファイルサイズ ‏ : ‎ 4319 KB
Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) ‏ : ‎ 有効
X-Ray ‏ : ‎ 有効にされていません
Word Wise ‏ : ‎ 有効にされていません
本の長さ ‏ : ‎ 112ページAmazon 売れ筋ランキング: - 47,052位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)- 646位エッセー・随筆 (Kindleストア)
- 867位近現代日本のエッセー・随筆カスタマーレビュー:
5つ星のうち4.1 60個の評価








カスタマーレビュー
5つ星のうち4.1
星5つ中の4.1
60 件のグローバル評価
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ぱすと〜る

ベスト1000レビュアー
5つ星のうち5.0 近くにいなくても、ふれあい、つながり、つどい、近くある2020年8月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 わたしの弱さが力になる、というのではない。弱点が利点になるというのでもない。少なくとも、直接的にはそういう意味ではない。

 若松英輔さんはつねに聖書を読む人だ。新約聖書の「コリントの信徒への手紙二12章」にこうある。「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」。

 この文脈で、弱さの中の力とは、キリストから受ける恵みのことであり、キリストの力のことである。

 キリストを信じれば、「揺るぎない」力が得られるのか。そんなことはない。若松さんもこう述べる。「今日いう『安定』は、大地に深く根差すようなそれではなく、小さな舟で海に漕ぎ出したときのような、揺れながらだが、どうにか日々を生きている、そういった意味での安定だ。揺れてよい。むしろ、揺れなくてはならないのかもしれない」(p.17)。

 神を信じる者には、恐れはないのか。そんなことはない。「恐怖を取り除くのはむずかしい。だが、恐怖という荒波の奥にもう一つの『海』を見出すことはできるのかもしれない」(p.19)。

 わたしたちは、今、コロナ渦中で、人生には恐れと揺るぎが伴うことを、あらためて噛みしめている。ちからとは、この二つを無くすものではなく、この二つにもかかわらず、そこを生き抜かせてくれるものだ。

 海の表面は荒波でも、深いところには凪がある。実感は難しくても、予感は許される。荒波に揺れながらも、深海の静寂を思い浮かばせてくれるちから、それが弱さのちからではないか。

 本書には、もうひとつ、若松さんならではの言葉がある。「近くにいる人たちと『さわる』『まじわる』『むれる』のではなく、離れた場所にいる人と人が、『ふれる』『つながる』『つどう』を実現する」(p.126)。

 同じ空間に居合わせ握手はしたが、私はその人に「ふれた」のだろうか。ただ「さわった」だけなのではないか。談笑し名刺は交換したが、その人に「つながった」のだろうか。「まじわった」だけではないか。私たちはそこに「つどった」のだろうか。「むれた」だけではなかったか。

 リアルであろうとテレであろうと、だいじなことは、人格と人格が、ふれあい、つながりあい、つどいあうことだ。コロナ流行の中で、私たちはそれを教えられている。肉体的にはたがいに近くにいなくても、私たちは、手紙や言葉や、あるいは無言によって、近くあることはできる。

 若松さんは「死者」を語ってきた。死は私たちのもっとも弱い姿だ。けれども、そこに働くちからがある。そのちからは、死者とさえ、ふれあい、つながり、つどうことを許してくれる。これは、文学、哲学の話だ。

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candela2

5つ星のうち4.0 今この時に読む本。2020年9月11日に日本でレビュー済み
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コロナウイルスが蔓延して今は第2波が収まってきつつあるが、先の見えない状況に変わりはない。一人一人が今までの生活を変えなければならないし、足が地につかない思いをしている。仮の生活を送っているような気持になることもある。そんな時にこの本を手にして引き込まれるように読みふけった。
 作者が述べているようにこの書物はコロナ禍に置いて書かれたもので、「弱さ」とそれに呼応するいくつかの問題について述べられている。「私たちは強くあるために勇気を振り絞ろうとする。だが残念ながら、そうやって強がろうとしても勇気は湧いてこない。それは自分の弱さと向き合いつつ、大切な人のことを思ったとき、どこからか湧出してくる。」
 自分の弱さを認めそれに向き合うことで恐れとも向き合うことができる。人の弱さも理解できるようになり連帯感が生まれる。ドイツのメルケル首相やニューヨークのクオモ知事の言葉を引用しつつ「弱さ」に可能性を見出していく。
 歴史上疫病や戦乱のなかで人々はどういう叡智を見出してきたかを思うと、それは優れた人たちの言葉によってである。そして先人の言葉や詩などを交えて信仰・愛などを語っていく。

長くなったのでこの辺で止めるが若松さんの本はいつも心の琴線にふれる言葉で満ちている。やさしさにあふれている。私は雑駁な人間なので若松さんの世界をただ仰ぎ見ているばかりなのだが、強がりを捨てて弱い自分を受け入れて隣人にも優しくなれるようになりたいと思う。

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坂田 成優

5つ星のうち5.0 自分のそして、他者の弱さを見つめる。2020年8月15日に日本でレビュー済み
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本作以外にも著者の著作をいくつか購入しています(「君の悲しみがうつくしいからぼくは手紙を書いた」など)が、著者のことばづかいに触れるたびに、どこからか勇気が湧出してきます。「弱さのちから」はコロナ禍でなにもできない状態に陥ってる人はもちろん、誰かの為に必死に頑張る人にも届けたい一冊です。あなたのおかげでみんな助かっているよと周りの人々に声かけしたくなりました。ありがとうございます。


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Ikko

5つ星のうち5.0 何度も読み返したい本2020年9月26日に日本でレビュー済み
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NHKの100分で名著で著者を知り、感銘を受けて初めて本を買いました。本当に心の優しい方です。心が弱ってる時に読むと泣けてきます・・これからの人生で何度も読み返したい本です。

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kwd

5つ星のうち4.0 自分の「弱さ」を受け入れよう2021年5月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
コロナが容赦なく突き付ける様々な「不安」は、いまだ出口が見えず、私たちを苛んでいる。
この苦境を跳ね返すような「強さ」を、誰もが心の中で欲してるのではないか。
だが、未曽有のコロナ危機を前に、小手先の、付け焼刃の「強さ」を振りかざしても、きっと意味をなさないだろう。
私たちはその前に向き合うべきものがある。それが自らの内側にある「弱さ」なのだ。
むしろ「弱さ」を認め、受け入れるところから始めなければならない。
本書は、目に見える世界だけでなく、目に見えない世界をとらえ、「ちから」に変えていく必要を説く。
真の「強さ」とは、「弱さ」を分かち合う中にこそ見出される。
いま、不安の最中にあるならば、まずはその心の在りようを「ことば」でとらえ、認めるところからはじめよう。

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minorun

5つ星のうち5.0 弱さのちから2021年1月19日に日本でレビュー済み
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同じタイトルで鷲田清一がさまざまな人とインタビューをしながらまとめた本があります。この本は人とのインタビューではなく、本との出会いの中で展開していきます。フラジャイルとかヴァルネラビリティという言葉は壊れやすく、傷つき易い、易損品ということを意味しますが、それは同時に貴重品でもあります。自他の壊れやすさを自覚した上で、共生の道を探ることが今求められていると思います。

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函館レディ

5つ星のうち5.0 気力体力が限界を超えている時に弁護してくれる本2022年3月31日に日本でレビュー済み
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まだ全部読んでいませんが、困難な日々を送っている時に励まされたり、叱咤激励をされることは、出来ない自分がいることを自覚してしまい更に辛くなります。この本は、そんな人にそっと寄り添い弁護してくれます。愛のある本です。

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mizutihiro

5つ星のうち4.0 良い商品をありがとうございました。2020年10月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
おもしろくまない内容でした。


상위 리뷰, 대상국가 : 일본
파스토~루
베스트 1000 리뷰어
별 5개 중 5.0 가까이 있지 않더라도 교류, 연결, 끔찍한, 가까이 있음
2020년 8월 10일에 확인함
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 내 약점이 힘이 된다는 것은 아니다. 약점이 이점이 된다는 것도 아니다. 적어도 직접적으로는 그런 의미가 아니다.

 와카마츠 에이스케씨는 항상 성경을 읽는 사람이다. 신약성경의 '고린도 신도에게 편지 212장'에 이렇게 있다. “그러므로 주님은 “나의 은혜는 당신에게 충분하십니다. 에 오히려 매우 기뻐하고 자신의 약점을 자랑합시다.

 이 맥락에서 약점의 힘은 그리스도로부터받는 은혜이며 그리스도의 힘입니다.

 그리스도를 믿으면 '흔들리지 않는' 능력을 얻을 수 있는가. 그런 것은 없다. 와카마츠씨도 이렇게 말한다. 「오늘 말하는 『안정』은, 대지에 깊게 뿌리를 둔 것 같지 않고, 작은 배로 바다에 쏟아져 나왔을 때와 같은, 흔들리면서지만, 어쨌든 나날을 살고 있는, 그런 의미에서의 안정이다. 오히려, 흔들려야 할지도 모른다”(p.17).

 하나님을 믿는 자에게는 두려움은 없는가. 그런 것은 없다. 「공포를 없애는 것은 어렵다. 하지만 공포라는 황파의 안쪽에 또 다른 『바다』를 찾아낼 수 있을지도 모른다」(p.19).

 우리는 지금 코로나 소용돌이 속에서 인생에 두려움과 흔들림이 수반되는 것을 다시 씹고 있다. 치카라는 이 두 가지를 없애는 것이 아니라, 이 두 가지에도 불구하고 거기를 살아나게 해주는 것이다.

 바다의 표면은 거친 파도이지만 깊은 곳에는 함이 있다. 실감은 어려워도 예감은 용서된다. 거친 파도에 흔들리면서도, 심해의 고요함을 떠올리게 해주는 것부터, 그것이 약점의 뒤에서 아닌가.

 본서에는 또 하나, 와카마츠씨만의 말이 있다. "가까이 있는 사람들과 '만지다', '참다는', '뭉치다'가 아니라 멀리 떨어진 곳에 있는 사람과 사람이 '접하는', '연결', '포도'를 실현한다'(p.126).

 같은 공간에 거주하는 악수는 했지만, 나는 그 사람에게 '접했어'일까. 다만 「만들었다」뿐이 아닐까. 담소해 명함은 교환했지만, 그 사람에게 「연결되었다」일까. 「진실했다」만이 아닌가. 우리는 거기에 '죽었다'일까. "찢어진"뿐이 아니었는가.

 리얼이든 텔레라든지, 대단한 것은, 인격과 인격이, 교류, 연결, 어색한 것이다. 코로나 유행 속에서 우리는 그것을 가르치고 있습니다. 육체적으로는 거의 가까이 있지 않아도, 우리는 편지나 말, 혹은 무언으로 가까이 있을 수 있다.

 와카마츠씨는 「죽은 자」를 말해 왔다. 죽음은 우리의 가장 약한 모습이다. 그러나, 거기 일하는 곳에서 있다. 그러면 죽은 자조차도 만남, 연결, 포도를 용서해준다. 이것은 문학, 철학의 이야기다.
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칸델라2
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2020년 9월 11일에 확인함
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코로나바이러스가 만연해 지금은 제2파가 들어가고 있지만, 앞으로 보이지 않는 상황에 변함이 없다. 한사람 한사람이 지금까지의 생활을 바꿔야 하고, 다리가 땅에 닿지 않는 생각을 하고 있다. 임시 생활을 보내고 있는 기분이 되기도 한다. 그럴 때 이 책을 손에 넣고 끌어들이도록 읽었다.
 작가가 말했듯이, 이 책은 코로나 겉에 놓고 쓰여진 것으로, "약점"과 그것에 호응하는 몇 가지 문제에 대해 설명되어 있다. “우리는 강하게 있기 때문에 용기를 짜내려고 한다. 하지만 유감스럽게도, 그렇게 강해지려고 해도 용기는 솟아오지 않는다. 그것은 자신의 약점과 마주하면서 소중한 사람을 생각했을 때 , 어디서나 솟아나온다.”
 자신의 약점을 인정하고 그것을 마주하는 것으로 두려움과 마주할 수 있다. 사람의 약점도 이해할 수 있게 되어 연대감이 태어난다. 독일의 메르켈 총리와 뉴욕의 쿠오모 지사의 말을 인용하면서 '약점'에 가능성을 찾아간다.
 역사상 역병이나 전란 속에서 사람들은 어떤 지혜를 발견해 왔는지를 생각하면, 그것은 뛰어난 사람들의 말에 의한다. 그리고 선인의 말이나 시 등을 섞어 신앙·사랑 등을 말해 간다.

길어졌기 때문에 이 근처에서 멈추지만 와카마츠씨의 책은 언제나 마음의 금선에 접하는 말로 가득하다. 부드러움이 넘치고 있습니다. 나는 잡박한 인간이기 때문에 와카마츠씨의 세계를 단지 들여다보고 있을 뿐이지만, 강함을 버리고 약한 자신을 받아들여 이웃에게도 상냥하게 될 수 있게 되고 싶다.
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사카타 나루유
별 5개 중 5.0 자신의 그리고 다른 사람의 약점을 응시한다.
2020년 8월 15일에 확인함
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본작 이외에도 저자의 저작을 몇개 구입하고 있습니다(「너의 슬픔이 우울하기 때문에 나는 편지를 썼다」등)가, 저자의 말투를 접할 때마다, 어디서든 용기가 솟아나온다 합니다. 「약점 이후」는 코로나 겉으로 아무것도 할 수 없는 상태에 빠져 있는 사람은 물론, 누군가를 위해 필사적으로 노력하는 사람에게도 전달하고 싶은 한권입니다. 여러분 덕분에 모두가 살아가고 주위 사람들에게 말하고 싶어졌습니다. 고마워요.
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잇코
별 5개 중 5.0 여러 번 읽고 싶은 책
2020년 9월 26일에 일본에서 리뷰됨
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NHK의 100분 만에 명저로 저자를 알고 감명을 받아 처음으로 책을 샀습니다. 정말 마음이 부드러운 분입니다. 마음이 약해질 때 읽으면 울어옵니다.
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kwd
별 5개 중 4.0 자신의 '약점'을 받아들이자
2021년 5월 3일에 확인됨
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코로나가 용서 없이 밀어붙이는 다양한 '불안'은 아직 출구가 보이지 않고 우리를 자극하고 있다.
이 곤경을 되돌아 보는 '힘'을 누구나 마음속에서 갖고 싶은 것은 아닐까.
하지만, 미소유의 코로나 위기를 앞두고, 소수끝의, 붙인 칼날의 「힘」을 흔들어도, 반드시 의미를 하지 않을 것이다.
우리는 그 전에 마주해야 할 것이 있습니다. 그것이 스스로 안쪽에 있는 '약점'이다.
오히려 '약점'을 인정하고 받아들이는 곳에서 시작해야 한다.
이 책은 눈에 보이는 세계뿐만 아니라 눈에 보이지 않는 세계를 파악하고 "치카라"로 바꿀 필요를 설명한다.
진정한 '힘'이란 '약점'을 나누는 가운데서만 발견된다.
지금, 불안의 한가운데에 있다면, 우선은 그 마음의 존재를 「말」로 파악해, 인정하는 곳으로부터 시작하자.
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minorun
별 5개 중 5.0 약점 이후
2021년 1월 19일에 확인함
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같은 타이틀로 와시다 키요이치가 다양한 사람과 인터뷰를 하면서 정리한 책이 있습니다. 이 책은 사람과의 인터뷰가 아니라 책과의 만남 속에서 전개해 갑니다. 플라자일이라든지 바르네라빌리티라고 하는 말은 부서지기 쉽고, 상처 입기 쉽고, 이손품이라고 하는 것을 의미합니다만, 그것은 동시에 귀중품이기도 합니다. 자타의 깨지기 쉬움을 자각한 다음, 공생의 길을 찾는 것이 지금 요구되고 있다고 생각합니다.
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하코다테 레이디
별 5개 중 5.0 기력 체력이 한계를 넘을 때 변호해주는 책
2022년 3월 31일에 확인함
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아직 전부 읽고 있지 않지만, 어려운 나날을 보내고 있을 때 격려되거나 질타 격려를 하는 것은, 할 수 없는 자신이 있는 것을 자각해 버려 더욱 괴로워집니다. 이 책은 그런 사람에게 부드럽게 모여 변호해줍니다. 사랑이 있는 책입니다.
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mizutihiro
별 5개 중 4.0 좋은 상품을 주셔서 감사합니다.
2020년 10월 25일에 확인함
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흥미롭지 않은 내용이었습니다.
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