『日本-その問題と発展の諸局面』(16) [2016年06月17日(Fri)]
最近佐藤健志さんの言論を追っている。といっても出版物は手に取っておらず、現時点ではウェッブ上の情報だけである。『笹川良一研究』を書かれた佐藤誠三郎氏のあとがきに同書をご子息の協力を得て書いた、とあったからだ。 佐藤氏の言論の中で東京裁判の事が触れられており、日本に正義はない事が前提になっている事を指摘されていた。 あの大戦で日本に正義はなかったのか?そしてあの大戦に続く、第一次世界大戦、日露戦争、日清戦争、そして日本の開国。「義」のない行動、決断であったのか? まさか! セイギのセの字もなかったのは西洋諸国でしょ! 新渡戸はまさに、日本にあった「正義」を『日本-その問題と発展の諸局面』の中で強調しているのだ。 アレクサンドル三世 日本は古代から朝鮮との関係を維持していた。それは日本の安全保障でもあった。 しかし、朝鮮は中国の勢力に屈し、19世紀の終わりにはロシアの餌食となった。ツァーの代表機関が金を自由に使用し、朝鮮はロシアの手に落ちる寸前だったのである。これは日本にとって積極的脅威でった。日本は中国朝鮮との交渉を重ね、1876年に通商条約を署名。条約は阿片を朝鮮に輸入することを禁じ、1882年イギリスもそれに従った。新渡戸はここまで書いていないが、阿片で成り立っていたイギリスに署名させた意味、即ち阿片で成り立っていたイギリスの貿易経済に日本が示した行動は正義ではなかったのか?と当方は思う。 しかし、朝鮮内の政情は悪化するのみで、中国か日本が指導しなければロシアが入ってくることは明らかだった。1885年天津条約が締結。 日本国民の生命と財産をロシアから守り、阿片の弊害から朝鮮を守った日本に正義はなかったのか? ジョージ・ナザニエル・カーゾン卿 日本国内に武力で朝鮮問題を解決させようという挑発はあったが、日本は忍耐し続けた。 朝鮮の腐敗を新渡戸はイギリスの政治家ジョージ・ナザニエル・カーゾン卿のコメントを引用して説明する。以下孫引きになるがそのまま引用する。 「日本が自由に半島を併合し、それを日本自身の政府機関で日本流に扱っていたとすれば、朝鮮は早晩現在の混沌から脱して新しい秩序を展開していたかもしれない。しかし日本は、自身の言質もあり、また他国に対する恐れもあって、これを行うことができないで来た。狂った小さな舟が、極東の錨地に危なっかしくも碇泊しているたった一本の錨綱を、日本は切ってしまったのだ。そしてその小舟を、舵取りもおらず、舵もないまま、荒れ狂う海上に漂うにまかせてしまったのだ。」(『日本-その問題と発展の諸局面』、新渡戸稲造全集第18巻、2001、138頁) 日本が錨綱を切った朝鮮で起った動乱を鎮めようと「朝鮮は中国の属国である」と宣言し李鴻章が派兵。日清戦争につながる。 李鴻章 イギリス外相も憂う朝鮮問題。日本に正義はなかったのか? 第一次世界大戦前まで一気にまとめようと思いましたが、ここは日本の正義について確認する重要な点なので、やはり丁寧に2、3回に分けて書いて行きます。 |