2016/11/13

やしの実通信 「新渡戸稲造における修養論の位相 : 包摂と排除の視点から」伊藤敏子

やしの実通信

「新渡戸稲造における修養論の位相 : 包摂と排除の視点から」伊藤敏子2015 [2016年07月15日(Fri)]
新渡戸研究、結構あります。
昨年の論文。新渡戸の教養主義とはなんぞや?と気になっていた。
この教養主義が、近衛文麿始め、軍国主義、ファシズムを先導する人材を作っていったように見えるからだ。
下記の論文をサラッと拝読。

「新渡戸稲造における修養論の位相 : 包摂と排除の視点から」
Inazo Nitobe and character development : A Luhmannite analysis
伊藤, 敏子 ITO, Toshiko
三重大学教育学部研究紀要, 自然科学・人文科学・社会科学・教育科学. 2015, 66, p. 325-341.
http://hdl.handle.net/…/bitstream/10076/14460/1/20C17359.pdf
http://miuse.mie-u.ac.jp/bitstream/10076/14460/1/20C17359.pdf


戦後新渡戸が忘れられた存在であったが、5千円札をきっかけに注目されるようになった。
1981年に新渡戸が5千円札に現れる前は年間1、2件の論文が1982年以降増加し1990年以降は年間数十本の論文が出ているという。

伊藤氏の論文に下記の記述を見つけた時は心臓が止まった。ヤッパリ!

「新渡戸が教育者として生きた時代は、ひとつには開国の帰結としての近代化の過程で日本の教育が従来の価値体系の根本的な見直しを迫られた時代であり、いまひとつには世界規模で展開した新教育運動が一世を風靡した時代である。

20世紀への世紀転換期に生起した新教育運動は、今日的な見方からは、改革の観点が教育方法論にとどまり教育目的論や教育内容論に及ばなかったこと、ファシズムの揺籃として機能する側面をもっていたこと、さらに教育の対象として想定されていたのが新中間層(ブルジョア)であり一般的広がりをもたなかったこと(堀松 1987、8頁 参照)、といった時代的限界が指摘されるが、そこで掲げられた理念のなかには今日にいたるまで継承されているものも多い。」(上記論文328頁 下線は当方)

笹川良一氏のご両親が息子の良一氏を進学させなかった理由は、勉強させるとアカになる、と先生かお坊さんに言われたからだったと記憶している。当方の祖母はまさに大正の自由教育(日本初)を受けアカになった、と本人から聞きました。商家のお嬢さんだった栄さんは、自分の家で働く「奉公人」と自分の身分の違いに疑問を持ったらしい。

伊藤氏の論文は新渡戸の修養論と教養論を対比し、エリートとそうでない人々を結ぼうとした新渡戸を、また東西を結ぼうとした新渡戸の試みは裏目に出て、「「忘れられた偉人」という歴史的事実は、架橋の破綻と無関係ではないと思われる。」と結んでいる。


こういった新渡戸を批判しているのが鶴見俊輔らしい。
「国家批判・社会批判の欠如、その帰結としての階層の温存という支配者理論という観点から新渡戸の「修養」を考察した研究者としてはさらに鶴見俊輔があげられる。(中略)鶴見は新渡戸の高等教育論が同時に「支配階級の美化」すなわち「日本の支配階級の道徳観がそのまま被支配階級におこなわれることをよしとする前提」に貫かれるものであったことを糾弾する。」(336頁)

伊藤氏は鶴見をさらに引用し、
「鶴見俊輔は新渡戸の「修養」がキリスト教に基づくものであったことを認めながらも、新渡戸の「修養」がその先に国家主義を措定しており、したがって新渡戸の「修養」は階層に架橋することにつながらなかったと断じる(鶴見 1960、188頁 参照)。新渡戸の多くの弟子は官僚として時代の舵をとるが、これは―鶴見の解釈では―新渡戸の思想が「国家体制の奉仕者のみ」を生み出す「日本の官僚の思想のもっともすぐれた範型の一つ」(鶴見 1960、186頁)として機能したことの証左であり、「青年時代に新渡戸思想で訓練されたものは、年齢と地位の上昇に応じて普遍宗教から現存政府の立場へとアクセントをおきかえて、何の違和感もなしに壮年時代以降には日本国家の体制の中心の位置にすすむことができ」(鶴見 1960、188頁)たということであり、その先には「新渡戸ゆずりのおだやかな趣味をそのままひきつぎながら、穏健な超国家主義、軍国主義、全体主義」(同書、211頁)への道が開けていたとする。」(339頁、下線は当方)



確かに新渡戸には何か今に続くエリート主義が感じられる。同時に私費で夜間学校を開設するなど、社会の弱者への支援活動もある。伊藤氏の文献にある下記の本は読んで見たい。

鶴見俊輔(1960):日本の折衷主義.新渡戸稲造論.〔近代日本思想史講座 3 発想の諸様式 1960 筑摩書房所収 183-222頁〕

筒井清忠(1995):日本型「教養」の運命.歴史社会学的考察.岩波書店