『御文』 の 「あさまし」について
本学助教授 鈴 木 幹 雄
一、蓮如は『御文』の中でしばしば「あさまし」という言葉を用いている。そしてこの言葉は、例えば、 「それ当流親鸞聖人のをしへたまへるところの他カ信心のをもむきといふは、なにのやうもなくわが身はあさましきつみふかき身ぞとおもひて、弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて:::」 三帖八)という文に示されているように、真宗の信心に伴う自我感情をあらわしている。この文が蓮如の信心を語るとともに、真宗門徒の信心の範例を示し、 『御文』に培われた門徒の信心をもあらわすとすれば、
わが身をあさましと思うことは真宗の信心に伴う基本的な宗教感情である、と考えられる。勿論、あさましきわが身という思いは悪人・几夫としての自覚を含み、その自覚に由来する感懐であるが、わが身に対するあざましという感情は同時に信心によって内的に規定された信徒の、自己及び世界に対する一定の態度をあら
わしている。それ故、 『御文』のあさましを真宗の信心に固有なエートスとみなすことができるのではないか。
一「しかし、真宗の信心に伴う宗教感情としては、 一般に悲しみの感情が注目されている。親鸞は『教行信証』信巻で「まことにしんぬ。かなしきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して定聚のかずにいることをよろこばず、真証の証にちかづくことをたのしまざることを、はづべし、いたむべし」 と述懐しているが、このかなしきかな愚禿鸞という歎きは、親鸞個人の特殊偶然の感懐ではなく、彼において深められ確立された真宗の信むにかならず伴う感情であろう。なぜなら、かなしという感情は、 「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」という言葉で表現される、自己の無力の体験、自
己の存在の価値が失われているという体験に由来し、 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり」という孤絶の意識を含んでいる。だから、かなしという感情をひき起した内的体験こそ他カ信心への捨身の跳躍を可能にしている。このように真宗の信心とかなしみの感情との本質的なつながりを認めるならば、 『御文』のあさましという感情は真宗の信心一般の、ではなく蓮如の信心の基本感情とみなさなくてはなら
三、 おそらく『御文』のあさましきわが身とい った表現は親鸞
の「この身こそあさましき不浄造悪の身」 (末灯抄)などの言葉に由来するかも知れないが、信心に伴う基本感情としては、親鸞のかなしに対応するのが蓮如のあさましであると推定される。例えば、 親鸞の 「かなしきかな愚禿鸞、 :はづべし、 いたむべし」と蓮如の「しかあれどもあながちに病患をよろこぶこころさ
らにもておこらず、あさましき身なり、はづべし、かなしむべきものか」 (四帖十一一l) とを、また、 『歎異抄』の伝える「うみかはにあみをひき、 つりをして世をわたるものも、野山にししをかり鳥をとりていのちをつぐともがらも、あきなひをもし田畠をつくりてすぐる人もただ同しことなり」という親鶯の言葉と『御文』の「ただあきないをもし、奉公をもせよ、かかるあさましき罪業にのみ朝夕まどひぬるわれらごときのいたづらものを:
帖Ill)という蓮如の言葉とを比較してみれば、両者の呼応関係ないし同一性を認めればそれだけいっそう、 蓮如の言葉における「あさまし」という言葉が注意をひくてあろう。そこには親驚から蓮如へ一種の感情の転調がみられるのてある。
四、 だが、このような感情の転調があったとしても、かなしと
あさましに本質的な差異がないならば問題はない。この点を吟味するためには、親鸞と蓮如の信心の同一性から出発して蓮如のあさましという感情の内実を把握するのでなしに、むしろ経験的な立場からあさましという感情の本質を反省しなくてはならないだろう。
五、 今日、あさましという言葉は嫌悪と軽蔑の気持をあらわしているが、古代においてはむしろ驚きあきれる気持をあらわして
いた。この意味の変化は古代末期から室町期にかけておこっているようであるが、 いま問題なのはそのような意味の変化を可能にしたあさましの本質構造である。それを一言でいえば、あさまし
は対象との距たりの意識である。驚きは対象の意外さに跳ね返された意識の状態てあり、軽蔑は対象を異質なものとして拒絶する意識である。いずれにせよ主体と対象との間の距離が意識されるとき、あさましとい、つ感情が生じる。
それ故、自己をあさましと思うときには、あさましき自己は対象化され、自我が分裂し、あさましと感する主体は現実の対象化された自己を拒むことによって主体自身を肯定し主張しているといえる。従って、わが身をあさましと思う主体は自己を対象化する倫理的主体ではあっても、自己を否定して自力から他力へと向 っ宗教的主体ではないといえよう。もしそうなら、そして悲しみこそ真宗の信心の基本感情であるとするなら、あさましを真宗の信心に伴う基本感情とみなすことはできないであろう。
六、 では真宗の信心において蓮如のあさましという感情は無視
すべきであろうか。それはさしあたり教学上の問題であるが、思想史的な事実問題として、御文を書く蓮如から御文を読む門徒へ注意を向けると、 『御文』のあさましという言葉は本願寺教団に結集した民衆の意識を適切に表現しており、あさましは真宗門徒の信心においては事実上無視できない、と考えてみる余地はあるだろう。中世室町期の民衆は社会的存在を獲得するにつれて高貴なものに対立する卑賤のものとして歴史に登場してくる。 この登場に際して民衆はまずその社会の伝統的価値を共有する、従0てその支配的価値規準に基づいて自己を下賤のものとして規定し、
精神的に自己を対象化し拒むのてある。中世の民衆における存在行 と意識の分裂は、本願寺法主という古い権威を讃仰しながらくり
かえし一揆争乱において自己の存在を主張していった門徒の、歴史的活動の中にも推定できる。そして『御文』のあさましという
言葉が民衆の屈折した意識に表現を与え、それを解き放ち、感情的連帯を生みだすことによって、蓮如は期せずして一つの歴史的生成の胚種となりえたのではないだろうか。
七、もしそう考えてよければ、蓮如は親鳶の信仰に帰ることによって本願寺教団を確立しえた、逆に蓮如のその歴史的成功は彼が親鸞の信仰に正しく帰りえたしるしである、という楽観的な歴史哲学も再考を促がされることになり、信仰と歴史についての反省が再開を余儀なくされることになるのではないか。
(一九七八・一
『愚禿鈔』 の撰述意趣
本学専任講師 江 上 浄 信
『愚禿鈔』は宗祖の真蹟本は伝わらないが、永仁元年に顕智が書写したものが最も古く、現に高田専修寺に所蔵せられている。ついで存覚書写本(京都常楽寺蔵)、覚如書写本の転写本(暦応四年本系・新潟浄興寺蔵、正応二年本系・愛知西方寺等蔵)等が伝えられおり、 これらは現在最も信憑すべき古写本てある。 これら古写本の系統や形態については、それぞれ異るものがあっても、諸本の奥書には「建長七歳(年)乙卯八月廿七日書之 愚禿親鸞「 」と記載されている。但しそこに顕智書写本、覚如(暦応四年)書写本の転写本には上巻のみに、存覚書写本には上・下巻共に、覚如(正応二年)書写本の転写本には下巻のみに日付を載せている