Spirituality, Mind-Body, Gender, Ecology, Ageing, Peace, Scrapbook (in English and Korean)
井筒俊彦氏の『意識と本質』>「言語的コミュニケーションの難問…は、言語の伝達機能に不相応な重点が置かれるところに起因する。…言語については意味分節的機能にこそ第一の重点が…」…伝達と意味分節の違いとは、いわば”静”と”静と動”の違い… https://note.com/way_finding/n/n950f534279bc
井筒俊彦氏の『意識と本質』p.117 無分節者の不断の自己分節の仕方は「限りなく自由」そして「人間が人間特有の感覚器官の構造と、コトバの文化的制約性とに束縛されながら行う存在分節は、無限に可能な分節様式の中の一つであるに過ぎない。それがいかに狭隘な一方向的なものであるか」φ(..
井筒俊彦氏の『意識と本質』冒頭の一節>「表層意識にも逃げ道はある。他の一切の普通の対象のように、無分節の「存在」を概念化して、一つの対象として取り扱うことだ」>この「逃げ道」に走ることなく無分節に溶けつつそこから再生するの術を知っているのが「深層」意識を鍛え抜いた者であるという。
井筒俊彦『意識と本質』メモ。 "本質"が発生してくるところ(空(仮))をどう意味づけるか。 「一者が内在する自己分節的性向に促されて積極的に分節展開する」存在一性論。「絶対一者があたかも多者であるかのように見える」不二一元論。本質なき分節の大乗仏教。積極/消極と有/無の二重分節。
前に書いた記事をリライトしてみました。 "言葉は「意味の伝達」の道具ではない ー安藤礼二著『迷宮と宇宙』を読む" https://note.com/way_finding/n/n84173fa44646 井筒俊彦氏の『意識と本質』も、改めて精読してみたいところ。