人智学
人智学(じんちがく)とは、ギリシア語で人間を意味する ἄνθρωπος (anthropos, アントローポス)と、叡智あるいは知恵を意味する σοφία (sophia, ソピアー)の合成語、すなわち逐語的には「人間の叡智」を意味する ドイツ語: Anthroposophie の日本訳語である。ドイツ語音からアントロポゾフィーと音訳される[* 1]。
19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツ語圏を中心とするヨーロッパで活躍した哲学者・神秘思想家のルドルフ・シュタイナー(1861年-1925年)が自身の思想を指して使った言葉として有名であるが、この言葉自体は初期近代(近世)にすでに使用されている。[要出典]
人智学という言葉を使用したドイツ語圏の哲学者イマヌエル・ヘルマン・フィヒテとイグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラーは、人間には超感覚的存在としての側面があるという考え方を提示したが、同じく人智学という用語を用いたシュタイナーの思想もその流れを受け継いでいると高橋巖は指摘している[1]。
語源
人智学(アントロポゾフィー)という言葉は、ギリシア語で人間を示す ανθρωπος (anthropos アントローポス)と叡智あるいは知恵を示す σοφια(sophia ソピアー)を合成したものである。シュタイナー思想を指す言葉として広く知られるが、シュタイナーの造語ではなく、初期近代の文献にもその使用が確認されている。それ以降はイグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラー(Ignaz Paul Vitalis Troxler, 1780年-1866年)や、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテの息子であり、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの弟子(右派)であるイマヌエル・ヘルマン・フィヒテにおいてもこの言葉の使用が認められる。
シュタイナー以前の歴史
16世紀
人智学(Anthroposophie, アントロポゾフィー)という言葉は、初期近代の時点ですでに使用されていることが確認されている。ルネサンス・プラトン主義者で秘教学者として有名なドイツのハインリヒ・コルネリウス・アグリッパに端を発するとみなされている、著作者不明の魔術書『アルバテル - 古人の魔術について : 至高の叡智の研究』(Arbatel de magia veterum, summum sapientiae studium, 1575)は、神智学 (Theosophia) と人智学 (Antroposophia〔ママ〕) を「善良なる知識」に分類し、後者には「自然の事象の知識」(Scientia rerum naturalium) と「人間の事象の洞察」(Prudentia rerum humanarum) が該当するとしている[2]。
イグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラー
19世紀初頭には、スイスの医師であり哲学者でもあるイグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラー(1780年-1866年)が「人智学」という概念を用い、それを著作『生智学の要素』(1806年)にて生智学(独: Biosophie, ビオゾフィー)〔βίος/bios:生命 + σοφία/sophia:叡智〕に分類した。生命哲学の、そしてまた何よりもトロクスラーに学んだ自然哲学者シェリングの先駆者という意味において、生智学は「自己認識を通して得る本性認識」を意味している。トロクスラーは人間本性に関する認識のことを人智学と呼んだ。かれに従えば、全ての哲学は人智学にならなければならず、また、全ての哲学は同時に本性認識でなければならない。それは「本来的な人間」に基づいた「客観化された人間学」(objektivierte Anthropologie) と考えられた。必然的に神と世界は、人間本性において神秘的過程を通して統一されるのである。
イマヌエル・ヘルマン・フィヒテ
かの有名なヨハン・ゴットリープ・フィヒテの息子であり、またゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの弟子(右派)でもあるイマヌエル・ヘルマン・フィヒテも、この概念を使用している。かれは著書『人間学 人間の魂に関する学問』(1856年)のなかで、人智学とは「精神が行う委曲を尽くした承認のみ」における「人間の根本的自己認識」であるとした。「神的な精神の居合わせあるいは実証を、自らの内側に向けることのみ」以外の方法で、「人間の精神」はしかしそれを真に根本的にあるいは徹底的に認識することはできないとした。
ギデオン・シュピッカー
宗教哲学者であるドイツのギデオン・シュピッカー(1840年-1912年)は「宗教に、哲学的形式をもって自然科学的な基礎を与える」ことに心血を注ぎ、信仰と知識あるいは宗教と自然科学の葛藤を、自らの人生と思考の根本問題であるとみなした。かれは「最も高貴な自己認識」という意味において人智学の要綱を以下のように表現した。
シュピッカーの理想は、理性と経験の適用下における自己責任に基づいた認識として、宗教の中での神と世界の統一を包括するものであった。
ロベルト・ツィンマーマン
オーストリアの哲学者でありヘルバルト主義者でもあるロベルト・ツィンマーマン(1824年-98年)は、いわゆる「哲学序論」の創始者でもある。かれは1882年の自らの著作において「人智学」という言葉を選んだ(『人智学概論 実念論的基礎に基づいた観念論的世界解釈体系のための草稿』、1882年)。その哲学講義を若かりし日にルドルフ・シュタイナーも聴講したことがあるというツィンマーマンは、「通俗的な体験の見地が担う制約と矛盾」を自らの体系において克服するために「人間知の哲学」を構築しようとした。それは経験の科学に端を発するものであるが、同時に論理的思考が必要とされる場合、それを超越するものでもあった。
ルドルフ・シュタイナー
1880年代中盤からゲーテ研究家ならびに哲学者として活躍していたルドルフ・シュタイナーは、1900年代に入った頃からその方向性を一転させ、神秘的な事柄について公に語るようになった。その年の秋にベルリンの神智学文庫での講義を依頼され、シュタイナーはこれに応じる。1902年1月には正式に神智学協会の会員となり、ドイツを中心にヨーロッパ各地で講義などの精力的な活動を繰り広げる。1912年、アニー・ベサントらを中心とする神智学協会幹部との方向性の違いから同会を脱退、同年12月に当時の神智学協会ドイツ支部の会員ほぼ全員を引き連れてケルンにて人智学協会(Anthroposophische Gesellschaft, アントロポゾフィー協会)を設立する(設立年月を1913年2月とする場合もある[3]:225)。
それまで神智学と呼んでいた自身の思想をシュタイナーがどの時点で人智学(アントロポゾフィー)と呼ぶようになったかは不明であるが、1916年にツィンマーマンからの影響に関して以下のように述べている。
思想
シュタイナーは、第一次世界大戦後のドイツの破滅的な状況のなかで、近代の諸問題を克服する思想・実践を模索した。近代の物質主義を忌避しており[4]、人間の意識は進化すること、人間は意識の進化の基礎となる霊的な現実を直接知覚することが可能であること、また、文化活動・経済活動・政治活動を通して社会を発展させることができると信じた[4]。様々な思想や当時の科学的知見を取り入れて自らの思想を構築し、その思想を当初は「神智学」、のちに人智学と呼んだ。人間の内なる霊性の認識と訓育、さらには近代社会の諸問題を乗り越えた新たなる調和に至る社会構想を説いた[5]。神智学協会との決裂後、人智学協会を設立した。インド・イラン学研究者の岡田明憲は、シュタイナーの人智学は、ヨーロッパを超えようとした神智学協会の神智学から出発しており、その内容は、科学を自称しながらも信仰・宗教であった神智学を、学問・哲学の域に高めたもので、「理性的に洗練した神智学」といった色が濃いと述べている[6]。
ミドルセックス大学のピーター・ワシントンは、人智学についてこう解説している。
人間の存在とは感覚的な存在と感覚を超越した世界が統合されている存在で、この点で人間は動物や天使と違っている。感覚を超越した領域には客観的な実体があり、現象世界も同様である。人智学はその二つの間の人間の位置を研究する学問である。これは絶対に我々が持つことのできない神々の知恵ではなく、人間の慎ましい知恵であり、むしろ人間についての知恵というべきものである[7]。
シュタイナーの認識論は広義には直観を認識の基本とする直観主義と理解されており、シュタイナーの霊的な直観を認識の基本とする。衞藤吉則は、人智学は「理論的にも実践的にも究極的には<所与の絶対確実な知識>を依り所として理論づけられている」と述べている[8]。人智学は、シュタイナーの超感覚的観照(霊感)によって得られたという知識・法則が絶対の基準としてあり、これは本質的なものであるとされ、検証は全く必要とされない[8]。実践は、この知識・法則の適用あるいは現実化の技術である[8]。シュタイナーが設立した人智学協会は、彼の思想や著作を求道の指針としており、新宗教に近い性格を持つ[9]。
ドイツ哲学研究者の三島憲一の説明によると、ゲーテの自然科学論の影響下でシュタイナーが展開したのは、当時さまざまに模索されていた総合知のひとつのかたちであり、その背景には新プラトン主義、ドイツ神秘主義、ヨーロッパの古典的な自然科学があった[5]。グノーシス主義等を研究する宗教学者大田俊寛の指摘するところでは、シュタイナーは近代神智学の創始者ヘレナ・P・ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』における霊性進化論(人間は転生を繰り返して霊的に進化するという思想)[* 2]を承けて、これを独自の明晰な体系に再構築しようとした[11]:68。シュタイナーはブラヴァツキーによる、聖なる数字とされてきた7を用いたオカルト進化論の単位とも言える「周期(ラウンド)」という図式を、ブラヴァツキー以上に自身の思想に徹底的に組み入れて重視した[11]:68。地球・人種・文明・人間は進化のプロセスが7段階あるとされ、それぞれ密接に関係しあっていると考えた[11]。ただし、インド思想を重視した神智学協会にとってキリスト教は数ある宗教の一つでしかなかったが[12]、シュタイナーは西洋思想とキリスト教的霊性を重視し、特異なキリスト論[* 3]を自らの思想の中軸に据えた[4]。大田は、神智学の周期説のほかに、マクロコスモスとミクロコスモス(宇宙と人間)の照応という西洋の伝統的な秘教・自然魔術の観念や、ドイツの生物学者・哲学者エルンスト・ヘッケルの有機体進化論における「個体発生は系統発生を繰り返す」という「反復説」という生命観が折衷・融合されていると指摘している[11]:68。
人智学の思想的一面をシュタイナーは「精神科学 / 心霊科学 / 霊学」(Geisteswissenschaft[* 4])と呼んだ。[要出典](以下便宜的に「精神科学」で統一。)
シュタイナーの著作に「人智学」を冠するものはなく[* 5]、その著作において一貫して「人智学とは〜である」といった固定的な表現には否定的であった。シュタイナーの最盛期は最晩年であるとも言われるが、その時期の1924年2月17日に人智学に関する発言が(文書にて)なされた。[要出典]それが以下のものである。
人智学は認識の道であり、それは人間存在(本性)の霊的なものを、森羅万象の霊的なものへ導こうとするものである。— 『人智学指導原則』第一条より抜粋
シュタイナーの弟子たちに彼と同等な見霊能力やカリスマ性を持つものは現れず、シュタイナーが死去すると信奉者たちはシュタイナーの直観を新たに得ることはできなくなった。しかし、彼の影響は死後も続き、人智学協会と協会内にある霊的分野の研究団体「霊学のための自由大学」はその教えを広め続けた[4]。
人間論・霊的進化論
人間の本質に関する研究を行った。通常の人間が、人間において目という感覚器官を通して知覚することができる存在を、肉体(物質的身体 der physische Leib)と名付け、それを「人間の一肢体(部分、構成要素 Glied)」として位置づけ、それよりさらに「高次の」構成要素は超感覚的であり、通常の人間はそれを知覚することができないとする。精神科学はそれらの超感覚的「肢体」(精妙な体)を、肉体の上にさらに六ないしは八つ認め、それら全てを「全体としての人間 der ganze Mensch」とする。[要出典]地球の7つの周期に住む人間は、その周期に関連しながら物質と霊の粗雑な混合物から精妙な存在へと、肉体・エーテル体・アストラル体・自我・霊我・生命霊・霊人という7段階の進化を遂げ、現在ははっきりした自意識を獲得した自我の段階であるとされた[14]。
人生論・転生論
人間の人生を支配している法則についての研究を行った。死後の生活に関する記述や、再受肉(転生、生まれ変わり)Reinkarnation の思想を説いた。霊的進化を伴う転生思想は、神智学から受け継ぎ発展させたものである。シュタイナーの超感覚的観照・生来の霊能力による霊視に基づくとされている。
宇宙論
現在の地球、あるいは宇宙が生成した過程に関する研究を行った。人間と同様、地球もまた再受肉する存在であるとみなし、現在の地球のいわば「前世」に関する描写がなされる。地球は7つの曜日に倣って、土曜期・太陽期・月期・地球期・木星期・金星期・ヴァルカン期の7つの段階を経て進化するとされ、現在は地球期であるとされた[14]。秘教的宇宙論は、神智学から受け継ぎ発展させたものである。シュタイナーの超感覚的観照・生来の霊能力による霊視に基づくとされている。
修行論
通常の人間には、シュタイナーが持っていると主張したような超感覚的認識・見霊能力はない。人智学が一つの学問になるためには、全ての人が彼の言う超感覚的認識を持つ必要があるが、シュタイナーはそれが誰にでも獲得できる能力であると考え、霊的な教師のための精神教育の確立を重視し、人智学の方法に従った修行、特にその「瞑想」と「集中」の行を毎日15分間行いさえすれば、自然と見霊能力が発現すると主張した[15][7]。この点によって、シュタイナーは従来の神秘主義と一線を画している[15]。
修行の道には七つの発達段階があるとされた。[要出典]
歴史観
シュタイナーの7つの人種に基づく根源人種という考えは、ブラヴァツキーによる神智学のテキスト『シークレット・ドクトリン』第2巻のものとほぼ同じである[16]。北極付近の不滅の聖地に生まれたアストラル体の第一根源人種、エーテル体の第二根源人種ハイパーボリア人、物質的身体を持った第三根源人種レムリア人、アトランティス大陸で文明を発達させた第四根源人種アトランティス人、大洪水を逃れたアトランティス王国の聖人たちの導きで誕生した第五根源人種アーリア人、アメリカ大陸で生まれ物質的身体の軛から脱してく第六根源人種パーターラ人、地球における人類進化の最終段階である第七根源人種の7段階があり[17]、現在の支配人種は第5根源人種アーリア人であるとされた[16]。
人種論・文化論
文化論はヘーゲルの進歩主義的な歴史哲学からの影響が見られ、歴史上の主な文化は「アーリア的」とされた文化に限定されており、インド文化、エジプト・カルデア文化、ギリシャ・ラテン文化を経て、現代は5段階目のゲルマン文化[* 6]であるとされた[16]。アーリアン学説は、ブラヴァツキーより詳しく具体的に取り入れられている[16]。
各民族の集合的無意識ともいえる「民族魂」「民族精神」があり、国家を導き、文化を発展させるとしている[16]。民族魂は天が遣わした大天使や神々として現れるという[18][19]。
国家論
シュタイナーは大戦前のヨーロッパについて、国家の運命は宇宙の計画の一部としてあらかじめ定まっており、各国には世界進化のための果たすべき役割があると考えていた。中でもドイツ人が世界進化における最も高度な点に関わっていると述べるなど、ゲルマン民族の文化の優越性を説き、ドイツ人は精神面で果たすべき使命があると主張していた[18]。
人類の敵
シュタイナーは、現在の第五文化期に、人類はゲルマンの神々の導きで新たな霊性を得ると考えたが、キリストという神的存在に導かれる霊的な進化と、ルシファーやアーリマンという悪霊によって導かれる堕落の道との分岐点でもあるとしている[16]。
ルシファー、アーリマンは、神智学の「グレート・ホワイト・ブラザーフッド・オブ・マスターズ(大いなる白き同胞団)」と闘争を続ける悪霊「ロード・オブ・ダーク・フェイス(黒い顔の主)」という漠然とした概念を明確に定義づけしたもので、人類の主な敵である[20]。1914年に第一次世界大戦が起こると、シュタイナーは戦争を起こしたのはダーク・フォースだと主張した[18]。
ルシファーは傲慢の霊で、「人間の中のあらゆる熱狂的な力や、あらゆる神秘主義的な力を呼び起こす能力を備えた存在」であり、人間は努力すれば人間の限界を超え霊的能力を持てるという身の程知らずな考えに陥らせる霊である[20][21]。幻想的な力を使い、第三根源人種レムリア人が性的逸脱によって堕落するよう影響を及ぼしたという[21]。アフリマンは物質主義の霊で、「人間を唯物論という迷信へと導き、無味乾燥で散文的で俗物的な存在にする力を持つ」という[21]。現代科学・技術の最高神であり、人類に精神と五感の領域だけを信じ、霊的な面を拒むように仕向けるとされた[20]。ただし、歴史を長い目で見れば、ルシファーとアーリマンの力は文化の多様性や人間精神の自律性をもたらすという面もある[22]。アーリマンの影響が最も大きいのは自然科学の諸分野で、全てが数字に還元されるため、人々は徐々に世界は物質でできた機械のようなものだと感じるようになっていくとしている[23]。ダーウィンの進化論も、アーリマンの影響でできたものだという[23]。また、アーリマンは経済にも大きな力を発揮するとしており、その影響で科学的・経済的に繁栄し、物質的欲望が満たされた生活を享受するようになると、霊的な進化は止まり、文化は崩壊すると考えた[24]。ルシファーとアーリマンの力の間で均衡を保つため、本質的に太陽神であるキリストという霊格が必要とされるのだという[21]。シュタイナーは人々に、キリストの受肉の意味を理解し、人類を堕落させるために悪霊が張り巡らせた罠に備え、霊的進化の道を進むよう求めた[24]。
著作
初期の『輪廻』、『どのようにカルマは作用するか』、『神智学:世界についての超感覚的知識と人類の目的への序文』(1904年)、『アトランティス、レムリアそしてオカルト科学:その概要』などの著作には神智学団体への関心が見受けられる[4]。
人智学の思想的側面は『自由の哲学』(1894年)、『神智学:世界についての超感覚的知識と人類の目的への序文』、『いかにして人は高い世を知るにいたるか』(1904/05年)、『神秘学概論』(1910年)の四著書に集約されるという意見もある。人智学の信奉者はしばしばこれらを「四大主著」などと呼び、シュタイナーの著作のうちで最も重要視する。[要出典]
発展
学問、芸術、社会実践の発展を含めたを人智学、人智学運動と呼ぶ。あるいはそれらは、人智学の成長の三段階であるとも言える(そのことはシュタイナー自身も述べている)。シュタイナー自身「人智学は学問として出発し、芸術を通してその命を吹き込まれる」と述べており、そしてそれは社会実践という最も実用的で世俗的な結論に至る。
芸術運動
学問としての人智学は、1910年の『神秘学概論』の出版によってその頂点を迎えた。確かに、これ以降もシュタイナーは精神科学の研究を続け新しい研究結果を発表したが、それは常に専門分野に関するもので、思想としての全体像を補う「部分」であった。
芸術運動としての人智学運動の最初の胎動は、その学問的隆盛以前の1907年にすでに見出される。この年の聖霊降臨祭に開催されたミュンヘン会議においてシュタイナーは、インテリア設計において自らの思想(不可視なもの)を芸術を通して可視的な空間に表現することを試みた(ただし、当時かれはプラトン的芸術解釈を否定していた)。そして、この試みは徐々に発展し、人智学芸術運動の象徴的な存在である「ヨハネス建築」の設計に至る。ミュンヘンでのヨハネス建築の計画は当局の建設許可が下りなかったために頓挫したが、スイスのバーゼル近郊都市ドルナッハの土地を篤志家から提供され、1913年9月に建設が始まる。1918年以降は「ゲーテアヌム」と呼ばれるこの木造建築は、1922年の大晦日に未完成のままで放火にあい消失した。同一の場所には、それまでとは全く異なる外観のコンクリート建築が建てられ、それは1923年末に新たに創立された「普遍アントロポゾフィー協会」(Allgemeine Anthroposophische Gesellschaft, 一般人智学協会)の本部となった。一般的に、この現存する建築物は第二ゲーテアヌムと呼ばれ、消失した木造建築は第一ゲーテアヌムと呼ばれる。
1908年頃にはオイリュトミーという全く新しい運動芸術・舞踏芸術がシュタイナーによって始められる。これは日本で最も有名な「シュタイナー芸術」である。オイリュトミーはシュタイナーが死去する1925年まで長い年月をかけて徐々に発展し、最終的には治療オイリュトミーという形で医療の現場にも用いられるようになる。特にドイツでは、治療オイリュトミーによる医療行為に対しても保険が適用されるほど一般に認知されている。
1910年から1913年までの四年間、シュタイナーは毎年夏に戯曲『神秘劇』を新たに書き下ろし、それはミュンヘンで上演された。その内容は主人公であるヨハネス・トマジウス(上記の「ヨハネス建築」はかれの名前に由来)をはじめとする、近代的な人間の精神的成長の過程を描いたものである。シュタイナーは人間の成長を、芸術を通して「具体的に」描こうと試みたのである。1912年に上演された神秘劇第三部の中では、上記のオイリュトミーが初めて上演されたので、この年は本来の芸術としての「オイリュトミー誕生の年」であると認知されている。
社会実践
神秘劇は本来、7部または12部構成の予定であったが、第一次世界大戦の影響によってその劇作活動は中断を余儀なくされた。第一次世界大戦の惨状の後、1918年頃からシュタイナーは社会組織の三構成運動に心血を注ぐようになるが、これは翌1919年に破綻する。ドイツ共産党やナチ党は、社会三層化論を通じて国民国家の枠を超えた人々の活動についての展望を語ったシュタイナーを敵視し、かれの活動はナチ党員による妨害を受けた[3]:236。それに続くようにヴァルドルフ教育(シュタイナー教育)運動が始まり、同年9月には最初の学校、自由ヴァルドルフ学校シュトゥットガルトが設立される。ヴァルドルフ教育運動は、日本で最も有名な人智学の社会実践である。
人智学の社会実践として、このヴァルドルフ教育運動を皮切りに医療・農業・養護教育・自然科学と様々な職業分野が改新された。現在ではそれに伴う施設は全世界で10,000箇所を超える[25]。
ちょうどこの時期にシュタイナーは宗教運動の改新にも助力し、キリスト者共同体の設立にも大きな力を発揮した。これは一般的に人智学の社会実践の一環とみなされる。
現代での復活・展開
環境問題が切迫した課題になった現代では、多くのスピリチュアルな組織や指導者が、精神的な課題として環境保護に注目するようになった[26]。シュタイナーは環境問題に関心を持っており、その思想の中心はエコロジーと宗教が占めていたため、現代の時流とうまくマッチした[26]。また、神秘思想としては珍しく、教育、農業、治療といった実用的・世俗的な実践のノウハウを確立させていたため(神智学と大きく異なる点である)、シュタイナーの思想は現代で復活した[26]。シュタイナーの遺したさまざまな構想は、特にドイツ語圏の国々で、小規模とはいえ存在感をもって実践され続けている[4]。
現代の人智学協会の活動はさほど活発とも言えないが(主要メンバーは年配者である)、時代に乗って環境運動を成功させ、有機農業のバイオダイナミック農法・伝統事業といった生態環境的観点に適う企画に低利率で資金を貸し付けるGLS銀行(Gemeinschaft für Leihen und Schenken:貸与と贈与のための共同銀行)などの社会的銀行を設立し、人智学運動は教育(シュタイナー教育)、治療および医療(人智医学)まで手を広げた[26]。現代の人智学協会の影響は活動の規模よりもかなり大きく、多くの宗教団体が人智学運動の方向性に追従している[26]。
批評・批判
三島憲一によると、1920年代、ドイツの文芸批評家・哲学者ヴァルター・ベンヤミンはシュタイナーについて「前近代への願望でしかない」(三島 2002 : 596)として軽侮の意を示したという[5]。
岡田明憲は、シュタイナーはヨーロッパの伝統(と称するもの)、特に薔薇十字の錬金術的伝統に執着しており、彼の人智学が薔薇十字の伝統を継承したか否かは置いておいても、その思想は理性を尊重するヨーロッパ近代に特有な神秘主義であり、中世の神秘主義の伝統を再興したと評価することはできないと述べている[6]。岡田明憲は、シュタイナーもまた、近代ヨーロッパ文化を否定し、その超克を目指した神秘主義者の一人であるが、彼の人智学は近代ヨーロッパ文化の産物である「自己意識」によるものであり、ヨーロッパ近代文化に留まるとしている[6]。
大田俊寛は、シュタイナーの思想はブラヴァツキーらの神智学と同様に、マックス・ミュラーらによる当時のアーリアン学説の影響を受け、アーリア人中心史観や優越論の傾向があることを指摘している。ただし、ブラヴァツキーやシュタイナーは、現今の支配的人類をアーリア人と呼んでいるが、人類の霊的進化は途上であり、のちに新しいより優れた人種が現れると考えており、アーリア人種至上主義とは言えないと述べている[11]:82。
ピーター・ワシントンは、ゲルマン民族の文化的優位性を説き、霊的な敵による陰謀を主張したシュタイナーの論について、「戦後、人智主義者がシュタイナー擁護論をいろいろ出したが、大戦前のヨーロッパ政治について彼が書いたものは、先に述べたような常軌を逸した考えを多少穏やかに改変したものにすぎない。(中略)彼がゲルマン文化の熱烈な擁護者なのか、むき出しの愛国主義者なのかを区別するのは難しい」と述べている[18]。
The Skeptics Society(懐疑派協会)の創設者でサイエンスライターのマイケル・シャーマーなどの現代の批評家は、人智学の生物学、医学、農業などを偽科学と批判している[27][28]。
日本の人智学運動組織
日本におけるシュタイナー研究の第一人者である高橋巖は、1985年に日本人智学協会を設立した。この団体は、スイスのドルナッハにあるゲーテアヌムを本部とする「普遍アントロポゾフィー協会」(一般人智学協会)の日本における邦域協会ではなかった。1986年2月のゲーテアヌム理事会において、同協会は日本ルドルフ・シュタイナー・ハウス(1982年に上松佑二が設立)とともに、邦域協会の前段階とみなされた。1989年に日本ルドルフ・シュタイナー・ハウスは日本アントロポゾフィー協会ルドルフ・シュタイナー・ハウスに改名し、以後二つの協会が併存するようになる。1993年ヨハネ支部が設立され、1994年以降の数年間にわたる邦域協会設立準備会と1999年3月のゲーテアヌム理事会を経て、2000年5月に上松佑二を中心とするメンバーによって、日本アントロポゾフィー協会が、普遍アントロポゾフィー協会の正式な日本の邦域協会として設立された。また、現在(2013年)では普遍アントロポゾフィー協会の日本支部として、「NPO法人日本アントロポゾフィー協会」と「一般社団法人普遍アントロポゾフィー協会 - 邦域協会日本」の二つの協会、および四国アントロポゾフィークライスが存在している。
脚注
注釈
- ^ 標準ドイツ語音では /antʁopozoˈfiː/ となる。
- ^ 神智学の転生論はアラン・カルデックが創始したフランスの心霊主義運動(スピリティスム)から借用したものである。そのカルデックの転生論も、社会的不平等を説明しようとした19世紀の社会主義者シャルル・フーリエ、ピエール・ルルーなどからの借用であり、その社会主義者たちの理論も、18世紀後半に生まれたニコラ・ド・コンドルセやジャック・テュルゴーなどの「進歩」の概念に拠っている[10]:181。
- ^ 小杉英了の論じるところでは、シュタイナーの思想には聖霊の恩寵を受けた教会を通じてのみ人は霊的なものに与れるとする正統派のドグマが抑圧してきた、ヨーロッパの隠れた霊性を人々に開示しようとする面があった[13]。
- ^ 高橋巖はこれを「霊学」、白幡節子・門田俊夫は「心霊科学」と翻訳している。
- ^ シュタイナー遺稿管理局から全集45番として『人智学』という著作が出版されているが、それは『神秘学概論』と人智学協会設立の間の時期である1910年にかれが書いたフラグメント(断片)である。そのことは明記された上で公表された。内容はシュタイナーが独自に考察した感覚論である。なお、正確には『神秘学概論』は1909年12月の時点ですでに脱稿しており、出版されたのが1910年1月である。また、シュタイナーが神智学協会に代わる新しい協会の名前に「人智学」を挙げたのは1912年8月のことである。
- ^ 大田俊寛は、シュタイナーは第五文化期の名称を明記していないが、その内実をゲルマン文化と考えていたのは明らかであるとしている。
出典
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- ^ a b 大田 2013 位置NO.743/2698
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- ^ Ruse, Michael (2013-09-25). The Gaia Hypothesis: Science on a Pagan Planet. University of Chicago Press. pp. 128–. ISBN 9780226060392 2018年1月12日閲覧。
参考文献
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- 深澤英隆「人智学」『世界宗教百科事典』丸善出版、2012年、774-775頁。
- フレデリック・ルノワール『仏教と西洋の出会い』今枝由郎・富樫瓔子 訳、2010年。
- Kevin Tingay 執筆、宮坂清訳「人智学運動」『現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ』クリストファー・パートリッジ 編、井上順孝 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳、悠書館、2009年、451頁。
- 三島憲一 執筆「人智学」『岩波キリスト教辞典』大貫隆・宮本久雄・名取四郎・百瀬文晃 編集、岩波書店、2002年、596頁。
- 岡田明憲「神秘思想とヨーロッパ」『別冊環』第5巻、藤原書店、2002年、140-147頁。
- 小杉英了『シュタイナー入門』筑摩書房〈ちくま新書〉、2000年。
- ピーター・ワシントン『神秘主義への扉 現代オカルティズムはどこから来たのか』白幡節子・門田俊夫 訳、中央公論新社、1999年。
- 衞藤吉則「シュタイナー教育学をめぐる「科学性」問題の克服に向けて--人智学的認識論を手がかりとして」『人間教育の探究』第10巻、日本ペスタロッチー・フレーベル学会、1997年、101-115頁。
- 吉永進一・松田和也、1996年、「ルドルフ・シュタイナー 隠された秘教知識を万人に開放した巨人」、『神秘学の本 西欧の闇に息づく隠された知の全系譜』、学研プラス〈NSMブックスエソテリカ宗教書シリーズ〉
- 島薗進『精神世界のゆくえ 現代世界と新霊性運動』東京堂出版、1996年。
関連文献
- 『ルドルフ・シュタイナー著作全集』人智学出版社
- Steiner, Rudolf: Einführung in die Anthroposophie. Dornach : Rudolf-Steiner-Verlag, 1992. ISBN 3-7274-6560-3
- Steiner, Rudolf: Einführung in die Geisteswissenschaft. München : Archiati, 2004. ISBN 3-937078-25-8
関連項目
外部リンク
- 普遍アントロポゾフィー協会(ゲーテアヌム)
인지학이란 , 그리스어 로 인간 을 의미하는 ἄνθρωπος ( anthropos , 안트로포스)와, 지혜 혹은 지혜 를 의미하는 σοφία ( sophia , 소피아)의 합성어, 즉 축어적으로는 「인간 의叡」Anthroposophie 의 일본어 번역입니다. 독일어음에서 안트로포조피 로 음역된다 [ *1 ] .
19세기 말부터 20세기 초에 걸쳐 독일어권 을 중심으로 하는 유럽 에서 활약한 철학자 · 신비사상가 의 루돌프·슈타이너 (1861년-1925년 ) 가 자신의 사상을 가리켜 사용한 말로서 유명하지만, 이 말 자체는 초기 근대( 근세 )에 벌써 사용되고 있다 [ 요출전 ]
인치학이라는 단어를 사용한 독일어권의 철학자 이 마누엘 헬만 피히테 와 이그나츠 파울 비탈리스 트로크슬러 는 인간에게는 초감 각적 존재로서의 측면이 있다는 생각을 제시했지만, 마찬가지로 인치학이라는 용어를 이용한 슈타이너의 사상도 그 흐름을 계승하고 있다고 다카하시 요시 는 지적하고 있다 . 1 ] .
어원
인치학(안트로포조피)이라는 말은 그리스어 로 인간을 나타내는 ανθρωπος ( anthropos 안 트로포스)와 지혜 혹은 지혜를 나타내는 σοφια ( sophia 소피아)를 합성한 것이다. 슈타이너 사상을 가리키는 말로 널리 알려져 있지만, 슈타이너의 조어가 아니라 초기 근대의 문헌에도 그 사용이 확인되고 있다. 그 이후는 이그너츠 파울 비탈리스 트로크스러 (Ignaz Paul Vitalis Troxler , 1780년-1866년)와 요한 고트립 피히테 의 아들이며 게오르크 빌헬름 프리드리히 헤겔의 제자인 우정 인 이 마누엘
슈타이너 이전의 역사
16세기
인치학(Antroposophie , 안트로포조피)이라는 말은 초기 근대 시점에서 이미 사용되고 있는 것으로 확인되었다. 르네상스 플라톤주의자로 비교 학자 로 유명한 독일 의 하인리히 코르네리우스 아그리파 에 가장자리를 발한다고 여겨지는 저작자 불명 의 마술 서 ' 알바텔 - 고인의 마술 에 대해 : 최고의 지혜 연구' 1575)는, 신지학 (Theosophia)과 인치학(Antroposophia [엄마] )을 「선량한 지식」으로 분류하고, 후자에는 「자연의 사건의 지식 」( Scientia rerum naturalium)과 「인간의 사건 의 통찰 」 (Prudentia rerum humanarum ) .
이그너츠 파울 비탈리스 트로크스러
19세기 초에는 스위스 의 의사이자 철학자이기도 한 이그너츠 파울 비탈리스 트로크스러(1780년-1866년)가 '인간학'이라는 개념을 이용하여 그것을 저작 '생지학의 요소'(1806년) 에서 생 지학 ( 독 : Bioso /bios:생명 + σοφία /sophia:지혜]로 분류했다. 생명철학, 그리고 또 무엇보다도 트로크스러에게 배운 자연철학자 쉘링 의 선구자라는 의미에서 생지학은 '자기인식을 통해 얻는 본성인식'을 의미한다. 트로크스러는 인간 본성에 관한 인식을 인치학이라고 불렀다. 그렇다면 모든 철학은 인치학이어야 하며, 모든 철학은 동시에 본성 인식이어야 한다. 그것은 "본래 인간"에 근거한 "객관화된 인간학 "(objektivierte Anthropologie )로 여겨졌다. 필연적으로 하나님과 세계는 인간 본성에서 신비적인 과정을 통해 통일되는 것이다.
이마누엘 헬만 피히테
의 유명한 요한 고트리프 피히테 의 아들이며 게오르크 빌헬름 프리드리히 헤겔 의 제자( 우파 )이기도 한 이마누엘 헤르만 피히테도 이 개념을 사용하고 있다. 그는 저서 『인간학 인간의 영혼에 관한 학문』(1856년) 중에서 인치학이란 「정신이 행하는 위곡을 다한 승인만」에 있어서의 「인간의 근본적 자기인식」이라고 했다. 「신적인 정신의 거합 혹은 실증을, 스스로의 안쪽으로 향하는 것만」이외의 방법으로, 「인간의 정신」은 그러나 그것을 진정으로 근본적으로 혹은 철저하게 인식할 수 없다고 했다.
기드온 슈피커
종교 철학자인 독일 의 기드온 슈피커 (1840년-1912년)는 “종교에 철학적 형식으로 자연과학적인 기초를 준다”에 심혈을 기울여 신앙과 지식 혹은 종교 와 자연과학의 갈등을 스스로의 인생과 사고의 근본 문제. 그들은 '가장 고귀한 자기인식'이라는 의미에서 인터뷰의 요강을 다음과 같이 표현했다.
슈피커의 이상은 이성과 경험의 적용 하에서 자기 책임에 근거한 인식으로서 종교 안에서 하나님과 세계의 통일을 포괄하는 것이었다.
로베르트 틴마만
오스트리아 의 철학자이자 헬발트주의자이기도 한 로버트 트윈 마먼 (1824년-98년)은 이른바 '철학 서론'의 창시자이기도 하다. 그는 1882년 자신의 저작에 있어서 「인치학」이라는 말을 선택했다(『인치학 개론 실념론적 기초에 근거한 관념론적 세계 해석 체계를 위한 초고』, 1882년). 그 철학 강의를 젊었던 날에 루돌프 슈타이너도 청강한 적이 있다는 트윈 마먼은 "통속적인 체험의 관점이 담당하는 제약과 모순"을 자신의 체계에서 극복하기 위해 "인간지의 철학"을 구축하려고 했다. 그것은 경험의 과학에 끝을 내는 것이지만, 동시에 논리적 사고가 필요한 경우 그것을 초월하는 것이기도 했다.
루돌프 슈타이너
1880년대 중반부터 괴테 연구가 및 철학자로 활약하고 있던 루돌프 슈타이너 는 1900년대에 들어갔을 때부터 그 방향성을 일전시켜 신비적인 일에 대해 공개적으로 말하게 되었다. 그 해의 가을에 베를린 의 신지학 문고에서의 강의를 의뢰받아 슈타이너는 이것에 응한다. 1902년 1월에는 정식으로 신지학협회 의 회원이 되어 독일을 중심으로 유럽 각지에서 강의 등의 정력적인 활동을 펼친다. 1912년, 애니 베산트 등을 중심으로 하는 신지학 협회 간부와의 방향성의 차이로부터 동회를 탈퇴, 같은 해 12월에 당시의 신지학 협회 독일 지부의 회원 거의 전원을 이끌어 쾰른 에서 인치학 협회 ( Anthroposophische Gesellschaft , 안트로포조피협회)를 설립한다(설립년월을 1913년 2월로 하는 경우도 있다 [ 3 ] :225 ).
그때까지 신지학 이라고 불렀던 자신의 사상을 슈타이너가 어느 시점에서 인치학 (안트로포조피)이라고 부르게 되었는지는 불명하다.
사상
슈타이너는 제1차 세계대전 후 독일의 파멸적인 상황 속에서 근대의 여러 문제를 극복하는 사상·실천을 모색했다. 근대의 물질주의를 기피하고 있으며 [ 4 ] 인간의 의식은 진화하는 것, 인간은 의식의 진화의 기초가 되는 영적인 현실을 직접 지각하는 것이 가능하다는 것, 또 문화활동·경제활동·정치활동을 통해 사회를 발전시킬 수 있다고 믿었다 [ 4 ] . 다양한 사상이나 당시의 과학적 지견을 받아들여 스스로의 사상을 구축해, 그 사상을 당초는 「신지학」, 이후 인치학이라고 불렀다. 인간의 내적 영성의 인식과 훈육, 나아가서는 근대사회의 여러 문제를 극복한 새로운 조화에 이르는 사회구상을 설했다 [ 5 ] . 신지학협회 와의 결렬 후 인치학협회를 설립했다. 인도·이란학 연구자의 오카다 아키헌 은, 슈타이너의 인치학은, 유럽을 넘으려고 한 신지학 협회 의 신지학 으로부터 출발하고 있어, 그 내용은, 과학을 자칭하면서도 신앙·종교였던 신치학을, 학문·철학의 영역에 높인 것으로, “ 이성 6 ] .
미들 섹스 대학 의 피터 워싱턴은 인터뷰에 대해 이렇게 설명했다.
인간의 존재와는 감각적인 존재와 감각을 초월한 세계가 통합되어 있는 존재로, 이 점에서 인간은 동물이나 천사와 다르다. 감각을 초월한 영역에는 객관적인 실체가 있으며, 현상 세계도 마찬가지이다. 인치학은 두 사람 사이의 인간 위치를 연구하는 학문이다. 이것은 절대적으로 우리가 가질 수 없는 신들의 지혜가 아니라 인간의 신중한 지혜이며 오히려 인간에 대한 지혜라고 하는 것이다 [ 7 ] .
슈타이너의 인식론은 광의로는 직관을 인식의 기본으로 하는 직관 주의 로 이해되고 있으며, 슈타이너의 영적 직관을 인식의 기본으로 한다.衞藤吉則은, 智智学는 「이론적으로도 실천적으로도 궁극적으로는 <소정의 절대 확실한 지식>을 의지로써 이론화되어 있다」라고 말하고 있다 [ 8 ] . 인치학은, 슈타이너의 초감각적 관조(영감)에 의해 얻어졌다고 하는 지식·법칙이 절대의 기준으로서 있어, 이것은 본질적인 것으로 여겨져 검증은 전혀 필요하지 않다 [ 8 ] . 실천은 이 지식·법칙의 적용 혹은 현실화의 기술이다 [ 8 ] . 슈타이너가 설립한 인치학 협회 는 그의 사상과 저작을 구도의 지침으로 하고 있어 신종교 에 가까운 성격을 가진다 [ 9 ] .
독일 철학 연구자의 미시마 겐이치 의 설명에 의하면, 괴테의 자연과학론의 영향하에서 슈타이너가 전개한 것은, 당시 여러가지로 모색되고 있던 종합지의 하나의 형태이며, 그 배경에는 신플라톤주의, 독일 신비주의 , 유럽 의 고전 적인 자연 과학이 있었다 [ 5 ] . 그노시스주의 등을 연구하는 종교학자 오타 토시히로의 지적하는 곳에서, 슈타이너는 근대 신지학 의 창시자 헬레나 P. 브라바츠키 의『시크릿 닥트린 』 에 있어서 의 영성 진화론 ] 를 받아 이것을 독자적인 명확한 체계로 재구축하려고 했다 [ 11 ] :68 . 슈타이너는 브라바츠키에 의한, 거룩한 숫자로 여겨져 온 7을 이용한 오컬트 진화론의 단위라고도 할 수 있는 「주기(라운드)」라고 하는 도식을, 브라바츠키 이상으로 자신의 사상에 철저하게 짜넣어 중시했다 [ 11 ] :68 . 지구·인종·문명·인간은 진화의 프로세스가 7단계 있다고 여겨져 각각 밀접하게 관련되어 있다고 생각했다 [ 11 ] . 다만, 인도사상을 중시한 신지학협회에 있어서 기독교는 수많은 종교의 하나일 뿐이었지만 [ 12 ] , 슈타이너는 서양사상과 기독교적 영성을 중시하고, 특이한 그리스도론 [ *3 ] 을 스스로의 사상의 중축에 놓았다 [ 4 ] . 대전은, 신지학의 주기설 외에, 매크로 코스모스와 마이크로 코스모스 (우주와 인간)의 조응이라고 하는 서양의 전통적인 비교· 자연 마술 의 관념이나, 독일의 생물학자· 철학자 에른스트 헤켈 의 유기체 진화론 에 있어서 「개체 발생은 계통 발생을 반복한다」라고 하는 「반복설」이라는 생명관이 절충·융합되고 있다고 지적하고 있다 [ 11 ] :68 .
인치학의 사상적 일면을 슈타이너는 「정신과학/심령과학/영학」( Geisteswissenschaft [ *4 ] )이라고 불렀다. [ 요출전 ] (이하 편의적으로 「정신과학」으로 통일.)
슈타이너의 저작에 「인간학」을 씌우는 것은 없고 [ *5 ] , 그 저작에 있어서 일관되게 「인간학이란~이다」라고 하는 고정적인 표현에는 부정적이었다. 슈타이너의 최성기는 최저년이라고도 하지만, 그 시기인 1924년 2월 17일에 인치학에 관한 발언이 (문서에서) 이루어졌다. [ 요출전 ] 그것이 다음과 같다.
인치학은 인식의 길이며, 그것은 인간 존재(본성)의 영적인 것을 모리라 만상의 영적인 것에 인도하려고 하는 것이다.— '인치학지도 원칙' 제1조에서 발췌
슈타이너의 제자들에게 그와 동등한 견령 능력이나 카리스마성을 가지는 것은 나타나지 않고, 슈타이너가 사망하면 신봉자들은 슈타이너의 직관을 새롭게 얻을 수 없게 되었다. 그러나 그의 영향은 사후에도 계속되어 인치학협회와 협회 내에 있는 영적분야의 연구단체 '영학을 위한 자유대학'은 그 가르침을 계속 퍼뜨렸다 [ 4 ] .
인간론·영적 진화론
인간의 본질에 관한 연구를 실시했다. 통상의 인간이, 인간에 있어서 눈이라고 하는 감각 기관을 통해서 지각할 수 있는 존재를, 육체(물질적 신체 der physische Leib )라고 명명해, 그것을 「인간의 일지체(부분, 구성 요소 Glied )」로서 자리매김해, 그것보다 더욱 「고차의」구성 요소는 초감각적이며, 통상의 인간은 그것을 지각할 수 있다. 정신과학은 그 초감각적 "지체"(정묘한 몸)를 육체 위에 더 6~8개 인정하고, 그들 모두를 " 전체 로서의 인간 der ganze Mensch "로 한다. [ 요출전 ] 지구의 7개의 주기에 사는 인간은 그 주기와 관련하면서 물질과 영의 조잡한 혼합물로부터 정묘한 존재로, 육체·에테르체· 아스트랄체 ·자아· 영가 ·생명령·영인이라는 7단계의 진화를 이루 었으며, 현재는 뚜렷한 자의식을 획득한 자아의 단계 이다 .
인생론·전생론
인간의 삶을 지배하는 법칙에 대한 연구를 실시했다. 사후의 생활에 관한 기술이나, 재 수육 (전생 , 환생) Reinkarnation 의 사상을 설명했다. 영적 진화를 수반하는 환생 사상은 신지학으로부터 계승 발전시킨 것이다. 슈타이너의 초감각적 관조·생래의 영능력에 의한 영시에 근거한다고 한다.
우주론
현재 지구, 혹은 우주가 생성한 과정에 관한 연구를 실시했다. 인간과 마찬가지로 지구도 재수육하는 존재로 간주되어 현재 지구의 말하자면 '전세'에 관한 묘사가 이루어진다. 지구는 7개의 요일에 따라 토요일기·태양기·월기·지구기·목성기·금성기· 발칸 기의 7개의 단계를 거쳐 진화한다고 되어 현재는 지구기로 여겨졌다 [ 14 ] . 비교적 우주론 은, 신지학으로부터 계승 발전시킨 것이다. 슈타이너의 초감각적 관조·생래의 영능력에 의한 영시에 근거한다고 한다.
수행론
통상의 인간에게는, 슈타이너가 가지고 있다고 주장한 것 같은 초감각적 인식·견령 능력은 없다. 인치학이 하나의 학문이 되기 위해서는 모든 사람이 그의 말하는 초감각적 인식을 가질 필요가 있지만, 슈타이너는 그것이 누구에게나 획득할 수 있는 능력이라고 생각해 영적인 교사의 을 위한 정신교육의 확립을 중시하고 인치학의 방법에 따른 수행, 특히 그 '명상 ' 과 '집중' 행을 매일 15분간 실시만 하면 자연과 견령능력이 발현된다고 주장했다 . 15 ] [ 7 ] . 이와 관련하여 슈타이너는 기존의 신비주의 와 일선을 이루고 있다 [ 15 ] .
수행의 길에는 일곱 가지 발달 단계가 있다고 여겨졌다. [ 요출전 ]
역사관
슈타이너의 7개의 인종에 기초한 근원 인종이라는 생각은 브라바츠키에 의한 신지학의 텍스트 「시크릿 닥트린」 제2권의 것과 거의 동일하다 [ 16 ] . 북극 부근의 불멸의 성지에서 태어난 아스트랄체의 제1근원 인종, 에테르체의 제2근원 인종 하이퍼보리아인, 물질적 신체를 가진 제3근원 인종 렘리아 인, 아틀란티스 대륙 에서 문명을 발달시킨 제4근원 인종 아틀란티스 인, 대홍 물을 벗어난 아틀란티스 왕국의 성인들의 인도로 탄생한 제5근원 인종 아리아인 , 미국 대륙에서 태어나 물질적 신체의 갈대에서 벗어나는 제6근원 인종 파타라인, 지구에서의 인류 진화의 마지막 단계인 제7근원 인종의 7단계가 있다 . 17 ] , 현재의 지배 인종 은 제5근원 인종 아리아인으로 여겨졌다 [ 16 ] .
인종론·문화론
문화론은 헤겔 의 진보주의적인 역사철학으로부터의 영향을 볼 수 있고 역사상의 주요 문화는 '아리아적'으로 여겨진 문화로 한정되어 있으며, 인도 문화, 이집트 칼데아 문화, 그리스 라틴 문화를 거쳐 현대는 5단계째의 게르만 문화 [ *6 ] 로 여겨졌다 [ 16 ] . 아리안 학설은 브라바츠키보다 상세히 구체적으로 도입되었다 [ 16 ] .
각 민족의 집합적 무의식이라고도 할 수 있는 '민족혼' '민족정신'이 있어 국가를 이끌어 문화를 발전시킨다고 한다 [ 16 ] . 민족혼은 하늘이 보낸 대천사나 신들로 나타난다 [ 18 ] [ 19 ] .
국가 이론
슈타이너는 대전 전의 유럽에 대해, 국가의 운명은 우주의 계획의 일부로서 미리 정해져 있어 각국에는 세계 진화를 위한 과연 역할이 있다고 생각하고 있었다. 그 중에서도 독일인이 세계 진화에 있어서 가장 고도의 점에 관여하고 있다고 말하는 등, 게르만 민족의 문화의 우월성을 설교하고, 독일인은 정신면에서 해야 할 사명이 있다고 주장하고 있었다 [ 18 ] .
인류의 적
슈타이너는 현재의 제5문화기에 인류는 게르만의 신들의 인도로 새로운 영성을 얻는다고 생각했지만, 그리스도라는 신적 존재로 인도되는 영적 진화와 루시퍼 와 아리만 이라는 악령에 의해 인도되는 타락의 길과의 분기점이기도 하다고 한다 [ 16 ] .
루시퍼, 알리만은 신지학의 ‘ 그레이트 화이트 브라더 후드 오브 마스터스(큰 백색 동포단) ’와 투쟁 을 계속 하는 악령 ‘로드 오브 다크 페이스(검은 얼굴의 주)’라는 막연한 개념 을 명확하게 정의한 것으로 인류의 주요 적이다 . 1914년에 제1차 세계대전이 일어나자, 슈타이너는 전쟁을 일으킨 것은 다크 포스라고 주장했다 [ 18 ] .
루시퍼는 오만의 영으로, “인간 속의 모든 열광적인 힘과 모든 신비주의적인 힘을 불러일으키는 능력을 갖춘 존재”이며, 인간은 노력하면 인간의 한계를 넘어 영적 능력을 가질 수 있다는 몸의 모르는 생각에 빠지는 영이다 [ 20 ] [ 21 ] . 환상적인 힘을 사용하여 제3근원 인종 렘리아 인이 성적 일탈에 의해 타락하도록 영향을 미쳤다고 한다 [ 21 ] . 아프리만은 물질주의의 영으로 “인간을 유물론이라는 미신으로 이끌어 무미건조하고 산문적이고 속물적인 존재로 만드는 힘을 가진다”고 한다 [ 21 ] . 현대과학·기술의 최고신이며 인류에게 정신과 오감의 영역만을 믿고 영적인 면을 거부하도록 봉사한다고 여겨졌다 [ 20 ] . 다만 역사를 긴 눈으로 보면 루시퍼와 아리만의 힘은 문화의 다양성과 인간정신의 자율성을 가져온다는 면도 있다 [ 22 ] . 알리만의 영향이 가장 큰 것은 자연과학의 여러 분야에서 모든 것이 숫자로 환원되기 때문에 사람들은 점차 세계는 물질로 만들어진 기계와 같은 것이라고 느끼게 된다고 한다 [ 23 ] . 다윈 의 진화론 도, 알리만의 영향으로 생긴 것이라고 한다 [ 23 ] . 또, 알리만은 경제에도 큰 힘을 발휘한다고 하고 있어, 그 영향으로 과학적·경제적으로 번영하고, 물질적 욕망이 채워진 생활을 누리게 되면, 영적인 진화는 멈추고 문화는 붕괴한다고 생각했다 [ 24 ] . 루시퍼와 알리만의 힘 사이에 균형을 유지하기 위해 본질적으로 태양신인 그리스도라는 영격이 필요하다고 한다 [ 21 ] . 슈타이너는 사람들에게 그리스도의 수육의 의미를 이해하고 인류를 타락시키기 위해 악령이 돌진한 함정에 대비하여 영적 진화의 길을 진행하도록 요구했다 [ 24 ] .
저작
초기 ' 윤회 ', '어떻게 카르마 는 작용하는가', '신지학: 세계에 대한 초감각적 지식과 인류의 목적에 대한 서문'(1904년), '아틀란티스 , 렘 리아 그리고 오컬트 과학: 그 개요' 등의 저작은 신지학 단체에 대한 관심을 볼 수 있다 [ 4 ] .
인치학의 사상적 측면은 '자유의 철학'(1894년), '신지학: 세계에 대한 초감각적 지식과 인류의 목적에 대한 서문', '어떻게 해서 사람은 높은 세상을 알기에 이르는가'(1904/05년), '신비학 개론'(1910년)의 4저. 인치학의 신봉자들은 종종 이들을 '4대 주저' 등이라고 부르며 슈타이너의 저작 중에서 가장 중요시한다. [ 요출전 ]
발전
학문, 예술, 사회실천의 발전을 포함한 것을 인치학, 인치학 운동이라고 부른다. 혹은 이들은 인치학의 성장의 3단계라고 할 수 있다(그것은 슈타이너 자신도 말하고 있다). 슈타이너 자신은 "인간학은 학문으로 출발하여 예술을 통해 그 생명을 불어 넣는다"고 말하고 있으며, 그것은 사회 실천이라는 가장 실용적이고 세속적인 결론에 이른다.
예술운동
학문으로서의 인치학은, 1910년의 「신비학 개론」의 출판에 의해 그 정점을 맞이했다. 확실히, 이 이후에도 슈타이너는 정신과학의 연구를 계속해 새로운 연구 결과를 발표했지만, 그것은 항상 전문 분야에 관한 것으로, 사상으로서의 전체상을 보완하는 「부분」이었다.
예술운동으로서의 인치학운동의 최초의 태동은 그 학문적 융성 이전의 1907년에 이미 발견되었다. 이 해 성령 강림제에 개최된 뮌헨 회의에서 슈타이너는 인테리어 설계에서 자신의 사상(불가시한 것)을 예술을 통해 가시적인 공간으로 표현하는 것을 시도했다(단, 당시에는 플라톤적 예술 해석을 부정하고 있었다). 그리고, 이 시도는 서서히 발전해, 인치학 예술 운동의 상징적인 존재인 「요하네스 건축」의 설계에 이른다. 뮌헨에서의 요하네스 건축 계획은 당국의 건설 허가가 내려지지 않았기 때문에 좌절했지만, 스위스의 바젤 근교 도시 돌나흐의 토지를 아츠시가로부터 제공되어 1913년 9월에 건설이 시작된다. 1918년 이후에는 '게테아눔'이라 불리는 이 목조건축은 1922년 새해 전날에 미완성인 채로 방화에 소실되었다. 같은 장소에는 그때까지와는 전혀 다른 외관의 콘크리트 건축이 지어졌으며, 그것은 1923년 말에 새롭게 창립된 「보편 안트로포조피 협회 」( Allgemeine Anthroposophische Gesellschaft, 일반인 지학 협회)의 본부가 되었다. 일반적으로, 이 현존하는 건축물은 제2 괴테아눔으로 불리고, 소실된 목조 건축은 제1 괴테아눔으로 불린다.
1908년경에는 오일류 토미라는 완전히 새로운 운동예술·무도예술이 슈타이너에 의해 시작된다. 이것은 일본에서 가장 유명한 '슈타이너 예술'이다. 오일류토미는 슈타이너가 사망하는 1925년까지 오랜 세월에 걸쳐 서서히 발전해, 최종적으로는 치료 오일류토미라는 형태로 의료의 현장에도 이용되게 된다. 특히 독일에서는 치료오일류토미에 의한 의료행위에 대해서도 보험이 적용될 정도로 일반적으로 인지되고 있다.
1910년부터 1913년까지의 4년간, 슈타이너는 매년 여름에 희곡 '신비극'을 새롭게 새로 쓰고, 그것은 뮌헨에서 상연되었다. 그 내용은 주인공인 요하네스·토마지우스(상기의 「요하네스 건축」은 어느 이름에서 유래)을 비롯한, 현대적인 인간의 정신적 성장의 과정을 그린 것이다. 슈타이너는 인간의 성장을 예술을 통해 '구체적으로' 그리려고 시도한 것이다. 1912년에 상연된 신비극 제3부 중에서는, 상기의 오일류 토미가 처음으로 상연되었기 때문에, 이 해는 본래의 예술로서의 「오일류 토미 탄생의 해」라고 인지되고 있다.
사회 실천
신비극은 본래, 7부 또는 12부 구성의 예정이었지만, 제1차 세계대전 의 영향에 의해 그 극작 활동은 중단을 강요받았다. 제1차 세계대전 의 참상 이후, 1918년경부터 슈타이너는 사회조직의 3구성 운동에 심혈을 기울이게 되지만, 이것은 다음 1919년에 파탄한다. 독일 공산당과 나치당 은 사회삼층화론을 통해 국민국가의 틀을 넘은 사람들의 활동에 대한 전망을 말한 슈타이너를 적시했고, 그 활동은 나치당원에 의한 방해를 받았다 [ 3 ] :236 . 그 뒤에 발돌프 교육( 슈타이너 교육 ) 운동이 시작되어 같은 해 9월에는 최초의 학교, 자유 발돌프 학교 슈투트가르트가 설립된다. 발돌프 교육운동은 일본에서 가장 유명한 인치학의 사회실천이다.
인치학의 사회실천으로서 이 발돌프 교육운동을 시작으로 의료·농업·양호교육·자연과학과 다양한 직업분야가 개신되었다. 현재는 그것에 수반하는 시설은 전 세계에서 10,000개소를 넘는다 [ 25 ] .
다만 시기에 슈타이너는 종교운동의 개신에도 조력해, 그리스도자 공동체 의 설립에도 큰 힘을 발휘했다. 이것은 일반적으로 인류학의 사회 실천의 일환으로 간주된다.
현대에서의 부활·전개
환경 문제가 절박한 과제가 된 현대에서는 많은 영적 조직과 지도자가 정신적인 과제로서 환경 보호에 주목하게 되었다 [ 26 ] . 슈타이너는 환경 문제에 관심을 가지고 있었고, 그 사상의 중심은 생태와 종교가 차지했기 때문에 현대의 시류와 잘 일치했다 [ 26 ] . 또한 신비사상으로서는 드물고, 교육, 농업, 치료 등 실용적·세속적인 실천의 노하우를 확립시키고 있었기 때문에(신지학과 크게 다른 점이다), 슈타이너의 사상은 현대에서 부활했다 [ 26 ] . 슈타이너가 남긴 다양한 구상은, 특히 독일어권의 나라들에서, 소규모라고는 해도 존재감을 가지고 실천되고 있다 [ 4 ] .
현대인지학협회의 활동은 그다지 활발하다고는 할 수 없지만(주요 멤버는 노인이다), 시대를 타고 환경운동을 성공시켜 유기농업 의 바이오다이나믹 농법 ·전통사업 등 생태환경적 관점에 적합한 기획에 저이율로 자금을 대출하는 GLS 은행 Schenken : 대여와 증여를위한 공동 은행)과 같은 사회적 은행을 설립했으며, 인력학 운동은 교육 ( 슈타이너 교육 ), 치료 및 의료 ( 인간 의학 )까지 손을 넓혔다 [ 26 ] . 현대 인치학 협회의 영향은 활동 규모보다 상당히 크며 많은 종교 단체가 인치학 운동의 방향성을 추종하고 있다 [ 26 ] .
비평·비판
미시마 겐이치 에 따르면, 1920년대 독일의 문예 비평가 철학자 발터 벤야민 은 슈타이너 에 대해 “전근대에의 소망일 뿐”( 미시마 2002 : 596)으로서 경모의 뜻을 보였다고 한다 .
오카다 아키노리 는 슈타이너가 유럽의 전통(라고 하는 것), 특히 장미 십자가 의 연금술 적 전통에 집착하고 있으며, 그의 인치학이 장미 십자의 전통을 계승했는지 여부는 놓아도, 그 사상은 이성을 존중하는 유럽 근대에 특유한 신비주의이며, 중세의 신비주의의 전통을 재흥했다고 평가할 수 없다고 말하고 있다 [ 6 ] . 오카다 아키노리는 슈타이너도 근대 유럽 문화를 부정하고 그 초극을 목표로 한 신비주의자 중 한 명이지만, 그의 인치학은 근대 유럽 문화의 산물인 「자기 의식」에 의한 것으로, 유럽 근대 문화에 머물러 있다고 한다 [ 6 ] .
대전준관은 슈타이너의 사상은 브라바츠키 등의 신지학과 마찬가지로 맥스 뮬러 등에 의한 당시의 아리안 학설 의 영향을 받아 아리아인 중심사관이나 우월론의 경향이 있음을 지적하고 있다. 다만, 브라바츠키나 슈타이너는 현지의 지배적 인류를 아리아인이라고 부르고 있지만 인류의 영적 진화는 도상이며, 이후 새로운 보다 우수한 인종이 나타난다고 생각하고 있어 아리아 인종 지상주의라고는 할 수 없다고 말하고 있다 [ 11 ] :82 .
피터 워싱턴은 게르만 민족의 문화적 우위성을 설득하고 영적 적에 의한 음모를 주장한 슈타이너의 논쟁에 대해 “전후 인치주의자가 슈타이너 옹호론을 여러가지 발행했지만 대전 전 유럽 정치에 대해 그가 쓴 것은 앞서 언급한 상궤를 벗어난 생각을 다소 온화하게 변경한 것에 지나지 않는다 . 18 ] .
The Skeptics Society(회의파협회)의 창설자로 과학 작가 마이클 샤머 등 현대 의 비평가들은 인력학의 생물학, 의학, 농업 등을 위과학 이라고 비판하고 있다 [ 27 ] [ 28 ] .
일본 인치학 운동 조직
일본에서의 슈타이너 연구의 제일인자인 다카하시 요시히로는 1985년에 일본인 지학 협회를 설립했다. 이 단체는 스위스의 도르나흐에 있는 괴테아눔을 본부로 하는 「보편 안트로포조피 협회」 (일반인 지학 협회)의 일본에 있어서의 방역 협회가 아니었다. 1986년 2월의 괴테아눔 이사회에서 이 협회는 일본 루돌프 슈타이너 하우스(1982년에 우에마츠 유키가 설립)와 함께, 방역협회의 전단계로 간주되었다. 1989년 일본 루돌프 슈타이너 하우스는 일본 안트로포조피 협회 루돌프 슈타이너 하우스로 개명하여 이후 두 협회가 병존하게 된다. 1993년 요한 지부가 설립되어, 1994년 이후의 몇 년간에 걸친 방역 협회 설립 준비회와 1999년 3월의 게테아눔 이사회를 거쳐, 2000년 5월에 우에마츠 유지를 중심으로 하는 멤버에 의해, 일본 안트로포조피 협회가, 보편 안토로포조피 또한 현재(2013년)에서는 보편안트로포조피협회의 일본지부 로서 'NPO법인 일본안트로포조피협회'와 '일반사단법인 보편안트로포조피협회-방역협회 일본'의 두 협회, 시코쿠 안트로포조피 크라이스가 존재하고 있다.
각주
주석
- ^ 표준 독일어음에서는 /antʁopozoˈfiː/ 가 된다.
- ↑ 신지학의 환생론은 앨런 칼덱이 창시한 프랑스의 심령주의 운동( 스피 리티즘)에서 차용한 것이다. 그 칼덱의 환생론도 사회적 불평등을 설명하려고 했던 19세기 사회주의자 샤를 푸리에 , 피에르 루루 등으로부터의 차용이며, 그 사회 주의자들의 이론도 18세기 후반에 태어난 니콜라 드 콘도르 세나 잭 튀르고 등의 '진보 ' .
- ^ 오스기 히데요가 논하는 곳에서는, 슈타이너의 사상에는 성령 의 은총을 받은 교회를 통해서만 사람은 영적인 것에 주어지는 정통파의 도그마가 억압해 온, 유럽의 숨은 영성을 사람들에게 공개하려고 하는 면이 있었다 [ 13 ] .
- ^ 다카하시 료 는 이것을 '영학', 시라하타 요시코·몬다 슌오는 '심령과학'으로 번역하고 있다.
- ^ 슈타이너 유고관리국으로부터 전집 45번으로서 「인간학」이라고 하는 저작이 출판되고 있지만, 그것은 「신비학 개론」과 인치학 협회 설립 사이의 시기인 1910년에 카레가 쓴 단편(단편)이다. 그것은 명시된 위에 공표되었다. 내용은 슈타이너가 독자적으로 고찰한 감각론이다. 덧붙여 정확하게는 『신비학개론』은 1909년 12월의 시점에서 이미 탈고하고 있어 출판된 것이 1910년 1월이다. 또, 슈타이너가 신지학 협회를 대신하는 새로운 협회의 이름에 「인치학」을 꼽은 것은 1912년 8월의 일이다.
- ↑ 대전준관은, 슈타이너는 제5 문화기의 명칭을 명기하고 있지 않지만, 그 내실 을 게르만 문화라고 생각하고 있던 것은 분명하다고 하고 있다.
출처
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- ↑ Joseph H. Peterson (2009). Arbatel - Concerning the Magic of the Ancients . Ibis Press. pp. 99-101.
- ^ a b 콜린 윌슨『루돌프 슈타이너 그 인물과 비전』 나카무라 호남・나카무라 마사아키 번역, 카와데 서방 신사〈카와데 분고〉, 1994년(구판 1986년).
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- ↑ Goetheanum - History of the Anthroposophical Society - Overview (2015년 11월 20일에 확인함)
- ↑ a b c d e 워싱턴, 시라하타 노리코, 몬다 토시오 역 1999 , pp. 511–512.
- ↑ The Skeptic Encyclopedia of Pseudoscience . ABC-CLIO. (2002). pp. 31–. ISBN 9781576076538
- ↑ Ruse, Michael (2013-09-25). The Gaia Hypothesis: Science on a Pagan Planet . University of Chicago Press. pp. 128–. ISBN 9780226060392 2018년 1월 12일에 확인함.
참고문헌
- 대전 준관 『현대 오컬트의 근원:영성 진화론의 빛과 어둠』 치 쿠마 서방 <치쿠마 신서>, 2013년. ISBN 978-4-480-06725-8 . (제1장 “신지학의 전개” 참조)
- 후 카자 와 히데타카 「인간학」 「세계 종교 백과사전」 마루젠 출판, 2012년, 774-775쪽.
- 프레데릭 르누아르 “불교와 서양의 만남” 이마에다 유로·토가시 료코 번역, 2010년.
- Kevin Tingay 집필, 미야자카 청역 「인도학 운동」 「현대 세계 종교사전—현대의 신종교, 섹트, 대체 영성」크리스토퍼・파트릿지 편 , 이노우에 준효 감역, 이노우에 준다카・이노우에 마도카・후가자와 카나・미야자카 청 번역, 유서 관 , 2009년, 451쪽.
- 미시마 겐이치 집필「인간학」 「이와나미 기독교 사전」오오츠키 타카시, 미야모토 히사오 , 나 토리 시로, 모모 세 후미 아키라 편집, 이와나미 서점, 2002 년 , 596쪽.
- 오카다 아키헌 「신비 사상과 유럽」 「별책환」 제5권, 후지와라 서점, 2002년, 140-147페이지.
- 오스기 히데요 “슈타이너 입문 ” 쓰쿠마 서방 <치쿠마 신서>, 2000년.
- 피터 워싱턴 「신비주의에의 문 현대 오컬티즘은 어디에서 왔는가」
- 쇼토 요시노리 「슈타이너 교육학을 둘러싼 「과학성」문제의 극복을 향해--인치학적 인식론을 단서로 하고」 「인간 교육의 탐구」 제10권, 일본 페스타 로치・후레벨 학회, 1997년, 101-115페이지.
- 요시나가 진이치 마츠다 카즈야, 1996년, 「루돌프 슈타이너 숨겨진 비교 지식을 만명으로 개방한 거인」, 「신비학의 책
- 시마토진 「정신세계의 유쿠에 현대세계와 신령성운동」도쿄도 출판, 1996년.
관련 문헌
- "루돌프 슈타이너 저작 전집"인치학 출판사
- Steiner, Rudolf: Einführung in die Anthroposophie . Dornach : Rudolf-Steiner-Verlag, 1992. ISBN 3-7274-6560-3
- Steiner, Rudolf: Einführung in die Geisteswissenschaft . München : Archiati, 2004. ISBN 3-937078-25-8
관련 항목
외부 링크
- 보편 안트로포조피 협회 (게이테아누무)