2020/01/26

柳宗悦 - Wikipedia やなぎ むねよし、1889年

柳宗悦 - Wikipedia

柳宗悦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動
柳 宗悦
(やなぎ むねよし)
Soetsu.JPG
柳宗悦
誕生1889年3月21日
東京府麻布区市兵衛町二丁目
(現:東京都港区六本木
死没1961年5月3日(72歳没)
職業思想家
美学
宗教哲学
最終学歴東京帝国大学文学部心理学科卒業
ジャンル美学
工芸
民芸
主題英米文学
日本民芸
アイヌ沖縄朝鮮台湾の文化
文学活動白樺派
民藝運動
主な受賞歴文化功労者(1957年)
配偶者柳兼子(旧姓:中島)
子供柳宗理(長男)
柳宗玄(次男)
柳宗民(三男)
親族柳楢悦(父)
嘉納治五郎(叔父)
柳悦孝(甥)
石丸重治(甥)
今村成和(甥)
テンプレートを表示
柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889年(明治22年)3月21日 - 1961年(昭和36年)5月3日)は、民藝運動を起こした思想家美学者、宗教哲学者。名前はしばしば「そうえつ」と読まれ、欧文においても「Soetsu」と表記される[1]

来歴・人物[編集]

東京府麻布区市兵衛町二丁目において、海軍少将柳楢悦の三男として生まれた[2]旧制学習院高等科を卒業[3]ごろから同人雑誌白樺』に参加する。東京帝國大学哲学科(現在の大学院人文社会系研究科)に進学した宗悦は、宗教哲学者として執筆していたが、西洋近代美術を紹介する記事も担当しており、やがて美術の世界へと関わっていく[4]。 1913年(大正2年)、東京帝国大学文科大学哲学科心理学専修卒業[5]。このころからウォルト・ホイットマンの「直観」を重視する思想に影響を受け、これが芸術と宗教に立脚する独特な柳思想の基礎となった[6]
1914年(大正3年)、声楽家の中島兼子(柳兼子)と結婚。母・勝子の弟の嘉納治五郎千葉我孫子に別荘を構えており、宗悦も我孫子へ転居した。やがて我孫子には志賀直哉武者小路実篤白樺派の面々が移住し、旺盛な創作活動を行った[7]。陶芸家の濱田庄司との交友もこの地ではじまる[8]
当時、白樺派の中では、西洋美術を紹介する美術館を建設しようとする動きがあり、宗悦たちはそのための作品蒐集をしていた。彼らはフランスの彫刻家ロダンと文通して、日本の浮世絵と交換でロダンの彫刻を入手する。 宗悦が自宅で保管していたところ、朝鮮の小学校で教鞭をとっていた浅川伯教が、その彫刻を見に宗悦の家を訪ねてくる。浅川が手土産に持参した「染付秋草文面取壺」を見て宗悦は朝鮮の工芸品に心魅かれる[4]1916年(大正5年)以降、たびたび朝鮮半島を訪ね、朝鮮の仏像や陶磁器などの工芸品に魅了された[6] [8]1924年(大正13年)にはソウルに「朝鮮民族美術館」を設立、李朝時代の無名の職人によって作られた民衆の日用雑器を展示し、その中の美を評価した[6]
1923年(大正12年)の関東大震災を機に、京都へ転居 。木喰仏に注目し、1924年から全国の木喰仏調査を行う[4][8]。民衆の暮らしのなかから生まれた美の世界を紹介するため、1925年(大正14年)から「民藝」の言葉を用い[6]、翌年、陶芸家の富本憲吉濱田庄司河井寛次郎の四人の連名で「日本民藝美術館設立趣意書」を発表した[9]。『工藝の道』(1928年刊)では「用と美が結ばれるものが工芸である」など工芸美、民藝美について説いた[8][6]1931年(昭和6年)には、雑誌『工藝』を創刊、民芸運動の機関紙として共鳴者を増やした。1934年(昭和9年)、民藝運動の活動母体となる日本民藝協会が設立される。1936年(昭和11年)に実業家の大原孫三郎の支援によって、東京駒場に日本民藝館が開設、宗悦が初代館長となった[6]。また沖縄台湾などの文化の保護を訴えた[4]
1957年(昭和32年)、文化功労者に選定。
晩年はリウマチ心臓発作との闘病を余儀なくされたが、なおも執筆活動を続けた。 1961年(昭和36年)春、脳出血により日本民藝館で倒れ、数日後に逝去した。 享年72歳。

家族[編集]

1914年大正3年)、中島兼子と結婚、兼子は近代日本を代表するアルト声楽家だった。インダストリアルデザイナー柳宗理は長男、美術史家柳宗玄は二男、園芸家の柳宗民は三男。甥に染織家の柳悦孝、美術史家の石丸重治、法学者の今村成和がいる。

朝鮮とのゆかり[編集]

1916年(大正5年)、朝鮮を訪問した際に朝鮮文化に魅了された柳は、1919年(大正8年)3月1日朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に対する朝鮮総督府の弾圧に対し、「反抗する彼らよりも一層愚かなのは、圧迫する我々である」と批判した。当時、ほとんどの日本の文化人が朝鮮文化に興味を示さない中、朝鮮美術(とりわけ陶磁器など)に注目し、朝鮮の陶磁器や古美術を収集した。1924年(大正13年)、京城(現ソウル)に朝鮮民族美術館を設立した。
朝鮮民画など朝鮮半島の美術文化にも深い理解を寄せ、京城において道路拡張のため李氏朝鮮時代の旧王宮である景福宮光化門が取り壊されそうになると、これに反対抗議する評論『失はれんとする一朝鮮建築のために』を、雑誌『改造』に寄稿した。これが多大な反響を呼び、光化門は移築保存された。
1922年(大正11年)、『朝鮮とその藝術』(叢文閣)と、『朝鮮の美術』(私家版・和装本)を、他に編著で『今も続く朝鮮の工藝』(日本民藝協会編、限定版 1930年、1947年)を出版した。
『選集 第4巻 朝鮮とその藝術』(春秋社、1954年)や、集大成で『全集 第6巻 朝鮮とその藝術』(全57篇、筑摩書房、1981年)がある。

交流、著述活動[編集]

  • 旧制学習院高等科時代の英語教師であった仏教学者禅者鈴木大拙に柳は生涯師事・交流した。柳死去の際の弔辞「柳君を憶ふ」がある。
  • バーナード・リーチとの交友も大きく、『バーナード・リーチ日本絵日記』(毎日新聞社1955年講談社学術文庫2002年、補訂解説水尾比呂志)を訳・出版している。他に柳の編著で、リーチ・河井寛次郎濱田庄司述『焼物の本』(日本民藝館創立50周年記念で復刻、共同通信社1985年、解説水尾比呂志)がある。
  • 沖縄文化を生涯にわたり紹介し、1938年1940年にかけて沖縄県に4度滞在調査した[10]。『選集 第5巻 沖縄の人文』、集大成『全集 第15巻 沖縄の傳統』に詳しい。また式場隆三郎と共編で『琉球の文化』、『琉球の陶器』[注 1](復刻版・1995年 榕樹社/1997年 榕樹書林に改名)がある。
  • 江戸時代に全国各地を廻国し造仏活動を行い、独特の「微笑仏」を残した木喰行道や妙好人の研究を行った。特に木喰研究は柳宗悦の木食仏発見が契機となったことで知られる。江戸時代前期に諸国を行脚した円空仏に関する論考もある。前者は『選集 第9巻 木食上人』に、後者は『全集 第7巻 木食五行上人』に詳しい。
  • 『柳宗悦全集』(筑摩書房)は、1980年昭和55年)に刊行開始したが、完結に全12年を費やした。1982年(昭和57年)に、20巻目まで刊行を進めたが、第21巻「書簡集」(上・中・下)は、1989年平成元年)、第22巻「資料 その他」(上・下)は、1992年(平成4年)に、各巻分冊で1万5千円前後での刊行となった。大量の書簡の収集に加え、新たに発見された未発表の原稿作品の発掘収録、資料や年譜の編集に10年以上費やしたためである。故に全巻揃いは古書値も高価である。
  • 機関誌「月刊民藝」は、1939年昭和14年)4月号から1946年(昭和21年)7月号まで、戦局悪化による休刊を挟んで発行された。1955年(昭和30年)より日本民藝協会で再度創刊した。2008年(平成20年)に、『復刻版 月刊民藝・民藝』(不二出版)が出された。
  • 和装本による機関誌「工藝」は、全120号が1931年(昭和6年)から1943年(昭和18年)にかけ(114号目まで)、休刊を挟み1946年(昭和21年)から1951年(昭和26年)まで発刊された。なお「工藝 目次総目録」が、熊倉功夫『民芸の発見』(角川書店)巻末に収録されている。

著作[編集]

全集・編著[編集]

※但し全書目品切・絶版
  • 『柳宗悦全集 著作篇』 全22巻(25分冊)、筑摩書房。※刊行形式・年度は上記参照。
    1.科學・宗教・藝術・初期論集、2.宗教とその眞理・宗教的奇蹟、3.宗教の理解・神に就て
    4.ヰ(ウィ)リアム・ブレーク、5.ブレイクとホヰ(ウィ)ットマン
    6.朝鮮とその藝術、7.木喰五行上人、8.工藝の道、9.工藝文化、10.民藝の立場
    11.手仕事の日本、12.陶磁器の美、13.民畫(画)、14.個人作家論・船箪笥、15.沖縄の傳統
    16.日本民藝館、17.茶の改革 随筆(Ⅰ)、18.美の法門 随筆(Ⅱ)、19.南無阿彌陀佛、20.編輯録(編集後記ほか)
    21.書簡集(上中下)、22.未発表論稿・資料ほか(上下)

  • 『柳宗悦蒐集 民藝大鑑』[注 2]全5巻、筑摩書房、日本民藝館、1981-83年
    1.陶・磁 、2.陶・磁 、3.染・織、4.木・漆・金、5.絵・拓・彫。全集図録篇、大著・図版解説。

  • 「柳宗悦選集」 全10巻日本民藝協会編、春秋社、初版1954-55年/新装版1972年(最終重刷1995年)
    1.工藝の道、2.手仕事の日本、3.工藝文化、4.朝鮮とその藝術、5.沖縄の人文
    6.茶と美、7.民と美、8.物と美、9.木喰上人、10.大津絵

  • 「柳宗悦宗教選集」 全5巻、春秋社、初版1960年(重刷1975年ほか)-※第1・3・4巻は、保存(新装)版刊、1990年
    1.宗教とその眞理、2.宗教の理解、3.神について、4.南無阿彌陀佛・一遍上人、5.宗教随想

  • 「私版本 柳宗悦集」 全6巻、春秋社、1973-74年(第6巻は1978年)。元版は限定本、図版多数
    1.美の法門、2.心、3.船箪笥、4.蒐集物語、5.丹波の古陶、6.私の念願

  • 近代日本思想大系 24 柳宗悦集」 鶴見俊輔編・解説、筑摩書房、1975年
  • 「日本民俗文化大系6 柳宗悦」 水尾比呂志編・解説、講談社、1978年
  • 「朝鮮を想う」 高崎宗司編・解説、筑摩書房〈筑摩叢書〉、1984年
  • 「柳宗悦 南無阿弥陀仏」 紀野一義編・解説、春秋社〈こころの本シリーズ〉、1984年
  • 「茶と美」 戸田勝久編・解説、講談社、1986年。参考文献・年譜を収録
  • 「柳宗悦 手仕事の日本」 小学館〈地球人ライブラリー〉、2000年。若年層向け

選集(新版)[編集]

  • 「仏教美学の提唱 柳宗悦セレクション」 ※各・書肆心水、2012年
  • 「朝鮮の美 沖縄の美 柳宗悦セレクション」 2012年
  • 「柳宗悦宗教思想集成 「一」の探究」 2015年
  • 「他力の自由 浄土門仏教論集成」 2016年

文庫判[編集]

  • 「民藝四十年」 解説水尾比呂志、のちワイド版/初刊 寶(宝)文館、1958年
  • 「手仕事の日本」 解説熊倉功夫(改版2009年)、のちワイド版/初刊 靖文社、1948年
  • 南無阿弥陀仏 付心偈」 解説今井雅晴、のちワイド版/初刊 大法輪閣、1955年[注 3]
  • 「工藝文化」 解説外村吉之介/初刊 文藝春秋、1942年。他に「工藝」創元選書、1941年。
  • 「新編 美の法門」 水尾比呂志編・解説
  • 「柳宗悦民藝紀行」 水尾比呂志編・解説
  • 「柳宗悦茶道論集」 熊倉功夫編・解説
  • 「柳宗悦妙好人論集」 寿岳文章編、解説中見真理
  • 「柳宗悦随筆集」 水尾比呂志編・解説。以上は各 岩波文庫、1984‐1996年
  • 「茶と美」 戸田勝久編・解説(2000年)、上記 講談社版を改訂/初刊 牧野書店、1941年
  • 「工藝の道」 解説水尾比呂志(2005年)/初刊 ぐろりあそさえて、1929年
  • 民藝とは何か 大文字版」 解説水尾比呂志(2006年)/初刊 昭和書房〈民藝叢書〉、1941年
  • 「手仕事の日本」(2015年)。以上は各 講談社学術文庫
  • 「柳宗悦コレクション 1 ひと」、「2 もの」、「3 こころ」 ちくま学芸文庫。日本民藝館監修、解説中見真理ほか、2010-11年
  • 蒐集物語」 解説柳宗理中公文庫、1989年(限定復刊2005年)、改版2014年(新版解説深澤直人)/初刊 中央公論社、1956年
  • 「木喰上人」講談社文芸文庫、2018年/大正末期に初刊

関連文献[編集]

  • 「用の美―柳宗悦コレクション」 日本民藝館監修、世界文化社(上・下)、2008年
図版書。藤森武撮影、上巻:日本の美/下巻:李朝と中国、西洋の美
※以下は「品切もしくは絶版」
  • 「評伝 柳宗悦」 水尾比呂志筑摩書房、1992年/ちくま学芸文庫[5]、2004年-文庫版は、夫人の聞書きを増補。
  • 「柳宗悦と民藝運動」 熊倉功夫、吉田憲司編、思文閣出版[6]、2005年
  • 「柳宗悦 手としての人間」 伊藤徹、平凡社選書、2003年
  • 「凡夫の民藝論」 牧野和春、惜水社(販売:星雲社)、2005年
  • 「柳宗悦と初期民藝運動」 岡村吉右衛門玉川大学出版部[7]、1991年
  • 「柳宗悦・民藝・社会理論」 竹中均、明石書店[8]、1999年
  • 「柳宗悦と朝鮮 自由と芸術への献身」 韓永大、明石書店[9]、2008年
  • 「柳宗悦」 鶴見俊輔、平凡社選書、1976年/平凡社ライブラリー、1994年
    • 「続 鶴見俊輔集4 柳宗悦 ほか」 筑摩書房[10]、2001年。増補版
  • 「回想の柳宗悦」 蝦名則編、八潮書店、1979年。多くの関係者の追悼・回想
  • 「美の法門 柳宗悦を読む」 水尾比呂志、東峰書房、1980年
  • 「柳宗悦と共に」 寿岳文章集英社、1980年、論考集成
  • 「民芸の発見」 熊倉功夫角川書店〈季刊論叢:日本文化〉、1978年
    • 「熊倉功夫著作集 第六巻 民芸と近代」(思文閣出版、2017年)。改訂収録
  • 「人間復興の工芸 「民芸」を越えて」 出川直樹、平凡社ライブラリー、1997年。初版は「民芸」新潮社、1988年。批判的立場での論考。
展覧会図録
  • 「柳宗悦生誕百年記念事業特別展」 豊田市民芸館、名古屋民藝協会編、1988年10月。本多静雄・柳宗理ほか、138頁
  • 「柳宗悦展 「平常」の美 「日常」の神秘」 三重県立美術館[11]、1997年9月-10月、263頁、土田真紀ほか解説
  • 「柳宗悦の民藝と巨匠たち展 柳宗悦の心と眼」[12] 日本民藝館監修 、176頁、尾久彰三「柳宗悦と民藝運動について」
    神奈川県立近代美術館葉山館、沖縄県立博物館ほか全国各地の15ヶ所で、2004-06年に開催。

  • 「柳宗悦展-暮らしへの眼差し- 没後50年・日本民藝館開館75周年」、2011〜12年に東京・横浜・大阪・鳥取・広島の順に開催。

復刻版
  • 「月刊民藝」 全12巻 不二出版、別冊(解説・総目次・執筆者索引)、2008年7月と12月に発行。
映像
  • 紀伊國屋書店ビデオ 「柳宗悦 学問と情熱 評伝シリーズ12」。(1999年6月、26250円)、図書館・教育機関用
    • DVD「柳宗悦 美信一如 学問と情熱」 (改訂版2006年、3360円)
  • 「兼子」(妻・兼子についてのドキュメンタリー映画)

関連人物[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 初刊は、昭和書房〈民藝叢書〉全6巻(1941-43年・52年)、芹沢銈介装幀。書目は、第1篇「民藝とは何か」(柳の著書)、第2篇「琉球の文化」、第3篇「現在の日本民窯」(式場と共編)、第4篇「琉球の陶磁」、第5篇「満洲の民藝」(本山桂川著)、戦後刊で第6篇「岡山県の民藝」(外村吉之介著)。
  2. ^ 初刊は『民藝図(圖)鑑』全3巻、日本民藝協会編、宝(寶)文館、1960-63年。
  3. ^ 表記は「南無阿彌陀佛」。特製版(限定千部)も刊行。
  4. ^ 柳宗悦『芭蕉布物語』(榕樹書林、2016年)を解題担当。
  5. ^ 他に選書で、丸山茂樹「柳宗悦・河井寛次郎・濱田庄司の民芸なくらし」(社会評論社 2015年)がある。

出典[編集]

  1. ^ About the Museum”. 日本民藝館. 2019年6月11日閲覧。
  2. ^ 思想家紹介 柳宗悦”. 京都大学大学院文学研究科・文学部. 2019年6月11日閲覧。
  3. ^ 『官報』第8032号、明治43年4月5日、p.111
  4. a b c d 増田穂 (2017年2月10日). “「直観」で見る「美」――『柳宗悦と民藝運動の作家たち』展 日本民藝館職員、月森俊文氏インタビュー”. シノドス. 2017年2月10日閲覧。
  5. ^ 『官報』第286号、大正2年7月12日、p.312
  6. a b c d e f 民藝運動の父、柳宗悦”. 日本民藝協会. 2017年2月10日閲覧。
  7. ^ 白樺文学館の沿革、我孫子市白樺文学館”. 我孫子市ホームページ. 2017年2月10日閲覧。
  8. a b c d 柳宗悦と日本民藝館”. 日本民藝館. 2017年2月10日閲覧。
  9. ^ 沿革”. 日本民藝館. 2017年2月10日閲覧。
  10. ^ 『沖縄と柳宗悦』(沖縄タイムス社編、1989年)に詳しい[要文献特定詳細情報]

外部リンク[編集]