在日コリアンとの“境界”から|NHK 京都府のニュース
在日コリアンとの“境界”から
12月25日 09時22分
在日コリアンの人たちが多く暮らす京都市南区の東九条。
ここで生まれ育った日本人の女性が、自身の経験をもとに国籍やルーツについて問いかける演劇活動を行っています。
女性が伝えようとしている思いを取材しました。
ことし9月、京都市で、ある音楽劇が上演されました。
「じゃあわたしに日本人以外の血が入ってたら、わたしの何かが変わるんか」
主演と脚本をつとめた浜辺ふうさん(26)です。
国籍やルーツとは何か、観客に深く問いかけます。
在日コリアンが多く暮らす、京都市南区の東九条。
浜辺さんはこの地域で、日本人の両親の間に生まれました。
保育園のあいさつは、「おはようございます、アンニョンハセヨ」。
夏は浴衣を着て祇園祭に出かけますが、地域で開かれる秋の祭りではチョゴリを着て朝鮮の打楽器を演奏しました。
育った文化が日本と朝鮮の2つに分けられるものだと知ったのは、小学生のとき。
在日コリアンの友人が、本名から日本名を使うようになりました。
でも自分の名前は1つだけ。
朝鮮半島にルーツがある子どもを対象にした歴史や文化を学ぶ授業にも参加できませんでした。
「あなたは日本人だから」と、教えられました。
浜辺さんは「国籍とか民族とかっていままで分けられたことなかったのに、『分けられるんや』っていう境目をありありと見せつけられるときがあるという衝撃があったし、引き抜かれるような痛みっていうのがありましたね」と振り返ります。
日本人という、国籍で自分をまとめられることに違和感を覚えていた高校2年生の冬、遊び場だった公園から「朝鮮人は出て行け」という声を聞きました。
拡声器から響くヘイトスピーチが心に突き刺さります。
しかし、素直に怒りを表すことはできませんでした。
「日本人とコリアンを分けたら私は公園の中側になるんかなとか、外で怒っているけど怒る資格が自分にあるのか。自分の居場所がないことに、とてつもない違和感とか本当にこの場では生きられない苦しみみたいなことがありましたね」と当時を振り返ります。
わたしは何に属しているのか。
自分自身がさらに大きく揺らぎました。
大学に進学し、アメリカに留学。
出会ったのは、さまざまなルーツを持ちながら生き生きと暮らしている人たちでした。
日本や朝鮮という枠組みに、一番こだわっていたのは自分ではないかと気づきました。
浜辺さんは「本当にいろんな多様な民族性、でもその地域で育ってるから自分はこの地域の人間だっていうことを分かっている。別にそういう地域で育ったそういう日本人でいい」と決意したと言います。
朝鮮文化を自分のものとして生きる日本人がいてもいい。
その思いを演劇で表現するようになりました。
劇の中で「せっかくみんなで認め合って生きていこうってしてるここで育ったのに、なんで『何人か』とかに分けられなあかんねん」と問いかけた上で、歌います。
「好きな場所で好きな人と暮らしてほしい。それだけなのに邪魔をしているのはなに」
浜辺さんがたどりついた自分らしい生き方。
ところがその生き方を、最も身近なひとりに、理解してもらえなかった経験があります。
今月、市内の中学校で披露した一人芝居。
「おじいちゃん、それ言ったらあかんことばなんやで。差別用語なんやで」。
祖父との実際の経験をもとに脚本を書きました。
祖父がなにげなく口にした、朝鮮の人を差別することば。
浜辺さんは「それ聞いて嫌な気持ちになる人もおんのに」主張しますが、祖父は「おるわけないやろ、それをいちいち指摘してギャーギャー騒いでるおまえの方がよっぽどおかしいぞ」と言い返されてしまいます。この日を境に、祖父とは疎遠になりました。
浜辺さんは劇の中で「朝鮮の人や文化を否定することは、私という人間を否定すること。日本人の自分の孫は当然、日本人で、朝鮮の文化を自分の一部やなんていう孫に育っているなんて、思いもしなかったと思います」と説明します。
大学を卒業したあと、がんを患った祖父を介護することになりました。
久々に2人で過ごす時間。
しかし伝えたいことを伝えられないまま、祖父は亡くなりました。
劇で浜辺さんは「私はこんな人間やってん。おじいちゃん、知らんかったやろ。一番近くにいたのにな。大好きやでって愛してるって言って見送ってあげられへんくてごめんな」と叫びます。
祖父と、どう向き合えば良かったのか。
今も答えは出ないからこそ、演劇を続ける理由があります。
「理解しあえなくても、対話できなかったとしても、誰かを排除して作る社会というのではなくて。誰に対しても包容力のある社会を目指していきたいと思うし。表現したことによって考えてもらえたりとか対話がほかの人と生まれたりとか、そういう考えるきっかけになったりっていうことが一番うれしい」。
浜辺さんは来年1月には東九条の小劇場で、フィリピンの俳優と一緒に、異なる文化や立場の人たちが共に生きることの大切さを訴える演劇に出演するということです。