2016/10/01

■平和への架け橋を夢見た 新渡戸稲造 / 岩井基雄 -  ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

■平和への架け橋を夢見た 新渡戸稲造 / 岩井基雄 -  ♪ラジオ放送・文字版「世の光」





平和への架け橋を夢見た 新渡戸稲造 / 岩井基雄

2016年09月23日 | Weblog
2016/8/26放送
 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。 月の最後の金曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は新渡戸稲造について学んでみましょう。

 1862年、文久2年、岩手県に盛岡藩士の三男として生まれた稲造は札幌農学校の2期生の時に、イエス・キリストを自分の救い主して受け入れ、内村鑑三らと共にハリス宣教師から洗礼を受けます。1884年には私費でアメリカのジョンズホプキンス大学に留学し、後に妻となるメリーと出会います。彼は「太平洋の架け橋にないたい」という使命を果たすその歩みへと向かっていったのです。その後、ドイツのマルチン・ルター大学などから農業経済学の博士号を得た彼は、メリーと結婚し、1891年に帰国し、札幌農学校の教授となります。しかしそこで夫婦共に体調を崩し、失意の中、療養のために渡米し、療養中に英文で書き上げた『武士道』は後に日本人の心を世界に知らしめる架け橋のような本となりました。体調も回復する中、1900年のパリ万国博覧会に審査員として参加した新渡戸稲造はパリで日本の女子に大学教育をと願っていた安井てつと出会います。日本の女子教育の必要性を早くから示唆していた新渡戸は北米のキリスト教会の援助のもと、1918年にミッションスクールとして東京女子大学を開学し、初代学長に就任します。彼は女性に対して閉ざされていた大学の門戸を開放し、キリスト教主義に立脚した最高の教育を目指すなど、他にも多くの大学教育に参与して行きます。1920年、大正9年の国際連盟設立に際し、新渡戸は事務次長に選ばれ、人種的差別撤廃提案をいたします。過半数の支持を受けつつも否決されてしまいますが、聖書に基づいた考えで7年間国連の事務次長を務めあげるのです。晩年は軍国思想が高まる日本で、明確に反戦を説き続けます。人生を賭けて人々の人権と平和そして真の教育と世界の架け橋となりたいとの夢を歩み抜いていったのです。

 聖書のことば
  「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。
       新約聖書 ヤコブの手紙 3章18節

  (PBA制作「世の光」2016.8.26放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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