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正戦論
正戦論(せいせんろん、英語: Just War もしくは Just War Theory)とは、ローマ哲学とカトリックに起源をもつ、軍事に関する倫理上の原則・理論。西ヨーロッパにおいては「正しい戦争」「正しくない戦争」を区別することで、戦争の惨禍を制限する事を目指して理論構築がなされた。聖戦とは概念が重なる場面もあるが、多くは別枠で論じられる。
本項は西ヨーロッパ(西方教会圏)における正戦論について説明する。
その際、神の命じた戦争の遂行を義務とする旧約的聖戦観念と、ストア派とローマ法に由来する穏健で必要最小限度の暴力行使という原則を結びつけたアウグスティヌスの説が大きな影響力をもった。ただしアウグスティヌスは正戦論の創始者として数えられる事は多いものの、その正戦論は未完成なものだったとされる[3]。14世紀までには西欧における正戦論について、一定のコンセンサスが成立した[1]。
正戦論の系譜にある思想家の名としては、アウグスティヌスの他、トマス・アクィナス、フーゴー・グローティウスなどが挙げられ、中でもグローティウスは重要な思想家と看做されている。マイケル・ウォルツァーは現代における正戦論の第一人者と目されている[3]。正戦論についての権威ある歴史学者ジェームズ・ターナー・ジョンソン(James Turner Johnson)によれば、正戦論の起源は古代ギリシャ・ローマにも求められ、アリストテレスやキケロも正戦論の系譜に加えられるとされる[3]。
「戦争のための法(jus ad bellum)」には、戦争が正しい戦争となるための条件が5つ挙げられている[4]。
「戦争における法(jus in bello)」には、戦争が正しく行われるための条件を2つ定めている[4]。
しかし時を経て15世紀に入ると、北方十字軍として異教徒(時には非ローマカトリックの正教徒を対象に含んだ[5])に対する侵攻・殺戮・略奪を行っていたドイツ騎士修道会を、ポーランドのクラクフ大学学長パヴェウ・ヴウォトコヴィツ[6]がコンスタンツ公会議において指弾し、教皇主義の立場から異教徒の権利を擁護した(コンスタンツ公会議、1416年)[7]。その後、16世紀にはバルトロメ・デ・ラス・カサスが異教徒であるインディオへのスペインによる虐殺・圧政を非難した事例(バリャドリッド論争、1550年~)も出て来た。
ジョンソンによれば、聖戦(宗教戦争)には以下4つの特徴がある[8]。
16世紀の宗教改革以降、西欧でも非限定戦争になる蓋然性が高い宗教戦争=聖戦が勃発していく。「ドイツが人口のほぼ3分の1を失った」「人類の歴史上最も残酷で破壊的な戦争の一つ」とされる[9]三十年戦争を経験した西欧では、その荒廃への反省から聖戦を否定し、主権国家体制から構成される西欧国際政治の枠組みが形成されるに至った[10]。
国家が掲げる「絶対善」を巡る戦争は第一次世界大戦までは封印されることとなった[12]。
しかしこの戦争以外、西ヨーロッパにおいては大規模な戦争は19世紀の間起きなかった。
他方、工業化の進展と近代国家の成立は、戦争の規模・破壊性を大きくする条件を生じさせた。戦争が起きた時の想定される被害の大きさに対する懸念から、ハーグ陸戦条約も締結された。この条約には伝統的正戦論における「戦争における法」が戦争法規として法典化された。こうした経緯は、伝統的な正戦論の復活とみることも出来る[15]。
このように人道が国際法における原則に取り入れられていった時代であったにも関わらず、エリック・ホブズボームによれば、20世紀に行われた第一次世界大戦(開戦:1914年)は全体戦争(英語: Total War)であった[15]。
ジョンソンによれば、全体戦争には以下4つの特徴がある[14]。
このようにして、本来は「限定された戦争」であった「正戦」が、「正義のために戦わなければならない戦争」と考えられるようになっている[16]。
また、正戦論は「正義」を「平和」よりも優先させる事態に生じると指摘し、非暴力主義・平和主義の立場からは、正戦論は目的による手段の正当化としての戦争肯定論に過ぎないと看做す見解もある[23]。特にアメリカ同時多発テロ事件以降に、アメリカによって行われる戦争が正戦論によって肯定されていく傾向に懸念を示す見解がある[23]。
本項は西ヨーロッパ(西方教会圏)における正戦論について説明する。
目次
西欧における正戦理論の展開[編集]
発祥と思想家の系譜[編集]
西ヨーロッパにおける正戦論は、際限のない中世の戦争・暴力という状況から、戦ってもよい戦争と戦ってはいけない戦争を区別し、戦争・暴力の、行使・発生を制限する事を目指した知的営為から生まれたものであり、10世紀後半以降にこのような議論が活発となった。[1][2]。その際、神の命じた戦争の遂行を義務とする旧約的聖戦観念と、ストア派とローマ法に由来する穏健で必要最小限度の暴力行使という原則を結びつけたアウグスティヌスの説が大きな影響力をもった。ただしアウグスティヌスは正戦論の創始者として数えられる事は多いものの、その正戦論は未完成なものだったとされる[3]。14世紀までには西欧における正戦論について、一定のコンセンサスが成立した[1]。
正戦論の系譜にある思想家の名としては、アウグスティヌスの他、トマス・アクィナス、フーゴー・グローティウスなどが挙げられ、中でもグローティウスは重要な思想家と看做されている。マイケル・ウォルツァーは現代における正戦論の第一人者と目されている[3]。正戦論についての権威ある歴史学者ジェームズ・ターナー・ジョンソン(James Turner Johnson)によれば、正戦論の起源は古代ギリシャ・ローマにも求められ、アリストテレスやキケロも正戦論の系譜に加えられるとされる[3]。
法(jus)[編集]
法的には、宗教的要素(キリスト教神学・教会法)と、世俗的要素(復活させたローマ法・騎士の戦闘における慣習ルール)が絡み合って成立。戦っても良い戦争の条件は「戦争のための法(jus ad bellum)」で、交戦時の容認される戦い方は「戦争における法(jus in bello)」で定められた[4]。「戦争のための法(jus ad bellum)」には、戦争が正しい戦争となるための条件が5つ挙げられている[4]。
- 正しい理由(攻撃に対する防衛・攻撃者に対する処罰・攻撃者によって不正に奪われた財産の回復)の存在
- 正統な政治的権威による戦争の発動
- 正統な意図や目的の存在
- 最後の手段としての軍事力の行使
- 達成すべき目的や除去すべき悪との釣り合い
「戦争における法(jus in bello)」には、戦争が正しく行われるための条件を2つ定めている[4]。
- 戦闘員と非戦闘員の区別(差別原則)
- 戦争手段と目標との釣り合い(釣り合い原則=不必要な暴力の禁止)
しかし時を経て15世紀に入ると、北方十字軍として異教徒(時には非ローマカトリックの正教徒を対象に含んだ[5])に対する侵攻・殺戮・略奪を行っていたドイツ騎士修道会を、ポーランドのクラクフ大学学長パヴェウ・ヴウォトコヴィツ[6]がコンスタンツ公会議において指弾し、教皇主義の立場から異教徒の権利を擁護した(コンスタンツ公会議、1416年)[7]。その後、16世紀にはバルトロメ・デ・ラス・カサスが異教徒であるインディオへのスペインによる虐殺・圧政を非難した事例(バリャドリッド論争、1550年~)も出て来た。
正戦と聖戦[編集]
正戦論はできるだけ戦争を限定することにより、戦争の害悪を少なくしようとする理論であると捉えられる。一方、聖戦は非限定戦争になる蓋然性が高くなる[8]。ジョンソンによれば、聖戦(宗教戦争)には以下4つの特徴がある[8]。
- 神による直接的、あるいは特別な人間や制度を通した間接的な命令で行われる
- 宗教の、防衛・拡大・社会秩序の確立を目的とする
- 宗教共同体と、それに属さない人々との間で行われる
- 戦うことが義務となっている
16世紀の宗教改革以降、西欧でも非限定戦争になる蓋然性が高い宗教戦争=聖戦が勃発していく。「ドイツが人口のほぼ3分の1を失った」「人類の歴史上最も残酷で破壊的な戦争の一つ」とされる[9]三十年戦争を経験した西欧では、その荒廃への反省から聖戦を否定し、主権国家体制から構成される西欧国際政治の枠組みが形成されるに至った[10]。
限定戦争の展開[編集]
17世紀後半以降、限定戦争が行われるようになる。しかし「戦争における法」の「差別原則」が考慮されずにこの限定戦争は展開されたため、18世紀の戦争においては、戦闘地域以外の住民は戦争から大した被害を受けなかった一方で、戦闘地域の住民は大きな被害を受けた。第一次世界大戦が勃発するまでの戦争の特徴はこのようなものであった。残酷性・破壊性を持った例外は、共和国の防衛の為に喜んで命を捧げる、もしくはそれを求められる人間から構成される国民軍が登場し、絶対善の具体化を国民の多数が国家の中に見出した、フランス革命直後の戦争であった[11]。国家が掲げる「絶対善」を巡る戦争は第一次世界大戦までは封印されることとなった[12]。
抽象的な善悪を巡る20世紀以降の戦争・紛争[編集]
第一次世界大戦の前に行われた例外的な全体戦争であるフランス革命直後の戦争は、自由・民族性・革命といった抽象的概念のために「全面的勝利を求めて国家のエネルギーの総力をもって行われる戦争」[13]としての「絶対戦争」(クラウゼヴィッツ)であり全体戦争であった。抽象的概念(イデオロギー)を掲げた戦争は、宗教戦争と残酷さにおいて異なるところはなかった[14]。しかしこの戦争以外、西ヨーロッパにおいては大規模な戦争は19世紀の間起きなかった。
他方、工業化の進展と近代国家の成立は、戦争の規模・破壊性を大きくする条件を生じさせた。戦争が起きた時の想定される被害の大きさに対する懸念から、ハーグ陸戦条約も締結された。この条約には伝統的正戦論における「戦争における法」が戦争法規として法典化された。こうした経緯は、伝統的な正戦論の復活とみることも出来る[15]。
このように人道が国際法における原則に取り入れられていった時代であったにも関わらず、エリック・ホブズボームによれば、20世紀に行われた第一次世界大戦(開戦:1914年)は全体戦争(英語: Total War)であった[15]。
ジョンソンによれば、全体戦争には以下4つの特徴がある[14]。
- 国民・社会・集団などの最も基本的な抽象的価値を守る事が戦争の正当な理由として掲げられる
- 戦争に対して集団のメンバーが全面的支援を行う
- 人的・物的資源を最大限動因する
- 戦闘における慣習的・法的・道義的抑制が無視される
このようにして、本来は「限定された戦争」であった「正戦」が、「正義のために戦わなければならない戦争」と考えられるようになっている[16]。
キリスト教における事例[編集]
- 正戦論はアウグスティヌス以来のキリスト教主流派の説であり、カトリック教会が採ってきた立場でもある[17][18](但しアウグスティヌスの正戦論は未完成なものであり、正戦論は他にもアクィナスなどの多くの論者によって形成されていったものである[3])。
- ポリュカルポス、アテナゴラス、テルトゥリアヌスは悪に対抗してはならず、軍役に服すことができないと説いた[18]。
- アレクサンドリアのアタナシオスは「殺人は許されない。しかし、戦争で敵軍を殺すことは合法的であり、賞賛されるべきことである」と主張した[18]。
- 初代教会は財産に対する警戒と平和主義の伝統を持っていたが、4世紀以降に失われたとされることがある[19][18][17]。そうした歴史観から、メノナイト、クエーカー、ブレザレン教会など歴史的平和教会は、平和主義を唱え、4世紀以前の教会を理想と見なしている[18]。
- 日本において、日本基督教団は「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を発表して大東亜戦争は聖戦であると宣言し、これに協力した。日本のカトリック教会も同様に国策に協力した。
- 現代のカトリック教会は、過去唱えられてきた正戦論につき、現代の戦争の様相(科学兵器・核兵器)を鑑み、教皇ヨハネス23世の回勅『パーチェム・イン・テリス』における提唱を以て、正戦論をカトリックの平和論にふさわしくないものであるとしている[20]。
正戦論への批判[編集]
正戦論が戦争の限定化を志向したものであったとしても、正戦論が戦争の正当化に誤用・利用されている事を懸念する見解[21]、さらには正戦論そのものを批判し正戦論からの脱却を唱える見解も存在する[22]。また、正戦論は「正義」を「平和」よりも優先させる事態に生じると指摘し、非暴力主義・平和主義の立場からは、正戦論は目的による手段の正当化としての戦争肯定論に過ぎないと看做す見解もある[23]。特にアメリカ同時多発テロ事件以降に、アメリカによって行われる戦争が正戦論によって肯定されていく傾向に懸念を示す見解がある[23]。
脚注[編集]
- ^ a b 木村(2003: 110)
- ^ 主要参考文献『戦争批判の公共哲学』は一貫して「ヨーロッパ」と表記しているが、文脈上東欧を含んでおらず、キリスト教・教会法についても西方教会に限定された内容記述となっているため、ここでは「西ヨーロッパ」もしくは「西欧」とした。
- ^ a b c d War (Stanford Encyclopedia of Philosophy) (英語)(スタンフォード哲学百科事典)
- ^ a b c d e 木村(2003: 111)
- ^ 山内(1997: 178、201)
- ^ 山内(1997)は、初出箇所にのみ「パヴェウ・ヴウォトコヴィチ」とのポーランド式転写が記され、後は「パウルス・ウラディミリ」で通されている。
- ^ 山内(1997: 252-272)
- ^ a b c 木村(2003: 112)
- ^ 引用元書籍は『戦争批判の公共哲学』113頁。ただし当書籍中でも引用である事が脚注に記されている。記された引用元はヘンリー・キッシンジャー著『外交 上』岡崎久彦監訳、日本経済新聞社、1996年、67頁
- ^ 木村(2003: 112-113)
- ^ 木村(2003: 114-115)
- ^ 木村(2003: 115)
- ^ 鍵括弧内引用元書籍は小林編・木村(2003: 121)。ただし当書籍中でも引用である事が脚注に記されている。記された引用元はマイケル・ハワード著『ヨーロッパ史と戦争』奥村房夫・奥村大作訳、学陽書房、1981年、11頁
- ^ a b c 木村(2003: 121)
- ^ a b 木村(2003: 120)
- ^ 木村(2003: 126)
- ^ a b ゴーマン(1990)
- ^ a b c d e 信州夏期宣教講座(2009)
- ^ ハルナック、G.J.ケドゥックス、G.J.ヘリング、ジョン・ホルシュ、ハーシュバーガー、ポール・レムジー
- ^ 新要理書編纂特別委員会/編、日本カトリック司教協議会/監修(2003年)『カトリック教会の教え』403頁、カトリック中央協議会、ISBN 9784877501068
- ^ 佐々木寛(新潟国際情報大学情報文化学部教授)「「正戦論」の乗り越え方」
- ^ 西山俊彦(カトリック司祭、英知大学講師)「「神の国」と「地上の国」の平和主義-「正戦論」からの脱却を期待して」、『サピエンチア』 1995年2月(英知大学)
- ^ a b 別所良美(名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科教授)「平和主義と正戦論―グローバル化と暴力の制御、あるいは「9・11」の衝撃―」
参考文献[編集]
- 木村正俊「正戦と聖戦」『戦争批判の公共哲学』(第5章、 小林正弥編、2003年、勁草書房 ISBN 9784326601592)所収
- 信州夏期宣教講座編、2009、『キリスト者の平和論・戦争論』、いのちのことば社 ISBN 4264027640
- マイケル・J・ゴーマン、平野 あい子訳、1990、『初代教会と中絶』、すぐ書房 ISBN 4880682152
- 山内進、1997、『北の十字軍―「ヨーロッパ」の北方拡大』(講談社選書メチエ)、講談社 ISBN 9784062581127