クエーカー③ジョージ・フォックス
2012-03-01 12:51:24
テーマ:無教会&クエーカー
$新時代のキリスト教
17世紀のイングランドで、さまざまの会派が乱立する宗教的激動の時代に、ジョージ・フォックスとクエーカーも誕生した。
ジョージ・フォックス(George Fox、1624年7月 - 1691年1月13日)は、イギリスのレスターシャー州ドレイトンインザクレイ(現在のフェニードレイトン)でうまれた。父クリストファー・フォックスは機織り職人で、「正義のクリスター」と近隣の人々から呼ばれ、母メアリー・ラゴは「殉教者の家系の出」であると述べている。
正式の学校教育を受けていなかったが読み書きはでき、日記はクエーカー以外にも人気があり、現在も読まれている。http://www.strecorsoc.org/gfox/
幼い頃から聖書に魅了され聖書の勉強を続けた。「私が11歳になった時、純粋さと礼儀正しさを知った。なぜなら、子どもだった時、私は純粋なまま歩んでいく方法を教えられたからだ。神は私にあらゆる事柄について敬虔であれと教え、そして、敬虔深く2つの方法を実践するように教えた。すなわちそれは、内面的には神に対して、外面的には人に対しての実践である。」
大人になって、家族は「牧師になったらいいのではないかと考え」たが、そうせずに靴職人と牧畜業者の見習いになった。羊飼いとして過ごした短い時期は、人生観を形成するのに大変重要であった。アベル、ノア、アブラハム、ヤコブ、モーセ、ダビデが全て羊飼いあるいは牛飼いであったということ、そしてそれゆえ、学問的な教育は聖職者の素質とは関係がないということを指摘している。
牧師を訪ね、宗教的な事柄について長い討論を行っても、多くの問題について不一致が多く狂人呼ばわりされた。友人たちのふるまい、とりわけ飲酒について見下すようになった。ある晩の祈りの中で、彼は内なる声が「お前はいかに若者たちが空しさの中にいるのか、年老いた者たちが地に埋もれているのかを見たのだ。そして、お前は彼ら全てを見捨て、関わらないようにし、彼らに対してよそ者でいなければならないのだ」と言うのを聞いたと記録している。
【最初の旅】
19歳の1643年9月に苦悩の中、光を求めドレイトンインザクレイを離れた。宗教学者らが教えている教義に自ら沿っているとは感じられない中、聖職者仲間を精力的に捜し求めたが、「彼らから安らぎを得られなかった」。というのは、フォックスが悩んでいる数々の問題に対してあまりにも能力不足に思われたからである。
1644年6月、失望と落胆の中で故郷に戻っても、手助けしてくれる人は見つからなかった。フォックスの家族や友人たちは、困難を解決する方法として、結婚や軍隊への入隊という道を提案したのである。間もなくもう一度旅に出なければならない、しかも今度は、いずれ遭遇することになる宗教の姿に近づくための探求の旅にしなければならないのだと決心した。承服できない事柄に対し、妥協するのではなく、自分の心の声に従い挑戦するのだと心を決めた。
【「内なる光」との出会い】
それから数年にわたり、イギリス中をひたすら旅し続けた。1646年、22歳で「生けるキリストの内なる光」に触れ、信仰の一大飛躍を経験した。
キリスト者は外部に向けての実践の点でそれぞれ異なるが、全てに言えることは、信仰のゆえに「救われた」と考えていることである。ゆえに、真の魂の回心を経験しない限りは、儀式のようなものは大して重要と考えないでいられる。
聖職者に必要とされる資質は、聖なる魂によって与えられるのであり、教会での研究によって与えられるものではない。このことは、誰もが聖職者になる資格を持つことを暗に意味している。そこでは、神の精神が女性も含めた彼らを導くことが想定されている。
神は「従順な人々の心の奥深い中心に住む」のであって、宗教的経験は教会という建物によって定義されるものではない。実際、フォックスは建物としての「教会」という言葉を使うことを拒み、その代わりに「尖り屋根の家」という言葉を使った。この用語は、現在でも多くのクエーカーが使い続けている。フォックスは野原や果樹園などで礼拝をすることを好み、神の存在はそういう自然な世界の中でもまた感じられると信じていた。
分派の聖職者たちの中にも、その状態を説明できるような人物は誰一人としていないと知ったフォックスは典礼、聖職、教会出席を拒否し、真理は聖典や信条の中にではなく、魂に直接自らを示される神の声の中に見出されると教えた。
【迫害】
このような教えを認めれば教会組織が崩壊してしまうので、国教会からもピューリタンからもフォックスらは殴打などの激しい妨害を受けながら放浪を続けた。生涯法廷に引き出されること60回、投獄8回、獄中生活は計8年に及んだ。
1669年にフォックスは、共に投獄されていた上流階級の女性で早くからの改宗者、マーガレット・フェルと結婚した。マーガレットは夫が死去し、再婚だった。二人の宗教活動は、互いに人生の根幹を成すものとなり、大量の業務を共同で行った。
【アメリカへの旅】
1671年、アメリカ大陸に行き2年間滞在した。フォックスは先住民と会いたいと思い、先住民はクエーカーの方法に興味を持っていた。フォックスは先住民の普段の物腰に感動し、愛情と敬意を表明、「先住民には神の光と聖霊はない」という教会の意見に真っ向から反対した。
$新時代のキリスト教
【日記と手紙】
1691年1月13日に死去し、日記は1694年初版が出版された。日記と手紙は宗派を越えて、「真理の光」を求める人々に読まれ、17世紀の町や村の日常生活を詳しく知ることができると歴史家にも利用されてきた。http://www.strecorsoc.org/gfox/
「フォックスの神秘体験は宗教、宗派を越え、民族、性別、時代を越え、死をも恐れず「真理の光」を求める者が体験する、魂の内奥の普遍的ドラマである。
詩人ホイットマンは、「ジョージ・フォックスは人間の恐らく最も深くにある静かな時間に起き上がる思考(人間の精神の最も内にある考え)を表している。この思考は神の思考であり、人間に備わった道徳と不道徳を合わせたものである。偉大なり。この考えはいつも偉大で、他のあらゆるものより偉大なものである」と書いた。
2012-03-01 12:51:24
テーマ:無教会&クエーカー
$新時代のキリスト教
17世紀のイングランドで、さまざまの会派が乱立する宗教的激動の時代に、ジョージ・フォックスとクエーカーも誕生した。
ジョージ・フォックス(George Fox、1624年7月 - 1691年1月13日)は、イギリスのレスターシャー州ドレイトンインザクレイ(現在のフェニードレイトン)でうまれた。父クリストファー・フォックスは機織り職人で、「正義のクリスター」と近隣の人々から呼ばれ、母メアリー・ラゴは「殉教者の家系の出」であると述べている。
正式の学校教育を受けていなかったが読み書きはでき、日記はクエーカー以外にも人気があり、現在も読まれている。http://www.strecorsoc.org/gfox/
幼い頃から聖書に魅了され聖書の勉強を続けた。「私が11歳になった時、純粋さと礼儀正しさを知った。なぜなら、子どもだった時、私は純粋なまま歩んでいく方法を教えられたからだ。神は私にあらゆる事柄について敬虔であれと教え、そして、敬虔深く2つの方法を実践するように教えた。すなわちそれは、内面的には神に対して、外面的には人に対しての実践である。」
大人になって、家族は「牧師になったらいいのではないかと考え」たが、そうせずに靴職人と牧畜業者の見習いになった。羊飼いとして過ごした短い時期は、人生観を形成するのに大変重要であった。アベル、ノア、アブラハム、ヤコブ、モーセ、ダビデが全て羊飼いあるいは牛飼いであったということ、そしてそれゆえ、学問的な教育は聖職者の素質とは関係がないということを指摘している。
牧師を訪ね、宗教的な事柄について長い討論を行っても、多くの問題について不一致が多く狂人呼ばわりされた。友人たちのふるまい、とりわけ飲酒について見下すようになった。ある晩の祈りの中で、彼は内なる声が「お前はいかに若者たちが空しさの中にいるのか、年老いた者たちが地に埋もれているのかを見たのだ。そして、お前は彼ら全てを見捨て、関わらないようにし、彼らに対してよそ者でいなければならないのだ」と言うのを聞いたと記録している。
【最初の旅】
19歳の1643年9月に苦悩の中、光を求めドレイトンインザクレイを離れた。宗教学者らが教えている教義に自ら沿っているとは感じられない中、聖職者仲間を精力的に捜し求めたが、「彼らから安らぎを得られなかった」。というのは、フォックスが悩んでいる数々の問題に対してあまりにも能力不足に思われたからである。
1644年6月、失望と落胆の中で故郷に戻っても、手助けしてくれる人は見つからなかった。フォックスの家族や友人たちは、困難を解決する方法として、結婚や軍隊への入隊という道を提案したのである。間もなくもう一度旅に出なければならない、しかも今度は、いずれ遭遇することになる宗教の姿に近づくための探求の旅にしなければならないのだと決心した。承服できない事柄に対し、妥協するのではなく、自分の心の声に従い挑戦するのだと心を決めた。
【「内なる光」との出会い】
それから数年にわたり、イギリス中をひたすら旅し続けた。1646年、22歳で「生けるキリストの内なる光」に触れ、信仰の一大飛躍を経験した。
キリスト者は外部に向けての実践の点でそれぞれ異なるが、全てに言えることは、信仰のゆえに「救われた」と考えていることである。ゆえに、真の魂の回心を経験しない限りは、儀式のようなものは大して重要と考えないでいられる。
聖職者に必要とされる資質は、聖なる魂によって与えられるのであり、教会での研究によって与えられるものではない。このことは、誰もが聖職者になる資格を持つことを暗に意味している。そこでは、神の精神が女性も含めた彼らを導くことが想定されている。
神は「従順な人々の心の奥深い中心に住む」のであって、宗教的経験は教会という建物によって定義されるものではない。実際、フォックスは建物としての「教会」という言葉を使うことを拒み、その代わりに「尖り屋根の家」という言葉を使った。この用語は、現在でも多くのクエーカーが使い続けている。フォックスは野原や果樹園などで礼拝をすることを好み、神の存在はそういう自然な世界の中でもまた感じられると信じていた。
分派の聖職者たちの中にも、その状態を説明できるような人物は誰一人としていないと知ったフォックスは典礼、聖職、教会出席を拒否し、真理は聖典や信条の中にではなく、魂に直接自らを示される神の声の中に見出されると教えた。
【迫害】
このような教えを認めれば教会組織が崩壊してしまうので、国教会からもピューリタンからもフォックスらは殴打などの激しい妨害を受けながら放浪を続けた。生涯法廷に引き出されること60回、投獄8回、獄中生活は計8年に及んだ。
1669年にフォックスは、共に投獄されていた上流階級の女性で早くからの改宗者、マーガレット・フェルと結婚した。マーガレットは夫が死去し、再婚だった。二人の宗教活動は、互いに人生の根幹を成すものとなり、大量の業務を共同で行った。
【アメリカへの旅】
1671年、アメリカ大陸に行き2年間滞在した。フォックスは先住民と会いたいと思い、先住民はクエーカーの方法に興味を持っていた。フォックスは先住民の普段の物腰に感動し、愛情と敬意を表明、「先住民には神の光と聖霊はない」という教会の意見に真っ向から反対した。
$新時代のキリスト教
【日記と手紙】
1691年1月13日に死去し、日記は1694年初版が出版された。日記と手紙は宗派を越えて、「真理の光」を求める人々に読まれ、17世紀の町や村の日常生活を詳しく知ることができると歴史家にも利用されてきた。http://www.strecorsoc.org/gfox/
「フォックスの神秘体験は宗教、宗派を越え、民族、性別、時代を越え、死をも恐れず「真理の光」を求める者が体験する、魂の内奥の普遍的ドラマである。
詩人ホイットマンは、「ジョージ・フォックスは人間の恐らく最も深くにある静かな時間に起き上がる思考(人間の精神の最も内にある考え)を表している。この思考は神の思考であり、人間に備わった道徳と不道徳を合わせたものである。偉大なり。この考えはいつも偉大で、他のあらゆるものより偉大なものである」と書いた。