2016/10/20

Amazon.co.jp: 武士道 電子書籍: 新渡戸稲造, 桜井欧村: Kindleストア

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トップカスタマーレビュー

形式: 文庫
この本を読むときに、よろしければ気にとめて頂きたい点があります。
それは、著者、翻訳者ともにキリスト教徒であると言うことです。
(本の内容については、他の方々が既に充分な書評をかかれております。)
新渡戸稲造はクエーカー派と呼ばれるキリスト教徒です。
クエーカーは「内なる光」という直感的な「良心」を重視し、
「沈黙の礼拝」を行います。日本の座禅ににている礼拝で、
儀式もなく、聖書に元ずく平和主義で知られているグループです。
アメリカ・イギリス両クエーカーの団体は1947年に
ノーベル平和賞を受賞した経験があります。
一方、翻訳者の矢内原忠雄は内村鑑三の流れを汲む「無教会」という
キリスト教の伝道者で、戦後2代目の東京大学総長に選ばれており、
激務にありながら、毎週日曜日は集会で「聖書講義」を行った方です。
第二次大戦中は、非戦論者として知られました。
そのために、東大教授職を追われた方です。
私たちは、この「武士道」を読むに当たり、
なぜこの純日本的とも言われる武士道精神が、
俗に言う「西洋の宗教」であるキリスト教の信者によって書かれたのか、
静かに考えてみることは、意味があることではないでしょうか。
なぜこの本が、非キリスト教徒によって
書かれることがなかったのか、考えることは大事であると思います。
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形式: 文庫
武士道は、日本を表徴する桜の花と同じように、わが国土に固有の花である。
『武士道』第1章はこうした象徴的な一文から始まる。
桜の花が日本の武士道を象徴するとすれば、西欧の騎士道ないし哲学を象徴するものは薔薇である。
薔薇は強い芳香を持ち、優雅に咲く花である。しかし、その美しさの裏側には棘があり、枯れてもなお散らずに残りつづけようとする生への執着がある。
一方、我々は潔く散りゆく桜の花びらに美を見い出し、その淡い芳香に飽きることがない。
このように、西洋のものが「生の哲学」であるなら、
日本のそれは「死の哲学」であると言っていいであろう。ただしこの「死の哲学」は、「死」を奨励するという種類のものではなくて、むしろ人生をいかに生きるべきかという求道的倫!理的な問題を、万人にとって絶対的な存在である死を出発点として扱おうとする問題意識のことなのである。死というものを身近に感じ、これを受け入れ、日々これに対面することによって死から解放され、むしろ「生きる覚悟」というものが確固としたものとなり得るのである。
これに対して、我々が多く学んできた西洋の「生の哲学」がもたらしたものは利殖と保身と享楽の追及でしかなかった。
このような認識のもとに立つことが出来れば、我々は今一度、「武士道」という精神に学ぶことが大きいであ
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投稿者 itgaki VINE メンバー 投稿日 2006/10/29
形式: 文庫 Amazonで購入
「武士道」は封建社会の遺物であり、現代の生活には馴染まない、そんな先入観を持って読みました。が、書かれている事は、武士道が古から日本人の道徳観念を支えていたという事実であり、その書かれている事は本質的で、現代の生活そして生きていく上での姿勢にも十分参考になるものでした。

筆者も認めているように、かつてでも武士道を誤って認識している輩も多かったらしい。例えば、切腹についても軽軽しく腹を切って済ます(それでも凄いけど)ことで潔さを表しているが、本来はそれは犬死であり、軽軽しく死を扱わないことが本来であること。切腹をするからには、その武士道の精神に則った大儀があるべきことが書かれています。武士道にはそのような側面があることや、解釈に誤解があったこととあわせて論じているので、一層武士道の本質が判りやすくなっている印象でした。

前書きにもありますが、日本人の道徳教育は何によってなされてきたかを、異国の人に説明するために書かれた本です。ですので、外国(主にヨーロッパ)の宗教(=キリスト教)や哲学との比較、引用が多く、改めて納得できる事例も多いです。改めて筆者である新渡戸稲造氏の博学には驚かされました。しかも文章も非常に綺麗!本当に凄い人ですね。

私のように何も知らない人間は、「武士道」と聞くだけで右翼的なイメージを持ってしまいま
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形式: 文庫
菅野覚明『武士道の逆襲』(講談社現代新書)に触発されて読んでみた。
本書には、津田左右吉から上に挙げた菅野に至るまで、「実際の武士のあり方を表現していない」という批判がついて回る。「実際の武士」の「武士道」とはどのようなものか、という問題については菅野に譲るとしよう。ここでは、この本はもともと英語で書かれているということ、言い換えれば西洋人に読まれることを前提として書かれたのだ、という点に注意を喚起しておきたい。
新渡戸は必ずしもこの本で武士道そのものを詳述することを目指したのではない。西洋世界に「日本」をいかに説明するか。しかも非西洋でありながら西洋に通じる普遍性があるということをいかに主張するか。彼の関心はそこにこそあったのである。
したがって、この本から読み取れるのは、武士そのもののあり方ではない。アメリカの地で、1899年の時点で、新渡戸が「西洋に相対する日本」をいかにイメージしていたか、ということである。つまり、この本は「武士の時代」の本ではなく、あくまで「明治=近代」の本なのである。
そうした点を踏まえて読めば、得るところはすこぶる多い。近代日本の自己主張の原型が、そこにはある。
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