2016/10/20

机の上の空 大沼安史の個人新聞: 〔いんさいど世界〕 「平和なお盆」をよみがえらせ、「平和な日本」をうみだしたアメリカのボートン博士は、戦前、松島の灯篭流しを観ていた!

机の上の空 大沼安史の個人新聞: 〔いんさいど世界〕 「平和なお盆」をよみがえらせ、「平和な日本」をうみだしたアメリカのボートン博士は、戦前、松島の灯篭流しを観ていた!



2010-08-13

〔いんさいど世界〕 「平和なお盆」をよみがえらせ、「平和な日本」をうみだしたアメリカのボートン博士は、戦前、松島の灯篭流しを観ていた! 

 1945年(昭和20年)8月の「お盆」は、灯火管制の下、迎え火も焚けない状況で、盆の入りを迎えたはずだ。
 戦死者は「軍神・英霊」として、帝都(東京)の「靖国」に収用され、遺族たちは愛する死者たちを親しき「霊」として迎え入れることを憚った。
 けれど、お盆の中日、「15日」の「終戦」が全てを変えた。
 日本の民衆はようやく戻った平和の中で、昔の平和なお盆を思い出し、慌しく迎えれた死者たちの霊と親しみながら、その死を(「喜ぶ」のではなく)悲しみ、平和な日常を噛みしめる中で、死者たちを送り返したはずだ。
 戦争が終結した「8月」は久しぶりに日本にお盆がよみがえった夏だった。
 * * *
  米国のジャパノロジスト(日本研究家)、ヒュー・ボートン(Hugh Borton)博士〔1902~1995年〕をご存知だろうか?
 あのライシャワー博士の友人で、同じ時期、日本研究を始めた、草分けの学者である。
 やがて米国務省の日本部長などの立場で、戦争終結に、戦後日本の設計に主導的な役割を果たすことになるボートンさんがエリザベス夫人と2人の子どもを連れ、東大大学院(文学部)留学のため、日本を訪れたのは、日本敗戦の10年前、1935年(昭和10年)2月のことだった。
 1928年(昭和3年)に初来日し、3年ほど東京で暮らして以来、2度目の来日。
 5月の東大への入学手続きを済ませたボートンさんが蒸し暑い東京を逃れ、家族とともにひと夏を過ごしたのは、宮城県の景勝の地、松島(湾)を一望の下に見下ろす「高山外国人避暑地」だった。
 そこでボートンさんは初めて、松島湾の灯篭流しを観る。
 送り盆の「満月の夜」、「……しばらく地上の家族と過ごしてから天国に戻っていく先祖の霊を表す、明るい蝋燭をのせた小さな舟の大群が松島湾に浮かぶ灯篭流しを、沈黙のうちに見物した」(自伝『戦後日本の設計者 ボートン回想録』より)のだ。
 平和な日本の――松島の盆の灯篭流し。
 * * *
 平和な日本のお盆の夏を松島で過ごしたボートンさん(当時、23歳)は、「すべての人の中に神はいる」と信じる、絶対平和主義のクエーカー教徒(フレンド)だった。奥さんのエリザベスさんもまたクエーカーの信者。
 ボートン夫妻の1928年の初来日も、実はアメリカ・フレンド奉仕団からの派遣。ボートンさんは奉仕団の活動の合間に、東京日本語学校で日本語を勉強、奥さんのエリザベスさんは三田の普連土学園で教壇に立っていた。
 2度目の来日で東大で2年間、勉強し、最初の来日を含め、通算5年の日本滞在を終えたボートンさんは、「徳川時代の農民一揆の研究」でオランダのライデン大学から博士号を取得、米コロンビア大学で研究者生活に入ることになるが、時代は暗転し、世界は一気に「戦争の時代」へと進んで行く。
 クエーカー教徒として「良心的兵役拒否者」の立場を貫くボートンさんに待っていたのは、米国務省で対日政策を立案・勧告する調査アナリストの任務だった。
 * * *
 ルーズベルト・トルーマン政権の国務省で、ボートンさんは実は、大変なことをした!
 日本で暮らし、日本を愛していたボートン博士は、平和を愛するクエーカー教徒としての良心に従い、国務省の日本部長、極東局局長特別補佐などの立場で、戦争を早期に終結させ、平和憲法など戦後日本をつくりあがる仕事に心血を注いだのだ。
 その詳細は、博士の自伝、『戦後日本の設計者 ボートン回想録』(五百旗頭真監修・五味俊樹訳、朝日新聞社)や、五百旗頭真著『米国の日本占領政策  戦後日本の設計図』(上下2巻、中央公論社)に詳しいので、ここでは簡単に紹介するに留めるが、
 戦争早期終結では、「戦争を早期に終結するためには大統領ないし他の政府高官から日本の将来の処遇に関する声明を発表し、無条件降伏は日本民族の絶滅や隷属化を意味するものではないと日本国民に保証すべきである」との「覚書」をまとめ、国務省、およびトルーマン政権内の説得につとめ、
 戦後日本の構想では、後にマッカーサーが、立憲君主制・平和主義を柱とした新憲法の草案づくりをする際、ガイドラインにすることになる、「日本統治制度の改革」なる報告書(SWVCC228)をまとめた。
 そう、日本が世界に誇る「平和憲法」の産みの親は、知日家で絶対平和主義のクエーカー教徒、ボートン博士だった!
 * * *
 早期戦争終結では、残念でたまらない、こんな出来事があった。1945年5月29日のこと、ワシントンの陸軍省のスティムソン長官の執務室で、重要な集まりがあった。
 ボートン博士の勧告に従い、2日後の戦没者追悼記念日(5月31日)に、トルーマン大統領が「対日声明」を発表することを承認する重要会議だった。
 「声明」の草案は「無条件降伏は日本の全ての軍隊の降伏と武装放棄を意味するが、必ずしも天皇と皇室の排除を意味するものではない」というもの。
 会議は、このきわめて重要な「声明」草案をいったんは了承したものの……最後の最後に、マーシャル陸軍参謀総長が「時期尚早」を言い出し、見送られることになった。
 なぜ、マーシャル参謀総長は「声明」つぶしに動いたか?
 たぶん、そこには、日本に早期降伏されてはならない事情があったからだ。
 その事情とは、もちろん、その時点ですでに最終段階にあった、あの「マンハッタン計画」の原爆開発である。
 この時、トルーマンがボートン博士の勧告に従い、「対日声明」を実際に発していたなら、ヒロシマ・ナガサキの悲劇は回避できたかも知れないのに……。
 * * *
 ボートン博士は1948年に国務省を辞し、コロンビア大学の教授を経て、1957年、母校のクエーカーの大学、フィラデルフィア郊外にある、バヴァフォード大学の学長に就任する
 ボートン博士はハヴァフォードでもベトナム反戦運動の学生を守り抜くなど、平和主義を貫き通すが、ここで注目しておかねばならないことは、ボートン博士らクエーカー(フレンド)の人々と日本との、「平和」で結ばれた絆である。
 ボートンさんが初来日した際、東京で食事に呼ばれ、励ましを受けた新渡戸稲造博士のメアリー夫人は、クエーカー教徒。
 ボートン博士がハヴァフォード大学の学長として名誉博士号を授与することになる、あの、現天皇が皇太子だった頃、英語教育に力を注いだヴァイニング夫人もクエーカー教徒。
 帰国したヴァイニング夫人のあとを受け、皇太子の英語教師となったのアスター・B・ローズさん(普連土学園園長)もクエーカー教徒。
 立憲君主制のデモクラシーとして再出発した戦後日本の平和の流れの中で、クエーカーの平和主義が実質的に大きな役割を果たして来たことは、忘れてはならない歴史的な事実である。
 * * *
 さて、この17日は、恒例の「松島灯籠流し花火大会」。
 75年前、若き日のボートン博士が七ヶ浜の高山避暑地で観た、送り盆の行事である。
 そしてことしは、くしくも博士が83歳でお亡くなりになって15年(命日は8月2日)……。日本式に言えば16回忌だ。
 もしかしたら博士の霊も、松島を懐かしがって、高山避暑地あたりに、そろそろもう、いらしているのかも知れない。
 博士のクエーカーの信仰に敬意を表しながら、わたしたちは日本人として作法で、博士のみ霊をお迎えし、お送りすることで、戦後の平和・日本を生み出してくれた博士の功績に感謝することにしよう。   
〔参考〕
 ヒュー・ボートン博士
  Wiki ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Hugh_Borton
 (このニューヨーク・タイムズ記事を見てもわかる通り、ボートン博士の対日政策づくりにおける重要な役割は、米国でもあまり知られていない。ボートン博士の功績を発掘し、自伝の執筆を励ましたのは、東大の五百旗頭真教授である)
  英文原書 Spanning Japan's Modern Century: The Memoirs of Hugh Borton
  アマゾン(カバーの写真にボートンさんの写真があしらわれています) ⇒ http://www.amazon.co.jp/Spanning-Japans-Modern-Century-Memoirs/dp/073910392X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=english-books&qid=1281653082&sr=8-1
 「米国の日本占領政策 戦後日本の設計図」(上下2巻、五百旗頭真著、中央公論) 同 
 ⇒ http://www.library.pref.miyagi.jp/wo/opc/srh_detail
   http://www.library.pref.miyagi.jp/wo/opc/srh_detail
 松島灯籠流し花火大会  ⇒ http://www.jalan.net/jalan/doc/theme/hanabi/04_hanabi20.html
 エスター・B・ローズさん〔1893~1979年〕
  写真と言葉 ⇒ http://www.friends.ac.jp/our/our.html
 クエーカー(フレンド)について ⇒ http://www2.gol.com/users/quakers/who_areJ.htm
 フレンド・オブ・ジャパンの紹介 ⇒ http://www2.gol.com/users/quakers/borton.htm
 普連土学園について ⇒ http://www.friends.ac.jp/our/our.html
Posted by 大沼安史 at 08:11 午後 1.いんさいど世界 | 

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