無教会&クエーカー|新時代のキリスト教
無教会&クエーカーの記事(10件)
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なぜ無教会?
- なぜ無教会?
2011-10-13 13:25:50
テーマ:無教会&クエーカー
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★無教会主義の創始者「内村鑑三」はなぜ無教会でなければならなかったのか?
キリスト教の神髄は聖書の中にこそあるとして、個人による聖書研究を重視し、教会、儀式、教義、神学、典礼といった制度、形式を退けたのです。
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内村は次のように言ってます。
「神の造られた宇宙自然が無教会信者の教会で、青空、星が天井で、青い野、色々の花は床、楽器は松の木、梢、楽人は森の小鳥、説教師は神様御自身である。僧侶・牧師・神父のごとき職業的宗教家を拒否、洗礼も聖餐式も拒否し教会をつくりませんでした。となればおのおのの信者が聖書によって直接に神から真理を学ぶことができ平信徒が伝道者となり万人祭司が実現します。」
<わが宗教>(1908年9月 『聖書之研究』)(信8/248)
神を愛し人を愛する事なり。
わが礼拝はこれなり。わが信仰はこれなり。わが奉仕はこれなり。
これを除きて、われに宗教なるものあるなし。
教会何ものぞ。儀式何ものぞ。教義何ものぞ。神学何ものぞ。
もしわれに愛なくんば、われは無神の徒なり。異端の魁(かしら)なり。
われ、口と筆とをもってわが信仰を表白したればとて、われは信者にあらず。
われは愛するだけ、それだけ、信者たるのみ。
わが愛以上にわが信仰あるなく、またわが愛以下にわが宗教なるものあらざるなり。
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無教会と一般的教会の関係①
2011-10-17 13:31:53
テーマ:無教会&クエーカー
無教会は、内村鑑三によって提唱された日本独特のキリスト教と思っている方が多いようです。
しかし内村は次のように言ってます。
・無教会主義は不肖私が初めてこの国において唱えた主義ではありません。(教文館:内村鑑三信仰著作全集18,
105p)
・「預言者エリヤ、アモス、イザヤ、エレミヤも無教会主義者であり、宗教改革者として有名なルターも、最初は無教会主義でした」(教文館:内村鑑三信仰著作全集18, 89p,
104-5pより)
熱心に聖書を読み神からの霊感により聖書解釈したクリスチャンにとっては牧師も神父も教会も必要なかったのです。
【無教会と一般的教会の関係】
内村鑑三日記から
1924年10月22日(水)小雨
近ごろ、ある親切なる教会の牧師が余に忠告してくれた、アナタはある時は単独で寂しく感ぜらるるだろうが、しかしアナタはそれを忍ばねばならぬ。アナタは神様に、単独であるように造られたのである。ゆえに成るべく教会の集会などへ出て来ない方がよろしい。私はアナタの後援者として、アナタが昔の預言者が立ったような地位に立って、神との直接の関係を維持して、ひとり学んで、ひとり教えんことを切望する」と。
実にありがたい忠告である。教会内にもかかる親切なる兄弟の有るを知って、感謝に堪えなかった。実に兄弟の言うとおりである。余のごときは単独で神に仕えまつるべき人間である。人はすべて他と共同して働くべきであるとは決まって居ない。エリヤのごとき、アモスのごとき、バプテスマのヨハネのごとき、みな単独で一生を送り、善く神の御用を務めた者である。余は単独である時に最も幸福であり、また最も善き事を最も多くなすことができる。余が単独であるのは、気まま勝手であって人ぎらいをするからではない。単独は余の天性であって、余は単独である間に最も親しく天の父様と交わることができるからである。教会の人で、この事を知ってくれる者に、今日までかつて一回も会うたことはない。しかるにこのたび、この兄弟に会うて、実に心の底までうれしかった。余がもし今日まで単独の寂しみを忍び得たならば、余は人生の多くの失錯(しくじり)を避け得たのである。しかるに、忍び得ずして交際を求めて、数多(あまた)たび、苦き、つらき目に会うたのである。
単独、しかり単独、これは余の宿るべき平安のホームである。
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無教会と一般的教会の関係 ②
2011-10-21 20:21:50
テーマ:無教会&クエーカー
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内村鑑三の言葉
★<唯一の宗教>(1909年11月 『聖書之研究』)(信8/256)
もし世に宗教てふものありとせんか、そは教職てふ僧侶的階級の手を借りて神を拝することにあらず。
敬虔をもって日常の業を執ることなり。
神聖に地を耕すことなり。神聖に物を商うことなり。神聖に物を作ることなり。
人はすべて祭司にして、全地は神の神殿なり。
このほか別に宗教あることなし。
もしありとせんか、そは迷信なり。悪魔崇拝なり。
何の惜し気なくして廃棄して不可なきものなり。
★<普遍的真理>(1928年10月 『聖書之研究』) (信22/147)
私は普遍的真理を探る。
これを私の家において、私の書斎において、私の霊魂の内に探る。
私はこれを得んがために広く世界を遍歴(めぐ)るの必要はない。
また大会と称して集合するにあらざれば知者たるあたわざる男女の集会に列するに及ばない。
私は何びとも適合する真理を探る。すべての人を照らす真の光を求む。
人種、民族、宗教、教派の差別なく、すべての人に当てはまる真理を探る。
普遍的真理は、それが広くあるだけ、それだけ、深くある。
実在の中心に達する人の霊魂だけ、それだけ深くある。
まことに人生の価値はここにある。
すなわち人の生命においてのみ宇宙の中心的真理が現わるるからである。
そして人は、おのが内にこれを発見し、自身、宇宙人物となりて、自己ならびに世界に超越することができる。
★<「無教会主義」の否定>(1931年3月 『内村鑑三追憶文集』)(信18/131-)
私は無教会主義を唱えた。今より三十年前、人がいまだこれを唱えざる時に唱えた。ことに教会が今のごとくに衰えず、教職と宣教師とが今よりはるかに強い時にこれを唱えた。当時無教会主義を唱うるは、あざけられ、そしられ、信者全体より仲間はずれにされることであった。私は当時この主義を唱えて、孤独は当然まぬかれ得なかった。まことに苦しい、幸いなる時であった。
私の無教会主義は主義のための主義でなかった。信仰のための主義であった。人の救わるるはその行為によらず信仰によるとの信仰の帰結として唱えたものである。ゆえに罪の悔い改めの経験なき者はとうていこれを解し得なかった。されどもこの貴き経験を持たせられし者は喜んでこれを迎えた。教会攻撃のための主義でなかった。信仰唱道のための主義であった。まず第一に十字架主義の信仰、しかる後にその結論としての無教会主義。 十字架が第一主義であって、無教会主義は第二または第三主義であった。
私が時に強く教会を撃ったのは、その信仰において福音の真理に合わざるものがあったゆえである。私は傲慢無礼の米欧宣教師を憎んだが、いまだかつて教会そのものを憎んだことはないつもりである。その事は、私が無教会主義を唱えながらも、幾回となく彼らの要求に応じて彼らの援助におもむいた事によってわかる。教会は私を助けてくれなかったが、私は幾回か彼らを助けたと信ずる。けだし私は教会の悪い半面と共に善き半面のあることを知ったゆえである。腐っても鯛の骨である。教会は腐っても、聖霊はいまだ全くその内より去りたまわない。そして私はその内にとどまりたもう聖霊のゆえに、教会を尊敬せざるを得ないのである。
私はかく唱えて、教会と和解せんと欲するのでない。私は教会や宣教師に好まれざることを好む。教会にきらわるるは、私の信仰の純真を守るがために必要である。私がもし今日まで教会と親しんだならば、私もまた彼らと共に信仰堕落の淵に沈んでいたであろう。教会に受けられんがためにあらず、私の立場を明らかにせんがために、私はこの事を言う、すなわち私は「今日流行の無教会主義者」にあらずと。私に、弱い今日の教会を攻むるの勇気はない。私は残る僅少の生涯において、いっそう高らかに十字架の福音を唱えるであろう。そしてこの福音が、教会をこぼつべきはこぼち、立て直すべきは立て直すであろう。私は教会問題には無頓着なる程度の無教会主義者である。教会という教会、主義という主義はことごとくこれを排斥する無教会主義たらんと欲する。
そはわれ、イエス・キリストと彼の十字架につけられし事のほか、
何をも知るまじと心を定めたればなり (コリントⅠ 2/2)
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無教会と一般的教会の関係 ③
2011-10-23 22:24:10
テーマ:無教会&クエーカー
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内村鑑三の言葉
★1919年6月16日(月)陰雨
「教会の自己滅亡を憂う」
午前、主婦を伴うて、京橋、古宇田病院を訪(おとな)うた、ある科学的新治療を受けんがためである。薬品を用いざる治療法は、これを歓迎せざるを得ない。医術は悪魔の発見であるというは、まちがいである。明日に天然の法則に合(かな)うと信ぜらるる治療は、感謝しかつ祈りて受くべきである。
○おもしろいうわさを聞いた。青年会をして余を断わらしめ、田島進氏が余の講演を助けたりとて彼を詰責せし(以上は確かなる事実である)教会は、さらに進んで警醒社書店をして余の著述の発行を止めしめんと試みつつあるとのことである。教会はかかる事をなして、よし余の事業を壊(こぼ)ち得るとするも、ついに自ら滅びざるを得ない。何ゆえに正々堂々と議論をもって戦わないのであるか。何ゆえに、婦女子がなすがごとくに、蔭に廻りて卑劣手段を弄するのであるか。余は彼らのために悲しまざるを得ない。余は元来、教会の人ではない。ゆえに、教会に憎まれたればとて、少しも痛痒を感ずるものではない。講堂は青年会館以外にもたくさんある。余の援助者は田島君一人に止まらない。また警醒社のみが唯一の書店ではない。余は教会信者を目的(めあて)に筆を執らない。少なくとも日本全国民が余の読者である。ああ、あわれむべき教会よ、なんじらは総掛かりとなりて、余一人を倒すことができない。ただ注意せよ、なんじら自身の倒れざらんことを。なんじらの多数は、外国の伝道会社が日本より手を引くことあれば、直ちに倒れる者ではないか。外国人の御慈悲によって存立するなんじらが、一人の独立信者を倒し得ざるはもちろんである。ああ教会よ、余は恐る、なんじらは自己の滅亡の時期の近づきつつあることを。余はなんじらを憎まない。なんじらが余に反対すると同じ熱心をもって、なんじら自身の異端と俗化とを改めんことを欲す。
★(1904年7月 『聖書之研究』) (信8/223)
「アメリカ的キリスト教」
成功を統計に徴す、これアメリカ主義なり。
しかしてこの主義をキリスト教に応用せしもの、
これ余輩の称してもってアメリカ的キリスト教となすものなり。
アメリカ人は意を真理の探求に注がずして、ひとえにその応用を努む。
しかしてたまたまその、大建築物または多数の帰依者となりて現わるるあれば、
成功を歓呼して神に感謝す。
彼らは物に現われざる純真理の美を認めず、
また統計をもって表わすあたわざる霊的事実の成功を知らず。
彼らは現実を愛すると称して、万事(すべてのこと)の機械的なるを欲す。
余輩は多くの他の点において深くアメリカ人を尊敬す。
されども宗教の一事においては彼らと趣好を同(とも)にするあたわず。
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