2016/10/20

新渡戸稲造 官製偉人の欺瞞(1/4): 心に青雲

新渡戸稲造 官製偉人の欺瞞(1/4): 心に青雲



2013年04月30日

新渡戸稲造 官製偉人の欺瞞(1/4)





《1》

 武士道とは何かの答えは『武道学綱要(武道とは何か)』に書かれていて、もう決着済みと考えている。端的には、主君のために一身を投げ出す、あるいは投げださせられる、これでしかない。お読みになった方には常識のはずである。



 だから後年にあまりに著名な新渡戸稲造の『武士道』を、まあ一度は読んでみるか…とページをくってみたがピンと来なかった。新渡戸稲造はグダグダと、武士の思想(?)と、キリスト教との類似点を挙げ、武士も崇高な精神を持っていたという論法で処理している。終始キレイゴトだ。

 近年は保守派の人がやたらに新渡戸稲造の『武士道』を持ち上げて、日本人の心の故郷が武士の生きざまにあったと共感を寄せる傾向があるが、いかがなものか。



 私の高校時代の同級生男子に女子生徒たちから「さも」とあだ名をつけられた男がいた。なぜ「さも」なのかというと、「さもなんでも知っているふう」「さも何でも得意そうにする」「さもモテそうに自慢する」から嫌われていたのだ。

 うまいあだ名をつけるものだと、感心した覚えがある。



 で、新渡戸稲造はまさに「さも」である。

 さも東西の古典に通じている、さも西洋の文化に通暁している、さも武士の精神を知悉している、さも敬虔なクリスチャンを装う、といった案配だからである。博識であることは認めないわけではないが…ただの知識秀才。

 今日でいえば、なんていけ好かない男なんだ、であろう。

 2007年に停止になったけれど、5000円札なんかにしないでほしいものだ。



 武士について、われわれはとかく映画、小説、テレビ時代劇なんかでイメージを創られてきているが、実像はかなり違う。



 武士のなかにも、天下人としての責任を感じながら施政にあたった人物も(上杉鷹山のように)いたけれど、とくに江戸時代には多くは保身に汲々としていた公務員である。赤穂義士どもだって、忠義より再就職目当てに狼藉に及んだのだ。

 君主は家臣に妾をあてがわれて世継ぎを遺すだけ、あとは「よきに計らえ」であった。



 ちなみに君主は奥方とは夜に交わることはなかったらしい。奥方は他の大名の娘を輿入れさせて城に迎えるが、うっかり孕ませた結果、産後の肥立ちが悪くて死んだりしたら大ごとだから、奥方は「お飾り」で、終生男を知らずに過ごす例があった。世継ぎができないとお家断絶で家来も失業するから死活問題だった。世継ぎは君主の種さえ継承されればいいから、多くの妾(いわば姫様の影武者か)があてがわれ、そのなかで生き延びた男の子を世継ぎにした。



 こんなことは新渡戸は知らないで「武士道とは」を書いた。



 安藤昌益が火を吹くような言説で、武士階級を農民に寄生するクズだと非難したことは一理も二理もあった。

 刀術なんか及びではなく、脇差しは単なるお飾り、もしくは民百姓への威嚇の道具であった。江戸時代、侍は刀の鯉口を切ったらそれだけで切腹を申しつけられた。だから何があっても、辻斬りでもないかぎり刀は抜かない。



 奉行所は岡っ引きに(フォークの出来損ないみたいな)十手を持たせたのは、あんなチャチな武器(?)で闘わせるのではなく、あの変な格好の道具で侍の刀の鍔と刀身の間に挟んで、鯉口を切らせるためである。鯉口を切った!ということにして、抹殺したい侍を刑に処したのだ。



 貧弱な十手で用がたりたのは、岡っ引きに囲まれても決して武士は刀を抜かないとわかっていたからだ。だから岡っ引きたちは恐れることなく、「御用だ」と言いながら、相手の武士のふところに飛び込めたのである。侍のほうは、刀を引き抜かれまいと、懸命に柄を押さえて逃げ回ったらしい。

 同じように、吉良上野介は浅野内匠頭の挑発に乗らなかった。防衛のためであっても、脇差しを抜けばそれだけで処罰されるからだ。



 武士が一応まじめに刀を実用に使おうか、となったのは幕末の争乱期になっての話。だから江戸に千葉周作などの道場が林立したが、先生は武士ではなかった。新縁組に見るごとしである。

 だから、今度の野球のWBC大会で、日本チームを「侍ジャパン」などと命名したのは笑止千万なのだが…。



 さて、その新渡戸稲造の『武士道』であるが、最近、滝澤哲哉氏の『新渡戸稲造 武士道の売国者』(成甲書房)を読んだ。痛快な論述ではあるが問題もあると思う。おいおい述べていく。

 まず本の帯などの紹介・宣伝文から引用しよう。



    *       * 

 「われフリーメイソンとの架け橋とならん」

 アメリカ盲従の先駆者は、カネに目の眩んだクエーカー教徒だった。偉人神話をくつがえす、官製名著『武士道』への哲学的批判!



 「新渡戸稲造の武士道」は、明治国家体制を根拠として生まれた「近代思想」である。それは、大日本帝国臣民を近代文明の担い手たらしめるために作為された、国民道徳思想の1つである。

 そして国際金融マフィアの思惑どおりに、日本人を戦場に送るための思想であった。

 偶像の仮面を暴く! これが官製偉人の真の姿だ!



   *      *



 これだけ読んで驚かれた人も多いのではないか。なにせ日本銀行券に登場するほどの偉人なのに、である。

 私も正直、新渡戸をここまで大胆に指弾しているとは思わなかった。それまでは嫌らしい野郎だな程度の認識であったからだ。



 しかし、その驚く皆さんにも、西洋文明・文化は優れたもの、進んだものという観念、またキリスト教は慈悲深い宗教なのだという観念に毒されている証左なのではないか。新渡戸の実像をまったく知らされなかったこともあるけれども…。



 「新渡戸の『武士道』は、文学的にも歴史的にも武士の実態に根ざしておらず、日本の武士とはまったく無関係な話を羅列しているという批判が欧米では当たり前になっている。ところが日本では、相変わらず古典的名著として読まれ続けている。そればかりでなく、「新渡戸神話」として組み込まれている。」



 今年のNHK大河ドラマなるものは、新島八重を主人公にしているようだが、あの女もアメリカに行って愚かにもクリスチャンに改宗している。キリスト教に帰依する奴はバカである。しかし、キリスト教は良い宗教で、日本の近代化に寄与したという話に持って行きたいのだろう。

 NHKが日本支配層の意のままに、「官製偉人」をでっち上げるのである。

 ザイニチに支配されているNHKなので、クリスチャンはいいものと宣教するために新島八重を取り上げるのかもしれない。



 新渡戸稲造も北海道でクラーク博士に感化されて、アメリカに渡ってクリスチャンになった愚か者であった。しかも彼はクエーカー教徒になった。クエーカー教徒の女と結婚までした。この女房(メアリー・エルキントン)は日本をキリスト教国にするための布石として、新渡戸にあてがわれた。女は日本に来て暮らしたのに、ほとんど日本語を覚えようとしなかった。



 クエーカー教徒といえば、敗戦後、今上天皇が皇太子時代にクエーカー教徒のエリザベス・ヴァイニングがGHQの指示で家庭教師に就いたことを思い出されるだろう。

 ヴァイニングが来たのは、実に遠く新渡戸稲造がペンシルベニアで種を撒いたからである。だから新渡戸は売国奴なのだ。



 つまりアメリカは(ユダ金は)クエーカー教徒を使って、日本をキリスト教国にしようと画策した。だから美智子皇后もクリスチャンだったし、現在の皇太子浩宮にもクリスチャンの雅子皇太子妃があてがわれることになった。

 しかし、日本でのクリスチャンは人口のわずか1%以下というから、いい気味である。



 新渡戸稲造の『武士道』を、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領も読んで感銘を受けたことになっているが、彼ら人種差別主義者がイエローモンキーの書いた本など読むわけがないのでは? 話をそういうことにして、キリスト教を日本に浸透させることが狙いだったのである。















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posted by 心に青雲 at 05:13| 東京 ☀| Comment(6) | エッセイ | 更新情報をチェックする

この記事へのコメント

私は左翼育ちのにわか保守ですから、そして、もっといえば陰謀論者なので



新渡戸稲造がお札の顔になった時に「さては、こやつも売国奴!」と感じたものの、何者か知らなかったので「武士道」を読んだのです。



おっしゃるように彼のアメリカ人の妻が「キリスト教にしか道徳律はないのに、なぜ?日本人は道徳的なのですか?」と質問したのに答えて書いた書物というふれこみですね。だから英語で書かれています。



神戸というわが町には「武士道」の無い街でして。隣の大阪は商人の町で、経済力で武士に勝り、その隣の京都は公家の街で、武士など「むくつけき東えびす」と見ていますから、武士道という言葉にも初めて触れました。



おっしゃるとおり、保守派としては感動しました。どこに感動したかというと、日本全国に道徳教育をほどこすかわりに「旅芝居」が「勧進帳」「忠臣蔵」「手習い鑑」を公演して回り、これを幕府が利用したというところに感動しました。



何故、日本中に同じ道徳が徹底したのかわかった!当時は当時の情報伝達の中でもっとも有効なものをつかったんだ!道徳が消滅している現状を取り返す手段がここにあると思いました。



にもかかわらず、新渡戸稲造自身はうさんくさい印象が消えませんでした。



まあ・・・例によって、こちらに来させていただくと「私の夢を返して!」叫ぶことの連続ですが、新渡戸稲造にも見るべきとこはある・・・と、思い返していた昔を返して!・・・の気分。



キリスト教は人口の5%で50万人が限界だと言うのを聞いたことがあります。減っているのは感じていましたが1%ですか・・・



もちろん仏教の檀家数の激減とも似たカーブでしょう・・・



天皇家の位置づけは、私は、ともかく混乱しています。宗教的にもです。教育勅語に、一切の宗教性、さらには儒教精神さえ入っていません。明治以降の皇室と、それ以前とは、実際別物だと思いますが・・・よくわかりません。

Posted by 神戸だいすき at 2013年04月30日 08:39

神戸だいすき様へ

いつも楽しいコメントありがとうございます!



>日本全国に道徳教育をほどこすかわりに「旅芝居」が「勧進帳」「忠臣蔵」「手習い鑑」を公演して回り、これを幕府が利用したというところに感動しました。<

      ↓

 「利用」はどうでしょうね。幕府も各藩も庶民を教育することなど考えていなかったと思いますが……武士の子は教育しようと藩校なんかは積極的に作りました。

 庶民の教育は、おっしゃるように芝居や義太夫なんかから学習したのと、若衆宿といういわば寮生活で、先輩から後輩へ文化遺産の伝承や躾けがされたのでしょう。

 なので、幕府が利用したのではなくて、放任した結果、うまくいったのではないでしょうか。武家階級にとっては、農民は米をつくってさえいたらいいのです。



 私は天皇制否定です。ただ次善の策なのかな…という思いはあります。天皇はその時代、その時代で政権を握ったものたちが利用したにすぎないのです。



 それと…現在の日本仏教と、釈迦の考えたことはまったく違いますね。

Posted by 神戸だいすき様へ(ブログ筆者です) at 2013年04月30日 10:25

あのう・・・同じ年だからおっしゃることよくわかりますが、日本は、やっぱ天皇の国ですってば。

理屈も何もないです。伝統というか習慣。そこさえ立てておけば誰も文句を言えないべんりな制度じゃないですか?



大人にならなくっちゃ。



しかも、私の一回り以上若い友人だって・・・「あのな、浩宮さんが体育館にはいってきはったら、その時だけ、太陽がさして・・・あとは、どしゃぶりやったんやで」と、言ってましたよ。天皇陛下がお出ましになると「晴れる」万博の開会式の前日はどしゃぶりで、地面は水たまり。当日も雲が厚かったのに、天皇陛下がおでましになると晴れたの!



それと、長くこれで安定してきた国の根幹をさわるのは賢い方法じゃありません。



私は、昭和天皇を大好きでしたよ。



でも、まあ・・・もしかすると洗脳されているだけで、長く搾取されてきただけなのかもしれません。皇室だけでなく摂関家や五節家にも。



Posted by 神戸だいすき at 2013年04月30日 16:37

天皇の実像は隠されていますからね。

天皇が神だと言うなら、なんで3・11が起きたのです?

日本の歴史が長く安定してきた、って言えますか?

徳川300年以外は安定していたとはどうも言いがたいですが、そうだとしてもそれに寄与したのは天皇ではなくて、庶民の団結力や知力ではないかと思います。



天皇は太古の時代はともかく、なにもやっていないのですよ。鎌倉時代以降は、ドイツ語で言う「ザイン ニヒト ザイン」(非存在の存在)であったし、それで良かったのでしょう。

ところがそれを破る天皇がときどき出るから、世が乱れたのです。後白河、後鳥羽、後醍醐、そして昭和でした。



私は以前からもうしていますが、天皇で尊敬できるのは光厳院のみと断じています。そういう意味では天皇全否定ではありません。

現在の天皇家が光厳院を敬うのなら、評価してもいいです。

Posted by 神戸だいすき様へ(ブログ筆者です) at 2013年04月30日 19:49

光厳院という御名は、皇統図の中にちょこっと見覚えがあるだけで、申し訳ありませんが、全然しりませんでした。南北朝という時代は、天皇家も足利幕府内もなにもかもややこしく、~試験には出ない~から、詳しく知らなくてよい・・・と、されてスルーされた時代です。



よほど、日本史に関心のある方しか詳細を知らないと思います。



検索して気付きましたが、現在の天皇の125代というのは、南朝を数えてのことだそうです。



実に、明治帝が南朝であったことを端的に表していると思います。



こことは無関係ですが、さきほど、神戸事件(須磨事件)は冤罪だ。川崎重工に勤めていた”犯人”の父親への脅しだった・・・という裁判のことを知り・・・もう、一般に正しいとされていることが、ことごとく、嘘ではないかという思いに陥っています。



おもえば、おっしゃるように江戸時代に「今の天皇様はどういう人?」なんていう意識は一般にはなく、権力者がそのレベルで裏付けに利用していただけでしょう。今の「天皇とは」という認識は明治以後の皇国史観以後のものかもしれません。



で、光厳院とは、どういう方だったのでしょう?歴史上、もっとも悲劇の天皇だという書評を見ましたが・・・いつか、教えてください。あ、こういう安易な求め方はいけませんよね・・・でも、ヒントなりとも。よろしくお願いいたします。

Posted by 神戸だいすき at 2013年04月30日 22:43

 光厳院のことは、本ブログ2012年3月20日~4月1日までの連載「『風雅和歌集』論」をご参照いただければと存じます。



 このなかで「光厳院こそは、その南北朝の大乱の渦中にもみくちゃにされながらも、誠実に生きようとされた天皇なのである。」としたためました。

 しかし世間では、天皇を崇拝する人たちでさえ、武家政権と戦った後醍醐院を英雄扱いし、またおっしゃるように、正当である北朝を無視、南朝だかなんだかわからない大室寅之祐を明治天皇に仕立てています。



 後醍醐院こそが日本の歴史を歪め、今日までその汚らわしい暴挙の影響を受けています。

 ですから、光厳院のことも、そして彼が編纂した日本の和歌史上、燦然と輝く風雅和歌集が闇に葬られています。



 光厳院を単に「悲劇の天皇」と呼んで済ませてはならないと思います。彼こそが本当の国の象徴でした。身を引いて僧侶となり、戦乱の責任をお一人で負いました。なのに昭和天皇は、かりに彼に戦争責任がなかったとしても、いっさい戦争責任をとらず、退位もせず。国民に謝ることもなく、陸軍軍人にだけ責任を負わせて自身は天寿をまっとうしました。



 原爆投下の打診が極秘にアメリカから伝えられたときに、じゃあ広島に投下してくれと決断したのは昭和天皇でした。わざと8月6日に、陸軍の高級将校を広島市内に集め、終戦工作の妨害をさせないために、皆殺しにしました。



 それだけでなく、民間出の美智子妃を天皇皇后でいじめ抜き、今本当にお気の毒なお姿になっているではないですか。それでも彼が「好き」ですか? 彼を個人的に好き、とおっしゃるを咎めるつもりはございませんが、尊敬していいのでしょうか?

 私は光厳天皇を敬愛する立場から、決して昭和天皇の生きざまは認められません。

Posted by 神戸だいすき様へ(ブログ筆者
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2013年05月01日
新渡戸稲造 官製偉人の欺瞞(2/4)


《2》
 クエーカー派はキリスト教の一派で、本来はフレンド教会である。クエーカーはあだ名だった。
 なぜQuaker(ふるえ)というかというと、この派の連中は祈りのときに感極まって身を震わせたためと言われる。
 日本ではクエーカー派のQuaker Oatsシリアルがわずかに知られていた程度だろうか。本邦の会員数は157名(02年統計)だから、大衆への普及に失敗している。

 しかしヴァイニングを家庭教師に送り込んで、少年時代の皇太子明仁を感化させ、クエーカー教徒にすることには成功した。

 クエーカー派は1世紀にイギリスで創始された。だがクロムウェルの清教徒革命やその後の王政復古の影響で迫害されつづけ、追放されて、アメリカへ移った。
 アメリカでこれを再興したのがウイリアム・ペンである。クエーカー派はイギリスでは反体制派だったので、英国王は厄介払いに、植民地だったアメリカの英国王の領地をペンに割譲した。その代わり英国から出ていけ、だった。そこがのちにペンシルベニア市やペンシルベニア州になる。ペンシルベニアとは、「ペンの森の国」の意味である。

 大統領になったリチャード・ニクソンは、両親がクエーカー教徒であった。
 英国王が勝手にクエーカー教徒に割譲したとか、自由を求めて新天地に移った…というものの、そこは本来原住民の土地であり、そこを「敬虔な」キリスト教徒が原住民を弾圧して奪い取ったのだから、それがやつら白人の汚い本性である。

 そのアメリカのクエーカーの資産家に新渡戸稲造は目をつけられた。新渡戸はアメリカに行ったが極貧の暮らしをしていた。
 大富豪の娘であるメアリー・エルキントンと結婚したので、新渡戸はカネに困らなくなった。そしてクエーカーの手先になることを誓ったのだ。
 アメリカで無一文のイエローモンキーだった新渡戸青年に、大富豪でお城のような邸宅に何不自由なく暮らしていたメアリー嬢が、出あったばかりでラブレターを送りつづけ結婚するわけがなかろう。
 彼らの結婚は、クエーカーどもに仕組まれたのだ。

 メアリーは新渡戸と日本で暮らしたときも、決して日本語は習おうとせず、夫婦の会話は英語だったし、食事も生活様式も洋式を通した。これはメアリーが「日本人を“イエロー・ジャップ”とみなし、軽蔑していたことを示している」のであった。

 新渡戸を称讃する日本人は新渡戸の生活が質素だったというが、滝澤氏はまっこうから反論する。「新渡戸神話」の一つにすぎない、と。新渡戸は夫人の実家から月に1000ドル仕送りを受け、豪奢な生活を送り、外国旅行の際には5つ星の最高級ホテルに宿泊した。

 日本でのクエーカー派は多数派を形成できなかったが、大東亜戦争中にキリスト教の日本人信者たちは、米軍爆撃機を正確な爆撃地点を教えるために協力した。


 「クエーカー派は日本には1885(明治18年)に初めて紹介され、「キリスト友会(ゆうかい)」と称している。日本ではきわめて少数であり、一般の日本人はほとんど知らない。しかし、日本の近現代史、特に対米英戦争と大日本帝国の敗戦の背後で、クエーカー人脈が暗躍していたことを知らねばならない。そこでも新渡戸稲造は重要な役割を演じていたのである。」

 「フィラデルフィアの富裕なクエーカー派の人たちは、新渡戸を、日本へのクエーカー派の宣教に最適の人物と見ていた。そこでメアリーがこの男の妻になって、日本でのクエーカー派の宣教工作に参加することを提案し、彼女もそれを承諾したのではないか。」

 「メアリーと新渡戸の結婚は、クエーカー教団が仕組んだものだった。「宗教パラノイア」ともいえる無数の欧米キリスト教徒は、欧米帝国主義の尖兵となって世界中にキリスト教の布教に向かった。国際金融マフィアにとっては宗教パラノイアの存在は好都合である。
 
 フィラデルフィアの金持ちにひっかかった新渡戸は、富裕な米国女性を与えられて、それ以降、国際金融マフィアの尖兵として活動していくことになる。」

    *        *

 滝澤氏は本のなかでしきりに言うが、キリスト教は歴史上、もっとも悪い宗教であった。かれらは同じ信徒には「愛」だの「施し」だのと言うが、異教徒は人間扱いしない。殺そうと奪い尽くそうと神は許し給うたと言うのだ。
 そのとおりである。

 例えば、日本には茶の湯なる「風習」があって、いかにも日本文化の真髄であるかのように扱われる。
 「〈チャノユ〉の第一要諦である心の平静、気持ちの静穏、行状の静けさと落ち着きは、たしかに、正しい思考と正しい感情の第一条件である」と新渡戸は述べる。武士は茶室で平安と友情を見出したと言い切る。

 それ自体、まったくないとは言わないが、そもそも茶の湯なんてものは、いささかも高尚な藝術なんかではなかった。
 あのコジンマリした茶室は、堺の商人が、バテレンの武器商人とこっそり商談するための会議室であった。

 バテレン(ポルトガル語で神父)は、南蛮船で日本に運んで来た鉄砲の原料となる硝石と鉛の弾を売るために来ていた。日本側が売るものは奴隷である。戦国大名たちは、領国の女を捕らえてきては堺商人を介して売り払った。
 つまりキリスト教が戦国時代の戦乱を煽ったのである。
 キリシタン大名とは、なんのことはない、バテレンと取り引きしたいがために信者になったふりをし、領民を捕らえて売り払ったものどもだった。

 そういう事実を新渡戸稲造はいささかも記述しなかった。キリスト教の教えと、古来日本の武士の精神は似ていると、ウソ八百を書いたのであった。
 往時、ヨーロッパには50万人もの日本人女性の奴隷がいた。天正遣欧少年使節団の一人が、裸体で鎖につながれる日本人女性を見て心を傷めている。 その元締めがイエズス会から来ていたザビエルである。そういうキリスト教に都合が悪いことは新渡戸は言わない。

 江戸時代にはキリスト教は幕府の禁制で下火にはなったが、幕末には息を吹き返しつつあった。滝澤氏は幕末には「ヤソ秘密結社」ができていたと言う。
 当然、イギリスを中心に日本の内戦を煽り、支配を強めていって、徳川氏を倒し、国際金融資本の言いなりになる薩長に政権を握らせた。

 だから明治以降、日本に幕末段階で存在した「ヤソ秘密結社」の流れのまま、キリスト教の視点でみれば、彼らは天皇制を支持する立場にたって、キリスト教の地位向上を図って行った。
 新渡戸も尊王主義者として天皇制を守ることにしたのだ。

 キリスト教の狙いは、天皇制国体の中身を、キリスト教徒が日本を支配し、最終的な天皇一族をキリスト教徒に改宗していくことにあった。だから「新渡戸の門下生たちは、天皇制国家体制の中に入り込み、最終的に大日本帝国を壊滅させ、日本を米国の従属国にしていった。将来の天皇になる皇太子をクエーカー教徒にすること、従属国日本を弱体化させる“売国者”として協力していくことになる。」と滝澤氏は説いている。

 新渡戸は教育関係では、札幌農学校(現北海道大学)、東京帝国大学法科大学教授との兼任で、第一高等学校校長となった(1906-1913年)。
 その他では、東京植民貿易語学校校長、拓殖大学学監、東京女子大学学長、それに津田塾に対しても顧問を務めている。
 こうやって「悪影響」を日本の教育界に及ぼした。

 茶の湯の話がでたので、もうひとつ書き留めておく。あの茶室は夜這いの疑似追体験場であった。武将たちは若い頃に、農家の娘の家に忍び込んだものだが、そのときの「思い出」を再現させた。茶室のにじり口とは、農家の娘が待っている部屋の、外からの入口であった。現代で言えば、ラブホを思い出せる造りだったわけだ。

 茶室のにじり口を、武士も商人も誰も身分の差なく、同じように頭を下げなければ入れない、茶室に入れば平等であるという意味も込められていたなどとキレイゴトの解説をしているようだが、それはまあウソも100回言えば本当になっちゃう、の類いである。

 近年はご婦人も茶の湯を愉まれるようになったので、夜ばい…では都合が悪かったのだろう。





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posted by 心に青雲 at 07:02| 東京 ☀| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わーなんということを!管理人さんも、とことんお人が悪い。

茶の湯を尊敬したことは、私にもありませんが・・・そこまでいうとは・・・あんまりじゃござんせんか?!

たしかにね、あの気取った感じは好きではなかったですよ。いちいち作法にうるさく、指一本の動かし方、つまみ方にもけちをつける!なんじゃ?と思ってはいましたが・・・なるほど・・あれは人払いのできる密室ですわな?

便利ですよね。

それはさておき「キリスト教ぐらい悪い宗教はない!」に大賛成。ほんとに悪魔の宗教ですぜ。

高校生ぐらいの時、モルモン教の集会に誘われて友達と言ったことありますが、一回きりでした。
Posted by 神戸だいすき at 2013年05月01日 20:39
神戸だいすき様

あなたから、また夢を壊した! とおっしゃらるれかなと「怯えながら」(笑)、茶室のことは書きました。
たしかに「人が悪い」かもしれませんね。

しかし、「出自」がどうであれ、現在は立派な礼儀作法というか、「藝術的」になったのは認めています。だから茶の湯を味わうとか、学ぶとかしていいのではないでしょうか。

天皇だって、大昔はどこかの馬の骨だったのですが、それは統治者としてある程度精進するところがあったから、「ご立派で」と言われるようになってきたのですから。

ですから茶の湯が利休の昔から、今のように洗練されていたと考えるのではなく、最初はクズみたいなものだったかもしれないが、先人達の努力が積み重なって優れた文化に成長したんだ、というほうが私は遥かにありがたみもあり、尊敬に値すると思いますよ。
Posted by 神戸だいすき様へ(ブログ筆者です) at 2013年05月02日 12:59
すばらしいお返事をありがとうございました。なるほど・・・なるほど、説得力のある御解答でございました。

私は、もちろん花嫁修業の最後の世代として茶道を少し習いました。

その時、もっとも感銘を受けたのは、畳の縁から5センチほど離して、「なつめ」を、置き、その横に、錦の棗の袋を並べて置くお作法の時・・・きりっとした、畳の縁の直線と、まるい棗。畳の素朴な色に、カラフルな錦の袋・・・その対比が見事で、美しく・・・日本だなあ…と思いました。

繰り返しますが、まさか!夜這いとか何とか言われるとは・・・www
Posted by 神戸だいすき at 2013年05月03日 22:22
神戸だいすき様

さっそくのご返事ありがとうございます。
にじり口は、昭和のころまではわずかに田舎の農家に娘の夜ばい客用の部屋だったところに残されていたものです。
もう21世紀の今はなくなったでしょうね。

往時の武将たちは、利休に茶室に案内されて、「にじり口」から入るように言われたときに、わかいころを思い出して胸をときめかせたのではないでしょうか。利休のいたずら心というか、粋な演出だったのでしょう。

夜這いについては、今日では何か陰微な印象とか、反道徳的に思う人がいるかもしれませんが、昔の農家では普通の婚姻の形式でした。
娘がいる農家では、男が夜這いで来てくれなければ困るわけです。ですから母親は夜中に、そっと部屋の中の気配をうかがって、そっと握り飯(夜食)を差し入れたりしたのです。

夜這いが普通の婚姻でしたから、娘に子ができても誰が父親かわからない。複数の男と夜這いを受け入れているのですから。
けれども、同族つまり「アカサタナ…」列の名字の平家系の人間とわかっているなら、誰の子でもかまわず、女系家族で育てたのでしょう。

女性がはいていらっしゃるスカートにいても、もともとはなんだったかご存知でしょう。いわば男の勝手な都合、だったんですよね。それを今は見事にファッションにし、「美」にしたではありませんか。
茶室もそういうものではないでしょうかね。
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2013年05月02日
新渡戸稲造 官製偉人の欺瞞(3/4)


《3》
 滝澤哲哉氏の『新渡戸稲造 武士道の売国者』(成甲書房)は、新渡戸稲造にからいだけでなく、日本武士にもかなり辛い点をつける。さてそれは正しいのかどうか。
 
 滝澤氏は「ユダヤ教を受けて成立したキリスト教は、『騙して、皆殺しにして、財産を奪え』、そして、『その奪った財産の1割を教会に喜捨せよ』と教える人殺しの宗教である。人類の歴史はユダヤ教徒とキリスト教徒によってもたらされた流血の歴史であり、それは現在も続いているということを明白に知っておかねばならない。」としたためる。

 「旧約聖書」は、人殺し、皆殺しの歴史を記述している。神なるものでさえ、民族抹殺を命じている。ところが新渡戸は、キリスト教を「最も穏やかで、最も平和を愛する宗教」などと語るのだから、偽善も極まるのだ。

 滝澤氏はこうした宗教の本当の姿、つまりキレイゴトの裏に隠された実態を見事に述べているのであり、まったく正しい。
 けれど、なのである。
 宗教が人間を騙したのはたしかではあるが、その騙されたはずの人間が立派な人格を形成したことも否定してはなるまい。

 「聖書」に書かれたことはデタラメであっても、それを真実と信じた人が、それをまじめに実践して、例えば貧民を救い、病人を助け、悩める人に手を差し伸べたことであった。例えば日本でも癩病は誰も感染を恐れて看護もしないで打ち捨てられていたが、キリスト教のシスターたちは怯まずに、癩病患者と接して看護をした。

 「敬虔な」という形容詞をバカにしたけれど、まさに騙された人のなかには「敬虔な」信者が出現したのだ。
 ウソから出たまこと、が出来した。
 とはいえ、人類の歴史で、白人キリスト教徒がやった植民地などでの異教徒殺戮などがチャラにされることはない。

 私は「武士道」なるものも、そういう奇妙な「ウソから出たまこと」があったと思う。
 教養人はいたし、科学で世界的発見をなした人物もいた。詩歌や美術をモノした武士もいた。刀術をきわめようとしたものだっていた。幕末の黒船が侵攻してきたときも、右往左往した幕閣もいたようだが、概ね堂々独立国という気概で対応したのも武士であった。
 全部の武士が、安藤昌益が指弾するような農民の寄生虫だとは言い切れまい。社会構造としては安藤昌益の言うとおりだったけれども。

 そも、日本の武士は西洋の軍人らに比べても穏やかである。
 滝澤氏はこう述べる。
 「言うまでもなく、人類の歴史は皆殺しの歴史である。対米英戦争に負けるまで、他民族による皆殺しのない日本は例外的な国だったのだ。こうした歴史がないため、日本人は他国からの侵略に対してまったく危機感が乏しい。敗戦後も米国の従属国になったまま、七十年近くが経っても米国から独立する運動が公然とは生じず、それを指導する者も出現しない。

 このまま危機意識の乏しさが続くと、今度こそ、ユダヤ・ロスチャイルド閥を頭目とする国際金融マフィアによって、日本人の持つ富は根こそぎ搾り取られてしまいかねない。」

 そのとおりだ。私もまったく同感である。キリスト教や国際金融マフィアに従属するだけでなく、支那やザイニチの侵略、工作にも危機感が乏しい。
 しかし、滝澤氏の述べたことで足りないのは、日本人がおとなしく長いものに巻かれるのは、「他民族による皆殺しのない日本は例外的な国だった」から、だけだろうか。

 私は、キリスト教のもつ矛盾、武士の持つ矛盾というべきか、マイナスの面よりプラスの面を見てしまったからではないかと思う。誤解であっても…。
 先に述べたように、悪道極まるキリスト教にも、また農民に寄生する武士にも、立派なところはあるからだ。悪い所は隠されるためでもあるが、日本人はそうした良いところを学ぼうとする。

 それは騙されたからだとは言えるが、しかし騙されたことを本当にしたのも確かなのでは?

 だから敗戦後、アメリカの文化・文明を抵抗なく取り入れる。韓国からもウソ八百の歴史ドラマや、韓流歌手の歌を喜ぶ。
 武士道もしかり、ではないのか。江戸時代、庶民は武士に威張られ、富を収奪され、脅されてきたにも関わらず、一方で武士を敬ったことも確かである。

 どういうわけか、「中庸」を日本人全員が支持し、そうなろうとしてきた。だから清濁合わせ飲む習慣が身に付いた。それのいい所もあるが、滝澤氏が指摘するように、国際金融マフィアにやられっぱなしになってしまう欠点もむろんある。

 もう一つ挙げれば、外国の宣教師が日本に来て、日本人をキリスト教徒にし、それを拠点にして日本を欧米帝国主義の植民地にすることを目指した。そして滝澤氏は、「宣教師はその尖兵である。福沢諭吉と慶応義塾は、これら尖兵の保護者であり推進者だったのだ」と説く。
 
 そのとおりに間違いない、だから慶應義塾は今でも、日本をユダ金に売り渡した竹中平蔵や榊原英資を恥ずかしげもなく教授に雇う。
 しかし一方で、福沢諭吉と慶応義塾が日本の学問や社会に貢献して来たことも否めまい。だから、受験生に高い評価がある。
 これもまた、ウソから出たまことである。

 これからは、しかし、本当の歴史の上にたってわれわれは文化・文明を創造していくべきである。ウソから出たまことではなく、本当から出た本物にしていくべきだ。
 
 「日本国民は明治以来、『ユダヤ教』や『キリスト教』等、一神教の恐ろしさを教えない一方的な欧米中心の教育を受けさせられてきた。特に、欧米美化の教育を強要されてきたので、江戸時代の日本に山片幡桃や麻田剛立、間重富のような立派な尊敬すべき啓蒙主義者や科学者がいたことなどまるで教えられていない。」
と滝澤氏がいうように、欧米盲従をやめ、本物から学んだ本当の文化を創っていかねばなるまい。






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posted by 心に青雲 at 08:17| 東京 ☁| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いや・・・おっしゃる通りだと思います。
嘘から出た真・・・か、そういう言葉がありましたね。

たとえば、マザーテレサはカトリックのシスターです。私は、宗教としてのカトリックは、悪魔の宗教だと思っているのですが・・・現実に偉大な方はいらっしゃいます。

それが、もともとの神の教えは眞だったのに、悪魔が乗っ取りをかけて悪用したからなのか、もともと一神教に悪魔的な要素が濃いのか、私にはわかりません。

でも、イワシの頭も信心からというように、素直にまっすぐに信じる心に神が宿るような不思議は現実にあると思います。

武者小路実篤の「人間ばんざい」に、そういう人間のことがありました。神々は天空からだらけて、無責任に地上をながめおろして酒の肴にしているのに、人間は神々を崇拝しながら、高貴に滅亡していく…それを見て、神々が、おもわず襟を正して「人間、万歳」を叫ぶ・・・

武士道のために高潔な死を選んだ武士はたしかにありました。三宮事件の滝善三郎は、真の武士だったと私は信じています。

 >これからは、しかし、本当の歴史の上にたってわれわれは文化・文明を創造していくべきである。ウソから出たまことではなく、本当から出た本物にしていくべきだ。<

この管理人様のお考えに大賛成です。
でも・・・日本という国が、つねに天皇と為政者という二重権利構造、二重の価値観の矛盾を漕ぎぬけて、重心をあちこち移すことで、国を保ったことを思うと、今後も、同じように「本音と建て前」で、行きそうな気がします。

なによりも世代間断絶と、地域間断絶のこの文化の違い、価値観のずれは、実際、深刻です。
Posted by 神戸だいすき at 2013年05月02日 11:31
神戸だいすき様へ

ご賛同いただいたコメント、ありがとうございます。

天皇は、申し上げたように本来は「ザイン ニヒト ザイン Sein nicht sein」(非存在の存在)であって、権力として存在しないで、権威として存在しているぶんには社会は迷惑をこうむりません。
しかし後白河、後鳥羽、後醍醐、昭和の代では天皇が権力を握り、行使ししようとしてまさに「二重権力」状態が深刻になったのです。
Posted by 神戸だいすき様へ(ブログ筆者
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騎打ち >>
2013年05月03日
新渡戸稲造 官製偉人の欺瞞(4/4)


《4》
 滝澤哲哉氏は新渡戸稲造の『武士道』が、いろいろ説いている概念を無規定のまま、そして抽象的に述べているばかりだと批判している。
 たとえば勇気、不屈、愛、仁など、武士に備わった美質としょうするものを、それはこうだと規定することなしに、垂れ流すのである。その指摘は正しい。新渡戸の文章はそういう意味で杜撰、いい加減だ。とても名著とはいえない。
 学者でも作家でもない。

 一例を挙げれば、新渡戸は「剛勇、不屈、大胆、剛胆、勇気は、青少年の心にきわめて容易に訴えかけ、鍛錬と模範で訓練できる魂の性質であるから、青少年の間で早いころから見習わせた、最も人気のある徳であった」としたためている。

 それを滝澤氏は以下のように反論する。
 「剛勇や不屈、大胆、剛胆、勇気などの精神教育を、青少年の頃より実践させること自体は結構なことである。しかし、国家を私物化している支配者は、決してこのような善い精神教育を青少年に施すとは限らない。
 彼らは、使用人である武士の青少年の頃より、剛勇、不屈、大胆、豪胆、勇気などを、むしろ「生存の保障」を否定する方向で実践する悪い教育を行なう。新渡戸はそのような教育と鍛錬を「最も人気のある徳であった」と主張しているのだ。」

 つまり豪胆とか勇気とかの徳目は、国家とか企業とか、宗教団体とかを私物化した権力者が、使用人や国民を戦争に駆り立て、「大胆」に「不屈」の精神で産業を担い、一旦緩急あるときは喜んで死ぬよう子供の頃から教育するものなのだから、結局は人民の「生存の保障」を与えぬ施策なのだと滝澤氏は説く。

 滝澤哲哉氏は、この本の中でしきりに「生存の保障」と書いている。
 人間はまず生きることが保障されなければならないとする。国家権力やキリスト教のような宗教は、歴史的にみても国民を欺き、富を収奪し、奴隷のようにこき使い、戦争に駆り出して殺戮してきた。
 
 キリスト教は、聖書に書いてあることがそのまま事実だと信じさせようとする。これが「科学を破壊し、知力を減衰させ、科学的な営為を積極的に堕落させ、『生存の保障』を否定する」と述べる。
 そのとおりに、宗教は科学の敵であった。当然科学なら救われた人の命も奪われ、考えることで社会の矛盾を解決しようとする学問の営為を阻害してきたのだから、国民が生存する権利を侵害したのだ。

 本稿でもこれまで述べてきたが、キリスト教は神を信じれば衣や食べ物を求めてガツガツしなくても、ちゃんと神が与えてくれると教えるけれど、これは建前で、キリスト教徒は世界中で、何千年間も、異民族の富、資源、土地を略奪して来たし、その戦争の兵隊として信者を動員し殺してきた。

 新渡戸は『武士道』で、キリスト教の建前だけ称讃した。武士についても同断である。
 新渡戸はただ単に、古今東西の良さげな書物については博識をさらしているが、根本は嘘つきだと断じている。
 新渡戸がイカサマ師だったことは認めるのだが、滝澤氏の歴史の見方としてはそれでいいのだろうか。

 そして、武士階級も権力を握って、武力で民の生殺与奪の権利を行使してきた。飢えた民がいようとも、それに寄生する武士は非情に農作物を奪って、民の「生存の保障」を破壊した。民に知識を与えず、武器も与えず、移動の自由さえ禁じた。これらはみんな滝澤氏の言う「生存の保障」を侵害したのである。

 この理屈は間違いだとは言いにくい。ちょうど自殺した子が出た学校で、校長が「命の大切さ」を説くように、あるいは沖縄のサヨクが「命(ぬち)どぅ宝」などと言うのと似ている。

 これまでの人類の歴史は、この権力や宗教が、民の「生存の保障」を奪われてきた歴史であり、それを奪回しようとする勢力との戦いだったというわけだ。
 いうなれば階級闘争史観であろうか。

 現在の価値観で言うなら、滝澤氏の言うことは正しいだろう。人間にはまず「生存の保障」がなされるべきだというのは。
 しかしその原則を、そのまま歴史全体に当てはめるのはいかがかと思う。
 その時代にはその時代のいわばやむを得ざる統治形態があったはずである。

 いかにも封建体制とは、権力者が武力で国家を私物化したものだ。民は虫ケラのごとく扱われたと言っても間違いではなかろう。
 しかしそうした封建時代に、国民主権、万人平等みたいな社会が出現したらどうなる? 民にそんな統括の実力はなかったはずである。

 滝澤氏はヘーゲルの研究家で、『ヘーゲル哲学の真髄』という書物を著しておられるくらいだが、ヘーゲルはいわば発展史観を(哲学の歴史)と解いたのだ。絶対精神の自己運動として。
 それを踏まえれば、人類は始めから完璧であったわけがなく、全体として運動して、変化してきたのだと知るべきことではないか。

 実際に、人民の「生存の保障」を優先させた(という建前の)ロシア革命を強引に実現させてしまったがために、ロシアはどうなった? 中共は? 北朝鮮は? 資本主義社会では人民は「生存の保障」が得られないから、共産主義が善いとしたのではなかったか。

 だが、共産主義革命は(実はユダ金の仕掛けではあったが)失敗に終わった。
 それは人民優先ではないが、ロシアも中共も、いったん近代資本主義にまともに移行すべきだったのである。労働者の搾取をマルクスは説いたが、そうしなければ富の集中と蓄積はなく、社会の発展もなかったのだ。それを飛ばして、いきなり人民主権とやってしまって、全然うまくいかなかった。
 ロシアは近代資本主義で、富を資本家に集中させるべきであった。むろんそれでは人民の「生存の保障」はないがしろにされるだろう。だが、歴史はそういう段階をとおらなければならないのである。

 遠い昔(紀元前73年)にスパルタカスの反乱がローマ帝国で起こった。奴隷の反乱であった。マルクスが主導者のスパルタカスを「古代プロレタリアートの真の代表者」と褒めたが、それは間違いである。
 たしかに奴隷の境遇は悲惨である、「生存の保障」は踏みにじられていた。
 だが、スパルタカスらは反乱は起こせても、奴隷解放は夢物語で、仮に自分たちが天下を取ったとしても、ローマ帝国と同じことをしたに違いないのである。
 当時は奴隷経済しか、人類は考えつかなかった。

 人類はローマ帝国時代で、まだ多くの人間の「生存の保障」を犠牲にして、国家の統括をするしか、実力がなかったというべきである。

 滝澤哲哉氏の『新渡戸稲造 武士道の売国者』を取り上げて論じてきたが、長くなりすぎたので、ここで終わりにしたい。
 明日は稿を改めて、武士道に関連して補足的に考えてみたい。

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