2019/10/04
生命と命は違う、生きる力と生きて行く力は違う | 株式会社感動マーケティング
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ブログ, 日々雑感
生命と命は違う、生きる力と生きて行く力は違う
生命と命は違う、生きる力と生きて行く力は違う
2016.11.27
ブログ, 日々雑感
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投稿者: kando-m
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森ノ宮医療大学 10周年記念式典で淀川キリスト教病院 理事長 柏木哲夫先生のご講演を聴くことができました。
私は存じ上げていなかったのですが、医療業界では超有名な方らしく、満席でした。
穏やかでユーモアを交えながら、言葉の一つひとつが心にしみいる話し方をされ、ネッツトヨタ南国の横田英毅氏様の様な話され方です。なんとなく風貌も似ているような気がします。
今回の講演テーマは「終末期医療を考える~いのちに寄りそう~」でしたが、「寄り添い方心構え」といった内容で、言葉の持つ意味を深く考えることが大事というお話しでした。
このブログにおいて何度かに分け、ご講演内容をお伝えしたいと思います。
第1回目は・・・
生命と命は違う
生きる力と生きて行く力は違う
大阪大学名誉教授だった中川米造氏(医学哲学)が残されたお言葉を引用されて、「生命と命」の違いをご説明いただきました。
「私の生命は間もなく終焉を迎えます。しかし、私のいのち、すなわち私の存在の意味、私の価値観は永遠に生き続けます。ですから、私は死が怖くありません。これまでの医学は、生命は診てきましたが、いのちは診てこなかった。これからの医学は、いのちも診ていく必要があります」
生命には「有限性」「閉鎖性」「客観性」があり、いのちには「無限性」「開放性」「主観性」がある
人に限らず「生命」には限界があります。また、生命は事故や事件以外では他人がどうこうできるものではなく、基本的に自分の支配下にあるので、閉鎖性があると言えます。また、生き死には第三者が客観的に判断できます。
ところが、「いのち」は存在の意味や価値観ですから、キリスト、吉田松陰などの様に、亡くなられてから年月や地域の限りなく、永遠に人々にその考え方が伝えられ(開放され)、その人々一人ひとりが主観的に感じ取ることができます。
このように考えると私の周囲には「生命」よりも「いのち」に重きを置く人が多い様に思います。そんな方々とのご縁に私は幸せを感じます。
逆にごく一部ですが、いろんな場面で、論点や感性がズレ、まともに話にならない人もいます。この方々を客観的に見ると「どう生きるか?」「どう生きてきたか?」よりも「安心、安全に生きる(生命)」事を選択されている様に思います。
柏木先生は
生きる力は生命力、生きていく力はいのちの力
と言われました。
ホスピスという終末期ケアを行う病棟では、患者さんが「痛くて、辛くて、もう生きる力がありません」とよく口にされ、精神科の外来では「もう生きていく力がありません」と言われるそうです。
もっと生きたいのに自分の生命が終焉を迎えている人の「生命」の感じ方。
生命的にはもっと生きれるのに精神がもう生きたくないと思っている人の「生命」の感じ方。
「生命」と「いのち」
奥深いです。
命 - Wikipedia
命 - Wikipedia
命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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この項目では、あらゆるものの根源を表す概念について説明しています。その他の用法については「命 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
「いのち」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「命 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年4月)
命(いのち)とは、多様で奥深い意味を持つ概念であり、生物の生きる力や期間、生きていく大もとの外に現れる働きのもと。
「唯一のよりどころとなる、最も大切なもの」という象徴的な意味もある(例:このラーメンはスープが命だ)。人間の命は特に人命と呼ばれることがあり、人命は第一に守られるべき(最も尊ばれるべき)であるという社会的通念がある。
命(めい)は、命を賭けて果たすべきことであり、命令は「命じる」こと、厳密には命を賭けて果たすべき令のことである。[要出典]しかし、現代の日本では、単なる指令・指示等と同義で用いられることが多い。
目次
1概要
2旧約聖書における命
3関連語
4関連項目
概要[編集]
あらゆるものに命は宿っており、使命を持っているとする考え方であり、寿命が尽きても新たな命を育むと考えられている。この様な場合には、「魂」と同様に用いられている。狭義には、生物の根源である生命と同義である。命あるものとないものの境界は必ずしも明確ではなく、例えば、ウイルスが生命体であるか否かは諸説ある。
「命」は2006年の「今年の漢字」に選ばれた。
旧約聖書における命[編集]
キリスト教旧約聖書として翻訳されたモーセ五書創世記において、命は血と同義である。
創世記 9章4節(新共同訳聖書)ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。
創世記 9章5節(新共同訳聖書)また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。
キリスト教旧約聖書として翻訳されたモーセ五書創世記において、命は、必ずしも人ひとりの寿命の限りではない。「あなた(אותך)をますます増やす」という記述のとおり、子孫が繋がっている間は命が継続していて断たれていないという概念である。
創世記 17章2節(新共同訳聖書)わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」
Genesis(創世記)17:2(欽定訳聖書)And I will make my covenant between me and thee, and will multiply thee exceedingly.
キリスト教旧約聖書として翻訳されたモーセ五書レビ記において、命である血の源は、女性の月経であると考えられている。
レビ記 20章18節(新共同訳聖書)生理期間中の女と寝て、これを犯した者は、女の血の源をあらわにし、女は自分の血の源をあらわにしたのであって、両者共に民の中から断たれる。
Leviticus(レビ記)20:18(欽定訳聖書)And if a man shall lie with a woman having her sickness, and shall uncover her nakedness; he hath discovered her fountain, and she hath uncovered the fountain of her blood: and both of them shall be cut off from among their people.
関連語[編集]
使命 - あるものに命を使わす目的と役割のことを指す。
寿命 - 使命を果たし命が尽きることを指す。
生命 - 生まれいづる命のことを指す。
宿命 - 最初からその命に宿っていたと考えられているもの・運命を指す。
運命 - 命が運んでくるもので、定まっていたものを指す。
天命 - 天が授けた命のことを指す。「五十にして天命を知る。」(孔子『論語』)
余命 - 余った命のことを指す。
五術の命(めい) - 天命、運命、宿命、などのように、生まれつき決められた定めを表す概念。五術には命・卜・相・医・山という五項目があり、なかでも命は命理ともいい、自分の天命や運命を知る方法という意味。
命(めい)は、命を賭けて果たすべきことであり、命令は「命じる」こと、厳密には命を賭けて果たすべき令のことである。[要出典]しかし、現代の日本では、単なる指令・指示等と同義で用いられることが多い。
目次
1概要
2旧約聖書における命
3関連語
4関連項目
概要[編集]
あらゆるものに命は宿っており、使命を持っているとする考え方であり、寿命が尽きても新たな命を育むと考えられている。この様な場合には、「魂」と同様に用いられている。狭義には、生物の根源である生命と同義である。命あるものとないものの境界は必ずしも明確ではなく、例えば、ウイルスが生命体であるか否かは諸説ある。
「命」は2006年の「今年の漢字」に選ばれた。
旧約聖書における命[編集]
キリスト教旧約聖書として翻訳されたモーセ五書創世記において、命は血と同義である。
創世記 9章4節(新共同訳聖書)ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。
創世記 9章5節(新共同訳聖書)また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。
キリスト教旧約聖書として翻訳されたモーセ五書創世記において、命は、必ずしも人ひとりの寿命の限りではない。「あなた(אותך)をますます増やす」という記述のとおり、子孫が繋がっている間は命が継続していて断たれていないという概念である。
創世記 17章2節(新共同訳聖書)わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」
Genesis(創世記)17:2(欽定訳聖書)And I will make my covenant between me and thee, and will multiply thee exceedingly.
キリスト教旧約聖書として翻訳されたモーセ五書レビ記において、命である血の源は、女性の月経であると考えられている。
レビ記 20章18節(新共同訳聖書)生理期間中の女と寝て、これを犯した者は、女の血の源をあらわにし、女は自分の血の源をあらわにしたのであって、両者共に民の中から断たれる。
Leviticus(レビ記)20:18(欽定訳聖書)And if a man shall lie with a woman having her sickness, and shall uncover her nakedness; he hath discovered her fountain, and she hath uncovered the fountain of her blood: and both of them shall be cut off from among their people.
関連語[編集]
使命 - あるものに命を使わす目的と役割のことを指す。
寿命 - 使命を果たし命が尽きることを指す。
生命 - 生まれいづる命のことを指す。
宿命 - 最初からその命に宿っていたと考えられているもの・運命を指す。
運命 - 命が運んでくるもので、定まっていたものを指す。
天命 - 天が授けた命のことを指す。「五十にして天命を知る。」(孔子『論語』)
余命 - 余った命のことを指す。
五術の命(めい) - 天命、運命、宿命、などのように、生まれつき決められた定めを表す概念。五術には命・卜・相・医・山という五項目があり、なかでも命は命理ともいい、自分の天命や運命を知る方法という意味。
保坂展人×若松英輔「いのちの政治学」 - 保坂展人|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
保坂展人×若松英輔「いのちの政治学」 - 保坂展人|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
保坂展人×若松英輔「いのちの政治学」
原発、いじめ、街並み、認知症……すべてを「いのち」の視点から見る
保坂展人 東京都世田谷区長 ジャーナリスト
2019年09月08日
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いのちの政治学|ローマ教皇|世田谷区|保坂展人|若松英輔
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拡大世田谷区長の保坂展人さん(左)と批評家の若松英輔さん=2019年8月22日、東京・九段下
世田谷区長就任から8年半。保坂展人の世田谷改革は顕著な実績を上げ、全国から注目を集める。近年は中央政界からも熱い視線を送られ、野党再編のキーマンとしても名前が上がる。保坂とは、一体いかなる政治家なのか。気鋭の批評家・若松英輔が、その根っこにある思想と世界観に迫る。
保坂展人(ほさか・のぶと) 東京都世田谷区長 ジャーナリスト
教育問題などを中心にジャーナリストとして活躍し、衆議院議員を3期11年務める。2011年4月より世田谷区長(現在3期目)
若松英輔(わかまつ・えいすけ) 批評家 随筆家
東京工業大学リベラルアーツ教育研究院教授。主な著作『井筒俊彦』、『イエス伝』、『詩集 見えない涙』など
原点は「いのち」を守ること
若松 今回お会いするにあたって、保坂さんがこれまでに書かれた本――政治家になる以前のものを含んで――を何冊か読ませていただいたのですが、読みながら自然と「いのち」という言葉が思い浮かんできました。
人間には体と心、そして「いのち」があると思うのです。むしろ、「いのち」が体と心を包んでいる、という方がよいのかもしれません。漢字の「命」ですと身体的な意味での生命現象を感じます。それですと体との区別がうまくいきません。
ここでの「いのち」は、もう少し働きが大きく、豊かなものです。多くの人は体のこと、心のことは考えても、「いのち」のことにまでは考えが及ばない。体と心をつないでいる何かを見逃している。
保坂さんは、政治家になる以前から、原発のことにしても、いじめ問題にしても、体や心を超えた「いのちの次元」のことをずっとおやりになってきた気がするのです。
ご自身が本の中で「いのち」という言葉を使われているわけではないのですが、保坂さんの実践を一言でいうとしたら「いのちの政治学」といえるのではないかと思ったのです。
保坂 「いのち」という言葉で思い出すのは、教育ジャーナリストとして活動していたときのことです。
拡大高校受験の内申書に「全共闘」と書かれたため不合格となったとして、東京都千代田区立麹町中学の卒業生の保坂展人さんが、東京都と千代田区に損害賠償を求めた裁判で、東京高裁は「内申書に何をどの程度記載するかは中学校校長の裁量」と、校長の裁量権を広く認めて原告勝訴の一審判決を取り消し、請求を棄却する判決を言い渡した。写真は、判決後の支援集会で語る保坂さん=1982年5月19日、東京・霞が関
私は中学時代、政治的な主張を込めた新聞を発刊したりしていたことを学校に問題視され、それを内申書に書かれたことで全日制の高校をすべて不合格になりました。後に東京都などを相手取って「学習権が侵害された」ことに対する損害賠償請求の裁判も起こしています。内申書裁判と呼ばれ、憲法判例として司法試験にも出題されました。
10代のときに、いわば学校からの圧力に相当に揺さぶられたわけですが、それが後になって思わぬ形でいきてくることになりました。
というのは、1980年前後に中学校や高校での校内暴力が社会問題化したとき、子どもたちはなぜ反抗するのか、暴れるのかといったことを論じた本がたくさん出版されたんですね。しかしそれは親や教師の側から書かれたものばかりで、当の子どもたちがどう考えているのかを取材したジャーナリストは、まったくいなかった。
その中で私は、校内暴力事件を起こした子や、暴走族文化に影響を受けて突っ張っているような子たちのところへ行って、徹夜で話を聞いたりして、ルポを書くようになります。理由は違えど、学校からつまみ出され、排除されたという経験が共通しているからか、あまり反発されることはなかったし、私自身も抵抗なく話を聞くことができました。
そうして子どもたちの目線で書いたレポートや記事は雑誌に掲載され、10代の子たちの大きな共感を呼びました。読者の99%が10代という、「ジュニアジャーナリズム」ともいえる新しい分野を切り開くことになったのです。
さらに、1986年の2月には鹿川裕史くん事件が起こります。
若松 東京都中野区の中学2年生だった鹿川裕史くんが、学校で「お葬式ごっこ」などの壮絶ないじめを受けた末に、自殺してしまった事件ですね。
拡大鹿川裕史君のいじめによる自殺で開かれた緊急父母会で父母にわびる校長=1986年2月3日、東京都中野区の中野富士見中
保坂 彼は亡くなる直前に書店で3冊の本を買っていて、実はそのうちの1冊が僕の著書だったのです。それを報道で知って、衝撃と共に悔しい思いがしました。なぜなら、彼が最後に買って持っていた本に私が書いたのは、「学校に行くのがつらかったら、休んでいいんだよ、逃げていいんだよ」ということだったから。今では文部科学省ですらそういうことを言うようになりましたが、当時は誰も言っていなかった。「いのちを学校に行くことと引き替えにしないで」という思いで書いた本だったのです。
でも、鹿川くんがその本を買ったのは亡くなる1時間前だったので、おそらくは読む時間はなかっただろうと思います。それがとても悔しかったし、彼が何かを私に訴えかけてきたような気がして仕方なかった。
それで、鹿川くんの遺族を訪ねてお話を聞き、当時180万部の部数を誇っていた雑誌『明星』の付録という形で、改めて「死んではいけない」というメッセージを込めたハンドブックをつくりました。
それを機に、いじめなどで苦しんでいる子どもたちからたくさんの手紙をもらうようになりました。後で、たまたま街で会った若い人に「あのハンドブックのおかげで死ぬのを思いとどまりました」と声をかけられたことも何度もあります。
その後も、いじめによる自殺などの事件について執筆や講演を続けるとともに、イギリスの「いじめホットライン」である「チャイルドライン」を取材して日本に紹介したりもしました。
そうした、まさに「いのち」を守ろうと奔走した経験が、私の一番の原点になっています。「いのちの政治学」を感じていただけたとしたら、だからかもしれません。
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自分の内側から表出してくる言葉を探したかった
若松 「いのちの政治学」と感じたのは、もちろん内容もそうなのですが、それを語る保坂さんの言葉の一つひとつが、「いのち」から発せられる言葉だと感じました。
頭から発した言葉は相手の頭に届きます。心から出た言葉は心に、そして「いのち」から出た言葉は、「いのち」に届くと思うのです。「いのち」から言葉を発したことのない人は、人が「いのち」から発した言葉を受け取ることがむずかしいかもしれない。
世田谷区長としての日々を綴った本『88万人のコミュニティデザイン』の中に、「言葉」について書かれたこんな一節がありました。
(10代の終わりごろ)喫茶店の片隅に座っては、2時間も3時間もかけて、なんとか数行の文章をつづるということを繰り返していました。安物のボールペンを握りしめ、筆圧の強い文字を刻みつけるようにノートに書きつけていたのです。私が探していたのは、誰からの借り物でもない自分の「言葉」であり、「文章」でした。「何とか自分のものにしたい」と追っても追っても、手の中につかむことは至難の業でした。
何気なく書かれていますが、誰にでもできることではないと思います。まさに「いのち」の言葉に出会おうとする現場です。当時、どのような思いがあったのでしょうか。
保坂 私は、全共闘世代より少し下の、いわゆる「遅れてきた世代」です。同世代の中では少数派だったと思いますが、政治的なことに関心をもって、中学生のころから社会運動に参加したりしていました。
しかし1970年代半ばになると、上の世代が中心となった学生運動は急速に終焉に向かっていきます。一部では連合赤軍事件のようなリンチ殺人やセクト間の内ゲバも起こり、学生たちは多くが運動を離れてサラリーマンになっていきました。
今ある日常をよりよくするために社会運動という波に乗ったつもりが、実はそれが、仲間同士で殺し合うという悪しき結果を生んでしまった。この運動の延長に開けてくる未来は何もないと分かって、出口のない暗闇にいるような気持ちになったのです。
そのときに、借り物ではない自分の「言葉」が欲しいと強く感じたのは、中国の作家・魯迅の雑感文(随筆)を読んだことが大きなきっかけでした。
中でも衝撃的だったのが「厦門にて」という雑感文です。魯迅が欄干にもたれて、「暗澹たる中国の未来」を思案していると、ブーンと一匹の蚊が飛んでくる。この蚊を手で払っているうちに「中国の未来」よりも、「蚊の行方」の方が重大な関心事になっていた……という内容なのですが、「身体と思想が同居している人間」を感じて、非常に心に刺さりました。
私も、自分の内側から表出してくる「言葉」を探したい。そう思ったのです。
若松 そして、先ほど引用した「喫茶店の片隅に……」ということをされるわけですね。
保坂 喫茶店でボールペンを握ってはみるものの、2~3行書いては「これはダメだ」と消す、その繰り返しでした。新聞やミニコミづくりで文章を書くのは慣れていたけれど、改めて書こうとすると、自分で考えたと思っていたこともみんな、人からの借り物に過ぎなかったことに気づかされる。その中で、何時間もかけてやっと数行、「これは自分の言葉ではないか」と思えるフレーズが見えてくるんです。
その後、21歳のときに月刊『宝島』という雑誌でミュージシャンの喜納昌吉さんに関する特集記事を任され、それがジャーナリストとしての最初の本格的な仕事になりました。喜納さんと3ヵ月くらい行動をともにして、そこで起こったことを100ページくらいのレポートにまとめたのですが、このときは面白いようにペンが動いて、1週間くらいで書けてしまった。それは、「書けない」自分と向き合って、格闘した経験があったからこそだと思います。
次は→土地は誰のものなのか
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土地は誰のものなのか
若松 一方で、「いのち」から発せられる言葉は、しばしば言語にならない、叫びやうめきであったり、涙であったりすることもしばしばある。そして、そういうもう一つの「言葉」を今の社会は無視し続けてきた。保坂さんは、そこに向き合い、すくい上げるということを、ぶれずに続けておられるように思います。
昨年に出版された『〈暮らしやすさ〉の都市戦略 ポートランドと世田谷をつなぐ』(岩波書店)も、大変心打たれました。アメリカ・オレゴン州のポートランドを訪れたレポートなのですが、単なるまちづくりについての本というよりは、実はこれもまた「いのち」について書かれた本なのではないかと感じたんです。いかに「いのち」を守ることができるか、という実践の本です。
たとえば、「環境都市」と呼ばれるポートランドの環境政策と重ねて、ご自身が掲げてこられた「脱原発」についてふれられたくだりがあります。原発事故というのはまさに人の「いのち」を脅かすものでした。
ですから「放射線量がこのくらいだから大丈夫ですよ」と数値を出されただけでは安心できない。それだけだと心理的な問題を解決したに過ぎません。生活全体と未来を見据えた言葉と態度で、「いのち」を守る、という姿勢を示さなくてはならないのだと思うんです。
保坂さんは脱原発だけではなくさまざまな場面で、共同体のリーダーとして身体、心はもちろん、「いのち」を守る。誰も見捨てない、と態度を示してこられた。これは、類例が決して多くない政治的実践だと感じています。
保坂 ポートランドへの旅では、本当にさまざまなことを考えさせられました。
ポートランドの環境政策を主導したのは、1966年にオレゴン州知事になった元ジャーナリスト、トム・マッコール氏です。彼は就任後、オレゴン州の海岸線をすべて州有化するという驚くべき政策実行に乗り出しました。
きっかけは、ある民間ディベロッパーがオレゴン州の海岸線をプライベートビーチにするため柵で囲ってしまったことに対し、住民から抗議の声が上がったことです。海岸は誰のものなのか。私たちみんなのものではないのか──それに対してマッコール知事は、「そのとおりだ」と応え、翌年には海岸線を開発から守る「オレゴン州海岸保護法」という州法を成立させてしまうのです。
さらにマッコール知事は、やはり住民の働きかけを受け、ポートランドの街の中心を流れるウィラメット川沿いにあった高速道路の撤去計画も進めました。本来なら街でもっとも心地よい場所であるはずのウォーターフロントは、市民が自由に使える場でなくてはならないと考えたからです。現在、その高速道路の跡地はとても気持ちのいい公園になっています。
海岸線やウォーターフロントといった土地や自然は、私有されたり、一部の使用者に独占されるべきではなく、公共の財産として確保されるべき。そうしたマッコール知事の考え方は、自然に対する強い畏敬の念を抱くアメリカ先住民の信仰や文化と重なるもののように思います。
1980年代後半に、喜納昌吉さんのご縁で、アイヌの人々を沖縄の万座毛(恩納村)に招いて、金環日食を見ながらともに平和を祈るというイベントをプロデュースしたことがあるのですが、アイヌの人々や沖縄の人々の自然観にも、やはり共通するものを感じたことを思い出しました。
若松 「土地は、自然は、誰のものなのか」──。この問いかけとまったく同じことをローマ教皇フランシスコが『回勅 ラウダート・シ』で問題にしています。
「回勅」とは、ローマ教皇が全世界のカトリック教会全体にむけて発せられる最も重要な公文書です。自然との共生、そして「いのち」を守るということは、最重要の課題の一つとして認識しています。
この回勅に、現代がこれほど困難な時代になってしまったのは、人間が土地を自分たちの専有物だと考えたからだ、という話が出てくるのです。
土地の問題は人間だけでなく、あらゆる生き物と深く関係している。しかし、あるときから人間は──それも、きわめて少数の人々が自分の「所有物」だと考え、経済価値に交換しはじめた。その矛盾が、環境問題や経済格差など、今世界を苦しめている様々な問題の原点にあるのではないか、というわけです。
教皇は「大地に対する(人間の)責任」を考え直さなくてはならないと述べています。非常に重要な考え方だと思います。
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都市も、人も、よみがえっていける
若松 もう一つ、『〈暮らしやすさ〉の都市戦略』の中で印象的だったのが、ポートランドの中心市街地の「再生」について書かれたくだりです。かつて産業の中心だった重工業が衰退し、ゴーストタウンのようになっていたエリアが、建物のリノベーションや公園・交通機関の整備などの取り組みの末に、見事に「再生」していった。むしろ「新生」というべきかもしれません。
今、日本の都市もさまざまな問題に直面していますが、どんなに荒廃した場所でもよみがえっていける、単なる「改善」ではなくて「新生」できる、という指摘はとても新鮮でした。
保坂展人さん=2019年8月22日、東京・九段下 保坂 たとえば東京の街並みも、高いビルが無秩序に密集していて、ごちゃごちゃして美しくないとよく言われますが、多くの人は、それをいまさら変えるなんてことはできないと思いがちです。でも、人がつくったものは、やっぱり人によって変えることができるものだと思うんですよ。
都市だけではありません。学校や企業や役所などについても、私たちは既存の組織が硬直化してうまく機能しなくなっていると思いながらも、どこかでそれは変えられないと思っているのではないでしょうか。
でも、たとえば世田谷区では今年、不登校になった子どもたちなどを受け入れる公設民営のフリースクールをスタートさせました。まだ開設から半年ほどですが、すでに「通いはじめて、うちの子どもが見違えるように変わりました」と何度も声をかけてもらっています。変えようとすれば、変えることは可能なのです。
特に1990年代以降、この国でずっと続いてきたのは「欲望の解放」だったと思います。弱いところからできるだけ搾り取って儲けるために、人は使い捨て、持続可能性や他人に対する思いやりなんてことは考えず、ただこの瞬間だけがよければいいという風潮が広がり続けてきた。その結果として、日本社会はここまで落ちてきてしまったんだと思うのです。
それに対して危機感を抱きながらも、もう無理なのかなという絶望を感じている人も少なくないでしょう。しかし、行政の立場になってみて、ほんの少し何か仕組みを変えるだけでも、人の毎日は大きく変わってくるんだということを実感しています。
若松 外見上は、「ほんの少し」のことなんですよね。ただ、それはおそらく、ただ体だけ、心だけではない「いのち」の次元にふれる本質的な変化だからこそ、何かを大きく動かすことができた、ということだと思うのです。
保坂 今、世田谷で取り組もうとしている「変化」として、認知症についての条例づくりがあります。世田谷区民90万人の中には、認知症の方が2万3000人いると判定されているんです。
認知症というのは、至近の記憶はすぐ飛んでしまうけれど、中長期的な記憶は非常にしっかりしていて、会話もちゃんと成り立つという人も多い。その人が病気になるまでに築いてきた生き方や人格、それに基づくプライドややさしさといったものは、当然ながら変わらず存在しているわけです。
それなのに、かつて「痴呆症」といわれたことからも分かるように、「何を言ってもどうせ分からないから」というような、差別的な扱いを受ける患者さんも少なくなかった。そこをきっちり、行政の名において切り替える人権宣言のような条例をつくりたいと考えているんです。実際に家族を介護してきた人、訪問介護の仕事をしている人、そして認知症の当事者など、さまざまな立場の人が集まって話し合っているところです。
認知症などの病気だけではなく、たとえば不登校や引きこもりといった苦しみもまた、紛れもなく人の生きざまの一部です。けれどこれまでの社会は、そういう「見たくない部分」を、まるでホッチキスで封印し「なかったこと」にしてきたようなところがあったのではないでしょうか。
認知症になったら人生は終わり、引きこもりの人はきっと何か事件を起こすに違いない……そんなふうに決めつけて排除していく社会が、多くの人の生きづらさをつくり出している。先ほどの言葉でいうならば、どうやって人の再生の回路、よみがえりの回路をつくっていくかというのが、今後一番力を入れていきたい部分ですね。
若松 一度社会生活のレールを外れてしまったら、もうよみがえることはできない。むしろ、社会の負担にすらなる、という考え方が、これまで私たちの社会を覆ってきました。
それを「仕方ないことだ」と考える世界観と、「変えることできる」また、どんな状態であれ、誰かを社会から押しだすようなことはあってはならない、という世界観には、絶対的な隔たりがあります。
保坂さんのお話からは、人間は変わっていける、よみがえっていけると、いう世界観を強く感じるのですが、それはいじめに苦しむ子どもたちなど、「弱い」「生きづらい」人たちとずっと接してこられた経験があるからなのではないかと感じました。
次は→行きすぎた分業化、細分化を乗り越えるために
---
行きすぎた分業化、細分化を乗り越えるために
保坂 以前、長崎県の佐世保市で、小学生の女の子が給食時間中に、カッターナイフで同級生を殺害するという、非常に痛ましい事件がありました(2004年佐世保女児殺人事件)。そこの小学校を訪ねて教員たちの話を聞いたことがあるのですが、一つ違和感があったのが「事件後、専門家であるスクールカウンセラーを置き、心の問題はそのカウンセラーに任せています」と言っていたことでした。
だって、子どものことを一番よく知っているのは教員のはずでしょう。いくら専門家と言っても、それまでの子どもたちのことを何も知らない人に「任せた」としてしまっていいのでしょうか。ここでもまた、見たくないことをホッチキスでとめて「なかったこと」にしてしまうような姿勢を感じました。
若松 子どもの体を「見る」専門家、心を「見る」専門家がいるだけでは不十分です。もし、誰も「いのち」を見ていなければ、結果的に「いのち」が失われることになってしまうかもしれない。「いのち」に危機を抱えた子どもがいる。「いのち」の感覚がないと、彼、彼女らの行き場もなくなっていることに、大人も気がつくことができなくなってしまうように思うのです。
保坂 学校のみならず、今の社会はさまざまな場面で分業化、細分化が進みすぎて、その人のことをまるごと受け止めてコミュニケーションすることが難しくなっている気がします。人間同士の関係でも、同じ専門分野、同じ考え方の人とだけつながっているということが増えているのではないでしょうか。
若松 この問題は、子どもの周辺だけではなく、あらゆる人が直面している問題ですね。
保坂 それを乗り越えるためには、身近な生活エリアの中にさまざまな機能を集中させていくことが必要だと感じています。
社会福祉においても、通常の福祉保健行政では、次のように分かれています。知的障害、身体障害、発達障害、高齢介護、精神障害など、それぞれ専門のチームがあって、どのチームも専門業務として成立して、他の領域のことにはほとんどタッチしないという仕組みになっているんですね。
たとえば今、一番ニーズが高いのは高齢介護なんですが、あるおじいさんが腰が痛くて動けないというので、行政から委託を受けた地域包括センターの担当職員が、必要な介護を相談するために家庭訪問したとします。おばあさんとの打ち合わせを終えて帰ろうとしたときに、ちらっと息子さんの姿を見かけた。どうやら仕事も何もしていないようだし、ちょっと精神的に疲れている感じもする……。
しかし、息子さんのことは「高齢介護」の範疇からは外れているので、職員はそれ以上、立ち入ることもなく、そのことを報告書には書きません。センターに戻ってからも誰に連絡するでもなく、そのまま忘れられて終わりになってしまうんです。
そこで世田谷区では、28地区の区の「まちづくりセンター」に高齢介護の窓口となる「あんしんすこやかセンター」(地域包括支援センター)と社会福祉協議会の事務局を一か所に集めて「福祉の相談窓口」を設け、そこに介護関係だけではないさまざまな情報が集約されてくる仕組みをつくりました。
それによって、最初に訪問したケアマネジャーが息子さんの存在に気づいたら、とりあえずおばあさんに話を聞いてみる。そうしたら、「息子が時々怒鳴ったりして怖い、精神科にかかったほうがいいとも思うけれど、怖くて言い出せない」という。それをセンターに戻って報告・共有したら、今度は保健師が息子さんのことについて相談するために改めて訪問する。そういう流れができてきたんです。
居場所をつくる、生きがいを咲かせる
保坂 「福祉の相談窓口」への情報集約を進めたことで、他にもいい変化が起こってきました。
地域には、以前は大企業の重役だったとか国家公務員だったとか、いわば「功成り名を遂げた」後にリタイアされた方がたくさんいらっしゃいます。その中には、仕事以外に何をしていいのか分からないというので、時間をもてあましている方も少なくありません。
特に男性が多いのですが、まだ身体もお元気だし、スキルや経験もたっぷりある、この「社会資源」を地域に引っ張りだそうということで、社会福祉協議会のコーディネーターが「郷土史研究会」や「映画会」、「地区活動入門講座」など年配の男性が参加しやすいイベントをいろいろ企画した。そして、1回でも参加してくれた方にはさらに声をかけて、「チーム」化して次の企画や取り組みにかかわってもらえるようにしていったんです。
結果、さまざまな方がステーションに出入りしてくれるようになっていて、現役時代は外交官だったという方が、地域の英語教室の先生を務めてくれていたりする。子どもたち向けの企画にもどんどん参加してくれています。そんなふうにいろんなことをやれる力のある人たちを、退屈で不機嫌な顔にさせておくのは、もったいないじゃないですか。
若松英輔さん=2019年8月22日、東京・九段下 若松 「生きがい」という問題ですね。「生きがい」の発見とは居場所の発見であると、お話を聞いていて思いました。これはきわめて重要な発見だと思います。どんなに才能や経験があっても、居場所がなければその人の「生きがい」は花開かない。
最近、ヘイトスピーチや歴史修正主義的な言説をネット上に書き込んだりする、いわゆる「ネトウヨ」に高齢者が増えていることが指摘されています。こうした現象も、日常の中の「居場所のなさ」が、遠因になっているのではないかと思うのです。
「ヘイト」に関する書き込みの底には、やり場のない怒りがあります。怒りは、刹那的な活力になる。これを「よい」ことだと思い込むことができれば、世の中に居場所がなくても、自分の存在意義を感じることができるかもしれない。
それに対して「あなたたちは間違っているから改めてください」と言うだけでは変わらない。人は、変われと言われても変われない。
変わるには「場」が必要です。おっしゃるように本当の意味での「居場所」をつくっていくことが、非常に大切になっていると思います。
次は→人が「幸せそうな表情で歩ける街」に
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人が「幸せそうな表情で歩ける街」に
若松 ご著書を読んでいて、政治家の本としては希有なほど、「やりたいこと」だけではなく「やってきたこと」が多く記されているのも印象に残りました。世田谷区の人口は90万人強。もっと人口の少ない県もあります。そうした規模で、こうした具体的な変化が起こせることをとても心強く感じました。
保坂 その一つが、2015年11月に開始した、同性カップルのパートナーシップ制度ですね。
よく「パートナーシップ証明書」といわれるのですが、正確には世田谷区が出しているのは「証明書」ではありません。最初に制度をつくろうとして法務担当の部門に相談すると、そもそも「パートナーシップを証明する」ための法律がないので、その証明書を行政が出すことはできないといわれたんです。
一方で、同性カップルの方たちからは、形にはこだわらず何でもいいのでとにかく区としての証明書を出してほしい、という声をたくさん聞いていました。
そこで、その両方をすりあわせて、カップルのお2人に「私たちは愛し合っていて、ともに人生を分かち合っていきます」という宣誓書を書いて区に提出してもらい、それを「たしかに受け取りました」という受領証明証を出すことにしたわけです。
法的にはそんなものに何の価値があるんだということになるのかもしれませんが、実際に変化は起こっていて、この制度を利用した第一号の女性カップルのお1人が重い病気で入院されたとき、パートナーの方は、それまで「家族以外はダメ」といわれて病室に入れなかったのが、制度ができてからは付き添いが認められるようになった。しかも、証明証を示すまでもなく「どうぞ」と入れてもらえたそうで、大きな変化だと思います。携帯電話や旅行会社の「家族割」も適用されるようになった。
さらに、スタート時点では他に同じような制度を設けているのは世田谷区と同じ日に認証制度を始めた渋谷区だけだったのですが、4年近く経った今は全国で20以上の自治体に広がっていて、それらの自治体の人口を合計すると1783万人となりました。つまり、日本の人口の1割以上にまでこの制度が広がったわけで、社会全体を変えていくきっかけをつくれたと、十分にいえるのではないかと思っています。
たとえば、「環境都市」と呼ばれるポートランドの環境政策と重ねて、ご自身が掲げてこられた「脱原発」についてふれられたくだりがあります。原発事故というのはまさに人の「いのち」を脅かすものでした。
ですから「放射線量がこのくらいだから大丈夫ですよ」と数値を出されただけでは安心できない。それだけだと心理的な問題を解決したに過ぎません。生活全体と未来を見据えた言葉と態度で、「いのち」を守る、という姿勢を示さなくてはならないのだと思うんです。
保坂さんは脱原発だけではなくさまざまな場面で、共同体のリーダーとして身体、心はもちろん、「いのち」を守る。誰も見捨てない、と態度を示してこられた。これは、類例が決して多くない政治的実践だと感じています。
保坂 ポートランドへの旅では、本当にさまざまなことを考えさせられました。
ポートランドの環境政策を主導したのは、1966年にオレゴン州知事になった元ジャーナリスト、トム・マッコール氏です。彼は就任後、オレゴン州の海岸線をすべて州有化するという驚くべき政策実行に乗り出しました。
きっかけは、ある民間ディベロッパーがオレゴン州の海岸線をプライベートビーチにするため柵で囲ってしまったことに対し、住民から抗議の声が上がったことです。海岸は誰のものなのか。私たちみんなのものではないのか──それに対してマッコール知事は、「そのとおりだ」と応え、翌年には海岸線を開発から守る「オレゴン州海岸保護法」という州法を成立させてしまうのです。
さらにマッコール知事は、やはり住民の働きかけを受け、ポートランドの街の中心を流れるウィラメット川沿いにあった高速道路の撤去計画も進めました。本来なら街でもっとも心地よい場所であるはずのウォーターフロントは、市民が自由に使える場でなくてはならないと考えたからです。現在、その高速道路の跡地はとても気持ちのいい公園になっています。
海岸線やウォーターフロントといった土地や自然は、私有されたり、一部の使用者に独占されるべきではなく、公共の財産として確保されるべき。そうしたマッコール知事の考え方は、自然に対する強い畏敬の念を抱くアメリカ先住民の信仰や文化と重なるもののように思います。
1980年代後半に、喜納昌吉さんのご縁で、アイヌの人々を沖縄の万座毛(恩納村)に招いて、金環日食を見ながらともに平和を祈るというイベントをプロデュースしたことがあるのですが、アイヌの人々や沖縄の人々の自然観にも、やはり共通するものを感じたことを思い出しました。
若松 「土地は、自然は、誰のものなのか」──。この問いかけとまったく同じことをローマ教皇フランシスコが『回勅 ラウダート・シ』で問題にしています。
「回勅」とは、ローマ教皇が全世界のカトリック教会全体にむけて発せられる最も重要な公文書です。自然との共生、そして「いのち」を守るということは、最重要の課題の一つとして認識しています。
この回勅に、現代がこれほど困難な時代になってしまったのは、人間が土地を自分たちの専有物だと考えたからだ、という話が出てくるのです。
土地の問題は人間だけでなく、あらゆる生き物と深く関係している。しかし、あるときから人間は──それも、きわめて少数の人々が自分の「所有物」だと考え、経済価値に交換しはじめた。その矛盾が、環境問題や経済格差など、今世界を苦しめている様々な問題の原点にあるのではないか、というわけです。
教皇は「大地に対する(人間の)責任」を考え直さなくてはならないと述べています。非常に重要な考え方だと思います。
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都市も、人も、よみがえっていける
若松 もう一つ、『〈暮らしやすさ〉の都市戦略』の中で印象的だったのが、ポートランドの中心市街地の「再生」について書かれたくだりです。かつて産業の中心だった重工業が衰退し、ゴーストタウンのようになっていたエリアが、建物のリノベーションや公園・交通機関の整備などの取り組みの末に、見事に「再生」していった。むしろ「新生」というべきかもしれません。
今、日本の都市もさまざまな問題に直面していますが、どんなに荒廃した場所でもよみがえっていける、単なる「改善」ではなくて「新生」できる、という指摘はとても新鮮でした。
保坂展人さん=2019年8月22日、東京・九段下 保坂 たとえば東京の街並みも、高いビルが無秩序に密集していて、ごちゃごちゃして美しくないとよく言われますが、多くの人は、それをいまさら変えるなんてことはできないと思いがちです。でも、人がつくったものは、やっぱり人によって変えることができるものだと思うんですよ。
都市だけではありません。学校や企業や役所などについても、私たちは既存の組織が硬直化してうまく機能しなくなっていると思いながらも、どこかでそれは変えられないと思っているのではないでしょうか。
でも、たとえば世田谷区では今年、不登校になった子どもたちなどを受け入れる公設民営のフリースクールをスタートさせました。まだ開設から半年ほどですが、すでに「通いはじめて、うちの子どもが見違えるように変わりました」と何度も声をかけてもらっています。変えようとすれば、変えることは可能なのです。
特に1990年代以降、この国でずっと続いてきたのは「欲望の解放」だったと思います。弱いところからできるだけ搾り取って儲けるために、人は使い捨て、持続可能性や他人に対する思いやりなんてことは考えず、ただこの瞬間だけがよければいいという風潮が広がり続けてきた。その結果として、日本社会はここまで落ちてきてしまったんだと思うのです。
それに対して危機感を抱きながらも、もう無理なのかなという絶望を感じている人も少なくないでしょう。しかし、行政の立場になってみて、ほんの少し何か仕組みを変えるだけでも、人の毎日は大きく変わってくるんだということを実感しています。
若松 外見上は、「ほんの少し」のことなんですよね。ただ、それはおそらく、ただ体だけ、心だけではない「いのち」の次元にふれる本質的な変化だからこそ、何かを大きく動かすことができた、ということだと思うのです。
保坂 今、世田谷で取り組もうとしている「変化」として、認知症についての条例づくりがあります。世田谷区民90万人の中には、認知症の方が2万3000人いると判定されているんです。
認知症というのは、至近の記憶はすぐ飛んでしまうけれど、中長期的な記憶は非常にしっかりしていて、会話もちゃんと成り立つという人も多い。その人が病気になるまでに築いてきた生き方や人格、それに基づくプライドややさしさといったものは、当然ながら変わらず存在しているわけです。
それなのに、かつて「痴呆症」といわれたことからも分かるように、「何を言ってもどうせ分からないから」というような、差別的な扱いを受ける患者さんも少なくなかった。そこをきっちり、行政の名において切り替える人権宣言のような条例をつくりたいと考えているんです。実際に家族を介護してきた人、訪問介護の仕事をしている人、そして認知症の当事者など、さまざまな立場の人が集まって話し合っているところです。
認知症などの病気だけではなく、たとえば不登校や引きこもりといった苦しみもまた、紛れもなく人の生きざまの一部です。けれどこれまでの社会は、そういう「見たくない部分」を、まるでホッチキスで封印し「なかったこと」にしてきたようなところがあったのではないでしょうか。
認知症になったら人生は終わり、引きこもりの人はきっと何か事件を起こすに違いない……そんなふうに決めつけて排除していく社会が、多くの人の生きづらさをつくり出している。先ほどの言葉でいうならば、どうやって人の再生の回路、よみがえりの回路をつくっていくかというのが、今後一番力を入れていきたい部分ですね。
若松 一度社会生活のレールを外れてしまったら、もうよみがえることはできない。むしろ、社会の負担にすらなる、という考え方が、これまで私たちの社会を覆ってきました。
それを「仕方ないことだ」と考える世界観と、「変えることできる」また、どんな状態であれ、誰かを社会から押しだすようなことはあってはならない、という世界観には、絶対的な隔たりがあります。
保坂さんのお話からは、人間は変わっていける、よみがえっていけると、いう世界観を強く感じるのですが、それはいじめに苦しむ子どもたちなど、「弱い」「生きづらい」人たちとずっと接してこられた経験があるからなのではないかと感じました。
次は→行きすぎた分業化、細分化を乗り越えるために
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行きすぎた分業化、細分化を乗り越えるために
保坂 以前、長崎県の佐世保市で、小学生の女の子が給食時間中に、カッターナイフで同級生を殺害するという、非常に痛ましい事件がありました(2004年佐世保女児殺人事件)。そこの小学校を訪ねて教員たちの話を聞いたことがあるのですが、一つ違和感があったのが「事件後、専門家であるスクールカウンセラーを置き、心の問題はそのカウンセラーに任せています」と言っていたことでした。
だって、子どものことを一番よく知っているのは教員のはずでしょう。いくら専門家と言っても、それまでの子どもたちのことを何も知らない人に「任せた」としてしまっていいのでしょうか。ここでもまた、見たくないことをホッチキスでとめて「なかったこと」にしてしまうような姿勢を感じました。
若松 子どもの体を「見る」専門家、心を「見る」専門家がいるだけでは不十分です。もし、誰も「いのち」を見ていなければ、結果的に「いのち」が失われることになってしまうかもしれない。「いのち」に危機を抱えた子どもがいる。「いのち」の感覚がないと、彼、彼女らの行き場もなくなっていることに、大人も気がつくことができなくなってしまうように思うのです。
保坂 学校のみならず、今の社会はさまざまな場面で分業化、細分化が進みすぎて、その人のことをまるごと受け止めてコミュニケーションすることが難しくなっている気がします。人間同士の関係でも、同じ専門分野、同じ考え方の人とだけつながっているということが増えているのではないでしょうか。
若松 この問題は、子どもの周辺だけではなく、あらゆる人が直面している問題ですね。
保坂 それを乗り越えるためには、身近な生活エリアの中にさまざまな機能を集中させていくことが必要だと感じています。
社会福祉においても、通常の福祉保健行政では、次のように分かれています。知的障害、身体障害、発達障害、高齢介護、精神障害など、それぞれ専門のチームがあって、どのチームも専門業務として成立して、他の領域のことにはほとんどタッチしないという仕組みになっているんですね。
たとえば今、一番ニーズが高いのは高齢介護なんですが、あるおじいさんが腰が痛くて動けないというので、行政から委託を受けた地域包括センターの担当職員が、必要な介護を相談するために家庭訪問したとします。おばあさんとの打ち合わせを終えて帰ろうとしたときに、ちらっと息子さんの姿を見かけた。どうやら仕事も何もしていないようだし、ちょっと精神的に疲れている感じもする……。
しかし、息子さんのことは「高齢介護」の範疇からは外れているので、職員はそれ以上、立ち入ることもなく、そのことを報告書には書きません。センターに戻ってからも誰に連絡するでもなく、そのまま忘れられて終わりになってしまうんです。
そこで世田谷区では、28地区の区の「まちづくりセンター」に高齢介護の窓口となる「あんしんすこやかセンター」(地域包括支援センター)と社会福祉協議会の事務局を一か所に集めて「福祉の相談窓口」を設け、そこに介護関係だけではないさまざまな情報が集約されてくる仕組みをつくりました。
それによって、最初に訪問したケアマネジャーが息子さんの存在に気づいたら、とりあえずおばあさんに話を聞いてみる。そうしたら、「息子が時々怒鳴ったりして怖い、精神科にかかったほうがいいとも思うけれど、怖くて言い出せない」という。それをセンターに戻って報告・共有したら、今度は保健師が息子さんのことについて相談するために改めて訪問する。そういう流れができてきたんです。
居場所をつくる、生きがいを咲かせる
保坂 「福祉の相談窓口」への情報集約を進めたことで、他にもいい変化が起こってきました。
地域には、以前は大企業の重役だったとか国家公務員だったとか、いわば「功成り名を遂げた」後にリタイアされた方がたくさんいらっしゃいます。その中には、仕事以外に何をしていいのか分からないというので、時間をもてあましている方も少なくありません。
特に男性が多いのですが、まだ身体もお元気だし、スキルや経験もたっぷりある、この「社会資源」を地域に引っ張りだそうということで、社会福祉協議会のコーディネーターが「郷土史研究会」や「映画会」、「地区活動入門講座」など年配の男性が参加しやすいイベントをいろいろ企画した。そして、1回でも参加してくれた方にはさらに声をかけて、「チーム」化して次の企画や取り組みにかかわってもらえるようにしていったんです。
結果、さまざまな方がステーションに出入りしてくれるようになっていて、現役時代は外交官だったという方が、地域の英語教室の先生を務めてくれていたりする。子どもたち向けの企画にもどんどん参加してくれています。そんなふうにいろんなことをやれる力のある人たちを、退屈で不機嫌な顔にさせておくのは、もったいないじゃないですか。
若松英輔さん=2019年8月22日、東京・九段下 若松 「生きがい」という問題ですね。「生きがい」の発見とは居場所の発見であると、お話を聞いていて思いました。これはきわめて重要な発見だと思います。どんなに才能や経験があっても、居場所がなければその人の「生きがい」は花開かない。
最近、ヘイトスピーチや歴史修正主義的な言説をネット上に書き込んだりする、いわゆる「ネトウヨ」に高齢者が増えていることが指摘されています。こうした現象も、日常の中の「居場所のなさ」が、遠因になっているのではないかと思うのです。
「ヘイト」に関する書き込みの底には、やり場のない怒りがあります。怒りは、刹那的な活力になる。これを「よい」ことだと思い込むことができれば、世の中に居場所がなくても、自分の存在意義を感じることができるかもしれない。
それに対して「あなたたちは間違っているから改めてください」と言うだけでは変わらない。人は、変われと言われても変われない。
変わるには「場」が必要です。おっしゃるように本当の意味での「居場所」をつくっていくことが、非常に大切になっていると思います。
次は→人が「幸せそうな表情で歩ける街」に
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人が「幸せそうな表情で歩ける街」に
若松 ご著書を読んでいて、政治家の本としては希有なほど、「やりたいこと」だけではなく「やってきたこと」が多く記されているのも印象に残りました。世田谷区の人口は90万人強。もっと人口の少ない県もあります。そうした規模で、こうした具体的な変化が起こせることをとても心強く感じました。
保坂 その一つが、2015年11月に開始した、同性カップルのパートナーシップ制度ですね。
よく「パートナーシップ証明書」といわれるのですが、正確には世田谷区が出しているのは「証明書」ではありません。最初に制度をつくろうとして法務担当の部門に相談すると、そもそも「パートナーシップを証明する」ための法律がないので、その証明書を行政が出すことはできないといわれたんです。
一方で、同性カップルの方たちからは、形にはこだわらず何でもいいのでとにかく区としての証明書を出してほしい、という声をたくさん聞いていました。
そこで、その両方をすりあわせて、カップルのお2人に「私たちは愛し合っていて、ともに人生を分かち合っていきます」という宣誓書を書いて区に提出してもらい、それを「たしかに受け取りました」という受領証明証を出すことにしたわけです。
法的にはそんなものに何の価値があるんだということになるのかもしれませんが、実際に変化は起こっていて、この制度を利用した第一号の女性カップルのお1人が重い病気で入院されたとき、パートナーの方は、それまで「家族以外はダメ」といわれて病室に入れなかったのが、制度ができてからは付き添いが認められるようになった。しかも、証明証を示すまでもなく「どうぞ」と入れてもらえたそうで、大きな変化だと思います。携帯電話や旅行会社の「家族割」も適用されるようになった。
さらに、スタート時点では他に同じような制度を設けているのは世田谷区と同じ日に認証制度を始めた渋谷区だけだったのですが、4年近く経った今は全国で20以上の自治体に広がっていて、それらの自治体の人口を合計すると1783万人となりました。つまり、日本の人口の1割以上にまでこの制度が広がったわけで、社会全体を変えていくきっかけをつくれたと、十分にいえるのではないかと思っています。
若松 キリスト教徒にとっては――私もカトリックですが――戸籍がどうであれ、教会で挙式することが「結婚」です。法的、一般社会的には通用しなかったとしても、キリスト教徒の間では挙式さえ済んでいれば、正式な「結婚」として扱われる。パートナーシップ制度の話を聞いたとき、それと同じようなことが宗教ではなく、行政を通じて実現できるんだと驚きました。
今、日本という国の政治は、本当の意味での「人間の生活」を見失っている気がしています。一人ひとりの生活を見ないままさまざまなことが決められている。人々が抱える苦しみも悲しみも、まったく顧みられることはない。
一方で、世田谷区のように地域レベルでは、「人間の生活」と向き合った政治が、たしかに動きはじめている。このことの意味を、もっと真摯に見ていく必要があると思います。たしかに実践することの意味、実践されたことの意味です。
保坂 まちづくりにおいてもっとも重要なのは、「どんな街の姿を到達点にしたいのか」ということだと思います。高層ビルがたくさん建って、どんどんお金が入ってくるような街にしたいのか、それとは違うところに価値を見出すのか。
私は、道を歩いている人がみんな幸せそうな表情でいて、誰かが誰かに道を尋ねたらそこからおしゃべりが始まるような雰囲気の街が「住みやすい」街だと思っているし、そういう街をつくりたいと考えています。かつては日本の多くの街にそうした住みやすさがあったはずなのに、経済指数では表れてこない部分だけに、時代とともにどんどん失われていってしまった。それを取り戻したいと考えています。
若松 現代社会は、すべての結果を数値で表現することが当たり前になっているし、私たちもそれに慣れてしまっています。正しいということは、数値化できると考えている人もいるかもしれません。
本来、人の生活の中には、数値化できない、量ではなくて質を見るべき大切なものもあるはずなのに、その部分はずっと見捨てられてきました。「量的」なものには代わりがあります。しかし、「質的」であるとは世界に一つだけしかないものということです。そのもっとも典型的なものが、人の「いのち」です。これが見捨てられてきたということだと思います。
そろそろ私たちは、体や心のことだけでなく、「いのち」の次元を見つめる姿勢を取り戻さなくてはならない。そうでなければ、この社会が根底から壊れていってしまうところまで来ている気がします。その意味で、保坂さんが実践されている「いのちの政治学」は、今、本当にこの国に必要なものだと思うのです。
「論座」で執筆中の保坂展人さんのtwitterフォロワーが8万人を超えようとしています。10月8日19時から「LOFT9 Shibuya」(渋谷駅徒歩3分)で記念イベントを開催します。「論座」で執筆中の政治学者・中島岳志さんもゲストで登壇します。主催・問い合わせは「保坂展人と元気印の会」(03-6379-2107)へ。
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(28) 맞는 말씀입니다. 국립대들도 문제투성이지만, 사립대는...사실 조폭조직과는 별 차이... - Vladimir Tikhonov
(28
) 맞는 말씀입니다. 국립대들도 문제투성이지만, 사립대는...사실 조폭조직과는 별 차이... - Vladimir Tikhonov
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Vladimir Tikhonov
9 hrs ·
맞는 말씀입니다. 국립대들도 문제투성이지만, 사립대는...사실 조폭조직과는 별 차이 없습니다. 많은 경우에는 버스/교주의 '사유물'이죠. 임기 없는 총장부터 그렇습니다. 임기도 없고, 총장의 학력이 위조돼 있는지 어떤지 그 조직 구성원들 중에서는 그 누구도 감히 묻지도 못할 겁니다. 두목의 최측근에게는 "진짜 고등 학교 나왔냐"고 따지는 꼴이 될텐데, 그건 어느 '파', 어느 두목이 용인하겠어요? 그리고 "교수님"들은 성추행부터 연구비 횡령까지 별나별 짓을 "안에서" 다 해도, "밖에서"는 학교 문제만 거론하지 않으면 됩니다. 두목과 그 측근들에게 "충성"만 하면, 많은 문제들이 용서되는 꼴이죠. 류석춘은 한 명만은 아닙니다. 수업 도중에 여학생을 회롱하는 반성 없는 마초 교수는 학교마다 보통 있죠. 그런데 역시 이들이 학교에 "충성"하는 이상 그냥 무난히 정년까지 일하고 정년하고 나서 꽤나 괜찮은 사학연금을 받으면서 잘 살 기능성은 제일 많습니다.
민주주의는 재벌의 문 내지 대학 재벌의 문 앞에 멈추어 섭니다. 금일의 대한민국에 대해서 꼭 기억해야 하는 부분이죠.
NEWS.KHAN.CO.KR
[정동칼럼]‘조국사태’와 교수사회
얼마 전 고 김용균씨 어머니 김미숙님을 어느 교수 모임에서 뵈었다. ‘김용균재단’ 설립을 홍보하기 위해 오셨다. 그 어머니의 그 얼굴과 목소리에 서리고 새겨진 기운이나 감정을 뭐라 칭해야 할지? 슬픔, 눈물 같은 흔한 단어들은 미치지 못하는 듯하다. ‘세월호’를 통해 좀 배우긴 했지만 이런 참척에는 여전히 다른 통사가 필요하다.
그 어머니가 “용균이 같은 일이 없게 하려면 교수님들이 중요하다”는 그런, 저절로 얼굴이 붉어질 수밖에 없는 말씀을 했다. 짧은 행사가 끝나고는 너무 공손하게 허리 숙여 교수들에게 인사하셨다. 낳고 키운 자식을 잃는다는 것이 어떤 건지 모르지만, 가슴에 치받는 무언가를 어쩌지 못했다. 그리고 부끄러웠다.
‘조국사태’는 한국 대학과 교수사회의 참담한 모순과 기괴한 실상을 또다시 드러냈다. 한국 민주주의는 대학 문 앞에서 멈춘다. 특권적 교육 차별, 대학의 반민주성, 대학 내부의 불평등은 정규직 교수들의 무책임·무능과 긴한 관계를 갖고 있다. 특권층 자녀들이 대학 실험실과 연구실에 드나들며 ‘제1저자’ 논문을 발표한 사실은 여전히 충격적이다. 대학이 계급재생산에 어떤 역할을 하며 교수들의 계급성이 무엇인지를 보여준 일이다. 그들만의 ‘공정’ 촛불을 든 ‘스카이’ 학생들을 과연 누가 가르치는가? 그 특권과 서열의식은 어디서 왔겠는가? ‘주요 대학’들은 고교서열화의 실질적 배후조종자다.
따라서 고교서열화와 대학 ‘캐슬’을 동시에 허무는 전략이 요청된다. 그렇지 않고는 한국 민주주의란 늘 반편이다. 혹자들은 서울대(학부)나 ‘스카이’가 없어지면 그걸 대신하는 또 다른 명문과 서열이 등장할 것이라고 걱정한다. 일면 그럴듯하게 들리지만, 이는 서울대·고려대·연세대의 네트워크가 얼마나 강고하게 정계·재계·언론계·학계 등 이 좁은 나라의 모든 영역에서 지배력을 행사하고 있는지, 그 역사와 특권의 연줄망이 얼마나 깊고 촘촘한지, 제대로 인식하지 못해서 하는 소리다. 게다가 우리는 건국 이래 단 한 번도 ‘스카이캐슬’의 지배에서 벗어나 살아본 적이 없다.
무려 25년간 총장 자리를 지키며 군림해왔는데 알고 보니 허위 학력자라는 의혹이 불거진 동양대 총장의 경우는 어떤가? 상당수의 사립대학 총장 자리는 임기가 없다. 검증도 책임도 없다. 짬짜미로 구성된 이사회와 신에 준하는 권능을 지닌 교주(校主)가 자의로 뽑거나 ‘꽂는다’. 그래서 전체 대학 구성원이 참여하는 총장 선출제가 반드시 필요하다. 그중 직선제는 최선은 아니지만 차선쯤은 된다고 생각한다. 그러나 현재 총장 직선제를 시행하고 있는 대학은 전국에 20여개밖에 되지 않는다. ‘이명박근혜’ 정권은 총장 직선제를 많이 없애서 대학 민주주의에 치명타를 가했었다. 2015년 고현철 부산대 교수는 총장 직선제를 수호하기 위해 자신의 생명을 희생했다. 그는 “대학의 민주화는 진정한 민주주의 수호의 최후의 보루다”라는 말을 남겼다.
보통의 사립대 교수들은 ‘찍힐까’ 겁이 나서 정규직조차 정치행동을 거의 못한다.(이번 ‘조국 반대’ 교수들이 이름은 밝히되 소속 학교까지 밝히지는 못한 코미디도 이런 견지에서 이해해볼 수 있다) 이불 속이나 술집에서는 모르겠으나, 대부분은 침묵하며 거세된 시민으로 살아간다. 그런데 ‘일베를 많이 하라’고 청년들에게 권해온 류석춘 연세대 교수의 막말과 성희롱성 발언은 어떻게 또 가능했을까? 대부분 정규직 교수들에 의해 저질러지는 표절, 성희롱, 연구비 횡령 등 비위는 왜 중단되지 않을까? 교수라는 존재의 권력과 권리가 극단적으로 불평등하게 배분되어 있기 때문이다. 대학은 일종의 신분사회며, 그 하부는 노예화된 비정규직에 의해 지탱된다. 위는 ‘고인 물’이요, 아래는 불안정과 소외가 넘쳐나는 폐허다.
한편 진보 정규직 교수들은 이번 사태에서 ‘검찰개혁 조국지지’ 서명운동을 발의·주도했다. 5000여명의 교수·연구자가 동조했다. 그러나 우리 교수들에게 필요한 것은 ‘조국수호’ 대열의 앞장이 아니라, 깊은 자기반성과 그에 걸맞은 실천이다. 586세대 교수들은 대학에서의 비정규직 차별 문제를 하나도 해결하지 못했고, 후배들과 젊은 세대로부터 불신당하고 있다. ‘지금 검찰개혁이 중요하다’는 행동을 이끌던 교수들이 ‘다음’엔 노동개혁이나 교육개혁을 위해 이번처럼 열정적으로 직장이나 거리에서 싸울까? 고대해본다. 물론 노동개혁이나 교육개혁이 ‘다음’은 아니다.
수많은 검찰개혁 촛불로써 시민이 주체가 되는 사회개혁의 잠재력이 살아있음을 확인할 수 있었다. 그러나 시민의 위대한 힘이 ‘조국수호’가 아니라 ‘조국사태’를 통해 드러난 철옹의 불평등과 계급 ‘캐슬’을 깨는 데 몰아닥치기 희망한다. 누구를 위해서가 아니라, 바로 자신과 자기 아이의 평범한 삶을 위해서.
천정환 성균관대 국어국문학과 교수
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黃薔 박노자 (Vladimir Tikhonov)교수님의 컬럼에 대한 코멘트가 페부를 찌릅니다. 미국에서는 한국에 비해 교수라는 직업이 허접한 직업입니다. 저도 박사를 받고 몇군데 조교수자리를 알아보다 교수자리에 실망하고 공무원이 되었습니다. 조교수 초봉이 4만불에서 7만불사이입니다. 그런데 강의수당은 2만불에서 4만불정도 됩니다. 나머지는 교수가 벌어와야 합니다. 벌어다 학교를 먹여살리는 구조입니다. 제대로 벌어오지 못하면 텐뉴어에서 짤려서 이학교 저학교 조교수자리를 전전해야 합니다. 텐뉴어를 받고 부교수가 되고 정교수가 되어도 강의수당 이외에 돈 벌어다 학교를 먹여 살리는 일은 끝나지 않습니다. 운이 좋아 장사가 잘되면 좋치만 하늘에 별따기지요. 학회에서 관련공무원을 만나면 커피와 주점부리를 챙겨서 장사를 위해 아부를 떨어야 합니다. 박사받기도 힘들었는데 박사보다 힘든 텐뉴어 조교수를 한다는게 너무 무식하고 무모해 보였습니다. 사실 박사라는게 가리키고 연구하도록 훈련된 과정이라 다른길이 없다면 텐뉴어 조교수 자리도 감지덕지하며 개고생을 했겠지만. 최소한 미국에서는 교수자리가 한국에서 꼴갑떠는 그런 지위도 여건도 전혀 없는 똑똑한 학생들이 가길 기피하는 직업입니다. 또 자식들 학비 비싼 명문대 대부분 못보냅니다.
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"맞는 말씀입니다. 국립대들도 문제투성이지만, 사립대는...사실 조폭조직과는 별 차이 없습니다. 많은 경우에는 버스/교주의 '사유물'이죠. 임기 없는 총장부터 그렇습니다. 임기도 없고, 총장의 학력이 위조돼 있는지 어떤지 그 조직 구성원들 중에서는 그 누구도 감히 묻지도 못할 겁니다. 두목의 최측근에게는 "진짜 고등 학교 나왔냐"고 따지는 꼴이 될텐데, 그건 어느 '파', 어느 두목이 용인하겠어요? 그리고 "교수님"들은 성추행부터 연구비 횡령까지 별나별 짓을 "안에서" 다 해도, "밖에서"는 학교 문제만 거론하지 않으면 됩니다. 두목과 그 측근들에게 "충성"만 하면, 많은 문제들이 용서되는 꼴이죠. 류석춘은 한 명만은 아닙니다. 수업 도중에 여학생을 회롱하는 반성 없는 마초 교수는 학교마다 보통 있죠. 그런데 역시 이들이 학교에 "충성"하는 이상 그냥 무난히 정년까지 일하고 정년하고 나서 꽤나 괜찮은 사학연금을 받으면서 잘 살 기능성은 제일 많습니다.
민주주의는 재벌의 문 내지 대학 재벌의 문 앞에 멈추어 섭니다. 금일의 대한민국에 대해서 꼭 기억해야 하는 부분이죠."
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) 맞는 말씀입니다. 국립대들도 문제투성이지만, 사립대는...사실 조폭조직과는 별 차이... - Vladimir Tikhonov
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Vladimir Tikhonov
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맞는 말씀입니다. 국립대들도 문제투성이지만, 사립대는...사실 조폭조직과는 별 차이 없습니다. 많은 경우에는 버스/교주의 '사유물'이죠. 임기 없는 총장부터 그렇습니다. 임기도 없고, 총장의 학력이 위조돼 있는지 어떤지 그 조직 구성원들 중에서는 그 누구도 감히 묻지도 못할 겁니다. 두목의 최측근에게는 "진짜 고등 학교 나왔냐"고 따지는 꼴이 될텐데, 그건 어느 '파', 어느 두목이 용인하겠어요? 그리고 "교수님"들은 성추행부터 연구비 횡령까지 별나별 짓을 "안에서" 다 해도, "밖에서"는 학교 문제만 거론하지 않으면 됩니다. 두목과 그 측근들에게 "충성"만 하면, 많은 문제들이 용서되는 꼴이죠. 류석춘은 한 명만은 아닙니다. 수업 도중에 여학생을 회롱하는 반성 없는 마초 교수는 학교마다 보통 있죠. 그런데 역시 이들이 학교에 "충성"하는 이상 그냥 무난히 정년까지 일하고 정년하고 나서 꽤나 괜찮은 사학연금을 받으면서 잘 살 기능성은 제일 많습니다.
민주주의는 재벌의 문 내지 대학 재벌의 문 앞에 멈추어 섭니다. 금일의 대한민국에 대해서 꼭 기억해야 하는 부분이죠.
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[정동칼럼]‘조국사태’와 교수사회
그 어머니가 “용균이 같은 일이 없게 하려면 교수님들이 중요하다”는 그런, 저절로 얼굴이 붉어질 수밖에 없는 말씀을 했다. 짧은 행사가 끝나고는 너무 공손하게 허리 숙여 교수들에게 인사하셨다. 낳고 키운 자식을 잃는다는 것이 어떤 건지 모르지만, 가슴에 치받는 무언가를 어쩌지 못했다. 그리고 부끄러웠다.
‘조국사태’는 한국 대학과 교수사회의 참담한 모순과 기괴한 실상을 또다시 드러냈다. 한국 민주주의는 대학 문 앞에서 멈춘다. 특권적 교육 차별, 대학의 반민주성, 대학 내부의 불평등은 정규직 교수들의 무책임·무능과 긴한 관계를 갖고 있다. 특권층 자녀들이 대학 실험실과 연구실에 드나들며 ‘제1저자’ 논문을 발표한 사실은 여전히 충격적이다. 대학이 계급재생산에 어떤 역할을 하며 교수들의 계급성이 무엇인지를 보여준 일이다. 그들만의 ‘공정’ 촛불을 든 ‘스카이’ 학생들을 과연 누가 가르치는가? 그 특권과 서열의식은 어디서 왔겠는가? ‘주요 대학’들은 고교서열화의 실질적 배후조종자다.
따라서 고교서열화와 대학 ‘캐슬’을 동시에 허무는 전략이 요청된다. 그렇지 않고는 한국 민주주의란 늘 반편이다. 혹자들은 서울대(학부)나 ‘스카이’가 없어지면 그걸 대신하는 또 다른 명문과 서열이 등장할 것이라고 걱정한다. 일면 그럴듯하게 들리지만, 이는 서울대·고려대·연세대의 네트워크가 얼마나 강고하게 정계·재계·언론계·학계 등 이 좁은 나라의 모든 영역에서 지배력을 행사하고 있는지, 그 역사와 특권의 연줄망이 얼마나 깊고 촘촘한지, 제대로 인식하지 못해서 하는 소리다. 게다가 우리는 건국 이래 단 한 번도 ‘스카이캐슬’의 지배에서 벗어나 살아본 적이 없다.
무려 25년간 총장 자리를 지키며 군림해왔는데 알고 보니 허위 학력자라는 의혹이 불거진 동양대 총장의 경우는 어떤가? 상당수의 사립대학 총장 자리는 임기가 없다. 검증도 책임도 없다. 짬짜미로 구성된 이사회와 신에 준하는 권능을 지닌 교주(校主)가 자의로 뽑거나 ‘꽂는다’. 그래서 전체 대학 구성원이 참여하는 총장 선출제가 반드시 필요하다. 그중 직선제는 최선은 아니지만 차선쯤은 된다고 생각한다. 그러나 현재 총장 직선제를 시행하고 있는 대학은 전국에 20여개밖에 되지 않는다. ‘이명박근혜’ 정권은 총장 직선제를 많이 없애서 대학 민주주의에 치명타를 가했었다. 2015년 고현철 부산대 교수는 총장 직선제를 수호하기 위해 자신의 생명을 희생했다. 그는 “대학의 민주화는 진정한 민주주의 수호의 최후의 보루다”라는 말을 남겼다.
보통의 사립대 교수들은 ‘찍힐까’ 겁이 나서 정규직조차 정치행동을 거의 못한다.(이번 ‘조국 반대’ 교수들이 이름은 밝히되 소속 학교까지 밝히지는 못한 코미디도 이런 견지에서 이해해볼 수 있다) 이불 속이나 술집에서는 모르겠으나, 대부분은 침묵하며 거세된 시민으로 살아간다. 그런데 ‘일베를 많이 하라’고 청년들에게 권해온 류석춘 연세대 교수의 막말과 성희롱성 발언은 어떻게 또 가능했을까? 대부분 정규직 교수들에 의해 저질러지는 표절, 성희롱, 연구비 횡령 등 비위는 왜 중단되지 않을까? 교수라는 존재의 권력과 권리가 극단적으로 불평등하게 배분되어 있기 때문이다. 대학은 일종의 신분사회며, 그 하부는 노예화된 비정규직에 의해 지탱된다. 위는 ‘고인 물’이요, 아래는 불안정과 소외가 넘쳐나는 폐허다.
한편 진보 정규직 교수들은 이번 사태에서 ‘검찰개혁 조국지지’ 서명운동을 발의·주도했다. 5000여명의 교수·연구자가 동조했다. 그러나 우리 교수들에게 필요한 것은 ‘조국수호’ 대열의 앞장이 아니라, 깊은 자기반성과 그에 걸맞은 실천이다. 586세대 교수들은 대학에서의 비정규직 차별 문제를 하나도 해결하지 못했고, 후배들과 젊은 세대로부터 불신당하고 있다. ‘지금 검찰개혁이 중요하다’는 행동을 이끌던 교수들이 ‘다음’엔 노동개혁이나 교육개혁을 위해 이번처럼 열정적으로 직장이나 거리에서 싸울까? 고대해본다. 물론 노동개혁이나 교육개혁이 ‘다음’은 아니다.
수많은 검찰개혁 촛불로써 시민이 주체가 되는 사회개혁의 잠재력이 살아있음을 확인할 수 있었다. 그러나 시민의 위대한 힘이 ‘조국수호’가 아니라 ‘조국사태’를 통해 드러난 철옹의 불평등과 계급 ‘캐슬’을 깨는 데 몰아닥치기 희망한다. 누구를 위해서가 아니라, 바로 자신과 자기 아이의 평범한 삶을 위해서.
천정환 성균관대 국어국문학과 교수
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黃薔 박노자 (Vladimir Tikhonov)교수님의 컬럼에 대한 코멘트가 페부를 찌릅니다. 미국에서는 한국에 비해 교수라는 직업이 허접한 직업입니다. 저도 박사를 받고 몇군데 조교수자리를 알아보다 교수자리에 실망하고 공무원이 되었습니다. 조교수 초봉이 4만불에서 7만불사이입니다. 그런데 강의수당은 2만불에서 4만불정도 됩니다. 나머지는 교수가 벌어와야 합니다. 벌어다 학교를 먹여살리는 구조입니다. 제대로 벌어오지 못하면 텐뉴어에서 짤려서 이학교 저학교 조교수자리를 전전해야 합니다. 텐뉴어를 받고 부교수가 되고 정교수가 되어도 강의수당 이외에 돈 벌어다 학교를 먹여 살리는 일은 끝나지 않습니다. 운이 좋아 장사가 잘되면 좋치만 하늘에 별따기지요. 학회에서 관련공무원을 만나면 커피와 주점부리를 챙겨서 장사를 위해 아부를 떨어야 합니다. 박사받기도 힘들었는데 박사보다 힘든 텐뉴어 조교수를 한다는게 너무 무식하고 무모해 보였습니다. 사실 박사라는게 가리키고 연구하도록 훈련된 과정이라 다른길이 없다면 텐뉴어 조교수 자리도 감지덕지하며 개고생을 했겠지만. 최소한 미국에서는 교수자리가 한국에서 꼴갑떠는 그런 지위도 여건도 전혀 없는 똑똑한 학생들이 가길 기피하는 직업입니다. 또 자식들 학비 비싼 명문대 대부분 못보냅니다.
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"맞는 말씀입니다. 국립대들도 문제투성이지만, 사립대는...사실 조폭조직과는 별 차이 없습니다. 많은 경우에는 버스/교주의 '사유물'이죠. 임기 없는 총장부터 그렇습니다. 임기도 없고, 총장의 학력이 위조돼 있는지 어떤지 그 조직 구성원들 중에서는 그 누구도 감히 묻지도 못할 겁니다. 두목의 최측근에게는 "진짜 고등 학교 나왔냐"고 따지는 꼴이 될텐데, 그건 어느 '파', 어느 두목이 용인하겠어요? 그리고 "교수님"들은 성추행부터 연구비 횡령까지 별나별 짓을 "안에서" 다 해도, "밖에서"는 학교 문제만 거론하지 않으면 됩니다. 두목과 그 측근들에게 "충성"만 하면, 많은 문제들이 용서되는 꼴이죠. 류석춘은 한 명만은 아닙니다. 수업 도중에 여학생을 회롱하는 반성 없는 마초 교수는 학교마다 보통 있죠. 그런데 역시 이들이 학교에 "충성"하는 이상 그냥 무난히 정년까지 일하고 정년하고 나서 꽤나 괜찮은 사학연금을 받으면서 잘 살 기능성은 제일 많습니다.
민주주의는 재벌의 문 내지 대학 재벌의 문 앞에 멈추어 섭니다. 금일의 대한민국에 대해서 꼭 기억해야 하는 부분이죠."
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태극권을 해야 하는 7가지 이유: 오늘부터 시작해 볼까? — Wonderful Mind
태극권을 해야 하는 7가지 이유: 오늘부터 시작해 볼까? — Wonderful Mind
태극권을 해야 하는 7가지 이유: 오늘부터 시작해 볼까?
2018-05-30
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에두아르도 푼셋: 카리스마 있는 과학 고문관
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감각 차단 탱크의 역사와 이점
태극권을 하는 사람이 주변에 있는가? 태극권은 지난 수 년간 전 세계적으로 매우 큰 인기를 끌었다. 이 운동은 중국 황실에서 시작되었지만, 오늘날 수백만의 사람들이 세계 각지에서 그것을 실행한다.
태극권은 물리적으로 영적인 운동이지만 동시에 명상의 하나다. 그것은 무술이지만 동시에 삶의 방식이다. 사람들은 이 운동을 “움직이는 명상”이라고 부르고, 많은 추종자들이 있는데, 그것은 많은 사람들이 이 운동을 통해 육체적, 정신적 건강을 얻었기 때문이다.
“시냇물이 깊은 곳에서 잔잔하게 흐른다.”
-윌리엄 셰익스피어-
태극권을 해야 하는 7가지 이유
이 무술은 기본적으로 일련의 동작을 배우고 연습하는 것으로 구성되어 있다. 그 모양에는 “날개를 펼치는 흰 두루미”, “야생마의 갈기를 자르다”와 같은 시적인 이름이 붙은 자세가 있다. 분명 큰 도움이 될 것이다.
1. 태극권은 삶의 에너지를 제공한다
태극권은 도교의 철학과 밀접한 관련이 있다. 그래서 “Qi” 혹은 “Chi(치)”라는 에너지를 수반한다. 이는 생명 에너지의 일부다. 전통 한의학에 따르면, 이 에너지는 우리의 몸과 바른 길을 통해 자유롭게 흐르는 에너지다. 그러지 못하면 중간에 막혀서 몸이 아프게 된다.
태극권의 움직임은 에너지 흐름을 활성화하고 어떤 장애물에도 막히지 않도록 고안되었다. 우선 근육, 호흡기, 그리고 순환 계통에서 그것을 느낄 수 있다. 이를 통해 몸을 질병으로부터 보호한다.
2. 태극권은 마음을 진정시킨다
앞서 언급했듯이, 태극권은 휴식 기술이기도 하다. 이 자세들은 긴장된 근육을 풀어 주기 때문이다. 우리의 마음 속에 평화를 가져오고 평온함을 조성하는 호흡 기술이 있다.
정신적 균형은 태극권의 가장 큰 목표다. 그것은 우리의 감정을 균형 있게 유지시키고, 삶에 대해 더 긍정적인 태도를 가질 수 있도록 해준다. 태극권을 주기적으로 하는 사람들은 불안감을 덜 느낀다.
3. 팔 다리 힘이 강해진다
기본적으로 태극권은 서서 취하는 포즈다. 이 독특한 무술 덕분에 관절이 튼튼해질 수 있다. 몸에는 많은 산소가 공급 되고, 근육은 탄력을 받는다. 따라서 팔과 다리가 훨씬 더 튼튼해진다. 또한 40세 이후에 급속도로 빠지는 근육의 속도를 줄여준다.
4. 호흡 및 심혈관 기능 개선
어떤 종류의 운동이든 호흡기와 심장 건강을 강화시킨다. 태극권도 예외는 아니다. 하지만 태극권은 동적 운동과 정적 운동을 결합하여 부드럽고 점진적인 운동이라는 추가적인 이점이 있다.
연구에 따르면 태극권을 하는 동안 심박수는 내려가지만 혈액 순환은 올라간다. 심호흡을 하면 폐용량도 늘어난다.
5. 편두통, 근육통, 불면증에 도움이 된다.
근육 통증은 종종 나쁜 자세나 몸에 있는 긴장감으로 인해 발생한다. 태극권에서 사용하는 자세는 일상 생활에서 자세를 개선하고 근육을 이완시키는데 도움을 준다. 따라서 근육 통증은 줄고 편두통 역시 줄어든다.
신체적, 정신적 균형을 강조하는 태극권은 불면증이 있는 사람들에게 이상적인 운동이다. 이 운동은 우리의 지속적인 불안감과 수면 장애를 막아준다.
6. 관절을 느슨하게 하고 넘어지지 않도록 방지한다
앞서 언급했듯, 관절은 태극권으로부터 큰 영향을 받는다. 태극권에서의 움직임 덕분에 팔꿈치, 무릎, 엉덩이, 손 근육을 수축시키고 이완시킨다. 관절이 더 유연해 지고 튼튼해지는 결과를 볼 수 있다.
힘이 증가함에 따라 움직임 역시 변한다. 또한 다양한 범위로 몸을 움직인다. 이러한 측면은 함께 추락할 위험을 감소시킨다. 전반적으로 신체가 튼튼해지고, 몸에 균형이 잡힌다.
7. 뇌를 활발하게 해주고 고혈압을 방지한다
태극권을 통해 뇌에 여분의 산소가 공급되기 때문에 기억력이 증가한다. 결과적으로 집중력도 향상한다. 연구에 따르면 고혈압 환자의 경우 태극권을 하면 상태가 좋아진다고 한다.
이처럼, 태극권은 엄청난 잠재력을 가진 운동이다. 나이가 몇살이든, 어디에 있든 태극권을 실천할 수 있다. 특히 명상을 하고는 싶지만 요가나 다른 휴식 방법보다 더 역동적인 운동을 찾는 사람들에게 적합하다.
태극권 - 나무위키
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태극권
최근 수정 시각: 2019-09-22 11:52:59
분류
격투기 무술
태극권(太極拳, Tai Chi)은 중국권법의 하나이다.
1. 설명2. 기원
2.1. 장삼봉 기원설2.2. 진가구3. 건강 체조?4. 경기5. 기타6. 태극권 분파7. 태극권 수련 방법8. 대중문화 속의 태극권사9. 관련 항목
1. 설명[편집]
이 권법은 태극론에 기반을 둔 독특한 이론 체계를 가지고 있다. 화경(化勁)을 중시[1]하며, 무수한 중국권법 가운데 팔괘장, 형의권과 함께 내가삼권(內家三拳)으로 구분한다. 세계적으로 많은 수련 인구와 지명도를 가진 권법이다.
진가태극권은 전사경을, 양가태극권은 붕경을, 무파태극권은 자유로운 보법의 사용을, 손가태극권은 일보일타의 강맹한 타격을, 홀뢰태극권은 음양의 순간적인 전변을 종지로 한다. 태극권이란 이름은 무파태극권의 창시자인 무우양이 처음으로 자신의 권법에 사용하였다.
태극권의 외적 특징은 느릿느릿한 투로 수련에 있다. 각 유파가 추구하는 바를 수행할 수 있는 몸을 만들고, 그 전술을 익힌다. 투로가 어느 정도 익숙해지고 몸이 만들어짐에 따라 추수를 통해 상대를 느끼는 훈련을 한다. 그 다음에는 자유대련에 가까운 산수를 하게 된다.
각 유파마다 추구하는 바는 조금씩 다르지만, 태극권의 전투기술은 상대에게 밀착하여 움직임을 억누르고 꺾고, 조이고, 넘겨뜨리고, 단타로 치고 차는 모든 형태의 공방을 전개한다. 따라서 실전에 임하려면 처음에 상대에게 접하는 능력이 필수적이다. 상대에게 접할 수 없다면 태극권의 기술은 대부분 무용지물이다.
오늘날 대부분의 수련자들이 건강을 위한 목적으로 태극권을 배움으로써 그 실전 기술을 아는 사람은 의외로 적은 무술이며, 그 실전성에 대해 비판을 가장 많이 받는 무술이기도 하다. 그러나 역설적으로 중국무술 가운데 실전성이 입증된 유일한 무술이기도 하다. 위안스카이가 주최한 무술대회 결승전에서 권투선수 출신 서양인을 물리치고 우승한 게 홀뢰태극권의 전인이다. 이 사실은 당시 신문에 게재되었다. 이런 인연으로 위안스카이의 경호원들 상당수가 홀뢰태극권의 전인들이었다.
2. 기원[편집]
무협소설이나 영화에선 무당산의 도인 장삼봉(장삼풍)이 창안했다고 나온다.
하지만 이는 한낱 설일뿐 사실과 무관하다.
2.1. 장삼봉 기원설[편집]
태극권의 장삼봉 기원설은 무술계에서 흔히 보이는 '족보 왜곡을 통한 거짓 권위'에 불과할 뿐 실상은 이렇다.[2]
명말 청초(!)의 학자 황종희(黃宗羲)가 장삼풍에 관한 기록을 남겼고 여기에 처음으로 내가권(內家拳)이란 단어가 나온다. 하지만 황종희가 말한 내가권이 정확히 무엇인지는 알 수 없다. 즉 수박과 마찬가지.
태극권이 내가삼권 가운데 하나가 된 것은 1915년 손록당이 저서 형의권학(形意拳學)을 통해 역경의 이치와 내단양생법을 무술과 결합시킨 데서 유래했다. 즉 오늘날 중국무술계에서 말하는 내가권은 20세기 초엽에 퍼지기 시작한 신개념이었다.
2.2. 진가구[편집]
현재 무술계에선 하남성 진가구의 진씨 일족에게 전하는 가전무술이 원형이란 것을 정설로 받아들인다. 창시자는 이설이 있긴 한데 보통 명나라말 청나라초의 무인 진왕정(陳王廷)으로 여긴다. 이후 문외불출의 비전권법으로 전하다가, 청말 양로선(楊露禪)이 배워 북경에 전파한 이래 일약 전국구 권법으로 떠오른다. 이는 무술사 고증가이자 권법가인 당호(唐豪:1897~1959)의 조사 연구에 따른 것이다.
다만, 진식태극권과 양식태극권은 권술의 핵심원리가 다르다. 진식태극권은 전사경을 근본원리로, 양식태극권은 붕경을 근본원리로 삼는다(전사경도 붕경을 기반으로 하는 점에서는 동일하다). 진식태극권과 그 이후 파생된 모든 태극권은 실제의 전투기법들의 차이에도 불구하고 투로 순서나 기법에서 상당한 동일성을 보인다.
태극권이라는 무술명칭의 어원은 무파태극권의 창시자인 무우양이 태극권경을 얻어 그를 바탕으로 자신의 무술을 완성하고 붙인 이름이다. 무우양에 의해 사량발천근, 사기종인 등의 태극권의 주요한 이론 체계가 완성되었으며, 무우양이야말로 현대태극권의 비조라 하겠다.
3. 건강 체조?[편집]
(태극권 수련방법 참조. 연관 내용 첨부함.)
독특한 기술과 이론체계, 경(勁)에 대한 심화된 분석 덕분에 고급 권법으로 대접받지만 무술이 아닌 건강(미용)체조나 정신수련 수단으로도 인기가 높다. 분파가 여럿 있지만 가장 인기가 좋은 태극권은 양식(楊式)태극권이다.
아마 한번쯤 영화나 드라마 등에서 중국 노인들이 삼삼오오 공원에 모여 춤인듯 체조인듯, 느릿느릿 움직이는 광경을 봤을 텐데 이게 바로 태극권이다. 다만 이쪽은 기존의 태극권은 아니고, 간화(簡化)태극권이라고 글자 그대로 태극권을 간소화한 것이다. 중국정부가 만들어 보급했다. 간화태극권은 초식이 24개 뿐이라 초보자도 익히기 쉽다. 42식 태극권(총합태극권)이 좌우 움직임이 많아 투로의 연결이 초보자가 익히기에 다소 복잡하게 느껴지는 반면 24수 태극권은 물 흐르듯 연결성이 높다.
여기서 말하는 간화 태극권은 양식 24식 간화 태극권이다. 다른 문파의 간화 태극권도 많다. 웰빙붐에 맞추어 '간화'투로 만들기 열풍이 분 탓이다. 자세한 내용은 간화 태극권항목 참조.
그렇다고 모든 태극권이 느릿느릿한 체조인가 하면 그렇진 않다. '추수'는 태극권 중 격투기 분야에 해당하는, 말 그대로 권법이다. 대만에선 매년 태극권 세계대회가 열리는데 그중 가장 인기있는 시합이 태극권 추수라고 한다. 이 대회는 중국계들만의 잔치가 아닌 '정말' 세계대회라서, 역대 우승자들 중에는 미국인인 조시 웨이츠킨도 있다.[3]
여기서 말하는 추수는 경기 추수로 태극권 수련과정에 있는 추수와는 다르다. 일부에서는 경기 추수는 '그저 씨름일뿐'이라고 말하기도 한다. 경기 추수를 위해 근력을 기르기도 하는데 이것은 태극권 추수의 본질에서 떨어져 있다.
전통적인 태극권에서는 투로를 통해 방(方)을 학습하고 추수를 통해 원(圓)을 학습한다고 한다. 즉, 투로를 통해 힘쓰는 방식을 배우고, 추수를 통해 변화를 배운다고 한다. 전통적인 추수는 간단히 말해 상대방을 때릴 수 있는 상황에서도 때리지 않고 공중에 띄우거나 집어 던지는 방식으로 수련하는 것인데 경기 추수란 것은 무조건 넘어뜨릴 생각을 하니..... 실전에서는 넘어뜨리려고만 하다 엄청 두드려 맞는다. 그래서 전통 태극권사들은 경기 추수를 '소싸움'이라면서 깐다. (아헌무관 인터넷 블로그 및 사이트 글 및 칼럼 참고바람) (태극권 수련방법 항목은 인터넷에서 구할 수 없음)
태극권이 느릿한 것은 태극권이 신체의 인지능력을 개발하기 위한 것이다. 양식태극권에도 발경(평경)기법을 익히기 위한 투로가 따로 있다. 진식의 노가 2로, 신가 2로는 발경(전사경)이 주를 이루고 있어 무척 격렬하다.
간화 태극권의 보급 이후, 각자 분파의 간화 투로를 제창하기 시작하였고 더불어 중국 정부의 우슈 스포츠화, 국민 체육화 방침에 따라 경기 투로가 정립되어 지금 형태에 이르렀다. 현재 양가와 진가 태극권을 비롯하여 수많은 태극권 분파들이 있으며 한 분파에서도 여러가지 변형 투로가 만들어지고 있다. 현대에 만들어진 태극권 중 가장 대표적인 투로로는 북경 체육 대학 교수인 문혜풍 노사가 정립한 동악 태극권으로 간화 태극권의 초식에 양식, 진식의 핵심적인 동작만을 추려 배우기 쉽게 만든것이 특징이다.
4. 경기[편집]
1952년 마카오에서 오파태극권 장문인 오공의(吳公儀)와 백학권 진극부(陳克夫)의 대결이 있었다. 흔히 중국권법의 실체로 떠돌아 다니는 동영상이 바로 이것. 자세한 사항은 중국권법/실전 문서를 참조.
2017년 4월 27일에는 중국 쓰촨성에서 뇌공태극권(雷公太極拳) 장문인 웨이레이(魏雷, 41) 씨와 격투기 코치 쉬샤오둥(徐曉冬, 39) 씨 간에 대결이 있었다. 결과는 태극권사 웨이가 일방적으로 쳐발려서 20초에 K.O 당하는 굴욕 크리.[4] 쓰촨성의 작은 체육관에서 일어났음에도 불구하고 요우쿠와 웨이보를 타고 중국내는 물론, 전세계에 퍼져 이야기거리가 되고 있다. 단 본인 스스로 뇌공태극권을 창시하고 장문인을 자처한 걸 보면 웨이레이 씨가 태극권의 대표성을 가지고 있다고 보기는 힘들다. #
유튜브에서는 쉬샤오둥에게 중국무술인이 쳐맞은 경기 영상을 쉽게 찾을 수 있는데, 정작 중국 동영상 사이트에서는 찾기가 어렵다.
5. 기타[편집]
여담으로 이연걸의 태극권[5]을 떠올리는 이도 있을 텐데... 이연걸이 이 영화를 찍고 나서 동작이 완전 야매라고(...) 태극권사들에게 가루가 되도록 까였다. 사실 이연걸의 주 무술은 번자권이지만 재능이 출중했기 때문에 태극권, 형의권, 팔괘장 등도 배울 기회를 얻었다. 하지만 성과는 그다지 좋지 않다(...). '더 원'에서 형의권과 팔괘장을 사용하는 모습이 보이는데 이때도 형의권사와 팔괘장 문파 양쪽에서 '저건 우리 권법이 아니다! 번자권이나 하시지?'고 까였다.
센티멘탈 그래피티 1편의 오프닝은 흔히 암흑태극권(...)이라는 별명으로 불린다.
란마 1/2 오프닝에서 하는 무술이 바로 태극권이다.
일반인들은 태극권은 기를 사용하는 무술이라고 생각하지만, 실제 태극권 수련자들은 의외로 기라는 말을 많이 쓰지 않는다. 본래 태극권은 전투의 기술이었다.(이는 오늘날 링위의 싸움이 아니라 병기가 동원되고 목숨을 담보로 하는 전투였다.) 따라서 외부인들에게 기예를 전수하지도 않을 뿐더러 시연할 때도 핵심은 숨겼다.
오파의 왕배생 노사가 타계하심으로써 실전으로 태극권을 배우고 썼던 시대는 끝이 났다. 태극권의 종지를 살리면서 그 실전성을 유지하는 시합 방식을 고민하고 있지만, 아직 마땅한 해답은 없는 듯 하다. MMA:비밀주의를 버리면 됩니다. 누군 비전(祕傳)도 없어서 링에서 싸우는 줄 아시나?[6]
진발과의 제자 홍균생은 몇년을 진발과의 집에서 먹고 자고 배우며 진전을 모두 이어받았다고 평가받는다. 그리고 그 홍균생의 제자가 진중화. 미국으로 이민 후 실용태극권이라는 이름으로 태극권을 전파하고 중국에는 산동성 쪽에서 유명하다. 유튜브에 Chen zhonghua 를 검색하면 공식 채널이 있는데 10년전 영상까지 있는 등 자료가 꽤 많다. 투로와 추수 및 산수 트레이닝 영상을 보면 태극권의 그 부드러울 것 같은 이미지를 확 깨는 기괴할 정도의 호흡과 파워를 보이니 관심있으면 보는 것도 추천. 그러나 어느 선생의 어느 스타일이 맘에 든다 해서 교습을 받지 않는 채 따라하는 것은 금물이다. 그 선생이야 트레이닝이 돼서 자연스레 동작과 힘이 나오는 거지, 애초 동작만 따라한다고 힘까지 따라나오는 것은 아니다.
6. 태극권 분파[편집]
진식(陳式) - 진왕정이 창시한 가전무술로서 본래는 진가권이라 불렸다. 본래 진씨 일가는 소림권의 하나인 포추를 주요한 권법으로 하였으며, 무기술은 권술을 바탕으로 외부에서 빌어와 사용하였다. 강맹한 권술을 익히기 전에 몸을 유연하게 하고 화경을 익히기 위해 먼저 두투13세를 수련하였는데 이것이 오늘날 노가1로로 불리는 투로다. 태극권의 모든 계보는 노가1로로부터 출발한다. 두투의 기법들은 기효신서에 집대성된 기예들과 소림의 심의권을 기반으로 한 무술이었는데(태극권과 무당은 역사적으로 관련된 적이 없다. 진가구는 소림사에서 지리적으로 가깝고 현재 전해지는 권보를 보아도 소림권의 일종임을 알 수 있다.) 너무 복잡하여 배우기 힘들었기 때문에 원권을 더하여 간략하게 만든 신가식(=소가식)이 만들어졌다.
노가식(老架式) - 14대 진장흥이 본래 7로에 이르던 투로를 2로로 줄여 개편한 투로. 발을 넓게 벌려 투로를 진행하며 대가식에 속한다. 후에 진발과가 노가를 개량한 투로를 신가식이라 부르는 경향이 있는데, 모두 노가에 속한다. 모든 태극권은 이 노가식의 복잡다기한 내공법과 기법들 가운데 특정한 부분을 중심으로 창편하여 만들어졌다.
노가1로
노가2로
신가식 - 진유본이 노가에 원권을 더하여 간략하게 실전적으로 만든 투로다. 손이 나가면 전신이 따라 움직이도록 되어있으며, 동작이 비교적 작고 간결하다. 후대인 진청평(陳淸萍)이 개량한 형태는 지명을 따서 조보가(趙堡架)라고도 부른다.(진청평이 조보가에 데릴사위로 가면서 그 지역에 권을 전하였다. 홀뢰가도 진청평의 계보에 속한다.)
신가1로
양식(楊式) - 양로선이 전한 태극권.
대가식(大架式) - 양로선이 전한 태극권으로 기술을 부드럽게 다듬어 전파했다.[7] 진가의 전사경이 좌우경을 위주로 함에 반하여 기운을 내리고 올리는 붕과 안에 치중하여 상하경을 위주로 하는 태극권이다. 접하면 튕겨내는 붕경을 기름을 종지로 한다.
대가식
소가식(小架式) - 양로선의 아들 중 양반후가 무우양의 제자였다. 무파태극권을 배워서 양식과 융합함으로써 만들어진 가식이다. 오파가 양식의 소가식에 속한다.
소가식
무식(武式) - 무우양(武禹襄)이 창시한 태극권. 일설에 의하면 무씨형제와 양로선은 그 부친에게 홍권을 배운 사형제지간이었다. 무씨 형제가 바빴던 관계로 양로선을 진장흥에게 보내어 진가권을 배우게 하였다고 한다. 양로선은 그 권을 무씨 형제들에게 가르쳤으나 무우양은 '들은 바와 다르다'며 양로선을 의심하고, 후에 진가구를 직접 방문하고 진청평을 소개받아 진식 소가를 배웠다. 그 후에 '비로소 진가의 권을 알았다.'고 만족했다고 한다. 태극권경을 발견하고 권술을 연구하여 무파태극권을 창시하고 최초로 '태극권'이란 용어를 사용하였다. 이전에는 진가구의 권은 진가권, 양씨의 권은 화권, 면권 등으로 불리웠다. 무파의 기예를 기반으로 양가와 오파, 손가가 현대의 형태로 완성되었다.
그 집안이 지방의 유력한 호족으로 양로선에게서 진가권을 배웠으나, 서로 사제지간으로 여기지 않은게 확실하며 양로선의 권술공부를 후원하고 이후 북경에 양로선을 소개하여 태극권을 대중화하는 계기를 만들었다. 제자인 양반후는 양가와 융합하여 양가소가를 만들었는데 오늘날 오파로 전해진다. 태극권의 중요한 이론들을 체계화한 것은 오로지 무우양의 공이다. 태극권의 오묘함은 무파에게서 비롯한게 대부분이다.
무식
오식(吳式) - 오전우(吳全佑)가 전한 태극권. 처음 양로선에게 배우고, 이후 아들 양반후(楊班侯)에게 배웠다. 원래 만주인으로 이름은 그냥 전우였으나, 그 아들이 오씨 성을 가지면서 오식이 되었다. 본래 솔각을 하였던 바 그 기술이 많이 도입되었다. 양가의 소가에 속한다. 오씨는 남쪽에서 권을 전하고 있으며, 북경오파는 왕씨에게 전해졌다. 실전으로 태극권을 하였던 마지막 세대가 북경오파의 왕배생 노사였다.
오식
손식(孫式) - 손록당(孫綠堂)이 전한 태극권. 곽운심(郭雲深)에게 형의권을, 정정화(程廷華)에게 팔괘장을, 학위진(郝為真)에게 무식을 배웠다. 형의권의 타격법이 섞이게 되어 태극권 유파중에서 가장 강맹한 타격을 자랑한다. 일보일타를 종지로 처음부터 끝까지 근보로 일관한다. 한마디로 내가삼권을 모두 배운 엄친아가 말년에 창안한 형태. 내가삼권이란 단어도 손록당이 만들어낸 개념이다. 그러나 형의권, 팔괘장, 태극권 3개 무술을 모두 익힌 사람이 손록당이 처음은 아니다.
손식
홀뢰가 - 진청평의 계보 중 양호가 창편한 태극권으로 실전으로 유명하다. 접하는 순간 음양이 뒤바뀌는게 번개와 같다고 하여 홀뢰가라 불리는데 양호의 호가 홀뢰였다. 음양이 순간적으로 전변하면 화경과 발경이 이루어지는게 특징이다.
홀뢰가
7. 태극권 수련 방법[편집]
태극권은 중국 무술중에서 그나마 쉽게 접할 수 있는 무술로, 현재 전국에 수백개의 태극권 도장에서 배울 수 있다. 뿐만 아니라, 구민 회관, 문화 센터등에서도 태극권 강좌를 하기도 하니 틈나는대로 찾아보도록 하자. 주한 중국 문화원에서도 2011년부터 태극권 강좌를 개설하기로 하였다.
인터넷에서 독학으로 서적이나 비디오를 보면서 익힐 수 있냐는 질문 글을 볼 수 있는데, 많은 태극권사들은 독학에 대해서 상당히 부정적인 입장을 취한다. 어떤 운동이든 마찬가지지만, 태극권을 비롯한 대부분의 중국무술의 트레이닝은 독련에 치중되어있으며, 따라서 독학할 경우 피드백이 불가능하다. 애초에 무술이라는 게 처음부터 혼자서 책보고 비디오보고 배우는 건 천재가 아닌 한 불가능하다. 가장 큰 부작용은 독학은 잘못된 자세를 습득하기 쉽고, 이를 혼자서 교정하기가 매우 어렵다는 것이다. 더구나 잘못된 자세를 교정하는 것은 새로운 자세를 배우는 것보다 더 많은 노력과 시간이 필요로 한다.
그리고, 태극권의 상당수 개념들은 혼자서 책만 보고 터득하기가 불가능하기 때문에[8], 처음에는 반드시 숙련된 지도자의 도움이 있어야 한다. 기존에 적혀 있던 대로 3개월 ~ 2년을 해서는 무술로서의 태극권을 배웠다고 하기 어려울 것이다. 물론 동작만 배우는 것이라면 3개월로도 충분 하겠지만 깊이 있는 공부를 하기에는 터무니 없이 부족한 시간이다.
안타깝게도 30년을 수련해도 권을 얻지 못하는 사람이 있는게 태극권이다. 길을 잘못 들면 태극권은 평생을 해도 얻을 수 없다. 태극권의 원리가 힘을 기르고 속도를 키우는 일반적인 방법과 정반대의 길을 가기 때문이다. 상대와 나를 연결하여 상대를 느끼고 그 힘에 맞추어 내 자신을 변화시킴으로써 상대를 이기는게 태극권이 추구하는 바이다. 그 방법이 전사경이든 붕경이든 음양전변이든 모든 태극권이 공통적으로 추구하는 바가 사기종인하여 인진낙공하고 사량발천근하는 것이다. 근데 수년간 수련했는데도 해당 무술의 일정 경지에 이르지 못했다면 수련자가 어지간한 몸치가 아닌 이상 스승이 태업을 했거나 무술 이론 자체에 문제 있는 것 아닌가?[9]
국내의 대표적인 태극권 도장으로는 밝은빛태극권, 이창수 전통 태극권(진정뢰 진식태극권 서울경기총관)<진식 태극권 11대 전인 진정뢰 명사(진소왕, 주천재, 왕서안 과 함께 진식 태극권 4대금강 중 하나)의 한국 최초 입실 직계 제자이자 12대 전인인 이창수 관장>, 진병태극원(한국진씨태극권협회), 진병태극원/팔극무관, 김종윤 태극권, 진가구 태극권학교 대한민국 분교, 대한태극권협회, 태극무술원(문혜풍 노사의 딸이자 아시안게임 태극권 우승자인 양성찬 부인인 문감홍 원장. 중국인.)부산 진룡무관<전국가대표 우슈 산타 챔피언 김근오관장지도 조유빈 (양씨태극권5대적전) 양씨태극권부산지회>,부산 진소왕태극권 무운도관이 있다.
수련비는 도장마다 차이가 있지만, 대개 월 10만원선이다. 구민회관이나 문화센터 등에서 교습하는 경우 3~4만원 정도라고 생각하면 된다. 차이점은 구민 회관등에서의 태극권 강습은 많은 사람들을 대상으로 하기 때문에 일대일 지도가 힘들다는 점이 있는 반면, 도장의 경우 지도자가 한사람 한사람에게 교정을 할 수 있기 때문에 높은 수준의 태극권을 배울 수 있다.
태극권의 투로는 각 유파가 종지로 삼는 기법을 얻기 위한 기술체계를 모아놓은 것이다. 흔히 혼자서 하는 추수라고 한다. 진가를 배운다면 투로를 통해 전사경을 쓸 수 있는 몸을 만들고, 다양한 상황에서의 전사경의 쓰임을 배워야 한다. 양가를 배운다면 붕경을 얻어야 한다.
무파를 배운다면 보법을 통해 사량발천근하는 법을 얻어야 하며 손가를 배운다면 걸음걸음마다 근보를 통해 터지는 타격법을 얻어야 한다. 홀뢰를 배운다면 접하는 순간 음양을 뒤바꾸는 전변을 얻어야 한다.
몸을 다루는 세밀한 내용은 머리끝부터 발끝까지 각 유파마다 요결이 세밀하게 정리되어 있으나, 큰 차이는 없다. 가장 요점은 힘을 쓰지 말고 내부의 기운이 사지말단까지 통하게 하는데 있다. (힘을 쓰면 근육이 굳어 뼈대를 붙잡으니 기운이 통할 수 없게 되어 태극권에서 가장 기피하는 바이다.)
각 유파의 종지를 얻고 추수와 산수를 통해 상대를 읽고 접하는 능력을 얻었다면 여러가지 무술을 익히는 이종격투기 선수와 같이 다른 무술 또한 배우는 것이 좋을지도.... (중국무술 중 실전성이 높은 영춘권 또한 보호장구를 착용하고 대련을 한다.) 종지를 얻지 못한 상태에서 다른 무술을 익히거나 대련을 한다면 태극권을 성취하기는 불가능하다고 단언할 수 있다.
일부 수련자들의 경우 무릎에 무리가 갈 수 있다. 이는 수련하는 방법에 그 원인이 있다. 첫째로 자세를 너무 낮추어서 수련을 지속하여 무릎에 무리가 가는 경우다. 자세를 낮추어도 하체의 무든 관절이 이완이 된다면 상황은 달라진다. 즉 대둔근을 사용해야 하는대 초심자는 이 부위가 굳어있어 햄스트링을 사용하게 된다 이때 무심결에 무릎을 >< 모양으로 꺾어서 낮추는데 그 결과 십자인대에 체중이 걸려 다치게 된다. 두 번째로 꼽히는 이유는 무릎을 쓰는 버릇이다. 고관절의 회전을 통해 체중이 이동하면서 무릎도 이에 맞추어서 변화해야 하는데 무릎이 회전해서 인대에 무리가 가게된다.
해결책은 무리해서 자세를 낮추지 말고, 무극장이라고 불리는 참장을 통해 하반신에 힘을 기르고, 방송의 감각을 깨우쳐야 한다
여기까지 대략 1년정도가 소요된다.
8. 대중문화 속의 태극권사[편집]
Dead or Alive - 레이팡
GTA 5 - 트레버 필립스
과학전대 다이나맨 - 시마 요스케(다이나 블루)
갓 오브 하이스쿨 - 고감도
광전대 마스크맨 - 모모코(핑크 마스크)
디지몬 테이머즈 - 곽소룡, 곽성치,테리어몬
리바이벌 - 한명일/핸드 리바이벌, 룽 노사
레이지 오브 더 드래곤 - 린 베이커
부리키 원 - 송 센다오
사립 저스티스 학원 - 카자마 아키라
사상최강의 제자 켄이치 - 칵 신텐
소림축구 - 아매
신만이 아는 세계 - 마루이 유키에
아랑전설 시리즈 - 쳉 신잔, 후타바 호타루
죠죠의 기묘한 모험 - 켄조[10]
초력전대 오레인저 - 마루오 모모(오핑크)
쿵푸허슬 - 양과
탐험대 - 또봇 카고
더 킹 오브 파이터즈 시리즈 - 시이 켄수[11]
데이몬시리즈 중 마왕 데이몬에서 인간에 빙의한ㅡ데이몬
9. 관련 항목[편집]
격투기 무술 관련 정보
피사의 사탑 - 태극권 수련의 새로운 메카로 떠올랐다 카더라#[12]
[1] 화경은 태극권의 핵심 중 핵심이다. 상대와 접촉하는 즉시 상대의 힘을 무력화하고 일방적으로 공격이 가능한 자세로 만든다. 극단적으로 말하자면 화경이 없다면 다른 중국무술과 태극권을 구별할 특별한 점은 없다.[2] 태극권 장삼봉 기원설은 양가태극권 측에서 적극적으로 주장하고 퍼뜨린 것인데 자신들의 권법이 진가구에서 나온 권법이 아닌 장삼봉으로부터 유래했다는 권위를 만들기 위해서였다. 양로선의 손자 양징보의 제자이자 현대 태극권의 고수로 유명했던 정만청의 경우도 장삼봉 기원설을 적극 주장한 바 있다.[3] 참고로 웨이츠킨은 9살때 전미 체스대회 우승을 시작으로 10여년간 전세계 체스계를 주름잡다가 갑자기 태극권으로 전향해 세계대회 2연속 우승을 거머쥔 인물.[4] 쉬는 중국 전통무술의 실전성을 부인하면서 그동안 어그로를 끌었다.[5] 원제는 '태극장삼봉(太极张三丰)'.[6] 사실 이런 MMA 조차도 도장마다 자신들의 스타일이 있고 교습법, 기술, 힘쓰는 방식 등에 세세한 차이가 있다. 원래 비전이란 이런 것이다.[7] 양로선이 처음 전한 양식도 진식과 마찬가지로 격렬한 동작이 포함되어 있었으나 전승과정에서 상실되었다. 양로선은 진식을 부드럽게 다듬었다기보다는 어려운 동작들을(예를 들어 전사경으로는 복잡한 과정 하에 한 번에 이루어질 동작을 그냥 두 개의 동작으로 나누어서) 사용하기 쉽게 만들었다고 보는 것이 옳다.[8] 심지어 가장 이론적이고 단순화된 권투조차도 혼자 연습하면 단순히 허공에 주먹질하는 것밖에 안된다. 그나마 권투는 유튜브 가면 영어( 거의 전 세계인의 제 1 외국어라 그나마 좀 나은편.) 동영상이라도 많지...[9] 사실 태극권 뿐 아니라 다른 중국 무술도 열심히 수련해서 고수가 된 인물이 꽤 있으니 이 부분은 스승의 태업일 확률이 높다.[10] 작중에서는 '암살풍수'라는 이름으로 나왔으나 나르시소 아나수이의 해설에 따르면 태극권에서 모티브를 따온 듯.[11] 어디까지나 초능력을 보좌해주는 역할이다. 초능력을 일시적으로 상실한 99와 2000에서는 순수 권법으로 싸우지만.[12] 사실 관람객들이 탑을 밀거나 받치는 듯한 사진을 연출하는 일종의 사진 장난을 치는 사람들의 모습을 찍은 거다. 사실 왠만한 유명 랜드마크들, 특히 탑에는 이러한 장난을 치는 게 일반적이지만, 유독 피사의 사탑에 그러한 사진 장난의 사례들이 집중되어 있어서 이를 가리키며 유머 코드로 쓴 사진이다.
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양징보(楊澄甫)의 단편(單鞭) 자세, 1931년
대중적인 운동의 간화태극권(상해 광장 아침)
태극권(太極拳)은 중국 북파(北派)에서 발전한 무술 유파로 소림권(少林拳)과 함께 중국의 양대 권법을 이루고 있다. 중국에서 가장 많은 수련 인구를 보유한 유파로 유명하며, 청나라 이후 오랜 세월을 거치며 대개 5개의 문파로 발전해서 전해지고 있다. 진가, 양가, 무가, 오가, 손가태극권을 말하며 조보가에서 나온 홀뢰가도 있지만 하는 이들은 적고 귀하다. 소림권처럼 근육과 힘에 의존하는 외가권에 비해 태극권은 내가권이며 내가권은 흔히 내공을 중시한다(물론 외가권도 내공이 없다는 것은 아니며, 상대적인 것이다). 내가권(內家拳)에는 형의권, 팔괘장, 태극권이 있으며 이를 흔히 내가3권이라한다.
특히 양노선(杨露禅,Yang Luchan 1799–1872)이 개발한 부드러운 동작으로 행하는 양가 태극권을 주되게 채택한 간화태극권(簡化 太極拳)의 운동은 이런 특징으로 인해 연령에 구애받지않고 많은 효과를 볼 수 있으며 간단한 동작들로 구성되어 대중적으로 태극권을 수련할 수 있게되어있다. 느릿한 춤사위처럼 하는 이 무술은 중국 여행시에 아침 공원에서 많은 이들이 여럿이서 행하는것을 볼 수 있다.[1]
목차
1기원과 역사
2발전
3태극권의 특징과 체계
4느리고 부드러운 동작의 간화태극권 운동
5같이 보기
6참고
기원과 역사[편집]
태극권의 역사는 명나라 말 청나라 초로 올라간다. 명나라의 무관(武官) 출신인 진왕정(陳王廷)이 명나라가 쇠퇴하자 관직을 사임한 후 고향인 진가구(陳家溝)로 낙향하여 전장에서 익혔던 무예와 진씨 일족들에게만 전수되는 기예, 그리고 음양오행설과 도인, 토납술을 연구하여 그 이론과 실기를 보충한 뒤 창시한 권법이 태극권의 시작이라는 설이 정설로 알려져있다. 태극권은 초기에 몇 가지 초식 밖에 없었으며 그 이름도 진가권(陳家拳) 등으로 불리며 외부인들에게 철저히 공개를 엄금하여 진씨 일족들에게만 전수가 되었는데 후일 진씨 14대조 진장흥(陳長興) 때 양로선(楊露禪)에게 태극권을 공개적으로 전수한 것을 시작으로 태극권이 널리 퍼지게 되었다. 태극권의 원류가 된 진왕정 직계의 이 태극권이 바로 오늘날의 진식태극권(陳式太極拳)이다.
발전[편집]
태극권은 초기에 진씨 일족들에게만 비밀리에 전수가 되어왔기에 외부인들은 배울 수가 없었다. 그러던 차에 태극권의 명성을 듣고 이를 흠모하던 양로선이란 청년이 진가구로 들어가 하인 노릇을 하며 밤마다 몰래 진씨 일족들이 태극권 수련을 하는 것을 훔쳐보게 되었는데, 얼마 지나지 않아 진씨 14대조로 태극권을 지도하고 있던 진장흥에게 발각되고 말았다. 진장흥은 법규대로 이 청년의 무공을 폐하거나 죽여야 했으나, 양로선의 훔쳐 배운 태극권 실력이 뛰어난 것을 보고 시험 삼아 자신의 제자들과 대련을 시켜보았고 그 결과 양로선이 모두 이기자 그 영특한 재주에 감동받아 양로선을 정식 제자로 받은 뒤 태극권의 비기를 모두 전수해주게 되었다. 이 때부터 태극권은 외인들에게 공개적으로 전수가 되기 시작하였다고 보는 것이 옳다.
태극권을 모두 전수받은 양로선은 무림에서 그를 대적할 자가 없다는 평을 들을 정도로 신묘막측한 무공으로 무림 고수들을 쓰러뜨렸고 '천하제일'이라는 명성을 얻게 되었다. 이후 무술에 관심이 많은 무씨 삼형제(무징청, 무하청, 무여청)가 양로선에게 가르침을 받고자 오게 되는데, 이 중 청나라 황실의 관리로 있었던 무여청이 황실에 양로선을 추천하게 되어 양로선은 황실 귀족을 상대로 태극권을 가르치게 된다. 하지만 진식태극권의 전사경이라는 개념이 워낙 난해하다 보니 제대로 따라할 줄 아는 사람이 거의 없었기 때문에, 태극권의 핵심은 그대로 담겨 있지만 누구나 쉽게 따라할 수 있도록 동작을 나누고 추가한 새로운 형태의 태극권을 창조했는데 이것이 바로 양식태극권(楊式太極拳)이다.
양로선의 양식태극권 창시 후에 태극권은 크게 원류인 진식과 개조식인 양식으로 나뉘게 되었는데, 양식태극권이 널리 번성하자 진식태극권의 명인들도 각성을 하게 되었고, 진식태극권의 명인이자 고수였던 진씨 17대조 진발과(陳發科)가 북경에서 부드러움 속에 강맹함이 숨어있는 진식태극권을 공개하자 많은 무림 인사들이 크게 놀라 진식태극권의 존재를 비로소 깨닫게 되었다고 한다. 그때부터 태극권은 진식과 양식으로 나뉘어 전수가 되기 시작하였는데, 수많은 태극권 명인들이 배출되어 태극권을 널리 알리게 되었으며 그 중에 태극권으로 대성한 무림 인사들은 다시 태극권을 개량하였고 오늘날 태극권은 진식, 양식 뿐만 아니라 오식, 손식, 무식, 동악식 등 여러 문파로 나뉘게 되었다.
태극권의 특징과 체계[편집]
태극권은 남녀노소를 불문하고 누구나 배울 수 있을만큼 대중화된 권법이다. 특히나 그 양생 효과가 매우 뛰어나 의학적으로도 검증되었기에 많은 사람들이 태극권을 수련하고 있으며, 관절염 환자들을 위해 높은 동작을 배제하고, 노인들을 위해 발경 동작들을 간소화하는 등 1950대 들어 중국 정부 차원에서도 적극적으로 나서 태극권을 개량하여 수많은 투로들이 만들어졌고, 널리 보급이 되어 태극권의 명성은 날이 갈수록 높아지고 있다. 일반적으로 태극권의 원류인 진식태극권은 외가권스러운 면이 가장 많이 남아있는 유파로, '포추'와 같은 투로는 소림권과 같은 외가권만큼이나 빠르고 강맹하며 발경과 진각 동작이 많이 나타나고 있다. 다른 유파의 태극권또한 무술적이다.
태극권의 대표적인 이론은 유능제강(柔能制強)으로 바로 '부드러움으로 강함을 이긴다'는 독특한 이론이다. 일반적인 외가권이 반복적인 근육 단련과 힘을 기르는 훈련으로 단기간에 힘을 키우는 것을 목적으로 하는 반면에 태극권은 이러한 근육 단련을 일체 거부하며 태극권의 독특한 연공법으로 몸을 만들어야 하는데, 이 과정을 오랜 세월 반복하게 되면 몸과 손발의 중심에 근육이 비어있는 부분이 생기게 되어 나선으로 근육을 꼬았다 푸는 과정의 반복인 전사경을 구사하는데에 최적화된 몸으로 변하게 된다. 이런 과정을 통해 완성된 전사경을 이용하여 상대방의 공격을 무위로 돌리거나 상대방의 힘을 이용해 되돌려주는 등의 기법을 전투 이론으로 삼고 있다.
느리고 부드러운 동작의 간화태극권 운동[편집]
현대의 느린동작의 태극권은 1950대 중국 정부 및 체육위원회가 대중적으로 간단히 행할수있는 부드러운 동작을 갖고있는 양식 태극권을 주되게 채택하여 개선한 간화태극권으로 1957년 국민들의 건강을 위해 보급하기 시작하였다.[2] 이렇게 행하여지기 시작한 태극권 운동은 세계적으로 현대인이 쉽게 접할수있는 대중적인 심신단련 운동으로 평가되고있다.[3][4][5][6] 한편 다양한 신체동작에서 느리고 부드럽게 체중을 이동하고 편안하게 숨쉬기를 주로 행하는 효과는 신체적인 면에서 뿐만아니라 정신적인 면에서도 자기효능감및 인지기능에 긍정적인 효과를 보여주는것으로 여겨진다.[7][8]
같이 보기[편집]
형의권
팔괘장
영춘권
금강영관(선무도)
요가 운동
필라테스
태극검
참고[편집]
↑ (從五十年代起,中國開展「發展体育運動,增強人民体質」的群眾性體育活動,把太極拳當作為一個健身項目。1957年,國家体委編出了24式簡化太極拳。到1959年,國家体委又編出了88式太極拳。從1985年始,中國辦了多屆全國太極拳專項比賽.第一屆:1985年,哈爾濱 第二屆:1986年,太原 第三屆:1987年,孝感 第四屆:1988年,桂林 國家體委為了進一步推動太極拳運動,下決心編太極拳竞賽套路。從9月初開始工作,由張山主持(領導),参加編寫工作的主要人員有張文廣(楊式)、闞桂香(陳式)、門惠豐(孫式、吳式)、李秉慈(吳式)、計月娥(工作人員)。 太極拳體育競賽化,比賽的套路有繁有簡,分各門派再分24式、48式、66式等等。 審定者是徐才、李天驥、張繼修、蔡龍雲、李德印等人。)http://www.wutaiji.org.hk/wushu_data/train_schedule.htm
↑ (中國香港吳式太極拳總會-競賽套路的由來)http://www.wutaiji.org.hk/wushu_data/train_schedule.htm
↑ (중앙일보 - [타이치이-태극권] 노약자도 '거뜬' 운동효과 '그만')http://www.koreadaily.com/news/read.asp?art_id=378436
↑ (헬스조선 - ‘건강 100세’ 지름길, 10분 태극권 운동http://health.chosun.com/site/data/html_dir/2015/01/30/2015013001232.html
↑ (CDC-Adoption of a Tai Chi Intervention, Tai Ji Quan: Moving for Better Balance, for Fall Prevention by Rural Faith-Based Organizations, 2013–2014)https://www.cdc.gov/pcd/issues/2016/16_0083.htm
↑ (CDC-미국 질병통제예방센터)https://www.cdc.gov/homeandrecreationalsafety/falls/compendium.html
↑ (태극권이 파킨슨병 환자의 우울, 자기효능감 및 삶의 질에 미치는 효과)http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.831.4089&rep=rep1&type=pdf
↑ (태극권 프로그램이 파킨슨병 환자의 하지근력, 관절의 유연성, 균형감 및 인지기능에 미치는 효과*)https://j.kafn.or.kr/upload/pdf/jkafn-18-2-177.pdf
(구글북스-고수를 찾아서, 1권
(공)저: 한병철)https://books.google.co.kr/books?id=ox52BQAAQBAJ&pg=PT164&lpg=PT164&dq=%EC%84%9C%EC%9A%B8+%EC%A4%91%EC%95%99%EB%8C%80+%EB%B3%91%EC%9B%90+%ED%83%9C%EA%B7%B9%EA%B6%8C&source=bl&ots=IV_9__rfkg&sig=ACfU3U3o6HX3Kj6hLYCB86ARiGeXeQ8-0Q&hl=ko&sa=X&ved=2ahUKEwjN4NuBrNviAhXRMd4KHaMcBdMQ6AEwCHoECAUQAQ#v=onepage&q=%EC%84%9C%EC%9A%B8%20%EC%A4%91%EC%95%99%EB%8C%80%20%EB%B3%91%EC%9B%90%20%ED%83%9C%EA%B7%B9%EA%B6%8C&f=false
([华人世界]华人故事:太极女武师(20121206))http://news.cntv.cn/20121206/104648.shtml
(씨네21-이연걸을 만나다 [1])http://www.cine21.com/news/view/?mag_id=37287
밝은빛 태극권 태극추수
밝은빛 태극권
태극 추수
투로가 나를 아는 공부라면 추수는 상대를 아는 공부이다.
추수는 자기 의도와 힘을 써서는 안 되며 상대에 따른 변화를 얻어야 한다.
태극권의 투로와 추수는 동전의 양면과 같아 모두 갖추어졌을 때 태극권의 전체가 완성됩니다. 투로는 태극음양의 법칙을 내 몸에서 일깨우는 법이고, 추수는 상대에 응하여서 태극음양의 법칙이 저절로 드러나도록 하는 법입니다. 따라서 추수의 수련 방법 역시 태극권의 기본 원칙에 따라야 합니다. 또한 이렇게 하여야 태극권 투로를 천천히 수련해야 하고 근육의 굳은 힘을 사용하지 않는 이유가 명확해지게 됩니다. 밝은빛 태극권에서의 추수 학습은 옛 선배님들께서 남기신 뜻을 따르고 이에 부합하는 수련법을 진행합니다. 투로와 추수가 분리되지 않고 힘에 의존하지 않으며, 추수를 하는 가운데 투로에서 닦은 내공이 실현되고 상대에 응하여 저절로 적절함을 취하여 변화가 실현되는 것을 원칙으로 삼고 있습니다. 1. 태극권 추수란 무엇인가?
ㆍ 추수(推手)란 그 용(用)을 구하는 것이다. < 진미명 >
ㆍ 태극권은 추수를 연습함으로써 용(用)에 이른다. < 양징보 >
ㆍ 평소에 주가(走架)를 하는 것은 나를 아는 공부이며, 타수(打手)를 하는 것은 남을 아는 공부이다. < 이역여 >
ㆍ 추수(推手)란 투로를 숙련한 다음 두 사람이 연습하는 것으로, 손과 발을 맞대고 경(勁)의 사용면에서 허실과 강유 그리고 주화점핍(走化粘逼)
및 제방축발(提放蓄發)의 정확성을 실험하고 인정하는 것이다. < 반작민 >
ㆍ 권가(拳架)는 ‘무극ㆍ태극ㆍ음양ㆍ오행’을 연마하여 신(神)과 기(氣)가 안으로 수렴하고 하나로 뭉뚱그리는 것이니 태극권의 체(體)이다.
타수(打手) 용법에서는 팔세(八勢)에 오행이 포함된 모든 법으로써 동작을 행하며 신과 기가 밖으로 펼쳐져 나와 여덟 가지로 변화하는 것이니
태극권의 용(用)이다. < 손록당 >
2. 태극권 추수의 목적
1) 투로를 바르게 이해한다.
ㆍ 투로에서 익힌 바를 상대에 응하여 적용하는 연습
ㆍ 비유하자면 외국어를 배워 Dialog로 대화해 보는 연습과 같다.
ㆍ 초기에는 규격 안에서 행하고, 능숙해지면 자유롭게 행한다.
2) 상대방과 힘과 에너지의 대화를 익힌다.
ㆍ 대화에서 순서와 상호 규칙이 필요하듯, 추수에도 규칙이 필요하다.
3) 기격에 필요한 감각을 익힌다.
ㆍ 추수 자체는 태극권의 원리에 입각한 감각훈련이지 기격 자체는 아니다. 3. 추수를 바르게 배우기 위한 조언
1) 의도를 버리고 상대(상황)에 응한다.
2) 뚝심(근육힘)을 쓰거나 버티지 않는다.
3) 하체의 힘과 굳어진 구조의 힘에 의존하지 않는다. 2)와 3)의 내용대로 뚝심을 쓰거나 몸이 굳어지면 타격을 당한다는 것이 원칙이다.
4) 상대와 접한 부분에 의식을 둔다.
5) 생각과 판단을 하지 않는다.
6) 상대와의 접점을 기준으로 방(方)을 유지한다.
7) 움직임이 끊이지 않고 원으로 연결되도록 한다.
8) 추수는 상대와의 대화이자 에너지 교류라는 점을 명심한다.
9) 추수는 태극권의 원리를 실현하는 것이 목적이다. 따라서 태극권의 방식대로 상대에 응해야 한다.
10) 추수를 진행하는 내내 상대와의 접촉(점)을 유지해야 한다.
4. 첨연점수(沾连粘随)
ㆍ 태극권의 추수가 성립되기 위한 기본조건으로 상대와 한 점으로 가볍게 맞붙는 상태를 말한다.
ㆍ 첨의욕습행화우(沾衣欲濕杏花雨) : 살구꽃 피는 봄날 는개에 옷이 젖는다.(남송 시대의 시) 마치 가는 비에 옷이 젖어 피부에 가볍게 붙듯이
내 손이 상대의 손에 붙어야 한다.
ㆍ 첨연점수를 위해서는 반드시 사기종인(舍己從人)한다.
ㆍ 상대에게 집중한다.
ㆍ 첨연점수는 협상하는 기술, 대화하는 덕목이다.
ㆍ 첨연점수가 안 되면 태극권 추수가 성립되지 않는다.
첨연 양 내가 접촉을 시도(첨) 접촉을 계속 이어감(연)
점수 음 나의 접촉을 이어 받음(점) 점을 유지하며 상대를 따름(수)
5. 청경ㆍ동경ㆍ신명
청경(聽勁) 동경(懂勁) 신명(神明)
손의 음양허실이 분명한 상태 몸통의 음양허실이 분명한 상태 보(步)의 음양허실이 분명한 상태
정(精) 기(氣) 신(神)
수신족(手身足) 삼자의 합(合)을 외삼합(外三合)이라 하고
정기신(精氣神) 삼자의 함(合)을 내삼합(內三合)이라 한다.
내삼합과 외삼합은 분리된 기술이 아니라 하나에 대한 안과 밖이다.
6. 화경과 발경
화경(化勁) 발경(發勁)
점을 이룬 후 상대의 에너지를 이끌어 들임(원圓) 상대를 허하게 하여 방을 유지하면 상대가 튀어 나가게 됨(방方)
ㆍ 발경은 힘으로 상대를 밀쳐내거나 외형적 기술을 쓰는 게 아니라, 음양법칙에 근거한 합작용이다.
ㆍ 처음 추수를 연습할 때 청경과 화경의 교묘함에 집중하여야 하며 일시적인 우열에 집착하여 억지를 쓰면 안 된다.
ㆍ 상대를 날리고도 자신이 알지 못할 때에 비로소 이런 발경의 오묘함을 마음에 기울여 체험하고 깨칠 수 있게 된다. < 손록당 > 7. 올바른 추수를 위한 요결
ㆍ 사기종인(舍己從人) - 응물자연(應物自然) - 인진낙공사량발천근(引進落空四兩拨千斤)
ㆍ 용의불용력(用意不用力) -차력타인(借力打人) - 첨연점수(沾连粘随)
태극 산수태극권의 초식을 적용하여 상호간의 손발의 교차 감각과 공간감각을 익힌다.
태극권의 수련 과정은 다음으로 요약될 수 있습니다.
1. 도인법(導引法) : 내 몸을 원래의 조화로운 상태로 회복
2. 투로(套路) : 내 몸의 올바른 음양 작용 원리인 원방(圓方)을 단련, 나를 아는 공부
3. 추수(推手) : 상대에 따른 변화 원리를 체득, 원방(圓方)의 활용, 상대를 아는 공부
태극권의 이러한 주요 수련법을 올바르게 익힌 후에 태극권의 초식을 상대에게 적용하여 상호간의 손발의 교차 감각과 공간감각을 익히는 특별한 수련법이 있습니다. 이 수련법은 산수(散手)라는 이름으로 전승되고 있습니다. 태극 산수의 핵심은 단순히 손발로 때리고 차는 동작을 서로 연습하는 것이 아니라 내오행보(內五行步)와 외오행보(外五行步)의 작용을 분명히 하여 상대방에 대한 공간 조절의 다양한 기법을 익히는 것입니다. 상호 짝을 맞추어 안전하게 태극권의 동작을 적용해 보는 태극 산수는 태극권의 내공 활용을 위한 주요한 수련법일 뿐 아니라 매우 흥미롭고 유희적인 측면이 있어 함께 즐기는 수련법으로도 적합합니다.
태극 갈수추수를 통한 변화 원리가 상대에 따라 직감적으로 드러나야 하는 추수의 정화
태극권 갈수는 두 사람간의 태극권의 실용적 사용을 연습하는 수련법 입니다. 추수를 통해 학습된 ‘응하여 변하는 원리’가 ‘상대에 따라 직감적으로 드러나야 하는’ 추수의 정화라 할 수 있습니다. 또한 갈수를 통하여 투로에서 학습한 태극권 초식을 비로소 이해하게 됩니다. 이때에 이르면 손록당 선생의 ‘신은 곧 의다’라는 말의 의미를 몸으로 경험할 수 있습니다.
갈수십육목(擖手十六目)
1. 교(較) 기량의 고하를 겨루다.
2. 접(接) 손이 서로 닿다.
3. 첨(沾) 손이 물에 젖듯 맞붙다. 살구꽃 피는 봄날 비에 옷이 젖는다(沾衣欲濕杏花雨)의 沾이다.
4. 점(粘) 아교처럼 찰싹 붙다. 상대의 손이 내게 붙었다면(沾), 떨어져 나가지 못하게 한다.
5. 인(因) 상대가 다가왔다.
6. 의(依) 상대의 몸에 바짝 기대어 붙다.
7. 연(連) 손과 손이 붙어 이어지다.
8. 수(隨) 상대의 세(勢)에 따라 나가고 물러서다.
9. 인(引) 상대가 들어오게 유인하여 이끌다.
10. 진(進) 상대로 하여금 앞으로 나서게 하여 도망가지 못하도록 한다.
11. 낙(落) 떨어지다, 落成하다의 낙이다. 낙숫물이 땅에 떨어지고 낙엽이 땅에 떨어지듯 한다는 말이다.
12. 공(空) 상대가 내 몸을 때리려다 헛손질을 하게 하다.
13. 득(得) 내가 유리한 기틀과 세를 얻다.
14. 타(打) 기틀과 세가 때릴 만하면 틈을 보아 상대를 때리다.
15. 질(疾) 질풍처럼 빠르다. 약간이라도 주저하고 늦어지면 때릴 수 없다. 기틀과 세를 잡는데는 신속함이 가장 귀하다.
16. 단(斷) 결단을 의미한다. 조금만 주저해도 기회는 사라지고, 상대를 때릴 수 없다.
갈수삽십육병(擖手三十六病)추수 혹은 갈수를 함에 있어 절대 하지 말아야 할 36가지 사항들을 말하고 있습니다. 이 36가지 병폐는 모두 < 힘을 주거나 >, < 자기 의도를 주장하거나 >, < 변화하지 못하는 것 >으로 귀결됩니다. 36가지 병폐는 전부 범하거나 서너 개, 혹은 두세 개를 범하기도 하는데 이 병폐를 범하면 법수(法手)가 성립되지 않습니다. 법수가 성립될 때는 어떤 병폐도 범하지 않으며 태화원기(太和元氣)에 이롭습니다. 본래 순리에서 벗어나지 않는 까닭입니다. 추수를 비롯하여 산수, 갈수 등의 태극권의 권리에 따르는 대인(對人) 수련을 할 때에는 이 36병폐를 행하지 않도록 반드시 주의하여야 합니다.
1.抽(추) 쳐들어갔으나 세를 얻지 못해 자신이 패할 것을 알고 몸을 빼치다
2.拔(발) 몸을 돌려 도주하다
3.遮(차) 손으로 사람을 가리다, 막다
4.架(가) 팔로 상대의 손을 가로 막다
5.搕打(갑타) 사물로 쳐서 (상대를) 때리다
6.猛撞(맹당) 갑작스럽게 돌진해 들어가다. 무모하게 힘을 믿고 어거지로 부딪히는 것이니,
부자연스럽게 힘에 의존해 요행수로 이기고자 하는 것
7.躱閃(타섬) 몸을 빼 피하여 상대의 손을 피함. 피해 도망 다니면서 상대가 넘어지게 하려는 것
8.侵凌(침릉) 상대의 세력 범위 안으로 들어가 상대를 억압하려는 것
9.摲(참) 칼로 물건을 베거나 찍듯이 하는 것
10.摟(누) 손으로 상대의 몸을 눌러 안거나 붙들다
11.扌冒 (모) 손으로 기대듯 부축하거나 저항하다
12.搓(차) 양손을 비비듯 손과 팔꿈치로 상대에게 비비다
13.欺壓(기압) 欺는 사람을 어르고 속이는 것이며, 壓은 내 손으로 상대의 손을 억지로 누르거나 잡는 행위
14.挂(괘) 손이나 발로 상대를 걸다
15.離(리) 상대가 나를 가격할까 두려워 상대방에게서 떨어짐
16.閃賺(섬잠) 어리석은 사람을 속여서 때림
17.撥(발) 내 손으로 상대를 억지로 밀어내다
18.推(추) 손으로 한 쪽으로 밀치는 것
19.艱澀(간삽) 손을 익숙하게 쓰지 못하다
20.生硬(생경) 기세에 기대어 사람을 때리고, 설익은 상태로 이기기를 바라다
21.排(배) 한 편으로 줄을 서듯 물러서는 것
22.擋(당) 끌어들이지 못하고 손으로 억지로 막다
23.挺(정) 뻣뻣함(硬)을 말한다
24.覇(패) 힘이 있은 연후에 군림하고 제압하는 것이다. 예를 들면‘覇者는 힘으로 남을 복종시킨다’는 의미이다
25.騰(등) 오른손으로 상대를 맞이하고 다시 왼손으로 상대의 손을 막아 오른손을 빼내어 상대를 가격하는 행위
26.拏(나) 상대를 등지고 상대를 잡는 행위
27.直(직) 너무 직선적이어서 감도는 맛(意)이 없다
28.實(실) 너무 고지식하여 남에게 속는 것
29.鉤(구) 발로 갈고리 걸어 취하다
30.挑(도) 위아래로 떠메다
31.掤(붕) 中氣로 상대의 손을 받는 것이 아니고, 硬氣로 상대의 손을 막다
32.抵(저) 힘으로 정면으로 맞서다
33.滾(곤) 다칠까 두려워, 마치 공이 구르듯 옆으로 굴러 피하다
34.根頭棍子
(근두곤자) 되로 주고 말로 받는 결과를 초래함
35.偸打(투타) 정당하게 때리지 못하고 방어할 수 없는 곳에서 몰래 치다
36.心攤(심탄) 기량이 남보다 못하면서, 때릴 욕심만 앞서면 반드시 실패한다.
태극 찰검태극검을 익힌 후 상호 검의 사용법과 감각을 익힌다.
수련이 깊어지면 실용적인 운기법과 신법(身法)을 얻게 되고 집중력과 직감력이 발달한다.
태극찰검은 태극검 투로를 익힌 후에 상호 검의 사용법을 익히는 수련법입니다. 마치 태극권의 투로를 익힌 후에 추수를 통하여 상대에 따른 변화를 학습하는 것과 같습니다. 태극찰검의 초기 단계에서는 서로의 검을 마주 붙이고 일정한 방향에 따라 검을 떨어뜨리지 않고 움직이는 연습을 합니다. 이를 통하여 상대방의 검에 반응하는 기초를 마련하게 됩니다. 단계가 높아질수록 상대의 다양한 움직임에 따라 적절한 변화를 일으킬 수 있는 연습을 하고 검을 떨어뜨리지 않고 변화하는 바가 충분히 익숙해지면 몸과 보법이 함께 움직이며 연습을 하게 됩니다.
이 과정에서 상대에 응해서 검을 세우거나 눕히는 법, 검의 위치 조절을 통하여 상대의 검으로부터 나를 안전하게 하는 법, 나의 검이 상대에게 도달하는 법, 상대의 검과 나와의 거리감, 공간감, 시간감각 등이 학습됩니다.
상대의 검과 움직임에 응하여 나와 나의 검이 적절한 변화를 이룰 수 있도록 하는 검의 실용을 수련하는 방법으로 검으로 하는 추수라고 할 수 있습니다.
찰검의 수련이 깊어지게 되면 실용적인 운기법(運氣法)과 신법(身法)의 획득은 물론 집중력과 직감력이 발달하며 의식의 출입이 자유로워지게 됩니다.
태극 추수
투로가 나를 아는 공부라면 추수는 상대를 아는 공부이다.
추수는 자기 의도와 힘을 써서는 안 되며 상대에 따른 변화를 얻어야 한다.
태극권의 투로와 추수는 동전의 양면과 같아 모두 갖추어졌을 때 태극권의 전체가 완성됩니다. 투로는 태극음양의 법칙을 내 몸에서 일깨우는 법이고, 추수는 상대에 응하여서 태극음양의 법칙이 저절로 드러나도록 하는 법입니다. 따라서 추수의 수련 방법 역시 태극권의 기본 원칙에 따라야 합니다. 또한 이렇게 하여야 태극권 투로를 천천히 수련해야 하고 근육의 굳은 힘을 사용하지 않는 이유가 명확해지게 됩니다. 밝은빛 태극권에서의 추수 학습은 옛 선배님들께서 남기신 뜻을 따르고 이에 부합하는 수련법을 진행합니다. 투로와 추수가 분리되지 않고 힘에 의존하지 않으며, 추수를 하는 가운데 투로에서 닦은 내공이 실현되고 상대에 응하여 저절로 적절함을 취하여 변화가 실현되는 것을 원칙으로 삼고 있습니다. 1. 태극권 추수란 무엇인가?
ㆍ 추수(推手)란 그 용(用)을 구하는 것이다. < 진미명 >
ㆍ 태극권은 추수를 연습함으로써 용(用)에 이른다. < 양징보 >
ㆍ 평소에 주가(走架)를 하는 것은 나를 아는 공부이며, 타수(打手)를 하는 것은 남을 아는 공부이다. < 이역여 >
ㆍ 추수(推手)란 투로를 숙련한 다음 두 사람이 연습하는 것으로, 손과 발을 맞대고 경(勁)의 사용면에서 허실과 강유 그리고 주화점핍(走化粘逼)
및 제방축발(提放蓄發)의 정확성을 실험하고 인정하는 것이다. < 반작민 >
ㆍ 권가(拳架)는 ‘무극ㆍ태극ㆍ음양ㆍ오행’을 연마하여 신(神)과 기(氣)가 안으로 수렴하고 하나로 뭉뚱그리는 것이니 태극권의 체(體)이다.
타수(打手) 용법에서는 팔세(八勢)에 오행이 포함된 모든 법으로써 동작을 행하며 신과 기가 밖으로 펼쳐져 나와 여덟 가지로 변화하는 것이니
태극권의 용(用)이다. < 손록당 >
2. 태극권 추수의 목적
1) 투로를 바르게 이해한다.
ㆍ 투로에서 익힌 바를 상대에 응하여 적용하는 연습
ㆍ 비유하자면 외국어를 배워 Dialog로 대화해 보는 연습과 같다.
ㆍ 초기에는 규격 안에서 행하고, 능숙해지면 자유롭게 행한다.
2) 상대방과 힘과 에너지의 대화를 익힌다.
ㆍ 대화에서 순서와 상호 규칙이 필요하듯, 추수에도 규칙이 필요하다.
3) 기격에 필요한 감각을 익힌다.
ㆍ 추수 자체는 태극권의 원리에 입각한 감각훈련이지 기격 자체는 아니다. 3. 추수를 바르게 배우기 위한 조언
1) 의도를 버리고 상대(상황)에 응한다.
2) 뚝심(근육힘)을 쓰거나 버티지 않는다.
3) 하체의 힘과 굳어진 구조의 힘에 의존하지 않는다. 2)와 3)의 내용대로 뚝심을 쓰거나 몸이 굳어지면 타격을 당한다는 것이 원칙이다.
4) 상대와 접한 부분에 의식을 둔다.
5) 생각과 판단을 하지 않는다.
6) 상대와의 접점을 기준으로 방(方)을 유지한다.
7) 움직임이 끊이지 않고 원으로 연결되도록 한다.
8) 추수는 상대와의 대화이자 에너지 교류라는 점을 명심한다.
9) 추수는 태극권의 원리를 실현하는 것이 목적이다. 따라서 태극권의 방식대로 상대에 응해야 한다.
10) 추수를 진행하는 내내 상대와의 접촉(점)을 유지해야 한다.
4. 첨연점수(沾连粘随)
ㆍ 태극권의 추수가 성립되기 위한 기본조건으로 상대와 한 점으로 가볍게 맞붙는 상태를 말한다.
ㆍ 첨의욕습행화우(沾衣欲濕杏花雨) : 살구꽃 피는 봄날 는개에 옷이 젖는다.(남송 시대의 시) 마치 가는 비에 옷이 젖어 피부에 가볍게 붙듯이
내 손이 상대의 손에 붙어야 한다.
ㆍ 첨연점수를 위해서는 반드시 사기종인(舍己從人)한다.
ㆍ 상대에게 집중한다.
ㆍ 첨연점수는 협상하는 기술, 대화하는 덕목이다.
ㆍ 첨연점수가 안 되면 태극권 추수가 성립되지 않는다.
첨연 양 내가 접촉을 시도(첨) 접촉을 계속 이어감(연)
점수 음 나의 접촉을 이어 받음(점) 점을 유지하며 상대를 따름(수)
5. 청경ㆍ동경ㆍ신명
청경(聽勁) 동경(懂勁) 신명(神明)
손의 음양허실이 분명한 상태 몸통의 음양허실이 분명한 상태 보(步)의 음양허실이 분명한 상태
정(精) 기(氣) 신(神)
수신족(手身足) 삼자의 합(合)을 외삼합(外三合)이라 하고
정기신(精氣神) 삼자의 함(合)을 내삼합(內三合)이라 한다.
내삼합과 외삼합은 분리된 기술이 아니라 하나에 대한 안과 밖이다.
6. 화경과 발경
화경(化勁) 발경(發勁)
점을 이룬 후 상대의 에너지를 이끌어 들임(원圓) 상대를 허하게 하여 방을 유지하면 상대가 튀어 나가게 됨(방方)
ㆍ 발경은 힘으로 상대를 밀쳐내거나 외형적 기술을 쓰는 게 아니라, 음양법칙에 근거한 합작용이다.
ㆍ 처음 추수를 연습할 때 청경과 화경의 교묘함에 집중하여야 하며 일시적인 우열에 집착하여 억지를 쓰면 안 된다.
ㆍ 상대를 날리고도 자신이 알지 못할 때에 비로소 이런 발경의 오묘함을 마음에 기울여 체험하고 깨칠 수 있게 된다. < 손록당 > 7. 올바른 추수를 위한 요결
ㆍ 사기종인(舍己從人) - 응물자연(應物自然) - 인진낙공사량발천근(引進落空四兩拨千斤)
ㆍ 용의불용력(用意不用力) -차력타인(借力打人) - 첨연점수(沾连粘随)
태극 산수태극권의 초식을 적용하여 상호간의 손발의 교차 감각과 공간감각을 익힌다.
태극권의 수련 과정은 다음으로 요약될 수 있습니다.
1. 도인법(導引法) : 내 몸을 원래의 조화로운 상태로 회복
2. 투로(套路) : 내 몸의 올바른 음양 작용 원리인 원방(圓方)을 단련, 나를 아는 공부
3. 추수(推手) : 상대에 따른 변화 원리를 체득, 원방(圓方)의 활용, 상대를 아는 공부
태극권의 이러한 주요 수련법을 올바르게 익힌 후에 태극권의 초식을 상대에게 적용하여 상호간의 손발의 교차 감각과 공간감각을 익히는 특별한 수련법이 있습니다. 이 수련법은 산수(散手)라는 이름으로 전승되고 있습니다. 태극 산수의 핵심은 단순히 손발로 때리고 차는 동작을 서로 연습하는 것이 아니라 내오행보(內五行步)와 외오행보(外五行步)의 작용을 분명히 하여 상대방에 대한 공간 조절의 다양한 기법을 익히는 것입니다. 상호 짝을 맞추어 안전하게 태극권의 동작을 적용해 보는 태극 산수는 태극권의 내공 활용을 위한 주요한 수련법일 뿐 아니라 매우 흥미롭고 유희적인 측면이 있어 함께 즐기는 수련법으로도 적합합니다.
태극 갈수추수를 통한 변화 원리가 상대에 따라 직감적으로 드러나야 하는 추수의 정화
태극권 갈수는 두 사람간의 태극권의 실용적 사용을 연습하는 수련법 입니다. 추수를 통해 학습된 ‘응하여 변하는 원리’가 ‘상대에 따라 직감적으로 드러나야 하는’ 추수의 정화라 할 수 있습니다. 또한 갈수를 통하여 투로에서 학습한 태극권 초식을 비로소 이해하게 됩니다. 이때에 이르면 손록당 선생의 ‘신은 곧 의다’라는 말의 의미를 몸으로 경험할 수 있습니다.
갈수십육목(擖手十六目)
1. 교(較) 기량의 고하를 겨루다.
2. 접(接) 손이 서로 닿다.
3. 첨(沾) 손이 물에 젖듯 맞붙다. 살구꽃 피는 봄날 비에 옷이 젖는다(沾衣欲濕杏花雨)의 沾이다.
4. 점(粘) 아교처럼 찰싹 붙다. 상대의 손이 내게 붙었다면(沾), 떨어져 나가지 못하게 한다.
5. 인(因) 상대가 다가왔다.
6. 의(依) 상대의 몸에 바짝 기대어 붙다.
7. 연(連) 손과 손이 붙어 이어지다.
8. 수(隨) 상대의 세(勢)에 따라 나가고 물러서다.
9. 인(引) 상대가 들어오게 유인하여 이끌다.
10. 진(進) 상대로 하여금 앞으로 나서게 하여 도망가지 못하도록 한다.
11. 낙(落) 떨어지다, 落成하다의 낙이다. 낙숫물이 땅에 떨어지고 낙엽이 땅에 떨어지듯 한다는 말이다.
12. 공(空) 상대가 내 몸을 때리려다 헛손질을 하게 하다.
13. 득(得) 내가 유리한 기틀과 세를 얻다.
14. 타(打) 기틀과 세가 때릴 만하면 틈을 보아 상대를 때리다.
15. 질(疾) 질풍처럼 빠르다. 약간이라도 주저하고 늦어지면 때릴 수 없다. 기틀과 세를 잡는데는 신속함이 가장 귀하다.
16. 단(斷) 결단을 의미한다. 조금만 주저해도 기회는 사라지고, 상대를 때릴 수 없다.
갈수삽십육병(擖手三十六病)추수 혹은 갈수를 함에 있어 절대 하지 말아야 할 36가지 사항들을 말하고 있습니다. 이 36가지 병폐는 모두 < 힘을 주거나 >, < 자기 의도를 주장하거나 >, < 변화하지 못하는 것 >으로 귀결됩니다. 36가지 병폐는 전부 범하거나 서너 개, 혹은 두세 개를 범하기도 하는데 이 병폐를 범하면 법수(法手)가 성립되지 않습니다. 법수가 성립될 때는 어떤 병폐도 범하지 않으며 태화원기(太和元氣)에 이롭습니다. 본래 순리에서 벗어나지 않는 까닭입니다. 추수를 비롯하여 산수, 갈수 등의 태극권의 권리에 따르는 대인(對人) 수련을 할 때에는 이 36병폐를 행하지 않도록 반드시 주의하여야 합니다.
1.抽(추) 쳐들어갔으나 세를 얻지 못해 자신이 패할 것을 알고 몸을 빼치다
2.拔(발) 몸을 돌려 도주하다
3.遮(차) 손으로 사람을 가리다, 막다
4.架(가) 팔로 상대의 손을 가로 막다
5.搕打(갑타) 사물로 쳐서 (상대를) 때리다
6.猛撞(맹당) 갑작스럽게 돌진해 들어가다. 무모하게 힘을 믿고 어거지로 부딪히는 것이니,
부자연스럽게 힘에 의존해 요행수로 이기고자 하는 것
7.躱閃(타섬) 몸을 빼 피하여 상대의 손을 피함. 피해 도망 다니면서 상대가 넘어지게 하려는 것
8.侵凌(침릉) 상대의 세력 범위 안으로 들어가 상대를 억압하려는 것
9.摲(참) 칼로 물건을 베거나 찍듯이 하는 것
10.摟(누) 손으로 상대의 몸을 눌러 안거나 붙들다
11.扌冒 (모) 손으로 기대듯 부축하거나 저항하다
12.搓(차) 양손을 비비듯 손과 팔꿈치로 상대에게 비비다
13.欺壓(기압) 欺는 사람을 어르고 속이는 것이며, 壓은 내 손으로 상대의 손을 억지로 누르거나 잡는 행위
14.挂(괘) 손이나 발로 상대를 걸다
15.離(리) 상대가 나를 가격할까 두려워 상대방에게서 떨어짐
16.閃賺(섬잠) 어리석은 사람을 속여서 때림
17.撥(발) 내 손으로 상대를 억지로 밀어내다
18.推(추) 손으로 한 쪽으로 밀치는 것
19.艱澀(간삽) 손을 익숙하게 쓰지 못하다
20.生硬(생경) 기세에 기대어 사람을 때리고, 설익은 상태로 이기기를 바라다
21.排(배) 한 편으로 줄을 서듯 물러서는 것
22.擋(당) 끌어들이지 못하고 손으로 억지로 막다
23.挺(정) 뻣뻣함(硬)을 말한다
24.覇(패) 힘이 있은 연후에 군림하고 제압하는 것이다. 예를 들면‘覇者는 힘으로 남을 복종시킨다’는 의미이다
25.騰(등) 오른손으로 상대를 맞이하고 다시 왼손으로 상대의 손을 막아 오른손을 빼내어 상대를 가격하는 행위
26.拏(나) 상대를 등지고 상대를 잡는 행위
27.直(직) 너무 직선적이어서 감도는 맛(意)이 없다
28.實(실) 너무 고지식하여 남에게 속는 것
29.鉤(구) 발로 갈고리 걸어 취하다
30.挑(도) 위아래로 떠메다
31.掤(붕) 中氣로 상대의 손을 받는 것이 아니고, 硬氣로 상대의 손을 막다
32.抵(저) 힘으로 정면으로 맞서다
33.滾(곤) 다칠까 두려워, 마치 공이 구르듯 옆으로 굴러 피하다
34.根頭棍子
(근두곤자) 되로 주고 말로 받는 결과를 초래함
35.偸打(투타) 정당하게 때리지 못하고 방어할 수 없는 곳에서 몰래 치다
36.心攤(심탄) 기량이 남보다 못하면서, 때릴 욕심만 앞서면 반드시 실패한다.
태극 찰검태극검을 익힌 후 상호 검의 사용법과 감각을 익힌다.
수련이 깊어지면 실용적인 운기법과 신법(身法)을 얻게 되고 집중력과 직감력이 발달한다.
태극찰검은 태극검 투로를 익힌 후에 상호 검의 사용법을 익히는 수련법입니다. 마치 태극권의 투로를 익힌 후에 추수를 통하여 상대에 따른 변화를 학습하는 것과 같습니다. 태극찰검의 초기 단계에서는 서로의 검을 마주 붙이고 일정한 방향에 따라 검을 떨어뜨리지 않고 움직이는 연습을 합니다. 이를 통하여 상대방의 검에 반응하는 기초를 마련하게 됩니다. 단계가 높아질수록 상대의 다양한 움직임에 따라 적절한 변화를 일으킬 수 있는 연습을 하고 검을 떨어뜨리지 않고 변화하는 바가 충분히 익숙해지면 몸과 보법이 함께 움직이며 연습을 하게 됩니다.
이 과정에서 상대에 응해서 검을 세우거나 눕히는 법, 검의 위치 조절을 통하여 상대의 검으로부터 나를 안전하게 하는 법, 나의 검이 상대에게 도달하는 법, 상대의 검과 나와의 거리감, 공간감, 시간감각 등이 학습됩니다.
상대의 검과 움직임에 응하여 나와 나의 검이 적절한 변화를 이룰 수 있도록 하는 검의 실용을 수련하는 방법으로 검으로 하는 추수라고 할 수 있습니다.
찰검의 수련이 깊어지게 되면 실용적인 운기법(運氣法)과 신법(身法)의 획득은 물론 집중력과 직감력이 발달하며 의식의 출입이 자유로워지게 됩니다.
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