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2020年7月30日 (木)
ポスト資本主義か、人新世か
(写真) 対談の表紙 ↓
昨日、「詳細は別項の『現代思想』の篠原雅武氏と斎藤幸平氏の対談を読んで欲しい」と書きましたので、ちょっと長いですが、対談の要旨をまとめたものを何回かにわけて紹介します。
私は是非、読んで欲しいと願うのですが、興味のない人には苦痛かも知れません。笑い。
でもこれに懲りず、今後もブログを見て下さいね。よろしくお願いします。
「ポスト資本主義と人新世」篠原雅武×斎藤幸平
「人新世とは?」を理解する上で、『現代思想』2020.1月号に載った篠原雅武さんと斎藤幸平さんの二人の対談が良いのではないかと思い、不十分だと思いますが、その要旨をまとめました。以下、紹介すると同時に、最後に私の感想を述べたいと思います。また、自分の理解のためにも( )内や⑴などの注は調べて付けさせてもらいました。[松野]
篠原 雅武(しのはら まさたけ、1975年~、45才)日本の社会哲学、思想史研究者。
斎藤 幸平(さいとう こうへい、1987年(昭和62年)~、33才)は、日本の哲学者、経済思想家。専攻はヘーゲル哲学、ドイツ観念論、マルクス主義哲学、マルクス経済学。大阪市立大学大学院経済学研究科・経済学部准教授。
篠原 人新世を考えるやり方には、二つある。①人間が自然に対して損害を及ぼしていく。②存在論的に人間がいるかいないかにかかわらず地球は存在している。そこで人間は生きている。人間中心の世界像に基づいて作られた現実だけではないのではないか。人間が環境にどれだけひどいことをしてきたかという道徳的な怒りだけでなく、もっと人間存在の支えとしての世界の根幹にかかわるような、それこそ本当に哲学的な思考が求められているのではないかとも思います。生活の場とは区別されるところでの、純粋思弁⑴の世界では、そういうことが求められている。
(斎藤) 二つの時間で言えば、人間の時間がもう一つの長大な時間も含めて全てを変えようとしているということを問題視しているという意味では、いま着目すべきは人間の時間であり、それが長大な時間から乖離していることだ。
篠原 土壌や化石燃料、生物多様性がここまで損傷されてしまった状態をいま人間が生きているタイムスケール(地質学的時間)のなかで回復するのはもう無理。完新世に戻すことを目指しているかも知れないが、完新世が終わって人新世が始まっているのだったら、人新世にふさわしい人間の生き方、生活空間のあり方を模索しないといけない。ジオエンジニアリング⑵で地球のあり方を作り変え、人間が生きることの可能な状況を人工的に作りだそうという議論もある。地球環境をハビタブル(居住可能であること) にすることの参考になるかも知れない。
(斎藤) 地球の長大な時間の重視は「エコモダニズム⑶」の発想に繋がっていってしまう危惧がある。
もうティッピング・ポイント⑷が超えているのであれば、より一層地球を管理していくしかない。人間と自然が混ざり合っているのが本質的なあり方だと捉えると、いくらでも介入してもよいということになりかねない。私たちが自分の世代で後戻りできない決定をしてよいのかという問題を孕む。
篠原 再生医療を使って人間の寿命を500年まで引き伸ばすとか、有機的生命にAIが取って代わり、地球外の惑星に移住して非有機的生命体へのアップグレード(品質をよくすること)が起こるとなどいうのは、結局、人間中心主義のバージョンアップ⑸にすぎない。地球のあり方は放置して、人間のあり方を作り変える。人間以外の生命体、さらには高額の医療費を払うことのできない人間のこともそこでは放置されてる。
(斎藤) 人間がいようといまいと地球はあるという話は、何もできないというペシミズム(悲観主義)の裏返しです。それが極端なSF的なユートピアや絶滅論になっている。私はまだ生存のためのチャンスはあると思うし、倫理的責任があるはず。
篠原 阪神淡路大震災や東日本大震災といった震災が、自然に対する人間の無力さを突きつけてきた。人間が生きている土台が非常に崩れやすく脆(もろ)くなっている。その脆さを引き受けていくことが重要。
篠原 世界は人間だけで自己完結してるのではなく、ノンヒューマン(人間でない、人類以外の)なものに取り巻かれつつ成り立っている考えているので、人間がいなくても世界はあるみたいな感覚がある。(つづく)
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