Showing posts with label Sumanasara. Show all posts
Showing posts with label Sumanasara. Show all posts

2021/04/29

賢い人 愚かな人 ― 人生を克服する34の智慧 Sumanasara Amazon E

A wise person a foolish person (Sumanasara Classics) (Japanese Edition) eBook: Alubomulle Sumanasara: Amazon.com.au: Kindle Store
賢い人 愚かな人 ― 人生を克服する34の智慧 (スマナサーラ長老クラシックス) Kindle Edition
by アルボムッレ・スマナサーラ  (著)  Format: Kindle Edition


どんな苦労もうまく乗り越えて幸せに生きられる方法とは?
私たちがぶつかる人生の困難をブッダの智慧で乗り越える

※本書は2013年に大法輪閣より刊行された同名書を、加筆・修正のうえ電子化したものです。

もくじ

はじめに
第一章 愚か者を理解する
「身体と幻」 ▼▽執着から離れ平安な心を得る
「他人ばかり観(み)たがる心」 ▼▽客観的判断はあり得るか
「人生の目的」 ▼▽生きることは本番のないリハーサルか
「人生の目的」PART2 ▼▽一切の束縛から逃れるために
「愚か者」とは誰のことか ▼▽悟りを開いていない人はみな「愚か者」
「いい影響・悪い影響」 ▼▽「愚か者」にならないために
「悩み、苦しみ」を諦められる ▼▽解決方法のない悩みは悩まない
「賢者への道」 ▼▽不完全であると気づくこと
「愚か者」もいろいろ ▼▽正しい行動からは苦しみは生まれない
無知から生まれるわざわい ▼▽正しくない行動は良い結果を生まない
人格と性格は変えられる ▼▽環境から受ける影響は大きい

第2章 「賢者」を理解する
賢者人間入門【1】 ▼▽要は心の発展にある
賢者人間入門【2】 ▼▽感情に支配されず感情を支配する
賢者人間入門【3】 ▼▽喜びとは真理を知ることである
賢者人間入門【4】 ▼▽ネガティブ人間からポジティブ人間へ
聖者(阿羅漢)の心【1】 ▼▽すべての束縛の繋ぎ・絡まりから逃れ出るために
聖者(阿羅漢)の心【2】 ▼▽真の自由人間への道
聖者(阿羅漢)の心【3】 ▼▽たまったゴミは捨てましょう
聖者(阿羅漢)の心【4】 ▼▽落ち着け、落ち着け

第三章 「賢者」を目指す
実る生き方【1】 ▼▽最後まで諦めない
実る生き方【2】 ▼▽明日では遅すぎる
本気でチャレンジ ▼▽されど競争相手は作るな
競争での勝利は勝利にあらず ▼▽必要に迫られても悪は正当化できません
「祈り」は宗教とは無関係 ▼▽幸福を願うなら聖者に道を学びなさい
「祈り」より正しい人間関係 ▼▽和を守る行動も仏教の道徳です
「死ぬのは怖い?」 ▼▽生きるだけが能じゃない
「怖がる者は武器を持つ」 ▼▽空虚な勇気より、自信がない方が健全
「落ち込むのは人間の本性」 ▼▽良い目的はやる気を持続させる

第四章 「幸せ」をつかむ
「生きることは爆弾遊びか」 ▼▽無常を知る者は人生を知る
「悪は心の趣味です」 ▼▽勇者のみ善を行う
「心は癖で行動する」 ▼▽心に良い習慣をつけないと自由になりません
「目先の楽しみは、後の落とし穴」 ▼▽人類の本質は過ちを犯すこと
「ギネス記録症候群」 ▼▽小さな善行為がすべての始まり
「危険を抱きしめるべからず」 ▼▽幸福は心次第

----------------
Top reviews from Japan
Translate all reviews to English
こがねの いずみ
TOP 100 REVIEWER
4.0 out of 5 stars いつかは賢い人になりたい人に
Reviewed in Japan on December 17, 2018
ここでいう『賢い人』は解脱を体験した人。『愚か者』とは我々ごく自然な在り方でいる人。ほぼ全ての人が愚か者と定義されます。
人は仕事や社会的地位や富を追求するのは、自分の身体を守るためにやっていると著者はいいます。
自分の身体を守って生老病死に抗おうとしているうちは、愚か者です。
まだ達観できない私は愚か者として読み進めました。

『人は自分の行動が速いと自慢気に思っていますが、普段の行動も速いとは思いません。(中略)悩むため、また妄想するためにも、結構時間が必要ですから、あせらなければ行動できなくなっているのです。』

行動がスローでもきちんと確認しながら落ち着いて行動する方が、結果的に効率的にストレスなく物事が進められると著者は言います。
確かにいつも時間に追われているときは、頭の中がいろんなことでいっぱいになっていました。
ムダな時間の方が明らかに多いです。
速いことを自慢げに言うのはやめようと反省しました。
確認しながらひとつひとつきちんと取り組みたいと思います。

仏教からまだまだ教わることが多いです。
Read less
9 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
Amazonカスタマー
1.0 out of 5 stars 愚か者とは思考で生じた観察できる観察対象の「有身見の私」を自己と錯覚。認識主体の本来の自己・意識が観察可能な観察対象にはならない。賢者は思考で生じた有身見の私を知らない「不識」
Reviewed in Japan on October 16, 2020
観察できる怒らない私、慈悲深い私、執着しない私、愚かな私、賢い私などは、思考で生じた観察対象で、認識主体の本来の自己・意識ではありません。
思考が消える眠りとともに消滅し、起きると思考とともに現れる思考で生じた観察対象のイメージの私、自我の錯覚「有身見の私」です。
有身見とは、観察できる対象の身体と心を認識主体の本来の自己・意識と同一視した思考で生じたイメージの私、勘違いの私、自我の錯覚です。
認識主体の本来の自己・意識が観察できる観察の対象になることはありません。
観察には、認識主体と観察対象の客体の二元性が必要です。
観察できる怒らない私、慈悲の私、執着しない私、愚かな私、賢い私などは思考で生じたイメージの私、有身見の私そのものです。
思考で生じた観察可能な観察対象の「有身見の私」を自己だと勘違いしている私達は愚か者です。
覚者の智慧は思考のない身口意の沈黙・無心のあるがまま「無分別智」です。
思考のない無分別智の賢者・覚者は観察できる思考で生じた「有身見の私を知らない」、私が何者かを知らない「不識」です。

「グルがあなたに伝えることができるのは、ただひとつ ー あなたには自分自身について大きな誤解がある。あなたはあなたが自分だと考えるいるような者ではない。ニサルガダッタ・マハラジ」(ウンマニ・リザ・ハイド 愛のために死す)
「肉体との一体化を放棄して何が起こるかみなさい。」
「あなたがどんなに努力しても、あなたをさらなるトラブルに導くだけだろう。それゆえ、偽のアイデンティティではなく、この知識を受け入れなさい。あなたが存在しているのはこの知識ゆえだ。」(ニサルガダッタ・マハラジ 意識に先立って)
「瞑想とは知らないということ。」(クリシュナムルティ)

観察対象の身体と心を認識主体の本来の自己・意識と同一視すると身体と心を持った現象世界から独立した「個人の私」が存在するという勘違いが起こります。
身体が生まれて名前を付けられて、身体と心を持った「個人の私」と私以外の世界に分離独立していると誰でも自然に錯覚します。
無我とは観察できる観察対象の身心を認識主体の本来の自己・意識と同一視した思考で生じた「有身見の私」は本来の自己では無い、「我では無い」、意識ではない、世界から独立した個人という実体はない、不二、非二元、絶対的な一体性・ワンネスということです。

「「秘密」とは分離がないということです。ところがそのことは、自分は誰かだと信じている間は秘密のままです。」(オープン・シークレット トニー・パーソンズ)
「自他を超え一つになって勉強するしかないですね。先人たちは本当に夜に日をついで、ただこの1点を中心に修行したんです。」
「自分がすっかりいなくなりましたってことが、わかる間は駄目なんです。見てるんです。看てるんです。どこかで見ている自分がまだいるんです。これが多いんです。」(げんにーび: 正法眼蔵「現成公案」提唱録 井上貫道老師)

思考が消える眠りとともに消滅し、起きると思考とともに現れる有身見の「私」ではなく、何も認識をしていない熟睡中も存在して生きている「私」の正体、意識がどこから生じてくるのか、その源泉・故郷を知ることが必要なことです。
「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」 (道元禅師 正法眼蔵)
意識が観察対象の身体と心を認識しないと「自己=有身見の私」が消えて意識のみになります。
観察対象が消えると自他の区別・分離が消えて、全体と一つの本来の自己・意識のみ、「存在の自覚」、身心脱落・脱落身心=有身見の消滅です。
熟睡中はサマディーの至福ですが、意識の自覚がないだけの休眠状態です。
ブッダは身体は寝ていても意識以前に存在する純粋な気づき、夢も見ない「目覚めた方」です。
私達は起きている時は意識が身体の感覚を使って外側を認識するので、身体に制限されます。
意識が身体と感覚を手放して意識の内側に入つていくことがありませんので、意識以前に存在する純粋な気づきのない、起きている時はいつも思考・概念で一杯の有身見の私の夢の中です。

「衆生本来仏なり 水と氷りのごとくにて」白隠禅師坐禅和讃。
完全(仏)でないものが、修行が原因で新たに完全(仏)になるということはありえません。
意図的な修行が原因で生じた結果の覚りは、因果法則に従って必ず消滅する、真理の一瞥で終わり定着できません。
原因が有限なので、当然結果も有限です。永遠とは原因がなく始めも終わりもなく永遠です。
本来そのままで「仏・完全」でないなら、新たに生じた結果の仏・完全なら因果法則に従って必ず消滅します。
仏・完全とは、始めも終わりもなく、あるがままで完全です。
「あるがまま=全体と調和して生きる」でいることに、本来、意図的な努力はありません。
一つでも例外や嘘があるなら、他にもあるでしょう。
例外や嘘のつじつま合わせに他にも例外や嘘が必要になります。

氷(個)は水(全体)から名称と形態が「生じ」、生じた氷(個)は水(全体)に融け去って「滅し」、全体と一つになります。
個の名称と形態が生じる以前、身体が生まれる以前の名前も身体もない全体・根源・故郷に帰ることが必要です。
真理を一瞥しても意図的な修行をする有身見の私(個)が、障害になって目覚めが定着できないので、悟後の修行「聖胎長養」で元の無心・沈黙の無分別智の「あるがまま」の「全体」に戻って覚りの一円相が完結します。
有身見の私たちは、意図的な思考の分別知の修行目標で、「私(個)があるがままにする」です。

「実現というのは新しく獲得される何かではない。それはすでにそこにある。必要なことのすべては「私は実現していない」という想いを追い払うことである。」(ラマナ・マハリシの教え)
「ブッダは実はインドで悟りを開かなかったのです。実際にはブッダは決して悟りを開かず、生まれることなく、死ぬこともありません。この、時を超えたブッダこそが、私達の本当の家であり、不変の空間なのです。ブッダ、ダルマ、サンガの三宝に帰依するとき、私達はこの世のすべての物事から解放されます。三宝は私たちの師となり、ただ一つの生命の真の姿を明示しているのです。」(アーチャン・チャー 手放す生き方)

あるがままの完全を疑うことが「疑」です。ブッダの言葉を疑うことではありません。
真理を言葉で語ることなどできません。たとえ仏陀でも真理「そのもの」は語れません。
「百聞は一見にしかず」。愛も悲しみも、絶望も語れません。お茶の味すら語ることはできません。
真理「に関して」「について」言及するのがせいぜいです。
真理「に関して」一度でも語ってしまうと、真理「そのもの」ではないので、その言葉の補足修正が必ず必要になり、その後もその補足訂正が必要なので切りがなく、八万四千の経典が出来て対機説法をするハメになりました。
「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」一休宗純

スリランカ仏教(分別説部)シャム派は、善悪の分別判断の絶対基準であるパーリ経典が教団存続の生命線です。
ブッダの話した「言語」がパーリ語だから「パーリ経典が仏陀の真理の言葉」で他の言語の経典は偽教典だと主張するのは、パーリ経典が真理の言葉かどうかは教団の存続に関わる生命線だからです。
そもそもパーリ語はお釈迦様の行ったことのない西インドの言語です。
布教をした北東インドのマガダ語圏でパーリ語を話すわけがありません。
大乗仏教、般若心経、以心伝心、教外別伝、不立文字等が教える「真理は言葉では語れない」という事実は、パーリ経典が唯一の仏陀の語った「真理の言葉」だと主張するスリランカ仏教(分別説部)教団にとって、決して認めることができない不都合な真実です。
「真理はたとえブッダでも語ることはできないのに、ダンマパダ(真理の言葉)」。現実歪曲空間に要注意です。

農民以上のカーストで男性でないと出家できないスリランカ仏教(分別説部)シャム派は、有身見(差別する私、観察する私、理解する私、分別判断する私等)がパーリ経典を絶対基準に善悪を分別判断する分別知の教えです。
世間の常識と同じ分別知なので、修行をせずに本を読んだだけで誰でも常識だけですぐに理解できますが、
覚者の「無分別智の真理」を常識と同じ分別知の理性で理解することなど、とうてい不可能です。

言葉の繰り返しによる自己催眠の慈悲の瞑想は、カースト差別には何の慈悲もない偽り、偽善の慈悲を自ら証明しています。
農民よりも下のカーストは生きとし生ける者にも入りません。
自他の区別・境界・分離は思考によって生じたもので、現象世界すべてのものは自然全体の一部で境界・区別は錯覚という智慧の現れが慈悲です。
慈悲と智慧は表裏一体、同じものです。
お母さんと赤ちゃんのように「一心同体」自他の区別などありません。
自他の区別のある上から目線の個人の私と生きとしきる者に分離した偽善の慈悲ではありません。
慈悲の象徴でもある千手千眼観自在菩薩の手の平には智慧の眼が描かれています。

問題は偽りの慈悲を育て続けている限り、偽りが真の慈悲に変化することなどなく、偽りのままです。
因果法則は「生じた現象が滅して、新たに現象が生じる」前後際断が事実です。
既存の現象が「変化」することではありません。完全な誤解、錯覚です。
偽りが滅しない限り、偽りのままです。偽りが消滅する必要があります。
偽りを育てて保持しているため永久に「偽善の慈悲」を強化・保持し囚われることになる、エゴトリップ・巧妙な罠です。
暗闇で縄を蛇だと勘違いの思考を保持し育てている限り、縄という正しい理解の思考は永久に生じません。
イミテーションゴールドが本物の金に変化することは永久にありません。
お釈迦様の行ったことのない西インドの言語のパーリ経典でさえも慈悲の言葉を唱えるようと書いてあるものなどないことにも留意するべきです。
慈悲の言葉のバージョンも解釈も勝手に作り放題です。
偽物を保持し育てることが覚りの障害そのものです。決して偽物が本物に変化することはありません。
自他の区別のあるカースト差別はそのままの「大衆」の教えではない上から目線のカースト上位の「上座部」仏教です。

「偽物を偽物と理解しなさい。それがあなたにできるすべてだ。あなたはあるものを別のものに変えることはできない。」
(意識に先立って ニサルガダッタ・マハラジ)

パーリ語はお釈迦様の行ったことのない西インドの言語です。
お釈迦様が生まれて布教をした北東インドのマガダ語圏で、行ったことのない西インドの言語のパーリ語を話すわけがありません。
証拠もないのに、仏陀の誕生と成道と涅槃を同じ日にしてしまうようないい加減な人たちに、2500年も前の言い伝えの口伝が元の教えを一字一句違わず伝えられると本当に思いますか。

「千の質問も、たくさんの瞑想法の知識も、自分を決して真理へと導かないということを知るようになる。」
「ダルマは限定的な世俗の科学による理解を超えた智慧です。」
「表面的な経典の学習は重要ではありません。正しい智慧を授けてくれるものではないのです。」
「自分自身の内面に向き合わないのなら、現実を知ることはありません。」
「三宝は私たちの師となり、ただ一つの生命の真の姿を明示しているのです。」
(アーチャン・チャー 手放す生き方)
Read less
Helpful
Report abuse

『初めての本 上座仏教 Theravada Buddhism Sumanasara Amazon E

Amazon.com: Theravada Buddhism (Sumanasara Classics) (Japanese Edition) eBook: Alubomulle Sumanasara: Books
『初めての本 上座仏教 常識が一変する仏陀の教え』




Follow the Author

Alubomulle Sumanasara
+ Follow


Theravada Buddhism (Sumanasara Classics) (Japanese Edition) Kindle Edition
Japanese Edition by Alubomulle Sumanasara (Author) Format: Kindle Edition


4.4 out of 5 stars 5 ratings




176 pages

Publisher : Evolving (November 24, 2017)
Publication date : November 24, 2017

Customer Reviews:
4.4 out of 5 stars 5 ratings
「心の不思議な力」「人はなぜ苦しむのか」「だれでも幸福になる慈・悲・喜・捨の法則」「あなたの心を育てる方法」「明るく生きられる道」― スマナサーラ長老が明快に語ります!

目次

プロローグ ―固定概念にとらわれるな
第一章 心の不思議な力
 ◆心と体の関係を考える
 ◆唯物論の考え方
 ◆魂などありません
 ◆心と体は別々に働く
 ◆心と体――その六つの相互関係
 ◆神様がいるのなら宗教などいらない
 ◆心の速さは光の十七倍
 ◆心は体の支配者です
 ◆心はただ刺激をほしがっている
 ◆心は刺激のためなら殺人もする
 ◆あなたは無知で高慢です
第二章 人はなぜ苦しむのか
 ◆人間には知り尽くせない四つのことがら
 ◆自我というやっかいな概念
 ◆戦いは必ず負ける
 ◆心はとてもエゴイスト
 ◆苦しみの解決方法
 ◆エゴを隠すごまかしの技
 ◆悟りは自己観察から
 ◆生命はひとりでは生きていけない
 ◆敵をなくす慈悲のエネルギー
第三章 だれでも幸福になる慈・悲・喜・捨の法則
 ◆「自分さえよければ」という心でいると
 ◆「愛」はあいまいなもの
 ◆友情(慈)
 ◆抜苦(悲)
 ◆他の幸福を喜ぶ(喜)
 ◆平静心(捨)
 ◆人間は生きる目的など持っていない
 ◆どうして心はよくならないのか
 ◆自己愛が犯す罪
 ◆良く見える三つの性格
 ◆心の「OS」
第四章 あなたの心を育てる方法
 ◆幸福な心を作るためには
 ◆生命を平等と考えられるか
 ◆智慧の出現
 ◆命令は危険なやり方
 ◆すべての命を平等に見る方法
 ◆私というのはただの妄想
 ◆一番好きなのは自分です
 ◆悪口を言われたときの対処法
第五章 明るく生きられる道~ブッダの福音
 ◆システム化されている仏教の実践法
 ◆心はすぐに何かに頼りたがる
 ◆落ち込んだ心を直すには
 ◆愛情いっぱいの心ですべての生命を見る
 ◆最高の幸福が得られる実践方法
 ◆自分を守るための心の法則
 ◆心を直す画期的な方法
 ◆人間は完全ではない
 ◆心を育てるヴィパッサナー瞑想のすすめ
超越した道 ―あとがきにかえて

『初めての本 上座仏教 常識が一変する仏陀の教え』は、一九九八年六月に大法輪閣から刊行されました。電子書籍化にあたって内容に再編集を加えました。

Customer reviews
4.4 out of 5 stars

Top reviews from other countries
Translate all reviews to English


北海道のフーさん
5.0 out of 5 stars 仏教の本質が良く分かります。Reviewed in Japan on May 27, 2017
Verified Purchase

上座仏教には、お釈迦さま本来の思想・哲学があると思います。
アルボムッレ スマナサーラ氏の解説は、とても良く分かります。勉強させていただきます。

6 people found this helpfulReport abuse
Translate review to English


緑茶
5.0 out of 5 stars 心を育てる事の重要性Reviewed in Japan on November 25, 2009
Verified Purchase

「悩み」「苦しみ」これらは常に人に付きまとっている。
どのような形で軽減させるかを考えている時に出会った1冊。
それまで“仏教”というものに特別な関心も無かったのだが、
この本に出会って生きる指針のような物が見つかった気がする。
「心を育てる」ことがいかに重要かを解りやすく説かれている。
生きる事の難しさにぶつかった時、是非手にして貰いたい本。

9 people found this helpfulReport abuse
Translate review to English

Top reviews from Japan
Translate all reviews to English
北海道のフーさん
5.0 out of 5 stars 仏教の本質が良く分かります。
Reviewed in Japan on May 28, 2017
Verified Purchase
上座仏教には、お釈迦さま本来の思想・哲学があると思います。
アルボムッレ スマナサーラ氏の解説は、とても良く分かります。勉強させていただきます。
6 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
緑茶
5.0 out of 5 stars 心を育てる事の重要性
Reviewed in Japan on November 26, 2009
Verified Purchase
「悩み」「苦しみ」これらは常に人に付きまとっている。
どのような形で軽減させるかを考えている時に出会った1冊。
それまで“仏教”というものに特別な関心も無かったのだが、
この本に出会って生きる指針のような物が見つかった気がする。
「心を育てる」ことがいかに重要かを解りやすく説かれている。
生きる事の難しさにぶつかった時、是非手にして貰いたい本。
9 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
yuki0
5.0 out of 5 stars 次回も利用したい
Reviewed in Japan on September 28, 2014
Verified Purchase
5、6回、マーケットプレイスで購入しましたが一番良かった。
機会があれば、次回も利用したい。
4 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
akrtmd
TOP 1000 REVIEWER
5.0 out of 5 stars 慈,悲、喜、捨の法則
Reviewed in Japan on July 22, 2018
誰もが幸福になる法則は慈、悲、喜、捨の精神だという。 釈迦は常に判断の基準を中道に置いたという。 法律が立法化していない古代において思想家が乱立して国家への採用を巡って激しい覇権争いをしていたという。 釈迦の聡明な社会の判断力が王たちを感服させて仏教を国教に押し上げたものとみられる。 釈迦仏教の特徴は霊魂の否定で無我である。 自分というものは妄想だという。 著者は唯物論よりも唯心論に近い立場をとる。 しかし説一切有部は無我法恒有を説く。 我は空であるが三世は実在すると主張した。                                                      
セイロンは分別説部であるが同様の我空法有を唱える。 釈迦はマガダ語をしゃべりパーリ語はしゃべらなかったとされる。 しかしこの両者は近縁語でパーリ仏典は本物とみなせる。 ヴィパッサナー瞑想が推奨されているが大乗仏教の止観とほぼ同様という。 部派仏教の乱立でその教義も多種多様となり信者は混乱するのみである。 
2 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
ドラゴンぱぱ
4.0 out of 5 stars 仏教の考え方についての良い本
Reviewed in Japan on June 24, 2018
スマサラーナ長老の書籍は、講演や対談などを書籍化されるもので、長老の話が記録されています。長老は仏陀や仏教の教えについて、よく例や比喩を交えて説明されます。
この説明は非常にわかりやすく、瞑想や無我など感覚的な世界を理解するに役立ちます。
他の坊主はこの様に噛み砕いて説明してくれませんので、長老の話は、仏陀や仏教から学ぶ、人としての生き方を知る手段になります。
3 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
Amazonカスタマー
1.0 out of 5 stars 観察することができる心は観察の対象。認識主体の本来の自己・意識ではない。心は因果法則に従って状況に応じて自然に生じて滅する現象。意図的に私が作ったものではないので、私が意図的に変えることなどできない。
Reviewed in Japan on August 30, 2018
修行者の私、忍耐する私、戒律を守る私(戒禁取)、人格者の私などは思考が消える眠りととともに消滅し、起きると思考とともに生じる思考で生じた自己イメージの私、自我の錯覚、有身見の私です。
自己イメージの記憶が消えると、自分が誰だかわからなくなります。
眠ると修行者の私が消えたり、起きると修行者の私が現れたりするなら、それは自己ではなく、思考・概念・言葉などから生じた自己イメージの私、有身見の私そのものです。
認識主体の本来の自己・意識が観察することができる観察の対象になることはありません。
思考・イメージで生じた実体のない有身見の「修行者の私」が悟ることなどありえません。
自己は熟睡中の何も認識のない時でも常に存在して、生きています。

「私達は眠りの状態(スシュプティ)において身体や心と関係を持たずに存在しています。しかし目覚めと夢見の状態の中では身体や心と関係しています。もし私達が身体とともにあるというなら、どうして眠りの状態の中では身体なしに存在していたのでしょうか?私達は自分の外側にあるものから自分を分離することはできますが、自分と一つであるものから分離することはできません。それゆえ、自我は身体と一つではないのです。これが目覚めの状態において理解されなければなりません。アヴァスター・トラヤ(目覚め、夢見、深い眠りの三つの状態)を学ぶことによって得た確信をもとに、二つの合間を認識しなさい。」
「自我が姿を現すとき、それはあらゆるものをともなって現れ、自我が沈みゆくとき、すべてがそれとともに消え去るのです。」(あるがままに ― ラマナ・マハルシの教え)

心(思考や感情)は因果法則に従って状況に応じて私の意向とは関係なく自然に生じて滅する現象です。
私が意図的に作ったものではなく、状況に反応して自然に生じたものです。
状況に応じて怒りが生じて自然に滅し、新たに異なる感情が生じただけです。
私が変えたわけではありません。私が変えたと思っているだけです。
現象は因果法則に従って生じて滅して、「新たに生じる」前後際断が事実です。
既存のもの(怒りや欲)が何か別のものに「変化」したのではありません。
変化は完全な誤解です。

因果法則に従って自然に生じて滅する現象を私が変えることなどできないため「あるがまま」です。
覚者の智慧は思考のない身口意の沈黙・無心の「あるがまま」「無分別智」です。
釈迦牟尼とは釈迦族の沈黙の聖者の意です。
世間の科学や心理学、処世術の常識は思考による善悪判断の「分別知」です。
出世間の覚者の智慧ではありません。
有身見の私達は意図的な思考の「分別知」の修行目的で「私があるがままにする」です。
覚者の思考のない「あるがまま」は、思考による分別知の修行目標で「私があるがままにする」こととは別物です。
出世間の真理は世間の常識の処世術とは関係ないから出世間です。

「サマディーを養うための数十種に及ぶ瞑想のテクニックや、数多くの種類のヴィパッサナー瞑想があります。しかし、それらはいずれも「すべて、あるがままにいる」というこの原則へと戻ってくるのです。」(アーチャン・チャー 手放す生き方)
「もしあなたの探し物が、世間一般が価値をおくような知識だとしたら、それは真の「魂の教師」からは、決して得ることはできません。」(世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え エックハルト・トール)

怒らない私、慈悲深い私、執着しない私などは観察することができる観察の対象です。
認識主体の本来の自己・意識ではありません。
認識主体の本来の自己・意識が観察することができる観察の対象になることはありません。
観察することができる怒らない私、慈悲深い私は思考が消える眠りとともに消滅し、起きると思考とともに生じる自己イメージの私・自我の錯覚、有身見そのものです。

「グルがあなたに伝えることができるのは、ただひとつ ー あなたには自分自身について大きな誤解がある。あなたはあなたが自分だと考えるいるような者ではない。ニサルガダッタ・マハラジ」(ウンマニ・リザ・ハイド 愛のために死す)
「あなたの知らないものがあなただ。そしてあなたが自分だと思っているものは、あなたではない。」(意識に先立って ニサルガダッタ・マハラジ)

有身見とは、観察できる観察対象の身体と心を認識主体の本来の自己・意識と同一視した思考で生じた自己イメージの私、勘違いの私、自我の錯覚です。
観察対象の身体と心を認識主体の本来の自己・意識と同一視すると身体と心を持った独立した「個人の私」が存在するという勘違いが起こります。
身体が生まれて名前を付けられて、身体と心を持った世界から分離独立した「個人の私」と私以外の世界に分離していると誰でも自然に錯覚します。
無我とは認識できる観察対象の身心を認識主体の本来の自己・意識と同一視した「有身見の私」は認識主体の本来の自己では無い、「我では無い」、意識ではない、独立した個人という実体はない、全体と一つの不二、非二元、絶対的な一体性・ワンネスです。

「肉体との一体化を放棄して何が起こるかみなさい。」
「あなたがどんなに努力しても、あなたをさらなるトラブルに導くだけだろう。それゆえ、偽のアイデンティティではなく、この知識を受け入れなさい。あなたが存在しているのはこの知識ゆえだ。」(i意識に先立って ニサルガダッタ・マハラジ)

「衆生本来仏なり 水と氷りの如くにて」白隠禅師坐禅和讃
本来「あるがまま」で「仏・完全」でないなら、修行(原因)によって新たに生じた仏(結果)なら因果法則に従って必ず滅することになり、一瞥で終わり定着できません。
原因が有限なので、結果も当然有限です、永遠ではありえません。
一つでも例外があるというなら、他にも例外や嘘があるでしょう。
矛盾のつじつま合わせに他にも例外や噓が必要です。
悪行為による永遠の地獄も善行為による永遠の天国もあることでしょう。
仏・完全とは、初めも終わりもなく、あるがままで完全です。

南岳磨甎(なんがくません)。瓦を磨いても新たに鏡にすることはできない。(仏でないものを、新たに仏にすることなどできない。)
「ブッダは実はインドで悟りを開かなかったのです。実際にはブッダは決して悟りを開かず、生まれることなく、死ぬこともありません。この、時を超えたブッダこそが、私達の本当の家であり、不変の空間なのです。ブッダ、ダルマ、サンガの三宝に帰依するとき、私達はこの世のすべての物事から解放されます。三宝は私たちの師となり、ただ一つの生命の真の姿を明示しているのです。」(アーチャン・チャー 手放す生き方)

例外が一つでもあるというなら、仏陀の因果法則の完全否定です。
人格完成のため修行をしてきただけでなく、その上さらに、真理を一瞥しても意図的な修行をする有身見の「修行者の私」が、覚りの定着の障害になるので、見性後の悟後の修行「聖胎長養」で思考のない身口意の沈黙・無心の無分別智の「あるがまま」に戻って覚りの一円相が完結します。

「当処即ち蓮華国 この身即ち仏なり」白隠禅師坐禅和讃
「実現というのは新しく獲得される何かではない。それはすでにそこにある。必要なことのすべては「私は実現していない」という想いを追い払うことである。」(ラマナ・マハリシの教え)

現象のあるがままの完全・仏を疑うことが「疑」です。
仏・ブッダの「言葉の教え」を疑うことではありません。
百聞は一見に如かず。真理は言葉で語れません。最初から「真理の言葉」など存在しません。
愛も悲しみも、絶望も語れません。お茶の味すら語ることはできません。
真理「に関して」「について」言及するのがせいぜいです。
古い経典が「真理」ということではありません。
最初から真理の言葉など存在しません。経典は月をさす指、参考です。
直接体験の真理「そのもの」を、たとえブッダでも言葉で語ることなどできません。
真理に「ついて」「関して」語った言葉の経典は、最初から真理「そのもの」ではありません。
真理「に関して」一度でも語ってしまうと、真理「そのもの」ではないので、その言葉の補足・修正が必ず必要になり、その後も補足訂正が必要なので切りがなく、八万四千の経典が出来て、対機説法をするハメになりました。

「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」一休宗純
「言葉というものは「道標」に過ぎません。それらが差し示すゴールは、思考の次元では、見つけることができないのです。」
「真実をおおい隠している「壁」を取り除くのを手助けする。それが魂の教師の唯一の仕事です。」
(世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え エックハルト・トール)

農民以上のカーストの男性でないと出家できないスリランカ仏教(分別説部)シャム派は、善悪の分別判断の絶対基準であるパーリ経典が布教をする上で教団存続の生命線です。
ブッダの話した「言語」がパーリ語だから「パーリ経典が仏陀の真理の言葉」で他の言語の経典は偽教典だと宣伝して布教するのは、パーリ経典が「真理の言葉・教え」かどうかは教団の存続に関わる生命線だからです。
パーリ語はお釈迦様の行ったことのない西インドの言語です。
お釈迦様が生まれて布教をした北東インドのマガダ語圏でパーリ語を話すわけがありません。
証拠もないのに、仏陀の誕生と成道と涅槃を同じ日にしてしまうようないい加減な人たちに、2500年も前、紀元前の言い伝えの口伝が元の教えを一字一句違わず伝えられると本当に思いますか。
大乗仏教、般若心経、以心伝心、教外別伝、不立文字等が教える「真理は言葉では語れない」という事実は、パーリ経典が唯一の仏陀の語った「真理の言葉・教え」だと主張するスリランカ仏教(分別説部)教団にとって、布教する上で決して認めることができない不都合な真実です。
「真理はたとえブッダでも語ることはできないのに、ダンマパダ(真理の言葉)」
現実歪曲空間に要注意です。
日本の覚者は直訳の真理の言葉ではなく、法句経です。

農民以上のカーストの男性でないと出家できないスリランカ仏教(分別説部)シャム派は、有身見(差別する私、観察する私、理解する私、分別判断する私等)がパーリ経典を絶対基準に善悪を分別判断する分別知の教えです。
世間の常識と同じ私の「分別知」なので、修行をせずに本を読んだだけで誰でも常識だけですぐに理解できますが、覚者の思考の無い出世間の「無分別智の真理」を有身見の私の思考による「分別知の理性」で理解するなど、とうてい不可能です。

言葉の繰り返しによる自己催眠の慈悲の瞑想は、カースト差別には何の慈悲もない偽り、偽善の慈悲を自ら証明しています。
農民よりも下のカーストは生きとし生ける者にも入りません。
自他の区別・境界・分離は思考によって生じた概念で、現象世界すべてのものは自然全体の一部で境界・区別は錯覚・誤解という智慧の現れ、表現が慈悲です。
慈悲と智慧は表裏一体、同じものです。
お母さんと赤ちゃんのように他者の存在しない「一心同体」自他の区別などありません。
自他の区別のある上から目線の「慈悲深い私」と「真理を知らないかわいそうな生きとし生ける者」に分離した偽善の慈悲ではありません。
慈悲の象徴でもある千手千眼観自在菩薩の手の平には智慧の眼が描かれています。

「自己(個人としての「自分」)が不在なときには、他者は存在せず、あなた方すべての中に自分自身が映し出されているのを私は見る」
「どんな「自分」も、どんな「あなた」もいない。つまり、そういったどんな実体も存在しえたことが一度もない。」
「何かをする?絶対的に何もない。ただ一時的なものを一時的なものとして、現実でないものを現実でないものとして、偽物を偽物として見れば、あなたは自分の本質を理解することだろう。」
(ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの ラメッシ・バルセカール)

問題は偽りの慈悲を育て続けて保持している限り、偽りが真の慈悲に変化することなどなく、偽りのままです。
因果法則は「生じた現象が滅して、新たに現象が生じる」前後際断が事実です。
既存の現象が「変化」することではありません。完全な誤解、錯覚です。
偽りの思考が滅しない限り、偽りの思考のままです。偽りの思考が消滅する必要があります。
偽りの思考を育てて保持しているため永久に「偽善の慈悲」を強化・保持し囚われることになる、エゴトリップ・巧妙な罠です。
暗闇で縄を蛇だと勘違いの思考を保持し育てている限り、縄という正しい理解の思考は永久に生じません。
イミテーションゴールドが本物の金に変化することは永久にありません。
お釈迦様の行ったことのない西インドの言語のパーリ経典でさえも慈悲の言葉を唱えるようと書いてあるものなどないことにも留意するべきです。
慈悲の言葉のバージョンも解釈も勝手に作り放題です。
偽りの思考を保持し育てることが覚りの障害そのものです。決して偽物が本物に変化することはありません。
自他の区別のあるカースト差別はそのままの「大衆」の教えではない上から目線のカースト上位の「上座部」仏教です。
タイ森林派の阿羅漢と言われたアーチャン・チャーは、「手放す生き方」の中で、言葉を繰り返す慈悲の瞑想を「子供の遊び」と評しています。

「偽物を偽物と理解しなさい。それがあなたにできるすべてだ。あなたはあるものを別のものに変えることはできない。」
(意識に先立って ニサルガダッタ・マハラジ)

「あなたの中に「私はどうあるべきか」という理想を、とても深く植え付けてしまった。それで、あなたは常に「私はどうあるべきか」という理想が気になって、自分が誰なのかを忘れてしまった。あなたは未来の理想に取り憑かれて、現在のリアリティーを忘れてしまった。
 あなたの目は遠い未来に焦点が当たっている。それゆえ、それは内側には向かない。あなたは常に何をすべきか、それをどうすべきか、これはどうあるべきか、ということばかり考えている。あなたの言語は、べき(should)や、ねばならない(ought)になってしまった。そして、リアリティーはある(is)だけでできている。リアリティーはべきもねばならないも知らない。」
「人間だけが、理想やべきがある。「あなたはこうあるべきだ。ああであるべきだ」と・・・・・・それでは、あなたは自分自身のあるに反して分裂してしまう。べきとあるは互いに敵同士だ。そして、あなたはあなたである他にあり様がない。」
「あなたは本来のあなたであることができるだけであって、何か他のものでは決してないということを。一度、この真理、「私は自分自身である以外ない。」ということが深く浸透したら、すべての理想が消えてしまう。それは自動的になくなってしまう。そして、理想がなくなった時、リアリティーと出会う。その時、あなたの目は今ここに向いている。その時、あなたはあなたであるものにとって現在だ。分断が、分裂がなくなってしまった。あなたは一つだ。」(ユニオ・ミスティカ OSHO)

テーラワーダー仏教の目指す涅槃とは輪廻転生しない死のことです。
お試しはあり得ません。
サマタ瞑想をするならクンダリニー症候群等に注意が必要です。発狂することもあります。
クンダリニーが覚醒すると後戻りは不可能です。ヨーガの達人以外は制御も不可能です。
「瞑想は、人が実験や娯楽としてただ何が起こるのかを見るために、中途半端に手を出すことができるものではない。それに対してはある種の予備的準備が必要である。意識は現象世界の全顕現の基盤である。意識以上に大きなパワーはこの地上にはない。だから、もし人がそれをいじくりまわせば、どんな結果が出て来るのか、予測するのは不可能で、肉体ー精神レベルで深刻なトラブルも起こり得るかもしれない。その単純な理由とは、あなたの場合、自分自身を肉体から切り離すためにそれ以前に何の準備もなかったからだ。もし高電圧の電流が、それを受け取るほど強くない受信機の中に突然流入したら、どうなるだろうか?」
(ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの ラメッシ・バルセカール)

スリランカでは、16世紀以降の植民地化で仏教が衰え、18世紀からタイやビルマの仏教を介して上座部仏教を復興したものです。
教えが2500年前の紀元前から直にスリランカに伝えられたものではありません。
パーリ経典は「私はこのように聞きました」と書いてある名前の書いてない誰かの聞き書きで、2500年前、紀元前の元は口伝による言い伝えです。
著者はお釈迦様がパーリ語を話した、ヴィパッサナーと名づけたと証拠もないのに勝手に宣伝して布教していますが、パーリ語はお釈迦様の行ったことのない西インドの言語です。
パーリ経典にヴィパッサナーという言葉はありません。
パーリ経典は2500年前の言い伝えの口伝が元で忘れるから覚えやすいように最初から編さんされています。
仏陀が説いた、私が聞いたと書いてあるだけで、後世に編さんや追加が何度もあります。
追加変更がないなら、散逸しないなら、忘れないなら、そもそも編さんし直す必要などありません。

「千の質問も、たくさんの瞑想法の知識も、自分を決して真理へと導かないということを知るようになる。」
「ダルマは限定的な世俗の科学による理解を超えた智慧です。」
「表面的な経典の学習は重要ではありません。正しい智慧を授けてくれるものではないのです。」
「自分自身の内面に向き合わないのなら、現実を知ることはありません。」
(アーチャン・チャー 手放す生き方)
Read less
4 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
東方之猪
5.0 out of 5 stars スマナサーラ長老の語る上座部仏教の本の一冊目に
Reviewed in Japan on August 31, 2008
スマナサーラ長老の本というといろんな悩みに基づいて何冊も、シリーズ物などで出ていますが、上座部仏教について主なところを知りたい!という方であれば、この本が手っ取り早いのではないかと思います。(「初めての本-上座仏教」という題名そのまま!)
何冊か読んでみての素直な感想です。出版されて、このレビューを書いている現在10年経過していますが、特に古いとは感じませんよ。
13 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
eihile
1.0 out of 5 stars 全体的に粗く、期待外れ。
Reviewed in Japan on June 2, 2018
講義録ということである程度は仕方ないかもしれないが、論理的な整合性がとれていないように感じられた。単純、短絡的な人間観から教育や家庭について言っているので、それらも的外れなものになっている。
3 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
See all reviews

Freedom from Anger: Sumanasara, Amazon.com: Books

Freedom from Anger: Understanding It, Overcoming It, and Finding Joy: Sumanasara, Alubomulle: 9781614292241: Amazon.com: Books






See all 3 images



Freedom from Anger: Understanding It, Overcoming It, and Finding Joy Paperback – June 9, 2015
by Alubomulle Sumanasara (Author)
4.5 out of 5 stars 14 ratings

Extinguish anger forever and find true happiness with this step-by-step guide.

Anger is a potent poison that ruins health and damages relationships. In today’s world of Twitter feuds, road rage, and internet trolls, it is all too easy for anger to grab hold of us.
This timely book offers practical advice on how to put aside anger and ego and embrace laughter and reason. Like a friendly family physician, Venerable Sumanasara helps you see what triggers your anger, what affect it has on you, and what you can do about it. Maybe you have trouble at work or at home, maybe you had a difficult childhood, or maybe you just get angry in traffic. In short, bite-sized chapters, he offers wisdom, along with a laugh, that you can use.
Drawing on easy-to-follow metaphors and parables from a variety of cultural traditions, in an accessible, conversational style free of dogma, Venerable Sumanasara shows us how to manage our emotions so that we can lead healthier, happier lives finally freed from anger.








See all formats and editions

Kindle
from $11.99
Read with Our Free App
Paperback
$7.45
14 Used from $4.1219 New from $7.92
















Read less
Report incorrect product information.




Print length

144 pages
Language

English
















Next page










Special offers and product promotions

Amazon Business : For business-only pricing, quantity discounts and FREE Shipping. Register a free business account






Editorial Reviews

Review
"Sumanasara's guide is a firm but gentle paternal hand, offering thoughtful meditations on anger and the choice between destructive rage and happiness.” ― Publishers Weekly

“Ven. Sumanasara’s friendly tone and plain way of speaking reveal the ridiculousness of anger.” -- Sylvia Boorstein, author of Happiness Is an Inside Job
About the Author
Ven. Alubomulle Sumanasara, a Buddhist monk schooled in the Theravada tradition, has written more than one hundred books addressing the practical application of Buddhist thought and practice to daily life.
Born in Sri Lanka in 1945, he became a novice monk at the age of thirteen and was ordained in 1958. After teaching Buddhist philosophy at the University of Kelaniya, he first went to Japan in 1980 to study Japanese Buddhism on a fellowship from the Sri Lankan government, pursuing his doctoral studies at the graduate school of Komazawa University. In 1994 he established the Japan Theravada Buddhist Association, through which he continues to spread the Dharma and lead others in the practice of vipassana meditation.
Sumanasara’s sincerity and gentle manner, as well as his facility as a speaker in both English and Japanese, have earned him a broad following. Focusing on the fundamental teachings of Buddha, he explains how Buddhism offers down-to-earth wisdom that anyone can put into practice to better understand and manage the challenges of the here and now. He lives in Tokyo.

Product details

ASIN : 1614292248
Publisher : Wisdom Publications (June 9, 2015)
Language : English
Paperback : 144 pages
ISBN-10 : 9781614292241
ISBN-13 : 978-1614292241
Item Weight : 6.4 ounces
Dimensions : 5 x 0.7 x 8 inches
Best Sellers Rank: #2,334,372 in Books (See Top 100 in Books)
#1,090 in Anger Management Self Help
#10,221 in Buddhism (Books)
#17,384 in Happiness Self-Help
Customer Reviews:
4.5 out of 5 stars 14 ratings

Customer reviews
4.5 out of 5 stars

Top reviews from the United States


Jerry Segers Jr.

4.0 out of 5 stars Should be accessible to non-Buddhists, a few paragraphs on not-self, and a few pali words for the different kinds of angerReviewed in the United States on June 22, 2015
Verified Purchase
An excellent book if the subject matter interests you. The writing style was easy to read, and he makes the subject interesting. I would have liked more on dealing with angry people. The non-buddhists out there might be slightly put out by the not-self (annatta) part, but he doesn't harp on it, (it's only a few paragraphs) so I think it's ok, and he uses examples from Christianity and modern history as well so I would say it's well rounded.
The most useful thing in this book, for me, was the idea that underlying and supporting all anger is the concept "I am right". I have meditated on this for about 1.5 hours, and so far, I have to agree. The second most useful was the idea that anger goes away when watched.
The book is divided into 4 parts - understanding anger, anger destroys happiness, those who don't get angry, the solution to anger. The chapters are short, but not terse or dense. For the price, I was happy.

9 people found this helpful

HelpfulReport abuse

Kindle Customer

3.0 out of 5 stars Freedom from AngerReviewed in the United States on August 27, 2015
Verified Purchase
I thought this was a good book to give me a hand's up on trying to deal with my easy anger/frustration issue.


HelpfulReport abuse

My So-Called Book Reviews

2.0 out of 5 stars I don't believe this Philosophy will work for mostReviewed in the United States on June 28, 2015

I like to consider myself a very happy person in general but I, as well as most of us, can admit that many things in life set me off and make me angry. I don’t like being angry and honestly try to keep my emotions in control as best as I can, but when I can’t, I feel a loss of control and a sense of unraveling that bothers me greatly. It’s this loss of control that has brought me to the realization that I need to find ways to keep my anger in check, to not let the little things in life bother me so much. I was hoping that by reading Freedom From Anger I might gain some useful tools and strategies in dealing with my anger and the things that set it off.

The author, Alubomulle Sumanasara is a Buddhist monk who’s been schooled in the Theravada tradition and has written many books regarding the practical application of Buddhist thought and practice. There were some things I really liked about this book; he writes in short chapters offering his wisdom and insight in a very light and sometimes humorous fashion which makes it a fast, easy. I also liked his section titled “Different Forms of Anger” in which he gives clear cut descriptions of the different types of anger and where they stem from. I was able to easily identify which category I fall under and his examples of things that set off this type of anger was pretty accurate. Throughout the book I was able to gain some valuable insight into what long-term anger and resentment does to a person and then different ways to cope with letting that go. What I did not learn though was how to deal with and interpret the initial anger itself. His philosophy is one in which he states “Simply do not become angry”, he goes even farther by saying “The feelings of being insulted, abused, beaten, or stolen from are all nonsense”. At this point I came to a screeching halt and thought to myself, he cannot seriously being saying this! How can he possibly mean that these feelings are nonsense? Does he expect us to walk around in today’s world and let ourselves be abused and taken advantage of by others and then simply decide not to be angry because it’s all nonsense? The more I read, the more I realized that yes; this is in fact what he expects us to do. I was really disappointed by this; I don’t want someone telling me I shouldn’t be angry, that it makes me weak and ignorant. I wanted to find ways in order to process that anger and let it go.

The more I continued reading the more I realized why his beliefs and practices won’t work. He applies all his reasoning to his Buddhist teachings, giving examples of how they deal with aggressors within their community and how they strive to live each day full of joy and actively choosing to be free from anger. His chapter on “Responding to Angry People” was truly mind boggling. The Buddhist way is to ignore the offender completely thus causing total social isolation. This becomes so unbearable for the aggressor that they eventually see the error of their way and make an apology. Sumanasara is asking us to adopt this philosophy in our everyday life but that just isn’t realistic. His ideas would only work in a society in which everyone was adhering to this same policy. What if I was walking down the street late at night and someone came up behind me with the intent to cause me serious harm. Am I supposed to ignore them and they will eventually stop and ask for forgiveness? No, of course not! We, as women, have been taught to fight, kick, scream and yes; become extremely angry in a situation like this.

In my opinion, anger is absolutely ok in our lives, without it you’re just a doormat. It’s about finding that balance of not letting the anger eat at you, about being able to forgive and not hold a grudge because if you do your life becomes consumed and therefore there’s no room for happiness. This is where Sumanasara and I do agree. I think there are some pretty powerful points in this book but I also think it will be up to each individual reader to determine how much of what he is saying applies to how they live their lives and what they believe about our basic human nature.

**I received a complimentary advanced copy of this book from the publisher, Wisdom Publications and NetGalley in exchange for my honest review**

5 people found this helpful

HelpfulReport abuse

Elizabeth

1.0 out of 5 stars psychologically unhealthy ideas about angerReviewed in the United States on August 16, 2015

It’s an amusing paradox that a book about anger could create a level of frustration, almost anger, in its readers, yet that was my experience while reading Freedom from Anger by Venerable Alubomulle Sumanasara. While I read the first 15% of the work, I assumed this was a self-published book by a young twenty-something atheist Buddhist who was certain he foolishly knew all the answers to the world’s problems. His condescending and omniscient tone was a huge turn off for me. Imagine my surprise upon Googling the author and finding his Japanese Wikipedia page. He’s a 70 year old Buddhist monk whose works have sold over 100 million copies if the awkward translation is correct. To say I was surprised is an understatement.

The author seems as though he lives in a world of moral absolutes. He believes that everything is worth being happy about in life, and therefore there is no justification for anger. However, I can very easily think of evidence to the contrary. Despite his graduate studies in Buddhism, Sumanasara seems to be lacking in knowledge of basic psychology regarding anger. As I read the book, I began thinking of it as Vulcan Buddhism. Sumanasara seems to function under a belief system where emotions are illogical: He believes that anger can be controlled by logic. However, we are humans, and we are not fully logical. We are also emotional. Our emotions, both positive and negative, are an integral part of our being. Sumanasara thinks that if one takes the position of not having emotions, then one won’t have anger. Yet I read through this work, I kept wondering how many unresolved psychological traumas Sumanasara must be repressing in order to live what he is preaching. Repressing anger only creates toxicity in the body. Even if we don’t want to, oftentimes we need to feel our feelings so that we can process them.

While translation issues could be at work, I also felt much of the book contained demeaning insults against those whose behavior displeases Sumanasara. He throws out covert attacks as well such as when he proclaims that wise people have no desire to govern. Sumanasara's views come across as blindly fundamentalist beliefs at times. When Sumanasara began discussing using the silent treatment as punishment, he lost my respect completely. First of all, most therapists and life coaches would argue that people need discipline, not punishment. While we all make mistakes, we need to be taught how to change those behaviors or actions that cause ourselves or others harm. Discipline conveys teaching whereas punishment conveys an attitude of humans being inherently evil. Second, the silent treatment in itself is an awful way of trying to teach someone. What that person will learn from being given the silent treatment is that the silencing person doesn't care enough about him/her/hir to work together to make a change. The silent treatment is not a good way to make positive change in the world. Once again, Sumanasara is taking a position of ignoring those things which cause him emotional discomfort rather than actually confronting the issues and working through them.

(Complete review on my website at Green Heart Guidance)

8 people found this helpful

HelpfulReport abuse

See all reviews


Top reviews from other countries
Translate all reviews to English

SCW
5.0 out of 5 stars Freedom from AngerReviewed in the United Kingdom on October 14, 2015
Verified Purchase

Very interesting book that reinforced my way of thinking, I would recommend that everybody read this, very useful for a joyful life.
Report abuse


Roger Otavio, Rio Grande do Sul, Brasil
5.0 out of 5 stars Excelente!Reviewed in Brazil on March 29, 2021
Verified Purchase

Tudo ótimo!

Report abuse
Translate review to English
See all reviews

仏教は宗教ではない Sumanasara Ikeda [1]AmazonE

仏教は宗教ではない 後編 (2 book series) Kindle Edition

仏教は宗教ではない 後編 (2 book series)
Kindle Edition
by Alubomulle Sumanasara (Author) , Ikeda Hayato (Author)

第1巻の内容紹介: ★新書版『仏教は宗教ではない』はこちらです→http://www.amazon.co.jp/dp/4908148007
※対談第二弾『やさしく自由に生きる智慧』を合冊して、加筆・再編集された特別編

イケダハヤトがスリランカ仏教長老に人生相談?!

お釈迦様の直々の教えを伝える、スリランカ上座部仏教
      アルボムッレ・スマナサーラ長老
              ×
  86世代のオピニオンリーダー、プロブロガー
          イケダハヤト氏

宗教とは何か?自分とは何か?生きることの意味は何なのか?

「宗教」「仏教」の疑問から「自我」「死生」まで、イケダハヤト氏がスマナサーラ長老へ直球インタビュー。

Kindle限定第一弾!!


目次
お釈迦様の完成された科学
拝んでも意味はない
洗脳とマインドコントロール
危険な宗教に洗脳されない方法
神様だと言い始めたら終わり
-スマナサーラ長老のコラム「ホンモノとニセモノ」-
宗教だらけの日本
なぜ生命を殺してはいけないのか
殺生と生きる意味
涅槃は言葉で表現できない
思考の次元を超える
-イケダハヤト氏のコラム「あぁ、解脱したい」と感じる4つの瞬間」-
自我と死の恐怖
死と生は流れているだ{



From other countries
asato
5.0 out of 5 stars 世界はニュートラル
Reviewed in Japan on April 29, 2014
Verified Purchase
本文中、他人から誹謗中傷を受けた時の対応法について、Dr.スマナサーラが慈悲という処方箋を出している。


でも本当は、「私は怒らない」と決意すれば、それで済むことかもしれない。


後半に「人は自由である」というトピックがあるが、怒るのもその人の自由、怒らないのもその人の自由だから。


理論的にはそうなる。


そうは言ってもなかなか・・・というところで、「自我」の問題が立ち現れる。


本来世界はニュートラルなのに、自我に起因する感情が生き方を偏らせる。


それに抗ってニュートラルな場所に立とうとする努力、これが「中道」の生き方だろう。


その第一歩は、「自分の頭で考えること」だと師は教える。


生という不完全な土台を修理する道と、


生という土台が不完全であることを放置して、死ぬまで踊り続ける道。


どちらの道を選択するかは、まさに各々の自由だ。
6 people found this helpful

Top review from the United States
Translate all reviews to English
北村義一
2.0 out of 5 stars これは読まなくていい。読むならスマナサーラさんの他の著書。
Reviewed in the United States on May 9, 2014
Verified Purchase
読みやすかったが、どうもしっくりこない。 スリランカ上座部仏教が宗教ではなく哲学というのは理解したが、生きることに対して悲観的すぎる。 たとえ話に屁理屈が多い。 しかもスマナサーラさんの論理は所々矛盾しているといか、彼自身の論理でブーメランのように反論できる。I would recommend not to read this book because it's waste of time. Read his other books.
Helpful
Report abuse
Translate review to English
See all reviews
Top reviews from other countries
Translate all reviews to English
Amazonのお客様
3.0 out of 5 stars 仏教という論理性を感じる本
Reviewed in Japan on April 30, 2014
Verified Purchase
ただ、抽象的すぎて、難しい。


生きる意味はなく、ただ苦しいという考え方は衝撃的だ。
2 people found this helpful
Report abuse
Translate review to English
mmm
3.0 out of 5 stars 仏教は宗教ではない
Reviewed in Japan on July 28, 2015
Verified Purchase
仏教は哲学と捕らえている。だからこの僧侶の言葉は非情だがよく理解できたし。非情こそこの世だよなと思う。しかしその中でも生きなくてはならない。
One person found this helpful
Report abuse
Translate review to English
おタマちゃんAmazon Customer
5.0 out of 5 stars 視点が新鮮に思えました。
Reviewed in Japan on July 20, 2014
Verified Purchase
仏教は、信仰するのではなく、完成された教えを乞うものなんですね。イケダ氏との対話形式は詠み手と長老との距離を近くしているように感じられました。
[何故人を殺してはいけないのか]や[涅槃の境地とは?]という質疑応答も納得出来ました。お釈迦様の弟子になりたいです。
2 people found this helpful
Report abuse
Translate review to English
hanahana
3.0 out of 5 stars 仏陀の教え
Reviewed in Japan on June 25, 2014
Verified Purchase
仏陀の教えと仏教の違いはその通りだと思いますが、もう少し仏陀の教えを掘り下げて記して欲しかった。
2 people found this helpful
Report abuse
Translate review to English
悠々自適
3.0 out of 5 stars 中途半端
Reviewed in Japan on July 20, 2014
Verified Purchase
分かるような分からないような、禅問答。これを科学というのは少し疑問。
11 people found this helpful
Report abuse
Translate review to English

やさしく自由に生きる智慧 Sumanasara, Ikeda [2] Amazon E

The Wisdom for a free and loving life achieving happiness
through cultivating a rational mind
Buddhism is not religion (Japanese Edition)
eBook: Alubomulle Sumanasara, Ikeda Hayato: Amazon.com.au: Kindle Store
やさしく自由に生きる智慧




+ Follow Follow to get new release updates and improved recommendations
About イケダ ハヤト
1986年生まれ。中学時代に個人ニュースサイト「nubonba」を運営し、月間30万アクセスを獲得。ソフトバンククリエイティブの月刊誌「ネットランナー」にてネット上の面白コンテンツを紹介する連載を4年間執筆。大学卒業後、大企業に就職するが11ヶ月で転職。ソーシャルメディアマーケティング支援会社トライバルメディアハウスにてソーシャルメディアマーケティングコンサルティング事業部を立ち上げ。2011年4月より独立し、講演・執筆活動を中心に行なっている。

Read less
仏教は宗教ではない ― お釈迦様が教えた完成された科学 (Evolving) Paperback Shinsho – October 30, 2014
by アルボムッレ スマナサーラ (著), イケダ ハヤト (著)
4.2 out of 5 stars 10 ratings
See all formats and editions
Paperback Shinsho
¥3,161
6 Used from ¥689
3 New from ¥3,161


Read less
Report incorrect product information.
Print length
208 pages
Language
Japanese
Next page
Product description
著者について
アルボムッレ スマナサーラ
スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945 年スリランカに生まれる。13 歳で出家となる。スリランカの国立大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、1980 年に派遣されて来日。現在は、日本テーラワーダ仏教協会などで初期仏教の伝道、ヴィパッサナー実践の指導に従事している。修行練磨の誠実温厚な人柄、的確流暢な日本語による説法で定評があり、朝日カルチャーセンター講師の他、NHK教育テレビ『心の時代』への出演も反響を呼んだ。主な著書 『怒らないこと』(サンガ新書)『ブッダの経営論~ビジネスリーダーの人間力~』(日本テーラワーダ仏教協会)『人生を変える練習。~ブッダの意思強化術〜』(大和書房)『人生はゲームです―ブッダが教える幸せの設計図』(大法輪閣)『一生、仕事で悩まないためのブッダの教え: シンプルに考える、自由に生きる』(知的生き方文庫)


イケダ ハヤト
プロブロガー。中学生の頃、個人ニュースサイト「nubonba」を運営。コンピュータ・インターネット関連情報誌「ネットランナー」で連載を持つ。大学卒業後、大手メーカー企業、IT ベンチャー企業を経て、社会人3 年目にフリーランスとして独立。ブログ「まだ東京で消耗してるの?」「イケハヤマガジン」を中心に、若者世代の価値観から様々な問題提起・情報発信。その他、講演やコンサルティング、NPO支援なども行っている。主な著書 『なぜ僕は「炎上」を恐れないのか~年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術~』(光文社新書)『ブログエイジ─イケダハヤトのブログ農耕ライフ』(未来系レーベル)『武器としての書く技術』(中経出版) 『旗を立てて生きる─「ハチロク世代」の働き方マニュフェスト』(晶文社)『年収150 万円で僕らは自由に生きていく』(星海社新書)
Product Details
Publisher : Evolving (October 30, 2014)
Publication date : October 30, 2014
Language : Japanese
Paperback Shinsho : 208 pages
ISBN-10 : 4908148007
ISBN-13 : 978-4908148002
Dimensions : 6.89 x 4.17 x 0.43 inches
Amazon Bestseller: #521,502 in Japanese Books (See Top 100 in Japanese Books)
#4,323 in Buddhism (Japanese Books)
#13,703 in Philosophy (Japanese Books)
#36,906 in Shinsho Pocket-Sized Paperback
Customer Reviews: 4.2 out of 5 stars 10 ratings
==


Top reviews from Japan

Translate all reviews to English


asato

5.0 out of 5 stars 世界はニュートラルReviewed in Japan on April 29, 2014
Verified Purchase

本文中、他人から誹謗中傷を受けた時の対応法について、Dr.スマナサーラが慈悲という処方箋を出している。

でも本当は、「私は怒らない」と決意すれば、それで済むことかもしれない。

後半に「人は自由である」というトピックがあるが、怒るのもその人の自由、怒らないのもその人の自由だから。

理論的にはそうなる。

そうは言ってもなかなか・・・というところで、「自我」の問題が立ち現れる。

本来世界はニュートラルなのに、自我に起因する感情が生き方を偏らせる。

それに抗ってニュートラルな場所に立とうとする努力、これが「中道」の生き方だろう。

その第一歩は、「自分の頭で考えること」だと師は教える。

生という不完全な土台を修理する道と、

生という土台が不完全であることを放置して、死ぬまで踊り続ける道。

どちらの道を選択するかは、まさに各々の自由だ。
Read more

6 people found this helpful

HelpfulReport abuse
Translate review to English


愛ピ

4.0 out of 5 stars 仏教がなんであるか?どうでもいいこと。Reviewed in Japan on January 9, 2019


仏教を宗教だと思う者には宗教、哲学だと思う者には哲学、算数だと思う者には算数。言葉で括ること自体が「執着」以外の何物でもなく、すでに仏陀の教えから離れてしまうのではないでしょうか。どうでもいい。

2 people found this helpful

HelpfulReport abuse
Translate review to English


iluka09

4.0 out of 5 stars 宗教でない仏教Reviewed in Japan on October 14, 2018


神の下部として神を畏れて生きていくよりも、宇宙や自然の法則、真理を知り、気づきを持って生きて行こうと思えました。


HelpfulReport abuse




==
Customer reviews
4.2 out of 5 stars


Top reviews
Top reviews from Japan
Translate all reviews to English
小上馬 昭彦
5.0 out of 5 stars 良かった。
Reviewed in Japan on September 11, 2019
Verified Purchase
良かった。
Helpful
Report abuse
Translate review to English
テイレン
5.0 out of 5 stars 一度読むべきな本
Reviewed in Japan on February 19, 2017
Verified Purchase
とても読みやすい本です。
世の中の理不尽を悩まずに受け入れるようにさせてくれる本だと思います。
3 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
リンタロー
5.0 out of 5 stars 「じゃあ、調べてみなさい」P150
Reviewed in Japan on January 4, 2015
Verified Purchase
お釈迦様が教えたことは科学であり、
・・・・それが「仏教」なんですね。
「あなたは自ら考えて判断しなさい」P199
「様々な法則を信仰することではなく、
理解することを推薦します」P201


・P170「日本を取り戻す」というキャッチフレーズについて
・P172「TPP『重要5項目は守ります』」について
・P107「校則」について
・P155「親切に『それは良くないですよ」と言ってあげれば済む話
・P174「国の仕事は何ですかね?」
・P54「残酷な食物連鎖」について
・P57「言葉は人間が『経験するもの』にラベルを貼っているんです」
・P41甲子園の土
などなど


イケダハヤト氏の素直な姿勢がこの対談の内容を深いものにしている。


慈しみを考え、理解し、納得したら実践する。
Read more
12 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
もくぎょ
3.0 out of 5 stars 同意せざるを得ない内容でした。次はもっとページ数が多いものを期待して☆3つにしました。
Reviewed in Japan on November 12, 2015
Verified Purchase
仏教を科学として捉える考え方は新しいし面白いです。
私が特に共感したのは生きることは意味ではないという事です。
よく私達は○○をするために産まれてきたと意味付けをして使命感に駆られる事があります。
しかし、それは神様が決めた事ではなくて自分が勝手に決めたことであり、人生は自分で考えて創造して行くものだという事をこの本はよく教えてくれました。
故に過ち多き人生になってしまったりもするのですが、人生の課題には自らのエゴイズム(自我)をうまくコントロールして感情が生まれる瞬間に気付くことを知る。人生をエゴに支配されずに客観性を大事にしてニュートラル(中立的)な考え方を育むこと。これらは釈迦(師匠)の教えは物事の事実をあるがままに教えてくれていただけなのです。
8 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
Sapporo
1.0 out of 5 stars 内容は特にないよう
Reviewed in Japan on November 3, 2017
内容はいいがこのブロガーの人はいかに面白い記事を書くかしか考えていないし、対談の意味はない。仏教徒かどうかも怪しいが、読みやすく初心者向けのため星1つつけました。
One person found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
星 飛雄馬
5.0 out of 5 stars 初めて仏教書を読むかたに最適の一冊
Reviewed in Japan on October 31, 2014
大人気ブロガーのイケダハヤト氏と、テーラワーダ仏教のスマナサーラ長老による対談本です。


現代日本の若者の代表として、まったく宗教、仏教といったものに対して予備的な知識や偏見を持たないイケダ氏は、宗教や仏教に関する疑問を率直にスマナサーラ長老にぶつけていきます。


そんなイケダ氏の疑問に対して仏教の合理性を説く、スマナサーラ長老。


プロブロガーであり、IT世代の申し子とも言えるイケダ氏には、そんな仏教のプラグマティックな面がとても魅力的に感じられるようです。


本書は、インタビュー構成を担当されている中田亜紀氏の能力が高いためか、他のスマナサーラ長老の対談本に比べても格段に読みやすく、明晰な内容となっています。


本書の後半で、人気者であるがゆえに、ネット上で誹謗中傷されるのが悩み、と語るイケダ氏に、スマナサーラ長老が明快なアドバイスを与えています。


「誰かも分からないところで「バカ」「死ね」とか言っている人は、鏡に向かって、自分に「バカ」「死ね」と言っているようなものです。
その人の精神状態が、鏡に映っている感じなんですね。
まともな人間の精神レベルではないんですよ」


なんと、智慧に満ち溢れたアドバイスでしょうか。


私も、日ごろからtwitterなどで、粗暴な言葉や、汚い言葉を使ってしまうことが多いので、今後は大いに戒めなければならないと襟を正されました。


初めて仏教の本を読む方、仏教をやさしく理解したい方におすすめの一冊です。
Read more
39 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
blackstar
4.0 out of 5 stars 疑問を解くきっかけ
Reviewed in Japan on October 25, 2015
 中国を経由して日本に入った仏教が本来のものと違っているとは何となく想像していたが、本書はその入門篇として初心者にも面白く読めた。
 「仏教には祈りは必要ない」「人生には意味などない」などスマナサーラ長老の明快な発言で本来の仏教を理解する一助となった。同時に幾多の宗教が原因となって世界で紛争が起こっている昨今、最初の仏教がその解決の一つとなるのではないか。
 日本は清潔で秩序だった国ではあるが、「一度転落すると不幸になる」「スリランカでは騙されたとしても他人に分け与える心がある」という発言は100%ではないが、幸せのあり方として考えさせられるものがある。
4 people found this helpful
Helpful
Report abuse
Translate review to English
See all reviews
Back to top
Get to Know Us
Careers
About Amazon
Press Releases
Amazon and Our Planet
Amazon in the Community
AmazonGlobal
Make Money with Us
Sell products on Amazon
Fulfillment by Amazon
Seller Fulfilled Prime
Sell on Amazon Business
Amazon Pay
Become an Affiliate
Advertise Your Products
Kindle direct publishing
›See all
Amazon Payment Products
Amazon Point
Amazon Gift Cards
Amazon Mastercard
Credit Card Marketplace
Partner Point Program
Reload Your Balance
›See all
Let Us Help You
Amazon and COVID-19
Shipping Rates & Policies
Amazon Prime
Returns Are Easy
Manage Your Content and Devices
Amazon Assistant
Help
English Japan
Amazon Advertising
Find, attract, and
engage customers Audible
Audio books read aloud for you.
1-Month free trial available Amazon Web Services
Cloud computing services Amazon Outlet
Save on Less than perfect items

Amazon Business
Service for
business customers Book Depository
Books With Free Delivery Worldwide Shopbop
The very best fashion
from around the world. Amazon Second Chance
Pass it on, trade it in,
give it a second life.
Conditions of UsePrivacy NoticeInterest Based Ads Policy© 1996-2020, Amazon.com, Inc. or its affiliates






★新書版『仏教は宗教ではない』はこちら→http://www.amazon.co.jp/dp/4908148007
※対談第一弾を合冊して、加筆・再編集した特別編


イケダハヤトがスリランカ仏教長老に人生相談?!


お釈迦様の直々の教えを伝える、スリランカ上座部仏教
      アルボムッレ・スマナサーラ長老
              ×
  86世代のオピニオンリーダー、プロブロガー
          イケダハヤト氏


自分の頭で考えて生きるには?欲望と怒りの対処法とは?自由とは何なのか?


「理性の育て方」から「宇宙論」まで、イケダハヤト氏がスマナサーラ長老へ直球インタビュー。


Kindle限定第二弾!!


目次


まえがき
自分の頭で考えて生きる
生きにくい日本社会
限りない願望で苦しむ原因
希望と欲望~スマナサーラ長老コラム~
犯罪者の思考パターン
自殺は負け
テクノロジーと道徳
誹謗中傷を褒めてしまう
自分を切り離すぼくの方法~イケダハヤト氏コラム~
お釈迦様の喧嘩にならない対話法
人を嫌うということ
怒りのエネルギー
怒りは心の自動発火装置~スマナサーラ長老コラム~
あてにならない権力者
理想の政治
自由になる
「私は自由ではない」という妄想~イケダハヤト氏コラム~
自己犠牲は道徳違反
仏教と宇宙
仏教と量子論
幸せと無常
あとがき
--
asato
5.0 out of 5 stars 世界はニュートラル
Reviewed in Japan on 29 April 2014
Verified Purchase
本文中、他人から誹謗中傷を受けた時の対応法について、Dr.スマナサーラが慈悲という処方箋を出している。


でも本当は、「私は怒らない」と決意すれば、それで済むことかもしれない。


後半に「人は自由である」というトピックがあるが、怒るのもその人の自由、怒らないのもその人の自由だから。


理論的にはそうなる。


そうは言ってもなかなか・・・というところで、「自我」の問題が立ち現れる。


本来世界はニュートラルなのに、自我に起因する感情が生き方を偏らせる。


それに抗ってニュートラルな場所に立とうとする努力、これが「中道」の生き方だろう。


その第一歩は、「自分の頭で考えること」だと師は教える。


生という不完全な土台を修理する道と、


生という土台が不完全であることを放置して、死ぬまで踊り続ける道。


どちらの道を選択するかは、まさに各々の自由だ。
6 people found this helpful
--
イケダハヤトがスリランカ仏教長老に人生相談?!


お釈迦様の直々の教えを伝える、スリランカ上座部仏教
アルボムッレ・スマナサーラ長老
------------×------------
86世代のオピニオンリーダー、プロブロガー
イケダハヤト氏


宗教とは何か?自分とは何か?生きることの意味は何なのか?


「宗教」「仏教」の疑問から「自我」「死生」まで、イケダハヤト氏がスマナサーラ長老へ直球インタビュー。


(まえがき イケダハヤト より)


「仏教は宗教ではない」。挑戦的なタイトルに響くかもしれません。


本編を読んでいただければわかるとおり、「仏教は宗教ではない」というのは、誇張でも「釣りタイトル」でもなんでもありません。スマナサーラ長老の解説のとおり、初期の仏教において、宗教性はむしろ否定されており「神頼み」や「呪文」を抜きにした、現実的な教えが語られているわけです。


経営者のなかには「論語」を愛する人がいらっしゃいますが、お釈迦様の言葉というのは、論語と同じレベルで、人々に愛されてしかるべきものだと思います。現時点でそうなっていないのが残念ですし、とてももったいないと感じます。それどころか「仏教が好きです」というと、それだけで「宗教っぽい……」と近寄りがたいイメージを抱かれることすらあります。


一方で、2014年という時代を迎えて、あらためて、ブッダの残した教えに光が当たりつつあるような気がしています。それは、日本において仏教を飾ってきた色とりどりの宗教性が、資本主義・科学的合理主義によって剥ぎ取られ、かえって本来的に仏教(=ブッダの教え)がもっていた教えが「発掘」されたのだと思います。様々な色に塗りたくられた神仏が、時代とともに劣化し、もともともっていた美しい木目を伴って現れた。そんなイメージでしょうか。


今回の対談は4時間をかけて行われました。異例の長さだと思いますが、ブッダの教えを紐解くには、まだまだ時間が短すぎます。ぼく自身も勉強を重ね、さらに本質的な問いを発することができるようになりたいと思います。その暁には、もう一度ぜひ、スマナサーラ長老とお話をする機会をいただきたいと願っています。


こういうことを書くと仏教関係者に怒られてしまうかもしれませんが、ぼくにとってブッダの教えを学ぶことは、「知的なエンターテインメント」といっても過言ではありません。人間精神の本質を、世界の成り立ちの本質を覗き込む気分に駆られます。スマナサーラ長老が教えてくれた数々の考え方は、目から鱗がぼろぼろと落ちるものであり、対談を終えた今も、ぼくのなかに生きています。


長老は多数の著書を記しています。本書を入り口にして、ぜひ初期仏教の豊穣で洗練された世界に足を踏み入れてみてください。「ブッダの教え」がなぜこんなにも長く残っていつかが、よく理解できると思います。




目次
まえがき イケダ ハヤト
第一章 仏教は宗教ではない ~ お釈迦様が教えた完成された科学
お釈迦様の完成された科学
拝んでも意味はない
洗脳とマインドコントロール
危険な宗教に洗脳されない方法
神様だと言い始めたら終わり
ホンモノとニセモノ ― スマナサーラ長老のコラム
宗教だらけの日本
なぜ生命を殺してはいけないのか
殺生と生きる意味
涅槃は言葉で表現できない
思考の次元を超える
「あぁ、解脱したい」と感じる4つの瞬間」 ― イケダハヤトのコラム
自我と死の恐怖
死と生は流れているだけ
輪廻転生を考えるのは時間の無駄
何のためにぼくらは生きるのか ― イケダハヤトのコラム
第二章 やさしく自由に生きる智慧 ~ 理性を育てて幸福を目指す
自分の頭で考えて生きる
生きにくい日本社会
限りない願望で苦しむ原因
希望と欲望 ― スマナサーラ長老コラム
犯罪者の思考パターン
自殺は負け
テクノロジーと道徳
誹謗中傷を褒めてしまう
自分を切り離すぼくの方法 ― イケダハヤトのコラム
お釈迦様の喧嘩にならない対話法
人を嫌うということ
怒りのエネルギー
怒りは心の自動発火装置 ― スマナサーラ長老コラム
あてにならない権力者
理想の政治
自由になる
「私は自由ではない」という妄想 ― イケダハヤトのコラム
自己犠牲は道徳違反
仏教と宇宙
仏教と量子論
幸せと無常
あとがき スマナサーラ長老

般若心経は間違い (J Edition) Sumanasara Sold in Amazon E

Amazon.com: The Pajna-para-mita sutra is wrong (Sumanasara Classics) (Japanese Edition) eBook: Alubomulle Sumanasara: Books: Buy The Pajna-para-mita sutra is wrong (Sumanasara Classics) (Japanese Edition): Read Kindle Store Reviews - Amazon.com


日本で一番知られているお経「般若心経」。テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老が、ブッダの教えをもとに般若心経を解読していきます。「どこがおかしいのか」「どのように解釈したら良いのか」論理的に順を追って解説されています。本書を読み終えたときにはお釈迦さまの教えの神髄を理解することができます。

(はじめに より)
「『般若心経』は難しくてわからない」。そんな声をよく耳にします。
 確かに『般若心経』について、いろんな人々が解説していますが、どれもイマイチ納得できません。皆が好き勝手な解釈をして「私の『般若心経』」を語っています。それが日本の「『般若心経』文化」になっているのです。
 文化を楽しむのはいいことですが、『般若心経』のことを本当に知りたいと思っている人には困りものですね。
 じつは『般若心経』は、わからなくて当たり前なのです。それはお釈迦さま、正等覚者である釈迦牟尼ブッダその人が語った経典ではないからです。
『般若心経』をはじめとする大乗仏教の経典は、お釈迦さまが涅槃に入られてから数百年後、その直接の教えから一部を抜き出して、その人なりの能力で深い意味を表現しようとした宗教家たちの文学作品です。それを、私たちはいろいろと頭をひねって解釈しなければならないのですが、私たちもお釈迦さまが説いた真理を知っているわけではないので、納得いかないのです。
 このジレンマを解決する方法が一つだけあります。
『般若心経』を読んで、わからないところは、直接、お釈迦さまに聞くことです。
 お釈迦さまは誰でも理解できる言葉で、真理、すなわち「普遍的で客観的な事実」を完全に語りました。
 ブッダ以外、完全に真理を語れる人はいません。完全たる悟りに達していない人々は、たとえ高度な知識があったとしても、たとえ高度な精神的境地に達していたとしても、言葉という不完全なものを駆使して「完全に語る」ことはありえないのです。正等覚者でない限りは、真理は完全には語れないのです。どんなに頑張って深遠な教えを表現しようとしても、どうしても、欠点・欠陥が起きてしまうのです。
 このようなわけで、ブッダのあとに作られた大乗経典には、不完全な言葉で表現するというハンディがつきまとっているのです。その不完全な言葉の前でいくら悩んでも答えは出ません。  
 しかし、お釈迦さまが完全に説いたオリジナルの教えに立ち返ると、それまでわからなかった経典の教えもたちどころに理解できるようになります。『般若心経』の作者がお釈迦さまの教えのどこにヒントを得て、どんな真理を教えようとしたのか、明確にわかります。『般若心経』の欠点もわかりにくさも、なるほどと俯瞰できます。
 そこではじめて、出口のない「『般若心経』文化」の迷路から抜け出て、『般若心経』をきっかけとして、お釈迦さまの説かれた真理へとアクセスするための道のりも描けるのです。
 本書はそのような狙いで、ブッダの言葉から抽出して書かれました。『般若心経』を信仰している方々を批判するつもりも、嫌な気持ちにさせるつもりもありません。これはあくまでも『般若心経』をどう理解すればいいのか、という知的な挑戦なのです。  では、お釈迦さまの教えからみた『般若心経』入門のはじまりはじまり。

※『般若心経は間違い?』は、2007年8月に宝島社新書として刊行されました。2009年6月に文庫化(宝島SUGOI文庫)されました。電子書籍化にあたって内容に再編集を加えました。

目次
はじめに 般若心経は難しい?
第一章 色即是空と空即是色
 『般若心経』全文
 『般若心経』書き下し
 諸行無常と色即是空
 経典とは何か
 お釈迦さまの教え「パーリ三蔵」
 大乗仏教の三蔵
 般若心経は日本仏教の心臓部
 スリランカの般若心経『慈経』
 二六二文字に凝縮?
 省略しているから短い
 観音菩薩は架空キャラ
 菩薩は悟りを開く前のお釈迦さま
 菩薩の修行が波羅蜜
 大乗仏教でエスカレート
 初期仏教は十波羅蜜
 人格完成は一歩一歩
 誓願は「成仏」とは限らない
 五蘊を空と観察する
 五蘊には実体がない
 空は特別視するものではない
 サーリプッタ尊者を侮る悪い癖
 サーリプッタ尊者は修行のチェック役
 対話で学ぶのが仏教
 五蘊とは何か?
 五蘊でできている「私」
 色即是空だけでは足りない
 初期仏教では「空」の観察が数十種類ある
 現象の観察は無常から始まる
 空即是色は間違い
 空をもてあそんで実践が置き去り
 無常を否定する愚
 虚無主義への転落
 「空」と「無」は両立しない
 「生命とは何か」とブッダが問う
 ヒンドゥー教の出す答え
 西洋一神教の出す答え
 「生きている」とはなんなのか?
 眼耳鼻舌身意から色声香味触法を得る
 十八界は「存在のネットワーク」の説明
 簡単にわかったら意味がない?
 十二因縁は仏教の心髄
 四聖諦の説明
 なぜ人のやる気を削ぐのか?
 道徳が破れるまで語ってはならない
 弟子に守られる師匠
 仏教経典は修行の方法を語るべき
第二章 呪文と真実語
 空論者→虚無主義→神秘主義
 宗教は呪文願望を支えてはならない
 仏教は祝福する
 お釈迦さまを元気付けた「呪文」
 意味のある言葉に力がある
 呪文には力がない
 『般若心経』の真言は不完全
 『般若心経』の作者も真剣ではなかった?
 中身の勉強は不要
 理論、実践、向上への躾が必要
 ブッダの経典には隙がない
 矛盾のない言葉は一切智者にしか語れない
 龍樹の失敗
 「どう生きるべきか?」が欠けた教え
 人格向上のための道具を捨てるのか?
 日常生活での般若波羅蜜の実践法
 無常だから夫婦仲良く親孝行
 苦集滅道を発見するのが智慧
第三章 生き方を語る仏教
 『モーガラージャ経』
 死を乗り越えるための世界の見方
 『シーラ経』
 五蘊の観察リスト十一
 無常・苦・無我のどれかを発見する
 実践的な空論
 気づきで「空=無価値」を発見する
 修行が完成しても空を生きる
 大乗仏教と初期仏教の空論
 事実が役に立つとは限らない
 生き方を語っているか?
 龍樹の空論と空即是色
 無を使ったら空論は成り立たない
 空ではなく無常を語れ
 愚者の機嫌を取る空論
 空は語れない
 大乗仏教は何も発見していない
 唯識論の間違い
 大乗仏教優位論は成り立たない
 弥勒菩薩の伝説
 お釈迦さまは分析主義者
 真理は常に輝いている
 仏教徒という誇り
 ブッダの教えは原理主義でないと危険
 仏教徒の誇りを取り戻す
第四章 無我問答
 相応部経典 詩偈相応比丘尼の章「無我問答」
 どういうわけで無我なのか?
 「悪魔」とは何か
 「魔」には五つの意味がある
 神は、心のエネルギーのレベルで生きる生命
 修行者の心の振動はトップレベル
 悪魔は「私たちの代弁者」
 悪魔は「仏教を攻撃する人々」
 出家の生活
 悪魔が阿羅漢の禅定を妨げる
 悪魔のすごい質問
 ヴァジラー比丘尼が悪魔だと見抜く
 しょせんは「世間の合意」
 五蘊①色蘊(rūpa-kkhandha ルーパッカンダ)は、肉体を構成する物質
 五蘊②受蘊(vedanā-kkhandha ヴェーダナーッカンダ)は、六つの感覚
 五蘊③想蘊(saññā-kkhandha サンニャーッカンダ)は、感覚から生じる概念
 五蘊④行蘊(saṅkhāra-kkhandha サンカーラッカンダ)は、「したい」という衝動
 五蘊⑤識蘊(viññāṇa-kkhandha ヴィンニャーナッカンダ)は、認識
 頭をサンニャーでいっぱいにすることはない
 五蘊の無常は、たとえようがない
 永遠不滅の魂はありえない
 感じるから生命
 見える光しか見えない
 「感覚の楽」は「感覚の苦が消えること」
 あれもこれもぜんぶ苦
 苦①生きることは苦
 最高の幸福は、不幸のどん底で
 涅槃に入るとつまらない?
 苦しみがないと幸せを感じない
 苦②現象があっという間に消えること
 生命は成り立たない
 自分自身の思考こそ「悪魔」
 「思考する」なら「まだまだ馬鹿」
 阿羅漢には「自分」がない
おわりに まことの般若心経
===
日本で一番知られているお経「般若心経」。テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老が、ブッダの教えをもとに般若心経を解読していきます。「どこがおかしいのか」「どのように解釈したら良いのか」論理的に順を追って解説されています。本書を読み終えたときにはお釈迦さまの教えの神髄を理解することができます。

(はじめに より)
「『般若心経』は難しくてわからない」。そんな声をよく耳にします。
 確かに『般若心経』について、いろんな人々が解説していますが、どれもイマイチ納得できません。皆が好き勝手な解釈をして「私の『般若心経』」を語っています。それが日本の「『般若心経』文化」になっているのです。
 文化を楽しむのはいいことですが、『般若心経』のことを本当に知りたいと思っている人には困りものですね。
 じつは『般若心経』は、わからなくて当たり前なのです。それはお釈迦さま、正等覚者である釈迦牟尼ブッダその人が語った経典ではないからです。
『般若心経』をはじめとする大乗仏教の経典は、お釈迦さまが涅槃に入られてから数百年後、その直接の教えから一部を抜き出して、その人なりの能力で深い意味を表現しようとした宗教家たちの文学作品です。それを、私たちはいろいろと頭をひねって解釈しなければならないのですが、私たちもお釈迦さまが説いた真理を知っているわけではないので、納得いかないのです。
 このジレンマを解決する方法が一つだけあります。
『般若心経』を読んで、わからないところは、直接、お釈迦さまに聞くことです。
 お釈迦さまは誰でも理解できる言葉で、真理、すなわち「普遍的で客観的な事実」を完全に語りました。
 ブッダ以外、完全に真理を語れる人はいません。完全たる悟りに達していない人々は、たとえ高度な知識があったとしても、たとえ高度な精神的境地に達していたとしても、言葉という不完全なものを駆使して「完全に語る」ことはありえないのです。正等覚者でない限りは、真理は完全には語れないのです。どんなに頑張って深遠な教えを表現しようとしても、どうしても、欠点・欠陥が起きてしまうのです。
 このようなわけで、ブッダのあとに作られた大乗経典には、不完全な言葉で表現するというハンディがつきまとっているのです。その不完全な言葉の前でいくら悩んでも答えは出ません。  
 しかし、お釈迦さまが完全に説いたオリジナルの教えに立ち返ると、それまでわからなかった経典の教えもたちどころに理解できるようになります。『般若心経』の作者がお釈迦さまの教えのどこにヒントを得て、どんな真理を教えようとしたのか、明確にわかります。『般若心経』の欠点もわかりにくさも、なるほどと俯瞰できます。
 そこではじめて、出口のない「『般若心経』文化」の迷路から抜け出て、『般若心経』をきっかけとして、お釈迦さまの説かれた真理へとアクセスするための道のりも描けるのです。
 本書はそのような狙いで、ブッダの言葉から抽出して書かれました。『般若心経』を信仰している方々を批判するつもりも、嫌な気持ちにさせるつもりもありません。これはあくまでも『般若心経』をどう理解すればいいのか、という知的な挑戦なのです。  では、お釈迦さまの教えからみた『般若心経』入門のはじまりはじまり。

※『般若心経は間違い?』は、2007年8月に宝島社新書として刊行されました。2009年6月に文庫化(宝島SUGOI文庫)されました。電子書籍化にあたって内容に再編集を加えました。

目次
はじめに 般若心経は難しい?
第一章 色即是空と空即是色
 『般若心経』全文
 『般若心経』書き下し
 諸行無常と色即是空
 経典とは何か
 お釈迦さまの教え「パーリ三蔵」
 大乗仏教の三蔵
 般若心経は日本仏教の心臓部
 スリランカの般若心経『慈経』
 二六二文字に凝縮?
 省略しているから短い
 観音菩薩は架空キャラ
 菩薩は悟りを開く前のお釈迦さま
 菩薩の修行が波羅蜜
 大乗仏教でエスカレート
 初期仏教は十波羅蜜
 人格完成は一歩一歩
 誓願は「成仏」とは限らない
 五蘊を空と観察する
 五蘊には実体がない
 空は特別視するものではない
 サーリプッタ尊者を侮る悪い癖
 サーリプッタ尊者は修行のチェック役
 対話で学ぶのが仏教
 五蘊とは何か?
 五蘊でできている「私」
 色即是空だけでは足りない
 初期仏教では「空」の観察が数十種類ある
 現象の観察は無常から始まる
 空即是色は間違い
 空をもてあそんで実践が置き去り
 無常を否定する愚
 虚無主義への転落
 「空」と「無」は両立しない
 「生命とは何か」とブッダが問う
 ヒンドゥー教の出す答え
 西洋一神教の出す答え
 「生きている」とはなんなのか?
 眼耳鼻舌身意から色声香味触法を得る
 十八界は「存在のネットワーク」の説明
 簡単にわかったら意味がない?
 十二因縁は仏教の心髄
 四聖諦の説明
 なぜ人のやる気を削ぐのか?
 道徳が破れるまで語ってはならない
 弟子に守られる師匠
 仏教経典は修行の方法を語るべき
第二章 呪文と真実語
 空論者→虚無主義→神秘主義
 宗教は呪文願望を支えてはならない
 仏教は祝福する
 お釈迦さまを元気付けた「呪文」
 意味のある言葉に力がある
 呪文には力がない
 『般若心経』の真言は不完全
 『般若心経』の作者も真剣ではなかった?
 中身の勉強は不要
 理論、実践、向上への躾が必要
 ブッダの経典には隙がない
 矛盾のない言葉は一切智者にしか語れない
 龍樹の失敗
 「どう生きるべきか?」が欠けた教え
 人格向上のための道具を捨てるのか?
 日常生活での般若波羅蜜の実践法
 無常だから夫婦仲良く親孝行
 苦集滅道を発見するのが智慧
第三章 生き方を語る仏教
 『モーガラージャ経』
 死を乗り越えるための世界の見方
 『シーラ経』
 五蘊の観察リスト十一
 無常・苦・無我のどれかを発見する
 実践的な空論
 気づきで「空=無価値」を発見する
 修行が完成しても空を生きる
 大乗仏教と初期仏教の空論
 事実が役に立つとは限らない
 生き方を語っているか?
 龍樹の空論と空即是色
 無を使ったら空論は成り立たない
 空ではなく無常を語れ
 愚者の機嫌を取る空論
 空は語れない
 大乗仏教は何も発見していない
 唯識論の間違い
 大乗仏教優位論は成り立たない
 弥勒菩薩の伝説
 お釈迦さまは分析主義者
 真理は常に輝いている
 仏教徒という誇り
 ブッダの教えは原理主義でないと危険
 仏教徒の誇りを取り戻す
第四章 無我問答
 相応部経典 詩偈相応比丘尼の章「無我問答」
 どういうわけで無我なのか?
 「悪魔」とは何か
 「魔」には五つの意味がある
 神は、心のエネルギーのレベルで生きる生命
 修行者の心の振動はトップレベル
 悪魔は「私たちの代弁者」
 悪魔は「仏教を攻撃する人々」
 出家の生活
 悪魔が阿羅漢の禅定を妨げる
 悪魔のすごい質問
 ヴァジラー比丘尼が悪魔だと見抜く
 しょせんは「世間の合意」
 五蘊①色蘊(rūpa-kkhandha ルーパッカンダ)は、肉体を構成する物質
 五蘊②受蘊(vedanā-kkhandha ヴェーダナーッカンダ)は、六つの感覚
 五蘊③想蘊(saññā-kkhandha サンニャーッカンダ)は、感覚から生じる概念
 五蘊④行蘊(saṅkhāra-kkhandha サンカーラッカンダ)は、「したい」という衝動
 五蘊⑤識蘊(viññāṇa-kkhandha ヴィンニャーナッカンダ)は、認識
 頭をサンニャーでいっぱいにすることはない
 五蘊の無常は、たとえようがない
 永遠不滅の魂はありえない
 感じるから生命
 見える光しか見えない
 「感覚の楽」は「感覚の苦が消えること」
 あれもこれもぜんぶ苦
 苦①生きることは苦
 最高の幸福は、不幸のどん底で
 涅槃に入るとつまらない?
 苦しみがないと幸せを感じない
 苦②現象があっという間に消えること
 生命は成り立たない
 自分自身の思考こそ「悪魔」
 「思考する」なら「まだまだ馬鹿」
 阿羅漢には「自分」がない
おわりに まことの般若心経
===
著者からのコメント
■はじめに 般若心経は難しい? 「『般若心経』は難しくてわからない」。そんな声をよく耳にします。
 確かに『般若心経』について、いろんな人々が解説していますが、どれもイマイチ納得できません。皆が好き勝手な解釈をして「私の『般若心経』」を語っています。それが日本の「『般若心経』文化」になっているのです。
 文化を楽しむのはいいことですが、『般若心経』のことを本当に知りたいと思っている人には困りものですね。
 じつは『般若心経』は、わからなくて当たり前なのです。それはお釈迦さま、正等覚者である釈迦牟尼ブッダその人が語った経典ではないからです。
『般若心経』をはじめとする大乗仏教の経典は、お釈迦さまが涅槃に入られてから数百年後、その直接の教えから一部を抜き出して、その人なりの能力で深い意味を表現しようとした宗教家たちの文学作品です。それを、私たちはいろいろと頭をひねって解釈しなければならないのですが、私たちもお釈迦さまが説いた真理を知っているわけではないので、納得いかないのです。
 このジレンマを解決する方法が一つだけあります。
『般若心経』を読んで、わからないところは、直接、お釈迦さまに聞くことです。
 お釈迦さまは誰でも理解できる言葉で、真理、すなわち「普遍的で客観的な事実」を完全に語りました。
 ブッダ以外、完全に真理を語れる人はいません。完全たる悟りに達していない人々は、たとえ高度な知識があったとしても、たとえ高度な精神的境地に達していたとしても、言葉という不完全なものを駆使して「完全に語る」ことはありえないのです。正等覚者でない限りは、真理は完全には語れないのです。どんなに頑張って深遠な教えを表現しようとしても、どうしても、欠点・欠陥が起きてしまうのです。
 このようなわけで、ブッダのあとに作られた大乗経典には、不完全な言葉で表現するというハンディがつきまとっているのです。その不完全な言葉の前でいくら悩んでも答えは出ません。  
 しかし、お釈迦さまが完全に説いたオリジナルの教えに立ち返ると、それまでわからなかった経典の教えもたちどころに理解できるようになります。『般若心経』の作者がお釈迦さまの教えのどこにヒントを得て、どんな真理を教えようとしたのか、明確にわかります。『般若心経』の欠点もわかりにくさも、なるほどと俯瞰できます。
 そこではじめて、出口のない「『般若心経』文化」の迷路から抜け出て、『般若心経』をきっかけとして、お釈迦さまの説かれた真理へとアクセスするための道のりも描けるのです。
 本書はそのような狙いで、ブッダの言葉から抽出して書かれました。『般若心経』を信仰している方々を批判するつもりも、嫌な気持ちにさせるつもりもありません。これはあくまでも『般若心経』をどう理解すればいいのか、という知的な挑戦なのです。  では、お釈迦さまの教えからみた『般若心経』入門のはじまりはじまり。 --This text refers to an out of print or unavailable edition of this title.
===
Product details
ASIN : B073W3ZG8N
Publisher : Evolving (July 11, 2017)
Publication date : July 11, 2017
Language : Japanese
File size : 632 KB
Text-to-Speech : Enabled
Enhanced typesetting : Enabled
X-Ray : Not Enabled
Word Wise : Not Enabled
Print length : 137 pages
Lending : Not Enabled
Best Sellers Rank: #5,202,056 in Kindle Store (See Top 100 in Kindle Store)
#547 in Theravada Buddhism (Kindle Store)
#781 in Religion in Japanese
#1,155 in Theravada Buddhism (Books)
Customer Reviews: 4.1 out of 5 stars    13 ratings

Very poor Neutral Great
Customer reviews
4.1 out of 5 stars
--
Translate all reviews to English
makky
4.0 out of 5 stars 前半:般若心経批判/後半:「苦」の説明
Reviewed in Japan on May 8, 2020
Verified Purchase
実家は大変な大乗仏教の厚い信者で、私も子供のころからよく般若心経を聞いて育ちました。機会があってスマナサーラ長老の本に出合うことがあり、長老が書かれた「般若心経は間違い?」も手に取ってみました。確かにロジックで論破されています。なにより気に入ったのが、「そんな分かりやすいお経が、なぜ毎年たくさん注釈書がでるのか?」というところでした。確かに分かり切ったことを、それぞれの筆者ごとに解釈が異なるということは、大乗仏教では般若心経の意味、解釈の統一ができていない、つまり不十分であることだと思います。
あと、後半の「苦」の理論はいらないと思います。既に別冊で刊行されています。
「般若心経」への批判は前半だけで十分であり、ここまで本を分厚くする必要はなかったのではないかと感じました。

訂正:「苦の見方」は2015年に発刊されたのに対し、「般若心経」は2007年発刊でした。よって、本の半分を「苦」について言及されたのは当然かと思います。失礼いたしました。
Report abuse
Translate review to English
akrtmd
5.0 out of 5 stars 般若心経は釈迦仏教の全否定
Reviewed in Japan on October 15, 2017
Verified Purchase
100人僧侶が集まれば100通りの空が議論される。 小乗仏教のテーラワーダ仏教では42種類の空を修業するという。 空とは現象の移り変わりで無ではない。 般若心経は人間を構成している5蘊は空であるとしながら後に無として否定する。 さらに釈迦の教えである12因縁4聖諦8正道や悟りを空とすべきものを無として否定する。 またすべてが実体がない諸法無我と言いながら現象の生滅や増減、垢浄もないと釈迦の無常を否定する。 著者はこれを釈迦の教えを完全に無視した虚無主義と非難する。 最後に般若波羅蜜多を呪文として唱えよという。 著者は呪文を宗教に入れれば邪教になり神秘主義に陥いると主張する。般若心経を空を無と取り違えた支離滅裂の経典と断罪する。 一般人がこの経典を理解できないのは創作した人が仏教を真に理解していなかったためだという。 難解な理論はその作者の頭が悪いので学習する人の頭が悪いのではない。 師匠が生徒に助けられて解釈を更新しているのが般若心経である。
13 people found this helpful
Report abuse
Translate review to English
なぞなぞ太郎
5.0 out of 5 stars 般若心経を批判的に理解する
Reviewed in Japan on September 22, 2013
Verified Purchase
著者であるアルボムッレ・スマナサーラ長老は、スリランカ上座仏教
(テーラワーダ仏教)の長老であり、日本への留学では駒澤大学大学
において道元の思想を研究、日本においても上座部仏教の伝道を行い、
日本テーラワーダ仏教協会の長老でもある。

そんな日本通のスマナサーラ長老が般若心経を題材として取り上げた
のは、もちろん日本において人口に膾炙した経文だからである。

スマナサーラ長老はタイトルでずばり結論を語っているのだが、本書
では原文の意味を解読し、仏教の思想の解説と共にそれを興味深く明
快に説明してくれている。おかしな話かもしれないが、般若心経擁護
派のためにも本書は最も分かりやすい解説書となるだろう。

何が間違いであるかとは明快で、般若心経は釈尊が論じてきた仏説を
全て否定しているという点です。詳細は本書を参照して下さい。仏教
とは念仏(呪文)を唱える宗教だ、というぐらいの認識の人は眼から
鱗が落ちることでしょう。
Read less
20 people found this helpful
Report abuse
Translate review to English
こさりん
5.0 out of 5 stars ようやく合点がいった気がしました。
Reviewed in Japan on August 16, 2008
Verified Purchase
まず、私は家庭的に、法華経には親しんでいましたが、般若心経には慣れ親しむことはこれまで無く、柳澤桂子さんの『生きて死ぬ智慧』で初めて、きちんと般若心経というものに触れた者だということを申し上げておきます。

前半部分は、それはそれは素晴らしいと思えたのですが…

最後で、「??????これは何?何でこうなるの???」
という気持ちになったのです。
これまで、こんなに素晴らしい言葉を並べていたはずのお経が、
何で訳の分からないそう、まるで呪文もどきの言葉で終わってしまうのか、とても不思議でした。
なので、スマサラーナ師の解説で、そうだったのか!!ととても合点がいったのです。

スマサラーナ師は、けして、日本人をけなしているのではありません。
あまりにも乱暴に、膨大な教典を略してしまって、肝心な所を加え損ね、余計なモノを入れてしまった作者にとても残念な気持ちを持っておられるのです。
 なんとなくいい加減で、本当の信仰とは別の所にいるような、今の日本の宗教全体の問題を正視しないのはいけない事だと思います。

お釈迦様の本当の言葉、仏教の本当の素晴らしさ、それをもっと真っ直ぐな気持ちで、私達は見つめ直すべきではないでしょうか。
Read less
41 people found this helpful
Report abuse
Translate review to English
mahrin
5.0 out of 5 stars すっきりしました
Reviewed in Japan on July 21, 2017
Verified Purchase
般若心経の解説本を色々読んで、自分なりに理解しようとしていましたが、何か理解しきれないモヤモヤ感を持っていました。本書を読んで、納得でき、すっきりしました。ありがたいことです。
13 people found this helpful
Report abuse
Translate review to English
==
일본에서 가장 잘 알려진 불경 '반야심경'. 테일러워더 불교협회의 스마나사라 장로가 붓다의 가르침을 바탕으로 반야심경을 해독합니다.'어디가 이상한가' '어떻게 해석하면 좋은가' 논리적으로 순서대로 해설하고 있습니다.이 책을 다 읽었을 때는 부처님의 가르침의 진수를 이해할 수 있어요.

(처음에요리)
반야심경은 어려워서 모르겠다. 그런 소리를 많이 듣습니다.
 분명 반야심경에 대해 여러 사람들이 해설하고 있지만 어느 것도 납득이 가지 않습니다.모두가 제멋대로 해석해서 "나의 반야심경"을 말하고 있어요.그것이 일본의 '반야심경' 문화로 되어 있는 것입니다.
 문화를 즐기는 것은 좋지만 반야심경을 정말 알고 싶어하는 사람에게는 곤란합니다.
 사실 반야심경은 알아야 하죠.그건 부처님, 정등각자인 석가모니 부처님이 말한 경전이 아니기 때문이에요.
반야심경을 비롯한 대승불교의 경전은 부처가 열반하신 지 수백 년 만에 그 직접 가르침에서 일부를 떼어내 그 나름의 능력으로 깊은 의미를 표현하고자 한 종교인들의 문학작품입니다.그것을 우리는 여러 가지로 머리를 짜내서 해석해야 하는데, 우리도 부처가 설명한 진리를 알고 있지 않기 때문에 납득이 가지 않습니다.
 이 딜레마를 해결할 방법이 딱 한 가지 있습니다.
반야심경을 읽으면서 모르는 건 직접 부처님께 물어보는 거예요.
 부처는 누구나 이해할 수 있는 말로 진리, 즉 '보편적이고 객관적인 사실'을 완전히 이야기하지요.
 붓다말고는완전히진리를이야기할수있는사람은없습니다.완전한 깨달음에 도달하지 못한 사람들은, 비록 고도의 지식이 있다 하더라도, 비록 고도의 정신적 경지에 도달했다고 해도, 언어라는 불완전한 것을 구사해 「완전히 말한다」는 것은 있을 수 없습니다.정등각자가 아닌 한 진리는 말할 수 없습니다"아무리 애써 심원한 가르침을 표현하려 해도, 결점·결함이 일어나고 맙니다."
 그래서 붓다 뒤에 만들어진 대승경전에는 불완전한 언어로 표현하는 핸디캡이 따라다닌답니다.그 불완전한 말 앞에서 아무리 고민해도 답이 나오지 않습니다.  
 하지만 부처가 완전히 설파한 오리지널의 가르침으로 돌아가면 그동안 몰랐던 경전의 가르침도 금세 이해할 수 있게 되죠.반야심경의 작자가 부처의 가르침의 어디에 힌트를 얻어 어떤 진리를 가르치고자 했는지 분명히 알 수 있습니다.반야심경의 결점도 알기 힘들다는 점도 부감할 수 있습니다.
 그래서 비로소 출구가 없는 반야심경 문화의 미로를 벗어나 반야심경을 계기로 부처가 설파한 진리로 들어가는 과정도 그릴 수 있는 거죠.
 이 책은 그런 목적으로 붓다의 말에서 추출해 썼어요.반야심경을 믿는 분들을 비판할 생각도, 언짢게 할 생각도 없어요.이것은 어디까지나 <반야심경>을 어떻게 이해해야 하는가 하는 지적인 도전입니다. 그럼 부처의 가르침으로 본 <반야심경> 입문의 시작.

※ 『반야심경은 실수?』는 2007년 8월에 보물섬사신서로 간행되었습니다.2009년 6월에 문고화(타카라시마 SUGOI 문고)되었습니다.전자 서적화에 임해 내용에 재편집을 더했습니다.

목차
처음에 반야심경은 어려워?
제1장 색즉시공과 공즉시색
 『반야심경』전문
 『반야심경』서하
 제행무상과 색즉시공
 경전이란 무엇인가
 부처의 가르침 '팔리삼장'
 대승 불교의 삼장.
 반야심경은 일본 불교의 심장부
 스리랑카의 반야심경 자경
 이육이자로 응축?
 생략하고 있기 때문에 짧다
 관음보살은 가공 캐릭터
 보살은 깨달음을 얻기 전의 부처님
 보살의 수행이 파란 비밀
 대승불교에서 에스컬레이트
 초기 불교는 십파라밀
 인격 완성은 한걸음 한걸음
 서원은 「성불」이라고는 할 수 없다.
 5온을 하늘로 관찰하다
 5온에는 실체가 없다
 하늘은 특별시하는 것이 아니다
 사리풋타 존자를 깔보는 나쁜 버릇
 사리풋타 존자는 수행의 체크역
 대화로 배우는 것이 불교
 5온이란 무엇인가?
 5온으로 되어 있는 「나」
 색즉시공만으로는 부족하다
 초기 불교에서는 '하늘'을 관찰하는 경우가 수십 가지 있다
 현상의 관찰은 무상부터 시작된다
 공즉시색은 잘못되었다.
 하늘을 가지고 놀아서 실천이 놓고 가고
 무상을 부정하는 어리석음
 허무주의로의 전락
 「하늘」과「무」는 양립할 수 없다.
 생명이란 무엇인가 하고 붓다가 묻는다
 힌두교가 내놓는 대답
 서양 일신교가 내는 대답
 '살아있다'가 뭐냐?
 안이비설신의에서 색성향미촉법을 얻다
 18계는 '존재의 네트워크'에 대한 설명
 쉽게 알면 의미가 없어?
 십이 인연은 불교의 심수.
 사성체의 설명
 왜 남의 의욕을 꺾는가?
 도덕이 깨질 때까지 말해서는 안 된다
 제자에게 보호받는 스승
 불교 경전은 수행의 방법을 말해야 한다.
제2장 주문과 진실어
 공론자→허무주의→신비주의
 종교는 주문을 뒷받침해서는 안 된다.
 불교는 축복한다
 부처에게 힘을 불어넣은 주문
 의미 있는 말에 힘이 있다
 주문에는 힘이 없다
 『반야심경』의 진언은 불완전함
 반야심경 작자도 진지하지 않았다?
 내용 공부는 필요 없다
 이론, 실천, 향상에 대한 훈육이 필요
 붓다의 경전에는 빈틈이 없다
 모순이 없는 말은 일체 지자에게만 할 수 있다
 류키의 실패
 '어떻게 살아야 하는가?'가 결여된 가르침
 인격 향상을 위한 도구를 버릴 것인가?
 일상생활에서의 반야바라밀 실천법
 무상하니까 부부 사이좋게 효도
 고집멸도를 발견하는 것이 지혜
제3장 삶의 방식을 말하는 불교
 모갈라쟈경
 죽음을 극복하기 위한 세계의 견해
 쉴라경
 5온의 관찰 리스트 11
 무상·고·무아의 어느 것인가를 발견하다.
 실천적인 공론
 깨달음으로 하늘=무가치 발견하기
 수행이 완성되어도 하늘을 산다
 대승 불교와 초기 불교의 공론
 사실이 도움이 된다고는 할 수 없다
 삶의 방식을 말하고 있나?
 용수의 공론과 공즉시색
 무를 쓰면 공론은 성립되지 않는다
 하늘이 아니라 무상을 말하라
 어리석은 자의 비위를 맞추는 공론
 하늘은 말할 수 없다
 대승 불교는 아무것도 발견하지 못했다.
 유식론의 잘못
 대승 불교 우위론은 성립되지 않는다
 미륵보살의 전설
 부처는 분석주의자
 진리는 언제나 빛나고 있다.
 불교도라는 자랑
 붓다의 가르침은 원리주의가 아니면 위험해
 불교도의 긍지를 되찾다
제4장 무아문답
 상응부 경전 시게 상응 비구니의 장 무아문답
 무슨 이유로 무아인가?
 '악마'가 뭐냐
 마에는 다섯 가지 뜻이 있다
 신은 마음의 에너지 차원에서 살아가는 생명
 수행자 마음의 진동은 최고 수준
 악마는 '우리의 대변자'
 악마는 불교를 공격하는 사람들.
 출가 생활
 악마가 아라한의 선정을 방해하다
 악마의 굉장한 질문
 바질라 비구니가 악마라고 간파하다
 첫 판은 세상의 합의.
 5온 ①색온(rppa-kkhandha 루파칸다)은 육체를 구성하는 물질
 5온 ②수온(vedanā-kkhandha 베다나 칸다)은 6개의 감각
 5온 ③ 상온(saāā-kkhandha 산냐칸다)은 감각에서 생기는 개념
 5온 ④행온(sakkhāra-kkhandha 상카라칸다)은 '하고 싶다'는 충동
 5온⑤식온(viāāaa-kkhandha 빈냐나 칸다)은 인식
 머리를 산냐로 가득 채울 필요는 없다.
 5온의 무상은 비유할 수 없다
 영원불멸의 영혼은 있을 수 없다
 느끼니까 생명
 보이는 빛밖에 보이지않아
 감각의악은감각의고가사라지는것.
 이것도 저것도 다 괴로움
 고 ① 사는 것은 고
 최고의 행복은 불행의 밑바닥이고
 열반하면 재미없다?
 고통이 없으면 행복을 느끼지 못한다
 두번째,현상이순식간에사라져야한다.
 생명은 유지되지 않는다
 자기 자신의 사고야말로 악마
 '사고하기'라면 '아직도 바보'
 아라한에는 '자기'가 없다
마지막으로 진정한 반야심경
---
Product details
ASIN : B073W3ZG8N
Publisher : Evolving ( July 11 , 2017 )
Publication date : July 11 , 2017
Language : Japanese
File size : 632 KB
Text - to - Speech : Enabled
Enhanced typesetting : Enabled
X - Ray : Not Enabled
Word Wise : Not Enabled
Print length : 137 pages
Lending : Not Enabled
Best Sellers Rank : # 5 , 202 , 056 in Kindle Store ( See Top 100 in Kindle Store )
# 547 in Theravada Buddhism ( Kindle Store )
# 781 in Religion in Japanese
# 1 , 155 in Theravada Buddhism ( Books )
Customer Reviews : 4 . 1 out of 5 stars 13 ratings
Videos
Help others learn more about this product by uploading a video !
Upload video
More about the author
› Visit Amazon ' s Alubomulle Sumanasara Page
Alubomulle Sumanasara
Follow
Discover books , learn about writers , read author blogs , and more .

Sponsored


How would you rate your experience shopping for books on Amazon today





Very poor Neutral Great
Customer reviews
4 . 1 out of 5 stars
--
Translate all reviews to English
makky
4.0 out of 5 stars 전반: 반야심경 비판/후반: '고'의 설명
Reviewed in Japan on May 8 , 2020
Verified Purchase
본가는 대단한 대승 불교의 두터운 신자여서 저도 어릴 때부터 자주 반야심경을 듣고 자랐습니다.기회가 있어 스마나사라 장로님의 책을 만나기도 했고, 장로님이 쓰신 '반야심경은 틀렸나?' 도 집어보았지요.확실히 논리적으로 논파되고 있어요.무엇보다 마음에 들었던 부분이 '그렇게 알기 쉬운 불경이 왜 해마다 주석서가 많이 나올까?' 하는 부분이었습니다.뻔한 사실들을 보면 각 필자마다 해석이 다르다는 것은 대승불교에서는 반야심경의 의미, 해석의 통일이 되어 있지 않다는 사실, 불충분한 사실이라고 생각합니다.
그리고 뒷부분의 '고' 이론은 필요없다고 생각합니다.이미 별책으로 간행되고 있습니다.
반야심경에 대한 비판은 전반부만으로도 충분해 책을 두껍게 할 필요는 없지 않았나 하는 생각이 들었습니다.

정정:'고의견'은 2015년에 발간된 반면, '반야심경'은 2007년에 발간되었습니다.따라서 책의 절반에 '고'가 언급된 것은 당연하다고 생각합니다.실례했습니다.
Report abuse
Translate review to English
akrtmd
5.0 out of 5 stars 반야심경은 석가불교의 전 부정
Reviewed in Japan on October 15 , 2017
Verified Purchase
100인 승려가 모이면 100가지 하늘이 논의된다. 소승 불교의 테일러워더 불교에서는 42가지 하늘을 수업한다고 한다. 하늘이란 현상의 변천으로 무가 아니다. 반야심경은 인간을 구성하고 있는 5온은 하늘이라고 하면서 나중에는 무로 하여 부정한다. 게다가 석가의 가르침인 12인연 4성체 8정도나 깨달음.반야심경을 하늘을 무와 혼동한 지리멸렬의 경전으로 단죄한다. 일반인들이 이 경전을 이해하지 못하는 것은 창작자가 불교를 진정으로 이해하지 못했기 때문이라고 한다. 난해한 이론은 그 작가의 머리가 나쁘므로 학습하는 사람의 머리가 나쁜 것이 아니다. 스승이 학생의 도움을 받아 해석을 갱신하고 있는 것이 반야심경이다.
13 people found this helpful
Report abuse
Translate review to English
수수께끼타로
5.0 out of 5 stars 반야심경을 비판적으로 이해하다
Reviewed in Japan on September 22 , 2013
Verified Purchase
저자인 아르보믈레 스마나사라 장로는 스리랑카 상좌불교
(테일러워더 불교)의 장로이며, 일본 유학에서는 고마자와 대학대학
에서 도원의 사상을 연구, 일본에서도 상좌부 불교의 전도를 실시하고,
일본 테이라워다 불교협회의 장로이기도 하다.

그런 일본통인 스마나사라 장로가 반야심경을 소재로 삼았다
것은 물론 일본에서 인구에 회자된 경문이기 때문이다.

스마나사라 장로는 제목으로 정확히 결론을 말하고 있는데, 본서
이제 원문의 뜻을 해독하여 불교사상의 해설과 함께 그것을 흥미롭게 명명
쾌히 설명해 주고 있다.우스운 이야기일지 모르나 반야심경 옹호
파를 위해서도 본서는 가장 알기 쉬운 해설서가 될 것이다.

무엇이 잘못되었는지는 명쾌하고 반야심경은 석존이 논해온 불설을
모두 부정하고 있다는 점이에요.자세한 것은 본서를 참조해 주세요.불교
란 염불(주문)을 외우는 종교다라는 정도의 인식을 가진 사람은 눈으로부터
비늘이 벗겨지겠죠.
Read less
20 people found this helpful
Report abuse
Translate review to English
코사린
5.0 out of 5 stars 드디어 합점이 온 것 같았어요
Reviewed in Japan on August 16 , 2008
Verified Purchase
우선 저는 가정적으로 법화경에는 익숙했지만 반야심경에는 익숙했던 적이 없으며, 류택 게이코 씨의 살아 죽는 지혜에서 비로소 제대로 반야심경이라는 것을 접한 사람이라는 점을 말씀드리겠습니다.

앞부분은, 그거 멋지다고 생각했는데...

마지막으로 '????????이건 뭐야?왜 이러는 거야?"
하는마음이들었던것입니다.
지금까지 이렇게 훌륭한 말을 늘어놓았어야 할 경이
왜 영문을 모르겠다는 듯, 마치 주문 비슷한 말로 끝나 버리는 건지, 너무 신기했어요.
그래서 스마살라나 스승의 해설로 그랬구나!! 하고 매우 납득이 갔습니다.

스마살라나 스승은 결코 일본인을 깎아 내리고 있는 것은 아닙니다.
너무 난폭하게 방대한 교전을 생략해버려, 중요한 부분을 더하지 못하고, 불필요한 것을 넣어 버린 작자가 너무 안타까운 마음을 가지고 계십니다.
 어쩐지 적당히, 진짜 신앙과는 다른 곳에 있는 듯한, 지금의 일본의 종교 전체의 문제를 정시하지 않으면 안 되는 일이라고 생각합니다.

부처의 진짜 말씀, 불교의 진짜 멋짐, 그것을 좀 더 정직한 마음으로 우리는 다시 바라봐야 하지 않을까요?
Read less
41 people found this helpful
Report abuse
Translate review to English
mahrin
5.0 out of 5 stars 후련했어요
Reviewed in Japan on July 21 , 2017
Verified Purchase
반야심경 해설책을 여러 번 읽고 나름대로 이해하려고 했지만 뭔가 이해할 수 없는 답답함을 느꼈어요.본서를 읽고 납득할 수 있어서 상쾌했습니다.감사한 일이에요.
13 people found this helpful